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動画を見終わったらコミュニティで「織田秀信家臣」のアンケートをやってますので、よかったら回答をお願いしますこの「岐阜城の戦い」の動画は下記「米野の戦い」の続編になります。併せて見ていただけますと、より理解が深まると思いますので良ければご視聴ください。ruclips.net/video/78ZwscPiq88/видео.html
岐阜山越えすぎだ.
30分があっという間でした。待っている間の1ヶ月は長かったですが、これだけの情報量と地図を1ヶ月で作り上げられたのは驚きの速度です。次の動画を待つのも苦ではなく楽しみになりました。お飾りの織田の嫡流という認識であった三法師のイメージが、前回・今回の動画で全て変わりました。これほどの名将が一大名で終わったのは惜しい。西軍の戦略に関与できる重鎮であったなら、とif展開の想像がはかどります。
お待たせしてすいませんでした、とりあえず動画に満足いただけたようで良かったです♪if展開の動画を作るのも面白そうですが再生数はダメだろうなぁと思って踏み込めない感じです。余裕が出来たら限定動画でやるのも良いかもですが、余裕がないww
高遠城の仁科盛信も同じく一日で落城してますが評価高いので、戦国オールスター相手と言ってもいい相手に激戦を繰り広げた秀信はもっと評価されるべき斎藤利治の息子義興が秀信の下に居たのは知りませんでした織田斎藤は信長と道三から信忠利治、秀信義興と2代続いて一緒だったのは少し感動しましたあと救援に来ないどころか勝手に敗北してる石田勢は秀信に土下座するべき
斎藤利治はもっと有名になってもいいと思うのですが若干マイナーですね本能寺がなければ斎藤義興も国持大名クラスになれたんじゃないかなぁとか思います
織田秀信が西軍として戦ったが、前哨戦で敗戦したことは知ってましたが、木造長政もここまで勇名を馳せてたとは知らなかったです。そういえば北畠具教の甥にあたるのか。
毎回毎回本当にすばらしい動画で感動をおぼえるほどです。
篠川典子様スーパーサンクスありがとうございます!とても励みになります。次も褒めてもらえるような動画をガンバリマス
織田家嫡流、かく戦えり、ですね。どんなに絶望的な状況でも怯まず最後まで戦い抜いたのは称賛に値します。もしもを考えたくもありますが、あくまで敗軍の将を甘んじて寂しく命を終えるのまた美しいのではないでしょうか?彼の指揮の下に戦った家臣達が後の世で栄達していったのが、最大の救いだと思います。
滅びの美学になりますか
まずは動画作成、本当にご苦労様です。相変わらずの秀逸な作り、こだわりに感服しました。このメンツでよく頑張ったと思う。感状のくだりは、司馬遼太郎の関が原でも描かれてたと思うけど、秀信家臣が其々新しい主君に恵まれたのは、奮戦もあろうが秀信の感状も大きいと思いたい。個人的には福島正則って男がどうしても憎めないんだよね。強いのに直情径行、そして酒でやらかす。彼に仕えた木造や飯沼の子孫は改易後どうなったんだろう。
木造さんのその後は別コメで詳しい方が回答してくれてました酒でやらかす正則さんもアレはアレで好きw
憎めないけど、家臣は大変だったと思うよ。横山やすしみたいな人や。
今回も最高でした😊 暑い中動画作成お疲れ様です!
のらねこ男爵さんスーパーサンクスありがとうございます♪うちの動画は爆発力がまったくないのでwジワ伸びな感じですねえたまには素直に伸びて欲しいと思いつつもマニアックだから無理かwこんなマニアックなチャンネルを維持できるのも皆さんの支援のお陰です
織田軍最後の戦いの顛末がすっと頭に入り込んでくる。3D立体図の分かりやすさと、よしふじさんの緻密な研究の成果、ちょっとの遊び心が全部調和してますね。この戦場にこれだけしか兵力を割けなかった判断が織田軍の将兵にとっては災難だったでしょうが、それでも一戦場で必死に戦った姿を同時代の人たちが見ていたからこそ、彼らが戦後厚遇されたのでしょうね。
回転する3Dマップはプレミア放送では好評だったかなうざくならない程度に多用してみようかと思います織田の不幸は西軍全体の作戦がダメダメだったことですね木曽川の重要性を織田家しか分かっていなかった・・・
福島正則って匹夫の雄感あるけど武将としての心意気があって好き
男の心意気ですな、準主役なんで福島さんを贔屓してしまいましたが
だからこそ戦後の待遇がかわいそうではある
先生~、今回の力作も凄く良かったです。合戦を見てらしたかのような描写、それぞれの武将の背景や、細かい挿し絵、検証作業など素晴らしい。〆方も美しかったです。内容が重いので何度か拝見いたします。あと、岐阜城はロープウェイで行くところ(あまりに高く険しい)なのに、戦国時代の日本人、強靭ですね。17年ぶり五止めの落城って 😢 😅
内容が重い>うーん、よく言われます。なにか改善する方法があればよいのですが・・・
@@Yoshifuji-Sengoku いえいえ、先生のファンは先生の細部まで大切にするこの細やかな動画(先生の努力の結晶)を愛しています!改善× このまま突き進んでほしいです!先生、無理のないようにおねがいします!
こうやって俯瞰的に見ると秀信は考え得る限りの(ほぼ)最善を尽くしてますね。有能だからと言って勝てるとは限らない。そんな世の無常を感じます。
戦いは数だよ兄貴な結果ですね
織田秀信は徳川家康・秀忠・家光に仕えて長生きして欲しかった...
織田信雄と同盟した家康とは疎遠だったのかなぁとか思ったりしてます
信雄と秀信は仲がわるかったんかな?
