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正月に一番危険なのはどう考えてもモチだろうなー
そう考えると、正月にやった花札は平和だったよ。婆ちゃんも含めてやってた
昔、小学校時代ではゲイラカイトを買って凧揚げして遊んでいたな。😮
ゲイラカイトですね
あっそうかゲイラの訂正か。有り難う、間違えてしまった。
霊夢と魔理沙の声が高いね😊
雑煮(餅)喰って、コマ廻しして、凧揚げして。基本は餅ばっかり食べてたなぁ。あの頃は子供がめっちゃ多かったから隣の凧に当たらないようにコントロールするのが大変だったね。あと祖父母のところに御厄介になってたこともあった。あの頃の祖父母を孫来ると結構歓待してくれたからね。隣人のお年寄りも子供には優しかったね。後、田舎の餅はマジで腹に溜まった。水餅と違い、1個喰ったらお腹が一杯になるほどだった。
中学の時毎年1月に百人一首の大会が学校でありました、その為授業で百人一首の歌を覚えさせられ大変だったのを今でも覚えています
とくに何も考えず、近所のねぇちゃんたちと走りまくりました。ぽこぺんとか、パイナップルとか懐かしい…
東京下町のお正月明けの駄菓子屋には色とりどりの和凧に羽子板、コマや福笑い、けん玉がたくさん並び、それだけで華やかなものでした。しかし今や、商店街すら解散してしまう有様…。
ガキの頃、竹ヒゴに障子紙貼って凧作って雪の積もった田んぼでよくあげていたな~また、田んぼばかりだと飽きてくるから、岸壁から海に向かってやっていた。
風に飛ばされ数メートル向かうの田んぼまで飛んでった凧を追いかけて走りました。やっかいなのは凧糸がめちゃくちゃからんでて、ほどき直すのに夕暮れまでかかった…
正月というか大晦日は花札でしたなあ凧は電線の無い山の尾根~頂上まで登って凧糸を200m程継ぎ足し曲上げしてましたわ独楽は鉄輪付の喧嘩独楽をコンクリの上で回して戦わせてましたなあ(ベイブレードが無かった時代)かるたはガンダムかるたとか元ネタ知らない人が適当に作ったアニメかるたが笑えて良かったですねえ
昔作って揚げた凧は糸が1km以上揚げたことがある。
私の子供の頃は、コマ回し、凧揚げ、いとこや友達なんかとよくやりました。ぶちこまっていう回しかたが言われてましたが、自分たちも普通にやってましたよ。回転の勢いが弱まってきたら、紐の後端を回転に合わせて叩いて勢いを回復させるって感じでした。20年ほど前になりますが、私の双子の息子たちも二人で仲良く凧揚げをしていました。一人が持ってもう一人が走り出して凧を浮かすってしたかったようですが、なぜか凧引きずりになってしまってました。どちらもいい思い出です。興味深い動画をありがとうございます。昔を思い出させていただいてほっこりしております。
たこあげは危険ですね。
6:10「尻尾は回転や・・(略)」私の地域だと「尻尾」じゃなくて「足」ですけど 地域で違うのかな?
モノポリー(説明書読んでも意味分からんかったから、独自のルールで遊んでたわ!結局、永遠に終わらんから放棄)UNO(ローカルルールでやってたわ!ドロー4上がりとか、同じカード纏めて出したり等)ドンジャラ、ジェンガで遊んでたけど、結局飽きてくる
戦前のいろはかるたの『む』は何でしょうか?
戦前のカルタの「む」は陸奥と長門は日本の誇りで、戦前の日本では長門型戦艦は国民に知られている戦艦で戦時中に戦艦陸奥が爆沈して爆沈した事を国民に知られたら国民の士気が下がるので陸奥爆沈を秘匿して殉職者は転属して戦死した事にして、生き残りの乗組員で士官は箝口令をして転属に成り、下士官兵は陸戦隊にされて最前線に送られて多数が戦死し終戦時の生き残りは僅かだった。
家族が集まるとこたつ囲んで皆んなで花札🎴やってました。。コマ回しはいわゆるケンカ駒で、投げ駒とも言い自分の駒を相手の駒にぶつけて勝負をします。又駒は市販品では無く、個人個人が作ってもらったものでそれぞれに特徴が有りました。。。
それぞれの遊びが消えていく理由が「危険だから」なのは言い訳で、大人が子供の遊びに目が届かなかったり無頓着で放置したりするからじゃない?なんか、消えていくものって大人のせいで衰退してるような気がする。
こまか…うまく回せると面白いんだけど、失敗すると冷める…すぐ飽きてキン消しで遊びました。
福笑い今でもやってるとこあるのかな?
だったらすごろくはどうかなぁ?
