歴史に残る伝説級のチート村人3選【正人どん・大一揆の英雄・稲むらの火】
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- Опубликовано: 17 окт 2024
- どこにでもいる村人、伝説の英雄になる!
てなわけで今回は多くの人を救った凄すぎる村人を紹介しますよ!
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#歴史 #3選シリーズ #日本史
副社長が喋った話は元々、子供の時に見てた【まんが日本昔ばなし】にもあるんですよね~
【まんが日本昔ばなし】は昔っから好きで、見たらその後にどこの話なのか?ホントにあるのか?どんな由来があったのか?などなどを調べるぐらい好きでしたw
んで、今回のは番組でも副社長的神回10話のうちの二つを紹介しちゃった感じです!
正人どんは【しょうぜんどん】という回で稲むらの火はまんま紹介されてるので良かったら見てください!少々、違うところもありますが・・・。
ちなみにテレビの【しょうぜんどん】はハッピーエンドで終わるから、後に調べて泣きそうになったのをおぼえてる……まさか【しょうぜんどん】が~(涙
二つともご当地には碑が残ってるのでぜひ行ってみてはいかがですか?
どしどしチャンネル登録、コメ、評価よろです~
日本昔ばなし、そんな見方する子供初めて聞いたw
三つ子の魂百まで、今の片鱗はその時からあったんですねえ👏🏼👏🏼👏🏼
熊本にも通潤橋を作った布田保之助も有名
@@2000me それな
儀兵衛は私財を優先して何もしないって言う選択肢も取れたのに、それを良しとせずに失業者達や被災者の受け皿を作ると同時に子の代孫の代に継がれていく堤防を作っていくというなんとも素晴らしい人だなあ…って。
まさに義の男
何もしなかったら村が壊滅して自分の商売(儀兵衛は商人)も立ち行かなくなると考えたのかもしれんけどね。
まぁそれでも富豪なら土地を移って商売やり直す手もあったわけで、資材投げ売って貢献したのが素晴らしい事には変わりないけど。
昔は大勢いたんだけどね。道路や電気を引いたりして、地方のライフラインは行政より、地元の有力者が私財で行っていたことが多い。
稲むらの火の濱口家はヤマサ醤油の創業家で現在のヤマサ醤油会長も濱口家の十二代目です。稲むらの火の濱口儀兵衛は七代目で代々儀兵衛を当主名とされています。初代は正保二年から銚子で創業しました。
七代目儀兵衛は明治に入って逓信頭(今でいう郵政大臣)や和歌山県会議長を勤めました。
因みにヒゲタ醤油も濱口家の同族で創業は元和二年(大阪夏の陣の翌年)で、こちらは初代儀兵衛の兄が創業者です。代々吉右衛門を名乗ることが多いです。
和歌山の商人が銚子で醤油を作る理由ですが、醤油も鮮度がいいほうが美味しいので西日本の大豆を黒潮を利用し銚子に持っていき醸造して、江戸へ卸すやり方で利益を得ていました。醤油醸造は和歌山の湯浅の技術を銚子へ移入したものです。
ちな濱口梧陵はあのヤマサ醤油の7代目当主ね。当時から大商店だったけど、本店があった江戸も堤防造ってる間に大地震に襲われて普通は堤防造りどころじゃない事態になったんだけどそれでも堤防工事をやめなかったっていうね。なかなかできることじゃないよほんとに。
ちなみに江戸の本店は、その堤防造ってる広村の出身の醤油職人が多かったことから彼らが村のためにとめっちゃ働いてくれて、むしろその年の醤油の生産量がばか上がったそうな。
次からウチで使う醤油はヤマサにするわ。
この人の人生深掘りしてほしい
初代儀兵衛さんが紀州湯浅から大都市江戸の需要が見込める銚子に拠点を移したのが1645年だそうで(たしかに輸送しにくそうな醤油や味噌は作って運ぶより現地行って作った方が断然よさそう)、今でも銚子にヤマサ本社が普通にあるのがホントにすごい(工場見学行きたい)。そのヤマサという社名も紀州の殿様の御座船の旗印「山にキ」と被って畏れ多いというのでキの字を寝かせてサにしたのが始まりとか。で、幕末動乱夜明け前の銚子に12歳で本家の養子となり将来の七代目儀兵衛として修行に勤しむ御曹司濱口梧陵さんは同年代の先進思想を持つ人々とも盛んに交流し開国論にかぶれたあげく進学や海外留学を志願するも呼び戻され泣く泣く30歳で帰郷しこの地震に遭ってしまう。社会事業家としても若き日の交友から中央政界との太いパイプがあり名実ともに地元の一流の名士としての人生を歩むのですが、最晩年になってやっと若い頃の夢を叶えた世界旅行に出かけニューヨークで客死してしまう。波乱万丈の末のなんとも甘酸っぱく切ない終焉。
岩手県民ですがそんな大きな一揆があったんですね!
