【ゆっくり解説】 北京攻防戦 明VSモンゴル 首都をめぐる決戦 土木の変(後) 【明】
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- Опубликовано: 16 окт 2024
- 「土木の変」で正統帝が捕らえられた後の、明の首都北京をめぐる明とモンゴルの戦いや、土木の変で活躍した人物たちの末路を紹介します。
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モンゴルが来た! のロゴが好きすぎる
一番ダメダメな人物が生き残って、天寿を全うするという皮肉さよ。
信雄「アホなフリしてるだけです」
救国の英雄、于謙には相応しい栄誉が与えられて欲しかったですね。それにしても、于謙という人物の凄さに驚きます。英宗の政治的力を景泰帝を即位させる事で無力化し、明軍を再編成し防衛戦を勝利に導く、しかも生粋の軍人ではなく国防次官。この様な、傑出した人物を知れて良かったです。大変面白かったです。
千锤万凿出深山,烈火焚烧若等闲,
粉骨碎身全不怕,要留清白在人间 -- 于谦,石灰吟
@@jiayi2650 谢谢你告诉我那份情报。「千錘萬鑿出深山,烈火焚燒若等閒。粉身碎骨渾不怕,要留清白在人間。」那是一首伟大的诗。回复晚了,请原谅。
于謙とエセンの悲しい最期が印象に残りますが、これ応仁の乱より前なんですよね。それでいてこの戦いの中で派手に大砲がぶっぱなされているあたりにも注目したいです。
明は賢臣が報われない王朝。
皇帝はこの辺りから暗君感が出てくるわ宦官が跋扈するわで、崇禎帝に殉じたのが忠烈の宦官王承恩だけだったのも無理ないわなと思いたくなりますね
名臣は報われないのが常なのか、それとも報われなかった名臣だからこそ歴史に名を残せたのか。。。
明は特に忠臣には惨いことをしますよね。
英宗も退位して上皇になっていれば忠臣を死なせることもなかったのに…。
ベリサリウス「それな」
明国の官吏は朝に家族に別れをつげてから家を出るとか言われてたよ。
@@heiho_ita
海瑞「お上にご奉仕するなら当たり前なんだよなぁ」
皇帝的には、自身の治世を否定する政策を進める有能な臣下って、危険分子以外の何者でも無いんですよね。その辺は仕方なしというか…
でも国防能力を堂々と低下させるのは暗君の所業ですがね。
于謙が悲しすぎる……。これは怨霊になってもいいレベル。
この人の場合は成化帝の代に
名誉回復がなされ弘治2年(1489)に粛愍、万歴年間に忠粛の諡号が
贈られている 菅原道真に 境遇がよく似ている
今更だけど最後の微妙な間からの「終わり」も好き❤
中国史の漫画で捕縛され殺される直前の于謙「陛下、どうか民のことをお願いします」という言葉を聞いて少し気まずそうに
「分かった」と言った英宗が印象的だったな。
@@岡嶋慎 さん、記憶が間違ってなければ集英社版 中国の歴史 7巻です。
このチャンネルは、歴史を興味深く学べて素晴らしい。そしておもしろい。歴史が人間ドラマであると言うことがよく解ります・
田中芳樹の「中国名将百選」で、明代の副題が「報われぬ忠誠」だったっけ。
本当にその通りだな。
どっかの北宋の皇帝たちとは違って、自分から捕まりに行った挙句、忠臣を殺すって・・。
投稿お疲れ様です!
