【飛行艇解説】太平洋戦争時、日本海軍で運用された、二式飛行艇、通称二式大艇 飛行艇としては当時世界最高の性能を誇り、空の戦艦と称されました。長大な航続距離を活かし、様々な任務で活躍しています。
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- Опубликовано: 9 авг 2023
- 太平洋戦争時、日本海軍で運用された、二式飛行艇、通称、二式大艇。
ワシントン条約で、保有を制限された軍艦の戦力を補うための、攻撃型万能飛行艇として開発されました。
開戦後は、高速力と航続力を生かして長距離の偵察・爆撃に活躍。連合軍からは恐るべき空の戦艦と呼ばれています。
第二次世界大戦における最も優秀な飛行艇として日本の航空技術の高さを内外に示しました。
戦後の飛行艇開発でも、二式大艇で培われた多くの技術が受け継がれ、現在も広大な日本の海を見守り続けています。
そんな本機のスペックや、誕生から終戦に至るまでを時系列に沿って解説した動画です。ぜひ最後までご覧ください。
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私の祖父は二式大艇の輸送型「晴空」搭乗員でした。戦争の話は亡くなる前に少ししか聞けなかったのですが、「電気通信設備が使えないほど悪天候のなか手で進路を決め偉い人を送り届けたことが誇り」とのみ言っていました。
しょ~もな…😮
当時それがどれだけ凄い事か、優秀な搭乗員だったんですね
@@MON_MOSO_MON頭悪そう
@@MON_MOSO_MON軍の判断の話しだったらまだしもこの人を馬鹿にしたらあなたの方がバリしょうもないっす
飛行艇は飛行機の中でも極めて特殊な特性が必要なのに、戦後もその技術を極め、実運用させている新明和工業には敬意を表する。
シベリア抑留から帰って来た爺さんが船の科学館で展示されてた二式大挺を見せに連れていってくれました。今でも写真は大切にしてます。二式大挺を受け継いだUS-2も見ましたが凄くかっこ良かったです。
仕事で新明和工業の方と会う機会があり、一通り仕事の話が終わった後に二式大艇と紫電改の話をしたら喜んでくれたな。
昭和19年5歳の時、横浜根岸飛行場に駐機していた2式大艇を見学、二階建ての構造、緑色の巨大な機体、横腹の大きな日の丸、は衝撃的でした。
10年前鹿児島の二式大艇を見学したが、結構ボロボロだったのを覚えている。貴重な現存機なので屋内展示にして欲しいものである。希望としては機内に入れるようにして欲しい。
貴重な技術遺産。関東に展示されていた当時も屋外展示。鹿屋でも、いまだに屋外展示なんですね(涙)。せめて建物内に展示するべきですね。気候変動で、激しい風雨も増えているのに。破損する前に、しかるべき対策をして欲しいものです。
@@user-sd8pb3bq2k 零戦52型もありましたが、こちらは屋内展示でした。退役した自衛隊機も屋外展示でボロボロ、ここは自衛隊機の墓場か!と思いました。史料館はガラガラ、お土産屋さんもガラガラで、観光地化を目指せとは言いませんが、呉の科学館と比べるとやる気が全然違いますね。
@@user-hs1kj2hj7p そうなんですねぇ。戦争関連の展示物は、日本の場合、一部の歴史ファンやオタクにしか興味を持たれませんからね。海外のミュージアムの様に『歴史文化』として観てもらえないのが現実。国で管理が一番なんですがねぇ。貴重な技術遺産なのに残念です。
九州には各務原や浜松、愛知航空博物館みたいな巨大な建物ないので。
自衛隊の予算も厳しいですし。
鹿屋市も場所が都市部から遠くてアクセスしにくいので中々遠方の人は来ないです。
鹿屋基地の自衛隊祭りはそこそこ盛り上がるのですが。
反対の半島にある知覧特攻平和記念館は屋内に飛燕のレプリカや四式戦闘機、零戦が保管してあります。(屋外に一式戦闘機も置いてある)
知覧の一式戦闘機(隼)は、故石原新太郎さんの映画この為に作られた(木造?)機体ですね。
