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そうそう、座敷牢でしたよね。山に捨てた人、売った人もいましたよね。それですよね。実際に逃げられなくなったらどうする?根本的に解決してあげたいと向き合ったらどうなる?さとくんは実行者なだけでは?と考えてしまう…
コメントありがとうございます。考えさせられる事が深く、鑑賞後も引きずられますね。
初版で辺見庸さんの月を拝読して月は辺見庸さんの遺言だと感じました。良くも悪くも辺見庸さんが全身全霊で描いたのだと。重く心に染み付いて居たので映画を観るまで時間を要しました。原作とかなり変えられてたので戸惑いましたが、映画化にはやむを得なかったのかも知れないとも感じました。原作にせよ映画にせよ感想を言葉で表現する事が出来ません。心は言語化出来ないのだと思い知らされます。私は心は肉体そのものだと思います、なので原作も映画も私の肉体が反応するままを受け止めました。
コメントありがとうございます!まさしく感じる作品かもしれませんね。
福祉関係者ですが…こちら側が一生懸命でも障害者には伝わらず裏切られ続けたら…志が高い人程危うい。自分もそちら側へ行ってしまうかも知れないという恐怖…お金の為だけって割り切れる方が自分を保っていられる様な気がする。
私は障害福祉施設に勤めるものです。原作小説は未読だが、原作はきいちゃん視点とのこと。映画ではきいちゃん視点で描くのは無理だとおっしゃっていましたが、十分にできるのではないかと思います。きいちゃんは施設に入る前は目が見えて少しは歩行もできたのだから、子どもの頃はもっと障害は軽かったと考えられる。主人公のようこが、きいちゃんの母親と語らい、出生の頃からの生い立ちを聞き、そこできいちゃんに語らせる。幼い頃に好きだった歌を母親が歌ってかすかに反応するなど、当事者目線で語ることは十分できたと思います。そして、あの施設では不適切な支援だったけれど、適切な支援を受けていたらどうなったか?地域社会で生き生きと暮らす世界があってもよいと思いました。
さとくんは、かわいそうに、と何度もつぶやいていましたよね。優生思想ではないです。繊細で、優しすぎる、と思います。世間一般は、見て見ぬふり、臭いものに蓋、で一生過ごしているだけですから…だから「これからも起こる」に集約されるんでしょう。
昨日鑑賞してきました。この事件が起こった時、精神科の病院長がこの死刑囚のことを『ネガティブケイパビリティ』が身についていないとおっしゃってました。初めて聞く言葉だったので、調べてみると「どうにもならないことに、耐える力」「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」だそうです。自分一人で行動(最悪な)を起こしても何も変わらない。世間に一石を投じたかも知れないが、それ以上は何も変わらない。
精神科医の先生の分析なるほどですね。情報ありがとうございました!
@@cinemasalon 返信ありがとうございます。お二人が、動画内でお話ししていた福田村事件が気になりましたので、観に行きます!
11/7山形フォーラムで「月」を観てきました。とにかく苦しく辛くどう捉えればいいかと思い悩む映画でした。宮沢りえさんがもう一人の自分と気持ちを戦わせている場面はとにかくすごく、私自身の感情が引っ張られる感じでした。この障害者殺傷事件が人ごとに感じられないこの映画の描き方によって、命の捉え方の問題を私たちに突きつけるものになっていました。「ロストケア」と並ぶ命についての映画だと思います。
映画の吸引力は凄まじく、後から考える事も膨大です。
このようなシビアな話の人の闇を描こうとするなら、心理学についての十分な知識が必要だと思った。この映画に知識、理論はあるのかな?
確かに監修がつくつかないは大きな差があるかもしれませんね。
あまり言いたくないけど月はこの映画は日本映画史上最高傑作だとおもったなあ問題作だけど見る価値があると思ったなあまあおわるかあ
本日鑑賞して参りました。両親が介護職なのでスタッフから入居者に対する暴行がある一方でその逆もまた事実として存在する事を普段から聞いていたので、最後までどちらかが一方的に善悪という割り振りをしなかったのは良かったと感じました。丁度この事件が起きた年に私自身も神経障がいの診断を受けた身なので、重軽度問わずこの日本社会で-障がい者-として生きる事の意味を今一度試されてるような気がして当事者として終始居心地の悪い一本でした。役者陣は本当によくこの役を引き受けて下さったと思います。
ご両親、ご自身の経験からのコメントありがとうございます。観る人に突きつける作品で、考えることも多くあります。
実際の障害者殺傷事件をモチーフにした作品「月」を鑑賞。原作『月』辺見庸著。脚本・監督 石井裕也。目的を見失い悩める人々、立ち直る人、堕ちていく人、佇む人、無関心な人、その様子を事件の発生までの流れの中で描いたドラマ映画。震災の現場に立ち尽くすアバンから、欠けた月を象徴的に描きつつ、唯物論的な価値観として、人を物へと扱っていく考えと、人はあくまで人であると考えていくものの対比、クリスチャンの両親のもと食事の前に御祈りする生活に過去の親の折檻体験と自分の才能への劣等感から悲観的な現実感へと落ち悩む人、障害者の施設が陥るかもしれない課題と社会の現実などに、人はどう向き合うのか?。小説家とアニメーターの夫婦が、病気持ちで生まれ闘病の末に3歳で亡くなった事から、深い傷を持ち立ち直る事出来ずにいる中で、施設に勤める中での出会いから、悩みと向き合う事になり、乗り越えていく。しかし、誤った正義に呑み込まれた男は、自分の信じる正義というなの狂気のまま犯行へと至る。本作品中では、犯人を擁護し称える人は出てこなかったが、元首相暗殺犯では、テロリストを擁護し称える人が出て来ている、しかも大手メディアで、本作品の元になった事件で、殺人犯を擁護し称える人がいなかったのか、疑問を感じてしまうところではあった。人の生命をどう考えるのか、死生観のあり様は、重要であり、そこを支えるのが宗教の本来の役割ではある。作品を観ながら、そんな事を感じた次第であった。
テロリストを称える。重信房子も同じ扱いするメディアがありますね。
私は封切り日にこの映画を見に行ってきました御三人様がこの映画を見てどの様な感想を話して頂けるかとても気になってました多くの人が目を背ける問題に向き合った作品でしたね 御三人様も真摯に感想を話して頂きありがとうございました
真摯に向き合わざるを得ないテーマに送り手が全力で取り組んだ作品でした。
真面目な人夢を語る人ほど危ういと思ったなあ逆説的に考えるとはじめっから金と割り切っているほうが介護福祉業界には保っている人のほうが多い気がするなあここでしかいわないけど
確かに真面目な人ほど危ういですね。「そして僕は途方に暮れる」の豊川さんみたいにチャランポランな方が幸せかもしれませんね。
金融関係みたいに、癒着しないように2年で変わるとか?にしないとだめなんかな…。わからない。
コメントありがとうございます。人手不足でローテーションはなかなか難しそうですね。
私の両親は、妊婦禁忌薬を飲んだだけで弟になる予定だった赤ちゃんを堕しました。で、兄である私は後年発達障害が発覚しました。どうすりゃいいんでしょうね。本当に。
相模原事件や福祉制度について個人的関心事であったため、映画から衝撃はあまり受けなかったのですが、実際の事件とフィクションが絶妙に織り交ぜられた脚本と感じました。磯村勇斗さんの怪演は既に定着した感がありますが、宮沢りえさんの大人の美しさが特に印象に残りました。お二人のお話で、このテーマを「解決策のない話」と称されていた点には違和感を覚えました。完全な「解決」は難しいまでも、現在の制度に「改善すべき点」は多々あるように思います(そもそも、大勢の重度障害者を「隔離収容」する施設を人里離れた場所に設置していること自体が、大量殺人を可能にしたのではないでしょうか)。障害当事者とその家族に負担を押し付ける(そして家族が負担に耐えられない障害者は世間の目の届かないところに隔離する)制度を是とする世の中は変わらねばならないし(グループホームの増設やスタッフの増員にはより多くの予算も必要になるでしょうが、重度障害者には人権がないことを前提にしている現制度は明らかにおかしい)、「解決策のない話」と単純化してよい問題ではないように思います。また、二階堂ふみさん演じる陽子の劣等感について言及されましたが、陽子はさとくんの分身とも見て取れ、ともすれば優等生的な宮沢りえさん演じる洋子に怒りをぶつけ、その自省を深めるための役回りとして重要なキャラクターだったように思います。さとくんもまた強い劣等感を持った人物であること、自分よりもさらに「劣った存在」である重度障害者の大量殺人により自分は社会にとって有用な人物になれるという歪んだ正義感から犯行に至ったこと(植松死刑囚の面談記録にも忠実な設定です)にはぜひとも触れて頂きたかった。
これは、時間を経たら名作扱いになりますよ。映画だからこそ、描ける題材です。中盤まで、通勤時の曇り空や、夜勤帯の職場の廊下、帰り道。二階堂ふみの家族の食卓シーン、オダギリジョーの創作部屋など、薄暗いシーンで作り、後半は宮沢りえの妊娠継続の決定からは、陽光のシーンが増えるなど、計算されていて分かりやすく作られています。解決策がない問題を、万人が納得するように描くなら、映画にする意味がありません。
おっしゃる通り映画だから描けた世界観かもしれませんね。映画の懐の深さを改めて感じます。
磯村くん出身である地元では今時点では上映されてません。地元に住んでいるので観たいですが。隣町ではやってます。家族の中に軽度の知的障害がある子供がいます。みに いけたら行こうと思います。
コメントありがとうございます。地元でも凱旋公開やって欲しいですね。
この映画はヤバかったです。福田村事件はいい奴、悪い奴のキャスティングがハッキリしてて、リアルに感じる事が出来ませんでしたが、この映画は、施設で働いてるメイン3人がおかしくなっていく感じが生々しくて、序盤から、映画を見ている自分の心が削られてる感じがしました。磯村勇斗さんの思想が一線を越えてきた後のやり取りが、自分に向かって言われている様な感覚になり、本当に辛かったです。実力派のキャストが静かに狂って行く様を見て心の逃場がありませんでした。そして、最後の実行するシーンを見て爽快感を感じてしまった自分がいて、私の心もおかしくなってる感じがしました。鬱映画はたくさんありますが、今までで一番ヤラレました。
