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私が常々思っていることを言語化してくれるのが久能整だなと心底思える回
動画最初の「自分が殺されたくないから」もけっこうシンプルで良いと思った。
要は整の理屈を一言でまとめてくれてるからね
殺されても良いと思ってる人はヤッていいってことになるくないですか?
@@ハッピーもやしナムル死にたくない理由と殺されたくない理由って一緒じゃない?
頭が良いかどうかの基準ってこういう言語化能力の有無なんだと気付かされる。
情が残るとまだ思える未熟者に向けるべきは阿久津先生の言葉と痛み。まだ熱があるだけ救いがある。情など育たぬと思う愚か者に向けるべきは久能の言葉と冷たさ。取り付く島も与えない。きっと冷徹かつ一瞬で人を切り捨てるのが久能の言葉。
こんなセリフ考えた作者さん改めてすげぇなぁと
人を殺してはいけないと思う人が圧倒的多数のなかで逆のことを言えば反対される。そんな世の中をすばらしいと思う。
人を殺してはいけないと原作のままの台詞を書いた脚本家が、SNSの誹謗中傷で死に至るほど原作者を追い詰めた悲劇。
女王の教室、阿久津先生との違いをぜひお楽しみ下さい!みなさんからのご感想お待ちしております。
人を殺してはいけないのではなく、人を殺したのならそれなりの報いを受ける、これが法律。法律は秩序を守ることで安寧が約束されている保険のようなものだと、これを見てより実感した。
そうだわ、人を殺してはいけない法律ないわ
これには共感出来るのに、普段コメント欄で「今の日本は〜」とか「海外に比べて〜」とか言う輩の何と多いことか…
話としては面白いし、着眼点にも感心させられた。でもな、罰則がある時点で してはいけない と言われているんだよ。
禁止されていないならやってもいいよね。って考える人いるよな……
@@ああああ-c6i 「その代わり、自分のやった事には責任が発生するよ。やった事は返って来るよ。やりたい事をやって責任はイヤだ、そんなのただのわがままで迷惑なんだよ。秩序を守ってる人は、それを分かって、自分の平穏を守る為にやらないのが最善だって知ってるから、やらないんだよ。それでもやりたいなら、やっていい代わりにやられれる所へ行きなさい。君の望みが叶う場所だ」言葉をなぞってるだけだけど、天パ君の言ってることはこういう事。
大好きなドラマ😊❤
このBGMのヴァイオリンの曲名が分かる方いらっしゃいませんか?
たしか、ヴィヴァルディの四季だったと思います!
@@慣性の法則-s2qうわぁ❗ ありがとうございます❗❗❗聞いたことあるけど、曲名が分からない場合がほとんどなのでとてもありがたいです❗あなたの優しい心に感謝します😢💖
この動画を見て思ったのは、トランスジェンダー女性をかたる元男性が女性のスポーツ大会に出ることに似てるな、だ。
なんか漫画のイメージと違うな。もっと穏やかな感じがよかったわ。
人殺していい世界だったら、怖くて誰も外出ないし、配達業も成立しないからみんな飢えて死ぬよね。
そーゆーレベルの話じゃないんですよ
@@okm-w7cそーゆーレベルの話ですよ
そーゆーレベルの話なの?
@@T-tn2er 親に聞いてご覧私はあんたの親じゃない
@@kei.suzuki君はわからんことは親にしか聞かんのか?
整くんって面倒くさがれるけど言ってることは全て正しいのがすごいよね
正しくないやつだよ。単に👨が嫌いなだけ
全て正しすぎるのが面倒臭いのかもね。100%正しく生きれる人間の方が少ないから
@@nacchan2221 作品は嘘の塊。女性向けポルノなんだよなあ。常に男叩いてる
人を殺してはいけないって、人間の本能レベルである禁忌の感情なんじゃないかな。この犯人?の方が知りたいのはきっとその感情の所以なんだろうけど、この説明はルールの説明であって感情の説明ではない。どうして人を好きになってしまうの?って質問があったとして、そういう質問をする人が求めているのは感情の方の理由なのに、社会を維持していくためですよ、とか答えてしまってる感じ、
普通に、戦争行ったら。サクッと◯されるよ。当たり前の話を、解りやすく言ってくれる。良いね👍
いいですね
人間同士で共有される倫理道徳や法律といった概念は個人個人のエゴイズムから生まれる利害関係の調停、調整の機能でしかない。平常時に倫理道徳や法律を守ることは手段でしかない。緊急時に戦争で他国の人間を殺す行為は手段でしかない。家畜を殺して食べることは手段でしかない。 中絶とは手段でしかない。 死刑とは手段でしかない。自殺とは手段でしかない。安楽死とは手段でしかない。緊急避難によって他者の命を奪わなければ自身が生き延びることができない状況下で、やむを得ず他者の命を奪うという行為は手段でしかない。目的とはあくまでも個人個人が生存し続けることであり、(状況によっては生存すら手段。生きるのが苦痛だったら自殺する人間もいる)個人個人が快楽を追求することそのものであり、個人個人が不快感から逃れ出ることそのものであり、個人個人がエゴイズムを追求することそのものでしかない。状況によっては自ら進んで不快な状況や行動を選んだり、快楽への行動を節制しなければならない場面も当然に認められるが、それらは中長期的な視点におけるより大きな快楽や利益を期待するため(あるいはより大きな不快や不利益を回避するため)の行為であり、やはりエゴイズムに還元される行為に他ならない。(この解釈で言うなら愛も友情も親子関係も職場の人間関係も例外なく利害関係となる。)
