Europa les tenía mucha envidia y no los reconocía como continuidad del Imperio Romano, los llamaban griegos. Bizantino, ese nombre le dieron los historiadores europeos en el s XIX, casi 400 años despues de ser extinguido. Bizantino, significa algo que no termina de definirse, algo que es y a la vez no es. Es que ese Imperio, para los Europeos si bien era continuación del Imperio Romano, a la vez no lo era porque tenían fuertes costumbres orientales adquiridas por el paso de los siglos, lo cual lo hacia totalmente diferentes a los romanos clásicos. Pero, su identidad como romanos nunca se perdió, y para los reinos orientales siempre fueron romanos.
ビザンツの解説動画少ないので嬉しい
ビザンツ帝国で検索してる人が多いから仕方なく動画タイトルにしているのだ
が泣ける
実際連続性は他よりも遥かにあるのにまるでギリシャ人扱いのビザンツ…
とりあえず当時はビザンツ帝国、ビザンツ皇帝という言葉が無かったという
部分だけでも知ってもらえれば御の字みたいな状況です💦
Europa les tenía mucha envidia y no los reconocía como continuidad del Imperio Romano, los llamaban griegos.
Bizantino, ese nombre le dieron los historiadores europeos en el s XIX, casi 400 años despues de ser extinguido.
Bizantino, significa algo que no termina de definirse, algo que es y a la vez no es.
Es que ese Imperio, para los Europeos si bien era continuación del Imperio Romano, a la vez no lo era porque tenían fuertes costumbres orientales adquiridas por el paso de los siglos, lo cual lo hacia totalmente diferentes a los romanos clásicos.
Pero, su identidad como romanos nunca se perdió, y para los reinos orientales siempre fueron romanos.
俺の一番好きな国。古代帝国の残り火って感じの他にない特別感が好き。その上千年間持続したり再現不能な秘密兵器持ってたりこれでもかというくらい魅力詰め込まれてる
東洋にも「曼荼羅」とか「◯◯絵巻」とかあるように、ビジュアルに訴えるのは洋の東西を問わず有力な手段ですね。
ビザンツの話は本当に助かる。可能ならもっと見たいな...
トルコ「コンスタンティノープル獲得したら、北の蛮族が『我こそが正統なローマである』とか言い出して、何度も攻めてきたんですけど...」
9:45のユスティニアヌスのモザイク画、よく見るけれど、コンスタンティノープルじゃなくラベンナにあるんだよね。25年前に何も知らずに訪れたサン・ヴィターレ聖堂で見つけたときには感動したわ。当時、「ローマ人の物語」をリアル読破中だったから気づけたから塩野さんには感謝。
13:32 ここの節を題材にした世界史フラッシュが今でもようつべにあって、題名は「シリアよさらば」これがめちゃくちゃワクワクする作品だったな
現地の状況に合わせた融通無碍なローカライズと素朴な原理主義、そして必要に応じてなされる洗練された大人の対応…
何が正しいとか間違ってる、という問題ではないからこじれると難しいことになる。
イスタンブルは死ぬまでに一回は行ってみたいなぁ
アヤソフィアとか行ったらお口ポカンと開けてしばらく立ち尽くしちゃいそう
最近ターキッシュエアラインズのツアーの広告をよく見ます、
ビザンツ帝国で画像とか検索したせいかでしょうか、いきたすぎるのがバレているようです。
コンスタンティノープルと言え😡
「時短だ」様の素材、ローマだけでなく東ローマもある…素晴らしい👍
いい意味で「オカシイ」と思う。
重ね重ねスバラシイ!
結構マニアックな人物も有ります♪
コルブスとかムキウスとか。
「時短だ」様のローマ関連素材は、事実上執政官ルキア殿の時短に役立つ為にあるのでは(笑)
偶像崇拝関係はほんと燃えますね
4世紀のソリドゥス金貨からノミスマと呼び名が変わり、11世紀ごろまで地中海世界における基軸通貨の役割を果たしたのだから、最初にコレを発行したコンスタンティヌス1世は東ローマ史上で重要な人物ですね。
イスラムの伸長のところの音楽がオスマンの軍行進曲だったのは少し気が早くニコッとしました!
ビザンツの動画楽しみにしてました!
いつかローマ軍団について(部隊構成や兵科など)の動画も見たいです
コルホスとかトリアリイのまとめならなんとか作れるかもです!
