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そういう点では稲作も怪しいらしいでね。半島に遺跡が見つからないことと水田が乾燥した陸地を経由するには違和感が生じるということらしいですね。
当時の九州と四国に日本米があり稲作文化があったそうです半島は寒冷地で稲作文化があったとは到底思えませんまた「大陸から稲作文化が」というのも日本の米と大陸の米のDNAが違うそうです「ベトナムから」という説もあるようですが こちらも米のDNAが違ったそうです
DNA分析では、日本の米が原種で、中国朝鮮は亜種
稲作が朝鮮半島経由なら緯度を鑑みれば稲作は北海道以北からやってきたと同じになります。賢いハズの学者が考える事は良く分かりません。(笑)
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
@@rosemary50650 様 4年後の改訂版では完全にその記述は抹消されている気がします。そうか~朝鮮半島の5000年の空白はこれで説明できるというわけですね。(笑)
昔、学校では半島からいろいろな物が伝わったり、渡来人によって古代日本が発展したと教わった。ただ、最近はゲノム研究が進んで、その定説が覆りつつある。日本人の先祖である縄文人が半島に渡り、そこで大陸の民族と同化してできたのが今のK国人というのは驚いた。
有り得ません
早く教科書に反映してほしい。
日本学術会議😈
反映出来ないね
半島が、今 以上に工作活動を活発化させ妨害工作をするだろうな野党勢・在・マスゴミ も大騒ぎするだろう
そもそも根拠も曖昧で半島由来と言われてたのがなぜなんだろ?
太古の航海術と文化・技術伝播に対する研究が進んでない時代に採用された説。あと、一部教育界隈で大陸・半島文化を礼賛する左派的傾向が終戦後に濃かった。華北・半島経由ではなく長江流域から水稲栽培が伝わった説が最近注目されている。気候や海流を無視して地図だけ眺めている無能学者がいるから、一番近いところから伝わったという短絡的な認知バイアスが起きる。
「古代朝鮮半島関連の中国文献」の記事における「隋書」の解説倭国傳新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
そんな事ありません百済王室と倭王室は一家ですからね
「たたら」がタタール族に由来する遍歴語ならば、伝わった経路で考えると中央アジアや東アジアで「鉄」に関するtatarに近い発声をする言葉の痕跡が見つかるはず痕跡が無いならば「名前」と「name」のように偶然の一致の可能性が高い
インド・ヨーロッパ語族だと、英語でnameがサンスクリット語でナーモになる。同じ語源だけどナーモにはその名前に帰依しますという意味に変わっている。計り知れないが英語でun meter アンメーターがサンスクリット語ではア ミダになる。だから南無阿弥陀仏を英語でName un meter Bdda. と表現できると聞いて感動しました。
21世紀に入ってからの発掘調査などで、日本の稲作の始まりは縄文前期(約6000年前)にまで遡るとされています。岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が大量に見つかり18日、灘崎町教育委員会が発表した。この時期のプラントオパールが大量に見つかるのは全国初という。イネの栽培をうかがわせ、これまで栽培が始まったとされている縄文時代後期(約4000年前)をはるかにさかのぼる可能性がある。縄文時代の農耕開始をめぐる議論に一石を投じそうだ。 四国新聞 2005年さらに、鹿児島県の遺跡調査では12000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラントオパールが検出されています。「九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告) 」
キムチはそんな古いもんではない。古くは漬け物はカブだった。トウガラシは古くから北九州の漁民が食べていた。山東白菜が大日本帝国に明治時代にもたらされ、品種改良によって巨大な白菜が作られた。
唐辛子は中南米原産で、コロンブスによって梅毒スピロヘータとともに欧州に持ち帰られ、その後の大航海時代にポルトガル人によって東南アジア経由で日本に伝来したとされています。 「唐(とう、から)」という文字は唐辛子の別名である「南蛮」と同様、当時の日本人にとって「海外」を意味します。その後豊臣秀吉の朝鮮出兵時に防寒対策として唐辛子が用いられ、朝鮮半島に伝わりました。
なんでも起源説の国の人火病 発狂するのだ
文字も持たなかった日本人が、何でも自分でできたとは思えないけどな。
@@user-io4ni5jn3cソースあります?
