Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
夕陽をバックにしたエンディング感動的でした😌3Dマップで見ると山城攻略が簡単ではないのがわかります。タイムリミットのある中、攻め手が多数の被害を出してしまったのも分かりますね
今回もコメントありがとうございます!他の方からもコメントいただきましたが、実際にかなりの傾斜があるようです。守り手側の士気が高かったのも被害が大きくなった背景ですが、高橋紹運の統率力があったのもの間違いないと思います。
父の実家が太宰府で、親族は宅地造営された天拝山に住んでいます。確かに岩屋城攻めの本陣とするには格好の場所ですね。岩屋城跡に行きましたが、かなり急峻な地形で、簡単に登山できると思ったら意外に苦戦を強いられ、多少心が折られます。
いつもコメントありがとうございます!今回の舞台そのものですね。通常現場を一度見ておくのですが、さすがに今回は遠く断念しました。大宰府側からの傾斜は再現してもわかりましたが、かなり急こう配で、攻め手に相当の被害がでるのも頷けます。島津方の3700人という戦死者は、数十万人の合戦となった関ケ原の戦いにおける総戦死者が8000人という点と比較しても、いかに多いかが分かります。
@@fusamichi実は岩屋城城址に行く前に柳川へ行く予定でした。ただ、ふと何かに取り付かれたかのように柳川へ行く前に岩屋城本丸跡を目指していました。何と言えばよいのでしょうか。誰かに呼ばれている感覚がして、気がつくと高橋紹運公の墓石にたたずんでいました。その後、墓石に一礼して岩屋城城址の本丸跡に辿り着き、ボーッとしていました。
二の丸の高橋紹運公の墓に行かれたのですね。実際には言った事はありませんが、写真で見ても普通の墓と違い何か雰囲気のある場所に感じます。でも一度行ってみたいです。
山城って平城とちがって、図面じゃわからないポイントが多いから再現助かる~岩屋城は東の備えが少ないから、全方位から攻撃できる大勢力をあまり想定してない城かと考察したり東には本拠地あるから万全の状態だったら、援軍と挟撃できたのかなとかいろいろ考察できて楽しい動画でした。
コメントありがとうございます!山城の3D再現が動画のメインテーマですので、楽しんでいただけると本当に嬉しいです。岩屋城は山の中腹に作られていて、歴史物語で有名な割には、小ぶりで天然の要害という感じの城ではないように思います。ご指摘のように東~北の備えについては強くなく、紹運の指揮と城兵の士気でカバーしたのだと感じます。
@@fusamichiさん時は古代、白村江で敗れた大和朝廷は、次は、唐・新羅に攻めてこられるという危機に見舞われます。最初に狙われるのは、当時の出先機関で拠点でもある、大宰府です。その防衛の為に、水城を建築。詰めの城として四王寺山全体を要塞とみたて、山頂に大野城を築きます。結局は、唐と新羅が対決を始めましたので、その危機はなくなり、機能する事はありませんでしたが、山全体を要塞化した古代人はとてもスケールが、でかいと思います。
こちらにもコメントありがとうございます!水城~大野城の規模はとても大きく、戦国時代の1000年も前に作られたとは到底思えないほどですね。
感動しましたのでコメント書かせてもらいます。実家は岩屋城のある四王寺山近くにあり、父方の実家は先祖代々宝満山城のある内山に住んでいます。いいからこの話は聞いておりましたが少し話が間違って理解してたようでようやく頭の整理ができました。立派な武将がいたというのが父の自慢話でした。今は父親は他界し家も引っ越したので太宰府とは縁が遠くなってしまったのですが久しぶりに心が熱くなり涙が止まりませんでした。動画作成してくださりありがとうございます。1人でも太宰府に立派な武将がいたことを知って欲しいです。
コメントありがとうございます!所縁の方に少しでも思い起こすような動画になっていれば本当に嬉しいです。遠く関東の者ですが、高橋紹運は本当に大好きな武将です。これからも少しずつですが、動画を作っていきますので、またよろしければ他の動画も見に来てください。
歴史好きな還暦を過ぎた元中学校教師です。歴史好きと自称しながらも九州の地方の歴史について特に戦国時代は疎いことが多く退職を機にすこしずつでも勉強しようと動画を見さまよっていたところに貴殿のこの動画に行きつきました。アニメなどを交えながら便乗巻がある動画でとてわかりやすく構成されている事に感服している次第です。これからも機会があれば特に九州の戦国時代を題材とした動画を楽しみにしています。
コメントありがとうございます!今はRUclipsをはじめネット上に沢山の城紹介や歴史紹介の動画があり、以前に比べ各段に勉強しやすくなっています。私も動画を作る前にネットで題材を調べますが、その過程自体がとても楽しいです。仕事の合間をぬって、になりますが、少しずつ動画を作っていきますので、よろしければまた別の動画を観に来てください。
内山には少弐氏の有智山城が有りますね、又宝満山城には弟の立花直次が守ってましたその一族は大牟田三池藩立花種恭で学習院大学の初代院長です。
@ 少弐氏も菊池に負けてますね。
大友側、島津側共に素晴らしい武将が沢山いたことを改めて知りました。色褪せてはならぬ歴史ですね。
コメントありがとうございます!この戦いが心を打つのは、もちろん紹運以下大友軍が一歩も引かずに玉砕したこともありますが、島津忠長が紹運をリスペクトし何度も降伏を進めながらも、最後は攻め潰すしかなかったところに、戦国の悲哀が映しだされているものだと思います。本当に好きな歴史の一幕です。
嗚呼壮烈岩屋城!歴史再現凝ってますね笑30:56 細かいのですが、鞍部の堀切と竪堀の繋がりが個人的に好きです。素人目にも尾根伝いの攻撃が困難だと伝わってきます
毎回コメントありがとうございます!岩屋城を再現して思ったのが、本丸北側(堀切側)が意外にも手薄なことです。そのためかなり深い堀切を用意したのだと思います。城の構造を見ていただけると、一番嬉しいです(^ ^
高橋紹運という方は人としてとても尊敬できる方だったと伺っております。岩屋城があった四王寺山はその多くが我が町に属しているのでその歴史を学ぶ機会も多く親しんでおります。初めて山を歩いた時、何か言い知れぬものを感じ怖かった記憶があります。が、岩屋城の戦いを知ってからは守られているようで大好きな山となりました。岩屋城趾から観世音寺は目と鼻の先ほど…5万の大群の松明が直ぐ眼下に見えた時の気持ちは如何ばかりだったか…。想像すると胸が詰まります。動画を作って下さりありがとうございました。自分自身のために保存させて下さい。
コメントありがとうございます!岩屋城の周辺には大宰府や水城~大野城など、古くからの城跡が多く、歴史や山城好きにはとても引き付けられる場所です。その中でも、やはり岩屋城の戦いは心揺さぶられるものがあり、実際に現地に行ってみたい気持ちでいっぱいです。
戦国時代の九州の群雄割拠の戦国時代の歴史がこの動画を拝見してよくわかりました。私は福岡在住ですが灯台下暗しで案外地元の歴史には疎い傾向があるようです。素晴らしい動画ありがとうございました。
こちらにもコメントありがとうございます!九州は魅力的な城が多く、一度ぜひゆっくり回ってみたいのですが中々機会に恵まれていません。少しずつ足を運んで、また動画にしていきたいと思います。
感服しました。素晴らしい動画を作成頂き、ありがとうございました。
コメントありがとうございます!岩屋城の戦いは、その結果も含め奇跡のような歴史の一幕のように感じています。結果は悲劇ですが、高橋紹運以下七百余名の散り際がとても心打ち、それを動画にしたかったです。
マイクラでの復元に合わせて、城にまつわる歴史まで分かり易く物語風にしていてとても素晴らしい作品です!大変な労力と時間をかけているのであろうと感じる次第です。このような作品を作成してくださり感謝の念に堪えません。これからも微力ながらいいねなどで応援させて頂きます。
コメント&いいね、ありがとうございます!城にまつわる歴史や物語りが好きで、コツコツ動画を作っています。とてもご評価をいただき、本当に励みになります!日本中に無数ある山城を今後も作っていきますので、よろしければまた御覧になってください。
@@fusamichi返信ありがとうございます!リクエストになってしまいますが、遅くで構いませんので是非とも箕輪城が見たいです!1番好きな城なので...笑
箕輪城ですね。北関東の城は大好きなので、一度調べて(できれば足を運んで)みたいです。平城は山城のような傾斜にたよらない分、構造が面白いので作り甲斐があります。
おすすめに出てきましたが、夢中で拝見しました。そういえば本日は合戦最中の7月15日です。来週27日には岩屋城へお参りに行きたいと思います。
コメントありがとうございます!ちょうど合戦の時期ですね。福岡には出張ではよく行くのですが、中々岩屋城までは行けていません。ぜひ一度私も高橋紹運の墓に参りたいです。
良い動画ありがとうございます。岩屋城の戦いに心を動かされ涙を流してしまうのは、紹運公が武士の鏡のような人であることと、願いを叶えるべく自身の命を捧げたこと、またこれに付き従って戦国の世には珍しい玉砕戦を戦い抜いた家臣達の心意気あってのことでしょう。立花道雪公、高橋紹運公、立花宗茂公で大河ドラマでやって欲しい。岩屋城の戦いは5〜6週ぐらいかけて欲しい。柳川市では大河ドラマ誘致の運動もされているようなので、みんなで盛り上げましょう!
