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92.93の日本シリーズは本当に面白かった!90年代00年代10年代で1番ハラハラドキドキして面白かった!これからあの日本シリーズを超えるシリーズがあるのかなぁ〜
西武VSヤクルトの日本シリーズを観てから~の…その後のペナントレース等々が気の抜けたビールに感じてる1人です。本当に凄い野球を観たなぁ…本当に名勝負だった!
森監督時代のライオンズはまさしく王者でしたね!石毛さん本当に勝負強かったです👍
92年、93年はプロ同士の最高の戦いでした。本当に楽しかったなぁ。
1992年の日本シリーズが自分の中では1番記憶に残ってます。はっきり言ってヤクルトはアップアップで優勝したので、西武の4連勝で片付くと思ってました。しかし意外に苦戦。4勝3敗までもつれこみ、そこで決め手になったのは辻選手のファインプレーでした。西武は日本一にこそなりましたが、ヤクルトは最後までもつれ込んだことにより自信がつき、翌年西武にリベンジをしました。92~93年は西武が斜陽期に入りNPBの曲がり角だった気がします。
デストラーデのガッツポーズはマネしたなぁ…かっこよかった。
日本シリーズ西武球場のデーゲームは秋の風物詩だったなあ
90年の4タテは本当に圧巻だった。うろ覚えですが、3連勝後の勝利監督インタビューの場面が印象に残っています。確か、インタビュアーが『このままだと盛り上がる前にシリーズが終わってしまう』旨を発言したのに対し、森監督が『いや、我々はおおいに盛り上がってます』とピシャっと返したと思います。ぐうの音も言わせないように勝ってやる、という意地を見た気がしました。
石毛さん、これを取り上げてくれて嬉しいです😊日本シリーズのライオンズ対スワローズ戦はジャイアンツを下し球界の盟主の座を得た後の円熟期になった無敵のチームにID野球を標榜した野村さんと森さんの狸の化かし合いなんて言われてましたよね一球一球に緊張感の張り詰めた駆け引きを感じ素人目にもプロ野球の面白さが凝縮されたこれぞ当時平成に差し掛かり最先端を行く新時代のザ・プロ野球と言うに相応しい戦いだったと思います
ライオンズの日本シリーズのお話はほんとに胸が熱くなります。太平洋クラブの時代から応援してた自分にとっては夢の時代でした。
92年の日本シリーズ第7戦、私は中学生で放課後ラジオ放送で聞いてました。その時は、2対1で西武が勝ち日本一を決めました!最後投げた投手は石井丈裕さんでした。野村ヤクルトと森西武は、本当に互角の戦いと思います。石毛さんの話を聞いていますと、石毛さんの衰えが、西武の黄金期の終焉…を迎えたと感じました。
森監督時代の西武は本当に強かった。投手陣も打撃陣も本当に凄かった。
デストラーデのガッツポーズの時に金のネックレスが浮かび上がるのがまた、カッコよく見えた。
お話しのこの頃の工藤さんは誰も打てないというくらいの凄さを感じました。レギュラー選手の名前と顔と打順を今でも覚えているくらいライオンズは強かッたです。
あの時代の 強さ は、何処に行ったやら です。ヤクルトさん との 日本シリーズも 懐かしい ですね。
92年の日本シリーズは西武が圧勝すると思ってたからヤクルトの善戦は本当に意外で面白い日本シリーズだった。当時学生だったけど、やはり日本シリーズはお昼開催がいい。この時期の野外のナイターは寒すぎる。
懐かしいですね。あの頃は熱くなってみてました。石毛さんの話しをきけるなんて嬉しいかぎりです。
以前コメント欄でこの日本シリーズ(西武ヤクルト)についてリクエストさせていただきました。取り上げていただきありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします
92年の日本シリーズは、ヤクルトファンの自分にとって、負けはしたけど最高の日本シリーズでした。第6戦終了後、近くを通りかかった知人が、ヤクルトの帽子をかぶりビニール傘を手にした女性がみんな泣きながら球場を後にするのを見て、「今日でヤクルトは負けたんだな」と思ったそうです。
秦のサヨナラホームランでしたね。しかも潮崎からの一打。シリーズの流れは断然ヤクルトに傾きましたけど、次の試合で抑えた石井丈は見事でした。
あの頃の日本シリーズは、本当におもしろかったです。授業中とか隠れてラジオ聞いてましたよ💦西武が強くて憎らしかったです
西武黄金期と言われると石毛さんやAKDなど打撃の面が注目されますが本当は投手力と守備と走塁が万全だったからこそあそこまで強かったと思っています。正に必勝法・必敗法を実践していたと思っています。勝つ野球ではなく負けない野球でした。それを「つまらない野球」と言われたことが本当に悔しかったです。あの92年の日本シリーズで石毛さんがベンチで大声を張り上げていたのが映った時は本当に執念を感じました。
史上最高の日本シリーズ
当時はホントに強かったな。それでも巨人に4タテは驚きでした。ヤクルトとのシリーズは、手に汗握る好ゲームでしたね。秋山、清原、デストラーデは最強!
