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秀吉は「外付け制御回路」の秀長がいないくなってから、暴走を始めた(タガが外れた・本性が出た)感じですよね。関ケ原で「豊臣家で政治的影響力がある」大名が家康に潰され、大阪の役でトドメを刺された、と思ってます。
出来る経営者は部下にも同じレベルを求めるので経ちいかなくなる! 懐が深くないと部下が就いてこない! まさしくビジネスの反面教師! 家康公から二代三代目と家康の教えと側近の働きで見事な仕置き!天に唾したのか!バタフライ効果か! イヤー勉強になりました。 豊臣好きでしたが徳川のしたたかさに惚れました。
投稿お疲れ様です!
太閤秀吉から見て、絶大な信頼信頼得てたのは。弟の秀長の血筋の者だけだろな。もし、秀長一族に男児が複数人居たなら、秀長の子じゃ!憂なく逝ける❗️で秀次一族や臣下らへの苛烈な処置は無かったと思う。秀長没の急速な豊臣家動揺崩壊は如実でした。かつ徳川家康からの豊臣恩顧大名潰しや厳重監視👀✨は厳格でしたね。😨
やはり秀次事件と文武分断が
秀長が存命だったら…とは言われるが晩年の秀長も高利貸しや材木の代金着服とかで叱責や年頭挨拶を拒否されてるから仮に長命だったとしても何かのきっかけ(特に秀頼絡み)で失脚しそうな可能性あるのがね…
大坂の陣では後藤又兵衛も活躍しましたね。真田信繁、毛利勝永と共に凄まじい働きをしたと思います。
こう考えると関ヶ原で西軍に着いた島津は減封も無く良く生き延びた
「鳴かぬなら殺してしまえ」は、私は秀吉だと思っている。
その点、黒田や池田、細川、山内、藤堂らは早くから家康に取り入り上手くやったよね
確かに織田信長には方面軍、徳川家康には徳川四天王という優れた家臣団が思いつくけど、豊臣家臣団というと「誰だっけ?」となっちゃいます(五大老とかは置いといて)
し…七本槍…
尾張派閥の武断派と近江派閥の文治派。前者は高禄高で後者は小禄高と、後の徳川政権の外様=高禄、譜代=小禄+権力の原型が出来てたように思える。まあ、豊臣政権の尾張派閥を外様扱いってのはちょっと気の毒と思うが。
親族僅かなのに秀次殺してる。晩年の秀吉は冷徹で狂ってる。家康滅ぼさなかったのも最大のミス。元秀吉家臣で幕末まで存続したのわずかしか無い。
家康は実力も人望もあったから難しかったんじゃないでしょうか?家康潰すにはコストもかかるし(家臣団がまとまってるし、兵力もバカにならない)。家康恩顧の大名もいたわけで、余程よい大義名分がない限り秀吉を見限ぎる可能性もあれば、最悪家康に味方するかも。強行すれば政権に大きなダメージが。
家康を滅ぼさないでくれたのが 結果的に日本の国にとっては最良の秀吉のミスだったという事
秀次に譲って唐入りしなければ家康も普通に豊臣家に仕えてそう
こればかりは封建制の宿命だからなぁ秀次を粛正しないと間違いなく豊臣宗家の座を奪われるし、関白である秀次を粛正できるのは太閤である秀吉だけ……。もちろん秀次が生きていれば豊臣は続いただろうけど、それは秀吉直系の豊臣じゃなく、秀次系統の分家政権だからね。秀頼誕生後の秀吉からすれば面白くは無いだろう。あと家康は関ヶ原以降のイメージばかり語られるけど、秀吉存命時の家康は戦国一の律義者と言われるぐらいの忠臣で、秀吉の妹の旦那なので義弟になるし、事実上の一門筆頭だから始末されるわけがない。
秀長存命であれば、利休、秀次の切腹は回避できたのではなかろうか。
秀長も晩年は疎まれていた感じでは?秀長の家すら潰されていますし。
けんけんさんへ、秀長を粛清すると言われたいのですか。ご返事お待ちしております。
さて返信はあるのやら。
@@HIDEHIDE-ol8so 秀長は千利休粛清以降の晩年は疎まれていましたよ。病気もありましたが、政権中枢で活躍していません。逆に活躍した事例があったら、教えてください。それに秀長の家はつぶされていて、秀長の家臣の藤堂高虎は家康に接近しています。「静粛する」とはどこにも書いてないですが、どこから「秀長を静粛する」という言葉が出てきたのか不思議です。
