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このチャンネルに注意!反日方向へ誘導してます。
日本軍は相手を過小評価する悪癖がありその悪癖が太平洋戦争まで続いた為最後は連合軍にズタボロにやられた
現代でロシアと中国を過小評価する連中と同じ。
そうです、この教訓を活かせばアメリカと戦争していない!弱い国と戦争していたから!兵器が、進歩しなかった!
@@青田-i8c 日本は軍閥と言う癌に侵されていて敗戦と言う癌摘出手術を受けなければ何時までも正気を取り戻せなかった
悲しいことに、今もその国民性は変わりませんね。
アメリカは作戦が終わる度に反省会やって!下からの意見を吸い上げで、次の作戦に活かしている、強くなる訳だ!日本は上意下達で進歩しなかった…
Wikiなんかでちょちょっと調べただけでも、勝った側の損耗の方が負けた側より多い戦争なんてザラにあるのが分かる。
ソ連崩壊後に公開された実際のソ連軍側航空機の戦闘損失は208機、日本側が主張する1252機よりはるかに少なく、従来言われていたほど圧勝はしていない撃墜戦果が実際の3~4倍に誤認されるのはよくある事だが、ノモンハンでの場合、攻撃を受けたI-16が操縦席背面の装甲板で致命傷を免れ、スロットル全開で排気管から黒煙を噴きながら急降下して逃れたのを「煙を噴いて墜落」と誤認したケースが多かった模様
スポーツ、特に格闘技で言われることに「強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いのだ!」とあるように、どんなに大きな損害があろうが、どれだけ死傷者が出ようが最後に立っていたソ連の勝ちには間違いがない。ウラを返せば人の命が軽く人権意識が低い国や人間を相手に戦うときは、それなりの覚悟が必要という事だろう。
まさにそれなのだ。後にベトナムがアメリカ相手にそれをやった。工業力vs工業力で対抗すれば、アメリカ相手に勝てる国なんぞあるまいが、原始的なトラップやゲリラ戦で米側兵員の消耗を強要させる事に徹した。結局、アメリカを追い払った。「アメリカは女子供が強い国だから、戦い続けていれば音を上げるだろうとの、マンガの様な見通しで」云々と海軍の同僚を小馬鹿にした言い方をしたのは井上成美だが、・キルレシオの向上・継戦負担の低下を追求すれぱ、マンガどころか結局これが最も合理的な見通しだったというべきなのだ。戦後に至るまでここに気付けなかった「最後の海軍大将」「海軍の頭脳」なんぞ、軍人としてはずいぶんスカなものだというべきだ。
日中戦争で「日本はアメリカに負けたのであって、中国に負けたのではない」という言説も同じようなもの。確かに個々の戦闘においては、日本は中国に負けたとは言えないだろう。だが、日本の戦争目的は全く達成されず、持久戦で粘りつつ米英を巻き込むという中国側の戦略によって負けた。
戦術的勝利と戦略的勝利は別物。戦術的には負けても戦略的に勝利を収めれば、勝ちだという事をわかっていないヤツが多すぎる。その中国相手に8年も戦って降伏させれなかった事実を無視してる。
日本は中華民国(台湾)に負けたのであって、中華人民共和国に負けたのではない。1945年に終わった戦争に1949年に建国した国が勝てるわけがない。
日本切腹中国介錯論ですね。理屈はわかるけどまじでやるとは思わんわな。
@@e.raeder9130 なるほど。それならばイギリスは戦術では勝ったが、戦略で負けアジアの植民地を次々失ったという事だな。
軍オタは兵器だけで語りますが、国の予算に占める軍事費や、戦時国債といった経済面でみると、日中戦争開始した時点で、日本は軍事費が国家予算の数倍~10倍以上になり、民需の経済が破綻し壊滅しています。アメリカと戦争しなくとも、どっちみち数年後には生活も食料も破滅的になり終わっていました。
この辻政信って人、死を恐れるなって軍隊の風習あるんなら、ちゃんと戦犯として罪をつぐなえないのかね?無謀な戦略で負けに導いてたくさんの兵が失ったんなら
辻政信は部隊を指揮する部隊長なら自ら行動して部下から信望が有り(辻政信が参議院選挙で当選したのは地元で元部下からの応援が有った)有能だったが、参謀職だと独断専行で私物命令をして成功したら自分の手柄にして失敗したら現場部隊と指揮官に責任転嫁した。
@@73moto 酷い指揮官すね
フィリピンでもパターンで捕虜を◯せと命令したのが辻だった。しかし、その責任を背負わされて戦犯として処刑されたのが司令官の本間雅晴中将。
@@長谷川亮-c4w 結局軍隊にも臆病や陰湿な人はいたんですね
マレー作戦では敵性華僑を3万人殺した責任者。お陰で友達はシンガポールの華僑と結婚しようとしたが、一族に反対されてオーストラリアに住んでいる。
白兵突撃より火力を重視せよ。精神力だけでは対抗できない。参謀は独善的な驕りを捨てよ。ノモンハン事件後の大本営小池参謀の調査では 日本軍の致命的な欠陥をまとめ大本営に具申したが報告が生かされることはなかった。小池参謀はこの調査は茶番劇だった、と戦後感想を述べている。
戦争の勝利は戦略的な物であり、戦術的な勝利は戦争の一端でしかない
まったくそのとおり!「戦闘に勝つ」のではなく「損耗以上に供給する」ほうがけっきょく勝利するんですよね戦争は
戦略的勝利をする為に戦術的勝利をする必要がある。
@@食べる人と書いて食人 違う、負けちゃいけない戦闘で戦術的勝利する必要があるのよ
日本海軍での各南方作戦では戦術的には米軍等を撃退しているけど戦略的には艦隊の損害を恐れガダルカナル島物資の輸送等の当初の目的を果たさないまま撤退しているケースが多い
戦術と戦略の使い方が逆じゃ無いか?
戦闘は情勢的には日本が勝ってても目標を達成したのは旧ソ連側だから旧ソ連の勝ちでしょうな。宮崎繁三郎閣下の機転は流石だなと思いました。
日本が悪いダメなんですそれがパターン
死傷者数で勝敗が決まるなら独ソ戦はドイツの勝利だな。
秀吉の朝鮮侵攻の動画でも、やたら戦術的勝利を強調するね。
硫黄島の戦いも死傷者数はアメリカが多いけど死者数は圧倒的日本よね
ノモンハンには、実質将帥としての実質デビューとなるジューコフが送られてテコ入れされ、劇的にソ連優位に傾きました。ジューコフは、ソ連で最も実績と人気のある将帥と言えますが、兵站を重視し、兵力と物資を集積し、周到に準備を重ねたうえで、攻勢を開始する、という持ち味を、すでにこの時発揮しています。目標達成のために、自軍の損害(死傷者数)を冷徹に織り込む姿勢に、スターリンすら戦慄を覚えたと言いますが、救国の英雄であることに揺らぎはありません。つまり、犬死であったか、やむを得ない犠牲であったかが、評価の分かれ目で、単純な犠牲者数では評価はできない、ということでしょう。
とにかく日本が悪い❗️とにかく日本が悪いがゴールなんです
将棋で王を詰まされたのに、「駒の損得ではこっちが桂得してるから」ぐらい間抜けな話なのを理解した方がいいな。
50年以上も現地近くに移住し、遺骨発掘及び埋葬してる元日本兵のお爺さんのニュースを思い出した。「あの戦闘で亡くなった戦友たち全員を弔いたい」視聴したのが20年以上前だったけど、この動画を見ていて思い出した。うろ覚えの記憶でネットを調べたけど、お爺さんのその後が分からないのが何とも心残り。
現地に移住までされた方は違うのでしょうけれども、もうずいぶんと前から、ロシアで収集した遺骨のすべて(!)が日本人でなかったと鑑定される、という類のスキャンダルが相次いでいます。厚労省はこれを何年も隠蔽し、遺骨の返還もしていませんでした。お亡くなりになった方々は、もう静かにして差し上げるべきではないかと思います。
戦術で五分五分でも露蒙の主張する国境で確定したのと、ロシアの実力を見せつけた事で戦略では露蒙の大勝利。
日本に威圧をかけておくことで、これから始まる独ソ戦に対して余分な兵を極東に置かなくて済む
スターリンは日本を恐れて極東にかなりの兵力を配置してた。ゾルゲのスパイ活動により日本は北進しないということを確信した上で極東兵力を西に送ってる。極東兵力がドイツ戦線に到着したことによってドイツを押し返すことに成功した。デタラメは言わないようにしましょうね。
この時期のソ連軍は、スターリンの粛清の為に高級将校を多数失って、戦闘力が相当に落ちていたはずです。それに対して、当時の関東軍は陸軍の精鋭。いわば、プロがアマチュア相手に戦ったようなものです。それが、大損失を出してしまったのですから恥ずかしい限りです。「死傷者数では少なかった」なんて、言い訳にもなりません。 スターリンは粛清で悪名高いのですが、独ソ不可侵条約を締結して西を安全にしつつ、ノモンハンに大量の兵力を送り込む辺りの判断は的確であるといえます(独ソ不可侵条約の交渉はかなり前から行っており、ノモンハン事件勃発の頃には、合意に近づいていたはず)。 対して、士官学校主席卒業の秀才様は、あまりにも無能。
ノモンハンには「ジューコフ」という名将がいたから、ソ連軍が勝ったのです。
@@user-dk9ydiua 関東軍がソ連軍を侮らず、日ごろから情報収集に励み、ジューコフという危険な有望株の存在を察知していて、それでなお負けたのであれば、それはジューコフが真の名将であったが故です。 でも、実際は、ソ連軍を侮る一方だったのではないでしょうか?「負けに不思議の負けなし」です。
一番損耗率の高かった23師団なんて関東軍の精鋭とは言えないですよ 後方警備用師団でしたそれくらい関東軍は軽く考えていた やるなら逐次投入でなく 最初から精鋭師団を含めた数個師団と機械化部隊を出すべきであったガタルカナルも同じ、それが出来ないビンボーな帝国陸軍、やっぱりビンボーな国は戦争をすべきでない
@@asaichban9842 結局、最初から精鋭師団を出さなければ勝てないぐらいに、或いは「ジューコフ」一人いるだけで日本側を圧倒できるぐらいの実力を、日本軍を基準に比較した場合、ソ連軍は持っていた事になります。 しかし、同時期にフィンランドは、そのソ連軍45万を、半分以下の19万人で迎え撃ち、5%に当たる2万4千人の壊滅的犠牲を強いて、全面撤退に追い込んでいます。 これぐらいの戦果を関東軍が挙げていたならば「善戦した」「実は勝っていた」と言っても良いと思うのですが、フィンランドの実績を知っていては、そんなことを口するのは、日本人として恥ずかしい。
日本がしたかったことが達成できなかったんだから日本の負けだろ
無理ですよ。兵力が少ないし、相手の戦力を過小評価している。この時点で勝てない。
日本が悪い❗️日本嫌い日本嫌い日本嫌いそれが言いたい❗️
銃を珠数がよりおおかったとしても、むりか?
