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ひとシリーズ完走お疲れ様でした。次回作も楽しみにしています。浸透襲撃さんが『大東亜戦争』という呼称を使う理由を知れて良かったです。
動画内では対米海戦が1942年になてますが、正しくは1941年です。
知てた
38:43政府(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)陸軍(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)海軍(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)国民(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)
そのうちドイツがうまいこと…
本当にそれらしいですよ‼️日米開戦も誰もが勝てないのわかってるのに誰かが天皇陛下や回りに無理ですって言うの期待してたら、最後の御前会議でも誰もが言ってくれと目配せしても進上せず開戦になったらしいですよ❗️戦後あの時誰かが命懸けでも言ってくれたらなーみたいなこと言ってた記録があって呆然としました。
ドイツがソ連とイギリスを屈服させることが第一条件かな
@@ボタスキー-u5r 唐の魏徴のような諫臣がいないのが日本の不幸
@@kirin4126 英雄を期待する時点で末期症状。日本人が腐ってるのに、政治家や官僚だけ真っ当でいられる訳がない。
長編お疲れさまでした歴史も経済も過去の事例と全く同じ状況はあり得無いし、国民感情とかの意味不明な要素が絡んできたりするとほんとカオス過去の事例から学習してうまく応用しなければならないってのが難しいと思いますた
シリーズ完走お疲れさまでした。歴史で目立つのは戦争や内乱ですが、その背景には内政・経済がある、というのがシリーズを通じたテーマであったと感じます。昨今の内政・経済の失敗が内乱や戦争に結びつかなければ良いのですが・・・それも含めて歴史に学びたいですね。
わかりやすく、腑に落ちました。超大作、感動作、乙でした。
受験生の頃、この辺の経済史とそれに紐付く政策・戦争への繋がりをうまく先生が説明してくれてそこからめちゃくちゃ近代史に興味持ったのにもうほぼ覚えていない、、、
対米戦において日本政府がアメリカと講和しようとした形跡が無い、と言うのは開戦初期どころか末期にまで言える。マジで何もやってないアメリカ政府に対して終戦に関して何かしらの打診を正式に発したのは1945年8月10日午前8時のポツダム宣言受託に関するラジオ放送が最初で、正式な手交は翌11日。国内的にも1945年6月の時点で戦争完遂(徹底抗戦)を旨とする「今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱」が御前会議で正式決定しているので、国内的にも正式に講和・終戦を模索するべき、という意見はこの時点ですら議題にすらかけられず、8月10日午前0時から始まった御前会議で初めて講和が議題となり数時間のうちに決定が出て朝には上記のラジオ放送が行われている。「いや日本はソ連経由で講和を模索していた!」と言う人が居るがそれらはすべて個人が水面下で非公式にやっていたものであり当然一貫性はなく(ヨハンセングループ、近衛の天皇上奏、東郷外相によるソ連大使への対談など)は対外的には何もやっていないのと同じ。戦力の多寡以前にこんな国家体制で戦争やっていたのは本当に恐怖。
これまた長編でしたねぇ。お疲れさまでした。直接は関係のない話なのですが、1920年頃ってちょうどコミンテルンによる浸透や活動が活発化していた時期でもあります。治安維持法が1925年ですから。この辺りも含めて、実は一次大戦期の繁栄の裏で本当に色々あったわけです。なので国内の混乱状態について、簡単に説明出来るほど単純じゃないんですよねぇ。
長編お疲れ様でした。日本史の用語解説も楽しそうですが、そちらが一段落したらまた三国志解説再開してほしいです。特に諸葛孔明亡き後の三国間のイベントは興味があります。魏国内での司馬氏の興隆と曹氏の没落とか蜀内での権力闘争と姜維による北伐とか、呉国内の二宮事件での陸遜憤死とかお願いします。
確かNHKの「太平洋戦争」(1970年代)で戦争中の大本営の幕僚だった人が「ドイツが好調だったから1年くらいでドイツ主導の講和に乗る形で終戦するだろうからやってしまえ」という話をしていましたね。日本側が講和を出さなかったのはそういう意識もあったのかもしれません。
ありがとうございます!
このシリーズも大変勉強になりました。次の動画も楽しみにしています。
「失敗の本質」って本が興味深くておすすめです
『マクロ経営学から見た太平洋戦争 森本 忠夫』『技術戦としての第二次世界大戦 兵頭 二十八 , 別宮 暖朗 』ともにKindle版あり お勧めです。
「全体計画? ねえよそんなもん!」って状況だったんだろうねえ。陸軍と海軍で方針が食い違っていた上、どっちも目先の戦いに勝つ部分までしか見えていなかった。これじゃ勝てるものも勝てないというか、スポーツの勝利条件も把握せずに乱闘しているようなもん。
開き直ってカカチャンネル応援に回ってるの草生えたw
この動画を見始めた始めは2大事件にWW2後が入っていないのに疑問をもっていたけど、40:29で気づいた。WW2後は「過去の事」ではなくまだ「現代」の内なのだと。
日本が戦中にシビリアンコントロールが効かなくなった一因は、元老院体制から後の政治主導体制を構築するのに失敗したからなんだろうなと思ってます。戦前からそうなのですが内閣の寿命が短いのも一因に帰していますし、戦後の政治においても悪い意味での戦前の政治遺産(派閥の首領=元老)+内閣の短さを引き継いでいますね
やっぱり国民の多くがちゃんと食える状態にするための経済って大事なんだなぁって。経済政策はその成否が評価しにくいから非常に難しい。(経済が好調なら多少悪くても実績出たように見えるし、最悪ならいい仕事しても不調からは抜け出せないかもしれない。)
成金の絵を見て思ったこと。紙幣に火をつけるときに使ったマッチとかで明るくなってね?
きっと火打石だよw
登録者4万人突破おめでとうございます!
日米開戦(後の見通し)は『ドイツの対英戦勝利』が前提になってたと聞きましたね要は解説のように日本が主体的にアメリカに完勝するなど当時の軍もまったく考えてなくて序盤の猛ラッシュも『ドイツがイギリスに勝ってアメリカが戦意なくす(その時必然的に講和になると想定していた)前に全力で"相対有利"作っとかなきゃ(使命感)』という楽観論(すでにバトルオブブリテンはドイツ敗北濃厚)と一点豪華主義の合わせ技が開戦時の見通しだったと私は理解しています(無論そう考えてなかった人も日本軍にいっぱいいたとは思いますが)
10:30このあたりの外交の上手さはどこへ行ったのか...
300年前に荻原重秀のやりたかったと思われる金本位制の根元の実質貨幣制から名目貨幣制への変革の意味を江戸時代に理解出来ていれば(重秀が詳しい記録に残していれば)第二次世界大戦の悲劇も少なく出来たかも知れない。
折を見て何度も見返したくなる。大変良い動画を作って頂きありがとうございます😭お疲れ様でした!
