Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
大和ホテルと武蔵御殿上官が下の者に対する態度は蟹工船に似ているような……😭
大型艦なら新兵も次の新兵が補充されると多忙雑務から解放される場合が多かったらしいですけど、汎用艦の新兵は配属艦に乗り込んで善行章が付くまでは新兵扱いだったとか。危険が伴う洋上補給訓練、的測射撃訓練ともなると善行章が四っつも五つも付けた大先輩達が大変頼もしく作業を行なって居たと読んだ事があります。
懲罰という卑怯者の鬱憤晴らし。
精神注入、真面目に考えると戦場に行く前にほとんどの兵員が疲弊してるって結構不味い事ですよね❓(個人の感想です)
天皇の命と偽って部下を殴るとか、不敬罪やろ
なお、武蔵に昭和天皇陛下が乗られた時に水兵体験したいと、水兵服をきて甲板服を着たら、下士官がちんたらすんな!と蹴り飛ばしたそうで、そのご、その下士官の姿を見た者はいなかった
今も昔も大型水上戦闘艦のリンチはヤバいらしいです。しかも万国共通。故に、シーマンシップなる水兵さん独特の精神文化があるそうです。
自〇した人も結構いたとか・・・戦艦陸奥、謎の大爆発による沈没も自暴自棄になった水兵がやったとの噂もありますね。潜水艦、駆逐艦、海防観など小型艦は厳しくとも家庭的な情があったと本で読みました。
あけましておめでとうございます。大和の乗組員さんたちは日常を過ごしながらも、心の中では恐怖とも戦っていたのかな…。
大きな軍艦ほど規律が厳しかったそうで、大和から他の艦に転属になると下っ端でも一目置かれたなんて話がありますね。施設が充実していただけ大和や武蔵はマシな感じですが、新兵が辛いのは全陸海軍共通…。
大和ではありませんが戦艦霧島の主計兵(烹炊担当)を務められていたことがある、漫画家の故・高橋孟氏の経験談「海軍めしたき物語」を思い出しました。仰る通り艦が大きいほど軍紀が厳しくなり新兵当時、配属先が戦艦霧島に決まった時は大いにがっかりしたそうで「首を吊ろうか、霧島行こか」という言葉もあったとか。
駆逐艦乗りの方(水兵)の手記を呼んだ事あるけど新兵時代の悲惨具合は大型艦だろうが小型艦だろうが目糞鼻糞レベルだったらしいまぁ潜水艦乗りは別世界だけどね
@@hirokun88 様私もその本持っています。イラスト付きでおもしろく何十回も読み直しました。
鬼の霧島、地獄の金剛。音に聞こえた蛇の長門。って言い回しがあったぐらいですから💦海軍用語に、ギンバイと言う言葉がありますが、その意味は、食糧や他の人員の持ち物をくすねる事。で、潜水艦乗りだと兵は勿論、士官ですらギンバイをしたそうですw
某潜水艦や海防艦の主計長なんかは「どうせ誰かの部屋にあるw」と言って銀蝿分を含めて計上してたとか(笑一区画の弛みで致命傷を見逃す大型艦と、一発喰らったら一蓮托生の小型艦では何処に規律をおくかの比重が違ってたのかも知れないね。雪風の乗組員曰く乗員皆家族の雰囲気があり、レイテ前に戦艦榛名から転属した某砲術員は艦長の風体含め艦の雰囲気に面食らったとか。自ずと培った阿吽の呼吸が不沈艦の由縁だったのかもね。
ただこの時代は新兵と言えども、農作業で鍛えた肉体を入隊教育で強化したパワー系も多かっただろうしな。鉄拳制裁で上下の立場を叩き込まないと逆にやられかねない上官の立場も分からんでもない。
このイビりが無ければもう少し良い戦いが出来たのかもね。
あけましておめでとうございます。ふだんの生活については、あまり語られないので、興味深いです。
戦う兵士を粗末に扱ってたら勝てる戦いも勝てないよな…と思ってしまう。ただ当時の文書とか見てると叩かれるのが当たり前だったからワザと手加減して叩いていた先輩兵もいたり酒保の缶詰とかも分けてあげてたりする人もいたって言うからまだ耐え切れたんだろうな
大和ミュージアムに行った時、砲弾がこのミュージアム(呉)から岩国まで飛ばせたってボランティアのおじいちゃんに聞いてビックリしたのを覚えてます。
確か浦賀水道あたりから皇居も砲撃可能だったはずだよ(非国民ッ!)
どこかのヨットスクールや、完全自由学園と通ずる物を感じる
しかし頑丈そうなみんな身体維持してるよなあ。総合やってそうな着痩せする鍛えられた応用力ありそうな筋肉で今の時代みたいにマシンで鍛えた身体じゃなくて全体的にゴツい人の集団でそれで機械を使いこなす頭と感覚も持ち合わせてるって人材的に凄い人達の3000人規模の立体都市って考えたら凄い熱気や思考がそれぞれ溢れてたりしたんだったんだろうなぁ。よく纏まって機械的に動くにはものすごい勢いでの訓練や実際の戦闘する訳だから精神力やそれを支える身体は徹底的に鍛えまくってたって事か。多くの貴重な命が亡くなったって事が人として悲しいのもあるけど、資源としての人材が一気に無くなったのも社会として残念だよね。これだけの人達が災害救助に出向く事が出来る世の中だったらってほんと思う。
厳しいだけではなかったらしいですよ。同じ郷の者・同じ隊の者のシゴキのあとは、コッソリ「お前にだけだぞ!」とか言いながら薬をあげたり、キャラメルをあげたりしたらしいです。遊郭へ招待したり、芸者と酒を一緒に飲んだり…。他にも色々あって、憧れの上官として彼らなりに努力があってこそ指揮が上がるらしいです!
@@hinata.n いつの時代も一緒だなぁって思いたいですけど、今下手に同じ事やって指揮あげようとしたらアルハラにパワハラにセクハラって吊るし上げ喰らうリスクありまくりですもんね😓時代って言えばしょうがないですけど、必要なプライドもある訳で捨てないといけないプライドと見分けが出来ないままの怖さも感じます🤔今こうしてる間にも価値観が色々変わってっているんでしょうね。自分も含めて人を育てるのってホント難しいです。
80年前と価値観が違うのは仕方がない。大和の最後の艦長 有賀大佐は街中で美人を見かけると、後をつけて自宅を見つけるという趣味があったと「戦艦大和ノ最期」の著者 吉田満氏が述べていて、このことを「とても可愛い」と評している。今なら完全なストーカーだが・・・
自重とマシン、フリーウエイトの体の区別がつくってスゴイねー。自重至上主義、ウエイト至上主義、どっちもダメだけどね。合ってる意味わからんだろうけど。
一生懸命磨いた甲板も最後は血の海になったんですね。
このような戦闘以外の軍艦のエピソードとても好きです!海軍精神注入棒は一号から五号まであり号数が増えるごとに太く、堅くなっていき、五号に至ると鉄パイプになる(某映画で有名)真水の利用についても面白い話があります。司令部の高級将校には従兵というボーイが付くが、この従兵を務める期間は従兵業務最優先なので「整列」の参加も免除される。中でも役得だったのが長官は真水を張ったバスタブで入浴するので夜山本五十六が寝た後、風呂掃除前にこっそり自分達も入浴してたとか。また、とある烹炊員が戦後に懺悔したお話。当直の烹炊員は他の烹炊員より早く起きてメシ炊きの準備をするが、釜の湯を見て我慢できなくなり、烹炊所の戸に鍵をかけて服を脱ぎ五右衛門風呂のように炊飯釜に入浴、その残り湯は当然捨てることなくそのまま米を炊いたそうな。以降当直が楽しみになったとか。
きたなぁい!
