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同曲を同一人物の異なる表現で聴ける贅沢な時間をいただきました。私は後者が好きです。響きやフレーズを存分に味わい至福でした🙏
バッハならではの試みと思ってやってみました。お好みの方と理由を教えて頂きありがとうございます!
ちょうど今この曲に取り組んでいまして、幾つか練習動画をアップしたところです。個人的に非常にタイムリーな動画をありがとうございました。フーガの技法は色々な編成の可能性がありどれもそれぞれの魅力がありますが、僕はエマーソン四重奏のものが最も好きです。オルガンではヴァルヒャが、混成では佐藤俊介氏率いるNBSの演奏が素晴らしいと思います。ピアノでは断然グールドが好きですが、いずれも構造が明白かつテーマがしっかりと歌われていることが重要だと思います。演奏はスタインウェイの方がテンポが穏やかなため音が丁寧に紡がれて各声部がはっきりと歌われているようで好ましく感じました。
練習してらっしゃると言うことでおわかり頂けると思うのですがこのフーガは本当に難しいですよね。あまりに難しくてそうなるとより声部を自然に分けてなおかつテーマの歌える弦楽四重奏での美しい演奏の美しさとかに驚くので、レオンハルトはああ言ってますがチェンバロと言う括りに押し込めてしまうのは勿体なく感じます。グールドもこのフーガをお気に入りらしくオルガンやハープシピアノも含めて4回も弾いてますがピアノのものが私も好きですね。お好みの方もお教えいただきありがとうございます!
おっしゃる通りまさに構造、そして設計図こそがバッハの本質だと思います。だからバッハが生きてたらグールドの演奏も、そしてSwitched on Bachすら賞賛すると思います。私はアリオーソをト長調の2声にアレンジしたピアノ版がこよなく好きです。本当にピアノで弾く三連符の美しさや音域の艶が感じられるからです。逆にコルトー版はごちゃごちゃロマン派風に弄りすぎていてポリフォニー感もゼロだし、なんだかバッハじゃ無い気がします。フーガの技法、素敵な演奏を有難うございます。😊
因みに、2018年にショパン時代の楽器を使った第1回ショパン国際ピリオドコンクールが行われました。その時に、日本人の川口成彦さんが、2位になりました。
そのような運動が起こるのは素晴らしい試みですよね。私はピリオド楽器については詳しくないですし弾けもしませんが、そう言ったところで勉強する人は尊敬しますしそこからまた学ぶことも多いと思います。日本人の方が入賞されたとのことも素晴らしいことですね!
ピアノはこもった音色なので、バッハの曲をピアノで演奏されたものを聴くと、華やかさが足りず地味で退屈に感じる事が多いです。グレン・グールドの演奏は、なぜかあまり「地味で退屈」に聴こえない(理由は自分でもわからない)のですが、鼻歌が不快なので、1曲通して最後まで聴く事はほとんどありません。誰か、現代の技術で、鼻歌を取り除いた版を作って売り出してくれないかなあ。本動画の2つの演奏は、どちらもメリハリが利いていて聴き惚れました。どちらの演奏も好きです。ゆっくりテンポの方が、複数の旋律が絡み合う対位法の魅力をよく表現できていると感じました。
ピアノの音色について、一般的によく良い音と言われるのが柔らかくて暖かみのある音と言うのがあってそう言った音色を出す技術もあるのですが、それはおっしゃる通りこもった音の要素でもあるのでその部分がバッハに向いてないと言うのはあると思います。グールドの演奏は地味で退屈にならないと言うのはもちろん彼の天才性もありますが、音色が良い音と言われる柔らかさよりもむしろクリアで硬質で冷たさのある音で、それがポリフォニーを浮き上がらせるのと相性がいい部分もあると思います。私は鼻歌は気になりませんが、それでもグールドとキース・ジャレットに関しては声さえ入ってなければと言う意見はやはり多いですよね...。とても感じいることの多いコメントありがとうございました!
@@000nell メーカーにもよるしね。チェレスタで弾くという手もあるし。
音が均一な感じなのと装飾音からピアノフォルトかチェンバロかなと思いました。私はピアノをピアノとして弾いた方が純粋に好きです。余談ながら「語り」のスタイルと「演奏」スタイルがシンクロしているように私には感じられました。ちなみに私の中のフーガの技法の最適解はオルガンです。ただ他の「鍵盤」曲の多くはやはりチェンバロの倍音を念頭に設計されている感じがします。ゴールドベルグ変奏曲とか特に……。でもモダンなピアノ演奏も、音の構造を透明に浮かび上がらせてくれたりするのでいいんですよね……。デュエットとかピアノで弾くと超モダンですし……。他動画のベートーペンの話じゃありませんが、昨今のチェンバロ奏者はやたらビートをくずして弾く(ルバートと言っていいのか……^^;;)人が多いのはどうしてでしょうかね……流行りなんでしょうか、それとも「歴史的に目覚めた」状態なんでしょうか。動画で比較するとピアノ奏者の方がはるかに刻みが一定な事が多いので奏法的にはそっちの方が好きだったりします。いずれにしてもバッハが生きてたらピアノという新しい楽器に飛びついていたと思いますね・笑 作曲し編曲し探求し尽くした事でしょう。興味深い動画をありがとうございました。
確かにフーガの技法の音を長いバスの音を保持してポリフォニーを際立たせると言うことを考えるとオルガンでの演奏はとても合っていると思うんですよね。でも本当に作品によってはおっしゃる通りピアノは中々バッハに合ってる楽器だと思います...。チェンバロ奏者の方がアゴーギクを多用するのは例えばため息の音型だったり強弱や重心を表現するのにどうしても時間で操作するしかないからだと思うのですが、うまく行くか行かないかは結局はピアノと同じでやり方の問題なんでしょうね。良いチェンバロを使いさえすれば良いとならないのはスコダの言う通りでしょう。もしバッハが現代のピアノを知っていたら...欠点を見つけつつもそれこそ実践的な人なので使わなかったとは思えないんですよね。今回は色々なことについてコメントありがとうございました!
いいお話と演奏ありがとうございました。どちらの演奏も楽しめました。今日の私は、2番目の演奏の方がしんみりきました。明日はわかりませんが。
音楽って本当にちょっとしたことで凄く感動したり響かなかったりそう言うこともありますよね。率直なご感想頂けたこととても嬉しく思います。ありがとうございました!
すごく気になっていた部分でした!もっと新しい曲を弾くにしても、作曲者の意図と時代の環境はとても気になる部分です。
@@waterpearlly ありがとうございます。これからもこう言う内容の動画をあげていくつもりなのでまたみて頂けたら嬉しいです!
興味深いお話しで、とても勉強になりました。ありがとうございました。演奏も素晴らしいです!想定した「ある楽器」とはオルガンでしょうか?私はふたつ目のスタンウェイの方が断然好きでした。
オルガンと言うよりはよりピリオド奏法の弦楽的な表現を目指したのですが、受け取る方が自由に受け取って貰えたら嬉しいです。お好みの方を教えて頂けて嬉しいです。ご意見ありがとうございます!
失礼いたしました。言われて見れば納得です。いずれにしても、にばん目が好きです。
私はモーツァルトとベートーヴェンが好きで、趣味でいろいろ作っている小さな作曲者です。今まで実は「バッハはつまらない」というバッハアンチだったのですが、この動画で大きく考え方が変わりました。意外と自身での編曲をしまくっていることなど知れてよかったです。ありがとうございました
どの作曲家をつまらないと思うかと言うことは究極的には好みなので自由ですが、それでもバッハ大好きな私としてそのように言って貰えるのは本当に嬉しいです。コメント頂きありがとうございました!
12音程の短調の前奏曲とフーガを全部作曲し、音楽の可能性をすべて開いてくれたバッハは、その時代その時空の科学技術に縛られるべきではないです。シンセサイザーでも、どの楽器でも、バッハの曲の美しさが宿います。
個人的にはバッハが自身を北フランドルから続く伝統の継承者と自認していてだからこそフーガの技法や平均律クラヴィーアのような作品を作ったと思っているのですが、それでも彼が熱心に伝えようとしていたのが構造や技法のような部分で楽器についてとはあまり思えません。なので他の楽器やシンセサイザーでも本質が損なわれず美しさが宿ると言う意見には完全に同意します。コメントありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 コメントの返信、ありがとうございます!すでにご存知かもしれないですが、Wendy Carlosという音楽家がかなり多くのバロック/古典派音楽を電子楽器にアレンジしたりしました。個人的にチェンバロが大好きであって、弾いて遊ぶことも好きですが、だからといって「バッハはチェンバロしかありえん」という気持ちが出ないです!
7月下旬に某チャンネルで「パイプオルガンの魅力を紹介」がアップされ、その中の「音楽的な特徴」として、とくにフーガ作品で用いられるオルゲルプンクトはオルガンでの演奏が向いていることが説明されていました。ただオルガンにも苦手なものがありそれは「音を伸ばしている時に表情を変えることができない」こと。これが可能なのがクラヴィコードという鍵盤楽器ですが、クラヴィコードは音量が小さすぎるため演奏会に向かないという致命的な欠点がありますね。現代では録音などによって家庭などで気軽に聴くことができます。静まり返った深夜などにクラヴィコードの奏でる微かな音楽を聴くのも乙な物です。
クラヴィコードは素晴らしいですよね!中にはチェンバロは音楽的な楽器ではなくバッハは真に好んだのはクラヴィコードの方だと言う意見もあるそうですが、チェンバロを好んでないと言うのは事実でないにしろクラヴィコードの素晴らしさを好んだのは事実だと思います。インベンションの序文にあるようなオブリガートのカンタービレ奏法等のことはクラヴィコードでの演奏が念頭にあるように思えます。
例えば9番73小節目のA音からの流れは(異名同音と呼んで良いのかどうかは判りませんが)多段の鍵盤楽器でなければ解決出来ない、残響音も考慮すればチェンバロが最適であってピアノもオルガンもアンサンブルもまかりならん…と言うのがレオンハルト氏の説でしたかブラスアンサンブルをきっかけにこの曲を知った者として、それなりのショックは受けました
今出先なのでレオンハルトの論文を読み直せないのですが様々な理由からチェンバロが最適と書いていましたよね...。でもそれこそバッハがチェンバロを使って作曲をしててそれを想定して書いた部分があったとしても曲によっては頭の中で別の楽器の想定があったかも知れませんし、私にはいくつかの音はチェンバロで保持するのが難しいと感じます。プラスアンサンブルであればそう言う問題を解決出来る部分もありますしそれこそ曲と表現によってはチェンバロより上手く行くと思います。その編成で聴いて良いと思ったご自分を否定する必要は一切ありませんのでどうかショックを受けずに好きな形で楽しんで頂けたらと思います。コメントありがとうございました!
