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戦国時代の分かりやすい解説動画は、他にもたくさんあるんだけど基本的に一つの動画内では一人の武将や一つの地域に絞った構成だから全体的に同時代の流れを説明してくれる動画は見たことがないので助かる。
はっきりしていない部分は、ドラマなどでは独自解釈で表現することがあり誤解の原因になったりするが、このチャンネルでは「よくわかっていない」と明確に伝えているので、はっきりしていないことが把握でき好感が持てる。
そのおかげで数々のドラマが作れるし楽しめる
この時代は楽しそう。いまも千葉、神奈川連合軍が東京に侵攻とかあればスリリングで面白いのにな😂
いわゆる「戦国時代」の流れを時系列に大まかに掴むのに適している素晴らしい動画ですね。作成ありがとうございました。
おかげで信長の野望がより楽しめそうです!ありがとうございます!
動画見た後創造pkつけましたw
時系列、視覚的にも非常によくわかりやすくてすごく勉強になりました。改めて歴史の面白さを感じました。
勢力図を示しながら全体の流れを通しで説明してくれると所々しか把握してなかった戦国時代が一つに繋がって面白い
中国大返しは元々街道を信長のために整備していたし、不可能ではなかったと思う。賤ヶ岳の美濃大返しの方がやばすぎる。
夜間は隣接する村々に松明を命じるなど24時間対応にして武将は褌一つで槍だけ担いで只管走ったという。後を「甲着(かぶとぎ)」なる足軽が鎧兜を着用の上必死に走った。
魔理沙の素人的感想が本当に的確、かつうまい具合に合いの手になっていて引き込まれます。
旦那は南近江の出身なんですが、叡山の末寺だった菩提寺が信長の攻撃で焼き払われて檀家台帳が焼失、家の歴史が解らなくなったと言ってますなのである程度大規模であったようですね
6:12中国地方の説明なので省かれたのかもしれませんが天文年間の大内氏は筑前豊前を分国とし、更に肥前にまで影響力を持っていましたね
山崎の戦いの明智側の布陣が奇妙奇天烈なんだよな。明智光秀もいろんなことが想定外でまとな判断ができなくなっていた。明智光秀が天王山で待ち構えていたら、秀吉側もかなり危うかった。
油座の禁制を律儀に守りすぎた事もあるようですね。それと互いに柴田勝家を意識にいれながら、短期決戦に持ち込みたい両軍であるのもこうした状況が作られた要因でしょうね。
光秀は短期決戦を狙ってたんじゃないですかね?山崎に布陣して、秀吉軍を待ち構えた場合、秀吉がそんなところに攻撃するなんて考えられず、秀吉は北摂津を拠点に長期戦を採用するでしょう。長期戦になれば、権力基盤が不安定な光秀は、どうしても補給・補充面で不利になる上、北陸方面の勝家や東海方面の信雄・一益・家康からの攻撃に対応せざるを得なくなるでしょうから、光秀は長期化だけは何がなんでも避けたかったと思います。長期化回避のためも、あえて防衛ラインを防御力の高い大山崎から、防御力が微妙な円明寺川まで後退させ、秀吉軍主力を円滑に展開させる様に動いた。と、私は妄想しております。
尼子氏の3万動員はなかなかにエグいな。
地図を観ながらだと、とても話が解りやすく面白いですね。応援してます!👍
すごく面白かったです!!歴史の流れは知ってるけど勢力図の推移が可視化されることで臨場感ありました!中学の教科書の代わりにこの動画を見せたい笑
そう思います。😊
覇を極め、将もたった一度の背後からの一突きで転落してしまう恐ろしさ。
まとめ方が良い塩梅で頭の整理になりました。
内容は分かりやすくて良かったです!ただ、扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)ですので、みなさんお気をつけて
戦国時代すげぇ…親父が夢中になるわけだ
扇ガ谷上杉 ←おうぎがやつえうすぎ と読むはず
「扇谷」のよみかたって「おうぎがやつ」じゃありませんでした?
扇谷 おおぎがやつ とよみます。村上水軍は 伊予の 越智 河野氏=伊予水軍=来島水軍の一支族です。分家に伊予北条氏がいますし、遡ると物部氏が先祖朝鮮出兵では鳴門海峡のような鳴梁海戦(李舜臣が大将)で戦闘してたと記憶してます。子孫には 愛媛を選挙区とする政治家の村上誠一郎(18代目)、サッカー選手の村上佑介、芸能人村上信五、村上ショージ、村上文香等が居ます
新九郎奔るは魔理沙のような人を少なくしていく名作になるかも
やっぱり出てこない古河公方…
21:20永禄の変のところ、「よしあき」になってますね。義昭はまだ一乗院覚慶だったはずですし。
というか義昭の紹介でも「義輝(よしあき)の弟」とされてますから、ゆっくり読み特有の誤読なのかな?
