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これは父が運転してました、山陰本線 福知山線。昭和天皇の行幸の時もこれを運転してました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。そうなんですね! 大先輩のお父様 運転お疲れ様です m(__)m40年代前半まで米子機関区所属のDF50が京都まで細々と運用されていた あの頃 懐かしいです!
JR四国の動輪の旧帽章も割と貴重なんよなー
コメントありがとうございます渋い!
運転台からの視界はDD51より全然良さそうですね
コメントありがとうございますDD51は前後エンジンなので運転距離感がめちゃ大切ですね〜 その点おっしゃる通りこのカマは大変そうですね 動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
懐かしい!当時、親父が多度津工場の職員だったから小さい時はよくイベントに参加してしました!
コメントありがとうございます。おー そうだったんですねー お疲れ様でした m(__)m多度津工場 公開は毎年楽しみでした動画見て頂きありがとうございます。
昔、子供の頃、土讃線旭駅が貨物扱いしていた頃貨物列車で構内の入換を跨線橋から見ていました。そして、年数がたち私は車両整備業務に従事する事になりOBの方から50について当時の話を聞かせて頂きました。また、50に関する資料等を頂きました。この資料や当時の話は私の宝であり何事にも代えがたい財産です。元機関士でDE10の体験操縦の時に教官だった正さん元気かなぁ
コメントありがとうございます思い入れのある機関車 またその後もその道で働けた(多度津工場?)のはほんといいですね!当時の資料は国宝級の宝物ですよね(笑)大切になさって下さいm(_ _)m私も管轄地域のDD54の資料は国宝級と思っています(笑)動画見て頂きありがとうございましたm(_ _)m
DF50大好きだわ~。
コメントありがとうございますもう一度走る姿、見たいです動画見て頂きありがとうございます
DF50は、当時(1955(昭和30)年ちょい後頃)の国鉄が「量産化に成功した日本初の本線用ディーゼル機関車」です。当時、「電気式のDL」は機器類が大きくて重く、機器類の数も増えるので、重量や製造価格の点で不利になるために、貧弱な軸重(一つの車軸にかかる重量)しか許容できない当時の日本のローカル線を考えたときに、国鉄が電気式DLや電気式気動車を忌避(きひ)したのは当然の成り行きでした。しかし、1000馬力以上を吸収する大容量の液体変速機を設計できなかった当時の国鉄には、「電気式」のDF50を選択せざるを得ませんでした。だから、その数年後(1960年ころ)に、大容量の液体変速機の設計製造が可能になると、気動車や入れ替え用DLも含めて、そのほぼすべてのディーゼル車は、その構成部品が少なく、軸重が軽くて、価格も安い、液体式での増備が進んだのもこのためでした。「液体式の本線用ディーゼル機関車の量産車」であるDD51が出てきたのが1960年ごろでしたが、この後の約30年間は、ほぼすべてのディーゼル車は液体式のものしか製造していません。本線用の電気式DLのDF200が出てきたのは1990年代頃で、この間にずいぶん電気機器や機関等の軽量化、高機能化、高性能化、そして低価格化も進んだためです。電気式や電気的な「気動車」等が、出てきだしたのは、ここ10年位前からですが、電気式(電車的な)の車両には、重量は増すものの、故障が比較的少なく、メインテナンス等にも有利なメリットがあるからです。現在では、軌道強化や電化が進んで点もあります。そんな情勢の中で登場したDF50は、その約10年後にできた支線区用、入れ替え用の液体式DLのDE10とほぼ同じ出力です。ズルツァーエンジンを積んだ0番台は、そのモーターが100kw×6台でした。101系電車の電動車1ユニットが100kw×8台だからその非力さがわかります。500番台のマン型が110kw×6台で、103系電車が電動車1ユニット110kw×8台だから、マン型ですら101系電車の1ユニット分のパワーに達しませんでした。ここで使われているモーターは101系電車、103系電車のものとほぼ同じものです。101系電車1ユニットの75%・約80%の出力のもので、特急列車、急行列車を引っ張っていたという何とも奇妙なことをやっていました。道路交通で言えば、牽引装置付きのキャンピングカーのトレーラーの部分(約1000kg以上のもの)を、原付バイクで引っ張って、幹線道路を長時間走っているようなものです。当時、大容量液体変速機をつくれなかった国鉄の苦肉の策として製作されたのがこのDF50でした。以前聞いた話だと、坂を登れなくなってしまったこともあったそうです。SL駆逐等の需要増からの要請に、無理に対応しようとしてできた産物であったのかもしれません。
いつも勉強になる詳しいコメント ありがとうございます。m(__)mDF50 138両製造されましたが 500番台は全機解体されてしまい保存されず残念……
有難うございます。感慨ひとしおです。機関車と同時に旧型客車も牽引してほしいものです。
コメントありがとうございます。構内走行とは言え エンジン始動させて動くDF50が拝める貴重な工場公開は都度楽しみにしていました伊予西条で眠るDF50の本線復活夢見ています動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
四国内では、普通列車か貨物列車しか牽引していなかったが、九州では、寝台特急富士など優等列車も牽引していたのを聞いた事あります。
コメントありがとうございます。MAN型の500番台が保存されていないのが残念です……四国の1号機も 本線復帰し客車牽引して欲しいですねぇ
DF50がDF200への技術の継承はなかなかのもの。
コメントありがとうございます。パワーが違いますが 当時こういう機関車 世に出したのが ステキ ( ´∀` )
超貴重な映像!見せて頂き、ありがとうございます!