何故、利休、秀次の切腹は秀長没後なのでしょうね。利休に至っては秀長没後にすぐですよ。秀吉による利休、秀次の切腹への追い込みは、場合によっては秀長の粛清まで考慮しなければならないと考えている為です。貴方のコメントの内容で回避出来ないとするには、説得力に欠けますよ。
やっと戦国時代の解説か、待っていました
家康が大老筆頭にまで秀吉に信頼させた狸ぶりが凄いね
コミックス『センゴク』で神子田、尾藤は知りました。
秀吉は それこそ信長や家康の様な頼れる譜代が少なかったので, 旧くからの忠義ある側近を大切にすべき所を粛清してしまった.. 秀吉は豊臣家滅亡への禍根を自ら残し亡くなった様である...😢
跡継ぎが早く生まれていれば違う歴史があったのだろうか?秀頼が遅くに生まれ、また天下人になったが故に猜疑心が異常になり冷静な判断が出来なくなってしまったのかもしれません。秀長が長生きしていたとしてどこまで抑えられただろうか…
もし、秀吉があと十年長生きしていれば徳川の天下は無かったからね。秀吉も明らかに秀頼が元服するまでは生きるつもりだったし。結局の家督の継承がイビツにならなければ秀長とかも関係は無かった。
羽柴秀長がいるかいないか、野上弥生子の秀吉と利休読んでもわかります。補佐役いてこその政権でしたね。
逆に織田信秀の代から士分だった織田家臣団のことは、徳川将軍は大好きだからな(前田・池田・浅野・蜂須賀・山内・丹羽ら)。「お気に入り」としては他に井伊氏(遠江出身)があり、これに蒲生(信長の娘婿、近江出身だが尾張閥に属し、豊臣秀次派だった)と、後に家光生母の可能性もある春日局縁者の稲葉氏(美濃出身)と堀田氏(尾張出身)が加わる。
…秀吉は、「人事評価を石高の増減」でしかできなかった家康の人事評価は、 もっと 多面的で三河以来の譜代大名には、忠誠心を評価して、幕府の役職=権力を家臣の家に、代々継承させて、 譜代大名の幕府への忠誠心を維持した他方、外様大名には、石高を多めに与えて、幕府権力には、一切関わらせなかったつまり、「徳川将軍の能力に、依存しない忠誠心=幕府役職の継承による官僚機構を構築できた」から、 江戸幕府は長続きした豊臣政権は忠誠心の評価が、薄く領地配分のみで、まとまっていたから、領地配分できる絶対者 豊臣秀吉がいなくなると すぐ瓦解する😅
権あるものは禄うすく 禄あるものは権うすく。特定の誰かが権力と財力を同時に握ると幕藩体制が揺らぐ可能性があるから、力の分散を図ったのでしょうね。
譜代は少ない領地で近くに置き、外様は魅力的な領地を与えて遠くに置くのは、武家社会では基本だけどねあと、徳川将軍の能力は意外と重要だよ。特に幼年で将軍職を継ぐと国の方向性をめぐって家臣団が争うので国政が混乱するし、実際それで倒幕派にスキを突かれて徳川幕府は倒壊した。ここらへんは豊臣政権の後継者問題とかなり似通っている。と言うよりは同じ末路。
「木下」という姓の旗本が、江戸幕府にいたなと、ちょっと思い出しました。家臣とは違いますが、羽柴家の末裔は存続していたりするんですかね。結局、徳川家康に有利になる流れになってしまったのは不思議ですね。徐々に豊臣家の重臣達の力が削がれていくのを、忍耐強く待っていた家康の胆力、凄いですね。お話し面白かったです。
多分、その木下姓の旗本は北政所寧々の家系ではないかと。
官兵衛は才能のあまりとうざけられた官兵衛と秀長あっての天下なのに
違うよ秀吉は早くから大陸戦を考えてた。だから九州は黒田官兵衛、加藤清正や小西行長らを配置したわけで黒田官兵衛も遠ざけたんじゃなく信頼したから大陸戦の九州に配置したんだよ。結果的に徳川の時代になるから江戸時代にそういう解釈になっただけでね。
秀吉のような 年老いて国の事より 自分の子供の事しか頭に無くなった狂った為政者の憐れな末路。 常識のある 太平の世のビジョンをしっかりと持った家康が天下人になってくれて 将来の日本の為にも本当に良かった。
家康はそこまでビジョンを持っていたかは微妙。大久保忠隣と本多正信の内部抗争をほったらかしにして、大久保長安事件で家臣団に亀裂を生んでるし、秀忠と家光がなんとか権力を維持したまま軌道に乗せたから良かったけど、後継者によっては室町コースに進んでいた。
家康家臣四天王の様な対応であれば、歴史は変わっていたかも?