はじめまして私は音楽のことは全くわかりませんが、1960年代から70年代にかけてのレオンハルトやアーノンクールの録音などは何曲か聴き、その前後のバロック復興の流れはある程度知っています。レオンハルトの言葉は、やはりその時代の雰囲気やその時の音楽興行的流行の部分も含めて捉えたほうがいいのかな、とも考えています。あのような「強い」言葉を使う理由は、そうしなければならないほど大きなある種の「権威」や「名声」に対抗せざるを得ない当時の状況もあったのではないでしょうか。今のようにバロックの技法の研究や楽器の掘り起こしなどもまだできていない時代でした。特にチェンバロを弾く彼は、調律法なども全く違う現代的平均律の楽器で作り出される音楽が「一般的である」状態に大変な危機感を持っていたのではないかと思います。今はバロック時代や古典時代の楽器や調律法も求めれば手に入る時代ですので、当時とはまた違った理解のしかたもあると思います。そういう意味でも、このような動画に出会えたことを嬉しく思います。ありがとうございます。
レオンハルトやアーノンクールの偉大さについては本当におっしゃる通りで、彼らの活動がなければ古い時代の音楽については研究が進まないどころかより無法地帯になっていた可能性もある訳ですしね。動画の中でスコダもランドフスカの楽器については批判的でしたがそれでも彼女の活動が非常に有意義であったことも述べてましたし、時代が違う人への視線の向け方は常に一方的にならないよう気をつける必要がありますね。私も実際アーノンクールやブリュッヘンの演奏が大好きで理論や音楽学と芸術的な美しさを一体化させた彼らには自分とは違う道だなと思いながらも勉強になることも多く深く尊敬しています。この度は気づきのあるコメントありがとうございました。
@@yoshikinishi1713 自分で何十台ものオリジナル楽器を所有していたバドゥーラ・スコーダ(ちなみに彼の生まれたときの姓、および妻子など彼の家族に共通の家族姓はバドゥーラ、スコーダは実母の再婚相手で継父、養父であるアントン・スコーダに敬意を表して付記されたもの)にしてみれば、作曲家が愛用していた楽器と同じ製造者による楽器、ないしは少なくとも作曲家の生きていた時代に使われていた楽器でなければオリジナル楽器演奏とは言えないということでしょうね。バドゥーラ・スコーダが、ベートーヴェンとシューベルトのピアノソナタを複数のオリジナル楽器で弾き分けているCDがあるのはご存じと思います。最近はRUclipsにも投稿されているようで、著作権侵害と遺族の経済的損失を考えると心が痛むのですが、広く周知されるのはいいこと。ベートーヴェンの確か悲壮ソナタだったと思うのですが、このCD録音時にはまだ所有していなかったヴァルターのハンマーフリューゲルを、バドゥーラ・スコーダは例外的にわざわざ借りてまで使用しています。ところが彼は最晩年になって、遂にヴァルターのハンマーフリューゲルを手に入れたのですね。2006年だったか、2010年だったか忘れましたが、氏のお宅にお訪ねした私に、彼は弾いて見せてくれたのです。-当時、19区の録音スタジオまで併設されていたお屋敷をわけあって売却し、8区のアパートに移り住んでいた彼は、おそらくは手に入れて間もないであろうこの貴重なヴァルターのハンマーフリューゲルが最上階の熱気で傷むことを恐れて、空調設備工事をしていました。本来ならフランスに演奏旅行に行くのに練習しなければならないのに、空調設備工事中は落ち着いて練習できないため、その間ならお茶に来てもいいよ、と誘ってくださったのです。私が特に好きだといっていたモーツァルトのハ短調のファンタジーを弾きながら、「ほら、一緒に弾いて。ピアノ、弾けるんでしょ?」と言って下さったのですが、大家の前で私は怖気づいてしまって手が出ず。今にして思えば、あれは私に、ヴァルターのハンマーフリューゲルのタッチの感覚を体験させてあげようという心遣いだったのかもしれないな、と。他の同時代のハンマーフリューゲルとは異なり、ヴァルターのハンマーフリューゲルは音色が深く、感情が愁いを帯びている。モーツァルトが愛用し、バドゥーラ・スコーダもどうしても手に入れたかったと晩年までこだわっていた気持ち、わかります。*****バドゥーラ・スコーダは、オリジナル楽器を演奏してみるのは、その感覚をモダンの楽器での演奏に生かすため、と言っています。その一方で、一口にオリジナル楽器と言っても、時代や地域によって異なるのはもちろんのこと、同じ時代でも製造者によって大きく音色が異なることも、彼は熟知していたわけです。でも、彼のように何十台ものいい状態のオリジナル楽器を手に入れて弾きこなすというのは、才能だけではなく、資金力も必要だから、誰でもできることではありません。-それが分かっているから彼は、ウィーン音大ではオリジナル楽器演奏は教えようとはしなかった。翻って、今やフォルテピアノ専攻科ができ、副科でも様々な古楽器を習得できる芸大の体制は、嬉しい反面、「こんなこと、本場の事情を知らない日本人だからかえってできるのかも」と思うことも。グラーツ音大でバロックオーボエの教授をしているというオーボエ奏者のコンサートをグラーツまで聞きに行ったことがあります。彼曰く、「演奏はするし、教えもしているけれど、研究? それはどうかなぁ」と。って、彼はグラーツ音大のバロックオーボエ専攻科の教授ですよ。それでも彼は、「自分は研究なんてしていない。演奏はしているし、教えてもいるけれど」というのです。私はそれを聴いて、「正直だし、謙虚だなぁ」と思いました。見習わなければなりませんね。-ちなみに彼の奥様はウィーン音大でバドゥーラ・スコーダにも師事したピアニストで、19世紀に造られたハンマーフリューゲルを1台持っているということで、そのコンサートでも彼女が自分のハンマーフリューゲルを弾いていました。たくおんTVこと石井琢磨さん曰く、今は19世紀に造られたハンマーフリューゲルは、オーストリアでは国宝、重要文化財扱いで、オーストリア国外に売却してはいけないのだとか。バドゥーラ・スコーダやデームスが所持していた大量のハンマーフリューゲルも、どこかできちんとまとめて保存されているのでしょうか。オーストリアの文化保存のためにはいいことなのですが、その分、日本でオリジナルのハンマーフリューゲルが手に入る可能性は極めて小さくなってしまって、少し寂しいです。
@@erikasono565 バドゥラ=スコダのお宅に伺ってとのこと、とても貴重なお話をありがとうございます。楽器に関してはどれだけ見ても聴いても実際に触れないと本当のことはわかりませんし、そのような気遣いを見せようとしてくださったと言うのはとても羨ましくて、そして素晴らしい話ですね。実はある偉い方からモーツァルトの奏法についての本を頂いたのがバドゥラ=スコダを知ったきっかけでしたが、本人が優れたピアニストでもあった中でそれを後の世代の実用的にも継承してくださったのはまるでフランドルから続く自らの技法を作品として継承しようとしたバッハのようで学ぶ方からすると偉大としか言いようがないですね...。ただそのバロックオーボエの教授の方は流石に研究者と名乗ってもいいと思いますが(と言うかその方が名乗らないと誰も名乗れないので困る気がするのですが)格は百段くらい落ちますが私も色々と勉強しますがそれは自分の演奏に活かすためで研究してると思ったことはないので、プレイヤーとしてありたいと思う人としてその気持ちは理解できます。楽器についてなど含蓄のあるお話を色々とありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 パウル・バドゥーラ・スコーダが研究熱心で音楽に真摯に向き合う人であったのは当然として、音楽学者であり、彼にぞっこん惚れ込んで活動を長年サポートしてきたエーファ夫人の存在はやはり大きいです。彼らが若い頃にモーツァルトの奏法についても本を書いているのですが、これは小さな本で、しかもエーファさんとの共著だったと記憶しています。ヘンレ原典版の校訂なども、確か当初はエーファさんとの共著。その後、1978年のシューベルト没後150年に開催された国際シンポジウムの報告書が立派な本となって公刊されるにあたり、実行委員、編集委員だったエーファさんのもと、パウル・バドゥーラ・スコーダも彼単独で研究発表をし、それが論文として掲載されています。シューベルトのフルートとピアノのための変奏曲について、バドゥーラ・スコーダが論文を学会誌に発表し、ブライトコップフ社から校訂版を出版したのもこの時期。-少々穿ったた見方をするならば、この時期は、彼らがアメリカから帰国してウィーン音大に揃って教授のポストを得た時期に当たるわけで、研究発表や校訂譜出版は、そのための業績作りだったとみることもできます。ただ、それにしてもバドゥーラ・スコーダが収集した自筆譜・初版譜やそのファクシミリ、マイクロフィルム、書籍、音源資料などは、オリジナル楽器にも勝るとも劣らぬ量と質。シューベルトの《さすらい人幻想曲》などは、彼が自筆譜原本を持っていましたからね。新シューベルト全集の校訂企画に加わりたかったのでしょうが、結局それは却下されて、それでも進シューベルト全集のためにその自筆譜のファクシミリを提供しているのですから、懐が深いです。19区にあった元のお屋敷は、スタジオも備えた立派なものだったようですが、それを売却し、18区の公園脇のアパート、8区の市庁舎裏のアパートの工房の上に位置する最上階に移り住んだところに私はお訪ねしました。確かに写真で見る19区のお屋敷とは比べ物にならないとはいえ、それでもベーゼンドルファーのグランドピアノやヴァルターのハンマーフリューゲルなどが何台も並び、一見白い壁が引き戸になっていて、開けると天井まで壁一面、しかも前後2段の本棚になっていて、原典資料や音源資料、書籍がぎっしり。その資料の整理のために、フランスから音楽司書資格を持つ人を雇い入れ、その方と一緒に住んでいるという状態でした。-スコーダ家というのは、チェコを代表する自動車会社の創業者ファミリーらしいのですが、なるほど、パウル・バドゥーラ・スコーダが単にピアニストとして優秀だったからだけではなく、それ以前に音響技術者だった継父・養父のアントン・スコーダさんがそういうおうちの方で、それでドイチェ・グラモフォンなどに売り込んだことも国際的に有名になったきっかけとしては大きいらしい、というのは、当時ウィーンに留学していた日本人教授の話です。ただ私は、パウル・バドゥーラ・スコーダの凄さは、そうしたいわばコネで商業的に売り出されるのに甘んじることなく、そこから離れて、フランスの小さなCD会社と契約し、エーファ夫人と二人三脚の地道な研究成果、オリジナル楽器の収集と研究演奏の成果をその小さなCD会社から出し続けたこと。オリジナル楽器の収集、研究演奏にはお金がかかる。オリジナル楽器は音量が小さいので、コンサートも、大ホールでは開けませんし。それで彼は、ベートーヴェンやシューベルトのピアノソナタのコンサートは、ウィーンに複数あるカジノで開催しているのです。CDに記載があります。それには、ウィーンの名刺に名を連ねるアントン・スコーダさんやスコーダ家のつても大いに働いていたということでしょう。-だから、演奏家の研究と言っても、桁が違うのですよ。あんな研究、研究だけやっている人間でも、相当の資金力がなければできるものではありません。それを見てしまったから、グラーツ音大バロックオーボエ科の教授をしていても、「自分は研究者ではない」というのではないでしょうか。尤も、バドゥーラ・スコーダは、バッハ・コレギウム・ジャパンの研究と演奏は高く評価していました。日本人も捨てたものではありません。
6年ぐらい前にパイプオルガン発表会で4番を弾きました。大好きな曲です。ピアノブランク20年の後なので下手ですが。YAMAHAでの演奏はグレングールドのようで室内合奏風でもあります。30年前はグレングールドを手本にしていました。スタインウェイのはピアノでオルガンと共通するような部分も表現されていると思います。
この4番は本当に良い曲ですよね。オルガンでもとても表現し甲斐があると思いますし、それこそグールドはこのフーガの技法を正規のものとしてはオルガンで演奏していますよね。それ以外にも何種類も録音はありますが...。スタインウェイの方は実はピリオド奏法での弦楽をイメージしたのですがオルガン的なイメージを持つ方が多くて新しい発見と感触を得ることが出来て嬉しく思っております。ご感想ありがとうございました!
