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とても懐かし風景を見させていただきありがとうございます、子供のころ六分駅近くに住んでおりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。(元)地元の方に懐かしんでいただけたなら、こちらも嬉しいです。
昔、燕から白山前まで乗りました。とても懐かしく最後まで見入ってしまいました😊動画をあげて下さり、ありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。川の土手に沿って延々と走ったという印象が強かったのですが、動画編集の際に改めて映像を見たところ、意外に路線風景は変化に富んでいたことを思い出しました。
因みに新潟交通電車線の車輌をかぼちゃ電車と呼んでいたそうだったのを鉄道系雑誌で読んだ事がありました。あと電動車は日本車輌製(バス窓が特徴)この車輌は他に長野の松本電鉄、静岡ね岳南電車でも以前(今はどちらもなくなりました)は見られました。
日車標準の車体は特別個性的ではありませんが、どれも親しみやすい感じがしますね。岳南の車輛(→大井川鉄道)や京福福井のモハ253,4は、当チャンネルの動画でちょっとですが映像を残すことができました。
新潟交通電車線の先行廃止区間の動画は貴重です。路面区間を行く小田急車(クハ45・2220形)も見てみたいものです。2220形は東関屋で休んでました。路面区間での一方通行区間があったのは知りませんでした。これは西鉄北九州線でも大門から米町で見られました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元小田急の2220形、私は残念ながら走行シーンを見ることができませんでした。道路の一方通行を電車だけ「逆走」する区間、それを前面展望で眺めるのは、ちょっと不思議な感覚です。
富山港線、万葉線、福井鉄道、新規の宇都宮など、LRT化で活路を見出す事業者が増えているところを見ると、新潟交通はあっさり廃止されてしまったのが残念です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。もし開業時に新潟駅まで路線があったら、或いは終戦直後に路線が延長できていたら、市街地⇔郊外をLRTが行き交う未来があったかもしれませんね。
なかなか貴重な記録じゃないですか?地方民鉄の記録って残りにくいし。無くなったとっくの後ですが、仕事で新潟市内を走ったことがあり、余り通りの風情が変わってないのにビックリです。これ、日車の標準でしたっけ?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰るように、日車標準車体ですね。この電車たちは全8両ほど居ましたが、名義上の前歴は種々雑多だったようです。
@@昭和電車チャンネル 「分相応」を体現したような車両でしたね。つい、ニコッとしてしまうような。模型にしたらさぞかし似合うでしょうな。
昭和49年に新潟に行ったときに路面電車の線路が?と思いながら調べてみたら新潟交通でした 路面を普通の電車が通行するなんてカルチャーショックでした(のちに福井にも)子供心に乗りたかったのですが車で北海道に行く途中で親に言えず願いかなわず・・・貴重な動画ありがとうございます
いつもご視聴、コメントありがとうございます。市街地の路面を普通の(高床の)電車が走行する光景は、なかなかエキサイティングですよね。ここ新潟や岐阜は路線そのものが廃止され、福井は高床車が走らなくなり、今でも見られるのは京津線くらいでしょうね。
0:40の改札は朝ラッシュ時の出口専用でした。平日朝に1本だけ3両があり、ホームには2両しか入らないので、3両目は前寄りのドアに階段を掛け0:34に映っている交差点に直降りで対応してました。もちろん道路は封鎖されてましたよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。貴重な証言をいただけました。平日朝の1本だけの3両編成! そして道路での乗降り、見たかったなぁ。私が訪問したのはGW中だったので、3両はおろか2両編成の走行さえ見ることができませんでした。
こんばんは😃🌃そして、新年明けましておめでとうございます。今年も動画を楽しみ見させてもらいます。さて、今回の新潟交通電車線自分もまだこの路線が白山前~燕迄全線健在の時に白山前~燕迄乗り通しました。この白山前駅の駅舎が博物館を思わせる佇まいが印象的で何枚もカメラに収めました‼️その後は白山前からの路面区間から燕に向かっていきました。この路面区間はちょっと江ノ島電鉄の江ノ島~腰越間に似ていたのが、印象的でした。途中からは道路巾も広がったかと思ったら通常の線路に戻り東関屋。ここに動画にも有りましたが、元小田急2220型が塗装も小田急時代そのままで残っていたのには雑誌では知っていましたが、神奈川県民の自分は高校時代の通学に乗ったので懐かしく思い、撮影しました。その後は地方鉄道ではびっくりするくらいの速度で車体を揺らしながら走っていたのも廃止となり今では懐かしく見させてもらいました。こう言う私鉄ローカル線が廃止なるのは寂しい限りです😢では、改めて今年も宜しくお願いいたします🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。白山前のような昭和初期の近代建築の駅舎は私は大好物です♡ 動画の字幕でも触れましたが路面区間の狭いところは雰囲気が江ノ電(閑散期)に似てますよね。元小田急2220形は東関屋駅に留置されているのを見ただけで、残念ながら乗ることも走行シーンを見ることもできませんでした。
