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素晴らしい内容でした。私の母方は島根県出身で、先祖代々島根県で土着していた農家だったので、私の中にもおそらく出雲族の血が流れているのだと思います。私は幼少期から成人するなで奈良県奈良市登美ヶ丘(とみがおか)という地域に住みましたが、その地こそがとび一族が住んでいた場所であり、近くには富雄丸山古墳や饒速日さまのお墓や饒速日さまが降臨いたと言われている岩船神社や神武天皇と長髄彦が戦った地があります。また継体天皇が大和入りせずに政務をとった場所と言われている交野市も近くにあります。恥ずかしいながら、それらの真実の歴史を知ったのはごく最近のことです。今回の動画は、もしかしたら私のご先祖さまかも知れない出雲族の歴史を知れてとても有難いです。ありがとうございました。
「出雲の口伝では」という表現がたくさんでてきますが、富当雄さんの息子さんが大元出版という出版社を立ち上げて、口伝に関する本を多数出版されていますので、そちらを参考にされることをおすすめします。そこには、伝承か正確に伝わっています。息子さんのペンネームは斉木雲州さん、お孫さんのペンネームは富士林雅樹さんです。
素晴らしい動画ありがとうございます。驚愕の内容ですね。私はこの口伝を信じます。なぜなら聖書の英語読みバイブルが「血」を語源とするように口伝も「血」で繋がれてきたからです。どんな歴史書も口伝にはかなわないと思います。また私は東北地方の出身ですが、かの地に言い伝えられている歴史と非常で似ているのに驚きました。日本の本当の歴史は一般的に言われているものとはかなり違うのではないでしょうか。口伝者の真の敵は身近な親族だというのは正に真実です。私の場合は母ですね。人間社会のしがらみに負けてはいけません。人間は真実という神に仕えなければなりません。私はそれを身にしみて感じています。
凄い口伝ですね。ムッちゃん亡き後、こうしたことを語れる方は稀有の存在です。ご自愛ください。弥栄🤗
あぁ、この物悲しい口伝がしっくりと、私の知る人間らしい日本の成立ちが、脳裏に浮かんできます。ファンタジーの様な物語も素敵ですが…。
とても興味深いですね、全てを明かせるわけではなかろう、とも思いますが、直感的にかなり真実に近いのでは、と思います。 貴重なお話、ありがとうございます。 少なくともひー、ふー、みー、とタカラは出雲の言葉ということですね、他にもたくさんあるのでしょう。
今は、マサオさんのお子様(とはいってもだいぶお年ですが)本を出されてますよ。島根県教育委員会で出版された富家文書とは違い、文書化されずに隠されてきたのが東出雲王家(事代主=八重波津身)の口伝になります。今回取り上げていただいているのを見てうれしくなりました。昭和後期の「謎の出雲帝国」では、記紀に服属して、現在の皇室観に配慮して、欠史八代を(神武を抜いて7人)全て神武扱いするなど、ぼやかした内容しか出ていません。元出雲大社上官家筆頭職の富家は、基本的にオフィシャルに存在が認められていますが、文書化されたものと秘して口伝で残してきたものの違いの大きさには驚かされることと思います。
新潟に出雲崎が有り、諏訪神社には巨木信仰がある。出雲に関連しており、出雲族の一部が大和朝廷一族に追われ、日本海沿いを北上したと思っていたが、それが確認出来た。
凄いお話を聞かせて頂きました。ありがとうございます。記紀より古代日本の信憑性がはるかに高いと思います。「蘇我氏(出雲系)を抹消したい藤原氏」と言う説が真実味を増してきます。
藤原氏は、歴史をメチャクチャにしたのがよ~くわかった。自分達のステータスの為に。
近畿を中心とした中央集権国家なんて平安時代以前には無かったんじゃないか?と思いました。出雲王国、物部王国そして大和王国はそれぞれ別の独立した王国だったのかもしれません。
@@kusafugu2500そもそも、この島国での話だったのかどうかすら、正直???です。出雲の大国主クナト神も、エジプトの第18王朝のファラオのイクナートンのことのように思えます。(第17王朝までは政略結婚で繋がっていたようですが、ここから急に高身長になり、近親婚が始まっているように見えます)ナガスネヒコは、マリ共和国のドゴン族が讃えている巨人にも思えます。昔々、身長3メートル近い巨人が中国にいたりしました。もしかしたら、彼らがナガスネヒコかもしれません。周囲を見渡せばわかりますが、3メートルもある人は、現在いません。物部王国も、名前から察すると物作りのプロ集団の集まりに思えますが、元々は武士(モノノフ)王国だった可能性もあります。物部といえば、軍事刑罰を司っていたと聞いたことがあります。物部王国と呼ばれる街にいましたが、剣術&忍者世界一と言われていたので、可能性は有ると思います。商人として成功してる人も多い街です。コメント欄に見受けられる諏訪神社(守谷山)や三輪山ですが、山そのものが御神体という考え方は、ケニアのマサイ族と同じ考え方です。いわゆる、遊牧民の神様です。大日本帝国自体、遊牧民のモンゴル人による統治だった可能性があり、その点も一致します。遊牧民ですから定住しません。農民と違って、あちこち転々としてる可能性が高いです。東アフリカに至高神デングという名前の神様が雨や雷を操るそうですが、この神様が日本に渡来して天狗になった可能性があります。至高神デングの始祖がディンガ族と呼ばれますが、その民族は身長が2メートル越えで高いです。この民族がナガスネヒコになった可能性も捨てきれません。安倍一族は鬼王安日とも言われますから、天狗ではなく、鬼の方でしょう。鬼を祀る神社には、沢山の拷問器具が並んでいるとか••••まぁ、どの人達も、だいたい渡来人です。姉妹都市を調べれば、ある程度わかります。
これは凄い、諏訪の伝承と合致しますよ
何度も再生してしまう。
継体天皇が出雲系の出自だとは、他の文献にもあったような気がする。この出雲口伝によると出雲系民族は古来メソポタミアからやってきたシュメール人の末裔、縄文人末裔は神武系で、その配下に朝鮮からやってきた百済系や新羅系がいたという事ですね。大変、面白い口伝です。何か出土品や証拠になるものが出てくれば、色々と証明できますね。そうなると、現在の古代史学会が否定し、文科省も証明されていないとしている神武天皇東征は事実だということです。
東京とその周辺には氷川神社などスサノウやオオモノヌシを祭っている神社、ミワ、ミノワという地名や苗字がいっぱいあって不思議でした。すこしだけですがはじめてその経緯が聞けました。
コメントありがとうございます☺️💖
👏👏👏👏👏👏👏配信ありがとうございます🙏🌸🌄
視聴して頂きありがとうございます🙇♀️💖
古本屋えりえなさん、こんにちは。出雲口伝は大変興味深い内容です。自分も好きで読ませていただいておりますが、最近の出雲旧家の伝承の本(大元出版㈱)によると、大国主と呼ばれるお方は、出雲王の中でも第8代目主王大名持になった西出雲王家郷戸家の八千矛が後に大国主と呼ばれており、たぶんそのお一人のみで、大名持と呼ばれる出雲王国の主王が、17代まで続いたそうなので、17人居たのは、大国主ではなく、歴代の出雲王国の大名持おおなもちと呼ばれた王様たち(主王)のことだと思います。ちなみに、主王と副王(役職名は少名彦)も共に居たので、少名彦も17人居たことになります。ガガイモの船で海の向こうから現れ、はじかれていつの間にかあの世に旅立たれた方は、どなたかはよく知りませんが、大名持と少名彦は、日本でいえば、総理大臣と内閣官房長官のようなもので、よく各地に共に視察や、同盟や和睦交渉に出かけたため、このような伝説が生まれたのかもしれませんね。経緯はわかりませんが、二柱の神のことをわざと分かりにくくするために、大己貴神(オオアナモチ)ヤ(オオナムジ)と呼んでいる例も多いようです。また吉田大洋氏が書かれた謎の出雲帝国の本では、吉田氏が最初から当時自らの研究対象であったシュメールとの繋がりを明らかにする目的で富氏へのインタビューをしたようで、自作の部分もあるようですし、何か少し短絡解釈的な部分もあったかもしれませんね。書かれている内容は、最近の斎木氏や富士林氏の書かれている「出雲王国とヤマト政権」などのー伝承の日本史の内容とは、少し違うような気も致します。youtubeでも最近出雲や大和などの縄文後期から弥生前期にかけての歴史をテーマにした動画も増えてきているようなので、参考にできるのでは?と思います。日本に生まれた者としてとても興味が尽きない面白い歴史ですね。
コメントありがとうございます💖大変わかりやすくご教授いただきありがとうございます🙇♀️17人いた大名持のうちの8代目の大名持であるヤチホコが、後に大国主と呼ばれた人物だったのですね、知識不足で申し訳ございませんm(_ _)m「謎の出雲帝国」より先に「出雲王国とヤマト政権」を読むべきでした。もっと勉強します🙇♀️
@@-eriena karo13adさんのコメントにもあるように、出雲と蘇我王国の本も同時に読んでみると、いろいろと気が付くことが多いと思います。また、ぜひいろいろ紹介してくださいね。まとめられて人に伝えていく才能がおありのようです。よろしくお願いします。
シュメール神話にも聖書にも牛対蛇の構図がありますね。とても興味深いです!