ヴァシレイオスが英語でバジルは草w
このチープ化、簡略化が普及に貢献したとしても。
バジル2世!
ビザンツで検索する人が多いからタイトルもビザンツにする。
新たに検索する人もビザンツでしか出てこないからビザンツで検索する…。
このジレンマ😅
初学者の方はオストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』がオススメです。絶版本なんで書店には置いてないですけど、アマゾン、日本の古本屋とかにありますよ。
ほんの少しお高いけど
「ローマ市を領さなくなっても、皇帝も住民もギリシャ人でも、ローマ市民と元老院が名目だけになっても、よその国からビザンツだのギリシャ帝国だの言われても、なんなら王朝が何度も交代していても、ボクはローマ市民でこの国はローマ帝国なのだ!」
~コンスタンティノープル在住の ずんだもん さん談
ユスティニアヌス1世皇后テオドラ「役」の素材、なんかアジアンな気が(笑)
東ローマの後継を自称するロシア帝国初期において、皇妃選びの「花嫁コンテスト」のようなモノが開かれる場合があったのも、東ローマリスペクトの伝統?だったのかな。
有名なイワン雷帝からロマノフ朝初期にかけて行われたらしい(出典はウェブ上)。
半端じゃなくでっかいコンスタンティノープル、万全の体制で守るとしたらどれくらいの兵数がちょうどいいのだろうか
国家運営が地方分権的になっていったせいもあってか、ちょっと物足りなさそうな数で守ってることが多い気がする
ローマ帝国は...滅んでおりません...
8:32ハギア・ソフィアじゃないような。。。
すいません、ミスです。
多分スルタンアフメト・モスクです。
山川Bだと多少は詳しく説明されているが、それでもアレクシオス1世もバシレイオス2世も出てこない。
にもかかわらず一橋や早稲田の入試では、たまにこの帝国に関してのエグい問題が出題されるんだよな……。
急にコムネノス朝の問題とか出てきたと聞きました!
この巨大帝国かつ多民族国家を切り盛りするのは
どんな名君でも四苦八苦するのは避けられないというのがよく分かる動画ですなぁ。
あと領土変遷を見ると
ヘラクレイオス帝の時代に、シリア、エジプトの二大穀倉・湾港地域を本格的に失ったことで
ビザンツ帝国にとって、残る穀倉地帯であるアナトリア半島の重要度が増す事になったんでしょうな。
ローマからコンスタンティノープルへの遷都は、平たい顔族ジャポニカの奈良から京都への遷都のようなもので、変わらず継続しているもの、時代とともに変化しているもの両方の面がある、と理解すればいいのだろうか。
もちろんローマとジャポニカがほぼ同様のケース、というわけではなく、ローマと東ローマの継続性をジャポニカに当てはめればこんな感じ、というニュアンスです。
ヘラクレイオス!なんと悲しきことか!
そういえば神聖ローマ帝国も最初期の皇帝はラテン語名のハズなんだがな
カロルス・マグヌス、ルドウィクス
ロタリウスなど
一昔前、「おい、◯◯!」と呼びかける指名手配ポスターがあったな。
果たしてローマ帝国なんだかギリシア帝国なんだか()。公用語がラテン語からギリシア語になった時点でローマ帝国じゃなくね?って違和感とか抱いたりしなかったんやろな
曽祖父だとショックで泡吹いた
東ローマ帝国の扱いって本当悪いよね
西が滅びたら後はダイジェストみたいな扱いだもの
世界史教科書の扱いの少なさを改めて確認して驚きました💦
カルタゴは優秀な人物を排出するところだなあ
東ローマ帝国は東ローマであってビザンツ帝国というのは違和感がある。日本で言うなら徳川幕府とか言うようなもの。
ラテンはウス
ギリシャはオス
光の戦士はゾス
FF14!
光通信社員は草
同時代だと隋唐の方が日本史的にも重要だし繁栄ぶりも…い、いえなんでもありませんローマ帝国万歳!