コメントありがとうございます!励みになります。大河ドラマのテーマにも相応しいですね。ぜひ取り上げてほしいです。北条五代も同様に大河ドラマを誘致する運動を小田原など関東の所縁の各地でやっているようです。
大変興味深く拝見致しました。妻の実家は天拝山の麓(筑紫野市)で、現在は立花城址の麓に住んでいます。亡き義父(妻の父)から妻は「人に教えたり人を導く手本となりなさい」と教えられてきたそうで、最近まで教師をしておりました。その由来は高橋紹運の家臣萩尾大学で、豊後の大友家から高橋紹運に付いてきた家臣のようで、岩屋城での戦死により、子孫は篠栗町萩尾へ移り住み帰農したようです。(妻の旧姓も萩尾)ここは江戸時代でも他の集落とは違い寺子屋教育が熱心な所だったようで、その一部が草分けとして筑紫野市杉塚へ移り住み、農業や油売りとして栄えたそうです。たまたま故あって私と結婚したのですが、その私は大友氏によって滅ぼされた菊池家の流れであります😂そんな二人がこれまた立花山の麓に住んでいるという巡り合わせです。たまたま観たRUclipsですが、早速妻にも見せてあげたいと思います。
コメントありがとうございます!実際にゆかりの方からコメントをいただき感激です。紹運の腹心 萩尾麟可・萩尾大学親子の猛烈な戦いぶりは、小説「高橋紹運 戦国挽歌」にも書かれており、動画を作成する際にも描こうか悩んだ所でした(時間が長くなってしまい描く事ができませんでした)。一族の方がこうして今も近くでお元気にされているのをお聞き出来て、動画を作った甲斐があったように思います。
やっとの思いでコメント出来てうれしいのと、八王子城とかの動画のころから解説や効果音が半端じゃないくらいに増えたり深みを増していて個人的にマイクラどころじゃないです(笑)山の木や御殿、影modが高レベルで再現されているのはすごすぎます。
沢山のコメントありがとうございます。大変ありがたいです!徐々に、ですが、動画に新しい手法など取り入れていっています。気づいていただけると嬉しいです。とはいえ、実際にはマイクラの影Modに頼りっぱなしです・・・効果音は段々レパートリーが増えてきていますが、イラストの方は、最近はやりのAIなど使うともって効果的になりそうです。まだまだスキルアップしてきたいと思っていますので、また宜しければ新作を見て頂ければ幸いです。
大変良い動画と思います。歴史の一遍をよく理解できました。感謝し御礼申し上げます。
コメントありがとうございます!隆盛だった大友氏が耳川の戦いを境に徐々に力を失っていき、それでも道雪や紹運、宗茂らがギリギリで支え切るところに非常に歴史としての面白さを感じています。また、同じような城を背景とした動画を作っていきますので、よろしければまた見に来てください。
@@fusamichi 様返答嬉しく思います。次は、鬼の道雪辺りの戦いはどうでしょう。御輿に乗って戦う(足が悪い)義の戦人。皆にも知って欲しいものです。山城の戦いが在ったかは分かりませんが。
繰り返しのコメントありがとうございます。道雪は(Wikipediaで見るだけでも)沢山の城攻めをしていますね。人生戦い続けた猛将ですが、毛利勢との激戦がなんといっても凄いと思います。動画にしていきたい物語です。
私の母校(筑紫工業高校)現在、筑紫台高校、学生時代毎日部活(ワンダーフォーゲル)で、四王寺山、岩屋城本丸お邪魔したおりました。紹運殿の没の碑は、麓のキャンプ場近くにあります。3年間学び屋の窓から本丸跡みておりました、40年前懐かしい記憶よみがえる思い出ありがとうございます。
コメントありがとうございます!ぜひ一度、岩屋城には伺いたいと思っています。近くの大宰府、水城、大野城もあわせて見てみたいです。
実に心地よい再現でした
コメントありがとうございます!励みになります。これからも少しずつ再現を続けていきますので、よろしければまた新しい動画も見にきてください。
@@fusamichi もちろんです!
とても勉強になりました。通勤時に、何気なく観世音寺の前を通り、何となく四王寺山を見ています。今は長閑な場所ですが、嘗ては多くの人間が命を賭けた場所であったことを考えると不思議な気持ちになります。諸行無常の世なのだとしみじみ思います。
コメントありがとうございます!福岡には出張でよく行くのですが、、中々足を運ぶ機会に恵まれていません。大宰府も含め周辺にはぜひ一度行ってみたいと思っています。
これほど完成度の高い動画は見たことありませんでした。どれだけの制作時間が掛かったかと考えるとその分だけ尊敬の念が湧きます。城を(マイクラ?)でここまでリアルに作られていて正に感無量これがこのチャンネル初めての動画でしたがこれから他の動画も見てみようと思いました。チャンネル登録しました!
コメント&ご登録ありがとうございます!とても励みになります!城はマインクラフトで再現しています。作り方の動画(概要説明)もありますので、もしよろしければ他の動画もご覧ください。
@ 作り方の動画先程拝見させてもらいました。制作時間長いですけど私はもっと掛かってると思ってましたこのような素晴らしいクオリティの動画は更新頻度落ちるかもしれませんが応援してます。
鉢形城や八王子城、山中城のような大規模な山城はもう少し時間がかかっています。再現したい山城がたくさんあるのですが、慌てずひとつずつ作っていきますので、ぜひ時折に見来てください。
すごく良かったです😊
こちらにもコメントありがとうございます!落城編は、もう少しシンプルにして見やすくしたいと思っています。別の落城編も作っていきますので、またぜひ見に来てください。
素晴らしく分かりやすい動画をありがとうございます!四王寺、立花山、宝満山いずれも近く登山を楽しんでいます。いずれも城跡もあり 関係性がよく理解できました
コメントありがとうございます!お近くにお住まいですね。私も来年こそは福岡出張の折にでも、岩屋城周辺にぜひ一度足を運んでみたいと思っています。
おすすめに出てきました!ここは紅葉が美しいのに人が全然いなくて毎年訪れていました、岩屋城跡があるなーと知ってはいましたが歴女ではないので戦いの内容は知りませんでしたここは急峻な山ではありますが万葉集に詠まれる頃には大和でも有名な場所で拓かれた山でもあり多方行からのルートがみられます攻められるには怖い思いをされたかと…長々スミマセン、他の動画も観ますね😊
コメントありがとうございます!岩屋城は紅葉が美しい場所としても有名なんですね。確かに山城だけあって険しい山ですが、守備兵にとっては、包囲され攻め上がられる恐怖は想像を絶するものでしょう。。他の動画もよろしければぜひご覧になっていってください。
近年で城といえば豪華絢爛な装飾に威風堂々と佇む天守閣ですが、本来城とは敵の侵攻を阻む要塞であり、防衛拠点。映えこそしないものの、山に造られた岩屋城はまさしく要塞ですね!岩屋城の戦いは、その前後も含めて大好きだったのでありがたいです!
コメントありがとうございます!私も実際に合戦や攻城戦があった城郭に惹かれ、再現を試みています。その多くが天守閣など無い山城で、近所の裏山が実は城跡であったりするところに、とても魅力を感じます。
これ程素晴らしいですね。これからも、この生きざま、見習います‼️日本人の、鑑です。今年最初の、感動です。コロナに、かかっても、ドラマを、みた気分です‼️
コメントありがとうございます!紹運以下、城兵達の散り際は美しさを感じてしまいます(玉砕という惨劇なのですが・・)。前後関係を含めて描くのは中々難しく、かなり尺の長い動画となってしまいましたが、ご覧になっていただけて本当に嬉しいです。ご体調を崩されたようにお見受けしましたが、どうぞご自愛ください。
戦国時代九州の情勢はほとんど語られる事ない中、初めて分かりました、有り難う御座いました。
コメントありがとうございます!戦国後期の九州は、決戦ごとに趨勢が変わるとてもダイナミックな歴史と思います。その後の関ケ原の裏で行われた戦いも含め非常に興味がわきます。
とうとう岩屋城来たー!