秀吉としては自分の死後、秀頼派vs秀次派とで日本を二分する豊臣家の跡目争いの大合戦が起こる可能性を予期して、その芽を事前に摘んだつもりなのだろう。
おろ?えらい久々に近代史以外のもんあげてきたなW
近代史のメジャーどころ完了&再生数落ち
無敵の島津さんw
一番乗り!
主君を裏切り、庶流含めて自分の一族を処刑しまくった冷酷な秀吉についた報いともいえる。
実際のところ、信長も守護・守護代・守護又代を裏切って弟も処刑しているし、家康も今川家を裏切って嫁と息子を処刑してるから、基本的に三英傑は同じ事やってるんだよなぁ本能寺で横死の信長、二代で家が滅亡の秀吉、子孫が朝敵となった家康と、考えようによっては三人とも報いを受けてるな。
木下藤吉郎は好きだが豊臣秀吉は大嫌いです❗
あの頭脳明晰な木下藤吉郎が、暴君豊臣秀吉になるとは‥
この動画で思うのは福島正則、、子飼いと言われたのに、徳川に領地を保証され外様の真田長宗我部は奮戦、、、
そいつらはそこで奮戦して就職先探さなきゃなんよ
@@show_kazitani 幸村に至ってはそれまで何も功績のない次男坊だったので、やっと自由に暴れられると思って張り切ったんだと思います。
福島正則は結局 広島城改修の件で難癖付けられ安芸・備後50万石は没収・信濃の一部と越後の一部の4万5,000石(高井野藩)に減転封 まあそのおかげで我等が初代藩主水野勝成が備後10万石をゲットして10万石を15万石にしイグサ(備後表)等の現金収入も込みで大いに福山を栄えさせるんで 広島県福山市民の俺としては有難い話ではあるんですが
こんにちは😃
秀吉は関白なるまでは世界史的にも飛び抜けた英雄…関白なった後は典型的な疑心暗鬼の暴君……やっぱり竹中半兵衛、黒田官兵衛ありきの卑しい農民だったって事だろう……
ちゃんとした家系図でもない限りだいたいの奴はその卑しい百姓の血筋なんだから、自分の首を占めることになるかもしれないんだからやめておいた方がいいよ〜
秀吉とその一族の業の深さよ。秀吉が築き滅ぼした豊臣政権。
仙石は、許されたのになまっ口は災いのもとです秀長、秀保?は残念ですが、秀次は・・・特に秀次は、残しておくべきですね。
だいたい大陸にいこうとするのがまちがい
普通は誰しもNo.2叩きをするのだが、何で秀吉は家康叩きをしなかったんだろうね。いかにも次は家康だよ、と言ってるように見えるが。
家康の協力(秀吉の配下に入った)ことで秀吉の天下が決まったようなものだからでは。
仮にも妹婿ですからねぇ…
羽柴一門で官位も秀吉に次ぐ家康が政権の重石なのと東国支配の問題は大きそう
秀吉存命時の家康は「戦国一の律義者」と言われたほどの忠臣。しかも妹の旦那(義弟)。何より、秀次のように豊臣宗家の座を継承できる立場でもないので、そこまでの脅威でもない。
コメント欄見ると堀越氏や黒田氏らの研究や著書を読んでほしいと思う人たちで溢れてるな笑
そら滅びるわ。
朝鮮出兵くらいから狂っていたのが 良くわかりました😅
長束らを失ったと言っても別に豊臣家が全国を治める資格を失ったとは言えないと思いますよ。家康はあくまで豊臣政権の中で動いていますし。
1年ぶりくらいに動画見ました。
近現代史は要らん!戦国だけやって!