そして、エゴイズムとエゴイズムの結びつきの中であらゆる利害関係とパワーバランスが発生する。個人や組織、組織内の各部門、各共同体、国家どうしの利害関係など。一例として現代の日本の制度では、各地域で多数決投票によって選ばれた政党と政治家で国会が構成され、それらの人員達の更なる議論と投票を経て新しい法律が生まれたり、改変されたり、改憲されたりして施行され運営される。↑多数派の意見は少数派の意見を弾圧するという場面は現実において非常によく見られる。多数派と少数派のパワーバランス。多数派の都合によって『声にもならない圧倒的少数派』の人間がどれだけ不幸になろうが、不快だろうが、絶望しようが、自殺しようが、『社会における集団的自殺幇助罪』というものが適応されるということは無い。(多数派や強者が法律を作ってるんだから当たり前)多数派を説得してコミュニティのコンセンサスを変貌させるという状況もパワーバランス。この他にも個人のカリスマ性や政治的資金の多寡、政治力、調整力、各メディアや各組織、各インフルエンサー個人の影響力、発信力、洗脳力、情報力、情報量の非対称性など、ありとあらゆる諸要素によってパワーバランスや権利の不均衡状態は発生し得る。(右翼左翼、人種、宗教問題、各政党、国家や地域に根付いた土着文化、あるいは社会と世界情勢による国民心理状態の変貌、海外からの外圧など影響要素は多岐に渡る。)パワーバランスの変貌に伴う法改正の可能性について、日本においては、安楽死合法化>死刑制度の廃止>>>>>>中絶の禁止>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>動物に人権を認める↑可能性について考えるなら上記のような順番で法改正があり得ると思う。利害関係調停、調整の機能としての法はこのようにして生まれ、場合によっては廃止され、あるいは変化することがある。法の強制力を担保するための背景となる要素は何か。それは軍事力という制圧機能である。
軍事力の背景によって強制力が担保されていなければ、その法律は「存在しないことと同義」である。家畜として殺される牛や豚がもしも彼らの間だけで成立するような「鳴き声の言語」を持っていたと仮定する。その言語の中で「人間は我ら牛や豚を殺害して食料にすることを禁ずる」といった法律を作ったとしても、人間の行為を押さえつけるがための軍事力を家畜は所有していないので、その法律は「存在しないことと同義」である。それと全く同様に、AIが人間よりも圧倒的に強大な力を持った時代を仮定する。そのような状況下で我々人間が、「AIは我々人間を絶滅させることを禁ずる」といった法律を作ったとしても、AIの行為を押さえつけるがための軍事力を人類が所有していないが故にその法律は「存在しないことと同義」なのである。あと、国家の法とか軍事力に対してメタな位置にいる権力者は自分自身の判断で人を殺していたりする。政敵を何十人も(あるいは何百人も?)暗殺してるプーチンとか、中東各国の政治対立を煽って武器を輸出しまくってるどっかの国際ヤクザとか。そして、無政府状態だったソマリアなどはそもそも法も警察組織も存在しないので、事実上の殺りたい放題の有様となっていた時もあった。あとは、プチエンジェル事件やエプスタイン島の事件の首謀者を口封じとして殺害するとか、各国のマフィアが警察と癒着して犯罪行為を助長したり、黙認したり、警察組織それ自体が凶悪犯罪に積極的に加担している場面すらある。↑そして彼らのような社会的強者がどのような凶悪犯罪を遂行しようとも彼らが死刑になるという可能性はほぼほぼあり得ないだろう。
レイ・カーツワイルはAIの能力が全人類の知能を合計した10億倍の知能を獲得し、それらは自身で自身の改良を重ね続ける再帰的な自己組織化によって爆発的な知能のインフレーションが起こる時代をシンギュラリティと定義し、2045年頃に到来すると予想した。この新しく生まれるであろうAIという生命(?)は、歴史上、太古の時代に地球全体の環境を根本的に、破壊的に一新させてきたような大変革をもたらすモノなのかもしれない。原生代に生まれた光合成細菌が、当時のほとんどの生命にとって猛毒であった酸素という分子を生み出し、大量の生命を絶滅させたように。一部の生命が偶然の変異によって「眼」を獲得し、他の生命へと能動的に距離を詰めて一方的な捕食者となったように。それに追従するように他の生命も「眼」を獲得し、遊泳能力を高めたり、硬い外骨格を纏ったり、それを砕くための強い歯を獲得したりと、進化の軍拡競争が加速度的に激化したカンブリア爆発のように。そして人類の文明的活動によって環境破壊が加速し、現在、地球史上第六回目の生命の大量絶滅期に入っていると多くの生物学者は考えている。爆発的に進化するAIは地球全体にどのような影響をもたらすのだろうかもし地球上に大変革をもたらし、環境を劇的に変えてしまうのなら、それはAIによる第七回目の大量絶滅を意味するのだろうかそれとも人類の活動からAIの活動を複合して第六回目の大量絶滅期に含めるべきだろうかそれとも人類にとっての理想郷を作り上げてくれるのだろうか作り上げられた理想郷はどの程度の期間維持できるだろうか歴史上、どれほどの回数、栄枯盛衰は繰り返されてきたのだろうか↑これはAIそれ自体の危険性というよりは、AI技術を使って自身の身体をサイボーグ化やマインドアップローディングなどの手法で強化したうえで「世界の覇権を握ろうとしている一部の人間の危険性」と表現するべきであろう。いずれにしても、系全体が熱力学第二法則に従いエントロピーを増大させ、そして増大したエントロピーを縮減させるためにより強大な複雑性と多様性を獲得し続ける宇宙の潮流は、明確に、完全に、非可逆的であり、絶対に誰も止めることはできない。(というより、望むと望まざるとに関わらず、高度複雑化する社会と世界の流れに乗り遅れる者は個人であろうと、組織であろうと、国家であろうと 淘汰圧という暴力に轢殺される運命にある)