65
歴史家たちにも明の皇帝たちってあんまり評価されていないことが多いですね。有能な官僚や功績のあった武臣の一族大量虐殺なんてしょっちゅうですし。中国史の中でも陰惨さの際立った特異な時代だと思います。中国人ヘイトの元ネタも、この時代にあることが多いですしね。
王振「うーん、これは名君!きっと師匠の教え方が良かったんだな!」
明の名臣たちの報われなさほんと好き。この残酷なまでの無常さが堪らないんだ…。
ヌルハチ「これは酷い。そりゃ明朝自壊しますわw」
@@daikon_yakusha 最後の最後の皇帝も名臣殺して、離脱者続出w
江戸市民『ウオオオガンバレ
和藤内』
一番無能でいらない奴が畳の上で死ぬのか…
幽閉で済ませちゃった景泰帝優し過ぎやろ
戦後の収拾の難しさが分かる戦でしたね、官民一体で首都を守っただけにこの事後が悔やまれますね…
景泰帝、欲張らずに兄の子を皇太子にしとけばよかったかもね 結果論だけど。明は名臣は報われないし、奸臣酷吏蔓延って国民も報われないし、でも並々ならぬ国力あるからなかなか王朝滅ばないし大変
25:57 締めの言葉、胸に響きます。
北宋の皇帝と違って、帰ってこれただけでも正統帝は恵まれてる方だと思う。
欽宗「父君と共に、金へ連れて行かれ…南に帰る事なく、やがて父君は異郷の地で病篤くなって…お隠れ遊ばされた。
そして、我が身は同じ様に朽ち果てていくのだろう…。
まだ、京師に帰れただけ…はるかにましではないか」
于謙は袁崇煥と同じで最期は悲惨な事になったね。
袁崇煥は崇禎帝を安心させるために、自分は遼東を5年で取り戻すことができると自称したが、結局2年後に戦場は首都防衛戦となり、崇禎帝は彼を殺す理由が完全にあった
@@linshitaolst4936
将軍を失敗しただけで処断する奴は暗君
改めて勉強になりました。
とっても面白かったです!!
物事を歪めずに把握する能力がある指揮官と出来ることは何でもして良い状況で、ようやく明が枷を外して本来持っている力を発揮!からの不条理エンド
現代にも通じる話だし非常に興味深かったです
こういう寂寥漂う終末も、延々と流れる中国史にはよくあることなんだろうなあ
新規じゃないけど再生リスト新しくなってたら全部見ちゃいます❤時系列順なのめっちゃ嬉しい!ありがとうございます!お身体に気をつけてこれからも程よく頑張ってください!応援しています!
良かったです。遊牧民族は強いところを避けて弱いところを攻める自由度があって強力だけど長続きしないのが弱点ですね。時間が敵。 続く、アルタン・ハーンと隆慶和議のイベントも是非、機を見てお願いします。
それと、火砲を生かした明軍に対して雨を待って攻めるモンゴル軍。更にそれを覆すために野戦に市街戦の要素を組込んで雨天に屋根の下から火砲を活かす明軍と面白い展開です。
大軍を率いていたわけでもなく、首都でない地方の城で、騎馬民族最強の1人ヌルヌルハッチャンを返り討ちにした悲運の守護神よ
科挙に合格して軍事でも才能を発揮したパターンって案外多いな
科挙は古典への教養や文章力など、人文的能力に偏重し過ぎという批判があって、それはある意味正論なんだけど、
やっぱり言語能力に秀でた人は判断力や論理能力も優れた人が多いと思うわ。
上手い文章を書く人に仕事出来ないポンコツは少ないだろうし。
そう考えると、少なくとも産業革命以前に於いては科挙は優秀な人士を見出す手段としては適当だったと思える。
後編まってましたー
指揮官変わると軍は変わるなあ于謙GJドンマイエセン
対遊牧民はガッチリ城固めるしかないよな
これは神回✨于謙を主人公に一冊ドラマ作れますね😆バッドエンドなのが悲しい😭前後編で動画作りこんで頂き圧倒的感謝✨
天道是か否か。中華の歴史がまた1ぺーじ。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まっこと感謝感激雨霰でございます!!
ご厚意を励みに、今後も精進していきますッ!!
土木の変後半も詳しくまとめてくれてありがとうございます。
どこか靖康の変に近い戦ですが、明は宋と違って徴兵制で戦に強かったことがこの結果に繋がったのでしょうな。これが宋なら良くて遷都、悪かったら完全に叩き潰されていたでしょうね
宋の高宗は仮に欽宗が帰って来てたら、景泰帝と同じ目に遭ったのでしょうか😥?
エセンがもし兵法の「兵は神速を尊ぶ」通りに速攻で北京攻略していたら、
恐らく北京陥落→明朝が応天府か杭州府辺りに政権が南遷して、かつての南北朝の再現になっていたかも?
待ってました!!
