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于禁やっぱり戦略的降伏なんかな曹丕からの侮辱を受けての憤死説も後世の創作らしいし
内政向けの軍神
この時の徐晃の軍は新兵を含めた寄せ集めの軍勢だったらしいので、魏国も相当堪えていたと思われます
孫子の兵法を細切れの文ではなく体系づけて解説しただけではなく、このように実例まできちんと提出してくれる本解説シリーズは稀有な出来だと思います。すごい面白いです。
「李衛公問対」 (武経七書のひとつ) を読むことを、オススメする。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%A1%9B%E5%85%AC%E5%95%8F%E5%AF%BE
何かの漫画で、関羽が樊城包囲してる報せを劉備が聞いて、「包囲している兵力はいどれくらいだ?5万か?10万か?」伝令「いえ、15万の大大軍です!」劉備「では、荊州の守りは5万だけではないか!」と青ざめるシーンがあったな。
それ多分ユダヤの有名な小咄「商家の当主がいよいよ臨終を迎える事になった。曰く『妻はいるか?』『ここにいます』『長男はいるか?』『ここにいます』『次男は?』『おります』『三男は??』『はい。ここに』。ここで当主、危篤の体に鞭打って体を起こして曰く『じゃあ誰が店番をしているんだ!?』と激怒したという」の流用だと思う笑
何年か前のタワマンは正に水攻め受けた城の体成してたんでしょうな、住民も発狂して士気というかモラル駄々下がりしてたし。泥下水攻めうぇぇい
やっぱり陸遜はここで荊州奪取にこだわるべきではなかったと思うんだよなぁ。どのみち蜀が天下を取るなんて考えられんわけだし、蜀と魏をより争わせ続ける方が得な気がする。
于禁「計画通り…」
”名将”と書いて”どMの変態”と読むの好き😗
将軍としては凄いかもしれんが、それだけだった関羽荊州を任せた時点でいつかこうなってただろうね
戦術的なタイミングはバッチリだったんだけど、関羽の兵站の理解不足及び理想に溺れて人間を見てない雑な日頃の対人関係がモロに裏目に出た戦、張飛もだけど1武将なら有能だけど大将は無理。
関羽を敗走させた徐晃の知名度はもっと上がっていい。プライベートでは関羽と親交あって人格的にも清廉で公正な人だし
徐晃の援軍は最初5万プラス小出しに5万の兵力ですねちなみに徐晃は宛城に駐屯していて最初の5万は反乱を起こして鎮圧された場所で徴収された新兵とみられてます。
この動画を見て、関羽が死ぬとき何が起こったかをよく考えてみたら酔っ払って、パワハラして、結果徐州を失った張飛のやらかしってのが演義にありましたよねあれよりひどいやらかし、ですよねこれ、、、ってか、張飛のやらかし演義のネタの、元ネタ、ってコレな気がしてきた
兵站の解説動画を見た後でこれ見ると「そんな所で城攻めすんな」って幻聴が聞こえてくるw
政治指針(目標.ゴール)と、その構成要件(ゴールを支える柱)である戦略とそれに伴う広域戦術と具体的手段である局地戦域戦術(構成要件を達成するための具体的手段.テクニック)と全体の要である兵站を、なるべく分け且つ解りやすく解説しているところが素晴らしい動画だと思います!兵学書では概念として、何となくあやふやな思想のような形で政治や戦略.戦術を記して解説をしていますが政治と兵站と戦略と戦術そのものを、ハッキリと明確にし、明確な名称の元に項目立てて解説したものは近代以降になるので、なかなかお目にかかるものではなく興味深く面白かったです主卿は、ものすごく勉強なさった方なのでしょう
劉備に物を貸したら返って来ないという意味の諺が中国にありますな…。関羽は素で借りたつもりでも…略奪ですな。
やはり大将は、自分の欠点を補ってくれる配下を側に置かないとダメですね。そういう意味で、劉備とか初期の孫権は凄かったと思います。于禁軍は武器だけ剥奪して曹操に返し、龐徳を蜀に連れ帰ってたらだいぶ違ってたんでしょうなぁ