結構、辛辣なコメ多いけど、秀吉が居なかったら、九州辺りはスペインかポルトガル領になっていたかもしれない大友とかの奴隷貿易止めさせた功績は大きい
私たち氏族は宇喜多家に仕えた浮田土佐(信原土佐)の末裔と言われてます。宇喜多秀家は秀吉の養子になってましたから関ケ原合戦では西軍の主要武将でした。関ケ原合戦の直前宇喜多家はお家騒動があり、名だたる武将が離反する中、我々の祖先は秀家と結びつきが強く離反しませんでした。結果、岡山の谷合いの集落に親族が落ち延び現在に至ります。
何も言えない😢
ああー無惨!「歴史じっくり紀行」動画の戦国時代ネタ切れで再生数の激減の末路😢
まさに自業自得、結果論にはなるけど秀吉は天下を取るべきではなかった、ナンバー2に徹していればまた違う未来があったかも
@@春うらら-v6m 確かに 天下人に成ってから色ボケ子ボケが酷くなり疑心暗鬼で冷酷な性格になったもんね。
秀吉の部下のしくじったと思う4人石田三成 黒田官兵衛 仙石秀久福島正則
コメ欄で秀長に期待する声もあるが晩年は秀吉との仲も微妙だし、下手をすれば大和統治の問題で罰せられたかもしれない
見てきたような嘘話
秀吉は「外付け制御回路」の秀長がいないくなってから、暴走を始めた(タガが外れた・本性が出た)感じですよね。
関ケ原で「豊臣家で政治的影響力がある」大名が家康に潰され、大阪の役でトドメを刺された、と思ってます。
出来る経営者は部下にも同じレベルを求めるので経ちいかなくなる! 懐が深くないと部下が就いてこない!
まさしくビジネスの反面教師! 家康公から二代三代目と家康の教えと側近の働きで見事な仕置き!
天に唾したのか!バタフライ効果か! イヤー勉強になりました。 豊臣好きでしたが徳川のしたたかさに惚れました。
投稿お疲れ様です!
太閤秀吉から見て、絶大な信頼信頼得てたのは。弟の秀長の血筋の者だけだろな。もし、秀長一族に男児が複数人居たなら、秀長の子じゃ!憂なく逝ける❗️で秀次一族や臣下らへの苛烈な処置は無かったと思う。秀長没の急速な豊臣家動揺崩壊は如実でした。かつ徳川家康からの豊臣恩顧大名潰しや厳重監視👀✨は厳格でしたね。😨
やはり秀次事件と文武分断が
秀長が存命だったら…とは言われるが晩年の秀長も高利貸しや材木の代金着服とかで叱責や年頭挨拶を拒否されてるから
仮に長命だったとしても何かのきっかけ(特に秀頼絡み)で失脚しそうな可能性あるのがね…
大坂の陣では後藤又兵衛も活躍しましたね。真田信繁、毛利勝永と共に凄まじい働きをしたと思います。
こう考えると関ヶ原で西軍に着いた島津は減封も無く良く生き延びた
「鳴かぬなら殺してしまえ」は、私は秀吉だと思っている。
その点、黒田や池田、細川、山内、藤堂らは早くから家康に取り入り上手くやったよね
確かに織田信長には方面軍、徳川家康には徳川四天王という優れた家臣団が思いつくけど、
豊臣家臣団というと「誰だっけ?」となっちゃいます(五大老とかは置いといて)
し…七本槍…
尾張派閥の武断派と近江派閥の文治派。
前者は高禄高で後者は小禄高と、後の徳川政権の外様=高禄、譜代=小禄+権力の原型が出来てたように思える。
まあ、豊臣政権の尾張派閥を外様扱いってのはちょっと気の毒と思うが。
親族僅かなのに秀次殺してる。
晩年の秀吉は冷徹で狂ってる。
家康滅ぼさなかったのも最大のミス。
元秀吉家臣で幕末まで存続したのわずかしか無い。
家康は実力も人望もあったから難しかったんじゃないでしょうか?
