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結果が全て。広岡はどこに行っても優勝した。プロ中のプロ。
ですねーッ
しかも、当時セパ両リーグのお荷物球団を日本一まで導いてる。やっぱりすごいですよ!厳しくても、だめなものをハッキリだめという姿勢も尊敬してます。職場の上司でいれば最高だと思いますが。
クールなイメージかありませんでした。広岡さん
82年ドラゴンズ倒して、83年ジャイアンツを倒して二年連続日本一 あの年は、どちらが勝手もおかしくなく 見事な勝利でした。84年確か、阪急が優勝85年タイガースと敗れました。やはり広岡達朗さんの意識改革見事です。功績は大きい 石毛宏典 辻発彦 秋山幸二 伊東勤 渡辺久信 工藤公康 育てました。他にもおられますが 皆素晴らしい選手指導者です。
広岡、森のV9メンバーなのに西武で監督するのが西武らしいしその後の西武メンバー達が各球団で監督されてるのがまた素晴らしい
巨人時代の広岡さんにあこがれ、巨人を追われてからヤクルト・神宮、そして西部・所沢球場に通い詰めた、若き日の応援遍歴の日々が走馬灯のように蘇ります、石毛選手や田淵選手、太田選手や東尾選手、そして工藤選手やテリ-など枚挙にいとまがありません。西武がかつての輝きを取り戻すことを願ってやみません。
現在40代後半のプロ野球ファンです。あの西武黄金時代の話、なつかしく、感動して視聴しました。広岡監督の裏話、最高です。本当に強かった!
江川さんと西本さんを相手に大奮闘。石毛さん、素晴らしいですわ。
怪我を押しての敢闘賞。素晴らしいですわ。
勝つ野球はできるが観客を湧かす野球はできないと揶揄されましたが、両リーグで日本一になっていますから名将には間違いありません
森監督もですね。強いけど観客が喜ばない!
ユニフォームが一番似合っていたのは、広岡さんと石毛さんの2人。カッコよかったです。
選手の指導にライバルの必要性を上げてましたが、広岡監督にとっては連盟の盟主巨人が球団にとってのライバルだったのでしょうね。監督にとっては目先の勝ち負けより七試合を考えなければ日本シリーズは、制覇できませんものね。追い込まれたときに明日から西武球場に戻るから大丈夫といった言葉が当時は、わからなかったけどファイターズが北海道にフランチャイズを移したとき意味がわかりました(遅すぎるって❗)あの時代の野球は面白かった❗
広岡達朗監督は名将だと思います。選手に恵まれた事も大事な条件であり、名采配なら多士済々なるプロ野球の世界ですが、西武黄金時代の礎を築いた他にも選手権でヤクルトを初の日本一へ導きました。あの時の破った上田監督阪急は強かったですよ。
ぜひ、廣岡さんにも出演してもらえませんか?
56歳です。83年の巨人対西武の日本シリーズが史上最高だと思ってます。19歳の受験勉強中でしたが、このシリーズを見ていて血湧き肉躍るような毎日で興奮しテレビに齧り付いてました。巨人ファンでした。第6戦、中畑が杉本投手から逆転タイムリーを打って巨人の勝ちで決着と思いました。藤田監督はウィンドブレーカーを脱ぎ胴上げをされる準備をしてたと思います。私が1番印象深く釘付けになったのが、中畑に逆転タイムリーを打たれて絶体絶命の時も広岡監督が全く微動だにしていなかったことです。当時19歳ながらこの人の肝の据わり方に驚いたのです。最後は広岡監督の魂が勝たせたと思ってます。
二連覇達成後に出た、Number「広岡達朗 特集」は僕の宝物でした。表紙は斜め煽りの角度で撮った広岡監督。スッと立ち、虚空を見上げるその横顔が、痺れるようなカッコよさ。それ以上に感動したのがサブタイトルの【痛烈に生きる!】本当に監督の生きざまに、相応しい形容だと思います。基本を繰り返して、無意識に出来る迄、体に覚えさせる。変な癖をつけない様、迷ったら初心に戻る。人の言に左右されず、自分の感覚を信じる。語学習得、その他すべてに通じる、広岡達朗氏の説かれる三原則は僕にとっても、何かに取り組むときの三原則でもあります。
広岡監督の【意識革命のすすめ】【積極思想のすすめ】は今でも僕のバイブルです。
釈迦に説法ですが、、川上にいじめられ続けても野球を愛したのが、広岡さんや。
83年が一番面白いシリーズだな
広岡さんと森さんは、強いライオンズを築き上げた名監督と思います。巨人V9経験者
石毛さん ぜひ広岡さんをゲストに呼んでください。
是非廣岡さんに出演して欲しいです。83年廣岡さんが王手かけられても余裕だったのは、中村天風さんの精神論や気功などを学んでいたからです。科学的理論全盛の今、廣岡さんのような厳しい人は大変貴重です。王さん長嶋さんのように当たり障りの無い事しか言わないのは物足りないです
広岡さんはやっぱり海軍軍人なんだよな
根本さんは、近鉄、広島、西武、ダイエーの監督を歴任し、優勝チームの礎を作りました。
広岡さんが監督に就任するまで、西武ライオンズは弱小チームであると認識していました。
広岡さんの前に根本監督が2年間選手を集め、基礎を造ったことで広岡さんはどう強くするかに専念できた。その手腕は選手からの反発もあったが、結果をだした!!その後ヤクルトでも!!「名将」と称える!!!
個人的に広岡は監督として森や原辰徳より遥かに格上だと思ってる。だから広岡が好きなようにプロ野球を辛口評論するのもまぁ仕方ないかなと。それぐらい偉大な監督かなと。
コーチ兼任監督なイメージです。教えるのも上手ですし。采配も、系統が一人一殺など、斬新なことをしましたし。
選手に玄米食えといって自分は痛風になった広岡さん最高。石毛さんぜひ指導者(ライオンズの監督)になってください。
人気者ではないですが、広岡監督は歴代最高の監督だと思っています。
その広岡野球に貢献したのが、セカンド辻だった!!いまでも最高の二塁手だと思います!!忘れもしないのが巨人に入るつもりでいた清原が裏切られ、桑田が巨人へ!!その巨人との日本シリーズ最終戦?9回2アウトで守備の清原は涙ぽろぽろ!!辻が駆け寄り何か一言!!西武優勝!!!!!忘れられない!
