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デビッド・フォン・エリックが東京で急死したとき、ぼろぼろと落涙していた映像がテレビで流れたときの衝撃がいまだに忘れられません。それ以来、子どもながらにブロディのことを「情に厚い人だ」という目で見てきたので、その後のいろいろなトラブルも、単なるワガママとは思えませんでした。有田さんのおっしゃる「自己プロデュース」と「作り手の意識」には深く同意します。さすが。
愛がなきゃこの考察はできないですね 改めて有田さんのプロレス愛を感じます
日本でいう猪木武藤大仁田のように、自分をよく見せるのが何よりも一番っていう個性だったのは確かかなと思う
「ブロディは大仁田厚を拒否すると思う」は物凄くわかりやすい。
悲しい最期でしたが………間違いなく、2大団体を渡り歩き、昭和の日本のマット界を盛り上げた功労者の1人だと思う。
マネージャとギャラで揉めて〇〇されたんだよな。当時小学生でプロレスラーでもガチの喧嘩ならこんなもんかと思いました
@@ネロネロ-h2e ジャーマネじゃなくブッカーだね、同じギャラトラブルでもゴッチvsロジャースがマシに見えてしまう。
プロレス好きな友人がいまだに大好きな外国人レスラーであるブロディ。90年代のハンセンのように、四天王の壁として強さを見せつけるブロディも見たかったですね〜…
ダラスでVSブロディでフルハウスを続けてたカブキさんも同じようなことを言ってたね「ブロディ相手の時はセールの時はセールしないとスイングしない」的な あの人もプロレス上手かったからね
ブロディ好きだったな。体がデカくて迫力がありつつも、ドロップキックも華麗で華があった。強かったけど、どこか寂しげだった。印象的だったのは、デビット・フォン・エリックが急死した時、涙を流したブロディ。鶴田にピンフォール勝ちした時、涙を流して喜びを爆発させたブロディ。とても頭が良く強かった反面、繊細だったのかもしれない。
ブロディのことよく知ってますね。同感です。
ブロディ的にディンク君のアングルはOKだったんですね素人相手にやさしいニードロップもできるのがブロディの凄い所鶴田に勝った時は嬉しくて思わず会場のファンと抱き合って喜んでしまったのも忘れられないですね。
ブロディは自己プロデュース力に優れていてアングルも結構自分で考えたりしてたそうです猪木とはそのあたりが決定的に合わなかったように思います全日本で長州やマスカラスとやった時は事故物件でしたが受けが出来ないと思った相手には厳しかったようです
テレビの元スタッフの人が言っていましたが、「この企画じゃ俺を活かせない」と言って、自分を活かした更に面白い企画を考える有田さんもブロディのイズムを持っていると思います
そもそもブロディが有田さんの考察通りの考えをしていたか、という前提がありますけどね
サッキーさんか
@@yo-lh9gv 正解です。対照的に、ロンブー淳さんは企画に乗った上で色々な提案をしてくれるという話もしてました。
プロレス愛に満ちた素晴らしい考察で感動しました!(涙)
プロレス愛だけでなく同じ表現者としての優しさに満ちた眼差しが胸を打ちますね
存命だったら77歳。ハンセンは今でもたびたび来日してファンを楽しませてくれてますが、歳を重ねてからのブロディも見てみたかった。昭和のファンはブロディのことを忘れることはないでしょう。合掌。
なんか優しい気持ちになれたよ😢有田さんの考察は、温かい。
待ってましたよ考察シリーズ。本当にワガママだったのは事実だろうけど有田さんの考察通り個性の塊のレスラーが自分と合わないからついワガママになったのかなぁと思います。
ブロディは体の小さな選手すべてを嫌ったわけではないです。カブキやフレアーなどの受けの技術を持った選手はリスペクトをしていました。要は、長州やマスカラスのような、相手の技を受けず自分のやりたいことだけ押し付けてくる選手を嫌っていて、成敗していたのでしょう。
考察シリーズは有田さんの知識と福さんの聞き手で1+1=100になって最高です!
え、1+1は200で10倍になってるんじゃないんですか!?(笑)
ブロディは長州よりは藤波の事は認めていたみたいですね「藤波は体は小さいが、それを補うものも持っている」と言っていたみたいですし、ジャーマンスープレックスも受けていましたからね
あのジャーマンには驚きました。
考察シリーズ待ってました!猪木さんに「あんな奴は大嫌い」と言わしめたブロディは良くも悪くも個性が際立つプロレスラーでしたね。個人的には「世界9番目の不思議」チャイナ(ジョーニー・ローラー)を取り上げて頂きたいです!新日で他の男性レスラーと同枠で試合が組まれた女性は後にも先にもチャイナだけだと思います。
激しく同意です。チャイナはすげー好きで大ファンでした。ボディビルダー→プロレスラー→ポルノ女優、、トリプルHとの☓☓動画等々、、常に話題の人でしたが亡くなり方が悲惨でした😢仮に今生きてたらレジェンドとしてwweやaewにちょこちょこ登場していたかも🙏🥲
チャイナは現代の新日ならばオカダの次くらいに大型の部類になりますよね😅
有田さんらしく素敵な考察でした。
専門誌に載っていた安らかな寝顔は、今でも時々、思い出されます。日本と日本のファンが大好きだったことは、間違いない事実。
スーパーストロングマシンの考察もいつかお願いします
猪木は晩年までブロディのことを嫌ってたみたいですけど、猪木に嫌われるって名誉なことですよね。猪木ですら思うように扱えなかったってことですから。
ブロディは、試合で本物観戦したのが懐かしい!ヤッパリ‼️昭和のプロレスは、良いなぁ‼️😮
ぶっちゃげ、今でもハンセン、ブロディ組がプロレス最強だと思ってます👌
異論なしです🖐️
永遠にそうだと思います。彼らを越えるチームは現れないでしょう。
ミラクルパワーコンビ以外だとロードウォリアーズ、ベイダー・ビガロ組、スタイナー兄弟、ジェラシックパワーズ、さつ人魚雷かな。あとハンセン・ベイダー組も加えたい…。
ハンセン&ブロディ組に対抗できるのは馬場&猪木のBI砲くらいじゃないでしょうか
