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「結局は室町幕府のゴタゴタが原因」、この最後の一言に戦国時代になってしまった全てがある気がします。
そら当たり前よ「〇〇のゴタゴタが原因」なんてどの時代にも言える単純で大雑把で何も説明していないも同然
守護が幕府からの任命で何かあればすぐ取り上げられる状態だったから京にいて幕府内の勢力争いに注意する必要があった。だから守護代に任せることが多くなり乗っ取られることになったんだよな。
その通りですね守護代に乗っ取られる他にも、有力な国人衆と婚姻政策を進めて土着するケースもあり実に面白いです。
松平は国人ではあれど伊勢家の被官だったらしい応仁の乱の原因の一つと言われてる伊勢貞親に仕えていたのが松平信光で、同時期に伊勢貞親の甥の伊勢宗瑞も京都にいたようだから遭遇していた可能性がかなり高い
高校生の時日本史で北条早雲は出自不明って習ったんですけど今は変わったんですよね!
「新九郎、奔る!」がビックコミックスピリッツにて絶賛連載中!!! 作者は「ゆうきまさみ」先生!!恐らくはゆうき先生のフィクションも散りばめられているでしょうが、大変おもしろい作品です。北条早雲以前の伊勢新九朗の幼少期から描かれていて、歴史好きの貴方にお勧め!!
割と古い時代から伊勢氏出身とは言われていたんですけどねー
@@matukawatositane 教えてもらったのは6年前なんですけど先生によっては知らずに教えちゃいますよね…先生も大変だと思うので責めることはしないですけど
@@user-gu7nb4iv5t 決して研究の最前線にいる訳ではないですからねー教員は
母方の伯父と従兄が政所執事(財務大臣兼官房長官)で父も将軍足利義政の申次衆(首相秘書官)という幕府高級官僚かつ備中荏原郷の高越山城主、姉は駿河守護今川義忠の正室、自身も将軍足利義尚の申次衆という将軍直臣の名門武家出身で、駿河下向後は今川家一門で守護代格、伊豆討ち入りも下剋上などではなく将軍足利義澄と管領細川政元直々の命による軍事行動というのが今の伊勢宗瑞(北条早雲)に関する定説。旧来の説とは180度違うバリバリのエリート武将。ついでに年齢も旧説より24歳若かったことも分かっている。
守護大名は研究上消えつつある名称らしいですね守護大名の連合政権と見てしまうと在地の武士が幕府と直接結びついていることに説明がつかないんだっけ?
逆に、伊勢新九郎くんは、なんで元々素浪人から大名になったなんて思われてたんだろうなぁ
私なりに考えてみると室町幕府のしくじりは初代の足利尊氏の政治家としての力量不足が原因なのかなと思います。尊氏は戦場で勇猛果敢、私生活においては優しく気前が良く、漫画の主人公のような好人物なのですが、優しさは優柔不断となって後醍醐天皇を抹殺できずに南北朝時代を迎えることになります。気前のいい性格は所領を部下達に大盤振る舞いをした挙句に将軍家すら凌駕するほどの守護大名が生まれて統制が取れなくなり幕府が崩壊したと考えられます。途中「足利義満」や「足利義教」といった豪腕将軍が幕府の強化に乗り出しますがいずれも自身の死によって失敗に終わります。やはり最初のグランドデザインを誤ると政治システムの修正は容易ではないのですね。
普通は政権創立から数十年経ってゴタゴタの原因が起こるけど室町幕府の場合、スタートの時点からゴタゴタして最後までシャキッとしなかった印象
大盤振る舞いとは良く言うけど守護に支配権はないからセーフ足利一門で守護を固めているから案外強か
兄弟親子で殺し合った鎌倉末期からの足利家内のゴタゴタが、結局応仁の乱に至るまで禍根を残し続けた結果というのは間違いないでしょうね。尊氏は、明らかに為政者向きの仕事をしていた親族を、自分の手で滅ぼしてしまいましたし。歴史は繋がっているのを実感する事案です
東大の日本史の入試問題みたい(実際に室町時代の守護関連については頻出)。
室町幕府が弱体化して守護大名の統率が出来なくなった。
室町政府から任命されたのが、守護大名、実力で地域支配権を、確立する為に、実力で伸し上がったのが、戦国大名ってか、
守護から戦国大名なったのは島津 武田 大友 尼子 大内あたりかな
そもそも戦国大名って括りが学術的には過去のもの
くじ引き将軍が一番やばい
「結局は室町幕府のゴタゴタが原因」、この最後の一言に戦国時代になってしまった全てがある気がします。
そら当たり前よ
「〇〇のゴタゴタが原因」なんてどの時代にも言える単純で大雑把で何も説明していないも同然
守護が幕府からの任命で何かあればすぐ取り上げられる状態だったから京にいて幕府内の勢力争いに注意する必要があった。だから守護代に任せることが多くなり乗っ取られることになったんだよな。
その通りですね守護代に乗っ取られる他にも、有力な国人衆と婚姻政策を進めて土着するケースもあり実に面白いです。
松平は国人ではあれど伊勢家の被官だったらしい
応仁の乱の原因の一つと言われてる伊勢貞親に仕えていたのが松平信光で、
同時期に伊勢貞親の甥の伊勢宗瑞も京都にいたようだから遭遇していた可能性がかなり高い
高校生の時日本史で北条早雲は出自不明って習ったんですけど今は変わったんですよね!