ピアノでクラビーア曲集を聴いた後で、チェンバロの演奏を聴くと愕然とする。いろんな機能を持つピアノで余計なことをし過ぎてると思った。私達は何というしなくても良い苦労をしているのだろう。ピアノをコントロールするというのはそれほどに難しい😅わずかな音の違いが演奏を台無しにする。
1970年代にピアノでのバッハ演奏について批判的に意見された時もそんな意見だったそうです。ただ曲によってはピアノで演奏するのに向いている曲で結局はやり方なのではとも思います。おっしゃる通りピアノでそれをコントロールするのは難しいことなんですけどね。
最後の弾き比べは圧倒的に前者が好きです。自分は、フーガの技法はコチシュのピアノの演奏が大好きで、他のピアニストや他の楽器の演奏だとなぜかノレません。コチシュの演奏は、今回の比較で言えば前者に近いと思うんですが、どうなんでしょう。
コチシュのこの曲の演奏は聴いたことがなかったのですが、リスト音楽院で亡くなる少し前に一度だけコチシュの公開講座を聴きましたが少し弾くだけでも素晴らしい技術でした。ピアノがあれだけうまい人も中々いないと思いますが、つまりピアノ的表現での追求だったので方向性が近かったのかもしれませんね。コメントありがとうございます。
@@yoshikinishi1713動画で見たことがありますが、実はコシチュがオルガンでBWV547を演奏しているのを見ました。彼はパイプオルガンを演奏できるのですね。だから、彼は相当バッハに造詣が深いとおもわれます。まあ、グールドもオルガンも弾きますが。
バッハの曲のピアノ演奏では、各声部を聞き取りやすく曲の構成がわかりやすいので好きですね。比較演奏ではそれがよくわかるスタインウエイの方が良いです。
使い方の問題ですがピアノはバッハを演奏するのに向いているところもあると思うのですよね。ご意見ありがとうございました!
ポピュラー音楽を生業としている者です。ピアノについてはほぼ全くの素人ですが、圧倒的に後者の方が好みに合っています。素人の主観なので笑われると思いますが、私にはどうしても「ピアノの速い演奏」が好きになれないところがあります。ピアノは構造や機能の面で飛び抜けた運動性能を持つ、ということは解っていますが、なんでピアニストってそれに振り回されるような演奏をする人が多いんだろう?…と思ってしまうのです。きっと、一つ一つのフレーズをそんな高速演奏でも十分に堪能できるようになるまで、とても大量の練習を重ねてきているからなのかな…とは思いますが、素人にはちょっと難しいのでは、と感じます。もちろん、聴いて楽しむだけの人々にとっては、そのように高速で演奏されるのを聴くことで「凄い!これぞ神演奏」と絶賛する気持ちになることが多いのかもしれませんが、私は個人的にそういう方向に流されたくないな、と思ってしまうのです。…そもそも「速すぎると自分にはわからない、置いてきぼりになってしまう」というひがみのようなものがあるのかもしれませんね。
実際に音が発音してから噪音から楽音へと変化してとか、和声感として表現が伝わるまでに時間がかかるのでその方が良いと言う感覚は非常にわかります。これは感じるのが早い方が優れてるとかそう言う問題ではなくじっくり感じたいという好みの問題だと思うので速い演奏が好きになれないと言うことは笑われるようなことではないと思います。とても率直なご意見ありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 ありがとうございます!ちょっと救われました。
私はシンセサイザーの音色探しにバッハのMIDIを使ってます。無意識的でしたが、音色の美しさを純粋に比較できるとかあるのかもしれませんね。演奏家泣かせにはなってしまいますが、音程と音価のみで表現が全く打ち込まれていない演奏から浮かび上がる(解釈を一切排除した)バッハに聴き入ってしまったりも。表現しないという解釈もなりたってしまう、恐ろしい作品群だと思います。
バッハが想定したことではないでしょうが、例えば打ち込みでの演奏と言う一切の偶然性や人間性、感情的要素が排除されたフーガはある意味最も純粋にその構造を浮き上がらせる行為になるのでこの曲に対する一つの表現として相性が良くてあり得るのかも知れませんね。コメントありがとうございます。
個人的な好みですが、前半です。やはりピアノはこうでなくては。とは言いませんが。より現代にふさわしいのは前者でしょう。
現代のピアノの響きや性能を活かした方法なのは一つ目になりますよね。この方向性でもバッハは素晴らしく響くと個人的には思っております。コメントありがとうございます!
バッハを現代に連れてきたら普通にピアノ弾くでしょ、ピアノは私の音楽を表現できない楽器だとか言わないと思います。ノンレガートやフィンガータッピング奏法で弾くかどうかは分からないけど。バッハは足鍵盤付きチェンバロを所持していたらしいのでそれはオルガンの代用だとは思います。ピアノ編曲版でバスを伸ばす為にペダルを踏んでやたら大きな音出してる演奏は嫌です。
現代に連れてきたら弾くでしょうし、当時だってより進化したピアノを知っていたらきっと使ったでしょうし自分の曲もピアノに合わせた弾き方をしたと思いますよね。バスを伸ばす為にペダルを使って大きい音を出す演奏...心当たりもありますし編曲によってはそれを求められてる場合もありますがそう言う音楽がバッハの本質から外れてると言うことには同意出来ます。コメントありがとうございます!
とりあえず勉強になるんだから弾けばいい。ピアノのおおよその本質が全てバッハの作品に詰められている。プレリュードとフーガは最高の作品。むしろピアノに進化したことで、より多くのことができるようになったのであって、チェンバロみてえな表現のつけにくい楽器だから良いわけではない。
実はそのような意見もあったそうです。つまりチェンバロと言うのはピアノが出来る前の不完全な楽器で表現力も少ないしバッハは実はクラヴィコードを好んでいた。もしバッハがピアノを知っていたらチェンバロは使わなかったはずだと言う意見です。ただそれは時代の中の仮定でしかなくレオンハルトやランドフスカの運動はそのような意見への反論だったのかも知れませんね。私はチェンバロをそこまで悪く言うことは出来ませんが、それでもピアノの表現の本質がバッハにあると言うのは同意見ですし、バッハの時代でも管弦楽器のように強弱で表現出来る楽器はあった訳ですからピアノでは強弱で表現することの出来ないチェンバロとは別の表現方法があるのも事実だと思います。コメントありがとうございます!
@@yoshikinishi1713 ありがとうございます。私も、学生の頃はよくチェンバロの演奏があると知るとわざわざ聴きに行ったものです。チェンバロは独特の音色もあって、逆に好きまであるんですが、「ピアノ使うべきでない」派閥にはよく上記の表現をしたものです。どのような演奏会でどのようなお客様を相手にどう表現したいかで変えれば良い問題なのであって、どちらを使うべき、などと言うくだらない論法が私には著しく理解の外にあると思っていたものです。大学時代に、よく上記のような論法を展開すると「⚪︎⚪︎君は難しく考えすぎだよ」などと言われたものですが、音楽や芸術こそ難しく考えないで一体なんとするのでしょう。返信と素晴らしい動画をありがとう御座いました。私も腐ってないで何かしましょうかね...
バッハ自身が、ピアノを熱望していた筈ですが?ピアノがバッハのもとに届いた時、バッハは喜んでクラヴィーア曲集を作曲したと記憶しているけど。
バッハの遺産の目録にはピアノはなかったので(勿論名称の問題でチェンバロと記載された可能性はありますが)そのようなお話は残念ながら私は聴いたことはありません。もしよろしければそのお話の出典をお教え頂けると助かります🙇
@@yoshikinishi1713 アルヒーフから出ていたバッハ全集のライナーノートで読んだ記憶があります。当時のクラヴィーアは、当然今のピアノの原型であり機能性は劣ります。ゴールドベルク変奏曲は2段鍵盤のチェンバロの為と明記しております。そこへ敢えてクラヴィーア曲集と名付けたと言う事は、当時のピアノを歓迎していた事と思えると推察します。
@@マスターメグミン クラヴィーアとは鍵盤楽器全般を指す言葉なので、例えばチェンバロやクラヴィコードなども入ります。インベンションの説明にバッハ自身によって書かれたオブリガード奏法の学習のためにと言う文章はクラヴィコードを念頭に書かれたと言われていますし、当時まだピアノが非常に高価で一般的でなかった中でバッハが手にしたそのピアノが誰が制作したものかはっきりしていないこと。ジルバーマンのピアノについてもフリードリヒ大王が所持しているものを弾いたと言われているのと弾いて感想を貰ったと言う記録のみで送ったとは言われていないこと。遺産の楽器の目録にチェンバロやクラヴィコードがかなりの数あるのにピアノがないこと(これは前述の通りチェンバロと記載されてしまった可能性はありますが)からその記載は個人的に間違いの可能性が高いのではと思われます。作曲家の逸話などには創作も多く新発見により嘘が真実になったりまた逆もありますので勿論私が間違っている可能性もありますが...。しかしそのような逸話が書かれたこともあるのですね。コメントとお知らせありがとうございます!
@@yoshikinishi1713 ちなみに、クラヴィーアが鍵盤楽器の総称されたのは17世紀中頃からですね。18世紀のどこら辺からピアノフォルテ等いわゆるピアノをクラヴィーアと呼ぶ様になりました。あくまでも私の私見ですが、やはりバッハのクラヴィーア曲集が起点となったと思っております。
4番と9番がピアニスティックで好き
4もですけど9番もヴィルトォーゾな感じとその裏で拡大された1のテーマが流れるのめちゃカッコいいですよね。
@@yoshikinishi1713 速ければいいというものではないのですが4と9はKoroliovのが好きです。拡大形とはいっても自筆譜では音価が半分で、よりヴィルトォーゾ感がします。
@@keigonitadori5882 ありがとうございます。時間を見つけて聴いてみたいと思います!