@@daimon2002 みんな、強いタッグ好きなんだよね😄👌
ミラクル・パワー・コンビハンセン・ブロディ組とか誰が勝てるんだよ世界最強タッグチーム紹介のときにいつも暴れてたのが懐かしい
話術はもちろん、考察が良すぎる☺
ブロディ選手で印象的なのは新日移籍の際、スーツ姿でチェーン振りまわしながら入場した姿ですねー。スーツにチェーン、まさしくインテリジェンスモンスターでした。週刊ファイトのみ、初来日時の団体発表のブローディ表記だったのも懐かしい思い出です。
そう思えば、相手の技をしっかりと受ける全日のスタイルが合ってたんでしょうね。
凄い納得!さすがというしかない。最高の神回です
1987年11月22日後楽園ホール大会でのハンセンとの(超獣対決)が一回だけしか観れなかったのが、ある意味で伝説になったレスラーです。
ブロディーは実は頭のいい人だとずっと思ってます。ワザとああいう振る舞いをしてブロディーというキャラをプロデュースしてたんだと・・・かつてコンビを組んでいた、スタンハンセンの数々の証言のを辿るに、その考えは強くなります。
小さい選手が嫌いなのではなくて、「人間が小さい」レスラーが嫌いだったのでは…と思っていました「長州は小さいが藤波は小さくない」って発言があったと思います
建前ではそう言ってるけど本音は有田さんの言ってる通り自分のキャラ食っちゃうレスラーが嫌いってだけだと思うよ。
結果的に、有田さん自身も、ウッチャンきっかけで名前を変えたことが多少なりとも一つの転機になってることを思えば最後の自己プロデュースや名前のくだりは深く響きました。
私もブロディの熱烈大ファンです。70年代からプロレスを観戦していますが、未だにブロディを超えるレスラーはいません。これほど独創性あふれるレスラーはいません。後楽園ホールで蔵前国技館で両国国技館で何度もブロディの試合を生観戦したのは金の思い出です。ブルーザー・ブロディは史上最強のプロレスラーです。
少年サンデーのプロレススーパースター列伝で連載されたので、当時のサンデー読者にも認知されていたと思う。原田先生の画力がもっとも洗練されていた頃ですね。
勝手に考察シリーズはプロレスラーがいる限りできますよ!!^_^これからも楽しみにしてます!
没後35年とは月日が経つのは本当に早いですね…まさにファン投票1位で実現間近だった'88 8.29 武道館大会の僅か12日前の悲劇…そしてその武道館大会はブルーザーブロディ メモリアルナイト IN 武道館という大会名になってしまいましたね…💦結局、ハンセン vs ブッチャーのシングルに変更になりましたが、強烈に印象に残ってるのは、ハンセンが入場時 超獣コンビのテーマ🎶に乗ってブロディのチェーン⛓を持参して入場してきたシーンは最高にかっこ良かったです🤘(因みにこの日はハンセン、39歳の誕生日でした…)
相方の上田さんが言ってた、ディレクターは演者のことを2%くらいしか考えていない(悪い意味ではなく他にも考えなきゃいけない)から、100%考えられる自分の考えを大切にしたほうが良いに通ずるところがありますね。
自己プロデュース能力はプロレスラーとして成功するには必須の能力だけれども時には引くバランス感覚みたいなものがブロディには足りなかったんでしょう。当時馬場さんは「ブロディは知名度のわりに集客力が無い」と言っていたしプロモーター側からすれば、そこまで特別扱いするほどでも…という感じだったのかもしれない。
マスカラスも唯我独尊ぶりが強烈だったと伺ってます。現場ではブロディーより評判が悪かったと。が、シュートも猛烈に強い猛者という一面も持っており、取り扱い注意の難しい選手だったようです。いつかマスカラスの考察もお願いいたします。
もしも有田さんのこの視点によるブロディが本当の姿とみたならば間違いなく時代が追いつかなかったになるのかもなと思いました。セルフプロデュース、セルフマネジメント、ブランディングまで考慮して活動していたのならば、今でこそ当たり前の「フリーランス」という枠の範囲で活動を認められていただろうし、世界をまたにかけるスーパースターとしてプロレス界に君臨できたのかも。ただし、その時代は柔軟に受け入れきれる舞台や団体がいなかっただけなのか…と思いました。
なんやかんやあっても、長州さんが1番爆発力があって印象に残ってるレスラーはブロディだったと言って評価してるのも、有田さんの考察とリンクしてて面白い!
ブロディはワガママにまつわるエピソードが多いレスラーですが、天国でレスラー仲間とこの動画を視聴していたら、ここまで深く考察してもらえて喜んでいると思います。馬場「ほら、ファンはYouのことをちゃんと評価しているんだよ」ブロディ「ううっ(泣)、このGuyと生きてるときに会いたかったぜ!」
フランクとブロディ論自分の中でスッキリ落ちました。有田さんのプロレス愛を感じました。ありがとうございます。
ブロディ&鶴田対ハンセン&天龍…見たかったな~😢
同じトップポジションのハンセンが「今回負けでお願い」「オッケー」なのがまたブロディの制御不能感を際立たせてたよね。
長州は小さいが、藤波は小さくない。というのは実によくわかります。ありがとうございます。
自分は、ブロディが未だに好きな外国人レスラーNo.1です。👊頭が良くてマジメすぎたので、周りとの考え方に隔たりがあったんだと思います。😢
有田さんが以前話してた、料理を食べて高い・安い・普通かを決める番組を思い出したお笑いコンビも、2人ともコンビをプロデュースしようとぶつかり合ってると解散になりやすいというな
ブロディといえば小峠さんにいて欲しかった……有田と週刊プロレスで一番好きな回だったし
小峠の回好きな回多いなぁブロディはもちろん海賊男、猪木問答、一億円トーナメント
素晴らしい考察でした…!本当にただワガママなだけなら、今でも語られるような名レスラーにはなれないわけで。デカくて俊敏でバネがあって強いという基礎の上に、自己プロデュースも含めたプロレスのうまさがあったことを忘れるべきではないなと思いました。
勝手に考察シリーズ大好きです。この話を聞いた後に有プロ見直したくなります。ブロディの回は小峠さんでしたね。今回の考察聞いてみてほしいです!
