音楽の感動を伝える授業が絶対に必要ですね。私は音大ではなく一般の大学(法学部)でしたが、教養課程で受けた「音楽」の授業が実に感動的でした。学生間でも超人気な授業で毎回大教室が満員になります。私が聴いた年は古典音楽からロマン派への変遷がテーマで、いかに古典派の音楽が確立され、そこからさらにそれを破るロマン派が誕生し音楽が発展していったかということでした。毎回レコード(当時)から曲を選び、講師の先生自らピアノを弾きながら解説、主要なテーマなどはプリントを配るなど渾身の講義で皆夢中で聴講しました。第9交響曲のNicht diese Töneの意味も分かりましたし、ベートーヴェンの凄さも改めて実感できました。そしてワーグナーのライトモチーフがなぜできたのか・・一年最後の授業が圧巻でした。先生がかけてくれた曲はワルキューレの最後の場面。ヴォータンの独白に重なる眠りのライトモチーフ、魔の火が娘を守り、やがて現れる真の勇者の地の底から鳴り響くようなモチーフが重なる・・・・この授業の伝えたかった全てがここに集約されているようで、大教室を埋めた全員が(たぶん)涙しました。「音楽って本当に素晴らしい!」これがその授業を一年かけて聴講した多くの生徒の感想でした。この授業のおかげで私は後年バイロイトに行く羽目になりました!
管楽器講師です。時々ちょっと上手な生徒が「音大に行きたい」と言い出します。私は音大に行くことがどれだけ大変か、お金のかかることか、卒業後の現状を親御さんも呼んで話をします。それでも受験する、となりますと、趣味のレッスンとは違いたくさんの専門実技の課題を出し、副科ピアノ、ソルフェージュ、楽典を急いでやらないと!と私はあたふたと準備をしようとしますが、今はどの音大もウェルカム状態で、ピアノなんて弾けなくてもいい(入学後も副科ピアノが必修ではない)とのこと。専門実技もこのままのレベルで入れるからムキになってやることない…とのんびりしています。大学の講習会に行っても「楽器の練習も大切だけど綺麗な景色を見て感性を磨いてきて」って言われたそうです。学生がお金としか見られていないんだな…と感じます。ピアノも弾けない、楽典も何のためにやるのか分からない音大生が排出されることは大変問題だと思います。
質の低下が心配されますね・・
我が国のエリート教育機構は、権威主義の元、無学無知識な大衆を喰い物にするシステムであって、その中でも特に「芸術」は残念ながら諸外国からの体裁を気にした「アリバイ」的機構に過ぎないというのが私の肌感覚です。
楽典を学んでもそれを演奏の表現に結びつく演奏者は少なく多くの学生は楽典のための楽典になっています。才能ですね
@@musikland9627 全く同感です。
国民の中に音楽の喜びを根付かせる、という大事なことを忘れてしまっていますね。
音大ではないですが、某四国の国立教育大大学院の音楽教育科修士課程では、修士論文の代わりの「修士発表」としてFコードが弾けてないレベルのギターでピッチとリズムを外しまくった弾き語りをして、修士課程認定されています。上手い人もたまにいますけどね。
自分の高校の音楽の先生は、とにかく鑑賞を重視する人でした。授業ではクラシックの曲をいろいろ聴き、感想文を書く時間がありました。時々「西洋音楽のバックボーンになってる文化も学ぶべき」と、キリスト教文化や建築史などのビデオも見せてくれました。文章が苦手なので感想文を書くのは苦痛でしたが、その先生は自分たちに演奏技術よりもっと大切なものを教えてくれていたのだとあらためて実感しました。自分は楽器は弾けず、歌も下手ですが、どんなジャンルの曲でも聴くのは大好きです。
音楽の感動を伝える授業が絶対に必要ですね。私は音大ではなく一般の大学(法学部)でしたが、教養課程で受けた「音楽」の授業が実に感動的でした。学生間でも超人気な授業で毎回大教室が満員になります。私が聴いた年は古典音楽からロマン派への変遷がテーマで、いかに古典派の音楽が確立され、そこからさらにそれを破るロマン派が誕生し音楽が発展していったかということでした。毎回レコード(当時)から曲を選び、講師の先生自らピアノを弾きながら解説、主要なテーマなどはプリントを配るなど渾身の講義で皆夢中で聴講しました。第9交響曲のNicht diese Töneの意味も分かりましたし、ベートーヴェンの凄さも改めて実感できました。そしてワーグナーのライトモチーフがなぜできたのか・・一年最後の授業が圧巻でした。先生がかけてくれた曲はワルキューレの最後の場面。ヴォータンの独白に重なる眠りのライトモチーフ、魔の火が娘を守り、やがて現れる真の勇者の地の底から鳴り響くようなモチーフが重なる・・・・この授業の伝えたかった全てがここに集約されているようで、大教室を埋めた全員が(たぶん)涙しました。「音楽って本当に素晴らしい!」これがその授業を一年かけて聴講した多くの生徒の感想でした。この授業のおかげで私は後年バイロイトに行く羽目になりました!
車田さん、いい話題ですね。私はドイツ在住の者です。
子供がギムナジウムを卒業しましたが、こちらの一般の学校の音楽教育も惨憺たるものでした…。1,2年では音楽はお遊戯会をしている感じ、3,4年ではほとんどの子供たちが興味なし、5,6年では音楽と体育はバイリンガル教育という事で2教科を英語で授業をすることに重点をおかれ、内容はお遊戯会なみ。
7,8,年は突然楽典で主要三和音やカデンツを作る宿題が出たり、音楽史になったり。10年生で選択制になり、生徒の希望で突然バンドを組んで学園祭で演奏、と支離滅裂でした。
こちらの若者の間でもクラシック音楽が退屈かつダサい、という雰囲気が強くて残念です。
周囲を見回すと、音大を目指すような子は家族の誰かが音楽家であることが多いですね…。
私はクラシック音楽ファンですが、日本での一番の問題は「文化にお金をかけない」という政治の問題だと思います。“生の演奏は本当に素晴らしい!!”でも、チケットは高いし、生活に余裕がないし、忙しくて行く時間もない。演奏家も同じ状態だと思います。普段から生でよい演奏に触れる機会があれば、音楽の本当の良さを経験でき、音楽の裾野も広がると思います。それは他の芸術でも同じだと思います。政治の貧しさを正さないと、いくら現場が頑張っても無理だと。
😊😊
ネットの影響もあると思います。音大を出ても食べていけないことが高校生の時からわかるようになったんです。
音大卒業してます。
大学時代の友人と飲みに行くと、自分たちの親がよくこんなお金があったね。自分は子供にこんなにお金掛けられないと話してます。
投稿者である車田さんのお話を伺うのは、今日が初めてです。僕は音楽の「お」の字も知りませんし、音楽についての話を聴いたり読んだりしたこともほとんどありません。音楽を聴くことも少ないです。そんな僕なのに、車田さんのこのビデオの最初の1分ほどを視聴し、さてそろそろスイッチを切ろうかと思っても、最後までどうしても聴きたくなり、ついに25分間、ずっと聞き惚れてしまいました。(この下に話は続きます。)
まず、他の RUclipsr さんたちとは大きく違って、車田さんは声楽専門家だけあって、一つ一つの発音をきちんと正確に美しく、少しゆっくり目で話されていて、かといってゆっくり過ぎず、決して視聴者を退屈させず、そして他の RUclipsr たちとは全く違った口の動かし方をなさいます。これが僕にとってとても興味深かったのです。さすが、声楽家の話し方は、おそらくは歌っているときの口の動かし方と同じなのでしょうね。実に美しく発音されています。これなら、たとえ一つの音たりとも視聴者は、たとえボウッとしていても聴き逃したり聴き間違ったりすることはないでしょう。
一般の人は、いくら話が上手でハキハキした人であっても、25分も話せば必ず何回かは視聴者に「ええっと、ここでは何を言ってるのかな?」と思って、特定の部分を何度も聴き直しても、やっぱりその部分が聴き取れないということがあるものです。しかし車田さんはそれとは全く違います。音楽の「お」の字も知らない僕とはいえ、日本語から始まって英語やそれ以外の様々の言語を学習したりかじり回ってきた僕にとって、これはとても重要な発見だったのです。