小学生の頃に、プラモデルで、二式大艇を作りました。子供心には、格好良くて重武装なのとカタログ性能も凄いと感じてました。今改めて見ても、日本の航空機開発技術は素晴らしかったんだなぁと再認識しました。
プラモデル作っていた当時から日本の機体はデザインは秀逸だと思っていました。
松本零士先生の「大艇再び還らず」を読んで、好きになりました。懐かしいなあ。
川西の飛行機ってなんか垢抜けた感じがしてカッコいいんですよね。
海軍航空隊で戦闘機に乗ってたうちの爺さんは、US1を初めて見た時「おっ❢二式大艇だ❕」って思ったそうです。
貴重な話ですね。そ
その雄姿を見ることは、ありませんでしたが想像しています。
知るほどに世界に誇れる優秀機ですね。
終戦直後の二式大艇が並んでる写真見たときはアメリカには負けたけど、凄い工業力を戦前持ってたんだと感動
東京からラバウルまで飛ぶんだから凄すぎ
現代の技術で復活させたい飛行艇ですね。
近所に二式飛行艇の整備をしていた方がいました。
いろいろなお話を聞かせていただきました。
整備した飛行艇がすべて帰ってこなかったこともあったそうです。
敵の制空権を鈍足の飛行艇が飛べばそうなってしまうと分かっているからこそ
これで飛ぶのは言葉にできない覚悟があったと思います。
整備員でしたが移動の際は搭乗したこともあったそうです。
その時に一番後ろの銃座に座らされたので上官に質問をしたそうです。
「何をすればいいのですか」
上官「何を言っているんだ?敵が来たら撃て」
国内移動とはいえ敵戦闘機が普通にやってくるほど戦局が悪化していたので血の気が引いたそうです。
ちなみに敵は現れませんでした。
長い間、カルフォルニアで展示されていた時代に、見に行きました、兵庫県民として誇らしく思う飛行機ですね、
現在 世界一高性能な飛行艇 US-2 のお祖父さんは 当時も世界一性能な飛行艇だったんですね
日本が誇る 最初から100%世界一の 唯一無二の技術 飛行艇をこれからも 造り続けてほしいですね
川西は戦闘機では紫電改、飛行艇では2式大艇と名機を生み出した素晴らしい会社。
大東亜戦争のときの連合艦隊司令長官、山本元帥、古賀元帥がどちらとも飛行機上で帰らぬ人になったのは残念。
もう15年くらい前に鹿児島へ出張した時、帰りに遠回りになってしまうが鹿屋にある海上自衛隊基地にある史料館に寄って見てきました。まぁ~野ざらし展示はどうかなぁと思ったが、第一印象は『やっぱりデカい❕ これが飛んだンだ😲』と感じたのを思い出した。
船の科学館で 現物を見ましたやはりUS 12 YS 11に技術が 生かされていますか 流石。
(培った技術が)いまも広大な日本の海を見守り続けているのです…
この最後の言葉に涙が出てきました。
旧海軍機では一番好きな機体です。
まだ東京の海の科学館わきに展示されていた頃みに行きました。鹿児島へ移されてから野ざらしで状態が悪いという話を聞きますが、すでに船の科学館にあった頃から結構ボロボロだったのを覚えている。「エド・マロニー」氏が1963年にアメリカで疾風を飛行できる状態までレストアしたのに、日本へ返還されると飛行できなくなってしまった話もそうだが、日本は先人の歩みたる戦争遺産に敬意を払わなさすぎる。
アメリカにある飛行可能な零戦も返還運動があるらしいが、勘弁してほしい。
完全に同意です🎉
丁寧にまとめていただき、ありがとうございました
軍の要求をここまで全て達成できたのは凄いな。
歴史にタラレバは禁物かもしれないけど、前線などで無駄にすり潰したりせず現代のAWACSのように長い滞空時間を生かして早期警戒機として使えなかったのかなと思ってしまう。
偵察、哨戒、連絡、運搬、航空部隊の誘導、対潜攻撃、要地爆撃。と多様な任務に運用されましたし、早期警戒任務もしていますが。配備機数の割に、任務が多く。いたずらに消耗した感じがありますね。
やれること多すぎたから消耗するっていう、有能派遣社員的なところあるかも...