色んなOBの話を聞いていると広岡さんの評価って両極端ですよね。
でも文句言ったベテラン勢は監督は東尾さんしかしていないしかも彼は麻雀で書類送検、石毛さんが言った当時の残念がった若手秋山さん、伊東さん辻さん、工藤さん、渡辺さん、石毛さんらは監督にもなりましたからね、
@@フレアーリック 確か田淵も監督に。
83年の日本シリーズ第七戦、球場で友人と観戦していました。2-0巨人リードで迎えた七回裏、無死満塁からのテりーの走者一掃のツーベース!それまで三塁側で息をひそめていた私たちは、その瞬間はさすがに歓びを爆発させずにはいられなかった...睨みつける人が居る一方で、似たようにはしゃいでいる人たちもちらほら。この日は月曜日。本来の開催日である日曜日が雨天で順延になっていた。ダメ元で西武球場に行ったら、三塁側だけ辛うじて当日券が残っていたが、友人の手持ちも合わせて手持ちの紙幣はチケット代ですべてなくなってしまった。飲み物一本買えないなぁ、と思ってポケット探っていたら当時出回り始めていた500円玉が一枚だけポケットに入っていた。それで飲み物一本買って、一緒に観戦していた友人と分け合って飲んだのも良い思い出。テリー、胴上げのかかった試合ではやたら頼りになった記憶がある。私の中ではデストラーデと双璧の西武歴代外国人打者です。
広岡監督は、あのお荷物球団、ジャイアンツ予備軍のスワローズを優勝させたって事で名監督。
2球団優勝させれば名将だよ。原は他球団を優勝させない限り名将とは呼ばれないかも?
ビリッカス球団を日本一にさせて真の名将です。
原さんにはそんな能力は無いでしょう。
この日本シリーズ。休み時間ごとに、小学校のテレビを(勝手に)付けて男子たちと見てました。とても共感した動画でした✨✨ 当時巨人ファンでしたが、石毛さんカッコ良かったです。
ヒロオカは采配力で、ボーヤは選手力で名将に、タツノリはFAで迷将になった。
批判は人間性とか。けど厳しくないと勝てないもの。
石毛さんの弟弟子とも言えるソフトバンク工藤公康監督が「僕のやり方は広岡さんの管理野球をアレンジしたもの」と公言していますからプロ野球史上最高の指導者は広岡達朗ということでいいんじゃないでしょうか!
えぇそうなのか。結構意外(笑)どっちかと言うと絡みはないけど落合監督なんかキャンプでの練習とかは影響受けてそうな感じがする。
工藤だけは広岡さんの教えを忠実に守ったから50歳近くまで現役を続けられたと思います。
1983年は、最後は金森さんが、よくわからない顔しながら、万歳していた。山崎さんも大事なところで打って。クルーズ選手の守備位置がなあって思いました。さよならが多いシリーズだったです。あの時、テリー選手が9回に凡打してアウトになった時、巨人軍の優勝を祝う準備をしていたんです。でも山崎さん、片平さん、鈴木葉留彦さんと続いて、石毛さんが同点打を打って、巨人軍の優勝準備は中断。あの年はとても嬉しかった。
当日、リアルタイムでスタンドから観ていました。とても懐かしいお話いつもありがとうございます。
こんにちは、動画を拝見させて頂きました。私は、広岡さんのファンです、広岡さんの本を読んでからは、なおさらです。石毛さん始め当時の選手の皆さんは大変でしたが広岡さんは、選手にモチベーションを与え続けていましたよね。広岡さんを尊敬します。失礼します。
山崎裕之さんの出演希望です。あれだけの実績がおありなのに、語られる機会が少ないと思います。
やっぱり巨人軍って 成績関係なく 目標にされる デカイ球団なんだな……
もちろん名将です。広島、ヤクルトそして西武とコーチ・監督を務めて発展途上だった選手を育て、弱かったチームを強くして来た実績はもっと評価しても良いと思う。
選手もどうなるかわからないというハラハラドキドキするシリーズ好きですカラオケ戦術すごいですね‼️ええ話や
やはり野球だけではなく人生の哲学を深く修得した方が監督なのには素晴らしいですね😉まあ古田監督、高橋由伸監督、そして石毛監督見たいです❗
私が西武ファンになったきっかけは1983年の巨人ー西武の日本シリーズでした。石毛さんは広岡さんが辞任した時はまだ若かったから思考の柔軟性ってあったのでしょう。ベテランたちは、広岡さんの功績も知っているけど、昔の体に染みついてしまった悪い習慣が抜き切れていなかったのでしょうね。1985年は西武にとって厄年だったのでしょうか?
1985年は4番に田淵幸一さんが引退していなかったので、確か外国人のステイーブ4番で、中日から来た田尾選手が3番打者としては線が細かったし、秋山幸二さんが若僧で打者として完成されておらず、1982年、1983年に比べて打線に重量感がなかったので、私は直感的に西武が巻けると思った。
@@赤松繁-n8k よく優勝できたなという感じでしたね。あげくに、郭さんが日本シリーズに出れなかった。スティーブさんはいい選手だったと思うけど、西武に必要だったのはホームランを打てる選手だったのでしょう。手放してもったいないなあ。
石毛さん、今度は広岡達朗さんをゲストで呼んで下さい‼️
もう2〜3年、広岡監督だったらいい意味で清原も違ってかも?
広岡と清原は丁度入れ替わりなんですよね。せめて、1年でいいから広岡と清原が野球をしてたら・・・
特別扱いしませんからね。それに広岡さんは、秋山に対して、君は三振してもいいから思い切って振りなさいと指導したそうなので、清原もそうなってたかもしれませんね。
@@フローネ-c9x 三振してもいいから思いっきり振りなさい・・・三振を嫌うイメージがあったけど、長距離砲を育てるにはある程度の三振は目をつぶる方針なんですね。
@@フローネ-c9x 様 広岡さんが監督を続けていればクスリもやらなかったかもしれませんし、タイトルもとっていたでしょう。
ジャイアンツとのシリーズは、リアルタイムで見ていましたから、懐かしく思いだしました。
翌年の1986年は、2年連続三冠王を獲得した落合を押しのけてMVPを受賞したのが、石毛さんにとってキャリアハイではないかと勝手に思っております。
金森さんとの接触事故で膝を痛めた石毛さんは、その後遊撃手から三塁手にコンバートされることに成る。そして当時三塁手だった秋山幸二さんを外野手にコンバートした。お互い両者にとって此のコンバートはメリットの大きなものと成った。
中日ファンだが、83の日本Sは個人的に最高の頂上決戦だったと思う。
いつもありがとうございます!黄金期西武のファンの24歳です!石毛さんが駒澤大学時代、急遽登板したお話聞かせてください!