92年と93年の日本シリーズが一番面白かった
「デストラーデ」が「デストラーゼ」に聞こえるのは私だけですか?それも一度だけじゃなく、何度も。
僕もそう聴こえましたw何回って話じゃなくてずっとw
92年も良かったけど、91年も見応えあった
7戦目までもつれましたよね。カープは投手陣が充実してて、北別府、佐々岡、川口、川端が先発して、抑えが大野でしたからね。特に川口の荒れ球と球威に西武は苦しめられて、7戦目?でようやく克服して流れを掴んだかと思います。
巨人の1990年を調べると88勝42敗 勝率.677 貯金46の最強チームに4連勝。ヤクルトとの試合は石毛さんが仰る通り、一つのプレーが勝敗を左右する好ゲームでした。ベテランがチームの勝利を願いベンチで声を出す。どうりで強いはずです。広澤選手の走塁が次のシリーズの布石になるのも面白い😃本当に楽しませていただきました。
1983年と1987年の日本シリーズの対西武の敗戦で巨人には西武に対する苦手意識が植えつけられ1990年には開幕戦から西武の雰囲気に完全に呑まれて金縛りに合っていたのがハッキリと見えていました。私はまるでV9時代の巨人と対戦して一度も勝てなかった阪急を見ているような錯覚に陥ってしまったのをよく覚えています。西武対ヤクルトの2年連続の日本シリーズは見応えがありましたね。二人の名捕手且つ親友(悪友?)がお互いにデータと頭脳を駆使した監督として対戦したのは歴史のいたずらとしか思えません笑 マンガ「巨人の星」で秘密を完全に暴かれた星飛雄馬の大リーグボール2号がオールスター戦で晒しものとなりパ・リーグの打者に翻弄されていた時ホームに突入した野村捕手がベースで構えていた森捕手とのクロスプレーの直後(結果はアウト)、ゲームに出場していた若手選手たちの活躍ぶりとベテランになった自分たちとを比較してしみじみと語り合う場面が、この2回に渡る日本シリーズとオーバーラップしてしまいました。
92年は第7戦で、石井丈に代打を送らせようと伊東を敬遠したノムさんに対し、森監督がそのまま打席に向かわせた采配が印象に残りました。森監督は、石井は凡退するとしても、8.9回の攻撃に賭けたらしいです。しかし石井がヒット打ったのは、ファンの私でも直ぐには信じられませんでしたね。
あと、あの時点で森監督は石井丈裕さんと心中するつもりでいたってのもありますよね。例え石井丈裕さんがダメだったとしても次の回は辻さんから始まるので。そして恐らく誰もがバッティングが下手な石井丈裕さんがヒットを打つなんて思っていなかったと思います。私も信じられませんでした。その時、石毛さんがベンチで大声を張り上げて声援を送っていたのが今でも鮮明に覚えています。
石井を交代しようにも、信頼して任せられるピッチャーがいなかったんですよね。鹿取は初戦で杉浦にサヨナラ満塁ホームラン打たれてましたし、潮崎は5戦目に池山に勝ち越しソロ、6戦目に秦にサヨナラホームランを打たれてました。石井は3戦目に完投勝利してましたから続投の選択もありでしょうけど、7回でリードされてる場面でのこの選択はとても難しかったでしょうね。結果的には西武が勝ちましたけど、本当にギリギリまで追い込まれていたかと思います。
石井丈は続投しましたが、神宮は低い外野フェンスであり、一発打てる打者が揃うヤクルト打線が驚異であり、祈る気持ちで観ていました。この試合は投手を中心としたディフェンスの重要さを世間に知らしめた試合であり、当時は「また西武かよ( -д-)」の空気が残念でしたが、時が経つにつれ至極の日本シリーズとして扱われてるのは救いです。
91年の広島とのシリーズは先に王手をかけられて追い込まれましたが、山本浩二監督が勝ち急いで川口を投入したことが裏目に出て、西武が6・7戦を獲って逆転優勝。森采配が光ったシリーズでしたね。
>山本浩二監督が勝ち急いで川口を投入したことが裏目に出て91年こそもつれにもつれた名勝負なのにあまり取り上げられることがない。森監督が「佐々岡、川口を6, 7戦に温存していたらうちは負けていたかもしれない。」と言わしめました。この経験から、翌92年はその年一番良かった石井丈をあえて第3戦に先発させ、第7戦に先発するローテーションを組んだ。
第7戦、ナベQが調子悪く負けてましたが、流れを変えたのは、意表を突く、石毛選手のセカンドへの盗塁でした。
@@RYTTNK さん91年が取り上げられないのは、対戦成績こそ、4勝3敗と競ってるんだけど、西武が勝った試合がわりかしワンサイドゲームが多いのが要因かと思います。だから7戦まで行っても西武の強さが際立つイメージが残り名勝負というチョイスからは外されてるんだと思います。
86年は第8戦目までもつれてるんですよね。しかも初戦引き分けのあと、カープは3連勝していたのに。91年もそうですが、黄金期の西武相手にカープは粘りましたよね。
@@goroumaru4865 さん86年の広島は91年とは別物です。実際に西武より実績が上です。79、80年と2年連続日本一、84年も阪急を退けて日本一になってます。主力選手の高齢化こそあれど、日本一経験者が多く主力にいましたからね。一方の西武は日本一経験者の主力選手が引退し、前年リーグ優勝こそしてましたが、全体的にレギュラーが若い選手が多かったイメージですね。シリーズの内容も全試合、競った展開の試合で8戦まで行くだけあって昭和の日本シリーズでは一番の名勝負と言っても過言ではない内容でしたね。
あの頃のライオンズは、圧倒的に強かったな
石毛さんのオリックス監督退任の会見観ました。監督の立場として1年で結果を求められても無理と思う
1992年の日本シリーズ第7戦、1-1で迎えた7回ウラ。一死満塁で打者は1978年のV戦士だった杉浦。フルカウントから放たれた打球は、前進守備だったセカンド辻の右方向へ。好捕した辻は体制を崩しながらも懸命のバックホーム、その高く逸れた送球はキャッチャーの伊東が渾身のジャンプで受け止め、落下したところへ三塁走者の広澤がすべり込む。タッチアウト。スポーツ誌のNumberは、このプレーを『覇権の分水嶺』と呼んだ。