火病発動www@@user-io4ni5jn3c
@@user-io4ni5jn3cまるでアイヌが何もできなかったかのような意味不明なことを言うな
むしろ半島渡来説を流布したのはそっち方面の在日さんな気がする(-_-;)
いつもありがとうございます。可愛いアニメのキャラクターと可愛らしい声で、とても聞きやすいです。いろいろと工夫されていますね。感心しました。ところで、歴史とは、新しい遺跡を発見することによって、今まで、わからなかったことが次々とわかって歴史が変わってくるんですね。とても、面白いし参考になりました。ありがとうございました。
流石に鉄哲徹鐵は出てこなかったなw
このシリーズはずんだもんがかわいいのですき
学校教育のいい加減さは、教科書に「鎌倉時代になって鉄製農具が普及し」とあるのに、弥生時代の挿絵の人が鉄製の鍬を担いでいたり。弥生時代になると大陸から稲作とともに鉄製の農具も伝わり...まあ、思いっきり間違いだろうね。伝わったのは土木技術じゃないかな。縄文期の稲作は低湿地や池、沼など水が溜まっているところに土を放り込む形で水田を作ったんじゃないか。田に水を引くというような水路技術は相当に難しい。田下駄や田舟が遺構から見つかるということや、唐古遺跡が唐古池の底から出土したことなどを考えれば想像できるんじゃないか。奈良時代、鉄製の農具(と言っても木製の鍬の先だけ鉄をはめたもの)は極めて貴重で、貴族は厳重に管理していて、朝に貸し出し、夕べに返還させていた。農民が所持できるものではなかった。そして鎌倉期。この直前から日本刀の名刀が頻出している。そして鉄製農具の普及。いったい何があった?考えられるのは奥州藤原氏。そして南部鉄。出雲の方言と共通する東北地方の方言。私は製鉄はタタールから北海道経由で東北で発展したと推測しているんだが。その一族がさらに南下して出雲で製鉄を始めたのじゃないのかな。新羅建国の伝説に、最初の王は東方の海を渡って来た人に助けられて建国し、王は王位を譲ろうとしたが、その人はかたくなに断り、人々に鉄の作り方を授けたという。(韓国はこの話を後世につくられた捏造の建国神話としている)新羅から東方の海を渡るとつくのは出雲であり、この地だけ一か所から莫大な量の銅剣銅鐸が出土している(荒神・加茂岩倉遺跡)。こういう所はほかにない。古代史はこれからも新しい発見が出てくるようだから、楽しみだ。
中国の稲作の遺跡を年代別に並べていくと山東半島南までは順調に伝播しているのですがそこから北へは日本への伝播後に北上しています。これは当時の稲の生育温度が高い為、突然変異がおきて寒さに強い品種が発生するまで伝播しなかったと考えるのが正しいです。
お隣りさんの数少ないアイデンティティ(ただの経由地)を壊さないであげてっww
祟りもタタール由来なのかな🥺
南蛮渡来の唐辛子も南蛮経由でもたらしたもので、それを朝鮮使節が日本の政治行政軍事のトップに何か寄越せというから豊臣秀吉、はてや、江戸幕府の将軍にまで言っていたのだから。この動画は真実に値します。
縄文中期、三内丸山遺跡のころには日本海をめぐる大陸との交易路があったことがわかっています。この交易を担った人々の子孫が出雲族で、交易を通じて手に入れた鉄の技術を伝えたというのがもっとも有力と思います。
古代史はマウント思考のお隣さんの心の拠り所だから下手に突っつくと後が面倒な事になるからなぁ……逆にお隣さんの自尊心が満たされる内容であるならば慎重性は皆無でOK飛ばしでメディアで報じようが、教育機関で喧伝しようが何でもアリ状態だけど
自尊心❌虚栄心⭕