確かに岩手県は農業には余り向いていないですからね😔平地等ほとんど無いし、寒いし、沿岸にはヤマセも有ります。県の面積は大きいですがほぼ山!少し車で走ると「ポツンと一軒家」見ているのと似た景色を現実で見れます。(笑)キャンプとかサバイバルには向いてる場所は多いのでよければ来てくださいね😁
正人どんは、小学生の道徳の教科書に載ってましたね。
最後が残酷でしたが、それでも子供心に美しいと思ってしまいました。
歴史の陰に隠れている、一般人の逸話も大変興味深く拝見しています。
東北地方のやませ等の冷害は、平成5年にも米不足を引き起こして、外国からの輸入米に頼っていた時期もありましたね。
田舎育ちの子供のころの話なので、当時は全く実感はありませんでしたが。
広川町出身のものです。私たちが「ごりょうさん」と慕うお方を紹介していただいたことに感激しています!
いざという時に動ける男こそ真の漢
あちこちに大人物はいるものですなぁ。
私の故郷にも市川五郎兵衛真親という人が私財をなげうち、下から上に水が流れる水路とか、山を両側から堀抜いて水路を繋げたり異世界チートじみた事をして偉人として今も称えられてます。
こういう村人たちのような人間になりたいです!
いつも自分じゃ知るよしもない話しを
してくれる、ありがとう🙌✨。
自分だけじゃない誰かの為に行動し
命を懸ける話しは目頭が熱くなる~😭
いなむらの火が自分が知ってる話と少し違ってて、今まで知ってた話は小泉八雲が誤解から史実と異なる内容で書いた文章を国語の教科書に載せるために再翻訳した物だったと知ってかなり衝撃を受けた。自分以外にもこの話を小泉八雲バージョンで覚えている人は結構いるかも知れない
庶民の中にもそういう偉人や英雄が居たことはもっと知られるべきですね。今回も為になりました👍
最後の稲むらの火の話は国語の教科書に載ってるくらい有名な話ですよね。ちなみにそれによると濱口儀兵衛は醤油商人で支店を持つくらいの大きい商人だったようです。しかし堤防への諸々の出費や経営が悪化したことで支店が潰れてしまうがそれでも広村出身の従業員と共に一丸となって働き、完成した堤防がその後再発した地震による津波から広村を守ったという話は子供ながら強烈な感動を覚えた話でしたね。
この話、関西では小学生の頃、学校でよく聞かされたなぁ。
懐かしい。
正人どんかっこいいな~
最後の暗殺の件は急に涙出てきました。。。
稲村の火は有名で子孫が醤油メーカーのヤマサなんだよね。
まじすか!ヤマサ買うわ!
マジで!ヤマサ買います!
ものしり、これは文句なくものしり
うちの実家の村だと、飛騨出身の流民「上木甚兵衛」と
その息子「三島勘左衛門」が親しまれていますね。
正人どんのひと鍬ぼりは今でも一部残っていて、農業用水路として使われています。
義民の話は各地にありますよね!正人どんの話は「まんが日本昔ばなし」で取り上げられましたが後日談がこんな悲しい話とは知りませんでした。
ちなみに海外だと有名なのはワット・タイラーですかね。
ありがとうございます!
現在の佐賀県北部、唐津藩で起きた「虹ノ松原一揆」という一揆があります。これは、民衆の起こした一揆にも関わらず、一滴の血も流れずに終結したという珍しいものです(最も、そのあとの藩の不満を宥めるために首謀者が自首して処刑されましたが...)。ぜひともいつかやるで紹介していただきたいです。
副社長ファンです。いつも面白い!
