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古川ロッパは声芸と文筆が素晴らしい
うちの母が当時唄っていたと言います。戦前ですね。それが今パソコンで聴けるとは、ネットとはズゴイものだと驚いています。
へ~、お母さまが。そんなお話を聞けるなんてネットはスゴイものだと私も思いました。
@@烏山石煙 この返信も、永遠に残るのですから、ネットはすごいものだと俺も思いました
@@田中太郎-p5d7g 確かに。
しかし、いつの日か、まだネットなんか見てるの?って言われる日が来そう。
金子みすゞさんのことをネットでいろいろ読んでいたらロッパさんの名がでてきた。よくわかりませんでしたが彼女とロッパさんの何かのご縁で後年彼女の弟=上山がすけさんがロッパさんから仕事をうけるようになったらしいですね。
1944年リリースだそうで。約80年前の曲が聴けるとは本当にネットはすごいですね。
潜水艦でまともな飯が食べられるのは始めの1週間で、その後は生鮮食料が腐るので缶詰食にかわります。連日の厳しい環境での勤務で食欲が無くなり、帰港する頃にはゾンビのようになるのだとか。帰港後1週間は海軍が保養所として借り切った温泉旅館で乗組員を缶詰にして休養させたのちに帰宅させたそうです。
確か薬も何種類か服用すると聞いたことが…
古川ロッパの歌もすごく気に入ったぜ‼️👍
2:08浮上したら甲板にトビウオが乗ってたってことか。笑
小沢さとる「サブマリン707」の中で、潜水艦の台所というホウスイ所でけっこう歌詞が出て来る歌なんだけど、こんなにアップテンポの曲だとは想像もできませんでした。オリジナルが聞けてシアワセでした。
こういうのは、ありがたい。昔、サイン入りの「悲食記」を持っていた。扉の言葉が、「我が糖尿病に幸いあれ」だった。
サブマリン707のネタに元ネタが有ったなんて知りませんでした。アップ頂き感謝感謝です。コロッケじゃなくてイモだったんですね。
古川ロッパ氏の歌がカラオケで歌いたいなぁ。
クセになるリズムwww
俺は今もこの歌が大好きだ‼️👍
サブマリン707のセリフから想像したような楽しさだけど歌詞が違うよね?”海の底からうまそうな匂いがするわい、潜水艦の台所で揚げたお芋は魚雷型♪”だと思ってました。
三番の歌詞、「馬力を」が「カロリー」になっているバージョンがあります。これは多分「カロリー」がオリジナルで、敵性語狩りに遭って「馬力を」に改変されたものと推察しますが、サテ…?
コメントに出てこないので、歌ってる古川ロッパについて少々。1903〜61、『エノケン・ロッパ』と並び称された程、人気のあった喜劇俳優。名文家・美食家でもある。元・華族、早大英文科中退。当時の芸人としては、考えられないほどのインテリ。当時は『声色』と呼ばれていた物まね芸を、いささか大袈裟に『声帯模写』と言い換えたのが、この人。声帯模写は名人で、徳川夢声が、睡眠薬とお酒をダブル摂取して、熟睡してしまい、自分のラジオ番組に穴を開けた時、ロッパが夢声の声帯模写で演じ、聴取者はもとより、夢声当人まで『これは、オレだ』と言ったーと言う逸話がある。著書に『ロッパの悲食記』『ロッパ食談』最晩年まで書き続けた『古川ロッパ昭和日記』(全3冊)。美食・大酒が祟って、糖尿病を患い、加えて結核も併発し、晩年の日記ではたびたび『ヘモ』(喀血)している。戦前、戦中は堂々たる肥大漢が演じる、知的コメディで人気を博していたのだが、当時とは比べられないほど衰え、人気も落ちて、戦後はもっぱら脇役だった。ただ、それでも、舞台『道修町』の評価は高い。全盛期に、太平洋戦争が起こったのが不運。ある意味では、日本の侵略戦争の被害者でもあった。
自分はギリ昭和生まれなのでこの人は名前で知ってる程度ですが…あの時代に糖尿病になるんだから相当のグルメだったんだろうと想像できますし、タモリさんが自分より昔のインテリ芸人の例としてロッパさんを挙げてたのは聞いた事あります。
なんだ、ただの飯テロか
飯テロ、、
稲葉艦長 今日の夕飯は、トビウオであります
海軍潛艦食堂之歌挺有意思的。
潜水艦にレコードプレーヤー持ち込んで音楽聞いてたって話があったがこういう曲を聞いてたのかな。稲葉艦長、板倉艦長、鳥巣参謀、井岡参謀、荒木艦長、槇兵曹長の手記を読んでるが戦艦や巡洋艦で恒例の総員起こしも精神注入棒も潜水艦勤務では、無駄無駄無駄である。棒でぶん殴ってる暇なんぞありゃしないそんなことでベント弁の操作速度は上がらない。緊急潜航の際の素早い動きやハッチの閉じる速さは上がらない聴音機の聞き取り精度が劇的に向上しない。ひたすら機器の操作訓練に励むだけである。しかも他部署の機器の操作法にも習熟しなければならない。唯一の楽しみが食事だけである。それも生鮮食品が無くなり缶詰だけになると食べる気も失せてきて「食わないと操作ミスを起こして死ぬ羽目になるから食う」の境地にいたるそうだ。
原爆を運んだ重巡洋艦インデアナポリスを沈めた伊58の潜水艦の艦長はおかずが缶詰になると、最初は食欲がなくなり、次に性欲もなくなると休養は最低でも1カ月取らないと乗員は戦力にならないと成らないと書いていた。
サブマリン707で知りました。
無駄な人員乗せる余裕なんて無いから、陸軍や洋上艦と違って伝令業務という名の使い走りは事実上無かったそうな。
面白いですね!!