やせ我慢する神奈子も「わあい」のでぶもなんかかわいい。
陸遜が隙を見て襲ってきたイメージなんだが同盟国から略奪したらそりゃやられるわか
関羽どうこう言うよりも、孫呉がどうするつもりだったのかが演義しか知らないと混乱しましたね、劉備から攻められないと思っていたのか?弱者で喰い合ってどうするつもり?ってね挙げ句に首を魏に送ってるし…
実際は、少なくとも三回、合従軍は結成されている。
白起さんが穴埋めばっかりしてる最大の理由は、捕虜にしても飯を食わせられないからだからな。
23:45 ナムコの三国志のセリフじゃんw
徐晃さんは横山三國志では、いつも戦斧で戦っていたな。あれは何故なんだ。
関羽の娘と孫権の息子で政略結婚してりゃあ勝ちは確定だったんじゃないの?関羽さんよぉでも関羽はここで死んでよかったと思う。歴史は変わることはないんだし、死に時としては最高の死に所だった。なんせ「関帝」として皇帝以上の地位で敬われているんだから。
あさりよしとう先生の「宇宙家族カールビンソン」で古代中国の麻酔として囲碁に集中するってのを知ったけど、マジだったんだなw
調べればわかるけど、魏も呉も関羽を倒すために質の面でも量の面でも出来うる最高のレベルを持って当たってるんだから関羽がどれだけ警戒されてたかよくわかるな。そして今この戦いの結果によって呉と蜀に勝ち目が消えた戦いでもあるな。
宴会の途中なのは、酒を麻酔代わりにしてるのかも?血行良くなって血がドバドバ出そうな気もするけど
歴史にIFはないけど、関羽の相手が曹仁でなければ樊城だっておちてただろうし、呂蒙でなければ追い詰められることなどなかった。まさに天下の名将関羽の暴風のような猛攻があってそれに踏みとどまったもまた、天下の名将曹仁。そして関羽から荊州を奪い取り、追い詰めて殺したのもまた天下の名将呂蒙。すさまじい緊張感の中での三国の名将同士の譲れない熱き戦いで、誰が誰にも勝るとも劣ってもいなかったんだな。
于禁、いいポジションじゃないか。
華陀膏って言う膏薬があって、あれが今でも1番効くって針灸師から聞いた事がある。コツは垢が出る位の気持ちで擦り込むらしい。青ノウ書には一体何が書いてあったのか?本当に気になって仕方ない。
【悲報】関羽力尽きる。
関羽が略奪してたなんてこの動画を見て初めて知った・・・
そもそも当時「現地調達」やっていない軍人なんていないでしょうw
世界の古代中世の戦史軍史動画にハマってます、がんばってください!>w<
210年代の魏は本当頑張ったな合肥も負けてたらやばかったし
幼い頃関羽が死んでしまうところを読んだ時悲しくて泣きそうになって孫権サイテーって思ったけど。まあ、大人になって振り返ってみると関羽の良い面だけじゃなくて悪い面も見れるわけで、勉強になります。
ようは関羽のスタンドプレーだったってことよ
ゆっくり戦線を上げて、襄陽で一度止まってたらまた違ったかもね
絶対関羽殺したのは間違い。気持ちも分かるけどさぁ
ここで荊州と関羽を失ったのは蜀にとっては痛かった…
その後、夷陵でダメ押し
魏諷の反乱はあえて先権の名族(跡で反乱起こすかもしれない漢の時代から名家)を処分する為に見逃していた謀略に感じたがな。
正史の方が面白い気がしてきた。
関羽を三國無双とかで最初に知って関羽が戦死した時は、悲劇的だなぁと思ってたけど色々と関羽もやらかしてんだなぁ……
うp主も言っているとおり、この動画もうぷ主の主観に基づいているから鵜呑みにせずに自分で正史を読むのが一番ですよ
ナムコ三国志中原の覇者のセリフ、懐かしい^^関羽がこれ言った時はガッツポーズしたもんだ^^
捕虜を食べたらよかったんじゃないのー 蜀の連中は昔から人肉料理上手だし
ふと思ったんだけど、このあと関羽を処刑しないで身柄を交渉の材料に使ったら(蜀へのさらなる譲歩or関羽欲しがってる曹操に売る[蜀のヘイトを魏にさしむける])ことしてたら夷稜の戦い起きなくて歴史変わってたのかなぁ?