一連の猪木との死闘は面白かった。猪木も相手の力を引き出すプロレス、つまりいかに試合を盛り上げるかってとこでブロディと通奏低音が共鳴してた。だからスイングしてたんだと思う。でも悲しいかな、長丁場出続けるとどんな選手も初期のインパクトは薄れて、シリーズの流れに沿った勝ち負けを飲まざるを得ない扱いになりがちだから、タッグ戦ボイコットのあたりでブロディは自分の高い理想に反した扱いに納得いかなかったのでは。
私は建設業界に携わっていますが、この業界で言う1人親方な人だったんでしょう。しかも困るタイプの。こう仕事したい、自分ならこうするってのを言われても困るのよ。会社も現場も1人のために変えるわけにはいかないから。納得できないなら次から来なくていいよって言われて来なくなるタイプがブロディなんでしょうねぇ。当時の全日·新日幹部も困ってたんだろうなと身につまされる思いです。
ブロディが亡くなってもう30年以上経つんですね。。亡くなったときホセゴンザレス、プエルトリコを憎みました。悲しい出来事でした。大人になったいまでも肯定はできませんが、お互いのプロ意識から発した悲劇だったのだろうと、いまでは消化しています。有田さんの熱量が一段上がった気がします。久々に当時のことが思い出され、涙が出ました。
ものすごく腑に落ちた
前回のスターダム回が拍子抜けだったけど、今回は熱かったね。いい話聞けた満足感、ご馳走様でした。
さすが有田👍✨ハンセンブロディvsスティボート、Jヤングの試合を知っている✨
あのコスチュームや風貌、チェーンのアイテムは全て先輩レスラーの助言。
あくまでも「プロレスの表側」で公に話題を提供する有田さんのセンスと愛に薔薇をくわえながら乾杯
移民の歌がブロディの為に作られたかのようにフィットしてたな
今でも一番好きなレスラー😄
ブロディの事件は…ズームイン朝で見て、メチャメチャショックでした。村田渚さんの様な、天才的なツッコミの選手が好きだったんですね。
ワガママに見えるほど、自分の作り上げたキャラクターに自信があり、それを譲ったら自分の価値が消えると思っていたのは確かでしょうね。現在のように選手寿命の長い時代になっていればまた違った姿を見せてくれたかもしれませんが、当時は矢継ぎ早にスター候補の若手がデビューする時代とあって、信念が頑迷さとして受け取られやすい環境ではあったろうと思います。
ハンセンとのコンビめっちゃ怖かったなぁ、幼稚園のころ観戦したけどデカくてすげー怖かった。それしか覚えてない。
レックスルガー戦ある意味凄いよ不穏感
試合後、ルガーはブロディに謝りに行ったらしいね。ケージマッチのルールも聞かされておらず、ブロディに見せられたカミソリの意味も理解できなかったとか
ジョニー・スミスの考察を是非
谷津選手が、ケガをしたのに馬場に試合に出ろと言われた時、ブロディが控え室にやってきて、「ケガをしているのか。俺にまかせろ」と言って出て行ったそうです。その日、谷津の対戦相手だったブロディが最初から大暴れして、それなりに試合がさまになったと、ブロディのことをとても感謝してました。
分かりやすいっす。有田さんもインテリジェンスモンスターだと思います。
ブロディは、確かにセルフプロデュースに長けていたかも、しれませんね。ダラスwccw時代(エリックとの親交が深い)はred river jack というマスクマンにも変身してますし、信頼できるボスの団体には、きちんとワークしてたので、ワガママというだけではないようです。スター選手は個性が強いですから、正直肌が合う、合わないは仕方ないかも。
キングコングニードロップやギロチン、ドロップキックと技に迫力があって猪木はタッグでフォール取られたよね。地元の体育館で見たけどオーラが異様にあってカッコ良かった。アンドレ、前田との試合見たかった。ボイコットしなきゃいいのに。
良い考察。
前田戦は実現したとして、ブックでブロディ勝ちになっていたとしても、時期的に前田は新日本に吸収されないようになめられないように、という気持ちがあったので、ただでは済まない試合になってたと思います。思う通りにいかないブロディがキレて試合を途中で投げ出して帰るか、喧嘩マッチになってた可能性があるように思います。前田とアンドレ戦が年末のタッグリーグの最中に組まれてましたが、元々ブロディが来ないのを知っていて、全日本に戻るブロディのイメージダウンを計って、逃げたと印象付けるため新日本が発表したという噂もありますね。
本当プロレスっておもしろいですね。ありがとうございます有田さん。
逆にジャイアント馬場は出戻りの丸くなった=プロモーターやマッチメイカーの言う事を聞くブロディを見限ってたらしいですけどね。プロレスは難しいなー
単なる我儘な選手だったら、vs鶴田のインター戦はないですよね。鶴田・天龍選手、ボスとしての馬場さんへのリスペクトあってこそではと思います。であれば、尚更その後存命でvsハンセンのシングルと三冠戦は観たかったなぁと。頭の良いブロディならそのタイミングも計算できたんだろうなと個人的には思います。
ブロディの死因も刺されすぐ救急を呼ばれずレスラーたちに囲まれ「思い知ったか!」「いい気味だ!」と罵られ処置が遅れた”らしい”・・・・悲しきモンスターよ
レスラーに刃物で刺し〇されて、その上相手が正当防衛って…信じられない判決でしたよね。知識や実力は折り紙つきだったけど、他者を見下し、多団体で不義理を重ね、敵を沢山作って、惨めな末路を辿った可哀そうな人というイメージ。
武藤敬司には米国修行中にテリトリーかぶってて、色々アドバイスもしてたようだし、受けから入って引出しの多い蝶野、見劣りのしないガタイでごつごつと肉弾戦を組み立てられる橋本と、新日系でも三銃士とは手が合ってたかもしれないね。
ハンセンの陽性でより輝く知性の超獣最高過ぎるタッグでした馬場、鶴田、天龍、猪木とのシングルは胸踊らせたものでした個人的にはドリーの抗争が好きでしたね
勝手にめちゃくちゃ納得した。
80.90年代に日本で活躍した外国人8人をトーナメントにして、有田に試合展開と優勝決めてほしいブロディ、ハンセン、ホーガン、ノートンあたりは入るかな
この考察だとすると自己プロデュースが出来ていたアンドレやホーガン戦は実現出来なかったのも頷ける。
だから手が合う相手が限られちゃうんだろうなあ。ブロディ対鶴田なんて面白かったけどなぁ。対猪木よりスウィングしてた。
ブロディと互角に闘える日本人は鶴田だけ!
