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「はじめにかしこき人ござり、かしこき人神ともにござり。かしこき人神なり。」私の記憶で恐れきりますが、初めて聞いた時はとても感動したのを覚えています。ありがとうございます。
太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神とともにあり、言(ことば)は神なりき。(文語訳聖書 日本聖書協会1974)美しい日本語^_^
文語訳はファンもいまだに多いですよね。
いつも、いろいろ考えさせられる内容にお聞かせいただきありがとうございます。神を極楽、聖霊を神としている点は、多神教の日本には馴染みやすかったのでしょうね。極楽を神をまとめる社会と考えると、ある意味、名訳ですね。感心します。
当時の日本人の感覚が伝わってきておもしろいですよね!
極めてオモシロかった!味のある言葉使いですね!
ありがとうございます! 生きている言葉の力を感じますね!
ギュツラフさんは、香港で日本語訳を進めました。香港には今でもセントラル地区に吉士笠街Gützlaff Streetもありますし、摩利臣山道モリソン・ヒル・ロードもありますし、競馬場近くの華人墳場の中に、ギュツラフのお墓があります。墓碑にはダニエル12:3が彫られています。China Inland Mission で大きな働きのあった宣教師ハドソン・テイラーのお孫さんも香港在住です。そして、今でも中国語の聖書翻訳は香港ベースです。和合本、新譯本、當代聖經、新漢語譯本など。カトリックの翻訳 思高譯本は北京で始まり台湾で完成されました。かトリックの訳は詩篇(聖詠集)を韻を踏んで訳しているところが特徴です。
コメント&とっても詳しい情報ありがとうございます!香港は聖書翻訳で大切な場所なんですね!
すみません、創造主という訳はいかがでしょうか?神と言う言葉を全て創造主と替えた聖書がありますが、ご存知ですか?
「創造主訳」と呼ばれるものですよね。読んだことはありませんが、聞いたことはあります。いつか紹介してみたいです!
神ー極楽ー創造主という訳は如何でしょうか?😊😊
全部ひっくるめてという感じですか!? 斬新ですね!
岩波訳だと、たしか悪魔とか悪霊を「悪鬼」と表現していたような🤔あと、これは私個人の感想ですが、日本語の元々の表現に「愛」という言葉が無かった事について。日本が本当に神様に愛されていたのが分かります。だって、文化的・歴史的に「愛」の概念がエロスしか無かったのですから。
コメントありがとうございます。岩波訳の佐藤研さんが担当した福音書の部分は「悪鬼」になっていますね。日本語で聖書の愛に近いのは「仁」でしたが、日本語では立場や対象によって「仁」になったり「孝」になったり「敬」になったり「忠」になったりと変化するのでややこしいですよね。
「よげんじゃ」が予言者でいいなら、誰が何のために「預言者」に直したんや?いらんことして混乱させた理由が分からん
「預言者」の文字を採用したのは、明治時代のヘボン・ブラウンによる翻訳委員会です。この時代の西洋の宣教師は中国語と日本語(特に漢字)を同じようなものだと思い込んでおり、日本語の聖書を翻訳する際に中国語の「預言者」の漢字を、そのまま借用したというのが実情です。「預」という字は中国語では「あらかじめ」という意味がメインで、「予」と同じ意味でした。ところが、ヘボンらがそれを日本語でも同じだと思い込んで借用したため、日本語では異なる意味の「預かる」というニュアンスが後から付与されてしまったのです。一言で言えば「翻訳ミス」です。日本語の聖書翻訳の経緯については、近日中にシリーズを公開しますので、お楽しみに!
@@seisholab マジか中国語と日本語の漢字の意味の違いがこんなことになったとは……(꒪⌓꒪)じゃあせめて今から翻訳するやつは修正されてほしいですね
神に固有の名や呼び名が有るのはへんよって「やつ」と呼ぶのが良いと思う。
それは恐れ多いやつですね!
