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これはすごい😂❤
7:06頃から出て来る254は数年前に倉庫から偶然発見され、モタスポファンによって253からの改修かつルマン参戦した車両であることが判明しその後フルレストアされました。エンジンは無かったのでRE雨宮による組み上げ、足りない細かなパーツ類はファンたちがオークションで探した同じものを取り付け、カラーリングも可能な限り現役当時に近づけています。(後は大径のリアホイールが用意出来れば完全な姿になるそうです)ちなみに737Cのレストアにも同じファンが関わっていました。
昔マツダディーラー社員だった頃、まだマツダスピードは無く「マツダオート東京」だった。RX-7が発売された頃だったと記憶しているが、突然マツダスピードと言うチームが活躍し始めた。かつてのオート東京がそのチームだと知り気持ちが高揚した事は今でも忘れ無い。
トミカリミテッドヴィンテージで発売された、初代ファミリアバンのマツダオート東京仕様が出た時、えっ?ウソ?マジ?と仰天しました!!これって明らかに、ル・マンのマツダオート東京を意識して出してますよね。🤗
寺田さんはマツダのモータースポーツ活動を語る上では切っても切れない人ですね余談ですが娘のはるひさんは声優でクレヨンしんちゃんのよしなが先生を演じてます
74年のル・マン決勝後に撮影された写真をとある本で見たが、ドライバー陣が24時間走り終えて笑顔だったのに対し、完走扱いされなかった悔しさ、24時間トラブルなく走り切る難しさを突き付けられたからか加藤代表は堅い表情を浮かべていたのが印象に残っている。
大橋監督はルマンの主催者も味方につけて(レギュレーションが)ロータリーマシンが有利になるようにするとか辣腕のマネージャーだった。マツダスピードはエンジンと開発資金以外は最後まで基本的には月島のマツダオート東京が母体だったところが凄い。マツダが5チャンネル制で失敗しなければ90年代も参戦していたと思う。
プロジェクトXでちょっと知ったけど、大橋さんと寺田さんのコンビがここからかと思うと大変勉強になりました😊
ここら辺のパーツはスポーツキットとして市販されたこともあり、国内のスーパーシルエットシリーズのエントラントで多数を占めたのはRX-7だった。RX-3の頃からオート東京だけでなく片山マツダや碧南マツダ、静岡マツダ、関東マツダ、ファミリア城南(後のナイトスポーツ)といったディーラーのスポーツコーナーがマシンを作ってエントリーしていたし、関東マツダからはユアーズスポーツやERCが独立している。ただマツダスピードの車にはドライサンプ用のオイルポンプ付きフロントハウジングの市販品と異なる形状とか、フルフローティングのリアアクスルに19インチのホイールとかワークスマシンならではの造りというのはあったし、ルーカスやボッシュのインジェクションは高価だったのでプライベーターにはあまり使われなかった。ここら辺のプライベーターはスーパーシルエットが終わってからはJSSに移行し、マシンをFC3Sに切り替えながらも90年代初頭までずっと活躍した。JGTC初期のGT2クラスに参戦していた何台かのRX-7はJSSからの移行だ。
おはようございます!待ってましたのマツダのレース参戦のお話し!有難う御座います!
マツダスピード卒業生がNOPROの野上さんだったりあちこちで今でも活躍されてるのは考え深い。
ロータリーみんな好きなんだなー!そう言えば小学生の頃に最初に覚えた英単語はROTARY TURBOだったな
FCとFDはゲームで良く使ってるので好きです。あと知り合った車屋の社長さんの愛車もFCです
252iで真っ先に思い出すのは村上もときの「ドロファイター」ひねくれ者の私は「赤いペガサス」よりも好きでした
同意です!でも作者の名前…………村上もとか…………です。
おお、訂正ありがとうございます
@@國分正之 252iも好きなんですが、一番好きなのはスーパーチャージャー付のアカエイとそれをドライブするキャプテンロッドロンバルディと従姉弟のマリアです!
