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筒美京平は他者に編曲を委ねるようになっても、イントロとかはすでに仕上がってると武部聡志が言ってましたね。
サザエさんのOP/EDの素晴らしさに最近になって気付いたのですが、そうっか、筒美京平さんでしたか。エンディングの歌詞とか、大きな空から皆の声へと上から下への視線誘導が実は凄いんじゃ無いかと思ったのです。
ダウンタウンに繰り出そう〜♪あの曲好き😊
ひょうきん族で毎週聞いてたね。
@@木倉谷哲也ひょうきん族で流れてたのはEPOがカバーしてたやつですねシュガーベイブ自体の知名度があまりなかったせいで、世間的にはdowntown=EPOのデビュー曲ってイメージが強いと思います
オフコースのソフトロックからファンク、AOR、ディスコ等々にいく流れも入れて欲しかったです😢
今で言うシティポップは当時はホットドッグプレスやポパイ等の「流行に乗りたくて仕方ない若者」向け雑誌で持て囃されていた印象があります(偏見)。逆張り捻くれ洋ロック小僧には無縁な音楽でしたね。一方で同時期に発売された全曲筒美京平作曲による岩崎宏美の「Wish」は大好きで聴きまくっていました。今回の動画で一緒に取り上げられていて興味深く視聴させて頂きました。シティポップにもブームが完全に去った頃を見計らって向き合ってみたいと思いました。
山下達郎は「クール」なシティ・ポップというより、ホットな「限りない情熱」というのが彼の本質だと思う。彼のライブは「どのくらい激しく歌う事ができるか」がテーマだったような気がする。
ミノさんの主張にはいつも通り、ほぼ同意しますが「シティポップという言葉は’70年代後半に登場して’80年代に一般化した」ということに関しては全く同意しかねます。それは言葉がではなくて、そういった音楽の登場と一般化がその時期であったということです。自分は既にその当時、熱心な音楽ファンだったし音楽誌もけっこう読んでいましたから、自信を持ってそう言えます。「シティポップ」という呼称は今世紀に入ってから外国の人たちが使い出したのではないでしょうか。まぁいずれにせよ、あまり好きな呼称ではないですね。でも当時の呼称「ニューミュージック」よりかは、音楽性をある程度よく表している分、マシかなとは思います。
そうですね「テクノポップ」は浸透していましたけど、「シティポップ」(あるいは「シティポップス」)というワードは一部の雑誌などや、レコード会社が宣伝に使用したりはしてたようですが一般的ではありませんでしたね。2002年の木村ユタカ(著)『ジャパニーズ・シティ・ポップ』あたりから遡及的/回顧的な見方としてつかわれ出したのではないでしょうか。後付け。
@@zs9811シティ・ポップという言葉が同時代に存在しなかったのはその通りだ。おまけに、RUclips で盛り上がったのはサンプリングアーティストが繰り返し取り上げたおかげであって、ミノ氏のいう「リスナー主導」では全然ない。というわけでミノ氏の歴史把握はだいぶずれてる。アーティストは世界中の音楽を聞いてる。勉強しなきゃ落ちこぼれる。今でもJASRACでは学者・研究者を招いて世界の音楽の講演会などやるそうだ。そもそも批評家はアートしない分音楽家より遥かに系統的に勉強してなきゃイカンでしょ。
敢えてあげるなら筒美京平が近いのはバート・バカラックかな?
職業作曲家と聞いて真っ先に思い浮かぶな。
自分もそう思います!
筒美さんがMISIAに、しかもアシッドジャスなミックスで楽曲を提供していたなんて知らなかった…本当に幅広いなこの人
綺麗な言語化ですね
サザンオールスターズもステレオ太陽族でアルバム全体でcitypopにチャレンジしたと思ってます
昔私はロックもフォークも両立して聴いていた。(そういうことは珍しくなかった。)で、当時フォークの人気者、南こうせつがソロになって発表した「帰り道」というアルバムを聴いて、サウンドのアンサンブルに感動。アレンジ、演奏に携わっていたのが、シティポップの源流と言うべきティン・パン・アレー系のミュージシャン、細野晴臣、鈴木茂、佐藤博、林立夫といった錚々たる顔ぶれだったのです。そりゃ音も気持ち良いわけだ。
ウォークマンの登場やカーオーディオの進化などハード面の変化もシティポップと切っても切り離せない要因では。家で独りで聴く音楽だけでなく、外でデートでドライブで聴くのに適した音楽が必要とされ始めた時代だね。
そこら辺は達郎さんも「FOR YOU」の自筆ライナーで触れてますね 「オーディオとしてのクオリティを保ったまま音楽を持ち運べるようになった」と
サザエさんのオープニングって筒美京平が作ってたんだ😮モータウンから影響を受けているからこそ、マッシュアップされてRUclipsでバズるのかな尾崎紀世彦から、あややとぅーやーまで息が長過ぎる。邦楽史上最高の天才の1人ですね
筒美京平が凄いのは好きな歌謡曲、あれもこれもそれもどれも筒美京平?と知ってびっくりする、のみならず、井上陽水が久しぶりに陽水らしい良い曲作ったなあ~と感心するとなんと筒美京平作だった、とびっくり。
サザエさんのOPは、TV ver.では流れない間奏部分が素晴らしい。
高齢アニメファンなら知らない人はいない「ガンバの冒険(1975)」というアニメ、ある回に山小屋で一人住む青年が出てくるのですが、彼の小型ラジオから流れているのがシュガーベイブの「風の世界」。スタッフに好きな人がいたんだろうなと思います
シティポップの原型は、師弟ポップからだったのですねw鈴木英人のイラストを見るとカフェバーを思い出します。
2019年のNHKの番組で、山下達郎氏はプロデュースした竹内まりや氏の作品を、シティー・ポップとは言わず、「どなたでも楽しめるミドル・オブ・ロード・ミュージック」と言ってたのが面白かった。確かに「プラスティック・ラブ」の頃はまだ、シティーポップという言葉はなかったし、AORという言い方も確立されてなかった。
シティ・ポップ(当時はニューミュージック)の走りといえば、やはりユーミンを外せないでしょう。73年の「ひこうき雲」はハッピーエンドを解散した細野晴臣と鈴木茂(+松任谷正隆、林立夫)がバック。ヒットはしなかったけど、何か今までとは違う新しい音楽(それこそニューミュージック!)だなあと思ったものです。75年にかけての3枚のアルバムは、ちょっとオシャレで、だけど男に媚びない女の子の心情を自分の言葉で歌にしたという点で、画期的でしたね。あと、CMのタイアップで言えば、大滝さんの73年からの三ツ矢サイダーのシリーズ。シュガーベイブもバックコーラスで参加していて、おしゃれで都会的なサウンド。今でも大好きです。
前の動画をご覧になられたら良いと思います
Dr.ドラゴン&オリエンタルエクスプレス個人的にはフュージョン色が強いなと思いながら聴いてます!山下達郎さんの2ndアルバム「SPACY」こそCITY POP感が満載して好きです!次回フュージョン特集よろしくお願いします🙇
サザエさんの歌、何気にカッコいいよな〜と思っていたのですが、理由があったんですね(笑)納得♪
9:3370年代後半から80年前後に形作られたシティポップを, 「豊かな消費社会への憧れ」と形容するのはいいかもしれないけど, 「高度経済成長のサウンドトラック」というのは, 経済史的にも社会学の通説的にも相当変だと思いますぜ。ブレトン・ウッズ体制の崩壊('71), 第1次オイルショック('73)で高度成長は終わって, そこからしばらくして80年代の消費社会が...というのがよく言われてることなんじゃないの?