ありがとうございます!
やっと真実の動画に出会えました。予想はしていましたが、大陸や半島を通してやって来た人々のした事を知ると衝撃というか、悲しくなります。まぁ、今も同じ状況ですが。続きを楽しみに待っています
素晴らしい動画。。。。反対側からの意見もないと事実は分からないまま応援します!!!
阿波は百済人というのが面白い創作にしては独創性と整合性に富んでいる事実は小説より奇なりっぽいね
めっちゃ向学になります。ありがとうございます。
視聴していただき、ありがとうございました🙇♀️✨コメントも嬉しいです☺️
凄く筋が通ってますね。ズバット心に突き刺さってきました!動画頑張ってください。出雲井神社って、めちゃ小さいけど・・
諏訪大社膝下の私たち 感謝します
和名抄で難破な讃岐市津田、津田川上流には、四国最大の前方後円墳 富田茶臼山古墳があり、そこを起点に県道2号線で徳島へ行くと阿波忌部の地富さんの富と難破富田の地にある古墳がなんか気になる。徳島にはクナトと同じだと思われるフナト信仰があり、12の子神と親神の食事は別にする。車田神事も。そして高地性集落があり、神山(かみやま)町もある。讃岐の金比羅さんは、大国主命を祭る。その鎮座する山(象頭山)上には蛇に通じる龍(ワニ)を祭るといわれる。
神武が7人いたというのは面白いですね。神武天皇の在位期間が長すぎることがこういうことなのかもしれないですね。在位期間を7で割ると当時の在位期間に近いのではないでしょうか。
ピンクとブルーっぽい勾玉のカタチとラインが 子宮の中での赤ちゃんの成長の初期に似ています。私の感覚ですが、なんだか腑に落ちるものがありますね。
あれやこれや腑に落ちます。
古代の出雲族助け会いの縄文の精神で暮らして分け合う人々でしたが、大和の天孫族とは正反対ですね
これはこれは、ですね。万世一系の筈がそうではないと分ったら、そりゃ皇室にとって不都合極まりないでしょうからね。人種も民族も違う継体天皇をしつこく口説いてすえたことも興味深いことです。なので継体なんですね。神代文字を使用していたことも意味がありますね。シュメールとの繋がりもです。
奈良県に富雄とゆうところがあることを思い出しました。
天照も仏教も両方とも外来なのよね。ただ日本人はDNAからみて全ての民族が共存して現代まで残っているそこが素晴らしい。
日本の超古代における史実を考察する事は非常に難しい学問と言えます。なにせ考古学における科学的とも言える発掘調査結果の研究結果が縄文時代一万年以上という見解を出しているからです。また、日本人のそもそもの由来というモノが人種的遺伝子研究で地球上で特殊な性質を持つ事が明らかにされている事もあり、縄文時代からの先住民族はその後渡ってきた移民を吸収して日本人を形成していく。日本超古代史を難しくしているのは、縄文時代中期から後期にかけて起きた鬼界カルデラ噴火です。どれほどの期間西日本から東海道エリアが過疎地化したのか不明ですが、この時期の人の生活跡が遺跡として出てきていません。逆にこの時期に増えたのが長野、群馬、埼玉、千葉、茨城の一部地域です。僕は元々日本列島は数多くの村が近隣と結び付き、国を形成し連邦共和国となったのが邪馬台国でその後中央集権国家へと移っていったのが大和王権と考えています。日本の歴史学上、邪馬台国論争は「どこか一箇所」という解明ですが、数年おきに魏の役人が訳す女王、卑弥呼が連邦共和国指導者シャーマン、日の巫女を連邦国から代わる代わる選出されていたら、その時々で邪馬台国の中心地は変わるものと考えます。おそらく次第にシャーマンを出せない国や人の流れや人口の増減により吸収合併による国数の減少により、連邦から中央集権に移行せざるを得なくなったと考えます。最後まで巫女を出し続けていた国の一つが出雲であると考えます。また天孫族は、低地の者からしたら雲の上に住む人達が降りてきた事に由来すると考えます。濃霧になりやすいエリアを超えた山の上に住む、住める事が条件にもなります。
私は渡来系だ。出雲神社に行った際、大国主が祀られ収められてるところ見て驚いた。やはり乙巳の変を起こした中臣氏(藤原)も渡来系、私の読みは的中、日本建国 隣国が大きく関わってると感じる。
古史古伝とはいいますが、古からの神社に残された文書・口伝(物は焼き払われるが、伝承者の断絶こそが終焉なのか、残念)には真実が多く含まれていると思います。地域性がありそれぞれに微妙な矛盾もあるでしょうが、今はやりのコンピュータにビッグデータとしてすべてインプットし、各宮司(伝承者?)の考察も情報としてディープラーニングさせてGPTで一つの文脈にまとめさせてみたいものです。(誰か挑戦者はいないのか。同様に人類の哲学大全みたいなものの(集大成:結局何だったのか)もまとめてほしい)
7人の神武とは、イワレビコという長の地位を7人が順に引き継いだということかな?正統竹内文書で、父:オシホミミ→長男:ホヒ→次男:ニニギ→三男:ホオリ→四男:ウガヤフキアエズ→孫長男:イツセ→孫四男:サノ・・・?
出雲人に戦いの歴史は無かった古代の縄文人のおおきみが世界の文明を 言葉を文字それぞれ作ったがそれぞれが民族を作って戻ってきた時 戦いと殺しと権力欲を持ち帰って来てしまった。縄文人は礼と和と道徳心を何万年も繋いでいたのに。今の日本人はどうだ。そろそろ本当の日本人の真骨頂を 取り戻す時 令和しっかりと 戸締まりをすることです
令和の意味····和人ゼロ ではないのか?
東北から出雲まで移ったのかな?"クナト"はここから来るのか。倭歌に一二歌ある。興味深い。
旧約聖書に類似するところが多々あるのが面白いですね。
私が本で読んだ内容とほぼ一致してますガ、コトシロヌシはオオクニヌシの息子ではないのでは?東王家、西王家、副王、主王の関係で対等なはずです。オオクニヌシの別名オオモノヌシもwikiには書いてますが、誤りだと思います。オオモノヌシ=コトシロヌシ=ヤエナミツミ、大和桜井三輪山が好きなのでちょっと言わせてもらいました。ミナカタノトミノミコトは初めて聞く呼び方で、勉強になりました。
スケールの大きな話です。出雲神族とは、財筋に繋がっているように思いました。すると、出雲大社の宮司の家と、出雲神族はどういう関係なのでしようか。関係はないのでしようか。スサノオと出雲大社宮司の系譜が関係あるのでしようか。そこも気になるところです。
スサノオ=牛頭天皇として八坂神社などに祀られている理由が腑に落ちた
これも非常に興味深い内容です。私は邪馬台国はヤマトで宮崎説を主張してますが、通じるものがあるように思います。原文を読みたい。又、私の高校時代の日本史の恩師は郷土史の研究家でもありましたが、日本で一番古い家系は天皇家ではなく、出雲神官の北島家と教えて頂きました。記紀を日本史の依拠とするのは強引で、やはり無理がある。
北島さんは出雲では天皇みたいな存在ですね。殿と呼ばれています。
@@はるか旅ちゃんねる この動画によればその北島家も財筋から見れば余所者ってこと?
北島家や千家さんはヤマト側から配置された出雲族監視するための存在であったと佐田神社関係者から聞いた事があります。
@@みかぼし ヤマトから派遣とは興味深いですね。文献は無さそうですね。
@@みかぼし でも派遣とは限らないですね。現地人にさせることもあるし
この動画を見させて頂いて父方の祖先は出雲族に何らかの関係が有るのかも知れないと思いました。父方の実家は和歌山北部で、大神神社を信仰していた事、家紋が左三つ巴で有ること。大神神社の主祭神は大物主神すなわち大国主命で有ります。大和政権の地に近い三輪に大国主命を主祭神とする大神神社が鎮座する理由も疑問に思っていましたが、良く理解できました。父方の祖父は早逝しており、しかも養女養子で有ることから祖先についての話は全く知る余地が無かったのですが、今まで知り得た事と父方実家に残る物証と今回の話が合致することが多くあり色々腑に落ちました。
うちの家紋は、州浜紋です。やっと腑に落ちました。私が行くところは行く先々晴れると言う晴れ男です。笑い
母の里の家紋は亀甲州浜紋です、先祖は三沢氏です。
富氏の口伝と似ている、ただタイムラインがハッキリしないとなんとも言えないけど。ある方から大国主に関係すると言われた事と、出雲を考える時に起こる強い怒りの感情が何処から来るのか、何となく分かった気がした。ただ今の時代は同族(天孫です)争いすることではなく、姿を現した闇の存在との闘いに備えるのが大事。その前に式年遷宮の年に手打が有りましたから少し前進。
仰る通りです☺️いつの時代も民衆の道徳心が素晴らしかったと感じます。"手打“とは何のことですか?無知ですみません…🙇♀️
@@-eriena >手打ちお手を拝借 ヨオ〜の、それです。3.3.7か一本かはわかりませんが。ところで今書いていて気がついたのは、3.3.7拍子は13回なんですね。13は西洋では忌み嫌われる数字ですが、龍と同じで東洋(特に日本)では神聖な数字だったりして!