使えるレーダーがないので無理
空の戦艦もB-24のカモになった
偵察軽視、蔑視?的な無能軍部。
レーダー研究を蔑ろにした。
基礎工業力が未熟なまま開戦してしまう無能軍部。
各社の天才的技術者も無理矢理を強いられ擂り潰された。
知力体力優秀な若者が 甲士合格者として兵隊に採られてく。
「コーシゴーカーク!」と叫ばれる。乙や丙に評価された者は、採られない。
醤油飲んで急性不健康を起こして兵役逃れってのは聞いたことあるけど、命がけですよね。
祖父は片目を瞑ることができなくて不合格。
「右目を瞑れ」
左目もつられて瞑っちゃう。
「左目を瞑れ」
右目もつられて瞑っちゃう。
「何をしとるかー、バカモーン」と言われたって、できねぇんだからしょうがない。
鹿屋で屋外展示されていますね。 定期的に塗装されているようですが、是非屋内展示して欲しいですね。あとできれば銃座にダミーで構わないので機関銃を設置して欲しいですね。
じいちゃんがヤルートで負傷し療養中、大和と共にニ式を見たと。環礁の端から加速し陸地ギリギリで離水してたと。
鹿屋のニ式を見た翌日自宅前で事故に合い他界しました。
色々戦時中の話を聞きましたが戦友と私以外には してなかったようです。
形見分けで12.7mm弾頭の印鑑を頂き実印として使ってます。
ビール二本で彫ってもらったと。かなりエグい話も聞きました……学校の社会で習った大戦とは違う話も多々。
動画見てたらハセの新金型の2式大艇を作りたくなったよ。なお、鹿屋機と正門前の空き地に野ざらしで展示されてる大艇って何とかならんのかな?たまたま、伺った2回とも降灰が無かったけど、冬の鹿屋のドカ灰は凄いからね。
飛行艇関連の本を数冊読みましたが、私が知っている限りでは日本国内では詫間沖に二式大艇が着水失敗によって大破して沈んでいると思います(搭乗員は全員生存)。その他には淡路島の山に激突した機や美保基地沖の中海で終戦後に処分命令によって銃撃で沈められた機もありましたが、こちらは数年後に業者に引き上げられていったそうです。
確か、ゆりかもめの窓から、船の科学館に展示してあった二式大艇を見たことがあります。遠目からでも結構デカく見えました。
余談ですが、この飛行艇の話に接するたび、松本零士先生の「大艇再び還らず」を思い出します。
二式大艇、保管する場所は、
雨ざらしの野外展示ではなく、簡易式でも良いから
せめて屋根付き施設にして欲しいよ。
戦後アメリカから返還され、しばらく船の科学館に屋外展示されていました。初めてそれを見たときは感動しました。
アメリカから返還されたのもその高性能をリスペクトされたからでしょう。
鹿児島県鹿屋航空基地に実物展示がありますね。
Will make a 1/48 scale of this jewel
松本零士先生の作品にコレがでてきて、トイレがあるって知って驚いた。ただそこで死にたくないっても思ったw
かわぐちかいじ先生の『ジパング』で実際に使うシーンが笑
USー1a、US-2に連綿と続く国産名飛行艇のルーツは、川西航空機(現新明和工業)の開発した、この飛行艇にあったのですね。
アメリカも震撼したという同飛行艇の高スペック。島国という地理的特性が産み出した傑作だったのでしょうか。
動画を拝見してただただ驚くばかりでした。
二式大艇と深山の関係は、ある意味。深山の保険とも言えます。要求された性能は、保々、陸上機である深山と同じです。この両方の四発機に求められた任務は『斬減作戦』です。遥か洋上を進撃してくる米海軍艦隊に先制攻撃を掛けるのか目的でした。その為、航空魚雷二本搭載して雷撃を行う事も可能でした。大型である二式大艇での雷撃は特殊で、直接敵艦隊に突撃するのでなく。対空砲火の被弾を避けるため、魚雷の進行方向を機内から調整が可能な方式になっていました。日本軍用機としては破格の撃たれ強さを持っていた本機でしたが。任務の特性から、単独飛行が多く。偵察、哨戒、人員輸送と重宝されましたが。強力な米軍戦闘機の餌食になり未帰還機も多かったのが真実😢。