全くその通りだけど、みのの「高度経済成長」という言葉への理解が低い故に思いつきで出てきた言葉で、多分そんな深い意味は無いと思う擁護するわけではないけどね
筒美さんは天才ですね!❤
天才なのに、他の演歌・歌謡曲作曲家よりも沢山ヒット曲だしてるのに何故か、先生扱いされてない
City popの再発見に至る経緯ですが、日本で初音ミクとボカロpがアングラな活動を始めていた頃、海外でも似たような事を初音ミク無しで行われていて、その行き着いた先のアングラな音楽がcity popに似ていた。そこから、動画主の説明するような流れになった。と、言うような説明をされている方が居ました。決して、RUclipsが勝手に流行らせたという訳では無いようです。
ある歌い手さんの新曲を聴いてなんだろう心の奥底を掴まれるエモい感じがして理由が知りたくてディグりまくっていたらシュガー・ベイブにたどり着きました!その歌い手さんがシュガー・ベイブを知っているかは分かりませんが音楽って繋がってるんだなーと実感。今の音楽も、50年近く前の音楽もどちらもステキですね
この❤派生で海外を目指した日本のアーティストの話を掘り下げてほしい。サディスティックミカバンドや矢沢永吉だけでなく、山下達郎や佐野元春、ゴダイゴ、PINK等、今となっては面白い話が沢山あります。
70年代邦楽に最も影響を与えたのは間違いなく西海岸の音楽。当時隆盛をきわめた「ニューミュージック」勢はみんな西海岸を見てました(実は歌謡曲もだが)だからほんとはニューミュージックは総じてシティポップ化していったというのが真実。まあ早ければ76年(風「Windess Blue」、丸山圭子「黄昏めもりい」)あたりから〜79年ぐらいまでどんどんシティポップに傾斜 イルカ「植物誌」はLA録音でザ・セクション参加、ばんばひろふみ「COAST」はジェイ・グレイドン参加これもLA録音、歌謡曲系では山口百恵さん、野口五郎さんもLA録音、枚挙にいとまがありません。つまりあまり一般にシティポップと思われてないアーティストも含めてシティポップ化していたのです-----一億総シティポップ化現象です。
2つ目のハードルですがキャロルや大瀧詠一は、「コンセプチュアルな作品」を「コンセプチュアルなキャラクター」に置き換えたのではないでしょうか。その方が全てにおいて分かりやすい、と言う判断をしたと思います。
山下達郎とか竹内まりやみたいなレトロ?なシティポップも良いけど、自分はSuchmosみたいな近代的なシティポップが大好き。まだ勉強し始めたばかりだけど、Suchmosが影響を受けた音楽もたくさん聴きたい。
Suchmosはネオシティポップなので、ここで取り上げたような「シティポップ」とは名前が似ているだけの別物ですよシティポップの源流は皆さんご指摘の通り西海岸サウンド(特にLA)メインですが、ネオ〜の方は渋谷系が源流にあります
サチモスは90年代前半のアシッドジャズとかオルタナがベースのミクスチャー山下竹内夫妻や松任谷夫妻直系はキリンジや片寄明人やヒトミトイや中村佳穂あたりだと思う
動画あげてくれてあざした達郎
ヒプノシス、ロジャー・ディーンあってこそのプログレッシヴ・ロック永井博、鈴木英人あってこそのシティ・ポップそう思います。
珍しく今回の内容は薄かったです。もうちょっと突っ込んで話して貰いたかった。
私がはじめて日本の音楽に洋楽を感じたのは翼をくださいの村井邦彦さんかな?今考えれば日本ではじめてノンダイアトニックコードを使用したヒット曲じゃないかなとおもいます。
シティポップて言葉は近年に、海外から再評価されるようになってから敢えてカテゴライズさせる為の造語でしょまあ、しっくりは来るが、歌謡曲風味の曲まで何でもかんでもシティポップ括りにするのはちと無理があるな、と思ったりする
個人的には、吉田拓郎のバックバンド愛奴の「愛奴」、鈴木茂サン参加の吉田拓郎「大いなる人」、やまがたすみこ「FLYING」、吉川忠英サン参加の古井戸「side by side」を聴いた時、フォークでもロックでもブルースでもない新しいジャンルだなぁ。と感じました。今にして思えば、フォーク畑から派生したCITY POP風だったのかな?1977〜1978頃でした。
80年代初めのシティポップの方法論って、目指す対象が違うだけで90年代のビーイングとおなじだったのかなって思った。めっちゃ嫌がられそうなハナシだけど。そのうち「アルゴリズムのきまぐれ」でビーイング系が全世界で「来る」ようなことになったらどうしよう笑
リアルタイムで聴いていた世代です。みのさんもちょっと触れてましたがCMに多用された事がこの分野の形成に大きく影響したと思います。当時は欧米の風景に欧米の音楽使うCMが当初多かったのですがそれに負けない演奏、楽曲をできる日本のアーティストを徐々に使うようになり、それが達郎だったり大瀧さん、またフュージョン系のジャズミュージシャンだったりしてました。その意味でフォーク勢や歌謡曲勢と全く違い煌びやかではあったのですが、一方でなにか職人的な感じがあり、それが元で技術面は認めても一部からは"所詮パクリ"みたいな批判もありました。今この時代に注目されるようになったのは、やっとそんなわだかまりが無くなって純粋に楽曲を楽しめる環境になってきたのだと思います。
次は来生たかお、尾崎亜美あたりのシンガーソングライター兼作曲家が流行ると思われます。
シュガー・ベイブのニューミュージックって云うのは後のものと違って文字通り「新しい音楽」だったんじゃないですか😄
16:45 〜あたりの分析についてはボカロの世界でも似たようなことが言えると思っていて、自分の作った楽器を自分で歌うか誰かに提供するかという2つの選択肢の中に新たに第3の選択肢としてそれが出てきたと言えると思う。特にボカロの場合は実際に歌ってるのはボーカロイドでありながら、フィーチャーされることが多いのは楽器を作った人間であるという点で自作自演にも楽器提供にもない特徴があると言え、そう言った視点でボカロ出身のアーティストが作った楽器を捉えてみると面白いのではと考えている。
前回から思ったんだけど、サディスティック・ミカ・バンドに触れてないのが残念。日本のドメスティックな部分を残しつつ、最先端の音作りしてた稀有なバンドなのに。レゲエとかチョッパーベースをいち早く取り入れてた。
あれはシティポップの枠組みに入らないから敢えて触れてないだけだと思いますよ構成メンバーがのちにシティポップにも関わることになるのは確かですけど
サムネ段階で売り上げ的にはヤマタツには及ばないが角松が話題に挙がるかと期待していたが、筒美さんに😂筒美作品シティーポップ枠だけじゃ語れない。80年代アイドル黄金期の屋台骨の松本-筒美の功績は偉大なのは間違いないけど。
筒美京平の立ち位置は海外だとバートバカラックとかじゃない?
それ一瞬思いましたが、バカラックは表にも出るんで、少し違うかなと。後はクインシージョーンズはとも、でもちょいピンとこず。
シティポップとAORが好きだな〜
くすりをたくさんを初めて聴いた時は衝撃的だったww
アメリカなんかで筒美さんほどのヒット曲を書いた人っているのかなぁ?