ここから関羽の弔い合戦に焦る張飛と劉備が続けざまに散り、諸葛亮の章に入る(劉備は、占い老人のフラグをちゃんと回収して白帝城で死去 ・・・)メッチャ面白かったです 三国志なつかしい演義しか知らんのだが違和感なかった この辺りは正史とほぼ同じとの理解でおK?あと、荊州って呉から借りてて、「蜀取ったら返す(汗) ほんとだお!」って言い続けて結局蜀取った後でも居座ってたんじゃなかったっけか 演義での話だけど
やはり荊州方面にも優秀な軍師がほしかったですね!龐統がいないのがホントいたいw
名将(ドMの変態)
8:40 ここですね。
関羽の第1優先すべきは荊州北部奪取魏軍撃破ではなく荊州を確保しておくことだったはず荊州を確保しているからこそ魏呉への牽制、外交カードにもなる
関羽が白起みたいに投降兵全員殺してたら樊城落ちてたかもしれないのか
関羽にきちんとしたフォローや助言出来る人材をくっつけておかなかった。劉備陣営のミスかなと
関羽を諫められる人間が当時、劉備以外に居たのだろうか・・・
せめて徐庶がいればねぇ。龐統も死んだ後だし関羽を説得できそうなのは孔明くらいしかいないんだよなぁ。張飛の制御も同じ。
劉備以外なら>張飛
関羽は本当に傲慢でしたね。実はこの時劉備とも険悪になっていたという話もあるし、誰をつけていても難しかったかも。高齢になると一般的にも柔軟性が欠如していく‥
魯粛が生きていればこんなことにはならなかった。合肥の戦いで大敗北して呉の中で魏との因縁がすごかった時に陸遜の甘言に踊らされて荊州方面に進軍、無駄に敵を作り後に陸遜と孫権は軍政で揉めて弱体化した。
万の兵を指揮する将器は英雄の気風とはまた別の能力なんかもねほかのコメにもあるけど、子供のころは関羽の悲しい死がつらくてこのあたりで三国志読むのやめてたけど、大人になると関羽のマイナス面がわかってきて、必然の敗北だったんだなと思う。でも、関羽は大好きだよ!
16:24の関羽5000出撃のとこで丁度はいった広告、ドイツ軍超々重戦車ラーテに1発で破壊されるシーンでした ^^これも神意ですかね ^^^ 毎回わかりやすくて長編でも苦にならずに視聴させていただいております。
まさかの物量オチとは…
関羽…www けっこう、凄いと思って居たんだけど、間抜け?だったんだ…。糧食が無くなって、他人の土地で掠奪すれば、後々、反撃されるのは当然だよね。
関羽に限らず「現地調達」は当時の常識だけどな
@@horatii_and_curiatii 流石に同盟国の土地でやるのは頭おかしい通り越してキチガイだわ、しかももう1つの大国と絶賛戦争中にだぞ
当時劉備と孫権の関係はすでに一触即発状態だし、周瑜が生きている頃から隙あらば呉が荊州を奪おうとしていたのも関羽は知っているはずなのに、何が起爆剤となるか分からない状況で侵攻の口実を作るような行為に及んだのは関羽の落ち度と言わざるを得ない。荊州の官民も決して関羽に心服していたわけじゃないしね。
関羽なら5000で十万を破れる。そう思っていた頃が私にもありました。
合従の文化って最後は抗日民族統一戦線まであったんよなぁ笑
略奪するときに、逃亡魏兵として変装させてやれば良かったかな。捕虜居たんだし、簡単だったろうに…。いずれバレるだろうがね。あからさまにやったら…まぁ、結果知ってるからってのもありますがね。もう少し知恵を出してれば…残念だよね。
まぁ、一番のミスは関羽の戦略ミスだと思うけどな。曹操本軍挟撃プランやけど、それが不可能だし。劉備本軍も漢中取ったばっか、(益州制覇直後)で動きが取れないうえに、魏侵攻は本軍と相談なしに勝手にやってるから、それに合わせろってのは勝手すぎる。
孫権役レミリアよりフランの方が良いと少し思ったお。
日本の今の政治もそうだけど、あの時お前もああしたやないか~、で合従が崩れていく。
関羽は目上には礼を尽くしたが、目下には傲慢なとこがあったようだ それが、味方の寝返りとなったのだろう・・
あれ?これ張飛のことでは?
