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今回は、家康と秀忠の対話が素晴らしかった。父ほどの才もなく取るに足らぬ自分は、秀頼に比べ明らかに劣っていると言う秀忠に、家康は才は受け継がれていると説く。自分の弱さを素直に認められることこそが、強みだと。かつて武田信玄の家康評が、同様だった。ひ弱で臆病だが己の弱さを正当に自己評価している。それは、今川氏真が父義元から言われた”天賦の才なき者が武芸学問に励むことにより、いずれ才ある者を凌ぐ”と同義だ。戦を求める者に天下を渡さず、王道による治世への志を秀忠に託す家康の姿は、義元、信玄、信長を経て戦国期の集大成のように感じた。弱き子だった家康が父となり同じ悩みを持つ秀忠を諭す場面が、時の流れと父と子の”入れ子構造”も表していた。老いの身である家康が、若さの象徴である秀忠、秀頼に対し願った”あるべき世の姿”だとも感じた。大河ドラマ前半部と後半部が見事に響き合う協奏曲のような構成、”戦なき世を作る!”という主題テーマが基調として繰り返し現れる秀麗な演出だと思う。
上手い解説しますね。納得です。
@@田中一郎-r5z さん ありがとうございます😊
今回の「2人のプリンス」というタイトルは『秀頼と秀忠』だけでなく、『(かつての)家康と氏真』にも掛かってましたね。中々粋なタイトル。
なるほどです。
確かにさまざまな対比を感じました✨その二人のプリンスの組み合わせも色々で 王道という父・義元の意志をつげなかった氏真の代わりにその意志を継いだ“弟”・家康。家康が『全て劣っている/勝てない』と嘆いた覇王/武力で氏真を蹴散らした父・信玄に覇道という意志を託され,際立つ武将である父親を超えようとしたものの家臣が離れていき覇道を継げ倒せなかった優れたプリンス勝頼。王道という父の意志を継いでほしいといわれ,完璧な血筋とオーラと人望に包まれたスーパープリンス秀頼に『負ける自信がある』といった凡庸プリンス秀忠。と,同時に,凡庸で弱い父よりさらに弱いながら決して主人を見捨てない強力な家臣団に支えられて父が出来なかった王道を完成させるもう一人の秀忠。極めて優れた武将が世をさったとたんに崩壊していった今川家と武田家から王道と覇道の全てを学び,家臣に強められる凡庸な二代のプリンスがいろいろ取捨選択して織田,豊臣という覇道の峰々を超えて大地に注いでゆく,今の日本の礎を築いた徳川という壮大な大河の王道。
長くなってすみません。家康と氏真 そして父親の目標や家臣団との関係とその盛衰から,秀忠と勝頼という二人のプリンスもとても超対照的で見応えがありました。
上座の譲り合いは今回のクライマックスシーンと思えるヒリヒリする緊張感があって一番面白かったなあ。(個人感想です)秀頼の賢さが遺憾なく発揮されて、是は家康にとってこの若さでこの胆力は脅威かつ危険に感じたのが良かった。
豊臣秀吉が当時の人達からは【神】として慕われていた。という件は説明も分かりやすく、的を得た視点だなと感心致しました。どの動画も良く時代考証がなされていて、本当に毎週楽しみです❗️
二人のプリンスの対比も面白かったけど、やはり元プリンスの氏真が幸せそうで嬉しかったです。
俺もそう思う、幸せそうで良かった
5:45あたりの「ドラマの加藤清正の真意も」と、史実とキチンとわけながら、ドラマの中の裏の気持ちを汲み取る、という姿勢に感心しました「いちばんわかりやすく説明できるのは私だ」ぐらいに自信を持っていろんなイベントにも参加してください〜、 がんばれ!