第二次大戦を通じて日本が負けたのは、日本軍部に戦略思想が皆無だったのが全てでしょう
@@マロ兄ちゃん惜しいが、一部誤り一口に、言うならボタンの掛け違い先ず、戦線の拡大次に、資源の不足白人は、正気では、居られない程日本陸軍が、作戦上手爆笑こんな、笑えない話が、有ります夜襲辞めてくれたら、艦砲射撃辞める爆笑勿論、真偽は、不明ですが苦笑い嘘としても、其処迄、言わせたのは、真実爆笑因みに、自分は、陸上自衛隊元自衛官その手の話は、本やドキュメンタリー番組見て居ます大好きです除隊為て、今年で、四十年五年の勤務は、全てが、勉強爆笑以上
ありがとうございます!
戦況図を見ればよく分かるんですけど日本側は完全に包囲されていてあのまま続けていれば全滅も見えてくるラインでした。むしろあのタイミングで休戦できたのは日本側にとっては幸運でしたね。
そうなんですよ。ソ連は、ドイツとの、ポーランドに侵攻して領土を分割する密約の履行期限が迫っていたから、停戦を急いだのです。そんな事情がなければ、完璧に殲滅されていたでしょうね。
戦争の勝敗ってのは目的が達成できたかどうかで決まるからね。
ソ連には敵わない。→南方だ!→対英米戦って・・・ソ連に敵わないなら、それと同等、もしくはそれ以上のアメリカに敵うわけないって、どうしてわからないんだ?
関特演で挑発したが、日本陸軍にはかなわない。→1945年8月まで日本・満洲国を侵略できなかった。永野も山本も及川もアメリカに適わないって分かってたよ。あいつらの役人根性が対米戦の理由だな。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ日本は経験しなきゃ学べない愚者って事
23Dが、両翼から包囲されて砲兵団が捕捉された段階で戦術レベルでも負けなんよね。
勝った軍は普通、一生懸命戦った味方指揮官に自⭕を強要しないんでないの。
テレビのドキュメンタリーて見ましたが、こういった裁きをした軍の上層部に対して批判的内容でした。死刑になった下士官の遺族の窮状を思うと、ホシンニ汲々とした軍上層部に憤りを感じます。
敵将の名将・ジューコフの言葉がすべてだろう。「日本軍は強い。日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は総じて無能である」。沖縄戦でも、知将・八原の練り上げた戦術のもと巧妙に戦い、絶賛されているが、司令官クラスがどうにも・・・しかし、日本て国、名もなき人の現場能力は戦前から見事。なら、この言葉も沁みる。「これほどに勇敢・優秀な男たちにはそれに見合った兵器を与えるべきだったろう」と。
勝手に暴走する、補給が足りない、兵器の性能が劣悪、失敗や欠点を改善できず、何度も同じやり方で負ける・・・これって後の太平洋戦争と全く同じやん! 進歩しねえなあ日本軍は
独断専行の軍令違反で失態をさらした服部、辻を一時左遷だけで済ませてほとぼりが冷めたらまた要職に起用なんてするからまた同じ間違いを繰り返す。
@@塞翁が馬-p9e公文書偽造の理財局長は辞任後ほとぼりが覚めた頃に日本郵便副社長に天下り、英霊も草葉の陰で泣いてますな。
それって今の中国🇨🇳じゃん。笑
約40数年前に読んだ日本史の読本で、ノモンハン事件について、「日本軍はこの戦闘から何も学ばず、肉弾突撃の精神主義が、後の太平洋戦争でも繰り返された」などと酷評していた。そのあとの歴史の経緯、大日本帝国全体が払った犠牲を見れば、まぁ妥当な評価かと?あと、この戦いでは、ガソリンをサイダー瓶に詰めた火炎瓶が戦車への攻撃では案外有効だった。片や最近のウクライナ戦争で、ドローンを使った小型爆弾を戦車の上部へ投下する方式が案外戦果を挙げているのは意外な感じ。
捕虜になった奴は死刑、とか
現代でも物量頼みに戦争しかけてる国だぞ。多少の被害の多さなどあの大国には関係ない。もちろん人の命も。
しかもソ連のクソ雑魚部隊
戦記の中で前線視察に来た辻参謀が、司令官のテーブルにあるビール瓶を見て「指揮官がビール飲んでるとは何事だ!」と怒って帰っちゃた中は水だったのにというのがあって、なんかどうしようもない気持ちになった
戦場で生水なんか飲むくらいなら、瓶ビール飲んでる方がまだまし。水分補給的には役に立たないがな。
先の大戦で好戦的態度の日本人軍人は概して明治生まれ。日清日露戦争で江戸時代生まれの人たちが国防に成功したが、その後明治生まれの人たちは「国を誤った」と言われてしかるべき・・・・やはり本物の武士の生き残りたちは凄かった。
初めまして、こんばんは😎興味深く拝見させて頂きました。亡き祖父がノモンハン事変の翌年に徴兵されて関東軍所属となった(後・支那派遣軍に移動)のですが、古参兵から聞いた話として「河を挟んでソ連軍と睨み合っていた、日本軍の戦車は渡河できないから相手もそうだろう、と安心して陣地にいたら突然ソ連軍戦車が渡河をしてきて驚いて散り散りに逃げたんだ。」とのことでした。祖父は私がせがむと戦争中の話をよくしてくれましたが、今思えばすごく貴重でしたね…。
やがてドイツはソ連を攻めることを見越して後顧の憂いを無くすスターリンのやり方。
昭和の日本軍は戦闘力という観点だけで言えば、陸海軍共に確かにかなりの強さだった。しかし、それをうまく有効活用して政治的目標を達成できたかと言えば、うまくいかなかったという事だろう。そもそも、中央に大局的に物事を見る人間がいない、いたとしても現場が中央の指示を無視して勝手に行動する、現場の人間は目先しか見ていない、あるいは「とにかく敵を倒し続ければ何とかなるやろ」精神で物事を進めようとしている、中央と現場で政治的目標の乖離が見られるetc…。ノモンハン事件の結末もそういった当時の日本の欠点が引き起こしたものだと思う。(しかも、この点が最後まで是正されなかった事もあり、先の大戦で大敗する憂き目に遭う。まあ、当時の日本の空気からいって、是正できたとは思えないが。)
とにかく日本が悪いそれだけ日本ダメダメダメ
正論ですね。おっしゃる通りみたいです。よく勉強されてますね。大変、参考になりました。
日本の戦は機動性に劣り砲撃が弱く防御も手薄だった
日本軍は強かった…という話は優越感を抱かせてくれますが、戦争についてはニュートラルな情報が大事やと思う。慢心は禁物、同じ過ちを繰り返して、働き盛りや若者たちを二度と無断死にさせて欲しくない💦
ソ連は前年の赤軍大粛清で 指揮官が不足 だから初戦は苦労したね
優秀な指揮官を片っ端から処してセルフハードモードを選択するソ連
トハチェフスキーがもしいたら、ブルッ
苦労したどころか空軍は100対1ぐらいで日本軍の圧勝
圧勝してる筈の日本側が戦闘機が先に無くなりかけてるんですが😅
日本がヒトラーの北進論に従わなかったのはノモンハンでソ連の強さを知ったからですね。
やるつもりではいたんですが、極東ソ連軍の兵力が減らなかったんですよ。そうこうしてるうちに対日石油禁輸きっかけに対米英戦をやる方向になったので、北進論が消えてなくなったのです。
逆にヒトラーは、その同じソ連軍が1939年11月末~1940年3月にかけてのフィンランドで、予想外の苦戦を強いられている有様を見聞きし、”ソ連軍は弱い”などと誤った判断を下し、その後1941年6月下旬から対ソ戦へ、そしてイギリスと依然交戦中なのに危険な2正面作戦へと踏み切った。ノモンハン事件でソ連と戦った日本側が、ヒトラーに警告を与える事が出来ていれば、歴史はまた違った経緯をたどったかも知れなかったのに。
@@e.raeder9130 ベテランを東部戦線に抜いて新兵を補充する、からくりを見抜けなかったから
ゾルゲ一味による策動が功を為した側面も大きいかと。ゾルゲ一味は国家機密を巧みに盗んだだけでなく尾崎某等を使って国策を歪めた事も見逃してはならないと思われますよ。
ノモンハンでソ連が投入した兵力は二十万近くそれを二個師団で何週間も互角で戦った。負けるのは普通やけど兵力を退くのに高価値部隊から航空砲兵戦車から結局のとこ戦場に食糧弾薬がつきた負傷兵まるけの歩兵が取り残された。しかも負けた責任を死んだ二師団長に押しつけた。辻は事態を良く納めたとして勲章までもらってる。戦後辻は国会議員になっている
辻を責めれば、自分たちが火の粉を被らなければならなくなる軍上官の保身に助けられた😢昭和の軍隊、腐敗してませんか?
学習しない軍隊の悲劇です。精神論だけで戦わせる軍上層部が諸悪の根源。
スチュアート・D・ゴールドマン『ノモンハン1939』はおもしろい歴史本だった。ドイツとの戦争を見据えて挟み撃ちを防ぐため,日本を先に叩くのがスターリンの戦略だった。第二次大戦はノモンハン事件から始まったと言っても過言じゃない(;・`ω・́)
最近たまにいる ”ノモンハン事件、実は日本勝ってた” の人たちに見てほしいですね。大正時代の兵器で第二次世界大戦を戦った兵士は大変だったねえ。
どうしても日本をすごいて思いたい人は、勝敗が負けなら、死傷者数、次に兵力の差て感じで見る視点を次々と変えていって、なんとしてでも美点を見つけようとする。
例えばドイツでは今でもナチスの被害者から奪った資産集計を行っており、スイス銀行などの預金口座を調べて被害者側の主張する損害額が多大であることなどを報告している。アメリカだってWW2の戦死者が昔は29万程とか言われていたけど、最近になって41万だったとコッソリ公表されている。要するにどこでも少しでも有利そうな情報は大きく出して不利そうな情報は小さく言うのは当たり前で、どんぶり勘定で政治やら軍事を語るのは単に無責任。「美点」なんかじゃなく、史実を知ることの何がそんなに悪いのだろうか?
