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車椅子のお爺さんがバルコニーから放り出されるシーンは精神的にかなりきた。
今まで見た映画の中で、一番心を痛めながら見た映画です。目を背けたくなるシーンもあったけど、見てよかったと思ってます。今では私の一番好きな映画であり、人生で一度は見るべきものの映画だと思ってます。
シンドラーのリストなどその他の映画もそうですが、実際は戦争ってもっともっともっと残酷だったのでしょうね。だからこそ映画を観て終わりじゃなく、目に焼き付けて決して忘れないようにして、戦争映画を観て感じた気持ちをずっと大切にします。急にすみませんでした。バラード1番めっちゃ好きです♡
全く同意です。20年近く前の映画だけど、かつてなく再び世界大戦の影を感じる今日この日に、全ての人に観て欲しい映画です。
子供の頃、テレビでやってたけど、車椅子ごとおじいさんが落とされるシーンはトラウマだった。
この映画で1番覚えてるのが、全員立てって言われた時足の不自由なじいさんが立たなかったから車椅子のまま5階ぐらいから放り出されたシーン戦時中は何でもありなんだって思った
あれはショッキングだった…その後家族射殺されるしね
あんな非人間的なことを、躊躇いもせず普通にできてしまう国家は本当に恐ろしいね。そもそもあの一家が殺されなきゃいけない理由もわからんし。
私もそのシーンちょートラウマになって1週間ぐらい落ち込みました、、、
当時中学生でマジトラウマなった
本当にそれな……
高3の世界史の授業で見ました。おじいさんが落とされたとこはトラウマでもドイツ将軍がシュピルマンを助けたところは感動しました。
自分も高3の世界史で観ました。おじいさんが落とされるところって車椅子?かなにかに座ってる時に落とされたシーンでしたっけ?
残酷描写もキツいけど一番きたのはシュピルマンのお父さんだった。小さなキャラメルを家族に等分する所や、列車での別れ際あんな状況であの表情で息子に手を振った時の心境とか、列車に乗せられる時の表情…すごく胸が苦しくなる。名作だけど観るのに体力がいる…。
自分も母が講師のためピアノは生まれた頃から友達でした。幼稚園の頃に見て衝撃的だったと共に、ショパンを好きになったきっかけでもあります。高校生で念願のポーランドはワルシャワと強制収容所に訪れることが出来、運が良くシュピルマンの子孫の方にもお話をお聞きする機会を頂きました。自分をこんなにも奮い立たせるなんて…本当に貴重な一本です。そんな私も現在は映像ディレクターという職につき、感慨深いものがあります。
初めまして、一年前のコメントに返信してしまい申し訳ございません。何故だか上手く言葉にできないのですが、MFさんのコメントに深く心を打たれました。ポーランドに行ったお話、良ければもっとお聞きしたいです。この様な場で個人的なコメント失礼致しました。ご迷惑でしたら、返信は不要です。
車椅子のおじいさんのシーンで、過呼吸起こして授業中断したことある⋯残虐さがとても悲しかった。
これを授業で見せられて保健室行きになった中高生は現実にたくさんいるはず
どうせすぐに全員56されるからな立てなかったから56したんじゃなくてただ先に56しただけ
これを音楽の時間に見せるのはなんとも言えん。
初めて見たのは寝れなくてつけた深夜のロードショー。字幕版でした。泣きました。
小六の時に初めて見て、あまりに衝撃を受けたのを今(中3)でもよく覚えています。それ以来、戦場のピアニストは40回ほど見ています。もっと沢山の人に「戦場のピアニスト」を知ってもらいたい。
同級生とは思えないくらいしっかりした人ですね。私ももっと早くから知りたかったです、
@@ゆり茶-r6h ありがとうございます🙇♀️確かにこれは幼い子からでも見れる映画…(だと思います…)なので、小さい子が何処かで知れる機会があるといいですよね、
わたしは小5の時です。歴史に興味があったので、真実とは何かを純粋に教わりました。
図書館で何気なく手を取った戦場のピアニスト。見終わった後、映像化されていることを知ってすぐ見た。全員この映画は見た方が良い。