それこそ80年から100年くらい前までは沢山いましたね。ミュージカル作家として。ジョージ・ガーシュイン、ハロルド・アーレン、ジェローム・カーン、コール・ポーター等々
このシリーズと別でいいのですが佐野元春を掘り下げて欲しいです。
サザンハーモニー、私も好きです。
次のアルバムのモリカも良き
楽曲にイデオロギー性が無いのがいいよね。社会がずっと安定していたからこそかもしれない。
もうやっていたら大丈夫なのだけれど、ナゴムレコードに関しての動画を出してほしい。
筒美京平さん大好きです
シティー・ミュージック(ポップでは無い)の最初は布施明作詞作曲の窓を開ければ(1974)です。大橋純子のペイパームーン(1976)シンプル・ラブと続き大橋純子がシティ・ミュージックをけん引します。深町純が関係しています。つまりはっぴいえんどまったく関係ないと思います。筒美京平は1976年作曲家10周年に方向転換しかなりのチャレンジをします。スリーディグリーズの曲提供で細野晴臣と共に録音しその関係で日本のポップを二人が認識しイエローが生まれたと云ってもいいです。しかしシンセの登場で譜面にドラムのオカズまで書き込むアレンジの筒美が音色を書き込めなかったからスランプに。そして編曲を辞め若手に任せます。
midnight train大好き
優れた作家は音楽に限らず自分の制作物に関する哲学やこだわりなどの「縛り」を持っており、その縛りを守ることで個性的で高度な創作に繋がったと思う。「縛り」は幅の狭いものではなく、たくさんの作品を見聞きし知識を得た「自分なりの表現の流儀」のようなものだ。シティ・ポップはそういった「自分なりの表現の流儀」を持ったものたちが、自分以外の人たちのために職業作家として創作することを始めたのが源流になっているように思う。大瀧詠一による太田裕美や山下達郎や佐野元春、細野晴臣らによる松田聖子、松任谷正隆によるユーミンなど、楽曲の提供からプロデュースまでをそれまでの「自分なりの表現の流儀」から解放され、その高い知識と技術力でトータルに支えることでそれまでの歌謡曲の世界からワンランク上のシティ・ポップと呼ばれる作品群の潮流が生まれたのだと思う。シティ・ポップと重なるようにニューミュージックという流れもあるがフォークソングをベースにした作品群も多く、それらもフォークシンガーのソングライティングの力量だけでなく、1960年代後半のグループ・サウンズ時代に活躍した星勝などのプロデュースによる編曲やソングライティングに関する厳しい指導があってこそ質の高い作品群が生まれた、井上陽水や安全地帯なども星勝による支えの賜物だろう。筒美京平・大瀧詠一・細野晴臣・星勝に限らず、スキヤキソングの中村八大のような職業作家も存在しており、優れた楽曲にはアーチストの創作だけではなく背景には必ず優れたプロデューサーや編曲家やスタジオミュージシャンらが存在し、彼らがいなければ優れた楽曲は生まれないといっても過言ではないだろう。ビートルズでさえ天才と呼ばれる才能を持ってしても、ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックは不可欠だった。優れた職業作家のプロデューサーや編曲家は若い時代から多くのジャンルの音楽に接し、膨大な時間をその歴史や背景を学び徹底的な反復練習に勤しむことに費やすことで、知識と技術と経験を獲得した。彼らに共通するのは「温故知新」の精神だ。古きを尋ね新しきを知る・・若い人らには音楽に限らず、すべてのジャンルにおいて好奇心と共に「温故知新」の精神で挑戦してほしいと思う。みのミュージックさん、いつも楽しい配信をありがとう。長文失礼しました。
はっぴいえんど勢の名前を出すんだったら大滝細野よりも鈴木茂がLAGOON(1976)でもろにシティポップに近いことやってるでしょ。
スペクトラムやゴダイゴ、子門正人さんとかをどう評価するのか
みのさんは大瀧詠一の分母分子論を読んだ方がいいと思う。
海外にはテイラー・スウィフトやケイティ・ペリーに曲を提供しているマックス・マーティンとか。
大瀧詠一はオールディーズというよりも全部ビーマイベイビーを憑依させている。出前一丁から冬のリビエラまで全部同じビーマイベイビー。
困った問題なんだよね「シティポップ」問題。基本はウエストコースト系の音楽。まあこれはわかる。しかしDISCOも入ります、ボサノバも入ります、フィリーソウルもサルソウルもフュージョンもです。バーバンクもです。みたいな感じでとりあえずシティポップって言っとけばいいという風潮
吉田美奈子の最初のプロデューサーは村井邦彦で、その後、”Twilight Zone“では、山下達郎と吉田美奈子の共同プロデュースです。
早速MISIAの「SWEET PAIN」聴きに行ったら、編曲はかの松井寛氏でした。個人的には、実に興味深いことでした。
大瀧さんと細野さんと松本さんでJPOPの源流になりますね。商業的な成功のスキームを作ったという意味でも。
細野さんや松任谷正隆さんらが結成したキャラメル·ママがアグネス·チャンの「ポケットいっぱいの秘密」でバックを演奏したのがエポックメイクでしたね。松本隆の商業向け作詞の始めでもありました。歌謡曲とニューミュージックの融合。
それならアグネス・チャンのコンサートや南沙織のレコーディングに関わったムーンライダーズの存在も割と重要かな。
1980年前後に「シティポップ」なんて言葉、あったかねー...全然記憶ないね。「都会的」ってホメ言葉はあったけどね。何だそれって感じではあった。それに「シティポップ」の「再来」は、サンプリングアーティストが盛大に取り上げたからじゃないの? RUclipsで盛り上がったのはその結果で、全然リスナー主導ではないっしょ? ちなみにアーティストなら世界中の音楽の勉強してるのは当然だ。
キタ━(゚∀゚)━!
はっぴいえんどがやっていたBuffalo Springfieldなんかの志向は主に細野さんのもので、彼はStephen Stillsの影響が大きい。で、大瀧さんはPhil SpectorやBeach Boysがルーツなんでまああまり合わなかったのも当然かなと。はっぴい解散後に同じルーツの山下さんらとナイアガラでの活動をするんだけど、それまでの日本では馴染のないオールディーズ(平尾昌晃らのウエスタンカーニバルなどはあったが)を日本で定着させていくのはここからで、この後ニューミュージックがこの流れになっていくという感じです。
だがしかし、ナイアガラから達郎さんが巣立っていくと、「メロディ系は達郎に任せた」とばかりに、大瀧さんはニューオリンズや南米由来の干からびるほどカラッカラのリズム系に傾倒していきます。
一部で有名ですが、サザエさんのエンディング(サザエさん一家)も筒美さんの作曲ですが、そっくりな曲があったという話。1968年に1910Fruitgum Companyという長ったらしい名前のグループが発表したBubble Gum Worldという曲。知らない人は聞いてみて下さい。サザエさんはその翌年発表なので、明らかにパクリですよね。でも筒美さんはレコード会社の洋楽ディレクターだったので、こういうケースは他にもあるんです。探してみるのも面白いかも。
Andy WilliamsのMusic to watch girls byのイントロが小川知子の「誰も知らない」にそっくりなのを思い出しました。
個人的には、シティポップは海外AORのガラパゴス進化?だと思います。1980年前後の歌謡曲は、とにかく洋楽のパクりが多くて(作曲というよりアレンジのせいだと思うが、)イントロがほぼ同じ、とか間奏の間にねじ込む、などで聞かなくなったが、ニューミュージックの人達は良い所も取り入れながら独自の進化をして行った感じがします。
山下達郎をシティポップのミュージシャンって言い方するのなんだかしっくり来ない…🤔
というかシティポップって言葉がほんとに80年代から使われてたのかが気になるシティポップって呼ばれてリバイバルが起きてる事に対して「80年代に言って欲しかった」的なこと言ってたのをどっかで見たような気がする、、、
そのような呼称は当時まったく無かったです。「シティポップ」というのは今世紀に入って外国の人が使い出したのではないかな。
@@JoeJack2much4me コメントありがとうございます!やはりそうだったんですね好きなりに当時の情報色々見て調べて来たつもりで「うーんシティポップ?」ってなってたので当時をご存知の方がお言葉くださると納得です。
シティポップってなんか都合のいい言葉ですね。車で言えばSUVみたいな、違うかw