日本軍戦車を悩ましたピアノ線、実は日本製だったという・・
同じ死傷者を出しても戦略的目的を達成したソ連が勝利とと言う見解は正しいと思う🧐🧐🧐
2024-5-20まるっきり太平洋戦争とよく似た戦い方だね。初期好戦・中期五分・後期苦戦。過ちを過ちと認められないのも現代に通じる悪い癖ですね。
目的を達成した側が勝ち。
損失数が五分のうちに手打ちが出来ただけで、情勢が悪い中これ以上やれば日本側の損失の方が激増するし、それ抜きにしても結局は国境をソ連の言い分で画定することになったのだから完全に負けですね
教訓を生かし、とっととディーゼルエンジンに換装したソ連。関東軍は、相変わらずの戦法で後に悪影響を残した。
教訓を生かさない現状の日本。 資源開発に未着手。食料自給率低い上にさらに低下中。憲法9条問題。 これでは国防さえままならない。
戦争は目標達成の為やってる事でありスポーツではないから目標を達成出来なかったのは普通に敗北だよね。戦争をスポーツかのように語る馬鹿でもない限り。問題はその感覚で戦争やってた、戦果をいっぱい上げれば勝ちと考えていたのが旧日本軍の感覚だったのは悲しい
戦争っ被害が多くても戦略目的を達した方が勝利硫黄島の戦いも被害が多くてもアメリカ軍の勝利は変わらない。
日本軍の用兵の課題が明白であったのに、何等改善されなかった点、関東軍の司令官や高級参謀が負けた感が強い。例えば、紛争が長期化している中、被害を把握して部隊を入れ替える等していない。それは、航空戦力にも言える。日本軍は、配備した兵力が壊滅するまで無慈悲に使い倒す風習が劣悪。航空戦力は、疲労と戦力の逓減で被害を増やす。また、事後 中堅幹部に責任を転嫁して、反省改善する要点を誤魔化して行く。
紛争とは戦闘の繰り返しであり、戦闘とは我が意思の強要を目的とした強力な行為である。戦闘の積み重ねの結果、どっちが戦略目標を達成したかという話。
「頑張ったら勝つ」。。これが敗戦の原因だろう。
ソ連「兵」が強いのかというとそうではなく、日本「軍」が強いのかというとそういうわけではない、そういう戦い
ノモンハン事件の教訓を生かせないで、太平洋戦争でまたまた同じことを繰り返す、隠蔽体質は今も昔も変わらん。
間違いなく「大敗北」ではあるんだけど、五味川順平、司馬遼太郎、半藤一利といった戦中派の作家連が戦前の日本の愚かさを強調するために「鎧袖一触で負けた」みたいな実態よりもオーバーなイメージで煽りまくったせいで、ソ連崩壊後の史料開示で「反動」が来ちゃったんだよな。(この投稿主さんは半藤一利に甘いけど)「独ソ戦を経て世界最大にして最強の戦車大国になったソ連陸軍」と「太平洋戦争末期の戦車の恐竜的進化に全くついていけなかった日本陸軍」のイメージで彼らがノモンハン事件を語り過ぎたのが間違いの大本。嘘みたいな話だけど、1939年の時点(パリ陥落以前)だと日本はドイツやアメリカよりも戦車保有数が多いし質もそこまで悪くない。だから局地的には善戦出来たわけだが、それ故にこの武力衝突で陸軍が昭和初期の「統帥綱領」策定以来最重要視し自信を持っていた機動戦に失敗し、航空撃滅戦にも失敗したという「戦略的敗北」の深刻性が余計に増す。
いや「世界最大にして最強の戦車大国なったソ連陸軍」になったのは、独ソ戦前ですから。実際侵攻に参加した独軍将兵がショックを受けてるわけですが。数的主力だったT-26やBTは紙装甲と言われますが、八九式中戦車/九七式中戦車の短砲身57mm砲や、九五式軽戦車の37mm戦車砲(原型は対戦車砲ではなく、平射歩兵砲でした)では歯が立ちませんでした。37mm速射砲(牽引砲)でようやく対抗できたのです。日本の歩兵将校は、日本戦車を「役立たず」「豆腐」と罵っています。日本の戦車兵は、ソ連の45mm対戦車砲や、T-26やBTの45mm戦車砲の弾速に驚愕し、たちまち自軍車両を撃破されてしまいます。戦車と装甲車のみで夜戦斬り込みし、成功した極少ない例外はありますが、日本戦車にほぼいいところはありませんでした。
たしかにその3人は大問題だわな、戦後のロシアの資料開示でノモンハンはかなり良かったはおかしいが、関東軍や陸軍が暴走はあるがそこまでおかしくはなかったというのはそれなりに正当、機動戦と航空戦の敗北も正当。余談だが、陸軍機の防弾がよくなったのはノモンハンの影響もあるかも。ただ、ソビエトが意外と航空戦に対応できていないんだよなあ、それは冷戦終結どころかロシアになった現在にまで尾を引いている。話は変わるが大日本絵画のノモンハン戦の本は結構おすすめ。
数量より保有数に対する損失割合で示すべき
それほど用意周到なら何故武器が無かったのか?
日中戦争の真っ只中だからそもそも最初から余裕が無い。
まぁ、日本軍お得意の戦術的勝利、戦略的敗北かな。
戦術的にも負けている。
wikiでよく見る文字
守るつもりの陣地から追い払われた軍隊のどこに戦術的勝利があるんだ。
辻政信は士官学校を首席。陸大を3位で卒業とあるが、問題はそれらの学校の教育内容にあった。
なるほど。東大の主席は法務省官僚コースだが大丈夫か? 国会答弁を見る限り心配だよ。
昭和と明治の日本軍の明らな相違点として、「如何なる犠牲を払ってでも」戦略目的を達成する戦いをしたか、そうでないかだと思っている。昭和の戦争で、日露戦争における旅順攻略の如き戦いは一つとして無かったのではないだろうか。
いつも日本軍は敵を甘く見て兵力を小出しにしてやられている。
ノモンハンで、日本が大勝していたらその後どうなっていただろうか?
ノモンハンで関東軍が大勝した場合、陸軍が露軍軟弱ナリとか言い出して北進とまではいかずとも国境突破したがる。ミッドウェーと同じで勝ったら勝ったで自信を強めてどこかで第二第三のノモンハンになるだけ。
多分ドイツとやってたと思います
土居明夫さんの事についてお聞きしたいことがあります。詳しい方教えていただきたいです。コメントよろしくお願いいたします。
昭和史の本読んでると、あらゆるところで登場する辻政信。戦後に議員になるところまで含めて、ある種、昭和史の暗部そのものかつ大スターだよ。こいつより面白い人物っているか?
18:12 ソ連軍戦死 7,974人。←ソ連崩壊前の資料実際は、この3倍。ジューコフにとっては、スターリングラード戦よりもしんどかったらしいね。
ジューコフはそんな話してない。
こんな強いソ連軍が何でフィンランドでは苦戦したんだろう
気候や練度の問題ですね。他にもフィンランド側に支援物資や志願兵が送られたのも大きいです。まぁ結局はソ連側の勝利に終わってしまいましたが…
フィンランド側は例年にない厳寒に助けられたのと、カレリア地峡という大軍を以て突破するに不向きな戦場を逆手に防衛戦を築いたマンネルハイムの戦術的功績かと
赤軍大粛清で軍がガタガタになっていたのが大きな要因でしょうかね。なのにノモンハン事件時に赤軍が善戦したのは総指揮官のジューコフが極めて有能だったからでしょう。冬戦争時にジューコフを起用していればフィンランドはかなり苦戦したと想像しますね、メレツコフやティモシェンコよりも遥かに軍事的才能があったのは間違いないでしょうから。
「北欧空戦史」という名著を読むと、(WW2をはさむ)フィンランドの経験した二度の戦争の経緯が詳しく理解できます。最初の戦争は、世界中から見捨てられてまともな武器もなく、旧式兵器と捕獲品を駆使した絶望的なゲリラ戦を戦いました。超マイナー戦域なので軍オタの間でも全く知られていませんが、「敵機撃墜数の平均値が世界で一番高い空軍」は、フィンランド空軍です。少ない損害数で、多大なソ連軍機を撃墜しまくってます。
そもそも、ノモンハンですら結構苦戦してるでしょ
ソ連崩壊後ソ連側の死傷者数が明らかになった。それによるとソ連側の被害は日本よりはるかに多かった。長らくぼろくそに日本がやられたと言われていたがそうでもなかったようだ。
其の通り如何にも、関東軍が、ボロ負け為たかの様に、風潮為ていたが、現実は、大違いしかも、終戦間際の彼の満ソ国境侵略行為に、ヨーロッパ戦線から、囚人兵迄、連れ来る念の入れ様(怒)如何に、日本陸軍の関東軍に、懲りていたか、如実爆笑以上
戦争は点を取り合うスポーツではない全くその通り
タンネンベルクの戦いで、ロシア軍は平文で、重要情報を打ってしまい、ドイツに大敗したなんて言いますが、それを逆手に取ってノモンハンでは有利に動いた可能性はありますね。現在のウクライナの戦いでも、ロシア兵は携帯で色々と話していると報道されてますが、それも、一種の謀略かもと思ってしまいます。
関東軍の暴走その物みたいな事件ですね。それにしては、追加の兵力の投入ということになると渋るのは、日中戦争の影響でしょうね。
仰る通り関東軍の暴走であり、参謀本部とは反目していたゆえの、追加兵力の少なさですね。参謀本部が援軍に消極的なのは当然として、関東軍側が援軍を要請するなど沽券にかかわると考えていた要因が大きいように見えます。窮状を認め、現況を子細に報告しなくてはなりませんから。ちなみに、モスクワは、ジューコフの要請を遥か上回る追加兵力を抽出し、現地へ送り込んでいます。
辻の失踪には山下財宝を取り返しに行った説もありますね😊
IFルートで北進論の場合、ルーズベルトも米艦隊もバリバリ元気だからどうにかして日本と戦争できる理由づくりをしたいルーがどこかで必ず介入してきて詰む
ソ連とはもう戦わないと言うのは賢明な判断だったろうけど日中戦争泥沼化のまま米英に攻撃しかけたのは賢明とはとても言えない!それくらい資源の枯渇に焦ったのだろうけど!外交で資源調達出来ないと相当不味い事態に陥るのは確かなようで!