ヒッタイト以前にすでに製鉄が行われていた証拠が見つかっています!ですのでヒッタイトが製鉄を発明したのは間違い!!製鉄に使われる?木材では製鉄に必要な温度になりません!製鉄には木炭が必要です!!木炭はどこで発明されたでしょう?世界最古の木炭は日本で見つかっています! さて
蛇行剣の発見が証明してる。
本来なら徐々に段階を踏んでバージョンアップしていくはずの近代技術を発展途上国が飛び級のように導入して一気に近代化する様をリープフロッグというけれど、古代日本でもそれと似たようなことが起こっていたのかもしれないのだな。
稲作も朝鮮半島ではなく東南アジアからダイレクトに来たのではないかと言う説が来たしね。後は鉄も沿海州から直で日本に来たかもね
考古学だから後から歴史が覆ることもあるのは当然だけどこの国の場合、発見された遺跡をスルーしたり神話で書いてあることでもスルーするきらいがあるよね単純に頭が硬いのもあるだろうけど、そうでなければいけない何かがあるのかね
隕鉄は塩素飛ばさないといけないのも有るのと、今、狩猟で鍛造ナイフ作ってる人が、青銅ナイフを造っている(復元してたら偶然強いのが出来た)のがあって、寒い時でも脆さが出ない、って利点が有るから、どっちが早いかはわからんけど、鉄が早くても、青銅器も案外広まるだろうしね。
飛んでスイマセンタタール人のことが鑪だったりして(これなら納得できます)。
日本刀の歴史も変わるかもしれませんね!
稲作にしろ鉄にしろ、興味深いし考古学的にそれが正しいとして、それなら今まで散々聞かされてきたストーリー「大陸から技術と文化...」をどう納得のいく話に書き換えるか。そこまで示さないと覆らないでしょうね。あと稲作も鉄も朝鮮半島出身の渡来人がもたらしたものでないとするなら、なんのありがたみもない外国人ということになるが、それならなぜ、渡来人が大和朝廷下において重用され、後の有力豪族になったり、高い身分の貴族皇族と婚姻し、姻戚関係になっていったかがわからなくなる。
ダダの嫌韓チャンネルです、気にしない方が精神健康にいいです、軽く観てね
熊の名前に注目すると、熊本、熊野(大分県杵築)熊野(島根県杵築出雲)熊野(和歌山県、三重県)熊野(関東地方)と順に移動または広がっていく様がうかがわれます。かつて熊本には鉄の王国があったのではないでしょうか。須佐之男命はカムロキクマノオオカミクシミケヌのミコトです。須佐之男命と熊野は繋がっているように思います。
最大の少数民族というパワーワード
出雲口伝が次第に裏付けがなされていきますね。磁鉄鉱が無かったために砂鉄からの製鉄が、とにかく早くから行われていたとされています。
出雲国は新羅人天之日矛が作った国です
@@rosemary50650 さま良く分からない話ですが、記紀では渡来して出雲に住まわせてもらおうと思ったら追い出されてますよね?ヒボコは。
@@110nari8 神武との戦いで負け、追い出されました、で神武が天皇になりました
@@110nari8 スサノオが天之日矛です
@@rosemary50650 さま記紀にはスサノオとヒボコは別の時代に書かれています。垂仁期であれば少なくとも3世紀。スサノオは神代なので記紀上は紀元前600。出雲口伝でも前300で、ヒボコの渡来は春秋暦で考えても後100年くらいになり、次代が合いません。統一新羅は基本的に4世紀。三国史記においても前57年。ヒボコはどう考えても辰韓時代の人物ですが、それでもスサノオとは時代が全く合いません。
Hytiteヒッタイト→Hydroと語源が同じかな?水素をフイゴで送り込むと鉄鉱石が溶けやすくなる?
近隣諸国条項はどうなった二力?
ヒッタイト→秦→秦氏→長宗我部と云う説もあるのだ❤
鉄は、朝鮮半島を経由しないで、沿海州から直接伝わってきたのでは?