そんなエピソードもあったんですね。 戦艦武蔵乗組員だった祖父は、戦闘時は防水扉の開け閉めを担当しており、平時は碇や短艇の上げ下ろしや艦尾のクレーン、各種電装品の保守管理を行っていたそうです。 各部屋の設備を点検中に、わざと食料庫の電灯を付かなく細工して、修理依頼が来た際に「砂糖」を失敬したことがあるそうです。今年、100歳になる祖父からの懺悔でした。
@@a183ce9acz4a 帝国海軍名物の「ギンバイ」ですね。いろいろ手段は聞きますがそんな手口もあったとは(笑)とても貴重な証言をありがとうございます!
昔の人もヤバい人はいたんですね。水木しげるのまんがにも自分の大便をもらしたふんどしを洗った水でめしを炊いて、憎い上官に食べさせようとしたけどなぜか上官が「水木、おまえが食え」と言われて全部食べて「どうだ?うまいか?」と問われ「はい、うまいです」と答えたとか・・・上官は知ってた可能性が高そうですね。鼻くそほじくったり皿をなめまわす動画をあげてとんでもない額の損害賠償請求食らう人もいるけど案外人間の本質って今も昔もそんなに変わらないのでは?と近頃思います。
@@fyilhlv 潜水艦はこんなもんじゃないくらいきったないですよ?(笑)
艦艇には消火器の二酸化炭素を有効活用してラムネ製造機があったが、その理由は飲用水の節約のためなんだって。因みに戦艦から駆逐艦に転籍したら駆逐艦の規律のユルユルさに驚いたそうです。
あけましておめでとうございます😊2024年最初の動画ですね!改めて戦艦大和の大きさにびっくり。そして安定の精神注入棒の登場に笑ってしまいました🤣自分はこんなキツイ生活一日ともたなそう、、
ちなみに食事は将校と艦載機操縦士・偵察員は乗組員食堂で喫食出来たが、一般の下士官兵に食堂は無く、其々の担当部所で喫食していたらしい。
又、起床後の朝の洗面はコップ1杯の水と粗塩で歯を磨き顔を洗った。そのテクニックは歯磨き後に口内を濯いだ水を両手に吐いて洗面していたとの事。
あと、うちの親父みたいな小学校卒業しか居ない。海軍特別年少兵達には将来なし!だったのでしょう、十五歳で海の藻屑になっても構わない!だったのでしょう!田舎の農村から、国家の為に十四才から志願して海軍特別年少兵にして国歌に我が身を捧げる!と思った年少兵には、その様な配慮無しで最後の最後までを配置を離れずに!だったのでしょう!
居住区も涼しいのかと思ってた
あくまでも軍艦で客船ではないですからね。
今の時代でも似たような事ありますね。理不尽な部分は…人間である限り終わらないものなのかも。
古参兵のパワハラ意識で下のものを虐めて楽しむのは、今の日本人に受け継がれていますね。
自衛隊でも企業でもその文化は受け継がれています。
大和よりも駆逐艦や潜水艦のほうが待遇いいのマジでびっくりした。大和は未来を繋ぐ教師を多く乗せてたのに.....
狭い艦内&限られた乗組員では皆家族みたいなものだからね。そこで偉そうにバッター制裁なんかやったら、寝てる間に海に叩き落とされて消されるのがオチだし。
大和の忙しい日常といっても大和は約五年くらいしか就役してないんだよな。
3年4ヶ月だな。
ミッドウェー海戦。大敗北の原因「偵察機発艦の遅れ」は、重巡利根の発艦カタパルト要員が、上官からの日々のリンチに耐えかね任務ボイコットをしたから。カタパルトが故障したため、それに替えもう一基あるカタパルトですぐに出そうとしたが、こちらの担当末端兵たちが動かなかった。結局、故障を修理するしか手が無く、偵察機を出すタイミングが遅れ、これが艦隊壊滅の致命傷に繋がった。旧軍のリンチ・暴力・傷害の蔓延は、意図的な“国是”。末端員たちを常に追い詰め続ける事で、彼らに本来以上の能力を発揮させ、貧しく乏しい全軍のありようを糊塗しようという目論見だった。また、そういう日々何もかも足りず至らず劣った軍内部で、将校・下士卒たちの不満が、軍上層部に向かないようにというコソクな将官たちの保身策でもあった。結果は大日本低國の滅亡。
利根4番機の発進の遅れを、要員のせいにしているのは、上層部の下部への責任転嫁。そもそも発進命令が出ていなかったことが分かっている。
大和主砲下の主砲を運ぶエレベーターと書いてありますが、あれは揚弾器といい、主砲弾を運ぶものです。主砲を運ぶなんて怖いですね。
17:54 日本海軍初の電探装備は戦艦伊勢だったはず・・・
今の自衛隊では暴力はないけどいじめ言葉の暴力があります 私も自衛隊にいた頃は部隊の内務班での生活でいじめや言葉の暴力を受けていました 精神的にキツかったです
精神注入棒で叩かれる時は幾ら痛くても動いてはならないそうな。下手に動いて狙いが外れると腰の骨が折れるから・・・
なお陸軍士官候補生や新兵は複数の上官からボコボコにされるもよう
もし真性のマゾヒストの水兵がいたら・・・・・?😅.