コメントありがとうございます。 DF50エンジン音 敢えて轟音なのがイイ そこがまた 当時を思い出すんですよねぇ (笑)
小型船舶のエンジン音みたいやな
コメントありがとうございます。ですね!もう一度1号機 本線走行して欲しいですあの力強い強烈な個性 めちゃくちゃ うるさい現役時代のエンジンサウンド もう一度味わいたいです(笑)
私は京都在住ですが 山陰線でも走っていたのでとても懐かしい そのうえJRになってから再び電気式ディーセル機関車が復活するとは夢にも思わなかった
コメントありがとうございます。DF50やDD54の客車列車が当たり前のように走り、気動車も長い編成で バラエティー富んだ 70年後半の山陰線が懐かしいですこの時代に 非力ですが電気式DL 世に出したなんて今思えば凄いなぁ~ ( ´∀` )
子供の頃よく弁天町の交通科学博物館でDD54やDD13と並んで展示してあったのを見に行ったり、東淀川にあったのを近くのEH10と合わせて見に行きましたが、実際に走っている姿は見たことないです。今は東淀川のは解体撤去されたようで、津山に見に行くくらいですね。何でしょうか、あの無骨で『空気抵抗って何?』ってでも言いそうな、昭和時代の香りがプンプンする顔立ち、イイですね~。運転席もメカニカルで、今の機関車がオートマだとすれば、手動の窓でダブルクラッチ切ってた頃のトラックといった感じでしょうか?いつも貴重な映像ありがとうございます。ほんとにこんなのよく残していましたね~(笑)
コメントありがとうございます弁天町は私もよく訪れましたよー第二展示エリアにひっそりと鎮座してましたねあの空間すきでした(笑)ポンポンポンポンポンポン〜 個性あるエンジン音が蘇ってきそうです動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
…繁藤駅下に埋まってる…デーエフゴーマル…掘り出したいです…(掘り出し物感満載)…無理だけど😭
コメントありがとうございます45号機 今も眠っているのてすね…
この構内運転最高ですね😃出来れば客車も繫いで引っ張って欲しかったと思うのは僕だけ🤫
コメントありがとうございます京都鉄道博物館保存の我らが福知山DD54を整備して再度動かして欲しいなー(笑)
懐かしい映像ですね。89年5月21日に多度津工場で乗りました。こんなエンジン音だったんですね。
コメントありがとうございます。多度津工場は年1の公開を楽しみにしていました、気動車の好きな部分をその場で バーナーで取り外しての部品販売とか 懐かしいですよね(笑)
鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV 貴重な動画ですね!私が行ったのは小学3年生の時なのであまり覚えてないんです^^; 確か多度津工場でDF50に乗って、そのあと多度津から琴平までSLどっきん号に乗ったと記憶しています。まさに気動車解体ショーですね(笑)参加したかったです。
おー、DF50の運転台は初めて見ました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。伊予西条でも展示して 現在も触れる事できますが 構内運転で エンジン掛かって動く映像も楽しい記録です(笑)
人気機関車型?営業には審査にて黒字列車創作は四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
この子は米子機関区にいたんだ!機関車の汽笛聞くと何となくうれしい。事務所の窓開けているとたまに聞こえる。
コメントありがとうございます。そうなんですよ! 米子機関区に配置されていたようですね~ 1965年 区名差しに「米」が入ってたんですねぇ~
@@railroad-mellowFilm さん確か、元国鉄大阪車掌区所属車掌「坂本衛(さかもと・まもる)」さんの著書の中に、山陰線三保三隅付近を走るDF50牽引の旧客列車の写真がありましたからね。
おー動いてるDF50 1号機!これ今は西条駅横の鉄道文化館においてあるやつですね。
コメントありがとうございます。伊予西条駅ヨコで保存されている 1号機 動いてる姿 いいでしょ!! ( ´∀` )
@@railroad-mellowFilm 鉄道文化館に展示してあるやつは行って見たことあるけど、動いているところを見た事ありませんでした。ありがとうございます!