ノムさんのライバルは長嶋さんではなく森さんでしょう。森さんのv9野球が、西武で伝承されたのです。データというけど、膨大なデータで使えるデータと使えないデータを分けたのでしょうね。
5:24伊東選手が伊藤になってる😅
伊東が時たま伊藤になってます。いい話なのに惜しい。
87年の走塁革命もそうだけど、90年にもキャッチャーフライで1塁ランナーがセカンドにタッチアップを成功させましたよね。あれを観て両者のレベルが歴然であることを、4タテ以外にも痛感しました。1990年のライオンズは、70年代の阪急黄金時代を超える存在に見えましたね。どこをとっても非の打ちどころがなく、完璧なチームでした。
平成2年のライオンズは、WBC第2回大会のメンバーより強かったと思います。
古田敦也や谷繁元信ばかりが名捕手扱いされるが、個人的には納得行かない。伊東勤氏が過小評価され過ぎているように感じる。
伊東さんは肩は普通だったのでその2人よりは過小評価なんでしょうね。
2000本打ってるスーパーマンの古田、試合数No1で2000本の谷繁に比べると、打ててないというのがどうしてもあるんでしょう。里崎智也氏も「打てる捕手は何も言われない」って言ってますし。
現役時代の実力というより、引退後も現場が多いのと、以前のパリーグということで、メディアの露出度が他の二人より少ない、ということかな、と思います。
@@ヤス-h9l さん全盛期は肩、強い時期もありましたよ。ただ古田さんや谷繁さんと大きく違うのが廻りに凄い選手がいすぎて目立たなかったですよね。これ、現役時代の森さんもV9の捕手なのにほとんど語られないのは少し似てますかね。王、長島っていう名前ばかり語られてるイメージですかね。
小関順二さんも似たようなことを言っていました。「伊東は連覇経験があり、古田にはない(リーグ連覇はあるけど)のでそこはしっかり評価しないといけない」みたいな趣旨でした。野村克也さんは「(伊東と古田は)どちらも(捕手としての腕は)いいが、古田の方が上」と評していましたが、著書の中で「伊東は自分(野村)タイプ、古田は森タイプ」と面白い分析をしています。大方の見方(森-伊東vs野村-古田)とは逆ですね。野村さん曰く「伊東は自分と同じで投手を育てるのがうまい捕手、古田は森と同じで出来上がった投手を受けるのがうまい捕手」だそうです。まあ、野村さんは結構お調子者のところがあるから話半分ですが、伊東さんが監督やコーチに頻繁に招へいされているのをみると、やはり野村さん慧眼ですね。
90年代の秋山さん清原さんデストラーデさんが西武に居た時は本当に強かったです捕手は伊東さんがいて投手は工藤さん渡辺久信さん郭さん渡辺智男さん石井さん皆、エース級で日替わりでエースが先発している感じでした抑えは鹿取さん潮崎さん外野は平野さんや吉竹さんがいて安定していました森監督の時はサード石毛さんショート田辺さんセカンド辻さん守備が安定していましたヤクルトが ID野球で西武は必勝法、必敗法の管理野球のイメージです野村さんがIDと注目されていたので頭脳戦みたいな日本シリーズでした
92年7戦で石井丈が同点タイムリー打つわけだけど、ベンチで大声で応援してた石毛さんのおかげじゃないかな
88年、91年が飛ばされた。。。
88年は他の動画で取り上げられてますね。
87年日本一になった時、石毛さん日本一になった時、中畑氏大学の後輩だから、おちょくってましたよね。思い出した。
90年の初戦はデストラーデの3ランを球場で見ました。あの一発で西武が取ったと思ったら4タテですものね。
92,93の日本シリーズはすごかったですね。自分も運転中にラジオ聞きながら、事故るほどすごかったですよ。。。
@@baseballzo 事故っちゃダメ笑
90年の初戦はデストラーデのホームランのあと、巨人も篠塚が出塁して反撃だのところで、油断していた篠塚が伊東からの送球でアウト。この時点で勝負ありでしたね。完全に西武に流れがいって巨人3本柱がKO、西武投手陣に2完封されてあっという間の4タテ。
ガキの頃ドキドキしていた試合の話、楽しいです(^^)
ヤクルト西武の日本シリーズは広岡達郎ダービーみたい‼️😃✌️
いわれてみれば、初優勝はどちらも広岡さんだった
@@tsuyoshiyoshida5408 そして、どちらもヘッドコーチに森祗晶。
石毛さん、緊張してるからなのか、ところどころ記憶違いあり。西武が一番強かったのはは90年の時といったところで、リリーフのメンバーには杉山、潮崎、鹿取がいたと言っていましたが、杉山は93年入団なのでこの時はいないはず。また92年のシリーズ、石井が勝ち越し打を打ったとありましたが、ヤクルトに先制されてからの同点打か正解ですね。聞き流すのがマナーかもしれませんけどお許しを。
92年の日本シリーズ最後まで面白かったですね(*^^*)確か先に西武が王手を掛けたのですがヤクルトが粘って追い付いたとてもハラハラしたシリーズでした。ヤクルトの飯田選手の肩と足にはかなり苦しめられた印象が有りますね😅それでも最後は総合力の強さで西武が日本一強かったです(^-^ゞ
個人的には91年のカープ対ライオンズが1番好きでした
黄金時代のライオンズの走塁は一塁でも多くという気持ちが伝わってきました。87年のクロマティーの守備に難ありと森監督が見抜き、清原選手、辻選手の走塁で勝てましたね。あと工藤投手が巨人の選手打てませんでしたね。ヤクルトの日本シリーズも痺れました。なんか投手交代でも当時ヤクルトの岡林さんが3戦程投げ、野村監督が岡林投手を変えないから森監督も動けなかった感はあります。
