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機体の旋回性能などもぶっ飛んでたんだろうけど、やはり初期の圧倒的活躍は搭乗員の練度が非常に高かったのも理由だと。
そのようですね
それはどこもそうじゃない?
@@keishuy2235 開戦時の日本軍航空隊は世界的に見てもトップクラスだったんですよ…イギリス首相のチャーチルでさえ折り紙をつけたほどです
@弍號菊水 詳しいね。結局は民間レベルでも高いレベルでいろんなものを作る能力の高さが必要だね。日本はそこが弱かった。財閥レベルではそこそこだったけどその下が弱すぎて、話にならんかった・・・
それ言ってるの、日本人だけです。チャーチルは言いません。
シンプルでわかりやすい。いつもありがとうございます。
こちらこそありがとうございます
@@donttellmearai @大人の教養TV 機械系に、非常に弱いと言う事を露呈している。歴史解説もそうだが、意見≠事実、と言うルールへの違反が若干目立つ。
3:48にある九七式重爆撃機は海軍でなく陸軍の爆撃機です。海軍の著名な爆撃機は一式陸上攻撃機や九九式艦上爆撃機などになります。無礼な指摘で申し訳ありません🙇
無礼じゃないですよ!丁寧な言葉でありがとうございました
@@donttellmearai 少し前に失礼します。陸上攻撃機は海軍、陸上爆撃機陸軍(1部例外あり)と覚えとくといいですよ
変化に対応していくのに、無駄なプライドや思考が仇となるんだなって学べました。ありがとうございました!
歴史から学べることはたくさんありますよね!
零戦崇拝なんてデマで実際には零戦は馬力低い代わりに稼働率圧倒的だったから日本軍支えつづけたんだぞ。アメリカは高馬力エンジンの故障率を大量生産で補い不調な機体を後方に下げても十分な数を前線に揃えてたが日本にそんな真似は出来ない。
@@ys4414 この時代の航空機が一番進歩した。2000馬力は無理な性能ではなく、海外でも同時期主力だった。
@@ys4414 さん 零戦の栄発動機は米軍の航空機発動機の出力とはそんなに変わりはなかったけど戦略思想の違いで大分性能に違いが出ています。米軍は防弾とかの生存性に重点が置かれていましたが日本の海軍機には速力と航続距離の相反する性能を要求されたため防弾等の生存性が犠牲になりました。零戦が強力というのはイブはあっていますがあくまでの経験豊かな搭乗員がいたため零戦の欠点だった防弾性能の低さが表に現れなかったためです。
荒井さんの動画にハマって、日本史の教科書を大学受験ぶりに開いて気付いたら3時間ぐらい読んでました笑 もっと大日本帝国時代の史実を吸収したいです。
このチャンネルはもってこいだと思います!!
零戦の活躍や戦術の背景まで凄く分かりやすかったです!アメリカ軍の戦術の進歩など詳しく解説されていて、とても勉強になりました😃
よかったです!他の動画も見てみてくださいね
アメリカ賢いな。新人をどう使うのか、というのは現代でも学ぶべきものがありますね。
最初は誰でも新人ですからね。
米国の場合、半年程度で「軍艦に乗っているメンバをごそっと」入れ替えます。怪我や精神的に已んでいる者等を補充し休暇を取らせ、別の艦に乗せます。その間は「前の艦は他のメンバーが闘っている」わけです。その為、日本軍は「あの船の指揮官はこういう作戦を取る」と予想していたら、「まるで違う作戦で面食らった」事が多々あったそうです。戦争は外交の1手段であり「通常の交渉の延長」なので、「捕虜になる事も相手の食料を食い減らす作戦」の1つ。特攻隊などは戦い慣れていない国の作戦、想定外と考えているはずです。
ベテラン達の変なプライドが仇になったのですかね…
素人の私にでも分かり易くて良い動画ですね。勉強になりました。
よかったです。今後もそういったのがたくさん出ていくのでよろしければチャンネル登録よろしくお願いいたします
素晴らしい!貴方のように若い方が太平洋戦争の史実を語り次いでいってもらいたい。私は30年ほど前.坂井三郎宅にお邪魔して敵機銃を受けた飛行帽、血染めのマフラー等を見せてもらい、また当然高齢でしたが懸垂も見せてくれました。若い世代に正しい史実を伝えるために是非頑張って下さい。
ありがたいことです。頑張ります!
航続距離が長いことも仇となった、ものすごく長く乗せられ戦いに行かせられた。疲れたところで戦うこともあったと言う
まあ作戦の幅は広がるけどね・・・
とても本格的なご説明だと感心いたしました。零戦の戦いの本質を完全に網羅されています。零戦は単騎格闘戦では、いかなる連合国軍戦闘機にも負けることはありませんでした。これは終戦の年1945年の段階でも同じです。開戦当初は米軍機も零戦に単騎格闘戦で挑んできました。様々な眉唾のキルレシオの記録がありますが、実態は零戦の10対1ぐらいの圧勝であろうと想像します。これは1943年のポートダーウィンでの対スピットファイヤー戦で戦後の両者の被害をカウントし証明されています。この時はオーストラリア空軍はアフリカ戦線でドイツ空軍と戦った精鋭です。ただし、零戦に単騎格闘戦を挑んでしまいました。1942年の実践歴の少なかった米軍戦闘機がこれと同程度のキルレシオで零戦に蹂躙されたことは多分間違いないはずです。当時のキルレシオが1対1.7で米軍機が優勢であったなどと言う報告がありますが、これは絶対に戦果誤認です。しかし、1943年初頭から零戦との格闘戦は禁止され、高速を利用した一撃離脱という平易で単純な攻撃方法を米軍は採用するようになりました。以来、零戦は米戦闘機を撃墜できなくなりました。それ以降は、ご説明のとおりです。零戦は、1942年末には使用を中止すべき戦闘機でした。しかし、残念ながら新手の新鋭戦闘機を日本海軍は開発できませんでした。例えば、陸軍の5式戦闘機のような機体が製造できていれば、米軍も面食らったはずです。3式戦は実用化されていましたし、これに金星エンジンを搭載すれば5式戦ですから、これなら十分グラマンF6Fに対抗できたのではないでしょうか。しかし、最後まで零戦の後継となる艦上戦闘機は出現しませんでした。零戦でF6Fに対抗するには搭乗員に圧倒的な技量が要求されます。日本軍戦闘機で防御力の強力な戦闘機を撃墜することは不可能とまではいいませんが、日本軍戦闘機が撃墜したという米軍機の大多数が被弾のみで撃墜を回避し帰還しています。これは台湾沖航空戦で明らかな証拠があります。しかし、米軍艦載機が東京を襲った時に、もはや日本にはまともに戦闘機を操縦することのできる搭乗員はいないとなめきった米軍戦闘機が、単騎格闘戦を挑んできたため、米軍の被害は続出しています。零戦は僅か一旋回で米軍機の後ろを取れます。ご存知だろうと思いますが、世界で唯一お家技としていた「ひねりこみ」です。決して容易な操縦ではありませんが、繊細な軌道の可能な日本軍戦闘機と格闘戦重視の熟練日本軍搭乗員が可能とした秘技です。ただの一旋回で敵機は先行する日本軍戦闘機の軌道を見失い、背後をとられます。これを米軍戦闘機は戦術によって、無力化していたのですが、甘かったようです。とにかく馬力は無くとも零戦の格闘能力はずば抜けています。これを封鎖するのが米軍の戦術だったのです。そのためには、上昇力、最高速、急降下性能、防御力を最大限に活用し格闘戦を封じることでした。局地戦闘機の紫電改や雷電は制空戦闘機の零戦の代用は無理でした。1943年に5式戦級の艦上戦闘機が運用されていたら、戦局は多少変わっていたかもしれませんし、不可能ではなかったと思うのですがね・・・・・
詳しくありがとうございます
ま、自軍に有利な飛行場上空に立てこもって戦った米軍のキルレシオなどを真に受ける人達は所詮ニワカなのでしょうね。ラバウル上空邀撃戦のスコアでも見てくれれば良いんですけども。金星搭載ですが零戦製作初期からこの構想はあったそうですね。ただ肝心の金星の方が43年時点だと5x型の系列で、余り性能に見るべきところが有りません。この当時でようやく1200HPくらい。なので栄の1割増程度。加えてその当時だと火星搭載の雷電の登場が間近に迫っていたのでわざわざ1割程度の性能アップに貴重な設計陣のリソースは回せなかった、と言うのが実情みたいです。ちなみに金星でイメージされる1500HPクラスの出力と言うのは水メタノール搭載の6x型以降のスペックでして史実だともう少し先になります。そしてその時点になると栄にも水メタノールは搭載され、その技術は隼3型で実現されました。海軍戦闘機の開発、後継機にはこんな感じで、雷電の開発遅延の影響が常に影をおとしていると言う印象です。国力の限界でしょうか。
@@shuichiikeda340 結果論ですが、誉は信頼性と整備性に問題があり、火星は局地戦闘機雷電に使用されるも安定して運用されるのは1945年の本土空襲迎撃戦となると、消去法で制空戦闘機には、金星エンジンしか残らないということになると思います。実際に金星エンジンの零戦は僅かな機体が1945年に存在しましたが、この頃になると52型丙以降の重武装、重防弾装備ですので、多少の馬力アップではどうにもならず、実際に搭乗した経験者からも「もはや零戦の面影なし」の感想を残されています。当時の日本の工業力では、それが限界ではないかと思います。また、多少性能が劣っていても、生産能力あれば数で圧倒することもできるのですが、1944年以降日本軍は航空戦で日本陸海軍航空隊は、ほぼ完敗となり、航空戦だけなら日本軍は終わっていたと言えます。それでも戦争を止められなかったのは、多くの占領地を持ち多くの守備隊を投入し、沖縄戦まで激烈な陸戦が継続されたからだと思います。制空権に関しては1943年末には奪回不可能であったので、ジリ貧は確実であったのに、一度始めた戦争は終わらないのです。
零戦はまさに「桜散るだと思う」一時的に圧倒的な強さを誇り、最後には没落機として特攻していくから
それが日本人を惹きつけるんですかね
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@@donttellmearai 圧倒的な強さ、ではない。速度は劣り、海外は同じ旧式機でも2000馬力級に強化された。
@@donttellmearai 日々進歩する技術の中、トレンド通りか若干上回る程度。中小国が開発から尽く脱落して行っただけ。
ほほう、零戦をテーマに上げられましたか。私は父が旧海軍の航空隊にいたので、零戦にも大変興味があります。零戦は調べると、なるほど傑作機と言われるだけの事はある。と思わされます。開発当時は千馬力にも満たないエンジンにも関わらす最高速度は500キロを超えてましたし、燃費を減らすために、エンジンの回転数を出来るだけ一定化し、プロペラを可変ピッチ式にしたり、空気抵抗を減らすために、沈頭鋲を開発したりしましたね。細かい事ですが、戦闘機にドロップタンクを着けたのも、一つ前の、九六艦戦が世界初で、同じ設計者の堀越二郎さんが考え出しています。一番驚かされたのは、操縦装置で、伸縮性あるワイヤで操縦かんと舵を繋ぐことで、低速から高速までの舵の利き方の変化を無くしてました。当時、世界の戦闘機が空戦速度の時速300キロで一番舵が良く利くように設定するしか無かった事を考えると、かなり画期的な装置たったと思います。アリューシャンで捕獲された零戦三二型ですが、米国は零戦の徹底した軽量化に衝撃を受け、F8Fベアキャットを開発します。因みに、ほぼ日本で産まれた技術で造られた零戦ですが、プロペラだけは、アメリカのハミルトン社からライセンスを買ったものでした。そのアメリカと零戦は主に戦っていたとはちょっと皮肉な感じです。兵器だから、余り賞賛すると、ちょっと心苦しく感じてしまうのは、日本を卑下する教育を受けた世代だからですかね?まあ、日本は、ミッドウェーの前に、当初の予定通りに講和に持ち込んでいれば、良かったと思います。あと、ヒトラーがフィンランド、ハンガリーと連合して、ソ連に攻め込まず、日本の考えていた日、独、伊、ソの四か国同盟を結んでいれば、アメリカも戦争に参加しようとは考えなかったのでは? と思います。
すごい!!お詳しい!勉強になりました
昨年の末頃、つべに「零戦 世界最強の伝説」という動画がアップされている事に気が付きまして、そこでは4回にわたってけっこう詳しく取り上げられていますが、書かれている事とだいたい同じようなことを動画でも語られていました。F8Fの話は、確か「零戦 世界最強の伝説」に無かったので新たに知ることができました。まあ、事実は事実として認められないとどこかの国のように話がおかしくなっていきますので、「賞賛」もこの場合事実として受け入れられていいものと考えます。私も戦後教育を受けた人間ですが、ぼーっとしていたのであまり染まらなかったのかもしれませんw
長文乙。とはいえ、にわか臭がして色々突っ込みたいけど、とりあえずアリューシャンで鹵獲されたのは二一型。
そもそも圧倒的に力のある相手に不意打ちかましといて、早期講和なんてできるわけがないし、史実もそうはならなかったろ。のび太が昼寝してるジャイアンの頭を蹴とばして、無事に済むと思ってるならおめでたいとしか言いようがない。ぼこぼこのギッタンギタンにされた挙句、ドラえもんに『君は実にばかだなあ』といわれるのがオチだぞ。つまり、山本五十六は小学生以下のバカだったってことだ .