「新九郎、奔る!」がビックコミックスピリッツにて絶賛連載中!!! 作者は「ゆうきまさみ」先生!!恐らくはゆうき先生のフィクションも散りばめられているでしょうが、大変おもしろい作品です。北条早雲以前の伊勢新九朗の幼少期から描かれていて、歴史好きの貴方にお勧め!!
割と古い時代から伊勢氏出身とは言われていたんですけどねー
@@matukawatositane 教えてもらったのは6年前なんですけど先生によっては知らずに教えちゃいますよね…先生も大変だと思うので責めることはしないですけど
@@user-gu7nb4iv5t 決して研究の最前線にいる訳ではないですからねー教員は
母方の伯父と従兄が政所執事(財務大臣兼官房長官)で父も将軍足利義政の申次衆(首相秘書官)という幕府高級官僚かつ備中荏原郷の高越山城主、姉は駿河守護今川義忠の正室、自身も将軍足利義尚の申次衆という将軍直臣の名門武家出身で、駿河下向後は今川家一門で守護代格、伊豆討ち入りも下剋上などではなく将軍足利義澄と管領細川政元直々の命による軍事行動というのが今の伊勢宗瑞(北条早雲)に関する定説。旧来の説とは180度違うバリバリのエリート武将。ついでに年齢も旧説より24歳若かったことも分かっている。
守護大名は研究上消えつつある名称らしいですね
守護大名の連合政権と見てしまうと在地の武士が幕府と直接結びついていることに説明がつかないんだっけ?
逆に、伊勢新九郎くんは、なんで元々素浪人から大名になったなんて思われてたんだろうなぁ
私なりに考えてみると室町幕府のしくじりは初代の足利尊氏の政治家としての力量不足が原因なのかなと思います。尊氏は戦場で勇猛果敢、私生活においては優しく気前が良く、漫画の主人公のような好人物なのですが、優しさは優柔不断となって後醍醐天皇を抹殺できずに南北朝時代を迎えることになります。気前のいい性格は所領を部下達に大盤振る舞いをした挙句に将軍家すら凌駕するほどの守護大名が生まれて統制が取れなくなり幕府が崩壊したと考えられます。途中「足利義満」や「足利義教」といった豪腕将軍が幕府の強化に乗り出しますがいずれも自身の死によって失敗に終わります。やはり最初のグランドデザインを誤ると政治システムの修正は容易ではないのですね。
普通は政権創立から数十年経ってゴタゴタの原因が起こるけど
室町幕府の場合、スタートの時点からゴタゴタして最後までシャキッとしなかった印象
大盤振る舞いとは良く言うけど守護に支配権はないからセーフ
足利一門で守護を固めているから案外強か
兄弟親子で殺し合った鎌倉末期からの足利家内のゴタゴタが、結局応仁の乱に至るまで禍根を残し続けた結果というのは間違いないでしょうね。尊氏は、明らかに為政者向きの仕事をしていた親族を、自分の手で滅ぼしてしまいましたし。歴史は繋がっているのを実感する事案です
東大の日本史の入試問題みたい(実際に室町時代の守護関連については頻出)。
室町幕府が弱体化して守護大名の統率が出来なくなった。
室町政府から任命されたのが、守護大名、実力で地域支配権を、確立する為に、実力で伸し上がったのが、戦国大名ってか、
守護から戦国大名なったのは島津 武田 大友 尼子 大内あたりかな
そもそも戦国大名って括りが学術的には過去のもの
くじ引き将軍が一番やばい