今回は個人的に『どうする家康』全話のなかで一番好きだった。カリスマ性がない秀忠の苦悩がつらすぎた。
秀忠さんには怒られちゃうかなあ? 優しい生母 お愛さまがご存命で、「あなたにもいいところがある!」って、明るく励まし続けててあげられたら。って思いました。
武士道さん、凄く活躍されてますね〜なんかちょっと遠くに感じたりして😂いえいえ喜んでいます❗️体に気をつけて頑張ってくださいね❗️いつも楽しみにしております😊
どっちが上座か?じゃなく、上座に座った方の負けって駆け引きは面白かったなぁ 「気品とカリスマの卵故に家康に危機感抱かせる」って造形が今までの大河の秀頼像で多かったけど今作は「策士」という点で「これはまごうこと無き秀吉の子だ…」って危機感抱かせるタイプの秀頼でしたね。謙譲に見えた詭計(徳川視点)はまさに覇道の徒。王道と相容れない…秀忠は毛利隆元と絶対うまい酒飲めそうなキャラだったなぁ→「父上が偉大過ぎてしんどい…」「わかりますぞ…」 でも己の弱さを知るという点で君主として120点なのも面白い
僕は小学生の頃の歴史の授業で、「徳川家康」は「関ヶ原の戦い」で勝利した後、一気に天下人まで登り詰めたと教わったのですが、実際には関ヶ原の戦いの後も家康は豊臣氏との間で微妙な政治的な駆け引きをしており、とても安定しているとは、言えなかった訳なんですよね・・・その政治的駆け引きを、今回は存分に楽しめて面白かったです。
ますます面白い展開の、どうする家康が、楽しみな、私です。最終回迄に全部観ます。わくわくドキドキしながらね、
民百姓を思えば家康ほど徳をもって治めた人間もいないわけですがこれを語る人は本当に少ないですね
感想忘れました〜😅ウィンさん、いい味出してます!できる事をちゃんとやるってとても大切なんだなぁと考えさせられました。目立つこと凄いことだけが凄いんじゃない、と思って私もちゃんとやらなきゃな😊徳をもって治むるは王道…覚えた👍
秀頼は茶々様に完全に洗脳されてた、今回の作間君は秀吉の子供ですわ😂、演技はプリンスらしくてカッコ良かったです。そして氏真様との再開に兄と弟の抱き合う姿に泣けました😢😢😢ずっと忍耐強く生きてきた家康公、兄の氏真様に本心をみせたのは兄弟そのものでした😭2人のプリンス脚本は素晴らしいかったです✨
鎌倉殿のあの最終回からもう1年経つというのが信じられない・・
相手の本拠地に赴かず自領に籠もっていたばかりに相手の実力を見誤り無謀な戦を仕掛けようとする。皮肉なことにかつて秀吉に対して家康が犯しかけた過ちを秀吉の息子の秀頼がなぞるような形になってしまいましたね。片桐且元は秀頼にとっての石川数正になれなかった。
氏真様がここで再登場するとは…。「救われた命もある…」は感動のセリフでしたね。 今回も詳しい解説ありがとう御座いました より一層ドラマの内容が深く解りました。
北条フェスティバル興味深いです!まさかMummy-Dさんと武士道さんがコラボするとは!思いもよりよりませんでした😳
2日空いたので、ちと心配してました。良かった良かった😂
一度謳歌した栄華を豊臣家は忘れられなかったからかな🤔
今川氏真と再会シーンは感慨深かったですね… 度重なる戦や悲劇に疲れ果てる家康と出家した今川氏真との邂逅… 今川氏真は家康の苦悩を理解出来る数少ない生き残りですよね…
今回も解説ありがとうございます。豊国大明神の重み、家/康 の無礼さ加減等、当時の文化価値観を理解しないと見誤ってしまうので、こういう所の解説は本当にありがたいです。まだまだ頼りない秀忠も今後成長して家康の大事業を継いでいくのは我々知ってるんですが、如何せん今作では尺の問題で厳しいかな~、と。ちょっと残念ですが「どうする家康」なので仕方ないw茶々の今作での挑発行為、家康から攻めさせて義を得る、とでも考えていたのではないかと思いますが、例え主→従であっても 家/康 ってとんでもなく無礼な事だとすれば流石に義が立たないかなぁ…
ドラマを彩ったさまざまな英傑たちが世を去った後だけど、出色の回でした。これまで貫いてきたテーマが大団円、そして主役の最期に向かって収斂していくような