そういえば山本五十六も「防弾性能を向上させると機動性能や運動性能が低下する」として反対し、防弾性能の必要性について疑問視していた。
日本の場合は資源やエンジンという面でも防弾性能を高めるのは難しかったというのがありました。あと、日本軍の小失敗の研究(著者は三野正洋氏)という書籍がNF文庫から出ており、そこに装備や兵器の標準化の失敗というものが挙げられていました。ドイツがバトル・オブ・ブリテンで爆撃機を損耗していき、戦略的には敗北した理由の1つとして護衛戦闘機の性能があったかと。護衛戦闘機の航続距離が短いため、北部を攻撃しようとしても爆撃機だけで編成することになるため、待ち構えている英国航空部隊や対空迎撃用装備による被害が大きくなり、制空権を確保することもできず、海軍力では完全に負けているドイツはアシカ作戦も断念せざるを得なくなり、じり貧による負けが見え始めていたのですよね。
次回めちゃ出てきますよ!
アメリカが防御板の必要性に気が付き、適応したのは、エンジンの開発なども進んでたからだと思います。日本はあまり安定したエンジンが作れずにいたせいか、速度が落ちるのは、やはり避けたかったのかもしれません。
なるほどそうだったんですね
エアレースをやっていた国ですし、合理的な設計で大量生産が容易な兵器を合理的に運用していましたからね。多少の性能低回も、物量があれば問題ありません。
質より量
日本でも防御版装備の話がありましたが、源田実が日本には大和魂があるじゃないか!攻撃こそが最大の防御だ!航続距離や武器を少なくしてまで防御など頼る必要などない!という言葉で一蹴されました。
分かりやすい動画でした。シェアさせて頂きます。ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました。チャンネル登録しておいてください
勿論チャンネル登録しましたよ。
なるほど、勝つために、絶え間ない研究があったのですね。
零戦は、前から興味を持っているものでした。詳しい説明、ためになりました。
よかったです!!
すばらしい動画です。零戦の翼の意味がわかりました。
ありがとうございます!わかってくれて嬉しいです
日本人は属人的というのか手練れたプロのプライドが高すぎるし、トップは任せると指示しなくていいから任せっきりになる。アメリカはそのあたりの割り切り。勝ちにこだわる姿勢が素晴らしい
97式重爆撃機は陸軍機です。海軍での爆撃機の定義は急降下爆撃ができるかどうかです。 爆弾を積めるから爆撃機というわけではありません。因みに防弾板の研究は海軍より陸軍の方が進んでおり、零戦と同時期に正式採用された1式戦闘機隼には防弾装置があり運動性能は零戦と同等でした。零戦が長く使われた理由は後継機の仕様書に振り回され詰込みすぎての開発の失敗にあります。ついでに、零戦が登場する以前の戦闘機は96式艦戦とこれも飛び抜けた格闘性能を有してていました。他には95式水上偵察機など偵察機が戦闘機の代用として空戦をこなしたり、太平洋戦争序盤では零式水上観測機が米のP-40ウォーホーク戦闘機を撃墜したりと零戦の影に隠れた機体があります。
そうなんですね!詳しくありがとうございます
1930年代後期は日本の航空開発に火がついた時代でその前の日本の飛行機は主にイギリスの輸入にたよっており日本独自の開発があまりされていませんでした。そこで日本は自分たちで開発するぞー!!と開発が始まりました。その中生まれたのが九試単座戦闘機です。九試単戦は零戦をのちに設計した堀越二郎技師が設計し当時の戦闘機の世界水準を遥かに超え日本の航空技術を世界に知らしめました。そこから三菱(九試単戦を開発した会社)中島などなど大企業が戦闘機の開発を行い中島では九七式戦闘機という旋回性能が化け物レベルの戦闘機を開発し九七式戦闘機はノモハン事件にてソ連の戦闘機を圧倒し日本は最強でした。この当時の日本は前の外国製の戦闘機から国内で一から開発がおこなれるようになりました。この時代を九七時代と言います。九七時代は日本軍の航空技術が世界に追いつくどころかそれ以上の性能を叩き出しました。ですが大東亜戦争の前半こそ日本の得意な格闘戦をして戦果を上げていましたが徐々に戦術は一撃離脱といった戦法に変わっていき日本の得意とする格闘戦は時代遅れになりました。日本はそう言った戦術の移り変わりにうまく乗れず零戦などの戦闘機は連合国の戦闘機に圧倒されていきました。もちろん日本軍はそう言った連合国の戦闘機にも戦えるような戦闘機(例、雷電、紫電、疾風などなど)を開発していきましたが時はすでに遅し、、日本は敗戦しました。こうして日本は航空開発の幕を下ろしました。ちなみに先ほど例に出した疾風、紫電はかなり強く連合国の戦闘機を圧倒しましたが登場が遅すぎたため特に戦果も出せず敗戦しました。(紫電は本土防衛戦で活躍しました。有名なのは三四三航空隊です)長くなってしまいすみません、、でもこれでも短くまとめたので読んでいただけたら幸いです、、、
もっと長くしてもらっても大丈夫ですよ!
中国大陸での戦闘機の役目は、爆撃の撃墜に上がてきた敵の戦闘機隊から爆撃機を守る事が目的だった。だからゼロには爆撃機に同伴可能な航続距離を求められたと記憶しています。
日本くらいです。後続距離重視は。
何年か前東京に遊びに行った時、靖國神社にある博物館に行って零戦の52型を見に行ったぜい👍東京見物の最後に「ごまたまご」買って帰りましたよ。
ごまたまごはセンスある
特に関係ないけど零戦のフォルムが普通にカッコいいし、好き
かっちょええです
@@donttellmearai チャンネル疾風を見て欲しい。荒井さんは歴史解説する分には文句がないが、機械類知識は非常に乏しいと感じる。
その見解は正しい😊✋飛行機というのは性能のいい機体ほど綺麗というか格好いいものである❗😊✋
@@hosoyalaurence 東大卒を僻むわけじゃないけど、世間知らず教科書の中身しか知らない外人が来たら逃げる 英語喋られないので
ありがとうございました。勉強になりました
こちらこそご視聴ありがとうございました
機体の防御性能を高めたり、大きさが大きくなるほど、重量はもちろん重くなります。そこで、日本軍とアメリカ軍で発想が大きく違っていたのです。日本軍の場合、大戦後期まで高馬力のエンジンを作る技術がなかったので、速度を出すにはゼロ戦のように機体を軽量化したり、防御性能を無くすしかありませんでした。対して、アメリカ軍の場合は、高馬力のエンジンを作る技術があったために、速度はエンジンでカバーできるので、防御性能が高くすることができるのが強みだったと思われます。長文失礼しました。
なるほどエンジンがキモだったんですね勉強になりました
613 Metropolitan 残念ながらその日の撃墜戦果は多くが誤認だそうです。戦後の調査で米軍側と付き合わせると、せいぜい15機くらいの戦果。343空の方もほぼ同数の損失を被っているので実際には相討ちくらいの戦果でした。ただ米海軍側も紫電改の精強ぶりは認めていて、強敵の出現と記されています。現存機の搭乗員はあの、武藤金義氏であった可能性が、示唆されているそうですね。合掌
@@shuichiikeda340 防弾の良い米軍機は、少々被弾しても自動消火して帰還できるからね。煙を吐いて急降下で 離脱する米軍機を見て撃墜したと思っても仕方ないよ。
初心者にも分かりやすく、平たく押し並べて説明したつもりが、観にくる人は、ガッチガチのミリオタさんたちだからコメント欄がすごい。個人的には台南空時代の坂井三郎さんが写真で出てきたのが嬉しかったです。
ミリオタに刺さって恐縮です
最初から完成されすぎていたから、なかなか新しい発想を取り入れられなかったんでしょうね
なるほど、人間の性ですね
見事な説明ですね、感心しました。特に、日米の戦術の違いや教育に対する違いの説明は興味深く分かりやすかったです。技術は見て盗め!が日本人の教育でしたが、盗む前に戦死してしまい経験を生かす事が出来ませんでしたね…😢
海軍の日陰者と言われた戦闘機に大和を沈められるなんて皮肉だな。
まったくです
でもまぁ、五十六の言った通りになった
沈めたのは雷撃機の魚雷によるものが一番大きいですね。実際には艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上雷撃機による攻撃です。まぁ大きな意味で言えば雷撃機も戦闘機の枠に入ると言えば入るけど。
零戦についての情報は沢山あるのですが、日本が劣勢になってからの零戦に対するアメリカ軍の作戦対応は初耳でした(急降下して打って逃げるを徹底)零戦は良くも悪くも大東亜戦争そのものだったのですね。
そうかもです
一撃離脱戦法ですね。
アクタンゼロについての説明はあった方が分かりやすかったかもしれないですね
当時零戦と連合国機体とのドッグファイトがみれたのは羨ましさを感じる。
曲芸飛行が得意なのでベテランが乗らないと駄目なのは、「頭文字D」のAE86と同じですね。
凄い分かりやすいです。チャンネル登録しました
良かったです!他の動画も見てみてくださいね!
零戦てボクシングで言ったらスタミナあってフットワークとスピードとパンチはあるけど、ノーガードで戦う、攻撃は最大の防御みたいな感じの選手と一緒ですよね❗
うおーー
20mmの装弾数で言うとフットワークはそれなりに長くできるけど強いパンチを継続して出せないよ(これは月月火水木金金のパイロットに限る話)それと零戦自体高速な格闘戦になるに連れて米機より不利になるからね(某猫には時速230マイル、カーチスには275マイル)、まぁ軽やかなフットワークは上手でもキレのあるフットワークとかには追いつけないって感じかな、
名古屋市港区の三菱大江工場で作られた零戦(レイセン)は牛車に乗せられ、岐阜の各務ヶ原に運ばれて飛び立ちました。陸軍機は確か鈴鹿まで牛車で、理由はトラックで運ぶとリベットが緩むから。この話は悲しいけど、興味が有ったらネットで調べて下さい。私の母校は戦中は飛行学校で校歌は古関裕而作曲、ちょっとだけ誇らしい。
よく調べてみます
有名な話ですよね。あんなに洗練された零戦が牛で運ばれる…滑稽ですよねw
私は零戦(ゼロセン)より零戦(レイセン)って言います。よく零戦カッコいいよなって言ったら、え?冷戦?って言われる、、、
当時もゼロ戦と呼ばれていたらしいですよ。敵性後とかではなくゼロが一般的だったんでしょうね。
りょうしん さん朝日新聞かなにかの報道以降の話ですね。一般的になったのは。
零戦って工業製品と言うよりかは美術品の様な美しさですね〜
なんともいい表現です
工業製品+芸術品=工芸品ですね!
一部の海軍超エースがあからさまな格上戦闘機相手に撃墜スコア稼いでるの見てると戦闘機としてのクオリティは相当高いんだろうなとは感じる50キロも相手と速度差あると自分がバックしてるように感じるという世界だからな
ジブリ映画『風立ちぬ』より、カプローニ伯爵の「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、美しい夢である」というセリフが大好きでしたね。零戦は世界一美しい飛行機だと思ってます。実用的、機能美を極限まで追求した結果、あのような完璧なフォルムが出来上がったんですね~
なるほど
一撃離脱方法でしたっけ?わかりやすい動画でした!
良かったです!
ゼロ戦の栄光と悲劇が当時の日本の考え方や状況そのものを反映しているのが興味深かったですゼロ戦の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争が戦略0の特攻に使われ結果、無(0)条件降伏で終わったことも皮肉な暗示のような気がしてなりません😢🙏
いつもありがとうございます。アメリカはVT信管の開発に成功したのも、防空能力が大幅に上がり、対零戦の戦闘を有利にした一因だと思います。
その通りだと思います!どこかの動画で解説した覚えがあります!