今回もお疲れさまでしたいやほんと難しくも悲しい話ですよね。当時の国民感情から来る過激な世論と軍部の暴走講和に対して全く動けていなかったのも政治屋が信頼されてないのなら無理もない話なのかもしれません国が窮地に陥ればその国民は選民思想に染まりやすくなるのも歴史が証明していますから
最低限の国債発行でドイツ経済を建て直したシャハトはマジ有能なんやなってことが分かった
最後、海軍の大将か副将クラスの人がアメリカとの開戦するなら半年は暴れてやる(だからそれまでに講和しろ)と言ったっていうノンフィクション系ドキュメンタリー番組を見たことがある。その番組内では()内を政府が汲み取れず、ずっと勝てると思ってたら艦載機の登場で負けていたみたいな筋立てだったけど。
アメリカとの開戦時、確かに量とかでは日本は勝っていたが、満州事変からの戦争続きで物資とか戦争への備蓄が枯渇していた。ドイツはポーランド進攻前に可能な限り国内備蓄・製造代替可していたのに、日本は「無い物資を取りに行くだけの短期決戦」という考えが強かったのではないか。南進完了後にソ連を通して交渉し短期決戦で済まそうとしたら、独ソ戦が始まって交渉が不可能・持久戦になってしまった。その後、陸軍・海軍が想定する太平洋上の防衛ラインの考えの違い、今回のように占領したらその先に干渉地(防衛地)を確保するためにさらに進軍するの繰り返しでついに限界を迎えた。アメリカは開戦時から国内総生産体制を取り、欧州を主戦場としつつ、太平洋側は準備ができるまで積極的に攻勢せず、前線を維持し続けた。数も圧倒的なほどの準備が出てから一気に攻勢に出て、畳み掛けるように日本を敗戦へ追い詰めた。
箱があっても動かす動力に不安ありすぎですからね
2020年代の今、100年前の歴史を学ぶことは大変意義のあることですね。軍部の暴走を許した民と制度の欠陥が原因とはいえ、1920~30年代の日本はまさに天に見放されていたということでしょうか。2000~2010年代までを後世でどういわれるのか心配になりますね。
いつも楽しく視聴させていただいております。おすすめのカカチャンネルさんもチャンネル登録致しました。
37:59 ソ連の力で講和する予定だったらしいです。以下、ちょっと長くなります。1941年11月、大本営連絡会議で「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」というのが出されました。内容は次の通りです。①アメリカの継戦意思を喪失させるには、重慶政権とイギリスの屈服が必要。②イギリスを下すため、独ソを和平させ、対英戦に集中させる。③ドイツと和平したソ連を枢軸に引き入れる。後世の我々からすると「そんな無茶な」と思いますが、一年前に結んだ日独伊三国同盟が「日独伊ソ四国協商」構想を念頭に置いていたため、日本は独ソ関係を仲介斡旋できる立場でした。そこで、外務省と海軍がそれぞれ独ソ和平を試みます。北方を警戒する陸軍はむしろ独ソ戦が続いてほしい立場でしたが、南方作戦の完了後に余力が生じたため、やや遅れながらも独ソ和平に乗り出します。そして我々が想像する通り、ヒトラーは和平に反対しました。むしろ対ソ即時開戦を求められる始末で工作は失敗します。ドイツ首脳部の対日感情悪化の懸念から、ひとまず手を引いた外務省・海軍・陸軍ですが、戦局の悪化でそんな外交的配慮の余裕も無くなります。陸軍参謀本部の予測では、1944年内に劣勢を挽回しない限りソ連の対日参戦の可能性が生じるとされていました(実際、1945年2月のヤルタ会談で対日参戦が決定)。ソ連と交戦すれば講和構想自体が破綻するため、陸海軍は兵力を集中して決戦に動きます。これが有名な捷号作戦、「捷」は戦いに勝つという意味です。しかし、捷一号作戦は敗北に終わり、連合艦隊は事実上壊滅、陸軍は苦戦を強いられフィリピン奥地に後退しました。同時に再開されていた独ソ和平工作も再びヒトラーに拒絶され、四国協商による講和構想は完全に不可能となりました。なお、対ソ交渉自体は終戦工作として継続されました。戦後の米ソ対立を見越して日ソ同盟を狙った内容です。いわゆる黙殺事件は対ソ交渉に配慮して回答を控えた結果で、菊水作戦や本土決戦はソ連の仲介を前提とする作戦構想ですが、ソ連対日参戦で全部無意味になりました。一連の講和工作の過程は、戦後の旧軍・旧政府バッシングと後知恵バイアスの影響で不当評価を受けている例の1つだと思います。当時の日本が欧州情勢に疎かったことは批判されるべきかもしれませんが、持ちうる情報から合理的な計画を立て、必要な労力を注いだのもまた事実です。しかし、戦後歴史学は連合国史観からの戦前批判に執着しており、史実検証(特に戦前の肯定的側面を含む内容)は防衛研究所を中心とする戦史研究に留まっています。一般には前者の価値観が浸透したため「無謀で無能な上層部」像でも疑問を感じづらく、あまり深堀りされない分野です。史資料がマイナーなのもこのためだと思います。偏った個人的見解が混じってしまいましたが、参考にしていただけると幸いです。
長編お疲れ様です。C国の経済状態もアレなことになっているので、二の舞にならないことを祈るのみです。
対米戦の講和についてですが、陸海軍大臣を擁する政府でも統帥権がないため統帥部を差し置いて外務省の判断で(外交手段として戦争を捉えた)講和を進めることができなかったこと、陸軍参謀本部と海軍軍令部では大東亜戦争の持つ意味に食い違いがあったことが講和の行われなかった理由だと思います陸軍としては緩衝地帯としての満州国の保持と、それを遂行するための南方の資源地帯の確保を主な戦争目的とし海軍としてはその陸軍の手伝いをさせられていると感じていたと思います開戦前より海軍では日米開戦に対しての消極的な意見が多く、したくもない戦争の尻拭いをさせられると思えば山本五十六がそうであったように一大打撃を与え早期講和を結びたいと考えていたことと思いますしかし陸軍としては先述の緩衝地帯の形成を達成できないうちは講和することができないためいくら海軍が戦術的勝利を重ねてもそれをきっかけとした講和の打診には首を縦に振らなかったのだろうと思います
このシリーズおもしろくてすぐ見終わってしまった個別の動画が楽しみだなあ。このチャンネルは長めの動画が多いからうれしい。作るのは大変だろうけど。。。
うp主様の防災備蓄紹介動画希望です。
見応えのあるシリーズでした!👍お疲れさまでした!
この動画を見るような人は違うだろうけど第2次世界大戦を「ヒロシマ」「ナガサキ」「終戦」しか知らない人が多そうなのよね。「見たことないけどラストシーンだけ知ってる映画」みたいなもんで。
そこへ至る過程が大事ですよね
タイタニックのエンディングだけ見て満足しちゃうようなものかもしれませんね。
長編お疲れ様でした。靖国神社の資料館とかでも表記は一貫して「大東亜戦争」ですが、日本国の英霊を奉る神社で国の政府が正式決定した名称を用いるのは当たり前というだけのことなんですよね。戦争の礼賛や反対なんて何一つ関係ないのに。
「支那」の呼び方もそうですが、物事を正確に表記したいだけなんですよね。第二次世界大戦では欧州戦役も含みますし、太平洋戦争では日中や満州、インド等の戦役が含まれない。日本が戦った戦争と言う意味では大東亜戦争が一番正確な表記。そこに思想とかは関係ないんですがね。「中国大陸」なんて言いますけど、それこそ1949年以降の話ですしそれより前の表記なら支那大陸や支那料理が正確なんですが、ここは政治的配慮で中国料理と。どっちが思想を含んでいるのやら。。。
@@いあ158 まあ、そもそも英語でchinaですからね。ドイツ語でも読みはキーナですし。なぜそこに噛み付くのかは不明ですが...