最初はトヨタにエンジン供給を断られた加藤さんがつてを頼って、マツダ本社→マツダオート東京からエンジンをリースできた。大橋監督は加藤さんには本当に感謝しているって、言ってました。
@@user-bp9lm5up6g お礼?でオート東京は77年までSARD=SIGMAのマシンでグラチャンに参戦してましたね。
何かと日本のル・マン挑戦にかかわってるTWR
初代の市販RX-7のデビューからマツダオート東京の272iのle mans挑戦の頃は中学に入ったばかりで、オートスポーツを読みながら(当時の記事は1ヶ月遅れでしたがw)本当にワクワクしたものです。
本当に資金がなくて他チームの廃パーツやら廃タイヤやらを漁ってあまりのセコさに欧州チームから恐れられたという。。。雑誌のインタビューで由良さんがおっしゃってましたw
79年のル・マンに挑戦したRX-7のドライバーの一人が生沢徹さんだったのが印象深くて……この翌年のル・マンにも、ポルシェ935で出場してましたよね!!
生沢さんは売り込みはプロだからね❗🤣🤣
82年型改良型254とその前のやつの独特なリアのロングテールがとても印象的ですね。改良型のは顔見てRX-7とは別のマシンに見えてしまう。グループCジュニアのも顔が似てますね👍この辺の時期の仕様のRX-7の中古がプライベータにそれぞれのパッケージで渡りスーパーシルエットにも数台参加してましたね。RX-7というと 成績だけでみればアメリカのIMSAレースが最強すぎて同クラス GTUにてとても印象です👍
IMSA仕様のRX-7がル・マン24時間に出走した時、ドアのないあのマシンに乗り込む寺田さん、大変そうだなぁ……と思ったのは僕だけでしょうか?
@@武内伸一 いや💦大変だったと思います👍アメリカ仕様らしさが💦てことはディトナなど当時の日本のメーカーでもIMSA 各GT○クラス仕様はみな💦😱
他の会社はメーカーワークスが残ってるのにマツダスピードは解体したまま…復活するんやろか…
勤務先のイベントに787Bが展示されたらしい…言ってくれよ…笑
2021年開催のオートモビルカウンシルで完走した83号車を拝見しました。リアセクションが空力のために延長されてて内部は簡素でしたがよく完走したなぁと思います。
トム・ウォーキンショーがこの頃からTWRを経営していたとは思いませんでした。マツダがRX7でルマン参戦にはそういう事実が隠されていたんですね。
イギリスの国内選手権ではスターリング・モス引っ張り出していたからね❗😁
マツダワークスがモタモタしてる内に謎の日産ワークスドライバーが乗るZと謎のRX7が先に完走を成功している
それをデビッド・ケネディが割り込み広島との間をぐちゃぐちゃに。今のうち(セオドール)でも同じ事をしてますわ💢
『プアマンズ・ポルシェ』と揶揄されていたRX-7が、初めてポルシェと対等にレースした歴史的瞬間。完全に935を意識したボディラインで、『やっぱりプアマンズ・ポルシェじゃないか!』というツッコミ所はありますが...
ポルシェのアレやと思った……
プアマンズポルシェはフェアレディZでは?