@@donttellmearai 素早い返信、ありがとうございます。
3分50秒あたりの九七重爆は陸軍機ですよ!あとゼロ戦の機体を軽くしたのは、上昇力を上げるためもありますが、エンジン馬力が低かったのも理由です。あと補足ですがアメリカの場合は最初から機体がとても頑丈に作られていました。17分あたりのワイルドキャットはゼロ戦とほぼ同時期に作られた機体です。ゼロ戦を研究して作られた機体としては後から出てくるヘルキャットやベアキャットです。とても分かりやすくて、知識ない人でも理解できる動画になっていたので良かったです!ありがとうございます。そもそも物量(工業力)が違いすぎたのと、パイロットを重んじるキリスト教国家のアメリカと、パイロットを特攻に行かせるくらい大事にしない日本では戦術が違いすぎて勝てなかったと思います。早くゼロ戦の後継機を作って戦術を変えたら勝てたんじゃないかと自分は考えます。
ご指摘ありがとうございます!その通りです。訂正いたします
なにもアメリカは人命を大切にしていたわけではなくパイロットを育てるのに莫大なお金と時間がかかる事を合理的に理解していたのです一方日本は伝統や周りの目を気にするあまり上司の理不尽な指示を拒否する事が出来ずに特攻をしてしまい大切な人材を擦り減らしてしまいました
おっしゃる通りですね元々中国の持ってたソ連製SBに追従出来る為に要求された性能で乗せれるエンジン性能の限界で軽量化だったと記憶してますまた優秀な航空機ですが神格化される程の戦闘機では無いと思います
いやいや、月間正規空母のアメリカ相手では、国力が違いすぎて何をやっても勝てません。根本的に真珠湾を攻撃した事がすべての間違いです。
いつもわかりやすい解説ありがとうございます😊
こちらこそご視聴ありがとうございます
当時アメリカ、ロシアも空軍なかったです。アメリカ空軍が設立されたのは太平洋戦争後に陸軍航空部隊がそのまま独立して空軍になりました
そうなんですね
チャンネル登録しましたこれから全部拝見していきます
全部ですよ!!
陸軍の一式戦闘機もお願いします。零戦のおかげで影は薄いですが、零戦以上に面白い戦闘機です。
三式戦闘機もカッコいいですよね
調べてみますね
大人の教養TV Wikipedia
加藤隼戦闘隊
@2 takauji 液冷エンジンの数が揃わなかったですからね
二機一組をロッテ、三機一組をケッテと言います。ロッテ編隊2個による4機編隊をシュヴァルムと言います。海軍はケッテを採用していましたが後に二機一組のロッテを導入しています。一方、陸軍は元からロッテ方式を導入し実戦での普及は昭和17年後半と海軍より早いですね。
そうなんですね!物知りですね
で、日本は3機編隊
@@vanillaessence1575v字の方が初心者からすると連携がしやすいんだよ確か(イギリスも初期はパイロット不足で練度的にロッテは不可能だから3機編隊だった)
圧倒的に紫電改派の軍艦オタクです
良いことです
@@donttellmearai 零戦二一型A6M2白派です。
圧倒的コルセア派です
戦闘機というか一式陸攻好きです
紫電改は、誉エンジンで、性能も良かったと聞いていました。防弾設備、自動消火装置もついていました。
足場がいいとこまではリールも外しておいた方が安全です!その方が身軽です。大事なリール傷つけないように!
零戦が何の目的で作られ、太平洋戦争でどのように活躍していったか面白く分かりやすかったです!もし宜しければ陸軍の一式戦闘機「隼」もよろしくお願いします。同じ時期に活躍していた戦闘機で見た目はそっくりですが、機体の構造が全く違いお面白いと思います。因みに連合軍から最後まで危険視されていた日本の戦闘機は隼だったらしいです。
興味深い!!
一式陸攻、防弾板、ワンショットライター うっ頭がっ
一式陸攻の防弾が弱い、というのはちゃんと理由があるんですよね。というのも、あの設計は日本の短期決戦作戦に基づいて作られたんです。「占領した敵基地に素早く、柔軟に配備するため他の能力をある程度犠牲にしつつ、航続距離と速度を優先する」というコンセプトで設計されたために、防弾がかなり簡略化されたとされています。戦争をさっさと終わらせるのであれば、長い航続距離と速度でいろんな基地にすぐ配備できて敵の準備が整わない早期に殲滅することができたのでしょうが、長期戦になってしまったので...
うーん。日本の戦略は最初から長期持久戦戦略(陸軍が主導)であり、対して海軍としては短期決戦早期講和しようと考えており、日本国として正式採用された戦略も長期持久戦ベースに短期決戦早期講和が乗っかっているという。どうにも統一感が無いというか、後々まで溝が埋まらないというか、いざ戦争となったら軍と政府で互いの意思疎通や足並みを揃えるのはとても大切なことになりそうなものなのですが。
山本東亜局長 あっそうです、短期決戦思想は海軍のものでした あたかも日本の軍全体の理念であったかのように記述してましたね、失礼しました
空軍作ろうって話はありましたよ。イタリア、フランス、イギリスで空軍作ってましたので大日本でも作ろうって話になり陸軍から海軍にオファー出しました。お互いの航空部隊を統一して空軍作りましょうって申し込んだけど海軍が嫌がったみたいで結局空軍は幻になりました
旧日本軍で空軍がなかったのは、大日本帝国憲法と陸海軍による縄張り争いが原因です。大日本帝国憲法との絡みは、第11条に『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』とあるので空軍の設置には憲法の改正が必要だと唱える人がいました。そして陸海軍による縄張り争いは、当時のたいていの国の空軍が陸軍航空隊を経て独立したものであったり、陸軍の機関が設立に関与したものだったので、陸海軍という派閥に陸海軍と同格の空軍という陸軍よりの新たな派閥が現れるのを海軍が嫌ったという経緯があります。「陸海軍の航空部隊を統一して空軍を創設しましょう」という案はイギリスで実際に試されたのですが、運用の問題で失敗に終わり、海上航空部門はイギリス海軍の管轄に戻りました。
「やはり零戦(レイセン)は この21型(ニイイチガタ)につきる!チビですばしっこいコイツは まさに日本人そのモノだ!」漫画『ゼロセン』より
すごい漫画
九七式重爆撃機は日本陸軍の爆撃機だったそうです。それにしても海軍の零戦ってかっこいいですよね!
そうなんですね、戦闘機かっこいいです
自分は二式飛行艇が好きです!
なんでですか?
@@donttellmearaiやっぱり時代背景、運用用途はともかくカタログスペックが高くてカッコいいからじゃないですか?。まぁ艦隊に単機で殴り込みという運用予定で作られたモノであまり実戦では予定どうりの運用はできなかった事実はありますがカタログスペックが高いのはたしかです!
今度、終戦まぎわの戦闘機、紫電改のことを、お願いいたします。誉エンジンが、とてもいいエンジンでしたが、故障もありました。防弾装備が、ついていました。B29さえ、互角に闘えました。局地戦闘機でした、検討して下さい。
調べてみますね!
日本海軍もゼロ戦じゃ米軍のF6Fワイルドキャットに全く歯が立たなくなり次世代戦闘機を開発してましたが何かしらの理由で結局最後迄ゼロ戦で戦い続けましたね
F6Fはヘルキャット ワイルドキャットはF4Fですね
司令部的にはすぐにでも新型機の開発を依頼したかったのですが航空機の心臓とも言えるエンジンの開発に手間取っていたのですね結果零戦の後継機は十七試艦上戦闘機、いわゆる試製烈風まで待たなくてはいけなくなりました(零戦の試作機は十二試艦上戦闘機)
そもそもデータ的な事を言うと条件によってはワイルドキャットにも曲がり負けちゃいますからね(そもそもこの猫含め米機以外と曲がる)確か信憑性はあまり高くはないけど米軍データのキルレシオをみるとかなり初期から米機が零戦を押してますし、
名機ゼロ戦は説明するとキリがないですね。世界初の超々ジュラルミンを採用して軽量化させたし。翼面荷重が相当軽くなった事もあって格闘戦が強かったですね。芸術的戦闘機だと思います。
ロマンはあります
ちなみに陸軍にも航空隊はありますし 隼とか飛燕も有名です あと日本軍最強戦闘機はやっぱり五式戦闘機か紫電改だと思います
最強ですね
最強は紫電改ですかねーやっぱり!飛燕はエンジントラブルがなければねー。
生産機数と安定した運用で考えると、2000馬力級戦闘機の中では陸軍4式戦疾風が一番だと思います
kawasaki1164 さんあー「疾風」がありますね。運用面や生産機数なども含めればそうかもしれませんね!
海軍の最高傑作機は紫電改陸軍の最高傑作機は疾風
五十六の焦りとアメリカ側の戦闘機の変化複数での戦闘の不利そして、アメリカ側の傍受…そりゃ、ミッドウェーの戦いだと負けるわなやっとこれで、負けた要因が分かるね花火もそうだけど近くで見ると分からないけど遠くから見ると見方とか明白になってくるね
ミッドウェーもまたやりますね!
@@donttellmearai ありがとうございます!!!!!まだ、高校生という身分ではありますがとても、勉強になります学校では習わないことは独学で勉強してたりしてますがこれが、正しい、これが間違いとか曖昧すぎてどれを信じればいいのかって思ったりしますが、主さんの動画で、○○人物はこう言う人だよこんな人だったよってのを紹介してくださると当時の戦争状態が明らかになってきたりするのでありがたく思います!本当に伸びるべき存在だと思います!動画投稿お疲れ様です!楽しみにしてます!!
当たらなければ、どうってことはない。→シャアの名言を具現化した機体。百式みたいだな。
そうなっちゃいます
逆だよ。逆。時系列からしてもガンダムのが後。シャアの名言を具現化した、じゃなくシャアの名言として具現化したが正しいんだよ。
@@donttellmearai 赤い彗星って、Me163ですよ。1号機は赤だし、本当にB−17の「3倍の速度」のコメート(彗星)だった。ザクも、ドイツ酸素マスクみたいな見た目。
@@donttellmearai 米王手ドキュメンタリーでも、「B17の3倍の速度」がキーフレーズ。
山本五十六のアドバイスを聞いて、最初からアメリカ(+ヨーロッパ諸国やソ連も)とは闘わない選択をしていたら良かったのに。。
ゼロ戦は当時としては、海軍の無茶ぶり(運動性能・最高速度・航続距離・空母に載せる為の大きさ制限等)を、機体設計やエンジンの技術者達が技術者魂に火をつけ、海軍の無茶ぶり要求をも上回る性能の機体を造った最高傑作❗😁✋
ロマンあるよね
搭乗員の保全を無視してな!
ゼロ戦は急降下が苦手でしたね。機体があまりにも脆弱で急降下しすぎたら空中分解する恐れありました。アメリカはそれに気づいてバッグをとられたら急降下して逃げたら相手は追いついてこれないって自軍のパイロットに指導していたみたいだよ
すげーそうだったんですね!!
有名な話ですね。操縦するパイロットにかかるGも過大で、急降下は失神の懸念もあって困難であったと言います。
ゼロ戦の機体構造の脆弱さに関しては、主翼のフラップ部分に赤線で範囲を示して『ノルナ』と書かれていたことからもわかります。
ゼロ戦の成り立ち風立ちぬ見ました😃
めいさくですやね
動画関係ないんですけど、今年高校受験があるんですけど、今はどういう勉強すればいいですかね???
高校受験が自分にとってどう言う意味があるのかそれを真剣に考えてください
零戦にかわる時期戦闘機が早く欲しかったですね。紫電改などが出たときには、もはや手遅れでしたから。その後の試作機も大量生産できる段階で作られたならもっと戦い方があったかもしれません。ま、戦争の勝敗は日本の作戦や人選そのものに色々難があったと思いますが…ま、零戦だけの話に戻すならドックファイトならどこにも負けない戦闘機だったと思います。
それができたら
ゼロ戦は、最初は、性能も良かったのですが、アメリカ軍から、捕獲されて、研究され、軽い戦闘機でしたので、アメリカ軍は、ゼロ戦は、長い航続時間でしたが、アメリカ軍は、グラマン、ゼロ戦を上回る戦闘機が、作られて、ゼロ戦は、撃ち落とされてしまうと、なることを本で読んだことがあります。終戦まぎわになつて、紫電改と戦闘機が、アメリカの戦闘機を撃ち落とす戦闘機がやつとでたと言うことでした。
そうだったんですね!教えてくださってありがとうございます
投稿者さんにとって恐らく大戦機は専門分野で無いにもかかわらず、ゼロ戦の長所、短所、栄光と没落を簡潔、かつ解りやすくまとめた良動画だと思います。特に100体100で石を投げあう例えはうまいと思いました。ただ「ベテランが足を引っ張られるから新人と足並みをそろえるのを嫌がった」という話は自分は初めて聞きました。無線が通じにくく、連携がとりにくいため個人技に頼らざるを得なかったという話はよく耳にしますが・・・もしよろしければ参考にした資料などお教え願えないでしょうか?