黄金期の西武…頭脳を森監督が注入し、気合を石毛さんが注入した最強のチームだった。そして選手個々の能力もズバ抜けていて全く隙がなかった。
清原はセンターフライで2塁からタッチアップしてホームインしましたが、3塁を回ったとこで一度停まってリスタートしてましたね。停まってなかったら余裕でホームイン出来てたと思います。
その後伊原さんに怒られたみたいですね
3:27 90年は杉山投手はまだ入団していません。
記憶が曖昧なので、他にもありますね。92年の決勝点は秋山幸二さんの犠牲フライですね。
92年日本Sは初戦の杉浦満塁弾、最終戦の辻の守備もそうですが、第6戦の9回の大塚の走塁も印象的です。まるで87年Sの清原・辻の長駆生還の再現で。
とても面白いのです。石毛さんのチャンネル伊東勤が伊藤となっているのでご修正お願いします。
俺の爺さん野村さんの3才下でもう亡くなったけど社会人野球してた時27番キャッチャーに拘ってた何で?と小さい頃聞いたら森監督が着けてるからだと言った俺は野村さんだけど今じいちゃん生きていたらRUclips見せてあげて33の俺と酒飲みたかったなぁ
準備が凄い!当たり前なのかもしれないけど走塁に関しては、他チームの追随を許さない
黄金時代を語るなら、ぜひ堤元オーナーについて語ってください! いや呼んで聞いてもらうと最高! 現在は一切マスコミに登場しない方。超VIPを野球の話限定なら、聞き手が石毛さんならRUclipsに登場してくれるのではないですか? 何だったらライオンズ買収から聞きたいです。ぜひお願いいたします。
堤さんは、語ることはないと思います。
…ない…。
90年のシリーズは、野球のレベルの違いを見せつけたように思いました。
石井丈ちゃんのタイムリーは同点ですよー!勝ち越しは秋山の犠牲フライです
石毛さんずっと「デストラーゼ」って言うてますよね😂黄金期ライオンズの先発、工藤、ナベQ、郭泰源、石井丈、郭さんは別にしてもこれだけ勝ってたライオンズで200勝投手は工藤さんだけって、逆に200勝投手の凄さがわかる
初の1コメ0:08 古田、伊藤→古田、伊東です。
クロマティさんとのコラボ楽しみにしています😉✨♪♪クロマティさんとはリモートになりますが、アシスタントの半田サン外さずアクリル板を仕切ってリモート配信をやってもらいたいです🙏
資料集めナンバーワンチャンネルですね
石井たけちゃん、高校では荒木大輔の控え投手でしたね。プロではたけちゃんの方が実績残しましたね。
ギャンブルスタート観てる方々にはドキドキする言葉ですけど…やれと言われた選手の方々は、ホント肝冷やすプレイですよねあとは、自分の感性、ってことでしょ?
7戦目の古田選手の決めたダメ押し点のギャンブルスタート。野村監督はストップをかけたけど古田選手は「いまやらないでいつやるんだ」という気持ちで初めて命令を無視し3点目をもぎ取りました。9年間でサイン無視はこの一度だけと語っていますし、野村監督も結果、選手の成長を喜んでいたといいます。
@@devilfuzzer さんありがとうございますそんなことあったんですねぇノムさんも古田さんも、素敵だなドキドキします
闘志感情剥き出しのスタイルは、その後石井貴投手、豊田清投手き引き継がれたんじゃないかと思います!ライオンズナイン、またホークスをギャフンと言わせる野球を見せて下さいね!✨😆⚾️
広沢の件、ワンアウト満塁なのにホームで伊東捕手はタッチプレーなんだ.?
❌伊藤→○伊東ですよ。
伊藤じゃなくて伊東でしょ…毎回楽しみに観てるけど、ちょくちょくテロップ間違えてるからイラッとくる。
はっきり言って…まあ今のソフトバンクと巨人では歯が立たないでしょうね。それ位、この時代は秀逸だった。
ギャンブルスタートを生み出したと云われているのは上田監督らしいです。野村さんは凄くマスコミを利用して名監督をアピールしますが。はっきりいって結果を残しているのはヤクルトの時だけ。広岡さんも言ってますか、野村も森もキャッチャーだから配球を読んだ作戦をたてるのは上手ですが、そのとおりにピッチャーが投げることができなければいけないと。いい選手ばかりそろっていれば勝つことができますが、そうでなければ根気強く技術を教え、猛練習しそのうえで、頭を使う野球も教えなければならないとミーティングも野村さんのイメージですが、広岡さんの時代に必勝、必敗法というテーマで何度も選手に叩き込まれた西武の選手が今指導者になっています。
90年のシリーズは友達と賭けやってたけどみんな巨人の4タテとか4-1とかばっかりだったな!西武4タテに賭けたのは俺だけだった。俺からしたら巨人に勝てる要素なんか何一つ無かったのにみんな何考えてるんだろ?ぐらいな印象だった。90年の西武は日本プロ野球史上最強のチームだと思ってる。
シーソーゲームの勝者は伊原ノート
伊原さんはクセが強すぎるから監督はイマイチだったけどコーチとしては超優秀よね、好きか嫌いか別としてw
結局、クロマティーが悪いとなってるけど川合も連帯責任なんだね。
V9より投手が上ですね。常に、チーム防御率がに1位。昭和40年代より、打者のレベルが上がってる中での成績です。ただ打線はAKD砲は打率が低い、打点も100打点を超えないことが多い。ONと比較にはなりません。デストラーデが抜けたら、打線全体が打てなくなりました。V9巨人にデストラーデがいたらどうなっていたかわかりません。
93年は首位打者辻、3割打者&チームリーダーの石毛に2個ずつ死球をぶつけ、石毛さんが試合に出られないほどの重傷を負わせる汚い手を使った優勝だった。
野村は品がない!勝つためには平気で相手を潰しに来る。そんなものは弱者が強者をやぶる戦略とは言えない!
おたふく 真面目にやっているけど、やっぱり話入っていないね
石毛さんの伊原さんの評価を聞いてみたいです。伊原さん多方面に嫌われていてマイナスイメージしかないので。
長嶋さんが嫌ってる2人?