@@tkrhsgw8596 日本には「中華」として崇めろという思想いわゆる差別ただし国民党相手なら分かるが(一応戦勝)共産党相手(第三国)にそれを強要されるいわれはない
@@いあ158 支那ってしかも自称だし・・・・・おっとだれかきたようだ
本シリーズ完結、お疲れ様でした。とても分かりやすい日本史全体の俯瞰、ありがとうございました。今後の作品、お待ちしております。
ちなみに日露戦争の時イギリスが直接参戦しなかったのは当時の日英同盟がいわゆるわかりやすい「一緒に戦争やろうぜ😗」という同盟ではなく「お互い『どっかの国』と戦争になった時はお互いに『(好意的)中立』を宣言しような」という約束事だったからですね(交戦国(敵)に味方が付いた場合は参戦が義務付けられていた)この条件は日露戦争での日本の勝利後の条約改正で改正され(第二次日英同盟、第三次日英同盟)今日一般に認識される『軍事同盟』へと発展その後第一次世界大戦に日本が参戦する根拠ともなりました
当時は露仏同盟というのがあって日露戦争にイギリスが参戦するとおフランスがロシア側に参戦する懸念があったが、イギリスにも日本にも敵が増えるだけ(しかも後述する理由により一番笑うのはドイツ)だから好意的中立にしようと言うことになった。ところがその露仏同盟というのは露仏に挟まれるドイツを仮想敵にして挟撃しようというもので、実は三国干渉や日露戦争はロシアが極東を欲しがったこともあるがそれ以上にロシアを極東に向けさせ挟撃できないようにするというドイツの計算もあった。(日露戦争時ロシアは極東に手一杯だし、もし英仏で戦いになればドイツは露仏英をまとめて共倒れにできる可能性まであった。逆にイギリスにとっては日本を助けたいが、フランスの対英参戦となるとそれどころではなくなるし、フランスも日露戦争でロシアがヨーロッパを留守にしててドイツのがヤバくね?となり、英仏協商が成立しドイツの悪巧みは完全に破綻)まあ、結局ドイツは第一次世界大戦で英仏露に囲まれたあげく、日本もイギリスが参加しろ・するなと二転三転したものの、ドイツ東洋艦隊がオーストラリア始め南太平洋とイギリス本国間の通商妨害を始めたことで参戦要請せざるを得なくなり日本まで敵に回すハメになった。平沼騏一郎なら複雑怪奇とか言って逃げ出しちゃうね♪
日英同盟の破棄はアメリカの意向があったと思います。流石にアメリカでも世界2位3位の海軍国に挟まれて勝てるとは思わないでしょうし、日英の手を切らせたのは意図があったと思います。講和の話は東條内閣の次にできた小磯内閣がスウェーデン王室を介してイギリス王室から連合国に和平を働きかけてもらおうとしたみたいですけど、伝統の内閣総辞職でお流れになったみたいです。一応中立国のソ連を介してのプランもあったけど…。
日英同盟って、実質対ロシア同盟だからな。ロシアが革命で崩壊した時点で意義が薄れてるんだよ。
考察ありがとうございました。今のお偉いさん達にイケてた日本とアカン日本の「歴史の間(ま)」を勉強し直してもらいたいです。今また国内むきゅむきゅしています。誰か教育してくれる人はいないのかな?せっかくの日本がもったいなさ過ぎます。
15時間かけてアメリカとの戦い解説お願いします
この時期に日本政府がまともに機能していなかった理由の一端としては、ほとんどの政権が1年未満の寿命しかなかった点もありますね後、海戦直前の日米の艦隊戦力の差についての補足ですが、当時アメリカは大恐慌のしわ寄せで軍事費、特に太平洋艦隊は極度というか度を越した緊縮財政で動いていました。なんせ、1939年に遭難した女流飛行家アメリア・イアハートの捜索のために予算を使ったために翌年の訓練飛行が大幅にカットされるほどでした。あと、日米開戦後の講和工作については私も寡聞にして聞いたことがありません。他の方のコメントでもありますが、ドイツの頑張りに期待というのが割とマジだったようです。一応、ミッドウェイで勝利しハワイ占領ができれば(それに必要な陸軍を運ぶ輸送船は手配できませんが)政治的に講話できなくともアメリカは常識的には対日戦で取れるオプションを失う、程度の目算くらいかなぁ
戦後日本歴史解説でベビーブームはなぜ起きたのか解説してほしいなあ
個人的に日本史の時代区分で江戸の次が明治・大正・昭和と続くのが凄く違和感で(年号は特に時代背景とは結び付いていないので)、江戸時代(~1868)→帝国時代(1868~1945)→現代(1945~)みたいな時代区分にしてほしいと思うのですが、皆さんはどう思いますか?私は、少なくとも200年後の日本史の教科書は、高い確率で上記の時代区分になっていると思います。※ 明治・大正・昭和・平成・令和・・・・と200年後の年号まで羅列するとも思えませんので。
調べてみて知ったのですが〇〇時代って政庁所在地が基準みたいですね。飛鳥時代は飛鳥村、室町時代は京都、江戸時代は言わずもがな。とはいえ江戸時代以降を「東京時代」と呼称するのは出来事の密度に対して大雑把すぎるし、語義がふんわりしている「帝国」を時代名称に用いるのもどうかな〜と思いますし、まあ元号でいいんじゃないですかね。明治維新とか大正デモクラシーとか昭和恐慌みたいに元号をつけるとわかりやすい事例もあるし今後200年平和でしょーもないことしか起こらないならざっくりまとめられるかもしれませんが、まあ今年だけでもひどく目まぐるしいことになってますからねえ
政治体制の変遷を考えるとそのように表記することも一定の理がありますね。本質を理解するという意味では私は賛成です。江戸時代中でも元号はガンガン変わってましたし。ただ、歴史は「政治」でもありますので、現代では軽々しくは変更できないでしょう。30年ぐらい主張し続ければそのような表記も一定の支持を得られるかもしれません。200年後の歴史教科書はおっしゃる通りになっているでしょうね。私もそう思いますよ。
待ってたぜ!
個人的に大東亜戦争の頃の日本は「船頭多くして船山に登る」ってのがピッタリ当てはまる状況だった?と思ってます
カカチャンネルさんおもしろいからね、しょうがないね
軍部が独走するだけじゃなくてなんなら参謀本部の指示を現地軍が無視するとか軍部内も統率が利いてない
21大事件の選出と考察お疲れ様でした。久しぶりに教科書を開いて学生の頃を思い返し、教わった内容と異なる最近の潮流などを整理できました。ありがとうございます。どれも納得できる理由で、別のものをあげるとすれば事件の始まりや切り口をどこに置くかという違いになりそうです。日本史に限ったことではありませんが、古代や中世の乏しい輸送通信技術でも重要な情報がきちんと把握されていて、判断を下すまでのタイムラグが殆どみられないことに驚きます。また一方で短時間で豊富な情報が届く近現代でも、判断は遅れるし過ちもなくなりません。情報情報とやかましく叫ばれますが活用できなければ意味はないし、現代目線で昔の人々を断罪する愚かさ、進歩しない人々に虚しさを感じてしまいますね。次のシリーズも楽しみにしています。ご自愛を。
軍隊は戦い続ける事で予算や発言力を強化できます、軍隊が戦闘を放棄したら敗戦ですから。だからミクロ視点で見れば軍隊には講和する理由がありません、戦い続けたいのです。大正時代の大軍縮(中将の9割が予備役編入されたという)がトラウマになったのかもしれません。
一考察動画もすべて拝聴させて頂きました。8月中はご多忙とのこのですが、お体もご自愛頂きますよう御願い致します。また、次回動画も楽しみにお待ちしております。
シリーズ完結お疲れさまですー! 三国志も続編見たいなぁ・・晋統一から崩壊まで
「貧富の差が大きくなると、過激な言動を行う勢力が支持されがち」どこぞの元大統領とかね…
トランプさんもそうだがヒトラーとかムッソリーニもそうですね。ああいうタイプは演説がすごいシンプルで聞いてて引き込まれますからね。
私の曽祖伯父はアメリカに移民していましたがまさに1924年に現地で亡くなったと聞いています。はっきりとした話は伝わっておりませんが色々とあったんでしょうね。
日本人は戦前でも戦後でも、責任を取る(結末をどうする)って考える人が極端に少ないからねぇ。日和見主義なのは美徳かもしれないが、外交の世界だと最悪の結果を招くから、最低限、落とし前を付けられる人が外務大臣やって欲しい。(1930年代を除く)
長期解説、お疲れ様でした。勝ちすぎて収拾つかなくなるなんて皮肉なものよのう…。
緩衝地帯のはずの半島が満州国建国で策源地になっているのなんか草
なんで最後がインド人の明言?なのか…お疲れ様でした。
茶番もちゃんとソースを明記する時代やなって(
景気が暗いと、人は極端な考えを革新的だとか新しい時代とかって勘違いして、支持してしまうんよなあ
敗戦によって日本国っていう国の歴史は終わってる見解は寂しいですね。見方によっては全然正しいと思うが、仮に日本が大東亜戦争に勝利していたと仮定するならば極東・東南アジア圏(あわよくばオーストラリア)を掌握する可能性が高いので、そのエリアからの日本への移民が大量発生する可能性が高いのかなと。フランス、イギリスにアフリカ系移民が多いように。そうなると今日の日本文化が維持できていたかと言うところも微妙ですよね。まぁ、世界線が違いすぎてイメージ湧かないですけど。
実家に学研とかの専門誌置いてきたのであやふやですが、1944年くらいまで目立った講和活動してなかった気が。そのときも陸軍と外務省非主流派がバラバラにやってたと記憶してます。
37:58 現在のロシアもそうだけど、安全保障が戦争の目的となっている場合は終了させるのが非常に難しくなるんよ。日本帝国の場合、ハワイ占領したところでエネルギー安全保障は全く保全されないわけで、そのタイミングで講和したって意味ないでしょって話。現在のロシアも、戦争相手のアメリカと講和できないと止めようが無い。ウクライナ全土を掌握しても、国家安全保障という観点で何も成果が出てない状態になるからね。
こうなってくると21大事件をそれぞれ独立したシリーズで見たくなりますねぇ…
政治外交的に失敗してしまって資源封鎖を喰らってしまい追い込まれていたから、資源を取る以上のことを考えられず、戦略を立てずに行き当たりばったりにしてしまったんだろうね。なので、南方作戦までは陸海軍が協力して戦争を行なっていたのに、その後はバラバラになってしまうし。海軍の米豪遮断作戦にしても、それが成功したとしても講和までの道筋があったわけではないからね。
だって陸軍も海軍もアメリカに勝てると思ってなかったのに誰も止めないから戦争になったとかほとんどギャグじゃん
自分が日本人だからやっぱり大東亜戦争で勝ってたら…とか、せめて引き分けに持ち込めてたら…みたいな想像はするけどそしたら今みたいな生活じゃないのかな
アメリカは最後まで刺激しないのが第一条件ですかね
アメリカとの和平交渉についてですが、1943年3月25日に吉田茂が若槻礼次郎に宛てた手紙の内容を牧野伸顕に報告した手紙で、シンガポール攻略前後に和平交渉を行うための海外派遣(おそらくスイス)を進言していました。参考までに 『牧野伸顕宛吉田茂書動について』 の8枚目の資料に当たります。また、東條内閣の打倒も計画していました。結局失敗していますが……汗
ruclips.net/video/DIb0gGMxT_M/видео.html戦後、総理大臣となった石橋湛山がこのころ「東洋経済新報」で金本位制復帰の可否について優れた論陣を張っていました。
被災しやすい地域から危険性の低い所へ引っ越すは理想的な防災ですね。人は集団になると雰囲気で意思決定を行いがちですから、厄介ですね。私は影響されやすいから、ブームから距離を置くように心がけています。戦争を可能な限り少ない犠牲で終わらせるには、交戦している両陣営から信頼されている仲介役が必要だと考えています。日露戦争終結の際に満州をアメリカと共同で開発するとか、アメリカとの関係が良くなるような約束でも結んでいれば日米開戦への道も避らけれたのかな、と思ってしまいます。
まあ千葉県って大昔は本当に島だったし・・・・千葉って10年ほど前の例の地震より35年前の冬に起きた時の方が甚大な被害(直下型)でしたのです
投稿ありがとうございます。最近の日本社会は、満州事変前の状況になりつつあるのではないかと心配しております。当時と唯一、異なるのが軍隊たる自衛隊の意識が極めて限定されていることであると考えます。個人レベルまで明確にするのは困難ですが、組織レベルとして自衛隊が国政に干渉する可能性はないと考えてよいのではないかと認識しています。国民にとって、自分たちの政治的決定の結果に責任を求められるという民主主義国家として当たり前の結論と向き合うことに過ぎないと考えます。話は変わりますが、大東亜戦争の第1段作戦計画は精緻かつ慎重に作成されていましたが、結局は作戦レベルで、政治戦略(欧州戦線の動向を含め。)と連携しておらず、第2段作戦計画も総花的な計画となり、その過程でミッドウェーの敗戦及びソロモン戦役での消耗戦により、宝石よりも貴重な時間を失ってしまったのです。一般的なレベルですが、イギリス連邦(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)との単独講和を目指す為、ドイツ軍のアフリカ戦線の状況に合わせ、インド洋において海軍による圧力をかけ、交渉を図るという手段もありましたが、政軍連携の形跡が見えないのです。
今も軍隊ランキングとかやるけど政治も巧くないと勝てないって事かな?
