【駅に行って来た】えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅にあるぶった切られたレールの謎
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- Опубликовано: 27 ноя 2024
- 永平寺口駅は2面3線で駅舎が2つと言っても一つは地域交流館に改装され、駅舎としては使われていませんが。この駅にはカーブの途中で切られたレールが見られます。何故こんなことになっているんでしょうか??
【駅に行って来た】えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅にあるぶった切られたレールの謎
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2000年の事故は、切断された線路の先から、この駅止まりの電車がブレーキロッド破断でこの駅を通過してしまい、対向列車と正面衝突し、運転士の方が亡くなったのでしたね。
この運転士は、乗客を後ろに避難させた後、自身も退避可能であったにもかかわらず、衝突する最後の瞬間まで運転席に留まり殉職した責任感の強い方だったようです。
ある意味で殉職された運転士さんは旧親会社の京阪、旧京福福井支社、国、福井県に殺されたようなものですからね
2回目の事故は運転士の過失、1回目の事故は京福側の過失で運転士は悪くないよな。
4:23 この警報機は、電鐘式ではなく電鈴式ですね。
電鐘式なら、まさに鐘という🔔みたいな形のものがあります。音も、やや低めの「カン、カン」という感じ。
電鈴式はベルの丸い形で、「キン、キン」という高い音が特徴です。
電鈴式はまだそこそこ残っていますが、電鐘式は本当に少なくなりました。見かけたら、しっかり記録したいものです。
過去にあった悲劇の路線でもありますからね😢
新旧の設備に廃線が入り混じり、実に味わい深い構内と駅舎ですね😀
あの鐘の音を聴いて、故郷を実感する人もいるでしょう。長く残して欲しい音です😙
愛環や飯田線の車体もこの塗装になるとあまり面影を感じませんね。
勝山市の造り酒屋に出張の際にはよく踏切を渡りましたが、引っかかった記憶はほとんどありません。
駅員さんがいる、何かホッコリする気がします。
ホームの幅、かつての名鉄西枇杷島の駅のイメージに似ていて。
当時、同じ年に二回も同じ京福電鉄において事故がはっせいしたのは驚きました。同時に、報道であまりにも経済基盤の無さが指摘され、それが
多面的整備不良と事故の連続で、犠牲者まで発生したのは悲しすぎます。
せめて1番線に安全側線があったなら、1回目の事故は本線上ではなくこの駅で済んだかも…
@@赤井雷
もう信号システムも、古いアナログシステムだったらしく、だから対向が発車しても取り違え発進を二度も起こしてしまう顛末でしたからね。(とうぜん路線途中で衝突)
正面衝突事故があった時に、この切断された先のカーブの所に251?252?と衝突した5001がしばらく留め置かれた。レールの謎というなら、今は駅舎となっているところに、旧金津駅現芦原温泉駅行きのホームと線路があって、今でも踏切にわずかに線路の跡があります。また東古市から勝山方面に出たところに、勝山本線と永平寺線の平面交差のクロスがありました。
リズムがずれる電鈴式はいいですね~
悲劇の支線であり、負の社会実験のきっかけにもなった路線ですよね…
現役時よりほとんど人の降りない途中駅とか…
20m級の電車がめちゃくちゃ急なポイントを通る迫力がすごいです
永平寺線、末期(1969〜2002)は東古市(現・永平寺口)〜永平寺の路線でしたが、1969年までは北陸本線金津駅(現・ハピラインふくい&北陸新幹線芦原温泉駅)まで旧京福電鉄丸岡線の本丸岡駅を経由して結んでいました。しかし、2000年12月に旧京福モハ251形(台車は1928年製)使用の永平寺線普通列車のブレーキが効かなくなり、東古市駅1番線より越前本線(現・勝山永平寺線)に冒進。当時、越前本線福井方からは隣駅の志比堺を発車した普通勝山行が進行中。「ぶつかる!」結局、上り普通列車は止まりきれず下り列車と衝突し、最後まで列車を止めようと尽力した運転士一人が殉職されました…しかも、このたった半年後の2001年6月には運行表を見なかった上り福井行普通の新人運転士が保田〜発坂間で発坂(ほっさか)ですれ違うはずだった下り勝山行急行と衝突。結局、京福電鉄福井本社は営業停止となり、永平寺線も廃止になりました…
九十九湾小木駅らしい駅舎やな
切られている線路を見ると切なくなる😢
そうですね。
汐留駅廃止後の東海道貨物線を思い出します。
浜松町駅付近の鉄橋の手前で線路が行き止まりになってました。