動画内では、P38を撃退したりB17を撃墜したり、カタリナを撃墜したりと無敵の印象ですが。実際は、二式大艇が撃墜されるケースが多かったのです。撃たれ強く、火力も強力な本機は米軍からは『フライングポキュパイン(ヤマアラシ)』と呼ばれ警戒されていました。ハワイ爆撃では、後一歩の所で歴史を変える大戦果を上げる可能性がありました。アメリカ海軍の暗号解読部隊の有る建物のすぐ近くに投弾していたのです。この爆撃で、暗号解読部隊が壊滅していた場合。後のミッドウェー作戦は日本海軍の勝利になっていた可能性もあったのです。
IN MY HUMBLE OPINION... the most beautiful and important sea plane ever designed....there are a lot of other designs in history but THIS ONE...I love the most...now being an old plastic airplane model builder I can only hope some day a kit company will m
祖父が二式大艇の整備員でした。
台湾の東港に駐在していたと聞きました。
帰国する時、2便に分かれて帰国したといいますが、みんな我先にと一便に乗りたがり、祖父は帰れれば何でもいいから俺は2便でいいやと一便を見送ったところ、一便が海へ墜落。海が一面血の海になり、生き残った仲間たちはなぜか燃え盛る機体に向かって泳いで行ったためみんな亡くなってしまった、という話を聞きました。海軍だったため、みんな泳ぎがうまいのに、なぜそっちへ泳いでしまったのか、、、
祖父が生きているうちにこちらの動画に出会いたかったです。
自分の父親(故人)は子供のころ2式大艇が離水していくところを見たことがあると言っていたなあ。
YS-11は”じゅういち”はなく”いちいち”ね。
近藤家の主は..
戦場ロマン漫画読んで当時幼い私は良き飛行艇だと思いましたが~後に97式飛行艇の光人社発行の本を読んで二式飛行艇テストパイロット評価海兵坂井三郎さんと同期の北出大太少尉はは離水に難あり..隠密行動とかでなくて哨戒や索敵雷撃、表舞台で活躍しましたね、機種により運用は違いますが太平洋沿岸で敗戦後に残留兵を救助出来たのは水上機の活躍があってこそです〜かと😅
私は零式観測機〜❤
これでターボや与圧があれば完璧ですね
個人的意見として、日本の産んだ掛け値なしの傑作機(性能×活躍を考慮して)は、二式飛行艇と一〇〇式司令部偵察機だと思うのだがいかがだろうか。
二式飛行艇は当時世界最高の大型飛行艇だった事は間違いありません。速度、防御力、航続距離。どれを取っても断トツ。ただ、大型飛行艇に依る対艦雷撃という構想は現実的では無く本来の用途に用いられる事はありませんでした。皮肉なのは最初から水陸両用、偵察、救難等の目的で開発されたPBYの方が平凡な性能でありながら大活躍している事。幾ら高性能でも構想が間違っていては活躍出来ない。二式飛行艇はその事も示しているのかもしれませんね。
通称の「二式大艇」て、自分は大昔から "にしきたいてい" で覚えていたけど…この動画の様に「にしきだいてい」と言うのがメジャーなのかな?プラモや資料映像とかだと凄く巨大なイメージだったけど。コミケに初めて行った時に、ゆりかもめの車窓から眼下に二式大艇の実物を初めて見た際には「思ってたよりも小さいな」という印象を受けました。
どちらも正解です。
昭和の終わり頃だったと思います。船の科学館で弟と友人と本機を見ていたら、老紳士が感慨深げに機体を見上げていて、「中には入れないんですね〜。これに乗ってハワイに行ってきました。」 穏やかですが、ハッキリとおっしゃってました。(もちろん個体は違いますよ)
もっと話を聞いておけば良かったと思います。
その方って真珠湾攻撃のあとに行われた、二式大艇によるハワイ攻撃の搭乗員の方では???