敵よりも味方(階級が低い奴)と戦ってどうすんねーん
軍艦っていうか、もう一個の街だよね現代の航空母艦をものすごく先取りしてたように思う
大和より大きな現代アメリカ海軍の原子力空母だと「艦内テレビ局」まであるとか・・・・・
町というより、刑務所だ。毎日厳しい訓練と精神注入棒で叩かれる街は存在しない。これは刑務所の中で働く刑務作業に近い。そして最後は沖縄特攻で大半が戦死したから、厳しい刑務所だ。
@@5v85jfglt 乗組員全員戦死もありうることを前提としていることを考えると「刑務所」というより「(アウシュビッツのような)絶滅収容所のガスを注入されないガス室」だ、という人もいそうですね。
なんか最新鋭のエアコンやらシャワーやら付いてるのは聞いておりました。映画の俺達の大和は盛りすぎだったけど泣けましたが。
視聴させて頂きました。
波動エネルギーがあれば、宇宙のかなたでも行けるのですね
駆逐艦乗りからみたら天国だろうな
私の祖父は海軍で砲術学校を出て艦船で25粍連装機銃手でした。私が子供の頃良く、海軍での戦時中の話を聞きましたが、海兵団に入り新兵教育の期間はかなりキツかったが、その後はまぁ厳しいには変わらないが要領を掴み、班長、上等兵、古参兵らに気に入られると良くしてれる。嫌われるとそりゃあもう…と言って居ました。上官付きの世話を任命され良くして貰ったそうです。勿論事有る毎に連帯責任!となり、またケツ叩かれるわ!思って居たら〇〇と〇〇は〇〇へ行って来い!と言われ、〇〇来ました!と言うと羊羹食って行けや!ある日は善哉食って行けや!と言われるのだが、早々たる上官が見て居る中食えたもんじゃ無いんだが、勧められて仕方ないから急いで食べるとゆっくり食べろ!言われ?早く戻らないと怒られそう…と思って急いで班に戻るとケツ叩かれている真っ只中、もう一周してから戻ると班長から「ご苦労!」と言われ、善哉食って来て何がご苦労(笑)と言うのは何回もあったと言って居ました。勿論、訓練時や戦闘中は必死にやったが、余暇は割と自由あったし、民間なら満足に食べ物が無い中でもタダで1日4食にオヤツが付き、給料出るし、外出すると兵隊さん!と尊敬の目で見られるし、汽車はタダで乗れるしケツ叩かれるけど、戦闘に比べたら大したこと無かった。鉄兜被ってるが、弾当たったらあの世やもう必死やった。でも海軍での生活はとても居心地が良かった!軍隊で厳しい教育受けたから、戦後食べる物が無く、生活に困窮した時や経済的困窮した時も乗り越えれた!若い時には苦労は買ってでもするものや!と言って居ました。
貴重なお話ありがとうございます。「戦艦武蔵の最期」「海の城」を読みましたが戦時中の若者は文字通り必死ですね。内地にいれば飢えと空襲に苦しみ、軍隊に行けばいびり殺される。肉体的に何一つ不自由のない私たちはもっと精神的に強くならねばならないですね。
貴重なお話、ありがとうございます。私の祖父の弟も海軍に行ったようです。どんな艦船に乗っていたかは不明です。ほとんど会話らしい会話をしたことが無いのですが、祖父の弟曰く 機銃、恐らく25ミリ機銃と思われますが日本の機銃に使われている鉄は質が悪いらしく連続で撃ち続けていると過熱して撃てなくなってしまうと聞いた事があります。精神棒で尻を叩かれるのも要領があり、すごく痛そうにすると「軟弱ものが~」と言われ更に強く叩かれ叩かれても平気なそぶりをしていると「なめやがって~~」といわれ 更に強く叩かれ凛々しく痛みに耐えている姿が一番よかったと高橋もうさんの著書に書いてありました。
あけおめ✨🎍😊✨ 大和デカ過ぎやろ😮 てか、ゆっくりぷーちゃんネルだと鉄拳制裁や木っ端や拳でぶん殴られるのデフォだなw
この大きさで 駆逐艦等の護衛無しで出撃すればいい的だよね
重巡利根の乗組員は連合国の俘虜を後部甲板で何十人も虐殺した事件を起こしたけど日頃の鉄拳制裁でストレスがあったのかもしれん。
新兵が最も恐れるのは消灯後のイビリ…
違う
この戦時中の厳しさが、後に学校や部活での理不尽なシゴキとか体罰とかにつながっていくんだろうな。
同じ事思った!
平成生まれだけど、小学校の野球では、挨拶の声が小さいという理由で、全員、監督に蹴られるのは、日常茶飯事やったわ。もちろん、棒やバットで殴られる。避けると、さらに殴られる。
軍隊方式など迷惑この上無いです。
確かになぁ。で、反動で甘やかす時代になって学校も乱れるようになったら、今度はまた厳しかった時代を求めるようになるかも。ちょうどいいとこには行かずに、過ちを繰り返すのが人間ですよ(誰かの台詞…)
@@freezingpoint3261厳し過ぎな昭和と甘やかし過ぎな令和。極端なんですよね。
あけおめ、ことよろいつも楽しみにしとるぜよ
今年もよろしくお願いします!いつもありがとうございます😊
赤腕章に艦内旅行旧海軍から全く変わってなくて面白い
海軍精神注入棒って実在していたのかよ…たまげたなあ
木製だったんですね。「コンクリートを詰めた鉄管」だと思ってましたが・・・・・
明けましておめでとうございます。これだけ大きいとまさに街ですね。甲板掃除は大変だったろうなぁ…絶対やりたくない!
大和には一般兵員にも3段ベッドがあったそうです。戦艦クラスに乗れるのは海兵団で成績が上位だった。少なくとも各科1等兵(兵長)になるまでは辛抱ですね。(^-^;
こういう系の本教えて欲しい。ぜひ読みたい。
こういうの大好きだわ
最近こちらの動画を知りました。とてもよく調べられてますね。歴史修正主義が蔓延するこの国で真摯に歴史と向き合おうとするその姿勢に感服します。癌の手術を終えたデマ本ベストセラー作家の術後の滋養のためにもこちらの動画を見せたいものです。
大和はハンモックではなくベッドだったはず。
確か、大和型はベッドだったと本で読んだ記憶があります。士官候補生だけは、他の艦に配属が変わりやすい関係で、ハンモックだった様ですが。
13mm機銃は艦橋中ほどの両サイドに連装が1基づつ装備。戦闘時に艦橋内の士官用エレベータを使えた兵員は基本的にこの13mm機銃の弾薬補充要員のみと言われる。
行きつけの理容室の店長の叔父が武蔵乗組でした。
私の祖父も武蔵乗組員でしたよ。艦内でお会いしてるかもしれませんね。
@@a183ce9acz4a 凄い👍多分お会いしてますね。
この軍隊式の鍛え方が学校にそのまま受け継がれている気がします。体罰…連帯責任…。あと祖父は海軍で出征し引き上げは陸軍と帰ってきました。
現代のわたしだから無理だと思うけど、この時代のわたしだったらやるぜー!ってなるのかしら😮
精神注入棒ねぇ、物理はなくなったけど現代もあんまり変わらないかも。これが魔法少女の杖だったらと、アホなこと考えてしまう程酷かったんだなぁ。なんだかんだで人間がやっていた事、閉鎖空間でいろいろ凝縮したんだろうな。
なんというか負けて納得の内情ですね
軍の内部事情で言えばどの国も似たようなもんだと思いますよw
納得??
物資や戦略に余裕がないから「0から100を生み出せ」とかのめちゃくちゃな精神論に走るしかなくなる。その時点で勝ち負けは確定してる。
すべてのトラブルに対抗する訓練のバリエーションがすごいな。災害時のすばやい対応と考え方は近いのかも。
小田切中尉「大和に乗っていて、オレの親父を知らないヤツはモグリだ!」本郷少尉「大和の主に、ご挨拶に参りました!」小田切兵曹長ハッ「最敬礼」
近代軍の祖である欧米軍での士官は部下に対してだけでなく自分自身に非常に厳しかったしかし日本軍では士官は部下に厳しいのに自分には大甘だった 自分を特権階級だと勘違いしていた救助のときも欧米の士官はまず負傷者を優先するのに日本の士官は負傷者何か関係なくまず自分を助けろとごり押しするこりゃあ負けて当然
同感ですね😂今の日本の会社や学校なども変わらない.....こんな理不尽な国民性だからいまもってこの国は生きづらくて幸福感が薄い.....
@@九郎判官義経源 本当にそうですね。経済で負け続けてる現在も原因は同じ部分にあるように思えてなりません。
エビデンスは?