にこめ
92.93の日本シリーズは本当に面白かった!90年代00年代10年代で1番ハラハラドキドキして面白かった!これからあの日本シリーズを超えるシリーズがあるのかなぁ〜
西武VSヤクルトの日本シリーズを観てから~の…その後のペナントレース等々が気の抜けたビールに感じてる1人です。本当に凄い野球を観たなぁ…本当に名勝負だった!
森監督時代のライオンズはまさしく王者でしたね!
石毛さん本当に勝負強かったです👍
92年、93年はプロ同士の最高の戦いでした。本当に楽しかったなぁ。
1992年の日本シリーズが自分の中では1番記憶に残ってます。はっきり言って
ヤクルトはアップアップで優勝したので、西武の4連勝で片付くと思ってました。
しかし意外に苦戦。4勝3敗までもつれこみ、そこで決め手になったのは
辻選手のファインプレーでした。西武は日本一にこそなりましたが、ヤクルトは
最後までもつれ込んだことにより自信がつき、翌年西武にリベンジをしました。
92~93年は西武が斜陽期に入りNPBの曲がり角だった気がします。
デストラーデのガッツポーズは
マネしたなぁ…かっこよかった。
日本シリーズ西武球場のデーゲームは秋の風物詩だったなあ
90年の4タテは本当に圧巻だった。うろ覚えですが、3連勝後の勝利監督インタビューの場面が印象に残っています。確か、インタビュアーが『このままだと盛り上がる前にシリーズが終わってしまう』旨を発言したのに対し、森監督が『いや、我々はおおいに盛り上がってます』とピシャっと返したと思います。ぐうの音も言わせないように勝ってやる、という意地を見た気がしました。
石毛さん、これを取り上げてくれて嬉しいです😊
日本シリーズのライオンズ対スワローズ戦はジャイアンツを下し球界の盟主の座を得た後の円熟期になった無敵のチームにID野球を標榜した野村さんと森さんの狸の化かし合いなんて言われてましたよね
一球一球に緊張感の張り詰めた駆け引きを感じ素人目にもプロ野球の面白さが凝縮されたこれぞ当時平成に差し掛かり最先端を行く新時代のザ・プロ野球と言うに相応しい戦いだったと思います
ライオンズの日本シリーズのお話はほんとに胸が熱くなります。太平洋クラブの時代から応援してた自分にとっては夢の時代でした。
92年の日本シリーズ第7戦、私は中学生で放課後ラジオ放送で聞いてました。
その時は、2対1で西武が勝ち日本一を決めました!
最後投げた投手は石井丈裕さんでした。
野村ヤクルトと森西武は、本当に互角の戦いと思います。
石毛さんの話を聞いていますと、石毛さんの衰えが、西武の黄金期の終焉…を迎えたと感じました。
森監督時代の西武は本当に強かった。
投手陣も打撃陣も本当に凄かった。
デストラーデのガッツポーズの時に金のネックレスが浮かび上がるのがまた、カッコよく見えた。
お話しのこの頃の工藤さんは誰も打てないというくらいの凄さを感じました。レギュラー選手の名前と顔と打順を今でも覚えているくらいライオンズは強かッたです。
あの時代の 強さ は、何処に行ったやら です。
ヤクルトさん との 日本シリーズ
も 懐かしい ですね。
92年の日本シリーズは西武が圧勝すると思ってたからヤクルトの善戦は本当に意外で
面白い日本シリーズだった。
当時学生だったけど、やはり日本シリーズはお昼開催がいい。
この時期の野外のナイターは寒すぎる。
懐かしいですね。
あの頃は熱くなってみてました。
石毛さんの話しをきけるなんて
嬉しいかぎりです。
以前コメント欄でこの日本シリーズ(西武ヤクルト)についてリクエストさせていただきました。取り上げていただきありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします
92年の日本シリーズは、ヤクルトファンの自分にとって、負けはしたけど最高の日本シリーズでした。
第6戦終了後、近くを通りかかった知人が、ヤクルトの帽子をかぶりビニール傘を手にした女性がみんな泣きながら球場を後にするのを見て、「今日でヤクルトは負けたんだな」と思ったそうです。
秦のサヨナラホームランでしたね。
しかも潮崎からの一打。
シリーズの流れは断然ヤクルトに傾きましたけど、次の試合で抑えた石井丈は見事でした。
あの頃の日本シリーズは、本当におもしろかったです。
授業中とか隠れてラジオ聞いてましたよ💦
西武が強くて憎らしかったです
西武黄金期と言われると石毛さんやAKDなど打撃の面が注目されますが
本当は投手力と守備と走塁が万全だったからこそあそこまで強かったと思っています。
正に必勝法・必敗法を実践していたと思っています。勝つ野球ではなく負けない野球でした。
それを「つまらない野球」と言われたことが本当に悔しかったです。
あの92年の日本シリーズで石毛さんがベンチで大声を張り上げていたのが映った時は本当に執念を感じました。
史上最高の日本シリーズ
当時はホントに強かったな。それでも巨人に4タテは驚きでした。
ヤクルトとのシリーズは、手に汗握る好ゲームでしたね。
秋山、清原、デストラーデは最強!
92年と93年の日本シリーズが一番面白かった
「デストラーデ」が「デストラーゼ」に聞こえるのは私だけですか?