大変興味深い動画をありがとうございます。知識、情報の内容としては、とてもおもしろく、勉強になりました。ただ、動画としては、もう少し簡潔にお話しいただいてもよかったのかな、と思います(その方が人気が出るかも、という意味で)。全体の印象として少し冗長な感じがいたしましたが、あくまで私の個人的な意見です。最後の二演奏ですが、どちらも素敵な演奏、ありがとうございます。ただ、はじめの演奏は、私には少し早すぎて、頭がついていけず、音の響きだけが流れて言ってしまい、その意味で少しつまらない演奏に聞こえてしまいます。これは西様の演奏に限った話ではなく、グールドでも、ニコラーエワでも、彼らが早く弾いている曲は、全く同じで、私の理解力の問題に過ぎませんが、西様のような演奏家は、私のような素人も聴衆にいることを考慮して、むしろそれを狙って早い演奏になさっているのかもしれませんね。スタインウェイでの演奏は、弾き始めの方は、まるで弦楽四重奏のように聞こえていましたが、途中、チェンバロ的に聞こえることもあり、そのあたりから西様のイメージが分からなくなりましたが、だからといって、演奏自体の魅力がなくなるものではありませんでした。こちらのテンポの方が、他の方のコメントと共通しますが、各音の重なりと曲想の複相を楽しむことができましたので、私もふたつめの演奏の方が、その意味で、好きでした。どなたかのコメントバックで拝見しましたが、やはりふたつめの演奏は、絃楽を意識されての演奏だったのですね。最初の演奏は、現代風チェンバロですか?
簡潔にというのは自分でも感じるのですが、論文ではないとは言え必要な情報を述べなければと思うと長くなってしまうんですよね。反省点です。テンポが速いと頭がついていかないとの意見。これは本当にあることで。音が噪音から楽音へと変化するのも時間がかかりますし和声感を奏者と聴衆が自覚するまでもまた時間がかかります。最初の演奏は現代のピアノで構成を浮き上がらせつつピアニスティックに音の楽しみを追求しました。二つ目はおっしゃる通りピリオド奏法の弦楽四重奏を意識しましたが装飾音に関しては弦楽器を意識していないのでその辺りで違和感を覚えられたのかも知れません。色々と率直なご感想ありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 西様 早速のご返事ありがとうございました。なるほど、ひとつめの演奏は、現代ピアノでしたか。納得いたしました。 少し誤解なきようにお話しすると、私自身は詳しい知識、情報のご説明は、とても面白く、有益でした。まさに、どちらかというと、研究論文のような雰囲気でしたので、好みが分かれるかも、と思った次第。人気のある配信者の方々の配信は、上手に話を切り上げているように感じています。これからも楽しみにさせていただいております。
バッハの時代にピアノはなかったのだから、バッハの意図と違うのはあまり前だし、時代考証といつもうるさい人がこのときだけ「ピアノOK」というのは一貫性がない。それに、持続音楽器と打楽器の違いという実質的違いもある。往年のピアノストの言っていることは筋が通っていないと思う。一方、バッハの作品を材料とみなすなら、エレキギターで弾いてもいいわけですね。私はそちらも好きですけど。
コメントありがとうございます。スコダは素晴らしい人だと思いますが研究者として時代考証にかなり細かい人なので、ピアニストとしてピアノでバッハを弾くことの正統性を立てるための意見なので完璧な意見とは言えないのかも知れませんね。逆にグールドはやりたい放題して印象が強いのでそれほど違和感はありませんが...。私もごちゃごちゃ言うタイプですが実はその正統性をもとに指導を受ける時に疑問を覚えることも多くありました。これについては近いうちに動画にするつもりなのですが...。なのでピアノでバッハを弾くと言う立場になった以上エレキギターで弾くのも同じく素晴らしいと言う意見は私も取りたいと思います。と言うか音の発生方法としてはピアノよりギターのがチェンバロに近いですしね...。
バッハの鍵盤楽器の作品の演奏の楽器選びは、西先生の言われるように矛盾に満ちているんだなって感じる。自分は理学部の学生であったが、教育学部の学生がバイエルのレッスンに来ない時間帯に、チェルニー8小節の練習曲、インヴェンションとシンフォニア、モーツアルトのソナタ、軍隊ポロネーズを聴いていただいた。1人の先生はヘンデル研究の音楽学者で、エマニュエルのあの本を読んできなさいとの指示が出た。シンフォニアは難しくて時間がかかったが、自分のピアノ演奏を根本からひっくり返すほどの内容を持つ練習曲であった。最初は歴史的奏法的に弾いていたのだが、レッスンが進むとペダルを微妙に使っての、ロマンティックな演奏に代わってしまった。1曲を何通りかに弾き分けてしまった。「あんた、音楽科の学生より音楽が良いんだから、早く仕上げてもっとたくさん聴かせなさい!」との、褒めたのか怒ったのか?わけのわからない言葉をいただいた。レッスンごとに違うように仕上げたんだから・・・の言葉は出しませんでした。楽譜に書かれていることすべてを実現できないのが、彼の作曲した鍵盤曲の大きな矛盾である。チェンバロでもクラヴィコードでもオルガンでもおんなじことで、ロマン派の作品を演奏するように弾くのは論外であるけれど、左右のペダルを慎重に用いて、現代ピアノで演奏するのが最もバッハ再現には良いように思われる。楽譜の選定は別にそれほど考慮する必要はなくてとは言わないが、それよりも当時の理論書を読むことのほうが必要であるといえる。グールドが弾いたすべての録音は面白いけれど、平均率の2巻については、テンポの速すぎるナンバーが多くて、再録音の時間を与えてあげて欲しかったなと残念に思う。最晩年のゴルトベルクの境地で録音してほしかったな。数は少ないけれど、高橋悠治さんの録音はバッハと作曲家として対等に屹立していて凄すぎ。小林道夫先生がパルティータを録音するのにピアノを選んだけれど、カセットがだめになっちゃった。6番は微妙なニュアンスと表現しすぎない奥ゆかしさが、日本人の僕には心に染みた。最近のことだけど、ソコロフが弾いていたイギリス組曲のハ短調の前奏曲が凄かった。終曲部でテーマがバスに出てくるところ辺りで、情け容赦のないfffが鳴らされている。fffだよ。表情もついているし音色も美しいし、クライマックスを音量で本当に実現している。超絶技巧の使い場所が適切で、腹の底に響いた。平均率ならレオンハルトの録音が忘れられない。現代のチェンバリストは、全員彼のお弟子さんの系列といえるよね。
詳細に及ぶご感想ありがとうございます。本当におっしゃる通りのことが多くて2声のインベンションはまだ教育的な内容を強く感じることがありますが3声のシンフォニアについては本当に作品によっては宇宙的な広がりがあって短くとも平均律の作品に並べても何の遜色もない作品もあると思っております。様々な演奏家の意見もとても楽しく読ませていただきましたが、ソコロフのバッハについては実は私も思い入れがありまして。ブダペストに留学中に3回ソコロフを聴いたのですが、その2回目のコンサートで聴いたパルティータの一番が今でも忘れられません。完全に巨大なコンサートホールと現代のグランドピアノを使いきった演奏でありながらバッハの本質を損なうことなく、得にサラバンドは天上の音楽のようで自然と涙が出ました。人生の中でずば抜けたベストのコンサートでした。ソコロフの演奏について常に賛成と言う訳でもないのですが、ピアノを使ってバッハを表現することの大きな参考にはなったと思っております。今回は色々なことに関してのコメントをありがとうございました。
ツェンバロやクラヴィコードなどに触れ合えるチャンスがある人は絶対に引いてみたほうが良い
それをどのように取り入れるかは人それぞれだと思うのですが、知らないよりは絶対知った上で表現するべきですよね!
@@materiaru0078 「ツェンバロ」→「チェンバロ」元のスペルが「tsembaro」ではなく「cembalo」だから。「引く」→「弾く」「押す・引く」の「ひく」ではなく「楽器をひく」だから。漢字を学び直した方が良いと思います。
@@yoshikinishi1713 あれを弾いた瞬間感動しました。
なんかそんな気します。パイプオルガンじゃないの?
バッハはオルガニストだったのでオルガンの曲でなくてもパイプオルガンの響きがはまる曲も多いですよね。でもピアノで弾ける曲もやり方によってはあるとも思います。
オープンインストゥルメントだよ。
そうなのですね。
@@yoshikinishi1713 弾ける楽器だったら何でもいい。当時だったらチェンバロかクラヴィコード。今だったらピアノでも良いしジャズやってもよい。
どちらの演奏にしてもあまりうまくないので理論であれこれ判断する前にやることがあるように思います
そうですかね。二つ目の方法は海外の国際コンクールで弾いた時賞を貰った時と同じ弾き方で自分では中々うまいと思いますが。コメントありがとうございます。
音楽は趣味性の高い芸術だと思います。時代の趣味、作曲家の趣味、演奏者の趣味、聴き手の趣味。だから、「この音楽はこうあるべきだ」と言われても、趣味が合えば「そうですね」となり、違えば「そうは思いません」となる。「バッハをピアノで弾いてはいけない」と言われて、私なら「ああそうですね、でも私は今はピアノでバッハを弾きます」と答えます。ピアノの音色はとても魅力的です。バッハの時代を味わいたければ、電子チェンバロで弾いています。「音楽は楽しんでなんぼ。難しいことは置いといて楽しんだもの勝ち」ってモーツァルトが言っていそうな気がします。
おっしゃる通りでダメだと言ったところで現代ピアノでのバッハを楽しんでいる人からそれを取り上げるのは不可能ですし、声高に批判してもその意見が受け入れられない限りは流れを変えることにはならないでしょう。それに古楽奏者の方には最大限に尊敬を示しますが、それでもモダン楽器での演奏を楽しんでいる人をも批判する意見にはやはり同意出来ません。コメントありがとうございました!
オルガン、チェンバロ、ピアノ、それぞれ機能は大きく違いますが、どの楽器もその音色がとても魅力的です。ですからその時の気分でどれにするかを選んでいます。動画後半の演奏比較ですが、テンポのゆっくりした2曲目が私の好みです。テーマの入りや応答などが解りやすく、落ち着いた気分て楽曲を味わえます。それとテーマ冒頭の二分音符の意味を考えると、早いテンポが良いのかどうか、考えさせられますね。最初の演奏のテンポでは四分音符で作曲してもよいのかなとも思います。現代のピアニストが楽曲に対して様々な演奏をしてくれるのは、こちらも色々な発見が有って楽しいです。
同曲を同一人物の異なる表現で聴ける贅沢な時間をいただきました。私は後者が好きです。響きやフレーズを存分に味わい至福でした🙏
バッハならではの試みと思ってやってみました。お好みの方と理由を教えて頂きありがとうございます!