シュピルマンさん、ピアニストを引退した後は友達もみんな亡くなって心を病んでしまったみたいですね晩年は家族を失った後遺症に悩まされて、息子さんに「あの時家族と死ねばよかったんだ、どうして私だけが長生きして生き残ってるんだ、、」とたびたび口にしていたそうですね。ポーランドは土葬が主流だけど家族は皆燃やされたから自分も火葬にしてくれと頼んだ話も涙が出ました。いくら時間がたとうと悲しみが薄れることなんて決してないんだな...と思いました
シュピルマンはあえてホーゼンフェルト大尉の名前を聞かなかったそうですね。自分が万一ほかのドイツ兵に捕まり拷問を受けた際に、苦しみのあまり大尉の名前を言ってしまう恐れがあった為です。そんなことをすれば彼を危険に晒してしまいます。そのためシュピルマンはホーゼンフェルト大尉と別れる際に自分の名前を教え、戦後何かあれば必ず助けることを誓いました。そして時が流れ戦後の1951年のある日、ドイツからポーランドの放送局あてに一通の手紙が届きました。手紙の差し出し人は、なんとホーゼンフェルト大尉の奥さんでした。「私の夫は今、ソ連の収容所に捕まっています。夫は、戦争も終わりに近づいたある日、シュピルマンという人を助けたと申しております。そのシュピルマンとは、もしやピアニストのシュピルマンさんでしょうか。もしもそうであれば、収容所にいる夫の助けになってほしいのです」シュピルマンはこの時初めて命の恩人の名前と、彼がソ連の収容所に捕まっていることを知ったのでした。シュピルマンは早速ポーランド共産党のヤクブバーマンを通してソ連側に問い合わせるよう求めました。数日後バーマンがシュピルマンの家を訪れ、『これ以上自分に出来ることは何もありません』と言いました。バーマンは『ソビエト連邦の同志達は彼を釈放する気がないそうです。理由として彼が諜報活動の機関に属していた為です。ポーランド人として私たちが出来ることはありません。私は無力です。』と主張しましたが、当然シュピルマンは納得せず、何度も何度も頼み込みました。しかし、それ以上事態が進行することはありませんでした…。それから6年後の1957年、未だベルリンの壁が東西を分断している中、シュピルマンは西ドイツに演奏旅行に行けることになりました。その時、シュピルマンが真っ先に訪ねたのがホーゼンフェルト大尉の家だったそうです。シュピルマンはホーゼンフェルト大尉との再会を願い、彼の家を訪ねたのです。しかし、ホーゼンフェルト大尉は1952年8月13日に三度目の卒中発作を起こし、スターリングラードの戦犯捕虜収容所で亡くなっていました…。2011年12月4日、ポーランドの首都ワルシャワには、ホーゼンフェルト大尉の娘さん立ち合いのもと記念銘板が設置され、2人が出会った場所に今も尚残されています。
映画「戦場のピアニスト」で一つ残念だったのが、ホーゼンフェルト大尉がシュピルマンに「sie(あなた)」と敬語で話し掛けているのに字幕では「お前」となっていてホーゼンフェルト大尉の人間性が日本の観客には正確に伝わらなかった点です。シュピルマンの息子さんが「シュピルマンの時計」という本を出版したのですが、この件についてはやはり触れています。映画(特に日本語字幕版)を観ると、敗戦を覚悟したドイツ人将校が気まぐれでシュピルマンを助け、挙げ句自らが捕虜になった時にはそれを恩着せがましく持ち出し命乞いをした様にも見えるのですが、ホーゼンフェルト大尉は他にも何人ものユダヤ人を助けた人格者でとても人間性が優れた方だったのです。その辺りを映画でも、もう少し掘り下げて貰いたかったですね。
ハリウッド映画と違う現実のむごたらしさを変な意味実によく表現している ショパンのノクターンも良く合っている 忘れられない映画です
中学の時(2007年頃)に初めて映画を観ました。内容の悲惨さに目を覆いたくなりながらも観たのを覚えています。その後に大学でこの映画の話を聴く機会がありました。話された方はクリストファー・W・A・スピルマンさん。映画の主人公の息子さんです。なかなか貴重な体験でした。この映画に出会えたことに感謝です。そして悲惨な映画の内容はトラウマになるかもしれないけど、現実にあったことなので目を背けてはいけないのです。
本当に戦争はどちらにもなにも生まないと考えさせられました
シュピルマンが生き延びられた最大の要因は、彼を匿ったドイツ人将校に教養が備わっていたことだと思う。
ライフイズビューティフルの軍医にも良識があれば…
G進撃 その通りだと思いました、これがもし芸術や音楽を理解しない野蛮な男だったらすぐに始末されていたことでしょう....