――利他主義について1――利他主義とは他人から嫌われないための自己保身としての立ち回りと政治の手段であるか、単なる売名行為であるか、他人を蹴落とすための手段でしかない。利他行為とは、他者から評価されることで信頼という社会的資本を形成し、それらの資本を利用して他者を出し抜いたり、より良いポジションについたり、金銭や配偶者を得るための手段として利他行為を行っているということなので、背景に潜む目的は社会的生存競争を生き抜くためであり、完全に利己的な行為であると言える。つまり利他主義は手段であり、目的そのものは『他者を蹴落とし生存競争に生き延びる事』そのものであると言える。そして、人間の脳は『強力に認知機能が歪んでいる』ので、『自分が自分の生存と、生殖、そして他者から嫌われないための自己保身のことしか考えていない。』『他者を蹴落とすために、売名のために、嫌われないための立ち回りで利他行為を行っている。』という厳然たる事実に『自分自身で気づけない』ように脳が設計されているのである。(他者視点から見れば明らかに自分自身の利益のことしか考えていないように振舞っていることが一目瞭然なのに。)なぜ『自分が自分のことしか考えていない』というこれほどまで単純明快で、少しも考えないでも簡単に分かる事実に気づくことができないほど人間の認知機能は強力に歪んでいるのだろうか?答えは『自分が自分のことしか考えていない』という事実に『自分でも気づかないように認知機能を歪める』ことで、他者に対して『自分自身に敵意や悪意が無い』ということをアピールするための『自然な演技』ができるようになるという生存競争にとっての有利性があったため、『自分で自分を騙す』方向へと淘汰圧が働いたわけである。この『自分自身が善人であるという思い込み、勘違い』が強力であればあるほど『自然な演技』で他者を騙し通せる可能性が高くなるので、敵を作る可能性を最小化し、そして他者から人格者だと評価されやすくなるということになる。『敵を騙すにはまず味方から』よろしく『他者を騙すには、まず自分から』ということである。
――利他主義について2――他者から人格者だと評価されている人物は、「人格者であると他人から評価される」ことで社会的資本を獲得し、それらの評価や名声を利用して地位や権威や金銭や配偶者を獲得するために立ちまわっているだけということになる。(↑そして繰り返しになるが利他行為を行う本人はそのことに基本的に自覚できないように脳が設計されている。自覚している人も自覚した上でその事実を言わない。敵を作らないために言う理由がない。)人格者を人格者だと評価する他者は、人格者本人が生存戦略として『他者を蹴落とすために利他行為を行っている』という事実を見抜けていないし、それを評価する他者は単純に『騙されている』という事実に気づいていないことが多い。↑しかも、利他主義を評価し、それを行う本人を人格者と評価する他者は、どのような基準で評価するかといえば、 単純に『自分(達)にとって”都合がいいから”』という自己保身と利益のためである。 (つまり都合が悪くなったとたんに手の平を返す準備はいつでもできている。)利他主義の背景に潜む真実の意図は、生存競争の論理を生き残るための手段であって、それ自体が目的化することは基本的に無い。(極一部遺伝子による本能を離れ、文字通り聖人君子として活動している人間というものは確かに存在する。しかし、そのような人たちは、文化を残すことはあっても、遺伝子を残すことは少ないように思う。)「利他主義を巡る生物的、社会的闘争」は単なる「選別と淘汰の過程」でしかない。例えばマイケル・サンデル氏が「能力主義による格差は不当だ」と語る自身の書籍の売り上げが伸びることによって、サンデル氏は「富と名声を獲得する」ことで、「サンデル氏と一般庶民との間での格差が更に広がっている」ということが事例として挙げられる。あとは、「何も持たずに生きよう」と歌ったジョン・レノンが馬鹿でかい豪邸に住んでいたとか。程度問題ではあるが人類はみな「言ってることとやってることが違う」ものである。(もちろん私自身も)・生物的、社会的生存競争としての蹴落とし合いの利他主義・意識に上る認識や言語化と、実際の行動や習慣の著しい乖離(脳のモジュール性)・人類全般が「自分が自分のことしか考えていない」ことに「自分で気づけない」ように進化したこと上記のことについて詳しく知りたい人は、・「生物の社会進化 ロバート・トリヴァース」・「だれもが偽善者になる本当の理由 ロバート・クルツバン」・「人が自分を騙す理由 ケヴィン・シムラー , ロビン・ハンソン」・「利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス」などの進化生物学者の書籍を参照。
菅田将暉かっこいいよおおおおおおおおおお
これって、そこに意志があるかないかが結構大きいかなと思います。例えば、手術を失敗したせいでその患者が死んでしまった場合も「殺した」ことに含まれる。この拡大解釈が法律で括られると他人とちょっとあいさつするだけでも法律に触れる可能性がでてきてしまうし、めちゃくちゃ細かくパターンをわけた条文を構築せざるをえなくなる。だから人を殺してはいけない。という法律がないのかなと。逆に人は助け合わなくてはならない。ってのもない気がします。社会的に人間らしく過ごすみたいなのはあったような気はしますが。
戦時下になれば(相手も軍服を着ていれば)人を殺してもOK
日本は平和ボケって言われることあるけど、ボケれるほど幸せなことはないよな。それを維持するための力は必要なのかもはしれんけど。
菅田将暉はちゃんと原作読んだのか?それとも監督や演出家が悪いのか?まったく整君じゃない
要はいい歳して甘えたこと言ってんなボケって事です。
やっぱり漫画の整のイメージと菅田将暉合わない…
これと同じ理屈を2011年に法律論から話した覚えがある これを言うと、みんなに天才的と言われたが俺はみんなわかってるけど ひとりふたりわからない人がいるかもと言う前提で話したので驚いたのを思い出した😮
捕まらなかったら人を563のか? はい!!!!