家康潰すにはコストもかかるし(家臣団がまとまってるし、兵力もバカにならない)。家康恩顧の大名もいたわけで、余程よい大義名分がない限り秀吉を見限ぎる可能性もあれば、最悪家康に味方するかも。
強行すれば政権に大きなダメージが。
家康を滅ぼさないでくれたのが 結果的に日本の国にとっては最良の秀吉のミスだったという事
秀次に譲って唐入りしなければ家康も普通に豊臣家に仕えてそう
こればかりは封建制の宿命だからなぁ
秀次を粛正しないと間違いなく豊臣宗家の座を奪われるし、関白である秀次を粛正できるのは太閤である秀吉だけ……。
もちろん秀次が生きていれば豊臣は続いただろうけど、それは秀吉直系の豊臣じゃなく、秀次系統の分家政権だからね。秀頼誕生後の秀吉からすれば面白くは無いだろう。
あと家康は関ヶ原以降のイメージばかり語られるけど、秀吉存命時の家康は戦国一の律義者と言われるぐらいの忠臣で、秀吉の妹の旦那なので義弟になるし、事実上の一門筆頭だから始末されるわけがない。
秀長存命であれば、利休、秀次の切腹は回避できたのではなかろうか。
秀長も晩年は疎まれていた感じでは?秀長の家すら潰されていますし。
けんけんさんへ、秀長を粛清すると言われたいのですか。ご返事お待ちしております。
さて返信はあるのやら。
@@HIDEHIDE-ol8so 秀長は千利休粛清以降の晩年は疎まれていましたよ。病気もありましたが、政権中枢で活躍していません。逆に活躍した事例があったら、教えてください。それに秀長の家はつぶされていて、秀長の家臣の藤堂高虎は家康に接近しています。「静粛する」とはどこにも書いてないですが、どこから「秀長を静粛する」という言葉が出てきたのか不思議です。
何故、利休、秀次の切腹は秀長没後なのでしょうね。利休に至っては秀長没後にすぐですよ。
秀吉による利休、秀次の切腹への追い込みは、場合によっては秀長の粛清まで考慮しなければならないと考えている為です。
貴方のコメントの内容で回避出来ないとするには、説得力に欠けますよ。
やっと戦国時代の解説か、待っていました
家康が大老筆頭にまで秀吉に信頼させた狸ぶりが凄いね
コミックス『センゴク』で神子田、尾藤は知りました。
秀吉は それこそ信長や家康の様な頼れる譜代が少なかったので, 旧くからの忠義ある側近を大切にすべき所を粛清してしまった..