女性の方、誰なのか存じ上げませんが、「しびれますね~」とか「深いですね」とか、適当な相槌はいらない。それよりも、こらはスタッフが指示しないのが悪いと思うのだが、巨人戦、阪神戦の日本シリーズのダイジェストくらい予めこの女性に見せておくべき。それだけでこの動画がもう少し厚みのあるものになったと思う。
素晴らしいお話でした!疲労肩つろう、と言っている人もいましたが広岡さんが就任して最初のキャンプからピッチャーにバントの練習をさせていたのが印象的でした。もちろん日本シリーズようにです!素晴らしい監督ですよね。
西武での広岡達朗さんは根本陸夫さんとケンカして辞めたと聞いたことありました、広岡達朗さんは入れ換わりで入団した清原和博さんの1年目までは監督した方が良かったと感じました。
60年近く前、巨人がV9開始の前年くらいか、川上、広岡の確執は何回もスポーツ紙第一面での話題に。83年日本シリーズ巨人西武対決前、川上元監督は弟子の牧野コーチに絶対負けるなと叱咤。日本シリーズ開始前からこれは大変なことになるかと思ったが・・・・第6戦。大勝負中の大勝負。杉本投手ピンチになったが。・・・交替かと思ったが続投。何とかピンチ乗り切る。広岡監督身じろぎもせず淡々としていた。この勝負師としての度胸。素晴らしいと思った。高校野球では時折泣かせる場面あるが。高校野球以上の魂のこもった試合だった。広岡監督はまた巨人に戻り巨人の監督したかったんじゃないかな。
その通り。広岡さんにジャイアンツの監督をやってもらいたかった。
広岡さんを経営者で例えると事業再生のプロ経営者と言えると思います。ターンアラウンドマネージャーですね。森さんは、急成長して組織が売上に追いつかない企業を大企業へと導く銀行出身の中興の祖といったイメージです。名将にも色々なタイプがあり、企業やチームのステージにより、適性が異なります。森さんでさえ横浜の当時の緩い体質は改革できなかった。
選手には嫌われたようですが間違いなく偉大な指導者の一人ですよね。
石毛さん。広岡監督時代を詳しく話してくださり、ありがとうございます。「広岡野球=管理野球=選手を束縛、つまらない」みたいなイメージをメディアが植えつけていたように思います。広岡西武の頃に西武ファンだった私は、当時からそれが悔しくて悔しくて仕方がなかったです。石毛さんの言葉、そしてコメント欄の数々を見聞きして、やはり広岡さんは偉大な監督・名将であり、嫌っている人ばかりではないんだと知ることが出来ました。
現在の様なメジャーやFA、ネット情報が入る時代では廣岡達郎さんの管理野球は難しいかも知れませんが、あの強すぎる西武はやはり廣岡達郎監督あればですね。間違いなく名将です。
管理野球というのも こうすれば 選手寿命が伸びるよ というアドバイスに過ぎなかったと思う 冷酷なイメージになったのも巨人の嫌がらせ かも
廣岡さんはアマチュア、草野球、少年野球のコーチはされないのでしょうか?グラウンドでもっと輝いて欲しいですね。
このシリーズ、西武が逆王手をかけたのは第6戦ですし、84年のパ優勝は確か阪急では。
高木豊さんのチャンネルに広岡さんがゲスト出演します。高木さんのチャンネルに出るのに、何故石毛さんは先を越されてしまったですか?御年89歳になる広岡さんのお話を後世に残すのは石毛さんの役目でもあると思います。後悔する前に広岡さんのゲスト出演を実現させてください。
83年のシリーズは藤田監督の采配ミスに助けられた面はある。あの第6戦、リリーフに西本でなく江川だったら巨人が日本一だったと思う。あのシリーズの一番のターニングポイントだった。85年は石毛さんが後に言ってたが阪神に王手をかけられた時広岡さんの頭の中に2年前のシリーズが蘇りまだまだやれるという隙が生まれたと。あと聞き手はもっと野球の分かる人を置いて欲しい
いつも感謝でありがとうございます☀
1983の日本シリーズは史上最高。西本大車輪、中畑勝負強さ、田淵芸術的本塁打、大田卓司打ちまくりシリーズ男…。ほかにも挙げればキリがないほど個性・魅力あふれる選手たちの、そして広岡・藤田両将の、実に高次元ハイレベルな大死闘でした。6戦の西本リリーフについていろいろ議論があるようだけど、稲尾・杉浦の時代ほどじゃないにしろ、日本シリーズってのはそのときにいちばんいい投手が先発・リリーフで大車輪奮戦するのが常だったわけで。そんでまさに西本でやられたら仕方ないってことで、俺は6戦の西本抑え起用(藤田采配)、賛成です。まして江川は第4戦で肉離れしてるんすよね。…さて、それと、言いたい。「日本シリーズは、昼間に、屋外でやるものです。それこそ我が国の伝統文化なのです」。
おっしゃる通りですね。特に大田選手はすごかったです。
9:08負けたチームで1番頑張った人が敢闘賞05のある意味伝説の33-4の日本シリーズ全く良い所無しで負けた阪神、敢闘賞誰が貰ったっけ?
今の監督です😳
痛風はアスリートや中間管理職にも多い病気だそうですまあ、色々と制約を受けていた選手たちから批判が出るのは理解はできますが、病気への誤解もあると思いますね広岡さんの姿を見ていると選手時代からまったくスタイルも変わってないですし、それほど贅沢をされているようには見えませんから
広岡監督ご自身は「肉は好きだしよく食べる」と言ってます。また、当時は「肉を食べるなとは言ってない。バランスの良い食事を」と言ってたそうですが、当時の選手は「肉食うな! と言われた」と口を揃えてるので、ホントのところはどうなんでしょうね。
肉を食べたとしても最小限でしょう。勿論、酒は駄目だったでしょうね。
遺伝の要素も大きいみたいですしね。広岡さんの家系に痛風持ちの人がいたかはわかりませんが。
いつも楽しく拝見してます⁉️昔からライオンズファンです❗西武黄金時代から石毛さんのファンでした❗これからもライオンズ共々‼️😃✌️ミスターレオ石毛さんを応援します❗✨
今の時代こそ管理野球は必要だと思います!
森監督は1989年のオーナー報告がちょっとかわいそうだった
プロ野球熱い時代でした‼️
日本シリーズはやはりデーゲームで見たいですね。あの頃の雰囲気を思い出しました。
土日はデーゲームでいいかな、と思っている
屋外とかだと晩秋近くの夜なんて寒くて怪我のリスクもありますからねリスク管理の観点からも土日だけでもデーゲームで良いと思います
石毛の2年目のキャンプだったと思うけど、就任したばかりの広岡監督が「石毛はへただなあ」といって自分でノックを受けたり、スライディングを見せたりしていたのを覚えてる。石毛は「ちょっと頭にきますけど、うまいんだから仕方ない」みたいなことを言ってた。
先を読んでいく力。別の言葉では、沈着冷静。指揮をする者には、その部分を求められるのだと、深く実感。
83年の日本シリーズは小学生でしたがよく覚えています。あのシリーズは凄いの一言では言い表せません。85年は第1戦で工藤さんが投げたカーブをバースがレフトスタンドにHRを打たれた時は愕然としました。これまで西武が出た日本シリーズで本当に「負けた!」と思ったのは85年だけです。他のは「ああ…負けた…」か「納得の負け…」です。確かに広岡さんは最後の最後に…ってのはありますが、石毛さんを始めとする多くの人を育てたことは紛れもない事実です。それは今のプロ野球界を見れば一目瞭然です。
そういえば、亡くなったノムさんもあまり広岡さんの事語らなかったね。
すぽるとで出た時に、プロ野球ベストナインの遊撃手に、迷った末と前置き付きではありましたが、広岡さんを選出されてましたね...。
本塁打も期待できる1番打者。石毛さんも真弓さんも楽しい選手でした。
広岡さん呼ばないの?
