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この動画では見られない、現在の中央斎場やそのほか過去施設の写真が載っている資料のリンクを概要欄に追記しました
京都中央斎場は、とても強烈なえげつない火力で火葬して下さるので、火葬中の待ち時間も、一時間かかりません。また、告別室での読経や入炉のお別れも、ちゃんと時間を取って頂き、とても丁寧な対応をして下さります。現在、火葬場不足で火葬待ちなど、上手く回せていない都道府県や市区町村は、京都中央斎場をお手本にすると良いと思います。
木に囲まれた広場にポツンとサッカーボール1つ転がってるのが寂しげで良いですね。
わたしが訪ねたときは誰もいませんでした。広い公園なので活用されていると思いますが、実際、どうなんでしょうね
中央斎場は何度かお世話になりました。京都の人が言う「お山に行く」ですね。それと阪神淡路大震災時、被災地の火葬場が使用出来ずヘリでご遺体を運んで火葬していたと記憶しています。
京都の方は「お山」と呼ぶのですね。よその地域だと火葬場がある地名(京都の場合だったら「花山」とか)がそのまま火葬場の代名詞になっている所も少なくないところ、さすが雅な呼び方をなさると思いました
花山の葬儀場では京都市内のことを「町」と呼んでました。火葬場や花山のことは山でした。
添付資料が付いてきて良かった。火葬場についてもそうだけどこれからむかえる多死社会や火葬場に於ける他府県の災害対策マニュアルに従った近隣火葬場との連携構築、3.11の時のような炉の限界を超える回転数の炉運転事例など色々参考になる。
古い資料の検索に意識が集中してしまい、すごい資料があるのに気づきませんでした。
蓮華谷火葬場についてちょっとコメントを頂けたので抜粋掲載「火葬炉の扉は黒くて「化粧扉」のような感じでは無かったような? 扉を開けると、向うに種火?が見えるくらいなので、扉にも高熱が伝わって来たと思います。」
情報ありがとうございます。蓮華谷の情報、いまとなっては貴重です
阪神淡路大震災の時には神戸の火葬場では追いつかないので遺体をヘリコプターで自衛隊の桂駐屯地まで運んできてそこから霊柩車で京都の火葬場まで運んで火葬していたようですね。
この斎場、ロストル式でありながら1980年の施行時から前室が付いてるのがすごいハイテクですね(東京の某民営火葬場郡も見習え!笑)ただ、調べてみると一般的な近年の火葬場の前室とは異なり、予備室という名称で、あくまで火葬中に次の棺を予備室に待機させて終了後速やかに次の火葬を行うというのがメインの目的だったようです
ロストル式前室ありというのは火葬炉マニアには希少性がたまらないでしょうね
おはようございます。わたしの、母方の、祖母が、なくなった、火葬場でした。50年ぐらいまえです。静かな、感じでした。他の人は、見なかった記憶です。その時は、二ヶ所が、動いてたのでしょうか!今!動いてるとこも、何度か、行きました。前と、違いにぎやかです。まえから、気になってたんです。なくなった火葬場は、て、おもてました。ありがとうございます。
中央斎場、進んではいけないオーラが確かに感じますね。ストリートビューも看板の少し後で切れました。Googleマップで見るとかなりでかいですね。
突撃の王者、ストリートビューカーすら引き返してるのは笑いましたw
京都市中央斎場の近くには主に皇族や公家の葬送の場であった鳥辺野があり、更に月輪陵があります。江戸時代には仏教を信仰していた天皇や皇族が中央斎場辺りで荼毘に付されていたのでこの地自体が三昧場となっていたのでしょう。
歴史的に重要なエリアです。中央斎場もガード緩めて修学旅行勢含めて受け入れてほしいです(笑)
京都の火葬場と聞いて、高校の古文の授業で「化野の露消ゆることなく、鳥辺野の煙絶えることなき~~」という文が出てきたのを思い出しました。作品の名前は忘れましたが、古文の先生が「鳥辺野というのは永らく京都の火葬場だったところだ」と教えてくださいました。4分30秒あたりから説明されている京都市中央斎場分場の役割を聞いてなるほどと思いました。いずれ起こるとされている南海トラフ大地震の際に必要となったりしないかと思ったりします。2004年(平成16)10月23日に起きた新潟県中越地震(中越大震災)の時、大きな被害を受けた十日町市・小千谷市の斎場が使えなくなり、30㎞ほど離れた柏崎市の火葬場で震災犠牲者のご遺体を火葬にしたそうです。
徒然草ですね、たしか。素人考えですが、人口が多い都市は複数火葬場を設置すべきだと思います
@@saiba_moeさまリスク分散の観点からも複数に分けるのが理想ですよね!