国によって命の価値が違うので。
辻がいれば全て負ける、敗戦の神様。
板垣陸相が辻参謀の馘を意見具申した稲田正純作戦課長へ そう言わんで可愛がってくれよ~
中国軍も戦車は持っていましたよ。ただソ連様な集中運用もしていなければ数も少なかったので、大きな脅威にならなかっただけです。あとBTやBA-10装甲車は装甲が薄かったので、まだ何とかなっていたのですか、圧倒的な数に押されてしまいましたね。
うちの爺様(関東軍所属陸軍高級将校)は関東軍参謀部にわが軍勝利の報告をしている。写真撮影の結果、敵戦車800台以上を破壊、わが方の損害は39両。これを見ても誰がわが軍勝利を疑るだろうか?しかし、関東軍参謀部の辻、瀬島両名はハルハ川遥か東部を停戦ラインとしている。これをもってわが軍敗北を認めたようなモノである。
この頃は陸上戦の「神風」を行っているが当然大東亜戦争前の事であり、陛下の赤子を無駄に殺すなと当時の陸軍幕僚に言いたいくらいだ。
軍略 戦略が進められず達成されていなければ負けでしょう…。
そもそも日本もソ連も戦闘する気なかったのになし崩し的に戦闘になったよく分からない一例
かのジューコフが「人生で一番、最悪だった戦い」と語っていた、というエピソードが有名。
それデタラメですよ
ジューコフはそんな話してないよ。
タラレバだけど山下奉文将軍が指揮を取っていたらどうなったのか?
だから、梅津司令官。
この経験を活かして戦車研究しなかったのか日本の限界や
継続している日中戦争で日々、兵器や弾薬を消費して使えるリソースが限られている。その状況で、日本は陸だけでなく海のことも考えなければいけないから。
南下するなら飛行機なんかにリソース割いた方が合理的な気もするけどね
国家予算の7割を拠出した最盛期でもドイツの半分しか軍事費がなかった日本には、研究開発費をねん出するのは無理だった。
言ってはあれだが、太平洋戦争でも戦車戦はあまりなくほとんど航空戦と海上戦が大半だからその分を航空機に当てたほうが最善。
@@55tg揚陸した戦車はどないすんねん…
日本人の上下関係は道徳で、欧米は法律 違反しても罰せられないからおかしなことになる
石原がいれば小競り合いがあってもうまく収まっただろうな
関東軍やりたい放題シビリアコントロール?なにそれおいしいの状態
独ソ戦の英雄ジュ―コフ将軍に貴殿の指揮の戦いで最も過酷な戦場は?と記者が聞くとそれはドイツ軍では無く日本軍とのノモンハン戦と言う返事と聞く。ソ連戦車のモンゴル兵は逃げない様に足かせで戦車に固定されていたとか。
仰る通りです。ジューコフはその後、大祖国戦争でナチス・ドイツを打倒する立役者となったが、第二次世界大戦後に一番苦戦した戦場を聞かれて「Khalkhin Gol(ハルヒーン・ゴル)」(ハルハ河のことでノモンハンをさす)と答えたといわれる。この動画は自虐史観の極みだねえ。ペレステロイカを完全に無視してる。
第四次川中島の戦いを両軍引き分けと評するかぎりノモンハンを判定できない。第4次川中島の戦いは武田信玄の勝ち。ノモンハンはソ連の勝ち。というかノモンハンがあったから南進論が沸き上がった。もちろんベトナムが政治的に空白地帯となったことがあったにせよ、日本軍部が極東ソ連軍にPTSDされたことが、すべての始まり。
ドイツ「条約蹴ってソ連と戦争したろ」日本「色々詰んだからアメリカと戦争したろ」お互い組む相手(イタリア含む)を間違えた足の引っ張り合いが悲しい
日米開戦した時に「相談もなしに勝手にアメリカ相手に戦争始めやがって。アメリカを戦争に引き込むことがどういうことか分かってねえだろ。無視しようぜ無視。」という声がドイツ内ではあったけど総統の意見で、日本に合わせてドイツも対米宣戦布告したよくそうしたよな
独ソ戦の結果が変わらないであろうという推測はされているが、2正面作戦から3正面作戦に移行したドイツ軍の絶望感は察して余りある。
@@宮殿クノッソス 絶望的なら対米宣戦布告をしなければいいだけなのでは。三国同盟は同盟国が「攻撃されたら」共同で対応するという条文なのだから。
その答えが返信の一番目の人の回答なのだけれど
@@ざき-q9c ようやく攻撃されて共同!と思ったらもう同盟国が居なかったといいう1945年8月
日本軍の北上を阻止するという「戦争目的」を達成したのはソ連である。以降、日本軍は南方に矛先を変えた。ソ連「やったー。戦争目的達成!」
ゾルゲの工作目的は日本軍の北進阻止でしたが、ノモンハンを立案した辻政信がそれに加担した事になりました。この戦をパスして、北進して極東油田を手に入れていれば…と思わずにはいられません。
だって、自軍の損害を全く顧みない戦い方をする国だもん。
勝ち戦で犠牲をためらっていたらすべてを失うからな
日本軍も大健闘してます。ただ、この戦訓を生かして、ドイツ軍流の装甲師団を創設して、ドイツ軍やソ連戦車と同等の戦車を開発してほしかったです。BTやT−26を上回る戦車を開発してほしかったです。
酒井将軍が現役であったならばその可能性はあり得たかも。東条に疎まれ退役に追い込まれましたがね。
工業力がともなっないから無理ですドイツでもかなり無理して装甲師団をいくつか編成してますが、定数はほとんど満たされていませんでした
対戦車砲は優秀でしたね。ジューコフの戦車部隊に大打撃を与えました。『ジューコフは第603連隊を西岸に呼び戻すと、軍法会議により容赦なく銃殺刑に処し、再訓練を施したが「なんでこんな弱体部隊を投入したのか」という非難を受けることとなった。』
ナチスが面白くなかった訳っぽいのだが?知波単👍
日清日露で勝って調子に乗ったんだろうね。どっちかで負けてれば意識が違ったんだろう。
停戦協定はソ連側の主張どうりで 結ばれたんだから ソ連側の勝だろ・・・
問題は、あれだけの犠牲を払っても何の教訓も得られなかったことだと思います。
おじがこの戦いで生き残りかん口令がしかれてたそうです其の後フィリピンに転戦となりそこで英霊となったそうです
あの程度の損害で攻勢側側が勝利したので いずれにせよ防御側が弱かったのは間違いない
辻正信は疫病神が何かか?しかし「知能が高かった」には笑っただけど、満州国なんて作った時点でもう負けていたような気がする……
ソビエト将兵は畑で作るらしいのでいくら死んでもへーきへーき
日露戦争での勝利がロシアを侮る結果に繋がる。 戦争は常に最悪のケースを想定して行動しないと痛い目を見る典型的な例。 日中戦争を辞めて対露に全力を尽くしていれば勝てた。 ノモンハン事件で日本の選択ミスが出た。
「ひがし」支隊ではなく、「あずま」支隊ですね。
ノモンハンの戦争、日本軍の装備は時代に遅れていた、戦車、重機関銃、重戦闘機、だが関東軍は身を挺して戦った。この日ソの戦争は日本の軽戦闘機と格闘空中戦至上主義に一石を投じた。九六式戦闘機は後に陸軍の二式重戦、鍾馗の誕生となったが、日本軍はドイツの指摘にも関わらず世界の重戦闘機への流れを見誤った、辛うじて海軍の零式戦が20ミリを装備したが日本の重戦は海軍の紫電改、陸軍の疾風まで持ち越された。辻参謀に代表される、肉弾戦、白兵戦の思想は軍の強化に後れをとった。ノモンハンで勝ったのは九六戦の奮闘であった、辻がいなければ日本軍はもっと早く近代化が出来たはずだ。
この時代の戦車はどこも似たレベルだったよあと重機関銃は1920年代には完成されてるしソ連の重機関銃なんてロシア帝国時代のを使ってたただ絶対的に数が足りてなかった
ノモンハン時点では性能に差はそんなになくね?単に物量で押されたイメージ
@@にあみんと 1939年当時だと戦車は各国大きな差はなかったねただ研究は当然してたけどそれが形になった1942年前後から怪物化してきたわが国は残念ながらそれに遅れてしまった
ノモンハンの戦いは太平洋とは異なり必死感は両軍ともにそれほどなかった。リヒトホーヘン時代の名残で双方とも紳士的であったし切迫感は強くなかった。航空機についていえば、双方とも二翅プロペラで射撃は機内から機銃を撃つとか望遠鏡で照準して7.2mmを浴びせる程度で双方の撃墜数も10機。20機の時代。空戦は2千、3500mで行われた。日本軍は決起盛んな97式飛行戦隊と爆撃機。ソ連は115ibとi16型。地上では戦車はソ連の戦車は初期は武器満載だが装甲が薄く脆かった、これが中期以降、日本は98式戦闘機「ハヤブサ)の愛称の始まり。だが後半のソ連はドイツ流の重装甲、大型キャノンを搭載し日本軍は苦戦に陥った。喪失数は双方それほどの差はなく、ソ連も日本を攻め落とそうの気はなかった。
ノモンハンの後半戦、日ソ両国とも必死の緊迫感はまだなかった、国境線争い、そ連は、i-15.i-16.戦闘機、日本は決起盛んな戦闘隊、97式が主力になり重爆機も登場、空戦は日本の97式とi-16一日何回も2千から3500の高度で機内の機銃と外付けの7.2ミリ、戦果は互角かソ連側多少有利。地上ではソ連はドイツ式の重戦車を押し出してきた、武装は重装備だが、装甲が薄く、日本兵の肉弾突撃で爆破される程度。この後、ソ連が新型20ミリ装備の三翔プロペラの戦闘機、一撃離脱方法を取り始めて選局は逆転。多くの全滅部隊を出し、じり下がりとなる。全体的にノモンハンはまだまだ日本軍にも余裕があった、アメリカが2千馬力への道を模索し始めるまでは。。。
ポメラニアンで検索したら関連でこれが出てきた
関東軍はロンメルのDAKと同じ轍を踏んだんだな。
Amazon、Kindleにて「これだけ読めば対英米戦争は分かる」が発売中です!是非お求めください!Kindle Unlimitedにて読むこともできます!amzn.asia/d/5UvADHn
このチャンネルに注意!反日方向へ誘導してます。
日本軍は相手を過小評価する悪癖がありその悪癖が太平洋戦争まで続いた為最後は連合軍にズタボロにやられた
現代でロシアと中国を過小評価する連中と同じ。
そうです、この教訓を活かせばアメリカと戦争していない!弱い国と戦争していたから!兵器が、進歩しなかった!