さて、発声方法についてだけではなく、僕は音楽のみならず、芸術一般、そして学問一般について、特に人文科学(つまり哲学・心理学・文学・人類学・歴史学・政治学・芸術・語学・言語学など)を学ぶ意義を考える上で、車田さんのお話はとても役立つし、深いテーマを含んでいると思っております。僕はいつも、とかく実用性ばかりを追いかけがちな、そしてそうせざるを得ない世知辛いこの世において、芸術や文学や哲学やその他の人文科学の意味とは何なのか、といつも考えてながら、10代のころからずっと生きてきました。
さらに言えば、音楽を初めとする芸術や人文科学のみならず、およそ美や真理を追究するあらゆる芸術や学問を追求するということはいったいどういうことなのか、そしてそもそも、そういうものを追求し続ける人間とは何か、そして人生とは何なのか、何のために生きるのか、宇宙とは何なのか、人間以外の生物は何のために生きているのか、この世界(宇宙)とはいったい何なのか、何のために存在するのか、ということまで含めて考えさせてくれるのが、芸術や学問というものであり、単にきれいなものを見て楽しめばいいとか、単に生活の役に立てばいいとか、人生を楽しくさせてくれたらそれで芸術も学問も意味があると言えるのだ、とかいう浅い理解に留まらず、人生を根本的に考えさせてくれる最も重要な分野として、音楽を初めとする芸術や人文科学というものはあるのだ、と思います。そういうことを車田さんは僕に再確認させてくださっているのです。
ありがとうございます😊😊
若い頃に音楽を志したかったけど経済的にそれができず諦めて別の道に進んだ人、結構いると思います。また興味はあっったけどよい教育者指導者に恵まれなかった人。そういうものたちが、人生の折り返し地点で、もう一度学び直したいな、という時に、門戸を開いてくれる大学がもっとあってもいいいかと思います。若い頃のように演奏技術をつける筋肉は発達しないかもしれない。でも学びたい人は、私も含めてたくさんいます。学費も払えます。音大もそういう方向転換してくださるとうれしいいです。
女性を取り巻く環境がかわったというのはおおきいでしょうね。私の卒業した中学校は金持ちの子が多く、女子で音楽大学へ行った人は多いです。でもプロになったのは同級生にはいないです。「家でピアノを教えて」という人もいないです。ほとんどが「企業戦士」の妻になりました。現在は専業主婦なんて贅沢はなかなかできない時代です。音大の入学者減と看護大学の増加は裏腹の関係にあると思います。
「聴衆の開拓」に尽きると思います。今、RUclips内で様々な演奏家がそれぞれのやり方で模索しています。
大変興味深く思います。
今後音楽大学が存続するためには、聴衆の開拓の実践を、学生と共に取り組めるか?にかかっていると思うのです。
どんな方法でもいい。学内での演奏会は、常に満席にすべし。
「弟子の食い扶持も考えられん奴に、師匠を名乗る資格はない」随分前に亡くなった落語家の言葉ですが、ある面真実だと思います。
何より仕事がない事が問題ですね。私の姪は芸術学部を卒業して中学の音楽の教員になりました。彼女の目標は達成されました。
私の知り合いで音大(器楽科)で学んだ人は多くいますが、音楽(演奏)の仕事で今も生活している人は1人しか居ません。
オーケストラの正規団員や、ソリストとして生活が成り立つ人はj-popで生活出来ている人よりもはるかに少ないように感じます。
音大の存在は、教授達の生活のため、のような気がしてなりません。
久々に愛すべき「車田さん」のお話伺いましたもうじき90歳です。若い時「日本はクラシック人口は少ない」をよく聞きましたが、殊に今は少子化で「すべの今後」が心配されているようですね。でも「車田さん」力説の「音楽はどうして素晴らしいのか」「どうして情熱を注ぎたくなるのか」のひと言が示唆に充ちていて心に残りました。また日本は西洋音楽の歴史が浅いので「音楽の素晴らしさを教える人材を育てる人材を、育てることもとても大切である」も共感いたしました。やっぱり「音楽体験の素晴らしさ」を教えてくれる人に「出会える」ことも大事かなと思いますね・・・なんたって「才能を認めてもらえた」・・・ここ、この体験がイチバンでしょうか、一生忘れられない。
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
私は中学校音楽教諭28年目の未熟者です。車田先生の知見と熱意に改めて敬意を表したいです。
私はこの動画でおっしゃられていることをやろうとして、管理職や他教科の先生方に「もっと楽しくやれ。難しいことをやるな」と叩かれ続けています。でも「楽しさって何?」「音楽の素晴らしさって何?」と生徒にも管理職にも他教科の先生方にも保護者にも問いかけ続けています。どうしても音楽の本質からズレているような違和感を拭えませんので‥😥
音楽は今や世の中のあちこちに溢れかえっていて、その使われ方さえ怪しいものも混在しています。でも私は「音楽は人が命を削って必死で伝えようとした尊い想いの固まり」であることを訴えずにはいられません。
そういう意味で今日はドイツから大きな勇気をいただきました😃とても近くに感じることができて嬉しかったです。ありがとうございました👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
これからも情熱を持って音楽を教えていってください!
こんにちは。
この3月、音大を卒業する子供を持っています。大手メーカーに就職が決まっており、ちょっとした演奏会も開催出来ております。コロナで留学出来ませんでしたが、しっかり師事する先生について、命から音楽を大切にしております。
卒業してもまだまだ勉強は生涯続きます。また下の子も音大受験予定です。
命から音楽を大切にしております。
このような動画、大変感謝しております。
これからも精進していきます。
本当に音楽に出逢えて幸せです。
重い課題ですね。 こういう議論は逃げずに多くの方と続けられる事を祈っております
もともとリストやヴィヴァルディー推しの子どもが、小学校でモーツァルトの魔笛を習ってきて魔笛の面白さに惹かれて、今度親子で魔笛を観に行くことにしました。
私はザルツブルクでオペラ見るほどにオペラファンなので子どももオペラファンにできたら嬉しいです。
車田さんの今回のお話、いつもにもまして身につまされる思いで伺いました。
現在日本の義務教育では、知識・技能と思考・判断・表現及び協同的で主体的に学ぶことを目標にしています。ただし、評価に対して形式的になってしまったり、どうしたら評価が取りやすいかに陥ってしまっている先生方もいらっしゃいます。
わたしも子どもたちと音楽を楽しむ中でいかに美しい音に敏感になり、注意深く聴くことで音楽の面白さに対峙できるかに苦心しております。
そんな中で合奏の最後の一音がピタッとあった時の子どもの「やった」という一言にまだ伝えられることがたくさんあるんだと自分に言い聞かせて過ごしております。
😊😊
素晴らしい!おっしゃる通りです。音楽の先生方に是非見ていただきたい動画です。
バレエも好きで、観に行く人増えないかなーって思っていたんですけど、まさに仰る通りですね。
コンクール行く人は多いけど、バレエを作品として観て研究する人はいないというか。
・今から50年前、「音楽の友」にも「音大の現状と今どきの音大生」に関する特集が組まれていました。本動画と同様の内容で「音大を卒業してからその後どうするの?」ということと「今どきの音大生の中には、ベートーヴェンの交響曲の全曲も聴いたことのない人が多くいる。質が低下した」というような記事でした。
「のだめカンタービレ」が、実にリアルに日本の音楽大学の在り方を語ってくれましたね。卒業後の職が無い現実をリアルに見せたのも、原因の一つだと思います。
ギャグマンガが現実をリアルに語ったという、のだめは稀有な傑作でした。その一方で、音楽の才能が、知られずに世の中にたくさんあることも語り、
従来とは別の音楽世界の可能性を見せてくれました。それがネットと融合し、新しい音楽世界が生まれつつあるのが、今だと思います。