そうだな‼️😀この歌はとっても良いしな‼️😀
月刊正論12月号で知りました
昔の潜水艦の中がそんなに広いわけないし、炊事が出来るわけないドイツ軍のUボートなどは魚雷発射管の上で寝たらしいし
戦時中の潜水艦にも一端の電気釜を装備していたので基本的な炊事は可能です。詳しくは映画《轟沈》をご覧になってください
当時の日本海軍の主力潜水艦は、uボートの、2倍から3倍場合によってはそれ以上のサイズの大型潜水艦ですよ。長い航続力や、荒れる日本海、太平洋での、安定航行を求められたので。なので、様々な、衣食住の設備を積み込んでいましたよ。実際uボートの中では大型で余り量産されなかったlxc型のu-511は日本海軍に編入された際に、小型潜水艦の、呂号潜に組み込まれましたから。追記ですが、ドイツ(ヨーロッパ)は、嵩張るパン食が主食ですけど、日本は、米が主食だったので、小分けにすれば船内に積み込みやすく、デッドスペースが生まれ難くく、それゆえに、食糧庫を小型化出来たみたいですよ。
それは知りませんでしたご教示ありがとうございます
@@奥村隆昭 まぁ、日本の潜水艦の資料は少ない知名度も低いですから。余り、活躍しなかったのと、終戦間際に資料を燃やしてしまったので。
なるほど日本の潜水艦は台所の騒音で敵の駆逐艦に探知されたんだな。
なるほどwww
リスカム・ベイを撃沈したイ175潜が、直後の戦闘配食中に爆雷攻撃を受けたということがあったそうです。
歌が
実は俺はこの歌に憧れているんだ‼️😀
俺は何度もこの歌を聴いても全然飽きねえぞ‼️😀
古川ロッパは声芸と文筆が素晴らしい
うちの母が当時唄っていたと言います。戦前ですね。それが今パソコンで聴けるとは、ネットとはズゴイものだと驚いています。
へ~、お母さまが。そんなお話を聞けるなんてネットはスゴイものだと私も思いました。
@@烏山石煙 この返信も、永遠に残るのですから、ネットはすごいものだと俺も思いました
@@田中太郎-p5d7g 確かに。
しかし、いつの日か、まだネットなんか見てるの?って言われる日が来そう。
金子みすゞさんのことをネットでいろいろ読んでいたら
ロッパさんの名がでてきた。
よくわかりませんでしたが彼女とロッパさんの何かのご縁で後年彼女の弟=上山がすけさんがロッパさんから仕事をうけるようになったらしいですね。
1944年リリースだそうで。約80年前の曲が聴けるとは本当にネットはすごいですね。
潜水艦でまともな飯が食べられるのは始めの1週間で、その後は生鮮食料が腐るので缶詰食にかわります。連日の厳しい環境での勤務で食欲が無くなり、帰港する頃にはゾンビのようになるのだとか。帰港後1週間は海軍が保養所として借り切った温泉旅館で乗組員を缶詰にして休養させたのちに帰宅させたそうです。
確か薬も何種類か服用すると聞いたことが…
古川ロッパの歌もすごく気に入ったぜ‼️👍
2:08浮上したら甲板にトビウオが乗ってたってことか。笑
小沢さとる「サブマリン707」の中で、潜水艦の台所というホウスイ所でけっこう歌詞が出て来る歌なんだけど、こんなにアップテンポの曲だとは想像もできませんでした。オリジナルが聞けてシアワセでした。
こういうのは、ありがたい。昔、サイン入りの「悲食記」を持っていた。扉の言葉が、「我が糖尿病に幸いあれ」だった。
サブマリン707のネタに元ネタが有ったなんて知りませんでした。アップ頂き感謝感謝です。
コロッケじゃなくてイモだったんですね。
古川ロッパ氏の歌がカラオケで歌いたいなぁ。
クセになるリズムwww
俺は今もこの歌が大好きだ‼️👍
サブマリン707のセリフから想像したような楽しさだけど歌詞が違うよね?
”海の底からうまそうな匂いがするわい、潜水艦の台所で揚げたお芋は魚雷型♪”だと思ってました。
三番の歌詞、「馬力を」が「カロリー」になっているバージョンがあります。これは多分「カロリー」がオリジナルで、敵性語狩りに遭って「馬力を」に改変されたものと推察しますが、サテ…?