全て秀吉のせい
福島正則はやっぱり男気がありますね。色々言われる事が多い人ですが、私は好きです。
このシリーズでは福島正則をかなり持ち上げた感じです。その反動で池田輝政が悪役になってしまいましたがw
この回もすごく詳しく解説されていらっしゃり、びっくりしました。また、この地は思いっきり地元でして、岐阜城から瑞龍寺砦まで子供のころ遊びまわってました。写真には実家も写ってたりしてます笑。そんな地で昔はこんな激戦があったんだと感慨深いです。
めちゃくちゃ地元で羨ましいwいずれ岐阜城は織田信長シリーズの美濃攻略でまた落城する予定ですのでw再登場をお待ちください。
やけに詳しい戦場の解説動画だと感心していたら「よしふじチャンネル」さんの動画でしたか。なるほどね。他でも似たような実際の地図を使用した戦場の解説動画がありますが、このチャンネルは簡潔に詳しく解説しているので素晴らしいと思います。兵数があると更に分かりやすいと思いますが、信用出来るか出来ないか解らない数字もあるからその辺りは仕方がないですよね。今後も応援しています。頑張って下さい。
兵数は根拠が薄いのと画面上が賑やかになりすぎるので省いている感じですね
織田秀信は祖父の優秀な資質をかなり受け継いでいた人物だったのでしょうね。
三代目として非凡な才能をもっていたと感じてしまいます
立体マップで図示しながらの、それぞれの戦場での武将や兵たちの臨場感溢れる戦の解説が素晴らしいですね!早速、登録させて頂きました。
登録ありがとうございます♪過去動画は立体マップでないものもありますがよければ見てみてください
岐阜城は斉藤時代から何度も落ちてるなんちゃって堅城のイメージ強かったけど、ちゃんと尾根沿いに砦、曲輪が備えられてて、しっかり堅い山城になってることがよくわかりました!岐阜城が堅城で奮戦したけど衆寡敵せずで落城したんだなあ…。堅城ぶりの描写、本当にお美事にございまする!
ビジュアル的に見て楽しい動画になるよう頑張っておりますが、今回は良い感じに出来たかな。あまり本格的な城攻めは作ったことがなかったので、作ってて面白かったかもしれないw岐阜城は山上がやっぱり狭いのでどうやっても大軍が篭れる城ではないのかなと思いました。やはり打って出ることが基本な篭城なんぞする気のない織田信長の城なので籠城戦は難しいのでしょう。
稲葉山、岐阜城は信長が落とすまで10年かけてますよ。 義龍の代では落とせず、龍興の代で調略による落城です。 ドラマでは面白くない期間なので桶狭間から上洛まで一気に飛びますが、美濃攻略は信長にとって一大事業です。
@@又兵衛-y2o 美濃一国としてある程度固まってると強固なんですよね。
個人的には岐阜城という名称より、稲葉山城の方が好きです。さて、昔見た、大河ドラマ「国盗り物語」で、稲葉山城は難攻不落の城、として描かれていました。織田信秀、信長の二代にわたる侵攻を何度も退けています。しかし、籠城用の城としては井戸水が出ないので、現実問題として、長期の籠城には不向きでした。本動画の主人公である、織田秀信は、命名は秀吉がしたのでしょうが、自分を織田家より上に置いた秀吉のいやらしさを感じます。
たまたま聖徳寺のあった冨田には5年ぐらい住んでたんですよ。名前が出てくると嬉しいもんです。岐阜城って城山以外の土地がほぼ完全な平野なので攻める側も素早く展開しやすい気がします。もっと兵力があったとて城のキャパ的に無理があったろうし、水を止められても厳しい。見た目堅牢そうでも籠城にはあまり向いてなさそうな気がします。
そのうち聖徳寺の会見を扱う動画もリメイクするので冨田をクローズアップしてみたw
三法師はただのボンボンみたく思ってましたが、割りと戦もそこそこ行けたみたいですね。でもやっぱ戦歴を積む場数が少なかったのでしょうかね。戦力分散をやってしまったのも、ちと経験不足な感が伝わって来ます。高野山へ送られたのも、才能を鑑みて後日に再興の可能性を持たせたのかな?とも思ってしまいます。いずれにせよ、まるで愚将と伝えられてきた秀信に再考の光を点して暮れて面白かったです。PS.戦況解説はノルマンディ戦みたいな臨場感を感じました。
百々や木造らの指揮のおかげだとは思いますが、家臣に能力を発揮させるのも器量のうちかなと。戦力分散は明示はしませんでしたが実は否定的
援軍が来る前提なら砦は捨てて籠城戦もありですけど、そうでなく孤立しているのなら砦の守りを固めてることで逆に相手の兵を分散、各個撃破を狙うのはむしろ理にかなってませんか?しかも岐阜城をよく知る池田や細川というかつての織田家家臣団が相手。守り辛かったと思いますよ。
東軍のテンションが高すぎでしょう。それに敵も味方も、旧知の仲+地元での戦い 地の利が分かっているから やり難いのかやり易いのか複雑ですね。これを見たら、関ケ原の戦いは西軍の大垣からの撤退戦としてみえてしまうのも納得です(小早川秀秋の動きの動画の感想)。また、加賀野井城を取り上げていただきありがとうございました。
小早川秀秋もリメイクしたいな
よろしくお願いします@@Yoshifuji-Sengoku
見応え充分でした😊
ねこですさんスーパーサンクス感謝です♪次も満足してい貰えるような動画作成をガンバリマス
相変わらず、詳細な調べのもと、且つ面白い語りを有難う御座いました😊🎉
大変分かり易く、知らないことも多くとても勉強になりました。1番驚いたことは福島正則が自宅前の道路を通って進軍したことでした。
それは羨ましい。ただあくまで推定なりますので
池田氏が縄張りした姫路城、本丸廓に井戸が無いということで、凝り倒してはいるものの、あくまで見せるためのもので「実用品」とは考えていなかった節があります。岐阜城も、見かけは凄いが水の手、七曲口を取られればすぐ詰んでしまうように見受けられますね。織田方が長良川まで出陣したのは、この弱点を自認していたからでしょう。
斎藤道三も篭城と見せかけて打って出て織田信秀を撃退してるのでマジで岐阜城は篭城に向いていないと思います
本当に孤立無援な戦いだったんですね。援軍もない状況で最後の最後まで戦い抜いた織田秀信と織田家臣団。なんか泣けてきます。。最後に思ったのがもし織田信長ならこの戦いどう戦ったのだろうかと想像してしまいました。
稲葉山城(岐阜)で斎藤道三は城下に引き付けてからの逆撃やってましたが若き織田信長なら・・・やっぱりどうにか奇襲かしら
岐阜城の戦いは、各砦分散配置をしなければ結果が変わっていたんでしょうね😢織田信長の孫として一矢報いて欲しかった😢😢
織田恩顧武将にに一瞬でも御恩を忘れさせる三成の嫌われっぷりがやばいと改めて感じた。
嫌われっぷりは戦国最強ですねw
ありがとうございます!