加藤清正、かっこいい最強の護衛、心強いありがたい😍🥶👍😍福島正則👍好き❤️
「俺には無理!お父ちゃんのパワーか通用するうちに蹴りつけて!」って言える秀忠もそれはそれで才能だと思う
秀忠は二代目天下人が何をしなければならないかを知っていた‥頼朝が秀吉が二代目に権力を継承できなかったその理由を知っていた‥鼓を打つだけがただ一つの趣味と凡庸な人物であると語られるが‥それだけではないように思う‥将軍を譲られた直後にそのただひとつの趣味もやめてしまったという。
秀頼側がそれなりに家康に対して準備をしていたのは、やはり秀吉も三法師の後見と言いつつも乗っ取った(?)わけで、自分たちがそうしたからこそ相手もそうするだろうと思うのは自然。当時は京都や大阪が中心なのだから、いくら家康が大御所で関東で250万石あろうとも、やはり地方の人なわけです。流行や噂だって西が発信源のことも多いはず。江戸なんてまだ開発中で田舎だし。そうなると首都圏にずっといる秀頼はやはり政治的にも有利だし、家康にとって邪魔ですよ。インターネットもない時代だから物理的な距離は大事だし、中心地に秀頼がいることは意味があるってことですね。
秀忠は、戦の経験あるが、秀頼には戦の経験がない。
いわゆる武断派と言われている清正を、本音ではすでに豊臣を見限っていた、と時代劇で描くのはまだ相当難しいでしょうね。でも、それを敢えてやることで、「秀吉恩顧の武断派からも、すでに見限られていた秀頼(豊臣)」という構図も、「新たな秀頼像」として悪くないのでは?と思いました。日本人は判官びいき大好きですからね。
三浦按針への改名イベント+船作りで丸々1回使って「鎌倉殿」とのリンクして欲しかったなぁw(三浦義村も後の世に異国人が家名を継ぐなんて思ってもいないだろうしw)
清正は秀頼護衛と言うのは建前で二条城に連れて行くための方便って感じですかねえ
豊臣は正式には「とよとみの」と呼ぶようです。「摂関家」とは藤原鎌足を祖とする公家であり、武家(大名)は「関白」には成り得ないのですが、秀吉は裏技を使い朝廷(天皇)より新たに「豊臣」の姓を貰い「関白」になりました。これは中臣鎌足が藤原姓を頂き藤原鎌足となったことと同意であり、武家であり公家でもあるという特殊な位を得たことを意味しています。つまりドラマ上の家康が秀頼を公家とみなし政から遠ざけようとした演出はおかしなことではない、と思います。
今回の題名、まじ乙女ゲームとかのタイトル過ぎてドキドキした。遂に大坂の陣シリーズ来ますね…!!
ゆずりあいで下座に座った秀頼。さすがラスボス。
二条城での家康と秀頼の上座への譲り合い… ダチョウ倶楽部のどうぞどうぞ…みたいな譲り合いで…笑 結果、家康が上座に座ってしまい、座り負け…って感じか…
九度山幽閉中の真田信繁が、京を徘徊😮
当初は捨て駒の牢人衆に感情移入しちゃったんかな。無論、突き上げというか脅しもあったろう。家中・牢人は盾というより檻だったんだろう。家康はそこを十分理解していたはず。牢人軍団から決別するには大和国替えしか選択肢は無かったと思うが、そうする前に捕らえられちゃっただろうし
私は加藤清正は豊臣と徳川を拮抗させる事で緊張状態を作り出してそれによって自分の存在価値を高めようとしたんじゃないかなと思っています
深夜の動画アップお疲れ様でございます♪ 今回の動画とは、あまり関係ないですが、「三河•遠江•駿河」の長(オサ)の時代に、家康は「殿」と呼ばれて当然です。 が、1603年に征夷大将軍となってからは「上様」と呼ばれて然るべきなのに、ドラマの中でも 相変わらず皆んなが「殿」と呼んでいますよね。 そして1605年に将軍を秀忠に譲位した後は「大御所」と呼ばれて然るべきなのに、皆んな「殿」と呼び、唯一 秀頼のみが「大御所」と呼んでいましたね。 と、同時に秀忠は「上様」と呼ばれて然るべきなのに「殿」と呼ばれているのは可笑しいですよね。
