【三国志】孫家三代に仕えた呉の大黒柱「程普」の解説【ゆっくり歴史解説】

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 24 дек 2024

Комментарии •

  • @hiroakimaccarthur5570
    @hiroakimaccarthur5570 3 месяца назад

    『質実剛健』とは程公その人

  • @zyukatimes4982
    @zyukatimes4982 Год назад +6

    三国志演義は後半で出てきた人物でも前倒しで出すときあるからな
    蜀の廖化なんて黄巾の乱から五丈原の戦いまで生きてたって無理がある
    世代の違う同音異語の別人が後年同じ名で伝わったり、名前の伝わってない人物の功績を次代の有名人の功績にしたり……

  • @tomohiro19880307
    @tomohiro19880307 Год назад +3

    いつも楽しく拝見しています^ ^
    横山三国志だと、玉璽の証明しか仕事が無い不遇キャラですが、実際は猛将&ツンデレキャラだと知り、一気に好きになりました笑

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +3

      剛腕の老将ほんと好き(笑)

    • @tomohiro19880307
      @tomohiro19880307 Год назад +1

      @@KOUMEI_NO_WANADA
      まるでビュコック提督のようですね笑

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +2

      銀河英雄伝説で一番好き

    • @tomohiro19880307
      @tomohiro19880307 Год назад +1

      @@KOUMEI_NO_WANADA
      めっちゃ分かります(*゚∀゚*)b

  • @ひょうべえ
    @ひょうべえ Год назад +2

    三国志でよく聞くif「もし諸葛亮が関羽と共に荊州にいたら」果たして今回の程普と周瑜のような関係を築くことができたでしょうか?・・簡単では無いと思いますね。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +4

      諸葛亮ならたぶん大丈夫だったとは思ってます。逆に諸葛亮以外の名士と協調できないのが問題なわけで…('ω')

    • @ひょうべえ
      @ひょうべえ Год назад +1

      ​@@KOUMEI_NO_WANADA う〜ん、正史を読むかぎりでは諸葛亮と関羽は相性がいいというよりは、諸葛亮が関羽に一方的に気を遣っているようにみえますね。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +4

      一応、諸葛亮におだてられた書状に関羽が大喜びして、客人が来るたびにウキウキでその書状を見せてたなんて話もあります(笑)
      というか諸葛亮や周瑜みたいに、家格の低い兵隊野郎に気を遣える名士も少なかったと思いますので、これはどっちもどっちではある…🐎

    • @nomoney8296
      @nomoney8296 Год назад +1

      ​@@KOUMEI_NO_WANADA
      諸葛亮と周瑜は超大物でありながら兵隊野郎にもちゃんと敬意を払えるのがやっぱり偉人って感じだよね

  • @korekorebox
    @korekorebox Год назад

    朱儁ではなくて幽州刺史だった陶謙配下で、涼州反乱討伐で孫堅と一緒になった時に部下に加わったんじゃないかと思うな。

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Год назад +7

    当時周瑜と不仲だったとしても、赤壁の戦いの時の程普は周瑜と同じ立場だったと思う。張昭は名士で主君が変わってもそれなりの地位が期待できたけど、程普は叩き上げの武人だったので主君が変われば低い地位からの再スタートになっただろうから。

  • @ろっこく堂
    @ろっこく堂 Год назад +7

    程普が軍部の最古参で武官筆頭格ということを考えると赤壁で降伏論者だったとは到底思えません、というかむしろ武官達を代表して抗戦を主張していたのではないでしょうか。
    ただ、先々代から仕える軍部の最古参とはいえ幽州出身の元小役人では「外交方針を決める」という地元豪族や知識人などエリート達の独壇場での発言力は高々知れてますが・・・
    あと、周瑜を嫌っていたのは単に「曹操は俺たちがヤる。青白いエリートは引っ込んでろ!」という現場上がりの古参あるあるでしかないように思います。
    そして低姿勢のエリートにコロッとやられるのもまた現場上がりの古参にはよくあること。(程普と廉頗、なんとなくイメージが被りますね。)

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +2

      キングダムの廉頗そのものみたいな感じは確かにある(笑)

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 Год назад +9

    程普と周瑜を見て、戦国時代の廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)に似ている気がする。欲を言えば契りを交わせば完璧だが、そこまで程普に求めるのは酷な気もする。最終的には周瑜を認めたのだから、それなりに潔いと信じよう。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +3

      兵隊野郎にもちゃんと親切丁寧に敬意をもって接することが出来る周瑜は流石('ω')

  • @小野裕輝-o7p
    @小野裕輝-o7p Год назад +4

    程普は叩き上げの軍人で周瑜は名門出のエリート貴公子。周瑜のような名門層が兵卒出の人を気遣えるのが難しい。お互い同じ層の出身だったら上手くいくのかな?