いわゆるシティポップ的な音楽がたくさん出てきたことは、アメリカのポップス界の流行の反映でしかないよ。簡単な話。そりゃその背景は?みたいな話ならいくらでも話せるが、そんなのは後付けの屁理屈でしかない。世の音楽ライターの皆さんの仕事がそれだとしたならば、そんな戯れ言はもうお腹いっぱいなのよ
当たり前のように使ってるけどシティポップの定義って? 誰に訊いても違う答えが返ってきそうだけど。
ダフトパンク〜Futurefunkが参照してる音楽
Dr.ドラゴン知らなかったです😮
ハッスルジェット(浅野ゆう子)も好き。
RIDE ON TIMEのネタ元、知りたいな。
筒美京平から武部、萩田、船山 そこから大村らが育っていって豊かな音楽を作ってくれた
尊敬する筒美さんも、本田美奈子にはプリテンダーズをパクってた❗
CCB 筒美京平
シティポップという言葉自体、それ以前のニューミュージックという言葉が使い古され、新しい宣伝の為の言葉として当時のレコード会社が作ったものでジャンルでは無いし正直中身は無い。その後はJ POPになっただけで、ニューミュージックもシティポップもJ POPも全てレコード会社が宣伝の為に作った謳い文句なだけで、既存の歌謡曲と言われていたものに対して、洋楽ベースの新しいオシャレな音楽だとアピールするだけの宣伝の為だけの言葉だし、当時のミュージシャンはシティポップという言葉やシティポップと括られる事が嫌だと言っている人も多い。
伊勢正三
リアルタイム体験は金なんでもっともらしいこのての後追い通史に惑わされなくても修正する必要もないと思うよ。いちようおすすめは、節目節目で聞き返してんでこんなもんに夢中になってたのかとか。当時は良いと思わなかったものが良く聴こえるとか。再発見や更新の機会があればいいけどね。今はいい時代。このての通史かつ後追いはサラッと聞き流すか耳にいれないくらいでいいと思うよ。自分のリアルタイム体験が尊いんです。リアルタイムでアングラだった歌手やバンドはそのアングラの認識で正しいので。それが仮にシティポップの始祖とされる一派であっても過剰に持ち上げる必要もないし、あたかも確立米国ロック史みたいに当時のアングラみたいなもの中心に邦楽史を語ってみても、米国とちがって当時の日本人のごく一部のあいだに知られたもので構成されると、似て否なるものになっちゃうんだな。はぴいえんどシュガー・ベイブなんか当時国民の数百人にひとりも知らないレベルの知名度つまり首都圏関西大学生あたり向けアングラだったのはたぶん間違いない事実で。世代の継承で語るぶんには便利だけど。流行歌とか大衆への伝播がおうおうにして抜け落ちるから。結論はリアルタイムにまさるものなし。当時のひと(当時学生や20代)に聞くのがいちばん。知ってる人と知らない人(洋楽オンリー系)と一般的な中央層と最低3パターン混在してないと意味ないな。
ここでマックス・マーティンの名前が出て来ないのはダメでしょアリアナの新作でまたヒット出してる
大瀧詠一のアルバムは売れない時代のもコンセプトアルバムじゃない?音頭とかカレンダーとか。
そういえば大滝師匠のアルバムは多羅尾伴内楽団名義のも含めて、全てがそうだ。
この流れで村井邦彦について触れて欲しかった
今だにニューミュージックと認識していますが伝わらないので妥協してシティポップと言うしか無い心の葛藤😅
ニューミュージックって言っちゃうと射程範囲が広くなりすぎるからじゃないかな泉谷しげるとかTMネットワークまで入れちゃう人が居ますからね😊
@@abyssoftokyoニューミュージックってユーミン後のフォーク以外の総称だと思ってたけど、泉谷は違うんじゃない?
@@shimshimshim5123 フォーライフ関係は全部ニューミュージックって思ってる人いるでしょそれから非歌謡曲は全部ニューミュージックと思ってる人
ニューミュージックとシティーポップを混同する人がいます。経年につれ定義が変化してきた感もあるのかと思いますが、フォークの延長線上ではなくレアグルーヴの延長線上、グラブカルチャーの延長線上にあるものが本来の定義かと思いますね。そして楽曲はファンキーです。この文化は完全なる逆輸入です。レアグルーヴは掘り尽くされて飽和していたことと日本人アーティストのヴァイナルが現在とは違いとても安価で手を出しやすく探しやすかったことが海外でジワジワと人気が出た要因かと。あと海外の人からすると日本語のヘンテコな響きなどが面白い訳です。極東のアジアンが本格的な猿真似をしていることが面白いのです。例えが合っているかわかりませんがオマリーがリリースしている六甲おろしを真剣に聴く阪神ファンはいません。それと同じで海外の人が聴いて面白いのです。要するにシティーポップはシャレです。
私的にはナイアガラレコードを聞く前にBe My Babyなんかのウォールオヴサウンドをよく聞いていたので、あっこれ、もろパクリ?と思いました。当時の日本ではまだこんなサウンドはなかったので、ようやく出てきたかと、嬉しかったですが。
個人的には日本の80年代は、「はっぴぃえんど」の細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏に共鳴する坂本龍一氏、山下達郎氏、大貫妙子氏、吉田美奈子氏、矢野顕子氏、竹内まりあ氏、鈴木雅之氏等がメインストリーム、という印象かな~。自分の場合、これにRCとJ,L&Cがあれば、お腹一杯だったw後は、洋楽で SteelyDanとDonaldFagenがあれば、まあ時間が足りないぐらいだったwただ、他にもメジャーどころではユーミンやサザン、高中正義氏、CASIOPEA他、YAMAHAポプコン出の「ニューミュージック」のミュージシャン達もたくさんいて、四畳半フォークの生き残りの人達やいわゆる歌謡曲、アイドルもまだまだ元気で、音楽的には豊穣な時代だったんだろうね~。
シラケ世代の更にその子供世代だけど、リアルタイム世代に聞くとシュガーベイブらへの風当たりはかなり強かったと聞きます。90年代後半からは特にシティポップはダサさの権化として扱われた氷河期を経て、ようやく正当な評価を受け始めた。50年、時代を先取りしていたことになりますね…恐ろしい。 そしてその氷河期にシティポップを取り入れていたキリンジの先見の明 笑
大瀧詠一のアメリカンポップス回帰はCarpentersの"Now and Then"が日米でバカ売れしたのが大きな影響があったと思う。
シティーポップっていう「流行を作り出す為のキャッチフレーズ」みたいなジャンルは好きじゃないけどね。
70年代でシティポップに近い音を作ってた人すごいと思う
シティポップw
今年還暦なんだがシティーポップって言葉、このチャンネルで聞くまでそんなに聞いた覚えないんだよね。自分的には当時オシャレポップ、リゾートミュージックって呼んでいた。曲のタイトルがxxxアイランド、xxxウィンドウ、xxxモーニング、サマーxxx等そんなのばっかりで自分的には食傷気味であった。自分はこの辺の音楽は敵視してたよな。だって嫌いなんだもん。
あなたはどんな音楽が好きなんですか?
@@leoak1138 海外のミュージシャンはきりがないので日本のミュージシャン限定で好きなミュージシャンはYMO、ムーンライダーズ、ルースターズ,じゃがたらこの辺が軸ですね。最近は山本精一をよく聞いています。日本、海外ジャンル関係なく自分に刺さる音楽なら何でも聞きます。
当時を知る方のそういう感覚は実に正しいのだろうと思います柴崎祐二さんの「シティポップとは何か」という本に詳しく書かれていますがシティポップという言葉(当時はシティ・ポップスと呼ばれることが多かった)はリスナー側よりもレコードを売る側が商業的要請に基づき使い始めたもので、それが指すものも甲斐バンドや長渕剛まで入るなど現在の「シティポップ」とはかなり違う意味合いのものであったようです
@@naokisan131 自分的な括りですけど細野晴臣を中心に鈴木慶一、山下達郎、忌野清志郎等、1950年前後生まれの東京出身ミュージシャンのネットワークを東京派、東京ローカルと自分は認識してます。その周辺のミュージシャンのアルバムクレジットを見るとみんなつながりが濃いように思う。ロック、シティポップ、ニューウェイヴ、テクノ、ジャズ、フュージョンとかジャンル関係なく東京ミュージックで括りたくなります。
私も70年代から音楽聴いていますが'シティポップ'という言い方はつい最近まで聞いた覚えがないので昔を振り返ってできた最近の言葉だと思ってました
アフロ版吉沢亮
もうええてー
だからポールみたいな服なのかな?