高い堤防の切れ目から4種踏切未満の農道が、たくさん生えてるのが面白いですね~スイッチバックみたいな新飯田の貨物ヤードとか。原風景に吊り掛けはとても映えますね!しかし、周りに綺麗な道路が多くて、ハッとさせられます…どうして、この状況でときめきを作ってもらおうと思ったんでしょうね・・・併用軌道が福井鉄道みたいに使いやすいとかならわかるのですが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。川沿い堤防の脇を走る区間は新潟交通ならではの光景が広がり、仰るようにいろいろと面白かったと思います。廃止の数年前に「ときめき」駅なるものができていたことは後から知ったのですが、たしかに謎ですね。
併用軌道区間から見る車はどれもバブル時代真っ只中のハイソカーですね。マークⅡやクラウンが何台か見られました。川沿いの区間は今はサイクリングロードを含む遊歩道になっているようですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時は今では考えられないほどクルマ(それも高価格帯)が売れており、軽の比率はずっと少なかったですね。車種も白いセダンばかりが目立ちました。川沿いの区間がサイクリングロードになっているのですね。下津井や片上以外にも、かつての前面展望を妄想しながらwサイクリングが楽しめそうなところが増えて嬉しいです。尤も実際に出かけるかというと・・・重い腰がなかなか上がりませんが(笑)。
橋のところの線路のところ良い
路面電車→上信電鉄なみ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。訪問時は、シンプルな単行車しか運用についていませんでした。
ww
都会の鉄道が廃止になったのは全国的には珍しいケースでは?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。都会の路面電車が廃止された例は枚挙にいとまがありませんが、路面を有する(或いは路面と繋がる)鉄道となると、広島や福井や京津は健在ですし、廃止された例はここ新潟以外では岐阜が思い浮かびますが、仰るように少ないかもしれませんね。
あけましておめでとうございます🎍🙇🎍『車電』の文字が印象的な『白山前』(元『県庁前』)駅舎内部の動画は初めて観ましたよ。出来た当時は 最先端のハイカラな駅ビルだったんでしょうね。嘗ては路面区間にも停留所があったと解説されていましたが 戦前は その路面区間専用の電車も用意されていたそうで これは戦時中に 川崎市へ譲渡されました。(ところが 譲渡されてすぐに 空襲で被災して「これじゃ焼かれるためにくれてやったようなものだ。」と新潟電鉄関係者は嘆いたとか。)主力のモハ10は 皆同じ『日車標準車体』に載せ替えられていましたが 他社(松電・岳南電鉄の電車や 関鉄・小坂の気動車)とは違って 2枚窓の非貫通スタイルなのが独特で 貫通扉の隙間風を嫌ったのかもしれません。(小田急から来た『白電』も 後年片側を非貫通に改造していましたね。)尚 種車には元東武の電車もあり 更新を受ける前は 正面5枚窓(東武博物館の展示物デハ5と同じ)の木造車で そのままカボチャカラーに塗り替えて新潟を走っていました。2km以上も停留所のない狭い道路を走り 沿線住民にはクルマの通行の邪魔 騒音と振動が不快と言われたのもわかる気がします。万代橋を渡って 新潟駅へ乗り入れる計画もあったそうで 実現していたら この路線もどうなっていたでしょう。尚 ワンマンバスのように 乗降客がいないとすぐ発車していましたが だからという訳ではないけど この頃の新潟交通は『電車も走らせているバス会社』のようなもので 社紋もレールの手前にステアリングと バス中心だったことがわかります。すみません 久しぶり語っちゃいました。まぁ新年なので どうかご勘弁を🙇💦最後に 新潟を含め 地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。今では非常に少なくなりましたが、白山前駅のような戦前の近代建築の駅舎は当時はそこそこ残っており、私の大好物でした。路面区間専用の電車が存在し、川崎市電に譲渡されたという話は知りませんでした。書籍等の資料にあたってみようと思います。モハ10に車体更新される前の種々雑多な旧型車両群の姿も見てみたかったと思いますが、時代的に叶いませんでした。新潟「交通」のあの社紋にはそういう意味があったのですか。いつもながら幅広くいろいろとご存知ですね。「もし」新潟駅への乗り入れが実現していたらという仮定の話は想像が広がって面白いと思います。岐阜もそうですが、市街地と郊外とをLRTが結ぶ光景は、ここ新潟でも残念ながら想像で終わってしまいました。