なかなかにシンドイ映画です。考えることも多く今年最大の問題作の一本ですね。
月その昔 プロ野球選手だった野村克也は長嶋茂雄との比較を月と太陽としました。それが実に月のイメージをも表し得た隠喩でした。本作のタイトルの「月」にもいろいろなイメージからの暗喩がありそうです。決して人目につかず目立つことのないのが月ですし、称されているだろうアルバイトを含んだ非正規労働者や精神や身体を病んだ社会的弱者の難役を主役 脇役を問わず多くの役者たちが見事に演じています。それが本作ですし、主役の洋子の妊娠をも月の満ち欠けとリズム感と無関係ではありません。そして満月ではなく三日月としての「月」です。満ちているのではなくて欠けていることの象徴が本作に登場する多くの弱者の象徴でもあります。本作は重いテーマでありながらも一切の殺戮シーンは描かれていません。そこは観客に委ねられていました。結果として鑑賞層が広がって単なるインディペンデント映画を超えた作品となっていると思います。この企画や撮影の時期はともかく公開順からは河村プロデューサーの遺作になります。謹んでご冥福ををお祈りいたします。
河村さんにはもっと作品創って欲しかったですね。とても残念です。
エンタメと、現実の混ぜ方が、非常に気分が悪い。制作側、出演者の野心の塊。題材が架空で、このキャストなら豪華な映画だね。覚悟したとかなんとか残念。総イメージダウン。元になっている事件の犯人は、一時的ではない優勢思想の持ち主で、葛藤を抱える知性がないというところが問題だと思うのだけど。障害者施設を、無駄にオドロオドロしくして、核心には迫っていない。
コメントありがとうございます。そういうご指摘もあるでしょうね。
同じ日に「キリエのうた」も鑑賞・震災を扱ってる・外国の宗教(本作では陽子の家、キリエ・ルカ・ヨブ等)が出てくる・行為はするが避妊しない。案の定それが問題のタネになる等、映画の不思議な偶然に遭遇する貴重な体験ができました。
そうなんです!映画のシンクロは本当に不思議ですね。
お二人の話は完全に他人事のような批評ですけど、それがこの映画が突きつけたかったことだと思うんですね。他人事じゃないですよ、あなたの問題ですよってね。サトちゃんや周辺の人が狂ってるから怖いんじゃなくて、サトちゃん的な思想が自分の中にあるって怖さを描いてるんでしょうに。スタッフTさんだけがきちんと受け止めたって感じ。「福田村事件」は、観客が正義の側にいながら、安心して酷い事件を観て、批判していられたけど、この作品はそうじゃなくて、観客が当事者(サトちゃん側)になってしまうので、考えさせられるし不安になる。もうちょっと深堀してほしい。
コメントありがとうございます!二人とも介護に直面しているので他人事とは思ってませんが、そう感じられたのであれば浅い物言いだったんだと思います。市井の人にも潜在的に存在する狂気という点ではおっしゃる通りかもしれませんね。
そういう事じゃなくてこの映画の中心は、主人公夫婦の出生前診断による選択的中絶ですよ。主人公夫婦の結論が出る前に映画が終わるのは、あなたはどうしますか?という問いです。障害がある子なら産まない、殺すというのは僕の考えと同じですよね?とサトちゃんは夫婦に迫るんです。胎児に障害があるとわかると94パーセントが中絶する事実に観客一人一人がどう向き合うか、それはサトちゃんの言ってることとどう違うのか。そこにまったく触れない批評は「浅い」としか言いようがないように思います。
わたしは政治家や厚労省の役人が、みればよいと思う。現場をちゃんとみなさいよと言いたい。とんちんかんな政策ばかりで笑ってしまうわ。
頓珍漢は笑えないです💦
鑑賞後3日目ですが、さとくんの持論が間違っていることだとわかっていても、反論すべき言葉が見つけられないでいますそれだけ
あなたはどうなんだ?と問われてる映画だと思います。私は子供が障がい者なんですが、じゃ、親であるお前はどうなんだよ、実際、て問われてると思いましたよ。その気持ちを映画にしてくれて私はありがとうと言いたいんです。
ご経験からのコメントありがとうございます。人間は一生問われ続けるんでしようね。
聾者の身内が自力で生きていることを思い合わせました。
施設の職員の仕事をもうちょっとまともに描いてもよかったんじゃないかと思いました。
コメントありがとうございます!かなり取材された後の演出なので監督の意図なんでしょうね。
映画を見ました。障害者施設に対するネガティブなイメージの方が強く残ってしまう作品だと感じました。現実に働いている人達がちょっと可哀想だなと思いました。「人がやってはいけない事に、理屈や理由は無い」と感じられなければ、葛藤を感じたり、意味を考えてしまうのではないかと思った。
かなり現場取材重ねられた上での脚本演出ですが、ドキュメンタリーではなくフィクションですから難しさは残りますね。
やばい職員ほど長生きするんだよなー残念ながら親身になってきく職員ほどやめていくんだよなー現実はだからこそわりきらないとだめなんだよなー
色々と深く考えさせられる映画でした。見て良かったと思いました。さとくんの言葉がグサグサ刺さって、お前も俺と一緒やろ!って言われているみたいで辛かったです。俳優さん達は、脇役の方も含めて素晴らしかったです。でも、映画としてはどうなの?とは思いました。まず、そもそも洋子は子供を亡くしてその悲しみから全然癒えてないのに、なんでよりにもよって精神的にも肉体的にもきついあの施設で働くの?と、最初から思ったので、その後の洋子の行動が全部全く受け付けられませんでした。しかも妊娠してるのわかってからもまだ施設にいるし。お腹の子供のこと考えてんの?とか思ったし。介護士さん達の過酷な現状とか、認められた一握の者と認められないその他大勢の気持ちとか、人としての尊厳とか、東日本大震災の事とか、なんだか色々詰め込め過ぎなんじゃないかと思います。酒匂さんがおっしゃられた原作のきいちゃんの視点だともっと伝えたい事が絞られたのではないかな?と思いました。ラストシーンもあまり好きではありませんでした。
興味深いコメントありがとうございます!おっしゃること良くわかります。
動画内で酒匂さんが言及されていた施設関係者のレビューは私も読みました。その方の言い分は、サト君の凶行のキッカケは施設でほぼ監禁されている汚物まみれの利用者のことを指していると思います。聾者の彼女については、彼女が聞こえないせいでサト君の凶行に気づけなかった(ように見える)描写を問題視してるのではないでしょうか。個人的には鑑賞後、怒りを覚えました。この作品で何を表現したかったのか理解に苦しみます。モンスターのような障がい者、ホラー映画に出てきそうな施設…どちらも冒頭から不快で、当事者に失礼なレッテル貼りに見えました。登場人物の描き方も浅く、盛り込み過ぎて散漫な印象。結局「難しい問題」「答えが出ない」という感想を抱かせるだけで、これではまたそのうち忘れられて終わりです。事件をベースにして関係者に取材してるなら、現在再発防止のためにどんな試みがなされているか、せめて最後に短く文章を入れるくらいして欲しかったです。出生前診断から中絶の論理は、優生思想ではなく、親都合の人工中絶の是非の問題です。(子供に遺伝上問題がなくても中絶されるケースは、映画では無視されています)この点も、観客は後味の悪い罪悪感を抱くだけで、議論のキッカケになりにくい作りだったと思います。似たテーマなら「ロストケア」のように、最後に犯人の論理を否定する遺族の存在を描くラストの方が良かったと思いました。
後味の悪い罪悪感はおっしゃる通りですね。
観た後どんよりする映画は苦手だけど、実際の事件が元になってるとの事で、何がなぜ起きたのかを確認する意味も込みで観ました。「福田村事件」のように。ウソやキレイ事、確かにいい事じゃない、でもそれらを含んだ曖昧さはあってもいいんじゃないかな。「同じ思いをするなら子供なんて要らない」と思っちゃった事が事実だとしても、それと産む決心をした事はまったくベクトルの違う話のはず。何かこう、第一に考えるべき、被害者、弱者救済を飛び越えて、悪いものは悪い、ダメなものはダメと、どこもかしこも固〜く縛られてるのが今の時代のような気がする。人の好きキライまで単純な二項対立にして、気くばり、思いやりは二の次、まったく余裕や遊びと言うものがない。ほんとに息苦しい世の中だよなぁ、と言うのが感想かな?そんな映画から少し論点のずれた、真面目な事しか思い浮かばないくらいに打ちのめされた、って感じですかね?何かタイトルだけで「ゆとりですがなにか」にすがりつきたくなりました😅観なかったけど🤣
おっしゃる通り余裕のない二項対立は息苦しさしか無いです。
自分はこの映画を観て、しばらく口が開けられなかったです。自身も発達障害であり、親族の赤ちゃんも手術が必要な可能性があり、さとくんの思想は絶対に否定します。しかし、どこか心の底でさとくん的なものが顔を覗かせてきそうで気持ち悪くもありました。これは解決しない事柄でも「それでも…!」と抗うのが根底にあるのかもしれないと思いました。
人間の心の奥底を晒されてるような感じがしました。
さとくんは優しすぎたんだと思いました。優しすぎるけど弱すぎた。弱すぎて、ハンデを持ってる人達を受け入れる覚悟ができなかった。厳しい現実を受け入れる覚悟ができなくて、一番手っ取り早い方法を取ってしまったんだと思いました。でも、そもそももう少し丁寧な介護ができてる施設だったら、ここまでひどいことにはならなかっただろうと思います。
これも運命なんでしょうね。
超問題作。観続けるのが辛かった…。目を背けてしまいたくなる障害者施設の現実。映画の中の彼らは自分姿知れないのだ。意思の疎通もできない障害者、糞尿にまみれ放しの男。そこに人間の尊厳はあるのか。優生思想は間違えている言ってもお前は面倒見きれるのか。観ている者にも現実が容赦なく突き付けられた。この夫婦と磯村勇人、二階堂ふみの食事シーンも辛かった。こちらは人の悪意がダイレクトに伝わって。一方で宮沢りえとオダギリジョー夫婦の未来への希望が映画の後味の辛さから救ってくれた。問題作だけれどこの映画を受け入れられて良かったと思いました。
え?びっくりするコメントです(笑)介護業務が全くと言っていいほど描かれていませんよ~😂あなたの感性だと、たぶん施設に1日いたらほとんどが人間に見えなくなるかもしれません…😅