広岡さんと王さんの関係はどうだったんでしょうか?知りたいところです。
良好でした。王さんを指導したのは荒川さん、荒川さんを嫌いな川上さんに頭を下げて強く推薦したのが広岡さん、荒川さんは広岡さんの早稲田大の先輩です。後にヤクルトにて監督、コーチの間柄、王さんは早稲田(高)88年に王さん解任の時に巨人は広岡さんに監督要請しましたが王監督留任広岡コーチなら受けるといいましたが、結局藤田監督に決まりました。もし受諾していたら巨人広岡が誕生していたかもね、
@@フレアーリック ありがとうございます。巨人内部は良く知らないので助かりました。
学校をサボり行きましたよ、私は巨人ファンだったので金森の打球が目の前に、懐かしいなぁ
83年の日本シリーズは史上最高のシリーズだと思います。このシリーズ前、広岡監督はミーティングでどのような内容を話されたのか知りたいです。
84年は近鉄ではなく、阪急ですね。
石毛は何やかんや行って廣岡さんを認めているのだね。
85年の阪神は打線がとにかく凄かったと思います。真弓さん、バース、掛布、岡田の本塁打30本以上打っていた。石毛さんの話を聞いていますと、情報収集されていたんだと思いました。(私の周りの話で情報収集されてなかった的な事を聞いた為です。しかし、石毛さんの話にありました様に、阪神の投手は良くないという所が、結果論ですが西武が負けてしまったかもしれません…。)後、個人的に石毛さんの負傷した事も85年の西武日本一になれなかった原因もあるのかと感じています。石毛さんの存在がそれだけ大きいという事でそう思いました。
広岡、上田、西本は、名監督です。自分で考えろが多い指導者が多いなかで、手取り足取り教える指導者ですから。 だた、根本さんがいい選手を集めたのも大きいです。森さんがヘッドコーチとしてデータ分析をしたのも大きいです。83年のシリーズは存知あげませんが、巨人が江川、西本、の両エースがよかったのに対し、西武は、東尾を抑えに回したり、総合力と、采配がよかったのでしょうか。ただ巨人藤田さんも素晴らしいです。斎藤、槇原、香田、石毛、橋本、宮本、木田を育てました。広岡さんはカリスマ性があります。ONとは違った意味で。監督が焦ってたら選手に伝染します。
個人的には92年の対スワローズ戦が黄金期のライオンズの最高の名勝負だったと思いますが、83年の対ジャイアンツもシーソーゲームで名勝負と言われてますよね第6戦でしたか金森さんが江川さんから打ったサヨナラヒットで見せた歓喜のポーズは今でも目に焼き付いていますね
やっぱり日本シリーズはデーゲームですよね。せめて、土日だけでもデーゲームでやってほしいものです。雰囲気が良い。
秋晴れの西武球場ほど清々しいものはない
凄い監督とは思いますがベテランの田淵さんが監督と選手のパイプ役になり、いい選手を揃えた根本さんの手腕も大きいと思います。全部想像の世界ですが。。
野村克也さんが亡くなられて辛口評論家が広岡さんだけになってしまいました。今の評論家は、そのチームの監督、コーチ、選手に嫌われたくない忖度評論家ばかりで面白くありません。『石毛がぶった斬る!!』みたいなタイトルで𠮟咤激励型のyoutube番組を作れませんでしょうか?例えば阪神はいくら練習してもエラーが多いです。練習の仕方が悪い。基本になってないからだと思います。現コーチの久慈氏・藤本氏は才能のタイプの名手で基本が教えられてないのでは?と思っています。ぜひとも名手石毛さんからアドバイスをしてあげてぶった斬って欲しいです。宜しくお願い致します。
字幕訂正ですね^^ 伊藤→伊東
カラオケの話は、本人は無意識に口にしたと、著書で語っていました。
金森さんのサヨナラヒットは第6戦でしたね。
84年優勝は阪急や。
85年の、真弓バース、掛布、岡田は、ONが4人いるようなものです。西武が組織なのに対し、阪神は個人の能力で勝ったチームといえます。ただベテランが多い。 投手が弱い、大阪という人気があって、選手もたにまちに誘惑されてるという話も聞きます。それで、連覇できなかったのではと思います。
85年の対阪神は、三戦連続本塁打+左打者殺しの永射までも攻略したバースはもとより、弘田・福間の元ロッテ勢にやられましたね。
でも阪神って結局なんやかんやでいつも85年、85年しかないからねその後の西武を見れば、一目瞭然、日本一8回だからね、元祖管理野球の勝利です。
83年の日本シリーズは凄かった第6戦で巨人は西本で逃げきろうと焦りましたよね91年の広島も川口出して失敗当時の西武黄金期は粘り強さもありましたね第7戦に勝負強さを発揮する西武でした接戦に強く最後に勝つのは西武って感じでした5:48は84年のパ・リーグの優勝は近鉄ではなく阪急ですね84年の西武はリーグ優勝出来なかったけど、上手く世代交代進めて85年からのリーグ4連覇に繋がりましたね
同感。今まで見たプロ野球で最高に面白く手に汗握った。なかで第6戦が最高。
西本ではなく抑えの角でしょうね。
5:48優勝したのは近鉄では無く阪急ですね。1阪急 2ロッテ 3西武、近鉄はBクラスでした。
高校3年の時83年シリーズ観てました。第6戦中畑さんが逆転3ベースを打ったその時広岡監督は崖っ淵で椅子に座ってました。が最後のサヨナラすごい記憶に残ってます。
西本は温存しなきゃならないから,江川さんは自分が出て「絶対抑える!」と思っていたそうです。ところが驚愕の西本指名・・・
スティーブは一発長打こそ少ないものの月間打率5割という途方もない数字を出してましたね。
石毛さんが現役時代に監督された方との対談をお願いしたいですね😊広岡さん、森さんとの対談を期待したいです😉
広岡監督は巨人を倒してホッとしてしまったんでしょうか。最後の2年間にはいろいろと球団との不協和音、石毛さんも言われた”痛風事件”みたいなものや、何やかんやと噂を聞きましたが・・・まあ西武野球の基礎を作ったのは広岡監督で間違いないですね。石毛さんが金森選手と交錯してヒザを痛めたシーン、中継で見てました。痛そうだったですね。あれがなければショートからサードへのコンバートで秋山がセンターへ、田辺・清家といった若手がショートで競い合うということもなかったでしょう。ひょんなことから黄金時代のポジションが確立したわけですね。
結果が全て。広岡はどこに行っても優勝した。プロ中のプロ。
ですねーッ
しかも、当時セパ両リーグのお荷物球団を日本一まで導いてる。やっぱりすごいですよ!