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +2

      ここらへんは劉備軍でもよく見られる構図ですよね🤔

    • @nomoney8296
      @nomoney8296 Год назад +1

      しょ、諸葛亮先生は張飛にも優しかったから

  • @未来のまぞく軍師
    @未来のまぞく軍師 Год назад +5

    孫権は後に呂蒙と孫皎を左右の指揮官にして荊州を攻めようとしたが呂蒙に「程普と周瑜の時は危うかったですよ。」と言われて呂蒙を総大将にしてることから赤壁のころは存亡の危機なのにかなりギスギスしてたんじゃないかなと思う。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +2

      周瑜と陸遜の心労って、どっちが大きかったんだろう? なんてたまに思ったりする('ω')

    • @未来のまぞく軍師
      @未来のまぞく軍師 Год назад +2

      断金と言われた親友孫策が亡くなったことはかなりのストレスになったと思う。まだ26歳ですよ。

  • @月友
    @月友 Год назад +3

    【もの凄く脱線した幽州関連の話】
    良くみると…
    韓当 →幽州遼西郡令支県の人
    公孫瓚→幽州遼西郡令支県の人
    韓当と公孫瓚は出身県まで同じの完璧な同郷人。ここから脱線です(笑)
    張飛は涿郡の人。
    張華は范陽郡方城県の人。
    張華は張良の末裔とされてます。
    范陽郡は曹丕によって名称が変えられた地です。元の地名は涿郡です。
    張飛と張華は同族で張良の子孫なのか?
    張飛の生まれた県名は不明だから可能性はあるかもしれない。(原文では「涿郡人也」しか書いてない)
    これが張飛、張華同族説です。ところが血筋を見るとこんな感じ。
    張晧→張綱→張続→○→張翼
    張晧→張宇→張孟成→張平→張華
    どうも張華は張飛よりも張翼の方が血が近い。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +2

      張姓めちゃくちゃ居るから、探したらまだまだ面白い話出てきそう(笑)

    • @shou-sho
      @shou-sho Год назад +4

      @@KOUMEI_NO_WANADA さん
      こういった出自の元ネタ、だいたい『新唐書』宰相世系です。
      (これと『隋書』経籍志はネタの宝庫です)
      なお、系図の信憑性については神君家康公ぐらいはあります(笑)

  • @aaaa3042
    @aaaa3042 Год назад +3

    今でこそ知勇兼備の将軍タイプというイメージですが、初期のコーエーゲームの能力値では、典型的な文官タイプ(または中途半端な軍師タイプ)でしたね。

    • @aaa-zh4wt
      @aaa-zh4wt Год назад +1

      虚弱文官程普、虚弱文官ホウ徳、猛将郭図ほんとすき

  • @mechadebu
    @mechadebu Год назад +5

    孫策「旗揚げしたいけど大義名分がないなぁ……」
    孫堅「あるよ(漢の守護者ポイー)」
    孫策「旗揚げしたいけど名士の支持がないなぁ……」
    孫堅「あるよ(周瑜ポイー)」
    孫策「旗揚げしたいけど軍事力がないなぁ……」
    孫堅「あるよ(程普ポイー)」
    パパ……🥺

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +1

      たぶん遺産の中で、一番恩恵大きいの程普だと思うのん🐎

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Год назад

      @@KOUMEI_NO_WANADA 朱治とかいう劇物も孫策担いで孫堅軍団復活を目指してたから…

  • @上田徹-c7l
    @上田徹-c7l Год назад

    実績や君主からの信頼などから程普が四天王や軍部筆頭なのに
    演義やゲームの創作で黄蓋に知名度を奪われ気味なのが不憫な気がします
    好きなラジオ番組は文化放送の超!A&G+の番組全般です

  • @nomoney8296
    @nomoney8296 Год назад

    周瑜とのエピソードは他の人も触れてるけど、刎頸の二人を思わせるものがありますよね
    逆にこの話が有名なばかりに優秀な戦歴より古参の宿将で周瑜と対立した老将みたいなイメージが先行しちゃってるのが残念かも

  • @shou-sho
    @shou-sho Год назад +4

    まあ程普と韓当が重宝されたのは、騎兵が扱えるからですよね。(孫呉に騎兵があるとは言ってない)
    張純の乱(187年)で故郷を失ったので、しかたなく孫堅パパについて行ったのかなあ?

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад +1

      まぁ、あの頃は幽州あたりぐっちゃぐちゃだったイメージありますしねぇ…(笑)

  • @tk2011
    @tk2011 Год назад +1

    曹操や劉備陣営の武将で喩えるなら誰か?と考えてみたけど、パッと思い浮かばんかった。
    イメージ的に呉懿っぽい印象はあったけど。
    周瑜love が可愛いなw(このlove が歴史的にも影響したということか)。
    ハンセン病はたしか大谷吉継も罹ったとされる感染症やったかな。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Год назад

      ですね。癩病とも言われてるアレです。

    • @aaa-zh4wt
      @aaa-zh4wt Год назад

      孫賁、呂範らと共にずーっとバリバリの主力だったので関羽張飛や曹仁夏侯淵みたいなものでしょう。
      全っ然目立たないし知名度も無いけどな!

  • @拓也高瀬
    @拓也高瀬 Год назад +1

    やはり、感染症には勝てなかったか( ´Д`)=3