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坂井三郎が部下を安心させるために海苔巻きを食ったりサイダーを飲んで見せたりしたという話は読んだことがあります。大戦末期になると食糧事情が悪化してくるので、航空兵員の増加食を減らそうという動きもあったようですが、お偉いさんを実際に練習機に載せて、パイロットのキツさを分からせた話もありましたね。
大空のサムライで読んだのですが、サイダーは地上であらかじめ栓を緩めておいたらしいです。気圧の低い上空で栓を開けると全部吹き出してしまうからだそうです。坂井三郎さんはガダルカナル初出撃の際、つい栓をゆるめておくのを忘れてしまい、風防にサイダーをぶちまけて、ガラスに砂糖分がこびりついてしまったのをガダルカナル上空に到着するまで必死で三角巾につばをつけながら拭き取るはめになったそうです。「縁起が悪いな」と思ったらしいですが的中しました。なんとか生きて帰ってこられましたが。
読んだ読んだ。あとかんぴょう巻き美味しそうだったね。
昭和17年公開の海軍省の記録映画「海鷲」の航空弁当(爆撃機)のメニューは、巻寿司(椎茸・干瓢・オボロなど)・出し巻卵(グリーンピース入り)・沢庵漬け・増加食(ミルクコーヒー・パインアップル・熱量食)・睡眠時飲料(フルーツポンチ)となっていました。
死んだ親父が陸軍の戦闘機乗りでした。サイダーを機上に持って行った話を聞いたことがあります。あと、具体的に何を食べていたかまでは聞いていないのですが、将校と兵隊では食べるものが全然違った、とか、給料がめちゃくちゃよかったけど、満洲で使うところもなく金が貯まったと言っていました。
大戦中の輸送機のパイロットの人の話だと、凍ったおにぎりを歯で削りながら食べたそうです
ち
ううううううう・・・・・当時を思うと可哀想すぎる。
レンチン🍙。。。が待ち望まれる
それは輸送機だからでは?
こんばんは。操縦の妨げにならないように片手で食べられる食の内容になるほどなぁと納得させられました。おはぎの写真についての概要欄のご説明が先生のユーモアたっぷりの表現に思わず微笑んでしまいました!配信ありがとうございました!
航空弁当については艦攻艦爆艦戦の小型機と陸攻のような大型機がごっちゃになってる気がするけど、糧食解説系動画に飢えてたからマジありがたい!
当時の卵焼きは今の時代のステーキ並みのご馳走だったらしいです。
さすが海軍さん、サンドイッチとかコーヒーとか紅茶とかウィスキーとかフランス菓子とかハイカラですね
”機上携行食”、飛行時間3時間越え、なんてのは航続距離1500km以上を誇る零戦などの日本軍航空機ならでは、って感じですね。他国の軍用機では爆撃機や輸送機を除いて、そんな航続距離はありえなかったから…。”ヒロポン”は戦後しばらくの間は、普通に薬局で買えたとかなんとか…。
大空のサムライでも坂井三郎さんが被弾された後に巻き寿司を食べるエピソードがありましたね。
操縦中に、取り落とすことなく片手で食べられるのが利点。そう書かれていたのを覚えています。反射神経鈍化を防ぐ為に、空戦前は海苔巻きを半分だけ食べる。残りは帰途の楽しみにするともありました。ちなみに自分が読んだのは、同作を児童書向けに書き下ろした『ゼロ戦の勇者』の方でした。原作では、(ドーントレス編隊を攻撃時)被弾した後で弁当を食べたのですか?知りませんでした。自分が読んだ方では、空戦と無関係な雑ネタとして語られていました。
上空の低圧対策であるガス抜き忘れて機内で暴発、風防内側がサイダーにまみれてべとべとになったというエピソードが…
坂井さんが新人が乗る僚機の不安を押さえる為に航空糧食のバナナを食べて余裕の態度を見せたエピソードが有る。
@@タカハマタタカタ-m1nさんそれが原因で集中力が低下して戦闘機と急降下爆撃機を見間違える初歩的なミスを犯して重傷を負ったのですね。実際「あのミスが後年、親友の武藤(金義)を戦死させる遠因(343空から自身が異動、公認に武藤金義が行き、彼が戦死した為)にもなった」と語ってます。
風防ガラスにこびり付いた糖分を、唾液で湿らせた布で拭き取る。
こういう解説は知らないことだらけで勉強になるね。
海軍の機上応急食にはパッケージが2種類あったと記憶しています。炭酸せんべい、熱量キャラメル(海軍熱糧食?)、勝ち梅、勝男武士(かつおぶし)等おやつ的なものが詰められていて、楽しみにしていた人も多かったようです。海軍基地や大型艦にはラムネ工場があったため、飲み物は地上で気を抜いたラムネを持っていくことが多かったようです。
確か、大空のサムライで有名な坂井三郎はサイダーの炭酸を出撃前に抜き忘れて出撃し、上空で栓を開けたら気圧差で噴き出してコックピット内や風防をベタベタにして焦ってしまったとか聞いた事がある
「零戦燃ゆ」で、主人公が操縦しながらバナナ食ってたのが印象的だった。
ヌガーは結構みんな食べているぞスタンダードなチロルチョコの中に入っている白いやつ何も考えずに強く噛むと歯がおれそうになるアレ
浅草名物雷おこし…
それ、昔の奴ね、今の中身のヌガーもちゃんと三つに分かれているやつは、硬くならないよ。
スニッカーズにも入ってるよね
歯の詰め物がくっついて取れちゃう奴。
プッチョで詰め物取れたっけ(^_^;)
戦記を読むと「ぼた餅」が良く出てきたと思いますね。現在、哨戒機に乗ってる人達は長時間の任務だと機上で何か食している筈なので、メニューが気になります。
学研の帝国陸軍戦場の衣食住(だったと思う)で読んだ話だが陸軍にもカロリーメイトに近い食品があったとか簡易ラムネ製造器があったり三ツ矢サイダーが飲まれてとか
艦上爆撃機のパイロットさんは行ってました作戦訓練させられた魚雷投下訓練は真珠湾攻撃の為の訓練だったと後で知ったそうです、
海軍のラムネは清水の保存節約が主目的で、艦の消火用の二酸化炭素ガスで製造してたらしいです。
故人だが、海軍パイロットだった仕事の大先輩がいて、よく戦中は塩の効いた梅の握り飯が大好きだった。空は寒いから味覚が悪くなる。塩が見えるくらいのげんこつみたいな握り飯が懐かしい。下にいるとなかなか腹に溜まらないから率先して飛んだ。命は惜しいが腹が満たされる方が大事だった。と言ってたな。
貴重な証言を留めて下さり、感謝します。極真の大山倍達氏が「腹が減るくらい怖い事は無い」と言われていました。「空手バカ一代」に事実は殆ど無いらしいですが、この言葉に嘘は無いと思えます。私如き満腹世代には意味不明の言説ですが。
面白かったです。日本以外の航空糧食もぜひ解説おねがいします
大戦末期に岩川基地に展開した時期の芙蓉部隊の食事も粗末で、おかずが昆布、あらめ、ひじきの海藻料理にたまに小さな塩鮭か付くだけとか。司令部に改善要求出して、やってきた調査隊にも隊員と同じ食事出したら、すぐに大量のコンビーフとか貨車一杯の食料が送られてきたそうだけど。基本、搭乗員はガス防止のために白米が支給されて、整備兵等地上員は麦飯だったという。
航空糧食で羊羮が人気が有ったが四角いままだと食べにくいのでゴム風船に羊羮を入れた玉羊羮が開発されて現在でも販売されて居て靖国神社でも遊就館のお土産コーナーで販売している。
そういう経緯だったんですね。地上では普通の羊羹の方が食べ易いですよねぇ笑。
食事内容は思ったよりも良かったですね、調べていて驚いたのが零戦にはレーダーが無かった事、コンパスと天測図と空を見ながら飛行した様です😲だから片手で食べられる物が好まれたのかも知れません。
零戦どころか艦艇用にもろくなレーダーなし、電探と言いラッパ型の電波放射器、潜水艦のアクディブソナーのような使い方!アメリカは、回転式アンテナに距離と方向が分かるレーダースクリーン!負けは決まり!戦闘機にレーダーを装備するのはF4ファントム以降か?86も104も無かったような気が???
意外と豪華な食事されていたんですね、搭乗員さんは、(パイロットさん)
航空弁当に稲荷寿司が描かれていた漫画が有りましたね・・ニューギニアが舞台の作品だった。戦争後半になるとベテランパイロットは掛け持ち任務が多過ぎて睡眠時間が碌に無いため、ヒロポンを多用したそうです。飛行中に突然意識を失うケースも有ったとか・・戦争が終わるのが先か、過労死するのが先かと言う状況なんですね。
ビール瓶を積んで出撃し、帰還後に上空で冷えたビールを飲んだ部隊もいたらしいです。
御飯食べたら出さなきゃならないですが、小はなんとか出来たそうですが大きいのは我慢するしかなかったようですね、今は紙おむつとか使ってると聞いた事があります。
ガ島攻撃帰りの零式搭乗員が猛烈な下痢に耐えられず、飛行中にもかかわらず風防を全開して"ハコ乗り"状態で排便したそうな😂ラバウルに帰投後、機体側面のカピカピに乾いた下痢便をドライバーでコサギ落としていたら、「大事な機材(機体)が傷ついたらどうするんだ!」と一喝されて、泣く泣く濡れ雑巾でウ○コまみれになって拭き取ったそうな😅
うちは甘味処をしていますが、みつ豆に餡を加えたものがあん蜜です
パイロットにドラッグを渡すのは、日本軍だけではなかったようです。アメリカ軍でも、薬物の服用はあるようですよ。(現在も薬物を渡しているようです)ですから、特攻に必ずしも紐づけられるようなものでもないような…
薬物やんなきゃやってらんないよね、あんな状況でねぇ?