秀吉は豊臣家滅亡への禍根を自ら残し亡くなった様である...😢
跡継ぎが早く生まれていれば違う歴史があったのだろうか?秀頼が遅くに生まれ、また天下人になったが故に猜疑心が異常になり冷静な判断が出来なくなってしまったのかもしれません。秀長が長生きしていたとしてどこまで抑えられただろうか…
もし、秀吉があと十年長生きしていれば徳川の天下は無かったからね。
秀吉も明らかに秀頼が元服するまでは生きるつもりだったし。結局の家督の継承がイビツにならなければ秀長とかも関係は無かった。
羽柴秀長がいるかいないか、野上弥生子の秀吉と利休読んでもわかります。補佐役いてこその政権でしたね。
逆に織田信秀の代から士分だった織田家臣団のことは、徳川将軍は大好きだからな(前田・池田・浅野・蜂須賀・山内・丹羽ら)。「お気に入り」としては他に井伊氏(遠江出身)があり、これに蒲生(信長の娘婿、近江出身だが尾張閥に属し、豊臣秀次派だった)と、後に家光生母の可能性もある春日局縁者の稲葉氏(美濃出身)と堀田氏(尾張出身)が加わる。
…秀吉は、「人事評価を石高の増減」でしかできなかった
家康の人事評価は、 もっと 多面的で
三河以来の譜代大名には、忠誠心を評価して、幕府の役職=権力を家臣の家に、代々継承させて、 譜代大名の幕府への忠誠心を維持した
他方、外様大名には、石高を多めに与えて、幕府権力には、一切関わらせなかった
つまり、「徳川将軍の能力に、依存しない忠誠心=幕府役職の継承による官僚機構を構築できた」から、 江戸幕府は長続きした
豊臣政権は忠誠心の評価が、薄く
領地配分のみで、まとまっていたから、領地配分できる絶対者 豊臣秀吉がいなくなると すぐ瓦解する😅
権あるものは禄うすく 禄あるものは権うすく。
特定の誰かが権力と財力を同時に握ると幕藩体制が揺らぐ可能性があるから、
力の分散を図ったのでしょうね。
譜代は少ない領地で近くに置き、外様は魅力的な領地を与えて遠くに置くのは、
武家社会では基本だけどね
あと、徳川将軍の能力は意外と重要だよ。特に幼年で将軍職を継ぐと国の方向性をめぐって家臣団が争うので国政が混乱するし、実際それで倒幕派にスキを突かれて徳川幕府は倒壊した。
ここらへんは豊臣政権の後継者問題とかなり似通っている。
と言うよりは同じ末路。
「木下」という姓の旗本が、江戸幕府にいたなと、ちょっと思い出しました。家臣とは違いますが、羽柴家の末裔は存続していたりするんですかね。結局、徳川家康に有利になる流れになってしまったのは不思議ですね。徐々に豊臣家の重臣達の力が削がれていくのを、忍耐強く待っていた家康の胆力、凄いですね。お話し面白かったです。
多分、その木下姓の旗本は北政所寧々の家系ではないかと。
官兵衛は才能のあまりとうざけられた
官兵衛と秀長あっての天下なのに
違うよ
秀吉は早くから大陸戦を考えてた。
だから九州は黒田官兵衛、加藤清正や小西行長らを配置したわけで
黒田官兵衛も遠ざけたんじゃなく信頼したから大陸戦の九州に配置したんだよ。
結果的に徳川の時代になるから江戸時代にそういう解釈になっただけでね。
秀吉のような 年老いて国の事より 自分の子供の事しか頭に無くなった狂った為政者の憐れな末路。 常識のある 太平の世のビジョンをしっかりと持った家康が天下人になってくれて 将来の日本の為にも本当に良かった。
家康はそこまでビジョンを持っていたかは微妙。
大久保忠隣と本多正信の内部抗争をほったらかしにして、大久保長安事件で家臣団に亀裂を生んでるし、秀忠と家光がなんとか権力を維持したまま軌道に乗せたから良かったけど、後継者によっては室町コースに進んでいた。
家康家臣四天王の様な対応であれば、歴史は変わっていたかも?
秀吉としては自分の死後、秀頼派vs秀次派とで日本を二分する豊臣家の跡目争いの大合戦が起こる可能性を予期して、
その芽を事前に摘んだつもりなのだろう。
おろ?えらい久々に近代史以外のもんあげてきたなW
近代史のメジャーどころ完了&再生数落ち
無敵の島津さんw
一番乗り!