何故大本教があの当時、政府から弾圧されたのか良くわかる。
大国主とは、大国の主という意味ですからね、その意味をかんがえることで、正しい歴史が見つかると思います。
話として、面白かった👍Thank you。参考になる話の文字列が有難いですよ。事代主までは、素戔嗚尊の子孫かな?今の出雲は、天照大神の第2皇子の鳥取さん!と天津神系の主張だから、親戚同士、揉め事は無しにしたらいいのにね(笑)
大和朝廷は古史古伝を偽書に定め嘘の塊として日本の歴史書などではないとしていますが、争いのない縄文の時代があって暮らしがあって秩序もあったと思っています。出雲族も古代からの人々が繁栄した国々で口伝で伝えて行ったと思います
国譲りなど交渉し穏やかなものじゃなかったんですね。征服か?残酷な人間たち渡来系だから外国式の戦いで出雲族は圧倒されたでしょうね。
半島、大陸経由の民の話が更に詳しく聞きたいですねぇ。どの様に土着、交雑していったのか。
私も三十年くらい前に読んだ時、衝撃でしたし、刺激的でもありましたが、真実が含まれているとしても、口伝を重ねるうちに、どこかの代で、感情から「誇張」が入りこんだ時、検証の術がないので、口伝を重ねるうちに、どぎつい感情が行き着くところまで「誇張」が進んでしまうということを差し引く必要があろうかと思います。また、天皇の周辺の氏族が激しい行為をしたとして、天皇自身がそれを良しとされていたかについては疑問に思います。(悪さをすり神々と、天照大神の関係の「型」が繰り返される。直近では、軍部と天皇のように。)天皇がいなければ、我が国は外国のように、暴政がまかり通る国になっていたと思います。それが緩和され、穏やかな国であるのは、国民を「大御宝」とされる天皇を戴く歴史のおかげであろうと思います。
大和族の考察もお願いします。🕊#瀬織津姫🌸
ホヒ族、、、アメリカのインディアンであるホピ族は日が昇る国の兄弟と言ってますがまさか、、、
ホヒ族は天孫族でしょうかね。飛騨天孫白山なんて言ったりしますね。泰澄が有名かな。
声変えたら登録者増えそうな。
私はあまり古代の日本史には興味ないけど、こうしてお勧めに上がってくる動画を見るようになりました以前ユダヤ人が書いた本を読んでやっぱり大和朝廷の人つまり大和民族はユダヤ人が船でやってきたと思っています大和民族はつまり、もともと日本に住んでいたのではなく、どこからか来て奈良県に住み着いた民族の事ですそんな私には「出雲」が「モーセ」のように思いますつまり出雲大社はモーセをまつった神社なんじゃないかと何故なら出雲と言う言葉が直接「モーセ」と読めるからです「出」と言う言葉は「いずる」と読み、これは日本の言葉です(日本にはたくさんの外来語がありますが)でも「でる」つまり「で」とも読める訳ですこの「で」と言う言葉はどうやら古代のエジプト語みたいですねと言うのはエジプトの王女が葦で編んだかごに入っていた赤ん坊のモーセを取り上げ「水から私が救い上げたので、モーセと名付けよう」と言ったからですでも「雲はモと読めるけど、水じゃないよ」と思うかもしれませんが、(も)という言葉は「まみむめも」の「も」なんで「み」と近いんですよ日本語の「みず」はもともとは「み」でしたからだから出雲は「モーゼ」とも読める訳ですそれにモーゼは「あなたが結ぶものは天でも結ばれ、あなたが解くものは天でも解かれる」と神から言われましたつまり、モーゼが結婚の儀式を行うとその二人は天でも夫婦となり、また別れるときにその儀式を行うと天でも夫婦の契りを解かれると言うものですだから出雲大社は縁結びの神様じゃないでしょうかねお目汚し失礼しました
吉田大洋氏の書いた、富氏の伝承は嘘である。それを是正したい富氏の子孫が近年、大元出版から真実の伝承を出版している。それを読んで欲しい。著者名は斉木雲州である。
コメントありがとうございます💖遅ればせながら大元出版の本も読ませて頂きました、まだまだ勉強不足で申し訳ありません…🙇♀️
最近、「富」の名が入る姓を名乗る人達と、元々地元にいた「富」の名が入る姓を持ってた人達では、見た目が違うんですよねぇ•••
出雲口伝には伊豆半島の三嶋大社の創建について書かれていますが、では三嶋大神の后と伝えられる阿波命神社(東京都神津島)の祭神 アワメ命 とは一体だれなんですか?
縄文とか弥生とかいう言葉が口伝の中にあるのはどうしてですか❓️🤔近代用語or古代用語❓️
富氏が直接語ったものではなく、富氏から聞いた内容を吉田大洋氏が編集して本にしたものから引用しているのでしょう。
鳥見⁉︎冨ナガスネヒコだったのか!?
詳細すべてをそのママとらえると「?」な表現も散見されるものの、全体像として「伝えたい」事項は「可能性」ありと思えなくもない。 「各族」の移動については「らしさ」を垣間見える。
なぜエミシがまつろわぬ民なのか解ったような気がする。
高天原が海の彼方と言うのは、沖縄のニライカナイと同じ伝承なのかな😊
出雲地域には、「大国」という姓の方が、たくさんおられますが、この方々こそ大国主命の末裔ではないでしょうか。
そうなんですか!!大国さん…教えて頂きありがとうございます☺️💖
ほかに、出雲(いずも、しゅっと)という姓の方もたくさん・・・これは出雲振根の・・・😂
どこまで本当かわからないが、我々の知らない日本史があるというか。
ポールシフトか なんかで、地球環境が急変した時.. 4000年 ねぇ.. 最終氷河期が、12,000年前って言われてるから 最近 ただ、熊野とか 幣立神社とか は 1万年からあるって言われてるしねぇ出雲口伝が曖昧に間違えたのも在るかまぁ、その氷で閉ざされた頃には 亜細亜 全体に.. 大亜細亜かな? かむろき(イザナギ おそらく メソポタミアのグガルアンナ(天の雄牛)の 子供達(眷族?家臣?)が 統治していた ようだ。 と、
門外不出の口伝が公開されてるのが一番疑問?
確かに😂笑コメントありがとうございます💖
昔は広めると消されたけど今は消すと増えるからw
ご子息、富早人さんの口伝とはまた少し違いますね。親子なのに?
この本間違っているんだよな。富当雄氏の子の斎木雲州氏の『出雲と蘇我王国』読んでください。
コメントありがとうございます💖大元出版ですね、今読んでいます☺️めちゃめちゃ面白くて富早人さんが出版された本全部取り寄せちゃいました…勉強し直しますm(_ _)m
おお、二冊目の出版の本ですね。本当の最初の本である「出雲と大和のあけぼの」は絶版になってしまっています。ご高齢という事もあり、執筆者の方も後継者が出ておりまして、現在では富士林雅樹氏が、正式版の「出雲王国とヤマト政権」という本に引き継がれています。あと、HPの内容はおそらくもう更新はないと思います。最新版の五條桐彦さんの「人麿古事記と安麻呂書記」は、HPに出ておりません。
反対側から見たらそうなのかも。。。
翁長タラシ姫←なんかエッチな名前w
神功皇后ですよ!
情報発信ありがとうございます。えりえなさんのように知識を共有してくださる方がいらっしゃると大変助かります。日本の歴史で追うことの出来る最古の文明は縄文ですが、えりえなさんは縄文人が出雲系の先祖だと思いますか?それとも出雲系もまたどこかから来た民族なのか、日本を離れた民族が逆輸入的に戻って来たのか?縄文時代に争う性質を持たなかった民族(日本人の原種)が、なぜ有史に見られる日本人になったのかが謎で仕方ありません。今の日本人は雑種のような存在だと思いますが。
コメントありがとうございます!縄文人の中に出雲神族もいたと思います😊が、出雲系の先祖は古代インドのドラヴィダ族だと現役の出雲口伝者、富早人氏が本にまとめています。(出雲と蘇我王国)逆輸入説は夢がありますね💖
@@-eriena お忙しい中ご返信ありがとうございます。逆輸入かただ単に他民族が日本へ侵攻してきたのかは不明ですが、個人的には日本あるいは近辺地域から世界各地へある種族が広がって行ったのではないかと推察します。言語的に見ると、シュメール・トルコ・タミル語系のドラヴィダ族などは日本語と同じ膠着語に分類され似ているようですね。縄文が今から1万5千年前には存在していたことを考えると、トルコのギョペクリテペ(約1万2千年前)やシュメール(7,8千年前)よりも古くなります。数千年あれば移動もあり得るかと。そう考えると年代的に日本⇒世界の方が筋が通ります。民族的に見ると、縄文人はポリネシア系の様な海洋民族だったのではないかと考えます。ハワイやニュージーランドの原住民(ポリネシア系)にも日本の国生みの話に似た神話があり、オーストラリアも日本と同じく最古級の石器が発見されるスポットでもあります。アフリカで生まれた1種族が世界に散らばったと考えるより、竹内文書の5色人のように複数種族が各地で生まれ、それぞれ散らばって行ったと考える方が線が繋がる気がしております。その1つの起点が日本か近辺地域だったのではないかと。歴史をたどって謎が解けると良いのですが。これからもチャンネルを応援させて頂きます!
