Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ジョン万次郎はガチなので推してくれ!
坂本龍馬が有名に成ったのは、小説のお陰です。
このまま残すという事は、真に働いた人たちを抹殺するという事になる。歴史が全て真実だとは思わないが、間違いがわかったなら正すべき。
司馬遼太郎の小説、明治政府のプロバガンダだと思う。
信者が怖い。地方新聞の御当地著名人を作りだす寄稿に小説家が飛びついて脚色しまくって面白くして、それがコミックになって、それを読んで歴史的英雄と崇める人達から、「アンタ!何にも知らないんだろ!」攻撃される。
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?あれは本心じゃなかったのでしょうか?それとも誰かが作った物ですか?
明治の日露戦争のときに一躍「有名」になってますよ。皇后陛下の「夢枕にたった」ことが唐人おマスコミに喧伝されて。それで小説にもなった
会津の末裔として、言いたいことは山ほどありますが、なにしろ、いわゆる明治維新と言われている物が根本から見直されることを願います。😊
実際、ただのクーデターですしね
会津若松出身の友人が維新にずっとこだわっていました。坂本龍馬さんが目指したのは無血革命だった。武力倒幕派により命を奪われたと思います。
>いわゆる明治維新と言われている物が根本から見直されることを願います。<君は視野が狭すぎると思う。 あの時代世界はどう動いていたか知っていますか?
私は元々、佐幕派でしたから、何故、坂本龍馬なんぞがもてはやされるのか訳が分かりませんでした。今回のような動画は涙が出るほど嬉しいです。『八重の桜』で会津城が落城するシーンは悔しくて泣きました。😢
@@majihima 清国が何故滅びたかご存知ですか?世界の情勢を勉強しましょう。 もしあのまま徳川幕府が実権を握っていたら日本国は滅びたいたでしょう。 それほど喫緊の課題だったのです。
私は坂本龍馬が無名同然だった1969年以前の空気を覚えています。大河ドラマ(NHK)「竜馬がゆく」(1968年)が決定的だったのです。なぜならばその直後から日本史学習参考書にいきなり坂本龍馬の名前が飛び出した記憶があるからです。司馬遼太郎作品の罪作りというほかないでしょう。
いや戦前の国定教科書に載ってるよ坂本龍馬。それに宮内庁に坂本龍馬の裏書がある時点で全く無名ではあり得ない知らなかったのはただ単にお前が教養なかっただけだろ
たぶん何処か大きな力(外国勢力)が働いた。司馬遼太郎も出版社も文科省もメディアもその命令で動いた ということでしょう。 振り返ると 戦後そういうことがたくさん(数十か百数十か)あります。米国,国際金融資本,世界貴族などが命令し、役所,警察,司法,メディア,政治家,反日民族組織などが動いた いくつもあると思います。
龍馬は、明治33年の日本最初の児童向け偉人伝シリーズに取り上げられ、日本最初の国民的映画スター坂東妻三郎が2度も演じているのだから(「坂本龍馬」「維新の曲」)、無名ということはないでしょう。映画といえば、大河「竜馬がゆく」でナレーションを担当した滝沢修も、若い頃に演じていましたね。
司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。一番笑ったのは、「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とかの説。。当時の「攘夷志士」の存在形態をしらないんだよ、そういうこと言う人って。 当時「尊皇攘夷」思想は全国的に広がってて、全国各地に尊皇の豪農、豪商。知識人がいた。そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣い旅費渡してたんだよ。 龍馬の場合、①肥後の横井小楠の紹介状を携えて越前の松平春嶽に会い、春嶽の紹介状で江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。②薩長同盟だけが注目されるが、薩土盟約の場にも坂本と中岡は参加してる。「一介の浪人」が、西郷大久保と議論してるんだよ③長州の高杉晋作が上海で買った二兆のピストルのうち一丁を坂本に贈ってる。当時のピストル超貴重品。それを、他藩の浪人に贈ってる。このエピソードだけで、坂本が幕末の「超重要人物」ってわかるでしょう?
結局のところ、武器商人だった部分まで踏み込んでほしかった🎉
東インド会社の孫請け会社を作って後の世で跋扈する新しいタイプの政商のはしり今で言うと再生エネルギービジネスのベンチャーを早めに起こした人と同じと私は考えています。逆に言えばそんな人の中で謎のタヒを遂げた人を英雄に奉りあげる小説を書いたら売れるかもw
武器は力の均衡のためな歪なパワーバランスが一番内戦を激化させる龍馬は人を斬らない殺さない※防衛時に発砲
@@21kai5 当時の幕府は薩長同盟と戦える力を待ってます‼️しかし既に武器の支払だけでも日本の支払はデフォルト寸前やはり戦わない事を選んだ徳川慶喜は維新の一番の英雄でしょ‼️植民地にならずにすんだのも元幕臣の英雄達、勝てば官軍で維新の英雄には虚飾がてんこ盛り子孫がいるので完全否定はしませんけど‼️暴力革命であったのは事実ですよ‼️江藤新平は濡れ衣で裁判もまともに開かれて無いし‼️西南戦争は西郷隆盛暗殺失敗がきっかけだし‼️新政府は闇だらけだろ‼️
何の問題もないけど。
確か(京都の)見廻組に対して発砲してるんですよね…見方によっては(坂本龍馬も)テロリストだと思うけど😓
坂本竜馬は、小説で竜馬が行くで有名になっただけで、実際は武器商人グラバーが幕末に長崎にきてグラバー商会を作りその手先になった坂本龍馬が薩摩藩、長州藩に売り歩いた。大義の為に生きた人物ではない。教科書、歴史書に掲載する人物でなく、小説家が販売目的でクローズUPしただけの人物にすぎない。
新政府綱領八策を知ってる?新政府の在り方や人事案浪人の龍馬がこの案を出し実際に新政府で採用されてるそして自分は自由に生きたいから役人はしないただ、そういう世の中にしたかっただけと語る※陸奥宗光の証言最底辺の脱藩浪人が新政府の人事案や仕組みを提案し自分は役職には就かない※自筆物が現存これだけで小説家が販売目的でクローズアップしただけ〜こんな括りは出来ない人物だと思うよ西郷、板垣、勝…色んな人が龍馬を語ってるちなみにグラバーと取引したのは2年くらいね1865年亀山社中設立1867年龍馬没その2年で龍馬は語れないよ
歴史上人気No1に度々選ばれることに疑問を持ってました。司馬遼太郎さんが美化した虚像です。
龍馬がグラバーと接点があったとは初耳です。何時の事でしょうか?
坂本龍馬の海援隊の1隊員にすぎなかった、陸奥宗光が後に外務大臣になり、1度目の不平等条約を解消してます。この動画ではかなり矮小化されてますが、当時の状況を把握している人は、坂本龍馬が暗殺されていなければ、政財界の大物になっていたのは間違いありません。わずか33歳で亡くなってるんですから…。
@@spre4751 だわなw 生きてりゃ維新の元勲として新政府で名を残してるさ。なんせ竜馬の子分スジが数多くそうなってるんだからw「何もたいしたことしてない吉田松陰はなぜ偉人なのか?」といえば、門下生の多くが維新の元勲になっているから。なぜ松陰は問題なくて、竜馬はこういう扱いになるのか?そこには「そういう風に言いたい」人間の思惑があるからやなwwwほれ、ここにも「グラバーガー!」「ロスチャイルドガー!」ってのがわいてるやろWWW
司馬遼太郎が、『龍馬がゆく』で坂本龍馬を、幕末の志士として大きく取り上げ、それ以来、「歴史上の」人物として、教科書に載る人物にまでなりました。しかし、正史『三国志』と小説『三国志演義』とが違うように、実際の坂本龍馬が歴史を動かす存在であったかと言われると、そうとは言えないようです。司馬遼太郎は、小説家ですから、歴史上無名の人物にスポットライトを当てることも許されます。ただ、それを読む人が、それを真に受けて歴史上の真実と勘違いしないことを願います。乃木希典について、司馬遼太郎はほとんどクソ味噌に描いていますが、それもそのまま受け止めると、乃木の功績が正確に理解できません。坂本龍馬は、グラバー園を残した、トマス・ブレイク・グラバーの日本側代理店のような役割を果たしたというのが真実に近いのでしょう。
幕末維新史の歴史書専門書学術書を一冊でもいいから読んでくださいな。龍馬はたいしたことない、龍馬はただの武器商人、龍馬はフリーメイソンとかバカ丸出しの珍説とわかりますから。この手の珍説って、司馬遼太郎が気に食わない、だから龍馬否定!程度の話ですよ。 一番笑ったのは、「たかが脱藩浪士が全国駆け巡れるわけがない、金はどうしたんだ? これはフリーメイソンから金出てる!」ってバカ丸出しの珍説。当時の脱藩浪人の位置づけも思想的情勢も知らないんだよ、 当時は全国各地に「尊皇攘夷」の思想が及んでいて、各地の地方有力者、豪農。豪商にも「尊皇」に目覚めた人一杯いたんだよ。孫王の脱藩志士ってのは、その在地有力者に宿と食を提供され、女を買うくらいの小遣い貰って寄宿し、旅費も貰って次の地方に移っていく(今の文化人の地方講演行脚みたいなもん)。龍馬の場合は、九州の横井湘南→松平春嶽→勝海舟→西郷隆盛って流れで「紹介状」とともに関係づけられていく。そういう具体的史実もしrないやつらが多いんだよな
だとしても武器商人だったことに違いはない。誰だって良心の呵責はある、それに従うかどうかの違い。
[実際の坂本龍馬が歴史を動かす存在であったか]←司馬嫌いの素人がそれ言う毛尾d、きちんと幕末史勉強すれば、坂本龍馬の歴史的意義は分かりますよ。薩長同盟ばかり注目されてますが、薩土盟約の場にも坂本中岡参加してますからね
@@濵田一郎-l7q 「武器商人」の意味、ちゃんと理解してますか?司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。一番笑ったのは、「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とかの説。。当時の「攘夷志士」の存在形態をしらないんだよ、そういうこと言う人って。 当時「尊皇攘夷」思想は全国的に共有されてた。全国各地に尊皇の豪農、豪商がいて、そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣いを渡してたんだよ。 龍馬の場合、肥後の横井小楠の紹介状を携えて越前の松平春嶽に会い、春嶽の紹介状で江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。これだけで幕末の「重要人物」ってわかるでしょう
「竜馬」は「龍馬」をモデルとする小説の中だけの存在と考えるべきだと思う。
インターネットのない時代に自らを人間インターネットに仕立て上げた才覚は評価してしかるべき。
彼と面識のある同時代の人々の龍馬評を読めば、彼が歴史に何の影響も与えなかったというのはたぶん言い過ぎである。「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき」「龍馬あらば、今の薩長人などは青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言へり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のやうに思はれき」(陸奥宗光)「豪放不埒、是れ龍馬の特質なり。到底吏人たるべからず。龍馬もし不惑の寿を得たらんには、恐らく薩の五代才助、土の岩崎弥太郎たるべけん」(板垣退助)「天下に有志あり、余多く之と交はる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だ曽て之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」(西郷隆盛)
我が意を得たり、其のとおりです
たぶんそうじゃなくて、坂本龍馬人気で尾ひれがついただけだと思うがw「竜馬がゆく」でも、そこまで英雄みたいには描いていないんだけどね司馬遼太郎が坂本龍馬を英雄にしたみたいな話は変ですよというか、読んだことあるの?全然そんな感じではないそもそも司馬遼太郎作品を史実だと思っている奴等の相手をするのなら、コチトラみたいな司馬遼太郎ファンのほうが適任ですよね?司馬遼太郎作品の9割は読み終えていますし、時代考証好きなので負ける気が全くしねぇwってなるんだが?この流れが正しいとは思いますが、司馬史観でイキってる人はもういないと思いますけど?ネット上で出会ったことがないんですよねwつまり、存在していないだろう人たちを叩いても意味なくね?と思いますがねそういう人がいたらコチトラは真っ先に食って掛かる側ですけど、煽っても出て来たことがないんですよね
信者は文章が長いね。
早く本当の事を教科書で学べられるようにして欲しいです。幕末、明治時代がもっと違ってみえると思います。
今になって間違ってましたって言われてもなぁ、義務教育意味ないだろう。
感情で歴史を残したら、K国と同じだしね。小説と歴史の区別は大事ですね。司馬遼太郎が集めた古文書って、一次資料ってどのくらいあったんでしょうね?
幕末の本当の歴史を語ろうと思ったら、芸藩誌に触れないといけないから、根底から覆りますよ。
本当の歴史って何だろうね。司馬遼太郎の創作はともかく、歴史学者でもない歴史愛好ユーチューバーが挙げている動画が正しいと言われても、果たしてそちらにもどれほど信憑性があるのやら・・・。
@@deathdrummer7025 妄想で語ってるおまえさんより、歴史資料を提示しながら語ってるRUclipsrの方が信用できると思うぞ
竜馬はグラバーの手先になって武器販売をやっていたとしか思えない。日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらいしか見つからない。
金の流れを追えば真実にたどり着く。
ライフル代金は米で払ったが、それを回収するためにライフルを使って米集めしたのが戊辰戦争である。日本人が大義のために戦うことはない。
日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらいしか見つからない。←司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とか、当時の「攘夷志士」の存在形態しらないの? 当時「尊皇攘夷」思想は全国的に広がってて、全国各地に尊皇の豪農、豪商、財産家がいた。そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣い旅費渡してたんだよ。 龍馬の場合、①肥後の横井小楠の紹介で越前の松平春嶽に会い、小楠春嶽のつてで江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。②薩長同盟だけが注目されるが、薩土盟約の場にも坂本と中岡は参加してる。「一介の浪人」が、西郷大久保と議論してるんだよ③長州の高杉晋作が上海で買った二挺のピストルのうち1一丁を坂本に贈ってる。当時のピストル超貴重品。それを、他藩の浪人に贈ってる。このエピソードだけで、坂本が幕末の「超重要人物」ってわかるでしょう? ネットで聞きかじった珍説振り回すんじゃなく、もっとちゃんと勉強しようよ
「日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらい」 ← 当時は日本全国、武士から庶民に至るまで「尊皇」が「常識になってた。で、全国を行脚する尊皇攘夷志士は地方の豪商豪農有力知識人のところに宿をとり飯を食わせて貰い、女と酒買えるくらいの小遣い銭と旅費と「紹介状」貰って遊説して回ったんだよ。 この程度のこと分かってないのに、龍馬はグラバーンうんぬんとかの客観的根拠なき幼稚な陰謀論を信じちゃいかんよ
パッとしない奴を司馬遼太郎が面白おかしく主人公に仕立て、ってだけなんよね坂本じゃなく司馬遼太郎が優秀だった
それはあると思います。司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても十分な功績はあったものと思われます。それでも現在まで広く名前を知られているのは小説のおかげでしょう。ただ、明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かったようですので、一角の人物ではあったのかと思われます。西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
ロスチャイルドの資金提供があって、その手先として動いたというのが本当のところだと思う!