80年代中盤、ホーガンはWWFにブロディが来る事に怯えてたらしいし、片やブロディはホーガン人気にナーヴァスになっていたとか..全日本でハンセンが90年代後半まで四天王の壁となって活躍出来たのは、ブロディの不在が間接的に関わってると思う 全日本は三冠を巡る戦いにかなりファンに急かされていたから存命していればハンセンVSブロディの結着を求められる 当然、馬場はハンセンを押すカタチになるのでブロディはもしハンセンに負けたら潔く引退したかもしれない
素晴らしい考察です。納得出来ますね。IWGPタッグリーグのボイコットは「藤波木村組を優勝させたい」と 言われ、開幕戦で藤波組に星を落として(→訂正済み)優勝決定戦でまた負けるのはプライドが許さなかったのでしょうか。この時のギャラを回収するために翌年猪木藤波とのシングルを受けて、これっきりのつもりが新日本が勝手に前田戦とアンドレ戦を発表したので当然行かなかった、とか。全日本に復帰して夏の武道館大会でファンによる人気投票でカードを実現させる企画で週刊プロレスが「みんなでハンセンvsブロディに投票しよう」と煽って盛り上がってたところに悲報が・・・
開幕戦では「フェンスアウト」の反則勝ちで木村健吾がブロディから星を拾った結果だったと思います。ニューリーダーコンビが大金星と騒がれたのを思い出します!
@@ましゅーポテト 反則でしたか。記憶がごっちゃになってました。ありがとうございます。
ブロディの代理をしてくれるマネージャーがいたら違った人生を送れてたかもしれないなぁ
1983年頃までバック・ロブレイがマネージャーをしていたな。
@@しるくー ハンセンは著書で「ロブレイと関わらなければああはならなかった」とふれてました。
最終的にマネージャーともバチバチになって喧嘩別れしちゃうイメージマネが不義理したら絶対許さないだろうし人間不信ぽい気もするし、自分で全て決めたいから勝手に決められたら怒りそうだし
ブロディを本当に輝かせたのは、天龍同盟時代の天龍さんだったのでは?と感じます!
分かる範囲で構わないので有田さんなりの国際プロレスの考察お願いします🤲
ブロディとアンドレの死は、フリーランスが腕一本で渡り歩く古きアメリカンプロレスの終わりを象徴している
ブロディとパンクはカリスマが故に重なってしまう。
もしブロディが生きていたら四天王とどんな戦いをしていたのだろうか
ハンセンブロディ対ゴディウィリアムスも見たかったな
いつも楽しく拝見してます。有田さんに1度金丸義信選手を考察していただきたいです。
「枯れない泉」は名言🤣
鶴田も生前ブロディの思い出を語りながら「ひょっとしたら、それだけプロレスを愛していたのかもしれないですね」と言っていましてよね。
愛のある考察に、もうそれでええやんという気もしてきますね、、、ただセルフプロデュースに長けたインテリ、ということで思い浮かぶのが、元所属事務所トップの大先輩に筋も通さず無礼を働いた挙句、投げっぱなしでプロレスもせずに逃げた、おふたりの後輩でもある某RUclipsr。逆にヤバイ方が多い気が、、、また有田さんの考察通りなら誰かしら近しい人から多少なりともその手の裏話が漏れ出てるんじゃないかとも思います、、、さておき裏話と言えば鬼越トマホークのチャンネルにタカさん枝豆さんがゲスト出演された回で、TPGの件を少しお話されてました。興味のある方は是非、、、
アメリカでのブロディと言われてもダラス地区くらいしか思い浮かばず、WWWFで一応メイン級にはいたけども定着せず、現代のアメリカのプロレス史観では全く取り上げられることもなくなった理由がよくわかりました。一方ハンセンはブルーノとの大アングルや情報が渡らなかった時代の日本での活躍が神格化され、WWE殿堂入り含めたレジェンドの位置にいるのに。
殺害される直前まで、ブッチャーと抗争してましたね。
ブロディさんが、黄泉の国に、いってから、数日後のハンセン対天龍戦は、ハンセンがブロディに対する友情が垣間見えた試合でしたね。それぐらい、ハンセンと、ブロディさんはずっ友❤
ブロディの膝下のモコモコは、足が細いというコンプレックス隠しの意味もあったという説を馬場さんがどこかで言っていたような。
