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上記説明に登場する人物の補足説明 (聖徳太子以降の人物の説明は意図しない影響や反応が懸念されるために省きます)
龍樹 りゅうじゅ
2世紀に南インドのバラモンの家に生まれた僧。サンスクリット語ではナーガールジュナ。主な著作に大智度論や空の思想を説いた中論があり、中観派の祖とされ、大乗仏教の核心である「空」の思想を理論化し、日本では八宗の祖とされています。
無著(無着) むじゃく むちゃく
生没年不詳。ガンダーラ生まれ。サンスクリット語の読みはアサンガ。当初は空の思想を理解できず自殺まで思いつめましたが、後に空観を体得し、晩年には弟の世親も大乗仏教に転向させたと伝えられています。摂大乗論(しょうだいじょうろん)や顕揚聖教論(けんようしょうぎょうろん)等の著者。
世親(天親) せしん(てんじん)
無著の弟。サンスクリット語ではヴァスバンドゥ。初めは上座部の説一切有部で学び高名をはせましたが、兄の無著の勧めによって大乗仏教に転向。唯識思想を大成し、著書には弁中辺論、唯識三十頌、摂大乗論釈、無量寿経優婆提舎願生偈、阿毘達磨倶舎論他多数があり、後の大乗仏教の大きな潮流となりました。
ウィジャヤバーフ1世
古代スリランカのシンハラ王朝時代の1055年から1110年まで在位していた王。チョーラ朝に侵略されていたセイロン島を奪還し国内を平定。ビルマから仏教教団を逆輸入する等してスリランカの仏教を立て直しました。
パラッカマバーフ1世
1153年から1186年まで在位していたシンハラ王朝の王。上座部仏教を信奉していたマハーヴィハーラ派(大寺派)と、大乗仏教や密教を受容していたアバヤギリヴィハーラ派、ジェータヴァナヴィハーラ派による対立を大寺派に統一し、スリランカ史上最大の英主とされています。
アナガーリカ・ダルマパーラ
イギリスの植民地支配に喘ぐスリランカで仏教の復興を図った先駆者であり建国の父とされている仏教者。正式な得度儀式を受けずに僧衣をまとい、仏教の伝道に力を尽くし、インドにおける仏教再興にも貢献しました。日本にも何度か来日しています。生存は1864年~1933年。自ら名乗った名前アナガーリカは出家者の意、ダルマパーラは法の保護者の意。
安世高 あん せいこう
安息国(パルティア)の太子でしたが、王位を譲って出家し、後漢の桓帝(かんてい)代の148年に当時の都であった洛陽に来朝。34部40巻の部派仏教系の経典を最初に漢訳したとされ、中国における仏教の始まりに大きく貢献しました。生没年は不詳。
支謙 し けん
生没年不詳。中国の在家訳経者で維摩経、無量寿経、仏説義足経(スッタニパータの第4章だけを漢訳した経)等を訳出しました。
竺法護 じく ほうご
239年 - 316年。敦煌に生まれ、約150部300巻の経典を漢訳し、古訳時代の中心人物として中国の仏教普及に大きな功績を残しました。
鳩摩羅什 くまらじゅう
サンスクリット語ではクマーラジーヴァ。350年 - 409年(異説あり)。亀茲国(きじこく、現在の新疆ウイグル自治区)の生まれで、後秦時代に長安に入り、約300巻の仏典を漢訳し、最初の三蔵法師の称号を得ました。玄奘と並んで最も著名な訳経僧の一人。主な訳出経典は坐禅三昧経、仏説阿弥陀経、摩訶般若波羅蜜経、妙法蓮華経、維摩経、大智度論、中論等。402年に女犯破戒し還俗させられました。臨終の直前に「私が訳した経典に間違いが無ければ、焚身後にも舌は焦爛せず」と言い遺し、その通りに舌だけが焼け残ったとされます。
真諦 しんだい
サンスクリット語の名前はパラマールタ。499年 - 569年2月12日。西インドに生まれ、南朝の梁の武帝に招聘されて中国に渡来しました。生涯に翻訳した経論は76部315卷に達したと言われています。主な訳出は摂大乗論、阿毘達磨倶舍釋論、金七十論、大乗起信論等。鳩摩羅什と真諦の訳は旧訳時代に区分されています。
智顗 ちぎ
538年 - 598年1月7日。中国の南北朝時代から隋にかけての僧。天台教学の大成者であり天台宗の開祖。インドやチベット、東南アジア諸国では行われていない教相判釈を積極的に行い、五時八教説や五味相生の譬、化法の四教等で経典に優劣を定め、日本でも最澄や日蓮が法華経を最高の教えとする根拠にしました。
達磨 だるま
サンスクリット語の読みはボーディダルマ。6世紀にインドから中国へ渡った僧侶で禅宗の開祖とされ、日本の禅宗諸派の教義にも大きな影響を及ぼしています。
曇鸞 どんらん
中国南北朝時代の僧で生没年は不詳。中国の浄土教の開祖とされ、世親(天親)の著作「無量寿経優婆提舎願生偈」の註釈書である「無量寿経優婆提舎願生偈註」を記述しました。この論書は後の道綽や善導、日本の源信や法然、親鸞に大きな影響を与えました。
玄奘 げんじょう
602年(異説あり) - 664年3月7日。唐代の中国の訳経僧。鳩摩羅什と共に二大訳聖と呼ぼれています。
629年にインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、多くの経典を翻訳し、法相宗の開祖となりました。インドへの旅を記録した「大唐西域記」や「般若心経」、「大般若経」は日本でも特に有名。
基 き