合従連衡も、画像で見ると感じ変わるなぁ〜。感心しました。五月蝿いのを除いて。
博覧強記のUP主さんに解説願いたいのですが、先ず「龐統」の存在は早々に消えました。落鳳破で死んだのは演技の脚色でしょう。大体、蜀と寒中攻略戦の軍師は法正だったらしいのですが、その辺の記述は殆どありません。多分法正は謀略で的に龐統の容姿を知らせて早々に殺したと思います。漢中制圧後、第一の功労は法正となり、諸葛亮孔明も叱責できなかったと言います。また、この時に蜀の最大権力者となった法正は、過去に恨みに思った蜀の高官からの略奪や刃傷沙汰が絶えなくて、諸葛亮孔明に訴えても「彼は蜀を手に入れた第一の功労がある」と取り合っては貰えませんでした。恐らく、荊州関羽王国に様になっていたので、コチラに、過去の蜀の高官が相当逃げてきたのだと思います。恐らく、諸葛亮孔明の取り仕切る、漢中王の宣言は「法正が何らかの死」があった後の事でしょう。何故なら法正が居ると百官の招集が出来ないからです。となると、樊城の戦い以前に、この大要人移動が発生して、荊州の官僚の動きが悪くなった。人手不足で…。となると、このストーリーは又別の色合いを持つだろうと思いますが、如何でしょうか?ちなみに夷陵の戦いで至急の使者が来たと孔明か劉備が聞いた時に「ああ、法正が生きていれば」と言ったとか?
劉備の益州攻略時に法正が劉備軍に不利益な事をするとは思えません。法正は劉備に内通して益州に迎え入れようとしていた訳ですから。法正が漢中争奪戦の際に劉備陣営の中で高位にいたのと、彼の素行が悪かったのは間違いないでしょうが。。。だからと言って諸葛孔明はともかく、劉備の意思決定を阻害するほどの影響力を持つというのも考えにくいと思います(この時の劉備は会社で言えば創業社長、松下幸之助みたいなもので権力/能力共に絶大です)。そもそも法正が劉備の意向に背く理由もないでしょう。正史やそれに近い文献などにそういった記述があれば別ですが、ないのであれば普通に病死したと考えるのが自然だと思います。ただ、さほどの実戦経験もないのに魏軍に勝つという事は並大抵の才能ではなく、こと軍事において法生が劉備陣営内で大きな影響力を持っていたのは間違いないと思います。夷陵の際に法正が生きていたら歴史が変わっていた可能性があるのは自分も同感です。
@@ShintoSyugeki 早速の返信感謝致します。ご意見ごもっともです。
孫権の娘との婚姻話を関羽が侮辱付きで断ったというのは、三国志演義の創作です。そんな外交関係の話があったとして、関羽が劉備と相談をしないというのは不自然極まりないです。ただ、歴史小説の内容が史実としてまかり通っているのは三国志演義の魅力ではあります。
備中高松城もニニ六事件もこの後の時代の出来事だから関羽達が知ってるのはおかしい。(笑)
なるほど糜芳が首を切られた理由はこれか…。
もちろんやらかしてるからしょうがない部分もあるけど、こういう後世の時代から「神の視点」で見て当時の人間をバカ扱いするのは好きじゃないな関羽にも落ち度はあるけど、そもそもどんな理由であれ味方を裏切る糜芳が圧倒的に義に悖ると思いますがね
于禁の降伏は最初から兵糧狙いの作戦だったら面白いな。創作物だと結構多いけど。
YO SM 後に于禁を冷遇した曹丕が無能になってしまう
貴方の言う「最初」がどこからの事を指してるか知らないけど、いくら何でも降伏するために出陣したわけは無いだろうとは思うぞ?進退窮し捕まった于禁が大人しく降伏すれば殺さない関羽の気性を理解したうえで、ただ処刑されるくらいならこういう策で少しでも魏に有利になるよう動こうと付け込んだと見るのが自然では?