それも一度だけじゃなく、何度も。
僕もそう聴こえましたw
何回って話じゃなくてずっとw
92年も良かったけど、91年も見応えあった
7戦目までもつれましたよね。
カープは投手陣が充実してて、北別府、佐々岡、川口、川端が先発して、抑えが大野でしたからね。
特に川口の荒れ球と球威に西武は苦しめられて、7戦目?でようやく克服して流れを掴んだかと思います。
巨人の1990年を調べると
88勝42敗 勝率.677 貯金46の最強チームに4連勝。
ヤクルトとの試合は石毛さんが仰る通り、一つのプレーが勝敗を左右する好ゲームでした。
ベテランがチームの勝利を願いベンチで声を出す。どうりで強いはずです。広澤選手の走塁が次のシリーズの布石になるのも面白い😃
本当に楽しませていただきました。
1983年と1987年の日本シリーズの対西武の敗戦で巨人には西武に対する苦手意識が植えつけられ1990年には開幕戦から西武の雰囲気に完全に呑まれて金縛りに合っていたのがハッキリと見えていました。私はまるでV9時代の巨人と対戦して一度も勝てなかった阪急を見ているような錯覚に陥ってしまったのをよく覚えています。
西武対ヤクルトの2年連続の日本シリーズは見応えがありましたね。二人の名捕手且つ親友(悪友?)がお互いにデータと頭脳を駆使した監督として対戦したのは歴史のいたずらとしか思えません笑 マンガ「巨人の星」で秘密を完全に暴かれた星飛雄馬の大リーグボール2号がオールスター戦で晒しものとなりパ・リーグの打者に翻弄されていた時ホームに突入した野村捕手がベースで構えていた森捕手とのクロスプレーの直後(結果はアウト)、ゲームに出場していた若手選手たちの活躍ぶりとベテランになった自分たちとを比較してしみじみと語り合う場面が、この2回に渡る日本シリーズとオーバーラップしてしまいました。
92年は第7戦で、石井丈に代打を送らせようと伊東を敬遠したノムさんに対し、森監督がそのまま打席に向かわせた采配が印象に残りました。森監督は、石井は凡退するとしても、8.9回の攻撃に賭けたらしいです。
しかし石井がヒット打ったのは、ファンの私でも直ぐには信じられませんでしたね。
あと、あの時点で森監督は石井丈裕さんと心中するつもりでいたってのもありますよね。例え石井丈裕さんがダメだったとしても次の回は辻さんから始まるので。そして恐らく誰もがバッティングが下手な石井丈裕さんがヒットを打つなんて思っていなかったと思います。私も信じられませんでした。その時、石毛さんがベンチで大声を張り上げて声援を送っていたのが今でも鮮明に覚えています。
石井を交代しようにも、信頼して任せられるピッチャーがいなかったんですよね。
鹿取は初戦で杉浦にサヨナラ満塁ホームラン打たれてましたし、潮崎は5戦目に池山に勝ち越しソロ、6戦目に秦にサヨナラホームランを打たれてました。
石井は3戦目に完投勝利してましたから続投の選択もありでしょうけど、7回でリードされてる場面でのこの選択はとても難しかったでしょうね。
結果的には西武が勝ちましたけど、本当にギリギリまで追い込まれていたかと思います。
石井丈は続投しましたが、神宮は低い外野フェンスであり、一発打てる打者が揃うヤクルト打線が驚異であり、祈る気持ちで観ていました。
この試合は投手を中心としたディフェンスの重要さを世間に知らしめた試合であり、当時は「また西武かよ( -д-)」の空気が残念でしたが、時が経つにつれ至極の日本シリーズとして扱われてるのは救いです。
91年の広島とのシリーズは先に王手をかけられて追い込まれましたが、山本浩二監督が勝ち急いで川口を投入したことが裏目に出て、西武が6・7戦を獲って逆転優勝。森采配が光ったシリーズでしたね。
>山本浩二監督が勝ち急いで川口を投入したことが裏目に出て
91年こそもつれにもつれた名勝負なのにあまり取り上げられることがない。
森監督が「佐々岡、川口を6, 7戦に温存していたらうちは負けていたかもしれない。」と言わしめました。
この経験から、翌92年はその年一番良かった石井丈をあえて第3戦に先発させ、第7戦に先発するローテーションを組んだ。
第7戦、ナベQが調子悪く負けてましたが、流れを変えたのは、意表を突く、石毛選手のセカンドへの盗塁でした。
@@RYTTNK さん
91年が取り上げられないのは、対戦成績こそ、4勝3敗と競ってるんだけど、西武が勝った試合がわりかしワンサイドゲームが多いのが要因かと思います。だから7戦まで行っても西武の強さが際立つイメージが残り名勝負というチョイスからは外されてるんだと思います。
86年は第8戦目までもつれてるんですよね。
しかも初戦引き分けのあと、カープは3連勝していたのに。
91年もそうですが、黄金期の西武相手にカープは粘りましたよね。
@@goroumaru4865 さん
86年の広島は91年とは別物です。実際に西武より実績が上です。
79、80年と2年連続日本一、84年も阪急を退けて日本一になってます。
主力選手の高齢化こそあれど、日本一経験者が多く主力にいましたからね。
一方の西武は日本一経験者の主力選手が引退し、前年リーグ優勝こそしてましたが、全体的にレギュラーが若い選手が多かったイメージですね。
シリーズの内容も全試合、競った展開の試合で8戦まで行くだけあって昭和の日本シリーズでは一番の名勝負と言っても過言ではない内容でしたね。
あの頃のライオンズは、圧倒的に強かったな
石毛さんのオリックス監督退任の会見観ました。監督の立場として1年で結果を求められても無理と思う
1992年の日本シリーズ第7戦、1-1で迎えた7回ウラ。一死満塁で打者は1978年のV戦士だった杉浦。フルカウントから放たれた打球は、前進守備だったセカンド辻の右方向へ。好捕した辻は体制を崩しながらも懸命のバックホーム、その高く逸れた送球はキャッチャーの伊東が渾身のジャンプで受け止め、落下したところへ三塁走者の広澤がすべり込む。タッチアウト。スポーツ誌のNumberは、このプレーを『覇権の分水嶺』と呼んだ。
ノムさんのライバルは長嶋さんではなく森さんでしょう。
森さんのv9野球が、西武で伝承されたのです。
データというけど、膨大なデータで使えるデータと使えないデータを分けたのでしょうね。
5:24伊東選手が伊藤になってる😅
伊東が時たま伊藤になってます。
いい話なのに惜しい。
87年の走塁革命もそうだけど、90年にもキャッチャーフライで1塁ランナーがセカンドにタッチアップを成功させましたよね。