四国鉄道文化館に保存せれているDF50はきちんと整備されていてエンジンもかかり走行することができるんですよ。
@@kajihiro164 それは知りませんでした!
自走しているのは初めて見ました。自分が多度津に行ったときはすでに展示のみになっていました。終了後に入り口で粘っていたら、動画(2:36)にも写っているスイッチャーで構内を移動するところが見られました。それが動くDF50を見た唯一の光景です。
コメントありがとうございます。 スイッチャーで構内移動 レア!!
確かに主さんのハンドルネーム「良く、こんなの、残してたね🤯」
コメントありがとうございます。 そう言って頂くのが本望でございます(笑) m(__)m
貴重な動画ありがとうございます。自分も子供の頃紀勢本線で0番台を見ているのですが音は記憶に残っていません。室内だとエンジン音もですが、動き出してからは駆動系から吊りかけの唸りもかすかに聞こえてきて、確かに電気式だと感じます。
コメントありがとうございます。もう一度 生音 聞きたいものですが 1号機も自走はもうないんでしょうね……
又運転台からのエンジン音も最高ですね。今は貴重な運転台レトロ感あります。かなり簡単の作りのマスコン
コメントありがとうございます。レトロで味ある運転席ですよね、この汚れ方も現役時代に通じる気が……(笑) 伊予西条では運転席 ピカピカに磨かれて 常時公開されてます!
貴重な映像ありがとうございます。昭和40年代後半 DF50は山陰線京都口でよく見ましたね。人気はDD54が上でしたがスピードや加速はDF50が上回ってように記憶してます。数年後、山陰線からDF50,DD54は姿を消し、ブルートレイン(東京発を除く)のヘッドマークも廃止されました。
コメントありがとうございます。DD54は引き出す時や変速の衝撃凄かったですね(笑)
当時をしらない20代のものですが、その頃から登場して長く製造されて未だに現役が居るDD51って凄いんですね
いい音ですね😀客車や貨物牽引で活躍したカマでしたが、C57の置き換え用としては無理があったかもしれませんね。
コメントありがとうございますそう考えると 非力でしたがスタイル抜群 カッコいい機関車でしたよね!500番台が残らなかったのは残念です…
冒頭の動き出した頃の展望 左端にわたしの好きな「ヒ」控え車がチラッと見えて嬉しかったです
コメントありがとうございます。流石!よく探されました、!! たしかに います(笑)
懐かしいなあ。阪和線新快速乗って和歌山駅近づく所で、和歌山線のDF50併走を想い出します。
コメントありがとうございます。阪和色新快速、めちゃくちゃ懐かしい、また快速とDFが並走なんて滅茶苦茶凄いっす~!!!
DF50も現在、保存されてるのはこの1号機と津山の18号機と大阪の神社の4号機ですね。4号機は建物が雨漏りしてるのでブルーシートが被せられてるようなので心配になりますね。
コメントありがとうございます。4号機は 見たことないので、一度見に行きたいなぁ、保管状態悪いの 気になります…… 情報ありがとうございます!!