関羽の性格もあるだろうが、そこは案外偶然だったりして。さすがに于禁ほどの名将を曹操が計略目的で容易く手放すことはしないだろうし、関羽も初戦の戦況がもっと拮抗していたら余裕ぶっこいたりはしなかったはずだし。
樊城戦で負けたのと、占領されて討ち死にしたのはぶっちゃけ全く別もんだよね呉が裏切って攻め込んでくることまで想定してたら、そもそもなんもできないし結局この後、呉も滅んでるしでなにやってんだかっていう、呉が動くのはここではなかった
情報は凄いのですが、兎に角聞き難い。勘弁して欲しいぐらい五月蝿い。ただ、許昌とかで氾濫が起きていたと走りませんでした。聞きやすかったらもっと視聴されるでしょう。マジ頭が痛い。
もう慣れた。
どう聞きづらいのか具体的説明もなく、ただただ不平不満だけ言って人の気分を悪くさせるクレーマーは見なければ良いと思います。
勘弁して欲しいぐらい五月蝿い、と言う割にいくつも別コメ残すんですねマジ見づらい
于禁やっぱり戦略的降伏なんかな
曹丕からの侮辱を受けての憤死説も
後世の創作らしいし
内政向けの軍神
この時の徐晃の軍は新兵を含めた寄せ集めの軍勢だったらしいので、魏国も相当堪えていたと思われます
孫子の兵法を細切れの文ではなく体系づけて解説しただけではなく、このように実例まできちんと提出してくれる本解説シリーズは稀有な出来だと思います。すごい面白いです。
「李衛公問対」 (武経七書のひとつ) を読むことを、オススメする。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%A1%9B%E5%85%AC%E5%95%8F%E5%AF%BE
何かの漫画で、関羽が樊城包囲してる報せを劉備が聞いて、「包囲している兵力はいどれくらいだ?5万か?10万か?」伝令「いえ、15万の大大軍です!」劉備「では、荊州の守りは5万だけではないか!」と青ざめるシーンがあったな。
それ多分ユダヤの有名な小咄「商家の当主がいよいよ臨終を迎える事になった。曰く『妻はいるか?』『ここにいます』『長男はいるか?』『ここにいます』『次男は?』『おります』『三男は??』『はい。ここに』。ここで当主、危篤の体に鞭打って体を起こして曰く『じゃあ誰が店番をしているんだ!?』と激怒したという」の流用だと思う笑
何年か前のタワマンは正に水攻め受けた城の体成してたんでしょうな、住民も発狂して士気というかモラル駄々下がりしてたし。泥下水攻めうぇぇい
やっぱり陸遜はここで荊州奪取にこだわるべきではなかったと思うんだよなぁ。
どのみち蜀が天下を取るなんて考えられんわけだし、蜀と魏をより争わせ続ける方が得な気がする。
于禁「計画通り…」
”名将”と書いて”どMの変態”と読むの好き😗
将軍としては凄いかもしれんが、それだけだった関羽
荊州を任せた時点でいつかこうなってただろうね
戦術的なタイミングはバッチリだったんだけど、関羽の兵站の理解不足及び理想に溺れて人間を見てない雑な日頃の対人関係がモロに裏目に出た戦、張飛もだけど1武将なら有能だけど大将は無理。
関羽を敗走させた徐晃の知名度はもっと上がっていい。プライベートでは関羽と親交あって人格的にも清廉で公正な人だし
徐晃の援軍は最初5万プラス小出しに5万の兵力ですねちなみに徐晃は宛城に駐屯していて最初の5万は反乱を起こして鎮圧された場所で徴収された新兵とみられてます。
この動画を見て、関羽が死ぬとき何が起こったかをよく考えてみたら
酔っ払って、パワハラして、結果徐州を失った張飛のやらかしってのが演義にありましたよね
あれよりひどいやらかし、ですよねこれ、、、ってか、
張飛のやらかし演義のネタの、元ネタ、ってコレな気がしてきた
兵站の解説動画を見た後でこれ見ると
「そんな所で城攻めすんな」って幻聴が聞こえてくるw
政治指針(目標.ゴール)と、その構成要件(ゴールを支える柱)である戦略とそれに伴う広域戦術と具体的手段である局地戦域戦術(構成要件を達成するための具体的手段.テクニック)と全体の要である兵站を、なるべく分け且つ解りやすく解説しているところが素晴らしい動画だと思います!
兵学書では概念として、何となくあやふやな思想のような形で政治や戦略.戦術を記して解説をしていますが
政治と兵站と戦略と戦術そのものを、ハッキリと明確にし、明確な名称の元に項目立てて解説したものは近代以降になるので、なかなかお目にかかるものではなく興味深く面白かったです
主卿は、ものすごく勉強なさった方なのでしょう
劉備に物を貸したら返って来ないという意味の諺が中国にありますな…。
関羽は素で借りたつもりでも…略奪ですな。
やはり大将は、自分の欠点を補ってくれる配下を側に置かないとダメですね。そういう意味で、劉備とか初期の孫権は凄かったと思います。于禁軍は武器だけ剥奪して曹操に返し、龐徳を蜀に連れ帰ってたらだいぶ違ってたんでしょうなぁ
やせ我慢する神奈子も「わあい」のでぶもなんかかわいい。
陸遜が隙を見て襲ってきたイメージなんだが
同盟国から略奪したらそりゃやられるわか
関羽どうこう言うよりも、孫呉がどうするつもりだったのかが演義しか知らないと混乱しましたね、劉備から攻められないと思っていたのか?弱者で喰い合ってどうするつもり?ってね挙げ句に首を魏に送ってるし…
実際は、少なくとも三回、合従軍は結成されている。
白起さんが穴埋めばっかりしてる最大の理由は、捕虜にしても飯を食わせられないからだからな。
23:45 ナムコの三国志のセリフじゃんw
徐晃さんは横山三國志では、いつも戦斧で戦っていたな。あれは何故なんだ。
関羽の娘と孫権の息子で政略結婚してりゃあ勝ちは確定だったんじゃないの?関羽さんよぉ
でも関羽はここで死んでよかったと思う。
歴史は変わることはないんだし、死に時としては最高の死に所だった。
なんせ「関帝」として皇帝以上の地位で敬われているんだから。
あさりよしとう先生の「宇宙家族カールビンソン」で古代中国の麻酔として囲碁に集中するってのを知ったけど、マジだったんだなw
調べればわかるけど、魏も呉も関羽を倒すために質の面でも量の面でも出来うる最高のレベルを持って当たってるんだから関羽がどれだけ警戒されてたかよくわかるな。
そして今この戦いの結果によって呉と蜀に勝ち目が消えた戦いでもあるな。
宴会の途中なのは、酒を麻酔代わりにしてるのかも?