いいお話をありがとうございます
私の故郷にも三橋勘重郎という、お上に意見して拷問の果て死罪になった名主さんがいます。小学生の頃、ご子孫がクライスメイトでした。
これみて35年ぶりに思い出した。
ゲームですがドラクエ6のライフコッド村(現実)の村人を思い出しました。ただの村人なのに終盤に登場するモンスターを迎撃する。
人の生きた証を感じるエピソードで面白いみんなおもしろい!
浜口梧陵は勝海舟の支援者だったり今は県立になってる耐久高校を創設したりただの田舎の商人でなくレベルが違う。
広川町にある稲むらの穂記念館は、町の記念館とは思えないぐらいコンテンツや設備が豪華。
いつも楽しませていただいています!
「ぴろすけ!」「副社長!」のあとに「視聴者!」って挨拶してから見てるわ。
草
ぴろすけ氏のいう事は本当にそうだよな。
少なくとも機械化される前の人間はみんなすごいよ
嘉麻市の隣町に住んでます!
知らなかった!!
身近にこんな人がいたなんて!
やっぱり面白いなぁ😊
人一人に対して一つの物語がある。
100人いたら100の物語ができる。これだから歴史は面白い😊
「稲むらの火」の祭りっていいな
鶴ケ城で一緒に籠城シュミレーションしたかった…😢
幕府まで巻き込んでの一揆に感動した
マジで腐った政治を変えようとしたらここまで
やりきらなきゃダメなんだ
最高に為になった
江戸時代に福岡のうきは市で村を救うために失敗したら磔という条件を持ちながら、大規模な用水路の工事に携わった5人の庄屋も凄いですよ。
どの人も凄まじい侠の純度が高い
社長の3選の話も久しぶりに聞きたいですね
秋月藩は福岡(黒田)藩の支藩だから、黒田藩に強く出れなかったんだろうか。
チート村人まつり。きっと現代に生まれてたら、実家が貧しくとも国立大に現役合格して、完全給付型の奨学金をホイホイ勝ち取るタイプの英才たちだったんやろうな。
10:00の隣の藩に訴えて自分の藩を動かそうとするってのいつぞやの三選で出て来た徳永徳右衛門と同じ手法だ。他にもそういう事例ありそう。
渡辺與八郎さんをぜひ取り上げてほしいです。福岡が発展したのはこの人のおかげです
濱口儀兵衛さんは、ヤマサ醤油のご先祖さんのようですね。
おお、村人!!面白かったで!!(^^)!
「ひとくわ幅…!ひとくわ幅だが…今回くわの大きさの指定まではされていない。どうかそのことをお役人様らも思い出していただきたい(ry
子供の頃岩手県の一関に伯父(従兄弟)がいて「奥州には天国と地獄がある。伊達藩(仙台藩)と南部藩(盛岡藩)」という言葉を聞きました。岩手県は全部南部藩なのかと思っていたら、そうではないと教えてもらいました。
一関(仙台藩領)がもし南部藩領だったら、「人口が数分の一だっただろう」と。62万石の表高の土地を実高100万石を超える米所に変えた伊達政宗の薫陶が行き届き、民を慈しんだ伊達藩とその伊達藩に対抗して見栄を張り領民から搾り取った10万石の南部藩では全然違った政治が行われていたんですね。宮城の人が伊達政宗を尊敬するのがよく分かります。
一関には正式には内分分地の分家の大名が置かれていた
2回あって、最初は伊達騒動で改易された伊達宗勝(伊達政宗の十男)
その後に政宗の正室、愛姫の実家で当時断絶していた田村家を継承した伊達忠宗の三男、宗良の子の建顕が一関に移封され幕末に至った
余談だが、田村宗良は伊達騒動にも出て来るし、田村建顕は赤穂事件で浅野長矩が預けられ切腹させた家の当主、田村右京大夫として出てきます
いつかやるの動画って全部面白そうだから寝る前に見るのは今日で最後じゃ
私の母方の先祖にも、河川が氾濫した時に土地を売って人々を救済した人が居ます。