土佐藩を捨ててまで勝つ海舟に世界情勢を学んだのです。乙女姉さんにも日本の再選択をつづっています。
英語も出来ないのにグラバーの手代を名乗り笠に着て詐欺行為に勤しんだトリックスター辺りが正解かと。
浅い考察ばかり龍馬って金持ちの生まれわざわざ最底辺の浪人になり詐欺するって安易なロジックグラバーや各藩の犬って論もあるけどそれも浅いわざわざそんな汚い犬飼わないよwロスチャイルドが捨て犬の雑種を飼うわけねーw否定ありきじゃなく龍馬は裏付けのある事実だけでじゅうぶん魅力ある人物
ある大阪の議員の方が、「ただのグラバーのパシリ」と斬って落としていました。自分でも色々と調べてみましたが、当時の阿片の利権を考えるとその通りだと思います。
@@福が来る-l2z 色々調べた…ってどのレベルかわからないけどそのグラバーのパシリさん?の龍馬が勝、西郷、桂、高杉、後藤…ら公家〜幕臣〜各藩首脳と絡み日本史にあらわれたのはグラバーと出逢う前からだからねグラバーが晩年日本で暮らしたことや三菱との関係性思想面や後ろ盾、背景…坂本龍馬が示した【新政府綱領八策】とそれを参考にし採用した新政府との関係性などを考察してもグラバーのパシリと括るのは無理があるよ因みに亀山社中の結成は1865年龍馬の没年は1867年の2年余りこの2年と龍馬年表をみて総評がグラバーのパシリでは不適切
坂本龍馬は司馬史観ですから。
何も知らずに語る典型少し事実だけ調べてみるといい
@@21kai5 何か語ってるつもりで何も反証もせず語れていない典型。まほうのことば「事実をしらべてみるといい」その結果、事実を述べれないというギャグwwww
@@UP3UP ここの動画コメントだけで俺は資料を元に語ってるから事実を語ってるよその上でこのコメ主に少し事実を調べてみるといいと言っている
@@UP3UP 事実だけで軽く語ってあげる坂本龍馬土佐藩の裕福な家に生まれる約173センチ※着衣より【北辰一刀流免許皆伝】国を憂いて脱藩し最低身分の【脱藩浪人】となる最低身分でありながら公家、志士、各藩首脳、幕府幹部、外国商人…と交流をもつ【亀山社中海援隊】をつくる【いろは丸事件】国際法や流行歌などを駆使し大藩を相手に勝訴(8万両)【薩長同盟】にて長州藩書簡に保証書をする※無関係者が大藩の書簡に落書きをしたら切腹また、この書簡にて小松を小、西郷を西と表し間違いないのは神様もずっと認めてる坂本龍馬と自らの名前で保証している【船中八策】を提案※思想者多数【大政奉還案】に繋がる※尽力者多数【新政府綱領八策】※資料現存この資料が船中八策や大政奉還案に関わる資料として意味がある【新政府人事案】を各方面へ提出勢力毎に◯◯を使い各勢力の立場を考慮している※資料現存、証言多数※2外国商人の傀儡なら新政府の人事案など国や藩を憂いた者たちに絶対、拒絶されるこれらが資料現存の事実まとめると坂本龍馬は当時では大柄北辰一刀流免許皆伝の剣の達人裕福な家や暮らしを捨てて脱藩浪人となる各勢力の有力者と交流をもち薩長同盟では繋ぎ役をする長州藩書簡の内容保証書をする海運業にていろは丸事件で大藩と裁判をし勝訴大政奉還案を掲げ奉還後は各勢力へ新政府人事案を提出するこれがすべて資料現存の史実脱藩浪人で無理ゲーを31歳の生涯で成しているじゅうぶん大人物
@@UP3UP 約173センチ※着衣より【北辰一刀流免許皆伝】最低身分の【脱藩浪人】【亀山社中海援隊】をつくる【いろは丸事件】大藩を相手に勝訴(8万両)【薩長同盟】にて長州藩書簡に保証書をする※無関係者が大藩の書簡に落書きをしたら切腹この書簡にて小松を小、西郷を西と表し間違いないのは神様もずっと認めてる坂本龍馬と保証書している※資料現存【船中八策】を提案※思想者多数【大政奉還案】※尽力者多数【新政府綱領八策】※資料現存【新政府人事案】を各方面へ提出※資料現存、証言多数これらが資料現存の事実31歳の生涯で最低身分者が成しているじゅうぶん大人物
「竜馬がゆく」はあくまでも小説です。薩長同盟に関しては、木戸孝允から送られた手紙に、赤で裏書し返信したものが残されています。これは薩長同盟の内容を6項目にまとめて確認を求めたもので、尺牘(龍馬裏書)と呼ばれ、宮内庁に所蔵されています。是非ご覧ください。
素朴な疑問です‼️木戸孝允は維新後の名前じゃないのですか❓️⁉️桂小五郎が当時の名前じゃないのですか❓️⁉️土佐藩主山之内容堂と書かれた偽手紙があるんだけど、本物なら松平容堂が正式な手紙らしいですよ‼️
@@ちょうさんzv703love さんご指摘の点、説明いたします。とりあえず分かり易いように「木戸孝允」で説明しました。調べて見ると慶応元年には藩主からの命令で木戸姓を名乗るようになり、木戸貫治、ついで準一郎と名乗るようになったそうです。孝允を名乗ったのは明治になってからで間違いありません。
@@sakawayo608 さん 私もそのように思って読んでいましたが、当時の名前と違うことに疑問を持つ(文脈上、事実と違うから @sakawayo608 さんの書いていることがおかしいと言っていると思われます)といった色々な人がいることが分かりました。
@@t-2892 さんたとえば慶応3年の11月の時点で坂本龍馬は才谷梅太郎と名乗っていたので、書簡等で西谷と書かれているものもあります。仲間内では坂本と呼ばなかったのです。同じように中岡慎太郎は石川清之助と呼ばれていました。
@@sakawayo608😮
昔はおーい竜馬を全巻持っていて龍馬は凄い人だなと関心はした。でも今になれば身分社会が徹底している江戸時代で脱藩浪士の言うことなど身分が高い人らが聞いてくれるんだろうか?と違和感を感じます。
龍馬は脱藩してないよ‼️浪人が勝海舟に会えるわけ無いでしょ‼️海援隊に入れないでしょ‼️
@@かぼちゃ-o6b 脱藩浪士が幕府の海軍奉行に会えるわけ無い❗️容堂の後ろ楯があったからと昔テレビで歴史学者の方が言ってました‼️龍馬の父親は土佐藩の御用商人の次男で新田開発の功績で坂本の名字と橋番の役人の身分に取り立てられたのが事実ですよ‼️生きてたら政商になって財閥造ってたと言う人が多いのは身分や政治とか関心が無いのかそういう方向の野心がなかったイメージです❓️
ハントー人の半日動画ですよ?
ここは…話にならんなw
日本だけに限らず「なんでか知らないけど偉人ってことになってる」タイプのよく分からない人には、無条件に否定はしないまでも要注意ですな
どれだけ影響を及ぼしたかによりますね。
「俺の前生は坂本龍馬だった」って本気で思っている人が1000人くらい、いるそうです。しかし、この手の思い込みの激しい人は「そんなのは嘘だ、竜馬は英雄なんだ」って反論するでしょうね。
そういうのわいてるからね。すげーズレた妄言で龍馬擁護してる奴らが、ことごとく保守系チャンネル荒らしてた奴らのリストにはいってるのが興味深いw欧米コンプこじらせて、逆張りしたいみたいな歪んだ承認欲求とかありそうだけどそいつらw
教科書から消すことはないとは思うけれど、後年司馬遼太郎先生は「竜馬が行く」について龍馬を良く描きすぎた、と少し後悔してたらしいです。武田鉄矢氏が前にラジオで言ってたけど 随分前に司馬氏とバッタリ会った時に「アンタァ~30過ぎて いつまでも龍馬じゃありまへんで~」と言われたとか、鉄矢氏は今70代半ばだからもう40年以上前のことになる。ただ小説は面白いです、でも事実は小説よりも奇なりかな???、
自分は坂本龍馬は一角の人物だったと思う45歳ですが、そもそも教科書に載ってた記憶がないんですよね。多分「土佐藩の脱藩浪士である坂本龍馬の仲立ちで敵対していた薩摩藩と長州藩が盟約を結び…」的な文章で1行くらいのものかと思われますが、2017年に一度「消える」と言われて現在も消えてはないらしいですね。
@@alienloveyoutube そもそもがそれだよね坂本龍馬を乗せていた教科書の出版社ってどこ?となりますよね明らかに小説であって創作物である内容なのに、何で史実扱いされるんだかwってなりますし逆に『竜馬がゆく』を読んだこと無いの?ってなるんですよねおかしな話題ですよね
龍馬と竜馬が別ってわからないヒトってこんなに多いんだ…大丈夫か日本小説が根拠ってどこぞの国の人たちか?とも思う
ある意味竜馬より龍馬の方が凄いよ史実だけで色々してる北辰一刀流免許小千葉薩長同盟長州藩書簡保証書※小松を小、西郷を西と表現いろは丸裁判で大藩に勝訴亀山社中海援隊薩摩藩官邸在長州土佐幕府公家等に人脈船中八策大政奉還進言※アイデア多数新政府人事案多方面へ提出↑脱藩浪人でこれは無理ゲー漫画みたいな大人物だろ
そもそも、坂本は旧土佐藩士が武市半平太を切り捨てたために維新の貢献者がいないことに困り果てて、でっちあげた虚像という話があります。亀山社中も海援隊も維新後に薩摩の預かりになっていた操練所の脱藩浪士が薩摩藩が密輸に使っていた輸送船を動かしていたのを維新後に勝手に名付けただけ、それも坂本は参加していないとも言われている。ここで西郷は復帰直後で小松が薩長同盟を手動したと言っているが、役割が違っていて、小松が表向き、大久保が久光対応、西郷が朝廷他藩対応をしており、薩長同盟時も京都に行っていたともいわれている。
木戸や品川による薩長盟約時の回顧でも坂本は重視されてますし、土佐による虚像というのは間違いでしょうけどね。慶喜に利用され捨てられた久光とその一派(小松と大久保)は八方塞。そこで斉彬時代から合従連衡方針だった西郷を復帰させたのであって動画内容は嘘が多い。その西郷が一翁・勝・越前・長州等との繋がりが有る坂本に白羽の矢を立てた。薩長盟約に難色を示す木戸との関係を周旋して貰った。当時奇兵隊上層以外は薩摩を憎んでおり失敗した小松には到底出来ない事です。坂野潤治「日本近代史」にも沿う内容が書かれてます。この動画はデタラメ。
薩摩の小松と長州の桂のなかを取り持ったのは中岡慎太郎です‼️土佐の豪商の一族で新田開発の功績から坂本の名字と下級武士の身分を賜ったのが事実ですよ‼️
@@ちょうさんzv703love当時、藩は国国と国との条約に無関係な坂本龍馬に保証の裏書きなんか絶対にさせないたまたまそこに居たからとか浅い考察をいう人がいるが国の書簡に落書きしたら切腹もん
裏付けのある事実だけで龍馬は魅力ある人物否定ありきではなく事実だけで考察してみるといい脱藩浪士が各藩首脳、幕臣、外国有力者、公家と付き合い最終的に新政府人事案を上記の者たちに出している虚像?傀儡?犬?条約に保証書きして新政府人事案を提出してるだけで普通じゃないじゅうぶん凄い
@@21kai5 デマや柴錬の創作を裏付けのある事実でしょうか❓️❓️⁉️そもそも脱藩浪士がデマ創作ずっと土佐藩の為に活動している‼️常に上司の元で活動している‼️亀山社中海援隊の時は後藤象二郎岩崎弥太郎が上司薩長同盟の時は中岡慎太郎の指示で働いてる‼️
竜馬の人物像を1番知っているのは、当時の「英雄達」です。勝海舟は「西郷を評する竜馬も西郷に劣らぬ大物」と言ってますし、西郷も今まで会った中で大人物は誰か?と聞かれ「りょうめ(竜馬をいつもこう呼んでいた)」と言ってますし、山形有明も多分高評価してました。目立たぬ様に行動していたから、当然表面にでなかった訳で、陰では常に狙われていた事は、それだけの大物と思います。
陸奥宗光も凄い評価してる。「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあらざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」
この指摘が一番納得できる。もし龍馬がいなければ、明治維新が成っていなかったことは間違いない。
この人より高杉晋作。この人いなけりゃ下関が植民地になっていた可能性
坂本龍馬の功績は大したことがない もしくは嘘だらけと言われているようですが では何故 龍馬は暗殺をされなけれはならなかったのでしょう何もしていなければ命を奪う必要は無かったように思えます
歴史的事実だけを検証すれば、龍馬の功績は虚構の創作で、司馬遼太郎先生が生み出した偶像崇拝だと思います。幕末に型破りな英雄がいた方が歴史にロマンを感じますから。
現存している当時の重要人物たちの書簡のやりとりを見れば、かなり大きな功績を残した人物だったのがわかりますね。船中八策もその原型が自筆で残っています。
司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても十分な功績があったものと思われます。明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かった訳ですし。西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
武田鉄矢が株の宣伝をする辺りを見て、「まともじゃない」と感じたのは当たりだったね。忖度芸能人的な立ち位置は、金八先生の出演で謎が解けた。中東の戦争は、アメリカが介入しなければ酷く惨くならない。武器商人は、この世から居なくなってほしい。
ウクライナもね
生前の司馬遼太郎先生とお会いする機会が有り「竜馬が行く」についてお話を聞き質問もしましたが早くから「事実を小説にして竜馬に合わせた」と言って居られました。幕末の史実に史実の人物像を合わせたのですね😀
坂本龍馬は国際金融資本、ロスチャイルドの代理人・手先です。
おっしゃる通り。
@@寺田弘司-b5w 同意有難う御座います。 こういう事をいうと、浅はかな幕末信者・竜馬信者・司馬史観の人から批判を受けるので、本当にうれしいです。
明治になってグラバーが興したキリンビール、シンボルマークが麒麟すなわち上半身が龍、下半身が馬、つまり龍馬!