厳しくても、だめなものをハッキリだめという姿勢も尊敬してます。職場の上司でいれば最高だと思いますが。
クールなイメージかありませんでした。広岡さん
82年ドラゴンズ倒して、83年ジャイアンツを倒して二年連続日本一 あの年は、どちらが勝手もおかしくなく 見事な勝利でした。84年確か、阪急が優勝85年タイガースと敗れました。やはり広岡達朗さんの意識改革見事です。功績は大きい 石毛宏典 辻発彦 秋山幸二 伊東勤 渡辺久信 工藤公康 育てました。他にもおられますが 皆素晴らしい選手指導者です。
広岡、森のV9メンバーなのに西武で監督するのが西武らしいし
その後の西武メンバー達が各球団で監督されてるのがまた素晴らしい
巨人時代の広岡さんにあこがれ、巨人を追われてからヤクルト・神宮、そして西部・所沢球場に通い詰めた、若き日の応援遍歴の日々が走馬灯のように蘇ります、石毛選手や田淵選手、太田選手や東尾選手、そして工藤選手やテリ-など枚挙にいとまがありません。西武がかつての輝きを取り戻すことを願ってやみません。
現在40代後半のプロ野球ファンです。あの西武黄金時代の話、なつかしく、感動して視聴しました。広岡監督の裏話、最高です。本当に強かった!
江川さんと西本さんを相手に大奮闘。石毛さん、素晴らしいですわ。
怪我を押しての敢闘賞。素晴らしいですわ。
勝つ野球はできるが観客を湧かす野球はできないと揶揄されましたが、両リーグで日本一になっていますから名将には間違いありません
森監督もですね。強いけど観客が喜ばない!
ユニフォームが一番似合っていたのは、広岡さんと石毛さんの2人。
カッコよかったです。
選手の指導にライバルの必要性を上げてましたが、広岡監督にとっては連盟の盟主巨人が球団にとってのライバルだったのでしょうね。監督にとっては目先の勝ち負けより七試合を考えなければ日本シリーズは、制覇できませんものね。追い込まれたときに明日から西武球場に戻るから大丈夫といった言葉が当時は、わからなかったけどファイターズが北海道にフランチャイズを移したとき意味がわかりました(遅すぎるって❗)あの時代の野球は面白かった❗
広岡達朗監督は名将だと思います。選手に恵まれた事も大事な条件であり、名采配なら多士済々なるプロ野球の世界ですが、西武黄金時代の礎を築いた他にも選手権でヤクルトを初の日本一へ導きました。あの時の破った上田監督阪急は強かったですよ。
ぜひ、廣岡さんにも出演してもらえませんか?
56歳です。83年の巨人対西武の日本シリーズが史上最高だと思ってます。19歳の受験勉強中でしたが、このシリーズを見ていて血湧き肉躍るような毎日で興奮しテレビに齧り付いてました。巨人ファンでした。第6戦、中畑が杉本投手から逆転タイムリーを打って巨人の勝ちで決着と思いました。藤田監督はウィンドブレーカーを脱ぎ胴上げをされる準備をしてたと思います。
私が1番印象深く釘付けになったのが、中畑に逆転タイムリーを打たれて絶体絶命の時も広岡監督が全く微動だにしていなかったことです。当時19歳ながらこの人の肝の据わり方に驚いたのです。最後は広岡監督の魂が勝たせたと思ってます。
二連覇達成後に出た、Number「広岡達朗 特集」は僕の宝物でした。表紙は斜め煽りの角度で撮った広岡監督。
スッと立ち、虚空を見上げるその横顔が、痺れるようなカッコよさ。
それ以上に感動したのがサブタイトルの【痛烈に生きる!】
本当に監督の生きざまに、相応しい形容だと思います。
基本を繰り返して、無意識に出来る迄、体に覚えさせる。
変な癖をつけない様、迷ったら初心に戻る。
人の言に左右されず、自分の感覚を信じる。
語学習得、その他すべてに通じる、広岡達朗氏の説かれる三原則は
僕にとっても、何かに取り組むときの三原則でもあります。
広岡監督の【意識革命のすすめ】【積極思想のすすめ】は今でも僕のバイブルです。
釈迦に説法ですが、、川上にいじめられ続けても野球を愛したのが、広岡さんや。
83年が一番面白いシリーズだな
広岡さんと森さんは、強いライオンズを築き上げた名監督と思います。巨人V9経験者
石毛さん ぜひ広岡さんをゲストに呼んでください。
是非廣岡さんに出演して欲しいです。83年廣岡さんが王手かけられても余裕だったのは、中村天風さんの精神論や気功などを学んでいたからです。科学的理論全盛の今、廣岡さんのような厳しい人は大変貴重です。王さん長嶋さんのように当たり障りの無い事しか言わないのは物足りないです
広岡さんはやっぱり海軍軍人なんだよな
根本さんは、近鉄、広島、西武、ダイエーの監督を歴任し、優勝チームの礎を作りました。
広岡さんが監督に就任するまで、西武ライオンズは弱小チームであると認識していました。
広岡さんの前に根本監督が2年間選手を集め、基礎を造ったことで広岡さんはどう強くするかに専念できた。その手腕は選手からの反発もあったが、結果をだした!!その後ヤクルトでも!!「名将」と称える!!!
個人的に広岡は監督として森や原辰徳より遥かに格上だと思ってる。だから広岡が好きなようにプロ野球を辛口評論するのもまぁ仕方ないかなと。それぐらい偉大な監督かなと。
コーチ兼任監督なイメージです。
教えるのも上手ですし。
采配も、系統が一人一殺など、斬新なことをしましたし。
選手に玄米食えといって自分は痛風になった広岡さん最高。石毛さんぜひ指導者(ライオンズの監督)になってください。
人気者ではないですが、広岡監督は歴代最高の監督だと思っています。
その広岡野球に貢献したのが、セカンド辻だった!!いまでも最高の二塁手だと思います!!忘れもしないのが巨人に入るつもりでいた清原が裏切られ、桑田が巨人へ!!その巨人との日本シリーズ最終戦?9回2アウトで守備の清原は涙ぽろぽろ!!辻が駆け寄り何か一言!!西武優勝!!!!!忘れられない!
色んなOBの話を聞いていると広岡さんの評価って両極端ですよね。
でも文句言ったベテラン勢は
監督は東尾さんしかしていない
しかも彼は麻雀で書類送検、
石毛さんが言った当時の残念がった若手
秋山さん、伊東さん辻さん、工藤さん、渡辺さん、石毛さんらは監督にもなりましたからね、
@@フレアーリック 確か田淵も監督に。
83年の日本シリーズ第七戦、
球場で友人と観戦していました。
2-0巨人リードで迎えた七回裏、無死満塁からのテりーの走者一掃のツーベース!
それまで三塁側で息をひそめていた私たちは、その瞬間はさすがに歓びを爆発させずにはいられなかった...