教養もそうですが、平和主義者の奥さんに出会ったことも大きかったと思います。
違うだろ。この将校はもともと教師でナチスに傾倒したけどやっぱり虐殺や迫害はおかしいと思って救済活動してたんよ。その一環の行動なんよね。シュピルマンからしたらそんなの関係なくてただの奇跡?だけど。そこを切り取ったから映画として傑作なんよね。原作読んでみ?
見ててずっと落ち着かなかった本当に辛い
ショパンを聴くと悲しい気持ちになってしまう。勉強をする際は落ち着くから良い。
ホーゼンフェルト大尉まじでかっこいい。あの状況でナチズムに流されずにユダヤ人を助けて部下にもナチス式敬礼をさせなかったらしい。なのに裁判で戦犯にされて最期は収容所で報われずに亡くなったのが本当に気の毒。
個人的にシンドラーズリストと双璧なホロコースト映画。
個人的には『シンドラーのリスト』よりも良かったと思うわ。助けた人目線よりも被害者目線だし。本人が経験していただけに生々しさは一級品
今日、映画をビデオ(図書館から借りて)で見ました。感動しました。そして、悲しかった。戦争って、怖いね
個人的に1番戦争の悲惨さを実感できる映画でした。日常が徐々に壊れていく過程がとても辛かった
すごくいい映画だった。ポーランドでどのようなことがあったのかを知れたし、一方的にドイツ人が悪かったわけでもなかった。
戦争の映画は見てて辛いけど実際起こったことなのだから見るべきだと思う
0:47の長身の親衛隊員が、淡々とうつ伏せにした人達を撃ち抜いていくシーンを見た時は人はここまで非情になれるのかと感じたシーンだった
ちがうね。人だからこそ、こんなにも非情になれるんだよ。
傑作中の傑作だけど2度と見たくない作品でもある
この映画で1番印象に残ったのが、おばあさんの食料をおじさんに食われて、おばあさんが泣きながらおじさんを叩いたのが1番心にくる
お母さんがポテト…ポテト…ポテトって言うシーンも残ってる。
冷酷無比なナチスのユダヤ政策やその理不尽に苛まれるユダヤ人の葛藤がリアルに描かれている。しかし、中には危険を冒しながら主人公を匿ってくれるポーランド人やドイツ兵がいて、人間の温かさも感じられて、必ず人生の糧になるであろう良い映画。
あんなにでかい美術セットよく組めたな。そこに驚いたわ
うつ伏せになって、死を待つシーンあったけど、めっちゃトラウマ
この映画トラウマシーン多すぎて列挙しきれないけど確かにあそこは強烈ですよね。銃の弾がタイミングよく無くなって助かるかもと淡い期待をもった瞬間に容赦なく撃ち殺してて本当に体がビクってなりました。
めっちゃわかります
ユダヤ系ロシア人のキーシンオフィシャルで、彼は命をおとされたユダヤ系のビアニスト達に哀悼の意を述べられていた。死に向い深い想いを込めて弾く渾身のショパン遺作には涙がこぼれます。
エイドリアンブロディの顔は地球の宝
世界史の授業で見たけど、ほんとに心痛くなった同じ人間で人殺したい人なんてそうおらんと思うのになんで殺し合うんやろ、なんでユダヤ人だけなんやろってすごい考えさせられる助けたドイツ兵、ほんとにかっこいい
泣ける映画!
凄い映画だと思った。こんなにも人の心を痛めつける映画が他にあるだろうか…更にこれが実話だということが驚いた。ナチスのしたことは許されざる行為だが、シュピルマンはそのナチスの大尉に命を助けて貰った…この映画を見る度複雑な気持ちになる感動と哀しみが入り交じったドイツ人がユダヤ人を助けた場面にはとても感動した彼を助けたホーゼンフェルト大尉はソ連捕虜収容所処刑されてしまったというのがとても悲しい
この映画をまだみていませんが、戦争の悲惨を今のウクライナとロシアをみればわかります。最近亡くなった旧ソ連の大統領だった、ゴルバチョフさんの人の命ほど大切なものはないと言ったことばをおもいだします。テレビをみても、だれもこんなだいじなことをいいません。全世界の人が、この言葉を心からわかっていたら戦争になって、へいしになっても、おたがいに、殺し会うことはできないのに、どうすれば、この言葉の重みを人々と共有できるようになるのか、日々かんがえています。
国連も、命ほど大切なものはないと、全世界にうったえることをしたほうが、国連の使命を果たせるのにと、強くねかいます。
1:04パパ! 字幕「父さん」 まじか
ジェック ん?