私は逆のイメージ。昔の人は他人に厳しかったが自分にも厳しかった。(あと日本のイメージも私は逆)
個々の将校の素質によるのではないでしょうか?私事で恐縮ですが私の祖父は陸軍中尉で中支で戦死しましたが、戦後部下だった兵達がわざわざ遠い場所から弔問に訪れてくれ、祖父にとても良くしてもらって本当に感謝していると祖母や父へ話してくれたそうです。
戦艦大和へ乗艦すれば忙し過ぎて1日が早く過ぎるとても充実した日々を過ごせるぞ!
そんな事してたんですね。でも精神注入は痛いですね😨💦後、戦艦大和内での若者達の精処理はどうしてたんですか?
戦死者て自軍の誤射でってのが多いんだって。敵より恨みが積もってる。
陸軍だと誤射や敵弾に見せかけた部下の報復を恐れて、海軍ほど厳しくなかったなんて話も聞いたことありますね。
誰かが書いてましたが、「海軍の鉄拳制裁はいつから始まった?」開校当初の士族ばかりの兵学校で他人の頬張ったら、上官教官でもただでは済まなかったはず、平民出身者が入ってきてからか?との話。
宇宙戦艦のヤマト農園も実際にあったののモデルなんだな
今なら内部告発で大変な事になってるのは言うまでもない。。。
昔は実家が自営業が普通だから、兵隊に行った人も何かしら特技のあった人も多かったようで。
巡洋艦以上の軍艦だと乗組員の中に「お寺の息子」がたいてい一人はおり、戦死者や殉職者の水葬の時は彼等が読経をしたとか・・・・・だから旧海軍の軍艦には米英海軍のように「従軍司祭」のような存在はなかったそうです。
艦内の広い大和より、狭い駆逐艦や潜水艦の方が イジメもなくアットホームだったという皮肉w。
戦艦大和は巨大だと思っているのだが、主砲の45口径46センチ砲9門だと全長280m以上は必要とされているが大和の263mはコンパクトに造船されている
昭和~令和になってもハラスメント文化は何も変わってない(>_
まぁ嫌なら関わらないという選択肢があるだけマシですね。昔は徴兵でしたから本当に負けて恐怖の軍隊生活から解放されという感じだったでしょうね。
陸軍だったけどケツにラブ注入されて巨大万力で上官◯そうとしたのはうちの爺さんです( ・`ω・´)
海軍精神注入棒って、魁!男塾の創作かと思ったら実在したのか…
こんな上官ばかりだから、惨敗するんだな。船がいくら立派でも、上がこんな調子じゃなぁ…。
戦後反米感情がなく反米テロも起こさず復興に向かったのも国民からすれば米軍は占領軍というより解放軍だと思えたからでしょう。
捧げ銃は、「ささげじゅう」ではなく「ささげつつ」と発します
天皇天皇ってそんな事されたら天皇嫌いになりそうやわいや、実際に憎い人も居ただろうに…
ここに写るほとんどの人が亡くなったのね。
初の電探搭載艦は島風では?
滿鉄が経営する ヤマトホテル に引っかけて 寝台,冷暖房装着完備の軍艦を僻んでたな~
チャンネル登録が二けた数のころから見ています。ただ中立的に解説していただいていますがどうも軍隊賛美寄りになりがちなのが少し気になります。
大学の恩師が乗務していました。
それでも乗ってみたかった。天皇の為日本の為と思ってればどんな事も耐えれる気がする
潮が吹き付けるのに雑巾がけって非効率すぎる道具を使えよ道具をw
そんな道具あれば武器への転用が優先されちゃうからね
国の税金の塊で、日々、戦争ごっこで、何ら、実戦に役に立たんかったのか😠😠😠😠😠
海軍精神注入棒で叩くのは頭でなくてお尻だったんですね。
1番頑張ってるのは新兵。優遇しなあかんよ。
上官のうっぷん晴らしで下の兵隊が殴られるwまさにパワハラの極みw敵を倒すために戦艦大和に乗り込んだんだろ?何なの?この理不尽極まりない仕打ちは・・・そりゃ戦争に負けるわなw
一応ですが、このような仕打ちが横行してたのは大型艦によく見られた光景で、海軍としては体罰は厳禁としてた。まぁその甲斐なくこのように「教育」と称してやりたい放題ですが、戦争も末期になってようやく制裁は無くなったそうです。
体罰系はほんと無駄。戦闘始まる前からHP半分しかないみたいな状況で勝てるわけがないわな。
精神注入棒が笑ってはいけないにつながってるのかな?
暴力による懲罰は別として、国防を担う軍隊だし訓練が厳しいのは当たり前ですね。
ただの八つ当たりかイビリだろこれから戦闘するのに先にダメージ与えてどうする?
勉強なりすぎゆっくりぷーちゃんネル最高
ばんて じゃなくて ばんしゅ じゃないの?
戦艦大和は間違いなく単騎同士の対決なら当時では最強だった、
単艦で戦闘ってどういう状況?ましてや既に航空戦力が海戦の主力となっていた時代に。
相手も浪漫で来てくれたら単騎同士のしょうぶになったであります!!