@@user-ik9rr7xl3
はい、そうだと思います。
当時私も雲天下の攻撃だった事も知っていましたので、他の人の話や作戦でない事だけは確認しました。
小柄な人でしたが、操縦では無かった様です。
@@user-dj9nc8ge8k さん
貴重な体験ですね。
当時のことは光人社の書籍にも無かったかと思います。
口述著作で構わないので記録残して欲しかったですね。
真珠湾攻撃は知ってるけど真珠湾再攻撃ってのは初めて知って驚き🤯
日本の飛行艇設計製作技術は柾に世界最高レベルの出来で、特に胴体底面形状の離水・滑水性能は他国製を大幅に凌駕しているという事実が本当に素晴らしいの一言。
まさに島国としての日本ならではの「水際性能」と言ったところでしょう。
しかし、「川西航空機」が今の「新明和工業」だったとは驚きの事実でした。納得の高技術レベルが継承されているという訳ですね。
そこまで本気で飛行艇を作っていたのが日本だけともいう。
他の国では飛行艇にそこまで高性能を求められていない。
領土に対して海洋面積デカすぎるからね、日本...。他はどちらかと言えば陸地の方が多いから、水上機より陸上機優先する形にはなっちゃうよねぇ。
後継機とも言えるUS-2は海洋面積が広いオーストラリアとかインドとかでの交渉があったりしたはず
@@plague6291 さん。どんどん輸出すべきでは。輸送機型に、又旅客機型にすれば、四十席は取れるとか。二式大艇から数えて、今のUS2で四代目。川西の血を引き継いで居ます。US2は飛行場も使えますしね。環境にも優しいしね。無理に空港作る必要無いので、離島にはベストかと。US2に医療設備をつければ、此も又離島や海からしか行けない街にお医者さんが来てくれるの由ですね。
価格
新明和が唯一飛行機を作り続けている理由がよくわかりました。装甲薄々のM社や馬力出ないエンジンのN社に作らせるより全然モノがいい。
世界最高の飛行艇でしたが、富士重工業の小池繁夫さん のカレンダーにあった運用部隊の司令官のコメントには、「優秀な機体ではあったが、同規模の陸上機を造るべきだった」と、言われてました。
確かに、カタリナやダックなど、陸上でも運用できる機体の方が使い勝手が良いはずです。こういうカタログデータに出ない性能で差をつけられたのかもしれませんね。
その大型の四発機を陸上で運用するノウハウ、インフラを整備できないのが一番の原因。飛行艇であれば、大型の飛行場の整備が不要となる事が、当時の海軍にとって重要。陸上運用にこだわっていたらば。深山、連山を見て解るとおり。実用化はムリだったでしょうね😌。
そうですね 水上機だったPS-1は 対潜任務から外れたら早々に全機退役したのに 水陸両用のUS-1はUS-2に進化して今後も使われるように。
現代のUS1、US2と比べても遜色が無い。
当時の技術が既に完成形に到達してたんだね。
遜色が無いと言うよりUS-2が二式に似ているような。😊
@@whitepandajp 5発なのと消波構造の追加を考えても全体のフォルムが何と無く。
二式大艇使って戦闘機相手にドッグファイトやってるゲーム実況チャンネル見て大爆笑した記憶がある
アメリカ軍でのコードネームはエミリーとか逮捕しちゃうぞのアニメに出てたな😂
タラレバだけど、山本長官が一式陸攻ではなく二式大艇に乗っていれば...
これ新明和か?
もう完成されてますな。
米軍が永久保存機、として機体を管理していた時は、透明な樹脂で機体を包んで密封して、中に錆止め用のガスを注入して保管していた・・・。
日本に帰ってきたら屋外放置とか、この扱いの差が悲しくなる・・・。
まっ、米軍でも経費削減でスクラップになる予定だったものを日本が引き取って来たと云う現実は有るが、もう少し何とかして欲しい・・・。
風防、機銃座窓もピカピカでしたね、当時は。
少し手を入れれば滑走も出来たとか。
しんめいわの漫画読んで感銘を受けて株買った😂
波しぶき対策は九七式飛行艇の踏襲では?
