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【古代史観考ver1.3】⛩️✨継体天皇の系図は意富氏に創作されたのか?🤨古事記や日本書紀や風土記等の古史古伝から古代日本史の謎を妄想解釈😆古代史観考ver1.3の14回目です😄
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- Опубликовано: 20 июл 2023
- 古事記や日本書紀から古代日本史を考察します😆
継体天皇の系図は意富氏に創作されたのか?🤨
高天原の謎と神道統合を妄想解釈していたら、
なぜか筑紫の磐井の乱に
辿り着いてしまいました...😱
【参考資料】
『中古叢書』19-21,写. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/11891800 (参照 2023-03-18)
『神道思想』中世,神宮皇学館惟神道場,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/1093750 (参照 2023-03-18)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[9],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/2544348 (参照 2023-03-19)
『丹後国風土記』,連胤写,安政2. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/2539742 (参照 2023-04-02)
太安萬侶 [編] ほか『訂正古訓古事記 3巻』[3],河南儀兵衞 [ほか3名],享和3 [1803]. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/2578742 (参照 2023-04-02)
経済雑誌社 編『国史大系』第7巻,経済雑誌社,明治31. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/991097 (参照 2023-04-03)
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#日本書紀
はじめまして。
古代の時代背景を妄想するひとりです。
以前枚方市の楠葉に住んでました。交野天神社の奥に樟葉宮跡があります。継体天皇が都とした地とされてます。世が世ならば下々のものが住宅を建てる事など畏れ多い神聖な土地。
それを知って継体天皇を調べてみました。謎の多い天皇。さらに実在が確実された皇統はここからとする説もあります。
妄想ワールドにハマるきっかけになりました。
当チャンネルは大変貴重なお話が豊富でありがたいかぎりです。
新しいシリーズにも期待してます。
はじめまして!
1年ほど前から神話解説の動画にはまってふどきさんの動画にに辿り着き、旅動画も併せてほぼ全て楽しく観させてもらってます
今回の動画でお話しされてた高天原の解釈、とても興味深かったです!
どこで読んだか忘れましたが、「タカ」という言葉には「山の上」という意味があったのだとか
私の実家は東北地方の山の中なのですが、今でも死んだ人の魂は山へ行くと信じられてて、「爺ちゃんも○回忌だから今頃は〇〇山の中腹位には行ってんべなぁ」などと言います
仏教が伝来する前の古代日本では「タカマガハラ」という場所はお山の上にある死者の魂が集う神聖な場所という信仰があったのかも…などと私も妄想解釈してみました笑
深い考察ですね。勉強になります。
隠岐の島の隠岐国一宮「由良比女神社」(式内名神大社)の御祭神は須勢理姫命ですが「又名 天造日女命」とあります。
天造日女命は饒速日の東征における随伴者の一人で天道日女命と同一の存在だと云われていますがこちらの神社ではスセリ姫も同一の存在なんですよね。おそらく神道が変遷していく中で習合していったんでしょうが、自分もふどきさんの考察と合わせ神社伝承や文献からいろいろと妄想して楽しんでおります。
いつも楽しみにしておりますので配信頑張ってください。
運営ꉂ🤣𐤔
ホントだよ!マジじゃん!って言いながら観ちゃいました(笑)
筑紫磐井の氏神を知りたい!無理だけど(笑)
ホント楽しいです🎶
コレからもめっちゃ楽しみにしています。頑張ってくださいませ(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
伝説と言っているのは、創作という事でしょうか?
神話、伝説、口伝など色々暗黙な仕分けがありそうで、定義を知っておきたいのです。
二俣はなにを意味するのが妄想しました。
杭俣長日子王の娘・息長真若中比売を后としたのが、稚野毛二派皇子・若沼毛二俣王です。親子でマタつながりなので意味深です。
杭俣とは住吉郡杭全(くまた)郷のことであって、杭俣長日子王はここに拠点をもっていた豪族のようです。百済郡になっていることから、杭全(くまた)郷とは百済のことかもしれません。また杭俣長日子王は、 阿波君等の祖である息長田別王の子とあることから、住吉と阿波、瀬戸内海の水運を担っていたことが推測できます。娘婿である稚野毛二派皇子はここをひきついでいたでしょう。
その一方で稚野毛二派皇子を祖とする息長氏は、近江国坂田郡の豪族であったことから、琵琶湖の水運も支配していたと考えられています(坂田古墳群)。ここからこじつけっぽい推測になりますが、息長氏が草香江から琵琶湖方面への水運で使っていた港が、河内国川俣郷であったのではないかと推測します。
つまり二俣とは、杭全と川俣の両方を同時に支配したということではないか? これは推測ではあります。
6:14 丹波→丹後 では?
13才の女の子がそんなたいそうなことをできるはずがないと今の感覚で言うと創作としかおもえないけど、魏志倭人伝などをみるとそういう斎王という存在が実際にいたかもしれないとは思う。ただ言われる通り西日本各国を周遊したとかは創作っぽい気もする。
いやいや、別けるなら「高天」「原」だろ。「高天」=「駒、高麗、巨摩」=「狛、熊」、「原」=「腹」富士山は「ハラヤマ」と呼ばれていた。
さらにホムツワケ、ホンダワケの謎を調べました。
誉津別命ホムツワケの由来について不明ですが、備後国(吉備)の品遅国造は誉津別命の名(あるいはその部民・品遅部?)からとれているようです。誉津別命の出雲から官道のようなものでつながっていた? から品遅国造という名前がつけられたのでしょう。
神功皇后の父・息長宿禰王は琵琶湖や山代と、系譜的には彦坐王を祖とするような一族のネットワークがあり、そのサラブレットが応神天皇だったといえるのですが、品遅国造もその一族に含まれています。つまり吉備氏の領域に彦坐王一族の拠点があったことになるのですが、なにか妙な感じです。出雲方面から吉備地方の背後をおさえているための品遅国造だったようにも見えます。
誉津別命に話を戻すとその母・沙本毘売命は、大和の豪族・和邇氏や彦坐王一族とつながり深い人物でありました。しかし狭穂彦王の叛乱で失脚するのです。吉備氏を背景にもった景行天皇やヤマトタケルの時代には、和邇氏は後塵を拝するような立場であったのかもしれません。なぜかヤマトタケルは伊吹山を越えて琵琶湖にたどりつくことができなかったというのも意味深です。
するとホンダワケとつけたのは、和邇氏のリベンジ的な意味があったのかもしれません。これも推測ではあります。