『室町時代』っていうワード、授業より鑑定団の方がよく聞く
光秀軍は秀吉の援軍に行く予定で、信長もその後に後詰めが予定されてたから、秀吉が大返しする道中には秀吉軍が必要とする倍以上の兵站があった。
信長の領地が九州や東北に拡がっていなかったから「全然統一出来てないじゃん!」とずっと思ってましたが、そこを治めてる大名と同盟を結んで実質的に治めていたんですね………スゴすぎる
すべてを直領とする訳にも行かんからね。
三好長慶の天下人への道、歴史を語って下さい
信濃は今の松本近辺は小笠原氏、諏訪地方の諏訪氏、木曽の木曽氏と分裂状態で村上氏の勢力圏は今のしなの鉄道沿いくらいだし陶晴賢が大内義隆を討った時はまだ隆房名乗ってた時ちょっと雑なのがもったいない
地図で見ると知っている事でも新たな発見気づきがありますね。
あの三好という「天下」をとった勢力が存在していたんですが
伊勢新九郎長氏、北条早雲とも言いますね。鎌倉時代の北条氏と区別するために後北条氏とも言いますね。
鎌倉幕府の事実上の支配者北条氏の名が関東の覇者として欲しかったんだろう。
非常に完結で分かりやすく、余談もないので没頭できる お見事な編集です。
河越夜戦の時にベンチヨがヨトウムシの駆除の合言葉になるんですよね
こういう動画、あるようでなかったから嬉しい
戦国時代、めっちゃ面白いな…
三方ヶ原の戦いも色々経過が違うんじゃないかって言われ始めているよね平山優っていう歴史学者が唱えている新説だと信玄が浜松城を素通りしたのは挑発行為ではなく浜松城の背後にある支城を先に落としにかかったためとしている信玄は元々兵糧攻めを狙っていて、浜松城は補給を浜名湖の水運に依存していて、その補給の特に重要な拠点であった宇津山城を落とすルートを取っていたとしている(実際に宇津山城に進軍するルートを進んでいた)家康はその報を受けて補給が断たれては終わりだと打って出ざるを得なくなり、信玄も当然補給を断たれると気づいたなら野戦を仕掛けてくるのは想定していたのであわてずに迎え撃てたと兵糧攻めを狙っていた根拠として実際に戦の翌日には宇津山城に攻撃をしかけていること(これは天候悪化で撤退している)宇津山城を落とせなかった次善策として他の重要な補給拠点である吉田城・田原城・野田城を落城させた、これは相手の補給線にダメージを与えることを意識していたのだろう、などが挙げられるみたい
改めて漫画やゲームの力は凄いなと思った自分は漫画がきっかけだけど中学生の頃の授業はもうちんぷんかんぷんだったけど大人になりいくつか歴史を扱った漫画なんか読んでるうちにだんだん詳しくなり、興味を持てばそこからもっと知りたいという気持ちになり色々調べ出すバカな自分でも全てわかる内容だったし更に楽しめた他にも漫画とかになってる時代の事なんかはけっこうわかるけどほとんど取り上げられてないような時代の事は有名な出来事くらいしかわからないけど
コメント欄の補足と訂正で動画が完成する感じ良いですね
あと足利義輝(よしてる)のところを、何回もよしあきで呼んでましたよww
十三代義輝も始めから跡継ぎとされていなかったらしく、当代一流の剣客かつ刀剣収集家だったので、三好の配下松永久秀に襲われた際には単身暫く防いだと。
将軍よしあきが討たれ、よしあきが逃げたと言うところ2ちゃんかなんかで見た、津川雅彦か西田敏行の年表思い出す。
ゆっくり実況で発音変えるの面倒やしね
主演:織田信長脚本:足利義昭
常に裏切りや下剋上にさらされれた戦国武将が「虚説たるべし(いや嘘だろ)」って言うとかマジで大事件だったんよな
楽市楽座は今川家が駿府発展の為に導入したもの。信長家康と、今川に関係性のある大名がその優位性を認め領国経営に大いに活用した。
今川氏に信長ほど徹底的な運用は望めない。
@@淳浅野-w5h 比較論展開する場じゃねえだろ
43:51 蘆名領そんなにデカくないし(福島市辺りまで伸びてるが)、景勝の頃の上杉領も北関東諸将からはそっぽむかれているのでそんなにデカくない
なにこれ…めちゃくちゃわかりやすい……
足利尊氏、直義兄弟の母方が上杉氏だったかと記憶。京都を舞台に南北朝期を駆け巡る足利氏の財政を支えた上杉氏の功を評価して関東管領の職を世襲。
細かい所は置いといて本当に勉強になりましたー👍
解りやすい!(ただ音声読み上げ内容が残念)
今回も分かりやすくて勉強になりました!古代ローマやモンゴル帝国なども取り上げて欲しいです!