観てきました!観た後は一日引きずりましたが、結局二日目からは普通の日常に戻ってしまいました。この状態を、結局それで批判なんてできるのと突きつけられてるんですよね。自分のどす黒い部分を見て見ぬふりしないと生きていけないと感じた次第です。
今年磯村勇斗見るの何回目だよー?とそこに意識を集中させて見ていました すぐ近くに大いびきをかいて寝てる方がいてちょっと気がそれたんですが、却ってありがたかったのかも 入り込みすぎたらダメージ多かった気がする 磯村勇斗さん、帰宅してメモで確認したら「最後まで行く」「波紋」「渇水」に続く4作目でした 「波紋」でも彼女がろう者の設定で、ろうの俳優さんが演じていたし それと先週「何食べ」のジルベール航見たばっかりやったし いやどの役も違和感なく演じてられていたし別に文句はないんですが、ちょっと言ってみたかっただけです まあウチが見たいような映画、ほぼ=シネマサロンの課題作にそれだけ磯村勇斗さんが出てるってことですね
シネマサロンの磯村さん率高過ぎですね💦
『月』 まだ見ていません。 かなり覚悟が必要な作品とのレビューが多いですよね。私自身はレビューに左右されることはなく、見たい作品は見る人間ですが。 おっしゃる通り、今年は問題作多いですね。 NHKラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』に石井裕也監督が出演されていました。 上松聡の起こした事件を元に“辺見庸”さんが原作『月』を書かれた時点で、映画化を引き受けようと思っていたとのことです。昔から“辺見庸大好き”人間だったからだそうです。 今年は認知症の人の連続殺人を扱った松山ケンイチさん主演作『ロストケア』もありましたね。 医学の進歩と人びとの意識の変化で、「この手」の作品は、今後も増えていくかもしれませんね。 おそくならない内に劇場に足を運ぶつもりです。
ロストケアでの犯人の意識は救済での安楽死でしたが、月の場合は、いらない者の排除という犯人側の意識の違いがありますね。それにひたすら暗いです。
@@マーヴェ-n9z ご意見ありがとうございました。
ようやく観てきました。私は度々、涙が溢れて止まりませんでした。さとくんを変えたのは、施設で働く同僚、施設や国の方針だったのかもしれません。寄り添う介護を否定され、これがうちのやり方だ、国が認めている、と何も変わらないから、間違った方向に行きようのない怒りが向いてしまったのかな。。。ただ許されることでは絶対になくて、「心はあるのか」という問いに対する応えの出し方があまりに自己中心的だと感じました。生きているだけで、心は確実にあると私は考えます。意思疎通できなくても、そこに心がないと決めつけるのは勝手すぎます。刺されると痛いはずです。健常者と同じように血が出ます。恐怖も感じるのでは。。。そこに違いはありません。私の母は、くも膜下出血で何ヶ月も寝たきりだったことがあります。意識が戻る可能性は30%、意識が戻っても後遺症は出るだろうと医師から言われました。すごく怖かったことを今でも鮮明に覚えています。例え後遺症が残っても、それが重度なものでも、私たち家族は母に生きていて欲しいと強く願いました。だから、最後のきーちゃんの母親の泣き叫ぶ姿は、とても辛く苦しかったです。中絶と殺人は、やはり違うように思います。お腹に居る間は、命ではあるけれど母体の一部とも考えられます。産まれてきた命は、新しい生命です。中絶を真正面から肯定はしませんが、障害のある可能性があれば、夫婦間のことだけでなく子供の幸せについても深く考えるはずです。どんな形でも芽生えた命が生まれること自体、幸せなんだと言われたらそうなのかもしれませんが。。。ただ中絶を選択した母親は自分の体の一部を失くすのです。子供を望んでいたのだとしたら尚更、とても悩ましく悲しい決断であり、体や心への負担も大きいのではないでしょうか。上手くまとめられませんでしたが、色々なことを考えさせられる作品でした。
序盤の二階堂ふみはPearlのパールみたいで怖かったです
二階堂さん本当に怖いですよね💦
宮沢りえオダギリジョー夫妻が着ているTシャツがオシャレで。二人の生活感からしたらセンス良くて一枚数千円しそうなTシャツは正解?小説家と映像作家だからあり?
あの設定で高額オシャレTシャツはないと思いますが、そこまでTシャツに注意が行ってませんでした💦
なかなかにすごいものを観たというのが第一の感想でした。中でも劇中語られる磯村勇斗演じる「さとくん」の言葉に抗えることは出来るのか?理屈ではなく、己の存在を賭けて否定できるのかと自分に問いかけたときに、怪しんでしまう自分に気づいて怖くなってしまいました。「さとくん」は物語の後半、狂気に駆られて行くのですが、磯村勇斗さんの演技が、この狂気がもしかしたらこの劇中ではもっとも正気なのでは見えてしまう圧巻の演技で、飲み込まれてしまいそうになりました。彼の論理に対抗できるのは、素朴だけどオダギリジョーのようなシンプルな愛情や常識なのかなと。(もっともさとくんにボコられていたようですけど)この映画は人間はいかにして他者を人間として認識し関わっていくのか、日ごろ無自覚で当たり前と思っていることを鋭く問いかけた作品だったと思いました。そういう問いの深さでは最近の作品ではもっとも深い映画と思いました。他方、実際の事件やあるいは養護施設でのことを扱っているがゆえに、ここに激しい拒否反応を表す方がおられることもよくわかります。それでも、もっと多くの人に観られて考えられるべき作品だと思いました。さとくんの論理に飲み込まれないようにするためにも。
送り手も覚悟して制作されてますね。
ドキュメントとフィクションの距離感が近ければ近いほど、その扱いは難しくなっていくんだなぁと思いましたね。この作品を見た人は相模原の事実はこうだったんだと少なからず影響は受けると思いましたね。
本作の事件の犯人に興味があったので少しだけネットで検索した事がありますが、ネット情報の犯人像とはかなり違う感じがしました。相当取材されたようですが、おっしゃる通り本作はあくまでもフィクションですね。
具体的な解決策を思いつかない重いテーマで、見たくは無かった作品です。でも人間として知っておくべき事柄と思いました。義務教育の道徳教育で見せるべきと思いました。
子供達に問われても教師が答えるのは大変でしょうね。
どよーーーんです。本作見た後で予告編を見ましたが、そこで「この刃はあなたに突き付けられている」かな?そういう意味合いがコピーとして入っていて、まさにそれだよねと思いました。出生前診断して異常があれば96%の人が堕胎する。人の形して生きているけれど、社会生活を営めない人人を殺すのと人になる前を殺すのと、どこが違う?という問いを問われても、自分は答えられない。ナチス、ヒトラーというワードがこの映画の中のワードに出てきますが、優勢思想という考えがどうなのか?という問いに本当の意味で答えを出せない。竹内さんが座敷牢の話をされましたが、日本などアジア人(黄色人種)は白人より知能が上、黒人は白人よりさらに下、それ農耕民族化することの速さで決まっているそうです、つまり協調性とか持てない人を間引きして劣勢な遺伝子を排除していった結果のようです。今は人権を尊重する考えが当たり前ですが・・・本作を見るとそもそも人権の有様にも考えが及ぶ問題作と思いました。役者個人個人のよくこの作品を受けたなぁ・・・と監督やスタッフ含めて覚悟が凄いと思いました。・・・あと私個人としては酒匂さん同様、ろう者の事はそこまでの大きなトリガーになっていると感じませんでした、あえて言うなら暗喩的に登場させた感ですかね。
アジア人の間引きのお話恐ろしくも興味深いですね。
問題作という観点からすると本年公開作の中では筆頭格ではないでしょうか。事件の衝撃的な内容を単に映像化するだけでなく、そこに包含される深い問題点を観る側に突きつける姿勢に本作の素晴らしさがあると思います。洋子(宮沢りえ)が、さとくん(磯村勇斗)に障害者を殺害することは認めないと言うものの、もう一人の洋子が鏡に写ったように登場し、洋子本人に鋭い言葉を投げかけるシーンは圧巻でした。もう一人の洋子の言葉は、観客にも投げかけられているのですね。主演の宮沢りえさんをはじめオダギリジョーさん二階堂ふみさんは素晴らしかった。特に殺人犯を演じた磯村勇斗さんは、心身共に大変だったであろう事は想像に難くありません。本当に見事でした。
コメントありがとうございます。間違いなく問題作ですね。投げかけられた問題に我々は答えを出せるのか。
いつも楽しく観ています。いやあ、重いテーマでダメージくらいました。演んじる側はどうなの?スゴいです。福祉施設で働いたので暗すぎる照明はあり得ませんが、わかってやってるのでしょうね。
植松聖は「生きるに値しない命とは誰のことか」という強烈な問いを投げつけたまま「生きるに値しない命」として刑死するんでしょうね。
社会派問題作福田村事件、月。エンタメ系ではあるが貧困と周辺の環境の中での女性を描いたバッドランズ(これも西成の生活も描かれていた)。キリエのうたも震災がもたらした悲劇が出発点となっていた…。一本一本は重厚で重いテーマを持っているけれど、鑑賞を重ねることでそういった映画への耐性が生まれ、社会派映画も受け止められるようになりました。以前だったら面白くないと観ていないかも知れないけれど。
鑑賞を重ねると鑑賞後感や受け止め方がかわる。映画の不思議な魅力ですね。
事件に至るまでも怖くて辛くてキツかったですなんとも 重く 刺さる作品でした
福田村事件に続いて、なんと申しますか、こんなに面白い映画に仕上げていいのでしょうか。オダギリジョーはこういう役あってますね。
オダギリさん素晴らしかったですね!
生きていてほしい!アナタは死刑だけど生きていてほしい。→これが結論だ!
こうゆう映画って批判もされるんだろうけど。逆に日本はこうゆう映画が少なすぎてつまらない。もっと元々あった事件を映画化してほしいぐらい。それで何か伝わる事ってあると思うし。なんでもダメダメ。って言ってちゃ‥日本の映画界もつまらないままなんでしょうね。って個人的には思います.
コメントありがとうございます!おっしゃる通り、大手はまず映画化しないですし、インディは予算も人も限られますね。
ところで、タトゥーと刺青って違うんですか?同じものだと思ってました。「TATOO(刺青)あり」なんて映画もあるくらいだし。雑談ネタですね?😅
雑談コーナーで取り上げさせていただきます!