自衛隊の鹿屋基地で現存する機体を見たことがあります
何とか平和利用の為のUS-3に繋げて欲しいですね‼️🤓
旧日本海軍の技術が時を重ねて戦闘の強さじゃなく、人命救助に特化した現代の救難飛行挺に進化させたことは日本の誇りです。
自衛官だけじゃない。洋上の民間船舶や離島でケガをした方を運ぶ姿は海の救急車。
島国の日本にとって、絶対に絶やしてはいけない技術だと思います。
ジブリのM氏って瑞雲オススメで草。
飛行艇としての諸性能は文句なしに当時世界一
速度、航続距離、操縦性ほぼ全てにおいて
しかし、現実的な目で見ると
いくら努力しようが陸上機には勝てない
しかも生産数が僅か400機ほど(97大艇含む)
米英の飛行艇はその5倍以上は作られている
終戦時には、ほぼ壊滅状態
長距離作戦用にわざわざ専用の給油用潜水艦まで製造
銀河のウルシー特攻作戦には誘導機として先導
新明和は地元宝塚市
哨戒機PS1に続く
救難機US1 US2
世界最高の機体
辛坊治郎がヨットで遭難時命拾いしたのはUS2のおかげ
大和や武蔵を造る予算を何故この飛行艇1,000機分に充当出来なかったんでしょうね?
帝国海軍の航空兵器研究、計画、審査を司る航空本部ができたのが昭和に入ってから。明治33年からある艦政本部が主流派でした。第三次海軍軍備補充計画(通称、マル3)のなかで大和型戦艦の建造が決まり、十三試大型飛行艇より1年早く戦艦大和が、同年に戦艦武蔵が起工しています。(以上、Wiki「二式飛行艇」「海軍航空本部」「(3)計画」「海軍艦政本部」参照)
ハッキリ言って飛行艇を1000機作っても決戦兵器にはなりません。それなら、4発重爆を1000機作る方がましです。
また、大和、武蔵は③計画で昭和12年度からの計画です。と言うことは基礎設計はそれより前で、世界中が大艦巨砲の時代でした。
世界で最も速く航空戦力に力を入れた海軍はアメリカでもイギリスでもドイツでも無く日本ですよ!
だから、真珠湾奇襲やマレー沖海戦での勝利が得られたのです。
当時の世相から戦艦を作らないってのは多分あり得ないとは思いますし、同じ論調で良くある代わりに空母をってのもあり得ないでしょうね
動画でも言ってますが軍縮条約の制限を打破する目的で整備されたのが主戦場で戦える駆逐艦だし、空母だし、この飛行艇だし。どれも苦肉の策だった訳ですから
それを置くとして、結果論で意味が無いんですが戦艦も巡洋艦もそれどころか総排水量まで制限されたら抜け道として使えそうなもの(飛行機)しか無いじゃん?!ってので機動部隊っての生み出したもとで、当時の日本の生産規模を考えたら本当は進んではいけない道だったと言わざるを得ないですね。消耗戦になったら日本に勝ち目無かったし、幾ら高性能な飛行機作ってもそれを十二分に扱えるパイロットが居ない、飛行機がマトモに無ければ空母作っても鉄の棺桶、標的以外の意味が無いと。。
だから海軍は足りない戦力だけで一撃の衝撃力(ハワイ空襲)でアメリカ世論を動かして短期での停戦をって考えた訳ですが、齟齬でだまし討ちになってアメリカ世論が逆の方向(日本許すまじ!)になったし、日本側も思いもしない大戦果を挙げた事で浮ついて驕り高ぶったと・・・
その結果が数百万もの犠牲者ってのもやるせない結果ですけど。
船の科学館見に行きました
自分的には「にしきたいてい」と呼びたい
漫画で読みました。
こんなの飛行機じゃないわ、羽のついたカヌーよ!!(場違い発言MAX)
戦後、カタリナが先導しようとしてあまりの速度差に調整に苦労した話がありますね
羽の付いた戦艦・・・
so long Emily
二式大艇なんとか屋内で展示してくれないかな
現在のUS2のご先祖。
해군의 나라라서 그런지 비행정 제작 노하우는 상당했음.