今の時代はマスコミやSNSに煽られ考えなしに乗せられないように、自分の担ぐ神輿は自分の責任で決めないとな。暗殺された総理大臣の分布みるに、今まさに歴史の転換点にいる自覚を持ち直さねばならんと思った。
あの元総理が暗殺されたのは、今までの自分の行いが全部返ってきただけだから自業自得でしかないけどな
対米戦を解説した15時間くらいの動画待ってます!
むしろ当時、戦争に関する以外でまともに政府機能が残っていたのかも怪しく思える。特に外交。
金融政策が苦手なのは今も昔も一緒だったのね太平洋戦争が下手になったのは、明治維新の生き残りがほぼいなくなって軍人政権やめたおかげで戦争のやめ方がわからなくなったのもあるのかもなぁと思ったり徳川幕府と諸藩一応軍人政権だし
ソ連に関しては1925年の国交樹立以降ソ連は日本との関係改善や不可侵条約の締結にかなり熱心でした(ソ連の外交状況が原因)。しかし日本は不可侵条約の交渉そのものを拒否していたことで1928年にソ連は諦め、満州事変を起こした時にも不可侵条約を拒否したためソ連は日本を信用できなくなって日本ではなく中国を組む相手として選んだんですよね。なので満州事変後に国際連盟外のソ連との接近も不可能になって友好国が周囲に消えてしまうという悲劇が…。あと満州事変や日中戦争は九カ国条約に明確に違反していた点から見るとなぜ孤立していってたかわかりやすいように思います。
22:26 2024年8月、少し前に行われた利上げで、同じ轍を踏みそうです。
不景気の時って何となく自然災害が多い気がするのは、あくまで気のせいなんでしょうかね。例えば、バブル崩壊後の大地震が多いはどうなのでしょうね。(東海より先に他の地域に発生していますし・・・)
よく考えてみると、今の時代って1920年から続いているのかも。あの失敗からずっと。歴史のタームってずっと長いと思うし。
対米開戦は41年12月ですね
もしこの後に㉒を作るとしたら1949年の1ドル360円の固定相場制でしょうか。これが決定打で日本は先進国として復活したと思っています。
革命こそ起きてないものの軍部が実質革命に近いことして政権握ってたって認識です以前このチャンネルでもやってた政府が機能してない状態って考えると20年代以降の日本て戦国時代、室町時代と大差ないんでしょうね
幕府が出来ていたのです満州に
このうp主、濃い人生を送ったおじいちゃんなんじゃ?ってくらい含蓄と言葉の深みが伝わってくるんだよね。教授とかなのかな?
外国の軍事政権で内政も外交も失敗してるのを見ると「そうはならんやろ」と思っていたのですが自国も似たようなことやってたんですね正確には軍事政権ではないですが。自分にその認識がなかったので改めて勉強になりました
日英同盟はワシントン会議における日英米仏の4カ国条約が締結された後に期限が訪れても更新されず、そのまま終了したというのが実際です。そこには4カ国条約を主導したアメリカによる日英同盟への妨害の意図があったと言われていますね。ただ、そもそも対米戦においては日英同盟は適応外の事項であったことは注意するべきです。アメリカのウィルソン大統領やソ連が始めたww1後の新しい外交方式に日本人は困惑し、対応を間違えました。独ソ不可侵条約時の日本の政治的混乱がその典型です。
大東亜戦争の歴史でなぜそうなったのか?というのを考える時には通州事件とか当時の大陸の状況とかを見るとまた少し違った物が見えて来るかもねあとは人種差別的な考え方とか、当時と今とでは全く別の世界だったろうしねぇ
ご苦労様です
でも近代日本の政治の一大転換点が一連の恐慌だったという事は授業で学んだけど、本当にドミノトラブルの如き法則じみた難題がふっかかりすぎてる。
歴史学会のお歴々が大東亜戦争って表現駄目派が多数だからな…
何でアメリカと講和出来なかったかって言うとまず1942年の1月1日に連合国共同宣言というのがありまして…単独で講和が出来なかったんすよ。なので当時の日本政府としては連合国共同宣言の存在がある以上イギリスの脱落を待つしかなく、そのイギリスをどうやって脱落させるのかもソ連と開戦し勢いが完全に消えてしまっていたドイツ頼みという有様でした。あと当時のアメリカの対日世論の悪さは本当に凄まじいですよ。対ドイツよりも悪いです。まあこれについて例えるなら今の中国に関しての極右の反応が当時のアメリカの反応だったと思ってもいいです。なんせ戦争開始とほぼ同時に終戦処理の話をしてるぐらいですからね。基本的に日本という国家を二度と立ち直れなくなるくらいまで国体を破壊するというのが大東亜戦争時のアメリカの考え方でした。それと日本の国民感情の事に加え大本営発表もあったからか日本の側から講和の話なんて切り出したら勝ってるのに不利な条件で講和しようとしてる!でテロ祭りになることも恐れており、「一撃講和論」に代表されるようにアメリカが音を上げるのを待つだけだったのが当時の日本政府の動きだったといってもいい位です。アメリカの終戦についての考え方が変わるには1945年の硫黄島と沖縄の戦い、ルーズベルト大統領の死、そして神風特攻隊による戦果を待たなければなりませんでした。
お疲れ様でした。しかし因果は廻る小車とはよく言ったものです。凡人は目の前の事しか見えない。だから大日本帝国の服案はドイツがソ連とイギリスに勝利して結果アメリカが「寂しく」なって講和してくるという種村佐高が書いた作文が戦争終結のシナリオ(苦笑)
こうして見るとイタリア🇮🇹の外交力の美味さは折紙付きに見えるな
鈴木商店というWW1でぼろ儲けした会社がありましたね。(カカチャンネル情報)
うp主千葉に住んでたのか!!!σ(゚∀゚ )千葉住み
この頃の主力の政治家を現代日本に召喚して今の政権と取り替えたいね。
水2ヶ月分確保してるのはすげえペットボトル何本分だ?
