【明智光秀 子孫解説】娘たちから現代皇室へ!繁栄する光秀の子孫たち

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  • Опубликовано: 15 ноя 2024

Комментарии • 67

  • @minamikaneda9353
    @minamikaneda9353 Год назад +5

    明智光秀公の子孫です。
     私が光秀公のどの子供の子孫であるかは不明であったのですが、少し絞ることが出来ました!
    ありがとうございます!!

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +5

      コメントありがとうございます!
      ご子孫の方にそう言っていただけて、
      嬉しいです!ありがとうございます。

    • @green13876
      @green13876 6 месяцев назад +1

      おぅ!古い親戚ですね!世間では土岐源氏になっていますが、実際は土岐源氏に同行した大夫の家系で実際は
      河内源氏なんですよ!源氏の棟梁家の源頼朝の親の兄弟になります。明智家の上の家系が高島七党になっている朽木家ですが
      大夫として出しているんですが。。。高島七党に成っていますww
      明智家は加藤家、安藤家、中井家、三宅家、妻木家、中川家、由利家とか結構分家しているのでわかりにくいんですが
      当家の母元は東国国造りの家系の川合家(河合家=下賀茂神社摂社の河合神社)の上は田辺家(豊城入彦命五世孫の上毛野朝臣)
      で源平藤橘は全部親戚です。※日光東照宮は明智家分家の中井家が作ったと聞いています。宇都宮家を庇護するためかなw
      本能寺の変の後、光秀は京北町の天皇家の荘園復興の為に美濃四衆の所に人材協力の嘆願に回っていたと伝わります。
      ※その他家臣団や同族の人間は九州にキリシタン大名討伐に沢山人手を出したそうです。

  • @shum2033
    @shum2033 Год назад +17

    これだけ調査されるのは、大変だったと拝察いたします。貴重な動画ありがとうございました。これからの動画も期待しています。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +7

      コメントありがとうございます。
      そう言っていただけて嬉しいです、
      励みになります。
      ありがとうございます。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Год назад +11

    その後の流れが大好きな私にとって、家、血筋ともに紹介してくれるちゃんんるが有難い。
    福島正則、加藤清正、堀秀政、森長可、中村一氏、田中吉政、堀尾忠晴、前田玄以などなど、
    まだまだ調べて欲しい諸家をぜひお願いしたいです。
    登録しました。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +6

      コメントありがとうございます。
      嬉しいです。
      できるだけ多く出せるよう頑張ります!
      ありがとうございます。

  • @hirokenart
    @hirokenart Год назад +3

    大変細かく調査されておりますね、興味深く拝見いたしました。ただひとつ間違いがあります、興秋が切腹を命じられたのは事実ですが実際には熊本県天草に家来2人(実際には監視役)とともに渡り以降素性を隠して僧侶として生き、五和町御領に芳證寺を建て長岡家を興しました、私の家はこの長岡家の分家であり現在も当地で血脈を存えております

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад

      ご指摘いただき感謝申し上げます。
      確認が行き届かず、申し訳ありません。
      興秋公の血筋は現在まで繋がっているのですね。
      それを今回知れて良かったです。
      ありがとうございます。

    • @hirokenart
      @hirokenart Год назад +1

      @@kotsubach さん
      いえいえ
      いわゆる史実は後世の軍記物フィクションをもとに記されたものも多いので無理もないと思います
      今後のご投稿を楽しみにしております

  • @green13876
    @green13876 6 месяцев назад +1

    なかなか素晴らしい解説ですね!
    光秀の長男は関東の千葉家に養子に出した後に同族の佐賀鍋島家に養子に出したので
    そこからも皇族に繋がっていますよw ※ちなみに肥後の加藤清正も明智の分家ですよw明智城の整備や管理をしていた一族です。
    光秀の次男、三男は当家の関係する菅原道真公の庄家があった園部町で外科医、鍼灸師として江戸時代を過ごして現代に居たる。
    光秀の母の家系の若狭武田宗家は京都の伏見区竹田に住んでましたし光秀の嫁の妻木さんは明治に帰京して本名の中川さんに戻っています。

    • @kotsubach
      @kotsubach  6 месяцев назад

      コメントいただきありがとうございます。
      嬉しいです!
      そして貴重なお話ありがとうございました。
      十五郎のその後ですね。市原にお墓があるという話を以前知りました。