とても懐かし風景を見させていただきありがとうございます、子供のころ六分駅近くに住んでおりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方に懐かしんでいただけたなら、こちらも嬉しいです。
昔、燕から白山前まで乗りました。
とても懐かしく最後まで見入ってしまいました😊動画をあげて下さり、ありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
川の土手に沿って延々と走ったという印象が強かったのですが、動画編集の際に改めて映像を見たところ、意外に路線風景は変化に富んでいたことを思い出しました。
因みに新潟交通電車線の車輌をかぼちゃ電車と呼んでいたそうだったのを鉄道系雑誌で読んだ事がありました。
あと電動車は日本車輌製(バス窓が特徴)
この車輌は他に長野の松本電鉄、静岡ね岳南電車でも以前(今はどちらもなくなりました)は見られました。
日車標準の車体は特別個性的ではありませんが、どれも親しみやすい感じがしますね。岳南の車輛(→大井川鉄道)や京福福井のモハ253,4は、当チャンネルの動画でちょっとですが映像を残すことができました。
新潟交通電車線の先行廃止区間の動画は貴重です。路面区間を行く小田急車(クハ45・2220形)も見てみたいものです。2220形は東関屋で休んでました。
路面区間での一方通行区間があったのは知りませんでした。これは西鉄北九州線でも大門から米町で見られました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元小田急の2220形、私は残念ながら走行シーンを見ることができませんでした。道路の一方通行を電車だけ「逆走」する区間、それを前面展望で眺めるのは、ちょっと不思議な感覚です。
富山港線、万葉線、福井鉄道、新規の宇都宮など、LRT化で活路を見出す事業者が増えているところを見ると、新潟交通はあっさり廃止されてしまったのが残念です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
もし開業時に新潟駅まで路線があったら、或いは終戦直後に路線が延長できていたら、市街地⇔郊外をLRTが行き交う未来があったかもしれませんね。
なかなか貴重な記録じゃないですか?地方民鉄の記録って残りにくいし。無くなったとっくの後ですが、仕事で新潟市内を走ったことがあり、余り通りの風情が変わってないのにビックリです。
これ、日車の標準でしたっけ?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように、日車標準車体ですね。この電車たちは全8両ほど居ましたが、名義上の前歴は種々雑多だったようです。
@@昭和電車チャンネル 「分相応」を体現したような車両でしたね。つい、ニコッとしてしまうような。模型にしたらさぞかし似合うでしょうな。
昭和49年に新潟に行ったときに路面電車の線路が?と思いながら調べてみたら新潟交通でした 路面を普通の電車が通行するなんてカルチャーショックでした(のちに福井にも)子供心に乗りたかったのですが車で北海道に行く途中で親に言えず願いかなわず・・・
貴重な動画ありがとうございます
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
市街地の路面を普通の(高床の)電車が走行する光景は、なかなかエキサイティングですよね。ここ新潟や岐阜は路線そのものが廃止され、福井は高床車が走らなくなり、今でも見られるのは京津線くらいでしょうね。
0:40の改札は朝ラッシュ時の出口専用でした。
平日朝に1本だけ3両があり、ホームには2両しか入らないので、3両目は前寄りのドアに階段を掛け0:34に映っている交差点に直降りで対応してました。もちろん道路は封鎖されてましたよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
貴重な証言をいただけました。平日朝の1本だけの3両編成! そして道路での乗降り、見たかったなぁ。私が訪問したのはGW中だったので、3両はおろか2両編成の走行さえ見ることができませんでした。
こんばんは😃🌃
そして、新年明けましておめでとうございます。今年も動画を楽しみ見させてもらいます。さて、今回の新潟交通電車線
自分もまだこの路線が白山前~燕迄全線健在の時に白山前~燕迄乗り通しました。この白山前駅の駅舎が博物館を思わせる佇まいが印象的で何枚もカメラに収めました‼️
その後は白山前からの路面区間から燕に向かっていきました。
この路面区間はちょっと江ノ島電鉄の江ノ島~腰越間に似ていたのが、印象的でした。途中からは道路巾も広がったかと思ったら通常の線路に戻り東関屋。
ここに動画にも有りましたが、元小田急2220型が塗装も小田急時代そのままで残っていたのには雑誌では知っていましたが、神奈川県民の自分は高校時代の通学に乗ったので懐かしく思い、撮影しました。その後は地方鉄道ではびっくりするくらいの速度で車体を揺らしながら走っていたのも廃止となり今では懐かしく見させてもらいました。
こう言う私鉄ローカル線が廃止なるのは寂しい限りです😢