昔、化野の辺りは火葬どころか普通に遺体が転がってるような所だったらしいですよ。
中央斎場には5回行ってます😮ここは確かにガードが固いですね笑90年代半ばに初めて骨上げをした時は友引明けで忙しく冷却がままならなかったのか、お婆ちゃんの焼骨がパチパチと音を立てていました。焼けた匂いも含めて当時小学生だった自分には強烈なトラウマとなったもんです。
@@AUTOMACHIKU 京都中央斎場は、強烈な火力で火葬して下さっています。でもちゃんと綺麗にお骨を仕上げて下さるのは神業ですね😊
是非宇治市も探索お願いします。過去の記憶とおぼしき場所もあります。是非!調査お願いします
初コメント失礼します。最近も使用されたようです。それは東日本大震災で使われたと近隣に住む知り合いから聞きました。しかし私自身事実は知りませんが‥
分場がでしょうか?わたしが調べたのと違いますね、深掘りしなおしてみます。情報ありがとうございます
宮型に白い布被せてあるのは時代だなーって思いました( ´・ω・`)
知らないので動画内で触れなかったのですが、火葬場までご遺体を運んだ帰りだけ、あのようにするのでしょうか?
@@saiba_moe 斎場によるんですが、地域住民からの苦情で宮型の出入りが禁止になってることろが多くて、そう言ったご意見に配慮して布で隠すところがあるそうですノ
京都の宮型霊柩車の多くは白木作りのため、ご遺体を乗せていない時は劣化防止のために布でカバーしています。出棺直前に布を外して、棺を納めて斎場に運び、斎場からの帰りはまた布でカバーします。
@@saiba_moe 最近は大阪でも芸能人(殊に上方落語の噺家)の葬儀の時は、必ずと言っていいほど「白木霊柩車」が使われます。白木霊柩車はメンテナンスをこまめに行わなければならない為車検時に合わせ宮型をバラしてカンナ掛け、彫刻を施して再び宮型を組んでゆきます。最近はめっきり見なくなりましたが大屋根小屋根の「だんじり型」白木霊柩車もありまして、共通するのはご葬家に向かう際には全体を白い布で覆い、雨天の日は塩ビフィルムで覆い、斎場まで送った後は再び白い布掛けをして戻ります。日焼けすると価値が下がるほどデリケートなので日焼けした宮型霊柩車は「塗り」をして紫檀に金具付けをする事になっていましたが、今は手の掛かる宮型を敬遠する向きがあります。数年前に大阪で唯一の白木宮型霊柩車を製造する会社が倒産してしまい。今は大阪でも殆ど見る事が無くなりました。
火葬場の分場ってあるのは初めて見た。
レアですけどほかにもあって訪問済みですので、動画の公開をお待ちくださいませ
動画ありがとうございます2ヶ月前に京都三大風葬地のひとつ「蓮台野」を散策した時、この公園も訪問しましたが、中央分場の建物は健在でしたが、壊されてるかも…ですと!間に合って良かったです同日、訪ねた「南丹市立美山上平屋火葬場」が無くなっていて落ち込みました😢
分場は廃止されたので建物も撤去されたと思いましたが健在でしたか!上平屋はそうなんですね。わたしはタイムリープできるのでもしかしたら…(笑)
廃止したとたんに大災害、とかいう法則が発動しなければいいのですが
一ケ所に集中するのはリスクが大きいですよね
とは言うものの、30年以上も稼働していなかったので、今更再稼働するのも色々難しかったようです。また、中央斎場も災害時対応として通常は都市ガス燃料ですが、プロパンガスにも対応できるようにしたので必要性がさらに低下したというのもあるようです。
おはようございます。
おはようございます!
こんにちは!お疲れ様です。京都市中央斎場って24基も炉があるんですね。さすが100万都市です。リンク先の資料から色々見させていただきました。東西本願寺が隣り合ってそれぞれ14基ずつ炉があったとか、まさにライバルといった感じですね。蓮華谷の方も8基もあったとは、結構な規模だったことがわかりました。写真からみる東西本願寺火葬場や蓮華谷の昔の佇まい、これこそ火葬場!といった感じがして胸熱です。
国会図書館デジタルコレクションで古い資料を探すのが楽しく、ググるのを失念していました。激アツな資料が公開されてましたね!
