死の不安・生死の一大事を解決する仏教の教え(西郷隆盛・吉田松陰・宇喜多直家・豊臣秀吉】
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- Опубликовано: 20 окт 2024
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漫画「100日後に死ぬワニ」を、遅ればせながら読みましたが、胸に迫る内容でした。
ワニくんの日常が4コママンガで淡々と綴られるだけなのに、「ワニくんの死があと○日」と一言書かれるだけで、こんなにも切ないものになるのか、と。
まるで在りし日のワニくんとの記憶を友人が泣きながら綴って、追悼しているような感覚さえするマンガでした。
誠実に生きている姿に「このワニくんがもうすぐ死ぬのか」と、両思いとなり、将来を語って笑ったりしている表情に「まもなく死んでいくのか」と、何気ない日常が、何気ないだけによけい胸にこたえました。
「死に方が強引」「最後がつまらない」という否定的な意見もありました。
どんな死に方なのか、エンディングはさぞ盛り上げるのだろう、クライマックスはどう感動的に持っていくのだろうか、と期待していた人からすると、そんな意見が出るのはわかりますが、私個人としてはあの終わり方が良かったと思います。
ここはドラマと現実の違いです。
ドラマなら紆余曲折あるものの、最後は落ち着いた形になり、めでたしめでたし、死にゆく人の最後のメッセージやら、最後の本音の語り合いなど、大々的に盛り上がって終わるのですが、現実の死にはそんなクライマックスはなく、あまりにあっけないもので、死に様にさえ会えない、ただ死んだと聞かされただけ、とても死んだとは思えず、死に顔を見て初めて「死んだのだ」と改めてショックを受け、最期の可能性の芽も潰され、泣く。
そういうものだからです。
現実の死を現実的に描いていたマンガだったのに、最後になっていきなりグッズや歌やら露骨な商業展開に、読者は裏切られたような気持ちになって炎上したのもよくわかります。
一人一人が「儲けなきゃ」「認められなきゃ」と躍起になっている自分の心に、何か忘れているものを思い出させてくれる内容だっただけに、最後「儲けなきゃ」の意図がドバッと出てきたのに辟易した、ということでしょう。
私も20代のときロサンゼルスで車にひかれ、救急車で病院に運び込まれ、九死に一生を得た経験があるのですが、ひかれる直前、何を思っていたかと言いますと、一時間後に行われるスピーチの内容をアレコレ考えていたのです。
それが突然、ブレーキ音と共に「ドン」です。
下手したらワニくん同様、即死だったかもしれない、そんな瞬間は突然何の前触れもなくやってくることを否応にも自覚させられました。
ちょうどたとえるならば、没頭して観ていた映画が突然の停電で終わってしまうように、あるいはテレビで観ていたドラマが突然誰かにコンセントを抜かれて終わってしまうように、「今からいいとこだったのに」といった、こちらの都合は全くお構いなしに、人生は終わるのです。
「何だ、今までのことは全部絵空事か」と我に返る瞬間。
その突然の瞬間はいつやってくるか、誰も予測が立ちません。
臨終に「安らかに死にたい」「いい人生だったと言いたい」と語る人がありますが、「死」とは、そんな感慨に浸る間もなく、身構える猶予もなく、突如、そしてあまりにもあっけなくやってきます。
「あれどうしよう」「これどうなった」と目の前のことに追われている平凡な一コマに、突然ドンと割り込んでくる傍若無人の無法者が「死」です。
お釈迦さまはその現実を『出息入息 不待命終』(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)「出る息は入る息を待たず、命終わる」と説かれています。
吸った息が吐き出せなければ死ぬとき、吐いた息が吸えなければ、その時が死ぬときだ、と説かれています。
あまりにも身近なところに触れ合っているのが「死」なのだよ、とブッダは言われているのです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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一所懸命といわれる通り何かに命を懸けることで人生の意味合いは変わってきますね.歴史上の人物がそれぞれ事情があってやむを得ず死を選ばずにおれなくなった時その辞世の句は真実や切実さを訴えています.天下人となった秀吉でさえ死んでゆくときは何も持っていけないし意味を見いだせないものなんですね.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
どんなに頑張っても、どんなに生きよう生きようともがいても、必ずその先には死が待ち構えているということを改めて自覚させられる内容でした。ただ、そうなると暗い心がやはり浮き彫りになってきます。
聴聞を続けてその暗い心を晴らせるようにしたいです。
今日もありがとうございました。
もう私なりに死の準備はできました!不安はなく、それより人生が早く次のステージに移ってほしいです!もう年老いたので!
功徳はもちろん沢山積めましたよ!
きっと霊界で皆さんにもあげられますよ!
こんばんは。❤今日も、ありがとうございます。❤
今日もありがとうございます🙇
死を恐れてるわけでもなく、死んだ後の無が怖いわけでもないけどその瞬間苦しいだろうなぁってのだけが心配なんだよなぁ
全身麻酔中に眠ったまま行きたいって気持ち。そう簡単じゃないのはわかってるんだけどな
死の不安はないが、、死ぬ直前の、、痛み、、が不安
死後必ず浄土に行けると強く確信していないと、やっぱり心細く不安になるでしょうね…皆んな必ず迎える事だと知っていても、意識すればするほど苦しむのかも?
昔の人は、日頃から死の覚悟を持って、どう生きるか何のために生きるか、常に心の奥底で探し求めてたのかもですかね…
死後、語り継がれることも意識して、恥ずかしくない生き方を求めたのかも。
今日は自分の為に生き、如何に延命するか個人にばかり目が向いてしまってそうですね。個性の尊重は行きすぎると迷いや悩みが増すのかも…
自分が、いつ眠ったか、わからないように、死も、いつ死んだのか、自分ではわからない。死ぬのが怖い、でも、そのときがきたら、ああ、死ぬのか、という落ち着いた気持ちに、自分はなると思います。生まれた以上、死ぬのは宿命です。
遅刻して切腹?ありえない。