DD50はもう無いけどDF50は初期型が3機…!スルザー社のエンジン音、すごく好きです。またこのような機会があれば運転してもらいたいですね。
コメントありがとうございます。DD51もイイんですが、Sulzer 直列8気筒直噴式 8LDA25A ポンポンサウンド (・∀・)イイ!! 伊予西条 エンジン掛けて機関回転数上げて欲しいなぁ
昔四国にいた時は珍しくなかったDF50消え始めたらホント早かった。
コメントありがとうございます。当たり前の景色が、無くなる時って( ノД`)シクシク…ですよね……
鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV 様 昭和56年に福岡移ったら、伊予鉄は全車、国鉄も急行のグリーン車以外クーラー無しが普通の四国から開通したばかりの地下鉄は固定窓にクーラー付きで自動改札と隔世の感がありました。当時四国じゃ旧客はハズレ列車と言う認識。無くなると寂しいモノ。今タイに行けば、敢えて快速長距離の手動ドア非冷房寝台車に好んで乗ってます。非冷房三等車も日本ぽくて好き。もっとも日本製だから当然ですが
@@sunami808 さん当時DF50牽引の旧客列車の編成には、スハフ44(「つばめ」「はと」「かもめ」に使われていた旧3等緩急車)スハ41(スロ→改造のオールロングシート車)というマニア受けしそうな珍車❓が組み込まれていましたね。
DF50懐かしい電気式ディーゼル機関車ですね、確か今のJR貨物のDF200の大先輩にあたるそうであります、場内運転が見られて嬉しくなります。
コメントありがとうございます。昭和の時代に Power少ないですが こういう機関車 大量配備なんて 当時の設計陣 凄いなぁ (笑)
@@railroad-mellowFilm さんDF50は、国鉄が「動力近代化」の先駆けとして、1953年(昭和28年)に製造された、「DD50」の改良型として、量産されたそうですよ。
液体式が主役となり、オワコンだと思われていた電気式が平成の時代に同じF級で蘇るだなんて、誰しも思いつかなかったことでしょうね。
@@いいでしょなんでも-o3x さん最初に配備されたのが、急勾配の多い、土讃線でしたからね。
なんで、自弁が重なり位置なのだろう?
コメントありがとうございます来月伊予西条行くので運転士さんに聞いて来ますね!
動輪がスポークなのが時代ですね~ブレーキ使い過ぎるとタイヤ外れるっていう…今はエンジンこそ掛かるものの、発電機や電動機の部品問題で自走不可らしいですが、ここはワンオフでも部品製作して復活させて本線運転すれば収支の悪いJR四国の助け舟にならないですかね。引っ張る物も無いのか…やっぱり時代ですね~
コメントありがとうございます。本線復帰 賛成!!
JR西日本の12系を借りることが出来れば、ワンチャンあるかも。
おお~!これはテンション上がる~!これは本当に、超貴重映像ですね!この運転室に、西条に行けば入れるのですね?運転室のみならず、機関室も、ぜひ見せて頂きたいです。👀子供の頃、どうしてもDF50にお世話になりたくて、12系の「急行きのくに」の臨時列車に天王寺から白浜まで乗りました。和歌山でゴハチからのリレー。快適で懐かしい思い出です。😌
コメントありがとうございます。 ごはちからのDFとは、凄いですねぇ~、 ごはちの運転席は窮屈で、環境悪いですが DFは広々と、 ただ轟音が(笑)
@@railroad-mellowFilm 様、返信ありがとうございます。DFの轟音、ぜひ運転室で聞いてみたかったです。😲
良いサウンドですね。
コメントありがとうございます。DLのエンジンサウンド ほんと いいですよねぇ
大変貴重な映像ありがとうございます!子どもの頃、多喜浜駅近くの祖父母宅から客車を引いてるのを見た気がします。当時は鈍行が来たとがっかりしてました。すみません😢また動く日が来るといいですね。
コメントありがとうございます。私も祖父母宅が駅の近くだったので、列車の音がすると、即、走って庭に出て 客車列車や気動車見るのが楽しみでした。(播但と山陽本線)、DF50 本線復帰に期待!!
YS11のエンジン音に似ている?
コメントありがとうございますYS11もこんな感じだだたんですね~お教え頂きありがとうございますm(_ _)m
私は高松在職ですがこの機関車、主に土讃線で活躍していました。
コメントありがとうございます。非力ながら 土讃線をゆーっくり走る DF50 画になりますね!