筒美京平は他者に編曲を委ねるようになっても、イントロとかはすでに仕上がってると武部聡志が言ってましたね。
サザエさんのOP/EDの素晴らしさに最近になって気付いたのですが、そうっか、筒美京平さんでしたか。エンディングの歌詞とか、大きな空から皆の声へと上から下への視線誘導が実は凄いんじゃ無いかと思ったのです。
ダウンタウンに繰り出そう〜♪あの曲好き😊
ひょうきん族で毎週聞いてたね。
@@木倉谷哲也ひょうきん族で流れてたのはEPOがカバーしてたやつですね
シュガーベイブ自体の知名度があまりなかったせいで、世間的にはdowntown=EPOのデビュー曲ってイメージが強いと思います
オフコースのソフトロックからファンク、AOR、ディスコ等々にいく流れも入れて欲しかったです😢
今で言うシティポップは当時はホットドッグプレスやポパイ等の「流行に乗りたくて仕方ない若者」向け雑誌で持て囃されていた印象があります(偏見)。逆張り捻くれ洋ロック小僧には無縁な音楽でしたね。
一方で同時期に発売された全曲筒美京平作曲による岩崎宏美の「Wish」は大好きで聴きまくっていました。
今回の動画で一緒に取り上げられていて興味深く視聴させて頂きました。
シティポップにもブームが完全に去った頃を見計らって向き合ってみたいと思いました。
山下達郎は「クール」なシティ・ポップというより、ホットな「限りない情熱」というのが彼の本質だと思う。
彼のライブは「どのくらい激しく歌う事ができるか」がテーマだったような気がする。
ミノさんの主張にはいつも通り、ほぼ同意しますが「シティポップという言葉は’70年代後半に登場して’80年代に一般化した」ということに関しては全く同意しかねます。それは言葉がではなくて、そういった音楽の登場と一般化がその時期であったということです。
自分は既にその当時、熱心な音楽ファンだったし音楽誌もけっこう読んでいましたから、自信を持ってそう言えます。
「シティポップ」という呼称は今世紀に入ってから外国の人たちが使い出したのではないでしょうか。
まぁいずれにせよ、あまり好きな呼称ではないですね。でも当時の呼称「ニューミュージック」よりかは、音楽性をある程度よく表している分、マシかなとは思います。
そうですね「テクノポップ」は浸透していましたけど、「シティポップ」(あるいは「シティポップス」)というワードは一部の雑誌などや、レコード会社が宣伝に使用したりはしてたようですが一般的ではありませんでしたね。2002年の木村ユタカ(著)『ジャパニーズ・シティ・ポップ』あたりから遡及的/回顧的な見方としてつかわれ出したのではないでしょうか。後付け。
@@zs9811シティ・ポップという言葉が同時代に存在しなかったのはその通りだ。おまけに、RUclips で盛り上がったのはサンプリングアーティストが繰り返し取り上げたおかげであって、ミノ氏のいう「リスナー主導」では全然ない。というわけでミノ氏の歴史把握はだいぶずれてる。アーティストは世界中の音楽を聞いてる。勉強しなきゃ落ちこぼれる。今でもJASRACでは学者・研究者を招いて世界の音楽の講演会などやるそうだ。そもそも批評家はアートしない分音楽家より遥かに系統的に勉強してなきゃイカンでしょ。
敢えてあげるなら筒美京平が近いのはバート・バカラックかな?
職業作曲家と聞いて真っ先に思い浮かぶな。
自分もそう思います!
筒美さんがMISIAに、しかもアシッドジャスなミックスで楽曲を提供していたなんて知らなかった…
本当に幅広いなこの人
綺麗な言語化ですね
サザンオールスターズもステレオ太陽族でアルバム全体でcitypopにチャレンジしたと思ってます
昔私はロックもフォークも両立して聴いていた。(そういうことは珍しくなかった。)で、当時フォークの人気者、南こうせつがソロになって発表した「帰り道」というアルバムを聴いて、サウンドのアンサンブルに感動。アレンジ、演奏に携わっていたのが、シティポップの源流と言うべきティン・パン・アレー系のミュージシャン、細野晴臣、鈴木茂、佐藤博、林立夫といった錚々たる顔ぶれだったのです。そりゃ音も気持ち良いわけだ。
ウォークマンの登場やカーオーディオの進化などハード面の変化もシティポップと切っても切り離せない要因では。
家で独りで聴く音楽だけでなく、外でデートでドライブで聴くのに適した音楽が必要とされ始めた時代だね。
そこら辺は達郎さんも「FOR YOU」の自筆ライナーで触れてますね 「オーディオとしてのクオリティを保ったまま音楽を
持ち運べるようになった」と
サザエさんのオープニングって筒美京平が作ってたんだ😮
モータウンから影響を受けているからこそ、マッシュアップされてRUclipsでバズるのかな
尾崎紀世彦から、あややとぅーやーまで息が長過ぎる。邦楽史上最高の天才の1人ですね
筒美京平が凄いのは好きな歌謡曲、あれもこれもそれもどれも筒美京平?と知ってびっくりする、のみならず、井上陽水が久しぶりに陽水らしい良い曲作ったなあ~と感心するとなんと筒美京平作だった、とびっくり。
サザエさんのOPは、TV ver.では流れない間奏部分が素晴らしい。
高齢アニメファンなら知らない人はいない「ガンバの冒険(1975)」というアニメ、ある回に山小屋で一人住む青年が出てくるのですが、
彼の小型ラジオから流れているのがシュガーベイブの「風の世界」。スタッフに好きな人がいたんだろうなと思います
シティポップの原型は、師弟ポップからだったのですねw
鈴木英人のイラストを見るとカフェバーを思い出します。
2019年のNHKの番組で、山下達郎氏はプロデュースした竹内まりや氏の作品を、シティー・ポップとは言わず、「どなたでも楽しめるミドル・オブ・ロード・ミュージック」と言ってたのが面白かった。確かに「プラスティック・ラブ」の頃はまだ、シティーポップという言葉はなかったし、AORという言い方も確立されてなかった。
シティ・ポップ(当時はニューミュージック)の走りといえば、やはりユーミンを外せないでしょう。73年の「ひこうき雲」はハッピーエンドを解散した細野晴臣と鈴木茂(+松任谷正隆、林立夫)がバック。ヒットはしなかったけど、何か今までとは違う新しい音楽(それこそニューミュージック!)だなあと思ったものです。75年にかけての3枚のアルバムは、ちょっとオシャレで、だけど男に媚びない女の子の心情を自分の言葉で歌にしたという点で、画期的でしたね。
あと、CMのタイアップで言えば、大滝さんの73年からの三ツ矢サイダーのシリーズ。シュガーベイブもバックコーラスで参加していて、おしゃれで都会的なサウンド。今でも大好きです。
前の動画をご覧になられたら良いと思います
Dr.ドラゴン&オリエンタルエクスプレス個人的にはフュージョン色が強いなと思いながら聴いてます!
山下達郎さんの2ndアルバム「SPACY」こそCITY POP感が満載して好きです!
次回フュージョン特集よろしくお願いします🙇
サザエさんの歌、何気にカッコいいよな〜と思っていたのですが、理由があったんですね(笑)納得♪
9:33
70年代後半から80年前後に形作られたシティポップを, 「豊かな消費社会への憧れ」と形容するのはいいかもしれないけど, 「高度経済成長のサウンドトラック」というのは, 経済史的にも社会学の通説的にも相当変だと思いますぜ。
ブレトン・ウッズ体制の崩壊('71), 第1次オイルショック('73)で高度成長は終わって, そこからしばらくして80年代の消費社会が...というのがよく言われてることなんじゃないの?
