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菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
自分が死ぬことを自覚したら、後生の一大事に気づくことができますよね。今日が人生で一番若い日なので、1日1日を大切に、そして真剣な聴聞を続けたいと思います。今日もありがとうございました。
「今日が人生で一番若い日」その通りですね☆彡わたしも仏縁をいただきながら聴聞を続けていきたいです。
踏み迷う知らぬ旅路の夕暮れに宿をとりたる心地こそすれ。登山して日が落ちるまでに里に出られrかと思うと本当に不安になる。ありがとうございました。
長い人の歴史は続いていながら、ほとんどの皆さんは老後の為に生きているんじゃない、と嘯いて実際に老後という状況に置かれた時に初めて気が付くのですね。私がそうです。今なら何とか修正が利きそうです。
今日も大変,学び勉強になりました。ありがとうございました。
こんばんは。❤今日も、ありがとうございます。❤
今回もありがとうございます🙇
とても良い勉強になりました。後生の事が、とても安心になりました。😊
他力の心こそが本物の心であることがわかりました。
「老後○○問題」とか「人生100年云々」とか・・はあくまで官民結託のビジネスですからね(と自分は独断しています)。大岡越前かなんかの台詞で「親から授かる最大の褒美は老いを学ぶこと」が脳裏に残っています。決して長くはなかったですが年老いた両親と過ごしたことは極めて有意義な事でした。「後生の一大事の解決」・・明治大正の人たちは年老い、やがて旅立つことにそれほど迷いや不安を持っていなかったようにも思います。
浄土に生まれた時 目的は達成されるようですが 浄土の先に何もないのであれば退屈に感じます その浄土の先にある諸々の幸福が説かれていません 浄土で途絶えています その辺りに退屈の解決法がなくていい教えであると安心できません ありがとうございました
後生の事がイメージできないでも老人が若者に老いの姿を見せてくれるだから自分がこうなった時としてイメージしてしまう今日入院していた父が退院し準備していた退院後の父を向かえ入れこんなに足腰が弱ってしまったんだと感じました父にはひ孫もいますその孫やひ孫に生老病死を姿で教えていくんだなと感じています僕は後生はわかりませんでも何故かいつ死んでも悔いはないかなと思っています死にもあまり不安は感じていません生前母が僕が若い頃統合失調症で入院しそこから立ち直った時、母に怖いものが無くなるでと言われてましたがこういう事なんかなと感じています今回も人に伝えるうえで学びになりました
親のことばって、年齢と共に深みあるようになりますよね。拝読して、私自身の母を思い出し、共感しました。
「後生の一大事を真剣に考える」ようになるには、元気で健康でいる間は難しいのでしょうね。「自分は疑ったことは無い」という可愛らしい信仰の間は、後生が気にならない。よほど信仰の程度が進まない限り、「疑い」というのものは出て来ない。疑って疑って疑い抜いた時、『疑いなく助かった!』という大自覚が徹底するのですから…。
わかるような気がします😅
会うことが難しい本当の善知識に出会って解決して貰うことの難しさそれを死ぬまで持っていくことの難しさ六道輪廻から解脱することの難しさしかしそのために生まれ難き人間に生まれ一切皆苦のなか6道から解脱する事のできる可能性のある道に生きてます日々苦しいですが皆様にご縁がありますように
ありがとうございました。
寿命…寿は時間、命は身体の維持を指す仏教の言葉ですが、人は死する存在でありながら寿命があることは有り難い。命は途切れても、寿は形を変えながら漂う雲のように、打ち寄せては還る波のように続きます。
人生がいつ終わってもいいようには生きたい
自殺者は死後、どうなってしまうんですか?今年ずっと苦しくて、お聞きしたいです
隣りに住んでいる家族のいない女性が90歳「まだ頼るつもりはない」と言いながらディサービスに通い、近所付き合いで寂しさを埋めようとされている。今や誰もが100歳まで生きていそうです。
僕は物心ついた頃から仏様や神様の存在を当たり前の事として生きてきましたので、まぁこれ以上の幸せは無いのかなー♪逆に老後の心配はあるんですけどねーwww今回のお話からはちょっとずれるんですが、僕が生きる上で救われた教えはいくつもあるんですが、菊谷さんのお話のテーマにあまり登場しないと思うんですが”許し”について、いつかお話聞かせてもらえたら嬉しいです。リクエストですねー♪実は割と最近?東京リベンジャーズという漫画で号泣したエピソードがあって、そのテーマがこの”許し”だったのです。ネタ切れの時のネタに是非お願いします!お話素晴らしかったです♪
ここにも、邪気が入り込んでいます。南無阿弥陀仏
普通の人は信楽になることはできない。と思います。絵空事です。と思います。悟るようなものだと思います。
昔はよく高森顕徹氏は、後生の一大事を必堕無間と言っておられたが、たとえ今再びそう言われても、私は何も驚かない!なぜなら、今の私は阿鼻地獄と無間地獄の主催者であるし、たとえ堕ちても有力な仲間が霊界にいて、私を救ってくれるからだ!こんな話信じられますか?本当にあるんですよ!菊谷さん もっといえば、霊界の衆生を幸福にするのが私の使命です!