もう、終始嫌なものしか出てこない。蛇とか蜘蛛とかミミズとか、見たくないものが画面の隅に取り入れる演出も生理的に不快にさせる。嘘が嫌いな二階堂ふみ演じる陽子までもが、ラストでは嘘をつかなければならなくなる状況は絶えられない…この映画を観る前に「ゆとりですがなにか?」を観ていたので、めっちゃ楽しんだ後に奈落に突き落とされた気持ちになりました。出産前の診断結果で中絶を選択するのは了承されているけれど、生産性が無いからと重度障害者を排除するのは了承されない。人の形になる前なら排除できるけど、人の形になってしまったら排除は許されない行為になってしまうが、それなら死刑制度はどうなのか?この世の人の論理感が問われる問題。故・丹波哲郎氏は、この世は魂の修業の場と仰られていました。魂のアベレージを上げていく為に、この不自由の多い世界で生きていくのが命題らしい。そういう観点で観ると、人の命を奪うのは、やっぱりNGなのです。
丹波さんの発言興味深いですね。本当に霊界に通じていたのでは💦
でも映画みて思ったけどこんな宮沢りえさんみたいな職員いねーだろって思った。だいたいお局おばさんとかやばい職員とかが多いとおもうぞ現実はまあここだからかけるけどやばい職員8わりと思ったほうがいいなとおもったなーあと真面目な職員ほどやめていくのはどこの職場も共通だけど8対1対1のわりあいかなかなあ
俺は出生前診断結果による中絶が96%でも、それは個々人の判断であって、他人がそれを奪う権利はどこにもないと思う
終盤のさとくんと洋子の切ない涙の問答…自分の中の悪魔(というか天使?)との苦しすぎるセリフの応酬には見てるこちらも同じく言葉につまり、心が窒息寸前になりました。けど自分にとっては名場面連続の映画!最後まで行くが年間フェイバリットで揺らがない気がしますが次点とするなら迷わず月にしたい月の真円のモチーフを生かし切った美術部、照明部はもちろん撮影部もかなり頑張ったと思います。重い題材で不謹慎ですが…本当にのめりこんでしまい、およそ2時間30分の上映時間はあっという間でした。ラストのあとに待っているであろう展開も観たい!と思うくらい終映後そのまま座席に釘付けのお客さんが自分同様たくさんいたのにも震えました
終わっても立てなくなるのは良くわかりますね。
「公開を中止して欲しい」というレヴューは、観賞前に一読しました。そして観賞し、マイ評価は、⤵️テーマ、その制作意図には異論はありませんが、エピソードが多すぎ、まとまり、繋がりが不十分で、小説、🎦とも、本筋の事件を利用したのか、という後味の悪い印象が。結果、先に読んだレヴューの内容に頷いてしまう部分が大でしたね、僕は。「家に閉じ込められた」主人公なら、昨日観た『悪い子バビー』の方が、突き抜けていて、こちらの作品に気持ちも関心も向いてしまいましたね😊
先にコメントした後に、『私はモーリーン・カーニー』を観賞しましたが、僕は迷わず、比較するなら『月』よりも、こちらの作品に軍配を‼️👏この作品が課題作だったら、動画で、どんな評価、コメントが、とアップされるのが楽しみな、語り甲斐のある作品かと(あくまで僕の私見ですけど😊)
この作品の感想レビューをいろいろ読んでみましたが、さとくんの行為を否定しきれないとか、理解してしまうとかの感想が散見される事にショックを受けます。優生思想を理由に殺人を行った行為を描いた作品とするなら、その部分は完全否定すべきではなかったでしょうか?映画作品として問題があると思います。
えっと…理解できるってのは想像力があることだと思いますよ。さとくん予備軍というか、実行しなくても頭で考えてしまうことは想像できませんかね…?毎日うんちを片付けても片付けても叩かれて噛まれてツバを吐かれて「死ね!役立たず!」と言われて、何も感じませんか?
あらゆる意味で問題作だと思いました。陰惨かつ凄惨そんな映画の概要よりも、一番先に思ったのは、これに出演された役者さん達のメンタル大丈夫なのかと言う点です。最近やっと 『福田村事件』を観た時も同じ事を考えたのですが、過激すぎる内容に出演する役者さん達のメンタルケアは、どうしてる?って疑問です。はっきり言って『月』は、『福田村事件』の何倍ものメンタルの負担を要すると自分には思えました。実は、七尾与史先生がシックオブマイセルフの動画で言及されてるのと全く同じく、シックオブマイセルフ』と『月』を両作品の公開初日に鑑賞したのですが、あまりに強烈すぎてトラウマになるほどの衝撃を受けました。オーバーでなく、2本とも凄まじく過激な映画でした。ガチでヤバい映画です。何故この2本をわざわざ同じ日に鑑賞したのかと、後になりかなり後悔しました。だから、自分のメンタルを癒したい思いで2日後に『ゆとり』と『アンダーカレント』の予約をいれて鑑賞したほどでした。結論から言えば『月』も『シックオブマイセルフ』も傑作です。言い換えれば、それほど人を動揺させたり混乱させるパワーを持っているのです。しかし、それと同時にかなり危険な2作品と思えました。この手のタイプの映画は人を選びます。まず、自身のメンタルに不安を感じる方は観る際に慎重になるべきだと思います。しかし、それはそれだけクオリティーが高いと言う結論になります。傑作だと思います。しかもとんでもなく高いクオリティーの傑作と思いました。ところで、七尾先生も言及されてましたが、『月は年末の賞レースに絡んで来ると自分も予想します。仮に賞レースから外れたとしたら、テレビ向きでは無く、内容 があまりにタブーな為にコンプライアンス面で引っ掛かる為だと思いました。次期の邦画の賞レースで一番激戦となるのが助演男優賞部門ではないでしょうか少し前までなら『エゴイスト』宮沢氷魚『怪物』永山瑛太の一騎打ちと思っていましたが、そこに、『月』磯村勇斗が参戦した様に自分は思いました。
磯村さんの演技に感服しつつ昨今のハードワークには大丈夫なのかと心配ですね。
@@cinemasalon きのう何食べた?のジルベール役を観て少し安心しました。全く同じ人だとは思えませんね。凄い役者さんだと思います。来月公開の『正欲』もまたまたかなりの難役です。楽しみです。
原作が辺見庸なんで、ぜひ読みたくなりました。カッコーの巣の上でが大好きなので、楽しみにして鑑賞しましたが、あまりにも重厚な映画なので、瞠目しました!傑作デス。生前認知の障害者は95%堕胎されるという現実を知り、深く心に刺さる人権問題。生きる権利とは、心を持たず糞尿を撒き散らし、周囲に精神的負担と経済的負担を強いても許されることなのか?
上映中止にして欲しいとか言う人は映画で働いてる人の時間をなんだと思ってると言いたい。映画制作だって仕事で従事している皆さんが家族との時間を削ってまで身を粉にして働いているのに。映画を遊びとでも思ってるんでしょうか。はい、じゃあ上映やめましょう。で済むと思ってるのか。その際の関わった人たちの努力や時間はなんだったのか。とても無責任な発言だと思います。辛いなら観なきゃいいだけ。それも選択肢だし。ちなみに僕は観ません。こういった内容のものは今までも鑑賞した経験はありますが、映画として観るのは不快だからです。
コメントありがとうございます!劇場公開の映画は鑑賞者に選択権があるのでおっしゃる通り観ないという選択で良いのだと思います。
ドキュメンタリー的なものを想像していましたが、創作を色々織り交ぜていて考え所の多い作品でした。凶行のシーンは観たくはないなと思ってましたが、より残忍に描かれてました。
創作部分がかなりありましたね。
ユーロで観たけど前に座っていたカップルは寝たフリをしてました。うーん。別れてしまえ。血しぶきを浴びる覚悟で見なよ。
実際と、違うと思う。
時間が合わず、公開2週目の観劇でした。いろいろ語りたくなる映画ですね。ポイントを絞って感想を述べるとすると…主人公が"さとくん"と"きいちゃん"、2人それぞれに自分の姿を重ねるシーン。あれはまさに、現代の(日本だけでなく世界の?)病理を描いているのかなと。今の世の中、人は簡単にはのし上がれず、簡単に転がり落ちる存在で、その一方、特に日本では自己責任論を押しつける考えが跋扈しています。それを是とする立場の人の多くは、自分は上にいると錯覚し、転がり落ちることを想像できない。いや、もしかしたら落ちているにも関わらず、その状況を受け入れてしまってるのかも。そう考えると、自由主義、民主主義ってなんだろうと思いますね。資本主義ではあるかもしれませんが。施設が森の中にあるように、問題を隅に追いやる姿勢、それを改める必要を感じます。他人事を当たり前にする思想ですね、自己責任論も、優生思想も。原作、スタッフ、キャスト、携わる人の意識が合致した力作だと思いました。ちなみに、"さとくん"の彼女を演じた長井恵里さんですが、『ケイコ 目を澄ませて』で喫茶店のシーンに出演でしたか。最近ご活躍されていて、そういう時代の変化というものも同時に感じました👍
演者はよかった、けど観る価値は無いと思った
コメントありがとうございます!よろしければ観る価値が無いとご判断された点をコメントいただければ、より議論が深まるかと思います。
いつも思うのですが、スタッフの方のキーボードを打つ音がうるさくて耳障りです。カタカタ、カタカタと。調べ物をされているというのは分かるのですが、気になってトークが阻害されてしまってます。
このチャンネルはスタッフTさんの頑張りが支えていると言っても過言ではありません そんな邪魔者扱いしないでくださいね
たしかにキーボード音に限らず雑音が気になることはあります。マイクの指向性だったりで雑音はある程度抑えられるようには思いますので(最近は外走る車の音がしなくなったりいろいろ対策されているのだと推測しますが)、一視聴者としては検討いただけると
そう言う意見、声が上がる事はとても健全な事とは思いますが、自分にはまったく聞こえませんでした(逆にその”音”を探して再度視聴したりしてしまいましたが😅)。最もモスキートーンが聞こえなくなってしばらく経つんであまり有意義な例ではないかもしれませんが😅、少なくともトークが阻害って事はないと思いますけどね。まぁでも、そもそもが居酒屋談義なんで、多少聞こえなくても、もっと言うと他の客のザワザワがあってもいいんじゃない?くらいに思ってるんで(はなはだ不真面目ですが🤣)、検討いただくのはやぶさかではないものの「試してみたけどあまり効果ありませんでした。ゴメンナサイ」って結論もあり、だと私は思います。一応そう言う視聴者もいますよ、って事だけ記しておきます。
そうそう、座敷牢でしたよね。山に捨てた人、売った人もいましたよね。
それですよね。
実際に逃げられなくなったらどうする?根本的に解決してあげたいと向き合ったらどうなる?さとくんは実行者なだけでは?と考えてしまう…
コメントありがとうございます。
考えさせられる事が深く、鑑賞後も引きずられますね。
初版で辺見庸さんの月を拝読して月は辺見庸さんの遺言だと感じました。良くも悪くも辺見庸さんが全身全霊で描いたのだと。重く心に染み付いて居たので映画を観るまで時間を要しました。原作とかなり変えられてたので戸惑いましたが、映画化にはやむを得なかったのかも知れないとも感じました。原作にせよ映画にせよ感想を言葉で表現する事が出来ません。心は言語化出来ないのだと思い知らされます。私は心は肉体そのものだと思います、なので原作も映画も私の肉体が反応するままを受け止めました。
コメントありがとうございます!