ドイツでも使われてましたよね。兵士だけでなく国民に広く普及してたみたいです。
元はアレは眠くならないためと集中力の持続のためだとか?
パイロット用の航空弁当ではお稲荷さんも人気だったそうです。甘くて力が出ますし、片手で食べられてご飯も手につきませんからね。あと、撃墜王の坂井三郎氏が帰投時に列機共々先導機とはぐれてしまって自分が部下を引っ張っていかなければならなくなったとき余裕を見せて部下の不安を払拭するために航空弁当の海苔巻きを食べて見せたそうです。その時に「かぶりついた」とか「見せびらかすように振り回して見せた」という記述があるので海苔巻きは長い状態のものを切らずに持っていく恵方巻のようなものだったのかもしれません。
坂井さんといえばサイダー噴出事件を思い出す
長いやつを持って行って半分食べ、帰りに残り半分を食べるようにしていたとか…
細巻きの長いヤツだったそうです
機上食では 酢が効いた酢飯の海苔巻きが唾液が出て食いやすくて良かったと言ってた
プリンス・オブ・ウェールズを雷撃した九六式陸攻は、海軍機だ……
零戦の撃墜王坂井三郎氏の食のほうの話はコメントされているようなので、下の方の話だと機上で尿意を催したときは操縦席の床にしてしまうそうです。放っておくといつの間にか乾いているとのこと。ただし多くはパラシュートに吸われたのではと言ってました。それでパラシュートは絶対に使い物にならなかっただろうと書かれてましたね。また陸軍の有名な加藤隼戦闘隊の加藤隊長が腹を壊し、機上でおもらししてしまったエピソードがありましたね。着陸後に操縦席の座席を指さして、整備員に何かしら指示してたと思ったら、そういうことだったそうです。
サザエさんにも波平が薬局で覚醒剤くださいと笑顔で言う場面があった。司法試験や国家試験でも覚醒剤は便利だったと 一人は女医さんもう一人は警察署長さんから直接聴きました。
97艦攻か天山の操縦手が回顧録で、なんでも牛数頭分使った薬で夜間出撃前に飲むと数時間夜でも目が見える薬を飲んだとあった。
ムスビ「ち、違う!これはただのビタミン剤じゃ!🤤💉」↑このネタ知ってる人今でもいる?はだしのゲンのムスビの名言
覚醒剤違いましたかね?
ヒロポン。まぁはだしのゲンは共産党のプロパガンダやからな。作者共産党員やろ?基本反日やからな、話し半分くらいでちょうどええんと違う。
@@まんぺいまんぺい まー、確かに朴さん(在日朝鮮人)とか、日本軍が虐殺をやったとか色々言ってましたもんね、でもストーリーは結構面白いですよ。確か、はだしのゲンのストーリーの中にシベリア抑留の事も書かれてましたよ。
@@鬼伏見 ムスビ「ち、違う!これはただのビタミン剤じゃ!🤤」サングラスのバーテンダー「そーや、それビタミン剤じゃ😎」
死んだお母ちゃん背負うて天皇陛下に謝らすんやとかトチ狂うた事も描いてたし、都会ヘ働きに行く兄貴に死の商人にはなるなとかプロパガンダてんこ盛りやったから面白半分で読んだ記憶がありますな。最初は四十何年か前に少年ジャンプに連載しとったん違うかな小学生の頃読んでた気がするわ。
毎回ワクワクしながら拝見しています。今回の、日本海軍の航空糧食は興味深く日本人らしさが感じられました。特に、ヒロポンですが以前に実家の押し入れに敷いてあった新聞紙にヒロポンの広告が大々的に掲載いされていたのを見た記憶を思い出します。戦後の日付けだと思いましたが?これも、戦中戦後の暗い遺産なのでしょうか。アップありがとうございました。
昭和50年頃「ドーベルマン刑事(デカ)」という漫画にヒロポンをテーマにした回が有ったのを思い出しました。
市販されていました、当時は合法です。動画のように現在の法規範道徳で語ってはいけません、原始時代に非暴力を訴えるようなものです。
坂井三郎氏が大空のサムライの中で、戦後ラバウル時代の軍医との対談でヒロポンを知らない間に打たれてたと書いてます。
航空機のパイロットは食事が優先されるのは、死亡する確率も高いからなんでしょうね。最後の食事になるかもしれないからいいものを・・・・というのと、空母とかにとって最大の武器でもあるから、しっかりコンディションを維持して貰わないと困るというところもあったと思います。
最後の食事というのは全然違います。当時の操縦は非常に疲れるんで高カロリーの食事が提供されていたんですよ。大戦末期に食事の直前に特攻出撃の命令が出て、飯抜きで出撃していったという話を聞いた飛行長が最後の飯くらい食わせてやれと激怒したという話があります。
ところで、空中勤務中の「入れる」ことは解ったけど、「出す」方はどうしたんでしょう。「小」は瓶とか使って外へ棄てられるけど、「大」の方は。
色々工夫(意味深)していたみたいですが、余裕がない時はシートに垂れ流していたそうです尻の下に置くのが常だった絹製パラシュートはこれが原因で消耗が激しかったそうです
@@hanagamimui8700 さん「垂れ流し」・・・!Σ(▼□▼メ)・・・絶句
開戦時の病院食と大戦末期の病院食をお願いしたいです。
戦争末期に本土決戦で陣地造らされた兵隊さん達のお昼御飯は芋のつる入りの米も僅かな雑炊だったと聞きました。海軍飛行兵だった人が聞いてビックリしてましたね。俺はもっと良い物を喰ってたと言ってました。鳥の照焼、玉子焼、胡瓜の酢の物で御飯は白米ではなくて麦飯だったそうですが、丼大盛り食べれたそうです。陸軍兵隊の方はあんな物を喰わされて重労働させられてたまらなかったと言ってましたし、何度も逃げ出そうかと考えてたそうです。負けるのも時間の問題だったからなとも言ってました。敗戦ひとつき前の話でした。
弁当1つとっても海軍では士官と下士官で中身が全然違うという。なお、零戦みたいに1人乗りだったらいいが、一式陸上攻撃機みたいに何人も乗っている場合は、士官が部下におかずを少しずつ分けてあげるような事をするのが普通で、自分だけガツガツ士官食を平らげる様な士官は嫌われていた様です。坂井三郎氏によると、ラバウルでの話ですがピロポンを打った搭乗員は大抵そのうち帰還しなかったそうです。坂井三郎氏にも当然「気付薬」「栄養剤」と称して接種するよう迫られましたが、一切拒否していたとのこと。
特攻の日には酒を飲んだらしいね曰く「恐怖でまったく酔えなかった」との事らしいけど昔は覚せい剤がドラックストアで買えたんだからすごい世界観よね
昭和30年くらいまでヒロポンは薬局で買えたそうです。※祖父母の世代に改めて聞いてみたら本当に買えたと確認済み 錠剤とアンプルと2種類あった模様もっとも使ったら最終的に頭がイカれるという認識は当時からあったので普通は買わなかったらしいですけどね
亡父もヒロポンを若いときに働いた飯場で勧められたそうです。そんな恐ろしい薬は祖母に使ってはならんと言い聞かされていたので断ったら、鼻で笑われて揉めたそうです。
あの頃のヒロポンは戦意高揚剤として陸軍で普通に出されてたそうです。ネットで昔見たのは、身体が疲れたので軍医の所に行ったら、笑いながらヒロポンを注射してくれたとの事。戦後、引き揚げてくる軍人さんと一緒にヒロポンも来て、普通に出回ったという…
誤解のないように言っておきますが今でも覚醒効果のある薬物は普通にコンビニとかで買えます。エナジードリンクとか容器に書いてありますが。当時も使われていたカフェインも覚醒効果があり(ヒロポンよりも)依存性や中毒症が弱いため今でも一般で販売使用されているのです ヒロポンが薬事法に引っかかるようになったのは中毒性以上に注射器の使いまわしによる肝炎の増加や幻覚見るせいですな…
赤塚不二夫さんがトキワ荘時代を書いた自叙伝に締め切りの徹夜続きで疲労困憊の時に薬局に行ってヒロポンを打って下さいと言い薬局の人からヒロポンは止めましょうと注意された場面が有った。
気温は100メートルあたり0.6度下がるので、高度3000mで18度マイナス、高度6000mで36度マイナスになるので冬場なら上空は−30度近くになったでしょうね。
弁当などを持って行ったラバウルの航空隊とかは当時の航行技術的に高度5000mは飛ばないかと。海軍の十二試艦上戦闘機への要求性能が巡航高度は3000mでの算出。あまり高度を上げると航行の目標になるランドマークの確認もきつくなる
機上携行食の最多は海苔巻きといなり寿司でしたないなり寿司は完成品のパッケージが有ったので空母以外の水偵乗りみたいな人達の手記には良く出てきますあと何故か龍驤搭乗員もよく食ってました。偏って大量補給されたのかも知れません追記陸軍航空隊のアンフェタミンやヒロポン使用は言及した書籍がありました
間宮のスイーツの解説リクエストします。
すでにあるぞ
陸攻って陸軍の攻撃機って思われがちですけど、海軍の陸上基地で使う攻撃機ですね
ヒロポンは整備士が寝ずに整備するために打っていたってのはなんかで見た気がする
真珠湾攻撃の往路は艦艇の乗組員も当時としては特別食みたいな良い物を食べてたって聞いた事がある。攻撃が終わった帰りは乾物とか漬物等の何時もの食べ物に戻ったとか。攻撃部隊は全滅覚悟の決〇隊だったみたいだからせめて食い物は、、、って計らいだったんだろうけど。