概要欄に参考文献があります
ベテランが新米と作戦行動を共にするのを嫌がるのは当たり前の事。日本人皆んなが一枚岩の如く、仲良くしてたなんて幻想抱くのはやめなさい。
桁違いの工業力を持つアメリカはともかく、日本の陸海軍はいろいろな航空機をつくり過ぎ。陸軍も零戦を採用すべきだった。そして空母の索敵も零戦を使えばよかった。97艦攻では敵機に見つかればやられるから及び腰。零戦なら航続距離も文句なし。ミッドウェイの悲劇もなかったかも。零戦の決定的な欠陥は基本設計に無理があり過ぎたこと。スピットファイアやメッサーシュミットMe109は、モデルチェンジで性能をどんどん上げたが、零戦は52型でもあまり性能は向上していない。後継機の開発遅れも酷かった。疾風をモデルにできなかったのか。元を辿れば、犬猿の陸海軍が元凶で、アホな対立が亡国の原因のひとつですね。マシーン的には、モーターライズの生産経験の日米差が決定的。零戦のほか、多くの戦闘機がB29の高度まで上がるのに馬力不足で、速度も劣っていた。20ミリ機銃も、弾数は少ないし、カーブをしながら飛ぶので扱いが難しい。12.7ミリ四丁のほうががよかった。
陸軍と海軍が仲悪かったのがホントくそ
索敵機は、復座以上でないと運用出来ません。
確かにそれはありますが、97艦攻でびくびくしながら偵察するよりは…と思います。敵艦隊発見と空母の有無くらいはひとりでも可能ではないですか? そういう柔軟性が日本には欠けていたと思います。また後年ですが、ラバウルで複座は完成されています。本土で早くから着手していればはるかに早くできたでしょう。いずれにしても97艦攻よりマシだと思います。
@@ダルヴィーシュ見習い それだけじゃない。米軍の索敵機は、敵発見を普通文で発信するけど、日本は複雑な暗号文にして発信する。打つのも解読するのも時間がかかるし、雑音だらけの日本の無線では間違いも起きる。
戦闘機 ファイター 頭文字はF攻撃機 頭文字はA爆撃機 頭文字はb輸送機 頭文字はC練習機 頭文字はT
常に合理的であることがいかに大事か分かりますね。日本は今も昔も情や序列やメンツが邪魔をして悪手を放置する癖が治りませんね。。
うーん非常事態には狂気も重要かと思うおいらです(ひろゆき風)
零戦はその長大な航続距離が特長に挙げられますが、生身の人間が操縦するという基本的な視点が欠けているのでは。高速道路を1時間走っただけでも結構気疲れしますが、その数倍の時間を常に緊張しながら飛行し、激闘の後、また数時間かけて帰投してくる・・・。車なら疲れれば路肩に停めて小休止できますが飛行機では・・・超人的な技量を持ったベテラン搭乗員だからこそ乗りこなせたのでしょう。
知識不足ですみません。零戦というのは、今後想定される戦闘において重要視されるだろうとの意図のもと、九六式艦戦の超改良版という期待されたイメージがあったのですが、それでも軍部としては「仕方なく作ろうか」くらいの熱量だったのでしょうか。
アメリカは戦法を変えたんですね
ゼロ戦が、最初は、有利でしたが、アメリカ軍の戦法に、やられていつたのですが、マイナーチェンジしながら、防弾装備をつけて攻撃に、また、アメリカ軍が、戦法有利でも、2体あるいは3体でと、戦法を変えていくなら、互角に闘えたかもしれません。
うーん物の総量が違いすぎる感じはします
そもそも艦爆、艦攻もだが後継機が遅れたのが痛いし零戦に関しては烈風を海軍陸軍でゴタゴタすんなやだし当時の軍の頭でかい戦闘機へのアレルギーをガン無視して瑞星じゃなく金星詰め込んだ方が良かったと思うし、まぁ歴史にifは無いから何とも言えないけどもし金星エンジン採用してエンジン強化と共に防弾増やしてもさすがにパイロット足りなくて厳しいね〜
一般的に格闘戦から一撃離脱の対応が遅れてみたいな話がありますが、日本軍は最初から基本は一撃離脱です。大戦初期に英米のパイロットが勝手に水平格闘戦を仕掛けてやられただけで、日本軍は、より格闘戦性能に優れる先代モデルである96艦戦や97戦との模擬戦闘で旋回戦よりも垂直機動を生かした一撃離脱が有効だと言う結論を出していました。
そうなんですね。教えて下さってありがとうございます
実際にアメリカに行って零戦と他国の戦闘機触らせてもらったけど、零戦はほんと空き缶みたいに軽い音がなりました。米戦闘機コルセアやドイツ戦闘機fw190は重い音がなりました。
すごい貴重な経験ですね。どこでそんなことできたんですか?
大人の教養TV えーどこだったかな…カリフォルニアの結構田舎にある大きな牧場の隣にある民営博物館です!!
戦術の変化ですが日本海軍もそこまで遅くはありません。43年5月後半から二〇四空が1小隊4機編成と米軍と同じように編隊空戦に対応し、二五一空や五八二空なども1小隊3機編成から順次1小隊4機編成の訓練をしています。
そうなんですね!勉強不足でした
アメリカの戦術対零戦空戦戦術 「サッチ・ウィーブ」ジョン・サッチ少佐により考案された戦術。アリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着した零戦「アクタン・ゼロ」と呼ばれいた。
さっちマジやばいっすね
大人の教養TVさんサッチ・ウィーブ戦術を用いていた米軍さえも…「絶対に零戦とは1対1での格闘戦はやっていけない」と厳命されていたそうですよ。
ちなサッチ・ウィーブは対零戦用の戦法だと思ってる人多いけど実は違うらしい、
なんかの 映画で見たが 燃料のガソリンも 日本のは 精度が悪いらしく アメリカの燃料で 飛んだ零戦は更に性能upしたとか。
永遠のゼロでしたっけ
零式艦上戦闘機も有名ですが、私は紫電改や雷電、震電、百式司令部偵察機などが好きです🛩
航空機専門なんですか?
大人の教養TV いいえ、ただの飛行機オタクです笑
圧倒的といっても過言でない技術力の差・・・しかし結果として負けたのは、やはり資源力・資本力の圧倒的な差があったというのが、理由の大きなひとつなんでしょうねぇ。戦争の切っ先を制することは出来ても、それで決着をつけることが出来なければ、長引けば資本・資源の少ないほうが・・・負けるよね?「数の暴力」には勝てないもの。・・・フツウはそうですよね?でも、前回の動画のときも宗ですが、見ていてすごくわかりやすく、それでいて嫌味のない(お笑いもないですがw)、すごく良い動画だと、今回も思いました。まとめかたがすごくいいですねぇ・・・ほんとw。
全くおっしゃる通りだと思います
旋回するときにスピード落とすってのは地上のクルマの発想ではないでしょうか?ベクトル合成図描けばわかるように、旋回中は揚力が内側にはたらきますから、同じエンジン回転数、ピッチなら高度が落ちてしまいます。普通に訓練されたパイロットなら旋回時にはむしろスロットルを開くと思いますよ。
そうなんですね!お詳しい!
旋回時は高度を維持するためスロットルを開き増速し高度低下をふさぐのが常識です。
そういう事ではなく、軽量低翼面荷重で失速せずに敵機より小さい旋回半径で機動できるという事で、結果として誘導抵抗のため敵機より低速での旋回となる。旋回するときにスピードを落とすという解説自体は合っています。
同時期に作った隼は意外と防弾はありました。陸軍の飛行機は防弾装備をつけていたから生き残ったベテランが海軍よりは多いみたいです。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます
昔あった宮城県沖地震について解説して欲しい‼️
東日本大地震ならあります
風立ちぬを観て零戦に興味を惹かれました。何度見てもかっこいい機体です
P-51とか言うアメリカの戦闘機はとても早く零戦ではなかなか追いつけなかったらしいです
アメリカすげー
追いつけない以前に飛んでいる高度に辿り着かないし辿り着いでも空戦をするほどの運動能力を持ちませんでした。
そりゃ最優レシプロ戦闘機と比べちゃいけませんわ...
アメリカのレーダーは日本人の発明高周波マグネトロンも日本人
零戦かー、名前からしてめっちゃ強そう! 紫電改も零戦ぐらい強いよね
強かった…ですね
強くないです。最新鋭かつ陸上運用の局地戦闘機でF6Fと張り合ってるようじゃダメ。
@@user-simikou 国のため戦った人に失礼。
@@ppppppppp7747 事実強くないから仕方ないです。現実に目を向けましょう。
@@user-simikou 日本を思って?もう少し
紫電改もめちゃくちゃ強いよ。終戦間近に作られたから挽回しても遅かったけど中盤とかにもし完成出来たら変わってた
僕も紫電改が好きです。図面が焼却されたのか、詳細は分かりませんが。今も新明和工業が引き継いでますね。
@@n1k4_a48 さん 紫電改の設計図は全く残っていないそうですが、元となった紫電の基本設計図は原図が残っており、新明和工業の宝として大切に保管されているそうです。
@@菅野裕之 さん そうでしたか。ありがとうございます。
いや、変わらないねいくら優秀な航空機を作っても肝心の手練れのパイロットがいなくなってた。手練れのパイロットを育成するには5年はかかる。
実際には日本軍の無線機の空一号は評判は凄く悪くて何をゆってるか分からないらしいですが、その後の空二号ではハッキリ聞こえる等の評判が多く見られましたその為紫電改で有名な戦闘三〇一飛行隊等に多く用いられたりしました。それと零戦の防弾性能についてなのですが、後半の零戦五二型〜は防弾が強化されていますし、レバーを引くと燃料タンクに炭酸ガスが噴射されて鎮火する装置や自動消化装置などが付けられました。零戦五二型丙とゆう機種では自動消化装置に加えてコックピットのガラスの部分を55mmの防弾ガラスに変更したりしていました。
そうだったんですね。詳しくありがとうございます
しかしエンジン出力が変わらないため速度も出ず運動性も劣化するという結果に。
「ぜろせん」と呼ぶときと、「れいせん」と呼ぶときがありますが、どちらなんでしょう?
れいせんは日本海軍の呼び方ゼロセンはアメリカ軍の呼び方
そういうことです。元々みんなれいせんって呼んでました現代人だけですぜろせんってよぶのは
でも文献によれば当時の日本人でもゼロセンと呼んでた人がいるみたいですよ。どっちなんでしょ?
@@kaz3736 うーん…
大人の教養TV ウソはいけない。当の搭乗員が、ゼロ戦と呼んでいた。もちろん戦時中もそう。人それぞれだったんですよ。
確かに拝見いたしました。当トピックに関してのコメントは割愛させて頂きます。が、逆にリクエストさせてもらえませんか?それは名古屋大空襲と、あと豊川海軍工廠に関するものです。米国は当時から日本のモノ作りの一大拠点が愛知に存在し、そしてそれをどれほどに恐れていたかがわかると思います。でついでに家康さんが建てた名古屋城が道連れになったと。豊川に関してはある意味では広島、長崎よりもインパクトはあるかもしれませんので。宜しくお願いいたします。
当トピックに関する感想も聞きたいです!
日本の社会は軍隊に限らず、村社会の延長なのです。真珠湾攻撃でこれからの戦争は航空機主体になると世界に見せつけ、そのため世界の軍隊の作戦は大きく変わりましたが、日本は大和を最後までとっておき沖縄特攻に向かわせました。零戦の場合も三菱製と中島飛行機製では微妙に部品が違い、戦地の修理工は壊れた「部品を別の部品に付け替え」が難しく大変困ったそうです。アメリカの場合「新鋭機と一緒に絵図面のファイル」が送られてきます。分解時「Ⅰページ、この部品を外せ」→順にページをめくっていくと分解できます。逆にファイルの後から前に向かえば組み立てられます。日本では整備工が覚えられないと鉄拳制裁でした。「島国、同じ言語」と「移民社会、多言語、様々な人種」の差は大きい気がします。
なるほど詳しくありがとうございます
防弾や自動消火機能の導入が遅れたのは「ベテランの反対」ではなく源田のような「持久戦の戦略というものを分かってない人」の反対のせいではないでしょうか?現場では大したことのない被弾で次々と命が失われる状況下、防弾や自動消火機能の装備を上層部に懇願していたと記憶しています。それと日米の命に対する考え方の違いですね。米は機体コストよりパイロットを養成するコストのほうが高い、機体はすぐ補充できるがパイロットの養成には時間がかかる、ここをよく理解していたので、空戦海域付近には潜水艦が待機していて、撃墜されても潜水艦が救助し、すぐに戦線に復帰させることができました。
なるほどコストの面で機械より人だったんですね
この当時の日本には、人こそが宝と言う発想はない。悲しいかな。陸軍然り海軍も。搭乗員なんかは一丁一夕には育たないのに。
機体の旋回性能などもぶっ飛んでたんだろうけど、やはり初期の圧倒的活躍は搭乗員の練度が非常に高かったのも理由だと。
そのようですね
それはどこもそうじゃない?
