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アルバム『1976』、個人的に特別な一枚。初期の粗削りな感じからだんだん「やわらかさ」を感じさせる歌声に変わっていく、過渡期のアルバム。RCの『シングル・マン』と雰囲気が似てるんだよね。リリースもほぼ同時期だし。
「ある日ぼくは愛する人を見つけた」とかじゃなくて「素敵な言葉を見つけた」って表現するところが凄い
やっぱり「友部正人」の詩心は刺さるわ( ´艸`)
このアルバムの中だったか、「ユミは寝ているよ 毛布を冠って」という出だしの歌があったけど、40年ぐらい前のレコード、今ないのでもう一度聴いてみたいな。
友部さん、先日名古屋の得三でライブ聴いたとき、初めの歌がこれでした。ライブの後、CD買って近くで見たけど、顔の色ツヤが若々しくて、ちょっと嫉妬した。
〝ある日ぼくは素敵な ある日ぼくは素敵な 言葉を見つけた そしてはじめてさびしさを知った 〟❇
良い唄だ。。
明日CD買いに行こう
はじめぼくはひとりだった線路端にもたれ大きな月を見ていた話しかけるのも僕ならばそれに答えるのも僕だった目の前を貨物列車が走り過ぎて行ったはじめぼくはひとりだった親父とお袋と三人で長い船の旅をした真っ黒い煙が後から後から空に届いては消えていった海には人間が誰もいなかったはじめぼくはひとりだった春には一日中外にいた田んぼの中で見つけた蛙の卵が僕に死ぬことの怖さを教えてくれた大地は卵のように柔らかいものでできていたはじめぼくはひとりだったそれは親父もお袋も知らない僕だった電車の窓から外を見ながら駅の名前を覚えていったその夜ぼくは炭鉱町で真っ黒いお風呂に入れられた月はいくつもいくつも昇りそれを眺めてはいくつもいくつもため息ばかりついていた生まれてはじめて覚えたことはたった一人でいることの幸福感その頃親父もお袋もとっくに諦めていた一度だって寂しいと思ったことはなかった生きていることは愛なんかよりずっと素敵な事だった話しかけるのも僕ならばそれに答えるのも僕だった目の前を貨物列車が走りすぎていったある日僕は素敵なある日僕は素敵な言葉を見つけたそしてはじめて寂しさを知った
アルバム『1976』、個人的に特別な一枚。初期の粗削りな感じからだんだん「やわらかさ」を感じさせる歌声に変わっていく、過渡期のアルバム。RCの『シングル・マン』と雰囲気が似てるんだよね。リリースもほぼ同時期だし。
「ある日ぼくは愛する人を見つけた」とかじゃなくて「素敵な言葉を見つけた」って表現するところが凄い
やっぱり「友部正人」の詩心は刺さるわ
( ´艸`)
このアルバムの中だったか、「ユミは寝ているよ 毛布を冠って」という出だしの歌があったけど、
40年ぐらい前のレコード、今ないのでもう一度聴いてみたいな。
友部さん、先日名古屋の得三でライブ聴いたとき、初めの歌がこれでした。ライブの後、CD買って近くで見たけど、顔の色ツヤが若々しくて、ちょっと嫉妬した。
〝ある日ぼくは素敵な
ある日ぼくは素敵な
言葉を見つけた
そしてはじめてさびしさを知った 〟❇
良い唄だ。。
明日CD買いに行こう
はじめぼくはひとりだった
線路端にもたれ大きな月を見ていた
話しかけるのも僕ならば
それに答えるのも僕だった
目の前を貨物列車が走り過ぎて行った
はじめぼくはひとりだった
親父とお袋と三人で長い船の旅をした
真っ黒い煙が後から後から
空に届いては消えていった
海には人間が誰もいなかった
はじめぼくはひとりだった
春には一日中外にいた
田んぼの中で見つけた蛙の卵が
僕に死ぬことの怖さを教えてくれた
大地は卵のように柔らかいものでできていた
はじめぼくはひとりだった
それは親父もお袋も知らない僕だった
電車の窓から外を見ながら駅の名前を覚えていった
その夜ぼくは炭鉱町で真っ黒いお風呂に入れられた
月はいくつもいくつも昇り
それを眺めてはいくつもいくつもため息ばかりついていた
生まれてはじめて覚えたことはたった一人でいることの幸福感
その頃親父もお袋もとっくに諦めていた
一度だって寂しいと思ったことはなかった
生きていることは愛なんかよりずっと素敵な事だった
話しかけるのも僕ならば
それに答えるのも僕だった
目の前を貨物列車が走りすぎていった
ある日僕は素敵な
ある日僕は素敵な言葉を見つけた
そしてはじめて
寂しさを知った