全くその通りだけど、みのの「高度経済成長」という言葉への理解が低い故に思いつきで出てきた言葉で、多分そんな深い意味は無いと思う
擁護するわけではないけどね
筒美さんは天才ですね!❤
天才なのに、他の演歌・歌謡曲作曲家よりも沢山ヒット曲だしてるのに何故か、先生扱いされてない
City popの再発見に至る経緯ですが、
日本で初音ミクとボカロpがアングラな活動を始めていた頃、海外でも似たような事を初音ミク無しで行われていて、
その行き着いた先のアングラな音楽がcity popに似ていた。そこから、動画主の説明するような流れになった。
と、言うような説明をされている方が居ました。決して、RUclipsが勝手に流行らせたという訳では無いようです。
ある歌い手さんの新曲を聴いて
なんだろう心の奥底を掴まれるエモい感じがして
理由が知りたくてディグりまくっていたらシュガー・ベイブにたどり着きました!
その歌い手さんがシュガー・ベイブを知っているかは分かりませんが
音楽って繋がってるんだなーと実感。今の音楽も、50年近く前の音楽もどちらもステキですね
この❤派生で海外を目指した日本のアーティストの話を掘り下げてほしい。サディスティックミカバンドや矢沢永吉だけでなく、山下達郎や佐野元春、ゴダイゴ、PINK等、今となっては面白い話が沢山あります。
70年代邦楽に最も影響を与えたのは間違いなく西海岸の音楽。当時隆盛をきわめた「ニューミュージック」勢はみんな西海岸を見てました(実は歌謡曲もだが)だからほんとはニューミュージックは総じてシティポップ化していったというのが真実。まあ早ければ76年(風「Windess Blue」、丸山圭子「黄昏めもりい」)あたりから〜79年ぐらいまでどんどんシティポップに傾斜 イルカ「植物誌」はLA録音でザ・セクション参加、ばんばひろふみ「COAST」はジェイ・グレイドン参加これもLA録音、歌謡曲系では山口百恵さん、野口五郎さんもLA録音、枚挙にいとまがありません。つまりあまり一般にシティポップと思われてないアーティストも含めてシティポップ化していたのです-----一億総シティポップ化現象です。
2つ目のハードルですがキャロルや大瀧詠一は、「コンセプチュアルな作品」を「コンセプチュアルなキャラクター」に置き換えたのではないでしょうか。
その方が全てにおいて分かりやすい、と言う判断をしたと思います。
山下達郎とか竹内まりやみたいなレトロ?なシティポップも良いけど、自分はSuchmosみたいな近代的なシティポップが大好き。まだ勉強し始めたばかりだけど、Suchmosが影響を受けた音楽もたくさん聴きたい。
Suchmosはネオシティポップなので、ここで取り上げたような「シティポップ」とは名前が似ているだけの別物ですよ
シティポップの源流は皆さんご指摘の通り西海岸サウンド(特にLA)メインですが、ネオ〜の方は渋谷系が源流にあります
サチモスは90年代前半のアシッドジャズとかオルタナがベースのミクスチャー
山下竹内夫妻や松任谷夫妻直系は
キリンジや片寄明人やヒトミトイや中村佳穂あたりだと思う
動画あげてくれてあざした達郎
ヒプノシス、ロジャー・ディーンあってこそのプログレッシヴ・ロック
永井博、鈴木英人あってこそのシティ・ポップ
そう思います。
珍しく今回の内容は薄かったです。もうちょっと突っ込んで話して貰いたかった。
私がはじめて日本の音楽に洋楽を感じたのは翼をくださいの村井邦彦さんかな?
今考えれば日本ではじめてノンダイアトニックコードを使用したヒット曲じゃないかなとおもいます。
シティポップて言葉は近年に、海外から再評価されるようになってから敢えてカテゴライズさせる為の造語でしょ
まあ、しっくりは来るが、歌謡曲風味の曲まで何でもかんでもシティポップ括りにするのはちと無理があるな、と思ったりする
個人的には、吉田拓郎のバックバンド愛奴の「愛奴」、鈴木茂サン参加の吉田拓郎「大いなる人」、やまがたすみこ「FLYING」、吉川忠英サン参加の古井戸「side by side」を聴いた時、フォークでもロックでもブルースでもない新しいジャンルだなぁ。と感じました。今にして思えば、フォーク畑から派生したCITY POP風だったのかな?1977〜1978頃でした。
80年代初めのシティポップの方法論って、目指す対象が違うだけで90年代のビーイングとおなじだったのかなって思った。めっちゃ嫌がられそうなハナシだけど。
そのうち「アルゴリズムのきまぐれ」でビーイング系が全世界で「来る」ようなことになったらどうしよう笑
リアルタイムで聴いていた世代です。
みのさんもちょっと触れてましたがCMに多用された事がこの分野の形成に大きく影響したと思います。当時は欧米の風景に欧米の音楽使うCMが当初多かったのですがそれに負けない演奏、楽曲をできる日本のアーティストを徐々に使うようになり、それが達郎だったり大瀧さん、またフュージョン系のジャズミュージシャンだったりしてました。
その意味でフォーク勢や歌謡曲勢と全く違い煌びやかではあったのですが、一方でなにか職人的な感じがあり、それが元で技術面は認めても一部からは"所詮パクリ"みたいな批判もありました。
今この時代に注目されるようになったのは、やっとそんなわだかまりが無くなって純粋に楽曲を楽しめる環境になってきたのだと思います。
次は来生たかお、尾崎亜美あたりのシンガーソングライター兼作曲家が流行ると思われます。
シュガー・ベイブのニューミュージックって云うのは後のものと違って文字通り「新しい音楽」だったんじゃないですか😄
16:45 〜あたりの分析についてはボカロの世界でも似たようなことが言えると思っていて、自分の作った楽器を自分で歌うか誰かに提供するかという2つの選択肢の中に新たに第3の選択肢としてそれが出てきたと言えると思う。特にボカロの場合は実際に歌ってるのはボーカロイドでありながら、フィーチャーされることが多いのは楽器を作った人間であるという点で自作自演にも楽器提供にもない特徴があると言え、そう言った視点でボカロ出身のアーティストが作った楽器を捉えてみると面白いのではと考えている。
前回から思ったんだけど、
サディスティック・ミカ・バンドに触れてないのが残念。
日本のドメスティックな部分を残しつつ、
最先端の音作りしてた稀有なバンドなのに。
レゲエとかチョッパーベースをいち早く取り入れてた。
あれはシティポップの枠組みに入らないから敢えて触れてないだけだと思いますよ
構成メンバーがのちにシティポップにも関わることになるのは確かですけど
サムネ段階で売り上げ的にはヤマタツには及ばないが角松が話題に挙がるかと期待していたが、筒美さんに😂
筒美作品シティーポップ枠だけじゃ語れない。
80年代アイドル黄金期の屋台骨の松本-筒美の功績は偉大なのは間違いないけど。
筒美京平の立ち位置は海外だとバートバカラックとかじゃない?
それ一瞬思いましたが、バカラックは表にも出るんで、少し違うかなと。
後はクインシージョーンズはとも、でもちょいピンとこず。
シティポップとAORが好きだな〜
くすりをたくさんを初めて聴いた時は衝撃的だったww
アメリカなんかで筒美さんほどのヒット曲を書いた人っているのかなぁ?