US2のご先祖様か
水上機だから下からの攻撃には弱いし、艇体に穴が開けば沈んでしまう。
@nagoyashimin569 日本海軍の「月光」が斜め銃を装備してアメリカの「B-29」を攻撃した戦訓、またはその原型になったドイツ空軍の装備がコメ主の頭のなかにあると思うが、動画にもあるとおり、二式飛行艇は機体のあちこちに銃座があって、近づくことすら容易でなかった。一式陸攻(通称、一式ライター)と異なり、狙われやすい主翼内部の燃料タンクの防備がなされていたことも、動画にあるとおり。
@@talentstepyoshi
水上機だから機体下部に機銃座は作れないんですが、だからどうしても機体下部に死角が出来る。それと水上機の性格上必ず水に着水しなきゃいけないから艇体とくにフロートに穴が開いていると・・・。
陸上機でもB-24は不時着すると爆弾個の扉が開いて一気に水没する例もあるんですけどね
@@nagoyashimin569
>水上機だから機体下部に機銃座は作れない
>艇体とくにフロートに穴が開いていると
言いたいことはよくわかりますし、終戦時3機しか残らなかったということは、そのように撃墜され、大破した機体もあったのでしょうね。
今も昔も日本は、水上機大国だからね。
総合的に見れば、PBYカタリナの方が優秀だと思うけど
実機は雨ざらしで錆だらけだけどな
オヤクソクのツッコミw (当時の正式名称)
×日本財団 → 〇日本船舶振興会(モーターボート競争連合会) どすえwʅ(‾◡◝)ʃ
この飛行艇の末裔が、新明和のUS-1やUS-2なんですよね。まぁ、この飛行機の末裔を、かつて敵国だったインドがほしがっているのが、なんとも皮肉な話ですよね😅。しかし、1機だけとはいえど、よく現代まで残ってくれたものです❤。
でも後方で偉い人のエアタクシーとして使われた事が多いですよ。速度で無く搭載量を優先していれば南方への物質を輸送するのに使えましたよ。餓死する人も大幅に少なくて済んだろうね。
速度を落とせばより喰われやすくなるんですが・・・。
日本には本格的な航空博物館が無い。せっかく生き残った機体や自衛隊の退役機も雨ざらし状態。
どこかで、航空博物館設立のクラウドファンディングをしてくれないかなぁ。一万円くらいなら出すんやけど・・・。
ここまで作れたんなら、いっそ艦船作るのあきらめて、スターウォーズみたいに飛行艇メインの母艦を持たないゲリラ戦術の方がまだ有効だったんじゃないかなぁと。
まぁ、そもそも、アメリカと戦端開いたのが間違いだったんだけどもw
もっとも、飛行艇がここまで進化したのは他国がこういう物を求めてなかったのが大きい。アメリカみたいな所が本気で欲しがったら、おそらくこれよりも高性能な機体を作り上げただろうよw
米海軍との艦艇の保有戦力の差を補完する為ですからね。日本海軍の陸攻、飛行艇の役割は、決戦海上に米海軍が到着する前に。支配した島々から出撃して。米海軍を減らすのが任務。それが為に、大航続性能、可能な限りの高速性能(450キロ程度)、そして一撃必殺の魚雷搭載。貧乏海軍が知恵を絞った理想(夢想)なんです。日本海軍は、一大艦隊決戦で勝負を決める『決戦思想』なんです。大国であろうと、決戦で勝利すれば日本に有利な条件で決着可能と考えていました。(山本、米内、井上の三将軍はアメリカの実力を知ってたので戦争反対でしたが)。日本海軍の歪んだ決戦思想が生んだのが。一式陸攻と二式大艇なんです😥
この精神を失った我々日本人…すべてにおいて。悲しい。
鹿屋の野ざらし展示
関係者は当時や未来の日本人に対してあれでええと思ってんのか?
🧑🏻🔬🛩️二式飛行艇(大艇)😢確かに海上自衛隊鹿屋航空基地にて…野晒しですね😱横空(水戦&大艇)〜詫空と転進😰南方の制空or制海権喪失迄、再編転進後も、終戦迄、随分苛酷な任務を……😓今は鬼籍に入った我が父、もう一度、機体を撫でて欲しかったです🤔元詫空・(大艇搭乗)一等整備兵曹でした🙆🏻