真珠湾攻撃は結果として奇襲だったけど強襲の可能性が高いと踏んでいたようですよ(予定では開戦通知後だからフィリピンとハワイは臨戦態勢を整えているはずってことだったみたいです)敵の一大拠点が本気で迎撃態勢を整えて待ち構えているとしたら、そりゃ生きて戻れないと覚悟しないとでそこに飛び込んでいくパイロットたちにはせめて旨いモノをってのがあったのかも知れませんね。まだ物資欠乏もしていなかったですからね
航海手当も激増する長距離作戦だったので、規則に応じた特別加算食が出たのです
かなり興味のある話です😃ある程度普通の水兵より、良かったとは、聴いてましたが、トイレはどうしてか疑問でしたね!戦史漫画などで多少は知ってましが、具体的に知れて良かったです🎶多分読まれて居ると思いますが、滝沢先生(名前間違いだとスミマセン)の漫画がリアルで良かったです💯
今でも長距離トラックの運ちゃんがペットボトルでやる様にサイダーの空き瓶が尿瓶がわりに使われてたと聞きますね
@@144sin それとか、あぶらとり紙に入れ、外に投げるとかな大は知らん
小便は、操縦席で垂れ流す場合も多かった。座布団代わりの落下傘が、それでダメに…
永遠のゼロでは落下傘に染み込ませてたみたい
昭和40年代の少年雑誌に、「当時の飛行士は巻き寿司を持っていった。唾が出て食べやすかった」と書いてあったのを覚えてる。
よくしらべましたねー 脱帽です
今でも自衛隊の飛行要員には「航空加給食」っていうのがあるそうですね。大体はバナナ一本とかプリン一個とかそのくらいらしいですが。
一人に一日数百円の予算が付いておやつや夜食が出るそうですね。
@@kovaman8476 議員なんぞ仕事していなんだから、自衛隊への予算を上げるべきだな。
自衛隊の方には良い物を食べて頂きたいです。そのくらいの予算は事実上いくらでも付けられますから。
陸軍では敵陣に総突撃する際先頭に立つ指揮官は直前にヒロポンを服用したそうな…😅
熱量食…もしかしたらショートブレッドの日本軍版かな?元海軍の叔父さんがよく、いなり寿司の缶詰とか粉末卵で作った卵焼きとか食べた!と。両方共に見たコト無いと言ったら(当時私は小学生)「そうだろうなぁ…戦後になってから見かけなくなっちまったモンも有るからなぁ…でも、今一度食ってみてぇなぁ…」と言ってましたネ
意外に豪華
ウチのオバァが戦時中、米が食えなくて魚と芋しか食べれなかったから甘いモノは全部高級品って思ってたww
今は安い
3:52同じような理由で「出撃前に納豆を食べるのは厳禁」だったと新谷かおる先生の漫画で読んだことがある。
納豆を食べることが推奨されたんじゃなかったっけ?腸内のガス発生を抑えるために、、、って栗原が神田に言ってたような。
美保ちゃんのウェディング納豆事件でしたね。 最後のページ泣けた…。
@@ken8457 逆だったか、大変失礼しました。うっわ恥ずかしい😅。
新谷氏の漫画はあてにならんぜ、古い作品に、排気タービンに使うマグネシウム合金が日本にない、とかいうのがあってな。塩水かけただけで粉になっちまうマグネシウムを900℃の排気にさらしたら一発で焼失するのに、と思いながら読んだ。
@@NV124KX660 マグネシウム合金使うのは、吸気側のインペラじゃネ?😀
赤城はメシウマ艦で甘味系が充実していたそうです.艦これの赤城の大飯位は史実と,初期に出てくる資材大量消費艦の所為がごっちゃになっているらしいです.重油の量だとビス子が一番で大和武蔵は大きさからすると省エネだそうです.二次創作の赤城が「お艦」のものはメシウマ艦の史実からかと.住環境はかなり酷かったそうで.
しかも大和については「あれだけの装備をよくもこれ程コンパクトにまとめられたものだ」と設計者のお一人が述懐されている映像を十年くらい前に見て、驚天動地でした。子供向けの本にはいかに大和武蔵が大きかったかという解説しか有りませんでしたから。更に割と最近他の動画で大和級の15万馬力って重巡並の出力だと知って愕然としました。
艦これ設定は存じませんが、赤城は予算不足で二次改装後も戦艦用のどでかい烹炊所が縮小されていないので、副食やらの設備が充実していたのかも知れません
@@noritsunemunemasa5348 当初計画ではもうちょっと大馬力にする予定だったけど信頼性のある主機を選択したためって聞きましたね(何かあった時に直すのが大変過ぎるし代用出来る艦も居ない新型だから)
@@sei-un その様な事情が有りましたか。何にしても、様々な制約の有る中何とか工夫して作り上げたみたいな物の中から傑作が生まれる場合が少なからず有る様です。勉強になりました。感謝します。
@@noritsunemunemasa5348 搭載数が違うけど駆逐艦(陽炎型だったかな?)でガンガン使ってて実績のある主機を使ったとかだったと思います
応急食のビスケットが「しるこサンド」だった💦
学研の帝国陸軍戦場の衣食住に熱量食[第一線](現代のカロリー・メイト相当)焼麺麭(乾パンみたいなの)が掲載されているが…実際に食べられたのかな?
自衛隊法でも特定の条件下においては覚醒剤が隊員に支給され、その使用が法律により許可されると聞きますし、本当に軍隊は過酷ですね(T△T)
一応、自衛隊法にも覚醒剤の云々というのがありますがこんなの使う事態ならないように祈るばかりです。(自衛隊法は有事前提で制定されています。)
戦闘薬の使用は軍人を守るための意味もあるので普通の軍隊ならどこでも保有されてますからね・・
靖国神社の記念館で玉羊羹が戦闘機乗りの糧食として紹介されて購入もできましたね
ヒロポンは可能性高いだろうねぇ。戦時中に限らず戦後から高度経済成長前期あたりまでヒロポンは合法で続く残業を乗り切るために飲まれてたし、そういうチラシもまだ残っているぐらいですし、戦時中の流れで飲んでいたのかも。ですね。
サイダーは上空だと気圧低いからメントスコーラ状態とかにならなかったのだろうか?
一旦栓開けて炭酸抜いてから栓を叩いてはめ直したらしいですよ
開幕 お前たちの貴重な時間を のくだり草
なんとなくだけど魚肉ソーセージとか炭水化物タンパク質脂質が含まれてて腹持ち良くて常温保存可能に片手で食えるってこの時代にあれば軍に使われそう
自衛隊じゃ、行動食的な扱いですよ
魚肉ソーセージは日水ですよねぇ。しかも、細い方。唇に触れた時のツルツル感と、あの独特の歯ごたえと。
あと、かねの留め具が無くなってるのも、小さな大発明。
魚肉ソーセージの兄弟たる蒲鉾ならかなり機上で食されていましたが塩分が強すぎて喉が渇くと避ける搭乗員も結構居たみたいです
霊夢さん、魔理沙ださん、お疲れ様です、こんにちは、最近は暑くなりましたね。私はできます毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は、真珠湾攻撃の話ですね。で、私は、今は亡き従兄弟の話を聞いた話では、昔は、握り飯と、梅干しと、お新香を持参したみたいですね。で、色々と生活が大変でしたみたいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年(6月2日筆記😞🤔
昔、修学旅行で東北に行きました、地元のヤンキーが旅館の外から僕らに「アーユーポンチュー?」て喧嘩売って来たので皆で凹りましたね
今日は 叔父は搭乗員でした ゴムチューブに入った羊羹もありました葡萄酒とか リポDの元祖みたいな物もあったそうです ヒロポン 薬局で買えました 平成に出撃して 帰りません
ゴムチューブの羊羹って北海道の「まりも羊羹」みたいな物かな?
@@prc148mbitr 出撃前 (此岸に居る時)ずいぶん昔になります確かリポDが発売され始めた頃の話ですので 儂ゃ 「こんなの航空隊に居る時呑んだ」と吐いた その時点の事なので詳細は忘れました
@@さとうひさよ ヒロポンは戦後、規制法ができるまで売られていたみたいですね。
@@prc148mbitr はい 買えました親戚 薬局やってました 当家は村の萬屋やってます 荒物~食糧費ちょい前迄 家電 肥料 も販売してました
だから自衛隊時代の増加食にみつ豆の缶詰がよく出てたのかー
8:41 陸軍ではありませんぜ、海軍ですよ。
特攻に覚醒剤か…確かに後のこと考えなくて良いなら凄い効果発揮しそうだね。
ナチスドイツでは、疲労軽減のため麻薬を配って、不眠不休で電撃戦戦った。でも、最後のほうは恐怖心を紛らわすために使われた
特攻隊もヒロポン打って、1杯引っ掛けて突っ込んだぞ。多くは落とされたけどな。
坂井三郎氏によると、ピロポン打った搭乗員は大抵帰ってこなかったらしい。
空自のパイロットはソイジョイとか一本満足とか至急さてとるで。
陸自でも加給食であるぜw
ソイジョイは豆殻や豆滓原料だからやめてあげて欲しい…屁が出るのは陸だといい事じゃない…
>ヒロポン「ち、ちがう、これはただのビタミン剤じゃ・・・」
疲労がポン!と飛ぶ👥
まあ普通のひとにとってはビタミン剤の強いやつ程度の薬で、一部のひとにはキ〇〇イ薬みたいですよ。
ムスビ嘘をつけ!