車田さんの的確な分析と、明確な説明には毎回感心させられます。初等教育における音楽教育のレベルは日本でもヨーロッパでも大きく下がっています。私が小学生の頃は、3年生か4年生になれば♯♭2つくらいまでの曲はすべての子供が(まあ例外はいたかもそれませんが)移動ドで読めるようになったものです。今は楽譜の読み方はほとんど教えないし、ドイツやオーストリアの基幹学校や国民学校ではそもそも音楽は芸術一般の一部でしかなく、音楽の授業がない場合もあります。娘は「音楽」という授業はギムナジウムのUnterstufeまでありませんでした。レコードを聴かせたりもちろん、プロの演奏を鑑賞するなんてもちろん無いし、あれでは子どもたちが音楽に出会う機会自体がありません。昔はオペラやコンサートに行くと後ろの立見席から色々な色の頭が見えましたが、今はほとんど白い頭しか見えません。
こんにちは🎶
私は両親の反対を覆せなくて音大に進学できなかった高校生でした。
でも、当時、とても素晴らしい先生に授業をして頂いたおかげで、かれこれ35年以上もピアノを弾くことを諦めずに来れました。
本当に、この先生は恩人です。
そんな心に音楽を染み込ませてくれる先生が今は少ないのですね…。残念です。😢
車田さんは、その先生を思い出させてくださいます。私は福島県人なので、合唱、吹奏楽が、盛んな福島県を誇りに思います。
😊😊
出会う先生次第ですよね。いい先生に出会って幸運でしたね。良くない先生に習うより一人で習った方がいいです。
本当にいい先生は凄く少ないですから。
僕はトランペットを独学で15歳の時に始めました。18歳でプロ入りして、
25歳でロンドンに渡ってそれ以来45何年以上もヨーロッパで演奏して来ました。
長い間世界レベルの人たちと一緒にやって日本では習えないたくさんのことを習いました。
一緒にやった素晴らしい人たちが最高の先生でしたね。お金を貰ってなおかつ勉強できるのですから
これ以上のことはないですよね。「シェルブールの雨傘」の作曲家ミシェル・ルグランのオーケストラで
やったこともあります。その他日本人が知らない超有名なバンドやオーケストラで長年仕事を
して来ました。
今は長いこと教えていますがいい先生だと言われています、(自分でいうのはおかしいですが)、
ステージでもまれて音楽とは何かを知っているからでしょうね。
話を聞いてて「なるほど、確かに!」と思うことだらけでした。私は小6からピアノを習っていたのですが、車田さんの「習い事の中で止まってしまう」という話にハッとさせられました。私はピアノ曲だけではなく、交響曲などの他のジャンルの曲もたまに聴きますが、どうしても聴く曲がピアノ曲に傾倒しがちだったので、ピアノ曲以外の曲にも積極的に触れていきたいです。
音楽を学びたい学生が減っているということは、音楽、芸術好きの自分にとっては、非常に悲しいことだと感じられます。特に今のご時世だと、「音楽なんて仕事や社会生活に何の役に立つの」と多くの人は考えてしまいがちだと思いますが、直接は役に立たなくとも、音楽というものは、何かしらの形で我々の人生を豊かにしてくれる素晴らしいものだと私は信じているので、少しでも多くの若者ないしは人々が音楽に触れ合って、音楽によって人生を豊かにしていって欲しいなと思います。
(長文になってしまいすみませんでした。)
😊😊
分かりやすい解説ありがとうございます
自分は学生で音大に行くことも考えていましたが親に何度も止められて諦めてしまいました
若者に夢がなくなったというのもすごく同感です
音楽で感動する機会が減っているというのもすごく納得で学校で鑑賞の授業があっても音楽選択者であってもずっとつまらなそうな顔をしています 何度も聞いている音楽であ、知ってるなで終わってしまうのかなと少し残念に思っています
小学校から所謂「実学」を重視するカリキュラムになっているように感じております。実学というと耳障りが良すぎるので、あからさまな表現をしますと「役に立つもの=金になるもの」を重視する傾向があると思います。更に大人も子供も、聞くこと・待つこと・許すことで構成される忍耐力が著しく低下していると強く感じております。今回のお話をお聴きして、それが日本国内のみならず世界的な傾向なんだと感じました。
しかしながら役に立つものって、本当に氷山の一角であり、役立つものの下には無駄=失敗の積み重ねがあると思います。無駄=失敗を「しない・させない・許さない」という大人側の勝手な都合で、子供に迎合する大人ばかりになっているのではないかと。そうなると子供たちが「思考」するという機会が無くなり、結果として感動体験が無くなって仕舞っているように感じております。
その傾向は強いですね。ほとんどの勉強が受験のためになってしまっているので無理もありません・・
初めてコメントです‼️
72まで音楽とは無縁でした!いえ、高校1年の時、コーラス部1年間所属しましたが、以来72歳まで譜面は見たこともない者です!6年前、フルートを始めて、現在、二つのアンサンブルに所属し、悪戦苦闘しております!
こんな自分にもこんなに広い視点から音楽を学ぶ知る機会を与えて頂いてる車田先生に感謝です!例えばクラシックの演奏の度その作曲家の歴史背景や生涯等に関心も湧きます!10-20年若い時、(それでも5、60ですが)始めておればよかったと後悔しきりです
プロよりも競合校の演奏を聴きに行く、少し驚いたのと同時になるほどとも思いました。
文化芸術には絶対優劣がないから素晴らしいのに、勝負ごとになってしまっているのですね。
すぐにお金や結果に結びつかないものから切り捨てられていく今の日本、デフレを30年近くやっている政治の失態は計り知れません。
デフレをさっさと脱却し、あちこちの演奏会で人が埋め尽くされる豊かな日本を取り戻しましょう。
日本の豊かさ・・・と言っても、結局は親が学費をねん出しているわけで、国や州立の音大が充実しているヨーロッパとは豊かさの意味が違うんじゃないかと。ただ情熱で音大に行くんじゃなくて職業につなげるという考え方、大事です。そういう意味で試験に二回落ちたら退学というのも、「お前は向いてないよ」と教える必要からして大事だと思います。向いてないのに授業料欲しさに生徒にだらだら勉強させ続けるのは良くないと思います。私はスイスで学びましたが、スイスは医学や神学を学んだとか、他の学問をやった人が音大に行って、二足の草鞋を履く人も多いと感じ、芸術の位置づけが良いなと思いました。
ヨーロッパと日本の音大では「習う曲の量」に圧倒的な違いがあると感じます。日本は年に数曲習うけどヨーロッパはもっと幅広く教えてくれる。だから試験でも3つ以上の時代から曲を選んでリサイタル形式で試験をしてくれる、それを教えてくれるレベルの先生がそろっている。
日本の音大と子どもの音楽教育の問題の一つは「とりあえず教職を取って・・・」が多いことだと思います。スイスの音大ではSchulmusikを学ぶ人の専門の学部がありますから、学校で扱う楽器も一通りちゃんとできます。我々楽器の学科では、その楽器を教えるディプロムが取れますが学校の教員免許ではないので、日本とはシステムが違いますね。日本の「とりあえず教職を取って・・・」の人たちは、楽器出身の人だと歌が歌えないとか、ちゃんと子どもたちに十分に教えるスキルが身に付いていない。これでは未来につながらないと思いました。
スイスやドイツでは教会の存在も音楽にとって大きいです。専属のオルガニストや聖歌隊指揮者が主催して、学生でも教会で演奏会に参加してアルバイトできます。日本ではそういう発表の場がとても少ない。大小のコンサートホールみたいにお金のかかる会場では学生には発表の場として難しいです。
お話自体は納得できましたが、外国(特にヨーロッパ)と日本とでは文化的な背景や環境下が違います。
日本ではどうしても音楽の大学というと「お嫁さん養成学校」という考え方をする人が強いのも事実です。
自分は音大声楽科を卒業して研究科まで修了しましたが、音楽で食べていけるのはこの国では無理だと思って、でもどうしても演奏活動をしたかったから、OLしながら夜にレッスンに通ったり、演奏活動をしてます。
留学も経験しましたし、コロナ禍前は毎年有給を使ってヨーロッパの師匠に稽古をつけてもらったり演奏会に出してもらったりしました。
生活の基盤がどこにあるかで決まってくると思います。
あと、音大を出てから知り合ったミュージシャンの方には音大を出ていない人も多いので、ホントに演奏活動や音楽教育に携わりたければその人の実力次第だと思っています。
学校の授業で「英語の授業が好きだから英文科」「数学の授業が好きだから数学科」のように「音楽の授業が好きだから音楽科」というようにはいかないです。親の理解と経済力や、また近くに優れた先生との出会いも大事です。社会人向けに一般的な音楽教室とは違うものを学べる講座(例えば音楽理論、ソルフェージュなど)があったりすると良いと思います。