高知に龍馬記念館を見に遊びに行きましたけど、坂本龍馬は、郷土の英雄であり、町おこしのキーコンテンツなのだとよく分かりますよ。
武田鉄矢さんの海援隊のイメージが思い浮かびますが、実際の坂本龍馬の話しもだいぶ脚色されているのではないでしょうか?名前からしても、創り易そうですね。話しが、どんどん膨らんでいったのではないでしょうか?
司馬遼太郎が龍馬は、創作と言ってたよね。
で、なぜにそこまで活躍していない龍馬は中岡慎太郎と一緒に暗殺されたのでしょうか?
嘘と言うか、あれ司馬遼太郎の小説だし。まさか竈門炭治郎を実在した人物だと思って無いよね?
るろうに剣心の緋村剣心のモデルになった人斬りは実在したそうですよ。
いつ、たんじろうが実在のモデルがいて、鬼退治をした偉人として学校でおしえるようになったんだ?www比較対象すら定まらないレベルだなおまえw
幕末に日本をどうにかしたいと考えて行動していた人は、今の時代まで名前が残っている人も残らなかった人もみんな等しくすごい事だし有難い事だと自分は思います。後世の人達に「何もしてない」とか意見の違いで中傷される坂本龍馬を少し可哀想に感じました。
司馬遼太郎さんの著作が坂本竜馬を世に認知させるきっかけになったというけれど。 でもこの時代の20代~30代の若者たちって凄いパワーだったんだね。佐幕も尊王も。
パワー?それは欧米列強やユ財閥から金もらって暴れた ということ。人を殺しても金や力で正当化してもらえた やりたい放題 . . . .これがパワー
坂本龍馬はかっこよすき
土佐藩に復帰出来たのは、かなり大変なことでしょう?その辺がスルーされるのが残念。船中八策が他人アイデアをまとめたものでも、まとめるだけの知識があったわけですね。この世に全く独創的は考え方などが突然国の行末に影響するようなことは、独裁者によるもの以外では殆どないでしょう。
龍馬の裏の素性を調べると維新改革の真相が明確になります。そもそも明治維新って何なんでしょう?そこから深堀りしないと龍馬像は見えてきません。
クーデターですね。
薩長同盟の裏書の件は・・・?そんな大切な事を一浪人にさせるのはオカシイ・・・
武田鉄矢にコノ動画の感想聞きたいです😅😂
武田〇矢「J ODAN」
30代の頃、外国人要人(英米のベンチャー企業代表や技術博士等)を案内し企業訪問すると、決まって事業部長や時には社長にまで紹介されたもの。オレ単独では絶対あり得ぬ待遇なんだけどね。竜馬も似たような立場(武器商代理人てして)で、浪人の身でありながら、多くの幕末要人と接触できたのかも知れないね。とにかく、日本人は欧米人の話に耳を傾け厚遇してくれる。日本人同士になると、急にワカッタワカッタと相手してくれなくなる。幕末は、その傾向がもっと強かったはず。
なるほど
竜馬が行くも燃えよ剣も読みましたが司馬遼太郎史観が入っていることは承知の上で言わせていただくと、新選組の一般人からの成り上がりが侍としての本当の大和魂を持っていたのだと感じます。坂本龍馬さんの海援隊は紀州のみかん運搬の船を襲い、何もかもを奪い取るという海賊であったとも聞きます。真実を知ることはとても難しく、人間の大脳皮質には最初に入ったものを信じるという欠陥があります。ですから私はそんな事に左右されずに他人よりも更に客観的に歴史を見て行きたいと思っております。
司馬さんのフィクションで有名になりましたが、今と違ってネット検証とが出来なかったので史実と混同する人が多かったとでしょう!今ではキングダムの信とか他の人物が史実かどうかとすぐ検証される時代となりました。
何が肝であるのか、今を生きる者にどれだけの勇気を与えてくれたかであり、検証の必要性は感じられません。
@@kenkohogs9415 フィクションや小説なら自由にやればいいよ。教科書は検証が必要だし、教科書を書いたりしてるのは資料検証の専門家の学者なんだから脚色の必要はないよ。
昭和の頃、会津の年寄りに前の戦争の話を聞こうとすると戊辰戦争の話を始めると聞きました。当時、剣道の全国大会で九州勢と当たる福島の選手は物凄く闘争心をむき出した試合をしていたそうです。その話を聞いて思ったのは戦争で傷ついた命と心を癒(い)やすには相当の時間が必要なんだなと。
戦争は兵隊同士の戦いで、会津での薩長の行いは虐殺凌辱の武士の振る舞いでは無かった!遺体も埋葬させず野晒し只の私怨
尊王、佐幕の立場を問わず知己が多い点、歴史上の事件に深くは関わってないにしても、その周辺でうろちょろしてる点、司馬さんのいう歴史を俯瞰するって立場の主人公としてハマり役だったんだろうなぁ。
思春期~青年期まだ見ぬ未来に自分を重ね龍馬に憧れる壮年期~中年期社会の厳しさ己の未熟さを知り嫉妬ゆえに陰謀論や単なる武器商人と龍馬を貶め自分は世が分かっていると思いたがる高齢期自分の一生を振り返った時龍馬の懐の大きさを実感し嫉妬は消え再度龍馬に憧れる
後で祭り上げられたり、虚飾もあるのでは?忠臣蔵と同じ
某アウトロー系のブロガーが以前「自分の経験から言うと龍馬というのは所謂”事件屋”だったのではないかと思う」「少しでもトラブルがあると聞くと自分に解決させろ、解決できる、と首を突っ込むだけの人」というのが印象に残っています。あと司馬遼太郎の小説で龍馬物には新撰組が出てこない、新撰組物には龍馬がでてこないということで恐らく両方とも大したことは無かったのではないかというツイが流れてきて妙に納得しました
大政奉還で一番当てが外れたのは列強イギリス フランスで、龍馬は彼らから恨まれていた。龍馬が居なくなれば、又幕府と薩長とが戦争を始める事は予想出来たし、実際にその通りになっている。五稜郭の戦いの時点ではドイツまでもが日本の北海道を手に入れる事を画策していた。寝所を持たない龍馬は命を狙われ易く、残念な事になってしまった。
私もそうだと思います。明治維新の筋書きを描き金を出したのは欧米列強です。薩長が倒幕側官軍になったのは外様大名だったということもありますが欧米列強と戦い和解したあと 売国奴の犬になったということでしょう。カレラは内戦の隙に植民地化することを最善のシナリオとしていたと思います。それだけは避けられたが、その後の明治政府もカレラのコントロールを受けている。日本の近代史を見るときの絶対不可欠の視点です。
遡ること信長の暗殺にはキリシタンのスエズ教会が絡んでいる説もあれば、秀吉の時代の島原の乱ではポルトガルが背後に天草五郎が立ち上がったという話等もあげられます。
藩にも属さず、何もしていない人物が潜伏したり命を狙われる?そんなバカな事は無いだろう
米国の大統領と市民が平等である事に感銘して日本を善き国にと勝海舟に教えを受けた旨を乙女姉さんに長文書いたのでした。
司馬遼太郎があれは小説ですって何度言っても信じないお爺ちゃん多いからな思い出補正されたまま死んでいくのが幸せなのかもね
昭和3年桂浜、昭和11年京都円山公園に銅像が立ち戦前から維新の英傑と評価があった龍馬、京都出身だった大正生まれの父のヒーローとして子供の頃よく話しを聞かせてくれたました。京都市は遭難の地で伝聞に詳しい方が多く寺田屋や近江屋の事を教えてもらった。大河の竜馬がゆくはその後に放送された若い方は司馬さんがブームを作ったと信じ創作や陰謀論など後の雑音を信じてアンチから教科書から消す努力をする輩までいます。動機は認知的不協和、過小評価して自身が上にマウントすつ心理を働かせているのだと思います。自分は大政奉還や同盟の評価は置いて第二次長州征伐下関海戦での高杉晋作との連携勝利だけでもすごいと思ってしまいます。竜馬とは関係なく間違いなく維新の英傑です。
@@flexwind057私が言っているお爺ちゃんは武田鉄矢や鳥越俊太郎など司馬遼太郎の小説を聖書のように扱う世代です大正生まれの方はもう99%この世にいない歴史の人物では?武田鉄矢は若くないです
故原田芳雄さん主演映画(竜馬暗殺)のDVDを持っていてたまに娯楽として観ています!
どの時代でも庶民はスーパーヒーローを求めていて、坂本龍馬というキャラがそれに乗ったという事かな。非業の死を遂げたという事で、さらに伝説と呼ばれるにふさわしい人物にもなるし、何より坂本龍馬の伝説が無いと高知の観光が成り立たない。実際のところは新しい物好き、目立ちたがり屋の田舎者だったような気がする。
龍馬が日本史の教科書からなくなる運命だったというのは知っていましたが、具体的にどういうことだったかやっとわかりました。有難うございました。
遠山の金さんでお馴染みの大岡越前と同じパターンですね。大岡裁きも後世の創作で実際は江戸期の経済改革者たったみたいだし
金さんと大岡越前は時代が相当違います。しかしおっしゃる通り、二人とも映画やTVで娯楽化されてますが、実際の方がよっぽど当時の経済の活発化に貢献した改革者でした。まあ残念ながら、金さんは30年位で明治維新ですから時代が遅かったとも言えます。今の時代でも遠山の金さんのような人が居て欲しいです。
@@ttzz-ic9yr金さんの刺青は桜吹雪ではなく、女の幽霊の絵だったという説がありましたね。
司馬良太の小説が誠らしく描いたフィクションです。司馬さんの罪は大きいね。
赤穂浪士の話みたいに、世間が好むように、体制に取り入れられるように、話が変えられていったとは思うよ。歴史は古文書や遺跡、参考品を調べて、辻褄合わせしただけ。新しく史料が見つかったら、歴史は変わるから。
昔から歴史には嘘が多いと思っていたから勉強に身が入らなかった。自分でさえ3日前の事を正解には覚えていないのに、何十年、何百年前にああ言った、こう言ったなんて検証しようもないから。文献があったとて、その文献も果たして正確かどうかもわからない。
薩摩藩の小松帯刀の事をもっと知ってほしいものです。
坂本龍馬がいなくても何も変わらなかった現実なんで持ち上げられてるのかわからないです
まだ「日本語」が存在しなかった時代、薩摩だ長州だ武蔵だ清国だと駆け回っていた一種の化け物。
亀山社中という経済軍事的な実態なしに密約は成立しないでしょ、保証人としての裏書もある。幕僚への大政奉還進言も、新政府綱領八策も無かったらどうなっていたかな。内戦が長引いて列強の介入を招いたかも知れない、近代国家として備えるべき憲法や議会、主権回復も遠のいたかも知れない、
龍馬が成し遂げたとされる功績は本来は同じ土佐藩の後藤象二郎によるものらしいですしかしその後藤が明治初期に征韓論や自由民権運動等で無節操な流転を繰り返し更に板垣退助も下野していて発言力が弱まった土佐閥の重鎮谷干城が「実は後藤は坂本龍馬という人物の手柄を横取りした」と喧伝したのが始まりとか
土佐のお荷物海援隊を後藤象二郎が任されたけど手に負えなくて岩崎弥太郎に丸投げ責任転嫁したんだよ‼️紀州の船から詐欺的な方法で莫大な利益を上げて薩摩の小松から買った銃を長州に売り維新を成功させたんだよ‼️海援隊は今で言う死の商人‼️
それもこれも鯨海酔候が片っ端から土佐勤王党員を処刑しまくったせいぜよ
なぜ龍馬は暗殺されたのか??
@@galdoo5760ふるふふ
最低限の裏付けや手紙などの資料をすこーしでも確認したらそんな恥ずかしい考察は言えないよ
坂本龍馬に感化されてる政治家いっぱいいそう。
龍馬かぶれの若い社員が一番困る。仕事も一人前にできないくせに大言壮語(笑)
司馬遼太郎が取り上げてなぜ教科書に載ることになるのかが分からないです。
これ程に「作られた偉人」も珍しい…
例えば、前田慶次郎が花の慶次の影響で一時某歴史シミュレーションにて最強キャラになってましたが、龍馬も同じですね。龍馬と竜馬が融合してしまって最早創作の人物と実在の人物の区別がつかなくなってしまった。
幕末の偉人の一番最後に入れてもいいかな?くらいの人物でしょうね。
@@クレ-j3f まあ、織田信長にしてもそうなんだけど、世間の「傾奇者」、「破天荒」、「はみ出しキャラ」への憧れは、いつの時代も変わらないんだろうね…
@@vuytskkいいえ龍馬は今で言う詐欺師ヤクザ!紀州藩からありもしない理由で金を騙し取つてる。
まわりが持ち上げただけの人物だったのか。
どんな人にもアンチがいるものです。龍馬は己の道を進んだだけで、人にとやかく言われる筋合いではない。
まあ龍馬も信長も戦後ヒーロー。ロマンとしてならいいんじゃないの?歴史の楽しみ方のひとつ。
水戸黄門を教科書に載せてロマン?