編集しました
シュピルマンさん2000年に亡くなられて88歳まで生きられたそうですね。
長生きできたんですね
この映画を見てバラード第一番を練習してる
同志がここにも✋
私はこの映画と君嘘で練習を決めた!
ホーゼンフェルトぐう聖
家族の中で生き残ったのは主人公😢
BSで放映された時に、録画しました。未だに、最後までみられません。
ホーゼンフェルト氏がドイツ語で聞くシーンの日本語訳がお前は誰だ?になっていますが間違いです。 Wer sind Sie?と敬称で聞いているのに残念です。お前は誰だ?とするなら Wer bist du? です。彼のせっかくの誠実さが台無しです…。
杉原千畝さんの描写なかったね
ワルシャワを舞台にした映画だしね。
杉原千畝は別の国でユダヤ難民を救っていたんだよ?これはポーランドが侵攻されて逃げ遅れた音楽一家の1人、ただひとり、シュペルマンがどのような地獄を見て生き延びたかの話。生き延びた人がいたから何をされたか語り継がれた。
私は、この映画を観て、人間ってなんて愚かで、凶暴な生き物であるかを、教わった。美しいワルシャワの町を、無造作に火炎放射器で焼き払うドイツ軍のシーンがあった。その荒廃した街並みを見て、立ちすくむ主人公。ショパンの美しい旋律が、余計に戦争の悲惨さを引き立てていた。もう一度、見たい映画である。
教わってそれをどう生かそうと思うの?
映画を観て、それを生かそうって考える人はいるのですか。私は、戦争の愚かさを学べば充分だと思います。
こっちが転載かな?
これワルシャワの話だから陰謀論者が湧かないのいいよねあいつら見ると気分悪くなる。
戦場のホームレスピアニスト😂
車椅子のお爺さんがバルコニーから放り出されるシーンは精神的にかなりきた。
今まで見た映画の中で、一番心を痛めながら見た映画です。
目を背けたくなるシーンもあったけど、見てよかったと思ってます。
今では私の一番好きな映画であり、人生で一度は見るべきものの映画だと思ってます。
シンドラーのリストなどその他の映画もそうですが、実際は戦争ってもっともっともっと残酷だったのでしょうね。
だからこそ映画を観て終わりじゃなく、目に焼き付けて決して忘れないようにして、戦争映画を観て感じた気持ちをずっと大切にします。
急にすみませんでした。
バラード1番めっちゃ好きです♡
全く同意です。20年近く前の映画だけど、かつてなく再び世界大戦の影を感じる今日この日に、全ての人に観て欲しい映画です。
子供の頃、テレビでやってたけど、
車椅子ごとおじいさんが落とされるシーンはトラウマだった。
この映画で1番覚えてるのが、全員立てって言われた時足の不自由なじいさんが立たなかったから車椅子のまま5階ぐらいから放り出されたシーン
戦時中は何でもありなんだって思った
あれはショッキングだった…その後家族射殺されるしね
あんな非人間的なことを、躊躇いもせず普通にできてしまう国家は本当に恐ろしいね。そもそもあの一家が殺されなきゃいけない理由もわからんし。
私もそのシーンちょートラウマになって
1週間ぐらい落ち込みました、、、
当時中学生でマジトラウマなった
本当にそれな……
高3の世界史の授業で見ました。
おじいさんが落とされたとこはトラウマ
でもドイツ将軍がシュピルマンを助けたところは感動しました。
自分も高3の世界史で観ました。
おじいさんが落とされるところって車椅子?かなにかに座ってる時に落とされたシーンでしたっけ?