親が子供の教育に対して、水泳だの塾だのといろいろ習わせることばかりでどれを集中させて教育する意識がないし、二大楽器メーカーの音楽教室も商売優先、個々の学びは後回しって感じで、親が中途半端に気がつかない限り、音楽を学ぶ方向には進まないと思います。
大学に問題が有るのでは無い。環境に問題が有ります。日本の住宅事情が、音楽向きでは有りません。プロの演奏家が、練習のためにスタジオを借りて居るのが現実です。ましてや、一般家庭での音楽は……スマホにワイヤレスイヤホン。これが、一般的日本人の音楽なんです。音楽の底辺が狭いのです。底辺を広げない限り、音楽の発展は、有りません。
習い事のピアノが特にそうなのかも知れませんが、大昔から覚えゲーみたいになってますよね。正確無比で無機質に引き倒す感じの。知り合いの高校の音楽の先生は、音大に行ってから初めてコードの支配する音楽の存在を知って、どっぷりJazzのインプロヴァイズにハマったと言ってました。そういう人結構いますよね。
母と姉が音楽家という家で育ちましたが、外交官として働きたい気持ちが強く普通の大学に進学しました。
普通の大学に進学してびっくりしたのは、音楽家がいない家庭の子でもクラシックが好きな子、音楽は全く分からないけれども、感動的な体験をして音楽が好きなった子が想像以上にたくさんいることです。
しかし、普通大学には音楽学の講座さえありませんし、特に楽器系のサークル・習い事ができるのは幼少から習っている子か親の援助を受けられる子くらいです。また、楽器店がない地域では個人の先生に支持するしかないのですが、ただ、小さい子でもなく完全な社会人でもない大学生の初心者を受け入れてくれるところは少なく、習う機会も限られてきます。
ヨーロッパでは普通大学でも座学を学べたり、できる人は単位互換で実技系の授業を受けれたりしますし、音楽院の学生さんが地域の音楽教育にかなり密接にかかわっていたりします。
素晴らしい音楽家の皆さんがたくさんいる、ということも重要ですが、業界にお金と時間を十分に落とせる愛好家を増やすことも大切ではないのでしょうか。若いリスナー(需要)も音大性の皆様のお仕事においては欠かせない要素かと思います。勿論、全部というのは皆様に大変失礼ですが、音大生の皆様が享有している貴重な音楽のエッセンスをいただけたら、と思います。長文失礼しました。
私個人で言うと、チケットぴあとか、各ホールや、音楽プロモーターがこのインターネット時代にロクな情報検索予約案内システムを作ってないのが演奏会から遠ざかる1番の原因です。
そしてやっと聴きたいコンサートを見つけて足を運ぶと、ゴミみたいなチラシの束を押しつけられるのにもウンザリです。
時代の波や社会情勢に飲み込まれやすい音楽で一生ご飯を食べることは、昔から厳しかった。
ヨーロッパに23年住んでみて分かったことは、大学の設備で恵まれているのは明らかに日本。
練習専用の棟完備で朝から晩まで練習し放題、ピアノレッスン室にはグランド2台設置、海外からの召喚教師によるマスタークラス、劇場にカフェ、食堂完備など、高い授業料に概ね見合い、更に音大周辺には楽器可学生専用アパートがある。
海外では国立音楽院で主席卒業しても、その後の安定も保証されない。
何人もの日本人が、有名歌劇場での雀の涙ほどの給与に悩み帰国した。
音楽の世界は実は、コネクションの世界でもあり、多くの実力をもつ人が、派閥の流れで弾き飛ばされてきた。
その中で日本人として人脈をどう繋げていくか、もはや音楽の美しさとはかけ離れた現実が待っている。
弦や管楽器であれば、コンクールに入賞しながら、オーディションも受けオーケストラに入団できる可能性はある。
ピアノは知名度がない限りオーケストラから呼ばれることも企画されることもない。
有名歌劇場の伴奏も前述した通り、家賃も公共料金も満足に払えない額だ。
現地の人も音楽院卒業後は他の職に就く人がかなり多い。それは日々の生活のために見合った給与を選ぶからだ。
これから音大や留学を目指す方には、学ぶということには無駄はないし得ることも多々あり、音楽が好きであればあるほど吸収力も高まるから至福の時を学生時代に感じられるということ。
その反面、給与を得て生きることには比例しないので、音大や海外に行ったからと言って必ずしもその保証はされないこと。
明日の人生の安定が確定されない音楽の世界は厳しいです。私の意見はかなり否定的だが、現実。
それでも挑戦したい方はどんどんすれば良い。
頭で計算するよりも、実践して理解することの方が重要だからです。
僕は1975年以来ヨーロッパでプロとして音楽活動をやっていて日本を外から見ることが出来ました。
日本には昔から生の音楽に接する機会が全くか、殆どなかったですから、日本人は本当の音楽の素晴らしさを
体験していないのですね。
だから音楽は社会に根付いていないです。歌謡曲とか演歌とかは別として。
これは歴史の問題ですからすぐにはいかないでしょうね。
もの凄い数の吹奏楽がありますが学校を卒業すると殆どの人が楽器をやめてしまいます。
コンクール、コンクールで音楽の本当の楽しさ、素晴らしさを子供たちは教わっていないのです。
音楽が本当に素晴らしいものだと思えば楽器を続ける筈です。
ここで言われるように指導者自体がそれを知らないからです。小さい頃からレッスンに行って
音大を出て先生になっているから自分が教わったことしか教えられない訳です。
それの悪循環が明治以来続いています。
だから音大と言えども先生のレベルが高くないです。
日本人が日本の音大を卒業して海外に行くように、
欧米で音大を出て日本に習いに来る人はいないです。
それは日本のレベルが低いからです。
残念ですね、日本人の資質は最高なのに正しく習っていないからですね、音楽とは何かを。
いくら音楽人口が多くても音楽の本質を知らねば役に立たないです。
でも日本にいると全てが当たり前ですから改革するのは難しいですよね。
コンクールを一切やめて楽しく音楽をする、又地域の人たちに楽しい音楽を提供する、
そうすれば変わって来ると思いますが。
僕が思うにコンクールは最悪です。音楽文化をぶち壊して来ました、今もそれが続いています。
音大に通う娘と、音楽高校に通う息子の父親です。
とっても大切なお話ありがとうございます。
感動しました。
私が思っていたことと共感でき涙が出てきました。
高校時、県主催の音楽鑑賞会で生まれて初めてのバレエ公演『白鳥の湖』を聴きました🎉その時初めて聞いたプロの演奏で、泣いている事に気づかないのに涙で顔がくしゃくしゃになる、そんな体験をしました。当時は吹奏楽部でクラリネットを吹いていましたが、その後オーボエに転向。それ以来40数年続けています。久しぶりにあの時のことを思い出しました。
車田先生のご指摘は重要なことだとは思う。しかし。趣味、文化、学習対象が昔に比べ、今は多様化している。日本レコード協会が2023年3月に発表した「音楽メディアユーザー実態調査」によれば、音学無関心層が4割を越えるという。そうした中、音楽大学の出口(就職先)が狭く、また、全体の大學進学志願者数も著しく減少していくので、音楽大学の志願者数が減るのは残念ながら仕方ないと思う。
ピーナッツバターにグレープゼリーを塗って食べている米国人学生を思い出しました。
私もつられて食べたくなりました。
私は音楽が大好きなのに育てられていない聴衆の一人。音楽にとても飢え渇きがありどんどん沁み込む状態です。歳を取りましたが余生で音楽をたくさん聴きたいです。
やっぱり最後のコーヒータイムが好き❤️
え?そんなに蜂蜜塗るの?とか思いながらも、うまい😋の一言にほっこりします
音大進学するピアノ専攻が激減のようです。電子ピアノで習う生徒が増えて基礎も耳も育たない。町のピアノ教室でも電子ピアノとピアノの違いを教えない先生もいますし、経済的な理由もありますね。中学でブラスバンドに入り管楽器で生音に触れて電子音から開放される生徒が増えて管楽器専攻の音大生は昔より多くいます。
学費の高い音大に行かず奏者になり話題性があれば日本ではもてはやされたりするのを見たら音大を選択しなくなるのではないでしょうか?聴衆が育っていないし、コンクールで優越感だけ育てた結果かなとも思えます。