対米は正直言って無条件降伏SSRだったけど対ソだったら無条件降伏USSRだったからなあ…確かに一旦ゲームオーバーかも。
ひとシリーズ完走お疲れ様でした。
次回作も楽しみにしています。
浸透襲撃さんが『大東亜戦争』という呼称を使う理由を知れて良かったです。
動画内では対米海戦が1942年になてますが、正しくは1941年です。
知てた
38:43
政府(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)
陸軍(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)
海軍(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)
国民(そのうち誰かがうまいこと講和してくれるやろ・・・)
そのうちドイツがうまいこと…
本当にそれらしいですよ‼️
日米開戦も誰もが勝てないのわかってるのに誰かが天皇陛下や回りに無理ですって言うの期待してたら、最後の御前会議でも誰もが言ってくれと目配せしても進上せず開戦になったらしいですよ❗️
戦後あの時誰かが命懸けでも言ってくれたらなーみたいなこと言ってた記録があって呆然としました。
ドイツがソ連とイギリスを屈服させることが第一条件かな
@@ボタスキー-u5r 唐の魏徴のような諫臣がいないのが日本の不幸
@@kirin4126 英雄を期待する時点で末期症状。日本人が腐ってるのに、政治家や官僚だけ真っ当でいられる訳がない。
長編お疲れさまでした
歴史も経済も過去の事例と全く同じ状況はあり得無いし、国民感情とかの意味不明な要素が絡んできたりするとほんとカオス
過去の事例から学習してうまく応用しなければならないってのが難しいと思いますた
シリーズ完走お疲れさまでした。
歴史で目立つのは戦争や内乱ですが、その背景には内政・経済がある、というのがシリーズを通じたテーマであったと感じます。
昨今の内政・経済の失敗が内乱や戦争に結びつかなければ良いのですが・・・
それも含めて歴史に学びたいですね。
わかりやすく、腑に落ちました。
超大作、感動作、乙でした。
受験生の頃、この辺の経済史とそれに紐付く政策・戦争への繋がりをうまく先生が説明してくれてそこからめちゃくちゃ近代史に興味持ったのにもうほぼ覚えていない、、、
対米戦において日本政府がアメリカと講和しようとした形跡が無い、と言うのは
開戦初期どころか末期にまで言える。マジで何もやってない
アメリカ政府に対して終戦に関して何かしらの打診を正式に発したのは1945年8月10日午前8時のポツダム宣言受託に関するラジオ放送が最初で、正式な手交は翌11日。
国内的にも1945年6月の時点で戦争完遂(徹底抗戦)を旨とする「今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱」が御前会議で正式決定しているので、国内的にも正式に講和・終戦を模索するべき、という意見はこの時点ですら議題にすらかけられず、8月10日午前0時から始まった御前会議で初めて講和が議題となり数時間のうちに決定が出て朝には上記のラジオ放送が行われている。
「いや日本はソ連経由で講和を模索していた!」と言う人が居るが
それらはすべて個人が水面下で非公式にやっていたものであり当然一貫性はなく(ヨハンセングループ、近衛の天皇上奏、東郷外相によるソ連大使への対談など)は対外的には何もやっていないのと同じ。
戦力の多寡以前にこんな国家体制で戦争やっていたのは本当に恐怖。
これまた長編でしたねぇ。お疲れさまでした。
直接は関係のない話なのですが、1920年頃ってちょうどコミンテルンによる浸透や活動が活発化していた時期でもあります。
治安維持法が1925年ですから。
この辺りも含めて、実は一次大戦期の繁栄の裏で本当に色々あったわけです。
なので国内の混乱状態について、簡単に説明出来るほど単純じゃないんですよねぇ。
長編お疲れ様でした。日本史の用語解説も楽しそうですが、そちらが一段落したらまた三国志解説再開してほしいです。特に諸葛孔明亡き後の三国間のイベントは興味があります。魏国内での司馬氏の興隆と曹氏の没落とか蜀内での権力闘争と姜維による北伐とか、呉国内の二宮事件での陸遜憤死とかお願いします。
確かNHKの「太平洋戦争」(1970年代)で戦争中の大本営の幕僚だった人が「ドイツが好調だったから1年くらいでドイツ主導の講和に乗る形で終戦するだろうからやってしまえ」という話をしていましたね。
日本側が講和を出さなかったのはそういう意識もあったのかもしれません。
ありがとうございます!
このシリーズも大変勉強になりました。次の動画も楽しみにしています。
「失敗の本質」って本が興味深くておすすめです
『マクロ経営学から見た太平洋戦争 森本 忠夫』『技術戦としての第二次世界大戦 兵頭 二十八 , 別宮 暖朗 』ともにKindle版あり お勧めです。
「全体計画? ねえよそんなもん!」
って状況だったんだろうねえ。陸軍と海軍で方針が食い違っていた上、どっちも目先の戦いに勝つ部分までしか見えていなかった。これじゃ勝てるものも勝てないというか、スポーツの勝利条件も把握せずに乱闘しているようなもん。
開き直ってカカチャンネル応援に回ってるの草生えたw
この動画を見始めた始めは2大事件にWW2後が入っていないのに疑問をもっていたけど、40:29で気づいた。
WW2後は「過去の事」ではなくまだ「現代」の内なのだと。
日本が戦中にシビリアンコントロールが効かなくなった一因は、元老院体制から後の政治主導体制を構築するのに失敗したからなんだろうなと思ってます。
戦前からそうなのですが内閣の寿命が短いのも一因に帰していますし、戦後の政治においても悪い意味での戦前の政治遺産(派閥の首領=元老)+内閣の短さを引き継いでいますね
やっぱり国民の多くがちゃんと食える状態にするための経済って大事なんだなぁって。
経済政策はその成否が評価しにくいから非常に難しい。(経済が好調なら多少悪くても実績出たように見えるし、最悪ならいい仕事しても不調からは抜け出せないかもしれない。)
成金の絵を見て思ったこと。
紙幣に火をつけるときに使ったマッチとかで明るくなってね?
きっと火打石だよw
登録者4万人突破おめでとうございます!
日米開戦(後の見通し)は『ドイツの対英戦勝利』が前提になってたと聞きましたね
要は解説のように日本が主体的にアメリカに完勝するなど当時の軍もまったく考えてなくて
序盤の猛ラッシュも
『ドイツがイギリスに勝ってアメリカが戦意なくす(その時必然的に講和になると想定していた)前に全力で"相対有利"作っとかなきゃ(使命感)』という楽観論(すでにバトルオブブリテンはドイツ敗北濃厚)と一点豪華主義の合わせ技が開戦時の見通しだったと私は理解しています(無論そう考えてなかった人も日本軍にいっぱいいたとは思いますが)
10:30このあたりの外交の上手さはどこへ行ったのか...
300年前に荻原重秀の
やりたかったと思われる
金本位制の根元の実質貨幣制から
名目貨幣制への変革の意味を
江戸時代に理解出来ていれば
(重秀が詳しい記録に残していれば)
第二次世界大戦の悲劇も少なく
出来たかも知れない。
折を見て何度も見返したくなる。大変良い動画を作って頂きありがとうございます😭お疲れ様でした!