正月に一番危険なのはどう考えてもモチだろうなー
そう考えると、正月にやった花札は平和だったよ。婆ちゃんも含めてやってた
昔、小学校時代ではゲイラカイトを買って凧揚げして遊んでいたな。😮
ゲイラカイトですね
あっそうかゲイラの訂正か。有り難う、間違えてしまった。
霊夢と魔理沙の声が高いね😊
雑煮(餅)喰って、コマ廻しして、凧揚げして。基本は餅ばっかり食べてたなぁ。あの頃は子供がめっちゃ多かったから隣の凧に当たらないようにコントロールするのが大変だったね。
あと祖父母のところに御厄介になってたこともあった。あの頃の祖父母を孫来ると結構歓待してくれたからね。隣人のお年寄りも子供には優しかったね。後、田舎の餅はマジで腹に溜まった。
水餅と違い、1個喰ったらお腹が一杯になるほどだった。
中学の時毎年1月に百人一首の大会が学校でありました、その為授業で百人一首の歌を覚えさせられ大変だったのを今でも覚えています
とくに何も考えず、近所のねぇちゃんたちと走りまくりました。
ぽこぺんとか、パイナップルとか
懐かしい…
東京下町のお正月明けの駄菓子屋には色とりどりの和凧に羽子板、コマや福笑い、けん玉がたくさん並び、それだけで華やかなものでした。しかし今や、商店街すら解散してしまう有様…。
ガキの頃、竹ヒゴに障子紙貼って凧作って
雪の積もった田んぼでよくあげていたな~
また、田んぼばかりだと飽きてくるから、岸壁から海に向かってやっていた。
風に飛ばされ数メートル向かうの田んぼまで飛んでった凧を追いかけて
走りました。
やっかいなのは凧糸がめちゃくちゃからんでて、ほどき直すのに夕暮れまでかかった…
正月というか大晦日は花札でしたなあ
凧は電線の無い山の尾根~頂上まで登って凧糸を200m程継ぎ足し曲上げしてましたわ
独楽は鉄輪付の喧嘩独楽をコンクリの上で回して戦わせてましたなあ(ベイブレードが無かった時代)
かるたはガンダムかるたとか元ネタ知らない人が適当に作ったアニメかるたが笑えて良かったですねえ
昔作って揚げた凧は糸が1km以上揚げたことがある。
私の子供の頃は、コマ回し、凧揚げ、いとこや友達なんかとよくやりました。
ぶちこまっていう回しかたが言われてましたが、自分たちも普通にやってましたよ。
回転の勢いが弱まってきたら、紐の後端を回転に合わせて叩いて勢いを回復させるって感じでした。
20年ほど前になりますが、私の双子の息子たちも二人で仲良く凧揚げをしていました。
一人が持ってもう一人が走り出して凧を浮かすってしたかったようですが、なぜか凧引きずりになってしまってました。
どちらもいい思い出です。
興味深い動画をありがとうございます。
昔を思い出させていただいてほっこりしております。
たこあげは危険ですね。
6:10「尻尾は回転や・・(略)」
私の地域だと「尻尾」じゃなくて「足」ですけど 地域で違うのかな?
モノポリー(説明書読んでも意味分からんかったから、独自のルールで遊んでたわ!結局、永遠に終わらんから放棄)
UNO(ローカルルールでやってたわ!ドロー4上がりとか、同じカード纏めて出したり等)
ドンジャラ、ジェンガで遊んでたけど、結局飽きてくる
戦前のいろはかるたの『む』は何でしょうか?
戦前のカルタの「む」は陸奥と長門は日本の誇りで、戦前の日本では長門型戦艦は国民に知られている戦艦で戦時中に戦艦陸奥が爆沈して爆沈した事を国民に知られたら国民の士気が下がるので陸奥爆沈を秘匿して殉職者は転属して戦死した事にして、生き残りの乗組員で士官は箝口令をして転属に成り、下士官兵は陸戦隊にされて最前線に送られて多数が戦死し終戦時の生き残りは僅かだった。
家族が集まるとこたつ囲んで皆んなで花札🎴やってました。。
コマ回しはいわゆるケンカ駒で、投げ駒とも言い自分の駒を相手の駒にぶつけて勝負をします。
又駒は市販品では無く、個人個人が作ってもらったものでそれぞれに特徴が有りました。。。
それぞれの遊びが消えていく理由が「危険だから」なのは言い訳で、
大人が子供の遊びに目が届かなかったり無頓着で放置したりするからじゃない?
なんか、消えていくものって大人のせいで衰退してるような気がする。
こまか…うまく回せると面白いんだけど、失敗すると冷める…
すぐ飽きてキン消しで遊びました。
福笑い
今でもやってるとこあるのかな?
だったらすごろくはどうかなぁ?