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76年の一回目の予選のタイムアタックでホームストレートでマリオアンドレッティを1コーナーで抜くシーン 15:48 と最終コーナー手前でタイムアタック中のジェームスハントの後ろについたシーン実際にみてみたかったです
動画配信ありがとうございます。漆黒の方は平成の富士日本GP時(雨でバスがぬかるみにはまり散々GP黒歴史)、とあるブースで展示されていたと記憶しています。純白の方はどなたかが1年程前に無観客の鈴鹿サーキットでのデモ走行動画をアップされてました。
ここでは紹介されていなかったけど76年参戦時このDFVに使用していたスパークプラグは当時定石だったチャンピオンではなくNGKだった。KYB同様有力チームから注目を集めて翌年からはロータスが独占契約して参戦。78、79の好調もあってイメージアップにつながり今では世界ブランドまでに発展した。
マキの意志を受け継いで走ったチームがコジマでしたね。
このチームが、家電の『コジマ』と重機メーカーの『KOJIMA』を取り込めていたなら……。当時、上記企業が存在していたのかは知りませんが、やはりロマンに金を出せる企業は尊敬してしまいます。
ストーリーの中に出て来た、1977年の国さんの駆ったティレル007は、その後30年程前には茨城県の潮来市にあったショッピングセンターに、廃車に近い状態で展示されていました。
富士に特化したマシンというのも潔くて良いですね。もしかすると当時のモンッアあたりの高速サーキットに持ち込んだら意外に健闘したかも?パーツの耐久性が未知数というのもあったが、足回りが壊れなければポールポジションだったかもしれない・・・・実に惜しい。
長谷見さん、イケイケだったのね
そういえばUpされてた'77日本GPを見たときにブリヂストンのスタッフに浜島さんいましたね、若かった
スポット参戦ができた、いい時代のF1ですね。KE007は、「スポーツカーノーズ+ナロートレッドの富士(ムーンクラフト)スペシャル」+「長谷見さんの頭脳的ドライビング」で幻のポールポジションでしたね。クラッシュ後の富士レース村では「いじれる奴はみんなすぐツナギ(整備用の服)を着ろ!」状態の突貫工事。雨の本番になんとか間に合わせたものの、どこからか漏れてきたオイル(もしくはガソリン)がスターティンググリッドに油膜として広がるのを、さりげなく足でかき混ぜたりしてなんとかスタートしたらしいですね。
当初KEでF2に008で長谷見さんを起用していたけど、その後、車輌SSRに売却したでしょ?おそらくクルマは作りたかったけどレースはやりたく無かったのでは?林さん時代の童夢もそう言う傾向がありましたね。
KE007は映画「ラッシュ」の公開記念に東京で展示されていたのを、デジカメ片手に見に行って写真を撮りまくったモノでした。やっぱりカッコイイマシンでしたよ。KE009は1978年に銀座松屋デパートで星野一義さんのサイン会があった時、1Fロビーにペンタックスカラーに塗られた状態で展示されていました。個人的にはスタイルがより流麗になった009が好きでしたね。ついでにコジマにF1参戦を持ちかけたカウーゼンは評判があまりよろしくない人物で、何でカウーゼンと組んだんだろう?って思ったもんでした。
コジマのマシンかっこいいな!特に77年のマシンサイコー!決勝はともかく予選成績は十分優秀じゃない!
最近ではスポット参戦なんてできないですからね...