ちょうど今この曲に取り組んでいまして、幾つか練習動画をアップしたところです。個人的に非常にタイムリーな動画をありがとうございました。
フーガの技法は色々な編成の可能性がありどれもそれぞれの魅力がありますが、僕はエマーソン四重奏のものが最も好きです。オルガンではヴァルヒャが、混成では佐藤俊介氏率いるNBSの演奏が素晴らしいと思います。ピアノでは断然グールドが好きですが、いずれも構造が明白かつテーマがしっかりと歌われていることが重要だと思います。
演奏はスタインウェイの方がテンポが穏やかなため音が丁寧に紡がれて各声部がはっきりと歌われているようで好ましく感じました。
練習してらっしゃると言うことでおわかり頂けると思うのですがこのフーガは本当に難しいですよね。
あまりに難しくてそうなるとより声部を自然に分けてなおかつテーマの歌える弦楽四重奏での美しい演奏の美しさとかに驚くので、レオンハルトはああ言ってますがチェンバロと言う括りに押し込めてしまうのは勿体なく感じます。
グールドもこのフーガをお気に入りらしくオルガンやハープシピアノも含めて4回も弾いてますがピアノのものが私も好きですね。
お好みの方もお教えいただきありがとうございます!
おっしゃる通りまさに構造、そして設計図こそがバッハの本質だと思います。だからバッハが生きてたらグールドの演奏も、そしてSwitched on Bachすら賞賛すると思います。
私はアリオーソをト長調の2声にアレンジしたピアノ版がこよなく好きです。本当にピアノで弾く三連符の美しさや音域の艶が感じられるからです。逆にコルトー版はごちゃごちゃロマン派風に弄りすぎていてポリフォニー感もゼロだし、なんだかバッハじゃ無い気がします。
フーガの技法、素敵な演奏を有難うございます。😊
因みに、2018年にショパン時代の楽器を使った第1回ショパン国際ピリオドコンクールが行われました。その時に、日本人の川口成彦さんが、2位になりました。
そのような運動が起こるのは素晴らしい試みですよね。
私はピリオド楽器については詳しくないですし弾けもしませんが、そう言ったところで勉強する人は尊敬しますしそこからまた学ぶことも多いと思います。
日本人の方が入賞されたとのことも素晴らしいことですね!
ピアノはこもった音色なので、バッハの曲をピアノで演奏されたものを聴くと、華やかさが足りず地味で退屈に感じる事が多いです。グレン・グールドの演奏は、なぜかあまり「地味で退屈」に聴こえない(理由は自分でもわからない)のですが、鼻歌が不快なので、1曲通して最後まで聴く事はほとんどありません。誰か、現代の技術で、鼻歌を取り除いた版を作って売り出してくれないかなあ。本動画の2つの演奏は、どちらもメリハリが利いていて聴き惚れました。どちらの演奏も好きです。ゆっくりテンポの方が、複数の旋律が絡み合う対位法の魅力をよく表現できていると感じました。
ピアノの音色について、一般的によく良い音と言われるのが柔らかくて暖かみのある音と言うのがあってそう言った音色を出す技術もあるのですが、それはおっしゃる通りこもった音の要素でもあるのでその部分がバッハに向いてないと言うのはあると思います。
グールドの演奏は地味で退屈にならないと言うのはもちろん彼の天才性もありますが、音色が良い音と言われる柔らかさよりもむしろクリアで硬質で冷たさのある音で、それがポリフォニーを浮き上がらせるのと相性がいい部分もあると思います。
私は鼻歌は気になりませんが、それでもグールドとキース・ジャレットに関しては声さえ入ってなければと言う意見はやはり多いですよね...。
とても感じいることの多いコメントありがとうございました!
@@000nell メーカーにもよるしね。チェレスタで弾くという手もあるし。
音が均一な感じなのと装飾音からピアノフォルトかチェンバロかなと思いました。私はピアノをピアノとして弾いた方が純粋に好きです。余談ながら「語り」のスタイルと「演奏」スタイルがシンクロしているように私には感じられました。
ちなみに私の中のフーガの技法の最適解はオルガンです。
ただ他の「鍵盤」曲の多くはやはりチェンバロの倍音を念頭に設計されている感じがします。ゴールドベルグ変奏曲とか特に……。でもモダンなピアノ演奏も、音の構造を透明に浮かび上がらせてくれたりするのでいいんですよね……。デュエットとかピアノで弾くと超モダンですし……。
他動画のベートーペンの話じゃありませんが、昨今のチェンバロ奏者はやたらビートをくずして弾く(ルバートと言っていいのか……^^;;)人が多いのはどうしてでしょうかね……流行りなんでしょうか、それとも「歴史的に目覚めた」状態なんでしょうか。
動画で比較するとピアノ奏者の方がはるかに刻みが一定な事が多いので奏法的にはそっちの方が好きだったりします。
いずれにしてもバッハが生きてたらピアノという新しい楽器に飛びついていたと思いますね・笑 作曲し編曲し探求し尽くした事でしょう。興味深い動画をありがとうございました。
確かにフーガの技法の音を長いバスの音を保持してポリフォニーを際立たせると言うことを考えるとオルガンでの演奏はとても合っていると思うんですよね。でも本当に作品によってはおっしゃる通りピアノは中々バッハに合ってる楽器だと思います...。
チェンバロ奏者の方がアゴーギクを多用するのは例えばため息の音型だったり強弱や重心を表現するのにどうしても時間で操作するしかないからだと思うのですが、うまく行くか行かないかは結局はピアノと同じでやり方の問題なんでしょうね。
良いチェンバロを使いさえすれば良いとならないのはスコダの言う通りでしょう。
もしバッハが現代のピアノを知っていたら...欠点を見つけつつもそれこそ実践的な人なので使わなかったとは思えないんですよね。
今回は色々なことについてコメントありがとうございました!
いいお話と演奏ありがとうございました。どちらの演奏も楽しめました。今日の私は、2番目の演奏の方がしんみりきました。明日はわかりませんが。
音楽って本当にちょっとしたことで凄く感動したり響かなかったりそう言うこともありますよね。
率直なご感想頂けたこととても嬉しく思います。
ありがとうございました!
すごく気になっていた部分でした!もっと新しい曲を弾くにしても、作曲者の意図と時代の環境はとても気になる部分です。
@@waterpearlly
ありがとうございます。
これからもこう言う内容の動画をあげていくつもりなのでまたみて頂けたら嬉しいです!
興味深いお話しで、とても勉強になりました。
ありがとうございました。
演奏も素晴らしいです!
想定した「ある楽器」とはオルガンでしょうか?
私はふたつ目のスタンウェイの方が断然好きでした。
オルガンと言うよりはよりピリオド奏法の弦楽的な表現を目指したのですが、受け取る方が自由に受け取って貰えたら嬉しいです。
お好みの方を教えて頂けて嬉しいです。ご意見ありがとうございます!
失礼いたしました。言われて見れば納得です。
いずれにしても、にばん目が好きです。
私はモーツァルトとベートーヴェンが好きで、趣味でいろいろ作っている小さな作曲者です。
今まで実は「バッハはつまらない」というバッハアンチだったのですが、この動画で大きく考え方が変わりました。意外と自身での編曲をしまくっていることなど知れてよかったです。ありがとうございました
どの作曲家をつまらないと思うかと言うことは究極的には好みなので自由ですが、それでもバッハ大好きな私としてそのように言って貰えるのは本当に嬉しいです。
コメント頂きありがとうございました!
12音程の短調の前奏曲とフーガを全部作曲し、音楽の可能性をすべて開いてくれたバッハは、その時代その時空の科学技術に縛られるべきではないです。シンセサイザーでも、どの楽器でも、バッハの曲の美しさが宿います。
個人的にはバッハが自身を北フランドルから続く伝統の継承者と自認していてだからこそフーガの技法や平均律クラヴィーアのような作品を作ったと思っているのですが、それでも彼が熱心に伝えようとしていたのが構造や技法のような部分で楽器についてとはあまり思えません。
なので他の楽器やシンセサイザーでも本質が損なわれず美しさが宿ると言う意見には完全に同意します。
コメントありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 コメントの返信、ありがとうございます!すでにご存知かもしれないですが、Wendy Carlosという音楽家がかなり多くのバロック/古典派音楽を電子楽器にアレンジしたりしました。
個人的にチェンバロが大好きであって、弾いて遊ぶことも好きですが、だからといって「バッハはチェンバロしかありえん」という気持ちが出ないです!
7月下旬に某チャンネルで「パイプオルガンの魅力を紹介」がアップされ、その中の「音楽的な特徴」として、とくにフーガ作品で用いられるオルゲルプンクトはオルガンでの演奏が向いていることが説明されていました。ただオルガンにも苦手なものがありそれは「音を伸ばしている時に表情を変えることができない」こと。これが可能なのがクラヴィコードという鍵盤楽器ですが、クラヴィコードは音量が小さすぎるため演奏会に向かないという致命的な欠点がありますね。現代では録音などによって家庭などで気軽に聴くことができます。静まり返った深夜などにクラヴィコードの奏でる微かな音楽を聴くのも乙な物です。
クラヴィコードは素晴らしいですよね!
中にはチェンバロは音楽的な楽器ではなくバッハは真に好んだのはクラヴィコードの方だと言う意見もあるそうですが、チェンバロを好んでないと言うのは事実でないにしろクラヴィコードの素晴らしさを好んだのは事実だと思います。
インベンションの序文にあるようなオブリガートのカンタービレ奏法等のことはクラヴィコードでの演奏が念頭にあるように思えます。
例えば9番73小節目のA音からの流れは(異名同音と呼んで良いのかどうかは
判りませんが)多段の鍵盤楽器でなければ解決出来ない、残響音も考慮すれば
チェンバロが最適であってピアノもオルガンもアンサンブルもまかりならん…と
言うのがレオンハルト氏の説でしたか
ブラスアンサンブルをきっかけにこの曲を知った者として、それなりのショックは
受けました
今出先なのでレオンハルトの論文を読み直せないのですが様々な理由からチェンバロが最適と書いていましたよね...。
でもそれこそバッハがチェンバロを使って作曲をしててそれを想定して書いた部分があったとしても曲によっては頭の中で別の楽器の想定があったかも知れませんし、私にはいくつかの音はチェンバロで保持するのが難しいと感じます。
プラスアンサンブルであればそう言う問題を解決出来る部分もありますしそれこそ曲と表現によってはチェンバロより上手く行くと思います。
その編成で聴いて良いと思ったご自分を否定する必要は一切ありませんのでどうかショックを受けずに好きな形で楽しんで頂けたらと思います。
コメントありがとうございました!
