「老後の不安がスッと消える」すごいブッダの教え
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- Опубликовано: 6 окт 2024
- “海水浴は好きだ”という人は多いですが、それは砂浜がすぐそばに見える遊泳場の中でのことです。
水平線しか見えない海の真ん中に抛り投げられてそれでも泳ぐのが好きだという人はありえません。
それは海水浴でなくて、遭難です。
あてどなく漂う行く先が見えない不安はいかばかりでしょう。
『オープン・ウォーター』という、実話を元にした映画があります。
カリブ海でダイビングしていた夫婦が、ツアースタッフのミスで海に取り残され遭難、360度空と海しか見えない海の真ん中でどうなっていくか、という映画で、2時間上映のほとんどのシーンは海に浮かんでいる場面です。
正直観る前は、海に浮いているだけで2時間の映画として成り立つんだろうかと思いましたが、サメや小魚に襲われ、脱水症状や体温の低下、波や強い日差し、風雨や夜の闇など、彼らが味わう恐怖、極度の緊張感が克明に描かれ、その展開に、否応なく感情移入させられました。
親鸞聖人は私たちの人生を「生死の苦海ほとりなし」と喝破されました。
生まれたなり、泳ぐ方角も泳ぎ方も教わらないまま大海に放り出され、苦しみの波の絶えない海を、島も船も見えない中で、必死に泳ぐしかない海のようなものが人生だ、と言われているのです。
海面下は青黒い。底のしれない深い海には、サメも泳いでいることだろう。
助かりたくてやみくもに泳いでも泳いでも、空と海が広がっているばかり、景色は何も変わらない。
いったい泳いできたのかどうかも分からないほど、同じことの繰り返し。
受験、就活、失恋、リストラ、人間関係、病気、どこどこまでも果てしない苦しみの波に翻弄され、やがて力尽きて溺死する。
こんな人生を『難度海』とも『生死の苦海』とも言われています。
波と必死に戦って泳いでいる人。波の繰り返しに泳ぐのに疲れてしまっている人。
泳ぐのを止めようかなと思い詰めている人。それでも惰性で泳ぐ人。
このように波を乗り越えるんだよ、とさとす人。
様々な人がいる。
しかし誰一人としてどの方角に向かって泳いだら助かるのか方角を指し示す人がいない。
陸地なんかないんだよ、救助の船なんかもう来ないよ、とあきらめに沈んでいる全人類に親鸞聖人は、「あきらめなくていいのだよ」と、主著『 教行信証』の冒頭に、「難思の弘誓は、難度海を度する大船」苦しみ悩みの人生を明るく楽しく渡す大きな船があることを明示されたのでした。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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今日もありがとうございました。
若者ですが無常を感じることは意識してます、自分が身内の誰よりも先に亡くなってしまってもおかしく無いよなと。
ただ仏法を聞くようになってから、因果の道理や諸行無常などを知ってから自分の視点が広がった感覚は持つようになって、ストレスや不安は明らかに緩和されているように思います。
仏教を知ることは本当大切だなと日々思わされます。
引き続き聴聞していきます。
未だ、80過ぎの女性ではありませんし、万引きはしていませんが、
「大事な人はもう、いない」
っていうのは、よくわかります。
本当に大事なもの、頼れるものは何か?
を探して、この動画を観ています。
いつも聞かせていただいております。老後の生活費は政府の言うのは実際と違います。私は夫婦2人で年金額230万/年 あれば年に1~2回温泉旅行に行くくらいはできます、外食は月に2~3回夫婦で行きます。人口13万人程の都市に住んでいます、住居は持ち家で共益費と管理費で17000円払っています。出費がカサム車は持っていません、自転車も持っていません、生命保険は入っていません。理由は所得が少ないから高額医療はとりあえず支払いますが、18000円/月を超えるときは市から戻ってきますのでとりあえずの医療費貯蓄が300万ほどあれば大丈夫です。
私はどこか吹っ切れていて、今体に起きている状態や他者の感覚を参考に生きています。体や生活は安定していますが、死の圧迫は感じています。最近はだいぶ安定してきました。菊谷さんの動画でいつも学んでいます。色々な方の動画も見ていますが、また菊谷さんの動画にかえったりしています。今後とも自分の思考の参考に柔らかくあるよう学びます。
菊谷先生、今晩は。僕は66歳です日常生活においては、高齢者の自覚が全くありません。やりたいことがあり、幸せだからであるから、だと思います。悪い事など考える時間がもったいないです。時間最優先です。親鸞聖人や、蓮如上人の言われていることが、良く分かる様な気がします。今日もありがとうございました。
今日もありがとうございます🙇
医療機関の発達に伴い我が国の平均寿命は世界一位にまでに上り詰めました.今や60まで生きて当たり前.80代まで生きると次第に生きる気力も衰えあとは死を待つばかりと.僕も老後は不安です.目下に面倒を見てもらうのもつらいしいつ死んでも構わないです.できることならぽっくりと行きたいです.でももし本当に大悲の願船があるのなら乗せていただきたいです.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
もうそれを信じて生きて行くしかありません。いつも素晴らしいお話を有難うございます。
こんにちは。❤今日も、動画、ありがとうございます。❤
ありがとうございます。
いつもありがとうございます!