デビッド・フォン・エリックが東京で急死したとき、ぼろぼろと落涙していた映像がテレビで流れたときの衝撃がいまだに忘れられません。それ以来、子どもながらにブロディのことを「情に厚い人だ」という目で見てきたので、その後のいろいろなトラブルも、単なるワガママとは思えませんでした。有田さんのおっしゃる「自己プロデュース」と「作り手の意識」には深く同意します。
さすが。
愛がなきゃこの考察はできないですね 改めて有田さんのプロレス愛を感じます
日本でいう猪木武藤大仁田のように、
自分をよく見せるのが何よりも一番っていう個性だったのは確かかなと思う
「ブロディは大仁田厚を拒否すると思う」は物凄くわかりやすい。
悲しい最期でしたが………
間違いなく、2大団体を渡り歩き、昭和の日本のマット界を盛り上げた功労者の1人だと思う。
マネージャとギャラで揉めて〇〇されたんだよな。当時小学生でプロレスラーでもガチの喧嘩ならこんなもんかと思いました
@@ネロネロ-h2e
ジャーマネじゃなくブッカーだね、同じギャラトラブルでもゴッチvsロジャースがマシに見えてしまう。
プロレス好きな友人がいまだに大好きな外国人レスラーであるブロディ。
90年代のハンセンのように、四天王の壁として強さを見せつけるブロディも見たかったですね〜…
ダラスでVSブロディでフルハウスを続けてたカブキさんも同じようなことを言ってたね
「ブロディ相手の時はセールの時はセールしないとスイングしない」的な あの人もプロレス上手かったからね
ブロディ好きだったな。体がデカくて迫力がありつつも、ドロップキックも華麗で華があった。強かったけど、どこか寂しげだった。印象的だったのは、デビット・フォン・エリックが急死した時、涙を流したブロディ。鶴田にピンフォール勝ちした時、涙を流して喜びを爆発させたブロディ。とても頭が良く強かった反面、繊細だったのかもしれない。
ブロディのことよく知ってますね。同感です。
ブロディ的にディンク君のアングルはOKだったんですね
素人相手にやさしいニードロップもできるのがブロディの凄い所
鶴田に勝った時は嬉しくて思わず会場のファンと
抱き合って喜んでしまったのも忘れられないですね。
ブロディは自己プロデュース力に優れていてアングルも結構自分で考えたりしてたそうです
猪木とはそのあたりが決定的に合わなかったように思います
全日本で長州やマスカラスとやった時は事故物件でしたが受けが出来ないと思った相手には厳しかったようです
テレビの元スタッフの人が言っていましたが、「この企画じゃ俺を活かせない」と言って、自分を活かした更に面白い企画を考える有田さんもブロディのイズムを持っていると思います
そもそもブロディが有田さんの考察通りの考えをしていたか、という前提がありますけどね
サッキーさんか
@@yo-lh9gv
正解です。対照的に、ロンブー淳さんは企画に乗った上で色々な提案をしてくれるという話もしてました。
プロレス愛に満ちた
素晴らしい考察で
感動しました!(涙)
プロレス愛だけでなく同じ表現者としての優しさに満ちた眼差しが胸を打ちますね
存命だったら77歳。ハンセンは今でもたびたび来日してファンを楽しませてくれてますが、歳を重ねてからのブロディも見てみたかった。昭和のファンはブロディのことを忘れることはないでしょう。合掌。
なんか優しい気持ちになれたよ😢有田さんの考察は、温かい。
待ってましたよ考察シリーズ。本当にワガママだったのは事実だろうけど有田さんの考察通り個性の塊のレスラーが自分と合わないからついワガママになったのかなぁと思います。
ブロディは体の小さな選手すべてを嫌ったわけではないです。
カブキやフレアーなどの受けの技術を持った選手はリスペクトをしていました。
要は、長州やマスカラスのような、相手の技を受けず自分のやりたいことだけ押し付けてくる選手を嫌っていて、成敗していたのでしょう。
考察シリーズは有田さんの知識と福さんの聞き手で1+1=100になって最高です!
え、1+1は200で10倍になってるんじゃないんですか!?(笑)
ブロディは長州よりは藤波の事は認めていたみたいですね
「藤波は体は小さいが、それを補うものも持っている」と言っていたみたいですし、ジャーマンスープレックスも受けていましたからね
あのジャーマンには驚きました。
考察シリーズ待ってました!猪木さんに「あんな奴は大嫌い」と言わしめたブロディは良くも悪くも個性が際立つプロレスラーでしたね。
個人的には「世界9番目の不思議」チャイナ(ジョーニー・ローラー)を取り上げて頂きたいです!
