客車急行 天北 車内放送 真冬の宗谷本線 旭川~音威子府
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- Опубликовано: 16 сен 2024
- 札幌11時10分発天北線経由稚内行き急行「天北」。
昼行列車にもかかわらず寝台車を2両も連結した豪華編成でマニアにはたまらない列車でした。
信じられないほどの人口希薄地帯をはるばる札幌から稚内まで約400kmの長距離を走り通す列車はまさに「名急行列車」
真冬の宗谷本線 旭川~名寄~音威子府までのところどころしか保存されていませんが、当時の思い出を感じ取れれば幸いです。
途中 国鉄風の車内放送03:57も少しだけ収録しています。
#客車急行 天北#真冬の宗谷本線
かつて北海道の鉄道旅行はロマンの塊だった
北海道ワイド周遊券買って 夢のような汽車旅ができましたもんね
大変貴重な映像を公開してくださって
ありがとうございます。
学生時代北海道周遊券で何回もお世話に為ったから懐かしい
今思い出すと 国鉄周遊券って夢のような切符でしたよねー
当時は大きくて重くて高くて電池もろくに持たないビデオ機材での撮影大変だったかと思います。大変貴重な動画、アップありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。そうなんです当時は8ミリビデオで撮影してたらみんな珍しがってじろじろ見られたりで恥ずかしかったです「笑」途中で知り合った方からは「これ声もはいるんですか?」とよく言われました 雪の中滑らせないことに神経を使い撮影したことで今こうやって編集できることに感謝しています。また昔のが出てきましたら今の動画と合わせてアップしていきたいと思ってますので今後ともよろしくお願いいたします。
こういう動画で見られるのは貴重。今は路線そのものないし。
うんうん 天北線といえばマニアとして貴重ですよね 昔のビデオ残しておいてよかったと思っています
学生時代に通学していました。当時が、懐かしいです。
ご視聴ありがとうございます。 こんな素晴らしい客車で通学してたんですね 今の北海道の列車にはこういった旅情がなくなってしまったので なおさら懐かしさを感じていただき嬉しい限りです。
こんにちは、同じころ北海道を旅してました。
天北は外からの走行は撮りましたが、車内からのはほとんどとってません。
寝台車の自由席転用よかったですね。
後にも先にもあれ以上のサービスを見たことがありません
音威子府の蕎麦屋がまだホームにありますね。
旅一郎さん ご閲覧ありがとうございます。いつも旅一郎さんの動画楽しく視聴しています。 そうそうこれって寝台車の自由席転用だったんです。当時は北海道ワイド周遊券で乗りまくってました「笑」音威子府の蕎麦屋ね~懐かしいですわー
当時 ホームにあったんだ?
@@果実煮-b6n 私は逆にホームでしか食ってない😁
「浜頓別経由(まわり)、稚内ゆきです」
という旭川駅ホ―ムでの放送が懐かしいですね。車内放送の車掌さんの肉声アナウンス。古き良き国鉄時代が偲ばれます。
懐かしくも素晴らしい動画を、いつも乍ありがとうございます
共感ありがとうございます。そうそう自動放送と言いながら地上時代の旭川駅 当時はなんとなくビデオ回したのですが今となってはこんな貴重だとはと思います。「浜頓別経由(まわり)、稚内ゆきです」と肉声車内アナウンス令和の時代には聞けないですわー
この映像は民営化後ですかね、羽幌線が既に地図になく
よくぞ撮影されていました!なつかしいなぁ。。。涙
ありがとうございます。当時の様子に感動いただいて嬉しい限りです。
かつては中頓別、浜頓別、鬼志別から札幌まで直で行けた。
枝幸からもバスで小頓別まで行って乗り換えるという手もあった。
どれだけ需要があったかは知らないが…(^_^;)