早速のコメントありがとうございます!!尺の長い動画になってしまいましたが、ご覧になっていただければ幸いです。
時代背景がよく分かりとてもまとまっている素晴らしい動画だと思いました。高橋紹運は私の一番好きな武将です。よく、岩谷城🏯跡に登って、紹運公のお墓にも拝礼しております😊
コメントありがとうございます!かなり長い動画ですが、観ていただきありがとうございます。できる限り分かりやすくと思って描いているつもりですが、このようにご評価いただき大変嬉しいです。
私の知り合いに吉弘家直系の子孫がおられます!岩屋城の高橋紹運の墓参りにも行かれてます!
コメントありがとうございます!吉弘家直系の子孫の方が、今も紹運公の墓参りをされているのは感動ものです。お聞きして胸が熱くなります。
立花宗茂の従兄弟で、黒田如水と戦になり石垣原の戦いで討ち死にし義に殉じた名将吉弘統幸公を祭った吉弘神社でも毎年9月に大祭を行って先祖を大切にされて有ります!吉弘家の家系は名将が多いのが凄い!いつもその話しになります
@@ms06s92 紹運の父吉弘鑑理も豊州三老ですし、本当に名将が多いですね。
素敵な動画ありがとうございます☺️久しぶりに高橋紹運の話に接して心が熱くなりました。高橋紹運とは何かしら縁があると親から聞いていたので、それで一番好きな武将です。久しぶりに岩屋城に行きたくなりました😊
コメントありがとうございます!戦国時代にはたくさん心を打つ逸話がありますが、紹運の生きざまは特に気持ちが揺さぶられます。本当に素敵で大好きな武将です。
大河ドラマでも良い、雷神風神の武士としての生き様を知ってほしい。数多いる武将でも、毎日のように戦い負けることは無かった不敗の彼らを。私が最も好きな二人です。
コメントありがとうございます!立花道雪と高橋紹運はたくさんの逸話もあり、本当に魅力満載で私も大好きです。自分の中ではS級の有名武将ですが、もっとたくさんの人に知っていただきたいですね。
素晴らしかつたです。後北条氏の豊臣方との戦いである山中城の激戦をやつて欲しいです。
コメントありがとうございます!山中城はぜひ再現したいと思っていました。障子堀をマインクラフトで表現するのが少し難しそうですが、激戦の経緯含めてトライしてみたいです。よろしければ、ぜひまた見に来てください。
地元にこんな歴史があった事初めて知った。社会の授業でやってほしいくらいのクオリティだ。
コメントありがとうございます!励みになります。岩屋城や水城、大野城、、一度実際に歩き回ってみたいです。
400年以上前ですが、我々とつながっている歴史なんですよね。
コメントありがとうございます!古城址に足を運ぶと、数百年前には実際にこの場所で戦闘があったのかと不思議な気分になります。数百年の間、人と人の間で繋がり、今に至っているのが歴史そのものですね。
高橋紹運😊最高の武将
コメントありがとうございます!同感です!自分も大好きな武将です。
👏👏👏ありがとうございます
コメントありがとうございます!励みなります。よろしければ他の動画も御覧になってみてください。
マイクラはブロックで世界が構成されてるから曲線作るの凄い難しいんですよね。自分も山城や豪族の居館を再現していますが、山稜の尾根沿いの曲線を描きながら整地するのに苦労しています
コメントありがとうございます!山城を作成されているのですね。同好の方で嬉しいです。曲線は本当に難しいですよね。あと、建物もブロックの方向にしか作れないので、微妙な角度にいつも悩まされてます。
籠城勢全員が討ち死に、自害したケースは戦国時代でも殆どなかったと思います。それをなせた統率力に感服ですね!
いつもコメントありがとうございます!投降勧告を無視して自ら玉砕するケースは本当に少ないですね。髙橋紹運は大好きな武将で、少し気持ちが入ってしまいました。
九州を代表する若き武将立花宗茂は実は水郷柳川だけじゃない1600年の江上八院合戦は、関ヶ原の戦いともに起きた戦いです対象の街は柳川市、大川市、大木町、久留米市城島町、佐賀市諸富町です立花宗茂のゆかりの地は福岡県、熊本県、佐賀県、大分県です大分県 豊後高田市 福岡県 柳川市、大牟田市、久留米市、大木町、大川市、太宰府市、筑紫野市、小郡市、みやま市 熊本県 長洲町 佐賀県 唐津市、佐賀市
コメントありがとうございます!宗茂の活躍は父紹運に比肩するか、それ以上ですね。晩年には島原の乱にも幕府軍として参加していたそうです。将軍の信頼も厚かったと書かれていました。
城跡等の側に資料館があるけど、そんな資料館で見れる「城の歴史」みたいな動画と遜色ないんよねぇ(*´ω`*)
コメントありがとうございます!資料館にはガイドの動画ありますね。とてもよく出来ていて、5分くらいで概要が分かるすぐれものですが、少しでも近づけていれば嬉しいです。よろしければ、他の動画も御覧になってください。
岩屋城(跡)は何度か登りました。
岩屋城は自分もぜひ一度行ってみたいのですが、中々機会に恵まれていません。。
3D で岩屋城の再現をして頂き、その当時の山城の様子を少し想像することができました。日本各地の中世の山城は、今は木々が青々と葉を広げている所が多く、過去に戦さがあったことが、解りづらい程、静かな所がほとんどだからです。動画中で、戦さの直前に、高橋紹運が家臣たちに、城を出てもいいという主旨の発言がありましたが、似たような場面が、アニメーション映画の さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち にあります。規律違反を承知で出港する前に、艦長代理の古代進が艦内放送で全乗組員に話しをします。「去るも残るも 皆んなの自由だ」また、ヤマトの第一シリーズでも、艦長の沖田十三が同じく出港前に「私は諸君の安全を保障することができない。抜けたい者は、行進の間に抜けてくれ」という場面があります。指揮官としては、自分の決断で自分以外の仲間が命を落とすかも知れない と思うと、同じような心境になるのかも知れないと思いました。
コメントありがとうございます!私も山城好きで色々見て回っていますが、ほとんどが草木で遺構が見えにくく残念です。杉山城や山中城、鉢形城のように綺麗に整備・再現されている城のほうが珍しいですね。紹運だけでなく、古今の指揮官は自分の指示で部下の命が失われていく責任に押しつぶされそうな気持なのだろうな、、と。一方で作戦を遂行する義務があり、、最期に作戦遂行が不可能と判断したときは、部下に逃げるよう言いたくもなるように感じます(あたりまえの話ですが・・・)。
ご先祖がこの戦場で戦っておりました。城代家老だったと聞いております。
コメントありがとうございます!城代家老ですと屋山中務ですね(動画内では誤認識で尾山と書かれています)。岩屋城の戦いは高橋紹運の力がもちろん大きいですが、城代の屋山中務がしっかり城を押えていたのも大きかったようです。動画ではそれを描きたく思いました。
@ ああ、即座にややまなかつかさってわかってくれる人に初めて出会いました(⌒-⌒; )ありがとうございます😊
岩屋城から流れ出た血が川を染めたという出だという出だしで岩屋城で戦った武士を弔う禅師の漢詩があります。岩屋城で亡くなった武士を弔う祭事は今でも続いているということですが、たしか平成に入って島津方の子孫もその催事に呼んで数百年ぶりに和解を果たしたという話をその場に立ち会った方から聞きました。今の世に会って岩屋城の話は私たちのが生きていくうえで和忘れてはならないことを語りかけているような気がしています。
コメントありがとうございます。数百年の時を経て、島津所縁の方も参加されるというのは胸が熱くなる話ですね。敵味方の区別なく、同じ歴史を共有できるのは素晴らしいです。
16:27 統増さんのイメージ画像が髭面なので分かりにくいけど1572年1月生まれなので1576年じゃまだ今の満年齢計算だと14才の少年でこの立場はだいぶ辛いですね。
コメントありがとうございます!ご指摘の通り14歳で髭は合致していないですね。申し訳ありません。。
@ 顔立ちは幼い感じなんですけどね(^◇^;)
武将の意地と忠義、正に戦国武将の鑑と云える。立花道雪殿、高橋紹運殿は、尊敬しております。太平洋戦争でも戦略的に硫黄島の戦いは、1日でも永く防御する使命で戦って無謀な万歳突撃を禁止させた栗林中将も立派だった。島津も膝を折って泣いたというほど、惜しい人物を亡くした。本当に天晴😢😢😢
コメントありがとうございます!雷神、風神と称された二将の生きざまは本当に見事としか言い表せないように感じます。主家である大友家が傾くのを支え、最期には散っていった姿が心を打つのだと思います。
実家は四王寺山の麓にあり、遠足やらトレーニング時登ってました。 この辺り一帯を納めてた殿様と一の家来の方のお墓が庭にあったみたいですがどなたのか分かりません。 戦われた方々の慰霊は西正寺にあると思われます。 故郷離れて40年。実家に帰ったらまた行きたいと思います。
コメントありがとうございます!ご実家が城の付近なのですね。城址公園の周囲には戦で亡くなった方を慰霊した墓所があることが多いです。城に行く時には足を運びますが、独特の雰囲気があります。
そもそも、四王寺山は全体が古代、唐・新羅から守るために作られた要塞。山頂に大野城があります。その遺構の一部の大宰府よりに岩屋城はたてられてます。話は、それますが向かい側の基肄城、その間の平地に造られた水城…現在でもこのような土木工事は困難です。それをなし得た古代の人々は凄い。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
コメントありがとうございます!これが奈良時代よりも前からあったのが驚きですね。大野城の石垣もすごいです。出張で福岡は時々行くのですが、中々岩屋城も大宰府も行けていません。四天王寺周辺には一度行ってみたいです。
じょ…じょううん…そして、岩屋城には天守が存在していたと言われていますね。
コメントありがとうございます!非常にプリミティブな間違いでした。。ご指摘ありがとうございます。本丸の天守ですが、小説の中でも二階で自害したとありますね(あくまで小説ですが)。マインクラフトではサイズ的に二階建て(天守閣)にできませんでした。
備中松山城、備中高松城もまってます!!