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
自分が死ぬことを自覚したら、後生の一大事に気づくことができますよね。今日が人生で一番若い日なので、1日1日を大切に、そして真剣な聴聞を続けたいと思います。今日もありがとうございました。
「今日が人生で一番若い日」
その通りですね☆彡
わたしも仏縁をいただきながら聴聞を続けていきたいです。
踏み迷う知らぬ旅路の夕暮れに宿をとりたる心地こそすれ。登山して日が落ちるまでに里に出られrかと思うと本当に不安になる。ありがとうございました。
長い人の歴史は続いていながら、ほとんどの皆さんは老後の為に生きているんじゃない、と嘯いて
実際に老後という状況に置かれた時に初めて気が付くのですね。私がそうです。今なら何とか
修正が利きそうです。
今日も大変,学び勉強になりました。
ありがとうございました。
こんばんは。❤今日も、ありがとうございます。❤
今回もありがとうございます🙇
とても良い勉強になりました。後生の事が、とても安心になりました。😊
他力の心こそが本物の心であることがわかりました。
「老後○○問題」とか「人生100年云々」とか・・はあくまで官民結託のビジネスですからね(と自分は独断しています)。大岡越前かなんかの台詞で「親から授かる最大の褒美は老いを学ぶこと」が脳裏に残っています。決して長くはなかったですが年老いた両親と過ごしたことは極めて有意義な事でした。「後生の一大事の解決」・・明治大正の人たちは年老い、やがて旅立つことにそれほど迷いや不安を持っていなかったようにも思います。
浄土に生まれた時 目的は達成されるようですが 浄土の先に何もないのであれば退屈に感じます その浄土の先にある諸々の幸福が説かれていません 浄土で途絶えています その辺りに退屈の解決法がなくていい教えであると安心できません ありがとうございました
後生の事がイメージできない
でも老人が若者に老いの姿を見せてくれるだから自分がこうなった時としてイメージしてしまう
今日入院していた父が退院し準備していた退院後の父を向かえ入れこんなに足腰が弱ってしまったんだと感じました
父にはひ孫もいます
その孫やひ孫に生老病死を姿で教えていくんだなと感じています
僕は後生はわかりませんでも何故かいつ死んでも悔いはないかなと思っています
死にもあまり不安は感じていません
生前母が僕が若い頃統合失調症で入院しそこから立ち直った時、母に怖いものが無くなるでと言われてましたがこういう事なんかなと感じています
今回も人に伝えるうえで学びになりました
親のことばって、年齢と共に深みあるようになりますよね。
拝読して、私自身の母を思い出し、共感しました。
「後生の一大事を真剣に考える」ようになるには、元気で健康でいる間は難しいのでしょうね。「自分は疑ったことは無い」という可愛らしい信仰の間は、後生が気にならない。よほど信仰の程度が進まない限り、「疑い」というのものは出て来ない。疑って疑って疑い抜いた時、『疑いなく助かった!』という大自覚が徹底するのですから…。
わかるような気がします😅
会うことが難しい本当の善知識に出会って解決して貰うことの難しさ
それを死ぬまで持っていくことの難しさ
六道輪廻から解脱することの難しさ
しかしそのために生まれ難き人間に生まれ一切皆苦のなか6道から解脱する事のできる可能性のある道に生きてます
日々苦しいですが皆様にご縁がありますように
ありがとうございました。
寿命…寿は時間、命は身体の維持を指す仏教の言葉ですが、人は死する存在でありながら寿命があることは有り難い。
命は途切れても、寿は形を変えながら漂う雲のように、打ち寄せては還る波のように続きます。
人生がいつ終わってもいいようには生きたい
自殺者は死後、どうなってしまうんですか?今年ずっと苦しくて、お聞きしたいです
隣りに住んでいる家族のいない女性が90歳「まだ頼るつもりはない」と言いながらディサービスに通い、近所付き合いで寂しさを埋めようとされている。
今や誰もが100歳まで生きていそうです。
僕は物心ついた頃から仏様や神様の存在を当たり前の事として生きてきましたので、まぁこれ以上の幸せは無いのかなー♪逆に老後の心配はあるんですけどねーwww今回のお話からはちょっとずれるんですが、僕が生きる上で救われた教えはいくつもあるんですが、菊谷さんのお話のテーマにあまり登場しないと思うんですが”許し”について、いつかお話聞かせてもらえたら嬉しいです。リクエストですねー♪実は割と最近?東京リベンジャーズという漫画で号泣したエピソードがあって、そのテーマがこの”許し”だったのです。ネタ切れの時のネタに是非お願いします!お話素晴らしかったです♪
ここにも、邪気が入り込んでいます。南無阿弥陀仏
普通の人は信楽になることはできない。と思います。絵空事です。と思います。悟るようなものだと思います。
昔はよく高森顕徹氏は、後生の一大事を必堕無間と言っておられたが、たとえ今再びそう言われても、私は何も驚かない!なぜなら、今の私は阿鼻地獄と無間地獄の主催者であるし、たとえ堕ちても有力な仲間が霊界にいて、私を救ってくれるからだ!こんな話信じられますか?本当にあるんですよ!菊谷さん
もっといえば、霊界の衆生を幸福にするのが私の使命です!
ありがとうございました。