宮崎にて、最後の頃の500番台を電化開業の時まで追っかけやってました!(* ^ー゜)ノDF50って、起動後エンジンの音が少し高まったあとは一定の回転で回っているから、足回りのモーター音といい、独特な走行音で好きな機関車でした。エンジン始動の時も独特でした。懐かしい映像をありがとうございます。
コメントありがとうございます。日豊本線500番代ですね!! いいですね!! いいですね!! MANは現存しないのが悲しいです山陰線でも走っていましたが 当時の局報になぜか DF50「MAN」と記載されており0番代となぜか区分表記していました
警笛音は、昭和の、機関車らしいですね。❤
俺的には、加速時の唸るエンジンサウンドが、好きです!静態保存でしたが、大阪環状線弁天町駅下車の交通科学博物館の展示が、懐かしいです!(^_^)/
コメントありがとうございます。交通科学館 展示されていましたね! たしか少し寂しい第二展示エリアで ( ´∀` ) 弁天町時代 機関車内部に入れたんですが 津山は内部公開しないので 是非見たいなぁ~
DF50我最喜歡。
✉ m(__)m DF50 ♡ ( ´∀` )
ありきたりの感想なのですが、機関室と運転台が繋がっているとこんなにもうるさいんですね!無線も聞かなきゃいけないだろうから耳栓もつけられなさそうだし大変(゜Д゜)
コメントありがとうございます。 ほぼアイドリング走行なので、多分 当時は、凄いポンポンサウンドだったと思います。Σ(・□・;)
準鉄道記念物と聞くと小樽のキハ03(確かそうだよね?)を思い起こしますけどこの車両も準鉄道記念物だったんですね〜なかなかディーゼル機関車では見ないような電気機関車のような見た目だな〜としか思ったことがないもので…
コメントありがとうございます。 懐かしい、古いエンドウのHOゲージで 家に配属されてます(笑) 準鉄道記念物とは知りませんでした~
すごいな除籍後に復活させたのか
コメントありがとうございます。伊予西条、引き込み線で繋がってるようなので、多度津へ戻して、手加えて エンジン腐る前に、本線復帰して欲しいなぁ~
ここだけの話ですが、実は北海道大仏現地調査RUclipsr INTERURBAN6304さんは幼い頃、DF50がお好きだったとのことです。この貴重なDF50動画はまさに、INTERURBAN6304さんにおすすめしたい。野付半島車載動画編でそう語っていました。
コメントありがとうございます。DF50 エンジン音いいですね! 伊予西条のDF50 たまにはエンジン始動させないのかなぁ~、 ここだけの話 ありがとうございます(笑)
2ストのエンジンですかね⁉️その様にも聞こえます。エンジン音が…
コメントありがとうございます。DF50 4スト直列8気筒直噴式 8LDA25A(0番台)V型12気筒予燃焼室式 V6V 22/30mA(500番台) (・∀・)イイ!!動画見て頂きありがとうございます。
懐かしいです、紀勢本線でよく見ました、キハ81、82が今でも好きです
コメントありがとうございます。紀勢線で客車引っ張る姿見たかったです…… キハ81+82 くろしお いいですね心惹かれます(笑)
@@railroad-mellowFilm 小学生の時,赤黒いDFの音が凄くて怖かったです、でも最後尾の後ろのドアが開いていて、そこから線路を見るのが好きでした。
寝台特急紀伊を牽引してましたよね。
@@digitalzanmai 懐かしいですね14系客車後期はDD51が引いてましたね
まるで、DF200「レッドペア」のご先祖様です。かつて、国鉄型の電気式ディーゼル機関車としては、最新だったと思いました。
コメントありがとうございます。この時代に 非力ながらも、電気式DLなんて、良く考えたなぁと感心しました。当時の方 発想が素晴らしい!
何故にブレーキ管が0キロと思ったら自弁が重なり位置のままじゃないですか!いざというとき非常ブレーキかけられないから危ないですよ、多度津工場さん(汗)
コメントありがとうございます。惰行走行でしたが、もし車庫側で止まらんかったらヤバ~と思いながら乗っていました、、、反対側は連絡線路なんで門突破して敷地外出ちゃぃますが……
単機なので単弁だけ使用して運転しているのでは?
@@exp.m.k.2300 単機であっても自弁は運転位置が基本です。重なりではBPにエアが込められない(実際動画でもBPのゲージは0を指しています)ので、いざというとき非常ブレーキがかからず大変危険です。いざというときでも単弁でいいではないか?という意見かと思いますが、あくまで直通ブレーキなのでノーブレーキになる可能性があります。
@@あかつき-q7i さん 考えてみればおっしゃる通りですね。過去に体験運転で機関車は運転したことがあるのですが、自弁は触らせてくれませんでした...