見たかった映像です。先日車で2回に分けてこのコースとうりました。小石、沼川、鬼志別、中頓別、音威子府。
ご視聴ありがとうございます。 懐かしの元天北線跡訪問されたのですね 小石、沼川、鬼志別、中頓別、音威子府 これらの地名見るだけでジーンときます。 今見てても昭和時代の本当の本物の北海道らしいところを感じたのではないでしょうか
特急は特別急行の略だそうですが、「本当の急行」がなくなって寂しくなりましたね。長距離を走る急行、短距離を
走って途中で普通列車に変わる急行もありました。私は青森ー上野の急行津軽、上野ー新潟の急行佐渡など長距離
急行を乗った事もあります。当時、急行料金はたしか300円でした。今の快速列車は乗車券のみで乗れますが、比較
的短距離です。長距離優等列車の急行は急行料金は300円、今から思えばリーズナブルです。懐かしい。
ひゃー、懐かしい!軸重制限で、あれだ、DD51からDE10に牽引機を名寄で,,,
Ikkou Nishioka
旭川でなくて名寄で交代ってのは
意外
@@五日市一宏 今見てみるとそうなんだ名寄で機関車替えてたんだあと懐かしく思います。 雪の塩狩峠エンジン音鳴らしながら優等列車を牽引活躍していたんだなあと
7:25にキハ54形が映っていますね。ということは、昭和61~62年の分割民営化直前でしょうか?
そうです 分割民営化直前の冬です
はじめまして。昔の事がよくわからなく急行天北が走っていた事は他の動画とかで見たことがあるのですが、動画にDD51が映っているのですが、当時は機関車がDD51だったのですね。てっきりDE10で牽引しているものとばかり思っていました。時代を感じる映像ですね。
ご閲覧ありがとうございます。 そうですねー機関車は名寄で交換してたのです。旭川駅も地上時代です。今思うとほんと懐かしいですよね
オッサンだから昭和61年3月に名寄→札幌で乗りました!雪☃️で30分遅れました😵
うわぁー、ちょうど鉄道マニアさんと同じ日本一の都市開発事業会社の元役員さんと天北線の話をしていました。その方は89年の横浜博の総責任者でその後のMM21地区の監修を行い、その後北海道に場所を移し、全道の鉄道を全て乗り尽くし、それらを全てビデオカメラに収めた人です。伺ったら撮影フィルムは全部で700本以上あり通しナンバーをつけて保管しているとか。いつか日の目を見るのでしょうか?
全国の鉄道を乗り尽くしですか~凄いですねー 90年頃?だと国鉄の雰囲気がまだ残った思い出のビデオなのでしょうねー JR発足後数年間は国鉄色が残ってましたからねえー
それって某レールウエイライターの一番弟子の人でしょ
@@okhan う〜ん、その様な話はお聞きしたことがないです。その方は三菱地所の本部役員まで登りつめましたが当時ローカル線友の会の様な同好会的なものがあり他にも全制覇された方がいた様です。
旭川駅の放送の女の人、今も松本駅で使われてる女の人の声です!!
松本市民より
え そうだったのですか!あの まーつもとーって言ってるやつですよね~
@@express3669 それです!まつもとー、まつもとー
御無沙汰しておりますm(__)m
お勧め動画に『昭和時代の鉄道マニア』さんの
客車急行天北があがってきました。。。
音威子府の黒蕎麦で有名な常盤軒さんがホームにあった頃の
動画だったんですね~。。。
懐かしく再び動画を拝聴させていただきました、
ありがとうございますm(__)m
いつもありがとうございます。音威子府の黒蕎麦で有名な常盤軒さんマニアの間でも有名でしたよねー このころの北海道って旅情満々の旅ができた時代でした。画質悪いですが思い出動画皆さんに見ていただき嬉しく思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
スゴイ スゴイ!