何故、極秘中の極秘の口伝を、冨氏は公開することにしたのでしょうか?
その口伝が本物であるという証明ができるような仕掛けを作るべきだ。なにかあるのだろうか?
それは無理でしょう。タイムマシンでもできない限りは.....
@@いいいん ですよね。
北米インディアンのホピ族と関係が?
やっぱとらいじんか…となるな…
いつから富家が初代から仕切っているみたいな風潮になったんだろうって思ってたけど、むっちゃんの影響なのかな?あの人、宗像の事も隠して話してたから信用度低いんだよね。そもそも、富って向のこと?初代から25代を指してるの?富栄えるで富家って呼ばれたって聞いてるけど、これらは集団のことを指しているのだとしたら納得かなぁ‥‥なんか今皆それぞれ名前違うし。総称での話なら「そういう解釈もあるんだ」程度で流せる。北島や千家に地位を譲ったって話は聞いてるよ。でも譲った側は信濃の水軍の棟梁って聞いてるんだけど、その話全然出てこないね。これらの話だけを鵜呑みにしない方がいいかも。何か分裂工作のにおいがする、楽しんで聞いてた人達ごめんね。こういうのって、大まかにあってれば良いやと思ってたけど、こんな作為的に広められるなんて、それこそ何故口伝を今更メディアに流したの?ってかんじ。むっちゃんが出てきた時期は、佐宗さんが暗◯された後の時期だよね。代わりに出てきた人なんだと思ってた。都市伝説として楽しむならいいんじゃないかな。鵜呑みにして広めないで‥‥そもそも本になってるって‥‥幕末でも◯された人達が居るのに、今更なんで言うのかな。悲しい。
本当の神武は隠された 誰だか判るかな
藤原氏はどこから来たのでしょうか?
コメントありがとうございます💖何のひねりもなくて申し訳ないのですが、唐の時代に中国から来た渡来人だと思います…!
大陸出身の卜部氏の分家が、中津臣家(後の中臣家)ですが、鎌足は太安万侶の親戚筋で、八井耳系の系譜で、両親とも鹿島国造家の方が親だったそうです。鎌足は、中臣家に養子入りして、息子の不比等も実は日本人の奥さんとの間の子で、中臣家とは血縁がないそうです。「大元出版」の最新版はHPには出ていません。五條桐彦さんの「人麿古事記と安麻呂書記」に詳しく出ておりますよ~
天児屋根命が成長中臣氏 即ち藤原氏の先祖と云う説! 天児屋根命は、天照大神が天の岩屋戸に隠れた時に出現を願って祝詞を奏した。その後朝廷の祭祀をつかさどる事どなった。と云う説もありますです
出雲の国ゆずり別雷命と建御名方の神が戦い建御名方の神は諏訪に逃げ諏訪大社の御祭神になった、別雷命は上賀茂神社の御祭神です。
@@-eriena 違うよ
出雲=縄文=シュメールといいたいのか?天孫はじゃあユダヤか?
出雲神族=出雲の王族。神はカモと発音していたので神族は【カモ族】出雲王国は神門臣王家と富王家の二王家が歴代の大穴持(オホナモチ)=主王(帝王)と、少名彦/少彦(スクナヒコ)=副王。スクナヒコの別称が言治主(コトシロヌシ)。を代替わり(オホナモチ(帝王/天皇)は基本的に終世在位。)毎に概ね持回りして交代していた。古事記等の大国主の息子がコトシロヌシと言うのは間違い。大穴持(オホナモチ)は【君臨すれども統治せず】の象徴の帝王。後々の天皇(第2出雲王国(岩戸から再臨した天照大神)の帝王)とほとんど同じポジション。反対に副王の少彦(スクナヒコ)は軍事警察権を照覧、統帥し、外交や交易など凡そ王国の統治の実権を管掌していた。出雲の国譲り神話はなかった。どころか、渡来人の(徐福の子孫)物部王家軍や豊国 宇佐王家軍半島から流れてきた天日矛命の子孫の但馬の田島守、らによって完膚な迄に破滅させられる形で滅亡した。しかし、二つの王家は辛うじて存続を許された。↑スサノオ(渡来人、侵略者の比喩)がどかどかと高天ヶ原(出雲)にやって来て天照大神(出雲王国)と対峙~あらゆる乱暴狼藉の限りを尽くしたことから怒った天照大神は天岩屋に隠れた(出雲王国は滅亡したものの王家は存続した)そのため、世の中は暗闇となり、、、(出雲王国とその係累の大和王国や吉備王国ほかが滅ぼされて侵略者たちの三勢力が仲間割れ。物部が謀略を巡らして他を排除して大和(石上神宮)に徐福(イザナキ、スサノオ、彦ホアカリ/ニギハヤヒ/フツ(本名))以来の悲願で、統一物部王朝を樹立させる。しかし征服王朝の物部に服従するモノは少なく日常茶飯事的に全国各地で反乱が頻繁。それを大王(天皇/垂仁~成務の三代は物部王朝。)自ら物部軍を率いて反乱鎮圧に東奔西走。また、前の残存勢力や元の仲間を執拗に追撃。)
なぜ今開示されたんですか?
出雲郷土史研究をすればするほど、奈良時代の文献は非現実な記述が多いことが分かる。その点、富家の「伝承の出雲王国史」は権力者におもねくことなく公平公正な内容と言って良い。
出雲は紀元前770年~だよ。
コメントありがとうございます💖お久しぶりです!紀元前770年、縄文と弥生の移行期に渡来してきたということですね、、!猿田彦についてどう思いますか?
@@-eriena 猿田彦は分かりませんが天御中主子孫本家の私の役目を果たす。天皇を解任し無くす。藤原本家は二条家だが役目してないので太陽信仰の子孫本家ではない。
@@SINZAEMON1000 さんが仰る天皇とは、今の天皇家のことですか?出雲が紀元前770年と言うのも天御中主尊本家の伝承ということでしょうか🤭?
@@-eriena 天皇任命者は私の先祖です。天皇族は3000年前の難民です。太陽信仰の下っ端信徒になったので王朝を与え中華倭国周にさせたが侵略して臣下が戦争して中国の領土無くした。中華倭国夏子孫が紀元前770年から出雲で王朝を始めた。中華倭国周子孫が紀元前660年から九州で王朝始めた。中華倭国商は地球統治者であったし倭国統治者であった。近畿の大和王朝から天皇になるが中臣氏先祖の建御雷が出雲王朝を武力使わないで取って大王に与えて天皇が始まる。
猿田彦大神は瓊瓊杵尊の降臨に際し高千穂へ案内したとなってます。by古事記
資料を紛失されたのはびっくり時代的にわざと?
素晴らしいですが、やはり口伝だとどうしてもエビデンスとしてはね。。。
そうですね。口外してはならぬ、という箔付けかもしれませんしねぇ。怪しまれるのも仕方がない。
欽明天皇からまた天孫族に王位を返したのか?
コメントありがとうございます🙇♀️mal kotoisu様の仰る通りで、欽明天皇から倭漢氏系の蘇我氏が権力を握っています。富氏の口伝では「継体天皇は渡来系の人々によって殺された(中略)遂には宣化までも誅殺された…云々」とあります。これが磐井の反乱にも繋がります。
テーマや内容は大変興味深いのですが音声が悪くて、1分も視聴出来ません。改善は無理なのでしょうか?
千年2千年と守り続けてきた口伝を漏らすとは、祖先に対してどう思っているんだろう。
継体天皇=出雲族?
朝鮮からの渡来は間違いだよ
なんでシュメール語が出てくるの?
もそっと聞き易い音声にならない?