いや伽耶からきたのが定説です
@@rosemary50650 その伽耶が日本だった。
@@raiun_1 伽耶は韓国人の祖先、伽耶が日本だったら日本人と韓国人は同族になります
@@rosemary50650 遺伝子的に違うね、顔付きが日本人と韓国人とでは違うし。例えれば、日韓併合で朝鮮は日本だったけど、当時の朝鮮人は日本民族ではありませんね。
本当は常に通り道
タタール人がそのまま「せや、日本に行くぞ!」と中華も朝鮮半島も無視してやって来たならおんなじ鉄製品が出てきたんだよね?
半島方面からの批判が高まりそうで草
海の向こうから渡ってきた人を渡来人と定義するならタタール人だったとしても広義の意味で渡来人じゃないのか?
それを言うなら石器人も大陸から来たから渡来人でない者は一人もいないよ。
そもそも昔の日本は大陸と地続きだし。
愛護ー!
ヒッタイト人は縄文人。
ヒッタイトの鉄器はホントチート
古鉄鉄男w
鉄の起源は宗像教授に聞くといい・・・・・(^^)/
韓国海苔もだね
そういう点では稲作も怪しいらしいでね。
半島に遺跡が見つからないことと水田が乾燥した陸地を経由するには違和感が生じるということらしいですね。
当時の九州と四国に日本米があり稲作文化があったそうです
半島は寒冷地で稲作文化があったとは到底思えません
また「大陸から稲作文化が」というのも日本の米と大陸の米のDNAが違うそうです
「ベトナムから」という説もあるようですが こちらも米のDNAが違ったそうです
DNA分析では、日本の米が原種で、中国朝鮮は亜種
稲作が朝鮮半島経由なら緯度を鑑みれば稲作は北海道以北からやってきたと同じになります。賢いハズの学者が考える事は良く分かりません。(笑)
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。
4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。
考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。
韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。
この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。
炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。
稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。
小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
@@rosemary50650 様 4年後の改訂版では完全にその記述は抹消されている気がします。そうか~朝鮮半島の5000年の空白はこれで説明できるというわけですね。(笑)
昔、学校では半島からいろいろな物が伝わったり、渡来人によって古代日本が発展したと教わった。
ただ、最近はゲノム研究が進んで、その定説が覆りつつある。
日本人の先祖である縄文人が半島に渡り、そこで大陸の民族と同化してできたのが今のK国人というのは驚いた。
有り得ません
早く教科書に反映してほしい。
日本学術会議😈
反映出来ないね
半島が、今 以上に工作活動を活発化させ妨害工作をするだろうな
野党勢・在・マスゴミ も大騒ぎするだろう
そもそも根拠も曖昧で半島由来と言われてたのがなぜなんだろ?
太古の航海術と文化・技術伝播に対する研究が進んでない時代に採用された説。あと、一部教育界隈で大陸・半島文化を礼賛する左派的傾向が終戦後に濃かった。
華北・半島経由ではなく長江流域から水稲栽培が伝わった説が最近注目されている。気候や海流を無視して地図だけ眺めている無能学者がいるから、一番近いところから伝わったという短絡的な認知バイアスが起きる。
「古代朝鮮半島関連の中国文献」の記事における「隋書」の解説
倭国傳新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。
(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、
ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
そんな事ありません百済王室と倭王室は一家ですからね
「たたら」がタタール族に由来する遍歴語ならば、伝わった経路で考えると中央アジアや東アジアで「鉄」に関するtatarに近い発声をする言葉の痕跡が見つかるはず