初めて戦国時代の全体的な出来事を学ぶのに最適でした!流れがわかりやすくてありがたいです🥰🏯
戦国時代初期の関東では山内上杉・扇谷上杉のほか古河公方なんてのもあった室町幕府は管領だの公方だのを行き当たりばったりで配置し地元の小大名を統括させそれが内乱に拍車をかけた中国の周が似たことやって混乱したのと同じ
他にも関東なら小弓公方とかね、江戸時代に喜連川藩の元になったのは古河公方家と合一したとはいえ、こっちの小弓公方のほうなのよね確かに公方家はいっぱいあった、江戸時代でいうなら御三家みたいな家がたくさんあるみたいなもんで、そりゃ混乱もするわなって
永正の錯乱とその一連の出来事も加えて欲しいです!
4:53扇谷上杉氏の読みは「おうぎたに」上杉氏ではなく「おうぎがやつ」上杉氏
アニメ追っかけてたらたどり着きました鎌倉室町幕府もぜひ
好きな武将で上位に入ってくる六角定頼とか伊達稙宗からの伊達家三代も欲しかったです
長篠の戦いは阻止弾幕っていう概念を世界に先駆けて実現したということ
本能寺の変ってタイミングにしても状況にしても実にドラマチックなんよね!戦国好きには堪らんよねw
秀吉は光秀と組んでいたが、謀反を起こした光秀に謀反を起こした、とか?
尼子経久が月山富田城を策略で奪ったほうが早くなかったかしら。
エミリア先生~✋きた!河越夜戦!すげーな、鈴木(雑賀)の家紋まである!!
ゆっくりは読み間違えがあるのは当たり前ですが、一応知らない人がそのまま覚えちゃってもアレなので書いておきます。扇谷上杉は【おうぎがやつ うえすぎ】と呼びます。
八犬伝の悪役「扇谷定正」
概要欄すら読めないの?
武将風雲録やってたせいで、北条のピンクと武田の水色に強烈な違和感w
一番ゴチャゴチャしていた畿内が、ゴチャゴチャを全部すっ飛ばしてるね。
戦国時代って日本に必要な時代だったんだよな武装宗教の弾圧(権力と宗教分離)、刀狩り(大仏を作るという名目だっけ)宗教分離は昭和後期以降になると某宗教団体が出て来てとてもじゃないが分離してるとは言い難いけど、刀狩りは今の日本の治安に大きく貢献している羽柴秀吉の中国大返しの解釈は「へうげもの」の説?が一番好き
大抵の世襲の統治機構って7代目がターニングポイントになるね
扇谷は「おうぎがやつ」と読むんじゃなかったっけ?
正解
それはそうだけど、ゆっくりに誤読はつきものだから、気にしたって仕方がない。
@@kurobouakadama5742 ああ、間違いを指摘してマウント取ろうなんてんじゃないのよ。「おうぎがやつ」で覚えてたけど、「おうぎたに」でも間違いじゃないのかも?って疑問だった。
@@kurobouakadama5742 ゆっくりに誤読は付きものとは言っても歴史上の呼び方を間違ったままではダメ絶対!
@@凶太郎-t1m 絶対ダメって言うなら自分で作ってみれば良い、ゆっくりのふりがな振って動画作成って割と大変だしそもそも無料で見れて絶対ダメとか見なきゃ良いだけで、クオリティが多少低くなるのは無料だから仕方ないでしょ読み間違いレベルでそこまで絶対とか言っちゃう時点で、心が貧しいんだろうな
大内氏は室町時代から↓大内氏は鎌倉時代から
扇谷上杉家っておうぎたにじゃなくておうぎがやつみたいな読みだったよね
村上水軍の様に制海権を取るのは非常に大事ですね。通商行動も大量に運搬するなら陸路だと限界がありますし。そうなると当然、船を使うことになりますが、海路を封鎖されると通商行動が出来なくなりますからね。
15:38大相撲力士の若隆元、若元春、若隆景(大波三兄弟)は この毛利元就の息子たちが四股名の由来となっている
正史パターンで武将風雲録やってるみたい
浅井の謀反は純粋に朝倉との同盟関係の方が長くて信長が浅井と交わした朝倉への不可侵という規約を破ったからじゃないの?