632年 - 682年12月17日。中国唐代の仏教家。17歳で出家し玄奘三蔵に師事して、中国語の点検をし、法相宗を起しました。主な著作は瑜伽論略纂、百法論疏、因明大疏、妙法蓮華経玄賛、無垢称経疏、大乗法苑義林章など。
法蔵 ほうぞう
644年1月17日 - 712年12月26日。長安の出身で中国華厳宗の第三祖とされています。著書は華厳経探玄記、華厳五教章、華厳経伝記など。
道綽 どうしゃく、どうしゃ
562年 - 645年4月27日85歳で逝去。48歳の時に玄中寺の曇鸞の碑文を見て自力修行の道を捨て、浄土教に帰依し同寺に滞在。出家者に観無量寿経を200回以上講義し、亡くなるまで念仏を日々7万遍称えたと言われています。
善導 ぜんどう
中国浄土教の僧。641年に道綽を訪ねて師事し、観無量寿経などの教えを受け、称名念仏を中心とする浄土思想を確立しました。681年4月7日に69歳にて逝去。善導の観経正宗分散善義の中の「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」の一文から法然が専修念仏を唱道するようになり、親鸞にも多大な影響を与えました。
神秀 じんしゅう
606年 - 706年4月15日。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)の出身。中国禅宗である北宗の開祖。13歳で出家し、武則天に招かれ95歳で上京を果たし、長安・洛陽両京の法主となり、武則天・中宗・睿宗の三帝の国師となりました。
不空 ふくう
705年 - 774年7月28日。インドに生まれ、714年に長安で金剛智に師事して密教を学び、生涯に110部143巻もの密教経典を漢訳しました。
ラン・ダルマ
在位は836年 - 842年。古代チベット吐蕃(とばん)の王。仏教を禁じ、ボン教を復活させ、僧を還俗や殺害、仏像や経典を破壊焼却。842年に宰相によって暗殺されました。
推古天皇
すいこてんのう
欽明天皇の第三女。名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)、諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。
576年に敏達天皇の皇后広姫の薨去により後妻となり、敏達天皇、用明天皇の崩御、崇峻天皇の暗殺死により593年1月15日に皇位につき最初の女性天皇に就きました。甥の厩戸皇子を摂政として国政を行い、594年に仏法興隆の詔を発布。603年に冠位十二階制定、604年に十七条憲法制定、607年に小野妹子を隋に派遣。554年5月21日に誕生、 628年4月15日に75歳で崩御。
聖徳太子 しょうとくたいし
574年2月7日 - 622年4月8日。聖徳太子は後世の尊称ないし諡号。厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)とも。
用明天皇の第二皇子。母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。
592年 豊御食炊屋姫を擁立して皇位につくと、皇太子となり天皇を補佐。四天王寺を建立。
601年 斑鳩宮・斑鳩寺(法隆寺)を造営。
603年 冠位十二階を制定。
604年 十七条憲法を制定。
607年 遣隋使を派遣。
611年 勝鬘経義疏を著作。
613年 維摩経義疏を著作。
615年 法華義疏を著作。
620年 国記、天皇記、臣連伴造国造百八十部并公民等本記を編纂。
こんな有益で貴重な音源を広告もつけずに公開していただけることに、感謝いたします。
本当に‼️
RUclipsありがとう
アップされた方ありがとう
30年くらい前かよくわからないが普段TV観ないんだけどなんかのタイミングでTVを観たらこの先生だった ブッダには興味あったからなんか眠くなるかなとか思いながら観てみたら!ビックリした こんなに楽しくインドを語りブッダを語る人が居るのか、東大の教授なのかぁ東大に行くとこんな人に出会えるのかぁとか思った記憶があります。私は無宗教なんです。でもこの先生のファンなんです。宗教はどちらかと言うとと嫌いなのに、先生の話しは夢中に聴きました。ここで見つけて感動してます。ありがとうございます
高名な先生なのに、一切偉そうな感じがしない。
とても分かりやすく、平易に伝えて頂いている。
中村先生のおかげで仏教がとても身近に感じられる。
ただただ、動画の配信に感謝申し上げます。中村先生の、穏やかで円満なお声のご講義に接する機会を頂いて本当にありがたいです。
この動画を見ることが出来たことに感謝いたします。お話の内容もさることながら、中村先生の誠実で心の籠った話しぶりが心に沁みました。最後に「人類は決して賢くなっていない」と感慨を述べておられますが、私も最近、痛感することしきりです。中村先生の「こころの時代」の「ブッダの人と思想」「仏教の源を語る」を併せて視聴しました。
リピーターでございます。
夜、聞きたくなります。
心がおちつきます。
感謝。
縁あって、この動画に出会いコロナ禍中をとても心静かに過ごす事ができました。繰り返し繰り返し繰り返し拝聴し視聴し、公開に感謝を致しております。
物凄くわかりやすい!