暗視ホルモンだろ?
眠くならない❗️🤪
ち、ちがう、これはただのビタミン剤じゃ・・・
うそつけ!!ムスビ!!
はじめのうちはサイダーやコーヒーを飲ませてもらっていたのに、戦局が悪化するとヒロポンに変わった…これは闇が深い。不謹慎ですが面白かったです。ヒロポンは今でもマルCを大日本住友製薬が持っていると唐沢俊一さんの本で知りました💦
坂井三郎が教官時代のときは、生卵が増加食だったそうな。あと、肝油とか。
航空弁当を食べるのは中攻の搭乗員ですね。ある時、オカズが焼き魚で酸素マスクする息が臭くなったので凄く不評だったらしい。熱食料は森永ミルクキャラメルとか食べてて、中攻の野中少佐なんかは機上で野点のお茶を出す時「粗菓ですが」ってキャメル出してたらしい。飲み物はサイダーだけでなくカルピスとかシトロンとか結構な種類はあった。覚醒剤は陸軍がドイツの軍需工場で覚醒で生産性が上がった事に目をつけて導入したのが始まりで覚醒入りチョコとか作ってたんです。海軍は大っぴらに覚醒剤は使用はしてないと思います。ヒロポンとかアレは陸軍航空隊の話だと思う。ラバウルで坂井三郎が栄養剤言われて打たれてのが戦後、再会した軍医に実は覚醒でした言われたって話はあるけど。
資料を見ても大体が陸軍でしたね。海軍はヒロポン資料がほぼ無いです供給源を満州に持っていたかいないかの差なのでしょうか
疑問!空母に乗ってる航空機の整備兵は 陸軍の歩兵たちと比べて 良い物を食べれたのだろうか?
海軍の艦船の乗組員は前線に居る陸軍の歩兵よりは食事は良くラバウルで陸軍の辻正信参謀が海軍との会議に来て海軍は普段の食事を出したが辻は「海軍はこんな贅沢な物を食べて居るのか」と怒り海軍は機嫌を治す為に特別に出した物ですと言って場を収めたエピソードが有る。
@@73moto となると陸軍の島の飛行場の整備兵よりも空母の整備兵の方がよかったのですね
よく"海軍は陸軍より良い物を食べられた"と言われていますが、ある意味これは当然のことなんです。何故なら陸軍は行軍中はざっくり言って毎日がキャンプ飯なのに対して(キャンプをやった事ある人はこの苦労が判るはず)、海軍の場合は軍艦に整った調理設備(烹炊場)があり(潜水艦はそもそもスペースに余裕がないため例外)、ちゃんとした食事が出せるからなんです。もっとも軍艦の場合、一歩間違えれば艦もろとも海の底に沈むわけですから、相応の食事を出さないと士気を保てないからでしょうね。
@@73moto 陸軍の辻参謀は海軍の食事に対してやたらと僻んでいた事で有名ですからね。「大和」での食事会でも「鯛の刺身に鯛の尾頭付きとは、まるで『大和ホテル』だな」と嫌味を言い、これが『大和ホテル』の語源とする説までありますから(ただ、生き残った「大和」の元主計科員の証言によると「そんな無粋な献立は絶対にしない」らしいです)。
@@AAA1Andromeda 明治初期に海軍は洋風にして食事をパン食にしたら和食に馴染んだ下士官や水兵が怒りストライキに発展した事が有った。
ヒロポンですが。確かに第二次世界大戦時の日本軍パイロットはヒロポンを使うことがあったのは事実です。が、特攻隊より特攻隊ではない熟練パイロットが使うことが多かったみたいです。と、言うのも大戦末期の日本では熟練パイロットが不足し本土防空の為や特攻隊護衛の為の熟練パイロットは休む暇がなく疲労を回復する為にヒロポンを打ったと聞いた事があります。
動画の途中に割り込んでくる広告、金曜ロードショーのCM並みに苛立つ。特にスキップ出来ないのは最悪。多くの配信者からすれば必要なモノだろうが、しかし大抵はインチキ臭さ満点で、釣られる人間がいるとも思えない。審査とかどうなってるのだろうか。 それが無いというだけでもこのチャンネルは気持ちよく見られます。勿論内容も面白いしね。
覚醒剤について悪く言われてるけど、ドイツでは覚醒効果のある薬物チョコレートとかアメリカ軍とかも結構使用してたからわりかし当時の軍では常用されてた
なにより医療用とかにモルヒネが多く使われている以上、軍隊と薬物はどうしても切り離せない。だから闇ってことはないと思う(実際米軍でもアンフェタミン系薬物は普通にパイロットへ支給されてるし)
特攻に関しては基本的に恐怖があった人も多かったけど、同時に攻撃機乗りとかは損耗率が特攻並みに激しかったことによる意識の違いとかもあるし、そこらへんに薬物云々絡めるのは間違いだと思う(当時の日本の国民意識、攻撃機乗りはほぼ死ににいくようなものと呼ばれていた世情も考えると、特攻は薬物によって頭が麻痺した人が行ったみたいな事を言うのはだいぶ違う)
少なくとも軍隊という情報とソースが物を言う題材を扱っているのなら、そこらへんちゃんと調査してから動画にしてもらえると幸いです。動画を見た方が間違った知識を持つことは危ないので
ヒロポンはタラちゃんが間違えて飲んでしまうくらい昔は家庭に普通に有ったからな。時代だよねぇ。
@ぷっぷくぷー 原作のサザエさんでそんなシーンがあります。アニメは分かりませんが…
@ぷっぷくぷー サザエさんの原作は終戦直後の昭和21年からの掲載です。まだ闇市とかがある時代で昭和26年に覚せい剤として規制されるまで疲労回復薬として一般でも入手可能でした
タラちゃん「飛べそうでちゅ〜」
太平洋戦争時、日本海軍のパイロットはウイスキーを飲みながら操縦していたのか?サイダーは出撃前に蓋を開けて炭酸を抜いてから持っていったらしいですよ。
全く不明の者ですが、アルコールは少量なら返って目が冴えますよね、医学的にも覚醒作用が認められていると思います。昭和の終わり教育実習でお世話になった中学校の林間学校の登山の打合せで気付け薬としてウイスキーを持って行くかどうか検討していましたね。それから、飲酒運転の取り締まりが厳しくなったのは昭和の終わりから平成にかけてじゃないですかね。ずれてたら済みません。
英国海軍の影響で、日本海軍は艦長が許可したら全員に酒配給するぐらいには規則が緩いですがパイロットは高空だとあっという間に酩酊するので文字通りの気付け用です呑みながら飛行するのは自殺行為です
長いままののり巻きを食べていたという記述を見たことがあります。
缶詰飯は本当に美味かった!防衛省技術研究所が汗水垂らして作った缶詰沢庵も最高だぜ!
コーンビーフベジタブル……
8:49『陸軍』の陸攻隊・・・?
日本ではサラリーマンのためにコンビニで手軽に買えるドラッグがある。その名もストロングゼロ、ちなみに海外では日本ほど手軽に9%のアルコール飲料を入手する事はできない国が多い。今も昔もやってる事はあまり変わらない。
コロナ禍で外飲みが増える原因ですね。
えっ!?買えるのは買えるでしょ。ウォッカにテキーラ、ワインでさえ10%越えてるのに何を言ってるんだ?アルコール自体なら販売場所時間を規制してる国は多くあるけど9%だからというのは聞いたことがない。ただ、日本のは甘いジュースカクテル系の飲みやすいのが多いとは思うけど酒としてはアルコールは低い方だよ。
ストロングゼロが色々言われてるけど、あんなものただの飲み過ぎ。口当たりは良いからがぶ飲みできるだけ。
現代はどうか、わかりませんけれども。戦争になればモルヒネなどの薬物、必需品じゃなかったのでしょうか。
みつまめ知らない人いるの?坂井三郎の本でサイダーは離陸する前から栓を緩めておくって書いてあった。上空で栓開けると噴き出すらしいですね。
薬物が体に悪いとか思われていなかった時代ですね。コカコーラも最初はコカインが入っていて、だからコカ・コーラだし。
潜水艦等でビタミン剤の摂取し過ぎによる障害を指摘されて使用回数制限がありましたから、海軍内なら多用の弊害を周知していた筈です
ヒロポンに関しては諸事情あり。戦前までは普通に民間人も使っていたような。今でいうとこの精力剤や栄養ドリンク剤のようなものでは。闇とおっしゃいますが、戦前の感覚ではそこまで悪いという感情はなったのでは。親戚の人から昔はよくやっていたと聞きました。ビートたけしもヒロポンは簡単に手に入るし薬局で売っていたのでは????。
酒も飲むとキ○○イ化するひとが多いからヒロポンを悪魔みたいに言うのはなんだかな。私はやってませんよ
朝日新聞で連載していたサザエさんではお隣の小説家で伊佐坂先生が錠剤のヒロポンを服用していたがタラちゃんが誤ってヒロポンを飲んでしまいラリったのが有った。
機上食ではサンドイッチやいなり寿司などが好まれたそうです。航空応急食、機上応急食とも言いますが、ウイスキーボンボンなどもありました熱量食=栄養食はまさにカロリーメイト的なものです。
当時、航空食の研究所が、清水区に有ります
まさかのカロリーメイト…。
おクスリ使ったにしてもガンギマリじゃマトモな操縦・作戦行動なんかできないから、それなりに加減した用法でビタミン剤射ってたと思うぞ。
坂井三郎が部下を安心させるために海苔巻きを食ったりサイダーを飲んで見せたりしたという話は読んだことがあります。大戦末期になると食糧事情が悪化してくるので、航空兵員の増加食を減らそうという動きもあったようですが、お偉いさんを実際に練習機に載せて、パイロットのキツさを分からせた話もありましたね。
大空のサムライで読んだのですが、サイダーは地上であらかじめ栓を緩めておいたらしいです。気圧の低い上空で栓を開けると全部吹き出してしまうからだそうです。
坂井三郎さんはガダルカナル初出撃の際、つい栓をゆるめておくのを忘れてしまい、風防にサイダーをぶちまけて、ガラスに砂糖分がこびりついてしまったのをガダルカナル上空に到着するまで必死で三角巾につばをつけながら拭き取るはめになったそうです。
「縁起が悪いな」と思ったらしいですが的中しました。なんとか生きて帰ってこられましたが。
読んだ読んだ。あとかんぴょう巻き美味しそうだったね。
昭和17年公開の海軍省の記録映画「海鷲」の航空弁当(爆撃機)のメニューは、
巻寿司(椎茸・干瓢・オボロなど)・出し巻卵(グリーンピース入り)・沢庵漬
け・増加食(ミルクコーヒー・パインアップル・熱量食)・睡眠時飲料(フルー
ツポンチ)となっていました。
死んだ親父が陸軍の戦闘機乗りでした。サイダーを機上に持って行った話を聞いたことがあります。あと、具体的に何を食べていたかまでは聞いていないのですが、将校と兵隊では食べるものが全然違った、とか、給料がめちゃくちゃよかったけど、満洲で使うところもなく金が貯まったと言っていました。
大戦中の輸送機のパイロットの人の話だと、凍ったおにぎりを歯で削りながら食べたそうです
ち
ううううううう・・・・・当時を思うと可哀想すぎる。
レンチン🍙。。。が待ち望まれる
それは輸送機だからでは?