まさしく感じる作品かもしれませんね。
福祉関係者ですが…
こちら側が一生懸命でも障害者には伝わらず裏切られ続けたら…
志が高い人程危うい。
自分もそちら側へ行ってしまうかも知れないという恐怖…
お金の為だけって割り切れる方が
自分を保っていられる様な気がする。
私は障害福祉施設に勤めるものです。
原作小説は未読だが、原作はきいちゃん視点とのこと。
映画ではきいちゃん視点で描くのは無理だとおっしゃっていましたが、十分にできるのではないかと思います。
きいちゃんは施設に入る前は目が見えて少しは歩行もできたのだから、子どもの頃はもっと障害は軽かったと考えられる。主人公のようこが、きいちゃんの母親と語らい、出生の頃からの生い立ちを聞き、そこできいちゃんに語らせる。幼い頃に好きだった歌を母親が歌ってかすかに反応するなど、当事者目線で語ることは十分できたと思います。
そして、あの施設では不適切な支援だったけれど、適切な支援を受けていたらどうなったか?地域社会で生き生きと暮らす世界があってもよいと思いました。
さとくんは、かわいそうに、と何度もつぶやいていましたよね。
優生思想ではないです。繊細で、優しすぎる、と思います。世間一般は、
見て見ぬふり、
臭いものに蓋、
で一生過ごしているだけですから…だから「これからも起こる」に集約されるんでしょう。
昨日鑑賞してきました。
この事件が起こった時、
精神科の病院長がこの死刑囚のことを『ネガティブケイパビリティ』が
身についていないとおっしゃってました。
初めて聞く言葉だったので、調べてみると
「どうにもならないことに、耐える力」
「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」
だそうです。
自分一人で行動(最悪な)を起こしても何も変わらない。世間に一石を投じたかも知れないが、それ以上は何も変わらない。
精神科医の先生の分析なるほどですね。
情報ありがとうございました!
@@cinemasalon 返信ありがとうございます。
お二人が、動画内でお話ししていた福田村事件が気になりましたので、観に行きます!
11/7山形フォーラムで「月」を観てきました。
とにかく苦しく辛くどう捉えればいいかと思い悩む映画でした。宮沢りえさんがもう一人の自分と気持ちを戦わせている場面はとにかくすごく、私自身の感情が引っ張られる感じでした。この障害者殺傷事件が人ごとに感じられないこの映画の描き方によって、命の捉え方の問題を私たちに突きつけるものになっていました。「ロストケア」と並ぶ命についての映画だと思います。
映画の吸引力は凄まじく、後から考える事も膨大です。
このようなシビアな話の人の闇を描こうとするなら、心理学についての十分な知識が必要だと思った。この映画に知識、理論はあるのかな?
確かに監修がつくつかないは大きな差があるかもしれませんね。
あまり言いたくないけど月はこの映画は日本映画史上最高傑作だとおもったなあ問題作だけど見る価値があると思ったなあまあおわるかあ
本日鑑賞して参りました。
両親が介護職なのでスタッフから入居者に対する暴行がある一方でその逆もまた事実として存在する事を普段から聞いていたので、最後までどちらかが一方的に善悪という割り振りをしなかったのは良かったと感じました。
丁度この事件が起きた年に私自身も神経障がいの診断を受けた身なので、重軽度問わずこの日本社会で-障がい者-として生きる事の意味を今一度試されてるような気がして当事者として終始居心地の悪い一本でした。役者陣は本当によくこの役を引き受けて下さったと思います。
ご両親、ご自身の経験からのコメントありがとうございます。
観る人に突きつける作品で、考えることも多くあります。
実際の障害者殺傷事件をモチーフにした作品「月」を鑑賞。
原作『月』辺見庸著。
脚本・監督 石井裕也。
目的を見失い悩める人々、立ち直る人、堕ちていく人、佇む人、無関心な人、その様子を事件の発生までの流れの中で描いたドラマ映画。震災の現場に立ち尽くすアバンから、欠けた月を象徴的に描きつつ、唯物論的な価値観として、人を物へと扱っていく考えと、人はあくまで人であると考えていくものの対比、クリスチャンの両親のもと食事の前に御祈りする生活に過去の親の折檻体験と自分の才能への劣等感から悲観的な現実感へと落ち悩む人、障害者の施設が陥るかもしれない課題と社会の現実などに、人はどう向き合うのか?。小説家とアニメーターの夫婦が、病気持ちで生まれ闘病の末に3歳で亡くなった事から、深い傷を持ち立ち直る事出来ずにいる中で、施設に勤める中での出会いから、悩みと向き合う事になり、乗り越えていく。しかし、誤った正義に呑み込まれた男は、自分の信じる正義というなの狂気のまま犯行へと至る。本作品中では、犯人を擁護し称える人は出てこなかったが、元首相暗殺犯では、テロリストを擁護し称える人が出て来ている、しかも大手メディアで、本作品の元になった事件で、殺人犯を擁護し称える人がいなかったのか、疑問を感じてしまうところではあった。人の生命をどう考えるのか、死生観のあり様は、重要であり、そこを支えるのが宗教の本来の役割ではある。作品を観ながら、そんな事を感じた次第であった。
テロリストを称える。重信房子も同じ扱いするメディアがありますね。
私は封切り日にこの映画を見に行ってきました御三人様がこの映画を見てどの様な感想を話して頂けるかとても気になってました多くの人が目を背ける問題に向き合った作品でしたね 御三人様も真摯に感想を話して頂きありがとうございました
真摯に向き合わざるを得ないテーマに送り手が全力で取り組んだ作品でした。
真面目な人夢を語る人ほど危ういと思ったなあ逆説的に考えるとはじめっから金と割り切っているほうが介護福祉業界には保っている人のほうが多い気がするなあここでしかいわないけど
確かに真面目な人ほど危ういですね。
「そして僕は途方に暮れる」の豊川さんみたいにチャランポランな方が幸せかもしれませんね。
金融関係みたいに、癒着しないように2年で変わるとか?にしないとだめなんかな…。わからない。
コメントありがとうございます。
人手不足でローテーションはなかなか難しそうですね。
私の両親は、妊婦禁忌薬を飲んだだけで弟になる予定だった赤ちゃんを堕しました。
で、兄である私は後年発達障害が発覚しました。
どうすりゃいいんでしょうね。本当に。
相模原事件や福祉制度について個人的関心事であったため、映画から衝撃はあまり受けなかったのですが、実際の事件とフィクションが絶妙に織り交ぜられた脚本と感じました。磯村勇斗さんの怪演は既に定着した感がありますが、宮沢りえさんの大人の美しさが特に印象に残りました。
お二人のお話で、このテーマを「解決策のない話」と称されていた点には違和感を覚えました。完全な「解決」は難しいまでも、現在の制度に「改善すべき点」は多々あるように思います(そもそも、大勢の重度障害者を「隔離収容」する施設を人里離れた場所に設置していること自体が、大量殺人を可能にしたのではないでしょうか)。
障害当事者とその家族に負担を押し付ける(そして家族が負担に耐えられない障害者は世間の目の届かないところに隔離する)制度を是とする世の中は変わらねばならないし(グループホームの増設やスタッフの増員にはより多くの予算も必要になるでしょうが、重度障害者には人権がないことを前提にしている現制度は明らかにおかしい)、「解決策のない話」と単純化してよい問題ではないように思います。
また、二階堂ふみさん演じる陽子の劣等感について言及されましたが、陽子はさとくんの分身とも見て取れ、ともすれば優等生的な宮沢りえさん演じる洋子に怒りをぶつけ、その自省を深めるための役回りとして重要なキャラクターだったように思います。さとくんもまた強い劣等感を持った人物であること、自分よりもさらに「劣った存在」である重度障害者の大量殺人により自分は社会にとって有用な人物になれるという歪んだ正義感から犯行に至ったこと(植松死刑囚の面談記録にも忠実な設定です)にはぜひとも触れて頂きたかった。
これは、時間を経たら名作扱いになりますよ。映画だからこそ、描ける題材です。
中盤まで、通勤時の曇り空や、夜勤帯の職場の廊下、帰り道。二階堂ふみの家族の食卓シーン、オダギリジョーの創作部屋など、薄暗いシーンで作り、後半は宮沢りえの妊娠継続の決定からは、陽光のシーンが増えるなど、計算されていて分かりやすく作られています。解決策がない問題を、万人が納得するように描くなら、映画にする意味がありません。
おっしゃる通り映画だから描けた世界観かもしれませんね。
映画の懐の深さを改めて感じます。
磯村くん出身である地元では今時点では上映されてません。地元に住んでいるので観たいですが。
隣町ではやってます。
家族の中に軽度の知的障害がある子供がいます。みに いけたら行こうと思います。
コメントありがとうございます。
地元でも凱旋公開やって欲しいですね。
この映画はヤバかったです。
福田村事件はいい奴、悪い奴のキャスティングがハッキリしてて、リアルに感じる事が出来ませんでしたが、この映画は、施設で働いてるメイン3人がおかしくなっていく感じが生々しくて、序盤から、映画を見ている自分の心が削られてる感じがしました。
磯村勇斗さんの思想が一線を越えてきた後のやり取りが、自分に向かって言われている様な感覚になり、本当に辛かったです。
実力派のキャストが静かに狂って行く様を見て心の逃場がありませんでした。
そして、最後の実行するシーンを見て爽快感を感じてしまった自分がいて、私の心もおかしくなってる感じがしました。
鬱映画はたくさんありますが、今までで一番ヤラレました。
なかなかにシンドイ映画です。
考えることも多く今年最大の問題作の一本ですね。
月
その昔 プロ野球選手だった野村克也は長嶋茂雄との比較を月と太陽としました。
それが実に月のイメージをも表し得た隠喩でした。
本作のタイトルの「月」にもいろいろなイメージからの暗喩がありそうです。決して人目につかず目立つことのないのが月ですし、称されているだろうアルバイトを含んだ非正規労働者や精神や身体を病んだ社会的弱者の難役を主役 脇役を問わず多くの役者たちが見事に演じています。それが本作ですし、主役の洋子の妊娠をも月の満ち欠けとリズム感と無関係ではありません。
そして満月ではなく三日月としての「月」です。満ちているのではなくて欠けていることの象徴が本作に登場する多くの弱者の象徴でもあります。
本作は重いテーマでありながらも一切の殺戮シーンは描かれていません。そこは観客に委ねられていました。結果として鑑賞層が広がって単なるインディペンデント映画を超えた作品となっていると思います。
この企画や撮影の時期はともかく公開順からは河村プロデューサーの遺作になります。謹んでご冥福ををお祈りいたします。
河村さんにはもっと作品創って欲しかったですね。とても残念です。
エンタメと、現実の混ぜ方が、非常に気分が悪い。
制作側、出演者の野心の塊。
題材が架空で、このキャストなら豪華な映画だね。覚悟したとかなんとか残念。総イメージダウン。
元になっている事件の犯人は、一時的ではない優勢思想の持ち主で、葛藤を抱える知性がないというところが問題だと思うのだけど。
障害者施設を、無駄にオドロオドロしくして、核心には迫っていない。
コメントありがとうございます。
そういうご指摘もあるでしょうね。
同じ日に「キリエのうた」も鑑賞
・震災を扱ってる
・外国の宗教(本作では陽子の家、キリエ・ルカ・ヨブ等)が出てくる
・行為はするが避妊しない。案の定それが問題のタネになる
等、映画の不思議な偶然に遭遇する貴重な体験ができました。
そうなんです!