当時のヒーローを一同に集めたフルベツキの集合写真は嘘のようですね。撮影当時龍馬は故人でした。
グローバルリストの手先だったのでは?
薩長同盟に影響を与えてないにしろ、戦闘の中で殺害されたのではなく、中岡慎太郎と共にわざわざ出向いて暗殺された事を考えると、全く影響がない人物ではなかったと考える。首謀者が幕府側か薩長側かは知らないが。
ほんと歴史上の人物は評価があちこち変わって大変だなw三国志しかり、日本の戦国時代の武将もだけどw最近龍馬は過大評価とか作られた偶像とか耳にするし、確かに歴史的な根拠はないかもしれないが、当時を生きてたカミソリと言われた、時の外務大臣陸奥宗光がめっちゃ評価してるって事実も忘れずにね。
全くもって同意です!!
吉田松陰も普通に考えたら只の変人で過激派の扱いに困る人物‼️維新後松下村塾の出身で自己アピールの為に彼を持ち上げた連中がいたんだよ‼️それまでそんなに評価されてないんです‼️本人も思想転換でアメリカに渡ろうとして疥癬病で船に乗せてもらえなかった‼️高杉晋作も横浜商館焼き討ちの行動を反省しているんだけど‼️
物語と史実の分離をキチンとしないと、隣の国みたいになってしまう。ドラマが史実、ファンタジーでいいじゃないか!それでは駄目だと思う。
中学の時の担任が社会科の教員で坂本龍馬のことを「幕末の英雄ですよ!」とか興奮気味に話していて何か冷めた気持ちになったのを覚えてる。坂本龍馬を尊敬していると公言する人って昔から信用できない。
なんか「意識高い系」がやたら坂本龍馬を持ち上げている感はある。
ヒント脱藩
底辺から這い上がって登り詰めるのカッコいい、と思い込んでるタイプかな。ほどほどというのが分かんない。過ぎたるは及ばざるが如し。
龍馬の活躍に目をつけたのは司馬遼太郎の小説ではなく坂本龍馬暗殺の16年後に出版されている土陽新聞に掲載された小説なんですけど。そして薩長同盟の裏書を頼んだのは長州です。木戸孝允によって頼まれ裏書をしています。
有名無実の勝海舟や、有能で大きなミッションを幾つも乗り越えた榎本武揚など取り上げて欲しいです。知られざるヒーローピックアップして欲しいです。
生きていた時に無名であったなら、薩長同盟での影響度はほとんど無かったというのは納得。又、薩長同盟が功績でないなら、龍馬の功績はほぼ無しという事。学術的にそれが事実なら修正するべきですね。司馬遼太郎がフィクションだと言ってるのに、虚像に憧れるのは「歴史」とは別物。それにしても高知県知事はダメだね。学問にビジネスを持ち込んだらダメ。
司馬遼太郎の本を読んでも❗何をした人かが今一つハッキリしない
小山ゆうの「おーい竜馬」っていう漫画を読めば?
創作ならば、消すべき 高知のやり方も解せぬ
土佐閥の盛りと司馬史観の信者爺さんが作り上げた虚像
さほど詳しいわけではないですが、「行動力があり、社交性があった」「新しい物好き」「物怖じせず、やりたいことをやった」という以上の印象はありません。
当時龍馬のような人が大勢いたんだと思う。色んな人が色んな人と話をして影響を与え合った。誰か一部の偉い人達だけでなく民衆も含めて大勢の人達が、日本はこのままじゃイカン、て認識してたから明治維新が成功したんだと思う。龍馬一人がズバ抜けてたのではなく、数多いる憂国の士の一人。
お疲れ様ですそもそも、この人達の活動資金の出所は⁉️
グラバーと薩長
橋下徹を嘘つき担当大臣に確定申告
賛同します❗️🥰🎌
本当の事は誰にも分からない。
🧒🏻👧🧑🦲👨🦲子供頃❤桂小五郎や🌙月形半平太(武市半平太の、方が!人気?!あったけど??!?龍馬🐲🐉作り話し‼️勉強になります❤
人物像は時代と共に変化し、高知県はこの英雄?で商売している、野口英世、豊臣秀吉、ケネディなんかも実態は・・となっている、逆に吉良上野介は、全く気の毒な老人という評価となってきた(江戸当時でも名君の誉れはあったが)、毀誉褒貶は世の常ですかね・・
まったくそのとうり、同感です。現代では、田中角栄がその筆頭でしょう。
薩長同盟や大政奉還に全く関わっていないかったというのは言い過ぎな気もしないが・・確かに主導的にそれらや回天を行ったわけではないと思うが、関わりはあったようだ。脱藩後は薩摩藩の準藩士扱いで、上記の事柄に関わっていたよう。また、竜馬がいくでも記述があったが維新後の体制は、勝海舟や大久保一翁、横井小楠などの大物から教授された内容を彼なりにまとめたもので、独創ではないがそれを集約しているだけでもスゴイことだと思うがね。後、十分に重要人物であったと思うよ。薩摩が準藩士扱いにするほどだとしたら・・下士で脱藩者、薩摩のお抱え者という立場からどうしても公の場に出れないから文書に残っていないのは仕方ないと思う。ただ、それに載っていないからといって、全てはウソというのは言い過ぎだと思うよ。
武田鉄矢に言ってください。憧れ過ぎて聞く耳持たない。
真実が大事!!
わずか150年前のことでも正確に伝わっていないとすればそもそも歴史に残る事案ではなかったのだろう。だが後世結果的にヒーローとなり偶像となったのであれば様々な方面に商業的な価値を生み出した功績は維新の人物の中でも傑出している。
デマ創作の部分を事実と信じている信者があまりにも多いのはやはり柴錬の筆の力だよね‼️
小説、竜馬がゆくで、どれだけの者が、勇気をもらったか、それはもはや偶像の域を超えています。
そうかなあ?竜馬を研究し心酔する人によれば竜馬の残した手紙がなによりむっちゃ過激かつ革新的で面白いそうです。司馬遼太郎氏の小説でも手紙はいくつも紹介されてますね。文書の存在は確実だし竜馬という人物個人だったかどうかは別としてこの文書を残した人物はいたわけだしやっぱりそれは竜馬に集約されちゃうような気がします。
日本人は世界一日記を点ける民族なんですよね‼️ノーベル賞の選考員で日本文学のアメリカ人教授は日本兵の遺品の日記を驚きと感動で日本文学の世界に入ったそうです‼️つまり日本人は日記や手紙を後生の人が読む可能性を考え書いています‼️龍馬の手紙もそういうものの一つですよ‼️
映画監督の押井守が、竜馬をボロクソに批判してましたね(笑)
龍馬が何もしてないのなら、薩長同盟の裏書に龍馬の立会人となる裏書があるのは不自然なんだよ。さらに言えば、龍馬が寺田屋で襲撃を受けた時に、薩摩藩邸が救出に行ったことも説明できない。そもそも長州に武器を売り、薩摩に米を持っていたのは海援隊でなければ出来なかった。龍馬を歴史上から消したい、英雄はいないことにしたい勢力がいるんだろうねえ。明治政府が龍馬や薩摩の西郷の記録を抹殺したように。
僕が若い頃、テレビで「坂本龍馬は訪ねてきた人から手紙を受け取り、それを読もうとして手紙に意識を向けた隙を襲われて、頭を切られて脳の一部が飛び出した。その状態でもまだ龍馬は生きていた」と言っていた。脳が飛び出た状態で生きるなんて信じられないんだけどね。
坂本龍馬の虚像は歴史を勉強した人はみんな知ってる話だけど、当時の人らは交通手段も通信手段も限られてる状況で、江戸や九州まで数か月かけて移動して、数か月かけて手紙のやり取りをして、そりゃあもう大変だったわけで、本当のところは誰にもわからない部分も多い。
もっと勉強したら凄い人物だと解るよ
坂本龍馬は同時代の一般人には知られていない影の存在ではあったものの、政治家(いわゆる維新の英雄達)にはよく知られ重宝された存在ではあったようですね薩長同盟の立役者だの船中八策だのはフィクションとしても、要人の仲を取り持つ交渉人、フットワークが軽く使いやすいブローカー、悪く言えば政治家の小間使的な役割を果たしていたのではないかと想像します逆に言えばそれくらいしか情報がなく、何をしたのか良く分からないが故に、創作で事績を盛りまくることが出来たのでしょう
小説を真実として信奉している方々は歴史が苦手なのかな😂
「教科書から消える」という問題で、何故そういった話が出たのか?についてですが、これは入試用語半減提言から起きていることで、坂本龍馬以外に上杉謙信、武田信玄、吉田松陰、高杉晋作などが挙げられている。要は歴史的役割が大きくない、という判断からだそうです。(現在の有識者の判断か?)ちなみに昭和初期の歴史の教科書を見ると、薩長同盟の項目に、西郷吉之助や桂小五郎の名前はありません。
同年代の偉人が評価してたのだから、只者ではない😮 司馬遼太郎に持ち上げられすぎかもしれないが。霧島旅行中に姉に宛てた手紙を読むと、魅力的な人間ではあるわ😀
おお!有り難い。母方の高祖父が小松帯刀の兄に当たります。肝付家という事です。イギリスの外交官アーネスト・サトウは「私が会った日本人の中で最も魅力的な人物」と帯刀を言っている。坂本龍馬や高杉晋作も好きだがあまり知られざる小松帯刀をNHKの大河ドラマの主人公にして欲しい・・・。最近はNHKみないけど(;^_^A
子供の頃から龍馬人気の理由がわかりませんでした。龍馬は何をしたの?お姉さんに1通今のお金で4万円もする手紙を何通も送った人。初めて九州だかに新婚旅行をした人。海援隊だったか武器を船で運搬中、瀬戸内海で幕府の船と衝突したとき船舶法を知っていたといわれている人。長じて、船中八策は越後藩のおかかえ学者(信州出身だったと記憶)が藩主に上奏したものと知りました。今回触れられていませんでしたが彼のパトロンはグラバーだと知りました。英国は天皇側でもちろん開国を切望。彼はセルだった?フットワークの良い人だったとは思います。司馬さんの功罪は少なくないと思います。歴史小説はむずかしい。個人的な話ですが私がNHK大河を見ない理由でもあります。
ある老舗出版社で教育部門に携わる役員は、「坂本竜馬は明治維新にまったく関わっていない。武器をアメリカから密輸して、薩長に高値で譲っただけ」と、真顔で話していましたからね。以前は個人的な考察だと考えていましたが、仕事で付き合いがなくなった今にして思えば、作家が創作した英雄だったんですね。敗戦後の日本にとっては世の中を変えてくれた、憧れの人がたくさん必要だったのでしょう。
司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても明治政府の設立に当たり十分な功績があったものと思われます。明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かった訳ですし。西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
龍馬が神戸海軍操練所の塾長を務めたなんて事は全くの絵空事で、本当は頭が悪くて、そもそも入所出来なかったそうですね。それで、勝海舟は仕方なく私塾である「海軍塾」に入れてやったそうですよ。しかし、私塾の塾生たちは、その後行く宛も無く浪人状態だったので、親交の有った西郷隆盛に書状をしたため、面倒を見てくれないかと頼んだそうです。西郷は塾生たちを受け入れたものの、かと言って何もさせることが無く、苦肉の策で西郷をはじめ薩摩藩の書状を宛先に届ける、配達係をさせたそうです。そして、長州藩の桂小五郎、後の木戸孝允への配達係にたまたま任ったのが龍馬だったという事です。桂小五郎は西郷からの書状を届けた人物の名前も知らなかったようです。どうでも良い事ですからね。薩長同盟は、西郷と桂の間ですでに合意に至っていた事ですが、蛤御門の変で朝敵となった長州とそう簡単に和睦を結ぶ事は表向きには出来ません。そこで、両人は数日間籠って会議が難航した様に装って、何とか同盟に漕ぎつけた事にしたようです。実はずっと飲んでいた様です。龍馬の影など何処にも有りません。長崎での話も、薩摩の使いっ走りで行っていただけで、亀山社中も海援隊も龍馬には何の関係も有りません。物語や小説を、歴史の真実と混同する話は他にも数えきれないほど有りますよね。たった150年前の話がこうなってしまうのですから、身の回りの事もたまには検証して見ることが大事だと思います。
大変参考になりました❗️🤗まあ、これが真祖だと思います、 余談ですが蛤御門の門には まだ長しゆうの 撃った玉の弾痕あとが 見られます手でさわると 少しへこんでいます❗️7から8ヶ所位残っています。
もし坂本龍馬が明治維新で活躍していないというなら、それを資料で証明しないと説得力はない。龍馬が関与したとされる出来事すべてにおいて、龍馬はたいしたことをしていないことを証明してほしい。
ジョン万次郎はガチなので推してくれ!
坂本龍馬が有名に成ったのは、小説のお陰です。
このまま残すという事は、真に働いた人たちを抹殺するという事になる。
歴史が全て真実だとは思わないが、間違いがわかったなら正すべき。
司馬遼太郎の小説、明治政府のプロバガンダだと思う。
信者が怖い。地方新聞の御当地著名人を作りだす寄稿に小説家が飛びついて脚色しまくって面白くして、それがコミックになって、それを読んで歴史的英雄と崇める人達から、「アンタ!何にも知らないんだろ!」攻撃される。
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?
あれは本心じゃなかったのでしょうか?
それとも誰かが作った物ですか?
明治の日露戦争のときに一躍「有名」になってますよ。皇后陛下の「夢枕にたった」ことが唐人おマスコミに喧伝されて。それで小説にもなった
会津の末裔として、言いたいことは山ほどありますが、なにしろ、いわゆる明治維新と言われている物が根本から見直されることを願います。😊
実際、ただのクーデターですしね
会津若松出身の友人が維新にずっとこだわっていました。
坂本龍馬さんが目指したのは
無血革命だった。武力倒幕派により命を奪われたと思います。
>いわゆる明治維新と言われている物が根本から見直されることを願います。<
君は視野が狭すぎると思う。 あの時代世界はどう動いていたか知っていますか?