初めてコメントさせて頂きます。いつも楽しく拝見させて頂いてます。この斎場は祖母の時に使わせて頂きました。祖父の時は旧斎場でした。旧斎場は火葬する時の匂いが酷くて気持ち悪くなった記憶があります。かなり年季の入った火葬場だったようです。そして新しい火葬場は、10人までしか何故か中に入れなかったんですよねぇ。今はどうなってるんでしょうか?ちょっと懐かしくなり、コメントさせて頂きました。
あの人口規模で(しかも京都市外の周辺の自治体の人も利用しているらしい)、1施設しかないとなると、入場制限はしてそうですね。門のガードが堅いのは、不審者除けはもちろん、1台でも進入する車を減らしたい、というのもあるのかも?
いま、京都市中央斎場のHPを確認したのですが、やはりいまだに10名以内(待合室利用人数)でした。変わってなかった😅そして色々と制約があるみたいですね…。
京都市中央斎場は前室付きロストル式を採用し、更に火葬終了後は炉の後ろから骨受け皿を出して拾骨室で拾骨する方式を採用して、回転率を上げています。(1日最大120体火葬可能)参列者制限は待合スペースと駐車場の兼ね合いのほうが大きいようです。火葬炉は24基ですけど、構造的には6基ずつをひとまとめにしてそれを4つ配置する構造で、車寄せや告別ホールも4つあり、これで回転率を上げているようです。なお、この構造のため原則友引休日がありません。
三昧などを除けば 関西で『唯一』のロストル式ですね、中央斎場。余談ですが…部分収骨だったら、ロストル式で充分じゃね? って思います。どうせ8割くらい捨てて帰る(骨盤とか大腿骨みたいなゴツい骨は ほぼ拾わない)んですし、骨も細かくなったヤツ拾えば良い…現場サイドとしても手間のかかるキレイさに拘る必要もなし…で一石三鳥だと思うんですがねぇ?日本の葬祭関係は『合理性』のカケラもないよね!
合理性の観点から不思議な発見があるのが、葬送儀礼を含む民俗学の面白さかなとも思います
京都市中央斎場は、ドラマで見た事があります。赤い霊柩車を、見たかったです。
そういえばあのドラマの舞台、京都でしたね
おッ😳京都来てくれましたね✨🫶
そうだ京都、行こう。ということで。
視聴者参加型火葬場めぐりですね^^
とくに大都市の火葬場は、わたしの知識が追い付かないので、皆さんのお知恵が必要です
おはよう御座います萌ちゃん😊蓮華谷火葬場ってどんな建物だったのか見てみたかったですね〜跡地として使われて居る公園に転がるサッカー⚽️ボールがなんか物悲しく感じました。😢
廃止直前よりもっと古い物ですが、蓮華谷火葬場・花山火葬場・東西本願寺火葬場の写真が、書籍「火葬場」に載っています。増設棟と一緒に写っている蓮華谷火葬場、見てみたいです。
場所の説明で金閣寺を挙げてたけど、入り口は、立命館大学前のバス停の方が判りやすかったと思う。
そういえばわたしはどこでバスを降りたのだろう?蓮華谷火葬場跡地と分場のことしか覚えていません(笑)
@@saiba_moe 市バスだと、立命館大学前(火葬場が稼働してた頃は衣笠操車場?)に加えて、わら天神(ここを曲がって立命館大学前バス停に至る)、金閣寺道(近くのマクドが修学旅行でのチェックポイントになってる)のどれかになるはず。昭和末期から平成初頭の学生時代には、立命館大学前のバス停の近くに蓮華谷火葬場のカンバンが残ってたような気がする花山は公共交通機関が近くになかったはず
花山というか、中央斎場は強いて言うと、京阪バス「清閑寺山ノ内町」(バスは日中なら1時間あたり5〜6本)から徒歩約10分ですね。まあ、公共交通で行く人はまず居ないでしょうけど。蓮華谷は、一番近いのは市バス「衣笠氷室町」ですね。(M1号系統のみ)
蹴上!これ以上進め無いのは何故ですか?