浅井朝倉の旧来からの同盟関係は疑問視されています不可侵の条約も存在しないよりが近年の風潮
野望に駆られた、と単純に考えている。
村上水軍など瀬戸内の水軍は主な収入を水路の案内料に求めていて武力行使は関銭を払わずに強行突破しようとした場合やいわゆる「縄張り争い」で他の水軍と争う場合にほぼ限られています。この辺、結構誤解が多い様なので・・・
織田信長最大の失敗は、後継者と同じ場所に滞在したこと。
信忠が父に習って逃亡しなかったこと。跡継ぎが健在なら清洲会議は要らない。徳川幕府がなかったとすると、日本はどうなって行ったろう。
今、映画で「レジェンド&バタフライ」、日曜NHKドラマで「どうする家康」が同時にやってるの草
動画解りやすくて面白かったですなんか信長の野望やりたくなってきたー!www
扇谷→おうぎがやつ
ご指摘ありがとうございますmm
「関東管領、扇谷さだまさぁー」とか言って、南総里見八犬伝に出て来るお方のお家ですね(?)。
@@smakocchann 自分もそれで覚えました。あと「さもしい」という言葉も。
陶晴賢(陶隆房)の反乱には、大友宗麟との連係もありましたけどね大内義隆の後継者に擁立されたのは、「大友晴英」=「大内義長」=「大友宗麟」の弟。
室町幕府との連携じゃないのかなあ、
4:47 村上義清の勢力こんな広かったんですね。小笠原とか諏訪は後に独立するんですかね
誤解を招いたようですみません...村上氏は信濃の一部の勢力で、村上氏以外の勢力も複数あります。武田信玄に対抗した信濃の勢力の中でも特に強力な反攻を見せたのが村上氏だったため、村上氏を信濃の代表的な勢力のように語ってしまっております。
山国だから、谷間ごとに一族が住み着く。一つずつ潰して行くしかない。
三段撃はもともと弩の操法で紀元前の中華では当たり前だったとかなので鉄砲に応用しててもおかしくはないきもするね
浅井長政の裏切りは父親が朝倉と関係が深く、父親原因説が大きくはある
殺された将軍はよしあきじゃなくてよしてるじゃないか?
久しぶりに戦国バサラやりたくなってきた
三段撃ちは普通に考えれば無理なことはわかるかと。撃つのは一瞬で弾込めや清掃は時間がかかるから、よくて一周なんじゃないかな実際には大量に用意された火縄銃を使って銃自体を回し撃ちしてたんではないかと思いますね
効果を挙げたのは三段打ち―時間短縮よりも柵によって距離を整えたことが大きい。同じ距離で繰り返し狙撃することで命中率を上げる。
京都人「都は江戸に貸しとるんどす、いずれは返してもらうんどすえー」 江戸人「それな過去の話だから絶対にねえーよ」 ってが
今の首都機能は他の街には担えません。別に建設する必要があるくらい。
村上の勢力はそこまで大きくない。信濃の南から真ん中辺りは小笠原が治めてる。
うP主頭良いですね。分かりやすかった。
このup主……さりとては…の者にて。光る物あり
三好長慶こそが戦国時代最初の天下人だと思うので!!
家督がどうとか政治がどうとか色々あるが結局は食いもんが減ったからじゃないかと思ってる
今川義元は氏親の三男ではなく、五男坊です
これと幸村チャンネルを合わせてみるととっても解りやすいですね。
稲葉山城の叛乱って1564年の竹中重治の城乗っ取り話だと思うが、このとき重治は信長の誘いは断って、龍興に城返却してる1567年の稲葉山落城は、美濃三人衆の内応が決め手と言われてて、重治の叛乱は直接関係ない全体のコンセプトは悪くないだけに、細かいところで間違いがあるのは非常に残念
筒井家が無かったけど、そんなに重要ではないのかな?あの頃の機内はホンマによう分からん
結構勢力図が適当だな。信濃全体を村上氏が支配していたり、信玄が家督継承したくらいの勢力図で北条の版図が戦国末期の最大時くらいあったり。
小笠原氏が抜けてますわな
村上義清の勢力範囲は信濃一体ではなく、北信濃だけです。南信濃は諏訪氏と小笠原氏の勢力範囲です。北信濃は詳しく言うと、他にも幸村で有名な真田氏も居ますけど。
信長が天下を統一した世界を見てみたい
9:54 「扇谷」は、「おおぎたに」ではなく「おおぎがやつ」ですよ。11:29 「川越夜戦」は、「かわごえやせん」ではなく「かわごえよいくさ」ですよ。日本三大奇襲の内の一つに数えられる有名な戦です。21:15 「足利義輝」は、「あしかがよしあき」ではなく「あしかがよしてる」ですよ。
どうしても「地方」の解説中心になるよね中央なんて話が複雑すぎて授業にしたら生徒寝ちゃうただその三好台頭以前のグダグダが戦乱の元凶だとまあ説明し難くて困るけど
グダグダが楽しいけど一般人向けじゃないよね
永正〜天文年間とか好きなのになあ
おうぎがやつ
戦国時代の分かりやすい解説動画は、他にもたくさんあるんだけど
基本的に一つの動画内では一人の武将や一つの地域に絞った構成だから
全体的に同時代の流れを説明してくれる動画は見たことがないので助かる。
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そのおかげで数々のドラマが作れるし楽しめる
この時代は楽しそう。いまも千葉、神奈川連合軍が東京に侵攻とかあればスリリングで面白いのにな😂
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作成ありがとうございました。
おかげで信長の野望がより楽しめそうです!