@@keishuy2235
開戦時の日本軍航空隊は世界的に見てもトップクラスだったんですよ…
イギリス首相のチャーチルでさえ折り紙をつけたほどです
@弍號菊水 詳しいね。結局は民間レベルでも高いレベルでいろんなものを作る能力の高さが必要だね。日本はそこが弱かった。財閥レベルではそこそこだったけどその下が弱すぎて、話にならんかった・・・
それ言ってるの、日本人だけです。チャーチルは言いません。
シンプルでわかりやすい。
いつもありがとうございます。
こちらこそありがとうございます
@@donttellmearai @大人の教養TV 機械系に、非常に弱いと言う事を露呈している。歴史解説もそうだが、意見≠事実、と言うルールへの違反が若干目立つ。
3:48にある九七式重爆撃機は海軍でなく陸軍の爆撃機です。
海軍の著名な爆撃機は一式陸上攻撃機や九九式艦上爆撃機などになります。
無礼な指摘で申し訳ありません🙇
無礼じゃないですよ!丁寧な言葉でありがとうございました
@@donttellmearai 少し前に失礼します。
陸上攻撃機は海軍、陸上爆撃機陸軍(1部例外あり)と覚えとくといいですよ
変化に対応していくのに、無駄なプライドや思考が仇となるんだなって学べました。
ありがとうございました!
歴史から学べることはたくさんありますよね!
零戦崇拝なんてデマで実際には零戦は馬力低い代わりに稼働率圧倒的だったから日本軍支えつづけたんだぞ。
アメリカは高馬力エンジンの故障率を大量生産で補い不調な機体を後方に下げても十分な数を前線に揃えてたが日本にそんな真似は出来ない。
@@ys4414 この時代の航空機が一番進歩した。2000馬力は無理な性能ではなく、海外でも同時期主力だった。
@@ys4414 さん 零戦の栄発動機は米軍の航空機発動機の出力とはそんなに変わりはなかったけど戦略思想の違いで大分性能に違いが出ています。米軍は防弾とかの生存性に重点が置かれていましたが日本の海軍機には速力と航続距離の相反する性能を要求されたため防弾等の生存性が犠牲になりました。零戦が強力というのはイブはあっていますがあくまでの経験豊かな搭乗員がいたため零戦の欠点だった防弾性能の低さが表に現れなかったためです。
荒井さんの動画にハマって、日本史の教科書を大学受験ぶりに開いて気付いたら3時間ぐらい読んでました笑 もっと大日本帝国時代の史実を吸収したいです。
このチャンネルはもってこいだと思います!!
零戦の活躍や戦術の背景まで凄く分かりやすかったです!アメリカ軍の戦術の進歩など詳しく解説されていて、とても勉強になりました😃
よかったです!他の動画も見てみてくださいね
アメリカ賢いな。新人をどう使うのか、というのは現代でも学ぶべきものがありますね。
最初は誰でも新人ですからね。
米国の場合、半年程度で「軍艦に乗っているメンバをごそっと」入れ替えます。怪我や精神的に已んでいる者等を補充し休暇を取らせ、別の艦に乗せます。
その間は「前の艦は他のメンバーが闘っている」わけです。
その為、日本軍は「あの船の指揮官はこういう作戦を取る」と予想していたら、「まるで違う作戦で面食らった」事が多々あったそうです。
戦争は外交の1手段であり「通常の交渉の延長」なので、「捕虜になる事も相手の食料を食い減らす作戦」の1つ。特攻隊などは戦い慣れていない国の作戦、想定外と考えているはずです。
ベテラン達の変なプライドが仇になったのですかね…
素人の私にでも分かり易くて良い動画ですね。勉強になりました。
よかったです。今後もそういったのがたくさん出ていくのでよろしければチャンネル登録よろしくお願いいたします
素晴らしい!貴方のように若い方が太平洋戦争の史実を語り次いでいってもらいたい。私は30年ほど前.坂井三郎宅にお邪魔して敵機銃を受けた飛行帽、血染めのマフラー等を見せてもらい、また当然高齢でしたが懸垂も見せてくれました。若い世代に正しい史実を伝えるために是非頑張って下さい。
ありがたいことです。頑張ります!
航続距離が長いことも仇となった、ものすごく長く乗せられ戦いに行かせられた。疲れたところで戦うこともあったと言う
まあ作戦の幅は広がるけどね・・・
とても本格的なご説明だと感心いたしました。零戦の戦いの本質を完全に網羅されています。
零戦は単騎格闘戦では、いかなる連合国軍戦闘機にも負けることはありませんでした。これは終戦の年1945年の段階でも同じです。
開戦当初は米軍機も零戦に単騎格闘戦で挑んできました。様々な眉唾のキルレシオの記録がありますが、実態は零戦の10対1ぐらいの圧勝であろうと想像します。これは1943年のポートダーウィンでの対スピットファイヤー戦で戦後の両者の被害をカウントし証明されています。この時はオーストラリア空軍はアフリカ戦線でドイツ空軍と戦った精鋭です。ただし、零戦に単騎格闘戦を挑んでしまいました。1942年の実践歴の少なかった米軍戦闘機がこれと同程度のキルレシオで零戦に蹂躙されたことは多分間違いないはずです。当時のキルレシオが1対1.7で米軍機が優勢であったなどと言う報告がありますが、これは絶対に戦果誤認です。しかし、1943年初頭から零戦との格闘戦は禁止され、高速を利用した一撃離脱という平易で単純な攻撃方法を米軍は採用するようになりました。以来、零戦は米戦闘機を撃墜できなくなりました。それ以降は、ご説明のとおりです。零戦は、1942年末には使用を中止すべき戦闘機でした。しかし、残念ながら新手の新鋭戦闘機を日本海軍は開発できませんでした。例えば、陸軍の5式戦闘機のような機体が製造できていれば、米軍も面食らったはずです。3式戦は実用化されていましたし、これに金星エンジンを搭載すれば5式戦ですから、これなら十分グラマンF6Fに対抗できたのではないでしょうか。しかし、最後まで零戦の後継となる艦上戦闘機は出現しませんでした。零戦でF6Fに対抗するには搭乗員に圧倒的な技量が要求されます。日本軍戦闘機で防御力の強力な戦闘機を撃墜することは不可能とまではいいませんが、日本軍戦闘機が撃墜したという米軍機の大多数が被弾のみで撃墜を回避し帰還しています。これは台湾沖航空戦で明らかな証拠があります。しかし、米軍艦載機が東京を襲った時に、もはや日本にはまともに戦闘機を操縦することのできる搭乗員はいないとなめきった米軍戦闘機が、単騎格闘戦を挑んできたため、米軍の被害は続出しています。零戦は僅か一旋回で米軍機の後ろを取れます。ご存知だろうと思いますが、世界で唯一お家技としていた「ひねりこみ」です。決して容易な操縦ではありませんが、繊細な軌道の可能な日本軍戦闘機と格闘戦重視の熟練日本軍搭乗員が可能とした秘技です。
ただの一旋回で敵機は先行する日本軍戦闘機の軌道を見失い、背後をとられます。これを米軍戦闘機は戦術によって、無力化していたのですが、甘かったようです。とにかく馬力は無くとも零戦の格闘能力はずば抜けています。これを封鎖するのが米軍の戦術だったのです。そのためには、上昇力、最高速、急降下性能、防御力を最大限に活用し格闘戦を封じることでした。
局地戦闘機の紫電改や雷電は制空戦闘機の零戦の代用は無理でした。1943年に5式戦級の艦上戦闘機が運用されていたら、戦局は多少変わっていたかもしれませんし、不可能ではなかったと思うのですがね・・・・・
詳しくありがとうございます
ま、自軍に有利な飛行場上空に立てこもって戦った米軍のキルレシオなどを真に受ける人達は所詮ニワカなのでしょうね。ラバウル上空邀撃戦のスコアでも見てくれれば良いんですけども。
金星搭載ですが零戦製作初期からこの構想はあったそうですね。ただ肝心の金星の方が43年時点だと5x型の系列で、余り性能に見るべきところが有りません。この当時でようやく1200HPくらい。なので栄の1割増程度。
加えてその当時だと火星搭載の雷電の登場が間近に迫っていたのでわざわざ1割程度の性能アップに貴重な設計陣のリソースは回せなかった、と言うのが実情みたいです。
ちなみに金星でイメージされる1500HPクラスの出力と言うのは水メタノール搭載の6x型以降のスペックでして史実だともう少し先になります。そしてその時点になると栄にも水メタノールは搭載され、その技術は隼3型で実現されました。
海軍戦闘機の開発、後継機にはこんな感じで、雷電の開発遅延の影響が常に影をおとしていると言う印象です。国力の限界でしょうか。
@@shuichiikeda340 結果論ですが、誉は信頼性と整備性に問題があり、火星は局地戦闘機雷電に使用されるも安定して運用されるのは1945年の本土空襲迎撃戦となると、消去法で制空戦闘機には、金星エンジンしか残らないということになると思います。実際に金星エンジンの零戦は僅かな機体が1945年に存在しましたが、この頃になると52型丙以降の重武装、重防弾装備ですので、多少の馬力アップではどうにもならず、実際に搭乗した経験者からも「もはや零戦の面影なし」の感想を残されています。
当時の日本の工業力では、それが限界ではないかと思います。また、多少性能が劣っていても、生産能力あれば数で圧倒することもできるのですが、1944年以降日本軍は航空戦で日本陸海軍航空隊は、ほぼ完敗となり、航空戦だけなら日本軍は終わっていたと言えます。それでも戦争を止められなかったのは、多くの占領地を持ち多くの守備隊を投入し、沖縄戦まで激烈な陸戦が継続されたからだと思います。制空権に関しては1943年末には奪回不可能であったので、ジリ貧は確実であったのに、一度始めた戦争は終わらないのです。
零戦はまさに「桜散るだと思う」
一時的に圧倒的な強さを誇り、最後には没落機として特攻していくから
それが日本人を惹きつけるんですかね
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*$
@@donttellmearai 圧倒的な強さ、ではない。速度は劣り、海外は同じ旧式機でも2000馬力級に強化された。
@@donttellmearai 日々進歩する技術の中、トレンド通りか若干上回る程度。中小国が開発から尽く脱落して行っただけ。
ほほう、零戦をテーマに上げられましたか。私は父が旧海軍の航空隊にいたので、零戦にも大変興味があります。
零戦は調べると、なるほど傑作機と言われるだけの事はある。と思わされます。開発当時は千馬力にも満たないエンジンにも関わらす最高速度は500キロを超えてましたし、燃費を減らすために、エンジンの回転数を出来るだけ一定化し、プロペラを可変ピッチ式にしたり、空気抵抗を減らすために、沈頭鋲を開発したりしましたね。細かい事ですが、戦闘機にドロップタンクを着けたのも、一つ前の、九六艦戦が世界初で、同じ設計者の堀越二郎さんが考え出しています。一番驚かされたのは、操縦装置で、伸縮性あるワイヤで操縦かんと舵を繋ぐことで、低速から高速までの舵の利き方の変化を無くしてました。当時、世界の戦闘機が空戦速度の時速300キロで一番舵が良く利くように設定するしか無かった事を考えると、かなり画期的な装置たったと思います。アリューシャンで捕獲された零戦三二型ですが、米国は零戦の徹底した軽量化に衝撃を受け、F8Fベアキャットを開発します。因みに、ほぼ日本で産まれた技術で造られた零戦ですが、プロペラだけは、アメリカのハミルトン社からライセンスを買ったものでした。そのアメリカと零戦は主に戦っていたとはちょっと皮肉な感じです。
兵器だから、余り賞賛すると、ちょっと心苦しく感じてしまうのは、日本を卑下する教育を受けた世代だからですかね?
まあ、日本は、ミッドウェーの前に、当初の予定通りに講和に持ち込んでいれば、良かったと思います。
あと、ヒトラーがフィンランド、ハンガリーと連合して、ソ連に攻め込まず、日本の考えていた日、独、伊、ソの四か国同盟を結んでいれば、アメリカも戦争に参加しようとは考えなかったのでは? と思います。
すごい!!お詳しい!勉強になりました
昨年の末頃、つべに「零戦 世界最強の伝説」という動画がアップされている事に気が付きまして、そこでは4回にわたってけっこう詳しく取り上げられていますが、書かれている事とだいたい同じようなことを動画でも語られていました。
F8Fの話は、確か「零戦 世界最強の伝説」に無かったので新たに知ることができました。
まあ、事実は事実として認められないとどこかの国のように話がおかしくなっていきますので、「賞賛」もこの場合事実として受け入れられていいものと考えます。
私も戦後教育を受けた人間ですが、ぼーっとしていたのであまり染まらなかったのかもしれませんw
長文乙。とはいえ、にわか臭がして色々突っ込みたいけど、とりあえずアリューシャンで鹵獲されたのは二一型。
そもそも圧倒的に力のある相手に不意打ちかましといて、早期講和なんてできるわけがないし、史実もそうはならなかったろ。
のび太が昼寝してるジャイアンの頭を蹴とばして、無事に済むと思ってるならおめでたいとしか言いようがない。
ぼこぼこのギッタンギタンにされた挙句、ドラえもんに『君は実にばかだなあ』といわれるのがオチだぞ。
つまり、山本五十六は小学生以下のバカだったってことだ .