こっちの動画にまでスーパーサンクス感謝です!岐阜城の戦いはかなり力を入れて作ったのでありがたいです♪
勇戦ぶりや最後の感状のくだりを見るに秀信は、家臣たちにとってよき主君だったのでしょうね。
よき主君であったと思ってくれたなら作った甲斐がありまする
おもしろかった。大河ドラマでは瞬殺だったけど、みなよくがんばっていたことがわかった。その後の子孫の流れもわかり、安心できました。
評価いただけて感謝でありまする。今後の動画でもその後の流れもできるだけ入れていくようにしますね
素晴らしい解説でよくわかりました。岐阜城の戦いって、もっと簡単に負けたと思っていました。落城までの時間は早いけれどこんなに奮戦していたんですね。三成方がもう少しうまく軍を展開していれば、と思わずにいられません。
西軍の美濃の兵力がもう少しあればと思ってしまいますね
なるほどです☆
今回も大変な力作でしたね。お疲れさまでした。其々の攻め口の担当や、ルートが大変分かりやすかったです。以下は私個人の感想(思い出含む)になりますが岐阜城は子供のころに金華山ロープウェーで登ったことあります。山道は急峻で、登った後の尾根沿いの道は広くは無いので大軍の優位性はあまり発揮できず、さほど堅城でなかったとしてもうまくやればもう少し長く持ったのではないかと思います。数日後には宇喜多勢が大垣に着いているはずなので歴史は変わったかな?と思いました。(たらればを言い出したらキリが無いですけどね)次回の動画は岐阜城攻めに参加しなかった黒田、藤堂勢が戦った「合渡の戦い」でしょうか?
岐阜城に行くならやはりロープウェイですねぇしょうじき登れる気がしないですwこの動画が伸びてくれたら合渡の戦いの予定です
織田秀信は織田の天下を秀吉に横取りされた格好になってしまっているが、それでも秀吉との関係は良好であったと言われている。これこそ、人たらし秀吉の真骨頂である。これ見ると、どうしても秀頼を追い詰めた家康が悪く見えてしまうのですねえ。
信長に引き立てて貰った秀吉と別に秀吉に引き立てて貰っていない家康との差と考えればよいのかな
今回も素晴らしい内容で感動しました。一つだけ、「再士官」ではなく「再仕官」ですね。
どうしても誤変換は出てしまいますねぇ(涙
堅城に見えて5回も落城している
篭城する気がほとんどなかったであろう信長の城ですからねぇ
必ず「難攻不落」の枕詞が付くのにここまで落城してる山城も珍しいですよねwまぁ金華山が急峻すぎて広い廓が設けられず、まとまった兵員を収容できない城なので、もともと単体での籠城には向いていないと言われてますし(周辺の支城との連携が前提のつくり)
日本史はあまり学んでいなかったので、岐阜は関ヶ原だけだと思ってたけど、まさか地元でもこんな戦があったとは…
関ヶ原前哨戦だけでも岐阜県内でかなりの数の戦いやってますのでなるべくたくさん解説できるようにガンバリマス
木造長政がかなりの好待遇で召し抱えられてるけど、福島正則が広島城修理しちゃった後は大丈夫だったんだろうか...
かなり詳しい続報ありがとうございます
岐阜城失陥は勝敗に影響した感ある(落ちなくても西軍に勝ち目があったかはアレ東軍側に岐阜城関係者いるのがなぁ…
木曽川を越えられた時点でまあアウトですね
いくら家のためとはいえこの恩知らずどもは…
池田輝政、山内一豊「恩知らず?知らんなぁ?」
@@盛川勝 一豊は親父が信長にやられてるくさいから恩もあれば恨みもあるって感じかもね
岐阜城ってホントに守れない城だよね…愛知からだと、木曽川突破されたら城まで見通しのよい平野だもんね。あの土地行ってみて、これは守れないよな…って素人ながら思っちゃうぐらい岐阜城から平野が広がってるよ
西軍の木曽川の重要性の認識が甘かったことが敗因ですねぇ
「三法師こと織田秀信の悲しき末路」あくまで個人的な考えや思いですがその後の彼の人生を考えれば「末路」ではなくそもそも彼の器に合った人生への「起点、岐路」になったのではないかと思っちゃいますね☺
織田秀信に従った家臣団にとってはまさに起点・岐路になったかも
もしも織田信長が秀信の立場だったら同じように一戦交えて散ったような気がする。なんせ年が若すぎて時勢に翻弄された一生だった。なまじ織田嫡流という名門に生まれたため豊臣、徳川氏に微妙に敬遠され自身の能力を十分に発揮出来なかったことは残念だった。
信長も間違いなく籠城はしないでしょうねぇ年齢も場所も血筋もタイミングが悪かった・・・
以前から不思議だったのが西軍、三成らは東軍の動きを全く把握していなかったのか、という事。秀吉なら細作、間者などを多数放って敵の動きを把握しそうに思いますが。織田勢に単独で戦わせて負けてしまったのはその後の流れにも大きく影響したかと。本来は上杉を攻める東軍を背後から、というのが大筋。すぐに引き返した家康が見事だと言えばそうだけど美濃まで来ていた西軍が、東軍にあっという間に態勢を整えられたというのはお粗末でしたね。
三成の動きは次の動画でやれたらなぁと思ってます
まぁかすかな希望を託しての大戦のつもりだったんだろうけど西軍に捨て駒にされてるのがなんともいえねえ。
最前線の立ち回りはやはり難しいですね・・・
西軍の捨駒、そうかもしれないですねえ。万一、秀信公が西軍勝利に向けての大立役者(象徴の一人)にでもなると、織田の天下を簒奪した豊臣家としては、以後の寝覚めが悪くなりますね。
「米野の戦い」からもだけど東軍が圧倒的大軍だから終始押されっぱなしだけれど、それでも最終局面まで組織だって戦闘してるので織田秀信軍って中々に精強?。それとも織豊系の軍事制度がそれだけ強固なモノだったのだろうか?。攻め手の池田・福島以下の軍勢も織田軍の抵抗による損害を乗り越えて戦い続けるし。秀信はただに神輿で無能だったら織田軍もここまで激闘できなそうだから、もし良い状況であったら大きな武功を顕す事だってあったのかもって思いますね。
あっさり負けたという表現が多いので無能扱いですがほんとに最期までよく組織だった抵抗をしたなーと作ってて思いましたただの神輿のためにここまで臣下もやらないよなぁと
池田家の家臣は犬山城や岐阜城と元居城は落とし方をよく覚えているなぁと感心するw織田秀信の助命は池田輝政が言いだしそうなもの(秀信の母が塩川長満娘説であるなら兄の後室の姉妹、森可成娘説なら姉の元嫁ぎ先関連)ですが言い出さなかったあたり、案外秀信の母はどちら説でもないのかもしれません。
こんなこともあろうかと城の弱点を研究してましたかね
恩知らずどもで笑ってしまった。ホント戦国時代って代が変わるとかつての主家も何もあったもんじゃないんだよなぁ。それにしても、織田秀信のように美濃尾張を領有すると身の終わりになってしまうんですかねぇ。
源平合戦以来のダジャレですね。
美濃尾張を本領とする織田家は滅びる運命だったんだよ!な、なんだってー!!滅びる寸前で裏切りかまさなければだいたいは許される感じですね恩知らずは、まあ織田秀信が主役の動画なのでwそういえば「鉢田の戦い」もやってないんだよねぁ・・・
22:32 笑っちゃった笑笑
笑って欲しいところで笑ってもらえて報告までしていただけると嬉しいです♪
@@Yoshifuji-Sengoku23:03 ここもですね笑甲子園みたいな言い方すな!ってツッコミたくなります笑
非常に惜しい。音割れさえなければ!