血行良くなって血がドバドバ出そうな気もするけど
歴史にIFはないけど、関羽の相手が曹仁でなければ樊城だっておちてただろうし、呂蒙でなければ追い詰められることなどなかった。まさに天下の名将関羽の暴風のような猛攻があってそれに踏みとどまったもまた、天下の名将曹仁。そして関羽から荊州を奪い取り、追い詰めて殺したのもまた天下の名将呂蒙。すさまじい緊張感の中での三国の名将同士の譲れない熱き戦いで、誰が誰にも勝るとも劣ってもいなかったんだな。
于禁、いいポジションじゃないか。
華陀膏って言う膏薬があって、
あれが今でも1番効くって針灸師から聞いた事がある。
コツは垢が出る位の気持ちで擦り込むらしい。
青ノウ書には一体何が書いてあったのか?
本当に気になって仕方ない。
【悲報】関羽力尽きる。
関羽が略奪してたなんてこの動画を見て初めて知った・・・
そもそも当時「現地調達」やっていない軍人なんていないでしょうw
世界の古代中世の戦史軍史動画にハマってます、がんばってください!>w<
210年代の魏は本当頑張ったな
合肥も負けてたらやばかったし
幼い頃関羽が死んでしまうところを読んだ時悲しくて泣きそうになって孫権サイテーって思ったけど。
まあ、大人になって振り返ってみると関羽の良い面だけじゃなくて悪い面も見れるわけで、勉強になります。
ようは関羽のスタンドプレーだったってことよ
ゆっくり戦線を上げて、襄陽で一度止まってたらまた違ったかもね
絶対関羽殺したのは間違い。
気持ちも分かるけどさぁ
ここで荊州と関羽を失ったのは蜀にとっては痛かった…
その後、夷陵でダメ押し
魏諷の反乱はあえて先権の名族(跡で反乱起こすかもしれない漢の時代から名家)を処分する為に見逃していた謀略に感じたがな。
正史の方が面白い気がしてきた。
関羽を三國無双とかで最初に知って関羽が戦死した時は、悲劇的だなぁと思ってたけど
色々と関羽もやらかしてんだなぁ……
うp主も言っているとおり、この動画もうぷ主の主観に基づいているから鵜呑みにせずに自分で正史を読むのが一番ですよ
ナムコ三国志中原の覇者のセリフ、懐かしい^^
関羽がこれ言った時はガッツポーズしたもんだ^^
捕虜を食べたらよかったんじゃないのー 蜀の連中は昔から人肉料理上手だし
ふと思ったんだけど、このあと関羽を処刑しないで身柄を交渉の材料に使ったら(蜀へのさらなる譲歩or関羽欲しがってる曹操に売る[蜀のヘイトを魏にさしむける])ことしてたら夷稜の戦い起きなくて歴史変わってたのかなぁ?
ここから関羽の弔い合戦に焦る張飛と劉備が続けざまに散り、諸葛亮の章に入る
(劉備は、占い老人のフラグをちゃんと回収して白帝城で死去 ・・・)
メッチャ面白かったです 三国志なつかしい
演義しか知らんのだが違和感なかった この辺りは正史とほぼ同じとの理解でおK?