今までのエピソードで一番面白かった
さすが防衛拠点だっただけある
やはり明ぐらいまで来ると
英雄達も身近というかはっきりと
像を結ぶような気がしますね。
我らが聖帝朱元璋の明、続きを楽しみ(気長)にまちまする
成化帝の代に于謙の名誉は回復されたのだけが、救いですね。
モンゴル勢力との戦いは世代交代しても、なお続くのですね。
ある意味、明朝のライフワークかなあ。
優れた人が指揮を取れば組織はこうも変わるって感じですね。それが発揮できないのが世の悲しさですが。
北京防衛戦があったのは知らなかったな🤔
明朝の先発正統帝と王振のバッテリーごと入れ替えて宇謙が中継ぎでなんとか凌いで抑えの英宗が締める試合だな😃
資料集には正統帝とエセンはかなり仲良しだったみたい🤔
于禁と于謙、なぜ差がついたのか…。(慢心、環境の違い)
土木の変は、中華史上でも皆が一体になって頑張り、内紛や裏切りがない稀な出来事でなかったか、と視聴して思った。
これでも明の皇帝としてはまだマシな部類・・・・
「これもまた歴史のロマンだぜ!!」
うまくまとめたな。
英宗の功績として定年・年金制度の確立があります。65歳以上は公務免除、70歳以上から国が食料を支給、90歳以上で倍増。
他にもあるんですが、英宗個人の発議というよりも名臣の政策のようです。
毛沢東は批判してますが、現代中国ではそれほど無能ではないという評価です。
「女医明妃伝」がヒロインと正統帝・景秦帝が中心のドラマでしたね。
土木の変・北京攻防戦・奪門の変などまさにこの動画の事が描かれていますが、ヒロインが立派な方でその後の明朝時代の女性の地位向上に大きく貢献した実在の女性をモデルにしている感動のドラマで何回も観ました。
エセンが若いこと、王振が中年であることなども気になりますが、なんと言っても孫皇太后が憎らしく描かれていて同時期の孫皇太后が主役のドラマ「大明皇妃」での描かれ方とは全く違っていて最初は戸惑いました。
前に、北京で空き時間で見に行った【首都博物館】にデカいジオラマがあってイマイチ何のコトだか判らんずくでしたが、この動画で思いあたりました。ありがとうございます!
15世紀半ば時点で、農耕民帝国が遊牧民侵攻軍を火力戦で破ったって時代感覚的に意外でした。
種子島の鉄砲伝来の100年前です。
すごい、ナポレオンの名言を地で行くような皇帝だな。トップが1番の敵とはな。
後期の唐もそうですが明朝も若死に皇帝が多過ぎる問題。
まあ幾分かは仙薬という名の毒物のせいなのでしょうが。
22:00
オイラト部もジョチ家やトルイ家とかに妃を輩出しまくった、モンゴルではかなりの名門貴族なんだけどなぁ。やはりハンにはなれんか。
明代の火器や防具は調べると面白いんですよね、新紀元社の幻の戦士たちや武器と防具中国篇なんかに詳しいです。
日本幕府軍は大明火炮と騎兵に痛めつけられた😂
宦官が優遇される一方で、官吏の待遇が悪く処刑は当たり前だった明王朝。最後は臣下からも見放されて滅亡してしまうが、そういった問題点が、土木の変のその後にも表れていますね。
明末清初にそれが顕著でしたね特に清や
李自成サイドがその例題を持ち出して
明の官吏や将軍を説得して引き抜くパターンが多く明の滅亡に拍車をかけた。
今回は楽しみ過ぎて気が狂いそうだった。
一日一日を指折り数えた。
ジャッキーチェンプロデュースの『成化十四年』の、まさしく前日譚。ドラマ本編では「当然知ってるよね」って感じであまり説明されることなく前提にされてた部分を知れて、色々スッキリした。そして、きっと次回はまさにその時代に
この動画で扱っている期間の後、明朝では愚かな皇帝は長生き、まともな皇帝は短命、ということが続く。衰退期以降の明朝を思うと、暗澹たる気分になる。
個人的には夏⇒殷⇒周⇒春秋⇒戦国⇒…と時系列になってると嬉しいですけど、新規さんには「キングダムの時代 戦国」とか「封神演義の時代 殷」みたいな知名度のあるコンテンツで興味もってもらうのが良いんですかねぇ
最近だと満州アヘンスクワッドって漫画が清末期を書いてて面白いです😃
正統帝が暗君であることはよくわかった。
動画、楽しく見させてもらいました!