まあ現代ギリシャ人が中世ギリシャ帝国として盛大に東ローマをドヤってるのを見るとローマ人の帝国というよりギリシャ人の帝国なのは否定できないかなあと…
ローマ人が徹底的なギリシャ文化の模倣者なのを考えるとほとんど違いはなさそうですが
東ローマ帝国についてはほとんど何も知らないし、取っ掛かりになる部分もなかったので、西ローマからのつながりで伝えてもらえるのはありがたいです。
・キリスト教国教化 単に広まったというだけでなく、政策遂行の一環でもあったのですね
しかしローマ神話の神々を否定することになったのはもったいない
・西ローマ帝国滅亡~シャルルマーニュ
何かの歴史解説を見ていた時、突然東ローマがイタリアに侵攻して驚いたことがありましたが
ビザンツはローマ帝国だと自認していたならローマを取り戻し再統合の夢を抱くのは納得できます。
また西ローマ後の諸王国が東ローマに臣従してたというのは面白いですね。
権威を利用しつつ、機会があれば出し抜きたいと思っていただろうなと地図をみながら思いました。
・アンナ・コムネナ
試し読み見ましたが、かわいいの絵柄なのに暗黒なことを言ってて面白いですね。買わねば。
アンナ・コムネナ本当におすすめです!
今回の動画とは直接関係ないですが、仏教で仏像を作るようになったのもギリシャ文化の影響だったと聞きました。
実際にパキスタンの遺跡でギリシャ彫刻みたいな顔立ちの仏陀がヘラクレスらしき像といっしょに祀られているのを見た時は感動ものでした。
なんと!やたら勇壮な仏像とか近いノリを感じていました♪
個人的には東の韓信、西のべリサリウスだと思っている。戦にはやたら強いのに宮廷政治力0なのも共通
12:42 HoI4でよく見る奴だ
19:05
中国史のエロい人が ユーラシアの遊牧騎馬民族は不当に低い評価されていると嘆いていましたね
どうしても中華の文献が残りやすい上に欧米や日本人も「アジアを学ぶなら中国語から」となりやすいからとか(チベット語やモンゴル語を学ぶ人は少ない
なので視点も中華中心的、と
ありがとうございます!
ありがとうございます、感謝です✨
ヨハンネスは古典ギリシア語だとイオーアンネースだと思ってたけど違うんかな?
ヘラクレイオスの時代には、カルタゴの地名がまだ残ってたんですね・・・ムスリムはホントに悲惨なゴタゴタを抱えながらも急激すぎる拡大でしたね。あと、文字なども動画ネタにならないでしょうか?
その文字が何を指しているのか分かりませんが、イスラムは偶像崇拝禁止と言われますが、絵に否定的だった分じゃあ字なら良いだろって事でアラビア書道がラテン文字言語や漢字言語以上に絵画化してますよね。アラビア書道は半分宗教画みたいなもの。イスラム圏は酒に否定的だった分タバコが勢いよく定着しました。結局古今東西どの集団もやる事は根本的には同じで程度と質の違いがあるだけ。一つ前のコメの方が視覚大事と言ってますが、ロビンダンバーも社会集団拡大の為のエンドルフィン分泌行動獲得順として
ボディタッチ(触覚) > 一緒に笑う > 一緒に歌ったり踊ったり話を聴く(聴覚) > 一緒に宴会する(味覚) と言っています。残るは嗅覚と視覚ですが、寺院では線香を焚いたり、どんな宗教にも固有の芸術があるように、大宗教は五感全てで洗脳同化するから布教が捗って大きくなっているのです。またそれは宗教に限らず商業スポーツ集団だったりアイドルや国家でも同じです。国家イデオロギーを喧伝したければ国家を作って謳わせて、元首が度々人前に姿を現して(反対に徹底的に隠れる事で支持者の妄想力を捗らせるパターンもあります)、独自食文化を作り上げれば良いのです。アイドルのサイン握手会は触覚・視覚・聴覚・嗅覚の4つに訴えはするものの(匂いに気を使わないアイドルはいないでしょう)、触覚は効果は絶大でも効率は悪いために、大規模集団は主に使い勝手の良い視覚と聴覚に訴えます。
民族学オタクとして各民族のトーテムや仮面を眺めるのが好きでしたが、デヴィッドクレーバー「万物の黎明」では「仮面文化を持つ集団は階級社会」と指摘してて、仮面に否定的になりました。仮面を被る事が許されるものは特権階級である事が多く、仮面の存在はカーストの存在に通じる訳です。文字にしても欧米ならラテン語が出来る事がステータス、イスラム圏ならフスハーが出来る事がステータス、インドなら英語が出来なきゃ目分の低い田舎者と言われ、中国台湾でも方言は足元を見られるからとなるべく使わずに標準中国語を使いたがります。文字や言語にも多様性がある事は良く言えば各小規模集団の権利が個人の権利と共に維持されている事になり、悪く言えば階層の多様性、富と権利の貧富格差の大きさを表している場合もあります。現代日本でもこういうネット上の場でも何気無い方言一つでお里が知れてしまうし、手書きなら猶更自身の価値を無意識に表出してしまいます。
参考文献にカルタゴって書いてありましたが、もしかして当時は違う名前で呼んでいた可能性もあります💦
ヴァンダル王国支配化だったので・・。
楽しい動画ありがとうございます!