この世界のルールは「罰を受ける覚悟があるなら、罪を犯しても良い」それだけです。戦争に関しては、敵を殲滅する事は罪にはなりません。従って罰を受けません。久能の発言は、彼の優等生的個人的見解に過ぎません。久能は「社会のルールを守れないなら出ていけ」と自分勝手な独善的主張をしているだけで、人を56してはいけない理由を根本的に説明できていません。むしろ、人を56してはいけないという法律はない、と断言しています。私は、阿久津真矢の言う「相手が痛くて苦しいから。人の未来を奪う権利は誰にもない」という言葉の方が、人間的で腑に落ちます。ちなみに私が最も共感した言葉は「生きなさいキキ(ジョージ秋山)」の「56しちゃいけねえってことはねえよ キキ どいつもこいつも生きてる値打ちなんかねーんだからよ」ですね。補足 @user-od4sl8rh9w (okm)による返信「ぶの あんたも結局答えられてないのに気づいてないの? 人の説に乗っかって腑に落ちますって言ってるやん それがこの問題はしっかりとした答えがないって言ってるようなもんだろ じゃあ整は答えをごまかしたのか? 整は人を殺しちゃいけないなんてことはないってしっかり答えてその後補足まで入れてるんやで? 結局アンタがそうまでして伝えたいのって、俺はこういう考えでこっちの方が正しいと思う!って駄々こねてるだけやんけ」という煽りコメントをいただきましたが(本人により削除済)私のコメントの内容も主旨も全く理解しておらず、完全に的外れです。そもそも私は主様が、久能と阿久津真矢の発言の違いについての感想を求めていらしたので、先の返信をしたに過ぎません。
そりゃ生物としての正解と人間としての正解は違うから「どうして人を殺しちゃいけないの?」って話に感情や人間らしさを排した答えになっちゃうんだと思う
つまり、あなたは久能の理屈を支持している、と理解して良いのですか?あと、あなたの言う「生物としての正解」「人間としての正解」について、それぞれ説明してもらえれば助かります。
社会のルールを守れないなら出ていけとは言ってないでしょう。同じルールの場所でファイトしてくればいいと言ってるだけです。具体的に言うなら今殺し合いしてるウクライナ軍やロシア軍の義勇兵でもやりにいけばいいんですよ。まぁ軽率にこういう事を言うような人間はそんな根性もないでしょうがね。
@@mudai1111 回りくどい久能の理屈を直訳すれば「社会のルールを守れないなら出ていけ」という意味でしょう。久能自身が「一般社会の秩序を重んじる事ができないなら戦場へでも行けばいい」「水泳大会にやって来て棒高跳びがしたいって言うなら棒高跳びの大会に出たらいい」という意味の発言をしているではありませんか。あなたの言う「同じルールの場所でファイトしてくればいい」は「社会のルールを守れないなら出ていけ」と同義です。
ま、この人に乗っかるわけじゃないけどさ整は法律は無いけど罰則がありますって簡単に流したけどじゃあなんで罰則があるの?って話じゃない?なんで人を殺したら罰を受けるのかって説明をしてないよねここを答えずに別の話に流したから、整は根本的な問題から逃げたって思うんやろうな実際ここの問題に答えなんかないよ、調べたけど皆言うことがバラバラやしまぁ、そりゃ自分が殺されたくないから皆殺すのやめへん?ってのが一番しっくりくるやろな
法律はないといっていますが、◯人罪は刑法に分類される法律ではないのですか?素朴な疑問です。
"人を殺してはいけない"という法律はないんですよね。"殺したらこういう罰がありますよ"ってだけなんです。屁理屈と言われればそうなんですけど、基本的に"してはダメ"って法律にあまりないです。
刑法はそれ自体を禁止してるわけではない。人殺しと引き換えに懲役刑になるというだけ。逆に言えば懲役刑になる覚悟があるんだったら人殺しでも良いという法律にもなってる
日本だと20歳未満の酒タバコを禁止しているよね、これは明確に法律で禁止されてるんだよ、これを破れば罰則があるよって。でも殺人の場合は明確に法律で禁止にはしてないから、殺してもいいけど一応罰は受けてもらうよって感じなんよ。
@@ささまー-i7d ちなみに人殺しの禁止は憲法に反してたりする
刑法の条文に「人を殺してはいけない」と書く意味が無いから書いていないだけです。人を殺してはいけないという規範は、文言ではなく罰則に裏付けられ、社会的な合意として確かに存在する。なので「人を◯してはいけないなんて法律は無い」という主張は、いささか無理がありますね。法学部に入ったら、刑法の一番最初に学びます
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。これだって結局は警察に逮捕されて裁判所で判決が出た場合のみなんですよね。殺人を犯したから即捕まるとは限らないし、意外と殺人を犯しておいて捕まらない人って結構いるんじゃないかと思う。
だから最高に調子乗ってます
世の中善悪なんてそもそもない片方から見ればその行いは悪であり善なんだよそして弱肉強食なのだよ
うっせぇわのコメント欄かよ
よくドラマとかで展開される詭弁だけど、これに影響されて論じてる人が居て笑いを堪えるのに必死だった。
「どうして人を56してはいけないか」を問うのって90年代にも流行ったけど、やはり体罰で激しく痛めつける必要があるよな
じゃあ自分が激しく痛め付けられろよと言われたら?
拒否しますが?そこにロジックなど必要無い
こういう「なぜ人を564たらいけないんですかあ〜?」とかヘラヘラしてる輩の成れの果てが石丸伸二なんだろうなあ
@@kei.suzukiなんで体罰が必要なの?
@@kei.suzuki必要って言っておきながら嫌なんやな😂
例えが遠すぎて何言ってるかわからん
あ、理解能力があまりない方ですか?
例え下手だよね
で、こいつはこの御高説のあと、殺されちゃったんでしょ?
まぁ及第点かな
では、貴方の思う完璧な回答が知りたいです。
人を殺す自由殺さない理由はあっても殺しはいけない理由殺してもいい理由なんてないでしょ 誰も答えられないのが証拠では?
@@T-tn2erそれ言ってる事整くんと一緒なのオモロ
@@not9730いや違うでしょ
私が常々思っていることを言語化してくれるのが久能整だなと心底思える回
動画最初の「自分が殺されたくないから」もけっこうシンプルで良いと思った。
要は整の理屈を
一言でまとめてくれてるからね
殺されても良いと思ってる人はヤッていいってことになるくないですか?