于謙、哀しい最期ですね…。
兵権を握ったのだから土木の敗戦を盾に英宗に退位を迫って上皇に退かせるくらいのことをしても後世からはあまり悪く言われなかった気もします。唐の玄宗の先例もあることなので。
于謙自身の為にもその方が良かった気がします。
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!!
于謙が身を全うすることができなかったこと、本当に哀しいですね……
千锤万凿出深山,烈火焚烧若等闲,
粉骨碎身全不怕,要留清白在人间 -- 于谦,石灰吟
無敵の基盤軍団を誇ったモンゴルも、銃火器というゲームチェンジャーの前に敗れ去ったわけね。時代の変わり目を象徴する戦いかもしれない。
于謙もエセンも才能あったのに、血統や正当性で負けて殺されたのが残念!でも、良い闘いでした、北京攻防戦。解説お疲れ様です。
ふたりとも 戦争に強くて政治に弱かったんだな 二人の英雄が戦った北京にいきたくなってきた もし南京に遷都してたら北京ダックはモンゴル料理になっていたんだな
エセンは黄金氏族を殺しまくって自分がハーンになったの致命的でしたね。ティムールのように「婿殿」のままであればよかったのに。
@@須藤凜々花が好き 僕は政治に弱かったとは思わない。政治に弱い人が、あの危機において兵員を招集はできないと思う。ただ、政治だけに強い人より、政治面で弱かっただけかなあ、と。
二人とも、政治的な意味での「処世術」が達者ではなかったんでしょうね。
戦に強いし、政治力も有能だけど世渡り下手な悲運の人は、洋の東西問わず結構いますよね。
上の能力や判断がどれだけ重要か…納得です
英宗、王振とその一派の名誉回復してのは、
オイラトでの虜囚生活があんまり悪くなかったのもあるのだろう。
後に火器が種子島以前に我が国に伝わっていた鉄砲だとすると、石や釘を放ち、
殺傷力はさほどとされていたが、
それでも軽騎兵のモンゴルには十分だったのか。
ここで言われる火器は三眼銃(琉球でも使われたので、日本に来ていた鉄炮もコレかなと)など至近距離でないと当たらない鉄炮ではなく、虎蹲砲のような据え置き型で100m以上の射程がある大砲でしょう。
これなら家屋内や城壁上からでも届きます。
有効射程が20m程度で照準も無い三眼銃を騎兵に当てるには、馬に蹴られ槍で突かれる距離まで近付かないと無理ですしね。
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!!
感謝感激大変励みになりますゥ!!
結果的に、復辟できた正統帝が一番得した?🤔
タイトル忘れたがこの前まで見た中国ドラマで何故か後半于謙が主役みたく活躍してたわ
「大明王朝1449」(原題∶大明王朝驚変録)でしょうか。
YOUTUBEに全40話が中文字幕でUPされていますね。
北京攻防戦の後…
于謙「!…何だと?
オイラトのエセンが、上皇陛下(英宗)を送還して来ただと…」
家臣「どうやら、間違いないようです」
于謙「まさか、エセンが靖康の変を知っているとは思えんが…」
家臣「どうしますか、上皇陛下を…」
于謙「大明の臣下として其れは畏れ多い。
兎に角、上皇陛下をお迎えしてからの事だ」
家臣「畏まりました」
一方で、英宗は…
英宗「何やら、可怪しいと思ったが…。
于謙は、朕を勝手に上皇とした。
嘗ての徽宗や欽宗の如く、朕が漠北の地で果てるのを望んでいたらしいな。
之は大逆無道の佞臣ぞ、おのれ💢」
明で名君と言えるのはを洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝、弘治帝くらいで後はほぼ全員暗君でしょうね。(即位直後に死んだ泰昌帝は未知数ですが…)
それだけ暗君のオンパレードなのに300年近く王朝を維持できたあたり官僚制の優秀さが現れてる感じはしますね...
なんか涙出てくる。歳かなぁ。
今回の名乗りの言葉、共感します!干し芋は硬いやつがいい!
ほんとにこの時代は「やってられないな」と「こんなもんか?」感満載。虚しき強者ども・奸臣どもの夢の跡。
朝鮮出兵についての動画もみたい!