あれを観て両者のレベルが歴然であることを、4タテ以外にも痛感しました。
1990年のライオンズは、70年代の阪急黄金時代を超える存在に見えましたね。
どこをとっても非の打ちどころがなく、完璧なチームでした。
平成2年のライオンズは、WBC第2回大会のメンバーより強かったと思います。
古田敦也や谷繁元信ばかりが名捕手扱いされるが、個人的には納得行かない。伊東勤氏が過小評価され過ぎているように感じる。
伊東さんは肩は普通だったのでその2人よりは過小評価なんでしょうね。
2000本打ってるスーパーマンの古田、試合数No1で2000本の谷繁に比べると、打ててないというのがどうしてもあるんでしょう。里崎智也氏も「打てる捕手は何も言われない」って言ってますし。
現役時代の実力というより、引退後も現場が多いのと、以前のパリーグということで、メディアの露出度が他の二人より少ない、ということかな、と思います。
@@ヤス-h9l さん
全盛期は肩、強い時期もありましたよ。ただ古田さんや谷繁さんと大きく違うのが廻りに凄い選手がいすぎて目立たなかったですよね。
これ、現役時代の森さんもV9の捕手なのにほとんど語られないのは少し似てますかね。王、長島っていう名前ばかり語られてるイメージですかね。
小関順二さんも似たようなことを言っていました。「伊東は連覇経験があり、古田にはない(リーグ連覇はあるけど)のでそこはしっかり評価しないといけない」みたいな趣旨でした。
野村克也さんは「(伊東と古田は)どちらも(捕手としての腕は)いいが、古田の方が上」と評していましたが、著書の中で「伊東は自分(野村)タイプ、古田は森タイプ」と面白い分析をしています。大方の見方(森-伊東vs野村-古田)とは逆ですね。野村さん曰く「伊東は自分と同じで投手を育てるのがうまい捕手、古田は森と同じで出来上がった投手を受けるのがうまい捕手」だそうです。まあ、野村さんは結構お調子者のところがあるから話半分ですが、伊東さんが監督やコーチに頻繁に招へいされているのをみると、やはり野村さん慧眼ですね。
90年代の秋山さん清原さんデストラーデさんが
西武に居た時は本当に強かったです
捕手は伊東さんがいて投手は
工藤さん渡辺久信さん郭さん渡辺智男さん石井さん
皆、エース級で日替わりでエースが先発している感じでした
抑えは鹿取さん潮崎さん
外野は平野さんや吉竹さんがいて
安定していました
森監督の時はサード石毛さんショート田辺さんセカンド辻さん
守備が安定していました
ヤクルトが ID野球で西武は必勝法、必敗法の管理野球のイメージです
野村さんがIDと注目されていたので頭脳戦みたいな日本シリーズでした
92年7戦で石井丈が同点タイムリー打つわけだけど、ベンチで大声で応援してた石毛さんのおかげじゃないかな
88年、91年が飛ばされた。。。
88年は他の動画で取り上げられてますね。
87年日本一になった時、石毛さん日本一になった時、中畑氏大学の後輩だから、おちょくってましたよね。思い出した。
90年の初戦はデストラーデの3ランを球場で見ました。あの一発で西武が取ったと思ったら4タテですものね。
92,93の日本シリーズはすごかったですね。自分も運転中にラジオ聞きながら、事故るほどすごかったですよ。。。
@@baseballzo 事故っちゃダメ笑
90年の初戦はデストラーデのホームランのあと、巨人も篠塚が出塁して反撃だのところで、油断していた篠塚が伊東からの送球でアウト。
この時点で勝負ありでしたね。
完全に西武に流れがいって巨人3本柱がKO、西武投手陣に2完封されてあっという間の4タテ。
ガキの頃ドキドキしていた試合の話、楽しいです(^^)
ヤクルト西武の日本シリーズは広岡達郎ダービーみたい‼️😃✌️
いわれてみれば、初優勝はどちらも広岡さんだった
@@tsuyoshiyoshida5408
そして、どちらもヘッドコーチに森祗晶。
石毛さん、緊張してるからなのか、ところどころ記憶違いあり。
西武が一番強かったのはは90年の時といったところで、リリーフのメンバーには杉山、潮崎、鹿取がいたと言っていましたが、杉山は93年入団なのでこの時はいないはず。
また92年のシリーズ、石井が勝ち越し打を打ったとありましたが、ヤクルトに先制されてからの同点打か正解ですね。
聞き流すのがマナーかもしれませんけどお許しを。
92年の日本シリーズ最後まで面白かったですね(*^^*)
確か先に西武が王手を掛けたのですがヤクルトが粘って追い付いたとてもハラハラしたシリーズでした。
ヤクルトの飯田選手の肩と足にはかなり苦しめられた印象が有りますね😅
それでも最後は総合力の強さで西武が日本一強かったです(^-^ゞ
個人的には91年のカープ対ライオンズが1番好きでした
黄金時代のライオンズの走塁は一塁でも多くという気持ちが伝わってきました。87年のクロマティーの守備に難ありと森監督が見抜き、清原選手、辻選手の走塁で勝てましたね。あと工藤投手が巨人の選手打てませんでしたね。
ヤクルトの日本シリーズも痺れました。
なんか投手交代でも当時ヤクルトの岡林さんが3戦程投げ、野村監督が岡林投手を変えないから森監督も動けなかった感はあります。
黄金期の西武…頭脳を森監督が注入し、気合を石毛さんが注入した最強のチームだった。そして選手個々の能力もズバ抜けていて全く隙が
なかった。
清原はセンターフライで2塁からタッチアップしてホームインしましたが、
3塁を回ったとこで一度停まってリスタートしてましたね。
停まってなかったら余裕でホームイン出来てたと思います。
その後伊原さんに怒られたみたいですね
3:27 90年は杉山投手はまだ入団していません。
記憶が曖昧なので、他にもありますね。92年の決勝点は秋山幸二さんの犠牲フライですね。
92年日本Sは初戦の杉浦満塁弾、
最終戦の辻の守備もそうですが、
第6戦の9回の大塚の走塁も
印象的です。まるで87年Sの
清原・辻の長駆生還の再現で。
とても面白いのです。石毛さんのチャンネル伊東勤が伊藤となっているのでご修正お願いします。
俺の爺さん野村さんの3才下で
もう亡くなったけど社会人野球してた時27番キャッチャーに拘ってた
何で?と小さい頃聞いたら森監督が着けてるからだと言った
俺は野村さんだけど
今じいちゃん生きていたらRUclips見せてあげて33の俺と酒飲みたかったなぁ
準備が凄い!