音大が衰退した原因としては、美大のようなマンガ・アニメ・ゲームなどの新しい芸術方面の分野に活路を見出せなかったのが敗因かと思う。あとは、私立だと初年度納入金が200万以上の大学が多くて学費が高いのも原因と思う。
コスパの問題ですね。高い学費払っても仕事に結びつかない。
今回、政治経済文化さらに教育にも触れられて興味深かったです。
音楽への熱い情熱が伝わってきました。深いお話でした。『感動』
大事な問題を、わかりやすくご解説いただき、ありがとうございました。誰もが生活の中で気軽に音楽(クラシックはもちろん、どのジャンルでも)を楽しめる日本になるよう、願っています。
初めてコメントさせていただきます。音楽教育に関してです。私は小学生の頃から音楽に苦手意識を持ってました。成績の評価として、楽器の演奏や音感についてテストがあり、大変苦労しました。
大人になり、色々なジャンルの音楽に触れ、心癒されました。
憂鬱な音楽の時間をなんとかならなかったのかと思います。
小学生の頃から音楽の先生が
音楽は教えてくれて、授業で
わりとメジャーなクラシックを
時間をとって流してくれました。
その時、第九に一番感動したのを
はっきりと覚えてます。今でも趣味でクラシックをたまに聴きに
行きますし、良い曲を探し求めて
ますが、youtubeは自分が知らなかった素晴らしい曲と出会いやすいですね。芸術家の活躍の場となってるのも確かです。クラシックのような芸術性の高い分野は高い理想を人々が描く為に必要だとある方に教えて頂きました。その通りだと思います。
興味深いお話でした。
今は音大に行かなくても音楽を学べるという点もあるかなと思いました。
実際、プロの演奏家の中に音大出身ではない人で活躍する人もいるので、音大に行かなくても音楽家になれるということだと思います。
教育学部ですべての教科を網羅しようとするのが無理があると思います。
昔はそれで良かったと思うんですけど、音楽、美術、体育等々その道を専門に学んだ人に教えてもらいたいです。
ドイツの小学校〜高校の音楽の先生はどのような方が就いていらっしゃるのでしょう。
日本の場合、学校の音楽の先生に音大出身の人がいることが少ないと思います。
車田先生のお話を伺いながら、小学生の時に教えていただいたピアノの先生を思い出していました。
その先生は年に一度、小学生でも入館できる交響曲のコンサートに希望する生徒数名を連れて行って下さっていました。
ベートーヴェンの第九は数度ありましたが、幼かった私の身が感動で震えるような気持ちになったことは今でもよく覚えています。
やがて高校から音楽科のある学校に進み、その音高は毎年暮れにプロオーケストラの第九のコンサートに合唱団として参加することが恒例となっていました。
私は自分が今度は合唱側でステージに立てることが本当に嬉しくて、とても楽しみにしていました。
合唱の形ができてきて、本番が近づいてくると学校外の合唱指揮の先生がいらっしゃいましたが、その先生の指導はドイツ語の発音のことばかり。
「前の人の頭に唾が飛ぶような発音をしなさい」と言われたことが1番記憶に残っています(笑)
本番では、オーケストラやソリストの方々の近くで共演させていただけることに大変喜びを感じましたが、小学生の時に感じたあの感動を味わうどころか、ひたすらドイツ語の発音で頭がいっぱいなまま、コンサートが終わってしまいました。
音高時代に第九は7〜8回は参加させていただきましたが、今思えばあんなに素晴らしい機会を与えられながらも、ドイツ語の発音に意識が飛んでいたことに、本当にもったいないことをしていたとしみじみ感じます。
私が卒業した音高はもう廃校になり、音大のレベルももう酷く下がったと耳にします。
なんとも言えない気持ちになりますが、小学生の時にお世話になったピアノの先生に改めて感謝すると共に、初めて第九を聴いた時のあの感動を忘れずに、また今日もピアノの練習に励みます。
今回もありがとうございましたm(_ _)m
長文を大変失礼致しましたm(_ _)m
毎回、いろいろなお話し、ありがとうございます♪
感動❤感謝❤
今美味しそうなパンを食べていらっしゃるときにMozart のpiano Concerto を流したい❣️本当に一番大切なことは本人が音楽を聴いて心から感動することですね!音楽こそ目に見えない最高の芸術だと思っています!目には見えないからこそ愛に似ているんです!心を確かに高め、涙を流すほどに感動することができる💞🎶💞
車田さんのお話し、いつも大変興味深く聞いています。私は小学校に入学したとき金管バンドの行進曲に心を動かされて、以来大学卒業まで、ブラスバンド、アンサンブルなどを楽しんでおりました。高校時代の文化祭で所属するブラスバンドがクラシック音楽を主に演奏するからか、同輩の学生からバッシングされるようなことがあり、とてもくやしく、残念な思いをしましたが、芸術にはほど遠い演奏しかできない我々にはどうしようもありませんでした。そもそも芸術とはなんぞやなんて、先日車田さんのビデオを見るまでよくわかっていませんでした。
その後クラシック音楽のない国に移住し、今は五十歳を超え、一昨年やっと自宅でRUclipsがみられるようになり、辻井伸行さんを知り、鳥肌が立つような感動を覚えました。RUclipsでもすばらしいものは伝わってきます。もし、学校の音楽教育で、芸術とは?、といった本質的なことを教えられて、なおかつ本物の演奏が聴ける機会があれば、もっとクラシックの愛好家が増えると思うし、また感動を感じるアンテナを高感度にして人生をより豊かにできると思います。これからも車田さんの投稿楽しみにしています。ありがとうございました。
😊😊
貴重なお話ありがとうございます。私は幼少期にピアノを習い、中高と吹奏楽をやりました。ピアノの練習は嫌でしたし、吹奏楽は大会で賞を取ることを目標とされましたが、その演奏のなかで、何度か衝撃的に感動した記憶があります。それがあったから今も音楽を続けているのかもしれません。
音楽の素晴らしさを感じられたのは幸運だったと思います。
こちらこそありがとうございます!感動的な体験をする子供たちが増えるといいなと思ってます😊😊
ドイツの行き方が、正しいですね。
私が死んだあと、世の中が、どうなるかわかりませんが、
今は、ほんとに音楽を一生友として生きている人は
、世の中では重宝されません。地域の音楽の先生もわりに多いですが、
社会は、なるほど、感動がない教育が、沢山ある悲しい状態です。
又、真の音楽教師は、恵まれない状態です。
誰でも、ピアノを教えられます。今は音楽大学、何々専門など、
大事な部分が、知られていないです。子供たちは、そういう環境にないです。
私は1993年に某音大ピアノ専攻入学した者です。携帯もネットもない4年間を過ごしました。付属から上がってくる学生と私達一般入試合格者と合わせて一学年180人ピアノ専攻がいましたよ。母校から未だに季節ごとに会報が届き、課題曲や入学者数を専攻ごとに記載したのを毎年拝見しています。もうピアノ専攻は受験者数そのものが50人とかで、合格者数も50人。年度により不合格者が1人出てる年があるレベル。ほぼ全入です
随分減ってしまいましたね・・・
車田先生の後のポスターの作曲家の生まれた所の近くで、音楽に従事している者です。
非常に面白いお話をありがとうございました!
ここでさえ、良い音楽体験が出来る機会が減っています。
最近音楽について色々考える事がありますので、チャンネル登録させて頂きますね。
車田様、今日は少し "too much" かもしれません。
溢れ出た自分の情熱から「クロイツェル」に感動し、トルストイを読み、聖書を読み、神との信頼関係を培う。
これが日本の学校では決して教わることのない「音楽」の始まりの最も重要なパッセージの一つだと思います。
なぜなら、音楽は、創造主からプレゼントされた類い稀な言語だからです。
言い換えるなら、これこそが、音楽を学ぶことの真のスタートラインであり、この国においてはあまりにも難しすぎます。
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。 」と聞かされているのですから、あまり気にすることでもないのです。
私も "too much" ですね。~smile~
音楽のスタートラインですね(╹◡╹)
これから音楽がもっと面白くなる前兆かもしれません!