お話がとても上手で、まるでインド、ネパールでシッダールタのいる当時を見てるようです!
インド人は永遠を見つめている、という言葉でハッと気づきました。
釈尊の教えは永遠の幸せへと人々の目を向けさせ導くものであると。
永遠に続かない儚いものを追うのではなくて、永遠に目を向けろと言われている様に感じます。
動画感謝いたします。
60年前高校生のとき倫理の参考書で夏休みに夢中になって中村元の解説を読みました。
毎週基督教会にかよってましたが中村先生の一文字一文字がわたしのからだにしみわたりました。
これは、何年ごろに録音されたものなのですか?日本人独特の、えーとかあーとかの音もなく、アナウンサーとしても、すばらしい。とことん知った人の言葉に、引き込まれます。
中村先生のお話をこうして繰り返し学ぶことが出来る幸せは他に類を知りません。仏陀の悟りはそのスケールにおいても、西洋の哲学を大きく凌ぐと考えます。勿論ソクラテス以降の具体的対策おいて、優れていると感じます。私は信仰は無いですが釈迦の悟りは人類にとって永遠の学びで有り、実践ですね。
このかたは
ブッダそのものである
何度聞いても何かを学ぶ中村先生のご金言です。ありがとうございました。
内容も講義の仕方も素晴らしいです。仏教研究者の第一者たる所以がわかります。感動ものです。
仏陀の事を初めて認識したように思います。先生のトクトクとした語り声の中にその背景と生涯にわたる釈迦の教えを紐解けて有り難く思えた次第です。
最後にこの日本に生まれて情緒的に捉えたものを何とか生かした形で人生に報いたいと思います。ありがとうございました。
マヌ法典によれば、稲作と関連する釈迦族はキラータ(Kirata)と呼ばれた山の民である非アーリア人のようです。稲作と関連する釈迦族は、リグ・ヴェーダによればアーリア人に敵対したイクシュヴァーク王(Iksuvaku=Okkaka 甘蔗王)の後裔だと呼ばれているらしいです。ネパールにおられる生き神のクマリなどは、釈迦族の末裔のようです。私は釈迦族は、地中海型の蒙古人だと考えています。釈迦族は、中部マガダ語などを日常語として話していた?らしいです。山の民と呼ばれた純粋のインド・アーリア人ではない釈迦族は現在のネパール人だと私は思います。ネパールのルンビニーのマヤデビ寺院などと関連する稲作と関連する釈迦族はシナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派などと関連する可能性もあるらしいです。
いつ拝聴しても 中村先生の御話は心にしみますね‼️
素晴らしい ゴータマ・ブッタの生涯をこんなに詳しく説いてくださり有難うございます。感謝しかありません。
仏像の本を読んでいたら、ブッダには三人の息子がいてその中の一人が弟子のラゴラとなっているのだけれど、このような史実は実際にあるのでしょうか。16歳から29歳で出家するまでの暮らしぶりがもっと知りたいです。
中村先生の教えは甘美です。ありがとうございます。
初期仏教における寛容の精神を尊ぶ釈尊の教えはとても心地よく、イエス様の愛の教えと共に、殺伐とした今を生きる人の心を癒し導く素晴らしいものだと聞き入りました。
昔、単行本で読んだ中村先生の原始仏教。
今、こうして動画で貴重な講義が聞けるなんて、本当に良い時代になりました。
願わくば、この動画が必要とする多くの方の元に届きますように!