コメントありがとうございます!いずれも超のつく有名な城ですね。どちらも一度行ってみたいです。高松城は、水攻めの様子をマインクラフトで再現したら面白そうですね。トライしてみたいと思います!
ぜひ宮城も!!
コメントありがとうございます!宮城では原田甲斐の船岡城は気になっていました(小説で、ですが)。かなり古い城とのことで、こうした城はとても興味が出てきます。桜の名所のようですので、できれば春に足を運んでみたいです!
@@fusamichi 伊達政宗の仙台城ではなく舟岡舘とは、よくご存知ですね!平安末期からの歴史ある舘であり源頼朝などの人物に関わりがありながら、現在は観光地化されて遺構がほとんどないです🥲
情報ありがとうございます!少し残念ですね。。どうしても山城というか、中世城郭に目がいってしまいますが、仙台城も白石城も近世の城郭になる以前の姿もあったので、少しずつ調べてみたいです。
いつも散歩してる山です。もともとあった大野城の中腹に陣取るのかなーと不思議でなりません裏から回りこまれたら上から攻撃されるような地形です。ご存知の方がいらっしゃいましたらレスください。
コメントありがとうございます!マインクラフトで再現しながら、同じことを感じました。搦手である城の北側があまりに手薄で、大堀切があるとはいえ、数万で押し込まれたらひとたまりもなさそうです。なので、裏(北)から回り込まれることのない?地形なのかな、、と思っていました。ぜひ一度現地で見てみたいと思っています。
現地を見た事ないし、うろ覚えの部分のあるので間違いがあったらどなたか訂正をお願いします。大野城は古代山城の跡なので大規模な城を整備することは可能かもしれません。しかし、城が大規模になるとそれだけ守備に必要な人員も増える訳で、宝満山城を主城とする支城である岩屋城をそれほど大きくする必要はないのでしょう。搦手の尾根筋は城攻め側からすると「狭い尾根筋は大軍で攻めても少人数で防御されやすい」、「守備兵力の士気を下げる為に攻め手は分かりやすい逃げ道を用意する必要がある」等の理由から1か所から二か所強力な防備施設を作っておけば搦手は大丈夫だろうという山城は多いです。上から下に攻めた場合、負傷者を引かせる事が困難で攻め手の兵を負傷させるだけで城攻めを困難にさせる事が可能というのも搦手を攻めにくい理由かもしれません。岩屋城も同じ理由で尾根側を搦手にしてあるのだと思います。
コメントありがとうございます!八王子城も詰の城と呼ばれる尾根伝いの搦手があります。小田原征伐で八王子城が攻められた時も、搦手への攻撃はほとんどなかったようです。西洋は民族間の戦争が多く、城は民衆を守るため都市ごと高い塀で囲われていました。一方日本では国内の権力争いが目的で、敵将を討てば勝利となりました。攻城戦でも殲滅は珍しかったようです。そのため、城そのものを守る城壁や堀が重要で、戦術的に敵の数を減らす凝った構造になったと思います。尾根筋の搦手などもその一つかと感じました。
尾山中務でなく屋山中務ですよ。
コメントありがとうございます!誤認識で間違えてしまいました。申し訳ございません。RUclipsの動画説明欄の冒頭で訂正させていただいています。
いえいえ、地元の英雄を紹介して頂きありがとうございます。
nice ending........
コメントありがとうございます!岩屋城の戦いが歴史の一ページとして多くの人の心をつかむのは、誰一人降伏することなく散っていった紹運以下城兵の潔さや、島津忠長が泣いた逸話など、どこか美しさを感じるところかと思います。エンディングでそうした部分をお伝えしたかったのですが、、時間も短く中々伝えきれないな、、と思っていました。ご評価いただけると大変嬉しいです。
@@fusamichi Actually, you did great job. The sunset after the battle, the dialogue, and BGM, everything is perfect!
@vincentkao9168 Thank you again for your comment. As you know, the ending BGM is very important, so I listened to many samples to find it. I'm really grad that you liked this ending and music.
ナレーションで読み上げが入るなら、セリフ部分も、読み上げが必要
コメントありがとうございます!セリフの所で急に無音になるのは違和感ありました。次回から読み上げ入れてみたいと思います。
いつの時代の戦も、ほんの少しの人間の利益為だけで、殆どの人達は不幸になる...
コメントありがとうございます!最終的に戦争で解決しようとするのは、今も変わっていないですね・・・
宗茂の兜の前立ちが違う、丸い日輪の後ろ立ちに鳥毛でなかったか?関白が九州入りした折に島津軍はチリチリバラバラに逃走し、逃げ遅れた星野村の国人星野吉兼は討ち取らる。その首は博多駅から北東の吉塚駅近くに埋葬されて居る。吉兼の首塚とし地名にのこり、埋葬跡は祠が有り、後々迄語り伝えられる。
コメントありがとうございます!登場人物はAIで作成・編集しています。顔のイメージを含め、鎧、兜など、完全には史実を再現できていません。戦場となった城の周辺には首塚の言い伝えが残っていることが多いです。津久井城近くの富士塚や、八王子城近くの横山地区の首塚、耳塚などがあるようです。
立花道雪元は戸次(ヘツギ)ドウセツです、立花姓は立花城城主になった宗茂公以降ではなかったかと記憶しております、間違えていたら申し訳ありません。
コメントありがとうございます!別の方からも同じご指摘をいただきました。Wikipediaにも冒頭に記載されていますが、道雪自身が立花姓を名乗ったことはありません。本来ではありませんが、ここでは一般的に使用されている名称として使わせていただいています。
グッと、来る物有ります。😢國を守る。ご先人方々、英霊の方々、本当に『有難うございます』。😓其れしか、言えません。😭
コメントありがとうございます!筋を通した人の清々しさ、大切な人を守って散っていく美しさ、言葉で書くことのできないくらいの「グッとくる」ものがありますね。
尾山でなく、屋山です
ご指摘ありがとうございます。また、誤表記申し訳ございませんでした。動画紹介文の冒頭に訂正を記載しております。
素晴らしい歴史でした。地方自治体の文科省の中で歴史をもう少し教えるべきだね😅
コメントありがとうございます!歴史の授業は全国共通で、歴史の試験も同様ですね。もう少し郷土の歴史や逸話を盛り込めば、子供や学生さんに興味を持ってもらえることもできそうな気がします。
地元の大學の科目の必須科目にすべきですね。そこに彼たち若者の日本人の気質、優秀な謙虚な日本人が理解出来る可能性がありませんかね、宜しくお願いします🙇
少なくとも歴史を専攻される方や、その地方の学生さんには、郷土の歴史を押えてもらえると、より知識や学習の考察に深みが増すのではないかと想像します。
小勢とはいえ雑兵は一人もいない名を惜しむ武士ばかりが残ったんだろうね。だから数は当てにならない。数字の数倍の戦力になる。
コメントありがとうございます!降伏を善しとしない者だけが残り、最期まで戦ったわけですから、戦意は相当高かったものと思います。城攻めの定石として、完全包囲するのではなく、少し逃げ場を敢えて残すことで、逃げの選択肢を与えて城兵の戦意を落とすことがあるそうです。岩屋城の場合は、そうした逃げ場があっても誰一人逃げ出さなかったのでしょう。
古城址再現だけでイイです。
コメントありがとうございます!次回は古城址再現の紹介になりますので、もしよろしければご覧になってください。
だから「立花道雪」って人は居ないんだって。鑑連様は、生前は立花姓は名乗らなかった、色々あって。表現するなら、「戸次鑑連」または「戸次道雪」が歴史的事実。こうして史実は歪曲されていくんですね、勉強になりました💢
コメントありがとうございます。
夕陽をバックにしたエンディング感動的でした😌
3Dマップで見ると山城攻略が簡単ではないのがわかります。タイムリミットのある中、攻め手が多数の被害を出してしまったのも分かりますね
今回もコメントありがとうございます!他の方からもコメントいただきましたが、実際にかなりの傾斜があるようです。守り手側の士気が高かったのも被害が大きくなった背景ですが、高橋紹運の統率力があったのもの間違いないと思います。
父の実家が太宰府で、親族は宅地造営された天拝山に住んでいます。確かに岩屋城攻めの本陣とするには格好の場所ですね。岩屋城跡に行きましたが、かなり急峻な地形で、簡単に登山できると思ったら意外に苦戦を強いられ、多少心が折られます。