方廣寺の鐘銘ですが、私は長らく「徳川側の言いがかり」だと思っておりました。 が、今年の大河が家康なので、皆さん(歴史の研究者も含めて) 家康関連の動画を多くアップしていますね。 それらを拝見•拝聴していると、どうやら寺の鐘銘などというものは、よくよく吟味してから彫るものなのだそうで、天下をとった人物の諱を分断する様なことは 極めて無礼なのだそうで。 で、家康が立腹するのも当然なのだそうですね。 つまり豊臣は、解っていてワザとあの様な鐘銘を刻んだのだとか。
それほど無礼なものが、徳川の長い天下の期間も破却されることもなく、現存しているというのが、何とも。
@@武田信治-k6eだって壊したら壊したで「秀頼程の大人物がそんな馬鹿なことするはずがない、そういうでっち上げだったに違いない!」となるじゃん?これが体制側の難しいところで、結局のところ体制を批判したい人は何らかの方法で批判する理由をひねり出すのだから、相手の落ち度は証拠を保全しておく方が間違いない。
やっぱあの茶々はラスボスて言うかもう徳川家に敵をまわしてるようんなもんですねw
浅井家には、茶々が産まれた記録がないため、そのへんも家康なら知っていた事情がありそうです。
お疲れさまです……、エンコード時間がかかっちゃったのかな……?こんな深夜にお疲れさまでした〜✨💦
そういえば、家康は死んでいて影武者説がありましたが、せっかく家康が主役なので、詳しくお話聞けたらいいなぁ。と思いました。
秀吉恩顧なのか豊臣恩顧なのか。。。
この大河…面白いんだけど…なんかダメなんだよなぁ🫢 なにが邪魔してるんだろう🤔
本作は従来の通説からかなり逸脱するので、動画制作大変ですよね💦お疲れ様です。
宮中でHなパーティ⁈現代も昔も、スケベな人は変わらずいるんですね…笑
「えっちなのはいけないと思いますッ!!」 ← たぶんお目当ての女官が乱パに参加してた
今回は、家康と秀忠の対話が素晴らしかった。父ほどの才もなく取るに足らぬ自分は、秀頼に比べ明らかに劣っていると言う秀忠に、家康は才は受け継がれていると説く。自分の弱さを素直に認められることこそが、強みだと。かつて武田信玄の家康評が、同様だった。ひ弱で臆病だが己の弱さを正当に自己評価している。それは、今川氏真が父義元から言われた”天賦の才なき者が武芸学問に励むことにより、いずれ才ある者を凌ぐ”と同義だ。戦を求める者に天下を渡さず、王道による治世への志を秀忠に託す家康の姿は、義元、信玄、信長を経て戦国期の集大成のように感じた。弱き子だった家康が父となり同じ悩みを持つ秀忠を諭す場面が、時の流れと父と子の”入れ子構造”も表していた。老いの身である家康が、若さの象徴である秀忠、秀頼に対し願った”あるべき世の姿”だとも感じた。大河ドラマ前半部と後半部が見事に響き合う協奏曲のような構成、”戦なき世を作る!”という主題テーマが基調として繰り返し現れる秀麗な演出だと思う。
上手い解説しますね。納得です。
@@田中一郎-r5z さん ありがとうございます😊
今回の「2人のプリンス」というタイトルは『秀頼と秀忠』だけでなく、『(かつての)家康と氏真』にも掛かってましたね。中々粋なタイトル。
なるほどです。
確かにさまざまな対比を感じました✨その二人のプリンスの組み合わせも色々で 王道という父・義元の意志をつげなかった氏真の代わりにその意志を継いだ“弟”・家康。家康が『全て劣っている/勝てない』と嘆いた覇王/武力で氏真を蹴散らした父・信玄に覇道という意志を託され,際立つ武将である父親を超えようとしたものの家臣が離れていき覇道を継げ倒せなかった優れたプリンス勝頼。王道という父の意志を継いでほしいといわれ,完璧な血筋とオーラと人望に包まれたスーパープリンス秀頼に『負ける自信がある』といった凡庸プリンス秀忠。と,同時に,凡庸で弱い父よりさらに弱いながら決して主人を見捨てない強力な家臣団に支えられて父が出来なかった王道を完成させるもう一人の秀忠。極めて優れた武将が世をさったとたんに崩壊していった今川家と武田家から王道と覇道の全てを学び,家臣に強められる凡庸な二代のプリンスがいろいろ取捨選択して織田,豊臣という覇道の峰々を超えて大地に注いでゆく,今の日本の礎を築いた徳川という壮大な大河の王道。