映画のシンクロは本当に不思議ですね。
お二人の話は完全に他人事のような批評ですけど、それがこの映画が突きつけたかったことだと思うんですね。
他人事じゃないですよ、あなたの問題ですよってね。
サトちゃんや周辺の人が狂ってるから怖いんじゃなくて、サトちゃん的な思想が自分の中にあるって怖さを描いてるんでしょうに。
スタッフTさんだけがきちんと受け止めたって感じ。
「福田村事件」は、観客が正義の側にいながら、安心して酷い事件を観て、批判していられたけど、この作品はそうじゃなくて、観客が当事者(サトちゃん側)になってしまうので、考えさせられるし不安になる。
もうちょっと深堀してほしい。
コメントありがとうございます!
二人とも介護に直面しているので他人事とは思ってませんが、そう感じられたのであれば浅い物言いだったんだと思います。
市井の人にも潜在的に存在する狂気という点ではおっしゃる通りかもしれませんね。
そういう事じゃなくてこの映画の中心は、主人公夫婦の出生前診断による選択的中絶ですよ。
主人公夫婦の結論が出る前に映画が終わるのは、あなたはどうしますか?という問いです。
障害がある子なら産まない、殺すというのは僕の考えと同じですよね?とサトちゃんは夫婦に迫るんです。
胎児に障害があるとわかると94パーセントが中絶する事実に観客一人一人がどう向き合うか、それはサトちゃんの言ってることとどう違うのか。
そこにまったく触れない批評は「浅い」としか言いようがないように思います。
わたしは政治家や厚労省の役人が、みればよいと思う。現場をちゃんとみなさいよと言いたい。とんちんかんな政策ばかりで笑ってしまうわ。
頓珍漢は笑えないです💦
鑑賞後3日目ですが、さとくんの持論が間違っていることだとわかっていても、反論すべき言葉が見つけられないでいます
それだけ
あなたはどうなんだ?と問われてる映画だと思います。私は子供が障がい者なんですが、じゃ、親であるお前はどうなんだよ、実際、て問われてると思いましたよ。その気持ちを映画にしてくれて私はありがとうと言いたいんです。
ご経験からのコメントありがとうございます。
人間は一生問われ続けるんでしようね。
聾者の身内が自力で生きていることを思い合わせました。
施設の職員の仕事をもうちょっとまともに描いてもよかったんじゃないかと思いました。
コメントありがとうございます!
かなり取材された後の演出なので監督の意図なんでしょうね。
映画を見ました。
障害者施設に対するネガティブなイメージの方が強く残ってしまう作品だと感じました。現実に働いている人達がちょっと可哀想だなと思いました。
「人がやってはいけない事に、理屈や理由は無い」と感じられなければ、葛藤を感じたり、意味を考えてしまうのではないかと思った。
かなり現場取材重ねられた上での脚本演出ですが、ドキュメンタリーではなくフィクションですから難しさは残りますね。
やばい職員ほど長生きするんだよなー残念ながら親身になってきく職員ほどやめていくんだよなー現実はだからこそわりきらないとだめなんだよなー
色々と深く考えさせられる映画でした。見て良かったと思いました。さとくんの言葉がグサグサ刺さって、お前も俺と一緒やろ!って言われているみたいで辛かったです。俳優さん達は、脇役の方も含めて素晴らしかったです。
でも、映画としてはどうなの?とは思いました。
まず、そもそも洋子は子供を亡くしてその悲しみから全然癒えてないのに、なんでよりにもよって精神的にも肉体的にもきついあの施設で働くの?と、最初から思ったので、その後の洋子の行動が全部全く受け付けられませんでした。
しかも妊娠してるのわかってからもまだ施設にいるし。お腹の子供のこと考えてんの?とか思ったし。
介護士さん達の過酷な現状とか、認められた一握の者と認められないその他大勢の気持ちとか、人としての尊厳とか、東日本大震災の事とか、なんだか色々詰め込め過ぎなんじゃないかと思います。
酒匂さんがおっしゃられた原作のきいちゃんの視点だともっと伝えたい事が絞られたのではないかな?と思いました。
ラストシーンもあまり好きではありませんでした。
興味深いコメントありがとうございます!
おっしゃること良くわかります。
動画内で酒匂さんが言及されていた施設関係者のレビューは私も読みました。
その方の言い分は、サト君の凶行のキッカケは施設でほぼ監禁されている汚物まみれの利用者のことを指していると思います。
聾者の彼女については、彼女が聞こえないせいでサト君の凶行に気づけなかった(ように見える)描写を問題視してるのではないでしょうか。
個人的には鑑賞後、怒りを覚えました。
この作品で何を表現したかったのか理解に苦しみます。
モンスターのような障がい者、ホラー映画に出てきそうな施設…どちらも冒頭から不快で、当事者に失礼なレッテル貼りに見えました。
登場人物の描き方も浅く、盛り込み過ぎて散漫な印象。
結局「難しい問題」「答えが出ない」という感想を抱かせるだけで、これではまたそのうち忘れられて終わりです。
事件をベースにして関係者に取材してるなら、現在再発防止のためにどんな試みがなされているか、せめて最後に短く文章を入れるくらいして欲しかったです。
出生前診断から中絶の論理は、優生思想ではなく、親都合の人工中絶の是非の問題です。(子供に遺伝上問題がなくても中絶されるケースは、映画では無視されています)
この点も、観客は後味の悪い罪悪感を抱くだけで、議論のキッカケになりにくい作りだったと思います。
似たテーマなら「ロストケア」のように、最後に犯人の論理を否定する遺族の存在を描くラストの方が良かったと思いました。
後味の悪い罪悪感はおっしゃる通りですね。
観た後どんよりする映画は苦手だけど、実際の事件が元になってるとの事で、何がなぜ起きたのかを確認する意味も込みで観ました。「福田村事件」のように。
ウソやキレイ事、確かにいい事じゃない、でもそれらを含んだ曖昧さはあってもいいんじゃないかな。「同じ思いをするなら子供なんて要らない」と思っちゃった事が事実だとしても、それと産む決心をした事はまったくベクトルの違う話のはず。
何かこう、第一に考えるべき、被害者、弱者救済を飛び越えて、悪いものは悪い、ダメなものはダメと、どこもかしこも固〜く縛られてるのが今の時代のような気がする。
人の好きキライまで単純な二項対立にして、気くばり、思いやりは二の次、まったく余裕や遊びと言うものがない。
ほんとに息苦しい世の中だよなぁ、と言うのが感想かな?
そんな映画から少し論点のずれた、真面目な事しか思い浮かばないくらいに打ちのめされた、って感じですかね?
何かタイトルだけで「ゆとりですがなにか」にすがりつきたくなりました😅観なかったけど🤣
おっしゃる通り余裕のない二項対立は息苦しさしか無いです。
自分はこの映画を観て、しばらく口が開けられなかったです。
自身も発達障害であり、親族の赤ちゃんも手術が必要な可能性があり、さとくんの思想は絶対に否定します。
しかし、どこか心の底でさとくん的なものが顔を覗かせてきそうで気持ち悪くもありました。
これは解決しない事柄でも「それでも…!」と抗うのが根底にあるのかもしれないと思いました。
人間の心の奥底を晒されてるような感じがしました。
さとくんは優しすぎたんだと思いました。
優しすぎるけど弱すぎた。
弱すぎて、ハンデを持ってる人達を受け入れる覚悟ができなかった。
厳しい現実を受け入れる覚悟ができなくて、一番手っ取り早い方法を取ってしまったんだと思いました。
でも、そもそももう少し丁寧な介護ができてる施設だったら、ここまでひどいことにはならなかっただろうと思います。
これも運命なんでしょうね。
超問題作。観続けるのが辛かった…。
目を背けてしまいたくなる障害者施設の現実。映画の中の彼らは自分姿知れないのだ。意思の疎通もできない障害者、糞尿にまみれ
放しの男。そこに人間の尊厳はあるのか。優生思想は間違えている言ってもお前は面倒見きれるのか。観ている者にも現実が容赦なく突き付けられた。
この夫婦と磯村勇人、二階堂ふみの食事シーンも辛かった。こちらは人の悪意がダイレクトに伝わって。
一方で宮沢りえとオダギリジョー夫婦の未来への希望が映画の後味の辛さから救ってくれた。
問題作だけれどこの映画を受け入れられて良かったと思いました。
え?びっくりするコメントです(笑)介護業務が全くと言っていいほど描かれていませんよ~😂あなたの感性だと、たぶん施設に1日いたらほとんどが人間に見えなくなるかもしれません…😅
観てきました!