横から失礼しました❣️
戸口は狭いかもしれませんが、今の教育では戸口にたどり着いていない子供たちがいるかもしれません。教育を変えることで、狭い戸口に入れる子どもが現れるかもしれませんね。
興味深く聞かせて頂きました。
これはもしかしたら音楽大学に限らず、現代の高等教育全般に言える話なのかも知れません。
と言うのも普通の大学でも、知識は教えても、どう生きるかと言った本質、ある意味個人の思想に関わるような所には触れない傾向がある気がするためです。
もちろん思想教育の危険性もありますが、そのためにさまざまな思想に触れる機会すら無くなってしまっては蛸壺化した思想が出来上がるだけになってしまいます。
教育に関わる方々には恐れず自分の思う本質を伝えてほしいな、と思います。
もちろん、教え込むと言うことではなく、こう言うことを本気で思っている人がいる、と言うことに触れるだけでも大きな影響がありますし、いずれその中から自分を作っていくことになるのではないかと思います。
車田さんには、さまざまな本気が伝わる思いを頂き感謝です!
大学進学率の上昇に伴って、そういう教育を施す基礎のできている学生が減っているのではないかと思います。20世紀の終わりごろ、40近くになってからいわゆるFランの、それも2部に入って驚きました。義務教育で学んでくるべきレベルのことができていない学生がたくさんいたからです。そういう学生には思想うんぬんのはるか以前です。小学生向けの偉人伝がせいぜいのレベルです。
子供が減ってますからね。
お金がかかる音楽大学には、難しい社会になってます。
音楽を通して感動すること自体が減っているのは、確かですね。
それよりも、インスタントなポップスに行けば、お金儲けができると言う理由がものすごく大きいです。
また、ゲームなどが出て来たおかげでコンピュターが作った音楽を音楽とする傾向が否めません。
私達が親しんだ音楽は、どこでも手に入る消費されるものになってしまいました。
これは、音楽とテクノロジーとの関係を無視することはできません。
まず、私の世代は、レコードでした。
レコード針を落とす時、緊張の極みです。
そして、ステレオの間に座り、動かずにじーっと聴いたものでした。
レコード自体、壊れ物でしたからね。
習い事にしたのは、明治の人達ですね。
でも、これから、日本では素晴らしい音楽家は生まれます。
それは、ヴァイオイリン奏者もピアニストも素晴らしい人が産まれ育って来てます。
まぁ、ヨーロッパとは歴史が違いますから、仕方がない事でもあります。
そして、声楽に関しては、やはり、日本語で無ければ育ち難さがあるのも否めません。
私は66歳ですが私は高校から音楽学校で大学は他校の音大を受けました 倍率は凄かったです 今は私の時と違って受かるのが簡単なようですね でも今の音大生徒は作曲家 曲の解釈が私の時と詳しいかと きっと先生がいいのかと?この歳になってピアノ再開して RUclipsを参考にしてます もちろん先生の動画も参考にして勉強し直ししてます ありがとうございます🎹
僕は医療従事者ですが、大学の実習生を見ていると、皆さん資格取得と、資格を生かせる就職を考えているようです。
医療関連は、資格が必要な職業が多いので、大学を職業訓練場や資格取得の塾のようなイメージで勉強していると感じます。
職業に直結しない学科の人気が落ちていて、人文学部の人気が落ちていると聞きます。
芸術系は、さらに職業に直結しないので、人気がないんだと思います。
西洋とは異なる文化圏ですから、歌劇場ができないのは仕方ないと思います。
先進国と言われる国は、いわゆる西洋人の国ばかりでしょ?
オペラは人気なくても、ミュージカルはやってますが、それでもドイツに比べると話にならない数でしょうか?
僕は大学は理学部で、学んだ内容自体を生かせる職場は少なかったですが、理論的な考え方の訓練にはなりました。
その上で、医療系に再入学したので、理学部での経験も生かせました。
それが、今の学生はその余裕がないってことなんでしょうね。
少なくとも医療系は、資格に適性検査や面接がないので、夢や情熱があるわけではなくて、安定した求人のある資格を目的としている人が多い印象で、実務について初めて適性がないことに気づく人も多いようです。なので、離職率も高いです。
@@小多田嘉宏 個人的には医師は劣化していないと感じています。
昔の方がミスは多かったし、人格的に無茶苦茶な人も多かったと思います。
ただ、ニュースにならなかったし、ミスも隠せたんだと思います。
隠せていたものが、表に出るようになったんで劣化している様に感じるんだと思います。
あくまで、僕の少ない経験での感想です。
看護師も、昔の方が極端にひどい人がいたと思います。
資格はハッキリさせるべきですね。医師は医師免がないものは医療行為をすると犯罪ですよね。ピアノを教えるなら最低ピアノ科を卒業していないと違反にしなければならないと思います。専門実技だけを教えるならまだしも副科ピアノぐらいで教師が出来る事がこの世界を象徴している。
副科ピアノなんかちょっとだけ上手い低学年レベルの人も多いのに教師が出来る事がおかしい
人文系はさらに低調です。個人的に某大学(この国でトップにあげられるところ)の文学部で古典哲学を学ぶところに縁がありましたが、10年ほど前、送別会で元卒業生で私立大の教授をされている講師は、「昔のように就職先を提供できないのは申し訳ない」と話され、「修士を終えたある女性は、「ホームレスになっても」、なんて思いを述べる場面がありました。奨学金がもらえるので、修士、博士課程は、やたら外国人が増えていますが、日本人はよっぽどでないと進学しません。
学んでも仕事に直結してないなら音楽で食べて行けないって思ってるのとそもそも少子化もあるんですかね…。
興味深く聞けました。
まさにドンピシャの課題です💦
音大どころか
勉強と部活とピアノの両立ができないと中学で辞めるのは
まさにそれが原因です
沢山の習い事を掛け持ちして練習時間がない子には
レッスンが練習の様で
とにかく自力で譜読みが出来るようにとソルフェージュに力を入れるばかり
あっと言う間に大きくなり
音楽そのものの感動まで教えられていない現状です
頭が痛い問題であり反省し
常に改善を考えていますが
まだまだ改善は甘いです
何かもっと思い切らなければなりませんね😭
音楽教室や団体の音楽活動が内側に閉じてて、ほかの音楽を聴く側に回らないのは、身に覚えがある感覚です
音楽を聴いていても、演奏する意識で聴いてしまうことが多いし、
自分の楽器練習を優先しがちです
どうしたらいい聴衆になれるんでしょう
日本はまだまだ規制が厳しいかと、FMのラジオ局だったり曲をかける著作権だったりと...皆さんがクラッシック音楽や色んな音楽を気軽に聞けるラジオ局がほぼない、NHKのFMだけかと思います。音楽大学の問題と一緒に聴衆者も一緒に育てていくべきだと思います。アメリカの片田舎に住んでいます。ロック、カントリー音楽などなど盛んですが、それでもクラシック音楽専門のFMもあります。
学校で音楽に時間に聞いて気に入った曲のLPレコードを小遣いをためては買ってきて聴き、じゃあ、他の演奏家のはどうなのか?ってことでレコード買ってきては聴き、同じ作曲家でもレコードに収録されてる曲のほかにどんな曲があるのかを調べて聴いてみたい曲を見つけると、小遣いをためてはレコード勝ってきては聴く。そういうことを繰り返してるうちに聞いて気に入った曲が増えてきて、今に至ってる。レコードやCDもそれなりの数が手元にはある。たとえば、学校の音楽の時間にベートーヴェンの田園交響曲を聞いてるとして、じゃあ、ほかにどんな曲を作ってるのかを授業で教わった記憶はありません。田園交響曲の作曲にまつわるエピソードとかはほとんど自分で調べる。みたいなことを中高生の時にやってましたねぇ。そういうことも授業で教えてくれると居眠りとかしないのになぁ。つくづく残念に思いますよ。
音大で、プロの音楽家を養成するのとは別に、誰でも参加できる公開講座を開いてみたら良いと思います。それによって音楽の知識を得て音楽の良さを深く理解する人を増やすことができると思います。
知識で音楽を理解することは出来ないです。
音楽は心で感じなければ好きになれないです。
やはり生でいい音楽を体験できる機会を持つことが大切だと思います。いい音楽とは技術が高い、という意味ではないですよ。
@@daikimoto6725 心で感じて、ああ良い曲だと思うのは音楽が好きになる基本です。それに加えてその曲に関する知識的理解があればより新たな感動の世界が開けて来るでしょう。例えばJ.S.バッハのマタイ受難曲の第39曲「憐れみ給え、わが神よ」は誰もが感動する名曲です。この歌が弟子のペテロがその信仰の信念にかかわらず、権力の脅しに負けて「いや、知らない」と言ってしまい、人はなんと弱い存在だろうかというところで歌われる事を知って見れば、このような弱い人間を神様は憐れんで下さいという意味で「憐れみ給え」になっていると理解できるし、それを知ってしまうとこの曲を聴くと涙が出てくる位感動します。このように知識は感動の広がりや深さを大きくしてくれるものです。この曲の持つ感動を表現するにはそれなりの演奏技術が必要で、初心者がたどたどしく演奏するよりは天才的名演奏家とか巨匠と言われる人の演奏の方が感動するでしょう。これはプロの世界での事で、アマチュアや個人の趣味での事はまた別です。
生の演奏を聴くのは良い事です。録音に入り切らない音が聴けるし、何よりも演奏者と聴き手が同じ場所で同じ音楽を共有出来るのが良い。
@@正和今中 あなたの先のコメントは知識が先行するような印象を与えるからです。
素人とプロを比較するのはナンセンスです。音楽の良さは演奏レベルに関係しません。音楽の本質がそうだからです。
あと地域の人を無料招待して解説付の演奏会も。学生さんたちの張りにもなると思うのですが。
@@daikimoto6725
いちゃもんでしょ。
初学者・未経験者に一切の経験抜きにいきなり知識を詰め込めなんて一言も言ってない。
あくまでここのチャンネルと視聴者との関係のように、より豊かに音楽を感じられる人を増やしたいと言ってるだけじゃないか。
音楽の情熱!