ありがとうございます!
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時系列、視覚的にも非常によくわかりやすくてすごく勉強になりました。
改めて歴史の面白さを感じました。
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魔理沙の素人的感想が本当に的確、かつうまい具合に合いの手になっていて引き込まれます。
旦那は南近江の出身なんですが、叡山の末寺だった菩提寺が信長の攻撃で焼き払われて檀家台帳が焼失、家の歴史が解らなくなったと言ってます
なのである程度大規模であったようですね
6:12
中国地方の説明なので省かれたのかもしれませんが天文年間の大内氏は筑前豊前を分国とし、更に肥前にまで影響力を持っていましたね
山崎の戦いの明智側の布陣が奇妙奇天烈なんだよな。明智光秀もいろんなことが想定外でまとな判断ができなくなっていた。明智光秀が天王山で待ち構えていたら、秀吉側もかなり危うかった。
油座の禁制を律儀に守りすぎた事もあるようですね。それと互いに柴田勝家を意識にいれながら、短期決戦に持ち込みたい両軍であるのもこうした状況が作られた要因でしょうね。
光秀は短期決戦を狙ってたんじゃないですかね?
山崎に布陣して、秀吉軍を待ち構えた場合、秀吉がそんなところに攻撃するなんて考えられず、秀吉は北摂津を拠点に長期戦を採用するでしょう。
長期戦になれば、権力基盤が不安定な光秀は、どうしても補給・補充面で不利になる上、北陸方面の勝家や東海方面の信雄・一益・家康からの攻撃に対応せざるを得なくなるでしょうから、光秀は長期化だけは何がなんでも避けたかったと思います。
長期化回避のためも、あえて防衛ラインを防御力の高い大山崎から、防御力が微妙な円明寺川まで後退させ、秀吉軍主力を円滑に展開させる様に動いた。
と、私は妄想しております。
尼子氏の3万動員はなかなかにエグいな。
地図を観ながらだと、とても話が解りやすく面白いですね。応援してます!👍
すごく面白かったです!!
歴史の流れは知ってるけど勢力図の推移が可視化されることで臨場感ありました!
中学の教科書の代わりにこの動画を見せたい笑
そう思います。😊
覇を極め、将もたった一度の背後からの一突きで転落してしまう恐ろしさ。
まとめ方が良い塩梅で頭の整理になりました。
内容は分かりやすくて良かったです!
ただ、扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)ですので、みなさんお気をつけて
戦国時代すげぇ…
親父が夢中になるわけだ
扇ガ谷上杉 ←おうぎがやつえうすぎ と読むはず
「扇谷」のよみかたって「おうぎがやつ」じゃありませんでした?
扇谷 おおぎがやつ とよみます。
村上水軍は 伊予の 越智 河野氏=伊予水軍=来島水軍の一支族です。
分家に伊予北条氏がいますし、遡ると物部氏が先祖
朝鮮出兵では鳴門海峡のような鳴梁海戦(李舜臣が大将)
で戦闘してたと記憶してます。
子孫には
愛媛を選挙区とする政治家の村上誠一郎(18代目)、サッカー選手の村上佑介、芸能人
村上信五、村上ショージ、村上文香等が居ます
新九郎奔るは魔理沙のような人を少なくしていく名作になるかも
やっぱり出てこない古河公方…
21:20
永禄の変のところ、「よしあき」になってますね。義昭はまだ一乗院覚慶だったはずですし。
というか義昭の紹介でも「義輝(よしあき)の弟」とされてますから、ゆっくり読み特有の誤読なのかな?