観た後は一日引きずりましたが、結局二日目からは普通の日常に戻ってしまいました。この状態を、結局それで批判なんてできるのと突きつけられてるんですよね。
自分のどす黒い部分を見て見ぬふりしないと生きていけないと感じた次第です。
今年磯村勇斗見るの何回目だよー?とそこに意識を集中させて見ていました すぐ近くに大いびきをかいて寝てる方がいてちょっと気がそれたんですが、却ってありがたかったのかも 入り込みすぎたらダメージ多かった気がする 磯村勇斗さん、帰宅してメモで確認したら「最後まで行く」「波紋」「渇水」に続く4作目でした 「波紋」でも彼女がろう者の設定で、ろうの俳優さんが演じていたし それと先週「何食べ」のジルベール航見たばっかりやったし いやどの役も違和感なく演じてられていたし別に文句はないんですが、ちょっと言ってみたかっただけです まあウチが見たいような映画、ほぼ=シネマサロンの課題作にそれだけ磯村勇斗さんが出てるってことですね
シネマサロンの磯村さん率高過ぎですね💦
『月』 まだ見ていません。 かなり覚悟が必要な作品とのレビューが多いですよね。私自身はレビューに左右されることはなく、見たい作品は見る人間ですが。 おっしゃる通り、今年は問題作多いですね。 NHKラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』に石井裕也監督が出演されていました。 上松聡の起こした事件を元に“辺見庸”さんが原作『月』を書かれた時点で、映画化を引き受けようと思っていたとのことです。昔から“辺見庸大好き”人間だったからだそうです。 今年は認知症の人の連続殺人を扱った松山ケンイチさん主演作『
ロストケア』もありましたね。 医学の進歩と
人びとの意識の変化で、「この手」の作品は、今後も増えていくかもしれませんね。 おそくならない内に劇場に足を運ぶつもりです。
ロストケアでの犯人の意識は救済での安楽死でしたが、月の場合は、いらない者の排除という犯人側の意識の違いがありますね。
それにひたすら暗いです。
@@マーヴェ-n9z ご意見ありがとうございました。
ようやく観てきました。
私は度々、涙が溢れて止まりませんでした。
さとくんを変えたのは、施設で働く同僚、施設や国の方針だったのかもしれません。
寄り添う介護を否定され、これがうちのやり方だ、国が認めている、と何も変わらないから、間違った方向に行きようのない怒りが向いてしまったのかな。。。
ただ許されることでは絶対になくて、「心はあるのか」という問いに対する応えの出し方があまりに自己中心的だと感じました。
生きているだけで、心は確実にあると私は考えます。
意思疎通できなくても、そこに心がないと決めつけるのは勝手すぎます。
刺されると痛いはずです。健常者と同じように血が出ます。恐怖も感じるのでは。。。そこに違いはありません。
私の母は、くも膜下出血で何ヶ月も寝たきりだったことがあります。
意識が戻る可能性は30%、意識が戻っても後遺症は出るだろうと医師から言われました。
すごく怖かったことを今でも鮮明に覚えています。
例え後遺症が残っても、それが重度なものでも、私たち家族は母に生きていて欲しいと強く願いました。
だから、最後のきーちゃんの母親の泣き叫ぶ姿は、とても辛く苦しかったです。
中絶と殺人は、やはり違うように思います。
お腹に居る間は、命ではあるけれど母体の一部とも考えられます。
産まれてきた命は、新しい生命です。
中絶を真正面から肯定はしませんが、障害のある可能性があれば、夫婦間のことだけでなく子供の幸せについても深く考えるはずです。
どんな形でも芽生えた命が生まれること自体、幸せなんだと言われたらそうなのかもしれませんが。。。
ただ中絶を選択した母親は自分の体の一部を失くすのです。
子供を望んでいたのだとしたら尚更、とても悩ましく悲しい決断であり、体や心への負担も大きいのではないでしょうか。
上手くまとめられませんでしたが、色々なことを考えさせられる作品でした。
序盤の二階堂ふみはPearlのパールみたいで怖かったです
二階堂さん本当に怖いですよね💦
宮沢りえオダギリジョー夫妻が着ているTシャツがオシャレで。二人の生活感からしたらセンス良くて一枚数千円しそうなTシャツは正解?小説家と映像作家だからあり?
あの設定で高額オシャレTシャツはないと思いますが、そこまでTシャツに注意が行ってませんでした💦
なかなかにすごいものを観たというのが第一の感想でした。中でも劇中語られる磯村勇斗演じる「さとくん」の言葉に抗えることは出来るのか?理屈ではなく、己の存在を賭けて否定できるのかと自分に問いかけたときに、怪しんでしまう自分に気づいて怖くなってしまいました。「さとくん」は物語の後半、狂気に駆られて行くのですが、磯村勇斗さんの演技が、この狂気がもしかしたらこの劇中ではもっとも正気なのでは見えてしまう圧巻の演技で、飲み込まれてしまいそうになりました。彼の論理に対抗できるのは、素朴だけどオダギリジョーのようなシンプルな愛情や常識なのかなと。(もっともさとくんにボコられていたようですけど)
この映画は人間はいかにして他者を人間として認識し関わっていくのか、日ごろ無自覚で当たり前と思っていることを鋭く問いかけた作品だったと思いました。そういう問いの深さでは最近の作品ではもっとも深い映画と思いました。
他方、実際の事件やあるいは養護施設でのことを扱っているがゆえに、ここに激しい拒否反応を表す方がおられることもよくわかります。それでも、もっと多くの人に観られて考えられるべき作品だと思いました。さとくんの論理に飲み込まれないようにするためにも。
送り手も覚悟して制作されてますね。
ドキュメントとフィクションの距離感が近ければ近いほど、その扱いは難しくなっていくんだなぁと思いましたね。
この作品を見た人は相模原の事実はこうだったんだと少なからず影響は受けると思いましたね。
本作の事件の犯人に興味があったので少しだけネットで検索した事がありますが、ネット情報の犯人像とはかなり違う感じがしました。
相当取材されたようですが、おっしゃる通り本作はあくまでもフィクションですね。
具体的な解決策を思いつかない重いテーマで、見たくは無かった作品です。
でも人間として知っておくべき事柄と思いました。
義務教育の道徳教育で見せるべきと思いました。
子供達に問われても教師が答えるのは大変でしょうね。
どよーーーんです。
本作見た後で予告編を見ましたが、そこで「この刃はあなたに突き付けられている」かな?そういう意味合いが
コピーとして入っていて、まさにそれだよねと思いました。出生前診断して異常があれば96%の人が堕胎する。
人の形して生きているけれど、社会生活を営めない人人を殺すのと人になる前を殺すのと、どこが違う?という問いを
問われても、自分は答えられない。ナチス、ヒトラーというワードがこの映画の中のワードに出てきますが、
優勢思想という考えがどうなのか?という問いに本当の意味で答えを出せない。
竹内さんが座敷牢の話をされましたが、日本などアジア人(黄色人種)は白人より知能が上、黒人は白人よりさらに下、
それ農耕民族化することの速さで決まっているそうです、つまり協調性とか持てない人を間引きして劣勢な遺伝子を
排除していった結果のようです。
今は人権を尊重する考えが当たり前ですが・・・本作を見るとそもそも人権の有様にも考えが及ぶ問題作と思いました。
役者個人個人のよくこの作品を受けたなぁ・・・と監督やスタッフ含めて覚悟が凄いと思いました。
・・・あと私個人としては酒匂さん同様、ろう者の事はそこまでの大きなトリガーになっていると感じませんでした、
あえて言うなら暗喩的に登場させた感ですかね。
アジア人の間引きのお話恐ろしくも興味深いですね。
問題作という観点からすると本年公開作の中では筆頭格ではないでしょうか。
事件の衝撃的な内容を単に映像化するだけでなく、そこに包含される深い問題点を観る側に突きつける姿勢に本作の素晴らしさがあると思います。
洋子(宮沢りえ)が、さとくん(磯村勇斗)に障害者を殺害することは認めないと言うものの、もう一人の洋子が鏡に写ったように登場し、洋子本人に鋭い言葉を投げかけるシーンは圧巻でした。
もう一人の洋子の言葉は、観客にも投げかけられているのですね。
主演の宮沢りえさんをはじめオダギリジョーさん二階堂ふみさんは素晴らしかった。特に殺人犯を演じた磯村勇斗さんは、心身共に大変だったであろう事は想像に難くありません。本当に見事でした。
コメントありがとうございます。
間違いなく問題作ですね。投げかけられた問題に我々は答えを出せるのか。
いつも楽しく観ています。
いやあ、重いテーマでダメージくらいました。演んじる側はどうなの?スゴいです。
福祉施設で働いたので暗すぎる照明はあり得ませんが、わかってやってるのでしょうね。
植松聖は「生きるに値しない命とは誰のことか」という強烈な問いを投げつけたまま「生きるに値しない命」として刑死するんでしょうね。
社会派問題作福田村事件、月。エンタメ系ではあるが貧困と周辺の環境の中での女性を描いたバッドランズ(これも西成の生活も描かれていた)。キリエのうたも震災がもたらした悲劇が出発点となっていた…。一本一本は重厚で重いテーマを持っているけれど、鑑賞を重ねることでそういった映画への耐性が生まれ、社会派映画も受け止められるようになりました。以前だったら面白くないと観ていないかも知れないけれど。
鑑賞を重ねると鑑賞後感や受け止め方がかわる。映画の不思議な魅力ですね。
事件に至るまでも
怖くて辛くてキツかったです
なんとも 重く 刺さる作品でした
福田村事件に続いて、なんと申しますか、こんなに面白い映画に仕上げていいのでしょうか。オダギリジョーはこういう役あってますね。
オダギリさん素晴らしかったですね!
生きていてほしい!アナタは死刑だけど生きていてほしい。→これが結論だ!
こうゆう映画って批判もされるんだろうけど。逆に日本はこうゆう映画が少なすぎてつまらない。もっと元々あった事件を映画化してほしいぐらい。それで何か伝わる事ってあると思うし。なんでもダメダメ。って言ってちゃ‥日本の映画界もつまらないままなんでしょうね。
って個人的には思います.
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、大手はまず映画化しないですし、インディは予算も人も限られますね。
ところで、タトゥーと刺青って違うんですか?同じものだと思ってました。「TATOO(刺青)あり」なんて映画もあるくらいだし。
雑談ネタですね?😅
雑談コーナーで取り上げさせていただきます!
