【松本を代表する繁華街だった裏町】昭和の高度成長期やバブル期には客待ちのタクシーがズラリと並んだ繁華街。閉店した店も多く、当時の賑わいは今はありません。かつての賑わいを取り戻すのは難しいでしょう。

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  • Опубликовано: 9 ноя 2024
  • 松本市の「裏町」あるいは「裏町通り」と聞いてすぐに飲み屋街を思い起こすとすれば1990年代に松本に住んでいた方でしょう。日本全国が景気絶好調!松本市もその恩恵に与り、ここ裏町の飲み屋街には連日人が溢れ、客待ちのタクシーがズラリと並んだといいます。
    裏町は、松本の中心部からやや離れています。距離にして約1.4キロ、歩けば20分ほどで行ける場所です。
    松本市をはじめ、このあたり一帯が養蚕(ようさん)が盛んな頃からの歓楽街だといいますから戦前から賑わっていたことになります。
    その後の昭和の高度経済成長期、バブル期なども大変な賑わいを見せました。どの店も人で溢れ、万札が飛び交い、夜な夜な歓喜の声が上がっていました。
    しかし、今はこの裏町にかつての賑わいは見当たりません。
    私が訪問したのは午前中でしたから当然人影はまばらです。感染症の影響もあって「当面の間営業を自粛します」の張り紙が目立ちました。
    それ以上に目立ったのは「貸店舗」や「入居者募集」の張り紙です。何年も入居者が見つからず、そのまま古い看板が放置されている空き店舗も目立ちます。
    かつての賑わいがこの裏町に戻ることはあるのでしょうか・・・?
    おそらくそれは難しいでしょうね。長びく日本経済の低迷、人々の娯楽や趣味の範囲も狭くなり、飲食にかけるお金は確実に減少しています。
    若い人達が駅前の居酒屋で少し飲んで、そして二次会は裏町で!なんてことには残念ながらならないでしょう。
    松本市の歓楽街、いわゆる繁華街や飲み屋街と言われる地域は「松本駅前」と「西堀」と「裏町」の3エリアと言われて時期もありました。
    けれど、西堀と裏町は寂れてしまい、繁華街と呼ばれるほど人の流れはありません。
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    #松本市#裏町#飲み屋街#長野観光

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