本当に大事なことを伝えていく使命を感じています。そのためには一生学びでピアノ、声楽、交響曲第九だけで学びの世界が深過ぎて、必死です。
一生のうちに全ての音楽を聞くことさえ、一生のうちに満足する演奏をすることがあるのだろうかと。だけど導かれ、結婚や子育てで音楽と離れそうになりながら、御縁あり、今!音楽教育や演奏会に情熱を注いでいます。コツコツと土作りから種まきしているので、芽が出て、花が咲き、実がなることを喜びを感じ、楽しみです!車田さんと同じ母校です!
当時教授だった先生に再会し、少人数になり、受験も楽になった現状を聞き、日本の音楽文化の衰退を感じています。
芸術は素晴らしいけれど、食べていけないなら難しい。
子供に大学や専門学校に行かせるのは、就職に有利にする為だし。
特に男子は、就職を考えたら、進めないのかも。
知り合いは、音大出てピアノの先生をやっているが、生活は大変みたいだし。
それに音大は、ピアノに声楽やら色々あるけれど、好きな楽器だけしか、興味ない子も多いし。
一般の大学から、好きな楽器のコンクールに出たりとか、発表会したりとか、そういう人が多そう
大学で音楽の専門教育を受け、そのスキルを活用できる職業に就くことは、日本では難しいですね。
しかし、理学部化学科を卒業して、就職した先はゼネコンで、総務課に配属、とか、経済学部を卒業して、製薬会社の学術チームに勤務、なんていうのも珍しいことではないので、音大を卒業したからと言って音楽関係の仕事につかねばならないこともないのですが、受験生やその親御さんから見れば、「音大に行っても、何の役にも立たない」と写ってしまうのでしょう。
情熱の低下というよりも、結果に直結しないルートは嫌われるようになった、のだと思います。ある意味、短絡的思考といえますが、世の中の趨勢が直近の結果を求める時代になったと感じます。
今、小学校でも、子供の興味のある音楽は学校教育の外にあるからです。
🧐
同感です!!
ヨーロッパのコンセルヴァトワールや、バークレイなどは、アカデミックな要素が更に強く、大学のイメージとは違いますね。プロの音楽家になるためには、レベルの高い音楽アカデミーの存在が大切ですね。
バークレイなど、日本の音大とは全く違います。
知り合いの音大の先生、学校の音楽の先生方はよく考えて教えられていてすばらしい方達ばかりですよ。
僕は、普通の学校を出て、フリーランスで音楽活動してる者です‼️クラシックのプロの演奏家目指すなら問題はないのですが、それ以外ならジャンル関係無くやらないと生き残れないと痛感します。未だに東北、特に仙台は音楽何てオナゴのやるもんだ。という土壌がまだ有ります。それにもめげずに出る杭が打たれてもやる位でないとなかなか出来ないかな~と思います。結局音楽が好きかどうかに結論になるとはおもいますが。ハイ。
定年退職した社会人を受け入れるってのはどうでしょうか?
大学が多いと供給過多による価格下落が起きるのは市場原理だから、仕方ないかと・・
競争倍率が下がって、ほぼ全入みたいになってくれば、たとえば私みたいに、ろくに楽譜も読めないような人間でも音大に合格できるようになるのかもしれませんが、その一方で、優秀な学生も入ってくるでしょうから、そうなると、指導が困難になりそうです。
学生のレベルによって、別のクラスに分けて別々に指導しないといけなくなるとか・
優秀な指導者を育てることが必要という考え方ですが、その素となる優秀な子供をクラシック界に囲い込む力がそもそもクラシック界にどれだけ有るのでしょうか。音楽界以外の他業態の「子供を囲い込むマーケティングの凄まじさ」に音楽界は太刀打ちできていないのでは?。
日本は八百万のごちゃ混ぜ大好き文化ですよね。文明開化による西洋音楽の取り入れから始まり、一時期のクラシックブームによってヨーロッパ式の音楽教育を行う音大という組織が増えた。世界的にみても巨匠があまりにも偉大な演奏を残し、後の世代が努力をするもそこまでの存在にはなれていない。となると残された音源を聞くことで十分。人は若い時に聞いた音楽を素晴らしい音楽と記憶するようできているため、今の若い人たちは米津さんやYOASOBIなどを感動的な体験と記憶していると思いますよ^^音大に関しては一言。「ブームが過ぎた!」かな!悲しいですけどね!!
魔王の三連符は馬車の音だ。と習いました。(笑)
車田和寿さんの言われるとおりだと思います。クラシックを聞いたときに感動できる感性そのものを持ち合わせていない人が多くなった事だと思います。最近は、共稼ぎが増えて幼少期に母親と一緒にクラシック音楽を聞いて感動する機会が無くなった影響でしょうね。どの分野の感性が磨かれるかは幼少期の環境が重要だと思います。
実は、私も、なぜ、あの刺激の少ない長ーいクラッシック曲を飽きずに聞いていられるのか不思議でたまりません。なぜ飽きないのか? 私も感性がないのです。
おっしゃること、殆ど同意出来ることばかりなのですが、後、非常に大きな、問題は余りに学費が高すぎることではないでしょうか? 僕はヨーロッパ在住で、子供が小学校から音楽学校に通ってますが、学費は一切かかりません。音大も試験さえ受かれば無償です。日本の音大は私立だと4年間で軽く1千万円を越えてしまいます。それでも卒業してからの就職に関しては、よっぽど優秀な人以外は絶望的です。結局国が大きな経済的援助をしないかぎり、日本の音大の状況は悪化の道を進んで行くような気がします。
音大では本当に素晴らしいことを多く学べました。しかし、人間の醜い部分を見ることも沢山ありました。授業の私物化、贔屓、セクハラ、この人たちは教育者なのかと疑うことも多くありました。その結果、音楽界というものに嫌悪感を持つようになった友人もいます。
音楽を愛する人は思っているよりも多いと思います、そこに恐怖や嫌悪、敷居の高さ、必要以上の難解さを植え付けるようなことをしているのが何なのかというのを考えていかなければと思います。音楽が好きで学びに来たのに、苦しそうに演奏していた友人の姿が私は忘れられません。
しかし、真の音楽家の方々も音大にたくさんいたのも事実です。資料や施設も素晴らしいです。音大で学んだことは私の生涯の宝物です。音楽を愛し楽しみ、一生幸せに生きていけるようなレッスンをしていただけました。
その先生方からはコンクールや試験といった短絡的な目標ではなく、音楽性、芸術性そのもの、それらを自分でどう見つけ育むか、といったことを音楽性というものが全くわからなかった私に、根気強く何度も何度も教えてくれました。友人達の話を聞いた限りですが、こういったことをレッスンできる人は演奏のプロでも稀有だったのだなと思います。私は本当に出逢いに恵まれていたのだと思います。
才能豊かな演奏者ばかりを選別し、育ててきたツケが回ってきていると思います。あと演奏専攻においては、教育法の教育が不足しています。部活の指導者などが多く生まれていますが、指導法に関する授業が整備されていないと思います。
音楽界を支えてくれているのは誰なのか。音楽を愛する人々です。その人達はどこから生まれてくるのか、誰に感化されるのか。プロか、親か、近所のピアノの先生か、友達か、街の音楽祭か、学校の授業か。
どこで音楽の芽が芽吹くのか、誰がその担い手になるかはわからないものです。
そこを意識して長い目で見てレッスンしていかなければと、私自身思います。
中学2年のとき初めて受け取ったラブレターは「水車小屋の娘」の楽譜でした♡
😊😊
経済的に音楽大学に行けなかった人はたくさんいると思います。僕もそうです。でも音楽が好きで、レベルの高いアマチュアのレベルで音楽を楽しみ続けたい……という人が、周りにもたくさんいます。つまり、成人で、子育ても終わり、いろいろと安定しているような人たちが、アルペジョーネ・ソナタを弾いてみたいとか、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾いてみたい……というようなことはあると思いますよ。
全く同意見です。生涯学習という視点で門戸を開いていただける大学があったら、学費払います!