今回もお疲れさまでした
いやほんと難しくも悲しい話ですよね。当時の国民感情から来る過激な世論と軍部の暴走
講和に対して全く動けていなかったのも政治屋が信頼されてないのなら無理もない話なのかもしれません
国が窮地に陥ればその国民は選民思想に染まりやすくなるのも歴史が証明していますから
最低限の国債発行でドイツ経済を建て直したシャハトはマジ有能なんやなってことが分かった
最後、海軍の大将か副将クラスの人がアメリカとの開戦するなら半年は暴れてやる(だからそれまでに講和しろ)と言ったっていうノンフィクション系ドキュメンタリー番組を見たことがある。
その番組内では()内を政府が汲み取れず、ずっと勝てると思ってたら艦載機の登場で負けていたみたいな筋立てだったけど。
アメリカとの開戦時、確かに量とかでは日本は勝っていたが、満州事変からの戦争続きで物資とか戦争への備蓄が枯渇していた。ドイツはポーランド進攻前に可能な限り国内備蓄・製造代替可していたのに、日本は「無い物資を取りに行くだけの短期決戦」という考えが強かったのではないか。南進完了後にソ連を通して交渉し短期決戦で済まそうとしたら、独ソ戦が始まって交渉が不可能・持久戦になってしまった。
その後、陸軍・海軍が想定する太平洋上の防衛ラインの考えの違い、今回のように占領したらその先に干渉地(防衛地)を確保するためにさらに進軍するの繰り返しでついに限界を迎えた。
アメリカは開戦時から国内総生産体制を取り、欧州を主戦場としつつ、太平洋側は準備ができるまで積極的に攻勢せず、前線を維持し続けた。数も圧倒的なほどの準備が出てから一気に攻勢に出て、畳み掛けるように日本を敗戦へ追い詰めた。
箱があっても動かす動力に不安ありすぎですからね
2020年代の今、100年前の歴史を学ぶことは大変意義のあることですね。軍部の暴走を許した民と制度の欠陥が原因とはいえ、1920~30年代の日本はまさに天に見放されていたということでしょうか。2000~2010年代までを後世でどういわれるのか心配になりますね。
いつも楽しく視聴させていただいております。
おすすめのカカチャンネルさんもチャンネル登録致しました。
37:59 ソ連の力で講和する予定だったらしいです。以下、ちょっと長くなります。
1941年11月、大本営連絡会議で「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」というのが出されました。内容は次の通りです。
①アメリカの継戦意思を喪失させるには、重慶政権とイギリスの屈服が必要。
②イギリスを下すため、独ソを和平させ、対英戦に集中させる。
③ドイツと和平したソ連を枢軸に引き入れる。
後世の我々からすると「そんな無茶な」と思いますが、一年前に結んだ日独伊三国同盟が「日独伊ソ四国協商」構想を念頭に置いていたため、日本は独ソ関係を仲介斡旋できる立場でした。そこで、外務省と海軍がそれぞれ独ソ和平を試みます。北方を警戒する陸軍はむしろ独ソ戦が続いてほしい立場でしたが、南方作戦の完了後に余力が生じたため、やや遅れながらも独ソ和平に乗り出します。
そして我々が想像する通り、ヒトラーは和平に反対しました。むしろ対ソ即時開戦を求められる始末で工作は失敗します。
ドイツ首脳部の対日感情悪化の懸念から、ひとまず手を引いた外務省・海軍・陸軍ですが、戦局の悪化でそんな外交的配慮の余裕も無くなります。陸軍参謀本部の予測では、1944年内に劣勢を挽回しない限りソ連の対日参戦の可能性が生じるとされていました(実際、1945年2月のヤルタ会談で対日参戦が決定)。
ソ連と交戦すれば講和構想自体が破綻するため、陸海軍は兵力を集中して決戦に動きます。これが有名な捷号作戦、「捷」は戦いに勝つという意味です。
しかし、捷一号作戦は敗北に終わり、連合艦隊は事実上壊滅、陸軍は苦戦を強いられフィリピン奥地に後退しました。同時に再開されていた独ソ和平工作も再びヒトラーに拒絶され、四国協商による講和構想は完全に不可能となりました。
なお、対ソ交渉自体は終戦工作として継続されました。戦後の米ソ対立を見越して日ソ同盟を狙った内容です。いわゆる黙殺事件は対ソ交渉に配慮して回答を控えた結果で、菊水作戦や本土決戦はソ連の仲介を前提とする作戦構想ですが、ソ連対日参戦で全部無意味になりました。
一連の講和工作の過程は、戦後の旧軍・旧政府バッシングと後知恵バイアスの影響で不当評価を受けている例の1つだと思います。当時の日本が欧州情勢に疎かったことは批判されるべきかもしれませんが、持ちうる情報から合理的な計画を立て、必要な労力を注いだのもまた事実です。
しかし、戦後歴史学は連合国史観からの戦前批判に執着しており、史実検証(特に戦前の肯定的側面を含む内容)は防衛研究所を中心とする戦史研究に留まっています。一般には前者の価値観が浸透したため「無謀で無能な上層部」像でも疑問を感じづらく、あまり深堀りされない分野です。史資料がマイナーなのもこのためだと思います。
偏った個人的見解が混じってしまいましたが、参考にしていただけると幸いです。
長編お疲れ様です。C国の経済状態もアレなことになっているので、二の舞にならないことを祈るのみです。
対米戦の講和についてですが、陸海軍大臣を擁する政府でも統帥権がないため統帥部を差し置いて外務省の
判断で(外交手段として戦争を捉えた)講和を進めることができなかったこと、陸軍参謀本部と海軍軍令部では
大東亜戦争の持つ意味に食い違いがあったことが講和の行われなかった理由だと思います
陸軍としては緩衝地帯としての満州国の保持と、それを遂行するための南方の資源地帯の確保を主な戦争目的とし
海軍としてはその陸軍の手伝いをさせられていると感じていたと思います
開戦前より海軍では日米開戦に対しての消極的な意見が多く、したくもない戦争の尻拭いをさせられると思えば
山本五十六がそうであったように一大打撃を与え早期講和を結びたいと考えていたことと思います
しかし陸軍としては先述の緩衝地帯の形成を達成できないうちは講和することができないため
いくら海軍が戦術的勝利を重ねてもそれをきっかけとした講和の打診には首を縦に振らなかったのだろうと
思います
このシリーズおもしろくてすぐ見終わってしまった
個別の動画が楽しみだなあ。このチャンネルは長めの動画が多いからうれしい。作るのは大変だろうけど。。。
うp主様の防災備蓄紹介動画希望です。
見応えのあるシリーズでした!👍
お疲れさまでした!
この動画を見るような人は違うだろうけど
第2次世界大戦を「ヒロシマ」「ナガサキ」「終戦」しか知らない人が多そうなのよね。
「見たことないけどラストシーンだけ知ってる映画」みたいなもんで。
そこへ至る過程が大事ですよね
タイタニックのエンディングだけ見て満足しちゃうようなものかもしれませんね。
長編お疲れ様でした。
靖国神社の資料館とかでも表記は一貫して「大東亜戦争」ですが、日本国の英霊を奉る神社で国の政府が正式決定した名称を用いるのは当たり前というだけのことなんですよね。戦争の礼賛や反対なんて何一つ関係ないのに。
「支那」の呼び方もそうですが、物事を正確に表記したいだけなんですよね。第二次世界大戦では欧州戦役も含みますし、太平洋戦争では日中や満州、インド等の戦役が含まれない。日本が戦った戦争と言う意味では大東亜戦争が一番正確な表記。そこに思想とかは関係ないんですがね。
「中国大陸」なんて言いますけど、それこそ1949年以降の話ですしそれより前の表記なら支那大陸や支那料理が正確なんですが、ここは政治的配慮で中国料理と。どっちが思想を含んでいるのやら。。。
@@いあ158
まあ、そもそも英語でchinaですからね。
ドイツ語でも読みはキーナですし。
なぜそこに噛み付くのかは不明ですが...
@@tkrhsgw8596 日本には「中華」として崇めろという思想いわゆる差別
ただし国民党相手なら分かるが(一応戦勝)
共産党相手(第三国)にそれを強要されるいわれはない
@@いあ158 支那ってしかも自称だし・・・・・おっとだれかきたようだ
本シリーズ完結、お疲れ様でした。とても分かりやすい日本史全体の俯瞰、ありがとうございました。
今後の作品、お待ちしております。
ちなみに日露戦争の時イギリスが直接参戦しなかったのは
当時の日英同盟がいわゆるわかりやすい「一緒に戦争やろうぜ😗」という同盟ではなく
「お互い『どっかの国』と戦争になった時はお互いに『(好意的)中立』を宣言しような」
という約束事だったからですね(交戦国(敵)に味方が付いた場合は参戦が義務付けられていた)
この条件は日露戦争での日本の勝利後の条約改正で改正され(第二次日英同盟、第三次日英同盟)
今日一般に認識される『軍事同盟』へと発展
その後第一次世界大戦に日本が参戦する根拠ともなりました
当時は露仏同盟というのがあって日露戦争にイギリスが参戦するとおフランスがロシア側に参戦する懸念があったが、イギリスにも日本にも敵が増えるだけ(しかも後述する理由により一番笑うのはドイツ)だから好意的中立にしようと言うことになった。
ところがその露仏同盟というのは露仏に挟まれるドイツを仮想敵にして挟撃しようというもので、実は三国干渉や日露戦争はロシアが極東を欲しがったこともあるがそれ以上にロシアを極東に向けさせ挟撃できないようにするというドイツの計算もあった。(日露戦争時ロシアは極東に手一杯だし、もし英仏で戦いになればドイツは露仏英をまとめて共倒れにできる可能性まであった。逆にイギリスにとっては日本を助けたいが、フランスの対英参戦となるとそれどころではなくなるし、フランスも日露戦争でロシアがヨーロッパを留守にしててドイツのがヤバくね?となり、英仏協商が成立しドイツの悪巧みは完全に破綻)
まあ、結局ドイツは第一次世界大戦で英仏露に囲まれたあげく、日本もイギリスが参加しろ・するなと二転三転したものの、ドイツ東洋艦隊がオーストラリア始め南太平洋とイギリス本国間の通商妨害を始めたことで参戦要請せざるを得なくなり日本まで敵に回すハメになった。
平沼騏一郎なら複雑怪奇とか言って逃げ出しちゃうね♪
日英同盟の破棄はアメリカの意向があったと思います。流石にアメリカでも世界2位3位の海軍国に挟まれて勝てるとは思わないでしょうし、日英の手を切らせたのは意図があったと思います。講和の話は東條内閣の次にできた小磯内閣がスウェーデン王室を介してイギリス王室から連合国に和平を働きかけてもらおうとしたみたいですけど、伝統の内閣総辞職でお流れになったみたいです。一応中立国のソ連を介してのプランもあったけど…。
日英同盟って、実質対ロシア同盟だからな。ロシアが革命で崩壊した時点で意義が薄れてるんだよ。
考察ありがとうございました。今のお偉いさん達にイケてた日本とアカン日本の「歴史の間(ま)」を勉強し直してもらいたいです。
今また国内むきゅむきゅしています。誰か教育してくれる人はいないのかな?せっかくの日本がもったいなさ過ぎます。
15時間かけてアメリカとの戦い解説お願いします
この時期に日本政府がまともに機能していなかった理由の一端としては、ほとんどの政権が1年未満の寿命しかなかった点もありますね
後、海戦直前の日米の艦隊戦力の差についての補足ですが、当時アメリカは大恐慌のしわ寄せで軍事費、特に太平洋艦隊は極度というか度を越した緊縮財政で動いていました。
なんせ、1939年に遭難した女流飛行家アメリア・イアハートの捜索のために予算を使ったために翌年の訓練飛行が大幅にカットされるほどでした。
あと、日米開戦後の講和工作については私も寡聞にして聞いたことがありません。
他の方のコメントでもありますが、ドイツの頑張りに期待というのが割とマジだったようです。
一応、ミッドウェイで勝利しハワイ占領ができれば(それに必要な陸軍を運ぶ輸送船は手配できませんが)
政治的に講話できなくともアメリカは常識的には対日戦で取れるオプションを失う、程度の目算くらいかなぁ
戦後日本歴史解説でベビーブームはなぜ起きたのか解説してほしいなあ
個人的に日本史の時代区分で江戸の次が明治・大正・昭和と続くのが凄く違和感で(年号は特に時代背景とは結び付いていないので)、
江戸時代(~1868)→帝国時代(1868~1945)→現代(1945~)みたいな時代区分にしてほしいと思うのですが、皆さんはどう思いますか?