あと、荊州って呉から借りてて、「蜀取ったら返す(汗) ほんとだお!」って言い続けて結局蜀取った後でも居座ってたんじゃなかったっけか 演義での話だけど
やはり荊州方面にも優秀な軍師がほしかったですね!龐統がいないのがホントいたいw
名将(ドMの変態)
8:40 ここですね。
関羽の第1優先すべきは荊州北部奪取魏軍撃破ではなく荊州を確保しておくことだったはず
荊州を確保しているからこそ魏呉への牽制、外交カードにもなる
関羽が白起みたいに投降兵全員殺してたら樊城落ちてたかもしれないのか
関羽にきちんとしたフォローや助言出来る人材をくっつけておかなかった。劉備陣営のミスかなと
関羽を諫められる人間が当時、劉備以外に居たのだろうか・・・
せめて徐庶がいればねぇ。龐統も死んだ後だし関羽を説得できそうなのは孔明くらいしかいないんだよなぁ。張飛の制御も同じ。
劉備以外なら>張飛
関羽は本当に傲慢でしたね。
実はこの時劉備とも険悪になっていたという話もあるし、誰をつけていても難しかったかも。高齢になると一般的にも柔軟性が欠如していく‥
魯粛が生きていればこんなことにはならなかった。合肥の戦いで大敗北して呉の中で魏との因縁がすごかった時に陸遜の甘言に踊らされて荊州方面に進軍、無駄に敵を作り後に陸遜と孫権は軍政で揉めて弱体化した。
万の兵を指揮する将器は英雄の気風とはまた別の能力なんかもね
ほかのコメにもあるけど、子供のころは関羽の悲しい死がつらくて
このあたりで三国志読むのやめてたけど、大人になると関羽のマイナス面が
わかってきて、必然の敗北だったんだなと思う。
でも、関羽は大好きだよ!
16:24の関羽5000出撃のとこで丁度はいった広告、ドイツ軍超々重戦車ラーテに1発で破壊されるシーンでした ^^
これも神意ですかね ^^^ 毎回わかりやすくて長編でも苦にならずに視聴させていただいております。
まさかの物量オチとは…
関羽…www けっこう、凄いと思って居たんだけど、間抜け?だったんだ…。
糧食が無くなって、他人の土地で掠奪すれば、後々、反撃されるのは当然だよね。
関羽に限らず「現地調達」は当時の常識だけどな
@@horatii_and_curiatii 流石に同盟国の土地でやるのは頭おかしい通り越してキチガイだわ、しかももう1つの大国と絶賛戦争中にだぞ
当時劉備と孫権の関係はすでに一触即発状態だし、周瑜が生きている頃から隙あらば呉が荊州を奪おうとしていたのも関羽は知っているはずなのに、何が起爆剤となるか分からない状況で侵攻の口実を作るような行為に及んだのは関羽の落ち度と言わざるを得ない。荊州の官民も決して関羽に心服していたわけじゃないしね。
関羽なら5000で十万を破れる。そう思っていた頃が私にもありました。
合従の文化って最後は抗日民族統一戦線まであったんよなぁ笑
略奪するときに、逃亡魏兵として変装させてやれば良かったかな。
捕虜居たんだし、簡単だったろうに…。
いずれバレるだろうがね。
あからさまにやったら…まぁ、結果知ってるからってのもありますがね。
もう少し知恵を出してれば…残念だよね。
まぁ、一番のミスは関羽の戦略ミスだと思うけどな。
曹操本軍挟撃プランやけど、それが不可能だし。
劉備本軍も漢中取ったばっか、(益州制覇直後)で動きが取れないうえに、
魏侵攻は本軍と相談なしに勝手にやってるから、
それに合わせろってのは勝手すぎる。
孫権役レミリアよりフランの方が良いと少し思ったお。
日本の今の政治もそうだけど、
あの時お前もああしたやないか~、で合従が崩れていく。
関羽は目上には礼を尽くしたが、目下には傲慢なとこがあったようだ それが、味方の寝返りとなったのだろう・・
あれ?これ張飛のことでは?
