切れた草鞋の行方~なぜ雪駄は竹皮で編まれるのか~
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- Опубликовано: 15 окт 2024
- 切れた草鞋が田んぼの肥料となっていた、
という話から、なぜ現在の畳表は竹皮で編まれているのか?
というところの考察を試みました。
千利休の雪駄説。
是非はわからずとも、関係は深そうです。
参考文献
今西卯蔵著[はきもの変遷史]
潮田鉄雄著[日本人とはきもの]
畑中敏之著[雪踏を巡る人々]
守貞謾稿
dl.ndl.go.jp/i...
谷釜 尋徳「近世後期の庶民の旅と草鞋」
石川英輔著「ニッポンの旅」
丸屋履物店
www.getaya.org/
私は和装を始めてから未だ旅行に行った事が無いのですが今度旅行に行く際は草鞋を履いて行きたいと思います 因みに私の使用して居る草鞋は瓢箪型ではなく谷中銀座商店街で購入した小判型の草鞋です
時たま入るジョークがキレキレすぎてとても好きです!笑
ありがとうございます!
祭礼で草鞋派ですが、かかとを保護している理由は、「走る」からだと思っています。一般的な走りの着地は爪先ではなく、かかとから着地するからです。「歩く」「走る」では使い勝手が違いますよね。現代でいう運動靴と革靴みたいな、、、なんて私の勝手な想像です。因みに地下足袋は祭礼では履きたくない派です。神輿を担ぐ時は正装の草鞋掛けスタイル、囃子方で山車に乗り降りする祭礼では雪駄であります。個人的には囃子方で地下足袋はあり得ないスタイルです。
仰る通りだと思います!
お返事いただき、これを見ました。とても参考になりました。ありがとうございます。
だいたい草鞋が踵を覆うように履くものだと知りませんでした。博物館などではものが置いてあるだけですから・・・
草履の畳表の材料が竹の皮、というのもこのチャンネルを見るまで知らず驚いたのですが、(てっきり藁だと)京都というと竹林の風景を思い浮かべるので、竹皮にしたのは千利休が稲作があまり盛んではなかった大坂・京都に住んでいた故の発想だったかも。湿気に強い竹皮、よく考えましたねぇ。
藁草履の捨て場があったのも興味深かったです。
稲作が盛んではない、んですね。
飢饉か何かキッカケがあるのかと想像していました。
いずれにしても履物需要の増加と材料問題を抱えていた結果、竹皮にしたような気がしておりました。
勉強になります。
わらじが直ぐに切れるのは歩き方が足を擦る西洋歩きだからだと思います
わらじが切れにくく筋力をあまり使わない歩き方が昔の日本人の歩き方かなと個人的に思っております
私は茶道を習っていましたが、利休は竹が好きだったのでしょう。自分で茶杓や竹の花瓶を作っています。火事になったとき、茶道具で一番に持ち出すは、茶杓だそうです。竹はまさに耐久性があるからでしょうね。茶筅は消耗品ですけど。
コメントありがとうございます!勉強になります!
@@丸屋履物店-x1p いえいえ、こちらこそ勉強させてもらってます。
火事場の話は、別な人の話です😅
明治以降、学校教育に西洋の体育が導入され、それ迄の日本人の歩行法は失われたのではないでしょうか?この動画で草鞋の形状を初めて知りましたが、現代のように爪先で蹴って歩いたり、走ったりしてなかったのではないでしょうか?雪駄や下駄を愛用している感想としても、そう思えます。
コメントありがとうございます。
教育うんぬんは私はわかりませんが。
下駄・雪駄・草履は前重心よりの履物
靴・草鞋は踵より重心の履物であるように見えますね。
まさかの110kgという事実発覚した...!!
110kgは5年前ぐらいで、現在75kgほどです!
稲わらの履物は腐るんですね〜4kmで壊れたのも驚きましたが、当時でも40kmなら、一日に1,2足は必要ですね。肥料になるのは素晴らしいですが、安価でどこでも買えたのでしょうか?
竹皮の千利休説も面白すぎます。丈夫で扱いやすい素材だからといってすぐには普及しないのは今と同じですね〜
コメントありがとうございます。
売る方も所処で居たようで、むしろ「押し売り」を避けるのが大変だったようです(笑)
長い動画をご覧頂きありがとうございます。
いや~面白かった! 利休の功績は政治や茶の湯だけでなく雪駄にもあったとは。
ありがとうございます。考察にすぎませんが、利休説の存在は確かです。
フィクションのたびに笑ってしまう!
恐縮です!