解説の声がトンガっていて、内容が入ってこないのでそこが残念ですね。
真実はひとつ
カラとはカラ族のことですよ。笑うようなことを言っている人がいるんですね。
また左翼による天皇家と出雲の分断か
13:40やはり伊勢も天孫族に侵略されてたんですね神宮が伊勢に建てられた事と伊勢津彦(猿田彦)は何か関係があると思います。記紀にて猿田彦の事故死について妙に具体的かつ詳細に記述してるのがいかにも『他殺じゃ無い無いです!事故死です!事故です!』と謳って他殺を隠蔽している様に思えます
素晴らしい内容でした。
私の母方は島根県出身で、先祖代々島根県で土着していた農家だったので、私の中にもおそらく出雲族の血が流れているのだと思います。私は幼少期から成人するなで奈良県奈良市登美ヶ丘(とみがおか)という地域に住みましたが、その地こそがとび一族が住んでいた場所であり、近くには富雄丸山古墳や饒速日さまのお墓や饒速日さまが降臨いたと言われている岩船神社や神武天皇と長髄彦が戦った地があります。また継体天皇が大和入りせずに政務をとった場所と言われている交野市も近くにあります。恥ずかしいながら、それらの真実の歴史を知ったのはごく最近のことです。今回の動画は、もしかしたら私のご先祖さまかも知れない出雲族の歴史を知れてとても有難いです。ありがとうございました。
「出雲の口伝では」という表現がたくさんでてきますが、富当雄さんの息子さんが大元出版という出版社を立ち上げて、口伝に関する本を多数出版されていますので、そちらを参考にされることをおすすめします。
そこには、伝承か正確に伝わっています。息子さんのペンネームは斉木雲州さん、お孫さんのペンネームは富士林雅樹さんです。
素晴らしい動画ありがとうございます。驚愕の内容ですね。
私はこの口伝を信じます。なぜなら聖書の英語読みバイブルが「血」を語源とするように口伝も「血」で繋がれてきたからです。どんな歴史書も口伝にはかなわないと思います。
また私は東北地方の出身ですが、かの地に言い伝えられている歴史と非常で似ているのに驚きました。日本の本当の歴史は一般的に言われているものとはかなり違うのではないでしょうか。
口伝者の真の敵は身近な親族だというのは正に真実です。私の場合は母ですね。人間社会のしがらみに負けてはいけません。人間は真実という神に仕えなければなりません。私はそれを身にしみて感じています。
凄い口伝ですね。ムッちゃん亡き後、こうしたことを語れる方は稀有の存在です。ご自愛ください。弥栄🤗
あぁ、この物悲しい口伝がしっくりと、私の知る人間らしい日本の成立ちが、脳裏に浮かんできます。ファンタジーの様な物語も素敵ですが…。
とても興味深いですね、全てを明かせるわけではなかろう、とも思いますが、直感的にかなり真実に近いのでは、と思います。 貴重なお話、ありがとうございます。 少なくともひー、ふー、みー、とタカラは出雲の言葉ということですね、他にもたくさんあるのでしょう。
今は、マサオさんのお子様(とはいってもだいぶお年ですが)本を出されてますよ。島根県教育委員会で出版された富家文書とは違い、文書化されずに隠されてきたのが東出雲王家(事代主=八重波津身)の口伝になります。今回取り上げていただいているのを見てうれしくなりました。
昭和後期の「謎の出雲帝国」では、記紀に服属して、現在の皇室観に配慮して、欠史八代を(神武を抜いて7人)全て神武扱いするなど、ぼやかした内容しか出ていません。
元出雲大社上官家筆頭職の富家は、基本的にオフィシャルに存在が認められていますが、文書化されたものと秘して口伝で残してきたものの違いの大きさには驚かされることと思います。
新潟に出雲崎が有り、諏訪神社には巨木信仰がある。出雲に関連しており、出雲族の一部が大和朝廷一族に追われ、日本海沿いを北上したと思っていたが、それが確認出来た。
凄いお話を聞かせて頂きました。ありがとうございます。記紀より古代日本の信憑性がはるかに高いと思います。「蘇我氏(出雲系)を抹消したい藤原氏」と言う説が真実味を増してきます。
藤原氏は、歴史をメチャクチャにしたのがよ~くわかった。自分達のステータスの為に。
近畿を中心とした中央集権国家なんて平安時代以前には無かったんじゃないか?と思いました。
出雲王国、物部王国そして大和王国はそれぞれ別の独立した王国だったのかもしれません。
@@kusafugu2500
そもそも、この島国での話だったのかどうかすら、正直???です。
出雲の大国主クナト神も、エジプトの第18王朝のファラオのイクナートンのことのように思えます。(第17王朝までは政略結婚で繋がっていたようですが、ここから急に高身長になり、近親婚が始まっているように見えます)
ナガスネヒコは、マリ共和国のドゴン族が讃えている巨人にも思えます。昔々、身長3メートル近い巨人が中国にいたりしました。もしかしたら、彼らがナガスネヒコかもしれません。周囲を見渡せばわかりますが、3メートルもある人は、現在いません。
物部王国も、名前から察すると物作りのプロ集団の集まりに思えますが、元々は武士(モノノフ)王国だった可能性もあります。物部といえば、軍事刑罰を司っていたと聞いたことがあります。物部王国と呼ばれる街にいましたが、剣術&忍者世界一と言われていたので、可能性は有ると思います。商人として成功してる人も多い街です。
コメント欄に見受けられる諏訪神社(守谷山)や三輪山ですが、山そのものが御神体という考え方は、ケニアのマサイ族と同じ考え方です。いわゆる、遊牧民の神様です。
大日本帝国自体、遊牧民のモンゴル人による統治だった可能性があり、その点も一致します。遊牧民ですから定住しません。農民と違って、あちこち転々としてる可能性が高いです。
東アフリカに至高神デングという名前の神様が雨や雷を操るそうですが、この神様が日本に渡来して天狗になった可能性があります。至高神デングの始祖がディンガ族と呼ばれますが、その民族は身長が2メートル越えで高いです。この民族がナガスネヒコになった可能性も捨てきれません。
安倍一族は鬼王安日とも言われますから、天狗ではなく、鬼の方でしょう。
鬼を祀る神社には、沢山の拷問器具が並んでいるとか••••
まぁ、どの人達も、だいたい渡来人です。姉妹都市を調べれば、ある程度わかります。
これは凄い、諏訪の伝承と合致しますよ
何度も再生してしまう。
継体天皇が出雲系の出自だとは、他の文献にもあったような気がする。この出雲口伝によると出雲系民族は古来メソポタミアからやってきたシュメール人の末裔、縄文人末裔は神武系で、その配下に朝鮮からやってきた百済系や新羅系がいたという事ですね。大変、面白い口伝です。何か出土品や証拠になるものが出てくれば、色々と証明できますね。そうなると、現在の古代史学会が否定し、文科省も証明されていないとしている神武天皇東征は事実だということです。
東京とその周辺には氷川神社などスサノウやオオモノヌシを祭っている神社、ミワ、ミノワという地名や苗字がいっぱいあって不思議でした。すこしだけですがはじめてその経緯が聞けました。
コメントありがとうございます☺️💖
👏👏👏👏👏👏👏配信ありがとうございます🙏🌸🌄
視聴して頂き
ありがとうございます🙇♀️💖
古本屋えりえなさん、こんにちは。出雲口伝は大変興味深い内容です。
自分も好きで読ませていただいておりますが、最近の出雲旧家の伝承の本(大元出版㈱)によると、大国主と呼ばれるお方は、出雲王の中でも第8代目主王大名持になった西出雲王家郷戸家の八千矛が後に大国主と呼ばれており、たぶんそのお一人のみで、大名持と呼ばれる出雲王国の主王が、17代まで続いたそうなので、17人居たのは、大国主ではなく、歴代の出雲王国の大名持おおなもちと呼ばれた王様たち(主王)のことだと思います。ちなみに、主王と副王(役職名は少名彦)も共に居たので、少名彦も17人居たことになります。ガガイモの船で海の向こうから現れ、はじかれていつの間にかあの世に旅立たれた方は、どなたかはよく知りませんが、大名持と少名彦は、日本でいえば、総理大臣と内閣官房長官のようなもので、よく各地に共に視察や、同盟や和睦交渉に出かけたため、このような伝説が生まれたのかもしれませんね。経緯はわかりませんが、二柱の神のことをわざと分かりにくくするために、大己貴神(オオアナモチ)ヤ(オオナムジ)と呼んでいる例も多いようです。また吉田大洋氏が書かれた謎の出雲帝国の本では、吉田氏が最初から当時自らの研究対象であったシュメールとの繋がりを明らかにする目的で富氏へのインタビューをしたようで、自作の部分もあるようですし、何か少し短絡解釈的な部分もあったかもしれませんね。書かれている内容は、最近の斎木氏や富士林氏の書かれている「出雲王国とヤマト政権」などのー伝承の日本史の内容とは、少し違うような気も致します。youtubeでも最近出雲や大和などの縄文後期から弥生前期にかけての歴史をテーマにした動画も増えてきているようなので、参考にできるのでは?と思います。日本に生まれた者としてとても興味が尽きない面白い歴史ですね。
コメントありがとうございます💖
大変わかりやすくご教授いただきありがとうございます🙇♀️
17人いた大名持のうちの8代目の大名持であるヤチホコが、後に大国主と呼ばれた人物だったのですね、知識不足で申し訳ございませんm(_ _)m
「謎の出雲帝国」より先に「出雲王国とヤマト政権」を読むべきでした。
もっと勉強します🙇♀️
@@-eriena karo13adさんのコメントにもあるように、出雲と蘇我王国の本も同時に読んでみると、いろいろと気が付くことが多いと思います。また、ぜひいろいろ紹介してくださいね。まとめられて人に伝えていく才能がおありのようです。よろしくお願いします。
シュメール神話にも聖書にも牛対蛇の構図がありますね。
とても興味深いです!