所有地の(たぶん低い)丘の上に立つと そこから見える範囲は全て先祖の土地だった(たぶん話は盛っている)らしいですが、持っていても後の農地改革で殆ど全部取られていた筈なので、人助けが出来てよかったな〜という話になっています。
母の実家に行くと その功績を讃える石碑の写真が飾ってあります。
一度くらいは実物を見に行ってみたいと思ってはいるのですが…
私の身近にもこんな話がある位ですから、きっと日本には こういう無名の偉人達が あちこちに居るんでしょうね…💧🔔〜🙏。
三閉伊一揆は南部藩が表高10万石から20万石に加増された事も要因に挙げられます
何せ実収入無しで20万石相当の軍役を負担する事ですから、当然藩財政にも影響があり窮乏
おまけにこの地域は連年凶作続きとなったら、一揆を起こすしかないでしょ
12:17年代語呂合わせ:一夜(いちや18)越し(54) 眺むる藁(わら)の 灯火(ともしび)と 八百(やお)の堤は 命の盾ぞ
1847年三閉伊一揆の際の話は、弥五兵衛よりも、安家村俊作の方が知名度あるかも?指導的役割を果たした一人でありながら生き残り、後に北海道開拓に足跡を残した人なので。
私の先祖の兄弟で、食糧危機の時に自分の蔵を開放し、村民、藩に米を配った人がいたそうだ。
穀田屋十三郎も取り上げて欲しいです。映画「殿!利息でござる」の元ネタです。
最後良いこと言うな〜
ボーッと見てたら6:15に笑わせに来たから思わず吹いた
最後に紹介された津波の人って今の醤油のヤマサの(近代的醤油会社を設立した)実質的創業者の祖父に当たる人。
三閉伊一揆は現地の郷土資料館に詳細が掛かれていますよ(一部流れが違う気もしたけど)
ロシア警戒で幕府から色々要求があって盛岡藩も財政厳しかったんでしょうけど、元々色々やり過ぎていたから「三閉伊一揆」が起きた(以下補足)
・一揆衆が掲げていた旗に「小〇」と書かれていて意味は単純に困る
・自分たちを仙台藩編入か天領地にして欲しいとも要求
今回だいぶ毛色が違って面白かった
ぜんぶいい話だった…(;_;)
義農作兵衛が思い付きました
浜口梧陵氏は勝海舟、関寛一の若い頃 の経済的援助者だったそうです。
水争いの話はどこにもあるけど今にも伝えられているのは成功したものだけなんだろうな。地元にもあるけど引いた側は対価として代表者数名が死罪だった。秀吉に聞かれたらしい。「命が欲しいか水が欲しいか」と。
稲むらの火って小学校の時道徳の授業でやったなー
みんなヒーローかっこいい👍
佐倉宗五郎も取り上げてほしいなあ
感動した
この偉人農民も取り上げて
『咽声忠左衛門』
なかなかパンチ効いてますよ
所縁の地はにはダムが出来て
地元の遠足・社会見学スポットです
実話ベースの稲村の火ですね。
91年後に堤防が役立つ訳だから、本当に凄いや❗
稲むらの火 は別バージョンの話もなのかな?「ゆっくり文庫」で見た感じの方が好きだ
正人どん、思ったより近所の人だった。
自分は黒田藩側で水取られた方だけど(笑)
為になるね~
内の地元にも多田嘉助という人物がいて義民の英雄として讃えられてるんだけど悲しい事に知名度がめちゃくちゃ無いんだよね😭
ぴろの髪色、濃くなったねぇ
一揆なら天保の近江の一揆を指導した土川平兵衛も取り上げて欲しかったです。大塩平八郎と同じ時期に藤樹書院で学んでいたみたいですし
正人どん「ひと鍬幅分…!ひと鍬幅分だが…今回まだその幅の指定まではしていない。どうかそのことを諸君らも思い出していただきたい。つまり…我々がその気になれば水路の幅は10尺20尺ということも可能だろう…ということ…! 」
南足柄市の下田隼人もぜひ!