『室町時代』っていうワード、授業より鑑定団の方がよく聞く
光秀軍は秀吉の援軍に行く予定で、信長もその後に後詰めが予定されてたから、秀吉が大返しする道中には秀吉軍が必要とする倍以上の兵站があった。
信長の領地が九州や東北に拡がっていなかったから「全然統一出来てないじゃん!」とずっと思ってましたが、そこを治めてる大名と同盟を結んで実質的に治めていたんですね………
スゴすぎる
すべてを直領とする訳にも行かんからね。
三好長慶の天下人への道、歴史を語って下さい
信濃は今の松本近辺は小笠原氏、諏訪地方の諏訪氏、木曽の木曽氏と分裂状態で
村上氏の勢力圏は今のしなの鉄道沿いくらいだし
陶晴賢が大内義隆を討った時はまだ隆房名乗ってた時
ちょっと雑なのがもったいない
地図で見ると知っている事でも新たな発見気づきがありますね。
あの三好という「天下」をとった勢力が存在していたんですが
伊勢新九郎長氏、北条早雲とも言いますね。鎌倉時代の北条氏と区別するために後北条氏とも言いますね。
鎌倉幕府の事実上の支配者北条氏の名が関東の覇者として欲しかったんだろう。
非常に完結で分かりやすく、余談もないので没頭できる お見事な編集です。
河越夜戦の時にベンチヨがヨトウムシの駆除の合言葉になるんですよね
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戦国時代、めっちゃ面白いな…
三方ヶ原の戦いも色々経過が違うんじゃないかって言われ始めているよね
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信玄が浜松城を素通りしたのは挑発行為ではなく浜松城の背後にある支城を先に落としにかかったためとしている
信玄は元々兵糧攻めを狙っていて、浜松城は補給を浜名湖の水運に依存していて、その補給の特に重要な拠点であった宇津山城を落とすルートを取っていたとしている(実際に宇津山城に進軍するルートを進んでいた)
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兵糧攻めを狙っていた根拠として実際に戦の翌日には宇津山城に攻撃をしかけていること(これは天候悪化で撤退している)
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改めて漫画やゲームの力は凄いなと思った
自分は漫画がきっかけだけど中学生の頃の授業はもうちんぷんかんぷんだったけど大人になりいくつか歴史を扱った漫画なんか読んでるうちにだんだん詳しくなり、興味を持てばそこからもっと知りたいという気持ちになり色々調べ出す
バカな自分でも全てわかる内容だったし更に楽しめた
他にも漫画とかになってる時代の事なんかはけっこうわかるけどほとんど取り上げられてないような時代の事は有名な出来事くらいしかわからないけど
コメント欄の補足と訂正で動画が完成する感じ良いですね
あと足利義輝(よしてる)のところを、何回もよしあきで呼んでましたよww
十三代義輝も始めから跡継ぎとされていなかったらしく、当代一流の剣客かつ刀剣収集家だったので、三好の配下松永久秀に襲われた際には単身暫く防いだと。
将軍よしあきが討たれ、よしあきが逃げたと言うところ
2ちゃんかなんかで見た、津川雅彦か西田敏行の年表思い出す。
ゆっくり実況で発音変えるの面倒やしね
主演:織田信長
脚本:足利義昭
常に裏切りや下剋上にさらされれた戦国武将が「虚説たるべし(いや嘘だろ)」って言うとかマジで大事件だったんよな
楽市楽座は今川家が駿府発展の為に導入したもの。信長家康と、今川に関係性のある大名がその優位性を認め領国経営に大いに活用した。
今川氏に信長ほど徹底的な運用は望めない。
@@淳浅野-w5h 比較論展開する場じゃねえだろ
43:51 蘆名領そんなにデカくないし(福島市辺りまで伸びてるが)、景勝の頃の上杉領も北関東諸将からはそっぽむかれているのでそんなにデカくない
なにこれ…めちゃくちゃわかりやすい……
足利尊氏、直義兄弟の母方が上杉氏だったかと記憶。京都を舞台に南北朝期を駆け巡る足利氏の財政を支えた上杉氏の功を評価して関東管領の職を世襲。
細かい所は置いといて本当に勉強になりましたー👍
解りやすい!
(ただ音声読み上げ内容が残念)
今回も分かりやすくて勉強になりました!
古代ローマやモンゴル帝国なども取り上げて欲しいです!