合従連衡も、画像で見ると感じ変わるなぁ〜。感心しました。五月蝿いのを除いて。
博覧強記のUP主さんに解説願いたいのですが、先ず「龐統」の存在は早々に消えました。落鳳破で死んだのは演技の脚色でしょう。大体、蜀と寒中攻略戦の軍師は法正だったらしいのですが、その辺の記述は殆どありません。多分法正は謀略で的に龐統の容姿を知らせて早々に殺したと思います。漢中制圧後、第一の功労は法正となり、諸葛亮孔明も叱責できなかったと言います。また、この時に蜀の最大権力者となった法正は、過去に恨みに思った蜀の高官からの略奪や刃傷沙汰が絶えなくて、諸葛亮孔明に訴えても「彼は蜀を手に入れた第一の功労がある」と取り合っては貰えませんでした。恐らく、荊州関羽王国に様になっていたので、コチラに、過去の蜀の高官が相当逃げてきたのだと思います。恐らく、諸葛亮孔明の取り仕切る、漢中王の宣言は「法正が何らかの死」があった後の事でしょう。何故なら法正が居ると百官の招集が出来ないからです。となると、樊城の戦い以前に、この大要人移動が発生して、荊州の官僚の動きが悪くなった。人手不足で…。となると、このストーリーは又別の色合いを持つだろうと思いますが、如何でしょうか?ちなみに夷陵の戦いで至急の使者が来たと孔明か劉備が聞いた時に「ああ、法正が生きていれば」と言ったとか?
劉備の益州攻略時に法正が劉備軍に不利益な事をするとは思えません。
法正は劉備に内通して益州に迎え入れようとしていた訳ですから。
法正が漢中争奪戦の際に劉備陣営の中で高位にいたのと、彼の素行が悪かったのは間違いないでしょうが。。。
だからと言って諸葛孔明はともかく、劉備の意思決定を阻害するほどの影響力を持つというのも考えにくいと思います(この時の劉備は会社で言えば創業社長、松下幸之助みたいなもので権力/能力共に絶大です)。
そもそも法正が劉備の意向に背く理由もないでしょう。
正史やそれに近い文献などにそういった記述があれば別ですが、ないのであれば普通に病死したと考えるのが自然だと思います。
ただ、さほどの実戦経験もないのに魏軍に勝つという事は並大抵の才能ではなく、こと軍事において法生が劉備陣営内で大きな影響力を持っていたのは間違いないと思います。
夷陵の際に法正が生きていたら歴史が変わっていた可能性があるのは自分も同感です。
@@ShintoSyugeki 早速の返信感謝致します。ご意見ごもっともです。
孫権の娘との婚姻話を関羽が侮辱付きで断ったというのは、三国志演義の創作です。
そんな外交関係の話があったとして、関羽が劉備と相談をしないというのは不自然極まりないです。
ただ、歴史小説の内容が史実としてまかり通っているのは三国志演義の魅力ではあります。
備中高松城もニニ六事件もこの後の時代の出来事だから関羽達が知ってるのはおかしい。(笑)
なるほど糜芳が首を切られた理由はこれか…。
もちろんやらかしてるからしょうがない部分もあるけど、こういう後世の時代から「神の視点」で見て当時の人間をバカ扱いするのは好きじゃないな
関羽にも落ち度はあるけど、そもそもどんな理由であれ味方を裏切る糜芳が圧倒的に義に悖ると思いますがね
于禁の降伏は最初から兵糧狙いの作戦だったら面白いな。創作物だと結構多いけど。
YO SM 後に于禁を冷遇した曹丕が無能になってしまう
貴方の言う「最初」がどこからの事を指してるか知らないけど、いくら何でも降伏するために出陣したわけは無いだろうとは思うぞ?進退窮し捕まった于禁が大人しく降伏すれば殺さない関羽の気性を理解したうえで、ただ処刑されるくらいならこういう策で少しでも魏に有利になるよう動こうと付け込んだと見るのが自然では?
関羽の性格もあるだろうが、そこは案外偶然だったりして。さすがに于禁ほどの名将を曹操が計略目的で容易く手放すことはしないだろうし、関羽も初戦の戦況がもっと拮抗していたら余裕ぶっこいたりはしなかったはずだし。
樊城戦で負けたのと、占領されて討ち死にしたのはぶっちゃけ全く別もんだよね
呉が裏切って攻め込んでくることまで想定してたら、そもそもなんもできないし
結局この後、呉も滅んでるしでなにやってんだかっていう、呉が動くのはここではなかった
情報は凄いのですが、兎に角聞き難い。勘弁して欲しいぐらい五月蝿い。ただ、許昌とかで氾濫が起きていたと走りませんでした。聞きやすかったらもっと視聴されるでしょう。マジ頭が痛い。
もう慣れた。
どう聞きづらいのか具体的説明もなく、ただただ不平不満だけ言って人の気分を悪くさせるクレーマーは見なければ良いと思います。
勘弁して欲しいぐらい五月蝿い、と言う割に
いくつも別コメ残すんですね
マジ見づらい