9:49 2ちゃんねらーみたいな団結力あるんだな😅
我が土地にも私財投げ打って開墾するために必要な川を引いた方がいらっしゃいますな
凡人英雄伝説
是非、相馬大作事件をやってほしいです。よろしくお願いします。初期からのファンより。
腹くくった村人は強いですね。
正人どん一家がやられた後、秋月藩の偉いさんは何もしなかったのかな
正人どんのお陰で救われた上西郷ですが、今、嘉麻市の嘉穂地区はどんどん過疎化していってる…
しかし、のどかで、正人どんや後藤又兵衛、母里太兵衛が偲べる良いところなので、これから、正人どんのようなチート嘉麻市民、嘉穂地区人がでて盛り上げて行って欲しいものです。
高額なサンクスありがとうございます😭
活動の励みになります!
いえいえ、最近、非株式会社いつかやるさんの動画にハマってるうちに、チート村人で、地元の偉大な人を紹介して貰っていたので、感謝の気持ちで一杯です❤🎉
これからも、動画楽しみにしています❗️❗️
義民の紹介有難うございます🙏!幕末安政期は、安政の大獄と同時期に大地震も起きたんですね!儀兵衛さんの将来に備えての防災の考え方は見習うべきですね。『盛岡藩』って壬生義士伝の舞台にもなった藩ですかね?大飢饉で沢山の餓死者を出す東北地方は特に悲惨なのに、藩は改革が出来ず一揆首謀者を罰してばかりですね😭。『正人どん』も知らんかった!黒田藩は、遠賀川の治水に尽力したと評価がありますが、支藩の秋月藩には何も支援しなかったのかな?面目を潰されたとして家族迄手にかけるとは。黒田藩酷い!!藩政を支えたお百姓さん・義民の歴史を教えてくれて有難うございます🙏!
伝説になった村人 下総国・佐倉藩にも居ますよ 「佐倉惣五郎」と言い「歌舞伎の演舞」にもなっています。
動画的には、歌舞伎になるほどの伝説の村人の方が、ネタになりますよね。
千葉県民は、小学校の遠足で、全員が訪れるらしいので、県民全てが知っている有名な人みたいです。
しかもその人物は駅名にもなっていますし、住んでいた村も、その村人を偲んで駅名になっています。
純粋な一般人かどうかは別として二宮金次郎やってほしいです
関西民だとやっぱり中甚兵衛ですね
何故かよくわからない自害ってクソわろw
こんなもんあって、盛岡藩よく残ってたな
正人どん、領民殺されて秋月藩は文句言わなかったんだろうか?
正人どんの事績と似た話が、京都市の大原野にも伝わっています。
義民九左衛門頌功之碑、が建てられています。
戦国時代、水不足に苦しむこの地域を救うために、水路を開いたものの、水源から勝手に水を引いた為咎められ処刑されたと伝わっています。
ある意味不思議なことに、九左衛門は処刑されたものの、九左衛門が開いた今里用水はその後も維持されました。
想像するに、水源の争いの熾烈であった当時、為政者としては生産増につながる用水は維持したいものの、水利権を犯したことに対する、水源地地域の住民の怒りは抑え難く、九左衛門の首を取ることで宥めたのではないかと想像しています。
本代です。
ありがとうございます😭
「稲村の火」 昔は近代も私財を投げ出して人助けをした人は、沢山いたけど、今はね。政治家も私財を投げ打って、色々奉仕をしてたけど、法律で出来ないようにしたし、現代に人も心だ狭く・卑しくなって、出来ない風潮をつくっている。「政治家は井戸しか残らない」って時代から、私腹を肥やす時代になったから、例外も少数いるけど。
底辺が偉い人のメンツを潰したら死ぬしかないってことだね
濱口梧陵は堤防もそうなんだけど、そこで終わらず堤防に松を植えさせた
松脂から蝋燭を作るために
堤防作成の際の賃金だけでなく、堤防完成後も産業が途絶えないように…収入が途絶えないように先の先まで見越して動いていた
「インフラ整備はその場しのぎ」とか言う政治家連中は濱口梧陵の墓の埃を舐めるくらいしろや、と、思う
これがNOUMINってやつか(ステイナイトのアサシン並感)😅
稲村の灯は311の前年に自公がこの話を参考に地震による津波と避難、復興に対する法律を国会に提出したんだよなぁ、
当時の民主党が完全無視して、お願いにきた自公議員を罵倒して、そして大震災。
あの法律があったらと思うと泣ける上に怒りがわく。