当たり前なのかもしれないけど
走塁に関しては、他チームの追随を許さない
黄金時代を語るなら、ぜひ堤元オーナーについて語ってください! いや呼んで聞いてもらうと最高! 現在は一切マスコミに登場しない方。超VIPを野球の話限定なら、聞き手が石毛さんならRUclipsに登場してくれるのではないですか? 何だったらライオンズ買収から聞きたいです。ぜひお願いいたします。
堤さんは、語ることはないと思います。
…ない…。
90年のシリーズは、野球のレベルの違いを見せつけたように思いました。
石井丈ちゃんのタイムリーは同点ですよー!
勝ち越しは秋山の犠牲フライです
石毛さんずっと「デストラーゼ」って言うてますよね😂
黄金期ライオンズの先発、工藤、ナベQ、郭泰源、石井丈、郭さんは別にしてもこれだけ勝ってたライオンズで200勝投手は工藤さんだけって、逆に200勝投手の凄さがわかる
初の1コメ
0:08 古田、伊藤→古田、伊東です。
クロマティさんとのコラボ楽しみにしています😉✨♪♪
クロマティさんとはリモートになりますが、アシスタントの半田サン外さずアクリル板を仕切ってリモート配信をやってもらいたいです🙏
資料集めナンバーワンチャンネルですね
石井たけちゃん、高校では荒木大輔の控え投手でしたね。
プロではたけちゃんの方が実績残しましたね。
ギャンブルスタート
観てる方々にはドキドキする言葉ですけど…
やれと言われた選手の方々は、ホント肝冷やすプレイですよね
あとは、自分の感性、ってことでしょ?
7戦目の古田選手の決めたダメ押し点のギャンブルスタート。
野村監督はストップをかけたけど古田選手は「いまやらないでいつやるんだ」という気持ちで初めて命令を無視し3点目をもぎ取りました。
9年間でサイン無視はこの一度だけと語っていますし、野村監督も結果、選手の成長を喜んでいたといいます。
@@devilfuzzer さん
ありがとうございます
そんなことあったんですねぇ
ノムさんも古田さんも、素敵だなドキドキします
闘志感情剥き出しのスタイルは、その後石井貴投手、豊田清投手き引き継がれたんじゃないかと思います!
ライオンズナイン、またホークスをギャフンと言わせる野球を見せて下さいね!✨😆⚾️
広沢の件、
ワンアウト満塁なのにホームで伊東捕手はタッチプレーなんだ.?
❌伊藤→○伊東ですよ。
伊藤じゃなくて伊東でしょ…
毎回楽しみに観てるけど、ちょくちょくテロップ間違えてるからイラッとくる。
はっきり言って…まあ今のソフトバンクと巨人では歯が立たないでしょうね。
それ位、この時代は秀逸だった。
ギャンブルスタートを生み出したと云われているのは上田監督らしいです。
野村さんは凄くマスコミを利用して
名監督をアピールしますが。
はっきりいって結果を残しているのは
ヤクルトの時だけ。
広岡さんも言ってますか、野村も森も
キャッチャーだから配球を読んだ作戦をたてるのは上手ですが、そのとおりにピッチャーが投げることができなければいけないと。いい選手ばかりそろっていれば
勝つことができますが、そうでなければ根気強く技術を教え、猛練習し
そのうえで、頭を使う野球も教えなければならないと
ミーティングも野村さんのイメージですが、広岡さんの時代に必勝、必敗法
というテーマで何度も選手に叩き込まれた西武の選手が今指導者
になっています。
90年のシリーズは友達と賭けやってたけどみんな巨人の4タテとか4-1とかばっかりだったな!西武4タテに賭けたのは俺だけだった。
俺からしたら巨人に勝てる要素なんか何一つ無かったのにみんな何考えてるんだろ?ぐらいな印象だった。
90年の西武は日本プロ野球史上最強のチームだと思ってる。
シーソーゲームの勝者は伊原ノート
伊原さんはクセが強すぎるから監督はイマイチだったけどコーチとしては超優秀よね、好きか嫌いか別としてw
結局、クロマティーが悪いとなってるけど川合も連帯責任なんだね。
V9より投手が上ですね。常に、チーム防御率がに1位。
昭和40年代より、打者のレベルが上がってる中での成績です。
ただ打線はAKD砲は打率が低い、打点も100打点を超えないことが多い。
ONと比較にはなりません。
デストラーデが抜けたら、打線全体が打てなくなりました。
V9巨人にデストラーデがいたらどうなっていたかわかりません。
93年は首位打者辻、3割打者&チームリーダーの石毛に2個ずつ死球をぶつけ、
石毛さんが試合に出られないほどの重傷を負わせる汚い手を使った優勝だった。
野村は品がない!
勝つためには平気で相手を潰しに来る。
そんなものは弱者が強者をやぶる戦略とは言えない!
おたふく 真面目にやっているけど、やっぱり話入っていないね
石毛さんの伊原さんの評価を聞いてみたいです。伊原さん多方面に嫌われていてマイナスイメージしかないので。
長嶋さんが嫌ってる2人?
にこめ