長くなってすみません。家康と氏真 そして父親の目標や家臣団との関係とその盛衰から,秀忠と勝頼という二人のプリンスもとても超対照的で見応えがありました。
上座の譲り合いは今回のクライマックスシーンと思えるヒリヒリする緊張感があって一番面白かったなあ。
(個人感想です)
秀頼の賢さが遺憾なく発揮されて、是は家康にとってこの若さでこの胆力は脅威かつ危険に感じたのが良かった。
豊臣秀吉が当時の人達からは【神】として慕われていた。
という件は
説明も分かりやすく、的を得た視点だなと感心致しました。
どの動画も良く時代考証がなされていて、本当に毎週楽しみです❗️
二人のプリンスの対比も面白かったけど、やはり元プリンスの氏真が幸せそうで嬉しかったです。
俺もそう思う、幸せそうで良かった
5:45あたりの「ドラマの加藤清正の真意も」と、史実とキチンとわけながら、ドラマの中の裏の気持ちを汲み取る、という姿勢に感心しました
「いちばんわかりやすく説明できるのは私だ」ぐらいに自信を持っていろんなイベントにも参加してください〜、 がんばれ!
今回は個人的に『どうする家康』全話のなかで一番好きだった。カリスマ性がない秀忠の苦悩がつらすぎた。
秀忠さんには怒られちゃうかなあ? 優しい生母 お愛さまがご存命で、「あなたにもいいところがある!」って、明るく励まし続けててあげられたら。って思いました。
武士道さん、凄く活躍されてますね〜なんかちょっと遠くに感じたりして😂いえいえ喜んでいます❗️体に気をつけて頑張ってくださいね❗️
いつも楽しみにしております😊
どっちが上座か?じゃなく、上座に座った方の負けって駆け引きは面白かったなぁ 「気品とカリスマの卵故に家康に危機感抱かせる」って造形が今までの大河の秀頼像で多かったけど今作は「策士」という点で「これはまごうこと無き秀吉の子だ…」って危機感抱かせるタイプの秀頼でしたね。謙譲に見えた詭計(徳川視点)はまさに覇道の徒。王道と相容れない…
秀忠は毛利隆元と絶対うまい酒飲めそうなキャラだったなぁ→「父上が偉大過ぎてしんどい…」「わかりますぞ…」 でも己の弱さを知るという点で君主として120点なのも面白い
僕は小学生の頃の歴史の授業で、「徳川家康」は「関ヶ原の戦い」で勝利した後、一気に天下人まで登り詰めた
と教わったのですが、実際には関ヶ原の戦いの後も家康は豊臣氏との間で微妙な政治的な駆け引きをしており、
とても安定しているとは、言えなかった訳なんですよね・・・その政治的駆け引きを、今回は存分に楽しめて
面白かったです。
ますます面白い展開の、どうする家康が、楽しみな、私です。最終回迄に全部観ます。わくわくドキドキしながらね、
民百姓を思えば家康ほど徳をもって治めた人間もいないわけですがこれを語る人は本当に少ないですね
感想忘れました〜😅ウィンさん、いい味出してます!
できる事をちゃんとやるってとても大切なんだなぁと考えさせられました。目立つこと凄いことだけが凄いんじゃない、と思って私もちゃんとやらなきゃな😊
徳をもって治むるは王道…覚えた👍
秀頼は茶々様に完全に洗脳されてた、今回の作間君は秀吉の子供ですわ😂、演技はプリンスらしくてカッコ良かったです。そして氏真様との再開に兄と弟の抱き合う姿に泣けました😢😢😢
ずっと忍耐強く生きてきた家康公、兄の氏真様に本心をみせたのは兄弟そのものでした😭
2人のプリンス
脚本は素晴らしいかったです✨
鎌倉殿のあの最終回からもう1年経つというのが信じられない・・
相手の本拠地に赴かず自領に籠もっていたばかりに相手の実力を見誤り無謀な戦を仕掛けようとする。
皮肉なことにかつて秀吉に対して家康が犯しかけた過ちを秀吉の息子の秀頼がなぞるような形になってしまいましたね。
片桐且元は秀頼にとっての石川数正になれなかった。
氏真様がここで再登場するとは…。「救われた命もある…」は感動のセリフでしたね。 今回も詳しい解説ありがとう御座いました より一層ドラマの内容が深く解りました。
北条フェスティバル
興味深いです!