@@青田-i8c 日本は軍閥と言う癌に侵されていて敗戦と言う癌摘出手術を受けなければ何時までも正気を取り戻せなかった
悲しいことに、今もその国民性は変わりませんね。
アメリカは作戦が終わる度に反省会やって!下からの意見を吸い上げで、次の作戦に活かしている、強くなる訳だ!日本は上意下達で進歩しなかった…
Wikiなんかでちょちょっと調べただけでも、勝った側の損耗の方が負けた側より多い戦争なんてザラにあるのが分かる。
ソ連崩壊後に公開された実際のソ連軍側航空機の戦闘損失は208機、日本側が主張する1252機よりはるかに少なく、従来言われていたほど圧勝はしていない
撃墜戦果が実際の3~4倍に誤認されるのはよくある事だが、ノモンハンでの場合、攻撃を受けたI-16が操縦席背面の装甲板で致命傷を免れ、スロットル全開で排気管から黒煙を噴きながら急降下して逃れたのを「煙を噴いて墜落」と誤認したケースが多かった模様
スポーツ、特に格闘技で言われることに「強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いのだ!」とあるように、どんなに大きな損害があろうが、どれだけ死傷者が出ようが最後に立っていた
ソ連の勝ちには間違いがない。ウラを返せば人の命が軽く人権意識が低い国や人間を相手に戦うときは、それなりの覚悟が必要という事だろう。
まさにそれなのだ。
後にベトナムがアメリカ相手にそれをやった。
工業力vs工業力で対抗すれば、アメリカ相手に勝てる国なんぞあるまいが、原始的なトラップやゲリラ戦で米側兵員の消耗を強要させる事に徹した。
結局、アメリカを追い払った。
「アメリカは女子供が強い国だから、戦い続けていれば音を上げるだろうとの、マンガの様な見通しで」
云々と海軍の同僚を小馬鹿にした言い方をしたのは井上成美だが、
・キルレシオの向上
・継戦負担の低下
を追求すれぱ、マンガどころか結局これが最も合理的な見通しだったというべきなのだ。
戦後に至るまでここに気付けなかった「最後の海軍大将」「海軍の頭脳」なんぞ、軍人としてはずいぶんスカなものだというべきだ。
日中戦争で「日本はアメリカに負けたのであって、中国に負けたのではない」という言説も同じようなもの。
確かに個々の戦闘においては、日本は中国に負けたとは言えないだろう。
だが、日本の戦争目的は全く達成されず、持久戦で粘りつつ米英を巻き込むという中国側の戦略によって負けた。
戦術的勝利と戦略的勝利は別物。戦術的には負けても戦略的に勝利を収めれば、勝ちだという事をわかっていないヤツが多すぎる。その中国相手に8年も戦って降伏させれなかった事実を無視してる。
日本は中華民国(台湾)に負けたのであって、中華人民共和国に負けたのではない。1945年に終わった戦争に1949年に建国した国が勝てるわけがない。
日本切腹中国介錯論ですね。理屈はわかるけどまじでやるとは思わんわな。
@@e.raeder9130 なるほど。それならばイギリスは戦術では勝ったが、戦略で負け
アジアの植民地を次々失ったという事だな。
軍オタは兵器だけで語りますが、国の予算に占める軍事費や、戦時国債といった経済面でみると、
日中戦争開始した時点で、日本は軍事費が国家予算の数倍~10倍以上になり、民需の経済が破綻し壊滅しています。
アメリカと戦争しなくとも、どっちみち数年後には生活も食料も破滅的になり終わっていました。
この辻政信って人、死を恐れるなって軍隊の風習あるんなら、ちゃんと戦犯として罪をつぐなえないのかね?無謀な戦略で負けに導いてたくさんの兵が失ったんなら
辻政信は部隊を指揮する部隊長なら自ら行動して部下から信望が有り(辻政信が参議院選挙で当選したのは地元で元部下からの応援が有った)有能だったが、参謀職だと独断専行で私物命令をして成功したら自分の手柄にして失敗したら現場部隊と指揮官に責任転嫁した。
@@73moto 酷い指揮官すね
フィリピンでもパターンで捕虜を◯せと命令したのが辻だった。
しかし、その責任を背負わされて戦犯として処刑されたのが司令官の本間雅晴中将。
@@長谷川亮-c4w 結局軍隊にも臆病や陰湿な人はいたんですね
マレー作戦では敵性華僑を3万人殺した責任者。お陰で友達はシンガポールの華僑と結婚しようとしたが、一族に反対されてオーストラリアに住んでいる。
白兵突撃より火力を
重視せよ。
精神力だけでは対抗できない。
参謀は独善的な驕りを
捨てよ。
ノモンハン事件後の大本営小池参謀の調査では 日本軍の致命的な欠陥をまとめ
大本営に具申したが報告が
生かされることはなかった。
小池参謀はこの調査は
茶番劇だった、と戦後感想を述べている。
戦争の勝利は戦略的な物であり、戦術的な勝利は戦争の一端でしかない
まったくそのとおり!
「戦闘に勝つ」のではなく「損耗以上に供給する」ほうが
けっきょく勝利するんですよね戦争は
戦略的勝利をする為に戦術的勝利をする必要がある。
@@食べる人と書いて食人
違う、負けちゃいけない戦闘で戦術的勝利する必要があるのよ
日本海軍での各南方作戦では戦術的には米軍等を撃退しているけど戦略的には艦隊の損害を恐れガダルカナル島物資の輸送等の当初の目的を果たさないまま撤退しているケースが多い
戦術と戦略の使い方が逆じゃ無いか?
戦闘は情勢的には日本が勝ってても目標を達成したのは旧ソ連側だから旧ソ連の勝ちでしょうな。
宮崎繁三郎閣下の機転は流石だなと思いました。
日本が悪いダメなんです
それがパターン
死傷者数で勝敗が決まるなら独ソ戦はドイツの勝利だな。
秀吉の朝鮮侵攻の動画でも、やたら戦術的勝利を強調するね。
硫黄島の戦いも死傷者数はアメリカが多いけど死者数は圧倒的日本よね
ノモンハンには、実質将帥としての実質デビューとなるジューコフが送られてテコ入れされ、劇的にソ連優位に傾きました。ジューコフは、ソ連で最も実績と人気のある将帥と言えますが、兵站を重視し、兵力と物資を集積し、周到に準備を重ねたうえで、攻勢を開始する、という持ち味を、すでにこの時発揮しています。目標達成のために、自軍の損害(死傷者数)を冷徹に織り込む姿勢に、スターリンすら戦慄を覚えたと言いますが、救国の英雄であることに揺らぎはありません。つまり、犬死であったか、やむを得ない犠牲であったかが、評価の分かれ目で、単純な犠牲者数では評価はできない、ということでしょう。
とにかく日本が悪い❗️
とにかく日本が悪いがゴールなんです
将棋で王を詰まされたのに、「駒の
損得ではこっちが桂得してるから」ぐらい間抜けな話なのを理解した方がいいな。
50年以上も現地近くに移住し、遺骨発掘及び埋葬してる元日本兵のお爺さんのニュースを思い出した。
「あの戦闘で亡くなった戦友たち全員を弔いたい」
視聴したのが20年以上前だったけど、この動画を見ていて思い出した。
うろ覚えの記憶でネットを調べたけど、お爺さんのその後が分からないのが何とも心残り。
現地に移住までされた方は違うのでしょうけれども、もうずいぶんと前から、ロシアで収集した遺骨のすべて(!)が日本人でなかったと鑑定される、という類のスキャンダルが相次いでいます。厚労省はこれを何年も隠蔽し、遺骨の返還もしていませんでした。お亡くなりになった方々は、もう静かにして差し上げるべきではないかと思います。
戦術で五分五分でも露蒙の主張する国境で確定したのと、ロシアの実力を見せつけた事で戦略では露蒙の大勝利。
日本に威圧をかけておくことで、これから始まる独ソ戦に対して余分な兵を極東に置かなくて済む
スターリンは日本を恐れて極東にかなりの兵力を配置してた。
ゾルゲのスパイ活動により日本は北進しないということを確信した上で極東兵力を西に送ってる。
極東兵力がドイツ戦線に到着したことによってドイツを押し返すことに成功した。
デタラメは言わないようにしましょうね。
この時期のソ連軍は、スターリンの粛清の為に高級将校を多数失って、戦闘力が相当に落ちていたはずです。それに対して、当時の関東軍は陸軍の精鋭。いわば、プロがアマチュア相手に戦ったようなものです。それが、大損失を出してしまったのですから恥ずかしい限りです。「死傷者数では少なかった」なんて、言い訳にもなりません。
スターリンは粛清で悪名高いのですが、独ソ不可侵条約を締結して西を安全にしつつ、ノモンハンに大量の兵力を送り込む辺りの判断は的確であるといえます(独ソ不可侵条約の交渉はかなり前から行っており、ノモンハン事件勃発の頃には、合意に近づいていたはず)。
対して、士官学校主席卒業の秀才様は、あまりにも無能。
ノモンハンには「ジューコフ」という名将がいたから、ソ連軍が勝ったのです。
@@user-dk9ydiua 関東軍がソ連軍を侮らず、日ごろから情報収集に励み、ジューコフという危険な有望株の存在を察知していて、それでなお負けたのであれば、それはジューコフが真の名将であったが故です。
でも、実際は、ソ連軍を侮る一方だったのではないでしょうか?
「負けに不思議の負けなし」です。
一番損耗率の高かった23師団なんて関東軍の精鋭とは言えないですよ 後方警備用師団でした
それくらい関東軍は軽く考えていた やるなら逐次投入でなく 最初から精鋭師団を含めた数個師団と機械化部隊を出すべきであった
ガタルカナルも同じ、それが出来ないビンボーな帝国陸軍、やっぱりビンボーな国は戦争をすべきでない
@@asaichban9842 結局、最初から精鋭師団を出さなければ勝てないぐらいに、或いは「ジューコフ」一人いるだけで日本側を圧倒できるぐらいの実力を、日本軍を基準に比較した場合、ソ連軍は持っていた事になります。
しかし、同時期にフィンランドは、そのソ連軍45万を、半分以下の19万人で迎え撃ち、5%に当たる2万4千人の壊滅的犠牲を強いて、全面撤退に追い込んでいます。
これぐらいの戦果を関東軍が挙げていたならば「善戦した」「実は勝っていた」と言っても良いと思うのですが、フィンランドの実績を知っていては、そんなことを口するのは、日本人として恥ずかしい。
日本がしたかったことが達成できなかったんだから日本の負けだろ
無理ですよ。兵力が少ないし、相手の戦力を過小評価している。この時点で勝てない。
日本が悪い❗️
日本嫌い日本嫌い日本嫌い
それが言いたい❗️
銃を珠数がよりおおかったとしても、むりか?