于謙の玄孫の于岳が朝鮮出兵で戦死してますね。
于氏は、杭州衛副千戸を世襲してます。
朝鮮出兵の理由が「明朝と交易するため」という説があるけど、
もし本当なら、
土木の変で突っぱねた前例が有るのに、何故やった?
という疑問が出ますな。
知らなかっただけやろうが。
当時の明朝も「金粉まぶした付け髭の大猿」がエセンと同じ要求出すとは、夢にも思うまい…
@@daikon_yakusha秀吉对明朝的了解有限,比如他以为宁波是明朝最富裕的城市,就像大阪之于日本一样,但是宁波只是明的一个小城市。
但是相反,明朝对日本的情报工作做的比较好,甚至预言了秀吉生下儿子以后,日本会内乱。
なんて物凄い展開!!これは是非映画かドラマにしてほしい!!!!と見てたら最後…
でも中国史ではありがちですね
土木の変のグズグズぶりからのキレキレの首都防衛戦でしたね
それにしても、モンゴルを追い返したとはいえ、異民族の居住地に北京はやっぱり近すぎる気がします
素人目線ですが、やっぱり北京を前線基地の重要拠点にして、南京を首都にした方が安全な気がする🤔💭
明朝奉行的是“天子守国门”的政策,即天子为国家守卫边境,是明朝的传统。
只要皇帝还在北京城,北京就永远不会被异族攻陷。
北京最后陷落于长城内的农民军李自成,而非长城外的异族。
天道是か非か…歴史の真実とロマンですねえ
何故エセンは火砲を鹵獲しなかったんだろう?
火砲数百門の出入りは途轍もないと思うが
個人的な興味としては戦闘中に正統帝を放したらどうなるか見てみたかった
鹵獲したものを扱いきれるかどうかですね。
@@二世桜苑書と篆刻の盤松
当時の火砲が特別な知識を必要とするとは思えないし
仮に扱えないとしても鹵獲すべきですよ
敵に使われずにすむんだから
火薬を自給できないので、モンゴル伝統の弓を使い続けるしか無かったのでは。
火薬を手に入れるには、明からしかないでしょうし。
@@seattleslew2332 さん
確かにね。たぶん理由はふたつあって、
①あまりの快勝(+皇帝のおまけ付き)に驚いて、その後の大掛かりな反撃は想定出来なかった。反撃があると想定していたなら迅速な北京侵攻は必須なのにそれをしていないのが根拠です。人質返還交渉( ゚Д゚)ウマーというルートを想定してたんでしょうか。
②使えない兵器を鹵獲すると確かに明の軍備を削ぐことは出来るが、そのぶん自分達の機動性が下がるので差し引き計算で機動性を取った。
あたりですかね。
当時の火砲は現在のもののように火薬と弾薬が一体になっておらず知識がなければどの程度火薬を入れれば良いのかさえわからず、のちのものと比べて暴発の危険性がはるかに高いので素人がなんとなくで扱える代物ではないかと思います。照準などを考えずにただ打つだけなら今のものの方が簡単でしょう
当時の火銃(もののけ姫の石火矢のモデル)は確か薬さじのようなもので火薬を測ってから装填していたはずなのでそういった知識なしに扱うのは難しいでしょう。短期間の訓練で扱えるのは銃火器の利点ではありますが、知識がないと如何なる人であれ敵を倒すどころか自爆しかねませんから…
干し芋は焼くと一層うまい
オーブントースター可
于謙は12歳の時に詠んだとされる”石灰吟”が小学6年生の国語教科書に載っている事もあって、中国人は于謙=石灰吟という認識であるらしい。
こういう背景があるのでドラマ「大明皇妃」の終盤の処刑される于謙が辞世の句として詠んだのが”石灰吟”だったのだろう。
項羽と劉邦・三国志・水滸伝の横山光輝氏読者としては、本動画は知らなかった戦史として
また、于謙の有能さが熱い
景泰帝って、言い換えれば欽宗が無事返されちゃった高宗って感じなのか
今回も動画を閲覧した者です。
土木の変に続く、北京攻防戦。本当にお疲れ様でした。
戦いは凄まじく、時の英雄が三国志での争いの如く見事に戦ったと思います。
しかし、時は残酷で攻める方も守る方も悲惨な最後を遂げてしまいました。
史記【横山光輝版】の最初は作者である司馬遷の物語ですが、彼は歴史【或いは過去に起きた史実の物語】を筆で記録し、史記を完成させましたが、筆を進めながら【才能あるもの【英雄】は世に受け入れられない。残酷だ】と憤りを感じていました。
司馬遷の気持ちが何となくですが、分かった気がします。
この戦いで栄光を手にした者は悲惨な最後を遂げ、敵に捕らえられた間抜けな皇帝が畳の上で死んだ。
この結果に自分は納得せず、前のコメントで話しました兄【自分よりも歴史が強い】と歴史談義をした際に、兄が【明王朝は最低だぞ】と自分に話したことを思い出し、視聴を終えた後でタメ息をもらしてしまいました。
今回の動画は歴史的結果には納得がいきませんが、面白く視聴しました。
11月も中旬に入り、寒さが増すと共に、クリスマスシーズンを迎えます。
投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけて、クリスマスを楽しみつつ動画の作成をしていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
皇帝って、古今東西問わず、たまに捕獲されてビックリされちゃうよね。
ナポレオン三世とかある意味、自分でプロイセンに喧嘩吹っ掛けておいて捕まるからなw
セミかな
SANYO
からの
抜群の才覚があっても、絶大な結果を残しても、報われないこともある これもまた歴史のロマン
というきれいな締めくくり
まさに『天道是か非か?』!!