ありがとうございます!
やっと真実の動画に出会えました。予想はしていましたが、大陸や半島を通してやって来た人々のした事を知ると衝撃というか、悲しくなります。まぁ、今も同じ状況ですが。続きを楽しみに待っています
素晴らしい動画。。。。反対側からの意見もないと事実は分からないまま
応援します!!!
阿波は百済人というのが面白い
創作にしては独創性と整合性に富んでいる
事実は小説より奇なりっぽいね
めっちゃ向学になります。
ありがとうございます。
視聴していただき、ありがとうございました🙇♀️✨
コメントも嬉しいです☺️
凄く筋が通ってますね。ズバット心に突き刺さってきました!動画頑張ってください。
出雲井神社って、めちゃ小さいけど・・
諏訪大社膝下の私たち 感謝します
和名抄で難破な讃岐市津田、津田川上流には、四国最大の前方後円墳 富田茶臼山古墳があり、そこを起点に県道2号線で徳島へ行くと阿波忌部の地
富さんの富と難破富田の地にある古墳がなんか気になる。
徳島にはクナトと同じだと思われるフナト信仰があり、12の子神と親神の食事は別にする。車田神事も。そして高地性集落があり、神山(かみやま)町もある。
讃岐の金比羅さんは、大国主命を祭る。その鎮座する山(象頭山)上には蛇に通じる龍(ワニ)を祭るといわれる。
神武が7人いたというのは面白いですね。神武天皇の在位期間が長すぎることがこういうことなのかもしれないですね。在位期間を7で割ると当時の在位期間に近いのではないでしょうか。
ピンクとブルーっぽい勾玉のカタチとラインが 子宮の中での赤ちゃんの成長の初期に似ています。
私の感覚ですが、なんだか腑に落ちるものがありますね。
あれやこれや腑に落ちます。
古代の出雲族助け会いの縄文の精神で暮らして分け合う人々でしたが、大和の天孫族とは正反対ですね
これはこれは、ですね。万世一系の筈がそうではないと分ったら、そりゃ皇室にとって不都合極まりないでしょうからね。人種も民族も違う継体天皇をしつこく口説いてすえたことも興味深いことです。なので継体なんですね。神代文字を使用していたことも意味がありますね。シュメールとの繋がりもです。
奈良県に富雄とゆうところがあることを思い出しました。
天照も仏教も両方とも外来なのよね。ただ日本人はDNAからみて全ての民族が共存して現代まで残っているそこが素晴らしい。
日本の超古代における史実を考察する事は非常に難しい学問と言えます。なにせ考古学における科学的とも言える発掘調査結果の研究結果が縄文時代一万年以上という見解を出しているからです。また、日本人のそもそもの由来というモノが人種的遺伝子研究で地球上で特殊な性質を持つ事が明らかにされている事もあり、縄文時代からの先住民族はその後渡ってきた移民を吸収して日本人を形成していく。
日本超古代史を難しくしているのは、縄文時代中期から後期にかけて起きた鬼界カルデラ噴火です。どれほどの期間西日本から東海道エリアが過疎地化したのか不明ですが、この時期の人の生活跡が遺跡として出てきていません。逆にこの時期に増えたのが長野、群馬、埼玉、千葉、茨城の一部地域です。
僕は元々日本列島は数多くの村が近隣と結び付き、国を形成し連邦共和国となったのが邪馬台国でその後中央集権国家へと移っていったのが大和王権と考えています。
日本の歴史学上、邪馬台国論争は「どこか一箇所」という解明ですが、数年おきに魏の役人が訳す女王、卑弥呼が連邦共和国指導者シャーマン、日の巫女を連邦国から代わる代わる選出されていたら、その時々で邪馬台国の中心地は変わるものと考えます。
おそらく次第にシャーマンを出せない国や人の流れや人口の増減により吸収合併による国数の減少により、連邦から中央集権に移行せざるを得なくなったと考えます。最後まで巫女を出し続けていた国の一つが出雲であると考えます。
また天孫族は、低地の者からしたら雲の上に住む人達が降りてきた事に由来すると考えます。濃霧になりやすいエリアを超えた山の上に住む、住める事が条件にもなります。
私は渡来系だ。出雲神社に行った際、大国主が祀られ収められてるところ見て驚いた。
やはり乙巳の変を起こした中臣氏(藤原)も渡来系、私の読みは的中、日本建国 隣国が大きく関わってると感じる。
古史古伝とはいいますが、古からの神社に残された文書・口伝(物は焼き払われるが、伝承者の断絶こそが終焉なのか、残念)には真実が多く含まれていると思います。地域性がありそれぞれに微妙な矛盾もあるでしょうが、今はやりのコンピュータにビッグデータとしてすべてインプットし、各宮司(伝承者?)の考察も情報としてディープラーニングさせてGPTで一つの文脈にまとめさせてみたいものです。(誰か挑戦者はいないのか。同様に人類の哲学大全みたいなものの(集大成:結局何だったのか)もまとめてほしい)
7人の神武とは、イワレビコという長の地位を7人が順に引き継いだということかな?
正統竹内文書で、
父:オシホミミ→長男:ホヒ→次男:ニニギ→三男:ホオリ→四男:ウガヤフキアエズ→孫長男:イツセ→孫四男:サノ・・・?
出雲人に戦いの歴史は無かった
古代の縄文人のおおきみが世界の文明を 言葉を文字それぞれ作ったが
それぞれが民族を作って戻ってきた時 戦いと殺しと権力欲を持ち帰って来てしまった。
縄文人は礼と和と道徳心を何万年も繋いでいたのに。
今の日本人はどうだ。
そろそろ本当の日本人の真骨頂を 取り戻す時 令和
しっかりと 戸締まりをすることです
令和の意味····和人ゼロ ではないのか?
東北から出雲まで移ったのかな?"クナト"はここから来るのか。
倭歌に一二歌ある。
興味深い。
旧約聖書に類似するところが多々あるのが面白いですね。
私が本で読んだ内容とほぼ一致してますガ、コトシロヌシはオオクニヌシの息子ではないのでは?東王家、西王家、副王、主王の関係で対等なはずです。オオクニヌシの別名オオモノヌシもwikiには書いてますが、誤りだと思います。オオモノヌシ=コトシロヌシ=ヤエナミツミ、大和桜井三輪山が好きなのでちょっと言わせてもらいました。ミナカタノトミノミコトは初めて聞く呼び方で、勉強になりました。
スケールの大きな話です。出雲神族とは、財筋に繋がっているように思いました。すると、出雲大社の宮司の家と、出雲神族はどういう関係なのでしようか。関係はないのでしようか。
スサノオと出雲大社宮司の系譜が関係あるのでしようか。
そこも気になるところです。
スサノオ=牛頭天皇として八坂神社などに祀られている理由が腑に落ちた
これも非常に興味深い内容です。
私は邪馬台国はヤマトで宮崎説を主張してますが、通じるものがあるように思います。原文を読みたい。
又、私の高校時代の日本史の恩師は郷土史の研究家でもありましたが、日本で一番古い家系は天皇家ではなく、出雲神官の北島家と教えて頂きました。記紀を日本史の依拠とするのは強引で、やはり無理がある。
北島さんは出雲では天皇みたいな存在ですね。殿と呼ばれています。
@@はるか旅ちゃんねる この動画によればその北島家も財筋から見れば余所者ってこと?
北島家や千家さんはヤマト側から配置された出雲族監視するための存在であったと佐田神社関係者から聞いた事があります。
@@みかぼし ヤマトから派遣とは興味深いですね。文献は無さそうですね。
@@みかぼし でも派遣とは限らないですね。現地人にさせることもあるし
この動画を見させて頂いて父方の祖先は出雲族に何らかの関係が有るのかも知れないと思いました。
父方の実家は和歌山北部で、大神神社を信仰していた事、家紋が左三つ巴で有ること。
大神神社の主祭神は大物主神すなわち大国主命で有ります。
大和政権の地に近い三輪に大国主命を主祭神とする大神神社が鎮座する理由も疑問に思っていましたが、良く理解できました。
父方の祖父は早逝しており、しかも養女養子で有ることから祖先についての話は全く知る余地が無かったのですが、今まで知り得た事と父方実家に残る物証と今回の話が合致することが多くあり色々腑に落ちました。
うちの家紋は、州浜紋です。やっと腑に落ちました。私が行くところは行く先々晴れると言う晴れ男です。笑い
母の里の家紋は亀甲州浜紋です、先祖は三沢氏です。
富氏の口伝と似ている、
ただタイムラインがハッキリしないとなんとも言えないけど。
ある方から大国主に関係すると言われた事と、出雲を考える時に起こる強い怒りの感情が何処から来るのか、何となく分かった気がした。
ただ今の時代は同族(天孫です)争いすることではなく、姿を現した闇の存在との闘いに備えるのが大事。
その前に式年遷宮の年に手打が有りましたから少し前進。
仰る通りです☺️いつの時代も民衆の道徳心が素晴らしかったと感じます。
"手打“とは何のことですか?