今日も大変、勉強になりました。尊い、ご説法ありがとうございました。
うーん 高齢になると 仏法 仏教に興味が湧いてきますわね いいことだと思います 私も興味が湧き よく聞きます いや し聴聞ます。😅
長寿についての認識が昔の日本とはだいぶ違います、欧米文化の影響が濃くなってきています。
日本人の平均寿命が延びた事に原因の一端が有る事は確かです。
近所づきあいをしない、肉親への愛情が少ない、夫婦関係の希薄化、会社の飲み会を拒否する、ひきこもるなどが近年の風潮です。
欧米の個人主義が浸透して人間関係の崩壊が起きています。
親子関係の崩壊がひどい井上靖の「しろばんば」のような複雑な人間関係は今は無い。
「遠くの親戚より近くの他人」という諺も死語になったようです。
老後の不安は最近の言葉です、肉親にも近所の人にも気配りしない孤独の時代です。
煩悩に振り回されて他の人を「判断」「評価」し続けた孤独です。
ある若い女性は懸命に生きていますが「愛情が無い」「感謝が無い」自分が生きる事で手いっぱいで「判断」「評価」に忙しいようです。
親鸞上人の生きた時代は武士や非人達が貴族の支配から離れてゆく時代でした。
血なまぐさい事件は天災等への抵抗した結果病む負えず起きたようです、生きることに必死だった、自分たちが五逆を犯さないと亡んでしまう切羽詰まった状況だったようです。
貴族もまた必死の生き残りをしていた、仏教も衆生の救済を掲げなければどうなるか解らない末法の世界に正面から向き合う事が求められていたようです。
煩悩の判断が「喜怒哀楽」を生み「諸行無常」を知らされる、法然上人も「一切皆苦」を乗り切る方法を模索していました。
「捨てられない煩悩は無視すれば良い」どうしても五逆を犯す時「阿弥陀如来の本願」におすがりする「南無阿弥陀仏」と唱えて「阿弥陀如来の他力本願」にお任せする、「絶対他力」。
人間関係を希薄にする事は孤独を生み、愛や感謝を忘れさせます。
煩悩の判断を無視して人に頭を下げる時、お釈迦様の「托鉢」がまねでき、他人との些細なキヅナが阿弥陀如来の本願に繋がり「他力本願」になるようです。
フィリピーヌさんという若いフランス人女性が フランスのブローニュの森で移民に殺されましたがそのニュースはご存知ですか?、今の日本政府の移民政策に対して、どうやって老後の不安を消し去ればいいのか、方法を教えてもらえますか?
ありがとうございました。
多生の目的に向かって、唯只管に。
今の時代、自分の年齢に7を掛けるそうです。例えば40歳なら(40×7=28歳)ですし、60歳の方なら、60×7=42歳という事で、現代人は容姿が昔の人よりもずっと若いですが、ただ「精神年齢」が、それ位なんじゃないかな?と思います。そしていくら科学や医療が発達しても、どのような偉人も聖人も、老少不定、愛別離苦、怨憎会苦、あったものはいつかは別れる時が来る。その苦しみから解き放たれるには、永遠に別れない『心の親(阿弥陀様)にお逢い』するしかないと思う。
寿命の寿は時間、命は身体の維持で、人は命には限りがありますが、いわゆる時間は無量であると説いて、もとは仏教の言葉です。
人の寿に無量の至福を、聞法、行などを通じて体得するのが仏道です。
現代人は、生命を感じる能力を、進化と共に失ってしまったと思う。これを、進化と言えるのだろうか?
情けない例えをいいますね