はじめまして。高校生の娘がいま音大を目指しています。
おっしゃることほぼすべて同意できました。
今子育てをしていて思うに
小中学校の音楽の授業は、教育大出身者の教師が多くてあまりにも、芸術を蔑ろにする教育をしていると感じています。音大出身の先生ならこんなふうに子どもたちを音楽嫌いにすることはなかっただろうに、というような指導ばかりしています。
小学生のうちから歌を一人でクラスの前で歌わせて点数をつけるようなことばかり。
もっと心のうちから湧いて出る音楽表現、心を音で表現することが楽しいと思ってもらえるような教育が全くされていません。
また日常的に、私達が子供の頃はクラシックやジャズの基礎を持った歌謡曲歌手がたくさん楽しい歌を歌い、演奏していて、ましたが、いまはコンピュータで作ったり音編集したものばかりなので、大量消費だけで感動がない、これは本当に真髄だと思います。
あと日本古来の民謡さえも消えていっています。こういった根っこのなくなっていったことで余計に、西洋クラシック音楽さえ受け取れなくなっていっていると感じます。
時代の転換期ですので私は、娘に実学をすすめることはしませんでした。
娘の場合は子供の頃から宝塚やミュージカルやバレエが好きで、昨年映画のウェストサイドストーリーを見て感動に撃ち抜かれたようです。
そんな感動に出会えた娘は幸せものです。
コロナでさらに心を閉ざされた子どもたちが多くても、音楽で心の扉を開いて人生に喜びを持ってもらえるような、そんな音楽を届けられるような音楽教育を広げられたらいいのに、今の初等教育での音楽の授業ではなかなかそこに至っていない。
喜怒哀楽そのものを音楽や芸術で子どもたち広げられることが日本の今後の希望になると思います。
今後のご活動も応援させていただきます。
ありがとうございます!
少子化で学生数がものすごく減ってるのが大きいと思います。
新型コロナで海外のアーティストが来れなくなり、この2年あまり、新国立のオペラとか、バレエとか、オケもソリストも演劇も、日本人ばかり聴いてきました。
でも、日本人の若手中堅が成長してるなと感心しています。
アジアにスコープを広げて、日本の音大が中核を担えるとよいのではと思いました。
日本以外の西洋諸国でも同じではありませんか?
理由はクラシック音楽自体も人気凋落で観客を集めることも難しい。
つまり仕事が無いため、家庭に十分な余裕がなければ、存続自体が
無理ではありませんか?
なかなか「攻めた」お話ですね。まず、そこに敬服します🙇。ま、「音楽」だけじゃ無く、この国は「美術」全般に、そういう「感覚」が無い「エリート」しか、公務員はいないし、寧ろ「音大」行く金を海外渡航に使う方がよっぽど有益かも。
こんにちは!最後のおやつ、雨リカではそこにカリカリのベーコンとチーズを挟んで食べますよ!最高です。
単純に音大を出ても日本で仕事がないからかなと思っていました。有名音大卒の知人は夜のお仕事で食いつないでいました。「一握りの人しかチャンスはないの」と言っていたのが印象的。本気で目指したからこその大きな失意はあったように見えました。日本の経済がますます危ういので、どうしても仕事に直結する学問に進む傾向がありますよね。
逆に東京大学卒、医大卒でも音楽活動できるマルチに成功する人もいたりします。
教わる側にもある程度の資質というか抽象的なものに対しての感受性って必要なんですかね。
どの世界も運は有りますがこの世界は特に芸能なので水ものと言う事です
車田さんの音楽を愛する気持ちがすごく伝わってきました✨
私も若い頃、廉価版のクラシックCDを買ったり、ラジオを録音してクラシックを聴きまくってたなあ♪
クラシックは、聴く耳を育てないとね・・・。人によって演奏会で寝ちゃうし😅
あと、日本ではクラシック好きは迫害されやすいと思う💦大人になると減るけど・・・
音楽教育の問題も重要ですが、クラシック音楽等の演奏会のチケットが高すぎて、子供の頃より、普段から感動的な音楽に触れる機会が少なすぎます。これでは音楽を目指す人は居なくなりますね。???
やはり飯食えんとダメですね😭
ピアノ講師です。音楽科進学を希望する生徒さんは多いです。
でも親御さんが二の足を踏みます。「音楽で食べていけないですよね?」と仰りますが、
「法学部を卒業して弁護士になる人(もしくは法律を生かした仕事に就く人)はどのぐらいいるのでしょうか。と私は思うのです。
今 学びたいと思っていることがあるならば学ばせてあげてほしい。学んだことや経験は絶対に無駄にはならないと。
音楽を目指す人は、社会のそのような価値観とも戦わないといけないですね!これについてはまた話します!
東大卒、医学部生がショパンコンクールに行く時代になってしまいました。彼らが音大に行かなくともプレイヤーになれることを証明してしまったので、彼らを見て育つ子どもたちはなおさら音大に行く意味を感じなくなってしまいますよね。
1980年代、大学で音楽を専攻したアメリカ人の方々。 男性Aさんは電話会社に就職、女性Bさんはアメリカ空軍音楽隊に入隊、男性Cさんは教会専属の音楽監督になりました。ちなみに私がこの方々と知り合ったのは時も場所も違う所でした。 資本主義の国では経済状況が悪化すると、まず削られる
予算が芸術面に向きそうなので、余裕がある方はサポートお願い申し上げます。と言いたいです。
おっしゃるっ通りです😊😊
音大卒のベテラン、若手に割合よくあっております。おっしゃる通りだと思います!
『映画を早送りで観る人たち』
光文社新書 も、なかなか強烈でした。
国立天文所が研究費をクラファンで集めていたり、理化学研究所が研究者をリストラしたり、日本の国力が相対に落ちているのでは?
また、別の話しでは、昔はお金を払えば入れると言われていた私大の医学部が、今では学費も高いが、偏差値も
軒並みすごく上がっております!
不景気が続くと就職につながる学部は強いですね、音大の未来はいかに
ショパンコンクールでアジア人初の優勝をしたダンタイソンはベトナム戦争のさなか紙の鍵盤で練習したらしい、ラファウ・ブレハッチもグランドピアノを持っていなくて学校へ弾きに行っていたそうです。青臭いかもしれませんが情熱だと思います。どうしてもピアノを弾きたいという情熱。勿論それだけでどうにでもなるとは思いませんが…。子供が夢を見にくい時代、男の子も女の子もなりたい職業はYou tuberが上位。何をか言わんやですがそういう時代にしてしまったのは私たち親の世代。家の息子どももやりたいことが分からないと言います。私はおばばになった今でもやりたいことはたくさんある、一体何がいけないんだろう。