私は元々、佐幕派でしたから、何故、坂本龍馬なんぞがもてはやされるのか訳が分かりませんでした。
今回のような動画は涙が出るほど嬉しいです。
『八重の桜』で会津城が落城するシーンは悔しくて泣きました。😢
@@majihima 清国が何故滅びたか
ご存知ですか?世界の情勢を勉強しましょう。 もしあのまま徳川幕府が実権を握っていたら日本国は滅びたいたでしょう。 それほど喫緊の課題だったのです。
私は坂本龍馬が無名同然だった1969年以前の空気を覚えています。大河ドラマ(NHK)
「竜馬がゆく」(1968年)が決定的だったのです。なぜならばその直後から日本史学習参考書にいきなり坂本龍馬の名前が飛び出した記憶があるからです。司馬遼太郎作品の罪作りというほかないでしょう。
いや戦前の国定教科書に載ってるよ坂本龍馬。それに宮内庁に坂本龍馬の裏書がある時点で全く無名ではあり得ない
知らなかったのはただ単にお前が教養なかっただけだろ
たぶん何処か大きな力(外国勢力)が働いた。司馬遼太郎も出版社も文科省もメディアもその命令で動いた ということでしょう。
振り返ると 戦後そういうことがたくさん(数十か百数十か)あります。米国,国際金融資本,世界貴族などが命令し、役所,警察,司法,メディア,政治家,反日民族組織などが動いた いくつもあると思います。
龍馬は、明治33年の日本最初の児童向け偉人伝シリーズに取り上げられ、日本最初の国民的映画スター坂東妻三郎が2度も演じているのだから(「坂本龍馬」「維新の曲」)、無名ということはないでしょう。映画といえば、大河「竜馬がゆく」でナレーションを担当した滝沢修も、若い頃に演じていましたね。
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?
あれは本心じゃなかったのでしょうか?
それとも誰かが作った物ですか?
司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。
一番笑ったのは、「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とかの説。。当時の「攘夷志士」の存在形態をしらないんだよ、そういうこと言う人って。
当時「尊皇攘夷」思想は全国的に広がってて、全国各地に尊皇の豪農、豪商。知識人がいた。そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣い旅費渡してたんだよ。
龍馬の場合、①肥後の横井小楠の紹介状を携えて越前の松平春嶽に会い、春嶽の紹介状で江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。
②薩長同盟だけが注目されるが、薩土盟約の場にも坂本と中岡は参加してる。「一介の浪人」が、西郷大久保と議論してるんだよ
③長州の高杉晋作が上海で買った二兆のピストルのうち一丁を坂本に贈ってる。当時のピストル超貴重品。それを、他藩の浪人に贈ってる。
このエピソードだけで、坂本が幕末の「超重要人物」ってわかるでしょう?
結局のところ、武器商人だった部分まで踏み込んでほしかった🎉
東インド会社の孫請け会社を作って後の世で跋扈する新しいタイプの政商のはしり
今で言うと再生エネルギービジネスのベンチャーを早めに起こした人と同じと私は考えています。逆に言えばそんな人の中で謎のタヒを遂げた人を英雄に奉りあげる小説を書いたら売れるかもw
武器は力の均衡のためな
歪なパワーバランスが
一番内戦を激化させる
龍馬は
人を斬らない殺さない
※防衛時に発砲
@@21kai5 当時の幕府は薩長同盟と戦える力を待ってます‼️しかし既に武器の支払だけでも日本の支払はデフォルト寸前やはり戦わない事を選んだ徳川慶喜は維新の一番の英雄でしょ‼️植民地にならずにすんだのも元幕臣の英雄達、勝てば官軍で維新の英雄には虚飾がてんこ盛り子孫がいるので完全否定はしませんけど‼️暴力革命であったのは事実ですよ‼️江藤新平は濡れ衣で裁判もまともに開かれて無いし‼️西南戦争は西郷隆盛暗殺失敗がきっかけだし‼️新政府は闇だらけだろ‼️
何の問題もないけど。
確か(京都の)見廻組に対して発砲してるんですよね…見方によっては(坂本龍馬も)テロリストだと思うけど😓
坂本竜馬は、小説で竜馬が行くで有名になっただけで、実際は武器商人グラバーが幕末に長崎にきてグラバー商会を作り
その手先になった坂本龍馬が薩摩藩、長州藩に売り歩いた。大義の為に生きた人物ではない。
教科書、歴史書に掲載する人物でなく、小説家が販売目的でクローズUPしただけの人物にすぎない。
新政府綱領八策を知ってる?
新政府の在り方や人事案
浪人の龍馬がこの案を出し
実際に新政府で採用されてる
そして
自分は自由に生きたいから
役人はしない
ただ、そういう世の中にしたかっただけ
と語る
※陸奥宗光の証言
最底辺の脱藩浪人が
新政府の人事案や仕組みを提案し
自分は役職には就かない
※自筆物が現存
これだけで小説家が
販売目的でクローズアップしただけ〜
こんな括りは出来ない人物だと思うよ
西郷、板垣、勝…
色んな人が龍馬を語ってる
ちなみにグラバーと取引したのは
2年くらいね
1865年亀山社中設立
1867年龍馬没
その2年で龍馬は語れないよ
歴史上人気No1に度々選ばれることに疑問を持ってました。
司馬遼太郎さんが美化した虚像です。
龍馬がグラバーと接点があったとは初耳です。何時の事でしょうか?
坂本龍馬の海援隊の1隊員にすぎなかった、陸奥宗光が後に外務大臣になり、1度目の不平等条約を解消してます。
この動画ではかなり矮小化されてますが、当時の状況を把握している人は、坂本龍馬が暗殺されていなければ、政財界の大物になっていたのは間違いありません。わずか33歳で亡くなってるんですから…。
@@spre4751 だわなw 生きてりゃ維新の元勲として新政府で名を残してるさ。
なんせ竜馬の子分スジが数多くそうなってるんだからw
「何もたいしたことしてない吉田松陰はなぜ偉人なのか?」といえば、
門下生の多くが維新の元勲になっているから。なぜ松陰は問題なくて、竜馬はこういう扱いになるのか?
そこには「そういう風に言いたい」人間の思惑があるからやなwww
ほれ、ここにも「グラバーガー!」「ロスチャイルドガー!」ってのがわいてるやろWWW
司馬遼太郎が、『龍馬がゆく』で坂本龍馬を、幕末の志士として大きく取り上げ、それ以来、「歴史上の」人物として、教科書に載る人物にまでなりました。しかし、正史『三国志』と小説『三国志演義』とが違うように、実際の坂本龍馬が歴史を動かす存在であったかと言われると、そうとは言えないようです。司馬遼太郎は、小説家ですから、歴史上無名の人物にスポットライトを当てることも許されます。ただ、それを読む人が、それを真に受けて歴史上の真実と勘違いしないことを願います。乃木希典について、司馬遼太郎はほとんどクソ味噌に描いていますが、それもそのまま受け止めると、乃木の功績が正確に理解できません。
坂本龍馬は、グラバー園を残した、トマス・ブレイク・グラバーの日本側代理店のような役割を果たしたというのが真実に近いのでしょう。
幕末維新史の歴史書専門書学術書を一冊でもいいから読んでくださいな。龍馬はたいしたことない、龍馬はただの武器商人、龍馬はフリーメイソンとかバカ丸出しの珍説とわかりますから。この手の珍説って、司馬遼太郎が気に食わない、だから龍馬否定!程度の話ですよ。
一番笑ったのは、「たかが脱藩浪士が全国駆け巡れるわけがない、金はどうしたんだ? これはフリーメイソンから金出てる!」ってバカ丸出しの珍説。当時の脱藩浪人の位置づけも思想的情勢も知らないんだよ、
当時は全国各地に「尊皇攘夷」の思想が及んでいて、各地の地方有力者、豪農。豪商にも「尊皇」に目覚めた人一杯いたんだよ。孫王の脱藩志士ってのは、その在地有力者に宿と食を提供され、女を買うくらいの小遣い貰って寄宿し、旅費も貰って次の地方に移っていく(今の文化人の地方講演行脚みたいなもん)。龍馬の場合は、九州の横井湘南→松平春嶽→勝海舟→西郷隆盛って流れで「紹介状」とともに関係づけられていく。そういう具体的史実もしrないやつらが多いんだよな
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?
あれは本心じゃなかったのでしょうか?
それとも誰かが作った物ですか?
だとしても武器商人だったことに違いはない。誰だって良心の呵責はある、それに従うかどうかの違い。
[実際の坂本龍馬が歴史を動かす存在であったか]
←司馬嫌いの素人がそれ言う毛尾d、きちんと幕末史勉強すれば、坂本龍馬の歴史的意義は分かりますよ。薩長同盟ばかり注目されてますが、薩土盟約の場にも坂本中岡参加してますからね
@@濵田一郎-l7q 「武器商人」の意味、ちゃんと理解してますか?
司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。
一番笑ったのは、「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とかの説。。当時の「攘夷志士」の存在形態をしらないんだよ、そういうこと言う人って。
当時「尊皇攘夷」思想は全国的に共有されてた。全国各地に尊皇の豪農、豪商がいて、そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣いを渡してたんだよ。
龍馬の場合、肥後の横井小楠の紹介状を携えて越前の松平春嶽に会い、春嶽の紹介状で江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。これだけで幕末の「重要人物」ってわかるでしょう
「竜馬」は「龍馬」をモデルとする小説の中だけの存在と考えるべきだと思う。
インターネットのない時代に自らを人間インターネットに仕立て上げた才覚は評価してしかるべき。
彼と面識のある同時代の人々の龍馬評を読めば、彼が歴史に何の影響も与えなかったというのはたぶん言い過ぎである。
「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき」
「龍馬あらば、今の薩長人などは青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言へり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のやうに思はれき」(陸奥宗光)
「豪放不埒、是れ龍馬の特質なり。到底吏人たるべからず。龍馬もし不惑の寿を得たらんには、恐らく薩の五代才助、土の岩崎弥太郎たるべけん」(板垣退助)
「天下に有志あり、余多く之と交はる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だ曽て之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」(西郷隆盛)
我が意を得たり、其のとおりです
たぶんそうじゃなくて、坂本龍馬人気で尾ひれがついただけだと思うがw「竜馬がゆく」でも、そこまで英雄みたいには描いていないんだけどね
司馬遼太郎が坂本龍馬を英雄にしたみたいな話は変ですよ
というか、読んだことあるの?全然そんな感じではない
そもそも司馬遼太郎作品を史実だと思っている奴等の相手をするのなら、コチトラみたいな司馬遼太郎ファンのほうが適任ですよね?司馬遼太郎作品の9割は読み終えていますし、時代考証好きなので負ける気が全くしねぇwってなるんだが?
この流れが正しいとは思いますが、司馬史観でイキってる人はもういないと思いますけど?ネット上で出会ったことがないんですよねwつまり、存在していないだろう人たちを叩いても意味なくね?と思いますがね
そういう人がいたらコチトラは真っ先に食って掛かる側ですけど、煽っても出て来たことがないんですよね
信者は文章が長いね。
早く本当の事を教科書で学べられるようにして欲しいです。幕末、明治時代がもっと違ってみえると思います。
今になって間違ってましたって言われてもなぁ、義務教育意味ないだろう。
感情で歴史を残したら、K国と同じだしね。
小説と歴史の区別は大事ですね。
司馬遼太郎が集めた古文書って、一次資料ってどのくらいあったんでしょうね?
幕末の本当の歴史を語ろうと思ったら、芸藩誌に触れないといけないから、根底から覆りますよ。
本当の歴史って何だろうね。司馬遼太郎の創作はともかく、歴史学者でもない歴史愛好ユーチューバーが挙げている動画が正しいと言われても、果たしてそちらにもどれほど信憑性があるのやら・・・。
@@deathdrummer7025 妄想で語ってるおまえさんより、歴史資料を提示しながら語ってるRUclipsrの方が信用できると思うぞ
竜馬はグラバーの手先になって武器販売をやっていたとしか思えない。
日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらいしか見つからない。
金の流れを追えば真実にたどり着く。
ライフル代金は米で払ったが、それを回収するためにライフルを使って米集めしたのが戊辰戦争である。日本人が大義のために戦うことはない。
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?
あれは本心じゃなかったのでしょうか?
それとも誰かが作った物ですか?
日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらいしか見つからない。←司馬嫌いの素人「研究者」が「龍馬はたいしたことない」とか「龍馬はフリーメイソン」とか珍説唱えてますが、ちゃんと幕末史調べれば、それが珍説だよわかりますよ。
「一介の浪人にすぎない龍馬が全国を歩き回る金があるはずがない! 金はフリーメイソンから」とか、当時の「攘夷志士」の存在形態しらないの? 当時「尊皇攘夷」思想は全国的に広がってて、全国各地に尊皇の豪農、豪商、財産家がいた。そいつらが浪人に飯と宿を提供し、酒と女買えるくらいの小遣い旅費渡してたんだよ。
龍馬の場合、①肥後の横井小楠の紹介で越前の松平春嶽に会い、小楠春嶽のつてで江戸の勝海舟に会い、勝の紹介状で薩摩の西郷隆盛に会ってる。
②薩長同盟だけが注目されるが、薩土盟約の場にも坂本と中岡は参加してる。「一介の浪人」が、西郷大久保と議論してるんだよ
③長州の高杉晋作が上海で買った二挺のピストルのうち1一丁を坂本に贈ってる。当時のピストル超貴重品。それを、他藩の浪人に贈ってる。
このエピソードだけで、坂本が幕末の「超重要人物」ってわかるでしょう? ネットで聞きかじった珍説振り回すんじゃなく、もっとちゃんと勉強しようよ
「日本中を動き回る膨大な旅費を誰が出せるかというと、グラバーくらい」 ← 当時は日本全国、武士から庶民に至るまで「尊皇」が「常識になってた。で、全国を行脚する尊皇攘夷志士は地方の豪商豪農有力知識人のところに宿をとり飯を食わせて貰い、女と酒買えるくらいの小遣い銭と旅費と「紹介状」貰って遊説して回ったんだよ。
この程度のこと分かってないのに、龍馬はグラバーンうんぬんとかの客観的根拠なき幼稚な陰謀論を信じちゃいかんよ
パッとしない奴を司馬遼太郎が面白おかしく主人公に仕立て、ってだけなんよね
坂本じゃなく司馬遼太郎が優秀だった
それはあると思います。司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても十分な功績はあったものと思われます。それでも現在まで広く名前を知られているのは小説のおかげでしょう。
ただ、明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かったようですので、一角の人物ではあったのかと思われます。
西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」
木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」
板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」
陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
ロスチャイルドの資金提供があって、その手先として動いたというのが本当のところだと思う!