それこそ80年から100年くらい前までは沢山いましたね。ミュージカル作家として。
ジョージ・ガーシュイン、ハロルド・アーレン、ジェローム・カーン、コール・ポーター等々
このシリーズと別でいいのですが佐野元春を掘り下げて欲しいです。
サザンハーモニー、私も好きです。
次のアルバムのモリカも良き
楽曲にイデオロギー性が無いのがいいよね。社会がずっと安定していたからこそかもしれない。
もうやっていたら大丈夫なのだけれど、ナゴムレコードに関しての動画を出してほしい。
筒美京平さん大好きです
シティー・ミュージック(ポップでは無い)の最初は布施明作詞作曲の窓を開ければ(1974)です。大橋純子のペイパームーン(1976)シンプル・ラブと続き大橋純子がシティ・ミュージックをけん引します。深町純が関係しています。
つまりはっぴいえんどまったく関係ないと思います。
筒美京平は1976年作曲家10周年に方向転換しかなりのチャレンジをします。スリーディグリーズの曲提供で細野晴臣と共に録音しその関係で日本のポップを二人が認識しイエローが生まれたと云ってもいいです。
しかしシンセの登場で譜面にドラムのオカズまで書き込むアレンジの筒美が音色を書き込めなかったからスランプに。そして編曲を辞め若手に任せます。
midnight train大好き
優れた作家は音楽に限らず自分の制作物に関する哲学やこだわりなどの「縛り」を持っており、その縛りを守ることで個性的で高度な創作に繋がったと思う。「縛り」は幅の狭いものではなく、たくさんの作品を見聞きし知識を得た「自分なりの表現の流儀」のようなものだ。シティ・ポップはそういった「自分なりの表現の流儀」を持ったものたちが、自分以外の人たちのために職業作家として創作することを始めたのが源流になっているように思う。
大瀧詠一による太田裕美や山下達郎や佐野元春、細野晴臣らによる松田聖子、松任谷正隆によるユーミンなど、楽曲の提供からプロデュースまでをそれまでの「自分なりの表現の流儀」から解放され、その高い知識と技術力でトータルに支えることでそれまでの歌謡曲の世界からワンランク上のシティ・ポップと呼ばれる作品群の潮流が生まれたのだと思う。
シティ・ポップと重なるようにニューミュージックという流れもあるがフォークソングをベースにした作品群も多く、それらもフォークシンガーのソングライティングの力量だけでなく、1960年代後半のグループ・サウンズ時代に活躍した星勝などのプロデュースによる編曲やソングライティングに関する厳しい指導があってこそ質の高い作品群が生まれた、井上陽水や安全地帯なども星勝による支えの賜物だろう。
筒美京平・大瀧詠一・細野晴臣・星勝に限らず、スキヤキソングの中村八大のような職業作家も存在しており、優れた楽曲にはアーチストの創作だけではなく背景には必ず優れたプロデューサーや編曲家やスタジオミュージシャンらが存在し、彼らがいなければ優れた楽曲は生まれないといっても過言ではないだろう。ビートルズでさえ天才と呼ばれる才能を持ってしても、ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックは不可欠だった。優れた職業作家のプロデューサーや編曲家は若い時代から多くのジャンルの音楽に接し、膨大な時間をその歴史や背景を学び徹底的な反復練習に勤しむことに費やすことで、知識と技術と経験を獲得した。
彼らに共通するのは「温故知新」の精神だ。古きを尋ね新しきを知る・・若い人らには音楽に限らず、すべてのジャンルにおいて好奇心と共に「温故知新」の精神で挑戦してほしいと思う。みのミュージックさん、いつも楽しい配信をありがとう。長文失礼しました。
はっぴいえんど勢の名前を出すんだったら大滝細野よりも鈴木茂がLAGOON(1976)でもろにシティポップに近いことやってるでしょ。
スペクトラムやゴダイゴ、子門正人さんとかをどう評価するのか
みのさんは大瀧詠一の分母分子論を読んだ方がいいと思う。
海外にはテイラー・スウィフトやケイティ・ペリーに曲を提供しているマックス・マーティンとか。
大瀧詠一はオールディーズというよりも全部ビーマイベイビーを憑依させている。出前一丁から冬のリビエラまで全部同じビーマイベイビー。
困った問題なんだよね「シティポップ」問題。基本はウエストコースト系の音楽。まあこれはわかる。しかしDISCOも入ります、ボサノバも入ります、フィリーソウルもサルソウルもフュージョンもです。バーバンクもです。みたいな感じでとりあえずシティポップって言っとけばいいという風潮
吉田美奈子の最初のプロデューサーは村井邦彦で、その後、”Twilight Zone“では、山下達郎と吉田美奈子の共同プロデュースです。
早速MISIAの「SWEET PAIN」聴きに行ったら、
編曲はかの松井寛氏でした。
個人的には、実に興味深いことでした。
大瀧さんと細野さんと松本さんでJPOPの源流になりますね。
商業的な成功のスキームを作ったという意味でも。
細野さんや松任谷正隆さんらが結成したキャラメル·ママがアグネス·チャンの「ポケットいっぱいの秘密」でバックを演奏したのがエポックメイクでしたね。松本隆の商業向け作詞の始めでもありました。歌謡曲とニューミュージックの融合。
それならアグネス・チャンのコンサートや南沙織のレコーディングに関わったムーンライダーズの存在も割と重要かな。
1980年前後に「シティポップ」なんて言葉、あったかねー...全然記憶ないね。「都会的」ってホメ言葉はあったけどね。何だそれって感じではあった。それに「シティポップ」の「再来」は、サンプリングアーティストが盛大に取り上げたからじゃないの? RUclipsで盛り上がったのはその結果で、全然リスナー主導ではないっしょ? ちなみにアーティストなら世界中の音楽の勉強してるのは当然だ。
キタ━(゚∀゚)━!
はっぴいえんどがやっていたBuffalo Springfieldなんかの志向は主に細野さんのもので、彼はStephen Stillsの影響が大きい。で、大瀧さんはPhil SpectorやBeach Boysがルーツなんでまああまり合わなかったのも当然かなと。はっぴい解散後に同じルーツの山下さんらとナイアガラでの活動をするんだけど、それまでの日本では馴染のないオールディーズ(平尾昌晃らのウエスタンカーニバルなどはあったが)を日本で定着させていくのはここからで、この後ニューミュージックがこの流れになっていくという感じです。
だがしかし、ナイアガラから達郎さんが巣立っていくと、「メロディ系は達郎に任せた」とばかりに、大瀧さんはニューオリンズや南米由来の干からびるほどカラッカラのリズム系に傾倒していきます。
一部で有名ですが、サザエさんのエンディング(サザエさん一家)も筒美さんの作曲ですが、そっくりな曲があったという話。1968年に1910Fruitgum Companyという長ったらしい名前のグループが発表したBubble Gum Worldという曲。知らない人は聞いてみて下さい。サザエさんはその翌年発表なので、明らかにパクリですよね。でも筒美さんはレコード会社の洋楽ディレクターだったので、こういうケースは他にもあるんです。探してみるのも面白いかも。
Andy WilliamsのMusic to watch girls byのイントロが小川知子の「誰も知らない」にそっくりなのを思い出しました。
個人的には、シティポップは海外AORのガラパゴス進化?だと思います。
1980年前後の歌謡曲は、とにかく洋楽のパクりが多くて(作曲というよりアレンジのせいだと思うが、)イントロがほぼ同じ、とか間奏の間にねじ込む、などで聞かなくなったが、ニューミュージックの人達は良い所も取り入れながら独自の進化をして行った感じがします。
山下達郎をシティポップのミュージシャンって言い方するのなんだかしっくり来ない…🤔
というかシティポップって言葉がほんとに80年代から使われてたのかが気になる
シティポップって呼ばれてリバイバルが起きてる事に対して「80年代に言って欲しかった」的なこと言ってたのをどっかで見たような気がする、、、
そのような呼称は当時まったく無かったです。「シティポップ」というのは今世紀に入って外国の人が使い出したのではないかな。
@@JoeJack2much4me
コメントありがとうございます!やはりそうだったんですね
好きなりに当時の情報色々見て調べて来たつもりで「うーんシティポップ?」ってなってたので
当時をご存知の方がお言葉くださると納得です。
シティポップってなんか都合のいい言葉ですね。車で言えばSUVみたいな、違うかw
