「自分の感受性くらい」中川五郎 in Okinawa_Dig Music Gazette13

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 11 фев 2025
  • Dig Music Gazette13 「自分の感受性くらい」
     茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」をぼくが初めて読んだのは、1970年代後半のことだった。ものすごい衝撃を受けた。
     まさに自分のことを言われていると思った。ちょっと曲がり気味になっている自分の背中を思いきりバーンと叩かれたみたいだった。
     もちろん詩として完璧で、曲をつけて歌にする必要などなかったのだが、ぼくはこの強く厳しい言葉に素朴なメロディをつけて歌にして、それをみんなに聞いてほしいと思った。
     それから25年以上が経ち、2004年に『ぼくが死んでこの世を去る日』というアルバムをぼくが作った時、この曲をどうしても入れたいと思った。それで初めて茨木さんにぼくが曲をつけた「自分の感受性くらい」を聞いていただき、アルバムに入れてもいいと言ってもらえた。とても嬉しかった。
     それからもぼくは自分のライブで「自分の感受性くらい」をよく歌っている。そして2011年3月11日以降は、ほかのいくつかの歌と同じように、また違う思いを重ねて歌うようになった。歌っていると、あれだけのとんでもないことが起こり、自分たちの住んでいる国がこんなにもひどいことになっても、いまだに何でも何かのせいにしてしまおうとする人があまりにも多いことに対して、悲しみや嘆き、憤りが込み上げて来る。そして何よりも強く抱くのは、ついそこに逃げ込んでしまおうとする自分自身への戒めの気持ちだ。
     2006年2月にこの世を去った茨木のり子さんは、今の日本を前にしたら、いったいどんな詩を書かれるのだろうか。
    (中川五郎)
     もうすぐ2011年3月11日の東日本大震災から2年。
    かの首相は原発の再稼働を明言し、TPP交渉参加を事実上表明した。
    政治ばかりでなく、この日常、生活もだんだんと3月11日、そしてそれに伴う原発事故の記憶を忘れて行くかのようだ。
     想像力。茨木さんはそれを感受性と呼んだのだろう。
    大きな出来事も小さな出来事もしっかりと抱えていけたらと思う。
    毎日の生活の中で想像力の働く心を持てるように。
     中川五郎さんの「自分の感受性くらい」は沖縄の宜野湾市にあるパン屋「宗像堂」で撮影された。
    ここは米軍の普天間飛行場の入港路の真下に位置している。
    この撮影の時も何度も輸送機が頭上をかすめて行った。
    それに慣らされないで生きて行く事もまた「水やり」なのだと思う。
    (岡本尚文)

Комментарии • 7

  • @はちこちゃ
    @はちこちゃ Год назад

    すばらしい
    感謝です

  • @wonder_teloy
    @wonder_teloy 3 года назад +1

    いい歌です!

  • @rambling-boy
    @rambling-boy 2 года назад

    おー人生は、長いよ「ちっとも楽しくない」恋なんてしない間に老けちゃった〜。懐かしいこの声♪

  • @nyaonyaoiiko
    @nyaonyaoiiko 10 лет назад

    ありがとうございました。

  • @軍団舞台
    @軍団舞台 Год назад +1

    人生のバイブルにしているんですが・・出来ないなぁ・・

  • @山田晴道
    @山田晴道 3 года назад

    確か受験生ブルースがそうですよね?
    この歌聴いてるとイノセントデイズを思い出す。
    最後、選んだのは私と言っている。そして死刑に

  • @火傷しそうなくらい
    @火傷しそうなくらい 3 года назад +1

    茨城のりこさんの、よりかからずですね。バカモノヨと言い換え欲しかった❗