痕跡が無いならば「名前」と「name」のように偶然の一致の可能性が高い
インド・ヨーロッパ語族だと、英語でnameがサンスクリット語でナーモになる。同じ語源だけどナーモにはその名前に帰依しますという意味に変わっている。
計り知れないが英語でun meter アンメーターがサンスクリット語ではア ミダになる。だから南無阿弥陀仏を英語でName un meter Bdda. と表現できると聞いて感動しました。
21世紀に入ってからの発掘調査などで、日本の稲作の始まりは縄文前期(約6000年前)にまで遡るとされています。
岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が大量に見つかり18日、灘崎町教育委員会が発表した。この時期のプラントオパールが大量に見つかるのは全国初という。イネの栽培をうかがわせ、これまで栽培が始まったとされている縄文時代後期(約4000年前)をはるかにさかのぼる可能性がある。縄文時代の農耕開始をめぐる議論に一石を投じそうだ。 四国新聞 2005年
さらに、鹿児島県の遺跡調査では12000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラントオパールが検出されています。
「九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告) 」
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。
4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。
考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。
韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。
この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。
炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。
稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。
小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
キムチはそんな古いもんではない。古くは漬け物はカブだった。トウガラシは古くから北九州の漁民が食べていた。山東白菜が大日本帝国に明治時代にもたらされ、品種改良によって巨大な白菜が作られた。
唐辛子は中南米原産で、コロンブスによって梅毒スピロヘータとともに欧州に持ち帰られ、その後の大航海時代にポルトガル人によって東南アジア経由で日本に伝来したとされています。 「唐(とう、から)」という文字は唐辛子の別名である「南蛮」と同様、当時の日本人にとって「海外」を意味します。
その後豊臣秀吉の朝鮮出兵時に防寒対策として唐辛子が用いられ、朝鮮半島に伝わりました。
なんでも起源説の国の人火病 発狂するのだ
文字も持たなかった日本人が、何でも自分でできたとは思えないけどな。
@@user-io4ni5jn3cソースあります?
火病発動www@@user-io4ni5jn3c
@@user-io4ni5jn3cまるでアイヌが何もできなかったかのような意味不明なことを言うな
むしろ半島渡来説を流布したのはそっち方面の在日さんな気がする(-_-;)
いつもありがとうございます。可愛いアニメのキャラクターと可愛らしい声で、とても聞きやすいです。いろいろと工夫されていますね。感心しました。ところで、歴史とは、新しい遺跡を発見することによって、今まで、わからなかったことが次々とわかって歴史が変わってくるんですね。とても、面白いし参考になりました。ありがとうございました。
流石に鉄哲徹鐵は出てこなかったなw
このシリーズはずんだもんがかわいいのですき
学校教育のいい加減さは、教科書に「鎌倉時代になって鉄製農具が普及し」とあるのに、弥生時代の挿絵の人が鉄製の鍬を担いでいたり。
弥生時代になると大陸から稲作とともに鉄製の農具も伝わり...まあ、思いっきり間違いだろうね。