@@international-F3000ZがS130に世代交代して高級路線になったから。北米でのSA22CはS30よりも廉価な設定にされて売れた。
ZとRX-7は、どちらも『プアマンズ・ポルシェ』と呼ばれます。他にはカルマン・ギアなど、ポルシェっぽくてお手頃な車の総称として使われる言葉ですね。
貧乏人向けとされたZも7も世代を重ねるごとに高性能になったけど高級化していったさらにアメリカ人が頻繁に事故を起こすので保険料が高騰してとてもじゃないが維持出来ないクルマになった
トム・ウォーキンショーと生沢に食い物にされたのは草
この頃は日産、トヨタが出たり出なかったりやる気があまり感じられないのにマツダだけコンスタントに出てた印象。結果が優勝に結びついた感じがとても良かった。
マツダは後に1991年のルマンで787Bで優勝を遂げ、日本車メーカーで初の偉業を成し遂げたのだが、後の話である
ロータリーはGT選手権でも活躍してるんだよね
これは
すごい😂❤
7:06頃から出て来る254は数年前に倉庫から偶然発見され、モタスポファンによって253からの改修かつ
ルマン参戦した車両であることが判明しその後フルレストアされました。
エンジンは無かったのでRE雨宮による組み上げ、足りない細かなパーツ類はファンたちがオークションで探した同じものを取り付け、
カラーリングも可能な限り現役当時に近づけています。(後は大径のリアホイールが用意出来れば完全な姿になるそうです)
ちなみに737Cのレストアにも同じファンが関わっていました。
昔マツダディーラー社員だった頃、まだマツダスピードは無く「マツダオート東京」だった。RX-7が発売された頃だったと記憶しているが、突然マツダスピードと言うチームが活躍し始めた。かつてのオート東京がそのチームだと知り気持ちが高揚した事は今でも忘れ無い。
トミカリミテッドヴィンテージで発売された、初代ファミリアバンのマツダオート東京仕様が出た時、えっ?ウソ?マジ?と仰天しました!!これって明らかに、ル・マンのマツダオート東京を意識して出してますよね。🤗
寺田さんはマツダのモータースポーツ活動を語る上では切っても切れない人ですね
余談ですが娘のはるひさんは声優でクレヨンしんちゃんのよしなが先生を演じてます
74年のル・マン決勝後に撮影された写真をとある本で見たが、ドライバー陣が24時間走り終えて笑顔だったのに対し、完走扱いされなかった悔しさ、24時間トラブルなく走り切る難しさを突き付けられたからか加藤代表は堅い表情を浮かべていたのが印象に残っている。
大橋監督はルマンの主催者も味方につけて(レギュレーションが)ロータリーマシンが有利になるようにするとか辣腕のマネージャーだった。マツダスピードはエンジンと開発資金以外は最後まで基本的には月島のマツダオート東京が母体だったところが凄い。マツダが5チャンネル制で失敗しなければ90年代も参戦していたと思う。
プロジェクトXでちょっと知ったけど、大橋さんと寺田さんのコンビがここからかと思うと大変勉強になりました😊
ここら辺のパーツはスポーツキットとして市販されたこともあり、国内のスーパーシルエットシリーズのエントラントで多数を占めたのはRX-7だった。RX-3の頃からオート東京だけでなく片山マツダや碧南マツダ、静岡マツダ、関東マツダ、ファミリア城南(後のナイトスポーツ)といったディーラーのスポーツコーナーがマシンを作ってエントリーしていたし、関東マツダからはユアーズスポーツやERCが独立している。
ただマツダスピードの車にはドライサンプ用のオイルポンプ付きフロントハウジングの市販品と異なる形状とか、フルフローティングのリアアクスルに19インチのホイールとかワークスマシンならではの造りというのはあったし、ルーカスやボッシュのインジェクションは高価だったのでプライベーターにはあまり使われなかった。
ここら辺のプライベーターはスーパーシルエットが終わってからはJSSに移行し、マシンをFC3Sに切り替えながらも90年代初頭までずっと活躍した。JGTC初期のGT2クラスに参戦していた何台かのRX-7はJSSからの移行だ。
おはようございます!待ってましたのマツダのレース参戦のお話し!有難う御座います!
マツダスピード卒業生がNOPROの野上さんだったりあちこちで今でも活躍されてるのは考え深い。
ロータリー
みんな好きなんだなー!
そう言えば小学生の頃に最初に覚えた英単語はROTARY TURBOだったな
FCとFDはゲームで良く使ってるので好きです。
あと知り合った車屋の社長さんの愛車もFCです
252iで真っ先に思い出すのは村上もときの「ドロファイター」
ひねくれ者の私は「赤いペガサス」よりも好きでした
同意です!
でも作者の名前…………村上もとか…………
です。
おお、訂正ありがとうございます
@@國分正之 252iも好きなんですが、一番好きなのはスーパーチャージャー付のアカエイとそれをドライブするキャプテンロッドロンバルディと従姉弟のマリアです!