残酷描写もキツいけど一番きたのはシュピルマンのお父さんだった。小さなキャラメルを家族に等分する所や、列車での別れ際あんな状況であの表情で息子に手を振った時の心境とか、列車に乗せられる時の表情…すごく胸が苦しくなる。名作だけど観るのに体力がいる…。
自分も母が講師のためピアノは生まれた頃から友達でした。幼稚園の頃に見て衝撃的だったと共に、ショパンを好きになったきっかけでもあります。高校生で念願のポーランドはワルシャワと強制収容所に訪れることが出来、運が良くシュピルマンの子孫の方にもお話をお聞きする機会を頂きました。自分をこんなにも奮い立たせるなんて…本当に貴重な一本です。そんな私も現在は映像ディレクターという職につき、感慨深いものがあります。
初めまして、一年前のコメントに返信してしまい申し訳ございません。
何故だか上手く言葉にできないのですが、MFさんのコメントに深く心を打たれました。ポーランドに行ったお話、良ければもっとお聞きしたいです。この様な場で個人的なコメント失礼致しました。ご迷惑でしたら、返信は不要です。
車椅子のおじいさんのシーンで、過呼吸起こして授業中断したことある⋯
残虐さがとても悲しかった。
これを授業で見せられて保健室行きになった中高生は現実にたくさんいるはず
どうせすぐに全員56されるからな
立てなかったから56したんじゃなくてただ先に56しただけ
これを音楽の時間に見せるのはなんとも言えん。
初めて見たのは寝れなくてつけた深夜のロードショー。字幕版でした。泣きました。
小六の時に初めて見て、あまりに衝撃を受けたのを今(中3)でもよく覚えています。
それ以来、戦場のピアニストは40回ほど見ています。もっと沢山の人に「戦場のピアニスト」を知ってもらいたい。
同級生とは思えないくらいしっかりした人ですね。私ももっと早くから知りたかったです、
@@ゆり茶-r6h ありがとうございます🙇♀️
確かにこれは幼い子からでも見れる映画…(だと思います…)なので、小さい子が何処かで知れる機会があるといいですよね、
わたしは小5の時です。
歴史に興味があったので、真実とは何かを
純粋に教わりました。
図書館で何気なく手を取った戦場のピアニスト。見終わった後、映像化されていることを知ってすぐ見た。
全員この映画は見た方が良い。
シュピルマンさん、ピアニストを引退した後は友達もみんな亡くなって心を病んでしまったみたいですね
晩年は家族を失った後遺症に悩まされて、息子さんに「あの時家族と死ねばよかったんだ、どうして私だけが長生きして生き残ってるんだ、、」とたびたび口にしていたそうですね。
ポーランドは土葬が主流だけど
家族は皆燃やされたから自分も火葬にしてくれと頼んだ話も涙が出ました。
いくら時間がたとうと悲しみが薄れることなんて決してないんだな...と思いました
シュピルマンはあえてホーゼンフェルト大尉の名前を聞かなかったそうですね。自分が万一ほかのドイツ兵に捕まり拷問を受けた際に、苦しみのあまり大尉の名前を言ってしまう恐れがあった為です。そんなことをすれば彼を危険に晒してしまいます。そのためシュピルマンはホーゼンフェルト大尉と別れる際に自分の名前を教え、戦後何かあれば必ず助けることを誓いました。
そして時が流れ戦後の1951年のある日、ドイツからポーランドの放送局あてに一通の手紙が届きました。手紙の差し出し人は、なんとホーゼンフェルト大尉の奥さんでした。
「私の夫は今、ソ連の収容所に捕まっています。夫は、戦争も終わりに近づいたある日、シュピルマンという人を助けたと申しております。そのシュピルマンとは、もしやピアニストのシュピルマンさんでしょうか。もしもそうであれば、収容所にいる夫の助けになってほしいのです」
シュピルマンはこの時初めて命の恩人の名前と、彼がソ連の収容所に捕まっていることを知ったのでした。
シュピルマンは早速ポーランド共産党のヤクブバーマンを通してソ連側に問い合わせるよう求めました。数日後バーマンがシュピルマンの家を訪れ、『これ以上自分に出来ることは何もありません』と言いました。バーマンは『ソビエト連邦の同志達は彼を釈放する気がないそうです。理由として彼が諜報活動の機関に属していた為です。ポーランド人として私たちが出来ることはありません。私は無力です。』と主張しましたが、当然シュピルマンは納得せず、何度も何度も頼み込みました。しかし、それ以上事態が進行することはありませんでした…。