水野忠重が討たれた事件が加賀野井城の城主不在に繋がるのか
訳の分からない事件なんですが、これも西軍の痛手になってるのがねぇ
恩知らずども突然の罵声に草
織田視点なのでw
5;50ぐらい。あれ?なんでこんなトコ(下総か常陸か)に蘆名?と思ったらそういや、最後の当主って佐竹から養子でしたわ。アイツ会津蘆名滅亡後実家に帰ってたんすね。
蘆名義広は一応独立した大名ですが、まあ佐竹のオマケです
しかし東軍諸将のやる気や機動力は大したものですね。何か期すものがあって戦ったにしても西軍諸将よりも動きがよく見えます。反乱軍扱いされた事で何としても早期に勝たなければと焦っていた事でこの様な活動が出来たのかも知れませんね。逆に西軍諸将は官軍になったとの驕りもあったのでは?いずれにしても朝鮮出兵の諸将は戦意旺盛で、多くの大名がまだ余力を残していた事は伺えますね。
西軍は毛利が違う方向にやる気出してたのが誤算ですかねー
気の毒に😅。家康公もお上など高貴や人間が晩年を過ごす事で有名な、土佐の国持ち大名にして上げれば良かったのに😊そうで無くとも、秀信が平均寿命まで生きていれば、その血統諸々を考えると、そのうち捨て扶持として数万石くらい支給されて小藩の藩主として返り咲いた可能性も充分あっただろうに😢。
有楽、織部とともに、数寄者として後半生を送る絵が見える。
大坂の陣まで生きてれば復活もあったかもですが本人にその気がなかったんじゃないかなーとか勝手に思ってます
@@Yoshifuji-Sengoku 北条氏直や足利義昭も捨て扶持で大名に返り咲きましたし、氏直に限っては何処まで本当か知らないですけど、秀吉が相模国を返還するとか国を上げる事を考えいたと言う説が有りますしね。
確かに 武将としての才能はなかったかもしれないけど大名としては優秀な人だったと思う
そう思って思えたら作った甲斐がありました
敵方には元岐阜城城主もいたし弱点はバレている状態だ 勝つのはかなり難しいと言っても過言ではない 余程の名将でもなければ勝つに勝てぬ戦よ やはり織田秀信やその家臣団は評価が低すぎるように感じる😊
織田秀信と家臣団の評価が少しでも上がれば動画を作った甲斐がありまする
福島正則の画像と音声は常に亡き蟹江敬三氏で再生されてしまう。あと『17年ぶり5度目の落城』が甲子園大会出場校みたいで吹いた。
岐阜城、見ただけで攻めるの難しそう…
五度も落城しちゃうんですよね(涙
こんばんは。うんまあ形的には二股だけど寡兵でよく戦ったと思うよ。杉浦重勝は。裏切りもなくもう少し後詰めがあれば2万5千もの大軍釘付けに出来たのになあ。やっぱり返す返すも三成の動きが遅すぎる。悪すぎる。故に相手に先手を打たれて合渡とか抑えられてるわけだから。三成本人に戦のセンスがないのは皆知る所だがそれなら島左近や大谷吉継は何をしていたんだと思ってしまう。織田秀信はギリギリまでよくやったと思うよ。祖父や父の名を汚さないものだったと思う。分散したのも最後まで援軍が来るとの望みがあったのだろう。
島左近は三成と一緒にいたと思うけど、大谷さんは北陸へ・・・杉浦重勝が頑張ってなければ閻魔堂の織田秀信は挟撃されたかも
なんと、カインス松伏店とな
史跡にカインズ建てるなと本気で思ってしまったw
これ見ながら岐阜城にもう一回のぼりたい というか岐阜観光とかこーゆーアプリ作ってくんないかな
武藤砦すら今の岐阜城では扱いがないのよねー(涙
落城回数で言ったら岐阜城が「山城の横綱」、前橋城が「平城の横綱」で東西両横綱と勝手に思っていますw
謙信の越山のリベンジもしたいとは思ってます
秀信はまともな軍事経験はおそらく皆無であり、関ヶ原の戦いの時点で戦争指揮で何を基準に何をどう判断するのかわかっていなかっただろう。その家臣団は文禄の役には百々らが(先に岐阜13万石大名であった豊臣秀勝の旧臣を)率いて戦ったりして比較的近い時期に戦闘経験は積んでいたろうけども。岐阜城攻防時も秀信は具体的に指図は出さず基本ただ神輿として終始したと思われ、その賢愚の程はわからずじまいかな
福島も大概だが 秀信を許さない(難色を示した)東軍諸将も酷いですね・・・・・・
頑強に戦ったので東軍の死傷者も多かったろうから受け入れがたかったかな
二股かけてたからこそあれだけ戦えたのかもしれません
後顧の憂いがないのは覚悟するのに必要ですね
この情報はどこの資料にあるのですか?
そもそも秀吉に乗っ取られたのに、何故ここで徳川へ付かなかったのだろう?
家康がついた信雄との関係性だと思います
尾張美濃の二カ国を丸ごとが大阪方からの成功報酬として約束されてました。『旧領復活』という餌に釣られたんじゃないかなと思われます。
石田三成とは個人的にかなり仲が良かったり、豊臣親族衆(家康や利家)の一部を除けば豊臣家内の序列ではトップにいるなどそれなりに厚遇されてましたね。
織田秀信には滅びの美学がある。
織田秀信に弟がいたんですね。知らなんだ!