初めて戦国時代の全体的な出来事を学ぶのに最適でした!流れがわかりやすくてありがたいです🥰🏯
戦国時代初期の関東では山内上杉・扇谷上杉のほか古河公方なんてのもあった
室町幕府は管領だの公方だのを行き当たりばったりで配置し地元の小大名を統括させそれが内乱に拍車をかけた
中国の周が似たことやって混乱したのと同じ
他にも関東なら小弓公方とかね、江戸時代に喜連川藩の元になったのは古河公方家と合一したとはいえ、こっちの小弓公方のほうなのよね
確かに公方家はいっぱいあった、江戸時代でいうなら御三家みたいな家がたくさんあるみたいなもんで、そりゃ混乱もするわなって
永正の錯乱とその一連の出来事も加えて欲しいです!
4:53
扇谷上杉氏の読みは「おうぎたに」上杉氏ではなく「おうぎがやつ」上杉氏
アニメ追っかけてたらたどり着きました鎌倉室町幕府もぜひ
好きな武将で上位に入ってくる六角定頼とか伊達稙宗からの伊達家三代も欲しかったです
長篠の戦いは阻止弾幕っていう概念を世界に先駆けて実現したということ
本能寺の変ってタイミングにしても状況にしても実にドラマチックなんよね!戦国好きには堪らんよねw
秀吉は光秀と組んでいたが、謀反を起こした光秀に謀反を起こした、とか?
尼子経久が月山富田城を策略で奪ったほうが早くなかったかしら。
エミリア先生~✋
きた!河越夜戦!
すげーな、鈴木(雑賀)の家紋まである!!
ゆっくりは読み間違えがあるのは当たり前ですが、一応知らない人がそのまま覚えちゃってもアレなので書いておきます。
扇谷上杉は【おうぎがやつ うえすぎ】と呼びます。
八犬伝の悪役「扇谷定正」
概要欄すら読めないの?
武将風雲録やってたせいで、北条のピンクと武田の水色に強烈な違和感w
一番ゴチャゴチャしていた畿内が、ゴチャゴチャを全部すっ飛ばしてるね。
戦国時代って日本に必要な時代だったんだよな
武装宗教の弾圧(権力と宗教分離)、刀狩り(大仏を作るという名目だっけ)
宗教分離は昭和後期以降になると某宗教団体が出て来てとてもじゃないが分離してるとは言い難いけど、刀狩りは今の日本の治安に大きく貢献している
羽柴秀吉の中国大返しの解釈は「へうげもの」の説?が一番好き
大抵の世襲の統治機構って7代目がターニングポイントになるね
扇谷は「おうぎがやつ」と読むんじゃなかったっけ?
正解
それはそうだけど、ゆっくりに誤読はつきものだから、気にしたって仕方がない。
@@kurobouakadama5742 ああ、間違いを指摘してマウント取ろうなんてんじゃないのよ。「おうぎがやつ」で覚えてたけど、「おうぎたに」でも間違いじゃないのかも?って疑問だった。
@@kurobouakadama5742 ゆっくりに誤読は付きものとは言っても歴史上の呼び方を間違ったままではダメ絶対!
@@凶太郎-t1m 絶対ダメって言うなら自分で作ってみれば良い、ゆっくりのふりがな振って動画作成って割と大変だし
そもそも無料で見れて絶対ダメとか見なきゃ良いだけで、クオリティが多少低くなるのは無料だから仕方ないでしょ
読み間違いレベルでそこまで絶対とか言っちゃう時点で、心が貧しいんだろうな
大内氏は室町時代から
↓
大内氏は鎌倉時代から
扇谷上杉家っておうぎたにじゃなくておうぎがやつみたいな読みだったよね
村上水軍の様に制海権を取るのは非常に大事ですね。通商行動も大量に運搬するなら陸路だと限界がありますし。
そうなると当然、船を使うことになりますが、海路を封鎖されると通商行動が出来なくなりますからね。
15:38
大相撲力士の若隆元、若元春、若隆景(大波三兄弟)は この毛利元就の息子たちが四股名の由来となっている
正史パターンで武将風雲録やってるみたい
浅井の謀反は純粋に朝倉との同盟関係の方が長くて信長が浅井と交わした朝倉への不可侵という規約を破ったからじゃないの?