それから6年後の1957年、未だベルリンの壁が東西を分断している中、シュピルマンは西ドイツに演奏旅行に行けることになりました。その時、シュピルマンが真っ先に訪ねたのがホーゼンフェルト大尉の家だったそうです。シュピルマンはホーゼンフェルト大尉との再会を願い、彼の家を訪ねたのです。しかし、ホーゼンフェルト大尉は1952年8月13日に三度目の卒中発作を起こし、スターリングラードの戦犯捕虜収容所で亡くなっていました…。
2011年12月4日、ポーランドの首都ワルシャワには、ホーゼンフェルト大尉の娘さん立ち合いのもと記念銘板が設置され、2人が出会った場所に今も尚残されています。
映画「戦場のピアニスト」で一つ残念だったのが、ホーゼンフェルト大尉がシュピルマンに「sie(あなた)」と敬語で話し掛けているのに字幕では「お前」となっていてホーゼンフェルト大尉の人間性が日本の観客には正確に伝わらなかった点です。シュピルマンの息子さんが「シュピルマンの時計」という本を出版したのですが、この件についてはやはり触れています。
映画(特に日本語字幕版)を観ると、敗戦を覚悟したドイツ人将校が気まぐれでシュピルマンを助け、挙げ句自らが捕虜になった時にはそれを恩着せがましく持ち出し命乞いをした様にも見えるのですが、ホーゼンフェルト大尉は他にも何人ものユダヤ人を助けた人格者でとても人間性が優れた方だったのです。その辺りを映画でも、もう少し掘り下げて貰いたかったですね。
ハリウッド映画と違う現実のむごたらしさを変な意味実によく表現している ショパンのノクターンも良く合っている 忘れられない映画です
中学の時(2007年頃)に初めて映画を観ました。内容の悲惨さに目を覆いたくなりながらも観たのを覚えています。
その後に大学でこの映画の話を聴く機会がありました。話された方はクリストファー・W・A・スピルマンさん。映画の主人公の息子さんです。
なかなか貴重な体験でした。この映画に出会えたことに感謝です。
そして悲惨な映画の内容はトラウマになるかもしれないけど、現実にあったことなので目を背けてはいけないのです。
本当に戦争はどちらにもなにも生まないと考えさせられました
シュピルマンが生き延びられた最大の要因は、彼を匿ったドイツ人将校に教養が備わっていたことだと思う。
ライフイズビューティフルの軍医にも良識があれば…
G進撃 その通りだと思いました、これがもし芸術や音楽を理解しない野蛮な男だったらすぐに始末されていたことでしょう....
教養もそうですが、平和主義者の奥さんに出会ったことも大きかったと思います。
違うだろ。
この将校はもともと教師でナチスに傾倒したけどやっぱり虐殺や迫害はおかしいと思って救済活動してたんよ。
その一環の行動なんよね。
シュピルマンからしたらそんなの関係なくてただの奇跡?だけど。
そこを切り取ったから映画として傑作なんよね。
原作読んでみ?
見ててずっと落ち着かなかった
本当に辛い
ショパンを聴くと悲しい気持ちになってしまう。勉強をする際は落ち着くから良い。
ホーゼンフェルト大尉まじでかっこいい。あの状況でナチズムに流されずにユダヤ人を助けて部下にもナチス式敬礼をさせなかったらしい。なのに裁判で戦犯にされて最期は収容所で報われずに亡くなったのが本当に気の毒。
個人的にシンドラーズリストと双璧なホロコースト映画。
個人的には『シンドラーのリスト』よりも良かったと思うわ。助けた人目線よりも被害者目線だし。本人が経験していただけに生々しさは一級品
今日、映画をビデオ(図書館から借りて)で見ました。感動しました。そして、悲しかった。戦争って、怖いね
個人的に1番戦争の悲惨さを実感できる映画でした。日常が徐々に壊れていく過程がとても辛かった
すごくいい映画だった。
ポーランドでどのようなことがあったのかを知れたし、一方的にドイツ人が悪かったわけでもなかった。
戦争の映画は見てて辛いけど実際起こったことなのだから見るべきだと思う
0:47の長身の親衛隊員が、淡々とうつ伏せにした人達を撃ち抜いていくシーンを見た時は人はここまで非情になれるのかと感じたシーンだった
ちがうね。人だからこそ、こんなにも非情になれるんだよ。