秀則くんだけでもどっかで登用されて欲しかったですねー
まだ数え21歳やぞ
まだ数えで19歳なのに無双する祖父・信長の動画を作ったので良かったら見てねw
恩知らず共wwwたしかにそうだけどw
笑って欲しいところなので結構ウケてて満足w
恩知らずどもは草
まあ、織田秀信視点からですのでw
23:04~ 甲子園かよ🤣
甲子園ネタに気づいて貰えて嬉しい♪
信雄と秀信は仲がわるいの?
信雄は自分の子供に三法師とつけるぐらいなんでねぇ…
@@Yoshifuji-Sengoku それは仲良さそうですね、大阪城であってそう
福島正則かっけえ
主役の一人として描いたのでカッコよく見えたのは嬉しい
本当福島正則は脳筋なんよな
脳筋ぷりが大好きw
如果對政治敏感一點,就不會加入石田這種爛人。可惜了,信長公嫡流。
チラッと無課金勢が・・
??
いいえ、織田は無能です。
本当に無能であれば、優秀な人は去っていく。斉藤龍興のように。それだけ有能な家臣が付き従ったということは、男気があり、決して無能だった訳ではないだろう。この時代、武家で生まれたらどんなに生きづらかったか計り知れない。
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岐阜山越えすぎだ.
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斎藤利治の息子義興が秀信の下に居たのは知りませんでした
織田斎藤は信長と道三から信忠利治、秀信義興と2代続いて一緒だったのは少し感動しました
あと救援に来ないどころか勝手に敗北してる石田勢は秀信に土下座するべき
斎藤利治はもっと有名になってもいいと思うのですが若干マイナーですね
本能寺がなければ斎藤義興も国持大名クラスになれたんじゃないかなぁとか思います
織田秀信が西軍として戦ったが、前哨戦で敗戦したことは知ってましたが、木造長政もここまで勇名を馳せてたとは知らなかったです。そういえば北畠具教の甥にあたるのか。
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もしもを考えたくもありますが、あくまで敗軍の将を甘んじて寂しく命を終えるのまた美しいのではないでしょうか?
彼の指揮の下に戦った家臣達が後の世で栄達していったのが、最大の救いだと思います。
滅びの美学になりますか
まずは動画作成、本当にご苦労様です。相変わらずの秀逸な作り、こだわりに感服しました。
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木造さんのその後は別コメで詳しい方が回答してくれてました
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横山やすしみたいな人や。
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たまには素直に伸びて欲しいと思いつつもマニアックだから無理かw
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木曽川の重要性を織田家しか分かっていなかった・・・
福島正則って匹夫の雄感あるけど武将としての心意気があって好き
男の心意気ですな、準主役なんで福島さんを贔屓してしまいましたが
だからこそ戦後の待遇がかわいそうではある
先生~、今回の力作も凄く良かったです。
合戦を見てらしたかのような描写、それぞれの武将の背景や、細かい挿し絵、検証作業など素晴らしい。〆方も美しかったです。
内容が重いので何度か拝見いたします。
あと、岐阜城はロープウェイで行くところ(あまりに高く険しい)なのに、戦国時代の日本人、強靭ですね。17年ぶり五止めの落城って 😢 😅
内容が重い>うーん、よく言われます。なにか改善する方法があればよいのですが・・・
@@Yoshifuji-Sengoku いえいえ、先生のファンは先生の細部まで大切にするこの細やかな動画(先生の努力の結晶)を愛しています!改善× このまま突き進んでほしいです!先生、無理のないようにおねがいします!
こうやって俯瞰的に見ると秀信は考え得る限りの(ほぼ)最善を尽くしてますね。
有能だからと言って勝てるとは限らない。そんな世の無常を感じます。
戦いは数だよ兄貴な結果ですね
織田秀信は徳川家康・秀忠・家光に仕えて長生きして欲しかった...
織田信雄と同盟した家康とは疎遠だったのかなぁとか思ったりしてます
信雄と秀信は仲がわるかったんかな?
全て秀吉のせい
福島正則はやっぱり男気がありますね。色々言われる事が多い人ですが、私は好きです。
このシリーズでは福島正則をかなり持ち上げた感じです。その反動で池田輝政が悪役になってしまいましたがw
この回もすごく詳しく解説されていらっしゃり、びっくりしました。また、この地は思いっきり地元でして、岐阜城から瑞龍寺砦まで子供のころ遊びまわってました。写真には実家も写ってたりしてます笑。そんな地で昔はこんな激戦があったんだと感慨深いです。
めちゃくちゃ地元で羨ましいwいずれ岐阜城は織田信長シリーズの美濃攻略でまた落城する予定ですのでw再登場をお待ちください。
やけに詳しい戦場の解説動画だと感心していたら「よしふじチャンネル」さんの動画でしたか。なるほどね。他でも似たような実際の地図を使用した戦場の解説動画がありますが、このチャンネルは簡潔に詳しく解説しているので素晴らしいと思います。兵数があると更に分かりやすいと思いますが、信用出来るか出来ないか解らない数字もあるからその辺りは仕方がないですよね。今後も応援しています。頑張って下さい。
兵数は根拠が薄いのと画面上が賑やかになりすぎるので省いている感じですね
織田秀信は祖父の優秀な資質をかなり受け継いでいた人物だったのでしょうね。
三代目として非凡な才能をもっていたと感じてしまいます
立体マップで図示しながらの、それぞれの戦場での武将や兵たちの臨場感溢れる戦の解説が素晴らしいですね!
早速、登録させて頂きました。
登録ありがとうございます♪過去動画は立体マップでないものもありますがよければ見てみてください
岐阜城は斉藤時代から何度も落ちてるなんちゃって堅城のイメージ強かったけど、
ちゃんと尾根沿いに砦、曲輪が備えられてて、しっかり堅い山城になってることがよくわかりました!
岐阜城が堅城で奮戦したけど衆寡敵せずで落城したんだなあ…。
堅城ぶりの描写、本当にお美事にございまする!