いつもコメントありがとうございます!今回の舞台そのものですね。通常現場を一度見ておくのですが、さすがに今回は遠く断念しました。大宰府側からの傾斜は再現してもわかりましたが、かなり急こう配で、攻め手に相当の被害がでるのも頷けます。島津方の3700人という戦死者は、数十万人の合戦となった関ケ原の戦いにおける総戦死者が8000人という点と比較しても、いかに多いかが分かります。
@@fusamichi
実は岩屋城城址に行く前に柳川へ行く予定でした。ただ、ふと何かに取り付かれたかのように柳川へ行く前に岩屋城本丸跡を目指していました。何と言えばよいのでしょうか。誰かに呼ばれている感覚がして、気がつくと高橋紹運公の墓石にたたずんでいました。その後、墓石に一礼して岩屋城城址の本丸跡に辿り着き、ボーッとしていました。
二の丸の高橋紹運公の墓に行かれたのですね。実際には言った事はありませんが、写真で見ても普通の墓と違い何か雰囲気のある場所に感じます。でも一度行ってみたいです。
山城って平城とちがって、図面じゃわからないポイントが多いから再現助かる~
岩屋城は東の備えが少ないから、全方位から攻撃できる大勢力をあまり想定してない城かと考察したり
東には本拠地あるから万全の状態だったら、援軍と挟撃できたのかなとか
いろいろ考察できて楽しい動画でした。
コメントありがとうございます!山城の3D再現が動画のメインテーマですので、楽しんでいただけると本当に嬉しいです。岩屋城は山の中腹に作られていて、歴史物語で有名な割には、小ぶりで天然の要害という感じの城ではないように思います。ご指摘のように東~北の備えについては強くなく、紹運の指揮と城兵の士気でカバーしたのだと感じます。
@@fusamichiさん
時は古代、白村江で敗れた大和朝廷は、次は、唐・新羅に攻めてこられるという危機に見舞われます。
最初に狙われるのは、当時の出先機関で拠点でもある、大宰府です。
その防衛の為に、水城を建築。詰めの城として四王寺山全体を要塞とみたて、山頂に大野城を築きます。
結局は、唐と新羅が対決を始めましたので、その危機はなくなり、機能する事はありませんでしたが、山全体を要塞化した古代人はとてもスケールが、でかいと思います。
こちらにもコメントありがとうございます!水城~大野城の規模はとても大きく、戦国時代の1000年も前に作られたとは到底思えないほどですね。
感動しましたのでコメント書かせてもらいます。実家は岩屋城のある四王寺山近くにあり、父方の実家は先祖代々宝満山城のある内山に住んでいます。いいからこの話は聞いておりましたが少し話が間違って理解してたようでようやく頭の整理ができました。立派な武将がいたというのが父の自慢話でした。今は父親は他界し家も引っ越したので太宰府とは縁が遠くなってしまったのですが久しぶりに心が熱くなり涙が止まりませんでした。動画作成してくださりありがとうございます。1人でも太宰府に立派な武将がいたことを知って欲しいです。
コメントありがとうございます!所縁の方に少しでも思い起こすような動画になっていれば本当に嬉しいです。遠く関東の者ですが、高橋紹運は本当に大好きな武将です。これからも少しずつですが、動画を作っていきますので、またよろしければ他の動画も見に来てください。
歴史好きな還暦を過ぎた元中学校教師です。歴史好きと自称しながらも九州の地方の歴史について特に戦国時代は疎いことが多く退職を機にすこしずつでも勉強しようと動画を見さまよっていたところに貴殿のこの動画に行きつきました。アニメなどを交えながら便乗巻がある動画でとてわかりやすく構成されている事に感服している次第です。これからも機会があれば特に九州の戦国時代を題材とした動画を楽しみにしています。
コメントありがとうございます!今はRUclipsをはじめネット上に沢山の城紹介や歴史紹介の動画があり、以前に比べ各段に勉強しやすくなっています。私も動画を作る前にネットで題材を調べますが、その過程自体がとても楽しいです。仕事の合間をぬって、になりますが、少しずつ動画を作っていきますので、よろしければまた別の動画を観に来てください。
内山には少弐氏の有智山城が有りますね、又宝満山城には弟の立花直次が守ってましたその一族は大牟田三池藩立花種恭で学習院大学の初代院長です。
@ 少弐氏も菊池に負けてますね。
大友側、島津側共に素晴らしい武将が沢山いたことを改めて知りました。色褪せてはならぬ歴史ですね。
コメントありがとうございます!この戦いが心を打つのは、もちろん紹運以下大友軍が一歩も引かずに玉砕したこともありますが、島津忠長が紹運をリスペクトし何度も降伏を進めながらも、最後は攻め潰すしかなかったところに、戦国の悲哀が映しだされているものだと思います。本当に好きな歴史の一幕です。
嗚呼壮烈岩屋城!
歴史再現凝ってますね笑
30:56 細かいのですが、鞍部の堀切と竪堀の繋がりが個人的に好きです。素人目にも尾根伝いの攻撃が困難だと伝わってきます
毎回コメントありがとうございます!岩屋城を再現して思ったのが、本丸北側(堀切側)が意外にも手薄なことです。そのためかなり深い堀切を用意したのだと思います。城の構造を見ていただけると、一番嬉しいです(^ ^
高橋紹運という方は人としてとても尊敬できる方だったと伺っております。
岩屋城があった四王寺山はその多くが我が町に属しているのでその歴史を学ぶ機会も多く親しんでおります。
初めて山を歩いた時、何か言い知れぬものを感じ怖かった記憶があります。が、岩屋城の戦いを知ってからは守られているようで大好きな山となりました。
岩屋城趾から観世音寺は目と鼻の先ほど…5万の大群の松明が直ぐ眼下に見えた時の気持ちは如何ばかりだったか…。
想像すると胸が詰まります。
動画を作って下さりありがとうございました。自分自身のために保存させて下さい。
コメントありがとうございます!岩屋城の周辺には大宰府や水城~大野城など、古くからの城跡が多く、歴史や山城好きにはとても引き付けられる場所です。その中でも、やはり岩屋城の戦いは心揺さぶられるものがあり、実際に現地に行ってみたい気持ちでいっぱいです。
戦国時代の九州の群雄割拠の戦国時代の歴史がこの動画を拝見してよくわかりました。私は福岡在住ですが灯台下暗しで案外地元の歴史には疎い傾向があるようです。素晴らしい動画ありがとうございました。
こちらにもコメントありがとうございます!九州は魅力的な城が多く、一度ぜひゆっくり回ってみたいのですが中々機会に恵まれていません。少しずつ足を運んで、また動画にしていきたいと思います。
感服しました。素晴らしい動画を作成頂き、ありがとうございました。
コメントありがとうございます!岩屋城の戦いは、その結果も含め奇跡のような歴史の一幕のように感じています。結果は悲劇ですが、高橋紹運以下七百余名の散り際がとても心打ち、それを動画にしたかったです。
マイクラでの復元に合わせて、城にまつわる歴史まで分かり易く物語風にしていてとても素晴らしい作品です!
大変な労力と時間をかけているのであろうと感じる次第です。
このような作品を作成してくださり感謝の念に堪えません。
これからも微力ながらいいねなどで応援させて頂きます。
コメント&いいね、ありがとうございます!城にまつわる歴史や物語りが好きで、コツコツ動画を作っています。とてもご評価をいただき、本当に励みになります!日本中に無数ある山城を今後も作っていきますので、よろしければまた御覧になってください。
@@fusamichi返信ありがとうございます!
リクエストになってしまいますが、遅くで構いませんので是非とも箕輪城が見たいです!
1番好きな城なので...笑
箕輪城ですね。北関東の城は大好きなので、一度調べて(できれば足を運んで)みたいです。平城は山城のような傾斜にたよらない分、構造が面白いので作り甲斐があります。
おすすめに出てきましたが、夢中で拝見しました。そういえば本日は合戦最中の7月15日です。来週27日には岩屋城へお参りに行きたいと思います。
コメントありがとうございます!ちょうど合戦の時期ですね。福岡には出張ではよく行くのですが、中々岩屋城までは行けていません。ぜひ一度私も高橋紹運の墓に参りたいです。
良い動画ありがとうございます。
岩屋城の戦いに心を動かされ涙を流してしまうのは、紹運公が武士の鏡のような人であることと、願いを叶えるべく自身の命を捧げたこと、またこれに付き従って戦国の世には珍しい玉砕戦を戦い抜いた家臣達の心意気あってのことでしょう。
立花道雪公、高橋紹運公、立花宗茂公で大河ドラマでやって欲しい。岩屋城の戦いは5〜6週ぐらいかけて欲しい。
柳川市では大河ドラマ誘致の運動もされているようなので、みんなで盛り上げましょう!