土佐藩を捨ててまで勝つ海舟に世界情勢を学んだのです。乙女姉さんにも日本の再選択をつづっています。
英語も出来ないのにグラバーの手代を名乗り笠に着て詐欺行為に勤しんだトリックスター辺りが正解かと。
浅い考察ばかり
龍馬って金持ちの生まれ
わざわざ最底辺の浪人になり
詐欺するって
安易なロジック
グラバーや各藩の犬って論もあるけど
それも浅い
わざわざそんな汚い犬飼わないよw
ロスチャイルドが
捨て犬の雑種を飼うわけねーw
否定ありきじゃなく
龍馬は裏付けのある事実だけで
じゅうぶん魅力ある人物
ある大阪の議員の方が、「ただのグラバーのパシリ」と斬って落としていました。自分でも色々と調べてみましたが、当時の阿片の利権を考えるとその通りだと思います。
@@福が来る-l2z
色々調べた…って
どのレベルかわからないけど
そのグラバーのパシリさん?の龍馬が
勝、西郷、桂、高杉、後藤…ら
公家〜幕臣〜各藩首脳と絡み
日本史にあらわれたのは
グラバーと出逢う前からだからね
グラバーが晩年
日本で暮らしたことや
三菱との関係性
思想面や後ろ盾、背景…
坂本龍馬が示した
【新政府綱領八策】と
それを参考にし採用した
新政府との関係性などを考察しても
グラバーのパシリと括るのは
無理があるよ
因みに
亀山社中の結成は
1865年
龍馬の没年は
1867年の2年余り
この2年と龍馬年表をみて
総評が
グラバーのパシリでは不適切
坂本龍馬は司馬史観ですから。
何も知らずに語る典型
少し事実だけ調べてみるといい
@@21kai5 何か語ってるつもりで何も反証もせず語れていない典型。
まほうのことば「事実をしらべてみるといい」
その結果、事実を述べれないというギャグwwww
@@UP3UP
ここの動画コメントだけで
俺は資料を元に語ってるから
事実を語ってるよ
その上でこのコメ主に
少し事実を調べてみるといい
と言っている
@@UP3UP
事実だけで軽く語ってあげる
坂本龍馬
土佐藩の裕福な家に生まれる
約173センチ※着衣より
【北辰一刀流免許皆伝】
国を憂いて脱藩し
最低身分の【脱藩浪人】となる
最低身分でありながら
公家、志士、各藩首脳、幕府幹部、外国商人…と交流をもつ
【亀山社中海援隊】をつくる
【いろは丸事件】
国際法や流行歌などを駆使し
大藩を相手に勝訴(8万両)
【薩長同盟】にて
長州藩書簡に保証書をする
※無関係者が大藩の書簡に
落書きをしたら切腹
また、この書簡にて
小松を小、西郷を西と表し
間違いないのは神様も
ずっと認めてる
坂本龍馬
と自らの名前で保証している
【船中八策】を提案
※思想者多数
【大政奉還案】に繋がる
※尽力者多数
【新政府綱領八策】
※資料現存
この資料が船中八策や大政奉還案に
関わる資料として意味がある
【新政府人事案】を
各方面へ提出
勢力毎に◯◯を使い
各勢力の立場を考慮している
※資料現存、証言多数
※2
外国商人の傀儡なら
新政府の人事案など
国や藩を憂いた者たちに
絶対、拒絶される
これらが資料現存の事実
まとめると
坂本龍馬は
当時では大柄
北辰一刀流免許皆伝の剣の達人
裕福な家や暮らしを捨てて
脱藩浪人となる
各勢力の有力者と交流をもち
薩長同盟では繋ぎ役をする
長州藩書簡の内容保証書をする
海運業にて
いろは丸事件で大藩と裁判をし勝訴
大政奉還案を掲げ
奉還後は各勢力へ
新政府人事案を提出する
これがすべて資料現存の史実
脱藩浪人で無理ゲーを
31歳の生涯で成している
じゅうぶん大人物
@@UP3UP
約173センチ
※着衣より
【北辰一刀流免許皆伝】
最低身分の【脱藩浪人】
【亀山社中海援隊】をつくる
【いろは丸事件】
大藩を相手に勝訴(8万両)
【薩長同盟】にて
長州藩書簡に保証書をする
※無関係者が大藩の書簡に
落書きをしたら切腹
この書簡にて
小松を小、西郷を西と表し
間違いないのは神様も
ずっと認めてる
坂本龍馬
と保証書している
※資料現存
【船中八策】を提案
※思想者多数
【大政奉還案】
※尽力者多数
【新政府綱領八策】
※資料現存
【新政府人事案】を各方面へ提出
※資料現存、証言多数
これらが資料現存の事実
31歳の生涯で
最低身分者が成している
じゅうぶん大人物
「竜馬がゆく」はあくまでも小説です。
薩長同盟に関しては、木戸孝允から送られた手紙に、赤で裏書し返信したものが残されています。
これは薩長同盟の内容を6項目にまとめて確認を求めたもので、尺牘(龍馬裏書)と呼ばれ、宮内庁に所蔵されています。是非ご覧ください。
素朴な疑問です‼️木戸孝允は維新後の名前じゃないのですか❓️⁉️桂小五郎が当時の名前じゃないのですか❓️⁉️土佐藩主山之内容堂と書かれた偽手紙があるんだけど、本物なら松平容堂が正式な手紙らしいですよ‼️
@@ちょうさんzv703love さん
ご指摘の点、説明いたします。とりあえず分かり易いように「木戸孝允」で説明しました。
調べて見ると慶応元年には藩主からの命令で木戸姓を名乗るようになり、木戸貫治、ついで準一郎と名乗るようになったそうです。
孝允を名乗ったのは明治になってからで間違いありません。
@@sakawayo608 さん 私もそのように思って読んでいましたが、当時の名前と違うことに疑問を持つ(文脈上、事実と違うから @sakawayo608 さんの書いていることがおかしいと言っていると思われます)といった色々な人がいることが分かりました。
@@t-2892 さん
たとえば慶応3年の11月の時点で坂本龍馬は才谷梅太郎と名乗っていたので、書簡等で西谷と書かれているものもあります。
仲間内では坂本と呼ばなかったのです。同じように中岡慎太郎は石川清之助と呼ばれていました。
@@sakawayo608😮
昔はおーい竜馬を全巻持っていて龍馬は凄い人だなと関心はした。でも今になれば身分社会が徹底している江戸時代で脱藩浪士の言うことなど身分が高い人らが聞いてくれるんだろうか?と違和感を感じます。
龍馬は脱藩してないよ‼️浪人が勝海舟に会えるわけ無いでしょ‼️海援隊に入れないでしょ‼️
@@かぼちゃ-o6b 脱藩浪士が幕府の海軍奉行に会えるわけ無い❗️容堂の後ろ楯があったからと昔テレビで歴史学者の方が言ってました‼️龍馬の父親は土佐藩の御用商人の次男で新田開発の功績で坂本の名字と橋番の役人の身分に取り立てられたのが事実ですよ‼️生きてたら政商になって財閥造ってたと言う人が多いのは身分や政治とか関心が無いのかそういう方向の野心がなかったイメージです❓️
ハントー人の半日動画ですよ?
ここは…話にならんなw
日本だけに限らず「なんでか知らないけど偉人ってことになってる」タイプのよく分からない人には、無条件に否定はしないまでも要注意ですな
どれだけ影響を及ぼしたかによりますね。
「俺の前生は坂本龍馬だった」って本気で思っている人が1000人くらい、いるそうです。
しかし、この手の思い込みの激しい人は「そんなのは嘘だ、竜馬は英雄なんだ」って反論するでしょうね。
そういうのわいてるからね。
すげーズレた妄言で龍馬擁護してる奴らが、ことごとく保守系チャンネル荒らしてた奴らのリストにはいってるのが興味深いw
欧米コンプこじらせて、逆張りしたいみたいな歪んだ承認欲求とかありそうだけどそいつらw
教科書から消すことはないとは思うけれど、後年司馬遼太郎先生は「竜馬が行く」について龍馬を良く描きすぎた、
と少し後悔してたらしいです。武田鉄矢氏が前にラジオで言ってたけど 随分前に司馬氏とバッタリ会った時に
「アンタァ~30過ぎて いつまでも龍馬じゃありまへんで~」と言われたとか、鉄矢氏は今70代半ばだから
もう40年以上前のことになる。ただ小説は面白いです、でも事実は小説よりも奇なりかな???、
龍馬の手紙の内容はもちろん考慮されてますよね?
あれは本心じゃなかったのでしょうか?
それとも誰かが作った物ですか?
自分は坂本龍馬は一角の人物だったと思う45歳ですが、そもそも教科書に載ってた記憶がないんですよね。多分「土佐藩の脱藩浪士である坂本龍馬の仲立ちで敵対していた薩摩藩と長州藩が盟約を結び…」的な文章で1行くらいのものかと思われますが、2017年に一度「消える」と言われて現在も消えてはないらしいですね。
@@alienloveyoutube そもそもがそれだよね
坂本龍馬を乗せていた教科書の出版社ってどこ?となりますよね
明らかに小説であって創作物である内容なのに、何で史実扱いされるんだかwってなりますし
逆に『竜馬がゆく』を読んだこと無いの?ってなるんですよね
おかしな話題ですよね
龍馬と竜馬が別ってわからないヒトってこんなに多いんだ…大丈夫か日本
小説が根拠ってどこぞの国の人たちか?とも思う
ある意味
竜馬より龍馬の方が凄いよ
史実だけで色々してる
北辰一刀流免許小千葉
薩長同盟長州藩書簡保証書
※小松を小、西郷を西と表現
いろは丸裁判で大藩に勝訴
亀山社中海援隊
薩摩藩官邸在
長州土佐幕府公家等に人脈
船中八策大政奉還進言
※アイデア多数
新政府人事案多方面へ提出
↑
脱藩浪人でこれは無理ゲー
漫画みたいな大人物だろ
そもそも、坂本は旧土佐藩士が武市半平太を切り捨てたために維新の貢献者がいないことに困り果てて、でっちあげた虚像という話があります。亀山社中も海援隊も維新後に薩摩の預かりになっていた操練所の脱藩浪士が薩摩藩が密輸に使っていた輸送船を動かしていたのを維新後に勝手に名付けただけ、それも坂本は参加していないとも言われている。
ここで西郷は復帰直後で小松が薩長同盟を手動したと言っているが、役割が違っていて、小松が表向き、大久保が久光対応、西郷が朝廷他藩対応をしており、薩長同盟時も京都に行っていたともいわれている。
木戸や品川による薩長盟約時の回顧でも坂本は重視されてますし、土佐による虚像というのは間違いでしょうけどね。慶喜に利用され捨てられた久光とその一派(小松と大久保)は八方塞。そこで斉彬時代から合従連衡方針だった西郷を復帰させたのであって動画内容は嘘が多い。その西郷が一翁・勝・越前・長州等との繋がりが有る坂本に白羽の矢を立てた。薩長盟約に難色を示す木戸との関係を周旋して貰った。当時奇兵隊上層以外は薩摩を憎んでおり失敗した小松には到底出来ない事です。坂野潤治「日本近代史」にも沿う内容が書かれてます。この動画はデタラメ。
薩摩の小松と長州の桂のなかを取り持ったのは中岡慎太郎です‼️土佐の豪商の一族で新田開発の功績から坂本の名字と下級武士の身分を賜ったのが事実ですよ‼️
@@ちょうさんzv703love
当時、藩は国
国と国との条約に
無関係な坂本龍馬に
保証の裏書きなんか絶対にさせない
たまたまそこに居たから
とか浅い考察をいう人がいるが
国の書簡に落書きしたら
切腹もん
裏付けのある事実だけで
龍馬は魅力ある人物
否定ありきではなく
事実だけで考察してみるといい
脱藩浪士が
各藩首脳、幕臣、外国有力者、公家
と付き合い
最終的に
新政府人事案を上記の者たちに
出している
虚像?傀儡?犬?