懐かしの画像で画質悪いですが ご視聴ありがとうございます
飛行場前駅は下りてみたかった。下りたが最後立ち往生だけど。
ちょうど30年前廃止された天北線。
もし夢が叶うなら天北線で急行天北に乗り、稚内でコルサコフ(大泊)行きフェリー(稚泊連絡船)でサハリン(旧樺太)へ渡り、サハリン鉄道縦断してみたかったです。(サハリンへのフェリーもなくなってしまいましたね)
稚内へ行くのも特急しかないですし、サハリンへ行くのも飛行機しかないですからつまらないですね。
ほんと今の時代便利になった反面 旅情風情がなくなりつまらない感じですよね
キハ54が写ってるから1986か1987の2月ぐらいかな
ご視聴ありがとうございます そのとおりです 年末です
そうですよね。
美深駅がまだ旧駅舎ですからね🚝
音威子府駅のホーム上の建物は、
今は駅舎内に移ってる蕎麦屋なんですかねえ。
今の音威子府駅行ってないので知らないのですがあの例の蕎麦屋さん 駅舎内に移ってるんでしょうか 時代代わっても違う形態でも営業してたら嬉しいです ご閲覧ありがとうございます
この動画よりもはるか前、バリバリの国鉄時代に乗っていました。
音威子府駅では急行が比較的多く2番、あるいは3番ホームに到着することもあってか、ホームに待合室と同居の蕎麦屋さんがありましたね。
ちなみに天北、宗谷が客車での編成になったのは道内の夜行急行がブルトレ仕様になった時期だったと思います。それ以前は昼間急行はキハ56系や27系での編成で、利尻は45系客車を使っていた記憶があります。
ちなみに唯一夜行でしたが、臨時急行の利尻51号だけは昼間急行と同じ気動車での運行でした。
動画の時代の急行天北は稚内到着後、折り返し 急行利尻札幌行 になるため、寝台車が普通席として編成されていたのでしたね。@@express3669
@@papamonkiti1268 臨時急行の利尻51号 知っていますよ 確かキハ57だったような! この頃は駅も優等列車くると「ああ遠くからやってきたんだー...と」雰囲気良かったですねー まさしく北の大地に行ったーって感じた時代でした
音威子府の蕎麦屋さんは主人が亡くなったから閉店したから寂しいよ
@@papamonkiti1268 厳密に言うと、夜行急行の14系化は57-11(寝台車は改造が間に合わず翌夏)、「宗谷」「天北」の14系化は60-3😉
本当は、音威子府↔南稚内間で残すなら天北線側の方が良かった気がする。
そうすれば、声問で分岐して宗谷海峡線(仮称)を樺太南部の豊原駅まで1067mm軌間の在来線で敷設、稚内駅から跨いで交流20000V電化に出来たかもしれない…
うーむ。いかにも昭和。
懐かしいね。 「あまきた」と言ってた人が
いた。 寝台の毛布を使おうとすると
車掌さんに注意される。
長い編成だね。 最近は
4両でもガラガラ。 6両の増結も滅多にない。
そういえば 小頓別から歌登方面のバスは
?
今思い返してみてみると当時は長い編成だったんだなあ~と感じます そうそうヒルネ扱いだと寝台の毛布は使用禁止だったんだよね
@@express3669 厳密に言うと、「ヒルネ」ではなく一般旅客車代用😉
検索で見つけました。懐かしくて涙が出ました。私は14系客車より以前の小樽発56系を利用していました。稚内からの帰りは朝7時発函館行きの急行宗谷で12時間の長旅でした。旭川で買った冷凍みかんが懐かしいです。ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます、 いやいやいや~ それそれ 国鉄と言えば冷凍ミカンですよねー 我々昭和世代にしかわからない昭和の冷凍ミカン!最高でしたよねー またそのキハ56の非冷房車もなかなかのものでしたよー 滝川経由の急行狩勝 長大編成の後ろの車両で 非冷房のキハ56の窓を開け 雄大な北の大地と長大編成のキハ56系の排気ガス! こんな味のある旅って今の鉄道旅では味わえないよー 当時はいい汽車旅ができた時代でした