ビジュアル的に見て楽しい動画になるよう頑張っておりますが、今回は良い感じに出来たかな。あまり本格的な城攻めは作ったことがなかったので、作ってて面白かったかもしれないw
岐阜城は山上がやっぱり狭いのでどうやっても大軍が篭れる城ではないのかなと思いました。やはり打って出ることが基本な篭城なんぞする気のない織田信長の城なので籠城戦は難しいのでしょう。
稲葉山、岐阜城は信長が落とすまで10年かけてますよ。 義龍の代では落とせず、龍興の代で調略による落城です。 ドラマでは面白くない期間なので桶狭間から上洛まで一気に飛びますが、美濃攻略は信長にとって一大事業です。
@@又兵衛-y2o
美濃一国としてある程度固まってると強固なんですよね。
個人的には岐阜城という名称より、稲葉山城の方が好きです。
さて、昔見た、大河ドラマ「国盗り物語」で、稲葉山城は難攻不落の城、として描かれていました。
織田信秀、信長の二代にわたる侵攻を何度も退けています。
しかし、籠城用の城としては井戸水が出ないので、現実問題として、長期の籠城には不向きでした。
本動画の主人公である、織田秀信は、命名は秀吉がしたのでしょうが、自分を織田家より上に置いた秀吉のいやらしさを感じます。
たまたま聖徳寺のあった冨田には5年ぐらい住んでたんですよ。名前が出てくると嬉しいもんです。
岐阜城って城山以外の土地がほぼ完全な平野なので攻める側も素早く展開しやすい気がします。もっと兵力があったとて城のキャパ的に無理があったろうし、水を止められても厳しい。見た目堅牢そうでも籠城にはあまり向いてなさそうな気がします。
そのうち聖徳寺の会見を扱う動画もリメイクするので冨田をクローズアップしてみたw
三法師はただのボンボンみたく思ってましたが、割りと戦もそこそこ行けたみたいですね。
でもやっぱ戦歴を積む場数が少なかったのでしょうかね。戦力分散をやってしまったのも、ちと経験不足な感が伝わって来ます。
高野山へ送られたのも、才能を鑑みて後日に再興の可能性を持たせたのかな?とも思ってしまいます。
いずれにせよ、まるで愚将と伝えられてきた秀信に再考の光を点して暮れて面白かったです。
PS.戦況解説はノルマンディ戦みたいな臨場感を感じました。
百々や木造らの指揮のおかげだとは思いますが、家臣に能力を発揮させるのも器量のうちかなと。戦力分散は明示はしませんでしたが実は否定的
援軍が来る前提なら砦は捨てて籠城戦もありですけど、そうでなく孤立しているのなら砦の守りを固めてることで逆に相手の兵を分散、各個撃破を狙うのはむしろ理にかなってませんか?
しかも岐阜城をよく知る池田や細川というかつての織田家家臣団が相手。
守り辛かったと思いますよ。
東軍のテンションが高すぎでしょう。それに敵も味方も、旧知の仲+地元での戦い 地の利が分かっているから やり難いのかやり易いのか複雑ですね。これを見たら、関ケ原の戦いは西軍の大垣からの撤退戦としてみえてしまうのも納得です(小早川秀秋の動きの動画の感想)。また、加賀野井城を取り上げていただきありがとうございました。
小早川秀秋もリメイクしたいな
よろしくお願いします@@Yoshifuji-Sengoku
見応え充分でした😊
ねこですさんスーパーサンクス感謝です♪
次も満足してい貰えるような動画作成をガンバリマス
相変わらず、詳細な調べのもと、且つ面白い語りを有難う御座いました😊🎉
大変分かり易く、知らないことも多くとても勉強になりました。
1番驚いたことは福島正則が自宅前の道路を通って進軍したことでした。
それは羨ましい。ただあくまで推定なりますので
池田氏が縄張りした姫路城、本丸廓に井戸が無いということで、凝り倒してはいるものの、あくまで見せるためのもので「実用品」とは考えていなかった節があります。
岐阜城も、見かけは凄いが水の手、七曲口を取られればすぐ詰んでしまうように見受けられますね。
織田方が長良川まで出陣したのは、この弱点を自認していたからでしょう。
斎藤道三も篭城と見せかけて打って出て織田信秀を撃退してるので
マジで岐阜城は篭城に向いていないと思います
本当に孤立無援な戦いだったんですね。援軍もない状況で最後の最後まで戦い抜いた織田秀信と織田家臣団。なんか泣けてきます。。
最後に思ったのがもし織田信長ならこの戦いどう戦ったのだろうかと想像してしまいました。
稲葉山城(岐阜)で斎藤道三は城下に引き付けてからの逆撃やってましたが
若き織田信長なら・・・やっぱりどうにか奇襲かしら
岐阜城の戦いは、各砦分散配置をしなければ結果が変わっていたんでしょうね😢
織田信長の孫として一矢報いて欲しかった😢😢
織田恩顧武将にに一瞬でも御恩を忘れさせる三成の嫌われっぷりがやばいと改めて感じた。
嫌われっぷりは戦国最強ですねw
ありがとうございます!
こっちの動画にまでスーパーサンクス感謝です!岐阜城の戦いはかなり力を入れて作ったのでありがたいです♪
勇戦ぶりや最後の感状のくだりを見るに秀信は、家臣たちにとってよき主君だったのでしょうね。
よき主君であったと思ってくれたなら作った甲斐がありまする
おもしろかった。大河ドラマでは瞬殺だったけど、みなよくがんばっていたことがわかった。その後の子孫の流れもわかり、安心できました。
評価いただけて感謝でありまする。今後の動画でもその後の流れもできるだけ入れていくようにしますね
素晴らしい解説でよくわかりました。岐阜城の戦いって、もっと簡単に負けたと思っていました。落城までの時間は早いけれどこんなに奮戦していたんですね。三成方がもう少しうまく軍を展開していれば、と思わずにいられません。
西軍の美濃の兵力がもう少しあればと思ってしまいますね
なるほどです☆
今回も大変な力作でしたね。お疲れさまでした。
其々の攻め口の担当や、ルートが大変分かりやすかったです。
以下は私個人の感想(思い出含む)になりますが
岐阜城は子供のころに金華山ロープウェーで登ったことあります。
山道は急峻で、登った後の尾根沿いの道は広くは無いので
大軍の優位性はあまり発揮できず、さほど堅城でなかったとしても
うまくやればもう少し長く持ったのではないかと思います。
数日後には宇喜多勢が大垣に着いているはずなので
歴史は変わったかな?と思いました。
(たらればを言い出したらキリが無いですけどね)
次回の動画は岐阜城攻めに参加しなかった
黒田、藤堂勢が戦った「合渡の戦い」でしょうか?