  • @たま-v2e
    @たま-v2e Год назад +4

    母の家系が華族とは知ってましたが、去年暮れに親戚が作成した家系図にて先祖が天皇と縁のある家系と分かり、天皇の祖先を調べるサイトで古代から自分の先祖が、確認出来ます。
    沢山の歴代の偉人の先祖がいました。
    直ぐに、明智光秀と細川ガラシャが、先祖と分かりました。息子の細川忠隆と前田利家の娘の千世姫との娘の徳姫が西園寺実晴に嫁ぎ家系が繋がってます。
    偶然か?50年位前の話で私は熊本で育ちで中学の時は熊本城の写生大会で学校で毎年一位の賞で選ばれてており、高校も熊本城の昔の敷地内に位置してました。
    まさか細川と縁があるとは思いませんでした。
    明智光秀の供養で5月に京都にお参りしましたが、他のゆかりの地にも行くつもりです。夏休みには前田利家のお墓参りとゆかりの地巡りで金沢を旅します。
    分かりやすく詳しいご説明を有難う御座いました。😊

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +2

      コメントありがとうございます。
      そう言っていただけて嬉しいです。
      明智家-細川家-西園寺家の家系の方なのですね。熊本の地で過ごした日々もご先祖様とご縁で引き寄せられたのかもしれないですね。
      明智家や加賀前田家にご挨拶に行けるのは歴史好きとしてすごいそそられます。
      ありがとうございます!

    • @たま-v2e
      @たま-v2e Год назад +3

      @@kotsubachご丁寧にご返信を有難う御座います!
      5月5日の朝京都へ先祖の賀茂成継、能久が神主だった上賀茂神社で昔先祖の能継が出てた「くらべうま」を観に行きました。素晴らしかったです。
      その後、明治の先祖の父を辿ると藤原頼通、道長なので平等院、と興福寺、そして、明智光秀の塚にお参りして先祖の親鸞と蓮如の縁の東本願寺と西本願寺に行き親鸞展を観たり、先祖の紫式部の廬山寺ほか、1人の旅だったので色々回りました。😅
      又北条は先祖が多い為、宝戒寺へ5月22日供養をお願いし又先祖の源義朝の縁の鶴岡八幡宮へ東京に住みながら初めてお参りしました。
      鎌倉の後に足利の鑁阿寺へ6月は静岡へ正林寺の今川義忠の祠と徳願寺の北川殿の墓他にお参りしました。
      7月は母と伊東温泉へ伊東祐親のお墓と東林寺、伊東家の供養に最誓寺に行きました。
      で8月が金沢、10月は91歳の母が京都に行きたいとのことでゆっくり無理せず旅します。
      又随分先ですが来年5月は母と母の里の福岡へ太宰府天満宮の先祖の菅原道真をお参りします。
      私も母が元気な内とスケジュールしてしまい、母も元気でいると張り切ってます😊
      長々としつこく申し訳けありません🙇

  • @チョコチロル-d7p
    @チョコチロル-d7p Год назад +3

    子孫が皇族にまで続いてよかったね、光秀。
    岩倉具視も、子孫なんですよね。 男子だと殺されてただろうから、男子より娘が多かったおかげで、これだけ子孫が繁栄したといえる。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +2

      コメントありがとうございます。
      岩倉具視は、途中紹介した稲葉氏経由での血筋ですね。
      血筋が残ることは本当にすごいです。

    • @チョコチロル-d7p
      @チョコチロル-d7p Год назад +1

      @@kotsubach 家自体は滅びても、血筋がつながって栄えてるのは救いですよね。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      @user-kd7rq9vr8p 歴史の深さを感じます!

  • @順子伊藤-k5c
    @順子伊藤-k5c Год назад +3

    昔から力のある!人が(知力)が現代まで!子孫を残しているようですね!

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます!
      歴史ファンとしては、
      こういった流れが残っていることを知れることが嬉しいですね!