こんばんは。
操縦の妨げにならないように片手で食べられる食の内容になるほどなぁと納得させられました。
おはぎの写真についての概要欄のご説明が
先生のユーモアたっぷりの表現に思わず微笑んでしまいました!配信ありがとうございました!
航空弁当については艦攻艦爆艦戦の小型機と陸攻のような大型機がごっちゃになってる気がするけど、糧食解説系動画に飢えてたからマジありがたい!
当時の卵焼きは今の時代のステーキ並みのご馳走だったらしいです。
さすが海軍さん、サンドイッチとかコーヒーとか紅茶とかウィスキーとかフランス菓子とかハイカラですね
”機上携行食”、飛行時間3時間越え、なんてのは航続距離1500km以上を誇る零戦などの日本軍航空機ならでは、って感じですね。
他国の軍用機では爆撃機や輸送機を除いて、そんな航続距離はありえなかったから…。
”ヒロポン”は戦後しばらくの間は、普通に薬局で買えたとかなんとか…。
大空のサムライでも坂井三郎さんが被弾された後に巻き寿司を食べるエピソードがありましたね。
操縦中に、取り落とすことなく片手で食べられるのが利点。そう書かれていたのを覚えています。反射神経鈍化を防ぐ為に、空戦前は海苔巻きを半分だけ食べる。残りは帰途の楽しみにするともありました。ちなみに自分が読んだのは、同作を児童書向けに書き下ろした『ゼロ戦の勇者』の方でした。原作では、(ドーントレス編隊を攻撃時)被弾した後で弁当を食べたのですか?知りませんでした。自分が読んだ方では、空戦と無関係な雑ネタとして語られていました。
上空の低圧対策であるガス抜き忘れて機内で暴発、風防内側がサイダーにまみれてべとべとになったというエピソードが…
坂井さんが新人が乗る僚機の不安を押さえる為に航空糧食のバナナを食べて余裕の態度を見せたエピソードが有る。
@@タカハマタタカタ-m1nさん
それが原因で集中力が低下して戦闘機と急降下爆撃機を見間違える初歩的なミスを犯して重傷を負ったのですね。
実際「あのミスが後年、親友の武藤(金義)を戦死させる遠因(343空から自身が異動、公認に武藤金義が行き、彼が戦死した為)にもなった」と語ってます。
風防ガラスにこびり付いた糖分を、唾液で湿らせた布で拭き取る。
こういう解説は知らないことだらけで勉強になるね。
海軍の機上応急食にはパッケージが2種類あったと記憶しています。
炭酸せんべい、熱量キャラメル(海軍熱糧食?)、勝ち梅、勝男武士(かつおぶし)等おやつ的なものが詰められていて、
楽しみにしていた人も多かったようです。
海軍基地や大型艦にはラムネ工場があったため、飲み物は地上で気を抜いたラムネを持っていくことが多かったようです。
確か、大空のサムライで有名な坂井三郎はサイダーの炭酸を出撃前に抜き忘れて出撃し、上空で栓を開けたら気圧差で噴き出してコックピット内や風防をベタベタにして焦ってしまったとか聞いた事がある
「零戦燃ゆ」で、主人公が操縦しながらバナナ食ってたのが印象的だった。
ヌガーは結構みんな食べているぞ
スタンダードなチロルチョコの中に入っている白いやつ
何も考えずに強く噛むと歯がおれそうになるアレ
浅草名物雷おこし…
それ、昔の奴ね、今の中身のヌガーもちゃんと三つに分かれているやつは、硬くならないよ。
スニッカーズにも入ってるよね
歯の詰め物がくっついて取れちゃう奴。
プッチョで詰め物取れたっけ(^_^;)
戦記を読むと「ぼた餅」が良く出てきたと思いますね。
現在、哨戒機に乗ってる人達は
長時間の任務だと機上で何か食している筈なので、メニューが気になります。
学研の帝国陸軍戦場の衣食住(だったと思う)で読んだ話だが陸軍にもカロリーメイトに近い食品があったとか
簡易ラムネ製造器があったり三ツ矢サイダーが飲まれてとか
艦上爆撃機のパイロットさんは行ってました作戦訓練させられた魚雷投下訓練は真珠湾攻撃の為の訓練だったと後で知ったそうです、
海軍のラムネは清水の保存節約が主目的で、艦の消火用の二酸化炭素ガスで製造してたらしいです。
故人だが、海軍パイロットだった仕事の大先輩がいて、よく戦中は塩の効いた梅の握り飯が大好きだった。空は寒いから味覚が悪くなる。塩が見えるくらいのげんこつみたいな握り飯が懐かしい。
下にいるとなかなか腹に溜まらないから率先して飛んだ。命は惜しいが腹が満たされる方が大事だった。と言ってたな。
貴重な証言を留めて下さり、感謝します。極真の大山倍達氏が「腹が減るくらい怖い事は無い」と言われていました。「空手バカ一代」に事実は殆ど無いらしいですが、この言葉に嘘は無いと思えます。私如き満腹世代には意味不明の言説ですが。
面白かったです。日本以外の航空糧食もぜひ解説おねがいします
大戦末期に岩川基地に展開した時期の芙蓉部隊の食事も粗末で、おかずが昆布、あらめ、ひじきの海藻料理にたまに小さな塩鮭か付くだけとか。
司令部に改善要求出して、やってきた調査隊にも隊員と同じ食事出したら、すぐに大量のコンビーフとか貨車一杯の食料が送られてきたそうだけど。
基本、搭乗員はガス防止のために白米が支給されて、整備兵等地上員は麦飯だったという。
航空糧食で羊羮が人気が有ったが四角いままだと食べにくいのでゴム風船に羊羮を入れた玉羊羮が開発されて現在でも販売されて居て靖国神社でも遊就館のお土産コーナーで販売している。
そういう経緯だったんですね。地上では普通の羊羹の方が食べ易いですよねぇ笑。
食事内容は思ったよりも良かったですね、調べていて驚いたのが零戦にはレーダーが無かった事、コンパスと天測図と空を見ながら飛行した様です😲だから片手で食べられる物が好まれたのかも知れません。
零戦どころか艦艇用にもろくなレーダーなし、電探と言いラッパ型の電波放射器、潜水艦のアクディブソナーのような使い方!
アメリカは、回転式アンテナに距離と方向が分かるレーダースクリーン!負けは決まり!
戦闘機にレーダーを装備するのはF4ファントム以降か?86も104も無かったような気が???
意外と豪華な食事されていたんですね、搭乗員さんは、(パイロットさん)
航空弁当に稲荷寿司が描かれていた漫画が有りましたね・・ニューギニアが舞台の作品だった。
戦争後半になるとベテランパイロットは掛け持ち任務が多過ぎて睡眠時間が碌に無いため、ヒロポンを多用したそうです。
飛行中に突然意識を失うケースも有ったとか・・戦争が終わるのが先か、過労死するのが先かと言う状況なんですね。
ビール瓶を積んで出撃し、帰還後に上空で冷えたビールを飲んだ部隊もいたらしいです。
御飯食べたら出さなきゃならないですが、小はなんとか出来たそうですが大きいのは我慢するしかなかったようですね、今は紙おむつとか使ってると聞いた事があります。
ガ島攻撃帰りの零式搭乗員が猛烈な下痢に耐えられず、飛行中にもかかわらず風防を全開して"ハコ乗り"状態で排便したそうな😂
ラバウルに帰投後、機体側面のカピカピに乾いた下痢便をドライバーでコサギ落としていたら、「大事な機材(機体)が傷ついたらどうするんだ!」と一喝されて、泣く泣く濡れ雑巾でウ○コまみれになって拭き取ったそうな😅
うちは甘味処をしていますが、みつ豆に餡を加えたものがあん蜜です
パイロットにドラッグを渡すのは、日本軍だけではなかったようです。
アメリカ軍でも、薬物の服用はあるようですよ。(現在も薬物を渡しているようです)
ですから、特攻に必ずしも紐づけられるようなものでもないような…
薬物やんなきゃやってらんないよね、あんな状況でねぇ?