無知ですみません…🙇♀️
@@-eriena
>手打ち
お手を拝借 ヨオ〜
の、それです。
3.3.7か一本かはわかりませんが。
ところで今書いていて気がついたのは、
3.3.7拍子は13回なんですね。
13は西洋では忌み嫌われる数字ですが、
龍と同じで東洋(特に日本)では神聖な数字だったりして!
何故大本教があの当時、政府から弾圧されたのか良くわかる。
大国主とは、大国の主という意味ですからね、その意味をかんがえることで、正しい歴史が見つかると思います。
話として、面白かった👍
Thank you。
参考になる話の文字列が有難いですよ。
事代主までは、素戔嗚尊の子孫かな?今の出雲は、天照大神の第2皇子の鳥取さん!と天津神系の主張だから、
親戚同士、揉め事は無しにしたらいいのにね(笑)
大和朝廷は古史古伝を偽書に定め嘘の塊として日本の歴史書などではないとしていますが、争いのない縄文の時代があって暮らしがあって秩序もあったと思っています。出雲族も古代からの人々が繁栄した国々で口伝で伝えて行ったと思います
国譲りなど交渉し穏やかなものじゃなかったんですね。征服か?残酷な人間たち渡来系だから外国式の戦いで出雲族は圧倒されたでしょうね。
半島、大陸経由の民の話が更に詳しく聞きたいですねぇ。
どの様に土着、交雑していったのか。
私も三十年くらい前に読んだ時、衝撃でしたし、刺激的でもありましたが、
真実が含まれているとしても、
口伝を重ねるうちに、どこかの代で、感情から「誇張」が入りこんだ時、
検証の術がないので、口伝を重ねるうちに、
どぎつい感情が行き着くところまで「誇張」が進んでしまう
ということを差し引く必要があろうかと思います。
また、天皇の周辺の氏族が激しい行為をしたとして、
天皇自身がそれを良しとされていたかについては疑問に思います。(悪さをすり神々と、天照大神の関係の「型」が繰り返される。直近では、軍部と天皇のように。)
天皇がいなければ、我が国は外国のように、暴政がまかり通る国になっていたと思います。
それが緩和され、穏やかな国であるのは、国民を「大御宝」とされる天皇を戴く歴史のおかげであろうと思います。
大和族の考察もお願いします。
🕊#瀬織津姫🌸
ホヒ族、、、アメリカのインディアンであるホピ族は日が昇る国の兄弟と言ってますがまさか、、、
ホヒ族は天孫族でしょうかね。
飛騨天孫白山なんて言ったりしますね。泰澄が有名かな。
声変えたら登録者増えそうな。
私はあまり古代の日本史には興味ないけど、こうしてお勧めに上がってくる動画を見るようになりました
以前ユダヤ人が書いた本を読んでやっぱり大和朝廷の人つまり大和民族はユダヤ人が船でやってきたと思っています
大和民族はつまり、もともと日本に住んでいたのではなく、どこからか来て奈良県に住み着いた民族の事です
そんな私には「出雲」が「モーセ」のように思います
つまり出雲大社はモーセをまつった神社なんじゃないかと
何故なら出雲と言う言葉が直接「モーセ」と読めるからです
「出」と言う言葉は「いずる」と読み、これは日本の言葉です(日本にはたくさんの外来語がありますが)
でも「でる」つまり「で」とも読める訳です
この「で」と言う言葉はどうやら古代のエジプト語みたいですね
と言うのはエジプトの王女が葦で編んだかごに入っていた赤ん坊のモーセを取り上げ「水から私が救い上げたので、モーセと名付けよう」と言ったからです
でも「雲はモと読めるけど、水じゃないよ」と思うかもしれませんが、(も)という言葉は「まみむめも」の「も」なんで「み」と近いんですよ
日本語の「みず」はもともとは「み」でしたから
だから出雲は「モーゼ」とも読める訳です
それにモーゼは「あなたが結ぶものは天でも結ばれ、あなたが解くものは天でも解かれる」と神から言われました
つまり、モーゼが結婚の儀式を行うとその二人は天でも夫婦となり、また別れるときにその儀式を行うと天でも夫婦の契りを解かれる
と言うものです
だから出雲大社は縁結びの神様じゃないでしょうかね
お目汚し失礼しました
吉田大洋氏の書いた、富氏の伝承は嘘である。それを是正したい富氏の子孫が近年、大元出版から真実の伝承を出版している。
それを読んで欲しい。著者名は斉木雲州である。
コメントありがとうございます💖
遅ればせながら大元出版の本も読ませて頂きました、まだまだ勉強不足で申し訳ありません…🙇♀️
最近、「富」の名が入る姓を名乗る人達と、元々地元にいた「富」の名が入る姓を持ってた人達では、見た目が違うんですよねぇ•••
出雲口伝には伊豆半島の三嶋大社の創建について書かれていますが、では三嶋大神の后と伝えられる阿波命神社(東京都神津島)の祭神 アワメ命 とは一体だれなんですか?
縄文とか弥生とかいう言葉が口伝の中にあるのはどうしてですか❓️🤔
近代用語or古代用語❓️
富氏が直接語ったものではなく、富氏から聞いた内容を吉田大洋氏が編集して本にしたものから引用しているのでしょう。
鳥見⁉︎冨ナガスネヒコだったのか!?
詳細すべてをそのママとらえると「?」な表現も散見されるものの、全体像として「伝えたい」事項は「可能性」ありと思えなくもない。 「各族」の移動については「らしさ」を垣間見える。
なぜエミシがまつろわぬ民なのか解ったような気がする。
高天原が海の彼方と言うのは、沖縄のニライカナイと同じ伝承なのかな😊
出雲地域には、「大国」という姓の方が、たくさんおられますが、この方々こそ大国主命の末裔ではないでしょうか。
そうなんですか!!大国さん…
教えて頂きありがとうございます☺️💖
ほかに、出雲(いずも、しゅっと)という姓の方もたくさん・・・
これは出雲振根の・・・😂
どこまで本当かわからないが、我々の知らない日本史があるというか。
ポールシフトか なんかで、地球環境が急変した時.. 4000年 ねぇ..
最終氷河期が、12,000年前って言われてるから 最近
ただ、熊野とか 幣立神社とか は 1万年からあるって言われてるしねぇ
出雲口伝が曖昧に間違えたのも在るか
まぁ、その氷で閉ざされた頃には
亜細亜 全体に.. 大亜細亜かな? かむろき(イザナギ おそらく メソポタミアのグガルアンナ(天の雄牛)の 子供達(眷族?家臣?)が 統治していた ようだ。 と、
門外不出の口伝が公開されてるのが一番疑問?
確かに😂笑
コメントありがとうございます💖
昔は広めると消されたけど今は消すと増えるからw
ご子息、富早人さんの口伝とはまた少し違いますね。親子なのに?
この本間違っているんだよな。富当雄氏の子の斎木雲州氏の『出雲と蘇我王国』読んでください。
コメントありがとうございます💖
大元出版ですね、今読んでいます☺️
めちゃめちゃ面白くて富早人さんが出版された本全部取り寄せちゃいました…勉強し直しますm(_ _)m
おお、二冊目の出版の本ですね。本当の最初の本である「出雲と大和のあけぼの」は絶版になってしまっています。ご高齢という事もあり、執筆者の方も後継者が出ておりまして、現在では富士林雅樹氏が、正式版の「出雲王国とヤマト政権」という本に引き継がれています。
あと、HPの内容はおそらくもう更新はないと思います。
最新版の五條桐彦さんの「人麿古事記と安麻呂書記」は、HPに出ておりません。
反対側から見たらそうなのかも。。。
翁長タラシ姫←なんかエッチな名前w
神功皇后ですよ!
情報発信ありがとうございます。
えりえなさんのように知識を共有してくださる方がいらっしゃると大変助かります。
日本の歴史で追うことの出来る最古の文明は縄文ですが、えりえなさんは縄文人が出雲系の先祖だと思いますか?それとも出雲系もまたどこかから来た民族なのか、日本を離れた民族が逆輸入的に戻って来たのか?
縄文時代に争う性質を持たなかった民族(日本人の原種)が、なぜ有史に見られる日本人になったのかが謎で仕方ありません。今の日本人は雑種のような存在だと思いますが。
コメントありがとうございます!
縄文人の中に出雲神族もいたと思います😊が、出雲系の先祖は古代インドのドラヴィダ族だと現役の出雲口伝者、富早人氏が本にまとめています。(出雲と蘇我王国)
逆輸入説は夢がありますね💖
@@-eriena
お忙しい中ご返信ありがとうございます。
逆輸入かただ単に他民族が日本へ侵攻してきたのかは不明ですが、個人的には日本あるいは近辺地域から世界各地へある種族が広がって行ったのではないかと推察します。
言語的に見ると、シュメール・トルコ・タミル語系のドラヴィダ族などは日本語と同じ膠着語に分類され似ているようですね。縄文が今から1万5千年前には存在していたことを考えると、トルコのギョペクリテペ(約1万2千年前)やシュメール(7,8千年前)よりも古くなります。数千年あれば移動もあり得るかと。そう考えると年代的に日本⇒世界の方が筋が通ります。
民族的に見ると、縄文人はポリネシア系の様な海洋民族だったのではないかと考えます。ハワイやニュージーランドの原住民(ポリネシア系)にも日本の国生みの話に似た神話があり、オーストラリアも日本と同じく最古級の石器が発見されるスポットでもあります。
アフリカで生まれた1種族が世界に散らばったと考えるより、竹内文書の5色人のように複数種族が各地で生まれ、それぞれ散らばって行ったと考える方が線が繋がる気がしております。その1つの起点が日本か近辺地域だったのではないかと。歴史をたどって謎が解けると良いのですが。
これからもチャンネルを応援させて頂きます!