コメントありがとうございます!励みになります。大河ドラマのテーマにも相応しいですね。ぜひ取り上げてほしいです。北条五代も同様に大河ドラマを誘致する運動を小田原など関東の所縁の各地でやっているようです。
大変興味深く拝見致しました。
妻の実家は天拝山の麓(筑紫野市)で、現在は立花城址の麓に住んでいます。
亡き義父(妻の父)から妻は「人に教えたり人を導く手本となりなさい」と教えられてきたそうで、最近まで教師をしておりました。
その由来は高橋紹運の家臣萩尾大学で、豊後の大友家から高橋紹運に付いてきた家臣のようで、岩屋城での戦死により、子孫は篠栗町萩尾へ移り住み帰農したようです。(妻の旧姓も萩尾)
ここは江戸時代でも他の集落とは違い寺子屋教育が熱心な所だったようで、その一部が草分けとして筑紫野市杉塚へ移り住み、農業や油売りとして栄えたそうです。
たまたま故あって私と結婚したのですが、その私は大友氏によって滅ぼされた菊池家の流れであります😂
そんな二人がこれまた立花山の麓に住んでいるという巡り合わせです。
たまたま観たRUclipsですが、早速妻にも見せてあげたいと思います。
コメントありがとうございます!実際にゆかりの方からコメントをいただき感激です。紹運の腹心 萩尾麟可・萩尾大学親子の猛烈な戦いぶりは、小説「高橋紹運 戦国挽歌」にも書かれており、動画を作成する際にも描こうか悩んだ所でした(時間が長くなってしまい描く事ができませんでした)。一族の方がこうして今も近くでお元気にされているのをお聞き出来て、動画を作った甲斐があったように思います。
やっとの思いでコメント出来てうれしいのと、八王子城とかの動画のころから解説や効果音が半端じゃないくらいに増えたり深みを増していて個人的にマイクラどころじゃないです(笑)山の木や御殿、影modが高レベルで再現されているのはすごすぎます。
沢山のコメントありがとうございます。大変ありがたいです!徐々に、ですが、動画に新しい手法など取り入れていっています。気づいていただけると嬉しいです。とはいえ、実際にはマイクラの影Modに頼りっぱなしです・・・効果音は段々レパートリーが増えてきていますが、イラストの方は、最近はやりのAIなど使うともって効果的になりそうです。まだまだスキルアップしてきたいと思っていますので、また宜しければ新作を見て頂ければ幸いです。
大変良い動画と思います。
歴史の一遍をよく理解できました。感謝し御礼申し上げます。
コメントありがとうございます!隆盛だった大友氏が耳川の戦いを境に徐々に力を失っていき、それでも道雪や紹運、宗茂らがギリギリで支え切るところに非常に歴史としての面白さを感じています。また、同じような城を背景とした動画を作っていきますので、よろしければまた見に来てください。
@@fusamichi 様
返答嬉しく思います。
次は、鬼の道雪辺りの戦いはどうでしょう。御輿に乗って戦う(足が悪い)
義の戦人。皆にも知って欲しいものです。山城の戦いが在ったかは分かりませんが。
繰り返しのコメントありがとうございます。道雪は(Wikipediaで見るだけでも)沢山の城攻めをしていますね。人生戦い続けた猛将ですが、毛利勢との激戦がなんといっても凄いと思います。動画にしていきたい物語です。
私の母校(筑紫工業高校)現在、筑紫台高校、学生時代毎日部活(ワンダーフォーゲル)で、四王寺山、岩屋城本丸お邪魔したおりました。
紹運殿の没の碑は、麓のキャンプ場近くにあります。
3年間学び屋の窓から本丸跡みておりました、40年前懐かしい記憶よみがえる思い出ありがとうございます。
コメントありがとうございます!ぜひ一度、岩屋城には伺いたいと思っています。近くの大宰府、水城、大野城もあわせて見てみたいです。
実に心地よい再現でした
コメントありがとうございます!励みになります。これからも少しずつ再現を続けていきますので、よろしければまた新しい動画も見にきてください。
@@fusamichi もちろんです!
とても勉強になりました。通勤時に、何気なく観世音寺の前を通り、何となく四王寺山を見ています。今は長閑な場所ですが、嘗ては多くの人間が命を賭けた場所であったことを考えると不思議な気持ちになります。諸行無常の世なのだとしみじみ思います。
コメントありがとうございます!福岡には出張でよく行くのですが、、中々足を運ぶ機会に恵まれていません。大宰府も含め周辺にはぜひ一度行ってみたいと思っています。
これほど完成度の高い動画は見たことありませんでした。どれだけの制作時間が掛かったかと考えるとその分だけ尊敬の念が湧きます。城を(マイクラ?)でここまでリアルに作られていて正に感無量これがこのチャンネル初めての動画でしたがこれから他の動画も見てみようと思いました。チャンネル登録しました!
コメント&ご登録ありがとうございます!とても励みになります!城はマインクラフトで再現しています。作り方の動画(概要説明)もありますので、もしよろしければ他の動画もご覧ください。
@ 作り方の動画先程拝見させてもらいました。制作時間長いですけど私はもっと掛かってると思ってましたこのような素晴らしいクオリティの動画は更新頻度落ちるかもしれませんが応援してます。
鉢形城や八王子城、山中城のような大規模な山城はもう少し時間がかかっています。再現したい山城がたくさんあるのですが、慌てずひとつずつ作っていきますので、ぜひ時折に見来てください。
すごく良かったです😊
こちらにもコメントありがとうございます!落城編は、もう少しシンプルにして見やすくしたいと思っています。別の落城編も作っていきますので、またぜひ見に来てください。
素晴らしく分かりやすい動画をありがとうございます!
四王寺、立花山、宝満山
いずれも近く登山を楽しんでいます。
いずれも城跡もあり 関係性がよく理解できました
コメントありがとうございます!お近くにお住まいですね。私も来年こそは福岡出張の折にでも、岩屋城周辺にぜひ一度足を運んでみたいと思っています。
おすすめに出てきました!
ここは紅葉が美しいのに人が全然いなくて毎年訪れていました、岩屋城跡があるなーと知ってはいましたが歴女ではないので戦いの内容は知りませんでした
ここは急峻な山ではありますが万葉集に詠まれる頃には大和でも有名な場所で拓かれた山でもあり多方行からのルートがみられます
攻められるには怖い思いをされたかと…
長々スミマセン、他の動画も観ますね😊
コメントありがとうございます!岩屋城は紅葉が美しい場所としても有名なんですね。確かに山城だけあって険しい山ですが、守備兵にとっては、包囲され攻め上がられる恐怖は想像を絶するものでしょう。。
他の動画もよろしければぜひご覧になっていってください。
近年で城といえば豪華絢爛な装飾に威風堂々と佇む天守閣ですが、本来城とは敵の侵攻を阻む要塞であり、防衛拠点。映えこそしないものの、山に造られた岩屋城はまさしく要塞ですね!岩屋城の戦いは、その前後も含めて大好きだったのでありがたいです!
コメントありがとうございます!私も実際に合戦や攻城戦があった城郭に惹かれ、再現を試みています。その多くが天守閣など無い山城で、近所の裏山が実は城跡であったりするところに、とても魅力を感じます。
これ程素晴らしいですね。これからも、この生きざま、見習います‼️日本人の、鑑です。今年最初の、感動です。コロナに、かかっても、ドラマを、みた気分です‼️
コメントありがとうございます!紹運以下、城兵達の散り際は美しさを感じてしまいます(玉砕という惨劇なのですが・・)。前後関係を含めて描くのは中々難しく、かなり尺の長い動画となってしまいましたが、ご覧になっていただけて本当に嬉しいです。ご体調を崩されたようにお見受けしましたが、どうぞご自愛ください。
戦国時代九州の情勢はほとんど語られる事ない中、初めて分かりました、有り難う御座いました。
コメントありがとうございます!戦国後期の九州は、決戦ごとに趨勢が変わるとてもダイナミックな歴史と思います。その後の関ケ原の裏で行われた戦いも含め非常に興味がわきます。
とうとう岩屋城来たー!