ドイツでも使われてましたよね。兵士だけでなく国民に広く普及してたみたいです。
元はアレは眠くならないためと集中力の持続のためだとか?
パイロット用の航空弁当ではお稲荷さんも人気だったそうです。
甘くて力が出ますし、片手で食べられてご飯も手につきませんからね。
あと、撃墜王の坂井三郎氏が帰投時に列機共々先導機とはぐれてしまって
自分が部下を引っ張っていかなければならなくなったとき
余裕を見せて部下の不安を払拭するために航空弁当の海苔巻きを食べて見せたそうです。
その時に「かぶりついた」とか「見せびらかすように振り回して見せた」という記述があるので
海苔巻きは長い状態のものを切らずに持っていく恵方巻のようなものだったのかもしれません。
坂井さんといえばサイダー噴出事件を思い出す
長いやつを持って行って半分食べ、帰りに残り半分を食べるようにしていたとか…
細巻きの長いヤツだったそうです
機上食では 酢が効いた酢飯の海苔巻きが唾液が出て
食いやすくて良かったと言ってた
プリンス・オブ・ウェールズを雷撃した九六式陸攻は、海軍機だ……
零戦の撃墜王坂井三郎氏の食のほうの話はコメントされているようなので、下の方の話だと機上で尿意を催したときは操縦席の床にしてしまうそうです。放っておくといつの間にか乾いているとのこと。ただし多くはパラシュートに吸われたのではと言ってました。それでパラシュートは絶対に使い物にならなかっただろうと書かれてましたね。また陸軍の有名な加藤隼戦闘隊の加藤隊長が腹を壊し、機上でおもらししてしまったエピソードがありましたね。着陸後に操縦席の座席を指さして、整備員に何かしら指示してたと思ったら、そういうことだったそうです。
サザエさんにも波平が薬局で覚醒剤くださいと笑顔で言う場面があった。司法試験や国家試験でも覚醒剤は便利だったと 一人は女医さんもう一人は警察署長さんから直接聴きました。
97艦攻か天山の操縦手が回顧録で、なんでも牛数頭分使った薬で夜間出撃前に飲むと数時間夜でも目が見える薬を飲んだとあった。
ムスビ「ち、違う!これはただのビタミン剤じゃ!🤤💉」
↑このネタ知ってる人今でもいる?
はだしのゲンのムスビの名言
覚醒剤違いましたかね?
ヒロポン。まぁはだしのゲンは共産党のプロパガンダやからな。作者共産党員やろ?基本反日やからな、話し半分くらいでちょうどええんと違う。
@@まんぺいまんぺい
まー、確かに朴さん(在日朝鮮人)とか、日本軍が虐殺をやったとか色々言ってましたもんね、でもストーリーは結構面白いですよ。
確か、はだしのゲンのストーリーの中にシベリア抑留の事も書かれてましたよ。
@@鬼伏見
ムスビ「ち、違う!これはただのビタミン剤じゃ!🤤」
サングラスのバーテンダー「そーや、それビタミン剤じゃ😎」
死んだお母ちゃん背負うて天皇陛下に謝らすんやとかトチ狂うた事も描いてたし、都会ヘ働きに行く兄貴に死の商人にはなるなとかプロパガンダてんこ盛りやったから面白半分で読んだ記憶がありますな。最初は四十何年か前に少年ジャンプに連載しとったん違うかな小学生の頃読んでた気がするわ。
毎回ワクワクしながら拝見しています。
今回の、日本海軍の航空糧食は興味深く日本人らしさが感じられました。
特に、ヒロポンですが以前に実家の押し入れに敷いてあった新聞紙に
ヒロポンの広告が大々的に掲載いされていたのを見た記憶を思い出します。
戦後の日付けだと思いましたが?
これも、戦中戦後の暗い遺産なのでしょうか。
アップありがとうございました。
昭和50年頃「ドーベルマン刑事(デカ)」という漫画にヒロポンをテーマにした回が有ったのを思い出しました。
市販されていました、当時は合法です。動画のように現在の法規範道徳で語ってはいけません、原始時代に非暴力を訴えるようなものです。
坂井三郎氏が大空のサムライの中で、戦後ラバウル時代の軍医との対談でヒロポンを知らない間に打たれてたと書いてます。
航空機のパイロットは食事が優先されるのは、死亡する確率も高いからなんでしょうね。最後の食事になるかもしれないからいいものを・・・・というのと、空母とかにとって最大の武器でもあるから、しっかりコンディションを維持して貰わないと困るというところもあったと思います。
最後の食事というのは全然違います。
当時の操縦は非常に疲れるんで高カロリーの食事が提供されていたんですよ。
大戦末期に食事の直前に特攻出撃の命令が出て、飯抜きで出撃していったという話を聞いた飛行長が最後の飯くらい食わせてやれと激怒したという話があります。
ところで、空中勤務中の「入れる」ことは解ったけど、「出す」方はどうしたんでしょう。「小」は瓶とか使って外へ棄てられるけど、「大」の方は。
色々工夫(意味深)していたみたいですが、余裕がない時はシートに垂れ流していたそうです
尻の下に置くのが常だった絹製パラシュートはこれが原因で消耗が激しかったそうです
@@hanagamimui8700 さん
「垂れ流し」・・・!Σ(▼□▼メ)・・・絶句
開戦時の病院食と大戦末期の病院食をお願いしたいです。
戦争末期に本土決戦で陣地造らされた兵隊さん達のお昼御飯は芋のつる入りの米も僅かな雑炊だったと聞きました。
海軍飛行兵だった人が聞いてビックリしてましたね。
俺はもっと良い物を喰ってたと言ってました。
鳥の照焼、玉子焼、胡瓜の酢の物で御飯は白米ではなくて麦飯だったそうですが、丼大盛り食べれたそうです。
陸軍兵隊の方はあんな物を喰わされて重労働させられてたまらなかったと言ってましたし、何度も逃げ出そうかと考えてたそうです。
負けるのも時間の問題だったからなとも言ってました。敗戦ひとつき前の話でした。
弁当1つとっても海軍では士官と下士官で中身が全然違うという。なお、零戦みたいに1人乗りだったらいいが、一式陸上攻撃機みたいに何人も乗っている場合は、士官が部下におかずを少しずつ分けてあげるような事をするのが普通で、自分だけガツガツ士官食を平らげる様な士官は嫌われていた様です。
坂井三郎氏によると、ラバウルでの話ですがピロポンを打った搭乗員は大抵そのうち帰還しなかったそうです。坂井三郎氏にも当然「気付薬」「栄養剤」と称して接種するよう迫られましたが、一切拒否していたとのこと。
特攻の日には酒を飲んだらしいね
曰く「恐怖でまったく酔えなかった」との事らしいけど
昔は覚せい剤がドラックストアで買えたんだからすごい世界観よね
昭和30年くらいまでヒロポンは薬局で買えたそうです。※祖父母の世代に改めて聞いてみたら本当に買えたと確認済み 錠剤とアンプルと2種類あった模様
もっとも使ったら最終的に頭がイカれるという認識は当時からあったので普通は買わなかったらしいですけどね
亡父もヒロポンを若いときに働いた飯場で勧められたそうです。そんな恐ろしい薬は祖母に使ってはならんと言い聞かされていたので断ったら、鼻で笑われて揉めたそうです。
あの頃のヒロポンは戦意高揚剤として陸軍で普通に出されてたそうです。
ネットで昔見たのは、身体が疲れたので軍医の所に行ったら、笑いながらヒロポンを注射してくれたとの事。
戦後、引き揚げてくる軍人さんと一緒にヒロポンも来て、普通に出回ったという…
誤解のないように言っておきますが今でも覚醒効果のある薬物は普通にコンビニとかで買えます。エナジードリンクとか容器に書いてありますが。
当時も使われていたカフェインも覚醒効果があり(ヒロポンよりも)依存性や中毒症が弱いため今でも一般で販売使用されているのです
ヒロポンが薬事法に引っかかるようになったのは中毒性以上に注射器の使いまわしによる肝炎の増加や幻覚見るせいですな…
赤塚不二夫さんがトキワ荘時代を書いた自叙伝に締め切りの徹夜続きで疲労困憊の時に薬局に行ってヒロポンを打って下さいと言い薬局の人からヒロポンは止めましょうと注意された場面が有った。
気温は100メートルあたり0.6度下がるので、高度3000mで18度マイナス、高度6000mで36度マイナスになるので冬場なら上空は−30度近くになったでしょうね。
弁当などを持って行ったラバウルの航空隊とかは当時の航行技術的に高度5000mは飛ばないかと。海軍の十二試艦上戦闘機への要求性能が巡航高度は3000mでの算出。あまり高度を上げると航行の目標になるランドマークの確認もきつくなる
機上携行食の最多は海苔巻きといなり寿司でしたな
いなり寿司は完成品のパッケージが有ったので空母以外の水偵乗りみたいな人達の手記には良く出てきます
あと何故か龍驤搭乗員もよく食ってました。偏って大量補給されたのかも知れません
追記
陸軍航空隊のアンフェタミンやヒロポン使用は言及した書籍がありました
間宮のスイーツの解説リクエストします。
すでにあるぞ
陸攻って陸軍の攻撃機って思われがちですけど、海軍の陸上基地で使う攻撃機ですね
ヒロポンは整備士が寝ずに整備するために打っていたってのはなんかで見た気がする
真珠湾攻撃の往路は艦艇の乗組員も当時としては特別食みたいな良い物を食べてたって聞いた事がある。攻撃が終わった帰りは乾物とか漬物等の何時もの食べ物に戻ったとか。攻撃部隊は全滅覚悟の決〇隊だったみたいだからせめて食い物は、、、って計らいだったんだろうけど。