カタログスペックでは最強、しかし弱点も多かった。アイオワ級と比べてスピードが遅い。副砲に直撃弾をくらうと火薬庫が大爆発を起こす可能性があったレーダー射撃装置が無いので遠距離での射撃は着弾観測機頼りで、観測機が撃墜されたらまず命中させられない。主砲を発射して次弾を発射するまでの時間が米戦艦よりも長くかかる。
戦艦で艦を攻撃するのが専門と思うのが間違い。街や基地・要塞などを叩く時こそ巨艦巨砲の威力が発揮されるのに日本海軍は使い方を誤った。上陸作戦こそ戦艦の最大の使い道だった。
戦争末期の無用の長物。大和建造に使った資源資材で空母を造るのが正しかった😊
なお、大和に対抗してアメリカも同時期に戦艦10隻作ってたので大和を作らなかった場合アメリカの空母が増える模様。
俗説なみにありがちすぎる意見だが、別に正しいというほどでもない。あれ以上空母なんか造ったところで搭乗員がいないぞ。天城型なんか完成してもたまに陸上基地に航空機を運ぶ任務のほかはずっと係留していたようなもの。飛行機と搭乗員を併せて用意しないといけないが、それで大和型2隻の代わりに正規空母を1〜2隻造ったところで戦局への影響などないも同然。
6:50この辺の神経はもう休部している某高校野球部ににているなぁー。そして今もっとも精神を継承しているのが某歌劇団なのかな?モビーンさん。ジャニーズより暴くべき日本の闇。ここにありますよ。まぁ120年の闇は深すぎて恐れ多いよね‥。
軍医とお尻😊
パワハラの大本山だね。毎日毎日イジめられてりゃ特攻もどうなのかな。
海軍は樫の木で尻を叩いていたが陸軍は普通に半殺しにしてたので海軍のほうがまだスマート
なんで男って、、
なんでこんなでかいの造った? リスクでかすぎだろ😂
糞の役にも立たなかった「愚艦大和」
大和ホテルと武蔵御殿
上官が下の者に対する態度は蟹工船に似ているような……😭
大型艦なら新兵も次の新兵が補充されると多忙雑務から解放される場合が多かったらしいですけど、
汎用艦の新兵は配属艦に乗り込んで善行章が付くまでは新兵扱いだったとか。
危険が伴う洋上補給訓練、的測射撃訓練ともなると善行章が四っつも五つも付けた大先輩達が大変頼もしく作業を行なって居たと読んだ事があります。
懲罰という卑怯者の鬱憤晴らし。
精神注入、真面目に考えると戦場に行く前にほとんどの兵員が疲弊してるって結構不味い事ですよね❓(個人の感想です)
天皇の命と偽って部下を殴るとか、不敬罪やろ
なお、武蔵に昭和天皇陛下が乗られた時に水兵体験したいと、水兵服をきて甲板服を着たら、下士官がちんたらすんな!と蹴り飛ばしたそうで、そのご、その下士官の姿を見た者はいなかった
今も昔も大型水上戦闘艦のリンチはヤバいらしいです。しかも万国共通。故に、シーマンシップなる水兵さん独特の精神文化があるそうです。
自〇した人も結構いたとか・・・
戦艦陸奥、謎の大爆発による沈没も自暴自棄になった水兵がやったとの噂もありますね。
潜水艦、駆逐艦、海防観など小型艦は厳しくとも家庭的な情があったと本で読みました。
あけましておめでとうございます。
大和の乗組員さんたちは日常を過ごしながらも、心の中では恐怖とも戦っていたのかな…。
大きな軍艦ほど規律が厳しかったそうで、大和から他の艦に転属になると下っ端でも一目置かれたなんて話がありますね。施設が充実していただけ大和や武蔵はマシな感じですが、新兵が辛いのは全陸海軍共通…。
大和ではありませんが戦艦霧島の主計兵(烹炊担当)を務められていたことがある、漫画家の故・高橋孟氏の経験談「海軍めしたき物語」を思い出しました。仰る通り艦が大きいほど軍紀が厳しくなり新兵当時、配属先が戦艦霧島に決まった時は大いにがっかりしたそうで「首を吊ろうか、霧島行こか」という言葉もあったとか。
駆逐艦乗りの方(水兵)の手記を呼んだ事あるけど新兵時代の悲惨具合は大型艦だろうが小型艦だろうが目糞鼻糞レベルだったらしい
まぁ潜水艦乗りは別世界だけどね
@@hirokun88 様
私もその本持っています。イラスト付きでおもしろく何十回も読み直しました。
鬼の霧島、地獄の金剛。音に聞こえた蛇の長門。って
言い回しがあったぐらいですから💦
海軍用語に、ギンバイと言う言葉がありますが、
その意味は、食糧や他の人員の持ち物をくすねる事。
で、潜水艦乗りだと兵は勿論、士官ですら
ギンバイをしたそうですw
某潜水艦や海防艦の主計長なんかは「どうせ誰かの部屋にあるw」と言って銀蝿分を含めて計上してたとか(笑
一区画の弛みで致命傷を見逃す大型艦と、一発喰らったら一蓮托生の小型艦では何処に規律をおくかの比重が違ってたのかも知れないね。
雪風の乗組員曰く乗員皆家族の雰囲気があり、レイテ前に戦艦榛名から転属した某砲術員は艦長の風体含め艦の雰囲気に面食らったとか。自ずと培った阿吽の呼吸が不沈艦の由縁だったのかもね。
ただこの時代は新兵と言えども、農作業で鍛えた肉体を入隊教育で強化したパワー系も多かっただろうしな。鉄拳制裁で上下の立場を叩き込まないと逆にやられかねない上官の立場も分からんでもない。
このイビりが無ければもう少し良い戦いが出来たのかもね。
あけましておめでとうございます。
ふだんの生活については、あまり語られないので、興味深いです。
戦う兵士を粗末に扱ってたら勝てる戦いも勝てないよな…と思ってしまう。ただ当時の文書とか見てると叩かれるのが当たり前だったからワザと手加減して叩いていた先輩兵もいたり酒保の缶詰とかも分けてあげてたりする人もいたって言うからまだ耐え切れたんだろうな
大和ミュージアムに行った時、砲弾がこのミュージアム(呉)から岩国まで飛ばせたってボランティアのおじいちゃんに聞いてビックリしたのを覚えてます。
確か浦賀水道あたりから皇居も砲撃可能だったはずだよ(非国民ッ!)
どこかのヨットスクールや、完全自由学園と通ずる物を感じる
しかし頑丈そうなみんな身体維持してるよなあ。総合やってそうな着痩せする鍛えられた応用力ありそうな筋肉で今の時代みたいにマシンで鍛えた身体じゃなくて全体的にゴツい人の集団でそれで機械を使いこなす頭と感覚も持ち合わせてるって人材的に凄い人達の3000人規模の立体都市って考えたら凄い熱気や思考がそれぞれ溢れてたりしたんだったんだろうなぁ。よく纏まって機械的に動くにはものすごい勢いでの訓練や実際の戦闘する訳だから精神力やそれを支える身体は徹底的に鍛えまくってたって事か。多くの貴重な命が亡くなったって事が人として悲しいのもあるけど、資源としての人材が一気に無くなったのも社会として残念だよね。これだけの人達が災害救助に出向く事が出来る世の中だったらってほんと思う。
厳しいだけではなかったらしいですよ。
同じ郷の者・同じ隊の者のシゴキのあとは、コッソリ「お前にだけだぞ!」とか言いながら薬をあげたり、キャラメルをあげたりしたらしいです。遊郭へ招待したり、芸者と酒を一緒に飲んだり…。他にも色々あって、憧れの上官として彼らなりに努力があってこそ指揮が上がるらしいです!
@@hinata.n いつの時代も一緒だなぁって思いたいですけど、今下手に同じ事やって指揮あげようとしたらアルハラにパワハラにセクハラって吊るし上げ喰らうリスクありまくりですもんね😓時代って言えばしょうがないですけど、必要なプライドもある訳で捨てないといけないプライドと見分けが出来ないままの怖さも感じます🤔今こうしてる間にも価値観が色々変わってっているんでしょうね。自分も含めて人を育てるのってホント難しいです。
80年前と価値観が違うのは仕方がない。
大和の最後の艦長 有賀大佐は街中で美人を見かけると、後をつけて自宅を見つけるという趣味があったと「戦艦大和ノ最期」の著者 吉田満氏が述べていて、このことを「とても可愛い」と評している。
今なら完全なストーカーだが・・・
自重とマシン、フリーウエイトの体の区別がつくってスゴイねー。
自重至上主義、ウエイト至上主義、どっちもダメだけどね。合ってる意味わからんだろうけど。
一生懸命磨いた甲板も最後は血の海になったんですね。
このような戦闘以外の軍艦のエピソードとても好きです!
海軍精神注入棒は一号から五号まであり号数が増えるごとに太く、堅くなっていき、五号に至ると鉄パイプになる(某映画で有名)
真水の利用についても面白い話があります。
司令部の高級将校には従兵というボーイが付くが、この従兵を務める期間は従兵業務最優先なので「整列」の参加も免除される。中でも役得だったのが長官は真水を張ったバスタブで入浴するので夜山本五十六が寝た後、風呂掃除前にこっそり自分達も入浴してたとか。
また、とある烹炊員が戦後に懺悔したお話。
当直の烹炊員は他の烹炊員より早く起きてメシ炊きの準備をするが、釜の湯を見て我慢できなくなり、烹炊所の戸に鍵をかけて服を脱ぎ五右衛門風呂のように炊飯釜に入浴、その残り湯は当然捨てることなくそのまま米を炊いたそうな。以降当直が楽しみになったとか。
きたなぁい!