最初はトヨタにエンジン供給を断られた加藤さんがつてを頼って、マツダ本社→マツダオート東京からエンジンをリースできた。
大橋監督は加藤さんには本当に感謝しているって、言ってました。
@@user-bp9lm5up6g
お礼?でオート東京は77年までSARD=SIGMAのマシンでグラチャンに参戦してましたね。
何かと日本のル・マン挑戦にかかわってるTWR
初代の市販RX-7のデビューからマツダオート東京の272iのle mans挑戦の頃は中学に入ったばかりで、オートスポーツを読みながら(当時の記事は1ヶ月遅れでしたがw)本当にワクワクしたものです。
本当に資金がなくて他チームの廃パーツやら廃タイヤやらを漁ってあまりのセコさに欧州チームから恐れられたという。。。
雑誌のインタビューで由良さんがおっしゃってましたw
79年のル・マンに挑戦したRX-7のドライバーの一人が生沢徹さんだったのが印象深くて……この翌年のル・マンにも、ポルシェ935で出場してましたよね!!
生沢さんは売り込みはプロだからね❗🤣🤣
82年型改良型254と
その前のやつの
独特なリアの
ロングテールが
とても印象的ですね。
改良型のは顔見て
RX-7とは別のマシンに
見えてしまう。
グループCジュニアの
も顔が似てますね👍
この辺の時期の仕様の
RX-7の中古がプライベータにそれぞれのパッケージで渡り
スーパーシルエットにも数台参加してましたね。
RX-7というと
成績だけでみれば
アメリカのIMSAレースが最強すぎて同クラス GTUにてとても印象です👍
IMSA仕様のRX-7がル・マン24時間に出走した時、ドアのないあのマシンに乗り込む寺田さん、大変そうだなぁ……と思ったのは僕だけでしょうか?
@@武内伸一 いや💦大変だったと思います👍
アメリカ仕様らしさが💦
てことはディトナなど
当時の日本のメーカーでもIMSA 各GT○クラス仕様はみな💦😱
他の会社はメーカーワークスが残ってるのにマツダスピードは解体したまま…復活するんやろか…
勤務先のイベントに787Bが展示されたらしい…言ってくれよ…笑
2021年開催のオートモビルカウンシルで完走した83号車を拝見しました。
リアセクションが空力のために延長されてて内部は簡素でしたがよく完走したなぁと思います。
トム・ウォーキンショーがこの頃からTWRを経営していたとは思いませんでした。マツダがRX7でルマン参戦にはそういう事実が隠されていたんですね。
イギリスの国内選手権ではスターリング・モス引っ張り出していたからね❗😁
マツダワークスがモタモタしてる内に謎の日産ワークスドライバーが乗るZと謎のRX7が先に完走を成功している
それをデビッド・ケネディが割り込み広島との間をぐちゃぐちゃに。
今のうち(セオドール)でも同じ事をしてますわ💢
『プアマンズ・ポルシェ』と揶揄されていたRX-7が、初めてポルシェと対等にレースした歴史的瞬間。完全に935を意識したボディラインで、『やっぱりプアマンズ・ポルシェじゃないか!』というツッコミ所はありますが...
ポルシェのアレやと思った……
プアマンズポルシェはフェアレディZでは?
@@international-F3000ZがS130に世代交代して高級路線になったから。
北米でのSA22CはS30よりも廉価な設定にされて売れた。
ZとRX-7は、どちらも『プアマンズ・ポルシェ』と呼ばれます。他にはカルマン・ギアなど、ポルシェっぽくてお手頃な車の総称として使われる言葉ですね。
貧乏人向けとされたZも7も世代を重ねるごとに高性能になったけど高級化していった
さらにアメリカ人が頻繁に事故を起こすので保険料が高騰してとてもじゃないが維持出来ないクルマになった
トム・ウォーキンショーと生沢に食い物にされたのは草
この頃は日産、トヨタが出たり出なかったりやる気があまり感じられないのにマツダだけコンスタントに出てた印象。結果が優勝に結びついた感じがとても良かった。
マツダは後に1991年のルマンで787Bで優勝を遂げ、日本車メーカーで初の偉業を成し遂げたのだが、後の話である
ロータリーはGT選手権でも活躍してるんだよね