まさかMummy-Dさんと武士道さんがコラボするとは!
思いもよりよりませんでした😳
2日空いたので、ちと心配してました。良かった良かった😂
一度謳歌した栄華を豊臣家は忘れられなかったからかな🤔
今川氏真と再会シーンは感慨深かったですね…
度重なる戦や悲劇に疲れ果てる家康と出家した今川氏真との邂逅…
今川氏真は家康の苦悩を理解出来る数少ない生き残りですよね…
今回も解説ありがとうございます。
豊国大明神の重み、家/康 の無礼さ加減等、当時の文化価値観を理解しないと見誤ってしまうので、こういう所の解説は本当にありがたいです。
まだまだ頼りない秀忠も今後成長して家康の大事業を継いでいくのは我々知ってるんですが、如何せん今作では尺の問題で厳しいかな~、と。ちょっと残念ですが「どうする家康」なので仕方ないw
茶々の今作での挑発行為、家康から攻めさせて義を得る、とでも考えていたのではないかと思いますが、例え主→従であっても 家/康 ってとんでもなく無礼な事だとすれば流石に義が立たないかなぁ…
ドラマを彩ったさまざまな英傑たちが世を去った後だけど、出色の回でした。これまで貫いてきたテーマが大団円、そして主役の最期に向かって収斂していくような
加藤清正、かっこいい最強の護衛、心強いありがたい😍🥶👍😍福島正則👍好き❤️
「俺には無理!お父ちゃんのパワーか通用するうちに蹴りつけて!」
って言える秀忠もそれはそれで才能だと思う
秀忠は二代目天下人が何をしなければならないかを知っていた‥
頼朝が秀吉が二代目に権力を継承できなかったその理由を知っていた‥
鼓を打つだけがただ一つの趣味と凡庸な人物であると語られるが‥
それだけではないように思う‥
将軍を譲られた直後にそのただひとつの趣味もやめてしまったという。
秀頼側がそれなりに家康に対して準備をしていたのは、やはり秀吉も三法師の後見と言いつつも乗っ取った(?)わけで、自分たちがそうしたからこそ相手もそうするだろうと思うのは自然。当時は京都や大阪が中心なのだから、いくら家康が大御所で関東で250万石あろうとも、やはり地方の人なわけです。流行や噂だって西が発信源のことも多いはず。江戸なんてまだ開発中で田舎だし。そうなると首都圏にずっといる秀頼はやはり政治的にも有利だし、家康にとって邪魔ですよ。インターネットもない時代だから物理的な距離は大事だし、中心地に秀頼がいることは意味があるってことですね。
秀忠は、戦の経験あるが、秀頼には戦の経験がない。
いわゆる武断派と言われている清正を、
本音ではすでに豊臣を見限っていた、
と時代劇で描くのは
まだ相当難しいでしょうね。
でも、それを敢えてやることで、
「秀吉恩顧の武断派からも、
すでに見限られていた秀頼(豊臣)」
という構図も、
「新たな秀頼像」として
悪くないのでは?と思いました。
日本人は判官びいき大好きですからね。
三浦按針への改名イベント+船作りで丸々1回使って「鎌倉殿」とのリンクして欲しかったなぁw
(三浦義村も後の世に異国人が家名を継ぐなんて思ってもいないだろうしw)
清正は秀頼護衛と言うのは建前で二条城に連れて行くための方便って感じですかねえ
豊臣は正式には「とよとみの」と呼ぶようです。
「摂関家」とは藤原鎌足を祖とする公家であり、武家(大名)は「関白」には成り得ないのですが、秀吉は裏技を使い朝廷(天皇)より新たに「豊臣」の姓を貰い「関白」になりました。
これは中臣鎌足が藤原姓を頂き藤原鎌足となったことと同意であり、武家であり公家でもあるという特殊な位を得たことを意味しています。
つまりドラマ上の家康が秀頼を公家とみなし政から遠ざけようとした演出はおかしなことではない、と思います。
今回の題名、まじ乙女ゲームとかのタイトル過ぎてドキドキした。
遂に大坂の陣シリーズ来ますね…!!