「はじめにかしこき人ござり、かしこき人神ともにござり。かしこき人神なり。」私の記憶で恐れきりますが、初めて聞いた時はとても感動したのを覚えています。ありがとうございます。
太初(はじめ)に言(ことば)あり、
言(ことば)は神とともにあり、
言(ことば)は神なりき。
(文語訳聖書 日本聖書協会1974)
美しい日本語^_^
文語訳はファンもいまだに多いですよね。
いつも、いろいろ考えさせられる内容にお聞かせいただきありがとうございます。
神を極楽、聖霊を神としている点は、多神教の日本には馴染みやすかったのでしょうね。
極楽を神をまとめる社会と考えると、ある意味、名訳ですね。感心します。
当時の日本人の感覚が伝わってきておもしろいですよね!
極めてオモシロかった!味のある言葉使いですね!
ありがとうございます! 生きている言葉の力を感じますね!
ギュツラフさんは、香港で日本語訳を進めました。香港には今でもセントラル地区に吉士笠街Gützlaff Streetもありますし、摩利臣山道モリソン・ヒル・ロードもありますし、競馬場近くの華人墳場の中に、ギュツラフのお墓があります。墓碑にはダニエル12:3が彫られています。
China Inland Mission で大きな働きのあった宣教師ハドソン・テイラーのお孫さんも香港在住です。
そして、今でも中国語の聖書翻訳は香港ベースです。和合本、新譯本、當代聖經、新漢語譯本など。カトリックの翻訳 思高譯本は北京で始まり台湾で完成されました。かトリックの訳は詩篇(聖詠集)を韻を踏んで訳しているところが特徴です。
コメント&とっても詳しい情報ありがとうございます!
香港は聖書翻訳で大切な場所なんですね!
すみません、創造主という訳はいかがでしょうか?神と言う言葉を全て創造主と替えた聖書がありますが、ご存知ですか?
「創造主訳」と呼ばれるものですよね。読んだことはありませんが、聞いたことはあります。いつか紹介してみたいです!
神ー極楽ー創造主という訳は如何でしょうか?😊😊
全部ひっくるめてという感じですか!? 斬新ですね!
岩波訳だと、たしか悪魔とか悪霊を「悪鬼」と表現していたような🤔
あと、これは私個人の感想ですが、日本語の元々の表現に「愛」という言葉が無かった事について。
日本が本当に神様に愛されていたのが分かります。だって、文化的・歴史的に「愛」の概念がエロスしか無かったのですから。
コメントありがとうございます。岩波訳の佐藤研さんが担当した福音書の部分は「悪鬼」になっていますね。日本語で聖書の愛に近いのは「仁」でしたが、日本語では立場や対象によって「仁」になったり「孝」になったり「敬」になったり「忠」になったりと変化するのでややこしいですよね。
「よげんじゃ」が予言者でいいなら、誰が何のために「預言者」に直したんや?
いらんことして混乱させた理由が分からん
「預言者」の文字を採用したのは、明治時代のヘボン・ブラウンによる翻訳委員会です。この時代の西洋の宣教師は中国語と日本語(特に漢字)を同じようなものだと思い込んでおり、日本語の聖書を翻訳する際に中国語の「預言者」の漢字を、そのまま借用したというのが実情です。
「預」という字は中国語では「あらかじめ」という意味がメインで、「予」と同じ意味でした。ところが、ヘボンらがそれを日本語でも同じだと思い込んで借用したため、日本語では異なる意味の「預かる」というニュアンスが後から付与されてしまったのです。一言で言えば「翻訳ミス」です。
日本語の聖書翻訳の経緯については、近日中にシリーズを公開しますので、お楽しみに!
@@seisholab
マジか
中国語と日本語の漢字の意味の違いがこんなことになったとは……(꒪⌓꒪)
じゃあせめて今から翻訳するやつは修正されてほしいですね
神に固有の名や呼び名が有るのはへん
よって「やつ」と呼ぶのが良いと思う。
それは恐れ多いやつですね!