そんなエピソードもあったんですね。
戦艦武蔵乗組員だった祖父は、戦闘時は防水扉の開け閉めを担当しており、平時は碇や短艇の上げ下ろしや艦尾のクレーン、各種電装品の保守管理を行っていたそうです。
各部屋の設備を点検中に、わざと食料庫の電灯を付かなく細工して、修理依頼が来た際に「砂糖」を失敬したことがあるそうです。
今年、100歳になる祖父からの懺悔でした。
@@a183ce9acz4a 帝国海軍名物の「ギンバイ」ですね。いろいろ手段は聞きますがそんな手口もあったとは(笑)とても貴重な証言をありがとうございます!
昔の人もヤバい人はいたんですね。
水木しげるのまんがにも自分の大便をもらしたふんどしを洗った水でめしを炊いて、憎い上官に食べさせようとしたけど
なぜか上官が「水木、おまえが食え」と言われて全部食べて「どうだ?うまいか?」と問われ「はい、うまいです」と答えたとか・・・
上官は知ってた可能性が高そうですね。
鼻くそほじくったり皿をなめまわす動画をあげてとんでもない額の損害賠償請求食らう人もいるけど
案外人間の本質って今も昔もそんなに変わらないのでは?と近頃思います。
@@fyilhlv 潜水艦はこんなもんじゃないくらいきったないですよ?(笑)
艦艇には消火器の二酸化炭素を有効活用してラムネ製造機があったが、その理由は飲用水の節約のためなんだって。
因みに戦艦から駆逐艦に転籍したら駆逐艦の規律のユルユルさに驚いたそうです。
あけましておめでとうございます😊
2024年最初の動画ですね!改めて戦艦大和の大きさにびっくり。そして安定の精神注入棒の登場に笑ってしまいました🤣自分はこんなキツイ生活一日ともたなそう、、
ちなみに食事は将校と艦載機操縦士・偵察員は乗組員食堂で喫食出来たが、一般の下士官兵に食堂は無く、其々の担当部所で喫食していたらしい。
又、起床後の朝の洗面はコップ1杯の水と粗塩で歯を磨き顔を洗った。
そのテクニックは歯磨き後に口内を濯いだ水を両手に吐いて洗面していたとの事。
あと、うちの親父みたいな小学校卒業しか居ない。海軍特別年少兵達には
将来なし!だったのでしょう、十五歳で海の藻屑になっても構わない!だったのでしょう!田舎の農村から、国家の為に
十四才から志願して海軍特別年少兵にして国歌に我が身を捧げる!と思った
年少兵には、その様な配慮無しで最後の最後までを配置を離れずに!だったのでしょう!
居住区も涼しいのかと思ってた
あくまでも軍艦で客船ではないですからね。
今の時代でも似たような事ありますね。理不尽な部分は…人間である限り終わらないものなのかも。
古参兵のパワハラ意識で下のものを虐めて楽しむのは、今の日本人に受け継がれていますね。
自衛隊でも企業でもその文化は受け継がれています。
大和よりも駆逐艦や潜水艦のほうが待遇いいのマジでびっくりした。大和は未来を繋ぐ教師を多く乗せてたのに.....
狭い艦内&限られた乗組員では皆家族みたいなものだからね。そこで偉そうにバッター制裁なんか
やったら、寝てる間に海に叩き落とされて消されるのがオチだし。
大和の忙しい日常といっても大和は約五年くらいしか就役してないんだよな。
3年4ヶ月だな。
ミッドウェー海戦。大敗北の原因「偵察機発艦の遅れ」は、重巡利根の発艦カタパルト要員が、上官からの日々のリンチに耐えかね任務ボイコットをしたから。
カタパルトが故障したため、それに替えもう一基あるカタパルトですぐに出そうとしたが、こちらの担当末端兵たちが動かなかった。結局、故障を修理するしか手が無く、偵察機を出すタイミングが遅れ、これが艦隊壊滅の致命傷に繋がった。
旧軍のリンチ・暴力・傷害の蔓延は、意図的な“国是”。
末端員たちを常に追い詰め続ける事で、彼らに本来以上の能力を発揮させ、貧しく乏しい全軍のありようを糊塗しようという目論見だった。
また、そういう日々何もかも足りず至らず劣った軍内部で、将校・下士卒たちの不満が、軍上層部に向かないようにというコソクな将官たちの保身策でもあった。
結果は大日本低國の滅亡。
利根4番機の発進の遅れを、要員のせいにしているのは、上層部の下部への責任転嫁。
そもそも発進命令が出ていなかったことが分かっている。
大和主砲下の主砲を運ぶエレベーターと書いてありますが、あれは揚弾器といい、主砲弾を運ぶものです。主砲を運ぶなんて怖いですね。
17:54 日本海軍初の電探装備は戦艦伊勢だったはず・・・
今の自衛隊では暴力はないけどいじめ言葉の暴力があります
私も自衛隊にいた頃は部隊の内務班での生活でいじめや言葉の暴力を受けていました 精神的にキツかったです
精神注入棒で叩かれる時は幾ら痛くても動いてはならないそうな。下手に動いて狙いが外れると腰の骨が折れるから・・・
なお陸軍士官候補生や新兵は複数の上官からボコボコにされるもよう
もし真性のマゾヒストの水兵がいたら・・・・・?😅.
敵よりも味方(階級が低い奴)と戦ってどうすんねーん
軍艦っていうか、もう一個の街だよね
現代の航空母艦をものすごく先取りしてたように思う
大和より大きな現代アメリカ海軍の原子力空母だと「艦内テレビ局」まであるとか・・・・・
町というより、刑務所だ。
毎日厳しい訓練と精神注入棒で叩かれる街は存在しない。これは刑務所の中で働く刑務作業に近い。
そして最後は沖縄特攻で大半が戦死したから、厳しい刑務所だ。
@@5v85jfglt
乗組員全員戦死もありうることを前提としていることを考えると「刑務所」というより「(アウシュビッツのような)絶滅収容所のガスを注入されないガス室」だ、という人もいそうですね。
なんか最新鋭のエアコンやらシャワーやら付いてるのは聞いておりました。
映画の俺達の大和は盛りすぎだったけど泣けましたが。
視聴させて頂きました。
波動エネルギーがあれば、宇宙のかなたでも行けるのですね
駆逐艦乗りからみたら天国だろうな
私の祖父は海軍で砲術学校を出て艦船で25粍連装機銃手でした。
私が子供の頃良く、海軍での戦時中の話を聞きましたが、海兵団に入り新兵教育の期間はかなりキツかったが、その後はまぁ厳しいには変わらないが要領を掴み、班長、上等兵、古参兵らに気に入られると良くしてれる。
嫌われるとそりゃあもう…
と言って居ました。
上官付きの世話を任命され良くして貰ったそうです。
勿論事有る毎に連帯責任!