ゆずりあいで下座に座った秀頼。さすがラスボス。
二条城での家康と秀頼の上座への譲り合い…
ダチョウ倶楽部のどうぞどうぞ…みたいな譲り合いで…笑
結果、家康が上座に座ってしまい、座り負け…って感じか…
九度山幽閉中の真田信繁が、京を徘徊😮
当初は捨て駒の牢人衆に感情移入しちゃったんかな。無論、突き上げというか脅しもあったろう。家中・牢人は盾というより檻だったんだろう。家康はそこを十分理解していたはず。牢人軍団から決別するには大和国替えしか選択肢は無かったと思うが、そうする前に捕らえられちゃっただろうし
私は加藤清正は豊臣と徳川を拮抗させる事で緊張状態を作り出してそれによって自分の存在価値を高めようとしたんじゃないかなと思っています
深夜の動画アップお疲れ様でございます♪
今回の動画とは、あまり関係ないですが、「三河•遠江•駿河」の長(オサ)の時代に、家康は「殿」と呼ばれて当然です。
が、1603年に征夷大将軍となってからは「上様」と呼ばれて然るべきなのに、ドラマの中でも 相変わらず皆んなが「殿」と呼んでいますよね。
そして1605年に将軍を秀忠に譲位した後は「大御所」と呼ばれて然るべきなのに、皆んな「殿」と呼び、唯一 秀頼のみが「大御所」と呼んでいましたね。
と、同時に秀忠は「上様」と呼ばれて然るべきなのに「殿」と呼ばれているのは可笑しいですよね。
方廣寺の鐘銘ですが、私は長らく「徳川側の言いがかり」だと思っておりました。
が、今年の大河が家康なので、皆さん(歴史の研究者も含めて) 家康関連の動画を多くアップしていますね。
それらを拝見•拝聴していると、どうやら寺の鐘銘などというものは、よくよく吟味してから彫るものなのだそうで、天下をとった人物の諱を分断する様なことは 極めて無礼なのだそうで。
で、家康が立腹するのも当然なのだそうですね。
つまり豊臣は、解っていてワザとあの様な鐘銘を刻んだのだとか。
それほど無礼なものが、徳川の長い天下の期間も破却されることもなく、現存しているというのが、何とも。
@@武田信治-k6e
だって壊したら壊したで「秀頼程の大人物がそんな馬鹿なことするはずがない、そういうでっち上げだったに違いない!」となるじゃん?
これが体制側の難しいところで、結局のところ体制を批判したい人は何らかの方法で批判する理由をひねり出すのだから、相手の落ち度は証拠を保全しておく方が間違いない。
やっぱあの茶々はラスボスて言うかもう徳川家に敵をまわしてるようんなもんですねw
浅井家には、茶々が産まれた記録がないため、そのへんも家康なら知っていた事情がありそうです。
お疲れさまです……、エンコード時間がかかっちゃったのかな……?
こんな深夜にお疲れさまでした〜✨💦
そういえば、家康は死んでいて影武者説がありましたが、せっかく家康が主役なので、詳しくお話聞けたらいいなぁ。と思いました。
秀吉恩顧なのか豊臣恩顧なのか。。。
この大河…面白いんだけど…なんかダメなんだよなぁ🫢 なにが邪魔してるんだろう🤔
本作は従来の通説からかなり逸脱するので、動画制作大変ですよね💦
お疲れ様です。
宮中でHなパーティ⁈
現代も昔も、スケベな人は変わらずいるんですね…笑
「えっちなのはいけないと思いますッ!!」 ← たぶんお目当ての女官が乱パに参加してた