そういえば山本五十六も「防弾性能を向上させると機動性能や運動性能が低下する」として反対し、防弾性能の必要性について疑問視していた。
日本の場合は資源やエンジンという面でも防弾性能を高めるのは難しかったというのがありました。あと、日本軍の小失敗の研究(著者は三野正洋氏)という書籍がNF文庫から出ており、そこに装備や兵器の標準化の失敗というものが挙げられていました。
ドイツがバトル・オブ・ブリテンで爆撃機を損耗していき、戦略的には敗北した理由の1つとして護衛戦闘機の性能があったかと。護衛戦闘機の航続距離が短いため、北部を攻撃しようとしても爆撃機だけで編成することになるため、待ち構えている英国航空部隊や対空迎撃用装備による被害が大きくなり、制空権を確保することもできず、海軍力では完全に負けているドイツはアシカ作戦も断念せざるを得なくなり、じり貧による負けが見え始めていたのですよね。
次回めちゃ出てきますよ!
アメリカが防御板の必要性に気が付き、適応したのは、エンジンの開発なども進んでたからだと思います。日本はあまり安定したエンジンが作れずにいたせいか、速度が落ちるのは、やはり避けたかったのかもしれません。
なるほどそうだったんですね
エアレースをやっていた国ですし、合理的な設計で大量生産が容易な兵器を合理的に運用していましたからね。
多少の性能低回も、物量があれば問題ありません。
質より量
日本でも防御版装備の話がありましたが、源田実が日本には大和魂があるじゃないか!攻撃こそが最大の防御だ!航続距離や武器を少なくしてまで防御など頼る必要などない!という言葉で一蹴されました。
分かりやすい動画でした。
シェアさせて頂きます。
ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました。チャンネル登録しておいてください
勿論チャンネル登録しましたよ。
なるほど、勝つために、絶え間ない研究があったのですね。
零戦は、前から興味を持っているものでした。
詳しい説明、ためになりました。
よかったです!!
すばらしい動画です。零戦の翼の意味がわかりました。
ありがとうございます!わかってくれて嬉しいです
日本人は属人的というのか手練れたプロのプライドが高すぎるし、トップは任せると指示しなくていいから任せっきりになる。アメリカはそのあたりの割り切り。勝ちにこだわる姿勢が素晴らしい
97式重爆撃機は陸軍機です。海軍での爆撃機の定義は急降下爆撃ができるかどうかです。 爆弾を積めるから爆撃機というわけではありません。因みに防弾板の研究は海軍より陸軍の方が進んでおり、零戦と同時期に正式採用された1式戦闘機隼には防弾装置があり運動性能は零戦と同等でした。零戦が長く使われた理由は後継機の仕様書に振り回され詰込みすぎての開発の失敗にあります。ついでに、零戦が登場する以前の戦闘機は96式艦戦とこれも飛び抜けた格闘性能を有してていました。他には95式水上偵察機など偵察機が戦闘機の代用として空戦をこなしたり、太平洋戦争序盤では零式水上観測機が米のP-40ウォーホーク戦闘機を撃墜したりと零戦の影に隠れた機体があります。
そうなんですね!詳しくありがとうございます
1930年代後期は日本の航空開発に火がついた時代でその前の日本の飛行機は主にイギリスの輸入にたよっており日本独自の開発があまりされていませんでした。そこで日本は自分たちで開発するぞー!!と開発が始まりました。その中生まれたのが九試単座戦闘機です。九試単戦は零戦をのちに設計した堀越二郎技師が設計し当時の戦闘機の世界水準を遥かに超え日本の航空技術を世界に知らしめました。そこから三菱(九試単戦を開発した会社)中島などなど大企業が戦闘機の開発を行い中島では九七式戦闘機という旋回性能が化け物レベルの戦闘機を開発し九七式戦闘機はノモハン事件にてソ連の戦闘機を圧倒し日本は最強でした。この当時の日本は前の外国製の戦闘機から国内で一から開発がおこなれるようになりました。この時代を九七時代と言います。九七時代は日本軍の航空技術が世界に追いつくどころかそれ以上の性能を叩き出しました。ですが大東亜戦争の前半こそ日本の得意な格闘戦をして戦果を上げていましたが徐々に戦術は一撃離脱といった戦法に変わっていき日本の得意とする格闘戦は時代遅れになりました。日本はそう言った戦術の移り変わりにうまく乗れず零戦などの戦闘機は連合国の戦闘機に圧倒されていきました。もちろん日本軍はそう言った連合国の戦闘機にも戦えるような戦闘機(例、雷電、紫電、疾風などなど)を開発していきましたが時はすでに遅し、、日本は敗戦しました。こうして日本は航空開発の幕を下ろしました。ちなみに先ほど例に出した疾風、紫電はかなり強く連合国の戦闘機を圧倒しましたが登場が遅すぎたため特に戦果も出せず敗戦しました。(紫電は本土防衛戦で活躍しました。有名なのは三四三航空隊です)
長くなってしまいすみません、、でもこれでも短くまとめたので読んでいただけたら幸いです、、、
もっと長くしてもらっても大丈夫ですよ!
中国大陸での戦闘機の役目は、爆撃の撃墜に上がてきた敵の戦闘機隊から爆撃機を守る事が目的だった。だからゼロには爆撃機に同伴可能な航続距離を求められたと記憶しています。
なるほどそうだったんですね
日本くらいです。後続距離重視は。
何年か前東京に遊びに行った時、靖國神社にある博物館に行って零戦の52型を見に行ったぜい👍
東京見物の最後に「ごまたまご」買って帰りましたよ。
ごまたまごはセンスある
特に関係ないけど零戦のフォルムが普通にカッコいいし、好き
かっちょええです
@@donttellmearai チャンネル疾風を見て欲しい。荒井さんは歴史解説する分には文句がないが、機械類知識は非常に乏しいと感じる。
その見解は正しい😊✋
飛行機というのは性能のいい機体ほど綺麗というか格好いいものである❗😊✋
@@hosoyalaurence 東大卒を僻むわけじゃないけど、世間知らず
教科書の中身しか知らない
外人が来たら逃げる 英語喋られないので
ありがとうございました。勉強になりました
こちらこそご視聴ありがとうございました
機体の防御性能を高めたり、大きさが大きくなるほど、重量はもちろん重くなります。
そこで、日本軍とアメリカ軍で発想が大きく違っていたのです。
日本軍の場合、大戦後期まで高馬力のエンジンを作る技術がなかったので、速度を出すにはゼロ戦のように機体を軽量化したり、防御性能を無くすしかありませんでした。
対して、アメリカ軍の場合は、高馬力のエンジンを作る技術があったために、速度はエンジンでカバーできるので、防御性能が高くすることができるのが強みだったと思われます。
長文失礼しました。
なるほどエンジンがキモだったんですね
勉強になりました
613 Metropolitan
残念ながらその日の撃墜戦果は多くが誤認だそうです。
戦後の調査で米軍側と付き合わせると、せいぜい15機くらいの戦果。343空の方もほぼ同数の損失を被っているので実際には相討ちくらいの戦果でした。
ただ米海軍側も紫電改の精強ぶりは認めていて、強敵の出現と記されています。
現存機の搭乗員はあの、武藤金義氏であった可能性が、示唆されているそうですね。合掌
@@shuichiikeda340 防弾の良い米軍機は、少々被弾しても自動消火して帰還できるからね。
煙を吐いて急降下で 離脱する米軍機を見て撃墜したと思っても仕方ないよ。
初心者にも分かりやすく、平たく押し並べて説明したつもりが、観にくる人は、ガッチガチのミリオタさんたちだからコメント欄がすごい。
個人的には台南空時代の坂井三郎さんが写真で出てきたのが嬉しかったです。
ミリオタに刺さって恐縮です
最初から完成されすぎていたから、なかなか新しい発想を取り入れられなかったんでしょうね
なるほど、人間の性ですね
見事な説明ですね、感心しました。特に、日米の戦術の違いや教育に対する違いの説明は興味深く分かりやすかったです。技術は見て盗め!が日本人の教育でしたが、盗む前に戦死してしまい経験を生かす事が出来ませんでしたね…😢
海軍の日陰者と言われた戦闘機に大和を沈められるなんて皮肉だな。
まったくです
でもまぁ、五十六の言った通りになった
沈めたのは雷撃機の魚雷によるものが一番大きいですね。
実際には艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上雷撃機による攻撃です。
まぁ大きな意味で言えば雷撃機も戦闘機の枠に入ると言えば入るけど。
零戦についての情報は沢山あるのですが、日本が劣勢になってからの零戦に対するアメリカ軍の作戦対応は初耳でした(急降下して打って逃げるを徹底)
零戦は良くも悪くも大東亜戦争そのものだったのですね。
そうかもです
一撃離脱戦法ですね。
アクタンゼロについての説明はあった方が分かりやすかったかもしれないですね
当時零戦と連合国機体とのドッグファイトがみれたのは羨ましさを感じる。
曲芸飛行が得意なのでベテランが乗らないと駄目なのは、「頭文字D」のAE86と同じですね。
凄い分かりやすいです。チャンネル登録しました
良かったです!他の動画も見てみてくださいね!
零戦てボクシングで言ったらスタミナあってフットワークとスピードとパンチはあるけど、ノーガードで戦う、攻撃は最大の防御みたいな
感じの選手と一緒ですよね❗
うおーー
20mmの装弾数で言うとフットワークはそれなりに長くできるけど強いパンチを継続して出せないよ(これは月月火水木金金のパイロットに限る話)それと零戦自体高速な格闘戦になるに連れて米機より不利になるからね(某猫には時速230マイル、カーチスには275マイル)、まぁ軽やかなフットワークは上手でもキレのあるフットワークとかには追いつけないって感じかな、
名古屋市港区の三菱大江工場で作られた零戦(レイセン)は
牛車に乗せられ、岐阜の各務ヶ原に運ばれて飛び立ちました。
陸軍機は確か鈴鹿まで牛車で、理由はトラックで運ぶと
リベットが緩むから。この話は悲しいけど、興味が有ったら
ネットで調べて下さい。私の母校は戦中は飛行学校で
校歌は古関裕而作曲、ちょっとだけ誇らしい。
よく調べてみます
有名な話ですよね。
あんなに洗練された零戦が
牛で運ばれる…滑稽ですよねw
私は零戦(ゼロセン)より零戦(レイセン)って言います。よく零戦カッコいいよなって言ったら、え?冷戦?って言われる、、、
当時もゼロ戦と呼ばれていたらしいですよ。敵性後とかではなくゼロが一般的だったんでしょうね。
りょうしん さん
朝日新聞かなにかの報道以降の話ですね。
一般的になったのは。
零戦って工業製品と言うよりかは美術品の様な美しさですね〜
なんともいい表現です
工業製品+芸術品=工芸品
ですね!
一部の海軍超エースがあからさまな格上戦闘機相手に撃墜スコア稼いでるの見てると戦闘機としてのクオリティは相当高いんだろうなとは感じる
50キロも相手と速度差あると自分がバックしてるように感じるという世界だからな
ジブリ映画『風立ちぬ』より、カプローニ伯爵の「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、美しい夢である」というセリフが大好きでしたね。
零戦は世界一美しい飛行機だと思ってます。実用的、機能美を極限まで追求した結果、あのような完璧なフォルムが出来上がったんですね~
なるほど
一撃離脱方法でしたっけ?わかりやすい動画でした!
良かったです!
ゼロ戦の栄光と悲劇が当時の日本の考え方や状況そのものを反映しているのが興味深かったです
ゼロ戦の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争が戦略0の特攻に使われ結果、無(0)条件降伏で終わったことも皮肉な暗示のような気がしてなりません😢🙏
いつもありがとうございます。
アメリカはVT信管の開発に成功したのも、防空能力が大幅に上がり、対零戦の戦闘を有利にした一因だと思います。
その通りだと思います!どこかの動画で解説した覚えがあります!
@@donttellmearai 素早い返信、ありがとうございます。
3分50秒あたりの九七重爆は陸軍機ですよ!