何故、極秘中の極秘の口伝を、冨氏は公開することにしたのでしょうか?
その口伝が本物であるという証明ができるような仕掛けを作るべきだ。なにかあるのだろうか?
それは無理でしょう。タイムマシンでもできない限りは.....
@@いいいん ですよね。
北米インディアンのホピ族と関係が?
やっぱ
とらいじんか…
となるな…
いつから富家が初代から仕切っているみたいな風潮になったんだろうって思ってたけど、むっちゃんの影響なのかな?
あの人、宗像の事も隠して話してたから信用度低いんだよね。
そもそも、富って向のこと?
初代から25代を指してるの?
富栄えるで富家って呼ばれたって聞いてるけど、これらは集団のことを指しているのだとしたら納得かなぁ‥‥なんか今皆それぞれ名前違うし。総称での話なら「そういう解釈もあるんだ」程度で流せる。
北島や千家に地位を譲ったって話は聞いてるよ。
でも譲った側は信濃の水軍の棟梁って聞いてるんだけど、その話全然出てこないね。
これらの話だけを鵜呑みにしない方がいいかも。
何か分裂工作のにおいがする、楽しんで聞いてた人達ごめんね。
こういうのって、大まかにあってれば良いやと思ってたけど、こんな作為的に広められるなんて、それこそ何故口伝を今更メディアに流したの?ってかんじ。
むっちゃんが出てきた時期は、佐宗さんが暗◯された後の時期だよね。
代わりに出てきた人なんだと思ってた。
都市伝説として楽しむならいいんじゃないかな。
鵜呑みにして広めないで‥‥そもそも本になってるって‥‥幕末でも◯された人達が居るのに、今更なんで言うのかな。
悲しい。
本当の神武は隠された 誰だか判るかな
藤原氏はどこから来たのでしょうか?
コメントありがとうございます💖
何のひねりもなくて申し訳ないのですが、唐の時代に中国から来た渡来人だと思います…!
大陸出身の卜部氏の分家が、中津臣家(後の中臣家)ですが、鎌足は太安万侶の親戚筋で、八井耳系の系譜で、両親とも鹿島国造家の方が親だったそうです。
鎌足は、中臣家に養子入りして、息子の不比等も実は日本人の奥さんとの間の子で、中臣家とは血縁がないそうです。
「大元出版」の最新版はHPには出ていません。五條桐彦さんの「人麿古事記と安麻呂書記」に詳しく出ておりますよ~
天児屋根命が成長中臣氏 即ち藤原氏の先祖と云う説! 天児屋根命は、天照大神が天の岩屋戸に隠れた時に出現を願って祝詞を奏した。その後朝廷の祭祀をつかさどる事どなった。と云う説もありますです
出雲の国ゆずり
別雷命と建御名方の神が戦い建御名方の神は諏訪に逃げ諏訪大社の御祭神になった、別雷命は上賀茂神社の御祭神です。
@@-eriena 違うよ
出雲=縄文=シュメールといいたいのか?天孫はじゃあユダヤか?
出雲神族=出雲の王族。
神はカモと発音していたので
神族は【カモ族】
出雲王国は神門臣王家と富王家の二王家が
歴代の
大穴持(オホナモチ)=主王(帝王)
と、
少名彦/少彦(スクナヒコ)=副王。
スクナヒコの別称が言治主(コトシロヌシ)。
を
代替わり(オホナモチ(帝王/天皇)は基本的に終世在位。)毎に
概ね持回りして交代していた。
古事記等の大国主の息子がコトシロヌシと言うのは間違い。
大穴持(オホナモチ)は【君臨すれども統治せず】の象徴の帝王。
後々の天皇(第2出雲王国(岩戸から再臨した天照大神)の帝王)とほとんど同じポジション。
反対に副王の少彦(スクナヒコ)は
軍事警察権を照覧、統帥し、
外交や交易など凡そ王国の統治の実権を管掌していた。
出雲の国譲り神話はなかった。どころか、
渡来人の(徐福の子孫)物部王家軍や豊国 宇佐王家軍半島から流れてきた天日矛命の子孫の但馬の田島守、らによって
完膚な迄に破滅させられる形で滅亡した。
しかし、二つの王家は辛うじて存続を許された。
↑スサノオ(渡来人、侵略者の比喩)がどかどかと高天ヶ原(出雲)にやって来て天照大神(出雲王国)と対峙~
あらゆる乱暴狼藉の限りを尽くしたことから怒った
天照大神は天岩屋に隠れた(出雲王国は滅亡したものの王家は存続した)
そのため、世の中は暗闇となり、、、(出雲王国とその係累の大和王国や吉備王国ほかが滅ぼされて
侵略者たちの三勢力が仲間割れ。物部が謀略を巡らして他を排除して大和(石上神宮)に
徐福(イザナキ、スサノオ、彦ホアカリ/ニギハヤヒ/フツ(本名))以来の悲願で、統一物部王朝を樹立させる。
しかし征服王朝の物部に服従するモノは少なく
日常茶飯事的に全国各地で反乱が頻繁。
それを大王(天皇/垂仁~成務の三代は物部王朝。)自ら物部軍を率いて反乱鎮圧に東奔西走。また、前の残存勢力や元の仲間を執拗に追撃。)
なぜ今開示されたんですか?
出雲郷土史研究をすればするほど、奈良時代の文献は非現実な記述が多いことが分かる。その点、富家の「伝承の出雲王国史」は権力者におもねくことなく公平公正な内容と言って良い。
出雲は紀元前770年~だよ。
コメントありがとうございます💖
お久しぶりです!
紀元前770年、縄文と弥生の移行期に渡来してきたということですね、、!
猿田彦についてどう思いますか?
@@-eriena 猿田彦は分かりませんが天御中主子孫本家の私の役目を果たす。天皇を解任し無くす。
藤原本家は二条家だが役目してないので太陽信仰の子孫本家ではない。
@@SINZAEMON1000 さんが仰る天皇とは、今の天皇家のことですか?
出雲が紀元前770年と言うのも天御中主尊本家の伝承ということでしょうか🤭?
@@-eriena 天皇任命者は私の先祖です。
天皇族は3000年前の難民です。
太陽信仰の下っ端信徒になったので王朝を与え中華倭国周にさせたが侵略して臣下が戦争して中国の領土無くした。
中華倭国夏子孫が紀元前770年から出雲で王朝を始めた。
中華倭国周子孫が紀元前660年から九州で王朝始めた。
中華倭国商は地球統治者であったし倭国統治者であった。
近畿の大和王朝から天皇になるが中臣氏先祖の建御雷が出雲王朝を武力使わないで取って大王に与えて天皇が始まる。
猿田彦大神は瓊瓊杵尊の降臨に際し高千穂へ案内したとなってます。by古事記
資料を紛失されたのはびっくり
時代的にわざと?
素晴らしいですが、やはり口伝だとどうしてもエビデンスとしてはね。。。
そうですね。口外してはならぬ、という箔付けかもしれませんしねぇ。怪しまれるのも仕方がない。
欽明天皇からまた天孫族に王位を返したのか?
コメントありがとうございます🙇♀️
mal kotoisu様の仰る通りで、欽明天皇から倭漢氏系の蘇我氏が権力を握っています。富氏の口伝では「継体天皇は渡来系の人々によって殺された(中略)遂には宣化までも誅殺された…云々」とあります。これが磐井の反乱にも繋がります。
テーマや内容は大変興味深いのですが音声が悪くて、1分も視聴出来ません。改善は無理なのでしょうか?
千年2千年と守り続けてきた口伝を漏らすとは、祖先に対してどう思っているんだろう。
継体天皇=出雲族?
朝鮮からの渡来は間違いだよ
なんでシュメール語が出てくるの?
もそっと聞き易い音声にならない?
解説の声がトンガっていて、内容が入ってこないので
そこが残念ですね。
真実はひとつ
カラとはカラ族のことですよ。笑うようなことを言っている人がいるんですね。
また左翼による天皇家と出雲の分断か
13:40
やはり伊勢も天孫族に侵略されてたんですね
神宮が伊勢に建てられた事と伊勢津彦(猿田彦)は何か関係があると思います。
記紀にて猿田彦の事故死について妙に具体的かつ詳細に記述してるのがいかにも『他殺じゃ無い無いです!事故死です!事故です!』と謳って他殺を隠蔽している様に思えます