はじめまして
私は音楽のことは全くわかりませんが、1960年代から70年代にかけてのレオンハルトやアーノンクールの録音などは何曲か聴き、その前後のバロック復興の流れはある程度知っています。
レオンハルトの言葉は、やはりその時代の雰囲気やその時の音楽興行的流行の部分も含めて捉えたほうがいいのかな、とも考えています。あのような「強い」言葉を使う理由は、そうしなければならないほど大きなある種の「権威」や「名声」に対抗せざるを得ない当時の状況もあったのではないでしょうか。
今のようにバロックの技法の研究や楽器の掘り起こしなどもまだできていない時代でした。
特にチェンバロを弾く彼は、調律法なども全く違う現代的平均律の楽器で作り出される音楽が「一般的である」状態に大変な危機感を持っていたのではないかと思います。
今はバロック時代や古典時代の楽器や調律法も求めれば手に入る時代ですので、当時とはまた違った理解のしかたもあると思います。そういう意味でも、このような動画に出会えたことを嬉しく思います。
ありがとうございます。
レオンハルトやアーノンクールの偉大さについては本当におっしゃる通りで、彼らの活動がなければ古い時代の音楽については研究が進まないどころかより無法地帯になっていた可能性もある訳ですしね。
動画の中でスコダもランドフスカの楽器については批判的でしたがそれでも彼女の活動が非常に有意義であったことも述べてましたし、時代が違う人への視線の向け方は常に一方的にならないよう気をつける必要がありますね。
私も実際アーノンクールやブリュッヘンの演奏が大好きで理論や音楽学と芸術的な美しさを一体化させた彼らには自分とは違う道だなと思いながらも勉強になることも多く深く尊敬しています。
この度は気づきのあるコメントありがとうございました。
@@yoshikinishi1713
自分で何十台ものオリジナル楽器を所有していたバドゥーラ・スコーダ(ちなみに彼の生まれたときの姓、および妻子など彼の家族に共通の家族姓はバドゥーラ、スコーダは実母の再婚相手で継父、養父であるアントン・スコーダに敬意を表して付記されたもの)にしてみれば、作曲家が愛用していた楽器と同じ製造者による楽器、ないしは少なくとも作曲家の生きていた時代に使われていた楽器でなければオリジナル楽器演奏とは言えないということでしょうね。
バドゥーラ・スコーダが、ベートーヴェンとシューベルトのピアノソナタを複数のオリジナル楽器で弾き分けているCDがあるのはご存じと思います。
最近はRUclipsにも投稿されているようで、著作権侵害と遺族の経済的損失を考えると心が痛むのですが、広く周知されるのはいいこと。
ベートーヴェンの確か悲壮ソナタだったと思うのですが、このCD録音時にはまだ所有していなかったヴァルターのハンマーフリューゲルを、バドゥーラ・スコーダは例外的にわざわざ借りてまで使用しています。
ところが彼は最晩年になって、遂にヴァルターのハンマーフリューゲルを手に入れたのですね。
2006年だったか、2010年だったか忘れましたが、氏のお宅にお訪ねした私に、彼は弾いて見せてくれたのです。
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当時、19区の録音スタジオまで併設されていたお屋敷をわけあって売却し、8区のアパートに移り住んでいた彼は、おそらくは手に入れて間もないであろうこの貴重なヴァルターのハンマーフリューゲルが最上階の熱気で傷むことを恐れて、空調設備工事をしていました。
本来ならフランスに演奏旅行に行くのに練習しなければならないのに、空調設備工事中は落ち着いて練習できないため、その間ならお茶に来てもいいよ、と誘ってくださったのです。
私が特に好きだといっていたモーツァルトのハ短調のファンタジーを弾きながら、「ほら、一緒に弾いて。ピアノ、弾けるんでしょ?」と言って下さったのですが、大家の前で私は怖気づいてしまって手が出ず。
今にして思えば、あれは私に、ヴァルターのハンマーフリューゲルのタッチの感覚を体験させてあげようという心遣いだったのかもしれないな、と。
他の同時代のハンマーフリューゲルとは異なり、ヴァルターのハンマーフリューゲルは音色が深く、感情が愁いを帯びている。
モーツァルトが愛用し、バドゥーラ・スコーダもどうしても手に入れたかったと晩年までこだわっていた気持ち、わかります。
*****
バドゥーラ・スコーダは、オリジナル楽器を演奏してみるのは、その感覚をモダンの楽器での演奏に生かすため、と言っています。
その一方で、一口にオリジナル楽器と言っても、時代や地域によって異なるのはもちろんのこと、同じ時代でも製造者によって大きく音色が異なることも、彼は熟知していたわけです。
でも、彼のように何十台ものいい状態のオリジナル楽器を手に入れて弾きこなすというのは、才能だけではなく、資金力も必要だから、誰でもできることではありません。
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それが分かっているから彼は、ウィーン音大ではオリジナル楽器演奏は教えようとはしなかった。
翻って、今やフォルテピアノ専攻科ができ、副科でも様々な古楽器を習得できる芸大の体制は、嬉しい反面、「こんなこと、本場の事情を知らない日本人だからかえってできるのかも」と思うことも。
グラーツ音大でバロックオーボエの教授をしているというオーボエ奏者のコンサートをグラーツまで聞きに行ったことがあります。
彼曰く、「演奏はするし、教えもしているけれど、研究? それはどうかなぁ」と。
って、彼はグラーツ音大のバロックオーボエ専攻科の教授ですよ。それでも彼は、「自分は研究なんてしていない。演奏はしているし、教えてもいるけれど」というのです。
私はそれを聴いて、「正直だし、謙虚だなぁ」と思いました。見習わなければなりませんね。
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ちなみに彼の奥様はウィーン音大でバドゥーラ・スコーダにも師事したピアニストで、19世紀に造られたハンマーフリューゲルを1台持っているということで、そのコンサートでも彼女が自分のハンマーフリューゲルを弾いていました。
たくおんTVこと石井琢磨さん曰く、今は19世紀に造られたハンマーフリューゲルは、オーストリアでは国宝、重要文化財扱いで、オーストリア国外に売却してはいけないのだとか。
バドゥーラ・スコーダやデームスが所持していた大量のハンマーフリューゲルも、どこかできちんとまとめて保存されているのでしょうか。
オーストリアの文化保存のためにはいいことなのですが、その分、日本でオリジナルのハンマーフリューゲルが手に入る可能性は極めて小さくなってしまって、少し寂しいです。
@@erikasono565
バドゥラ=スコダのお宅に伺ってとのこと、とても貴重なお話をありがとうございます。
楽器に関してはどれだけ見ても聴いても実際に触れないと本当のことはわかりませんし、そのような気遣いを見せようとしてくださったと言うのはとても羨ましくて、そして素晴らしい話ですね。
実はある偉い方からモーツァルトの奏法についての本を頂いたのがバドゥラ=スコダを知ったきっかけでしたが、本人が優れたピアニストでもあった中でそれを後の世代の実用的にも継承してくださったのはまるでフランドルから続く自らの技法を作品として継承しようとしたバッハのようで学ぶ方からすると偉大としか言いようがないですね...。
ただそのバロックオーボエの教授の方は流石に研究者と名乗ってもいいと思いますが(と言うかその方が名乗らないと誰も名乗れないので困る気がするのですが)格は百段くらい落ちますが私も色々と勉強しますがそれは自分の演奏に活かすためで研究してると思ったことはないので、プレイヤーとしてありたいと思う人としてその気持ちは理解できます。
楽器についてなど含蓄のあるお話を色々とありがとうございました!
@@yoshikinishi1713
パウル・バドゥーラ・スコーダが研究熱心で音楽に真摯に向き合う人であったのは当然として、音楽学者であり、彼にぞっこん惚れ込んで活動を長年サポートしてきたエーファ夫人の存在はやはり大きいです。
彼らが若い頃にモーツァルトの奏法についても本を書いているのですが、これは小さな本で、しかもエーファさんとの共著だったと記憶しています。
ヘンレ原典版の校訂なども、確か当初はエーファさんとの共著。
その後、1978年のシューベルト没後150年に開催された国際シンポジウムの報告書が立派な本となって公刊されるにあたり、実行委員、編集委員だったエーファさんのもと、パウル・バドゥーラ・スコーダも彼単独で研究発表をし、それが論文として掲載されています。
シューベルトのフルートとピアノのための変奏曲について、バドゥーラ・スコーダが論文を学会誌に発表し、ブライトコップフ社から校訂版を出版したのもこの時期。
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少々穿ったた見方をするならば、この時期は、彼らがアメリカから帰国してウィーン音大に揃って教授のポストを得た時期に当たるわけで、研究発表や校訂譜出版は、そのための業績作りだったとみることもできます。
ただ、それにしてもバドゥーラ・スコーダが収集した自筆譜・初版譜やそのファクシミリ、マイクロフィルム、書籍、音源資料などは、オリジナル楽器にも勝るとも劣らぬ量と質。
シューベルトの《さすらい人幻想曲》などは、彼が自筆譜原本を持っていましたからね。新シューベルト全集の校訂企画に加わりたかったのでしょうが、結局それは却下されて、それでも進シューベルト全集のためにその自筆譜のファクシミリを提供しているのですから、懐が深いです。
19区にあった元のお屋敷は、スタジオも備えた立派なものだったようですが、それを売却し、18区の公園脇のアパート、8区の市庁舎裏のアパートの工房の上に位置する最上階に移り住んだところに私はお訪ねしました。
確かに写真で見る19区のお屋敷とは比べ物にならないとはいえ、それでもベーゼンドルファーのグランドピアノやヴァルターのハンマーフリューゲルなどが何台も並び、一見白い壁が引き戸になっていて、開けると天井まで壁一面、しかも前後2段の本棚になっていて、原典資料や音源資料、書籍がぎっしり。
その資料の整理のために、フランスから音楽司書資格を持つ人を雇い入れ、その方と一緒に住んでいるという状態でした。
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スコーダ家というのは、チェコを代表する自動車会社の創業者ファミリーらしいのですが、なるほど、パウル・バドゥーラ・スコーダが単にピアニストとして優秀だったからだけではなく、それ以前に音響技術者だった継父・養父のアントン・スコーダさんがそういうおうちの方で、それでドイチェ・グラモフォンなどに売り込んだことも国際的に有名になったきっかけとしては大きいらしい、というのは、当時ウィーンに留学していた日本人教授の話です。
ただ私は、パウル・バドゥーラ・スコーダの凄さは、そうしたいわばコネで商業的に売り出されるのに甘んじることなく、そこから離れて、フランスの小さなCD会社と契約し、エーファ夫人と二人三脚の地道な研究成果、オリジナル楽器の収集と研究演奏の成果をその小さなCD会社から出し続けたこと。
オリジナル楽器の収集、研究演奏にはお金がかかる。オリジナル楽器は音量が小さいので、コンサートも、大ホールでは開けませんし。
それで彼は、ベートーヴェンやシューベルトのピアノソナタのコンサートは、ウィーンに複数あるカジノで開催しているのです。CDに記載があります。
それには、ウィーンの名刺に名を連ねるアントン・スコーダさんやスコーダ家のつても大いに働いていたということでしょう。
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だから、演奏家の研究と言っても、桁が違うのですよ。
あんな研究、研究だけやっている人間でも、相当の資金力がなければできるものではありません。
それを見てしまったから、グラーツ音大バロックオーボエ科の教授をしていても、「自分は研究者ではない」というのではないでしょうか。
尤も、バドゥーラ・スコーダは、バッハ・コレギウム・ジャパンの研究と演奏は高く評価していました。
日本人も捨てたものではありません。
6年ぐらい前にパイプオルガン発表会で4番を弾きました。大好きな曲です。ピアノブランク20年の後なので下手ですが。
YAMAHAでの演奏はグレングールドのようで室内合奏風でもあります。30年前はグレングールドを手本にしていました。
スタインウェイのはピアノでオルガンと共通するような部分も表現されていると思います。
この4番は本当に良い曲ですよね。オルガンでもとても表現し甲斐があると思いますし、それこそグールドはこのフーガの技法を正規のものとしてはオルガンで演奏していますよね。それ以外にも何種類も録音はありますが...。
スタインウェイの方は実はピリオド奏法での弦楽をイメージしたのですがオルガン的なイメージを持つ方が多くて新しい発見と感触を得ることが出来て嬉しく思っております。
ご感想ありがとうございました!