新日で他の男性レスラーと同枠で試合が組まれた女性は後にも先にもチャイナだけだと思います。
激しく同意です。チャイナはすげー好きで大ファンでした。ボディビルダー→プロレスラー→ポルノ女優、、トリプルHとの☓☓動画等々、、常に話題の人でしたが亡くなり方が悲惨でした😢仮に今生きてたらレジェンドとしてwweやaewにちょこちょこ登場していたかも🙏🥲
チャイナは現代の新日ならばオカダの次くらいに大型の部類になりますよね😅
有田さんらしく素敵な考察でした。
専門誌に載っていた安らかな寝顔は、今でも時々、思い出されます。日本と日本のファンが大好きだったことは、間違いない事実。
スーパーストロングマシンの考察もいつかお願いします
猪木は晩年までブロディのことを嫌ってたみたいですけど、猪木に嫌われるって名誉なことですよね。
猪木ですら思うように扱えなかったってことですから。
ブロディは、試合で本物観戦したのが懐かしい!ヤッパリ‼️昭和のプロレスは、良いなぁ‼️😮
ぶっちゃげ、今でもハンセン、ブロディ組がプロレス最強だと思ってます👌
異論なしです🖐️
永遠にそうだと思います。彼らを越えるチームは現れないでしょう。
ミラクルパワーコンビ以外だとロードウォリアーズ、ベイダー・ビガロ組、スタイナー兄弟、ジェラシックパワーズ、さつ人魚雷かな。あとハンセン・ベイダー組も加えたい…。
ハンセン&ブロディ組に対抗できるのは馬場&猪木のBI砲くらいじゃないでしょうか
@@daimon2002 みんな、強いタッグ好きなんだよね😄👌
ミラクル・パワー・コンビ
ハンセン・ブロディ組とか誰が勝てるんだよ
世界最強タッグチーム紹介のときにいつも暴れてたのが懐かしい
話術はもちろん、考察が良すぎる☺
ブロディ選手で印象的なのは新日移籍の際、スーツ姿でチェーン振りまわしながら入場した姿ですねー。スーツにチェーン、まさしくインテリジェンスモンスターでした。週刊ファイトのみ、初来日時の団体発表のブローディ表記だったのも懐かしい思い出です。
そう思えば、相手の技をしっかりと受ける全日のスタイルが合ってたんでしょうね。
凄い納得!さすがというしかない。最高の神回です
1987年11月22日後楽園ホール大会でのハンセンとの(超獣対決)が
一回だけしか観れなかったのが、
ある意味で伝説になったレスラーです。
ブロディーは実は頭のいい人だとずっと思ってます。
ワザとああいう振る舞いをしてブロディーというキャラをプロデュースしてたんだと・・・
かつてコンビを組んでいた、スタンハンセンの数々の証言のを辿るに、その考えは強くなります。
小さい選手が嫌いなのではなくて、「人間が小さい」レスラーが嫌いだったのでは…と思っていました
「長州は小さいが藤波は小さくない」って発言があったと思います
建前ではそう言ってるけど本音は有田さんの言ってる通り自分のキャラ食っちゃうレスラーが嫌いってだけだと思うよ。
結果的に、有田さん自身も、ウッチャンきっかけで名前を変えたことが
多少なりとも一つの転機になってることを思えば
最後の自己プロデュースや名前のくだりは深く響きました。
私もブロディの熱烈大ファンです。70年代からプロレスを観戦していますが、未だにブロディを超えるレスラーはいません。これほど独創性あふれるレスラーはいません。後楽園ホールで蔵前国技館で両国国技館で何度もブロディの試合を生観戦したのは金の思い出です。ブルーザー・ブロディは史上最強のプロレスラーです。
少年サンデーのプロレススーパースター列伝で連載されたので、当時のサンデー読者にも認知されていたと思う。原田先生の画力がもっとも洗練されていた頃ですね。
勝手に考察シリーズはプロレスラーがいる限りできますよ!!^_^
これからも楽しみにしてます!
没後35年とは月日が経つのは本当に早いですね…
まさにファン投票1位で実現間近だった'88 8.29 武道館大会の僅か12日前の悲劇…
そしてその武道館大会はブルーザーブロディ メモリアルナイト IN 武道館という大会名になってしまいましたね…💦
結局、ハンセン vs ブッチャーのシングルに変更になりましたが、強烈に印象に残ってるのは、ハンセンが入場時 超獣コンビのテーマ🎶に乗ってブロディのチェーン⛓を持参して入場してきたシーンは最高にかっこ良かったです🤘(因みにこの日はハンセン、39歳の誕生日でした…)
相方の上田さんが言ってた、ディレクターは演者のことを2%くらいしか考えていない(悪い意味ではなく他にも考えなきゃいけない)から、100%考えられる自分の考えを大切にしたほうが良いに通ずるところがありますね。
自己プロデュース能力はプロレスラーとして成功するには必須の能力だけれども
時には引くバランス感覚みたいなものがブロディには足りなかったんでしょう。
当時馬場さんは「ブロディは知名度のわりに集客力が無い」と言っていたし
プロモーター側からすれば、そこまで特別扱いするほどでも…という感じだったのかもしれない。
マスカラスも唯我独尊ぶりが強烈だったと伺ってます。
現場ではブロディーより評判が悪かったと。
が、シュートも猛烈に強い猛者という一面も持っており、取り扱い注意の難しい選手だったようです。
いつかマスカラスの考察もお願いいたします。
もしも有田さんのこの視点による
ブロディが本当の姿とみたならば
間違いなく時代が追いつかなかった
になるのかもなと思いました。
セルフプロデュース、セルフマネジメント、ブランディングまで考慮して活動していたのならば、今でこそ当たり前の「フリーランス」という枠の範囲で活動を認められていただろうし、世界をまたにかけるスーパースターとしてプロレス界に君臨できたのかも。ただし、その時代は柔軟に受け入れきれる舞台や団体がいなかっただけなのか…と思いました。
なんやかんやあっても、長州さんが1番爆発力があって印象に残ってるレスラーはブロディだったと言って評価してるのも、有田さんの考察とリンクしてて面白い!
ブロディはワガママにまつわるエピソードが多いレスラーですが、天国でレスラー仲間とこの動画を視聴していたら、ここまで深く考察してもらえて喜んでいると思います。
馬場「ほら、ファンはYouのことをちゃんと評価しているんだよ」
ブロディ「ううっ(泣)、このGuyと生きてるときに会いたかったぜ!」
フランクとブロディ論
自分の中でスッキリ落ちました。
有田さんのプロレス愛を感じました。
ありがとうございます。
ブロディ&鶴田対ハンセン&天龍…見たかったな~😢
同じトップポジションのハンセンが
「今回負けでお願い」
「オッケー」
なのがまたブロディの制御不能感を際立たせてたよね。
長州は小さいが、藤波は小さくない。というのは実によくわかります。ありがとうございます。
自分は、ブロディが未だに好きな外国人レスラーNo.1です。👊
頭が良くてマジメすぎたので、周りとの考え方に隔たりがあったんだと思います。😢
有田さんが以前話してた、料理を食べて高い・安い・普通かを決める番組を思い出した
お笑いコンビも、2人ともコンビをプロデュースしようとぶつかり合ってると解散になりやすいというな
ブロディといえば小峠さんにいて欲しかった……有田と週刊プロレスで一番好きな回だったし
小峠の回好きな回多いなぁ
ブロディはもちろん海賊男、猪木問答、一億円トーナメント
素晴らしい考察でした…!