コメントに出てこないので、歌ってる古川ロッパについて少々。1903〜61、『エノケン・ロッパ』と並び称された程、人気のあった喜劇俳優。名文家・美食家でもある。
元・華族、早大英文科中退。当時の芸人としては、考えられないほどのインテリ。当時は『声色』と呼ばれていた物まね芸を、いささか大袈裟に『声帯模写』と言い換えたのが、この人。
声帯模写は名人で、徳川夢声が、睡眠薬とお酒をダブル摂取して、熟睡してしまい、自分のラジオ番組に穴を開けた時、ロッパが夢声の声帯模写で演じ、聴取者はもとより、夢声当人まで『これは、オレだ』と言ったーと言う逸話がある。
著書に『ロッパの悲食記』『ロッパ食談』最晩年まで書き続けた『古川ロッパ昭和日記』(全3冊)。
美食・大酒が祟って、糖尿病を患い、加えて結核も併発し、晩年の日記ではたびたび『ヘモ』(喀血)している。戦前、戦中は堂々たる肥大漢が演じる、知的コメディで人気を博していたのだが、当時とは比べられないほど衰え、人気も落ちて、戦後はもっぱら脇役だった。ただ、それでも、舞台『道修町』の評価は高い。
全盛期に、太平洋戦争が起こったのが不運。ある意味では、日本の侵略戦争の被害者でもあった。
自分はギリ昭和生まれなのでこの人は名前で知ってる程度ですが…
あの時代に糖尿病になるんだから相当のグルメだったんだろうと想像できますし、
タモリさんが自分より昔のインテリ芸人の例としてロッパさんを挙げてたのは聞いた事あります。
なんだ、ただの飯テロか
飯テロ、、
稲葉艦長 今日の夕飯は、トビウオであります
海軍潛艦食堂之歌挺有意思的。
潜水艦にレコードプレーヤー持ち込んで音楽聞いてたって話があったがこういう曲を聞いてたのかな。
稲葉艦長、板倉艦長、鳥巣参謀、井岡参謀、荒木艦長、槇兵曹長の手記を読んでるが戦艦や巡洋艦で恒例の
総員起こしも精神注入棒も潜水艦勤務では、無駄無駄無駄である。棒でぶん殴ってる暇なんぞありゃしない
そんなことでベント弁の操作速度は上がらない。緊急潜航の際の素早い動きやハッチの閉じる速さは上がらない
聴音機の聞き取り精度が劇的に向上しない。ひたすら機器の操作訓練に励むだけである。しかも他部署の機器の
操作法にも習熟しなければならない。唯一の楽しみが食事だけである。それも生鮮食品が無くなり缶詰だけに
なると食べる気も失せてきて「食わないと操作ミスを起こして死ぬ羽目になるから食う」の境地にいたるそうだ。
原爆を運んだ重巡洋艦インデアナポリスを沈めた伊58の潜水艦の艦長はおかずが缶詰になると、最初は食欲がなくなり、次に性欲もなくなると休養は最低でも1カ月取らないと乗員は戦力にならないと成らないと書いていた。
サブマリン707で知りました。
無駄な人員乗せる余裕なんて無いから、陸軍や洋上艦と違って伝令業務という名の使い走りは事実上無かったそうな。
面白いですね!!
そうだな‼️😀この歌はとっても良いしな‼️😀
月刊正論12月号で知りました
昔の潜水艦の中がそんなに広いわけないし、炊事が出来るわけない
ドイツ軍のUボートなどは魚雷発射管の上で寝たらしいし
戦時中の潜水艦にも一端の電気釜を装備していたので基本的な炊事は可能です。詳しくは映画《轟沈》をご覧になってください
当時の日本海軍の主力潜水艦は、uボートの、2倍から3倍場合によってはそれ以上のサイズの大型潜水艦ですよ。長い航続力や、荒れる日本海、太平洋での、安定航行を求められたので。
なので、様々な、衣食住の設備を積み込んでいましたよ。
実際uボートの中では大型で余り量産されなかったlxc型のu-511は日本海軍に編入された際に、小型潜水艦の、呂号潜に組み込まれましたから。
追記ですが、ドイツ(ヨーロッパ)は、嵩張るパン食が主食ですけど、日本は、米が主食だったので、小分けにすれば船内に積み込みやすく、デッドスペースが生まれ難くく、それゆえに、食糧庫を小型化出来たみたいですよ。
それは知りませんでした
ご教示ありがとうございます
@@奥村隆昭
まぁ、日本の潜水艦の資料は少ない知名度も低いですから。余り、活躍しなかったのと、終戦間際に資料を燃やしてしまったので。
なるほど日本の潜水艦は台所の騒音で敵の駆逐艦に探知されたんだな。
なるほどwww
リスカム・ベイを撃沈したイ175潜が、直後の戦闘配食中に爆雷攻撃を受けたということがあったそうです。
歌が
実は俺はこの歌に憧れているんだ‼️😀
歌が
俺は何度もこの歌を聴いても全然飽きねえぞ‼️😀