@@ハッピーもやしナムル死にたくない理由と殺されたくない理由って一緒じゃない?
頭が良いかどうかの基準ってこういう言語化能力の有無なんだと気付かされる。
情が残るとまだ思える未熟者に向けるべきは阿久津先生の言葉と痛み。まだ熱があるだけ救いがある。
情など育たぬと思う愚か者に向けるべきは久能の言葉と冷たさ。取り付く島も与えない。
きっと冷徹かつ一瞬で人を切り捨てるのが久能の言葉。
こんなセリフ考えた作者さん
改めてすげぇなぁと
人を殺してはいけないと思う人が圧倒的多数のなかで逆のことを言えば反対される。そんな世の中をすばらしいと思う。
人を殺してはいけないと原作のままの台詞を書いた脚本家が、SNSの誹謗中傷で死に至るほど原作者を追い詰めた悲劇。
女王の教室、阿久津先生との違いをぜひお楽しみ下さい!
みなさんからのご感想お待ちしております。
人を殺してはいけないのではなく、人を殺したのならそれなりの報いを受ける、これが法律。
法律は秩序を守ることで安寧が約束されている保険のようなものだと、これを見てより実感した。
そうだわ、人を殺してはいけない法律ないわ
これには共感出来るのに、普段コメント欄で「今の日本は〜」とか「海外に比べて〜」とか言う輩の何と多いことか…
話としては面白いし、着眼点にも感心させられた。
でもな、罰則がある時点で してはいけない と言われているんだよ。
禁止されていないならやってもいいよね。って考える人いるよな……
@@ああああ-c6i 「その代わり、自分のやった事には責任が発生するよ。やった事は返って来るよ。やりたい事をやって責任はイヤだ、そんなのただのわがままで迷惑なんだよ。
秩序を守ってる人は、それを分かって、自分の平穏を守る為にやらないのが最善だって知ってるから、やらないんだよ。
それでもやりたいなら、やっていい代わりにやられれる所へ行きなさい。君の望みが叶う場所だ」
言葉をなぞってるだけだけど、天パ君の言ってることはこういう事。
大好きなドラマ😊❤
このBGMのヴァイオリンの曲名が分かる方いらっしゃいませんか?
たしか、ヴィヴァルディの四季だったと思います!
@@慣性の法則-s2qうわぁ❗ ありがとうございます❗❗❗
聞いたことあるけど、曲名が分からない場合がほとんどなので
とてもありがたいです❗あなたの優しい心に感謝します😢💖
この動画を見て思ったのは、トランスジェンダー女性をかたる元男性が女性のスポーツ大会に出ることに似てるな、だ。
なんか漫画のイメージと違うな。
もっと穏やかな感じがよかったわ。
人殺していい世界だったら、怖くて誰も外出ないし、配達業も成立しないからみんな飢えて死ぬよね。
そーゆーレベルの話じゃないんですよ
@@okm-w7c
そーゆーレベルの話ですよ
そーゆーレベルの話なの?
@@T-tn2er
親に聞いてご覧
私はあんたの親じゃない
@@kei.suzuki
君はわからんことは親にしか聞かんのか?
整くんって面倒くさがれるけど言ってることは全て正しいのがすごいよね
正しくないやつだよ。
単に👨が嫌いなだけ
全て正しすぎるのが面倒臭いのかもね。100%正しく生きれる人間の方が少ないから
@@nacchan2221 作品は嘘の塊。
女性向けポルノなんだよなあ。
常に男叩いてる
人を殺してはいけないって、人間の本能レベルである禁忌の感情なんじゃないかな。
この犯人?の方が知りたいのはきっとその感情の所以なんだろうけど、この説明はルールの説明であって感情の説明ではない。
どうして人を好きになってしまうの?って質問があったとして、そういう質問をする人が求めているのは感情の方の理由なのに、社会を維持していくためですよ、とか答えてしまってる感じ、
普通に、戦争行ったら。
サクッと◯されるよ。
当たり前の話を、
解りやすく言ってくれる。
良いね👍
いいですね
人間同士で共有される倫理道徳や法律といった概念は個人個人のエゴイズムから生まれる利害関係の調停、調整の機能でしかない。
平常時に倫理道徳や法律を守ることは手段でしかない。
緊急時に戦争で他国の人間を殺す行為は手段でしかない。
家畜を殺して食べることは手段でしかない。
中絶とは手段でしかない。 死刑とは手段でしかない。
自殺とは手段でしかない。安楽死とは手段でしかない。
緊急避難によって他者の命を奪わなければ自身が生き延びることができない状況下で、
やむを得ず他者の命を奪うという行為は手段でしかない。
目的とはあくまでも個人個人が生存し続けることであり、
(状況によっては生存すら手段。生きるのが苦痛だったら自殺する人間もいる)
個人個人が快楽を追求することそのものであり、
個人個人が不快感から逃れ出ることそのものであり、
個人個人がエゴイズムを追求することそのものでしかない。
状況によっては自ら進んで不快な状況や行動を選んだり、快楽への行動を節制しなければならない場面も当然に認められるが、
それらは中長期的な視点におけるより大きな快楽や利益を期待するため(あるいはより大きな不快や不利益を回避するため)の行為であり、
やはりエゴイズムに還元される行為に他ならない。
(この解釈で言うなら愛も友情も親子関係も職場の人間関係も例外なく利害関係となる。)
そして、エゴイズムとエゴイズムの結びつきの中であらゆる利害関係とパワーバランスが発生する。
個人や組織、組織内の各部門、各共同体、国家どうしの利害関係など。
一例として現代の日本の制度では、
各地域で多数決投票によって選ばれた政党と政治家で国会が構成され、それらの人員達の更なる議論と投票を経て
新しい法律が生まれたり、改変されたり、改憲されたりして施行され運営される。
↑多数派の意見は少数派の意見を弾圧するという場面は現実において非常によく見られる。
多数派と少数派のパワーバランス。
多数派の都合によって『声にもならない圧倒的少数派』の人間がどれだけ不幸になろうが、
不快だろうが、絶望しようが、自殺しようが、『社会における集団的自殺幇助罪』
というものが適応されるということは無い。(多数派や強者が法律を作ってるんだから当たり前)
多数派を説得してコミュニティのコンセンサスを変貌させるという状況もパワーバランス。
この他にも個人のカリスマ性や政治的資金の多寡、政治力、調整力、
各メディアや各組織、各インフルエンサー個人の影響力、発信力、洗脳力、
情報力、情報量の非対称性など、