早速のコメントありがとうございます!!尺の長い動画になってしまいましたが、ご覧になっていただければ幸いです。
時代背景がよく分かりとてもまとまっている素晴らしい動画だと思いました。高橋紹運は私の一番好きな武将です。よく、岩谷城🏯跡に登って、紹運公のお墓にも拝礼しております😊
コメントありがとうございます!かなり長い動画ですが、観ていただきありがとうございます。できる限り分かりやすくと思って描いているつもりですが、このようにご評価いただき大変嬉しいです。
私の知り合いに吉弘家直系の子孫がおられます!岩屋城の高橋紹運の墓参りにも行かれてます!
コメントありがとうございます!吉弘家直系の子孫の方が、今も紹運公の墓参りをされているのは感動ものです。お聞きして胸が熱くなります。
立花宗茂の従兄弟で、黒田如水と戦になり石垣原の戦いで討ち死にし義に殉じた名将吉弘統幸公を祭った吉弘神社でも毎年9月に大祭を行って先祖を大切にされて有ります!吉弘家の家系は名将が多いのが凄い!いつもその話しになります
@@ms06s92 紹運の父吉弘鑑理も豊州三老ですし、本当に名将が多いですね。
素敵な動画ありがとうございます☺️久しぶりに高橋紹運の話に接して心が熱くなりました。
高橋紹運とは何かしら縁があると親から聞いていたので、それで一番好きな武将です。久しぶりに岩屋城に行きたくなりました😊
コメントありがとうございます!戦国時代にはたくさん心を打つ逸話がありますが、紹運の生きざまは特に気持ちが揺さぶられます。本当に素敵で大好きな武将です。
大河ドラマでも良い、雷神風神の武士としての生き様を知ってほしい。
数多いる武将でも、毎日のように戦い負けることは無かった不敗の彼らを。
私が最も好きな二人です。
コメントありがとうございます!立花道雪と高橋紹運はたくさんの逸話もあり、本当に魅力満載で私も大好きです。自分の中ではS級の有名武将ですが、もっとたくさんの人に知っていただきたいですね。
素晴らしかつたです。
後北条氏の豊臣方との戦いである山中城の激戦をやつて欲しいです。
コメントありがとうございます!山中城はぜひ再現したいと思っていました。障子堀をマインクラフトで表現するのが少し難しそうですが、激戦の経緯含めてトライしてみたいです。よろしければ、ぜひまた見に来てください。
地元にこんな歴史があった
事初めて知った。
社会の授業でやってほしい
くらいのクオリティだ。
コメントありがとうございます!励みになります。岩屋城や水城、大野城、、一度実際に歩き回ってみたいです。
400年以上前ですが、我々とつながっている歴史なんですよね。
コメントありがとうございます!古城址に足を運ぶと、数百年前には実際にこの場所で戦闘があったのかと不思議な気分になります。数百年の間、人と人の間で繋がり、今に至っているのが歴史そのものですね。
高橋紹運😊最高の武将
コメントありがとうございます!同感です!自分も大好きな武将です。
👏👏👏ありがとうございます
コメントありがとうございます!励みなります。よろしければ他の動画も御覧になってみてください。
マイクラはブロックで世界が構成されてるから曲線作るの凄い難しいんですよね。自分も山城や豪族の居館を再現していますが、山稜の尾根沿いの曲線を描きながら整地するのに苦労しています
コメントありがとうございます!山城を作成されているのですね。同好の方で嬉しいです。曲線は本当に難しいですよね。あと、建物もブロックの方向にしか作れないので、微妙な角度にいつも悩まされてます。
籠城勢全員が討ち死に、自害したケースは戦国時代でも殆どなかったと思います。それをなせた統率力に感服ですね!
いつもコメントありがとうございます!投降勧告を無視して自ら玉砕するケースは本当に少ないですね。髙橋紹運は大好きな武将で、少し気持ちが入ってしまいました。
九州を代表する若き武将立花宗茂は実は水郷柳川だけじゃない1600年の江上八院合戦は、関ヶ原の戦いともに起きた戦いです対象の街は柳川市、大川市、大木町、久留米市城島町、佐賀市諸富町です立花宗茂のゆかりの地は福岡県、熊本県、佐賀県、大分県です
大分県 豊後高田市 福岡県 柳川市、大牟田市、久留米市、大木町、大川市、太宰府市、筑紫野市、小郡市、みやま市 熊本県 長洲町 佐賀県 唐津市、佐賀市
コメントありがとうございます!宗茂の活躍は父紹運に比肩するか、それ以上ですね。晩年には島原の乱にも幕府軍として参加していたそうです。将軍の信頼も厚かったと書かれていました。
城跡等の側に資料館があるけど、そんな資料館で見れる「城の歴史」みたいな動画と遜色ないんよねぇ(*´ω`*)
コメントありがとうございます!資料館にはガイドの動画ありますね。とてもよく出来ていて、5分くらいで概要が分かるすぐれものですが、少しでも近づけていれば嬉しいです。よろしければ、他の動画も御覧になってください。
岩屋城(跡)は何度か登りました。
岩屋城は自分もぜひ一度行ってみたいのですが、中々機会に恵まれていません。。
3D で岩屋城の再現をして頂き、その当時の山城の様子を少し想像することができました。
日本各地の中世の山城は、今は木々が青々と葉を広げている所が多く、
過去に戦さがあったことが、解りづらい程、静かな所がほとんどだからです。
動画中で、戦さの直前に、高橋紹運が家臣たちに、城を出てもいいという主旨の発言がありましたが、似たような場面が、アニメーション映画の さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち にあります。
規律違反を承知で出港する前に、艦長代理の古代進が艦内放送で全乗組員に話しをします。「去るも残るも 皆んなの自由だ」
また、ヤマトの第一シリーズでも、艦長の沖田十三が同じく出港前に「私は諸君の安全を保障することができない。抜けたい者は、行進の間に抜けてくれ」という場面があります。
指揮官としては、自分の決断で自分以外の仲間が命を落とすかも知れない と思うと、同じような心境になるのかも知れないと思いました。
コメントありがとうございます!私も山城好きで色々見て回っていますが、ほとんどが草木で遺構が見えにくく残念です。杉山城や山中城、鉢形城のように綺麗に整備・再現されている城のほうが珍しいですね。
紹運だけでなく、古今の指揮官は自分の指示で部下の命が失われていく責任に押しつぶされそうな気持なのだろうな、、と。一方で作戦を遂行する義務があり、、最期に作戦遂行が不可能と判断したときは、部下に逃げるよう言いたくもなるように感じます(あたりまえの話ですが・・・)。
ご先祖がこの戦場で戦っておりました。城代家老だったと聞いております。
コメントありがとうございます!城代家老ですと屋山中務ですね(動画内では誤認識で尾山と書かれています)。岩屋城の戦いは高橋紹運の力がもちろん大きいですが、城代の屋山中務がしっかり城を押えていたのも大きかったようです。動画ではそれを描きたく思いました。
@ ああ、即座にややまなかつかさってわかってくれる人に初めて出会いました(⌒-⌒; )ありがとうございます😊
岩屋城から流れ出た血が川を染めたという出だという出だしで岩屋城で戦った武士を弔う禅師の漢詩があります。岩屋城で亡くなった武士を弔う祭事は今でも続いているということですが、たしか平成に入って島津方の子孫もその催事に呼んで数百年ぶりに和解を果たしたという話をその場に立ち会った方から聞きました。今の世に会って岩屋城の話は私たちのが生きていくうえで和忘れてはならないことを語りかけているような気がしています。
コメントありがとうございます。数百年の時を経て、島津所縁の方も参加されるというのは胸が熱くなる話ですね。敵味方の区別なく、同じ歴史を共有できるのは素晴らしいです。
16:27 統増さんのイメージ画像が髭面なので分かりにくいけど1572年1月生まれなので1576年じゃまだ今の満年齢計算だと14才の少年でこの立場はだいぶ辛いですね。
コメントありがとうございます!ご指摘の通り14歳で髭は合致していないですね。申し訳ありません。。
@ 顔立ちは幼い感じなんですけどね(^◇^;)
武将の意地と忠義、正に戦国武将の鑑と云える。
立花道雪殿、高橋紹運殿は、尊敬しております。
太平洋戦争でも戦略的に硫黄島の戦いは、1日でも永く防御する使命で戦って無謀な万歳突撃を禁止させた栗林中将も立派だった。
島津も膝を折って泣いたというほど、惜しい人物を亡くした。
本当に天晴😢😢😢
コメントありがとうございます!雷神、風神と称された二将の生きざまは本当に見事としか言い表せないように感じます。主家である大友家が傾くのを支え、最期には散っていった姿が心を打つのだと思います。
実家は四王寺山の麓にあり、遠足やらトレーニング時登ってました。
この辺り一帯を納めてた殿様と一の家来の方のお墓が庭にあったみたいですがどなたのか分かりません。
戦われた方々の慰霊は西正寺にあると思われます。
故郷離れて40年。実家に帰ったらまた行きたいと思います。
コメントありがとうございます!ご実家が城の付近なのですね。城址公園の周囲には戦で亡くなった方を慰霊した墓所があることが多いです。城に行く時には足を運びますが、独特の雰囲気があります。
そもそも、四王寺山は全体が古代、唐・新羅から守るために作られた要塞。山頂に大野城があります。
その遺構の一部の大宰府よりに岩屋城はたてられてます。
話は、それますが向かい側の基肄城、その間の平地に造られた水城…
現在でもこのような土木工事は困難です。それをなし得た古代の人々は凄い。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
コメントありがとうございます!これが奈良時代よりも前からあったのが驚きですね。大野城の石垣もすごいです。出張で福岡は時々行くのですが、中々岩屋城も大宰府も行けていません。四天王寺周辺には一度行ってみたいです。
じょ…じょううん…そして、岩屋城には天守が存在していたと言われていますね。
コメントありがとうございます!非常にプリミティブな間違いでした。。ご指摘ありがとうございます。本丸の天守ですが、小説の中でも二階で自害したとありますね(あくまで小説ですが)。マインクラフトではサイズ的に二階建て(天守閣)にできませんでした。
備中松山城、備中高松城もまってます!!