では、改めて今年も宜しくお願いいたします🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
白山前のような昭和初期の近代建築の駅舎は私は大好物です♡ 動画の字幕でも触れましたが路面区間の狭いところは雰囲気が江ノ電(閑散期)に似てますよね。元小田急2220形は東関屋駅に留置されているのを見ただけで、残念ながら乗ることも走行シーンを見ることもできませんでした。
高い堤防の切れ目から4種踏切未満の農道が、たくさん生えてるのが面白いですね~
スイッチバックみたいな新飯田の貨物ヤードとか。
原風景に吊り掛けはとても映えますね!しかし、周りに綺麗な道路が多くて、ハッとさせられます…
どうして、この状況でときめきを作ってもらおうと思ったんでしょうね・・・併用軌道が福井鉄道みたいに使いやすいとかならわかるのですが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
川沿い堤防の脇を走る区間は新潟交通ならではの光景が広がり、仰るようにいろいろと面白かったと思います。廃止の数年前に「ときめき」駅なるものができていたことは後から知ったのですが、たしかに謎ですね。
併用軌道区間から見る車はどれもバブル時代真っ只中のハイソカーですね。マークⅡやクラウンが何台か見られました。川沿いの区間は今はサイクリングロードを含む遊歩道になっているようですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時は今では考えられないほどクルマ(それも高価格帯)が売れており、軽の比率はずっと少なかったですね。車種も白いセダンばかりが目立ちました。川沿いの区間がサイクリングロードになっているのですね。下津井や片上以外にも、かつての前面展望を妄想しながらwサイクリングが楽しめそうなところが増えて嬉しいです。尤も実際に出かけるかというと・・・重い腰がなかなか上がりませんが(笑)。
橋のところの線路のところ良い
路面電車→上信電鉄なみ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
訪問時は、シンプルな単行車しか運用についていませんでした。
ww
都会の鉄道が廃止になったのは全国的には珍しいケースでは?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
都会の路面電車が廃止された例は枚挙にいとまがありませんが、路面を有する(或いは路面と繋がる)鉄道となると、広島や福井や京津は健在ですし、廃止された例はここ新潟以外では岐阜が思い浮かびますが、仰るように少ないかもしれませんね。
あけましておめでとうございます🎍🙇🎍
『車電』の文字が印象的な『白山前』(元『県庁前』)駅舎内部の動画は初めて観ましたよ。
出来た当時は 最先端のハイカラな駅ビルだったんでしょうね。
嘗ては路面区間にも停留所があったと解説されていましたが 戦前は その路面区間専用の電車も用意されていたそうで これは戦時中に 川崎市へ譲渡されました。(ところが 譲渡されてすぐに 空襲で被災して「これじゃ焼かれるためにくれてやったようなものだ。」と新潟電鉄関係者は嘆いたとか。)
主力のモハ10は 皆同じ『日車標準車体』に載せ替えられていましたが 他社(松電・岳南電鉄の電車や 関鉄・小坂の気動車)とは違って 2枚窓の非貫通スタイルなのが独特で 貫通扉の隙間風を嫌ったのかもしれません。
(小田急から来た『白電』も 後年片側を非貫通に改造していましたね。)
尚 種車には元東武の電車もあり 更新を受ける前は 正面5枚窓(東武博物館の展示物デハ5と同じ)の木造車で そのままカボチャカラーに塗り替えて新潟を走っていました。
2km以上も停留所のない狭い道路を走り 沿線住民にはクルマの通行の邪魔 騒音と振動が不快と言われたのもわかる気がします。
万代橋を渡って 新潟駅へ乗り入れる計画もあったそうで 実現していたら この路線もどうなっていたでしょう。
尚 ワンマンバスのように 乗降客がいないとすぐ発車していましたが だからという訳ではないけど この頃の新潟交通は『電車も走らせているバス会社』のようなもので 社紋もレールの手前にステアリングと バス中心だったことがわかります。
すみません 久しぶり語っちゃいました。
まぁ新年なので どうかご勘弁を🙇💦
最後に 新潟を含め 地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
今では非常に少なくなりましたが、白山前駅のような戦前の近代建築の駅舎は当時はそこそこ残っており、私の大好物でした。路面区間専用の電車が存在し、川崎市電に譲渡されたという話は知りませんでした。書籍等の資料にあたってみようと思います。モハ10に車体更新される前の種々雑多な旧型車両群の姿も見てみたかったと思いますが、時代的に叶いませんでした。新潟「交通」のあの社紋にはそういう意味があったのですか。いつもながら幅広くいろいろとご存知ですね。「もし」新潟駅への乗り入れが実現していたらという仮定の話は想像が広がって面白いと思います。岐阜もそうですが、市街地と郊外とをLRTが結ぶ光景は、ここ新潟でも残念ながら想像で終わってしまいました。