ありがとうございます、助かります✨
後半も作っています。
過去の国の呼称って、当時の人が自分たちをどう呼んでいたかによって決めるものでもないと思うんだよね。
結局、わかりやすさを重視するのが一番なんじゃないかな。
トランプさんは黒海の利権を理解したうえでああいった行動をしてるのかなぁ・・・
ある程度理解している、と信じたいです💦
東ローマの認知度や関心度が低い理由は
・支配地域のほぼ全てに元々王国があったり後継国も無く、現代の元支配各地域ではその帝国の前後を基準にした民族意識があるために東ローマ民族という概念が定着しなかった。強いて言えばそれを謳えるのはルーマニアくらいだけどローマ人やコンスタンティノーブル人の後裔が大勢いる訳でもない。
・首都だった場所が現支配勢力であるトルコのイデオロギーに反するためにトルコがその歴史を積極的に売り出さない。トルコでのテュルク人支配勢力としての歴史も900年しかなくて東ローマ勢力同様に立派に余所者だけど、イラン革命後イスラム圏の世俗性はトルコが先頭切って牽引出来る地位にあり、それを活かさずにわざわざ捨てて、まして相対的なキリスト国だった時代を語るメリットが乏しすぎる。オスマン帝国外伝はイスラム圏の外にまで支持されたけどトルコで東ローマ目線のドラマを作った所でまず流行らないか最悪イスラム圏から批判されまくりそう。
2:02 世界各国の教科書を見比べるのが大好き、特に文系科目は国家ごとのエゴ丸出しな様とそのギャップが面白いのですが、西洋代表としてナショジオ作の歴史教科書的な本はネットでも見られ、確かにほとんど日本の世界史教科書と同じです。
4:18 チェルノーゼムはジェット気流によってドイツやオランダあたりの土が飛んでそこに体積した事で出来ているそうですね。北米プレーリーも同様に内陸だからこそ風上の北米西岸の土を吸収出来ているのと、気温と湿度(降水量)がそのミネラルを短期間に消費させなかったために、現地が帝国拠点になるような爆発力は無くて細く長く周囲に食料生産性の恩恵をもたらせた。どちらも緯度がもう10度も低かったら人にその土壌栄養を食いつくされ砂漠になってたと思います。日本の農業も黄砂によって潤っている面があり、更に黄砂発祥地はウイグルやモンゴルという漢民族地域外の方が多いのに、ネトウヨたちは中国のせいで車や服が汚れた迷惑だなどと的外れな事を言いたがります。もし日中の仲が良かったら黄砂は肯定的に受け入れられてたでしょう。海洋資源に詳しくないけど日本海に落ちる黄砂も日本海の魚介を間接的に富ませていると思います。黄砂の恩恵を最も受けているのは韓国です。これが南半球だとアマゾンはサハラの砂で維持されていると言われるけど食料生産性には結びついてないし、ニュージーランドもオーストラリアから遠すぎてその砂漠の恩恵を受けていません。日本には黄砂とPM2.5の両方があるように、ウクライナにも栄養のある砂と窒素公害物の両方が注がれているんでしょう。PMってなんで2.5ばかりが呼称定着したんでしょうね。1.0とか小さい方が害が大きいし、大きさを相称にする事自体が不自然なのに。
マルマラ海は湖みたいに穏やかで潮汐差も10cmすら超える事がほとんど無いのに、10年前にダーダネルス海峡で水位が20m下がった事があるらしく、もしそういう時に戦争で海軍が通過中座礁して戦局に影響を与えたらそれこそ海割り伝説になったでしょう。元船乗りとしては水位が予想より1mでも突然上下したら大事故になって責任取らされて最悪首吊る事になります。座礁してもそうだし、しなくても狭い海峡を通り抜けられている筈の予定が出来ず閉じ込められて大勢の予定が狂ったり、閉じ込められた船同士でぶつかって事故にという展開も湖川海問わずある事なのです。東京でも隅田川や荒川のような狭い川で屋形船とか水上バスとかが他の船を幅寄せしたり引き波で煽ったりの、小規模で間接的なケンカが日常的に展開されているものなのです。陸上でトラック同士が幅寄せし合うのと同じです。法的には定期船が最も通行優先権を持っていますが、定期船同士でならその上でケンカします。俺は現代の東京湾ですらその喧嘩の中で生き残れる気がしないので、現代のダーダネルスとボスフォラスは勿論、東ローマ時代ならあっさり転覆させられてたと思います。メンコが風圧で相手をひっくり返すみたいに船同士でも相手を転覆させるのには直接の衝突なんかしなくても他にいろんなテクと、それを防ぐテクがあります。