真珠湾攻撃は結果として奇襲だったけど強襲の可能性が高いと踏んでいたようですよ(予定では開戦通知後だからフィリピンとハワイは臨戦態勢を整えているはずってことだったみたいです)
敵の一大拠点が本気で迎撃態勢を整えて待ち構えているとしたら、そりゃ生きて戻れないと覚悟しないとでそこに飛び込んでいくパイロットたちにはせめて旨いモノをってのがあったのかも知れませんね。
まだ物資欠乏もしていなかったですからね
航海手当も激増する長距離作戦だったので、規則に応じた特別加算食が出たのです
かなり興味のある話です😃ある程度普通の水兵より、良かったとは、聴いてましたが、トイレはどうしてか疑問でしたね!戦史漫画などで多少は知ってましが、具体的に知れて良かったです🎶多分読まれて居ると思いますが、滝沢先生(名前間違いだとスミマセン)の漫画がリアルで良かったです💯
今でも長距離トラックの運ちゃんがペットボトルでやる様にサイダーの空き瓶が尿瓶がわりに使われてたと聞きますね
@@144sin それとか、あぶらとり紙に入れ、外に投げるとかな
大は知らん
小便は、操縦席で垂れ流す場合も多かった。
座布団代わりの落下傘が、それでダメに…
永遠のゼロでは落下傘に染み込ませてたみたい
昭和40年代の少年雑誌に、「当時の飛行士は巻き寿司を持っていった。唾が出て食べやすかった」と書いてあったのを覚えてる。
よくしらべましたねー 脱帽です
今でも自衛隊の飛行要員には「航空加給食」っていうのがあるそうですね。大体はバナナ一本とかプリン一個とかそのくらいらしいですが。
一人に一日数百円の予算が付いておやつや夜食が出るそうですね。
@@kovaman8476 議員なんぞ仕事していなんだから、自衛隊への予算を上げるべきだな。
自衛隊の方には良い物を食べて頂きたいです。そのくらいの予算は事実上いくらでも付けられますから。
陸軍では
敵陣に総突撃する際
先頭に立つ指揮官は
直前にヒロポンを服用したそうな…😅
熱量食…もしかしたらショートブレッドの日本軍版かな?元海軍の叔父さんがよく、いなり寿司の缶詰とか粉末卵で作った卵焼きとか食べた!と。両方共に見たコト無いと言ったら(当時私は小学生)「そうだろうなぁ…戦後になってから見かけなくなっちまったモンも有るからなぁ…でも、今一度食ってみてぇなぁ…」と言ってましたネ
意外に豪華
ウチのオバァが戦時中、米が食えなくて魚と芋しか食べれなかったから
甘いモノは全部高級品って思ってたww
今は安い
3:52
同じような理由で「出撃前に納豆を食べるのは厳禁」だったと新谷かおる先生の漫画で読んだことがある。
納豆を食べることが推奨されたんじゃなかったっけ?腸内のガス発生を抑えるために
、、、って栗原が神田に言ってたような。
美保ちゃんのウェディング納豆事件でしたね。
最後のページ泣けた…。
@@ken8457
逆だったか、大変失礼しました。
うっわ恥ずかしい😅。
新谷氏の漫画はあてにならんぜ、古い作品に、排気タービンに使うマグネシウム合金が日本にない、とかいうのがあってな。塩水かけただけで粉になっちまうマグネシウムを900℃の排気にさらしたら一発で焼失するのに、と思いながら読んだ。
@@NV124KX660 マグネシウム合金使うのは、吸気側のインペラじゃネ?😀
赤城はメシウマ艦で甘味系が充実していたそうです.艦これの赤城の大飯位は史実と,初期に出てくる資材大量消費艦の所為がごっちゃになっているらしいです.重油の量だとビス子が一番で大和武蔵は大きさからすると省エネだそうです.二次創作の赤城が「お艦」のものはメシウマ艦の史実からかと.住環境はかなり酷かったそうで.
しかも大和については「あれだけの装備をよくもこれ程コンパクトにまとめられたものだ」と設計者のお一人が述懐されている映像を十年くらい前に見て、驚天動地でした。子供向けの本にはいかに大和武蔵が大きかったかという解説しか有りませんでしたから。更に割と最近他の動画で大和級の15万馬力って重巡並の出力だと知って愕然としました。
艦これ設定は存じませんが、赤城は予算不足で二次改装後も戦艦用のどでかい烹炊所が縮小されていないので、副食やらの設備が充実していたのかも知れません
@@noritsunemunemasa5348 当初計画ではもうちょっと大馬力にする予定だったけど
信頼性のある主機を選択したためって聞きましたね(何かあった時に直すのが大変過ぎるし代用出来る艦も居ない新型だから)
@@sei-un その様な事情が有りましたか。何にしても、様々な制約の有る中何とか工夫して作り上げたみたいな物の中から傑作が生まれる場合が少なからず有る様です。勉強になりました。感謝します。
@@noritsunemunemasa5348 搭載数が違うけど駆逐艦(陽炎型だったかな?)でガンガン使ってて
実績のある主機を使ったとかだったと思います
応急食のビスケットが「しるこサンド」だった💦
学研の帝国陸軍戦場の衣食住に熱量食[第一線](現代のカロリー・メイト相当)焼麺麭(乾パンみたいなの)が掲載されているが…実際に食べられたのかな?
自衛隊法でも特定の条件下においては覚醒剤が隊員に支給され、その使用が法律により許可されると聞きますし、本当に軍隊は過酷ですね(T△T)
一応、自衛隊法にも覚醒剤の云々というのがありますがこんなの使う事態ならないように祈るばかりです。(自衛隊法は有事前提で制定されています。)
戦闘薬の使用は軍人を守るための意味もあるので普通の軍隊ならどこでも保有されてますからね・・
靖国神社の記念館で玉羊羹が戦闘機乗りの糧食として紹介されて購入もできましたね
ヒロポンは可能性高いだろうねぇ。戦時中に限らず戦後から高度経済成長前期あたりまでヒロポンは合法で続く残業を乗り切るために飲まれてたし、そういうチラシもまだ残っているぐらいですし、戦時中の流れで飲んでいたのかも。ですね。
サイダーは上空だと気圧低いからメントスコーラ状態とかにならなかったのだろうか?
一旦栓開けて炭酸抜いてから栓を叩いてはめ直したらしいですよ
開幕 お前たちの貴重な時間を のくだり草
なんとなくだけど魚肉ソーセージとか炭水化物タンパク質脂質が含まれてて腹持ち良くて常温保存可能に片手で食えるってこの時代にあれば軍に使われそう
自衛隊じゃ、行動食的な扱いですよ
魚肉ソーセージは日水ですよねぇ。しかも、細い方。唇に触れた時のツルツル感と、あの独特の歯ごたえと。
あと、かねの留め具が無くなってるのも、小さな大発明。
魚肉ソーセージの兄弟たる蒲鉾ならかなり機上で食されていましたが
塩分が強すぎて喉が渇くと避ける搭乗員も結構居たみたいです
霊夢さん、魔理沙ださん、お疲れ様です、こんにちは、最近は暑くなりましたね。私はできます毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は、真珠湾攻撃の話ですね。で、私は、今は亡き従兄弟の話を聞いた話では、昔は、握り飯と、梅干しと、お新香を持参したみたいですね。で、色々と生活が大変でしたみたいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年(6月2日筆記😞🤔
昔、修学旅行で東北に行きました、地元のヤンキーが旅館の外から僕らに「アーユーポンチュー?」て喧嘩売って来たので皆で凹りましたね
今日は 叔父は搭乗員でした ゴムチューブに入った羊羹もありました
葡萄酒とか リポDの元祖みたいな物もあったそうです ヒロポン 薬局で買えました
平成に出撃して 帰りません
ゴムチューブの羊羹って北海道の「まりも羊羹」みたいな物かな?
@@prc148mbitr 出撃前 (此岸に居る時)
ずいぶん昔になります
確かリポDが発売され始めた頃の話ですので 儂ゃ 「こんなの航空隊に居る
時呑んだ」と吐いた その時点の事なので
詳細は忘れました
@@さとうひさよ
ヒロポンは戦後、規制法ができるまで売られていたみたいですね。
@@prc148mbitr はい 買えました
親戚 薬局やってました
当家は村の萬屋やってます 荒物~食糧費
ちょい前迄 家電 肥料 も販売してました
だから自衛隊時代の増加食にみつ豆の缶詰がよく出てたのかー
8:41 陸軍ではありませんぜ、海軍ですよ。
特攻に覚醒剤か…確かに後のこと考えなくて良いなら凄い効果発揮しそうだね。
ナチスドイツでは、疲労軽減のため麻薬を配って、不眠不休で電撃戦戦った。でも、最後のほうは恐怖心を紛らわすために使われた
特攻隊もヒロポン打って、1杯引っ掛けて突っ込んだぞ。
多くは落とされたけどな。
坂井三郎氏によると、ピロポン打った搭乗員は大抵帰ってこなかったらしい。
空自のパイロットはソイジョイとか一本満足とか至急さてとるで。
陸自でも加給食であるぜw
ソイジョイは豆殻や豆滓原料だからやめてあげて欲しい…屁が出るのは陸だといい事じゃない…
>ヒロポン
「ち、ちがう、これはただのビタミン剤じゃ・・・」
疲労がポン!と飛ぶ👥
まあ普通のひとにとってはビタミン剤の強いやつ程度の薬で、一部のひとにはキ〇〇イ薬みたいですよ。
ムスビ嘘をつけ!