睨みつける人が居る一方で、似たようにはしゃいでいる人たちもちらほら。
この日は月曜日。本来の開催日である日曜日が雨天で順延になっていた。
ダメ元で西武球場に行ったら、三塁側だけ辛うじて当日券が残っていたが、
友人の手持ちも合わせて手持ちの紙幣はチケット代ですべてなくなってしまった。
飲み物一本買えないなぁ、と思ってポケット探っていたら当時出回り始めていた500円玉が一枚だけポケットに入っていた。
それで飲み物一本買って、一緒に観戦していた友人と分け合って飲んだのも良い思い出
。
テリー、胴上げのかかった試合ではやたら頼りになった記憶がある。
私の中ではデストラーデと双璧の西武歴代外国人打者です。
広岡監督は、あのお荷物球団、
ジャイアンツ予備軍の
スワローズを優勝させたって事で名監督。
2球団優勝させれば名将だよ。原は他球団を優勝させない限り名将とは呼ばれないかも?
ビリッカス球団を日本一にさせて真の名将です。
原さんにはそんな能力は無いでしょう。
この日本シリーズ。休み時間ごとに、小学校のテレビを(勝手に)付けて男子たちと見てました。とても共感した動画でした✨✨ 当時巨人ファンでしたが、石毛さんカッコ良かったです。
ヒロオカは采配力で、ボーヤは選手力で名将に、タツノリはFAで迷将になった。
批判は人間性とか。けど厳しくないと勝てないもの。
石毛さんの弟弟子とも言えるソフトバンク工藤公康監督が
「僕のやり方は広岡さんの管理野球をアレンジしたもの」と公言していますから
プロ野球史上最高の指導者は広岡達朗ということでいいんじゃないでしょうか!
えぇそうなのか。結構意外(笑)
どっちかと言うと絡みはないけど落合監督なんかキャンプでの練習とかは影響受けてそうな感じがする。
工藤だけは広岡さんの教えを忠実に守ったから50歳近くまで現役を続けられたと思います。
1983年は、最後は金森さんが、よくわからない顔しながら、万歳していた。山崎さんも大事なところで打って。クルーズ選手の守備位置がなあって思いました。さよならが多いシリーズだったです。
あの時、テリー選手が9回に凡打してアウトになった時、巨人軍の優勝を祝う準備をしていたんです。でも山崎さん、片平さん、鈴木葉留彦さんと続いて、石毛さんが同点打を打って、巨人軍の優勝準備は中断。あの年はとても嬉しかった。
当日、リアルタイムでスタンドから観ていました。とても懐かしいお話いつもありがとうございます。
こんにちは、動画を拝見させて頂きました。私は、広岡さんのファンです、広岡さんの本を読んでからは、なおさらです。石毛さん始め当時の選手の皆さんは大変でしたが広岡さんは、選手にモチベーションを与え続けていましたよね。広岡さんを尊敬します。失礼します。
山崎裕之さんの出演希望です。
あれだけの実績がおありなのに、語られる機会が少ないと思います。
やっぱり巨人軍って 成績関係なく 目標にされる デカイ球団なんだな……
もちろん名将です。
広島、ヤクルトそして西武とコーチ・監督を務めて発展途上だった選手を育て、弱かったチームを強くして来た実績はもっと評価しても良いと思う。
選手もどうなるかわからないというハラハラドキドキするシリーズ好きです
カラオケ戦術すごいですね‼️
ええ話や
やはり野球だけではなく
人生の哲学を深く修得した方が監督なのには素晴らしいですね😉
まあ古田監督、高橋由伸監督、そして
石毛監督見たいです❗
私が西武ファンになったきっかけは1983年の巨人ー西武の日本シリーズでした。石毛さんは広岡さんが辞任した時はまだ若かったから思考の柔軟性ってあったのでしょう。ベテランたちは、広岡さんの功績も知っているけど、昔の体に染みついてしまった悪い習慣が抜き切れていなかったのでしょうね。1985年は西武にとって厄年だったのでしょうか?
1985年は4番に田淵幸一さんが引退していなかったので、確か外国人のステイーブ4番で、中日から来た田尾選手が3番打者としては線が細かったし、秋山幸二さんが若僧で打者として完成されておらず、1982年、1983年に比べて打線に重量感がなかったので、私は直感的に西武が巻けると思った。
@@赤松繁-n8k よく優勝できたなという感じでしたね。あげくに、郭さんが日本シリーズに出れなかった。スティーブさんはいい選手だったと思うけど、西武に必要だったのはホームランを打てる選手だったのでしょう。手放してもったいないなあ。
石毛さん、今度は広岡達朗さんをゲストで呼んで下さい‼️
もう2〜3年、広岡監督だったらいい意味で清原も違ってかも?
広岡と清原は丁度入れ替わりなんですよね。
せめて、1年でいいから広岡と清原が野球をしてたら・・・
特別扱いしませんからね。
それに広岡さんは、秋山に対して、君は三振してもいいから思い切って振りなさいと指導したそうなので、清原もそうなってたかもしれませんね。
@@フローネ-c9x
三振してもいいから思いっきり振りなさい・・・三振を嫌うイメージがあったけど、長距離砲を育てるにはある程度の三振は目をつぶる方針なんですね。
@@フローネ-c9x 様 広岡さんが監督を続けていればクスリもやらなかったかもしれませんし、タイトルもとっていたでしょう。
ジャイアンツとのシリーズは、リアルタイムで見ていましたから、懐かしく思いだしました。
翌年の1986年は、2年連続三冠王を獲得した落合を押しのけてMVPを受賞したのが、石毛さんにとってキャリアハイではないかと勝手に思っております。
金森さんとの接触事故で膝を痛めた石毛さんは、その後遊撃手から三塁手にコンバートされることに成る。
そして当時三塁手だった秋山幸二さんを外野手にコンバートした。
お互い両者にとって此のコンバートはメリットの大きなものと成った。
中日ファンだが、83の日本Sは個人的に最高の頂上決戦だったと思う。
いつもありがとうございます!
黄金期西武のファンの24歳です!
石毛さんが駒澤大学時代、急遽登板したお話聞かせてください!