浅井朝倉の旧来からの同盟関係は疑問視されています
不可侵の条約も存在しないよりが近年の風潮
野望に駆られた、と単純に考えている。
村上水軍など瀬戸内の水軍は主な収入を水路の案内料に求めていて武力行使は
関銭を払わずに強行突破しようとした場合やいわゆる「縄張り争い」で他の水軍
と争う場合にほぼ限られています。この辺、結構誤解が多い様なので・・・
織田信長最大の失敗は、後継者と同じ場所に滞在したこと。
信忠が父に習って逃亡しなかったこと。跡継ぎが健在なら清洲会議は要らない。徳川幕府がなかったとすると、日本はどうなって行ったろう。
今、映画で「レジェンド&バタフライ」、日曜NHKドラマで「どうする家康」が同時にやってるの草
動画解りやすくて面白かったです
なんか信長の野望やりたくなってきたー!www
扇谷→おうぎがやつ
ご指摘ありがとうございますmm
「関東管領、扇谷さだまさぁー」とか言って、南総里見八犬伝に出て来るお方のお家ですね(?)。
@@smakocchann 自分もそれで覚えました。あと「さもしい」という言葉も。
陶晴賢(陶隆房)の反乱には、大友宗麟との連係もありましたけどね
大内義隆の後継者に擁立されたのは、
「大友晴英」=「大内義長」=「大友宗麟」の弟。
室町幕府との連携じゃないのかなあ、
4:47 村上義清の勢力こんな広かったんですね。小笠原とか諏訪は後に独立するんですかね
誤解を招いたようですみません...村上氏は信濃の一部の勢力で、村上氏以外の勢力も複数あります。武田信玄に対抗した信濃の勢力の中でも特に強力な反攻を見せたのが村上氏だったため、村上氏を信濃の代表的な勢力のように語ってしまっております。
山国だから、谷間ごとに一族が住み着く。一つずつ潰して行くしかない。
三段撃はもともと弩の操法で紀元前の中華では当たり前だったとかなので
鉄砲に応用しててもおかしくはないきもするね
浅井長政の裏切りは父親が朝倉と関係が深く、父親原因説が大きくはある
殺された将軍はよしあきじゃなくてよしてるじゃないか?
久しぶりに戦国バサラやりたくなってきた
三段撃ちは普通に考えれば無理なことはわかるかと。
撃つのは一瞬で弾込めや清掃は時間がかかるから、よくて一周なんじゃないかな
実際には大量に用意された火縄銃を使って銃自体を回し撃ちしてたんではないかと思いますね
効果を挙げたのは三段打ち―時間短縮よりも柵によって距離を整えたことが大きい。同じ距離で繰り返し狙撃することで命中率を上げる。
京都人「都は江戸に貸しとるんどす、いずれは返してもらうんどすえー」 江戸人「それな過去の話だから絶対にねえーよ」 ってが
今の首都機能は他の街には担えません。別に建設する必要があるくらい。
村上の勢力はそこまで大きくない。
信濃の南から真ん中辺りは小笠原が
治めてる。
うP主頭良いですね。分かりやすかった。
このup主……さりとては…の者にて。光る物あり
三好長慶こそが戦国時代最初の天下人だと思うので!!
家督がどうとか政治がどうとか色々あるが
結局は食いもんが減ったからじゃないかと思ってる
今川義元は氏親の三男ではなく、五男坊です
これと幸村チャンネルを合わせてみるととっても解りやすいですね。
稲葉山城の叛乱って1564年の竹中重治の城乗っ取り話だと思うが、このとき重治は信長の誘いは断って、龍興に城返却してる
1567年の稲葉山落城は、美濃三人衆の内応が決め手と言われてて、重治の叛乱は直接関係ない
全体のコンセプトは悪くないだけに、細かいところで間違いがあるのは非常に残念
筒井家が無かったけど、そんなに重要ではないのかな?
あの頃の機内はホンマによう分からん
結構勢力図が適当だな。信濃全体を村上氏が支配していたり、信玄が家督継承したくらいの勢力図で北条の版図が戦国末期の最大時くらいあったり。
小笠原氏が抜けてますわな
村上義清の勢力範囲は信濃一体ではなく、北信濃だけです。南信濃は諏訪氏と小笠原氏の勢力範囲です。北信濃は詳しく言うと、他にも幸村で有名な真田氏も居ますけど。
信長が天下を統一した世界を見てみたい
9:54 「扇谷」は、「おおぎたに」ではなく「おおぎがやつ」ですよ。
11:29 「川越夜戦」は、「かわごえやせん」ではなく「かわごえよいくさ」ですよ。日本三大奇襲の内の一つに数えられる有名な戦です。
21:15 「足利義輝」は、「あしかがよしあき」ではなく「あしかがよしてる」ですよ。
どうしても「地方」の解説中心になるよね
中央なんて話が複雑すぎて
授業にしたら生徒寝ちゃう
ただその三好台頭以前のグダグダが戦乱の元凶だと
まあ説明し難くて困るけど
グダグダが楽しいけど一般人向けじゃないよね
永正〜天文年間とか好きなのになあ
おうぎがやつ