私は、少なくとも200年後の日本史の教科書は、高い確率で上記の時代区分になっていると思います。
※ 明治・大正・昭和・平成・令和・・・・と200年後の年号まで羅列するとも思えませんので。
調べてみて知ったのですが〇〇時代って政庁所在地が基準みたいですね。飛鳥時代は飛鳥村、室町時代は京都、江戸時代は言わずもがな。とはいえ江戸時代以降を「東京時代」と呼称するのは出来事の密度に対して大雑把すぎるし、語義がふんわりしている「帝国」を時代名称に用いるのもどうかな〜と思いますし、まあ元号でいいんじゃないですかね。明治維新とか大正デモクラシーとか昭和恐慌みたいに元号をつけるとわかりやすい事例もあるし
今後200年平和でしょーもないことしか起こらないならざっくりまとめられるかもしれませんが、まあ今年だけでもひどく目まぐるしいことになってますからねえ
政治体制の変遷を考えるとそのように表記することも一定の理がありますね。本質を理解するという意味では私は賛成です。江戸時代中でも元号はガンガン変わってましたし。
ただ、歴史は「政治」でもありますので、現代では軽々しくは変更できないでしょう。30年ぐらい主張し続ければそのような表記も一定の支持を得られるかもしれません。200年後の歴史教科書はおっしゃる通りになっているでしょうね。私もそう思いますよ。
待ってたぜ!
個人的に大東亜戦争の頃の日本は「船頭多くして船山に登る」ってのがピッタリ当てはまる状況だった?と思ってます
カカチャンネルさんおもしろいからね、しょうがないね
軍部が独走するだけじゃなくてなんなら参謀本部の指示を現地軍が無視するとか軍部内も統率が利いてない
21大事件の選出と考察お疲れ様でした。
久しぶりに教科書を開いて学生の頃を思い返し、教わった内容と異なる最近の潮流などを整理できました。ありがとうございます。どれも納得できる理由で、別のものをあげるとすれば事件の始まりや切り口をどこに置くかという違いになりそうです。
日本史に限ったことではありませんが、古代や中世の乏しい輸送通信技術でも重要な情報がきちんと把握されていて、判断を下すまでのタイムラグが殆どみられないことに驚きます。また一方で短時間で豊富な情報が届く近現代でも、判断は遅れるし過ちもなくなりません。情報情報とやかましく叫ばれますが活用できなければ意味はないし、現代目線で昔の人々を断罪する愚かさ、進歩しない人々に虚しさを感じてしまいますね。
次のシリーズも楽しみにしています。ご自愛を。
軍隊は戦い続ける事で予算や発言力を強化できます、軍隊が戦闘を放棄したら敗戦ですから。
だからミクロ視点で見れば軍隊には講和する理由がありません、戦い続けたいのです。
大正時代の大軍縮(中将の9割が予備役編入されたという)がトラウマになったのかもしれません。
一考察動画もすべて拝聴させて頂きました。8月中はご多忙とのこのですが、お体もご自愛頂きますよう御願い致します。また、次回動画も楽しみにお待ちしております。
シリーズ完結お疲れさまですー! 三国志も続編見たいなぁ・・晋統一から崩壊まで
「貧富の差が大きくなると、過激な言動を行う勢力が支持されがち」
どこぞの元大統領とかね…
トランプさんもそうだがヒトラーとかムッソリーニもそうですね。ああいうタイプは演説がすごいシンプルで聞いてて引き込まれますからね。
私の曽祖伯父はアメリカに移民していましたがまさに1924年に現地で亡くなったと聞いています。はっきりとした話は伝わっておりませんが色々とあったんでしょうね。
日本人は戦前でも戦後でも、責任を取る(結末をどうする)って考える人が極端に少ないからねぇ。
日和見主義なのは美徳かもしれないが、外交の世界だと最悪の結果を招くから、最低限、落とし前を付けられる人が外務大臣やって欲しい。(1930年代を除く)
長期解説、お疲れ様でした。
勝ちすぎて収拾つかなくなるなんて皮肉なものよのう…。
緩衝地帯のはずの半島が満州国建国で策源地になっているのなんか草
なんで最後がインド人の明言?なのか…
お疲れ様でした。
茶番もちゃんとソースを明記する時代やなって(
景気が暗いと、人は極端な考えを革新的だとか新しい時代とかって勘違いして、支持してしまうんよなあ
敗戦によって日本国っていう国の歴史は終わってる見解は寂しいですね。見方によっては全然正しいと思うが、仮に日本が大東亜戦争に勝利していたと仮定するならば極東・東南アジア圏(あわよくばオーストラリア)を掌握する可能性が高いので、そのエリアからの日本への移民が大量発生する可能性が高いのかなと。フランス、イギリスにアフリカ系移民が多いように。
そうなると今日の日本文化が維持できていたかと言うところも微妙ですよね。まぁ、世界線が違いすぎてイメージ湧かないですけど。
実家に学研とかの専門誌置いてきたのであやふやですが、1944年くらいまで目立った講和活動してなかった気が。そのときも陸軍と外務省非主流派がバラバラにやってたと記憶してます。
37:58 現在のロシアもそうだけど、安全保障が戦争の目的となっている場合は終了させるのが非常に難しくなるんよ。
日本帝国の場合、ハワイ占領したところでエネルギー安全保障は全く保全されないわけで、そのタイミングで講和したって意味ないでしょって話。
現在のロシアも、戦争相手のアメリカと講和できないと止めようが無い。ウクライナ全土を掌握しても、国家安全保障という観点で何も成果が出てない状態になるからね。
こうなってくると21大事件をそれぞれ独立したシリーズで見たくなりますねぇ…
政治外交的に失敗してしまって資源封鎖を喰らってしまい追い込まれていたから、
資源を取る以上のことを考えられず、戦略を立てずに行き当たりばったりにしてしまったんだろうね。
なので、南方作戦までは陸海軍が協力して戦争を行なっていたのに、その後はバラバラになってしまうし。
海軍の米豪遮断作戦にしても、それが成功したとしても講和までの道筋があったわけではないからね。
だって陸軍も海軍もアメリカに勝てると思ってなかったのに誰も止めないから戦争になったとかほとんどギャグじゃん
自分が日本人だからやっぱり大東亜戦争で勝ってたら…とか、せめて引き分けに持ち込めてたら…みたいな想像はするけどそしたら今みたいな生活じゃないのかな
アメリカは最後まで刺激しないのが第一条件ですかね
アメリカとの和平交渉についてですが、1943年3月25日に吉田茂が若槻礼次郎に宛てた手紙の内容を牧野伸顕に報告した手紙で、シンガポール攻略前後に和平交渉を行うための海外派遣(おそらくスイス)を進言していました。
参考までに 『牧野伸顕宛吉田茂書動について』 の8枚目の資料に当たります。
また、東條内閣の打倒も計画していました。結局失敗していますが……汗
ruclips.net/video/DIb0gGMxT_M/видео.html
戦後、総理大臣となった石橋湛山がこのころ「東洋経済新報」で金本位制復帰の可否について優れた論陣を張っていました。
被災しやすい地域から危険性の低い所へ引っ越すは理想的な防災ですね。
人は集団になると雰囲気で意思決定を行いがちですから、厄介ですね。私は影響されやすいから、ブームから距離を置くように心がけています。
戦争を可能な限り少ない犠牲で終わらせるには、交戦している両陣営から信頼されている仲介役が必要だと考えています。
日露戦争終結の際に満州をアメリカと共同で開発するとか、アメリカとの関係が良くなるような約束でも結んでいれば日米開戦への道も避らけれたのかな、と思ってしまいます。
まあ千葉県って大昔は本当に島だったし・・・・
千葉って10年ほど前の例の地震より35年前の冬に起きた時の方が
甚大な被害(直下型)でしたのです
投稿ありがとうございます。最近の日本社会は、満州事変前の状況になりつつあるのではないかと心配しております。当時と唯一、異なるのが軍隊たる自衛隊の意識が極めて限定されていることであると考えます。個人レベルまで明確にするのは困難ですが、組織レベルとして自衛隊が国政に干渉する可能性はないと考えてよいのではないかと認識しています。国民にとって、自分たちの政治的決定の結果に責任を求められるという民主主義国家として当たり前の結論と向き合うことに過ぎないと考えます。話は変わりますが、大東亜戦争の第1段作戦計画は精緻かつ慎重に作成されていましたが、結局は作戦レベルで、政治戦略(欧州戦線の動向を含め。)と連携しておらず、第2段作戦計画も総花的な計画となり、その過程でミッドウェーの敗戦及びソロモン戦役での消耗戦により、宝石よりも貴重な時間を失ってしまったのです。一般的なレベルですが、イギリス連邦(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)との単独講和を目指す為、ドイツ軍のアフリカ戦線の状況に合わせ、インド洋において海軍による圧力をかけ、交渉を図るという手段もありましたが、政軍連携の形跡が見えないのです。
今も軍隊ランキングとかやるけど政治も巧くないと勝てないって事かな?