岐阜城に行くならやはりロープウェイですねぇ
しょうじき登れる気がしないですw
この動画が伸びてくれたら合渡の戦いの予定です
織田秀信は織田の天下を秀吉に横取りされた格好になってしまっているが、
それでも秀吉との関係は良好であったと言われている。これこそ、人たらし秀吉の真骨頂である。
これ見ると、どうしても秀頼を追い詰めた家康が悪く見えてしまうのですねえ。
信長に引き立てて貰った秀吉と別に秀吉に引き立てて貰っていない家康との差と考えればよいのかな
今回も素晴らしい内容で感動しました。
一つだけ、「再士官」ではなく「再仕官」ですね。
どうしても誤変換は出てしまいますねぇ(涙
堅城に見えて5回も落城している
篭城する気がほとんどなかったであろう信長の城ですからねぇ
必ず「難攻不落」の枕詞が付くのにここまで落城してる山城も珍しいですよねw
まぁ金華山が急峻すぎて広い廓が設けられず、まとまった兵員を収容できない城なので、もともと単体での籠城には向いていないと言われてますし(周辺の支城との連携が前提のつくり)
日本史はあまり学んでいなかったので、岐阜は関ヶ原だけだと思ってたけど、まさか地元でもこんな戦があったとは…
関ヶ原前哨戦だけでも岐阜県内でかなりの数の戦いやってますので
なるべくたくさん解説できるようにガンバリマス
木造長政がかなりの好待遇で召し抱えられてるけど、福島正則が広島城修理しちゃった後は大丈夫だったんだろうか...
かなり詳しい続報ありがとうございます
岐阜城失陥は勝敗に影響した感ある(落ちなくても西軍に勝ち目があったかはアレ
東軍側に岐阜城関係者いるのがなぁ…
木曽川を越えられた時点でまあアウトですね
いくら家のためとはいえこの恩知らずどもは…
池田輝政、山内一豊「恩知らず?知らんなぁ?」
@@盛川勝 一豊は親父が信長にやられてるくさいから恩もあれば恨みもあるって感じかもね
岐阜城ってホントに守れない城だよね…愛知からだと、木曽川突破されたら城まで見通しのよい平野だもんね。あの土地行ってみて、これは守れないよな…って素人ながら思っちゃうぐらい岐阜城から平野が広がってるよ
西軍の木曽川の重要性の認識が甘かったことが敗因ですねぇ
「三法師こと織田秀信の悲しき末路」
あくまで個人的な考えや思いですが
その後の彼の人生を考えれば「末路」ではなく
そもそも彼の器に合った人生への「起点、岐路」になったのではないかと思っちゃいますね☺
織田秀信に従った家臣団にとってはまさに起点・岐路になったかも
もしも織田信長が秀信の立場だったら同じように一戦交えて散ったような気がする。なんせ年が若すぎて時勢に翻弄された一生だった。なまじ織田嫡流という名門に生まれたため豊臣、徳川氏に微妙に敬遠され自身の能力を十分に発揮出来なかったことは残念だった。
信長も間違いなく籠城はしないでしょうねぇ
年齢も場所も血筋もタイミングが悪かった・・・
以前から不思議だったのが西軍、三成らは東軍の動きを
全く把握していなかったのか、という事。
秀吉なら細作、間者などを多数放って敵の動きを
把握しそうに思いますが。
織田勢に単独で戦わせて負けてしまったのは
その後の流れにも大きく影響したかと。
本来は上杉を攻める東軍を背後から、というのが大筋。
すぐに引き返した家康が見事だと言えばそうだけど
美濃まで来ていた西軍が、東軍にあっという間に
態勢を整えられたというのはお粗末でしたね。
三成の動きは次の動画でやれたらなぁと思ってます
まぁかすかな希望を託しての大戦のつもりだったんだろうけど西軍に捨て駒にされてるのがなんともいえねえ。
最前線の立ち回りはやはり難しいですね・・・
西軍の捨駒、そうかもしれないですねえ。万一、秀信公が西軍勝利に向けての大立役者(象徴の一人)にでもなると、織田の天下を簒奪した豊臣家としては、以後の寝覚めが悪くなりますね。
「米野の戦い」からもだけど東軍が圧倒的大軍だから終始押されっぱなしだけれど、それでも最終局面まで組織だって戦闘してるので織田秀信軍って中々に精強?。それとも織豊系の軍事制度がそれだけ強固なモノだったのだろうか?。攻め手の池田・福島以下の軍勢も織田軍の抵抗による損害を乗り越えて戦い続けるし。秀信はただに神輿で無能だったら織田軍もここまで激闘できなそうだから、もし良い状況であったら大きな武功を顕す事だってあったのかもって思いますね。
あっさり負けたという表現が多いので無能扱いですが
ほんとに最期までよく組織だった抵抗をしたなーと作ってて思いました
ただの神輿のためにここまで臣下もやらないよなぁと
池田家の家臣は犬山城や岐阜城と元居城は落とし方をよく覚えているなぁと感心するw
織田秀信の助命は池田輝政が言いだしそうなもの(秀信の母が塩川長満娘説であるなら兄の後室の姉妹、森可成娘説なら姉の元嫁ぎ先関連)ですが
言い出さなかったあたり、案外秀信の母はどちら説でもないのかもしれません。
こんなこともあろうかと城の弱点を研究してましたかね
恩知らずどもで笑ってしまった。ホント戦国時代って代が変わるとかつての主家も何もあったもんじゃないんだよなぁ。
それにしても、織田秀信のように美濃尾張を領有すると身の終わりになってしまうんですかねぇ。
源平合戦以来のダジャレですね。
美濃尾張を本領とする織田家は滅びる運命だったんだよ!
な、なんだってー!!
滅びる寸前で裏切りかまさなければだいたいは許される感じですね
恩知らずは、まあ織田秀信が主役の動画なのでw
そういえば「鉢田の戦い」もやってないんだよねぁ・・・
22:32 笑っちゃった笑笑
笑って欲しいところで笑ってもらえて報告までしていただけると嬉しいです♪
@@Yoshifuji-Sengoku23:03 ここもですね笑
甲子園みたいな言い方すな!ってツッコミたくなります笑
非常に惜しい。音割れさえなければ!