コメントありがとうございます!いずれも超のつく有名な城ですね。どちらも一度行ってみたいです。高松城は、水攻めの様子をマインクラフトで再現したら面白そうですね。トライしてみたいと思います!
ぜひ宮城も!!
コメントありがとうございます!宮城では原田甲斐の船岡城は気になっていました(小説で、ですが)。かなり古い城とのことで、こうした城はとても興味が出てきます。桜の名所のようですので、できれば春に足を運んでみたいです!
@@fusamichi 伊達政宗の仙台城ではなく舟岡舘とは、よくご存知ですね!
平安末期からの歴史ある舘であり源頼朝などの人物に関わりがありながら、現在は観光地化されて遺構がほとんどないです🥲
情報ありがとうございます!少し残念ですね。。どうしても山城というか、中世城郭に目がいってしまいますが、仙台城も白石城も近世の城郭になる以前の姿もあったので、少しずつ調べてみたいです。
いつも散歩してる山です。
もともとあった大野城の中腹に
陣取るのかなーと不思議でなりません
裏から回りこまれたら上から攻撃されるような
地形です。
ご存知の方がいらっしゃいましたらレスください。
コメントありがとうございます!マインクラフトで再現しながら、同じことを感じました。搦手である城の北側があまりに手薄で、大堀切があるとはいえ、数万で押し込まれたらひとたまりもなさそうです。なので、裏(北)から回り込まれることのない?地形なのかな、、と思っていました。ぜひ一度現地で見てみたいと思っています。
現地を見た事ないし、うろ覚えの部分のあるので間違いがあったらどなたか訂正をお願いします。
大野城は古代山城の跡なので大規模な城を整備することは可能かもしれません。
しかし、城が大規模になるとそれだけ守備に必要な人員も増える訳で、宝満山城を主城とする支城である岩屋城をそれほど大きくする必要はないのでしょう。
搦手の尾根筋は城攻め側からすると「狭い尾根筋は大軍で攻めても少人数で防御されやすい」、「守備兵力の士気を下げる為に攻め手は分かりやすい逃げ道を用意する必要がある」
等の理由から1か所から二か所強力な防備施設を作っておけば搦手は大丈夫だろうという山城は多いです。
上から下に攻めた場合、負傷者を引かせる事が困難で攻め手の兵を負傷させるだけで城攻めを困難にさせる事が可能というのも搦手を攻めにくい理由かもしれません。
岩屋城も同じ理由で尾根側を搦手にしてあるのだと思います。
コメントありがとうございます!八王子城も詰の城と呼ばれる尾根伝いの搦手があります。小田原征伐で八王子城が攻められた時も、搦手への攻撃はほとんどなかったようです。西洋は民族間の戦争が多く、城は民衆を守るため都市ごと高い塀で囲われていました。一方日本では国内の権力争いが目的で、敵将を討てば勝利となりました。攻城戦でも殲滅は珍しかったようです。そのため、城そのものを守る城壁や堀が重要で、戦術的に敵の数を減らす凝った構造になったと思います。尾根筋の搦手などもその一つかと感じました。
尾山中務でなく屋山中務ですよ。
コメントありがとうございます!誤認識で間違えてしまいました。申し訳ございません。RUclipsの動画説明欄の冒頭で訂正させていただいています。
いえいえ、地元の英雄を紹介して頂きありがとうございます。
nice ending........
コメントありがとうございます!岩屋城の戦いが歴史の一ページとして多くの人の心をつかむのは、誰一人降伏することなく散っていった紹運以下城兵の潔さや、島津忠長が泣いた逸話など、どこか美しさを感じるところかと思います。エンディングでそうした部分をお伝えしたかったのですが、、時間も短く中々伝えきれないな、、と思っていました。ご評価いただけると大変嬉しいです。
@@fusamichi Actually, you did great job. The sunset after the battle, the dialogue, and BGM, everything is perfect!
@vincentkao9168 Thank you again for your comment. As you know, the ending BGM is very important, so I listened to many samples to find it. I'm really grad that you liked this ending and music.
ナレーションで読み上げが入るなら、セリフ部分も、読み上げが必要
コメントありがとうございます!セリフの所で急に無音になるのは違和感ありました。次回から読み上げ入れてみたいと思います。
いつの時代の戦も、ほんの少しの人間の利益為だけで、
殆どの人達は不幸になる...
コメントありがとうございます!最終的に戦争で解決しようとするのは、今も変わっていないですね・・・
宗茂の兜の前立ちが違う、丸い日輪の後ろ立ちに鳥毛でなかったか?関白が九州入りした折に島津軍はチリチリバラバラに逃走し、逃げ遅れた星野村の国人星野吉兼は討ち取らる。その首は博多駅から北東の吉塚駅近くに埋葬されて居る。吉兼の首塚とし地名にのこり、埋葬跡は祠が有り、後々迄語り伝えられる。
コメントありがとうございます!登場人物はAIで作成・編集しています。顔のイメージを含め、鎧、兜など、完全には史実を再現できていません。戦場となった城の周辺には首塚の言い伝えが残っていることが多いです。津久井城近くの富士塚や、八王子城近くの横山地区の首塚、耳塚などがあるようです。
立花道雪元は戸次(ヘツギ)ドウセツです、立花姓は立花城城主になった宗茂公以降ではなかったかと記憶しております、間違えていたら申し訳ありません。
コメントありがとうございます!別の方からも同じご指摘をいただきました。Wikipediaにも冒頭に記載されていますが、道雪自身が立花姓を名乗ったことはありません。本来ではありませんが、ここでは一般的に使用されている名称として使わせていただいています。
グッと、来る物有ります。😢
國を守る。
ご先人方々、英霊の方々、本当に『有難うございます』。😓
其れしか、言えません。😭
コメントありがとうございます!筋を通した人の清々しさ、大切な人を守って散っていく美しさ、言葉で書くことのできないくらいの「グッとくる」ものがありますね。
尾山でなく、屋山です
ご指摘ありがとうございます。また、誤表記申し訳ございませんでした。動画紹介文の冒頭に訂正を記載しております。
素晴らしい歴史でした。地方自治体の文科省の中で歴史をもう少し教えるべきだね😅
コメントありがとうございます!歴史の授業は全国共通で、歴史の試験も同様ですね。もう少し郷土の歴史や逸話を盛り込めば、子供や学生さんに興味を持ってもらえることもできそうな気がします。
地元の大學の科目の必須科目にすべきですね。そこに彼たち若者の日本人の気質、優秀な謙虚な日本人が理解出来る可能性がありませんかね、宜しくお願いします🙇
少なくとも歴史を専攻される方や、その地方の学生さんには、郷土の歴史を押えてもらえると、より知識や学習の考察に深みが増すのではないかと想像します。
小勢とはいえ雑兵は一人もいない名を惜しむ武士ばかりが残ったんだろうね。だから数は当てにならない。数字の数倍の戦力になる。
コメントありがとうございます!降伏を善しとしない者だけが残り、最期まで戦ったわけですから、戦意は相当高かったものと思います。城攻めの定石として、完全包囲するのではなく、少し逃げ場を敢えて残すことで、逃げの選択肢を与えて城兵の戦意を落とすことがあるそうです。岩屋城の場合は、そうした逃げ場があっても誰一人逃げ出さなかったのでしょう。
古城址再現だけでイイです。
コメントありがとうございます!次回は古城址再現の紹介になりますので、もしよろしければご覧になってください。
だから「立花道雪」って人は居ないんだって。
鑑連様は、生前は立花姓は名乗らなかった、色々あって。
表現するなら、「戸次鑑連」または「戸次道雪」が歴史的事実。
こうして史実は歪曲されていくんですね、勉強になりました💢
コメントありがとうございます。