この動画では見られない、
現在の中央斎場やそのほか過去施設の写真が載っている資料のリンクを
概要欄に追記しました
京都中央斎場は、とても強烈なえげつない火力で火葬して下さるので、
火葬中の待ち時間も、一時間かかりません。
また、告別室での読経や入炉のお別れも、ちゃんと時間を取って頂き、とても丁寧な対応をして下さります。
現在、火葬場不足で火葬待ちなど、上手く回せていない都道府県や市区町村は、京都中央斎場をお手本にすると良いと思います。
木に囲まれた広場にポツンとサッカーボール1つ転がってるのが寂しげで良いですね。
わたしが訪ねたときは誰もいませんでした。
広い公園なので活用されていると思いますが、実際、どうなんでしょうね
中央斎場は何度かお世話になりました。京都の人が言う「お山に行く」ですね。
それと阪神淡路大震災時、被災地の火葬場が使用出来ずヘリでご遺体を運んで火葬していたと記憶しています。
京都の方は「お山」と呼ぶのですね。
よその地域だと火葬場がある地名(京都の場合だったら「花山」とか)が
そのまま火葬場の代名詞になっている所も少なくないところ、
さすが雅な呼び方をなさると思いました
花山の葬儀場では京都市内のことを「町」と呼んでました。火葬場や花山のことは山でした。
添付資料が付いてきて良かった。
火葬場についてもそうだけどこれからむかえる多死社会や火葬場に於ける他府県の災害対策マニュアルに従った近隣火葬場との連携構築、3.11の時のような炉の限界を超える回転数の炉運転事例など色々参考になる。
古い資料の検索に意識が集中してしまい、
すごい資料があるのに気づきませんでした。
蓮華谷火葬場についてちょっとコメントを頂けたので抜粋掲載
「火葬炉の扉は黒くて「化粧扉」のような感じでは無かったような? 扉を開けると、向うに種火?が見えるくらいなので、扉にも高熱が伝わって来たと思います。」
情報ありがとうございます。
蓮華谷の情報、いまとなっては貴重です
阪神淡路大震災の時には神戸の火葬場では
追いつかないので遺体をヘリコプターで
自衛隊の桂駐屯地まで運んできてそこから
霊柩車で京都の火葬場まで運んで火葬して
いたようですね。
この斎場、ロストル式でありながら1980年の施行時から前室が付いてるのがすごいハイテクですね(東京の某民営火葬場郡も見習え!笑)ただ、調べてみると一般的な近年の火葬場の前室とは異なり、予備室という名称で、あくまで火葬中に次の棺を予備室に待機させて終了後速やかに次の火葬を行うというのがメインの目的だったようです
ロストル式前室ありというのは火葬炉マニアには希少性がたまらないでしょうね
おはようございます。わたしの、母方の、祖母が、なくなった、火葬場でした。50年ぐらいまえです。静かな、感じでした。他の人は、見なかった記憶です。その時は、二ヶ所が、動いてたのでしょうか!今!動いてるとこも、何度か、行きました。前と、違いにぎやかです。まえから、気になってたんです。なくなった火葬場は、て、おもてました。
ありがとうございます。
中央斎場、進んではいけないオーラが確かに感じますね。ストリートビューも看板の少し後で切れました。Googleマップで見るとかなりでかいですね。
突撃の王者、ストリートビューカーすら引き返してるのは笑いましたw
京都市中央斎場の近くには主に皇族や公家の葬送の場であった鳥辺野があり、更に月輪陵があります。
江戸時代には仏教を信仰していた天皇や皇族が中央斎場辺りで荼毘に付されていたのでこの地自体が
三昧場となっていたのでしょう。
歴史的に重要なエリアです。
中央斎場もガード緩めて修学旅行勢含めて受け入れてほしいです(笑)
京都の火葬場と聞いて、高校の古文の授業で「化野の露消ゆることなく、鳥辺野の煙絶えることなき~~」という文が出てきたのを思い出しました。作品の名前は忘れましたが、古文の先生が「鳥辺野というのは永らく京都の火葬場だったところだ」と教えてくださいました。
4分30秒あたりから説明されている京都市中央斎場分場の役割を聞いてなるほどと思いました。いずれ起こるとされている南海トラフ大地震の際に必要となったりしないかと思ったりします。
2004年(平成16)10月23日に起きた新潟県中越地震(中越大震災)の時、大きな被害を受けた十日町市・小千谷市の斎場が使えなくなり、30㎞ほど離れた柏崎市の火葬場で震災犠牲者のご遺体を火葬にしたそうです。
徒然草ですね、たしか。
素人考えですが、人口が多い都市は複数火葬場を設置すべきだと思います
@@saiba_moeさま
リスク分散の観点からも複数に分けるのが理想ですよね!