傑作中の傑作だけど2度と見たくない作品でもある
この映画で1番印象に残ったのが、おばあさんの食料をおじさんに食われて、おばあさんが泣きながらおじさんを叩いたのが1番心にくる
お母さんがポテト…ポテト…ポテトって言うシーンも残ってる。
冷酷無比なナチスのユダヤ政策やその理不尽に苛まれるユダヤ人の葛藤がリアルに描かれている。しかし、中には危険を冒しながら主人公を匿ってくれるポーランド人やドイツ兵がいて、人間の温かさも感じられて、必ず人生の糧になるであろう良い映画。
あんなにでかい美術セットよく組めたな。そこに驚いたわ
うつ伏せになって、死を待つシーンあったけど、めっちゃトラウマ
この映画トラウマシーン多すぎて列挙しきれないけど確かにあそこは強烈ですよね。
銃の弾がタイミングよく無くなって助かるかもと淡い期待をもった瞬間に容赦なく撃ち殺してて本当に体がビクってなりました。
めっちゃわかります
ユダヤ系ロシア人のキーシンオフィシャルで、彼は命をおとされたユダヤ系のビアニスト達に哀悼の意を述べられていた。死に向い深い想いを込めて弾く渾身のショパン遺作には涙がこぼれます。
エイドリアンブロディの顔は地球の宝
世界史の授業で見たけど、ほんとに心痛くなった
同じ人間で人殺したい人なんてそうおらんと思うのになんで殺し合うんやろ、なんでユダヤ人だけなんやろってすごい考えさせられる
助けたドイツ兵、ほんとにかっこいい
泣ける映画!
凄い映画だと思った。
こんなにも人の心を痛めつける映画が他にあるだろうか…更にこれが実話だということが驚いた。ナチスのしたことは許されざる行為だが、シュピルマンはそのナチスの大尉に命を助けて貰った…
この映画を見る度複雑な気持ちになる
感動と哀しみが入り交じった
ドイツ人がユダヤ人を助けた場面にはとても感動した
彼を助けたホーゼンフェルト大尉はソ連捕虜収容所処刑されてしまったというのがとても悲しい
この映画をまだみていませんが、戦争の悲惨を今のウクライナとロシアをみればわかります。最近亡くなった旧ソ連の大統領だった、ゴルバチョフさんの人の命ほど大切なものはないと言ったことばをおもいだします。テレビをみても、だれもこんなだいじなことをいいません。全世界の人が、この言葉を心からわかっていたら戦争になって、へいしになっても、おたがいに、殺し会うことはできないのに、どうすれば、この言葉の重みを人々と共有できるようになるのか、日々かんがえています。
国連も、命ほど大切なものはないと、全世界にうったえることをしたほうが、国連の使命を果たせるのにと、強くねかいます。
1:04パパ! 字幕「父さん」
まじか
ジェック ん?
編集しました
シュピルマンさん2000年に亡くなられて88歳まで生きられたそうですね。
長生きできたんですね
この映画を見てバラード第一番を練習してる
同志がここにも✋
私はこの映画と君嘘で練習を決めた!
ホーゼンフェルトぐう聖
家族の中で生き残ったのは主人公😢
BSで放映された時に、録画しました。未だに、最後までみられません。
ホーゼンフェルト氏がドイツ語で聞くシーンの日本語訳がお前は誰だ?になっていますが間違いです。 Wer sind Sie?と敬称で聞いているのに残念です。お前は誰だ?とするなら Wer bist du? です。
彼のせっかくの誠実さが台無しです…。
杉原千畝さんの描写なかったね
ワルシャワを舞台にした映画だしね。
杉原千畝は別の国でユダヤ難民を救っていたんだよ?これはポーランドが侵攻されて逃げ遅れた音楽一家の1人、ただひとり、シュペルマンがどのような地獄を見て生き延びたかの話。生き延びた人がいたから何をされたか語り継がれた。
私は、この映画を観て、人間ってなんて愚かで、凶暴な生き物であるかを、教わった。美しいワルシャワの町を、無造作に火炎放射器で焼き払うドイツ軍のシーンがあった。その荒廃した街並みを見て、立ちすくむ主人公。ショパンの美しい旋律が、余計に戦争の悲惨さを引き立てていた。もう一度、見たい映画である。
教わってそれをどう生かそうと思うの?
映画を観て、それを生かそうって考える人はいるのですか。私は、戦争の愚かさを学べば充分だと思います。
こっちが転載かな?
これワルシャワの話だから陰謀論者が湧かないのいいよね
あいつら見ると気分悪くなる。
戦場のホームレスピアニスト😂