第二次大戦を通じて日本が負けたのは、日本軍部に戦略思想が皆無だったのが全てでしょう
@@マロ兄ちゃん惜しいが、一部誤り
一口に、言うなら
ボタンの掛け違い
先ず、戦線の拡大
次に、資源の不足
白人は、正気では、居られない程日本陸軍が、作戦上手
爆笑
こんな、笑えない話が、有ります
夜襲辞めてくれたら、艦砲射撃辞める
爆笑
勿論、真偽は、不明ですが
苦笑い
嘘としても、其処迄、言わせたのは、真実
爆笑
因みに、自分は、陸上自衛隊元自衛官
その手の話は、本やドキュメンタリー番組見て居ます
大好きです
除隊為て、今年で、四十年
五年の勤務は、全てが、勉強
爆笑
以上
ありがとうございます!
戦況図を見ればよく分かるんですけど日本側は完全に包囲されていてあのまま続けていれば全滅も見えてくるラインでした。
むしろあのタイミングで休戦できたのは日本側にとっては幸運でしたね。
そうなんですよ。ソ連は、ドイツとの、ポーランドに侵攻して領土を分割する密約の履行期限が迫っていたから、停戦を急いだのです。そんな事情がなければ、完璧に殲滅されていたでしょうね。
戦争の勝敗ってのは目的が達成できたかどうかで決まるからね。
ソ連には敵わない。→南方だ!→対英米戦
って・・・
ソ連に敵わないなら、それと同等、もしくはそれ以上のアメリカに敵うわけないって、どうしてわからないんだ?
関特演で挑発したが、日本陸軍にはかなわない。→1945年8月まで日本・満洲国を侵略できなかった。
永野も山本も及川もアメリカに適わないって分かってたよ。あいつらの役人根性が対米戦の理由だな。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
日本は経験しなきゃ学べない愚者って事
23Dが、両翼から包囲されて砲兵団が捕捉された段階で
戦術レベルでも負けなんよね。
勝った軍は普通、一生懸命戦った味方指揮官に自⭕を強要しないんでないの。
テレビのドキュメンタリーて見ましたが、こういった裁きをした軍の上層部に対して批判的内容でした。
死刑になった下士官の遺族の窮状を思うと、ホシンニ汲々とした軍上層部に憤りを感じます。
敵将の名将・ジューコフの言葉がすべてだろう。「日本軍は強い。日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は総じて無能である」。沖縄戦でも、知将・八原の練り上げた戦術のもと巧妙に戦い、絶賛されているが、司令官クラスがどうにも・・・しかし、日本て国、名もなき人の現場能力は戦前から見事。なら、この言葉も沁みる。「これほどに勇敢・優秀な男たちにはそれに見合った兵器を与えるべきだったろう」と。
勝手に暴走する、補給が足りない、兵器の性能が劣悪、失敗や欠点を改善できず、何度も同じやり方で負ける
・・・これって後の太平洋戦争と全く同じやん! 進歩しねえなあ日本軍は
独断専行の軍令違反で失態をさらした服部、辻を一時左遷だけで済ませてほとぼりが冷めたらまた要職に起用なんてするからまた同じ間違いを繰り返す。
@@塞翁が馬-p9e公文書偽造の理財局長は辞任後ほとぼりが覚めた頃に日本郵便副社長に天下り、英霊も草葉の陰で泣いてますな。
それって
今の中国🇨🇳じゃん。笑
約40数年前に読んだ日本史の読本で、ノモンハン事件について、
「日本軍はこの戦闘から何も学ばず、肉弾突撃の精神主義が、後の太平洋戦争でも繰り返された」
などと酷評していた。
そのあとの歴史の経緯、大日本帝国全体が払った犠牲を見れば、まぁ妥当な評価かと?
あと、この戦いでは、
ガソリンをサイダー瓶に詰めた火炎瓶が戦車への攻撃では案外有効だった。
片や最近のウクライナ戦争で、
ドローンを使った小型爆弾を戦車の上部へ投下する方式が
案外戦果を挙げているのは意外な感じ。
捕虜になった奴は死刑、とか
現代でも物量頼みに戦争しかけてる国だぞ。多少の被害の多さなどあの大国には関係ない。もちろん人の命も。
しかもソ連のクソ雑魚部隊
戦記の中で
前線視察に来た辻参謀が、司令官のテーブルにあるビール瓶を見て
「指揮官がビール飲んでるとは何事だ!」と怒って帰っちゃた
中は水だったのに
というのがあって、なんかどうしようもない気持ちになった
戦場で生水なんか飲むくらいなら、瓶ビール飲んでる方がまだまし。水分補給的には役に立たないがな。
先の大戦で好戦的態度の日本人軍人は概して明治生まれ。
日清日露戦争で江戸時代生まれの人たちが国防に成功したが、その後明治生まれの人たちは「国を誤った」と言われてしかるべき・・・・
やはり本物の武士の生き残りたちは凄かった。
初めまして、こんばんは😎
興味深く拝見させて頂きました。
亡き祖父がノモンハン事変の翌年に徴兵されて関東軍所属となった(後・支那派遣軍に移動)のですが、古参兵から聞いた話として「河を挟んでソ連軍と睨み合っていた、日本軍の戦車は渡河できないから相手もそうだろう、と安心して陣地にいたら突然ソ連軍戦車が渡河をしてきて驚いて散り散りに逃げたんだ。」とのことでした。
祖父は私がせがむと戦争中の話をよくしてくれましたが、今思えばすごく貴重でしたね…。
やがてドイツはソ連を攻めることを見越して後顧の憂いを無くすスターリンのやり方。
昭和の日本軍は戦闘力という観点だけで言えば、陸海軍共に確かにかなりの強さだった。しかし、それをうまく有効活用して政治的目標を達成できたかと言えば、うまくいかなかったという事だろう。
そもそも、中央に大局的に物事を見る人間がいない、いたとしても現場が中央の指示を無視して勝手に行動する、現場の人間は目先しか見ていない、あるいは「とにかく敵を倒し続ければ何とかなるやろ」精神で物事を進めようとしている、中央と現場で政治的目標の乖離が見られるetc…。ノモンハン事件の結末もそういった当時の日本の欠点が引き起こしたものだと思う。(しかも、この点が最後まで是正されなかった事もあり、先の大戦で大敗する憂き目に遭う。まあ、当時の日本の空気からいって、是正できたとは思えないが。)
とにかく日本が悪いそれだけ
日本ダメダメダメ
正論ですね。おっしゃる通りみたいです。よく勉強されてますね。大変、参考になりました。
日本の戦は機動性に劣り砲撃が弱く防御も手薄だった
日本軍は強かった…という話は優越感を抱かせてくれますが、戦争についてはニュートラルな情報が大事やと思う。慢心は禁物、同じ過ちを繰り返して、働き盛りや若者たちを二度と無断死にさせて欲しくない💦
ソ連は前年の赤軍大粛清で 指揮官が不足 だから初戦は苦労したね
優秀な指揮官を片っ端から処してセルフハードモードを選択するソ連
トハチェフスキーがもしいたら、ブルッ
苦労したどころか空軍は100対1ぐらいで日本軍の圧勝
圧勝してる筈の日本側が戦闘機が先に無くなりかけてるんですが😅
日本がヒトラーの北進論に従わなかったのはノモンハンでソ連の強さを知ったからですね。
やるつもりではいたんですが、極東ソ連軍の兵力が減らなかったんですよ。そうこうしてるうちに対日石油禁輸きっかけに対米英戦をやる方向になったので、北進論が消えてなくなったのです。
逆にヒトラーは、
その同じソ連軍が1939年11月末~1940年3月にかけてのフィンランドで、
予想外の苦戦を強いられている有様を見聞きし、
”ソ連軍は弱い”などと誤った判断を下し、その後1941年6月下旬から対ソ戦へ、
そしてイギリスと依然交戦中なのに危険な2正面作戦へと踏み切った。
ノモンハン事件でソ連と戦った日本側が、
ヒトラーに警告を与える事が出来ていれば、
歴史はまた違った経緯をたどったかも知れなかったのに。
@@e.raeder9130 ベテランを東部戦線に抜いて新兵を補充する、からくりを見抜けなかったから
ゾルゲ一味による策動が功を為した側面も大きいかと。
ゾルゲ一味は国家機密を巧みに盗んだだけでなく尾崎某等を使って国策を歪めた事も見逃してはならないと思われますよ。
ノモンハンでソ連が投入した兵力は二十万近くそれを二個師団で何週間も互角で戦った。負けるのは普通やけど兵力を退くのに高価値部隊から航空砲兵戦車から結局のとこ戦場に食糧弾薬がつきた負傷兵まるけの歩兵が取り残された。しかも負けた責任を死んだ二師団長に押しつけた。辻は事態を良く納めたとして勲章までもらってる。戦後辻は国会議員になっている
辻を責めれば、自分たちが火の粉を被らなければならなくなる軍上官の保身に助けられた😢昭和の軍隊、腐敗してませんか?
学習しない軍隊の悲劇です。精神論だけで戦わせる軍上層部が諸悪の根源。
スチュアート・D・ゴールドマン『ノモンハン1939』はおもしろい歴史本だった。
ドイツとの戦争を見据えて挟み撃ちを防ぐため,日本を先に叩くのがスターリンの戦略だった。
第二次大戦はノモンハン事件から始まったと言っても過言じゃない(;・`ω・́)
最近たまにいる ”ノモンハン事件、実は日本勝ってた” の人たちに見てほしいですね。大正時代の兵器で第二次世界大戦を戦った兵士は大変だったねえ。
どうしても日本をすごいて思いたい人は、勝敗が負けなら、死傷者数、次に兵力の差て感じで見る視点を次々と変えていって、なんとしてでも美点を見つけようとする。
例えばドイツでは今でもナチスの被害者から奪った資産集計を行っており、スイス銀行などの預金口座を調べて被害者側の主張する損害額が多大であることなどを報告している。アメリカだってWW2の戦死者が昔は29万程とか言われていたけど、最近になって41万だったとコッソリ公表されている。
要するにどこでも少しでも有利そうな情報は大きく出して不利そうな情報は小さく言うのは当たり前で、どんぶり勘定で政治やら軍事を語るのは単に無責任。
「美点」なんかじゃなく、史実を知ることの何がそんなに悪いのだろうか?