  • @ystszk9901
    @ystszk9901 Год назад +5

    武士の社会は子供が継いでいくので子だくさんでないとお家取り潰しになる、家康もそうだけど子だくさん(側室でも)が歴史を繋いでいくのですね。 とても面白かったです。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      嬉しいです。
      励みになります。

  • @岡田栄-y3n
    @岡田栄-y3n 6 месяцев назад +1

    男系が消えても女系でDNAが継承されていく過程は大変興味深いです😍
    ガラシャの生涯は悲劇的ですが歴史浪漫を感じます。宣教師経由でスペインでも知られているようですね。

    • @kotsubach
      @kotsubach  6 месяцев назад +1

      コメントいただきありがとうございます✨
      ガラシャのその生き様、散りゆく様が、スペインに伝わったのですね❗️1人の女性が海外でも当時から影響を与えていることがすごいです。

  • @mu1me2mo1
    @mu1me2mo1 Год назад +3

    光秀というと日本史最大の皇室ぶん殴り武将なんだけど、その後皇族と血縁関係になるという。日本社会の寛大さが分かるエピ。

  • @徹也青木
    @徹也青木 2 месяца назад +1

    こんばんわ
    同級生に明智と言う人が居ます
    顔も光秀によく似てます

    • @徹也青木
      @徹也青木 2 месяца назад +1

      何故芸州安芸の国に居るんでしょうか?福島正則が光秀の子供を連れて来たと歴史書に書いてありました

    • @kotsubach
      @kotsubach  2 месяца назад +1

      コメントいただきありがとうございます。
      いつもありがとうございます✨

  • @せと香
    @せと香 Год назад +6

    歌舞伎の演目に「西水江-せいすいごう」と呼ばれる物が有ります。近江坂本城落城の際に、明智左馬之助光政なる者が琵琶湖を騎乗したまま渡った伝説に着想を得た。と云う話しを某歴史小説家から聞いた事が有ります。この明智左馬之助が秀満関係かどうか不明です。歴史小説家は、明智の子孫の物語を書く前にお亡くなりました。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      歌舞伎の演目にあるんですね。
      自分、歌舞伎見たことがないのですが見てみたいと思いました。

  • @nene0625
    @nene0625 Год назад +2

    6:57 ここは、金華山上の岐阜城から岐阜市北部をのぞんでいますね。中央に長良川を渡る忠節橋、その手前が金華橋、岐阜城の下には長良橋となります。 今回の動画に関係ないことを言いましてごめんなさい🙇‍♂️

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +2

      コメントありがとうございます!
      いえ、背景画像に触れていただきありがとうございます。すべて自身で撮影したものなので、嬉しいです。
      確か天守から西向きに見た景色と記憶しております。橋の名前が知れて良かったです。
      ありがとうございます!

    • @nene0625
      @nene0625 Год назад +1

      コツバ。さん
      お忙しいところコメントいただきありがとうございます。
      また岐阜に来られる時はお知らせください。ご案内します。
      チャンネル登録しましたよ。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      ありがとうございます!
      岐阜また行きたいです!
      行った際は教えて下さい。

  • @kset.5276
    @kset.5276 Год назад +12

    細川総理の叔父さんだったかが近衛家に養子に行って、そこへ三笠宮家の長女が嫁いでいます。不思議な縁です。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +5

      コメントありがとうございます。
      現代でも繋がりは面白いですね。

    • @nene0625
      @nene0625 Год назад +2

      @@kotsubach
      ガラシャからの血脈はないのですね?

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +2

      コメントありがとうございます。
      男系では繋がっていなくて、女系では諸説あるというのは聞いたことがありますが、確認は取れませんでした。

    • @藤原遠江義弘-e3f
      @藤原遠江義弘-e3f Год назад +2

      弟ですね

    • @ae3779
      @ae3779 6 месяцев назад +1

      細川ガラシャの名があまりに有名だけど、旦那の細川忠興公は、八十歳を超える長寿。
       熊本藩細川藩主・忠利は、長男や二男(大坂の陣で戦死)を差し置き、藩主になっていますね。熊本藩細川家初代が忠利なので、熊本藩細川家八代藩主まで続いていたようです。
       どこの藩でも、徳川将軍家の御三家御三卿のような、いざという時のために支藩を持ちます。それが忠利の子孫(細川お玉(ガラシャ夫人)の血統)が八代・治年(はるとし)の時、三十歳の若死にと、早逝する男の子が多く、断絶(徳川将軍家が、初代〜七代までのと同じ)。それで、忠興の四男、側室腹の庶子が支藩となっていた系統が、本家の藩主になっています。
       五摂家筆頭・近衛家。内閣総理大臣・近衛文麿氏の娘を母に持ち、長男はそのまま細川を名乗り、二男は母方の養子になったため、近衛の姓に、と、なっています。

  • @六分儀伊織
    @六分儀伊織 3 месяца назад +1

    新田のほうは明治期以降に団伯爵家からの養子が入っており妻の方で新田の血統が保たれている様子なので現在は女系でしょうか。

    • @kotsubach
      @kotsubach  3 месяца назад

      コメントいただきありがとうございます。
      私もそのように認識しております!