上記のKE009は、その後に帰国してレストアされ先日にシェイクダウンが行われたばかりです。ちょいと調べが甘いと思います。ruclips.net/video/kTrdvGVnu0U/видео.html
今のF1を見慣れていると、凄く小さくてコンパクトに見えちゃいますね。当時は、世界でのコジマの走りを期待していたのですが、、、あんな結果になってしまうとは思ってもみませんでした。(レギュレーションの改編の犠牲になってしまったという)他の日本のコンストラクターとしては、ハヤシ、KS、ベルコウエスト、FRD等のFL500、FJ1600、F3の活躍が思い出されます。
カウーゼンは借り物のマシンを勝手に売り払うとか酷え話だよなぁ外側だけは残ってたけどエンジンやギアボックスなど他で使えそうな部分はハイヤー氏の手元に行く前に既に売っぱらわれていた有様だった他の人も書いてるけど開発メンバーの1人蓮池氏が買い取って日本に戻ってきてるよ
電気屋になってるよ😎
76年の一回目の予選のタイムアタックでホームストレートでマリオアンドレッティを1コーナーで抜くシーン 15:48 と最終コーナー手前でタイムアタック中のジェームスハントの後ろについたシーン実際にみてみたかったです
動画配信ありがとうございます。漆黒の方は平成の富士日本GP時(雨でバスがぬかるみにはまり散々GP黒歴史)、とあるブースで展示されていたと記憶しています。純白の方はどなたかが1年程前に無観客の鈴鹿サーキットでのデモ走行動画をアップされてました。
ここでは紹介されていなかったけど76年参戦時このDFVに使用していたスパークプラグは当時定石だったチャンピオンではなくNGKだった。
KYB同様有力チームから注目を集めて翌年からはロータスが独占契約して参戦。
78、79の好調もあってイメージアップにつながり今では世界ブランドまでに発展した。
マキの意志を受け継いで走ったチームがコジマでしたね。
このチームが、家電の『コジマ』と
重機メーカーの『KOJIMA』を取り込めていたなら……。
当時、上記企業が存在していたのかは知りませんが、
やはりロマンに金を出せる企業は尊敬してしまいます。
ストーリーの中に出て来た、1977年の国さんの駆ったティレル007は、その後30年程前には茨城県の潮来市にあったショッピングセンターに、廃車に近い状態で展示されていました。
富士に特化したマシンというのも潔くて良いですね。もしかすると当時のモンッアあたりの高速サーキットに持ち込んだら意外に健闘したかも?
パーツの耐久性が未知数というのもあったが、足回りが壊れなければポールポジションだったかもしれない・・・・実に惜しい。
長谷見さん、イケイケだったのね
そういえばUpされてた'77日本GPを見たときにブリヂストンのスタッフに浜島さんいましたね、若かった
スポット参戦ができた、いい時代のF1ですね。
KE007は、「スポーツカーノーズ+ナロートレッドの富士(ムーンクラフト)スペシャル」+「長谷見さんの頭脳的ドライビング」で幻のポールポジションでしたね。
クラッシュ後の富士レース村では「いじれる奴はみんなすぐツナギ(整備用の服)を着ろ!」状態の突貫工事。雨の本番になんとか間に合わせたものの、どこからか漏れてきたオイル(もしくはガソリン)がスターティンググリッドに油膜として広がるのを、さりげなく足でかき混ぜたりしてなんとかスタートしたらしいですね。
当初KEでF2に008で長谷見さんを起用していたけど、その後、車輌SSRに売却したでしょ?おそらくクルマは作りたかったけどレースはやりたく無かったのでは?林さん時代の童夢もそう言う傾向がありましたね。
KE007は映画「ラッシュ」の公開記念に東京で展示されていたのを、デジカメ片手に見に行って写真を撮りまくったモノでした。やっぱりカッコイイマシンでしたよ。KE009は1978年に銀座松屋デパートで星野一義さんのサイン会があった時、1Fロビーにペンタックスカラーに塗られた状態で展示されていました。個人的にはスタイルがより流麗になった009が好きでしたね。ついでにコジマにF1参戦を持ちかけたカウーゼンは評判があまりよろしくない人物で、何でカウーゼンと組んだんだろう?って思ったもんでした。
コジマのマシンかっこいいな!特に77年のマシンサイコー!
決勝はともかく予選成績は十分優秀じゃない!
最近ではスポット参戦なんてできないですからね...
上記のKE009は、その後に帰国してレストアされ先日にシェイクダウンが行われたばかりです。ちょいと調べが甘いと思います。
ruclips.net/video/kTrdvGVnu0U/видео.html
今のF1を見慣れていると、凄く小さくてコンパクトに見えちゃいますね。
当時は、世界でのコジマの走りを期待していたのですが、、、あんな結果になってしまうとは思ってもみませんでした。(レギュレーションの改編の犠牲になってしまったという)
他の日本のコンストラクターとしては、ハヤシ、KS、ベルコウエスト、FRD等のFL500、FJ1600、F3の活躍が思い出されます。
カウーゼンは借り物のマシンを勝手に売り払うとか酷え話だよなぁ
外側だけは残ってたけどエンジンやギアボックスなど他で使えそうな部分は
ハイヤー氏の手元に行く前に既に売っぱらわれていた有様だった
他の人も書いてるけど開発メンバーの1人蓮池氏が買い取って日本に戻ってきてるよ
電気屋になってるよ😎