となり、またケツ叩かれるわ!
思って居たら〇〇と〇〇は〇〇へ行って来い!
と言われ、〇〇来ました!
と言うと羊羹食って行けや!
ある日は善哉食って行けや!
と言われるのだが、早々たる上官が見て居る中食えたもんじゃ無いんだが、勧められて仕方ないから急いで食べるとゆっくり食べろ!
言われ?
早く戻らないと怒られそう…
と思って急いで班に戻るとケツ叩かれている真っ只中、もう一周してから戻ると班長から「ご苦労!」と言われ、善哉食って来て何がご苦労(笑)
と言うのは何回もあったと言って居ました。
勿論、訓練時や戦闘中は必死にやったが、余暇は割と自由あったし、民間なら満足に食べ物が無い中でもタダで1日4食にオヤツが付き、給料出るし、外出すると兵隊さん!と尊敬の目で見られるし、汽車はタダで乗れるし
ケツ叩かれるけど、戦闘に比べたら大したこと無かった。
鉄兜被ってるが、弾当たったらあの世やもう必死やった。
でも海軍での生活はとても居心地が良かった!
軍隊で厳しい教育受けたから、戦後食べる物が無く、生活に困窮した時や経済的困窮した時も乗り越えれた!
若い時には苦労は買ってでもするものや!
と言って居ました。
貴重なお話ありがとうございます。「戦艦武蔵の最期」「海の城」を読みましたが戦時中の若者は文字通り必死ですね。内地にいれば飢えと空襲に苦しみ、軍隊に行けばいびり殺される。肉体的に何一つ不自由のない私たちはもっと精神的に強くならねばならないですね。
貴重なお話、ありがとうございます。
私の祖父の弟も海軍に行ったようです。どんな艦船に乗っていたかは不明です。
ほとんど会話らしい会話をしたことが無いのですが、祖父の弟曰く 機銃、恐らく25ミリ機銃と思われますが日本の機銃に使われている鉄は質が悪いらしく連続で撃ち続けていると過熱して撃てなくなってしまうと聞いた事があります。
精神棒で尻を叩かれるのも要領があり、すごく痛そうにすると「軟弱ものが~」と言われ更に強く叩かれ
叩かれても平気なそぶりをしていると「なめやがって~~」といわれ 更に強く叩かれ
凛々しく痛みに耐えている姿が一番よかったと高橋もうさんの著書に書いてありました。
あけおめ✨🎍😊✨ 大和デカ過ぎやろ😮 てか、ゆっくりぷーちゃんネルだと鉄拳制裁や木っ端や拳でぶん殴られるのデフォだなw
この大きさで 駆逐艦等の護衛無しで出撃すればいい的だよね
重巡利根の乗組員は連合国の俘虜を後部甲板で何十人も虐殺した事件を起こしたけど日頃の鉄拳制裁でストレスがあったのかもしれん。
新兵が最も恐れるのは消灯後のイビリ…
違う
この戦時中の厳しさが、後に学校や部活での理不尽なシゴキとか体罰とかにつながっていくんだろうな。
同じ事思った!
平成生まれだけど、小学校の野球では、挨拶の声が小さいという理由で、全員、監督に蹴られるのは、日常茶飯事やったわ。もちろん、棒やバットで殴られる。避けると、さらに殴られる。
軍隊方式など迷惑この上無いです。
確かになぁ。
で、反動で甘やかす時代になって学校も乱れるようになったら、今度はまた厳しかった時代を求めるようになるかも。
ちょうどいいとこには行かずに、過ちを繰り返すのが人間ですよ(誰かの台詞…)
@@freezingpoint3261
厳し過ぎな昭和と甘やかし過ぎな令和。
極端なんですよね。
あけおめ、ことよろ
いつも楽しみにしとるぜよ
今年もよろしくお願いします!
いつもありがとうございます😊
赤腕章に艦内旅行旧海軍から全く変わってなくて面白い
海軍精神注入棒って実在していたのかよ…
たまげたなあ
木製だったんですね。
「コンクリートを詰めた鉄管」だと思ってましたが・・・・・
明けましておめでとうございます。これだけ大きいとまさに街ですね。甲板掃除は大変だったろうなぁ…絶対やりたくない!
大和には一般兵員にも3段ベッドがあったそうです。戦艦クラスに乗れるのは海兵団で成績が上位だった。
少なくとも各科1等兵(兵長)になるまでは辛抱ですね。(^-^;
こういう系の本教えて欲しい。ぜひ読みたい。
こういうの大好きだわ
最近こちらの動画を知りました。とてもよく調べられてますね。歴史修正主義が蔓延するこの国で真摯に歴史と向き合おうとするその姿勢に感服します。癌の手術を終えたデマ本ベストセラー作家の術後の滋養のためにもこちらの動画を見せたいものです。
大和はハンモックではなくベッドだったはず。
確か、大和型はベッドだったと本で読んだ記憶があります。士官候補生だけは、他の艦に配属が変わりやすい関係で、ハンモックだった様ですが。
13mm機銃は艦橋中ほどの両サイドに連装が1基づつ装備。戦闘時に艦橋内の士官用エレベータを使えた兵員は基本的にこの13mm機銃の弾薬補充要員のみと言われる。
行きつけの理容室の店長の叔父が武蔵乗組でした。
私の祖父も武蔵乗組員でしたよ。
艦内でお会いしてるかもしれませんね。
@@a183ce9acz4a 凄い👍多分お会いしてますね。
この軍隊式の鍛え方が学校にそのまま受け継がれている気がします。体罰…連帯責任…。あと祖父は海軍で出征し引き上げは陸軍と帰ってきました。
現代のわたしだから無理だと思うけど、この時代のわたしだったらやるぜー!ってなるのかしら😮
精神注入棒ねぇ、物理はなくなったけど現代もあんまり変わらないかも。
これが魔法少女の杖だったらと、アホなこと考えてしまう程酷かったんだなぁ。
なんだかんだで人間がやっていた事、閉鎖空間でいろいろ凝縮したんだろうな。
なんというか負けて納得の内情ですね
軍の内部事情で言えばどの国も似たようなもんだと思いますよw
納得??
物資や戦略に余裕がないから「0から100を生み出せ」とかのめちゃくちゃな精神論に走るしかなくなる。
その時点で勝ち負けは確定してる。
すべてのトラブルに対抗する訓練のバリエーションがすごいな。災害時のすばやい対応と考え方は近いのかも。
小田切中尉
「大和に乗っていて、オレの親父を知らないヤツはモグリだ!」
本郷少尉
「大和の主に、ご挨拶に参りました!」
小田切兵曹長
ハッ「最敬礼」
近代軍の祖である欧米軍での士官は部下に対してだけでなく自分自身に非常に厳しかった
しかし日本軍では士官は部下に厳しいのに自分には大甘だった 自分を特権階級だと勘違いしていた
救助のときも欧米の士官はまず負傷者を優先するのに日本の士官は負傷者何か関係なくまず自分を助けろとごり押しする
こりゃあ負けて当然
同感ですね😂
今の日本の会社や学校なども
変わらない.....
こんな理不尽な国民性だから
いまもってこの国は
生きづらくて幸福感が薄い.....