  • @山田哲也-t4c
    @山田哲也-t4c Год назад +4

    本能寺の変新設を唱えられた明智憲三郎さん.

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +2

      コメントありがとうございます!
      光秀に子孫の方ですね。

  • @youkoishihara1501
    @youkoishihara1501 Год назад +3

    明智光秀公は容姿端麗、優れた知能の持ち主。下剋上など考える御方では有りません。裏切り者では有りません。国の為に悪役を演じただけです。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      天下を狙うではなく、天下を正すということですね。

  • @中井幸征
    @中井幸征 Год назад +6

    明智光秀公も大好き💓♥️❤️です🎵
    僕は、武田勝頼公と武田信玄公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵
    伊達政宗公と後醍醐天皇と大久保利通も大好き💓♥️❤️です🎵
    織田信長と豊臣秀吉と徳川家康と足利尊氏と源頼朝と松平容保が一番大嫌い😭💔です🎵
    岡崎城と松本城と青葉城と安土城と浜松城と清州城が一番大好き💓♥️❤️です🎵
    武田勝頼公と徳川慶喜公と明智光秀公も不運です🎵
    明智光秀公の子孫が細川元総理大臣です🎵

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +3

      コメントありがとうございます!
      光秀公がお好きなのが伝わってきます!

  • @周-t4i
    @周-t4i Год назад +12

    織田昌澄は本能寺の変の時には3歳です。信澄が丹羽長秀に討たれ、明智光秀の娘である母が3歳の昌澄を連れて難を逃れた時に、実家の明智に帰らずに、明智滅亡に巻き込まれなかったのは見事な判断だと思います。彼女の心情を察するに、息子が織田の血を引いているから実家に帰ることに躊躇したか、織田と明智の橋渡しとして嫁いだのに、父光秀が台無しにして激怒していたか。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +5

      コメントありがとうございます!
      昌澄の母が激怒したというのは、初めて聞きました!
      母の英断ですね。

    • @mu1me2mo1
      @mu1me2mo1 Год назад +2

      ガラシャ「私の父は腹黒い、私はそれで苦労した」って細川家史料にありますね。姉妹の信澄夫人ももしや。

    • @岩船たけこ
      @岩船たけこ Год назад

      ​@@kotsubach17:29

  • @mkou7448
    @mkou7448 Год назад +2

    今回の大河の光秀、子孫にとっては名誉毀損で訴えたいぐらいだろうな。まるで漫画みたい

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      麒麟がくるの時とは、対極的でした...
      麒麟がくるの光秀は、爽快感がありました!

  • @HARUKANATA11
    @HARUKANATA11 Год назад +1

    細川忠隆の子孫が伊達政宗の子孫仙台藩伊達家の伊達吉村に嫁ぎ、その娘が岡山藩池田家を通じて現在の細川家や近衛家、徳川宗家にガラシャの血脈が受け継がれています。

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад

      コメントありがとうございます。
      今回、そこまで調べがつきませんでした。
      このようにコメントに記載いただきありがたいです。ありがとうございます。

  • @奇囃子キバヤシの都市伝説チ

    そりゃあ細川家に伝わってるからね。

  • @ぱおぱお-y7m
    @ぱおぱお-y7m Год назад +3

    クリスペプラーは?直系?

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      テレビなどで見た時は土岐家関連の、というのはきいたことがありますが、自分はどの系統か、直系かは把握しておりませんでした。

    • @ぱおぱお-y7m
      @ぱおぱお-y7m Год назад +3

      @@kotsubach お返事ありがとう☺
      直系だったらチヨット面白いのにね
      ご先祖様もビックリね(๑^^๑)

  • @oreo0507
    @oreo0507 Год назад +4

    やんごとなき血筋の文化人 明智光秀をあんな口(ガラ)の悪い人物像として描いた大河ドラマに大失望!

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      麒麟がくるとは、対極でしたね。

  • @國田牧子
    @國田牧子 Год назад +2

    明智 家 の 血脈 は 続いて いる?

    • @kotsubach
      @kotsubach  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      はい、続いていると認識しております。

    • @asukas.7141
      @asukas.7141 Год назад +2

      続いてますよ。憲三郎さんもそうですし、最近、「明智ガラシャ」という芸名で歌手活動をしている彼女も、明智の子孫ですし。