水野忠重が討たれた事件が加賀野井城の城主不在に繋がるのか
訳の分からない事件なんですが、これも西軍の痛手になってるのがねぇ
恩知らずども
突然の罵声に草
織田視点なのでw
5;50ぐらい。あれ?なんでこんなトコ(下総か常陸か)に蘆名?と思ったらそういや、最後の当主って佐竹から養子でしたわ。アイツ会津蘆名滅亡後実家に帰ってたんすね。
蘆名義広は一応独立した大名ですが、まあ佐竹のオマケです
しかし東軍諸将のやる気や機動力は大したものですね。
何か期すものがあって戦ったにしても西軍諸将よりも動きがよく見えます。
反乱軍扱いされた事で何としても早期に勝たなければと焦っていた事でこの様な活動が出来たのかも知れませんね。
逆に西軍諸将は官軍になったとの驕りもあったのでは?
いずれにしても朝鮮出兵の諸将は戦意旺盛で、多くの大名がまだ余力を残していた事は伺えますね。
西軍は毛利が違う方向にやる気出してたのが誤算ですかねー
気の毒に😅。
家康公もお上など高貴や人間が晩年を過ごす事で有名な、土佐の国持ち大名にして上げれば良かったのに😊
そうで無くとも、秀信が平均寿命まで生きていれば、その血統諸々を考えると、そのうち捨て扶持として数万石くらい支給されて小藩の藩主として返り咲いた可能性も充分あっただろうに😢。
有楽、織部とともに、数寄者として後半生を送る絵が見える。
大坂の陣まで生きてれば復活もあったかもですが
本人にその気がなかったんじゃないかなーとか勝手に思ってます
@@Yoshifuji-Sengoku
北条氏直や足利義昭も捨て扶持で大名に返り咲きましたし、氏直に限っては何処まで本当か知らないですけど、秀吉が相模国を返還するとか国を上げる事を考えいたと言う説が有りますしね。
確かに 武将としての才能はなかったかもしれないけど大名としては優秀な人だったと思う
そう思って思えたら作った甲斐がありました
敵方には元岐阜城城主もいたし弱点はバレている状態だ 勝つのはかなり難しいと言っても過言ではない 余程の名将でもなければ勝つに勝てぬ戦よ やはり織田秀信やその家臣団は評価が低すぎるように感じる😊
織田秀信と家臣団の評価が少しでも上がれば動画を作った甲斐がありまする
福島正則の画像と音声は常に亡き蟹江敬三氏で再生されてしまう。
あと『17年ぶり5度目の落城』が甲子園大会出場校みたいで吹いた。
岐阜城、見ただけで攻めるの難しそう…
五度も落城しちゃうんですよね(涙
こんばんは。うんまあ形的には二股だけど寡兵でよく戦ったと思うよ。杉浦重勝は。裏切りもなくもう少し後詰めがあれば2万5千もの大軍釘付けに出来たのになあ。
やっぱり返す返すも三成の動きが遅すぎる。悪すぎる。故に相手に先手を打たれて合渡とか抑えられてるわけだから。
三成本人に戦のセンスがないのは皆知る所だがそれなら島左近や大谷吉継は何をしていたんだと思ってしまう。
織田秀信はギリギリまでよくやったと思うよ。祖父や父の名を汚さないものだったと思う。分散したのも最後まで援軍が来るとの望みがあったのだろう。
島左近は三成と一緒にいたと思うけど、大谷さんは北陸へ・・・
杉浦重勝が頑張ってなければ閻魔堂の織田秀信は挟撃されたかも
なんと、カインス松伏店とな
史跡にカインズ建てるなと本気で思ってしまったw
これ見ながら岐阜城にもう一回のぼりたい というか岐阜観光とかこーゆーアプリ作ってくんないかな
武藤砦すら今の岐阜城では扱いがないのよねー(涙
落城回数で言ったら岐阜城が「山城の横綱」、前橋城が「平城の横綱」で東西両横綱と勝手に思っていますw
謙信の越山のリベンジもしたいとは思ってます
秀信はまともな軍事経験はおそらく皆無であり、関ヶ原の戦いの時点で戦争指揮で何を基準に何をどう判断するのかわかっていなかっただろう。
その家臣団は文禄の役には百々らが(先に岐阜13万石大名であった豊臣秀勝の旧臣を)率いて戦ったりして比較的近い時期に戦闘経験は積んでいたろうけども。
岐阜城攻防時も秀信は具体的に指図は出さず基本ただ神輿として終始したと思われ、その賢愚の程はわからずじまいかな
福島も大概だが 秀信を許さない(難色を示した)東軍諸将も酷いですね・・・・・・
頑強に戦ったので東軍の死傷者も多かったろうから受け入れがたかったかな
二股かけてたからこそあれだけ戦えたのかもしれません
後顧の憂いがないのは覚悟するのに必要ですね
この情報はどこの資料にあるのですか?
そもそも秀吉に乗っ取られたのに、何故ここで徳川へ付かなかったのだろう?
家康がついた信雄との関係性だと思います
尾張美濃の二カ国を丸ごとが大阪方からの成功報酬として約束されてました。
『旧領復活』という餌に釣られたんじゃないかなと思われます。
石田三成とは個人的にかなり仲が良かったり、豊臣親族衆(家康や利家)の一部を除けば豊臣家内の序列ではトップにいるなどそれなりに厚遇されてましたね。
織田秀信には滅びの美学がある。
織田秀信に弟がいたんですね。知らなんだ!
秀則くんだけでもどっかで登用されて欲しかったですねー
まだ数え21歳やぞ
まだ数えで19歳なのに無双する祖父・信長の動画を作ったので良かったら見てねw
恩知らず共wwwたしかにそうだけどw
笑って欲しいところなので結構ウケてて満足w
恩知らずどもは草
まあ、織田秀信視点からですのでw
23:04~ 甲子園かよ🤣
甲子園ネタに気づいて貰えて嬉しい♪
信雄と秀信は仲がわるいの?
信雄は自分の子供に三法師とつけるぐらいなんでねぇ…
@@Yoshifuji-Sengoku それは仲良さそうですね、大阪城であってそう
福島正則かっけえ
主役の一人として描いたのでカッコよく見えたのは嬉しい
本当福島正則は脳筋なんよな
脳筋ぷりが大好きw
如果對政治敏感一點,就不會加入石田這種爛人。可惜了,信長公嫡流。
チラッと無課金勢が・・
??
いいえ、織田は無能です。
本当に無能であれば、優秀な人は去っていく。斉藤龍興のように。
それだけ有能な家臣が付き従ったということは、男気があり、決して無能だった訳ではないだろう。
この時代、武家で生まれたらどんなに生きづらかったか計り知れない。