ありとあらゆる諸要素によってパワーバランスや権利の不均衡状態は発生し得る。
(右翼左翼、人種、宗教問題、各政党、国家や地域に根付いた土着文化、あるいは社会と世界情勢による国民心理状態の変貌、海外からの外圧など影響要素は多岐に渡る。)
パワーバランスの変貌に伴う法改正の可能性について、日本においては、
安楽死合法化>死刑制度の廃止>>>>>>中絶の禁止>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>動物に人権を認める
↑可能性について考えるなら上記のような順番で法改正があり得ると思う。
利害関係調停、調整の機能としての法はこのようにして生まれ、場合によっては廃止され、あるいは変化することがある。
法の強制力を担保するための背景となる要素は何か。
それは軍事力という制圧機能である。
軍事力の背景によって強制力が担保されていなければ、その法律は「存在しないことと同義」である。
家畜として殺される牛や豚がもしも彼らの間だけで成立するような「鳴き声の言語」を持っていたと仮定する。
その言語の中で「人間は我ら牛や豚を殺害して食料にすることを禁ずる」といった法律を作ったとしても、
人間の行為を押さえつけるがための軍事力を家畜は所有していないので、その法律は「存在しないことと同義」である。
それと全く同様に、AIが人間よりも圧倒的に強大な力を持った時代を仮定する。
そのような状況下で我々人間が、「AIは我々人間を絶滅させることを禁ずる」といった法律を作ったとしても、
AIの行為を押さえつけるがための軍事力を人類が所有していないが故にその法律は「存在しないことと同義」なのである。
あと、国家の法とか軍事力に対してメタな位置にいる権力者は自分自身の判断で人を殺していたりする。
政敵を何十人も(あるいは何百人も?)暗殺してるプーチンとか、中東各国の政治対立を煽って武器を輸出しまくってるどっかの国際ヤクザとか。
そして、無政府状態だったソマリアなどはそもそも法も警察組織も存在しないので、事実上の殺りたい放題の有様となっていた時もあった。
あとは、プチエンジェル事件やエプスタイン島の事件の首謀者を口封じとして殺害するとか、
各国のマフィアが警察と癒着して犯罪行為を助長したり、
黙認したり、警察組織それ自体が凶悪犯罪に積極的に加担している場面すらある。
↑そして彼らのような社会的強者がどのような凶悪犯罪を遂行しようとも彼らが死刑になるという可能性はほぼほぼあり得ないだろう。
レイ・カーツワイルはAIの能力が全人類の知能を合計した10億倍の知能を獲得し、
それらは自身で自身の改良を重ね続ける再帰的な自己組織化によって爆発的な知能のインフレーションが
起こる時代をシンギュラリティと定義し、2045年頃に到来すると予想した。
この新しく生まれるであろうAIという生命(?)は、歴史上、太古の時代に地球全体の環境を根本的に、破壊的に
一新させてきたような大変革をもたらすモノなのかもしれない。
原生代に生まれた光合成細菌が、当時のほとんどの生命にとって猛毒であった酸素という分子を生み出し、
大量の生命を絶滅させたように。
一部の生命が偶然の変異によって「眼」を獲得し、他の生命へと能動的に距離を詰めて一方的な捕食者となったように。
それに追従するように他の生命も「眼」を獲得し、遊泳能力を高めたり、硬い外骨格を纏ったり、それを砕くための
強い歯を獲得したりと、進化の軍拡競争が加速度的に激化したカンブリア爆発のように。
そして人類の文明的活動によって環境破壊が加速し、現在、地球史上第六回目の生命の大量絶滅期に入っていると
多くの生物学者は考えている。
爆発的に進化するAIは地球全体にどのような影響をもたらすのだろうか
もし地球上に大変革をもたらし、環境を劇的に変えてしまうのなら、
それはAIによる第七回目の大量絶滅を意味するのだろうか
それとも人類の活動からAIの活動を複合して第六回目の大量絶滅期に含めるべきだろうか
それとも人類にとっての理想郷を作り上げてくれるのだろうか
作り上げられた理想郷はどの程度の期間維持できるだろうか
歴史上、どれほどの回数、栄枯盛衰は繰り返されてきたのだろうか
↑これはAIそれ自体の危険性というよりは、AI技術を使って自身の身体を
サイボーグ化やマインドアップローディングなどの手法で強化したうえで
「世界の覇権を握ろうとしている一部の人間の危険性」と表現するべきであろう。
いずれにしても、系全体が熱力学第二法則に従いエントロピーを増大させ、
そして増大したエントロピーを縮減させるためにより強大な複雑性と多様性を獲得し続ける
宇宙の潮流は、明確に、完全に、非可逆的であり、絶対に誰も止めることはできない。
(というより、望むと望まざるとに関わらず、高度複雑化する社会と世界の流れに乗り遅れる者は
個人であろうと、組織であろうと、国家であろうと 淘汰圧という暴力に轢殺される運命にある)
――利他主義について1――
利他主義とは他人から嫌われないための自己保身としての立ち回りと政治の手段であるか、
単なる売名行為であるか、他人を蹴落とすための手段でしかない。
利他行為とは、他者から評価されることで信頼という社会的資本を形成し、
それらの資本を利用して他者を出し抜いたり、より良いポジションについたり、金銭や配偶者を得るための手段として
利他行為を行っているということなので、背景に潜む目的は社会的生存競争を生き抜くためであり、完全に利己的な行為であると言える。
つまり利他主義は手段であり、目的そのものは『他者を蹴落とし生存競争に生き延びる事』そのものであると言える。
そして、人間の脳は『強力に認知機能が歪んでいる』ので、
『自分が自分の生存と、生殖、そして他者から嫌われないための自己保身のことしか考えていない。』
『他者を蹴落とすために、売名のために、嫌われないための立ち回りで利他行為を行っている。』
という厳然たる事実に『自分自身で気づけない』ように脳が設計されているのである。
(他者視点から見れば明らかに自分自身の利益のことしか考えていないように振舞っていることが一目瞭然なのに。)
なぜ『自分が自分のことしか考えていない』というこれほどまで単純明快で、
少しも考えないでも簡単に分かる事実に気づくことができないほど
人間の認知機能は強力に歪んでいるのだろうか?