流石に電動モーター駆動は起動が早い。良きところでモーターからエンジン駆動に切り替えて走れば効率良いかも。それプリ○スか。
コメントありがとうございます。ずばり、プリ○スです(笑)
これは父が運転してました、山陰本線 福知山線。昭和天皇の行幸の時もこれを運転してました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
そうなんですね!
大先輩のお父様 運転お疲れ様です m(__)m
40年代前半まで米子機関区所属のDF50が京都まで細々と運用されていた あの頃 懐かしいです!
JR四国の動輪の旧帽章も割と貴重なんよなー
コメントありがとうございます
渋い!
運転台からの視界はDD51より全然良さそうですね
コメントありがとうございます
DD51は前後エンジンなので運転距離感がめちゃ大切ですね〜 その点おっしゃる通りこのカマは大変そうですね 動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
懐かしい!当時、親父が多度津工場の職員だったから小さい時はよくイベントに参加してしました!
コメントありがとうございます。
おー そうだったんですねー お疲れ様でした m(__)m
多度津工場 公開は毎年楽しみでした
動画見て頂きありがとうございます。
昔、子供の頃、土讃線旭駅が貨物扱いしていた頃貨物列車で構内の入換を跨線橋から見ていました。
そして、年数がたち私は車両整備業務に従事する事になりOBの方から50について当時の話を聞かせて頂きました。
また、50に関する資料等を頂きました。この資料や当時の話は私の宝であり何事にも代えがたい財産です。
元機関士でDE10の体験操縦の時に教官だった正さん元気かなぁ
コメントありがとうございます
思い入れのある機関車 またその後も
その道で働けた(多度津工場?)のは
ほんといいですね!
当時の資料は国宝級の宝物ですよね(笑)
大切になさって下さいm(_ _)m
私も管轄地域のDD54の資料は国宝級と思っています(笑)
動画見て頂きありがとうございましたm(_ _)m
DF50大好きだわ~。
コメントありがとうございます
もう一度走る姿、見たいです
動画見て頂きありがとうございます
DF50は、当時(1955(昭和30)年ちょい後頃)の国鉄が「量産化に成功した日本初の本線用ディーゼル機関車」です。
当時、「電気式のDL」は機器類が大きくて重く、機器類の数も増えるので、重量や製造価格の点で不利になるために、貧弱な軸重(一つの車軸にかかる重量)しか許容できない当時の日本のローカル線を考えたときに、国鉄が電気式DLや電気式気動車を忌避(きひ)したのは当然の成り行きでした。
しかし、1000馬力以上を吸収する大容量の液体変速機を設計できなかった当時の国鉄には、「電気式」のDF50を選択せざるを得ませんでした。
だから、その数年後(1960年ころ)に、大容量の液体変速機の設計製造が可能になると、気動車や入れ替え用DLも含めて、そのほぼすべてのディーゼル車は、その構成部品が少なく、軸重が軽くて、価格も安い、液体式での増備が進んだのもこのためでした。
「液体式の本線用ディーゼル機関車の量産車」であるDD51が出てきたのが1960年ごろでしたが、この後の約30年間は、ほぼすべてのディーゼル車は液体式のものしか製造していません。
本線用の電気式DLのDF200が出てきたのは1990年代頃で、この間にずいぶん電気機器や機関等の軽量化、高機能化、高性能化、そして低価格化も進んだためです。
電気式や電気的な「気動車」等が、出てきだしたのは、ここ10年位前からですが、電気式(電車的な)の車両には、重量は増すものの、故障が比較的少なく、メインテナンス等にも有利なメリットがあるからです。現在では、軌道強化や電化が進んで点もあります。
そんな情勢の中で登場したDF50は、その約10年後にできた支線区用、入れ替え用の液体式DLのDE10とほぼ同じ出力です。
ズルツァーエンジンを積んだ0番台は、そのモーターが100kw×6台でした。101系電車の電動車1ユニットが100kw×8台だからその非力さがわかります。
500番台のマン型が110kw×6台で、103系電車が電動車1ユニット110kw×8台だから、マン型ですら101系電車の1ユニット分のパワーに達しませんでした。
ここで使われているモーターは101系電車、103系電車のものとほぼ同じものです。