もう、終始嫌なものしか出てこない。
蛇とか蜘蛛とかミミズとか、見たくないものが画面の隅に取り入れる演出も生理的に不快にさせる。
嘘が嫌いな二階堂ふみ演じる陽子までもが、ラストでは嘘をつかなければならなくなる状況は絶えられない…
この映画を観る前に「ゆとりですがなにか?」を観ていたので、めっちゃ楽しんだ後に奈落に突き落とされた気持ちになりました。
出産前の診断結果で中絶を選択するのは了承されているけれど、生産性が無いからと重度障害者を排除するのは了承されない。
人の形になる前なら排除できるけど、人の形になってしまったら排除は許されない行為になってしまうが、それなら死刑制度はどうなのか?
この世の人の論理感が問われる問題。
故・丹波哲郎氏は、この世は魂の修業の場と仰られていました。
魂のアベレージを上げていく為に、この不自由の多い世界で生きていくのが命題らしい。
そういう観点で観ると、人の命を奪うのは、やっぱりNGなのです。
丹波さんの発言興味深いですね。
本当に霊界に通じていたのでは💦
でも映画みて思ったけどこんな宮沢りえさんみたいな職員いねーだろって思った。だいたいお局おばさんとかやばい職員とかが多いとおもうぞ現実はまあここだからかけるけどやばい職員8わりと思ったほうがいいなとおもったなーあと真面目な職員ほどやめていくのはどこの職場も共通だけど8対1対1のわりあいかなかなあ
俺は出生前診断結果による中絶が96%でも、それは個々人の判断であって、他人がそれを奪う権利はどこにもないと思う
終盤のさとくんと洋子の切ない涙の問答…自分の中の悪魔(というか天使?)との苦しすぎるセリフの応酬には見てるこちらも同じく言葉につまり、心が窒息寸前になりました。
けど自分にとっては名場面連続の映画!
最後まで行くが年間フェイバリットで揺らがない気がしますが次点とするなら迷わず月にしたい
月の真円のモチーフを生かし切った美術部、照明部はもちろん撮影部もかなり頑張ったと思います。重い題材で不謹慎ですが…
本当にのめりこんでしまい、およそ2時間30分の上映時間はあっという間でした。
ラストのあとに待っているであろう展開も観たい!と思うくらい終映後そのまま座席に釘付けのお客さんが自分同様たくさんいたのにも震えました
終わっても立てなくなるのは良くわかりますね。
「公開を中止して欲しい」というレヴューは、観賞前に一読しました。
そして観賞し、マイ評価は、⤵️
テーマ、その制作意図には異論はありませんが、エピソードが多すぎ、まとまり、繋がりが不十分で、小説、🎦とも、本筋の事件を利用したのか、という後味の悪い印象が。
結果、先に読んだレヴューの内容に頷いてしまう部分が大でしたね、僕は。
「家に閉じ込められた」主人公なら、昨日観た『悪い子バビー』の方が、突き抜けていて、こちらの作品に気持ちも関心も向いてしまいましたね😊
先にコメントした後に、『私はモーリーン・カーニー』を観賞しましたが、僕は迷わず、比較するなら『月』よりも、こちらの作品に軍配を‼️👏
この作品が課題作だったら、動画で、どんな評価、コメントが、とアップされるのが楽しみな、語り甲斐のある作品かと(あくまで僕の私見ですけど😊)
この作品の感想レビューをいろいろ読んでみましたが、さとくんの行為を否定しきれないとか、理解してしまうとかの感想が散見される事にショックを受けます。優生思想を理由に殺人を行った行為を描いた作品とするなら、その部分は完全否定すべきではなかったでしょうか?
映画作品として問題があると思います。
えっと…理解できるってのは想像力があることだと思いますよ。
さとくん予備軍というか、実行しなくても頭で考えてしまうことは想像できませんかね…?
毎日うんちを片付けても片付けても
叩かれて噛まれてツバを吐かれて「死ね!役立たず!」と言われて、何も感じませんか?
あらゆる意味で問題作だと思いました。
陰惨かつ凄惨
そんな映画の概要よりも、
一番先に思ったのは、これに出演された役者さん達のメンタル大丈夫なのかと言う点です。
最近やっと 『福田村事件』を観た時も同じ事を考えたのですが、過激すぎる内容に出演する役者さん達のメンタルケアは、どうしてる?って疑問です。
はっきり言って『月』は、『福田村事件』の何倍ものメンタルの負担を要すると自分には思えました。
実は、七尾与史先生がシックオブマイセルフの動画で言及されてるのと全く同じく、シックオブマイセルフ』と『月』を両作品の公開初日に鑑賞したのですが、あまりに強烈すぎてトラウマになるほどの衝撃を受けました。
オーバーでなく、2本とも凄まじく過激な映画でした。
ガチでヤバい映画です。
何故この2本をわざわざ同じ日に鑑賞したのかと、後になりかなり後悔しました。
だから、自分のメンタルを癒したい思いで2日後に『ゆとり』と『アンダーカレント』の予約をいれて鑑賞したほどでした。
結論から言えば『月』も『シックオブマイセルフ』も傑作です。言い換えれば、それほど人を動揺させたり混乱させるパワーを持っているのです。
しかし、それと同時にかなり危険な2作品と思えました。
この手のタイプの映画は人を選びます。
まず、自身のメンタルに不安を感じる方は観る際に慎重になるべきだと思います。
しかし、それはそれだけクオリティーが高いと言う結論になります。
傑作だと思います。しかもとんでもなく高いクオリティーの傑作と思いました。
ところで、七尾先生も言及されてましたが、『月は年末の賞レースに絡んで来ると自分も予想します。
仮に賞レースから外れたとしたら、テレビ向きでは無く、内容 があまりにタブーな為にコンプライアンス面で引っ掛かる為だと思いました。
次期の邦画の賞レースで一番激戦となるのが助演男優賞部門ではないでしょうか
少し前までなら
『エゴイスト』宮沢氷魚
『怪物』永山瑛太
の一騎打ちと思っていましたが、そこに、
『月』磯村勇斗
が参戦した様に自分は思いました。
磯村さんの演技に感服しつつ昨今のハードワークには大丈夫なのかと心配ですね。
@@cinemasalon きのう何食べた?のジルベール役を観て少し安心しました。全く同じ人だとは思えませんね。
凄い役者さんだと思います。
来月公開の『正欲』もまたまたかなりの難役です。楽しみです。
原作が辺見庸なんで、ぜひ読みたくなりました。
カッコーの巣の上でが大好きなので、楽しみにして鑑賞しましたが、あまりにも重厚な映画なので、瞠目しました!傑作デス。
生前認知の障害者は95%堕胎されるという現実を知り、深く心に刺さる人権問題。
生きる権利とは、心を持たず糞尿を撒き散らし、周囲に精神的負担と経済的負担を強いても許されることなのか?
上映中止にして欲しいとか言う人は映画で働いてる人の時間をなんだと思ってると言いたい。映画制作だって仕事で従事している皆さんが家族との時間を削ってまで身を粉にして働いているのに。映画を遊びとでも思ってるんでしょうか。はい、じゃあ上映やめましょう。で済むと思ってるのか。その際の関わった人たちの努力や時間はなんだったのか。とても無責任な発言だと思います。辛いなら観なきゃいいだけ。それも選択肢だし。ちなみに僕は観ません。こういった内容のものは今までも鑑賞した経験はありますが、映画として観るのは不快だからです。
コメントありがとうございます!
劇場公開の映画は鑑賞者に選択権があるのでおっしゃる通り観ないという選択で良いのだと思います。
ドキュメンタリー的なものを想像していましたが、創作を色々織り交ぜていて考え所の多い作品でした。凶行のシーンは観たくはないなと思ってましたが、より残忍に描かれてました。
創作部分がかなりありましたね。
ユーロで観たけど前に座っていたカップルは寝たフリをしてました。うーん。別れてしまえ。血しぶきを浴びる覚悟で見なよ。
実際と、違うと思う。
時間が合わず、公開2週目の観劇でした。
いろいろ語りたくなる映画ですね。
ポイントを絞って感想を述べるとすると…
主人公が"さとくん"と"きいちゃん"、2人それぞれに自分の姿を重ねるシーン。
あれはまさに、現代の(日本だけでなく世界の?)病理を描いているのかなと。
今の世の中、人は簡単にはのし上がれず、簡単に転がり落ちる存在で、
その一方、特に日本では自己責任論を押しつける考えが跋扈しています。
それを是とする立場の人の多くは、自分は上にいると錯覚し、転がり落ちることを想像できない。
いや、もしかしたら落ちているにも関わらず、その状況を受け入れてしまってるのかも。
そう考えると、自由主義、民主主義ってなんだろうと思いますね。
資本主義ではあるかもしれませんが。
施設が森の中にあるように、問題を隅に追いやる姿勢、それを改める必要を感じます。
他人事を当たり前にする思想ですね、自己責任論も、優生思想も。
原作、スタッフ、キャスト、携わる人の意識が合致した力作だと思いました。
ちなみに、"さとくん"の彼女を演じた長井恵里さんですが、
『ケイコ 目を澄ませて』で喫茶店のシーンに出演でしたか。
最近ご活躍されていて、そういう時代の変化というものも同時に感じました👍
演者はよかった、けど観る価値は無いと思った
コメントありがとうございます!
よろしければ観る価値が無いとご判断された点をコメントいただければ、より議論が深まるかと思います。
いつも思うのですが、スタッフの方のキーボードを打つ音がうるさくて耳障りです。
カタカタ、カタカタと。
調べ物をされているというのは分かるのですが、気になってトークが阻害されてしまってます。
このチャンネルはスタッフTさんの頑張りが支えていると言っても過言ではありません そんな邪魔者扱いしないでくださいね
たしかにキーボード音に限らず雑音が気になることはあります。マイクの指向性だったりで雑音はある程度抑えられるようには思いますので(最近は外走る車の音がしなくなったりいろいろ対策されているのだと推測しますが)、一視聴者としては検討いただけると
そう言う意見、声が上がる事はとても健全な事とは思いますが、自分にはまったく聞こえませんでした(逆にその”音”を探して再度視聴したりしてしまいましたが😅)。
最もモスキートーンが聞こえなくなってしばらく経つんであまり有意義な例ではないかもしれませんが😅、少なくともトークが阻害って事はないと思いますけどね。
まぁでも、そもそもが居酒屋談義なんで、多少聞こえなくても、もっと言うと他の客のザワザワがあってもいいんじゃない?くらいに思ってるんで(はなはだ不真面目ですが🤣)、検討いただくのはやぶさかではないものの「試してみたけどあまり効果ありませんでした。ゴメンナサイ」って結論もあり、だと私は思います。
一応そう言う視聴者もいますよ、って事だけ記しておきます。