本当にただワガママなだけなら、今でも語られるような名レスラーにはなれないわけで。
デカくて俊敏でバネがあって強いという基礎の上に、自己プロデュースも含めたプロレスのうまさがあったことを忘れるべきではないなと思いました。
勝手に考察シリーズ大好きです。
この話を聞いた後に有プロ見直したくなります。
ブロディの回は小峠さんでしたね。
今回の考察聞いてみてほしいです!
一連の猪木との死闘は面白かった。猪木も相手の力を引き出すプロレス、つまりいかに試合を盛り上げるかってとこでブロディと通奏低音が共鳴してた。だからスイングしてたんだと思う。でも悲しいかな、長丁場出続けるとどんな選手も初期のインパクトは薄れて、シリーズの流れに沿った勝ち負けを飲まざるを得ない扱いになりがちだから、タッグ戦ボイコットのあたりでブロディは自分の高い理想に反した扱いに納得いかなかったのでは。
私は建設業界に携わっていますが、この業界で言う1人親方な人だったんでしょう。しかも困るタイプの。
こう仕事したい、自分ならこうするってのを言われても困るのよ。
会社も現場も1人のために変えるわけにはいかないから。
納得できないなら次から来なくていいよって言われて来なくなるタイプがブロディなんでしょうねぇ。
当時の全日·新日幹部も困ってたんだろうなと身につまされる思いです。
ブロディが亡くなってもう30年以上経つんですね。。亡くなったときホセゴンザレス、プエルトリコを憎みました。悲しい出来事でした。
大人になったいまでも肯定はできませんが、お互いのプロ意識から発した悲劇だったのだろうと、いまでは消化しています。
有田さんの熱量が一段上がった気がします。久々に当時のことが思い出され、涙が出ました。
ものすごく腑に落ちた
前回のスターダム回が拍子抜けだったけど、今回は熱かったね。いい話聞けた満足感、ご馳走様でした。
さすが有田👍✨ハンセンブロディvsスティボート、Jヤングの試合を知っている✨
あのコスチュームや風貌、チェーンのアイテムは全て先輩レスラーの助言。
あくまでも「プロレスの表側」で公に話題を提供する有田さんのセンスと愛に薔薇をくわえながら乾杯
移民の歌がブロディの為に作られたかのようにフィットしてたな
今でも一番好きなレスラー😄
ブロディの事件は…
ズームイン朝で見て、メチャメチャショックでした。
村田渚さんの様な、天才的なツッコミの選手が好きだったんですね。
ワガママに見えるほど、自分の作り上げたキャラクターに自信があり、それを譲ったら自分の価値が消えると思っていたのは確かでしょうね。現在のように選手寿命の長い時代になっていればまた違った姿を見せてくれたかもしれませんが、当時は矢継ぎ早にスター候補の若手がデビューする時代とあって、信念が頑迷さとして受け取られやすい環境ではあったろうと思います。
ハンセンとのコンビめっちゃ怖かったなぁ、幼稚園のころ観戦したけどデカくてすげー怖かった。それしか覚えてない。
レックスルガー戦ある意味凄いよ不穏感
試合後、ルガーはブロディに謝りに行ったらしいね。ケージマッチのルールも聞かされておらず、ブロディに見せられたカミソリの意味も理解できなかったとか
ジョニー・スミスの考察を是非
谷津選手が、ケガをしたのに馬場に試合に出ろと言われた時、ブロディが控え室にやってきて、「ケガをしているのか。俺にまかせろ」と言って出て行ったそうです。その日、谷津の対戦相手だったブロディが最初から大暴れして、それなりに試合がさまになったと、ブロディのことをとても感謝してました。
分かりやすいっす。
有田さんもインテリジェンスモンスターだと思います。
ブロディは、確かにセルフプロデュースに長けていたかも、しれませんね。
ダラスwccw時代(エリックとの親交が深い)はred river jack というマスクマンにも変身してますし、
信頼できるボスの団体には、きちんとワークしてたので、ワガママというだけではないようです。
スター選手は個性が強いですから、正直肌が合う、合わないは仕方ないかも。
キングコングニードロップやギロチン、ドロップキックと技に迫力があって猪木はタッグでフォール取られたよね。地元の体育館で見たけどオーラが異様にあってカッコ良かった。アンドレ、前田との試合見たかった。ボイコットしなきゃいいのに。
良い考察。
前田戦は実現したとして、
ブックでブロディ勝ちになっていたとしても、時期的に前田は新日本に吸収されないようになめられないように、という気持ちがあったので、ただでは済まない試合になってたと思います。
思う通りにいかないブロディがキレて試合を途中で投げ出して帰るか、喧嘩マッチになってた可能性があるように思います。
前田とアンドレ戦が年末のタッグリーグの最中に組まれてましたが、元々ブロディが来ないのを知っていて、全日本に戻るブロディのイメージダウンを計って、逃げたと印象付けるため新日本が発表したという噂もありますね。
本当プロレスっておもしろいですね。
ありがとうございます有田さん。
逆にジャイアント馬場は出戻りの丸くなった=プロモーターやマッチメイカーの言う事を聞く
ブロディを見限ってたらしいですけどね。プロレスは難しいなー
単なる我儘な選手だったら、vs鶴田のインター戦はないですよね。
鶴田・天龍選手、ボスとしての馬場さんへのリスペクトあってこそではと思います。
であれば、尚更その後存命でvsハンセンのシングルと三冠戦は観たかったなぁと。頭の良いブロディならそのタイミングも計算できたんだろうなと個人的には思います。
ブロディの死因も刺されすぐ救急を呼ばれずレスラーたちに囲まれ
「思い知ったか!」「いい気味だ!」
と罵られ処置が遅れた”らしい”・・・・悲しきモンスターよ
レスラーに刃物で刺し〇されて、その上相手が正当防衛って…信じられない判決でしたよね。
知識や実力は折り紙つきだったけど、他者を見下し、多団体で不義理を重ね、敵を沢山作って、
惨めな末路を辿った可哀そうな人というイメージ。
武藤敬司には米国修行中にテリトリーかぶってて、色々アドバイスもしてたようだし、受けから入って引出しの多い蝶野、見劣りのしないガタイでごつごつと肉弾戦を組み立てられる橋本と、新日系でも三銃士とは手が合ってたかもしれないね。
ハンセンの陽性でより輝く知性の超獣
最高過ぎるタッグでした
馬場、鶴田、天龍、猪木とのシングルは胸踊らせたものでした
個人的にはドリーの抗争が好きでしたね
勝手にめちゃくちゃ納得した。
80.90年代に日本で活躍した外国人8人をトーナメントにして、有田に試合展開と優勝決めてほしい
ブロディ、ハンセン、ホーガン、ノートンあたりは入るかな
この考察だとすると自己プロデュースが出来ていたアンドレやホーガン戦は実現出来なかったのも頷ける。
だから手が合う相手が限られちゃうんだろうなあ。ブロディ対鶴田なんて面白かったけどなぁ。対猪木よりスウィングしてた。
ブロディと互角に闘える日本人は鶴田だけ!