昔、化野の辺りは火葬どころか普通に遺体が転がってるような所だったらしいですよ。
中央斎場には5回行ってます😮
ここは確かにガードが固いですね笑
90年代半ばに初めて骨上げをした時は友引明けで忙しく冷却がままならなかったのか、お婆ちゃんの焼骨がパチパチと音を立てていました。
焼けた匂いも含めて当時小学生だった自分には強烈なトラウマとなったもんです。
@@AUTOMACHIKU
京都中央斎場は、強烈な火力で火葬して下さっています。でもちゃんと綺麗にお骨を仕上げて下さるのは神業ですね😊
是非宇治市も探索お願いします。過去の記憶とおぼしき場所もあります。
是非!調査お願いします
初コメント失礼します。
最近も使用されたようです。それは東日本大震災で使われたと近隣に住む知り合いから聞きました。しかし私自身事実は知りませんが‥
分場がでしょうか?
わたしが調べたのと違いますね、深掘りしなおしてみます。
情報ありがとうございます
宮型に白い布被せてあるのは時代だなーって思いました( ´・ω・`)
知らないので動画内で触れなかったのですが、
火葬場までご遺体を運んだ帰りだけ、あのようにするのでしょうか?
@@saiba_moe 斎場によるんですが、地域住民からの苦情で宮型の出入りが禁止になってることろが多くて、そう言ったご意見に配慮して布で隠すところがあるそうですノ
京都の宮型霊柩車の多くは白木作りのため、ご遺体を乗せていない時は劣化防止のために布でカバーしています。出棺直前に布を外して、棺を納めて斎場に運び、斎場からの帰りはまた布でカバーします。
@@saiba_moe
最近は大阪でも芸能人(殊に上方落語の噺家)の葬儀の時は、必ずと言っていいほど「白木霊柩車」が使われます。白木霊柩車はメンテナンスをこまめに行わなければならない為車検時に合わせ宮型をバラしてカンナ掛け、彫刻を施して再び宮型を組んでゆきます。最近はめっきり見なくなりましたが大屋根小屋根の「だんじり型」白木霊柩車もありまして、共通するのはご葬家に向かう際には全体を白い布で覆い、雨天の日は塩ビフィルムで覆い、斎場まで送った後は再び白い布掛けをして戻ります。日焼けすると価値が下がるほどデリケートなので日焼けした宮型霊柩車は「塗り」をして紫檀に金具付けをする事になっていましたが、今は手の掛かる宮型を敬遠する向きがあります。数年前に大阪で唯一の白木宮型霊柩車を製造する会社が倒産してしまい。今は大阪でも殆ど見る事が無くなりました。
火葬場の分場ってあるのは初めて見た。
レアですけどほかにもあって訪問済みですので、
動画の公開をお待ちくださいませ
動画ありがとうございます
2ヶ月前に京都三大風葬地のひとつ「蓮台野」を散策した時、この公園も訪問しましたが、中央分場の建物は健在でしたが、壊されてるかも…ですと!
間に合って良かったです
同日、訪ねた「南丹市立美山上平屋火葬場」が無くなっていて落ち込みました😢
分場は廃止されたので建物も撤去されたと思いましたが健在でしたか!
上平屋はそうなんですね。わたしはタイムリープできるのでもしかしたら…(笑)
廃止したとたんに大災害、とかいう法則が発動しなければいいのですが
一ケ所に集中するのはリスクが大きいですよね
とは言うものの、30年以上も稼働していなかったので、今更再稼働するのも色々難しかったようです。
また、中央斎場も災害時対応として通常は都市ガス燃料ですが、プロパンガスにも対応できるようにしたので必要性がさらに低下したというのもあるようです。
おはようございます。
おはようございます!
こんにちは!お疲れ様です。京都市中央斎場って24基も炉があるんですね。さすが100万都市です。
リンク先の資料から色々見させていただきました。東西本願寺が隣り合ってそれぞれ14基ずつ炉があったとか、
まさにライバルといった感じですね。蓮華谷の方も8基もあったとは、結構な規模だったことがわかりました。
写真からみる東西本願寺火葬場や蓮華谷の昔の佇まい、これこそ火葬場!といった感じがして胸熱です。
国会図書館デジタルコレクションで古い資料を探すのが楽しく、
ググるのを失念していました。激アツな資料が公開されてましたね!