@@九郎判官義経源 本当にそうですね。
経済で負け続けてる現在も原因は同じ部分にあるように思えてなりません。
エビデンスは?
私は逆のイメージ。昔の人は他人に厳しかったが自分にも厳しかった。(あと日本のイメージも私は逆)
個々の将校の素質によるのではないでしょうか?
私事で恐縮ですが私の祖父は陸軍中尉で中支で戦死しましたが、戦後部下だった兵達がわざわざ遠い場所から弔問に訪れてくれ、祖父にとても良くしてもらって本当に感謝していると祖母や父へ話してくれたそうです。
戦艦大和へ乗艦すれば忙し過ぎて1日が早く過ぎる
とても充実した日々を過ごせるぞ!
そんな事してたんですね。
でも精神注入は痛いですね😨💦
後、戦艦大和内での若者達の精処理はどうしてたんですか?
戦死者て自軍の誤射でってのが多いんだって。敵より恨みが積もってる。
陸軍だと誤射や敵弾に見せかけた部下の報復を恐れて、海軍ほど厳しくなかったなんて話も聞いたことありますね。
誰かが書いてましたが、
「海軍の鉄拳制裁はいつから始まった?」
開校当初の士族ばかりの兵学校で他人の頬張ったら、上官教官でもただでは済まなかったはず、平民出身者が入ってきてからか?
との話。
宇宙戦艦のヤマト農園も実際にあったののモデルなんだな
今なら内部告発で大変な事になってるのは言うまでもない。。。
昔は実家が自営業が普通だから、兵隊に行った人も何かしら特技のあった人も多かったようで。
巡洋艦以上の軍艦だと乗組員の中に「お寺の息子」がたいてい一人はおり、戦死者や殉職者の水葬の時は彼等が読経をしたとか・・・・・
だから旧海軍の軍艦には米英海軍のように「従軍司祭」のような存在はなかったそうです。
艦内の広い大和より、狭い駆逐艦や潜水艦の方が イジメもなくアットホームだったという皮肉w。
戦艦大和は巨大だと思っているのだが、主砲の45口径46センチ砲9門だと全長280m以上は必要とされているが大和の263mはコンパクトに造船されている
昭和~令和になってもハラスメント文化は何も変わってない(>_
まぁ嫌なら関わらないという選択肢があるだけマシですね。
昔は徴兵でしたから本当に負けて恐怖の軍隊生活から解放されという感じだったでしょうね。
陸軍だったけどケツにラブ注入されて巨大万力で上官◯そうとしたのはうちの爺さんです( ・`ω・´)
海軍精神注入棒って、魁!男塾の創作かと思ったら実在したのか…
こんな上官ばかりだから、惨敗するんだな。船がいくら立派でも、上がこんな調子じゃなぁ…。
戦後反米感情がなく反米テロも起こさず復興に向かったのも国民からすれば米軍は占領軍というより解放軍だと思えたからでしょう。
捧げ銃は、「ささげじゅう」ではなく「ささげつつ」と発します
天皇天皇ってそんな事されたら天皇嫌いになりそうやわ
いや、実際に憎い人も居ただろうに…
ここに写るほとんどの人が亡くなったのね。
初の電探搭載艦は島風では?
滿鉄が経営する ヤマトホテル に引っかけて 寝台,冷暖房装着完備の軍艦を僻んでたな~
チャンネル登録が二けた数のころから見ています。ただ中立的に解説していただいていますがどうも軍隊賛美寄りになりがちなのが少し気になります。
大学の恩師が乗務していました。
それでも乗ってみたかった。天皇の為日本の為と思ってればどんな事も耐えれる気がする
潮が吹き付けるのに雑巾がけって非効率すぎる
道具を使えよ道具をw
そんな道具あれば武器への転用が優先されちゃうからね
国の税金の塊で、日々、戦争ごっこで、何ら、実戦に役に立たんかったのか😠😠😠😠😠
海軍精神注入棒で叩くのは頭でなくてお尻だったんですね。
1番頑張ってるのは新兵。
優遇しなあかんよ。
上官のうっぷん晴らしで下の兵隊が殴られるw
まさにパワハラの極みw
敵を倒すために戦艦大和に乗り込んだんだろ?
何なの?
この理不尽極まりない仕打ちは・・・
そりゃ戦争に負けるわなw
一応ですが、このような仕打ちが横行してたのは大型艦によく見られた光景で、海軍としては体罰は厳禁としてた。まぁその甲斐なくこのように「教育」と称してやりたい放題ですが、戦争も末期になってようやく制裁は無くなったそうです。
体罰系はほんと無駄。戦闘始まる前からHP半分しかないみたいな状況で勝てるわけがないわな。
精神注入棒が笑ってはいけないにつながってるのかな?
暴力による懲罰は別として、国防を担う軍隊だし訓練が厳しいのは当たり前ですね。
ただの八つ当たりかイビリだろ
これから戦闘するのに先にダメージ与えてどうする?
勉強なりすぎ
ゆっくりぷーちゃんネル最高
ばんて じゃなくて ばんしゅ じゃないの?
戦艦大和は間違いなく単騎同士の対決なら当時では最強だった、
単艦で戦闘ってどういう状況?ましてや既に航空戦力が海戦の主力となっていた時代に。
相手も浪漫で来てくれたら単騎同士のしょうぶになったであります!!
カタログスペックでは最強、しかし弱点も多かった。
アイオワ級と比べてスピードが遅い。
副砲に直撃弾をくらうと火薬庫が大爆発を起こす可能性があった
レーダー射撃装置が無いので遠距離での射撃は着弾観測機頼りで、観測機が撃墜されたらまず命中させられない。
主砲を発射して次弾を発射するまでの時間が米戦艦よりも長くかかる。
戦艦で艦を攻撃するのが専門と思うのが間違い。
街や基地・要塞などを叩く時こそ巨艦巨砲の威力が発揮されるのに日本海軍は使い方を誤った。
上陸作戦こそ戦艦の最大の使い道だった。
戦争末期の無用の長物。大和建造に使った資源資材で空母を造るのが正しかった😊
なお、大和に対抗してアメリカも同時期に戦艦10隻作ってたので
大和を作らなかった場合アメリカの空母が増える模様。
俗説なみにありがちすぎる意見だが、別に正しいというほどでもない。あれ以上空母なんか造ったところで搭乗員がいないぞ。
天城型なんか完成してもたまに陸上基地に航空機を運ぶ任務のほかはずっと係留していたようなもの。
飛行機と搭乗員を併せて用意しないといけないが、それで大和型2隻の代わりに正規空母を1〜2隻造ったところで戦局への影響などないも同然。
6:50
この辺の神経はもう休部している某高校野球部ににているなぁー。
そして今もっとも精神を継承しているのが某歌劇団なのかな?
モビーンさん。ジャニーズより暴くべき日本の闇。ここにありますよ。まぁ120年の闇は深すぎて恐れ多いよね‥。
軍医とお尻😊
パワハラの大本山だね。
毎日毎日イジめられてりゃ特攻もどうなのかな。
海軍は樫の木で尻を叩いていたが陸軍は普通に半殺しにしてたので海軍のほうがまだスマート
なんで男って、、
なんでこんなでかいの造った? リスクでかすぎだろ😂
糞の役にも立たなかった「愚艦大和」