条約に保証書きして
新政府人事案を提出
してるだけで普通じゃない
じゅうぶん凄い
@@21kai5 デマや柴錬の創作を裏付けのある事実でしょうか❓️❓️⁉️そもそも脱藩浪士がデマ創作ずっと土佐藩の為に活動している‼️常に上司の元で活動している‼️亀山社中海援隊の時は後藤象二郎岩崎弥太郎が上司薩長同盟の時は中岡慎太郎の指示で働いてる‼️
竜馬の人物像を1番知っているのは、当時の「英雄達」です。勝海舟は「西郷を評する竜馬も西郷に劣らぬ大物」と言ってますし、西郷も今まで会った中で大人物は誰か?と聞かれ「りょうめ(竜馬をいつもこう呼んでいた)」と言ってますし、山形有明も多分高評価してました。目立たぬ様に行動していたから、当然表面にでなかった訳で、陰では常に狙われていた事は、それだけの大物と思います。
陸奥宗光も凄い評価してる。
「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあらざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」
この指摘が一番納得できる。もし龍馬がいなければ、明治維新が成っていなかったことは間違いない。
この人より高杉晋作。この人いなけりゃ
下関が植民地になっていた可能性
坂本龍馬の功績は大したことがない もしくは嘘だらけと言われているようですが では何故 龍馬は暗殺をされなけれはならなかったのでしょう
何もしていなければ命を奪う必要は無かったように思えます
歴史的事実だけを検証すれば、龍馬の功績は虚構の創作で、司馬遼太郎先生が生み出した偶像崇拝だと思います。幕末に型破りな英雄がいた方が歴史にロマンを感じますから。
現存している当時の重要人物たちの書簡のやりとりを見れば、かなり大きな功績を残した人物だったのがわかりますね。
船中八策もその原型が自筆で残っています。
司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても十分な功績があったものと思われます。明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かった訳ですし。
西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」
木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」
板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」
陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
武田鉄矢が株の宣伝をする辺りを見て、「まともじゃない」と感じたのは当たりだったね。
忖度芸能人的な立ち位置は、金八先生の出演で謎が解けた。
中東の戦争は、アメリカが介入しなければ酷く惨くならない。武器商人は、この世から居なくなってほしい。
ウクライナもね
生前の司馬遼太郎先生とお会いする機会が有り「竜馬が行く」についてお話を聞き質問もしましたが早くから「事実を小説にして竜馬に合わせた」と言って居られました。幕末の史実に史実の人物像を合わせたのですね😀
坂本龍馬は国際金融資本、ロスチャイルドの代理人・手先です。
おっしゃる通り。
@@寺田弘司-b5w
同意有難う御座います。
こういう事をいうと、浅はかな幕末信者・竜馬信者・司馬史観の人から批判を受けるので、本当にうれしいです。
明治になってグラバーが興したキリンビール、シンボルマークが麒麟すなわち上半身が龍、下半身が馬、つまり龍馬!
高知に龍馬記念館を見に遊びに行きましたけど、坂本龍馬は、郷土の英雄であり、町おこしのキーコンテンツなのだとよく分かりますよ。
武田鉄矢さんの海援隊のイメージが思い浮かびますが、実際の坂本龍馬の話しもだいぶ脚色されているのではないでしょうか?名前からしても、創り易そうですね。話しが、どんどん膨らんでいったのではないでしょうか?
司馬遼太郎が龍馬は、創作と言ってたよね。
で、なぜにそこまで活躍していない龍馬は中岡慎太郎と一緒に暗殺されたのでしょうか?
嘘と言うか、あれ司馬遼太郎の小説だし。
まさか竈門炭治郎を実在した人物だと思って無いよね?
るろうに剣心の緋村剣心のモデルになった人斬りは実在したそうですよ。
いつ、たんじろうが実在のモデルがいて、鬼退治をした偉人として学校でおしえるようになったんだ?www
比較対象すら定まらないレベルだなおまえw
幕末に日本をどうにかしたいと考えて行動していた人は、今の時代まで名前が残っている人も残らなかった人もみんな等しくすごい事だし有難い事だと自分は思います。後世の人達に「何もしてない」とか意見の違いで中傷される坂本龍馬を少し可哀想に感じました。
司馬遼太郎さんの著作が坂本竜馬を世に認知させるきっかけになったというけれど。
でもこの時代の20代~30代の若者たちって凄いパワーだったんだね。佐幕も尊王も。
パワー?
それは欧米列強やユ財閥から金もらって暴れた ということ。人を殺しても金や力で正当化してもらえた やりたい放題 . . . .これがパワー
坂本龍馬はかっこよすき
土佐藩に復帰出来たのは、かなり大変なことでしょう?その辺がスルーされるのが残念。船中八策が他人アイデアをまとめたものでも、まとめるだけの知識があったわけですね。この世に全く独創的は考え方などが突然国の行末に影響するようなことは、独裁者によるもの以外では殆どないでしょう。
龍馬の裏の素性を調べると維新改革の真相が明確になります。そもそも明治維新って何なんでしょう?そこから深堀りしないと龍馬像は見えてきません。
クーデターですね。
薩長同盟の裏書の件は・・・?
そんな大切な事を一浪人にさせるのはオカシイ・・・
武田鉄矢にコノ動画の感想聞きたいです😅😂
武田〇矢「J ODAN」
30代の頃、外国人要人(英米のベンチャー企業代表や技術博士等)を案内し企業訪問すると、決まって事業部長や時には社長にまで紹介されたもの。オレ単独では絶対あり得ぬ待遇なんだけどね。
竜馬も似たような立場(武器商代理人てして)で、浪人の身でありながら、多くの幕末要人と接触できたのかも知れないね。
とにかく、日本人は欧米人の話に耳を傾け厚遇してくれる。日本人同士になると、急にワカッタワカッタと相手してくれなくなる。幕末は、その傾向がもっと強かったはず。
なるほど
竜馬が行くも燃えよ剣も読みましたが司馬遼太郎史観が入っていることは承知の上で言わせていただくと、新選組の一般人からの成り上がりが侍としての本当の大和魂を持っていたのだと感じます。坂本龍馬さんの海援隊は紀州のみかん運搬の船を襲い、何もかもを奪い取るという海賊であったとも聞きます。
真実を知ることはとても難しく、人間の大脳皮質には最初に入ったものを信じるという欠陥があります。ですから私はそんな事に左右されずに他人よりも更に客観的に歴史を見て行きたいと思っております。
司馬さんのフィクションで有名になりましたが、今と違ってネット検証とが出来なかったので史実と混同する人が多かったとでしょう!今ではキングダムの信とか他の人物が史実かどうかとすぐ検証される時代となりました。
何が肝であるのか、今を生きる者にどれだけの
勇気を与えてくれたかであり、検証の必要性は
感じられません。
@@kenkohogs9415 フィクションや小説なら自由にやればいいよ。教科書は検証が必要だし、教科書を書いたりしてるのは資料検証の専門家の学者なんだから脚色の必要はないよ。
昭和の頃、会津の年寄りに前の戦争の話を聞こうとすると戊辰戦争の話を始めると聞きました。当時、剣道の全国大会で九州勢と当たる福島の選手は物凄く闘争心をむき出した試合をしていたそうです。その話を聞いて思ったのは戦争で傷ついた命と心を癒(い)やすには相当の時間が必要なんだなと。
戦争は兵隊同士の戦いで、会津での薩長の行いは虐殺凌辱の武士の振る舞いでは無かった!
遺体も埋葬させず野晒し
只の私怨
尊王、佐幕の立場を問わず知己が多い点、歴史上の事件に深くは関わってないにしても、その周辺でうろちょろしてる点、司馬さんのいう歴史を俯瞰するって立場の主人公としてハマり役だったんだろうなぁ。
思春期~青年期
まだ見ぬ未来に自分を重ね龍馬に憧れる
壮年期~中年期
社会の厳しさ己の未熟さを知り嫉妬ゆえに陰謀論や単なる武器商人と龍馬を貶め自分は世が分かっていると思いたがる
高齢期
自分の一生を振り返った時龍馬の懐の大きさを実感し嫉妬は消え再度龍馬に憧れる
後で祭り上げられたり、虚飾もあるのでは?
忠臣蔵と同じ
某アウトロー系のブロガーが以前「自分の経験から言うと龍馬というのは所謂”事件屋”だったのではないかと思う」「少しでもトラブルがあると聞くと自分に解決させろ、解決できる、と首を突っ込むだけの人」というのが印象に残っています。
あと司馬遼太郎の小説で龍馬物には新撰組が出てこない、新撰組物には龍馬がでてこないということで恐らく両方とも大したことは無かったのではないかというツイが流れてきて妙に納得しました
大政奉還で一番当てが外れたのは列強イギリス フランスで、龍馬は彼らから恨まれていた。龍馬が居なくなれば、又幕府と薩長とが戦争を始める事は予想出来たし、実際に
その通りになっている。
五稜郭の戦いの時点ではドイツまでもが日本の北海道を手に入れる事を画策していた。
寝所を持たない龍馬は命を狙われ易く、残念な事になってしまった。
私もそうだと思います。明治維新の筋書きを描き金を出したのは欧米列強です。薩長が倒幕側官軍になったのは外様大名だったということもありますが欧米列強と戦い和解したあと 売国奴の犬になったということでしょう。
カレラは内戦の隙に植民地化することを最善のシナリオとしていたと思います。それだけは避けられたが、その後の明治政府もカレラのコントロールを受けている。
日本の近代史を見るときの絶対不可欠の視点です。
遡ること信長の暗殺にはキリシタンのスエズ教会が絡んでいる説もあれば、秀吉の時代の島原の乱ではポルトガルが背後に天草五郎が立ち上がったという話
等もあげられます。
藩にも属さず、何もしていない人物が潜伏したり命を狙われる?そんなバカな事は無いだろう
米国の大統領と市民が平等である事に感銘して日本を善き国にと勝海舟に教えを受けた旨を乙女姉さんに長文書いたのでした。
司馬遼太郎があれは小説ですって何度言っても信じないお爺ちゃん多いからな
思い出補正されたまま死んでいくのが幸せなのかもね
昭和3年桂浜、昭和11年京都円山公園に銅像が立ち戦前から維新の英傑と評価があった龍馬、京都出身だった大正生まれの父のヒーローとして子供の頃よく話しを聞かせてくれたました。京都市は遭難の地で伝聞に詳しい方が多く
寺田屋や近江屋の事を教えてもらった。大河の竜馬がゆくはその後に放送された
若い方は司馬さんがブームを作ったと信じ創作や陰謀論など後の雑音を信じてアンチから教科書から消す努力をする輩までいます。
動機は認知的不協和、過小評価して自身が上にマウントすつ心理を働かせているのだと思います。
自分は大政奉還や同盟の評価は置いて第二次長州征伐下関海戦での高杉晋作との連携勝利だけでもすごいと思ってしまいます。竜馬とは関係なく間違いなく維新の英傑です。
@@flexwind057
私が言っているお爺ちゃんは
武田鉄矢や鳥越俊太郎など司馬遼太郎の小説を聖書のように扱う世代です
大正生まれの方はもう99%この世にいない歴史の人物では?
武田鉄矢は若くないです
故原田芳雄さん主演映画(竜馬暗殺)のDVDを持っていてたまに娯楽として観ています!
どの時代でも庶民はスーパーヒーローを求めていて、坂本龍馬というキャラがそれに乗ったという事かな。
非業の死を遂げたという事で、さらに伝説と呼ばれるにふさわしい人物にもなるし、何より坂本龍馬の伝説が無いと高知の観光が成り立たない。
実際のところは新しい物好き、目立ちたがり屋の田舎者だったような気がする。
ハントー人の半日動画ですよ?
龍馬が日本史の教科書からなくなる運命だったというのは知っていましたが、具体的にどういうことだったかやっとわかりました。
有難うございました。
遠山の金さんでお馴染みの大岡越前と同じパターンですね。
大岡裁きも後世の創作で実際は江戸期の経済改革者たったみたいだし
金さんと大岡越前は時代が相当違います。
しかしおっしゃる通り、二人とも映画やTVで娯楽化されてますが、実際の方がよっぽど当時の経済の活発化に貢献した改革者でした。まあ残念ながら、金さんは30年位で明治維新ですから時代が遅かったとも言えます。今の時代でも遠山の金さんのような人が居て欲しいです。
@@ttzz-ic9yr
金さんの刺青は桜吹雪ではなく、女の幽霊の絵だったという説がありましたね。
司馬良太の小説が誠らしく描いたフィクションです。司馬さんの罪は大きいね。
赤穂浪士の話みたいに、世間が好むように、体制に取り入れられるように、話が変えられていったとは思うよ。歴史は古文書や遺跡、参考品を調べて、辻褄合わせしただけ。新しく史料が見つかったら、歴史は変わるから。
昔から歴史には嘘が多いと思っていたから勉強に身が入らなかった。
自分でさえ3日前の事を正解には覚えていないのに、何十年、何百年前にああ言った、こう言ったなんて検証しようもないから。
文献があったとて、その文献も果たして正確かどうかもわからない。
薩摩藩の小松帯刀の事をもっと知ってほしいものです。
坂本龍馬がいなくても何も変わらなかった現実
なんで持ち上げられてるのかわからないです
まだ「日本語」が存在しなかった時代、薩摩だ長州だ武蔵だ清国だと駆け回っていた一種の化け物。
亀山社中という経済軍事的な実態なしに密約は成立しないでしょ、保証人としての裏書もある。
幕僚への大政奉還進言も、新政府綱領八策も無かったらどうなっていたかな。内戦が長引いて列強の介入を招いたかも知れない、近代国家として備えるべき憲法や議会、主権回復も遠のいたかも知れない、
龍馬が成し遂げたとされる功績は本来は同じ土佐藩の後藤象二郎によるものらしいです
しかしその後藤が明治初期に征韓論や自由民権運動等で無節操な流転を繰り返し
更に板垣退助も下野していて発言力が弱まった土佐閥の重鎮谷干城が
「実は後藤は坂本龍馬という人物の手柄を横取りした」と喧伝したのが始まりとか
土佐のお荷物海援隊を後藤象二郎が任されたけど手に負えなくて岩崎弥太郎に丸投げ責任転嫁したんだよ‼️紀州の船から詐欺的な方法で莫大な利益を上げて薩摩の小松から買った銃を長州に売り維新を成功させたんだよ‼️海援隊は今で言う死の商人‼️
それもこれも鯨海酔候が片っ端から土佐勤王党員を処刑しまくったせいぜよ
なぜ
龍馬は暗殺されたのか??
@@galdoo5760ふるふふ
最低限の裏付けや手紙などの資料を
すこーしでも確認したら
そんな恥ずかしい考察は言えないよ
坂本龍馬に感化されてる政治家いっぱいいそう。
龍馬かぶれの若い社員が一番困る。
仕事も一人前にできないくせに大言壮語(笑)
司馬遼太郎が取り上げてなぜ教科書に載ることになるのかが分からないです。
これ程に「作られた偉人」も珍しい…
例えば、前田慶次郎が花の慶次の影響で一時某歴史シミュレーションにて最強キャラになってましたが、龍馬も同じですね。龍馬と竜馬が融合してしまって最早創作の人物と実在の人物の区別がつかなくなってしまった。
幕末の偉人の一番最後に入れてもいいかな?くらいの人物でしょうね。
@@クレ-j3f まあ、織田信長にしてもそうなんだけど、世間の「傾奇者」、「破天荒」、「はみ出しキャラ」への憧れは、いつの時代も変わらないんだろうね…
@@vuytskkいいえ龍馬は今で言う詐欺師ヤクザ!紀州藩からありもしない理由で金を騙し取つてる。
まわりが持ち上げただけの人物だったのか。
どんな人にもアンチがいるものです。龍馬は己の道を進んだだけで、人にとやかく言われる筋合いではない。
まあ龍馬も信長も戦後ヒーロー。ロマンとしてならいいんじゃないの?歴史の楽しみ方のひとつ。
水戸黄門を教科書に載せてロマン?