初めてコメントさせて頂きます。いつも楽しく拝見させて頂いてます。この斎場は祖母の時に使わせて頂きました。祖父の時は旧斎場でした。旧斎場は火葬する時の匂いが酷くて気持ち悪くなった記憶があります。かなり年季の入った火葬場だったようです。そして新しい火葬場は、10人までしか何故か中に入れなかったんですよねぇ。今はどうなってるんでしょうか?ちょっと懐かしくなり、コメントさせて頂きました。
あの人口規模で(しかも京都市外の周辺の自治体の人も利用しているらしい)、
1施設しかないとなると、入場制限はしてそうですね。
門のガードが堅いのは、不審者除けはもちろん、
1台でも進入する車を減らしたい、というのもあるのかも?
いま、京都市中央斎場のHPを確認したのですが、やはりいまだに10名以内(待合室利用人数)でした。変わってなかった😅そして色々と制約があるみたいですね…。
京都市中央斎場は前室付きロストル式を採用し、更に火葬終了後は炉の後ろから骨受け皿を出して拾骨室で拾骨する方式を採用して、回転率を上げています。(1日最大120体火葬可能)
参列者制限は待合スペースと駐車場の兼ね合いのほうが大きいようです。
火葬炉は24基ですけど、構造的には6基ずつをひとまとめにしてそれを4つ配置する構造で、車寄せや告別ホールも4つあり、これで回転率を上げているようです。
なお、この構造のため原則友引休日がありません。
三昧などを除けば 関西で『唯一』のロストル式ですね、中央斎場。
余談ですが…部分収骨だったら、ロストル式で充分じゃね? って思います。
どうせ8割くらい捨てて帰る(骨盤とか大腿骨みたいなゴツい骨は ほぼ拾わない)んですし、骨も細かくなったヤツ拾えば良い…現場サイドとしても手間のかかるキレイさに拘る必要もなし…で一石三鳥だと思うんですがねぇ?
日本の葬祭関係は『合理性』のカケラもないよね!
合理性の観点から不思議な発見があるのが、
葬送儀礼を含む民俗学の面白さかなとも思います
京都市中央斎場は、ドラマで見た事があります。赤い霊柩車を、見たかったです。
そういえばあのドラマの舞台、京都でしたね
おッ😳京都来てくれましたね✨🫶
そうだ京都、行こう。ということで。
視聴者参加型火葬場めぐりですね^^
とくに大都市の火葬場は、わたしの知識が追い付かないので、
皆さんのお知恵が必要です
おはよう御座います萌ちゃん😊
蓮華谷火葬場ってどんな建物だったのか見てみたかったですね〜
跡地として使われて居る公園に転がるサッカー⚽️ボールがなんか物悲しく感じました。😢
廃止直前よりもっと古い物ですが、
蓮華谷火葬場・花山火葬場・東西本願寺火葬場の写真が、
書籍「火葬場」に載っています。
増設棟と一緒に写っている蓮華谷火葬場、見てみたいです。
場所の説明で金閣寺を挙げてたけど、入り口は、立命館大学前のバス停の方が判りやすかったと思う。
そういえばわたしはどこでバスを降りたのだろう?
蓮華谷火葬場跡地と分場のことしか覚えていません(笑)
@@saiba_moe 市バスだと、立命館大学前(火葬場が稼働してた頃は衣笠操車場?)に加えて、わら天神(ここを曲がって立命館大学前バス停に至る)、金閣寺道(近くのマクドが修学旅行でのチェックポイントになってる)のどれかになるはず。
昭和末期から平成初頭の学生時代には、立命館大学前のバス停の近くに蓮華谷火葬場のカンバンが残ってたような気がする
花山は公共交通機関が近くになかったはず
花山というか、中央斎場は強いて言うと、京阪バス「清閑寺山ノ内町」(バスは日中なら1時間あたり5〜6本)から徒歩約10分ですね。まあ、公共交通で行く人はまず居ないでしょうけど。
蓮華谷は、一番近いのは市バス「衣笠氷室町」ですね。(M1号系統のみ)
蹴上!これ以上進め無いのは何故ですか?