伝わったのは土木技術じゃないかな。縄文期の稲作は低湿地や池、沼など水が溜まっているところに土を放り込む形で水田を作ったんじゃないか。田に水を引くというような水路技術は相当に難しい。田下駄や田舟が遺構から見つかるということや、唐古遺跡が唐古池の底から出土したことなどを考えれば想像できるんじゃないか。奈良時代、鉄製の農具(と言っても木製の鍬の先だけ鉄をはめたもの)は極めて貴重で、貴族は厳重に管理していて、朝に貸し出し、夕べに返還させていた。農民が所持できるものではなかった。そして鎌倉期。この直前から日本刀の名刀が頻出している。そして鉄製農具の普及。いったい何があった?考えられるのは奥州藤原氏。そして南部鉄。出雲の方言と共通する東北地方の方言。私は製鉄はタタールから北海道経由で東北で発展したと推測しているんだが。その一族がさらに南下して出雲で製鉄を始めたのじゃないのかな。新羅建国の伝説に、最初の王は東方の海を渡って来た人に助けられて建国し、王は王位を譲ろうとしたが、その人はかたくなに断り、人々に鉄の作り方を授けたという。(韓国はこの話を後世につくられた捏造の建国神話としている)新羅から東方の海を渡るとつくのは出雲であり、この地だけ一か所から莫大な量の銅剣銅鐸が出土している(荒神・加茂岩倉遺跡)。こういう所はほかにない。古代史はこれからも新しい発見が出てくるようだから、楽しみだ。
中国の稲作の遺跡を年代別に並べていくと山東半島南までは順調に伝播しているのですが
そこから北へは日本への伝播後に北上しています。
これは当時の稲の生育温度が高い為、突然変異がおきて寒さに強い品種が発生するまで伝播しなかったと
考えるのが正しいです。
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。
4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。
考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。
韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。
この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。
炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。
稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。
小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
お隣りさんの数少ないアイデンティティ(ただの経由地)を壊さないであげてっww
祟りもタタール由来なのかな🥺
南蛮渡来の唐辛子も南蛮経由でもたらしたもので、それを朝鮮使節が日本の政治行政軍事のトップに何か寄越せというから豊臣秀吉、はてや、江戸幕府の将軍にまで言っていたのだから。この動画は真実に値します。
縄文中期、三内丸山遺跡のころには日本海をめぐる大陸との交易路があったことがわかっています。この交易を担った人々の子孫が出雲族で、交易を通じて手に入れた鉄の技術を伝えたというのがもっとも有力と思います。
古代史はマウント思考のお隣さんの心の拠り所だから
下手に突っつくと後が面倒な事になるからなぁ……
逆にお隣さんの自尊心が満たされる内容であるならば慎重性は皆無でOK
飛ばしでメディアで報じようが、教育機関で喧伝しようが何でもアリ状態だけど
自尊心❌
虚栄心⭕
ヒッタイト以前にすでに製鉄が行われていた証拠が見つかっています!ですのでヒッタイトが製鉄を発明したのは間違い!!
製鉄に使われる?木材では製鉄に必要な温度になりません!製鉄には木炭が必要です!!木炭はどこで発明されたでしょう?
世界最古の木炭は日本で見つかっています! さて
蛇行剣の発見が証明してる。
本来なら徐々に段階を踏んでバージョンアップしていくはずの近代技術を発展途上国が飛び級のように導入して一気に近代化する様をリープフロッグというけれど、古代日本でもそれと似たようなことが起こっていたのかもしれないのだな。
稲作も朝鮮半島ではなく東南アジアからダイレクトに来たのではないかと言う説が来たしね。後は鉄も沿海州から直で日本に来たかもね
考古学だから後から歴史が覆ることもあるのは当然だけど
この国の場合、発見された遺跡をスルーしたり神話で書いてあることでもスルーするきらいがあるよね
単純に頭が硬いのもあるだろうけど、そうでなければいけない何かがあるのかね
隕鉄は塩素飛ばさないといけないのも有るのと、今、狩猟で鍛造ナイフ作ってる人が、青銅ナイフを造っている(復元してたら偶然強いのが出来た)のがあって、寒い時でも脆さが出ない、って利点が有るから、どっちが早いかはわからんけど、鉄が早くても、青銅器も案外広まるだろうしね。
飛んでスイマセンタタール人のことが鑪だったりして(これなら納得できます)。
日本刀の歴史も変わるかもしれませんね!