あとゼロ戦の機体を軽くしたのは、上昇力を上げるためもありますが、エンジン馬力が低かったのも理由です。
あと補足ですがアメリカの場合は最初から機体がとても頑丈に作られていました。17分あたりのワイルドキャットはゼロ戦とほぼ同時期に作られた機体です。ゼロ戦を研究して作られた機体としては後から出てくるヘルキャットやベアキャットです。
とても分かりやすくて、知識ない人でも理解できる動画になっていたので良かったです!ありがとうございます。
そもそも物量(工業力)が違いすぎたのと、パイロットを重んじるキリスト教国家のアメリカと、パイロットを特攻に行かせるくらい大事にしない日本では戦術が違いすぎて勝てなかったと思います。早くゼロ戦の後継機を作って戦術を変えたら勝てたんじゃないかと自分は考えます。
ご指摘ありがとうございます!その通りです。訂正いたします
なにもアメリカは人命を大切にしていたわけではなくパイロットを育てるのに莫大なお金と時間がかかる事を合理的に理解していたのです
一方日本は伝統や周りの目を気にするあまり上司の理不尽な指示を拒否する事が出来ずに特攻をしてしまい大切な人材を擦り減らしてしまいました
おっしゃる通りですね
元々中国の持ってたソ連製SBに追従出来る為に要求された性能で乗せれるエンジン性能の限界で軽量化だったと記憶してます
また優秀な航空機ですが神格化される程の戦闘機では無いと思います
いやいや、月間正規空母のアメリカ相手では、国力が違いすぎて何をやっても勝てません。
根本的に真珠湾を攻撃した事がすべての間違いです。
いつもわかりやすい解説ありがとうございます😊
こちらこそご視聴ありがとうございます
当時アメリカ、ロシアも空軍なかったです。アメリカ空軍が設立されたのは太平洋戦争後に陸軍航空部隊がそのまま独立して空軍になりました
そうなんですね
チャンネル登録しました
これから全部拝見していきます
全部ですよ!!
陸軍の一式戦闘機もお願いします。
零戦のおかげで影は薄いですが、零戦以上に面白い戦闘機です。
三式戦闘機もカッコいいですよね
調べてみますね
大人の教養TV Wikipedia
加藤隼戦闘隊
@2 takauji 液冷エンジンの数が揃わなかったですからね
二機一組をロッテ、三機一組をケッテと言います。ロッテ編隊2個による4機編隊をシュヴァルムと言います。海軍はケッテを採用していましたが後に二機一組のロッテを導入しています。一方、陸軍は元からロッテ方式を導入し実戦での普及は昭和17年後半と海軍より早いですね。
そうなんですね!物知りですね
で、日本は3機編隊
@@vanillaessence1575v字の方が初心者からすると連携がしやすいんだよ確か(イギリスも初期はパイロット不足で練度的にロッテは不可能だから3機編隊だった)
圧倒的に紫電改派の軍艦オタクです
良いことです
@@donttellmearai 零戦二一型A6M2白派です。
圧倒的コルセア派です
戦闘機というか一式陸攻好きです
紫電改は、誉エンジンで、性能も良かったと聞いていました。防弾設備、自動消火装置もついていました。
足場がいいとこまではリールも外しておいた方が安全です!その方が身軽です。大事なリール傷つけないように!
零戦が何の目的で作られ、太平洋戦争でどのように活躍していったか面白く分かりやすかったです!
もし宜しければ陸軍の一式戦闘機「隼」もよろしくお願いします。
同じ時期に活躍していた戦闘機で見た目はそっくりですが、機体の構造が全く違いお面白いと思います。
因みに連合軍から最後まで危険視されていた日本の戦闘機は隼だったらしいです。
興味深い!!
一式陸攻、防弾板、ワンショットライター うっ頭がっ
一式陸攻の防弾が弱い、というのはちゃんと理由があるんですよね。というのも、あの設計は日本の短期決戦作戦に基づいて作られたんです。「占領した敵基地に素早く、柔軟に配備するため他の能力をある程度犠牲にしつつ、航続距離と速度を優先する」というコンセプトで設計されたために、防弾がかなり簡略化されたとされています。戦争をさっさと終わらせるのであれば、長い航続距離と速度でいろんな基地にすぐ配備できて敵の準備が整わない早期に殲滅することができたのでしょうが、長期戦になってしまったので...
うーん。日本の戦略は最初から長期持久戦戦略(陸軍が主導)であり、対して海軍としては短期決戦早期講和しようと考えており、日本国として正式採用された戦略も長期持久戦ベースに短期決戦早期講和が乗っかっているという。どうにも統一感が無いというか、後々まで溝が埋まらないというか、いざ戦争となったら軍と政府で互いの意思疎通や足並みを揃えるのはとても大切なことになりそうなものなのですが。
山本東亜局長 あっそうです、短期決戦思想は海軍のものでした あたかも日本の軍全体の理念であったかのように記述してましたね、失礼しました
空軍作ろうって話はありましたよ。イタリア、フランス、イギリスで空軍作ってましたので大日本でも作ろうって話になり陸軍から海軍にオファー出しました。お互いの航空部隊を統一して空軍作りましょうって申し込んだけど海軍が嫌がったみたいで結局空軍は幻になりました
そうなんですね
旧日本軍で空軍がなかったのは、大日本帝国憲法と陸海軍による縄張り争いが原因です。
大日本帝国憲法との絡みは、第11条に『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』とあるので空軍の設置には憲法の改正が必要だと唱える人がいました。
そして陸海軍による縄張り争いは、当時のたいていの国の空軍が陸軍航空隊を経て独立したものであったり、陸軍の機関が設立に関与したものだったので、陸海軍という派閥に陸海軍と同格の空軍という陸軍よりの新たな派閥が現れるのを海軍が嫌ったという経緯があります。
「陸海軍の航空部隊を統一して空軍を創設しましょう」という案はイギリスで実際に試されたのですが、運用の問題で失敗に終わり、海上航空部門はイギリス海軍の管轄に戻りました。
「やはり零戦(レイセン)は この21型(ニイイチガタ)につきる!チビですばしっこいコイツは まさに日本人そのモノだ!」
漫画『ゼロセン』より
すごい漫画
九七式重爆撃機は日本陸軍の爆撃機だったそうです。
それにしても海軍の零戦ってかっこいいですよね!
そうなんですね、戦闘機かっこいいです
自分は二式飛行艇が好きです!
なんでですか?
@@donttellmearaiやっぱり時代背景、運用用途はともかくカタログスペックが高くてカッコいいからじゃないですか?。まぁ艦隊に単機で殴り込みという運用予定で作られたモノであまり実戦では予定どうりの運用はできなかった事実はありますがカタログスペックが高いのはたしかです!
今度、終戦まぎわの戦闘機、紫電改のことを、お願いいたします。誉エンジンが、とてもいいエンジンでしたが、故障もありました。防弾装備が、ついていました。B29さえ、互角に闘えました。局地戦闘機でした、検討して下さい。
調べてみますね!
日本海軍もゼロ戦じゃ米軍のF6Fワイルドキャットに全く歯が立たなくなり次世代戦闘機を開発してましたが何かしらの理由で結局最後迄ゼロ戦で戦い続けましたね
なるほど
F6Fはヘルキャット ワイルドキャットはF4Fですね
司令部的にはすぐにでも新型機の開発を依頼したかったのですが航空機の心臓とも言えるエンジンの開発に手間取っていたのですね
結果零戦の後継機は十七試艦上戦闘機、いわゆる試製烈風まで待たなくてはいけなくなりました(零戦の試作機は十二試艦上戦闘機)
そもそもデータ的な事を言うと条件によってはワイルドキャットにも曲がり負けちゃいますからね(そもそもこの猫含め米機以外と曲がる)確か信憑性はあまり高くはないけど米軍データのキルレシオをみるとかなり初期から米機が零戦を押してますし、
名機ゼロ戦は説明するとキリがないですね。世界初の超々ジュラルミンを採用して軽量化させたし。翼面荷重が相当軽くなった事もあって格闘戦が強かったですね。芸術的戦闘機だと思います。
ロマンはあります
ちなみに陸軍にも航空隊はありますし 隼とか飛燕も有名です あと日本軍最強戦闘機はやっぱり五式戦闘機か紫電改だと思います
最強ですね
最強は紫電改ですかねーやっぱり!
飛燕はエンジントラブルがなければねー。
生産機数と安定した運用で考えると、2000馬力級戦闘機の中では陸軍4式戦疾風が一番だと思います
kawasaki1164 さん
あー「疾風」がありますね。
運用面や生産機数なども含めればそうかもしれませんね!
海軍の最高傑作機は紫電改
陸軍の最高傑作機は疾風
五十六の焦りと
アメリカ側の戦闘機の変化
複数での戦闘の不利
そして、アメリカ側の傍受…
そりゃ、
ミッドウェーの戦いだと負けるわな
やっとこれで、負けた要因が分かるね
花火もそうだけど近くで見ると分からないけど
遠くから見ると見方とか明白になってくるね
ミッドウェーもまたやりますね!
@@donttellmearai
ありがとうございます!!!!!
まだ、高校生という身分ではありますが
とても、勉強になります
学校では習わないことは独学で勉強してたりしてますが
これが、正しい、これが間違い
とか曖昧すぎてどれを信じればいいのか
って思ったりしますが、
主さんの動画で、○○人物はこう言う人だよ
こんな人だったよってのを紹介してくださると
当時の戦争状態が明らかになってきたりするので
ありがたく思います!
本当に伸びるべき存在だと思います!
動画投稿お疲れ様です!
楽しみにしてます!!
当たらなければ、どうってことはない。→シャアの名言を具現化した機体。百式みたいだな。
そうなっちゃいます
逆だよ。逆。
時系列からしてもガンダムのが後。
シャアの名言を具現化した、じゃなくシャアの名言として具現化したが正しいんだよ。
@@donttellmearai 赤い彗星って、Me163ですよ。
1号機は赤だし、本当にB−17の「3倍の速度」のコメート(彗星)だった。ザクも、ドイツ酸素マスクみたいな見た目。
@@donttellmearai 米王手ドキュメンタリーでも、「B17の3倍の速度」がキーフレーズ。
山本五十六のアドバイスを聞いて、最初からアメリカ(+ヨーロッパ諸国やソ連も)とは闘わない選択をしていたら良かったのに。。
ゼロ戦は当時としては、海軍の無茶ぶり(運動性能・最高速度・航続距離・空母に載せる為の大きさ制限等)を、機体設計やエンジンの技術者達が技術者魂に火をつけ、海軍の無茶ぶり要求をも上回る性能の機体を造った最高傑作❗😁✋
ロマンあるよね
搭乗員の保全を無視してな!
ゼロ戦は急降下が苦手でしたね。機体があまりにも脆弱で急降下しすぎたら空中分解する恐れありました。アメリカはそれに気づいてバッグをとられたら急降下して逃げたら相手は追いついてこれないって自軍のパイロットに指導していたみたいだよ
すげーそうだったんですね!!
有名な話ですね。操縦するパイロットにかかるGも過大で、急降下は失神の懸念もあって困難であったと言います。
ゼロ戦の機体構造の脆弱さに関しては、主翼のフラップ部分に赤線で範囲を示して『ノルナ』と書かれていたことからもわかります。
ゼロ戦の成り立ち風立ちぬ見ました😃
めいさくですやね
動画関係ないんですけど、今年高校受験があるんですけど、今はどういう勉強すればいいですかね???
高校受験が自分にとってどう言う意味があるのかそれを真剣に考えてください
零戦にかわる時期戦闘機が早く欲しかったですね。紫電改などが出たときには、もはや手遅れでしたから。
その後の試作機も大量生産できる段階で作られたならもっと戦い方があったかもしれません。
ま、戦争の勝敗は日本の作戦や人選そのものに色々難があったと思いますが…
ま、零戦だけの話に戻すならドックファイトならどこにも負けない戦闘機だったと思います。
それができたら
ゼロ戦は、最初は、性能も良かったのですが、アメリカ軍から、捕獲されて、研究され、軽い戦闘機でしたので、アメリカ軍は、ゼロ戦は、長い航続時間でしたが、アメリカ軍は、グラマン、ゼロ戦を上回る戦闘機が、作られて、ゼロ戦は、撃ち落とされてしまうと、なることを本で読んだことがあります。終戦まぎわになつて、紫電改と戦闘機が、アメリカの戦闘機を撃ち落とす戦闘機がやつとでたと言うことでした。
そうだったんですね!教えてくださってありがとうございます
投稿者さんにとって恐らく大戦機は専門分野で無いにもかかわらず、
ゼロ戦の長所、短所、栄光と没落を簡潔、かつ解りやすくまとめた良動画だと思います。
特に100体100で石を投げあう例えはうまいと思いました。
ただ「ベテランが足を引っ張られるから新人と足並みをそろえるのを嫌がった」という話は自分は初めて聞きました。
無線が通じにくく、連携がとりにくいため個人技に頼らざるを得なかったという話はよく耳にしますが・・・
もしよろしければ参考にした資料などお教え願えないでしょうか?