日本軍戦車を悩ましたピアノ線、実は日本製だったという・・
同じ死傷者を出しても戦略的目的を達成したソ連が勝利とと言う見解は正しいと思う🧐🧐🧐
2024-5-20まるっきり太平洋戦争とよく似た戦い方だね。初期好戦・中期五分・後期苦戦。
過ちを過ちと認められないのも現代に通じる悪い癖ですね。
目的を達成した側が勝ち。
損失数が五分のうちに手打ちが出来ただけで、情勢が悪い中これ以上やれば日本側の損失の方が激増するし、
それ抜きにしても結局は国境をソ連の言い分で画定することになったのだから完全に負けですね
教訓を生かし、とっととディーゼルエンジンに換装したソ連。
関東軍は、相変わらずの戦法で後に悪影響を残した。
教訓を生かさない現状の日本。 資源開発に未着手。食料自給率低い上にさらに低下中。
憲法9条問題。 これでは国防さえままならない。
戦争は目標達成の為やってる事でありスポーツではないから目標を達成出来なかったのは普通に敗北だよね。戦争をスポーツかのように語る馬鹿でもない限り。
問題はその感覚で戦争やってた、戦果をいっぱい上げれば勝ちと考えていたのが旧日本軍の感覚だったのは悲しい
戦争っ被害が多くても戦略目的を達した方が勝利
硫黄島の戦いも被害が多くてもアメリカ軍の勝利は変わらない。
日本軍の用兵の課題が明白であったのに、何等改善されなかった点、関東軍の司令官や高級参謀が負けた感が強い。
例えば、紛争が長期化している中、被害を把握して部隊を入れ替える等していない。
それは、航空戦力にも言える。
日本軍は、配備した兵力が壊滅するまで無慈悲に使い倒す風習が劣悪。
航空戦力は、疲労と戦力の逓減で被害を増やす。
また、事後 中堅幹部に責任を転嫁して、反省改善する要点を誤魔化して行く。
紛争とは戦闘の繰り返しであり、戦闘とは我が意思の強要を目的とした強力な行為である。戦闘の積み重ねの結果、どっちが戦略目標を達成したかという話。
「頑張ったら勝つ」。。これが敗戦の原因だろう。
ソ連「兵」が強いのかというとそうではなく、日本「軍」が強いのかというとそういうわけではない、そういう戦い
ノモンハン事件の教訓を生かせないで、太平洋戦争でまたまた同じことを繰り返す、隠蔽体質は今も昔も変わらん。
間違いなく「大敗北」ではあるんだけど、五味川順平、司馬遼太郎、半藤一利といった戦中派の作家連が戦前の日本の愚かさを強調するために「鎧袖一触で負けた」みたいな実態よりもオーバーなイメージで煽りまくったせいで、ソ連崩壊後の史料開示で「反動」が来ちゃったんだよな。
(この投稿主さんは半藤一利に甘いけど)
「独ソ戦を経て世界最大にして最強の戦車大国になったソ連陸軍」と「太平洋戦争末期の戦車の恐竜的進化に全くついていけなかった日本陸軍」のイメージで彼らがノモンハン事件を語り過ぎたのが間違いの大本。
嘘みたいな話だけど、1939年の時点(パリ陥落以前)だと日本はドイツやアメリカよりも戦車保有数が多いし質もそこまで悪くない。
だから局地的には善戦出来たわけだが、それ故にこの武力衝突で陸軍が昭和初期の「統帥綱領」策定以来最重要視し自信を持っていた機動戦に失敗し、航空撃滅戦にも失敗したという「戦略的敗北」の深刻性が余計に増す。
いや「世界最大にして最強の戦車大国なったソ連陸軍」になったのは、独ソ戦前ですから。実際侵攻に参加した独軍将兵がショックを受けてるわけですが。
数的主力だったT-26やBTは紙装甲と言われますが、八九式中戦車/九七式中戦車の短砲身57mm砲や、九五式軽戦車の37mm戦車砲(原型は対戦車砲ではなく、平射歩兵砲でした)では歯が立ちませんでした。37mm速射砲(牽引砲)でようやく対抗できたのです。日本の歩兵将校は、日本戦車を「役立たず」「豆腐」と罵っています。
日本の戦車兵は、ソ連の45mm対戦車砲や、T-26やBTの45mm戦車砲の弾速に驚愕し、たちまち自軍車両を撃破されてしまいます。戦車と装甲車のみで夜戦斬り込みし、成功した極少ない例外はありますが、日本戦車にほぼいいところはありませんでした。
たしかにその3人は大問題だわな、戦後のロシアの資料開示でノモンハンはかなり良かったはおかしいが、関東軍や陸軍が暴走はあるがそこまでおかしくはなかったというのはそれなりに正当、機動戦と航空戦の敗北も正当。
余談だが、陸軍機の防弾がよくなったのはノモンハンの影響もあるかも。
ただ、ソビエトが意外と航空戦に対応できていないんだよなあ、それは冷戦終結どころかロシアになった現在にまで尾を引いている。
話は変わるが大日本絵画のノモンハン戦の本は結構おすすめ。
数量より保有数に対する損失割合で示すべき
それほど用意周到なら何故武器が無かったのか?
日中戦争の真っ只中だからそもそも最初から余裕が無い。
まぁ、日本軍お得意の戦術的勝利、戦略的敗北かな。
戦術的にも負けている。
wikiでよく見る文字
守るつもりの陣地から追い払われた軍隊のどこに戦術的勝利があるんだ。
辻政信は士官学校を首席。陸大を3位で卒業とあるが、問題はそれらの学校の教育内容にあった。
なるほど。東大の主席は法務省官僚コースだが大丈夫か? 国会答弁を見る限り心配だよ。
昭和と明治の日本軍の明らな相違点として、「如何なる犠牲を払ってでも」戦略目的を達成する戦いをしたか、そうでないかだと思っている。
昭和の戦争で、日露戦争における旅順攻略の如き戦いは一つとして無かったのではないだろうか。
いつも日本軍は敵を甘く見て兵力を小出しにしてやられている。
ノモンハンで、日本が大勝していたらその後どうなっていただろうか?
ノモンハンで関東軍が大勝した場合、陸軍が露軍軟弱ナリとか言い出して北進とまではいかずとも国境突破したがる。ミッドウェーと同じで勝ったら勝ったで自信を強めてどこかで第二第三のノモンハンになるだけ。
多分ドイツとやってたと思います
土居明夫さんの事についてお聞きしたいことがあります。
詳しい方教えていただきたいです。
コメントよろしくお願いいたします。
昭和史の本読んでると、あらゆるところで登場する辻政信。
戦後に議員になるところまで含めて、ある種、昭和史の暗部そのものかつ大スターだよ。
こいつより面白い人物っているか?
18:12 ソ連軍戦死 7,974人。←ソ連崩壊前の資料
実際は、この3倍。
ジューコフにとっては、スターリングラード戦よりもしんどかったらしいね。
ジューコフはそんな話してない。
こんな強いソ連軍が何でフィンランドでは苦戦したんだろう
気候や練度の問題ですね。他にもフィンランド側に支援物資や志願兵が送られたのも大きいです。
まぁ結局はソ連側の勝利に終わってしまいましたが…
フィンランド側は例年にない厳寒に助けられたのと、カレリア地峡という大軍を以て突破するに不向きな戦場を逆手に防衛戦を築いたマンネルハイムの戦術的功績かと
赤軍大粛清で軍がガタガタになっていたのが大きな要因でしょうかね。
なのにノモンハン事件時に赤軍が善戦したのは総指揮官のジューコフが極めて有能だったからでしょう。
冬戦争時にジューコフを起用していればフィンランドはかなり苦戦したと想像しますね、メレツコフやティモシェンコよりも遥かに軍事的才能があったのは間違いないでしょうから。
「北欧空戦史」という名著を読むと、(WW2をはさむ)フィンランドの経験した二度の戦争の経緯が詳しく理解できます。
最初の戦争は、世界中から見捨てられてまともな武器もなく、旧式兵器と捕獲品を駆使した絶望的なゲリラ戦を戦いました。
超マイナー戦域なので軍オタの間でも全く知られていませんが、「敵機撃墜数の平均値が世界で一番高い空軍」は、フィンランド空軍です。
少ない損害数で、多大なソ連軍機を撃墜しまくってます。
そもそも、ノモンハンですら結構苦戦してるでしょ
ソ連崩壊後ソ連側の死傷者数が明らかになった。それによるとソ連側の被害は日本よりはるかに多かった。長らくぼろくそに日本がやられたと言われていたがそうでもなかったようだ。
其の通り
如何にも、関東軍が、ボロ負け為たかの様に、風潮為ていたが、現実は、大違い
しかも、終戦間際の彼の満ソ国境侵略行為に、ヨーロッパ戦線から、囚人兵迄、連れ来る念の入れ様
(怒)
如何に、日本陸軍の関東軍に、懲りていたか、如実
爆笑
以上
戦争は点を取り合うスポーツではない
全くその通り
タンネンベルクの戦いで、ロシア軍は平文で、重要情報を打ってしまい、ドイツに大敗したなんて言いますが、それを逆手に取ってノモンハンでは有利に動いた可能性はありますね。
現在のウクライナの戦いでも、ロシア兵は携帯で色々と話していると報道されてますが、それも、一種の謀略かもと思ってしまいます。
関東軍の暴走その物みたいな事件ですね。それにしては、追加の兵力の投入ということになると渋るのは、日中戦争の影響でしょうね。
仰る通り関東軍の暴走であり、参謀本部とは反目していたゆえの、追加兵力の少なさですね。参謀本部が援軍に消極的なのは当然として、関東軍側が援軍を要請するなど沽券にかかわると考えていた要因が大きいように見えます。窮状を認め、現況を子細に報告しなくてはなりませんから。
ちなみに、モスクワは、ジューコフの要請を遥か上回る追加兵力を抽出し、現地へ送り込んでいます。
辻の失踪には山下財宝を取り返しに行った説もありますね😊
IFルートで北進論の場合、ルーズベルトも米艦隊もバリバリ元気だからどうにかして日本と戦争できる理由づくりをしたいルーがどこかで必ず介入してきて詰む
ソ連とはもう戦わないと言うのは賢明な判断だったろうけど日中戦争泥沼化のまま米英に攻撃しかけたのは賢明とはとても言えない!それくらい資源の枯渇に焦ったのだろうけど!外交で資源調達出来ないと相当不味い事態に陥るのは確かなようで!