稲作にしろ鉄にしろ、興味深いし考古学的にそれが正しいとして、
それなら今まで散々聞かされてきたストーリー「大陸から技術と文化...」をどう納得のいく話に書き換えるか。そこまで示さないと覆らないでしょうね。
あと稲作も鉄も朝鮮半島出身の渡来人がもたらしたものでないとするなら、なんのありがたみもない外国人ということになるが、それならなぜ、渡来人が大和朝廷下において重用され、後の有力豪族になったり、高い身分の貴族皇族と婚姻し、姻戚関係になっていったかがわからなくなる。
ダダの嫌韓チャンネルです、気にしない方が精神健康にいいです、軽く観てね
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。
4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。
考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。
韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。
この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。
炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。
稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。
小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
世界的な考古学概論書「現代考古学の理解(Archaeology)」に、韓国が米の起源地として明示されていて、注目を集めている。
4年ごとに改訂版が発刊されているこの本は、2004年以前には、BC9000年頃の中国湖南省で出土した種籾を米の起源として記述したが、最新版では米の起源地を韓国とし、年代はBC1万3000年に変えた。
考古学者「コリン・レンフリュ」と「ポール・バン」が共同執筆したこの本は、2016年7版まで出版された。
韓国内では「現代考古学の理解」という名前で翻訳出版され、世界で最も売れている考古学入門書として知られている。
この本が、「米の起源」に言及したのは、清州(チョンジュ)清原(チョンウォン)郡小魯里(ソロリ)の種籾で、忠清北道(チュンチョンプクト)梧倉(オチャン)科学産業団地の工事現場で、1998年と2001年10月2回の発掘調査によって発見された。
炭素年代測定の結果、1万3000~1万5000年前の種籾に認められ、学界で最も古い種籾として公認を受けた。
稲の起源と進化の研究、氷河期後期の気候と植生を研究するための重要な遺跡として評価される。
小魯里(ソロリ)種もみは2003年10月、英国BBCが「中国湖南省出土の種籾より約4000年上回る」と紹介し、2004年1月にフランス・パリで開催された世界遺産会議で、世界文化遺産としての登録の価値が十分にあるという意見も出た。
熊の名前に注目すると、熊本、熊野(大分県杵築)熊野(島根県杵築出雲)熊野(和歌山県、三重県)熊野(関東地方)と順に移動または広がっていく様がうかがわれます。かつて熊本には鉄の王国があったのではないでしょうか。須佐之男命はカムロキクマノオオカミクシミケヌのミコトです。須佐之男命と熊野は繋がっているように思います。
最大の少数民族というパワーワード
出雲口伝が次第に裏付けがなされていきますね。磁鉄鉱が無かったために砂鉄からの製鉄が、とにかく早くから行われていたとされています。
出雲国は新羅人天之日矛が作った国です
@@rosemary50650 さま
良く分からない話ですが、記紀では渡来して出雲に住まわせてもらおうと思ったら追い出されてますよね?ヒボコは。
@@110nari8 神武との戦いで負け、追い出されました、で神武が天皇になりました
@@110nari8 スサノオが天之日矛です
@@rosemary50650 さま
記紀にはスサノオとヒボコは別の時代に書かれています。
垂仁期であれば少なくとも3世紀。スサノオは神代なので記紀上は紀元前600。出雲口伝でも前300で、ヒボコの渡来は春秋暦で考えても後100年くらいになり、次代が合いません。
統一新羅は基本的に4世紀。三国史記においても前57年。ヒボコはどう考えても辰韓時代の人物ですが、それでもスサノオとは時代が全く合いません。
Hytiteヒッタイト→Hydroと語源が同じかな?水素をフイゴで送り込むと鉄鉱石が溶けやすくなる?
近隣諸国条項はどうなった二力?
ヒッタイト→秦→秦氏→長宗我部と云う説もあるのだ❤
鉄は、朝鮮半島を経由しないで、沿海州から直接伝わってきたのでは?
いや伽耶からきたのが定説です
@@rosemary50650 その伽耶が日本だった。
@@raiun_1 伽耶は韓国人の祖先、伽耶が日本だったら日本人と韓国人は同族になります
@@rosemary50650
遺伝子的に違うね、顔付きが日本人と韓国人とでは違うし。
例えれば、日韓併合で朝鮮は日本だったけど、当時の朝鮮人は日本民族ではありませんね。
本当は常に通り道
タタール人がそのまま「せや、日本に行くぞ!」と中華も朝鮮半島も無視してやって来たならおんなじ鉄製品が出てきたんだよね?
半島方面からの批判が高まりそうで草
海の向こうから渡ってきた人を渡来人と定義するならタタール人だったとしても広義の意味で渡来人じゃないのか?
それを言うなら石器人も大陸から来たから渡来人でない者は一人もいないよ。
そもそも昔の日本は大陸と地続きだし。
愛護ー!
ヒッタイト人は縄文人。
ヒッタイトの鉄器はホントチート
古鉄鉄男w
鉄の起源は宗像教授に聞くといい・・・・・(^^)/
韓国海苔もだね