女性の方、誰なのか存じ上げませんが、「しびれますね~」とか「深いですね」とか、適当な相槌はいらない。
それよりも、こらはスタッフが指示しないのが悪いと思うのだが、
巨人戦、阪神戦の日本シリーズのダイジェストくらい予めこの女性に見せておくべき。
それだけでこの動画がもう少し厚みのあるものになったと思う。
素晴らしいお話でした!疲労肩つろう、と言っている人もいましたが広岡さんが就任して最初のキャンプからピッチャーにバントの練習をさせていたのが印象的でした。もちろん日本シリーズようにです!素晴らしい監督ですよね。
西武での広岡達朗さんは根本陸夫さんとケンカして辞めたと聞いたことありました、広岡達朗さんは入れ換わりで入団した清原和博さんの1年目までは監督した方が良かったと感じました。
60年近く前、巨人がV9開始の前年くらいか、川上、広岡の確執は何回もスポーツ紙第一面での話題に。
83年日本シリーズ巨人西武対決前、川上元監督は弟子の牧野コーチに絶対負けるなと叱咤。
日本シリーズ開始前からこれは大変なことになるかと思ったが・・・・
第6戦。大勝負中の大勝負。杉本投手ピンチになったが。・・・交替かと思ったが続投。何とかピンチ乗り切る。
広岡監督身じろぎもせず淡々としていた。この勝負師としての度胸。素晴らしいと思った。
高校野球では時折泣かせる場面あるが。
高校野球以上の魂のこもった試合だった。
広岡監督はまた巨人に戻り巨人の監督したかったんじゃないかな。
その通り。広岡さんにジャイアンツの監督をやってもらいたかった。
広岡さんを経営者で例えると事業再生のプロ経営者と言えると思います。
ターンアラウンドマネージャーですね。
森さんは、急成長して組織が売上に追いつかない企業を大企業へと導く銀行出身の中興の祖といったイメージです。
名将にも色々なタイプがあり、企業やチームのステージにより、適性が異なります。
森さんでさえ横浜の当時の緩い体質は改革できなかった。
選手には嫌われたようですが間違いなく偉大な指導者の一人ですよね。
石毛さん。広岡監督時代を詳しく話してくださり、ありがとうございます。
「広岡野球=管理野球=選手を束縛、つまらない」みたいなイメージをメディアが植えつけていたように思います。
広岡西武の頃に西武ファンだった私は、当時からそれが悔しくて悔しくて仕方がなかったです。
石毛さんの言葉、そしてコメント欄の数々を見聞きして、やはり広岡さんは偉大な監督・名将であり、嫌っている人ばかりではないんだと知ることが出来ました。
現在の様なメジャーやFA、ネット情報が入る時代では廣岡達郎さんの管理野球は難しいかも知れませんが、あの強すぎる西武はやはり廣岡達郎監督あればですね。間違いなく名将です。
管理野球というのも こうすれば 選手寿命が伸びるよ というアドバイスに過ぎなかったと思う 冷酷なイメージになったのも巨人の嫌がらせ かも
廣岡さんはアマチュア、草野球、少年野球のコーチはされないのでしょうか?グラウンドでもっと輝いて欲しいですね。
このシリーズ、西武が逆王手をかけたのは第6戦ですし、84年のパ優勝は確か阪急では。
高木豊さんのチャンネルに広岡さんがゲスト出演します。高木さんのチャンネルに出るのに、何故石毛さんは先を越されてしまったですか?御年89歳になる広岡さんのお話を後世に残すのは石毛さんの役目でもあると思います。後悔する前に広岡さんのゲスト出演を実現させてください。
83年のシリーズは藤田監督の采配ミスに助けられた面はある。あの第6戦、リリーフに西本でなく江川だったら巨人が日本一だったと思う。あのシリーズの一番のターニングポイントだった。85年は石毛さんが後に言ってたが阪神に王手をかけられた時広岡さんの頭の中に2年前のシリーズが蘇りまだまだやれるという隙が生まれたと。あと聞き手はもっと野球の分かる人を置いて欲しい
いつも感謝でありがとうございます☀
1983の日本シリーズは史上最高。西本大車輪、中畑勝負強さ、田淵芸術的本塁打、大田卓司打ちまくりシリーズ男…。ほかにも挙げればキリがないほど
個性・魅力あふれる選手たちの、そして広岡・藤田両将の、実に高次元ハイレベルな大死闘でした。
6戦の西本リリーフについていろいろ議論があるようだけど、稲尾・杉浦の時代ほどじゃないにしろ、日本シリーズってのはそのときにいちばんいい投手が先発・リリーフで大車輪奮戦するのが常だったわけで。そんでまさに西本でやられたら仕方ないってことで、俺は6戦の西本抑え起用(藤田采配)、賛成です。まして江川は第4戦で肉離れしてるんすよね。
…さて、それと、言いたい。「日本シリーズは、昼間に、屋外でやるものです。それこそ我が国の伝統文化なのです」。
おっしゃる通りですね。特に大田選手はすごかったです。
9:08
負けたチームで1番頑張った人が敢闘賞
05のある意味伝説の33-4の日本シリーズ
全く良い所無しで負けた阪神、敢闘賞誰が貰ったっけ?
今の監督です😳
痛風はアスリートや中間管理職にも多い病気だそうです
まあ、色々と制約を受けていた選手たちから批判が出るのは理解はできますが、病気への誤解もあると思いますね
広岡さんの姿を見ていると選手時代からまったくスタイルも変わってないですし、それほど贅沢をされているようには見えませんから
広岡監督ご自身は「肉は好きだしよく食べる」と言ってます。
また、当時は「肉を食べるなとは言ってない。バランスの良い食事を」と
言ってたそうですが、当時の選手は「肉食うな! と言われた」と
口を揃えてるので、ホントのところはどうなんでしょうね。
肉を食べたとしても最小限でしょう。勿論、酒は駄目だったでしょうね。
遺伝の要素も大きいみたいですしね。広岡さんの家系に痛風持ちの人がいたかはわかりませんが。
いつも楽しく拝見してます⁉️
昔からライオンズファンです❗
西武黄金時代から石毛さんのファンでした❗
これからもライオンズ共々‼️😃✌️
ミスターレオ石毛さんを応援します❗✨
今の時代こそ管理野球は必要だと思います!
森監督は1989年のオーナー報告がちょっとかわいそうだった
プロ野球熱い時代でした‼️
日本シリーズはやはりデーゲームで見たいですね。あの頃の雰囲気を思い出しました。
土日はデーゲームでいいかな、と思っている
屋外とかだと晩秋近くの夜なんて寒くて怪我のリスクもありますからね
リスク管理の観点からも土日だけでもデーゲームで良いと思います
石毛の2年目のキャンプだったと思うけど、就任したばかりの広岡監督が「石毛はへただなあ」といって自分でノックを受けたり、スライディングを見せたりしていたのを覚えてる。石毛は「ちょっと頭にきますけど、うまいんだから仕方ない」みたいなことを言ってた。
先を読んでいく力。
別の言葉では、沈着冷静。
指揮をする者には、その部分を求められるのだと、深く実感。
83年の日本シリーズは小学生でしたがよく覚えています。あのシリーズは凄いの一言では言い表せません。
85年は第1戦で工藤さんが投げたカーブをバースがレフトスタンドにHRを打たれた時は愕然としました。これまで西武が出た日本シリーズで本当に「負けた!」と思ったのは85年だけです。他のは「ああ…負けた…」か「納得の負け…」です。
確かに広岡さんは最後の最後に…ってのはありますが、石毛さんを始めとする多くの人を育てたことは紛れもない事実です。それは今のプロ野球界を見れば一目瞭然です。
そういえば、亡くなったノムさんもあまり広岡さんの事語らなかったね。
すぽるとで出た時に、プロ野球ベストナインの遊撃手に、迷った末と前置き付きではありましたが、広岡さんを選出されてましたね...。
本塁打も期待できる1番打者。石毛さんも真弓さんも楽しい選手でした。
広岡さん呼ばないの?