当時のヒーローを一同に集めたフルベツキの集合写真は嘘のようですね。撮影当時龍馬は故人でした。
グローバルリストの手先だったのでは?
薩長同盟に影響を与えてないにしろ、戦闘の中で殺害されたのではなく、中岡慎太郎と共にわざわざ出向いて暗殺された事を考えると、全く影響がない人物ではなかったと考える。首謀者が幕府側か薩長側かは知らないが。
ほんと歴史上の人物は評価があちこち変わって大変だなw
三国志しかり、日本の戦国時代の武将もだけどw
最近龍馬は過大評価とか作られた偶像とか耳にするし、確かに歴史的な根拠はないかもしれないが、当時を生きてたカミソリと言われた、時の外務大臣陸奥宗光がめっちゃ評価してるって事実も忘れずにね。
全くもって同意です!!
吉田松陰も普通に考えたら只の変人で過激派の扱いに困る人物‼️維新後松下村塾の出身で自己アピールの為に彼を持ち上げた連中がいたんだよ‼️それまでそんなに評価されてないんです‼️本人も思想転換でアメリカに渡ろうとして疥癬病で船に乗せてもらえなかった‼️高杉晋作も横浜商館焼き討ちの行動を反省しているんだけど‼️
ハントー人の半日動画ですよ?
物語と史実の分離をキチンとしないと、隣の国みたいになってしまう。ドラマが史実、ファンタジーでいいじゃないか!それでは駄目だと思う。
中学の時の担任が社会科の教員で坂本龍馬のことを「幕末の英雄ですよ!」とか興奮気味に話していて何か冷めた気持ちになったのを覚えてる。
坂本龍馬を尊敬していると公言する人って昔から信用できない。
なんか「意識高い系」が
やたら坂本龍馬を
持ち上げている感はある。
ヒント
脱藩
底辺から這い上がって登り詰めるのカッコいい、と思い込んでるタイプかな。
ほどほどというのが分かんない。
過ぎたるは及ばざるが如し。
龍馬の活躍に目をつけたのは司馬遼太郎の小説ではなく坂本龍馬暗殺の16年後に出版されている土陽新聞に掲載された小説なんですけど。そして薩長同盟の裏書を頼んだのは長州です。木戸孝允によって頼まれ裏書をしています。
有名無実の勝海舟や、有能で大きなミッションを幾つも乗り越えた榎本武揚など取り上げて欲しいです。
知られざるヒーローピックアップして欲しいです。
生きていた時に無名であったなら、薩長同盟での影響度はほとんど無かったというのは納得。
又、薩長同盟が功績でないなら、龍馬の功績はほぼ無しという事。
学術的にそれが事実なら修正するべきですね。
司馬遼太郎がフィクションだと言ってるのに、虚像に憧れるのは「歴史」とは別物。
それにしても高知県知事はダメだね。
学問にビジネスを持ち込んだらダメ。
司馬遼太郎の本を読んでも❗何をした人かが今一つハッキリしない
小山ゆうの「おーい竜馬」っていう漫画を読めば?
創作ならば、消すべき
高知のやり方も解せぬ
土佐閥の盛りと司馬史観の信者爺さんが作り上げた虚像
さほど詳しいわけではないですが、「行動力があり、社交性があった」「新しい物好き」「物怖じせず、やりたいことをやった」という以上の印象はありません。
当時龍馬のような人が大勢いたんだと思う。色んな人が色んな人と話をして影響を与え合った。
誰か一部の偉い人達だけでなく民衆も含めて大勢の人達が、日本はこのままじゃイカン、て認識してたから明治維新が成功したんだと思う。
龍馬一人がズバ抜けてたのではなく、数多いる憂国の士の一人。
お疲れ様です
そもそも、この人達の活動資金の出所は⁉️
グラバーと薩長
橋下徹
を嘘つき担当大臣に確定申告
賛同します❗️🥰🎌
本当の事は誰にも分からない。
🧒🏻👧🧑🦲👨🦲子供頃❤桂小五郎や🌙月形半平太(武市半平太の、方が!人気?!あったけど??!?龍馬🐲🐉作り話し‼️勉強になります❤
人物像は時代と共に変化し、高知県はこの英雄?で商売している、野口英世、豊臣秀吉、ケネディなんかも実態は・・となっている、逆に吉良上野介は、全く気の毒な老人という評価となってきた(江戸当時でも名君の誉れはあったが)、毀誉褒貶は世の常ですかね・・
まったくそのとうり、同感です。現代では、田中角栄がその筆頭でしょう。
薩長同盟や大政奉還に全く関わっていないかったというのは言い過ぎな気もしないが・・
確かに主導的にそれらや回天を行ったわけではないと思うが、関わりはあったようだ。
脱藩後は薩摩藩の準藩士扱いで、上記の事柄に関わっていたよう。また、竜馬がいくでも記述があったが維新後の体制は、勝海舟や大久保一翁、横井小楠などの大物から教授された内容を彼なりにまとめたもので、独創ではないがそれを集約しているだけでもスゴイことだと思うがね。後、十分に重要人物であったと思うよ。薩摩が準藩士扱いにするほどだとしたら・・
下士で脱藩者、薩摩のお抱え者という立場からどうしても公の場に出れないから文書に残っていないのは仕方ないと思う。ただ、それに載っていないからといって、全てはウソというのは言い過ぎだと思うよ。
武田鉄矢に言ってください。憧れ過ぎて聞く耳持たない。
真実が大事!!
わずか150年前のことでも正確に伝わっていないとすればそもそも歴史に残る事案ではなかったのだろう。だが後世結果的にヒーローとなり偶像となったのであれば様々な方面に商業的な価値を生み出した功績は維新の人物の中でも傑出している。
デマ創作の部分を事実と信じている信者があまりにも多いのはやはり柴錬の筆の力だよね‼️
小説、竜馬がゆくで、どれだけの者が、
勇気をもらったか、それはもはや偶像
の域を超えています。
そうかなあ?竜馬を研究し心酔する人によれば竜馬の残した手紙がなによりむっちゃ過激かつ革新的で面白いそうです。司馬遼太郎氏の小説でも手紙はいくつも紹介されてますね。文書の存在は確実だし竜馬という人物個人だったかどうかは別としてこの文書を残した人物はいたわけだしやっぱりそれは竜馬に集約されちゃうような気がします。
日本人は世界一日記を点ける民族なんですよね‼️ノーベル賞の選考員で日本文学のアメリカ人教授は日本兵の遺品の日記を驚きと感動で日本文学の世界に入ったそうです‼️つまり日本人は日記や手紙を後生の人が読む可能性を考え書いています‼️龍馬の手紙もそういうものの一つですよ‼️
映画監督の押井守が、竜馬をボロクソに批判してましたね(笑)
龍馬が何もしてないのなら、薩長同盟の裏書に龍馬の立会人となる裏書があるのは不自然なんだよ。さらに言えば、龍馬が寺田屋で襲撃を受けた時に、薩摩藩邸が救出に行ったことも説明できない。そもそも長州に武器を売り、薩摩に米を持っていたのは海援隊でなければ出来なかった。龍馬を歴史上から消したい、英雄はいないことにしたい勢力がいるんだろうねえ。明治政府が龍馬や薩摩の西郷の記録を抹殺したように。
僕が若い頃、テレビで「坂本龍馬は訪ねてきた人から手紙を受け取り、それを読もうとして手紙に意識を向けた隙を襲われて、頭を切られて脳の一部が飛び出した。その状態でもまだ龍馬は生きていた」と言っていた。
脳が飛び出た状態で生きるなんて信じられないんだけどね。
坂本龍馬の虚像は歴史を勉強した人はみんな知ってる話だけど、当時の人らは交通手段も通信手段も限られてる状況で、江戸や九州まで数か月かけて移動して、数か月かけて手紙のやり取りをして、そりゃあもう大変だったわけで、本当のところは誰にもわからない部分も多い。
もっと勉強したら
凄い人物だと解るよ
坂本龍馬は同時代の一般人には知られていない影の存在ではあったものの、政治家(いわゆる維新の英雄達)にはよく知られ重宝された存在ではあったようですね
薩長同盟の立役者だの船中八策だのはフィクションとしても、
要人の仲を取り持つ交渉人、フットワークが軽く使いやすいブローカー、悪く言えば政治家の小間使的な役割を果たしていたのではないかと想像します
逆に言えばそれくらいしか情報がなく、何をしたのか良く分からないが故に、創作で事績を盛りまくることが出来たのでしょう
小説を真実として信奉している方々は歴史が苦手なのかな😂
「教科書から消える」という問題で、何故そういった話が出たのか?についてですが、
これは入試用語半減提言から起きていることで、坂本龍馬以外に上杉謙信、武田信玄、吉田松陰、高杉晋作などが挙げられている。
要は歴史的役割が大きくない、という判断からだそうです。(現在の有識者の判断か?)
ちなみに昭和初期の歴史の教科書を見ると、薩長同盟の項目に、西郷吉之助や桂小五郎の名前はありません。
同年代の偉人が評価してたのだから、只者ではない😮 司馬遼太郎に持ち上げられすぎかもしれないが。霧島旅行中に姉に宛てた手紙を読むと、魅力的な人間ではあるわ😀
おお!有り難い。母方の高祖父が小松帯刀の兄に当たります。肝付家という事です。イギリスの外交官アーネスト・サトウは「私が会った日本人の中で最も魅力的な人物」と帯刀を言っている。坂本龍馬や高杉晋作も好きだがあまり知られざる小松帯刀をNHKの大河ドラマの主人公にして欲しい・・・。最近はNHKみないけど(;^_^A
子供の頃から龍馬人気の理由がわかりませんでした。龍馬は何をしたの?お姉さんに1通今のお金で4万円もする手紙を何通も送った人。初めて九州だかに新婚旅行をした人。海援隊だったか武器を船で運搬中、瀬戸内海で幕府の船と衝突したとき船舶法を知っていたといわれている人。長じて、船中八策は越後藩のおかかえ学者(信州出身だったと記憶)が藩主に上奏したものと知りました。今回触れられていませんでしたが彼のパトロンはグラバーだと知りました。英国は天皇側でもちろん開国を切望。彼はセルだった?フットワークの良い人だったとは思います。司馬さんの功罪は少なくないと思います。歴史小説はむずかしい。個人的な話ですが私がNHK大河を見ない理由でもあります。
ある老舗出版社で教育部門に携わる役員は、「坂本竜馬は明治維新にまったく関わっていない。武器をアメリカから密輸して、薩長に高値で譲っただけ」と、真顔で話していましたからね。
以前は個人的な考察だと考えていましたが、仕事で付き合いがなくなった今にして思えば、作家が創作した英雄だったんですね。
敗戦後の日本にとっては世の中を変えてくれた、憧れの人がたくさん必要だったのでしょう。
司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」が連載開始され始めた1962年6月21日から遡ること71年、1891年に明治天皇より「正四位」を贈られておりますので、司馬史観のフィクションを差し引いても明治政府の設立に当たり十分な功績があったものと思われます。明治政府の要職に就いた各人からの評価も高かった訳ですし。
西郷隆盛「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」
木戸孝允「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候。」
板垣退助「一介の武弁、而して海南の素族に起し、能く天下に周旋し王政復古の大業を翼賛し、遂に刺客の難に斃れし坂本龍馬君の如きは、其の烈洵に千載に亘りて朽ちずと謂ふべし」
陸奥宗光「龍馬あらば、今の薩長人など青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言えり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のように思われき」
龍馬が神戸海軍操練所の塾長を務めたなんて事は全くの絵空事で、本当は頭が悪くて、そもそも入所出来なかったそうですね。
それで、勝海舟は仕方なく私塾である「海軍塾」に入れてやったそうですよ。
しかし、私塾の塾生たちは、その後行く宛も無く浪人状態だったので、親交の有った西郷隆盛に書状をしたため、面倒を見てくれないかと頼んだそうです。
西郷は塾生たちを受け入れたものの、かと言って何もさせることが無く、苦肉の策で西郷をはじめ薩摩藩の書状を宛先に届ける、配達係をさせたそうです。
そして、長州藩の桂小五郎、後の木戸孝允への配達係にたまたま任ったのが龍馬だったという事です。
桂小五郎は西郷からの書状を届けた人物の名前も知らなかったようです。どうでも良い事ですからね。
薩長同盟は、西郷と桂の間ですでに合意に至っていた事ですが、蛤御門の変で朝敵となった長州とそう簡単に和睦を結ぶ事は表向きには出来ません。
そこで、両人は数日間籠って会議が難航した様に装って、何とか同盟に漕ぎつけた事にしたようです。実はずっと飲んでいた様です。龍馬の影など何処にも有りません。
長崎での話も、薩摩の使いっ走りで行っていただけで、亀山社中も海援隊も龍馬には何の関係も有りません。
物語や小説を、歴史の真実と混同する話は他にも数えきれないほど有りますよね。
たった150年前の話がこうなってしまうのですから、身の回りの事もたまには検証して見ることが大事だと思います。
大変参考になりました❗️🤗まあ、これが真祖だと思います、 余談ですが蛤御門の門には まだ長しゆうの 撃った玉の弾痕あとが 見られます手でさわると 少しへこんでいます❗️7から8ヶ所位残っています。
もし坂本龍馬が明治維新で活躍していないというなら、それを資料で証明しないと説得力はない。龍馬が関与したとされる出来事すべてにおいて、龍馬はたいしたことをしていないことを証明してほしい。