80年代中盤、ホーガンはWWFにブロディが来る事に怯えてたらしいし、片やブロディはホーガン人気にナーヴァスになっていたとか..
全日本でハンセンが90年代後半まで四天王の壁となって活躍出来たのは、ブロディの不在が間接的に関わってると思う 全日本は三冠を巡る戦いにかなりファンに急かされていたから存命していればハンセンVSブロディの結着を求められる 当然、馬場はハンセンを押すカタチになるのでブロディはもしハンセンに負けたら潔く引退したかもしれない
素晴らしい考察です。納得出来ますね。IWGPタッグリーグのボイコットは「藤波木村組を優勝させたい」と 言われ、開幕戦で藤波組に星を落として(→訂正済み)優勝決定戦でまた負けるのはプライドが許さなかったのでしょうか。この時のギャラを回収するために翌年猪木藤波とのシングルを受けて、これっきりのつもりが新日本が勝手に前田戦とアンドレ戦を発表したので当然行かなかった、とか。全日本に復帰して夏の武道館大会でファンによる人気投票でカードを実現させる企画で週刊プロレスが「みんなでハンセンvsブロディに投票しよう」と煽って盛り上がってたところに悲報が・・・
開幕戦では「フェンスアウト」の反則勝ちで木村健吾がブロディから星を拾った結果だったと思います。ニューリーダーコンビが大金星と騒がれたのを思い出します!
@@ましゅーポテト 反則でしたか。記憶がごっちゃになってました。ありがとうございます。
ブロディの代理をしてくれるマネージャーがいたら違った人生を送れてたかもしれないなぁ
1983年頃までバック・ロブレイがマネージャーをしていたな。
@@しるくー
ハンセンは著書で「ロブレイと関わらなければああはならなかった」とふれてました。
最終的にマネージャーともバチバチになって喧嘩別れしちゃうイメージ
マネが不義理したら絶対許さないだろうし
人間不信ぽい気もするし、自分で全て決めたいから勝手に決められたら怒りそうだし
ブロディを本当に輝かせたのは、天龍同盟時代の天龍さんだったのでは?と感じます!
分かる範囲で構わないので有田さんなりの国際プロレスの考察お願いします🤲
ブロディとアンドレの死は、フリーランスが腕一本で渡り歩く古きアメリカンプロレスの終わりを象徴している
ブロディとパンクはカリスマが故に重なってしまう。
もしブロディが生きていたら四天王とどんな戦いをしていたのだろうか
ハンセンブロディ対ゴディウィリアムスも見たかったな
いつも楽しく拝見してます。
有田さんに1度金丸義信選手を考察していただきたいです。
「枯れない泉」は名言🤣
鶴田も生前ブロディの思い出を語りながら「ひょっとしたら、それだけプロレスを愛していたのかもしれないですね」と言っていましてよね。
愛のある考察に、もうそれでええやんという気もしてきますね、、、
ただセルフプロデュースに長けたインテリ、ということで思い浮かぶのが、元所属事務所トップの大先輩に筋も通さず無礼を働いた挙句、投げっぱなしでプロレスもせずに逃げた、おふたりの後輩でもある某RUclipsr。逆にヤバイ方が多い気が、、、
また有田さんの考察通りなら誰かしら近しい人から多少なりともその手の裏話が漏れ出てるんじゃないかとも思います、、、
さておき裏話と言えば鬼越トマホークのチャンネルにタカさん枝豆さんがゲスト出演された回で、TPGの件を少しお話されてました。興味のある方は是非、、、
アメリカでのブロディと言われてもダラス地区くらいしか思い浮かばず、
WWWFで一応メイン級にはいたけども定着せず、現代のアメリカのプロレス史観では全く取り上げられることもなくなった理由がよくわかりました。
一方ハンセンはブルーノとの大アングルや情報が渡らなかった時代の日本での活躍が神格化され、WWE殿堂入り含めたレジェンドの位置にいるのに。
殺害される直前まで、ブッチャーと抗争してましたね。
ブロディさんが、黄泉の国に、いってから、
数日後のハンセン対天龍戦
は、ハンセンがブロディに対する友情が垣間見えた試合でしたね。
それぐらい、ハンセンと、
ブロディさんはずっ友❤
ブロディの膝下のモコモコは、足が細いというコンプレックス隠しの意味もあったという説を馬場さんがどこかで言っていたような。