ピアノでクラビーア曲集を聴いた後で、チェンバロの演奏を聴くと愕然とする。いろんな機能を持つピアノで余計なことをし過ぎてると思った。私達は何というしなくても良い苦労をしているのだろう。
ピアノをコントロールするというのはそれほどに難しい😅わずかな音の違いが演奏を台無しにする。
1970年代にピアノでのバッハ演奏について批判的に意見された時もそんな意見だったそうです。
ただ曲によってはピアノで演奏するのに向いている曲で結局はやり方なのではとも思います。
おっしゃる通りピアノでそれをコントロールするのは難しいことなんですけどね。
最後の弾き比べは圧倒的に前者が好きです。
自分は、フーガの技法はコチシュのピアノの演奏が大好きで、他のピアニストや他の楽器の演奏だとなぜかノレません。
コチシュの演奏は、今回の比較で言えば前者に近いと思うんですが、どうなんでしょう。
コチシュのこの曲の演奏は聴いたことがなかったのですが、リスト音楽院で亡くなる少し前に一度だけコチシュの公開講座を聴きましたが少し弾くだけでも素晴らしい技術でした。
ピアノがあれだけうまい人も中々いないと思いますが、つまりピアノ的表現での追求だったので方向性が近かったのかもしれませんね。コメントありがとうございます。
@@yoshikinishi1713
動画で見たことがありますが、実はコシチュがオルガンでBWV547を演奏しているのを見ました。彼はパイプオルガンを演奏できるのですね。だから、彼は相当バッハに造詣が深いとおもわれます。まあ、グールドもオルガンも弾きますが
。
バッハの曲のピアノ演奏では、各声部を聞き取りやすく曲の構成がわかりやすいので好きですね。比較演奏ではそれがよくわかるスタインウエイの方が良いです。
使い方の問題ですがピアノはバッハを演奏するのに向いているところもあると思うのですよね。
ご意見ありがとうございました!
ポピュラー音楽を生業としている者です。
ピアノについてはほぼ全くの素人ですが、圧倒的に後者の方が好みに合っています。
素人の主観なので笑われると思いますが、私にはどうしても「ピアノの速い演奏」が好きになれないところがあります。
ピアノは構造や機能の面で飛び抜けた運動性能を持つ、ということは解っていますが、なんでピアニストってそれに振り回されるような演奏をする人が多いんだろう?…と思ってしまうのです。
きっと、一つ一つのフレーズをそんな高速演奏でも十分に堪能できるようになるまで、とても大量の練習を重ねてきているからなのかな…とは思いますが、素人にはちょっと難しいのでは、と感じます。
もちろん、聴いて楽しむだけの人々にとっては、そのように高速で演奏されるのを聴くことで「凄い!これぞ神演奏」と絶賛する気持ちになることが多いのかもしれませんが、私は個人的にそういう方向に流されたくないな、と思ってしまうのです。
…そもそも「速すぎると自分にはわからない、置いてきぼりになってしまう」というひがみのようなものがあるのかもしれませんね。
実際に音が発音してから噪音から楽音へと変化してとか、和声感として表現が伝わるまでに時間がかかるのでその方が良いと言う感覚は非常にわかります。
これは感じるのが早い方が優れてるとかそう言う問題ではなくじっくり感じたいという好みの問題だと思うので速い演奏が好きになれないと言うことは笑われるようなことではないと思います。
とても率直なご意見ありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 ありがとうございます!
ちょっと救われました。
私はシンセサイザーの音色探しにバッハのMIDIを使ってます。無意識的でしたが、音色の美しさを純粋に比較できるとかあるのかもしれませんね。
演奏家泣かせにはなってしまいますが、音程と音価のみで表現が全く打ち込まれていない演奏から浮かび上がる(解釈を一切排除した)バッハに聴き入ってしまったりも。
表現しないという解釈もなりたってしまう、恐ろしい作品群だと思います。
バッハが想定したことではないでしょうが、例えば打ち込みでの演奏と言う一切の偶然性や人間性、感情的要素が排除されたフーガはある意味最も純粋にその構造を浮き上がらせる行為になるのでこの曲に対する一つの表現として相性が良くてあり得るのかも知れませんね。
コメントありがとうございます。
個人的な好みですが、前半です。
やはりピアノはこうでなくては。とは言いませんが。
より現代にふさわしいのは前者でしょう。
現代のピアノの響きや性能を活かした方法なのは一つ目になりますよね。
この方向性でもバッハは素晴らしく響くと個人的には思っております。
コメントありがとうございます!
バッハを現代に連れてきたら普通にピアノ弾くでしょ、ピアノは私の音楽を表現できない楽器だとか言わないと思います。ノンレガートやフィンガータッピング奏法で弾くかどうかは分からないけど。バッハは足鍵盤付きチェンバロを所持していたらしいのでそれはオルガンの代用だとは思います。ピアノ編曲版でバスを伸ばす為にペダルを踏んでやたら大きな音出してる演奏は嫌です。
現代に連れてきたら弾くでしょうし、当時だってより進化したピアノを知っていたらきっと使ったでしょうし自分の曲もピアノに合わせた弾き方をしたと思いますよね。
バスを伸ばす為にペダルを使って大きい音を出す演奏...心当たりもありますし編曲によってはそれを求められてる場合もありますがそう言う音楽がバッハの本質から外れてると言うことには同意出来ます。
コメントありがとうございます!
とりあえず勉強になるんだから弾けばいい。
ピアノのおおよその本質が全てバッハの作品に詰められている。
プレリュードとフーガは最高の作品。
むしろピアノに進化したことで、より多くのことができるようになったのであって、チェンバロみてえな表現のつけにくい楽器だから良いわけではない。
実はそのような意見もあったそうです。
つまりチェンバロと言うのはピアノが出来る前の不完全な楽器で表現力も少ないしバッハは実はクラヴィコードを好んでいた。もしバッハがピアノを知っていたらチェンバロは使わなかったはずだと言う意見です。
ただそれは時代の中の仮定でしかなくレオンハルトやランドフスカの運動はそのような意見への反論だったのかも知れませんね。
私はチェンバロをそこまで悪く言うことは出来ませんが、それでもピアノの表現の本質がバッハにあると言うのは同意見ですし、バッハの時代でも管弦楽器のように強弱で表現出来る楽器はあった訳ですからピアノでは強弱で表現することの出来ないチェンバロとは別の表現方法があるのも事実だと思います。
コメントありがとうございます!
@@yoshikinishi1713
ありがとうございます。
私も、学生の頃はよくチェンバロの演奏があると知るとわざわざ聴きに行ったものです。
チェンバロは独特の音色もあって、逆に好きまであるんですが、「ピアノ使うべきでない」派閥にはよく上記の表現をしたものです。
どのような演奏会でどのようなお客様を相手にどう表現したいかで変えれば良い問題なのであって、どちらを使うべき、などと言うくだらない論法が私には著しく理解の外にあると思っていたものです。
大学時代に、よく上記のような論法を展開すると「⚪︎⚪︎君は難しく考えすぎだよ」などと言われたものですが、音楽や芸術こそ難しく考えないで一体なんとするのでしょう。
返信と素晴らしい動画をありがとう御座いました。私も腐ってないで何かしましょうかね...
バッハ自身が、ピアノを熱望していた筈ですが?ピアノがバッハのもとに届いた時、バッハは喜んでクラヴィーア曲集を作曲したと記憶しているけど。
バッハの遺産の目録にはピアノはなかったので(勿論名称の問題でチェンバロと記載された可能性はありますが)そのようなお話は残念ながら私は聴いたことはありません。
もしよろしければそのお話の出典をお教え頂けると助かります🙇
@@yoshikinishi1713 アルヒーフから出ていたバッハ全集のライナーノートで読んだ記憶があります。当時のクラヴィーアは、当然今のピアノの原型であり機能性は劣ります。ゴールドベルク変奏曲は2段鍵盤のチェンバロの為と明記しております。そこへ敢えてクラヴィーア曲集と名付けたと言う事は、当時のピアノを歓迎していた事と思えると推察します。
@@マスターメグミン
クラヴィーアとは鍵盤楽器全般を指す言葉なので、例えばチェンバロやクラヴィコードなども入ります。
インベンションの説明にバッハ自身によって書かれたオブリガード奏法の学習のためにと言う文章はクラヴィコードを念頭に書かれたと言われていますし、当時まだピアノが非常に高価で一般的でなかった中でバッハが手にしたそのピアノが誰が制作したものかはっきりしていないこと。
ジルバーマンのピアノについてもフリードリヒ大王が所持しているものを弾いたと言われているのと弾いて感想を貰ったと言う記録のみで送ったとは言われていないこと。
遺産の楽器の目録にチェンバロやクラヴィコードがかなりの数あるのにピアノがないこと(これは前述の通りチェンバロと記載されてしまった可能性はありますが)からその記載は個人的に間違いの可能性が高いのではと思われます。
作曲家の逸話などには創作も多く新発見により嘘が真実になったりまた逆もありますので勿論私が間違っている可能性もありますが...。
しかしそのような逸話が書かれたこともあるのですね。コメントとお知らせありがとうございます!
@@yoshikinishi1713 ちなみに、クラヴィーアが鍵盤楽器の総称されたのは17世紀中頃からですね。18世紀のどこら辺からピアノフォルテ等いわゆるピアノをクラヴィーアと呼ぶ様になりました。あくまでも私の私見ですが、やはりバッハのクラヴィーア曲集が起点となったと思っております。
4番と9番がピアニスティックで好き
4もですけど9番もヴィルトォーゾな感じとその裏で拡大された1のテーマが流れるのめちゃカッコいいですよね。
@@yoshikinishi1713 速ければいいというものではないのですが4と9はKoroliovのが好きです。拡大形とはいっても自筆譜では音価が半分で、よりヴィルトォーゾ感がします。
@@keigonitadori5882
ありがとうございます。時間を見つけて聴いてみたいと思います!