11:20 ベリサリウスはRUclips上で活躍するイラン人音楽家Farya Farajiの「Justinian - Epic Symphony」でも自身のテーマ曲を6分与えられています。彼はイラン人として当然ササン朝などペルシャ人物の曲も作っていますが、インドや東欧やアラビアなど周辺国≒敵対国対しても満遍なくリスペクトしているのが粋で、カエサルやアウグストゥスの曲も作っています。
もし世界の人が東ローマに対する関心が高かったらベリサリウスが主役の映画漫画ドラマがいくつも作られていただろうに、何語で検索しても一つも出て来ないのは東ローマ自体が欧米からもトルコからもどれだけ軽視されているかの反映に見えます。好敵手だったササン朝も動画にあるようにイスラム勢力によって負けた賊軍扱いされているために注目される要素がどこにも無くなってしまっています。
聖おにいさんはムハンマドが出て来られたなと考えてばかりになり集中して読めません。ウマイヤやアッバースは10世紀くらいまでは事実上多神教国で、ムハンマドを描く事にもそれなりに寛容だったという話があります。日本も最大限に雑に語れば天皇家を2千年掲げてる一つの王朝だよと片付けられますが、天皇家の権威も今と100年前とはまるで別の国みたいに違ってる、そういう機微は世界史年表からは見て取れないし、文章で説明されても「天皇家の権威は失墜した」みたいに書かれた所で数値化されなければろくに読者の記憶にも残りません。世界史教科書で腹立たしい事の一つはGDPとか人口とかの実感を得られる数字要素を、断定できなくて責任取れないからと徹底排除している事です。この動画だけを見た人ならそれを真に受け過剰に解釈して東ローマは世界一の国だったみたいな印象を持つかもしれないけど、その千年くらいの間でのGDPはモンゴル>中国の唐宋明>アッバースやウマイヤなどイスラム帝国>東ローマ≒ササン≒インド(グプタやゴール朝)くらいの順でしょうか。インドはマウリヤとムガール以外ろくに統一王朝が無いために順位が低めだけど、マウリヤのGDPはローマ全盛期と同じくらいあったと思います。また国の強弱は我々にとっては重要ではなく、そこから何を学べるかが肝心で、中印は強かったのに学ぶ要素が少ない最大の原因は古い社会ゆえの権威性の強さにあると思っています。権威主義社会は目上が目下の権利を奪ってしまうので集団全体としての人的リソースが無駄に消耗させられてしまいます。メリットは内戦が少なくなり易い事です。親父が威張ってると兄弟喧嘩も満足に出来ない、いくら自分に正当性があってそれを主張しても親父都合の一方的な両成敗をくらって損しかしません。すると子はネガティブになり自分の意欲や才能を大事に育てなくなります。親にとって子にケンカされる事はそれを治めるにも裁くにも面倒臭い事だけど、そういう地道な手間をかけない家系は代々先細って行きます。
現代においても例えば極東、「平たい顔族」の国自体、国際的には「JAPAN」(ローマ的にはジャポニカか?)と呼ばれてますしね。
当然東ローマvsビザンツ(ビザンチン)とは意味合いが違いますが。
自称と他称の相違という点では共通してるかと。
俺の世界史さんでもローマやってましたが、東ローマ帝国も早く動画作って欲しいですね。
あいつビザンツ帝国異様に無視してるから無理だよ(無慈悲)