答えは
『自分が自分のことしか考えていない』という事実に『自分でも気づかないように認知機能を歪める』ことで、
他者に対して『自分自身に敵意や悪意が無い』ということをアピールするための
『自然な演技』ができるようになるという生存競争にとっての有利性が
あったため、『自分で自分を騙す』方向へと淘汰圧が働いたわけである。
この『自分自身が善人であるという思い込み、勘違い』が強力であればあるほど『自然な演技』で他者を騙し通せる可能性が高くなるので、
敵を作る可能性を最小化し、そして他者から人格者だと評価されやすくなるということになる。
『敵を騙すにはまず味方から』よろしく『他者を騙すには、まず自分から』ということである。
――利他主義について2――
他者から人格者だと評価されている人物は、「人格者であると他人から評価される」ことで社会的資本を獲得し、
それらの評価や名声を利用して地位や権威や金銭や配偶者を獲得するために立ちまわっているだけということになる。
(↑そして繰り返しになるが利他行為を行う本人はそのことに基本的に自覚できないように脳が設計されている。
自覚している人も自覚した上でその事実を言わない。敵を作らないために言う理由がない。)
人格者を人格者だと評価する他者は、人格者本人が生存戦略として『他者を蹴落とすために利他行為を行っている』という事実を見抜けていないし、
それを評価する他者は単純に『騙されている』という事実に気づいていないことが多い。
↑しかも、利他主義を評価し、それを行う本人を人格者と評価する他者は、どのような基準で評価するかといえば、
単純に『自分(達)にとって”都合がいいから”』という自己保身と利益のためである。
(つまり都合が悪くなったとたんに手の平を返す準備はいつでもできている。)
利他主義の背景に潜む真実の意図は、生存競争の論理を生き残るための手段であって、
それ自体が目的化することは基本的に無い。
(極一部遺伝子による本能を離れ、文字通り聖人君子として活動している人間というものは確かに存在する。
しかし、そのような人たちは、文化を残すことはあっても、遺伝子を残すことは少ないように思う。)
「利他主義を巡る生物的、社会的闘争」は単なる「選別と淘汰の過程」でしかない。
例えばマイケル・サンデル氏が「能力主義による格差は不当だ」と語る自身の書籍の売り上げが
伸びることによって、サンデル氏は「富と名声を獲得する」ことで、「サンデル氏と一般庶民との間での格差が更に広がっている」
ということが事例として挙げられる。
あとは、「何も持たずに生きよう」と歌ったジョン・レノンが馬鹿でかい豪邸に住んでいたとか。
程度問題ではあるが人類はみな「言ってることとやってることが違う」ものである。(もちろん私自身も)
・生物的、社会的生存競争としての蹴落とし合いの利他主義
・意識に上る認識や言語化と、実際の行動や習慣の著しい乖離(脳のモジュール性)
・人類全般が「自分が自分のことしか考えていない」ことに「自分で気づけない」ように進化したこと
上記のことについて詳しく知りたい人は、
・「生物の社会進化 ロバート・トリヴァース」
・「だれもが偽善者になる本当の理由 ロバート・クルツバン」
・「人が自分を騙す理由 ケヴィン・シムラー , ロビン・ハンソン」
・「利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス」
などの進化生物学者の書籍を参照。
菅田将暉かっこいいよおおおおおおおおおお
これって、そこに意志があるかないかが結構大きいかなと思います。
例えば、手術を失敗したせいでその患者が死んでしまった場合も「殺した」ことに含まれる。
この拡大解釈が法律で括られると他人とちょっとあいさつするだけでも法律に触れる可能性がでてきてしまうし、めちゃくちゃ細かくパターンをわけた条文を構築せざるをえなくなる。
だから人を殺してはいけない。という法律がないのかなと。逆に人は助け合わなくてはならない。ってのもない気がします。
社会的に人間らしく過ごすみたいなのはあったような気はしますが。
戦時下になれば(相手も軍服を着ていれば)人を殺してもOK
日本は平和ボケって言われることあるけど、ボケれるほど幸せなことはないよな。それを維持するための力は必要なのかもはしれんけど。
菅田将暉はちゃんと原作読んだのか?
それとも監督や演出家が悪いのか?
まったく整君じゃない
要はいい歳して甘えたこと言ってんなボケって事です。
やっぱり漫画の整のイメージと菅田将暉合わない…
これと同じ理屈を2011年に法律論から話した覚えがある これを言うと、みんなに天才的と言われたが俺はみんなわかってるけど ひとりふたりわからない人がいるかもと言う前提で話したので驚いたのを思い出した😮
捕まらなかったら人を563のか? はい!!!!