広岡さんと王さんの関係はどうだったんでしょうか?知りたいところです。
良好でした。王さんを指導したのは荒川さん、荒川さんを嫌いな川上さんに頭を下げて強く推薦したのが広岡さん、荒川さんは広岡さんの早稲田大の先輩です。後にヤクルトにて監督、コーチの間柄、王さんは早稲田(高)88年に王さん解任の時に巨人は広岡さんに監督要請しましたが王監督留任広岡コーチなら受けるといいましたが、結局藤田監督に決まりました。もし
受諾していたら巨人広岡が誕生していたかもね、
@@フレアーリック
ありがとうございます。巨人内部は良く知らないので助かりました。
学校をサボり行きましたよ、私は巨人ファンだったので金森の打球が目の前に、懐かしいなぁ
83年の日本シリーズは史上最高のシリーズだと思います。
このシリーズ前、広岡監督はミーティングでどのような内容を話されたのか知りたいです。
84年は近鉄ではなく、阪急ですね。
石毛は何やかんや行って廣岡さんを認めているのだね。
85年の阪神は打線がとにかく凄かったと思います。
真弓さん、バース、掛布、岡田の本塁打30本以上打っていた。
石毛さんの話を聞いていますと、情報収集されていたんだと思いました。
(私の周りの話で情報収集されてなかった的な事を聞いた為です。しかし、石毛さんの話にありました様に、阪神の投手は良くないという所が、結果論ですが西武が負けてしまったかもしれません…。)
後、個人的に石毛さんの負傷した事も85年の西武日本一になれなかった原因もあるのかと感じています。
石毛さんの存在がそれだけ大きいという事でそう思いました。
広岡、上田、西本は、名監督です。自分で考えろが多い指導者が多いなかで、手取り足取り教える指導者ですから。 だた、根本さんがいい選手を集めたのも大きいです。
森さんがヘッドコーチとしてデータ分析をしたのも大きいです。
83年のシリーズは存知あげませんが、巨人が江川、西本、の両エースがよかったのに対し、西武は、東尾を抑えに回したり、総合力と、采配がよかったのでしょうか。
ただ巨人藤田さんも素晴らしいです。
斎藤、槇原、香田、石毛、橋本、宮本、木田を育てました。
広岡さんはカリスマ性があります。
ONとは違った意味で。
監督が焦ってたら選手に伝染します。
個人的には92年の対スワローズ戦が黄金期のライオンズの最高の名勝負だったと思いますが、83年の対ジャイアンツもシーソーゲームで名勝負と言われてますよね
第6戦でしたか金森さんが江川さんから打ったサヨナラヒットで見せた歓喜のポーズは今でも目に焼き付いていますね
やっぱり日本シリーズはデーゲームですよね。せめて、土日だけでもデーゲームでやってほしいものです。雰囲気が良い。
秋晴れの西武球場ほど清々しいものはない
凄い監督とは思いますがベテランの田淵さんが監督と選手のパイプ役になり、いい選手を揃えた根本さんの手腕も大きいと思います。全部想像の世界ですが。。
野村克也さんが亡くなられて辛口評論家が広岡さんだけになってしまいました。今の評論家は、そのチームの監督、コーチ、選手に嫌われたくない忖度評論家ばかりで面白くありません。『石毛がぶった斬る!!』みたいなタイトルで𠮟咤激励型のyoutube番組を作れませんでしょうか?例えば阪神はいくら練習してもエラーが多いです。練習の仕方が悪い。基本になってないからだと思います。現コーチの久慈氏・藤本氏は才能のタイプの名手で基本が教えられてないのでは?と思っています。ぜひとも名手石毛さんからアドバイスをしてあげてぶった斬って欲しいです。宜しくお願い致します。
字幕訂正ですね^^
伊藤→伊東
カラオケの話は、本人は無意識に口にしたと、著書で語っていました。
金森さんのサヨナラヒットは第6戦でしたね。
84年優勝は阪急や。
85年の、真弓バース、掛布、岡田は、ONが4人いるようなものです。
西武が組織なのに対し、阪神は個人の能力で勝ったチームといえます。
ただベテランが多い。 投手が弱い、大阪という人気があって、選手もたにまちに誘惑されてるという話も聞きます。
それで、連覇できなかったのではと思います。
85年の対阪神は、三戦連続本塁打+左打者殺しの永射までも攻略したバースはもとより、弘田・福間の元ロッテ勢にやられましたね。
でも阪神って結局なんやかんやで
いつも85年、85年しかないからね
その後の西武を見れば、一目瞭然、
日本一8回だからね、
元祖管理野球の勝利です。
83年の日本シリーズは凄かった
第6戦で巨人は西本で逃げきろうと焦りましたよね
91年の広島も川口出して失敗
当時の西武黄金期は粘り強さもありましたね
第7戦に勝負強さを発揮する西武でした
接戦に強く最後に勝つのは西武って感じでした
5:48は84年のパ・リーグの優勝は近鉄ではなく阪急ですね
84年の西武はリーグ優勝出来なかったけど、上手く世代交代進めて85年からのリーグ4連覇に繋がりましたね
同感。今まで見たプロ野球で最高に面白く手に汗握った。なかで第6戦が最高。
西本ではなく抑えの角でしょうね。
5:48
優勝したのは近鉄では無く阪急ですね。
1阪急 2ロッテ 3西武、近鉄はBクラスでした。
高校3年の時83年シリーズ観てました。第6戦中畑さんが逆転3ベースを打ったその時広岡監督は崖っ淵で椅子に座ってました。が最後のサヨナラすごい記憶に残ってます。
西本は温存しなきゃならないから,江川さんは自分が出て「絶対抑える!」と思っていたそうです。
ところが驚愕の西本指名・・・
スティーブは一発長打こそ少ないものの月間打率5割という途方もない数字を出してましたね。
石毛さんが現役時代に監督された方との対談をお願いしたいですね😊
広岡さん、森さんとの対談を期待したいです😉
広岡監督は巨人を倒してホッとしてしまったんでしょうか。
最後の2年間にはいろいろと球団との不協和音、石毛さんも言われた”痛風事件”みたいなものや、何やかんやと噂を聞きましたが・・・まあ西武野球の基礎を作ったのは広岡監督で間違いないですね。
石毛さんが金森選手と交錯してヒザを痛めたシーン、中継で見てました。痛そうだったですね。あれがなければショートからサードへのコンバートで秋山がセンターへ、田辺・清家といった若手がショートで競い合うということもなかったでしょう。ひょんなことから黄金時代のポジションが確立したわけですね。