暗視ホルモンだろ?
眠くならない❗️🤪
ち、ちがう、これはただのビタミン剤じゃ・・・
うそつけ!!ムスビ!!
はじめのうちはサイダーやコーヒーを飲ませてもらっていたのに、戦局が悪化するとヒロポンに変わった…これは闇が深い。不謹慎ですが面白かったです。ヒロポンは今でもマルCを大日本住友製薬が持っていると唐沢俊一さんの本で知りました💦
坂井三郎が教官時代のときは、生卵が増加食だったそうな。あと、肝油とか。
航空弁当を食べるのは中攻の搭乗員ですね。ある時、オカズが焼き魚で酸素マスクする息が臭くなったので凄く不評だったらしい。熱食料は森永ミルクキャラメルとか食べてて、中攻の野中少佐なんかは機上で野点のお茶を出す時「粗菓ですが」ってキャメル出してたらしい。飲み物はサイダーだけでなくカルピスとかシトロンとか結構な種類はあった。覚醒剤は陸軍がドイツの軍需工場で覚醒で生産性が上がった事に目をつけて導入したのが始まりで覚醒入りチョコとか作ってたんです。海軍は大っぴらに覚醒剤は使用はしてないと思います。ヒロポンとかアレは陸軍航空隊の話だと思う。ラバウルで坂井三郎が栄養剤言われて打たれてのが戦後、再会した軍医に実は覚醒でした言われたって話はあるけど。
資料を見ても大体が陸軍でしたね。海軍はヒロポン資料がほぼ無いです
供給源を満州に持っていたかいないかの差なのでしょうか
疑問!空母に乗ってる航空機の整備兵は 陸軍の歩兵たちと比べて 良い物を食べれたのだろうか?
海軍の艦船の乗組員は前線に居る陸軍の歩兵よりは食事は良くラバウルで陸軍の辻正信参謀が海軍との会議に来て海軍は普段の食事を出したが辻は「海軍はこんな贅沢な物を食べて居るのか」と怒り海軍は機嫌を治す為に特別に出した物ですと言って場を収めたエピソードが有る。
@@73moto となると陸軍の島の飛行場の整備兵よりも空母の整備兵の方がよかったのですね
よく"海軍は陸軍より良い物を食べられた"と言われていますが、ある意味これは当然のことなんです。
何故なら陸軍は行軍中はざっくり言って毎日がキャンプ飯なのに対して(キャンプをやった事ある人はこの苦労が判るはず)、海軍の場合は軍艦に整った調理設備(烹炊場)があり(潜水艦はそもそもスペースに余裕がないため例外)、ちゃんとした食事が出せるからなんです。
もっとも軍艦の場合、一歩間違えれば艦もろとも海の底に沈むわけですから、相応の食事を出さないと士気を保てないからでしょうね。
@@73moto 陸軍の辻参謀は海軍の食事に対してやたらと僻んでいた事で有名ですからね。「大和」での食事会でも「鯛の刺身に鯛の尾頭付きとは、まるで『大和ホテル』だな」と嫌味を言い、これが『大和ホテル』の語源とする説までありますから(ただ、生き残った「大和」の元主計科員の証言によると「そんな無粋な献立は絶対にしない」らしいです)。
@@AAA1Andromeda 明治初期に海軍は洋風にして食事をパン食にしたら和食に馴染んだ下士官や水兵が怒りストライキに発展した事が有った。
ヒロポンですが。確かに第二次世界大戦時の日本軍パイロットはヒロポンを使うことがあったのは事実です。が、特攻隊より特攻隊ではない熟練パイロットが使うことが多かったみたいです。と、言うのも大戦末期の日本では熟練パイロットが不足し本土防空の為や特攻隊護衛の為の熟練パイロットは休む暇がなく疲労を回復する為にヒロポンを打ったと聞いた事があります。
動画の途中に割り込んでくる広告、金曜ロードショーのCM並みに苛立つ。特にスキップ出来ないのは最悪。多くの配信者からすれば必要なモノだろうが、しかし大抵はインチキ臭さ満点で、釣られる人間がいるとも思えない。審査とかどうなってるのだろうか。 それが無いというだけでもこのチャンネルは気持ちよく見られます。勿論内容も面白いしね。
覚醒剤について悪く言われてるけど、ドイツでは覚醒効果のある薬物チョコレートとかアメリカ軍とかも結構使用してたからわりかし当時の軍では常用されてた
なにより医療用とかにモルヒネが多く使われている以上、軍隊と薬物はどうしても切り離せない。だから闇ってことはないと思う(実際米軍でもアンフェタミン系薬物は普通にパイロットへ支給されてるし)
特攻に関しては基本的に恐怖があった人も多かったけど、同時に攻撃機乗りとかは損耗率が特攻並みに激しかったことによる意識の違いとかもあるし、そこらへんに薬物云々絡めるのは間違いだと思う(当時の日本の国民意識、攻撃機乗りはほぼ死ににいくようなものと呼ばれていた世情も考えると、特攻は薬物によって頭が麻痺した人が行ったみたいな事を言うのはだいぶ違う)
少なくとも軍隊という情報とソースが物を言う題材を扱っているのなら、そこらへんちゃんと調査してから動画にしてもらえると幸いです。動画を見た方が間違った知識を持つことは危ないので
ヒロポンはタラちゃんが間違えて飲んでしまうくらい昔は家庭に普通に有ったからな。
時代だよねぇ。
@ぷっぷくぷー
原作のサザエさんでそんなシーンがあります。アニメは分かりませんが…
@ぷっぷくぷー サザエさんの原作は終戦直後の昭和21年からの掲載です。まだ闇市とかがある時代で昭和26年に覚せい剤として規制されるまで疲労回復薬として一般でも入手可能でした
タラちゃん「飛べそうでちゅ〜」
太平洋戦争時、日本海軍のパイロットはウイスキーを飲みながら操縦していたのか?
サイダーは出撃前に蓋を開けて炭酸を抜いてから持っていったらしいですよ。
全く不明の者ですが、アルコールは少量なら返って目が冴えますよね、医学的にも覚醒作用が認められていると思います。昭和の終わり教育実習でお世話になった中学校の林間学校の登山の打合せで気付け薬としてウイスキーを持って行くかどうか検討していましたね。それから、飲酒運転の取り締まりが厳しくなったのは昭和の終わりから平成にかけてじゃないですかね。ずれてたら済みません。
英国海軍の影響で、日本海軍は艦長が許可したら全員に酒配給するぐらいには規則が緩いですが
パイロットは高空だとあっという間に酩酊するので文字通りの気付け用です
呑みながら飛行するのは自殺行為です
長いままののり巻きを食べていたという記述を見たことがあります。
缶詰飯は本当に美味かった!
防衛省技術研究所が汗水垂らして作った缶詰沢庵も最高だぜ!
コーンビーフベジタブル……
8:49『陸軍』の陸攻隊・・・?
日本ではサラリーマンのためにコンビニで手軽に買えるドラッグがある。
その名もストロングゼロ、ちなみに海外では日本ほど手軽に9%のアルコール
飲料を入手する事はできない国が多い。今も昔もやってる事はあまり変わらない。
コロナ禍で外飲みが増える原因ですね。
えっ!?買えるのは買えるでしょ。ウォッカにテキーラ、ワインでさえ10%越えてるのに何を言ってるんだ?
アルコール自体なら販売場所時間を規制してる国は多くあるけど9%だからというのは聞いたことがない。ただ、日本のは甘いジュースカクテル系の飲みやすいのが多いとは思うけど酒としてはアルコールは低い方だよ。
ストロングゼロが色々言われてるけど、あんなものただの飲み過ぎ。
口当たりは良いからがぶ飲みできるだけ。
現代はどうか、わかりませんけれども。戦争になればモルヒネなどの薬物、必需品じゃなかったのでしょうか。
みつまめ知らない人いるの?
坂井三郎の本でサイダーは離陸する前から栓を緩めておくって書いてあった。
上空で栓開けると噴き出すらしいですね。
薬物が体に悪いとか思われていなかった時代ですね。
コカコーラも最初はコカインが入っていて、だからコカ・コーラだし。
潜水艦等でビタミン剤の摂取し過ぎによる障害を指摘されて使用回数制限がありましたから、海軍内なら多用の弊害を周知していた筈です
ヒロポンに関しては諸事情あり。
戦前までは普通に民間人も使っていたような。
今でいうとこの精力剤や栄養ドリンク剤のようなものでは。
闇とおっしゃいますが、戦前の感覚ではそこまで悪いという感情はなったのでは。
親戚の人から昔はよくやっていたと聞きました。
ビートたけしもヒロポンは簡単に手に入るし薬局で売っていたのでは????。
酒も飲むとキ○○イ化するひとが多いからヒロポンを悪魔みたいに言うのはなんだかな。
私はやってませんよ
朝日新聞で連載していたサザエさんではお隣の小説家で伊佐坂先生が錠剤のヒロポンを服用していたがタラちゃんが誤ってヒロポンを飲んでしまいラリったのが有った。
機上食ではサンドイッチやいなり寿司などが好まれたそうです。航空応急食、機上応急食とも言いますが、ウイスキーボンボンなどもありました
熱量食=栄養食はまさにカロリーメイト的なものです。
当時、航空食の研究所が、清水区に有ります
まさかのカロリーメイト…。
おクスリ使ったにしてもガンギマリじゃマトモな操縦・作戦行動なんかできないから、それなりに加減した用法でビタミン剤射ってたと思うぞ。