大変興味深い動画をありがとうございます。知識、情報の内容としては、とてもおもしろく、勉強になりました。ただ、動画としては、もう少し簡潔にお話しいただいてもよかったのかな、と思います(その方が人気が出るかも、という意味で)。全体の印象として少し冗長な感じがいたしましたが、あくまで私の個人的な意見です。最後の二演奏ですが、どちらも素敵な演奏、ありがとうございます。ただ、はじめの演奏は、私には少し早すぎて、頭がついていけず、音の響きだけが流れて言ってしまい、その意味で少しつまらない演奏に聞こえてしまいます。これは西様の演奏に限った話ではなく、グールドでも、ニコラーエワでも、彼らが早く弾いている曲は、全く同じで、私の理解力の問題に過ぎませんが、西様のような演奏家は、私のような素人も聴衆にいることを考慮して、むしろそれを狙って早い演奏になさっているのかもしれませんね。スタインウェイでの演奏は、弾き始めの方は、まるで弦楽四重奏のように聞こえていましたが、途中、チェンバロ的に聞こえることもあり、そのあたりから西様のイメージが分からなくなりましたが、だからといって、演奏自体の魅力がなくなるものではありませんでした。こちらのテンポの方が、他の方のコメントと共通しますが、各音の重なりと曲想の複相を楽しむことができましたので、私もふたつめの演奏の方が、その意味で、好きでした。どなたかのコメントバックで拝見しましたが、やはりふたつめの演奏は、絃楽を意識されての演奏だったのですね。最初の演奏は、現代風チェンバロですか?
簡潔にというのは自分でも感じるのですが、論文ではないとは言え必要な情報を述べなければと思うと長くなってしまうんですよね。反省点です。
テンポが速いと頭がついていかないとの意見。これは本当にあることで。音が噪音から楽音へと変化するのも時間がかかりますし和声感を奏者と聴衆が自覚するまでもまた時間がかかります。
最初の演奏は現代のピアノで構成を浮き上がらせつつピアニスティックに音の楽しみを追求しました。
二つ目はおっしゃる通りピリオド奏法の弦楽四重奏を意識しましたが装飾音に関しては弦楽器を意識していないのでその辺りで違和感を覚えられたのかも知れません。
色々と率直なご感想ありがとうございました!
@@yoshikinishi1713 西様 早速のご返事ありがとうございました。なるほど、ひとつめの演奏は、現代ピアノでしたか。納得いたしました。 少し誤解なきようにお話しすると、私自身は詳しい知識、情報のご説明は、とても面白く、有益でした。まさに、どちらかというと、研究論文のような雰囲気でしたので、好みが分かれるかも、と思った次第。人気のある配信者の方々の配信は、上手に話を切り上げているように感じています。これからも楽しみにさせていただいております。
バッハの時代にピアノはなかったのだから、バッハの意図と違うのはあまり前だし、時代考証といつもうるさい人がこのときだけ「ピアノOK」というのは一貫性がない。それに、持続音楽器と打楽器の違いという実質的違いもある。往年のピアノストの言っていることは筋が通っていないと思う。
一方、バッハの作品を材料とみなすなら、エレキギターで弾いてもいいわけですね。私はそちらも好きですけど。
コメントありがとうございます。
スコダは素晴らしい人だと思いますが研究者として時代考証にかなり細かい人なので、ピアニストとしてピアノでバッハを弾くことの正統性を立てるための意見なので完璧な意見とは言えないのかも知れませんね。
逆にグールドはやりたい放題して印象が強いのでそれほど違和感はありませんが...。
私もごちゃごちゃ言うタイプですが実はその正統性をもとに指導を受ける時に疑問を覚えることも多くありました。これについては近いうちに動画にするつもりなのですが...。
なのでピアノでバッハを弾くと言う立場になった以上エレキギターで弾くのも同じく素晴らしいと言う意見は私も取りたいと思います。
と言うか音の発生方法としてはピアノよりギターのがチェンバロに近いですしね...。
バッハの鍵盤楽器の作品の演奏の楽器選びは、西先生の言われるように矛盾に満ちているんだなって感じる。
自分は理学部の学生であったが、教育学部の学生がバイエルのレッスンに来ない時間帯に、チェルニー8小節の練習曲、インヴェンションとシンフォニア、モーツアルトのソナタ、軍隊ポロネーズを聴いていただいた。
1人の先生はヘンデル研究の音楽学者で、エマニュエルのあの本を読んできなさいとの指示が出た。シンフォニアは難しくて時間がかかったが、自分のピアノ演奏を根本からひっくり返すほどの内容を持つ練習曲であった。最初は歴史的奏法的に弾いていたのだが、レッスンが進むとペダルを微妙に使っての、ロマンティックな演奏に代わってしまった。1曲を何通りかに弾き分けてしまった。「あんた、音楽科の学生より音楽が良いんだから、早く仕上げてもっとたくさん聴かせなさい!」との、褒めたのか怒ったのか?わけのわからない言葉をいただいた。レッスンごとに違うように仕上げたんだから・・・の言葉は出しませんでした。
楽譜に書かれていることすべてを実現できないのが、彼の作曲した鍵盤曲の大きな矛盾である。チェンバロでもクラヴィコードでもオルガンでもおんなじことで、ロマン派の作品を演奏するように弾くのは論外であるけれど、左右のペダルを慎重に用いて、現代ピアノで演奏するのが最もバッハ再現には良いように思われる。楽譜の選定は別にそれほど考慮する必要はなくてとは言わないが、それよりも当時の理論書を読むことのほうが必要であるといえる。
グールドが弾いたすべての録音は面白いけれど、平均率の2巻については、テンポの速すぎるナンバーが多くて、再録音の時間を与えてあげて欲しかったなと残念に思う。最晩年のゴルトベルクの境地で録音してほしかったな。
数は少ないけれど、高橋悠治さんの録音はバッハと作曲家として対等に屹立していて凄すぎ。
小林道夫先生がパルティータを録音するのにピアノを選んだけれど、カセットがだめになっちゃった。6番は微妙なニュアンスと表現しすぎない奥ゆかしさが、日本人の僕には心に染みた。
最近のことだけど、ソコロフが弾いていたイギリス組曲のハ短調の前奏曲が凄かった。終曲部でテーマがバスに出てくるところ辺りで、情け容赦のないfffが鳴らされている。fffだよ。表情もついているし音色も美しいし、クライマックスを音量で本当に実現している。超絶技巧の使い場所が適切で、腹の底に響いた。
平均率ならレオンハルトの録音が忘れられない。現代のチェンバリストは、全員彼のお弟子さんの系列といえるよね。
詳細に及ぶご感想ありがとうございます。
本当におっしゃる通りのことが多くて2声のインベンションはまだ教育的な内容を強く感じることがありますが3声のシンフォニアについては本当に作品によっては宇宙的な広がりがあって短くとも平均律の作品に並べても何の遜色もない作品もあると思っております。
様々な演奏家の意見もとても楽しく読ませていただきましたが、ソコロフのバッハについては実は私も思い入れがありまして。
ブダペストに留学中に3回ソコロフを聴いたのですが、その2回目のコンサートで聴いたパルティータの一番が今でも忘れられません。
完全に巨大なコンサートホールと現代のグランドピアノを使いきった演奏でありながらバッハの本質を損なうことなく、得にサラバンドは天上の音楽のようで自然と涙が出ました。人生の中でずば抜けたベストのコンサートでした。
ソコロフの演奏について常に賛成と言う訳でもないのですが、ピアノを使ってバッハを表現することの大きな参考にはなったと思っております。
今回は色々なことに関してのコメントをありがとうございました。
ツェンバロやクラヴィコードなどに触れ合えるチャンスがある人は絶対に引いてみたほうが良い
それをどのように取り入れるかは人それぞれだと思うのですが、知らないよりは絶対知った上で表現するべきですよね!
@@materiaru0078
「ツェンバロ」→「チェンバロ」
元のスペルが「tsembaro」ではなく「cembalo」だから。
「引く」→「弾く」
「押す・引く」の「ひく」ではなく「楽器をひく」だから。
漢字を学び直した方が良いと思います。
@@yoshikinishi1713
あれを弾いた瞬間感動しました。
なんかそんな気します。パイプオルガンじゃないの?
バッハはオルガニストだったのでオルガンの曲でなくてもパイプオルガンの響きがはまる曲も多いですよね。
でもピアノで弾ける曲もやり方によってはあるとも思います。
オープンインストゥルメントだよ。
そうなのですね。
@@yoshikinishi1713 弾ける楽器だったら何でもいい。当時だったらチェンバロかクラヴィコード。今だったらピアノでも良いしジャズやってもよい。
どちらの演奏にしてもあまりうまくないので理論であれこれ判断する前にやることがあるように思います
そうですかね。二つ目の方法は海外の国際コンクールで弾いた時賞を貰った時と同じ弾き方で自分では中々うまいと思いますが。
コメントありがとうございます。
音楽は趣味性の高い芸術だと思います。時代の趣味、作曲家の趣味、演奏者の趣味、聴き手の趣味。だから、「この音楽はこうあるべきだ」と言われても、趣味が合えば「そうですね」となり、違えば「そうは思いません」となる。
「バッハをピアノで弾いてはいけない」と言われて、私なら「ああそうですね、でも私は今はピアノでバッハを弾きます」と答えます。ピアノの音色はとても魅力的です。バッハの時代を味わいたければ、電子チェンバロで弾いています。
「音楽は楽しんでなんぼ。難しいことは置いといて楽しんだもの勝ち」ってモーツァルトが言っていそうな気がします。
おっしゃる通りでダメだと言ったところで現代ピアノでのバッハを楽しんでいる人からそれを取り上げるのは不可能ですし、声高に批判してもその意見が受け入れられない限りは流れを変えることにはならないでしょう。
それに古楽奏者の方には最大限に尊敬を示しますが、それでもモダン楽器での演奏を楽しんでいる人をも批判する意見にはやはり同意出来ません。
コメントありがとうございました!
オルガン、チェンバロ、ピアノ、それぞれ機能は大きく違いますが、どの楽器もその音色がとても魅力的です。ですからその時の気分でどれにするかを選んでいます。
動画後半の演奏比較ですが、テンポのゆっくりした2曲目が私の好みです。テーマの入りや応答などが解りやすく、落ち着いた気分て楽曲を味わえます。それとテーマ冒頭の二分音符の意味を考えると、早いテンポが良いのかどうか、考えさせられますね。最初の演奏のテンポでは四分音符で作曲してもよいのかなとも思います。
現代のピアニストが楽曲に対して様々な演奏をしてくれるのは、こちらも色々な発見が有って楽しいです。