今の時代はマスコミやSNSに煽られ考えなしに乗せられないように、自分の担ぐ神輿は自分の責任で決めないとな。
暗殺された総理大臣の分布みるに、今まさに歴史の転換点にいる自覚を持ち直さねばならんと思った。
あの元総理が暗殺されたのは、今までの自分の行いが全部返ってきただけだから自業自得でしかないけどな
対米戦を解説した15時間くらいの動画待ってます!
むしろ当時、戦争に関する以外でまともに政府機能が残っていたのかも怪しく思える。特に外交。
金融政策が苦手なのは今も昔も一緒だったのね
太平洋戦争が下手になったのは、明治維新の生き残りがほぼいなくなって軍人政権やめたおかげで戦争のやめ方がわからなくなったのもあるのかもなぁと思ったり
徳川幕府と諸藩一応軍人政権だし
ソ連に関しては1925年の国交樹立以降ソ連は日本との関係改善や不可侵条約の締結にかなり熱心でした(ソ連の外交状況が原因)。しかし日本は不可侵条約の交渉そのものを拒否していたことで1928年にソ連は諦め、満州事変を起こした時にも不可侵条約を拒否したためソ連は日本を信用できなくなって日本ではなく中国を組む相手として選んだんですよね。なので満州事変後に国際連盟外のソ連との接近も不可能になって友好国が周囲に消えてしまうという悲劇が…。
あと満州事変や日中戦争は九カ国条約に明確に違反していた点から見るとなぜ孤立していってたかわかりやすいように思います。
22:26 2024年8月、少し前に行われた利上げで、同じ轍を踏みそうです。
不景気の時って何となく自然災害が多い気がするのは、あくまで気のせいなんでしょうかね。例えば、バブル崩壊後の大地震が多いはどうなのでしょうね。(東海より先に他の地域に発生していますし・・・)
よく考えてみると、今の時代って1920年から続いているのかも。あの失敗からずっと。
歴史のタームってずっと長いと思うし。
対米開戦は41年12月ですね
もしこの後に㉒を作るとしたら1949年の1ドル360円の固定相場制でしょうか。
これが決定打で日本は先進国として復活したと思っています。
革命こそ起きてないものの軍部が実質革命に近いことして政権握ってたって認識です
以前このチャンネルでもやってた政府が機能してない状態って考えると20年代以降の日本て戦国時代、室町時代と大差ないんでしょうね
幕府が出来ていたのです満州に
このうp主、濃い人生を送ったおじいちゃんなんじゃ?ってくらい含蓄と言葉の深みが伝わってくるんだよね。教授とかなのかな?
外国の軍事政権で内政も外交も失敗してるのを見ると「そうはならんやろ」と思っていたのですが自国も似たようなことやってたんですね
正確には軍事政権ではないですが。
自分にその認識がなかったので改めて勉強になりました
日英同盟はワシントン会議における日英米仏の4カ国条約が締結された後に期限が訪れても更新されず、そのまま終了したというのが実際です。
そこには4カ国条約を主導したアメリカによる日英同盟への妨害の意図があったと言われていますね。
ただ、そもそも対米戦においては日英同盟は適応外の事項であったことは注意するべきです。
アメリカのウィルソン大統領やソ連が始めたww1後の新しい外交方式に日本人は困惑し、対応を間違えました。
独ソ不可侵条約時の日本の政治的混乱がその典型です。
大東亜戦争の歴史でなぜそうなったのか?というのを考える時には通州事件とか当時の大陸の状況とかを見るとまた少し違った物が見えて来るかもね
あとは人種差別的な考え方とか、当時と今とでは全く別の世界だったろうしねぇ
ご苦労様です
でも近代日本の政治の一大転換点が一連の恐慌だったという事は
授業で学んだけど、本当にドミノトラブルの如き法則じみた難題が
ふっかかりすぎてる。
歴史学会のお歴々が大東亜戦争って表現駄目派が多数だからな…
何でアメリカと講和出来なかったかって言うとまず1942年の1月1日に連合国共同宣言というのがありまして…単独で講和が出来なかったんすよ。
なので当時の日本政府としては連合国共同宣言の存在がある以上イギリスの脱落を待つしかなく、そのイギリスをどうやって脱落させるのかもソ連と開戦し勢いが完全に消えてしまっていたドイツ頼みという有様でした。
あと当時のアメリカの対日世論の悪さは本当に凄まじいですよ。対ドイツよりも悪いです。まあこれについて例えるなら今の中国に関しての極右の反応が当時のアメリカの反応だったと思ってもいいです。なんせ戦争開始とほぼ同時に終戦処理の話をしてるぐらいですからね。基本的に日本という国家を二度と立ち直れなくなるくらいまで国体を破壊するというのが大東亜戦争時のアメリカの考え方でした。
それと日本の国民感情の事に加え大本営発表もあったからか日本の側から講和の話なんて切り出したら勝ってるのに不利な条件で講和しようとしてる!でテロ祭りになることも恐れており、「一撃講和論」に代表されるようにアメリカが音を上げるのを待つだけだったのが当時の日本政府の動きだったといってもいい位です。
アメリカの終戦についての考え方が変わるには1945年の硫黄島と沖縄の戦い、ルーズベルト大統領の死、そして神風特攻隊による戦果を待たなければなりませんでした。
お疲れ様でした。
しかし因果は廻る小車とはよく言ったものです。凡人は目の前の事しか見えない。
だから大日本帝国の服案はドイツがソ連とイギリスに勝利して結果アメリカが「寂しく」なって講和してくるという種村佐高が書いた作文が戦争終結のシナリオ(苦笑)
こうして見るとイタリア🇮🇹の外交力の美味さは折紙付きに見えるな
鈴木商店というWW1でぼろ儲けした会社がありましたね。(カカチャンネル情報)
うp主千葉に住んでたのか!!!
σ(゚∀゚ )千葉住み
この頃の主力の政治家を現代日本に召喚して今の政権と取り替えたいね。
水2ヶ月分確保してるのはすげえ
ペットボトル何本分だ?
対米は正直言って無条件降伏SSRだったけど対ソだったら無条件降伏USSRだったからなあ…確かに一旦ゲームオーバーかも。