国によって命の価値が違うので。
辻がいれば全て負ける、敗戦の神様。
板垣陸相が辻参謀の馘を意見具申した稲田正純作戦課長へ そう言わんで可愛がってくれよ~
中国軍も戦車は持っていましたよ。ただソ連様な集中運用もしていなければ数も少なかったので、大きな脅威にならなかっただけです。あとBTやBA-10装甲車は装甲が薄かったので、まだ何とかなっていたのですか、圧倒的な数に押されてしまいましたね。
うちの爺様(関東軍所属陸軍高級将校)は関東軍参謀部にわが軍勝利の報告をしている。写真撮影の結果、敵戦車800台以上を破壊、わが方の損害は39両。これを見ても誰がわが軍勝利を疑るだろうか?しかし、関東軍参謀部の辻、瀬島両名はハルハ川遥か東部を停戦ラインとしている。これをもってわが軍敗北を認めたようなモノである。
この頃は陸上戦の「神風」を行っているが当然大東亜戦争前の事であり、陛下の赤子を無駄に殺すなと当時の陸軍幕僚に言いたいくらいだ。
軍略 戦略が進められず達成されていなければ負けでしょう…。
そもそも日本もソ連も戦闘する気なかったのになし崩し的に戦闘になったよく分からない一例
かのジューコフが「人生で一番、最悪だった戦い」と語っていた、というエピソードが有名。
それデタラメですよ
ジューコフはそんな話してないよ。
タラレバだけど山下奉文将軍が指揮を取っていたらどうなったのか?
だから、梅津司令官。
この経験を活かして戦車研究しなかったのか
日本の限界や
継続している日中戦争で日々、兵器や弾薬を消費して使えるリソースが限られている。
その状況で、日本は陸だけでなく海のことも考えなければいけないから。
南下するなら飛行機なんかにリソース割いた方が合理的な気もするけどね
国家予算の7割を拠出した最盛期でもドイツの半分しか軍事費がなかった日本には、研究開発費をねん出するのは無理だった。
言ってはあれだが、太平洋戦争でも戦車戦はあまりなくほとんど航空戦と海上戦が大半だからその分を航空機に当てたほうが最善。
@@55tg揚陸した戦車はどないすんねん…
日本人の上下関係は道徳で、欧米は法律 違反しても罰せられないからおかしなことになる
石原がいれば小競り合いがあってもうまく収まっただろうな
関東軍やりたい放題
シビリアコントロール?なにそれおいしいの状態
独ソ戦の英雄ジュ―コフ将軍に貴殿の指揮の戦いで最も過酷な戦場は?と記者が聞くとそれはドイツ軍では無く日本軍とのノモンハン戦と言う返事と聞く。ソ連戦車のモンゴル兵は逃げない様に足かせで戦車に固定されていたとか。
仰る通りです。
ジューコフはその後、大祖国戦争でナチス・ドイツを打倒する立役者となったが、第二次世界大戦後に一番苦戦した戦場を聞かれて「Khalkhin Gol(ハルヒーン・ゴル)」(ハルハ河のことでノモンハンをさす)と答えたといわれる。
この動画は自虐史観の極みだねえ。
ペレステロイカを完全に無視してる。
第四次川中島の戦いを両軍引き分けと評するかぎりノモンハンを判定できない。第4次川中島の戦いは武田信玄の勝ち。ノモンハンはソ連の勝ち。というかノモンハンがあったから南進論が沸き上がった。もちろんベトナムが政治的に空白地帯となったことがあったにせよ、日本軍部が極東ソ連軍にPTSDされたことが、すべての始まり。
ドイツ「条約蹴ってソ連と戦争したろ」日本「色々詰んだからアメリカと戦争したろ」お互い組む相手(イタリア含む)を間違えた足の引っ張り合いが悲しい
日米開戦した時に
「相談もなしに勝手にアメリカ相手に戦争始めやがって。アメリカを戦争に引き込むことがどういうことか分かってねえだろ。無視しようぜ無視。」
という声がドイツ内ではあったけど
総統の意見で、日本に合わせてドイツも対米宣戦布告した
よくそうしたよな
独ソ戦の結果が変わらないであろうという推測はされているが、
2正面作戦から3正面作戦に移行したドイツ軍の絶望感は察して余りある。
@@宮殿クノッソス 絶望的なら対米宣戦布告をしなければいいだけなのでは。三国同盟は同盟国が「攻撃されたら」共同で対応するという条文なのだから。
その答えが返信の一番目の人の回答なのだけれど
@@ざき-q9c ようやく攻撃されて共同!と思ったらもう同盟国が居なかったといいう1945年8月
日本軍の北上を阻止するという「戦争目的」を達成したのはソ連である。
以降、日本軍は南方に矛先を変えた。
ソ連「やったー。戦争目的達成!」
ゾルゲの工作目的は日本軍の北進阻止でしたが、ノモンハンを立案した辻政信がそれに加担した事になりました。この戦をパスして、北進して極東油田を手に入れていれば…と思わずにはいられません。
だって、自軍の損害を全く顧みない戦い方をする国だもん。
勝ち戦で犠牲をためらっていたらすべてを失うからな
日本軍も大健闘してます。ただ、この戦訓を生かして、ドイツ軍流の装甲師団を創設して、ドイツ軍やソ連戦車と同等の戦車を開発してほしかったです。BTやT−26を上回る
戦車を開発してほしかったです。
酒井将軍が現役であったならばその可能性はあり得たかも。
東条に疎まれ退役に追い込まれましたがね。
工業力がともなっないから無理です
ドイツでもかなり無理して装甲師団をいくつか編成してますが、定数はほとんど満たされていませんでした
対戦車砲は優秀でしたね。
ジューコフの戦車部隊に大打撃を与えました。
『ジューコフは第603連隊を西岸に呼び戻すと、軍法会議により容赦なく銃殺刑に処し、再訓練を施したが「なんでこんな弱体部隊を投入したのか」という非難を受けることとなった。』
ナチスが面白くなかった訳っぽいのだが?知波単👍
日清日露で勝って調子に乗ったんだろうね。
どっちかで負けてれば意識が違ったんだろう。
停戦協定はソ連側の主張どうりで 結ばれたんだから ソ連側の勝だろ・・・
問題は、あれだけの犠牲を払っても何の教訓も得られなかったことだと思います。
おじがこの戦いで生き残りかん口令がしかれてたそうです其の後フィリピンに転戦となりそこで英霊となったそうです
あの程度の損害で攻勢側側が勝利したので いずれにせよ防御側が弱かったのは間違いない
辻正信は疫病神が何かか?
しかし「知能が高かった」には笑った
だけど、満州国なんて作った時点でもう負けていたような気がする……
ソビエト将兵は畑で作るらしいのでいくら死んでもへーきへーき
日露戦争での勝利がロシアを侮る結果に繋がる。 戦争は常に最悪のケースを想定して行動しないと痛い目を見る典型的な例。 日中戦争を辞めて対露に全力を尽くしていれば勝てた。 ノモンハン事件で日本の選択ミスが出た。
「ひがし」支隊ではなく、「あずま」支隊ですね。
ノモンハンの戦争、日本軍の装備は時代に遅れていた、戦車、重機関銃、重戦闘機、だが関東軍は身を挺して
戦った。この日ソの戦争は日本の軽戦闘機と格闘空中戦至上主義に一石を投じた。九六式戦闘機は後に陸軍の
二式重戦、鍾馗の誕生となったが、日本軍はドイツの指摘にも関わらず世界の重戦闘機への流れを見誤った、
辛うじて海軍の零式戦が20ミリを装備したが日本の重戦は海軍の紫電改、陸軍の疾風まで持ち越された。
辻参謀に代表される、肉弾戦、白兵戦の思想は軍の強化に後れをとった。ノモンハンで勝ったのは九六戦の
奮闘であった、辻がいなければ日本軍はもっと早く近代化が出来たはずだ。
この時代の戦車はどこも似たレベルだったよ
あと重機関銃は1920年代には完成されてるしソ連の重機関銃なんてロシア帝国時代のを使ってた
ただ絶対的に数が足りてなかった
ノモンハン時点では性能に差はそんなになくね?
単に物量で押されたイメージ
@@にあみんと
1939年当時だと戦車は各国大きな差はなかったね
ただ研究は当然してたけどそれが形になった1942年前後から怪物化してきた
わが国は残念ながらそれに遅れてしまった
ノモンハンの戦いは太平洋とは異なり
必死感は両軍ともにそれほどなかった。
リヒトホーヘン時代の名残で双方とも
紳士的であったし切迫感は強くなかった。
航空機についていえば、双方とも二翅プロペラで射撃は機内から機銃を撃つとか
望遠鏡で照準して7.2mmを浴びせる程度で双方の撃墜数も10機。20機の時代。
空戦は2千、3500mで行われた。日本軍は決起盛んな97式飛行戦隊と爆撃機。
ソ連は115ibとi16型。
地上では戦車はソ連の戦車は初期は武器満載だが装甲が薄く脆かった、
これが中期以降、日本は98式戦闘機「ハヤブサ)の愛称の始まり。だが後半のソ連は
ドイツ流の重装甲、大型キャノンを搭載し
日本軍は苦戦に陥った。
喪失数は双方それほどの差はなく、ソ連も
日本を攻め落とそうの気はなかった。
ノモンハンの後半戦、
日ソ両国とも必死の緊迫感はまだなかった、
国境線争い、そ連は、i-15.i-16.戦闘機、
日本は決起盛んな戦闘隊、97式が主力になり
重爆機も登場、空戦は日本の97式とi-16一日何回も2千から3500の高度で機内の機銃と外付けの7.2ミリ、戦果は互角かソ連側多少有利。
地上ではソ連はドイツ式の重戦車を押し出してきた、武装は重装備だが、装甲が薄く、日本兵の肉弾突撃で爆破される程度。
この後、ソ連が新型20ミリ装備の三翔プロペラの
戦闘機、一撃離脱方法を取り始めて選局は逆転。
多くの全滅部隊を出し、じり下がりとなる。
全体的にノモンハンはまだまだ日本軍にも余裕があった、アメリカが2千馬力への道を模索し始めるまでは。。。
ポメラニアンで検索したら関連でこれが出てきた
関東軍はロンメルのDAKと同じ轍を踏んだんだな。