主君を裏切り、庶流含めて自分の一族を処刑しまくった冷酷な秀吉についた報いともいえる。
実際のところ、信長も守護・守護代・守護又代を裏切って弟も処刑しているし、家康も今川家を裏切って嫁と息子を処刑してるから、基本的に三英傑は同じ事やってるんだよなぁ
本能寺で横死の信長、二代で家が滅亡の秀吉、子孫が朝敵となった家康と、考えようによっては三人とも報いを受けてるな。
木下藤吉郎は好きだが豊臣秀吉は大嫌いです❗
あの頭脳明晰な木下藤吉郎が、暴君豊臣秀吉になるとは‥
この動画で思うのは福島正則、、
子飼いと言われたのに、徳川に領地を保証され
外様の真田長宗我部は奮戦、、、
そいつらはそこで奮戦して就職先探さなきゃなんよ
@@show_kazitani 幸村に至ってはそれまで何も功績のない次男坊だったので、やっと自由に暴れられると思って張り切ったんだと思います。
福島正則は結局 広島城改修の件で難癖付けられ安芸・備後50万石は没収・信濃の一部と越後の一部の
4万5,000石(高井野藩)に減転封 まあそのおかげで我等が初代藩主水野勝成が備後10万石をゲットして
10万石を15万石にしイグサ(備後表)等の現金収入も込みで大いに福山を栄えさせるんで
広島県福山市民の俺としては有難い話ではあるんですが
こんにちは😃
秀吉は関白なるまでは世界史的にも飛び抜けた英雄…関白なった後は典型的な疑心暗鬼の暴君……やっぱり竹中半兵衛、黒田官兵衛ありきの卑しい農民だったって事だろう……
ちゃんとした家系図でもない限りだいたいの奴はその卑しい百姓の血筋なんだから、自分の首を占めることになるかもしれないんだからやめておいた方がいいよ〜
秀吉とその一族の業の深さよ。
秀吉が築き滅ぼした豊臣政権。
仙石は、許されたのにな
まっ口は災いのもとです
秀長、秀保?は残念ですが、秀次は・・・
特に秀次は、残しておくべき
ですね。
だいたい大陸にいこうとするのがまちがい
普通は誰しもNo.2叩きをするのだが、何で秀吉は家康叩きをしなかったんだろうね。いかにも次は家康だよ、と言ってるように見えるが。
家康の協力(秀吉の配下に入った)ことで秀吉の天下が決まったようなものだからでは。
仮にも妹婿ですからねぇ…
羽柴一門で官位も秀吉に次ぐ家康が政権の重石なのと東国支配の問題は大きそう
秀吉存命時の家康は「戦国一の律義者」と言われたほどの忠臣。しかも妹の旦那(義弟)。何より、秀次のように豊臣宗家の座を継承できる立場でもないので、そこまでの脅威でもない。
コメント欄見ると堀越氏や黒田氏らの研究や著書を読んでほしいと思う人たちで溢れてるな笑
そら滅びるわ。
朝鮮出兵くらいから狂っていたのが 良くわかりました😅
長束らを失ったと言っても別に豊臣家が全国を治める資格を失ったとは言えないと思いますよ。
家康はあくまで豊臣政権の中で動いていますし。
1年ぶりくらいに動画見ました。
近現代史は要らん!
戦国だけやって!
結構、辛辣なコメ多いけど、秀吉が居なかったら、九州辺りはスペインかポルトガル領になっていたかもしれない
大友とかの奴隷貿易止めさせた功績は大きい
私たち氏族は宇喜多家に仕えた浮田土佐(信原土佐)の末裔と言われてます。宇喜多秀家は
秀吉の養子になってましたから関ケ原合戦では西軍の主要武将でした。関ケ原合戦の直前
宇喜多家はお家騒動があり、名だたる武将が離反する中、我々の祖先は秀家と結びつきが
強く離反しませんでした。結果、岡山の谷合いの集落に親族が落ち延び現在に至ります。
何も言えない😢
ああー無惨!
「歴史じっくり紀行」動画の戦国時代ネタ切れで再生数の激減の末路😢
まさに自業自得、結果論にはなるけど秀吉は天下を取るべきではなかった、ナンバー2に徹していればまた違う未来があったかも
@@春うらら-v6m 確かに 天下人に成ってから色ボケ子ボケが酷くなり疑心暗鬼で冷酷な性格になったもんね。
秀吉の部下のしくじったと思う4人
石田三成
黒田官兵衛
仙石秀久
福島正則
コメ欄で秀長に期待する声もあるが晩年は秀吉との仲も微妙だし、下手をすれば大和統治の問題で罰せられたかもしれない
見てきたような嘘話