オイラト撃退の最大の功労者于謙!でもその行いや施策は英宗にはウケんかったわけだ。
永楽帝の靖難の役から動画の辺りまでのくだりは中国の長編歴史ドラマ『大明皇妃』がオススメです。
明の功臣は大体碌なことになっておりませんなあ
まあ佞臣も仕えていた皇帝が死ぬとあっさり殺されたりするのですが・・・
以前の時代からすると皇帝の権力の強さは別格ですね
天道是か非か…やっぱ非やねw
パルティアに捕まったローマ皇帝も即位しなかった事にされてかわいそうだった。
チムールに捕まったオスマン皇帝もすぐ死んだことにされて(以下同文)
それにしても明は忠義を尽くした、節を通した人間がね、報われない死に方をするものだ、と思いました。しかし、不朽の名を遺す点から言えば、寧ろ望む死に方だったのだろうか?
これ永楽帝の死から10年ちょっとしか経っていない時代の話だから
無能ムーブが多くてもまだなんとかなったけど普通は終わってますよね
永楽帝の死が1424年で土木の変が1449年なので10年ちょとよりは時間経っています。
待ってました。故陳舜臣先生の「中国の歴史」においては事件は記載してたような、けど皇帝が捕らわれるとは記憶に無い。
もう30年以上前なので忘れてしまったのかなぁ。
陳舜臣先生曰く「ここで于謙の指揮で北京を死守したから明は保った。
南京に遷都していたら少なくとも黃河以北はオイラートに支配されていただろう」と。
@@野坂慶一 教えて頂きありがとうございます。学生のとき何回か読み返したが覚えていなくて、死ぬまでにもう一度読んでみようと思います。本はまだあるので。
于謙が報われない…袁崇煥といい明王朝は名臣、功臣に対して酷薄過ぎる
初代朱元璋からして功臣を片っ端から粛正してるし最早この王朝に連綿と続く宿痾の様な物なのか
哀しいものだ。
いつでもどこでも「スティリコ」が現れる。
長篠の戦いを彷彿とさせる戦いですね。
規模は桁が違いますが。
今読んでいる「両京十五日」で于謙が出てきたので久しぶりにこちらを視聴
サムネのやっつけ極まりないアイコラが好きだw
やっぱ軍は率いる将によって強弱が激変するって改めて分かった。宦官は男の象徴と共に人徳だとか大切なものを失った存在というのが改めて分かった。(小学生並みの感想で失礼)
こりゃまためちゃくちゃ燃える回
"正統"帝/英宗…名前負け感…
王振、どちらかというと学者ヴァカだった事が災いしたのでは…
エセンは北京侵攻に失敗した事への不満が蓄積された結果なのかも…
ユスティニアノス2世「やっぱ復位したら粛清だよなぁw」
23:23 日本でも一度退位した天皇が再び即位した例があるけど、全て女帝。まあ、後醍醐天皇みたいに鎌倉幕府に退位させられた後に鎌倉幕府に勝ってから退位を無かった事にして天皇に返り咲いた例があるけど。