この世界のルールは「罰を受ける覚悟があるなら、罪を犯しても良い」それだけです。戦争に関しては、敵を殲滅する事は罪にはなりません。従って罰を受けません。
久能の発言は、彼の優等生的個人的見解に過ぎません。久能は「社会のルールを守れないなら出ていけ」と自分勝手な独善的主張をしているだけで、人を56してはいけない理由を根本的に説明できていません。むしろ、人を56してはいけないという法律はない、と断言しています。私は、阿久津真矢の言う「相手が痛くて苦しいから。人の未来を奪う権利は誰にもない」という言葉の方が、人間的で腑に落ちます。
ちなみに私が最も共感した言葉は「生きなさいキキ(ジョージ秋山)」の「56しちゃいけねえってことはねえよ キキ どいつもこいつも生きてる値打ちなんかねーんだからよ」ですね。
補足
@user-od4sl8rh9w
(okm)による返信
「ぶの あんたも結局答えられてないのに気づいてないの? 人の説に乗っかって腑に落ちますって言ってるやん それがこの問題はしっかりとした答えがないって言ってるようなもんだろ じゃあ整は答えをごまかしたのか? 整は人を殺しちゃいけないなんてことはないってしっかり答えてその後補足まで入れてるんやで? 結局アンタがそうまでして伝えたいのって、俺はこういう考えでこっちの方が正しいと思う!って駄々こねてるだけやんけ」
という煽りコメントをいただきましたが(本人により削除済)私のコメントの内容も主旨も全く理解しておらず、完全に的外れです。そもそも私は主様が、久能と阿久津真矢の発言の違いについての感想を求めていらしたので、先の返信をしたに過ぎません。
そりゃ生物としての正解と人間としての正解は違うから
「どうして人を殺しちゃいけないの?」って話に感情や人間らしさを排した答えになっちゃうんだと思う
つまり、あなたは久能の理屈を支持している、と理解して良いのですか?あと、
あなたの言う「生物としての正解」「人間としての正解」について、それぞれ説明してもらえれば助かります。
社会のルールを守れないなら出ていけとは言ってないでしょう。
同じルールの場所でファイトしてくればいいと言ってるだけです。具体的に言うなら今殺し合いしてるウクライナ軍やロシア軍の義勇兵でもやりにいけばいいんですよ。まぁ軽率にこういう事を言うような人間はそんな根性もないでしょうがね。
@@mudai1111
回りくどい久能の理屈を直訳すれば「社会のルールを守れないなら出ていけ」という意味でしょう。久能自身が「一般社会の秩序を重んじる事ができないなら戦場へでも行けばいい」「水泳大会にやって来て棒高跳びがしたいって言うなら棒高跳びの大会に出たらいい」という意味の発言をしているではありませんか。あなたの言う「同じルールの場所でファイトしてくればいい」は「社会のルールを守れないなら出ていけ」と同義です。
ま、この人に乗っかるわけじゃないけどさ
整は法律は無いけど罰則がありますって簡単に流したけど
じゃあなんで罰則があるの?って話じゃない?
なんで人を殺したら罰を受けるのかって説明をしてないよね
ここを答えずに別の話に流したから、整は根本的な問題から逃げたって思うんやろうな
実際ここの問題に答えなんかないよ、調べたけど皆言うことがバラバラやし
まぁ、そりゃ自分が殺されたくないから皆殺すのやめへん?ってのが一番しっくりくるやろな
法律はないといっていますが、◯人罪は刑法に分類される法律ではないのですか?
素朴な疑問です。
"人を殺してはいけない"という法律はないんですよね。"殺したらこういう罰がありますよ"ってだけなんです。
屁理屈と言われればそうなんですけど、基本的に"してはダメ"って法律にあまりないです。
刑法はそれ自体を禁止してるわけではない。
人殺しと引き換えに懲役刑になるというだけ。
逆に言えば懲役刑になる覚悟があるんだったら人殺しでも良いという法律にもなってる
日本だと20歳未満の酒タバコを禁止しているよね、これは明確に法律で禁止されてるんだよ、これを破れば罰則があるよって。
でも殺人の場合は明確に法律で禁止にはしてないから、殺してもいいけど一応罰は受けてもらうよって感じなんよ。
@@ささまー-i7d ちなみに人殺しの禁止は憲法に反してたりする
刑法の条文に「人を殺してはいけない」と書く意味が無いから書いていないだけです。
人を殺してはいけないという規範は、文言ではなく罰則に裏付けられ、社会的な合意として確かに存在する。
なので「人を◯してはいけないなんて法律は無い」という主張は、いささか無理がありますね。
法学部に入ったら、刑法の一番最初に学びます
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
これだって結局は警察に逮捕されて裁判所で判決が出た場合のみなんですよね。殺人を犯したから即捕まるとは限らないし、意外と殺人を犯しておいて捕まらない人って結構いるんじゃないかと思う。
だから最高に調子乗ってます
世の中善悪なんてそもそもない
片方から見ればその行いは悪であり善なんだよ
そして弱肉強食なのだよ
うっせぇわのコメント欄かよ
よくドラマとかで展開される詭弁だけど、これに影響されて論じてる人が居て笑いを堪えるのに必死だった。
「どうして人を56してはいけないか」を問うのって90年代にも流行ったけど、やはり体罰で激しく痛めつける必要があるよな
じゃあ自分が激しく痛め付けられろよと言われたら?
拒否しますが?
そこにロジックなど必要無い
こういう「なぜ人を564たらいけないんですかあ〜?」とかヘラヘラしてる輩の成れの果てが石丸伸二なんだろうなあ
@@kei.suzukiなんで体罰が必要なの?
@@kei.suzuki必要って言っておきながら嫌なんやな😂
例えが遠すぎて何言ってるかわからん
あ、理解能力があまりない方ですか?
例え下手だよね
で、こいつはこの御高説のあと、殺されちゃったんでしょ?
まぁ及第点かな
では、貴方の思う完璧な回答が知りたいです。
人を殺す自由殺さない理由はあっても殺しはいけない理由殺してもいい理由なんてないでしょ 誰も答えられないのが証拠では?
@@T-tn2erそれ言ってる事整くんと一緒なのオモロ
まぁ及第点かな
@@not9730
いや違うでしょ