概要欄に参考文献があります
ベテランが新米と作戦行動を共にするのを嫌がるのは当たり前の事。日本人皆んなが一枚岩の如く、仲良くしてたなんて幻想抱くのはやめなさい。
桁違いの工業力を持つアメリカはともかく、日本の陸海軍はいろいろな航空機をつくり過ぎ。陸軍も零戦を採用すべきだった。そして空母の索敵も零戦を使えばよかった。97艦攻では敵機に見つかればやられるから及び腰。零戦なら航続距離も文句なし。ミッドウェイの悲劇もなかったかも。零戦の決定的な欠陥は基本設計に無理があり過ぎたこと。スピットファイアやメッサーシュミットMe109は、モデルチェンジで性能をどんどん上げたが、零戦は52型でもあまり性能は向上していない。後継機の開発遅れも酷かった。疾風をモデルにできなかったのか。元を辿れば、犬猿の陸海軍が元凶で、アホな対立が亡国の原因のひとつですね。マシーン的には、モーターライズの生産経験の日米差が決定的。零戦のほか、多くの戦闘機がB29の高度まで上がるのに馬力不足で、速度も劣っていた。20ミリ機銃も、弾数は少ないし、カーブをしながら飛ぶので扱いが難しい。12.7ミリ四丁のほうががよかった。
陸軍と海軍が仲悪かったのがホントくそ
索敵機は、復座以上でないと運用出来ません。
確かにそれはありますが、97艦攻でびくびくしながら偵察するよりは…と思います。敵艦隊発見と空母の有無くらいはひとりでも可能ではないですか? そういう柔軟性が日本には欠けていたと思います。また後年ですが、ラバウルで複座は完成されています。本土で早くから着手していればはるかに早くできたでしょう。いずれにしても97艦攻よりマシだと思います。
@@ダルヴィーシュ見習い それだけじゃない。
米軍の索敵機は、敵発見を普通文で発信するけど、日本は複雑な暗号文にして発信する。
打つのも解読するのも時間がかかるし、雑音だらけの日本の無線では間違いも起きる。
戦闘機 ファイター 頭文字はF
攻撃機 頭文字はA
爆撃機 頭文字はb
輸送機 頭文字はC
練習機 頭文字はT
常に合理的であることが
いかに大事か分かりますね。
日本は今も昔も
情や序列やメンツが
邪魔をして悪手を放置する癖が
治りませんね。。
うーん非常事態には狂気も重要かと思うおいらです(ひろゆき風)
零戦はその長大な航続距離が特長に挙げられますが、生身の人間が操縦するという基本的な視点が欠けているのでは。
高速道路を1時間走っただけでも結構気疲れしますが、その数倍の時間を常に緊張しながら飛行し、激闘の後、また数時間かけて帰投してくる・・・。
車なら疲れれば路肩に停めて小休止できますが飛行機では・・・超人的な技量を持ったベテラン搭乗員だからこそ乗りこなせたのでしょう。
知識不足ですみません。
零戦というのは、今後想定される戦闘において重要視されるだろうとの意図のもと、九六式艦戦の超改良版という期待されたイメージがあったのですが、それでも軍部としては「仕方なく作ろうか」くらいの熱量だったのでしょうか。
アメリカは戦法を変えたんですね
ゼロ戦が、最初は、有利でしたが、アメリカ軍の戦法に、やられていつたのですが、マイナーチェンジしながら、防弾装備をつけて攻撃に、また、アメリカ軍が、戦法有利でも、2体あるいは3体でと、戦法を変えていくなら、互角に闘えたかもしれません。
うーん物の総量が違いすぎる感じはします
そもそも艦爆、艦攻もだが後継機が遅れたのが痛いし零戦に関しては烈風を海軍陸軍でゴタゴタすんなやだし当時の軍の頭でかい戦闘機へのアレルギーをガン無視して瑞星じゃなく金星詰め込んだ方が良かったと思うし、まぁ歴史にifは無いから何とも言えないけどもし金星エンジン採用してエンジン強化と共に防弾増やしてもさすがにパイロット足りなくて厳しいね〜
一般的に格闘戦から一撃離脱の対応が遅れてみたいな話がありますが、日本軍は最初から基本は一撃離脱です。大戦初期に英米のパイロットが勝手に水平格闘戦を仕掛けてやられただけで、日本軍は、より格闘戦性能に優れる先代モデルである96艦戦や97戦との模擬戦闘で旋回戦よりも垂直機動を生かした一撃離脱が有効だと言う結論を出していました。
そうなんですね。教えて下さってありがとうございます
実際にアメリカに行って零戦と他国の戦闘機触らせてもらったけど、零戦はほんと空き缶みたいに軽い音がなりました。
米戦闘機コルセアやドイツ戦闘機fw190は重い音がなりました。
すごい貴重な経験ですね。どこでそんなことできたんですか?
大人の教養TV えーどこだったかな…カリフォルニアの結構田舎にある大きな牧場の隣にある民営博物館です!!
戦術の変化ですが日本海軍もそこまで遅くはありません。43年5月後半から二〇四空が1小隊4機編成と米軍と同じように編隊空戦に対応し、二五一空や五八二空なども1小隊3機編成から順次1小隊4機編成の訓練をしています。
そうなんですね!勉強不足でした
アメリカの戦術
対零戦空戦戦術 「サッチ・ウィーブ」
ジョン・サッチ少佐により考案された戦術。
アリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着した零戦
「アクタン・ゼロ」と呼ばれいた。
さっちマジやばいっすね
大人の教養TVさん
サッチ・ウィーブ戦術を用いていた米軍さえも…
「絶対に零戦とは1対1での格闘戦はやっていけない」と厳命されていたそうですよ。
ちなサッチ・ウィーブは対零戦用の戦法だと思ってる人多いけど実は違うらしい、
なんかの 映画で見たが 燃料のガソリンも 日本のは 精度が悪いらしく アメリカの燃料で 飛んだ零戦は更に性能upしたとか。
永遠のゼロでしたっけ
そうなんですね
零式艦上戦闘機も有名ですが、私は紫電改や雷電、震電、百式司令部偵察機などが好きです🛩
航空機専門なんですか?
大人の教養TV いいえ、ただの飛行機オタクです笑
圧倒的といっても過言でない技術力の差・・・しかし結果として負けたのは、やはり資源力・資本力の圧倒的な差があったというのが、理由の大きなひとつなんでしょうねぇ。戦争の切っ先を制することは出来ても、それで決着をつけることが出来なければ、長引けば資本・資源の少ないほうが・・・負けるよね?「数の暴力」には勝てないもの。・・・フツウはそうですよね?でも、前回の動画のときも宗ですが、見ていてすごくわかりやすく、それでいて嫌味のない(お笑いもないですがw)、すごく良い動画だと、今回も思いました。まとめかたがすごくいいですねぇ・・・ほんとw。
全くおっしゃる通りだと思います
旋回するときにスピード落とすってのは地上のクルマの発想ではないでしょうか?ベクトル合成図描けばわかるように、旋回中は揚力が内側にはたらきますから、同じエンジン回転数、ピッチなら高度が落ちてしまいます。普通に訓練されたパイロットなら旋回時にはむしろスロットルを開くと思いますよ。
そうなんですね!お詳しい!
旋回時は高度を維持するためスロットルを開き増速し高度低下をふさぐのが常識です。
そういう事ではなく、軽量低翼面荷重で失速せずに敵機より小さい旋回半径で機動できるという事で、結果として誘導抵抗のため敵機より低速での旋回となる。
旋回するときにスピードを落とすという解説自体は合っています。
同時期に作った隼は意外と防弾はありました。陸軍の飛行機は防弾装備をつけていたから生き残ったベテランが海軍よりは多いみたいです。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます
昔あった宮城県沖地震について解説して欲しい‼️
東日本大地震ならあります
風立ちぬを観て
零戦に興味を惹かれました。
何度見てもかっこいい機体です
P-51とか言うアメリカの戦闘機はとても早く零戦ではなかなか追いつけなかったらしいです
アメリカすげー
追いつけない以前に
飛んでいる高度に辿り着かないし
辿り着いでも空戦をするほどの
運動能力を持ちませんでした。
そりゃ最優レシプロ戦闘機と比べちゃいけませんわ...
アメリカのレーダーは日本人の発明
高周波マグネトロンも日本人
零戦かー、名前からしてめっちゃ強そう! 紫電改も零戦ぐらい強いよね
強かった…ですね
強くないです。最新鋭かつ陸上運用の局地戦闘機でF6Fと張り合ってるようじゃダメ。
@@user-simikou 国のため戦った人に失礼。
@@ppppppppp7747 事実強くないから仕方ないです。現実に目を向けましょう。
@@user-simikou 日本を思って?もう少し
紫電改もめちゃくちゃ強いよ。終戦間近に作られたから挽回しても遅かったけど中盤とかにもし完成出来たら変わってた
僕も紫電改が好きです。図面が焼却されたのか、詳細は分かりませんが。
今も新明和工業が引き継いでますね。
@@n1k4_a48 さん 紫電改の設計図は全く残っていないそうですが、元となった紫電の基本設計図は原図が残っており、新明和工業の宝として大切に保管されているそうです。
@@菅野裕之 さん そうでしたか。ありがとうございます。
いや、変わらないね
いくら優秀な航空機を作っても肝心の手練れのパイロットがいなくなってた。
手練れのパイロットを育成するには5年はかかる。
実際には日本軍の無線機の空一号は評判は凄く悪くて何をゆってるか分からないらしいですが、その後の空二号ではハッキリ聞こえる等の評判が多く見られました
その為紫電改で有名な戦闘三〇一飛行隊等に多く用いられたりしました。
それと零戦の防弾性能についてなのですが、後半の零戦五二型〜は防弾が強化されていますし、レバーを引くと燃料タンクに炭酸ガスが噴射されて鎮火する装置や自動消化装置などが付けられました。
零戦五二型丙とゆう機種では自動消化装置に加えてコックピットのガラスの部分を55mmの防弾ガラスに変更したりしていました。
そうだったんですね。詳しくありがとうございます
しかしエンジン出力が変わらないため速度も出ず運動性も劣化するという結果に。
「ぜろせん」と呼ぶときと、「れいせん」と呼ぶときがありますが、どちらなんでしょう?
れいせんは日本海軍の呼び方
ゼロセンはアメリカ軍の呼び方
そういうことです。
元々みんなれいせんって呼んでました
現代人だけですぜろせんってよぶのは
でも文献によれば当時の日本人でもゼロセンと呼んでた人がいるみたいですよ。どっちなんでしょ?
@@kaz3736 うーん…
大人の教養TV
ウソはいけない。当の搭乗員が、ゼロ戦と呼んでいた。もちろん戦時中もそう。
人それぞれだったんですよ。
確かに拝見いたしました。
当トピックに関してのコメントは割愛させて頂きます。
が、逆にリクエストさせてもらえませんか?
それは名古屋大空襲と、あと豊川海軍工廠に関するものです。
米国は当時から日本のモノ作りの一大拠点が愛知に存在し、そしてそれをどれほどに恐れていたかがわかると思います。
でついでに家康さんが建てた名古屋城が道連れになったと。
豊川に関してはある意味では広島、長崎よりもインパクトはあるかもしれませんので。
宜しくお願いいたします。
当トピックに関する感想も聞きたいです!
日本の社会は軍隊に限らず、村社会の延長なのです。
真珠湾攻撃でこれからの戦争は航空機主体になると世界に見せつけ、そのため世界の軍隊の作戦は大きく変わりましたが、日本は大和を最後までとっておき沖縄特攻に向かわせました。
零戦の場合も三菱製と中島飛行機製では微妙に部品が違い、戦地の修理工は壊れた「部品を別の部品に付け替え」が難しく大変困ったそうです。
アメリカの場合「新鋭機と一緒に絵図面のファイル」が送られてきます。分解時「Ⅰページ、この部品を外せ」→順にページをめくっていくと分解できます。逆にファイルの後から前に向かえば組み立てられます。日本では整備工が覚えられないと鉄拳制裁でした。
「島国、同じ言語」と「移民社会、多言語、様々な人種」の差は大きい気がします。
なるほど詳しくありがとうございます
防弾や自動消火機能の導入が遅れたのは「ベテランの反対」ではなく源田のような「持久戦の戦略というものを分かってない人」の反対のせいではないでしょうか?現場では大したことのない被弾で次々と命が失われる状況下、防弾や自動消火機能の装備を上層部に懇願していたと記憶しています。
それと日米の命に対する考え方の違いですね。米は機体コストよりパイロットを養成するコストのほうが高い、機体はすぐ補充できるがパイロットの養成には時間がかかる、ここをよく理解していたので、空戦海域付近には潜水艦が待機していて、撃墜されても潜水艦が救助し、すぐに戦線に復帰させることができました。
なるほど
コストの面で機械より人だったんですね
この当時の日本には、人こそが宝と言う発想はない。悲しいかな。陸軍然り海軍も。搭乗員なんかは一丁一夕には育たないのに。