いわゆるシティポップ的な音楽がたくさん出てきたことは、アメリカのポップス界の流行の反映でしかないよ。簡単な話。そりゃその背景は?みたいな話ならいくらでも話せるが、そんなのは後付けの屁理屈でしかない。世の音楽ライターの皆さんの仕事がそれだとしたならば、そんな戯れ言はもうお腹いっぱいなのよ
当たり前のように使ってるけどシティポップの定義って? 誰に訊いても違う答えが返ってきそうだけど。
ダフトパンク〜Futurefunkが参照してる音楽
Dr.ドラゴン知らなかったです😮
ハッスルジェット(浅野ゆう子)も好き。
RIDE ON TIMEのネタ元、知りたいな。
筒美京平から武部、萩田、船山 そこから大村らが育っていって豊かな音楽を作ってくれた
尊敬する筒美さんも、本田美奈子にはプリテンダーズをパクってた❗
CCB 筒美京平
シティポップという言葉自体、それ以前のニューミュージックという言葉が使い古され、新しい宣伝の為の言葉として当時のレコード会社が作ったものでジャンルでは無いし正直中身は無い。
その後はJ POPになっただけで、ニューミュージックもシティポップもJ POPも全てレコード会社が宣伝の為に作った謳い文句なだけで、既存の歌謡曲と言われていたものに対して、洋楽ベースの新しいオシャレな音楽だとアピールするだけの宣伝の為だけの言葉だし、当時のミュージシャンはシティポップという言葉やシティポップと括られる事が嫌だと言っている人も多い。
伊勢正三
リアルタイム体験は金なんでもっともらしいこのての後追い通史に惑わされなくても修正する必要もないと思うよ。いちようおすすめは、節目節目で聞き返してんでこんなもんに夢中になってたのかとか。当時は良いと思わなかったものが良く聴こえるとか。再発見や更新の機会があればいいけどね。今はいい時代。このての通史かつ後追いはサラッと聞き流すか耳にいれないくらいでいいと思うよ。自分のリアルタイム体験が尊いんです。リアルタイムでアングラだった歌手やバンドはそのアングラの認識で正しいので。それが仮にシティポップの始祖とされる一派であっても過剰に持ち上げる必要もないし、あたかも確立米国ロック史みたいに当時のアングラみたいなもの中心に邦楽史を語ってみても、米国とちがって当時の日本人のごく一部のあいだに知られたもので構成されると、似て否なるものになっちゃうんだな。はぴいえんどシュガー・ベイブなんか当時国民の数百人にひとりも知らないレベルの知名度つまり首都圏関西大学生あたり向けアングラだったのはたぶん間違いない事実で。
世代の継承で語るぶんには便利だけど。流行歌とか大衆への伝播がおうおうにして抜け落ちるから。結論はリアルタイムにまさるものなし。当時のひと(当時学生や20代)に聞くのがいちばん。知ってる人と知らない人(洋楽オンリー系)と一般的な中央層と最低3パターン混在してないと意味ないな。
ここでマックス・マーティンの名前が出て来ないのはダメでしょ
アリアナの新作でまたヒット出してる
大瀧詠一のアルバムは売れない時代のもコンセプトアルバムじゃない?
音頭とかカレンダーとか。
そういえば大滝師匠のアルバムは多羅尾伴内楽団名義のも含めて、全てがそうだ。
この流れで村井邦彦について触れて欲しかった
今だにニューミュージックと認識していますが伝わらないので妥協してシティポップと言うしか無い心の葛藤😅
ニューミュージックって言っちゃうと
射程範囲が広くなりすぎるからじゃないかな
泉谷しげるとかTMネットワークまで
入れちゃう人が居ますからね😊
@@abyssoftokyo
ニューミュージックってユーミン後のフォーク以外の総称だと思ってたけど、泉谷は違うんじゃない?
@@shimshimshim5123 フォーライフ関係は全部ニューミュージックって思ってる人いるでしょ
それから非歌謡曲は全部ニューミュージックと思ってる人
ニューミュージックとシティーポップを混同する人がいます。
経年につれ定義が変化してきた感もあるのかと思いますが、
フォークの延長線上ではなくレアグルーヴの延長線上、グラブカルチャーの延長線上にあるものが本来の定義かと思いますね。
そして楽曲はファンキーです。
この文化は完全なる逆輸入です。
レアグルーヴは掘り尽くされて飽和していたことと日本人アーティストのヴァイナルが現在とは違いとても安価で手を出しやすく探しやすかったことが海外でジワジワと人気が出た要因かと。
あと海外の人からすると日本語のヘンテコな響きなどが面白い訳です。極東のアジアンが本格的な猿真似をしていることが面白いのです。
例えが合っているかわかりませんがオマリーがリリースしている六甲おろしを真剣に聴く阪神ファンはいません。
それと同じで海外の人が聴いて面白いのです。要するにシティーポップはシャレです。
私的にはナイアガラレコードを聞く前にBe My Babyなんかのウォールオヴサウンドをよく聞いていたので、あっこれ、もろパクリ?と思いました。当時の日本ではまだこんなサウンドはなかったので、ようやく出てきたかと、嬉しかったですが。
個人的には日本の80年代は、「はっぴぃえんど」の細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏に共鳴する坂本龍一氏、山下達郎氏、大貫妙子氏、吉田美奈子氏、矢野顕子氏、竹内まりあ氏、鈴木雅之氏等がメインストリーム、という印象かな~。
自分の場合、これにRCとJ,L&Cがあれば、お腹一杯だったw
後は、洋楽で SteelyDanとDonaldFagenがあれば、まあ時間が足りないぐらいだったw
ただ、他にもメジャーどころではユーミンやサザン、高中正義氏、CASIOPEA他、YAMAHAポプコン出の「ニューミュージック」のミュージシャン達もたくさんいて、四畳半フォークの生き残りの人達やいわゆる歌謡曲、アイドルもまだまだ元気で、音楽的には豊穣な時代だったんだろうね~。
シラケ世代の更にその子供世代だけど、リアルタイム世代に聞くとシュガーベイブらへの風当たりはかなり強かったと聞きます。90年代後半からは特にシティポップはダサさの権化として扱われた氷河期を経て、ようやく正当な評価を受け始めた。50年、時代を先取りしていたことになりますね…恐ろしい。 そしてその氷河期にシティポップを取り入れていたキリンジの先見の明 笑
大瀧詠一のアメリカンポップス回帰はCarpentersの"Now and Then"が日米でバカ売れしたのが大きな影響があったと思う。
シティーポップっていう「流行を作り出す為のキャッチフレーズ」みたいなジャンルは好きじゃないけどね。
70年代でシティポップに近い音を作ってた人すごいと思う
シティポップw
今年還暦なんだがシティーポップって言葉、このチャンネルで聞くまでそんなに聞いた覚えないんだよね。自分的には当時オシャレポップ、リゾートミュージックって呼んでいた。曲のタイトルがxxxアイランド、xxxウィンドウ、xxxモーニング、サマーxxx等そんなのばっかりで自分的には食傷気味であった。自分はこの辺の音楽は敵視してたよな。だって嫌いなんだもん。
あなたはどんな音楽が好きなんですか?
@@leoak1138 海外のミュージシャンはきりがないので日本のミュージシャン限定で好きなミュージシャンはYMO、ムーンライダーズ、ルースターズ,じゃがたらこの辺が軸ですね。最近は山本精一をよく聞いています。日本、海外ジャンル関係なく自分に刺さる音楽なら何でも聞きます。
当時を知る方のそういう感覚は実に正しいのだろうと思います
柴崎祐二さんの「シティポップとは何か」という本に詳しく書かれていますがシティポップという言葉(当時はシティ・ポップスと呼ばれることが多かった)はリスナー側よりもレコードを売る側が商業的要請に基づき使い始めたもので、それが指すものも甲斐バンドや長渕剛まで入るなど現在の「シティポップ」とはかなり違う意味合いのものであったようです
@@naokisan131 自分的な括りですけど細野晴臣を中心に鈴木慶一、山下達郎、忌野清志郎等、1950年前後生まれの東京出身ミュージシャンのネットワークを東京派、東京ローカルと自分は認識してます。その周辺のミュージシャンのアルバムクレジットを見るとみんなつながりが濃いように思う。ロック、シティポップ、ニューウェイヴ、テクノ、ジャズ、フュージョンとかジャンル関係なく東京ミュージックで括りたくなります。
私も70年代から音楽聴いていますが'シティポップ'という言い方はつい最近まで聞いた覚えがないので昔を振り返ってできた最近の言葉だと思ってました
アフロ版吉沢亮
もうええてー
だからポールみたいな服なのかな?