求めいた内容です、ありがとうございます感謝しています。
素晴らしい内容で感激しております。何回も聴いてみたいと思います。ありがとうございます。
釈尊は本当に人間であったのか?別次元のもっと遥かに高貴な存在から遣わされた方ではないのか?確かに幼少期から気づきに至る経緯は一般のそれと変わりはない。しかし圧倒的に違うのは自身で気づかれた事である。これは人類史上極めて稀な事象であり、奇跡とも言える。で、あるなら、その本質は人間とは異なる存在ではなかろうかと思えてくるのである。
そういったカルト宗教化は仏陀も望んでないだろ😂
人間です
公開に感謝します💛
素晴らしい公演
これぞ仏教の神髄ですね
日本に生まれてよかった
ほんと、ありがとうございます。
動画の配信に感謝します。
中村元先生の語りが聞けてありがたいです。
心が鎮まります。
また、画像に使われている仏像の写真が美しく感動しております✨
すばらしいですね。
中村元さんの本を読み始め、痛く深く学ばせて頂いています。
中村先生‼️
訳書読んでます‼️
素晴らしい動画ばかりをアップされておられるようで、とても感謝しております。存在の根元的な意味を考える機会を与えて頂きありがとうございます。
うれしいです。ありがとうございます。
仏陀を知りたいと 思っていました。
心にしみるものがありました。
今の自分よりもっと成長して 再度お聞きしたいと感じました。
ありがとうございました。
感謝。ありがとうございます。
静かな語り口に魅了された 二時間半でした。有難うございました。
いやいや生きてきたことが腑に落ちました。知足。ありがとうございました。
静かに人類の平和を祈ります。
仏教は東洋の叡智と思います。ただヒンズー教が人口では抜いていて世界で4番目の宗教は残念ですが。
n oritoさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
English subs, by any chance?
Yes. Just ask me.
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Good luck.
I read the translation but some parts are not correct. This is such a profound lecture, I really hate for you to get an incomplete message 😢
かおるん、この動画のUPありがとう。これ是非、聞きたいです‼️
やること沢山、またコメント返信もあるので、聞くのが少しづつになっちゃうかもだけど、興味ある。ありがとう。
ゆきのさん、こんばんは( ❛ᴗ❛ )
私、中村元(はじめ)先生が大好きなんです。他の先生や僧侶の解説だと、ご自分が所属しておられる宗派寄りのお話になって、教祖であるはずのブッダよりも宗祖や宗派の中の偉い人を称えるお話が多くて拒否反応が起きるんですけど、この方ならダイジョウブ。それと伝説になってるブッダではなく歴史上のブッダが説かれた教えがどんなだったのかを知りたくて動画にしました。参考にしていただければうれしいです。
私も歴史上のブッダが説かれた教え知りたいです。ありがとう。
同じですね。お暇な時に解説欄も見てね。ものものすごーく調べてまとめました。ワタシ的にエッヘンなんです(^o^)
了解‼️かおるん、頭いいから、どんな風にまとめているのかも、そっちも、興味ありだ(笑)
ゆっくり時間取れる時にみてみる
えへへ~♪ にゃ~ん(*´∀`*)
偏執の因って起こる由縁を考えよ」と 2:36:48
1:22:33 (2022/12/12 メモ)
善を求めて出家した釈尊は、自らに課した厳しい修行を通じて、
古よりの儀礼に従い祀ることが善であったが、必ずしもそうする必要はないのであって、
ほんとうの人間として自己を確立することが善であることを確信した
ゴータマ・ブッダという言い方に違和感があります。名前がゴータマ・シッダールタで、悟りを開いてブッダになったと聞いたのですが違うのでしょうか?
中村先生は仏陀になられたゴータマ・シッダルタについて語られているので、ゴータマ・ブッダで問題ないです。
ブッダ、というのは普通名詞で「悟った者(知る(ブドゥ)の過去分詞形)」ですね。したがって、往時のインドには「ブッダ」がたくさん居たのです。
learn ( 学ぶ)の過去分詞形 the learned が、学者を表すようなものでしょうか。
ちなみに、ジャイナ教の経典では、サーリプッタが「ブッダ」と見做されていたとか。
そこで、幾多のブッダの中でも、特にゴータマ・シッダールタを表すのに、そのままの呼び名では不都合なので、わざわざ「ゴータマ・シッダールタ=ブッダ」すなわち「ゴータマ・ブッダ」と呼んでいるのでしょう。
釈迦(牟尼)でも世尊でもいいわけですが、今の時代、やや「抹香臭くなる」のも事実。
そこで、中村博士の好みとして、この名称を使っているのではないでしょうか。