101系電車1ユニットの75%・約80%の出力のもので、特急列車、急行列車を引っ張っていたという何とも奇妙なことをやっていました。道路交通で言えば、牽引装置付きのキャンピングカーのトレーラーの部分(約1000kg以上のもの)を、原付バイクで引っ張って、幹線道路を長時間走っているようなものです。
当時、大容量液体変速機をつくれなかった国鉄の苦肉の策として製作されたのがこのDF50でした。以前聞いた話だと、坂を登れなくなってしまったこともあったそうです。SL駆逐等の需要増からの要請に、無理に対応しようとしてできた産物であったのかもしれません。
いつも勉強になる詳しいコメント ありがとうございます。m(__)m
DF50 138両製造されましたが 500番台は全機解体されてしまい
保存されず残念……
有難うございます。
感慨ひとしおです。
機関車と同時に旧型客車も牽引してほしいものです。
コメントありがとうございます。
構内走行とは言え エンジン始動させて動く
DF50が拝める貴重な工場公開は都度楽しみにしていました
伊予西条で眠るDF50の本線復活夢見ています
動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
四国内では、普通列車か貨物列車しか牽引していなかったが、九州では、寝台特急富士など優等列車も牽引していたのを聞いた事あります。
コメントありがとうございます。
MAN型の500番台が保存されていないのが残念です……
四国の1号機も 本線復帰し客車牽引して欲しいですねぇ
DF50がDF200への技術の継承はなかなかのもの。
コメントありがとうございます。
パワーが違いますが 当時こういう機関車 世に出したのが ステキ ( ´∀` )
超貴重な映像!見せて頂き、ありがとうございます!
コメントありがとうございます。 DF50エンジン音 敢えて轟音なのがイイ そこがまた 当時を思い出すんですよねぇ (笑)
小型船舶のエンジン音みたいやな
コメントありがとうございます。
ですね!
もう一度1号機 本線走行して欲しいです
あの力強い強烈な個性 めちゃくちゃ うるさい現役時代のエンジンサウンド もう一度味わいたいです(笑)
私は京都在住ですが 山陰線でも走っていたのでとても懐かしい そのうえJRになってから再び電気式ディーセル機関車が復活するとは夢にも思わなかった
コメントありがとうございます。
DF50やDD54の客車列車が当たり前のように走り、気動車も長い編成で バラエティー富んだ 70年後半の山陰線が懐かしいです
この時代に 非力ですが電気式DL 世に出したなんて今思えば凄いなぁ~ ( ´∀` )
子供の頃よく弁天町の交通科学博物館でDD54やDD13と並んで展示してあったのを見に行ったり、
東淀川にあったのを近くのEH10と合わせて見に行きましたが、実際に走っている姿は見たことないです。
今は東淀川のは解体撤去されたようで、津山に見に行くくらいですね。
何でしょうか、あの無骨で『空気抵抗って何?』ってでも言いそうな、昭和時代の香りがプンプンする顔立ち、イイですね~。
運転席もメカニカルで、今の機関車がオートマだとすれば、手動の窓でダブルクラッチ切ってた頃のトラックといった感じでしょうか?
いつも貴重な映像ありがとうございます。
ほんとにこんなのよく残していましたね~(笑)
コメントありがとうございます
弁天町は私もよく訪れましたよー
第二展示エリアにひっそりと鎮座してましたね
あの空間すきでした(笑)
ポンポンポンポンポンポン〜 個性あるエンジン音が蘇ってきそうです
動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
…繁藤駅下に埋まってる…デーエフゴーマル…掘り出したいです…(掘り出し物感満載)…無理だけど😭
コメントありがとうございます
45号機 今も眠っているのてすね…
この構内運転最高ですね😃出来れば客車も繫いで引っ張って欲しかったと思うのは僕だけ🤫
コメントありがとうございます
京都鉄道博物館保存の
我らが福知山DD54を整備して
再度動かして欲しいなー(笑)
懐かしい映像ですね。
89年5月21日に多度津工場で乗りました。
こんなエンジン音だったんですね。
コメントありがとうございます。多度津工場は年1の公開を楽しみにしていました、気動車の好きな部分をその場で バーナーで取り外しての部品販売とか 懐かしいですよね(笑)
鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV
貴重な動画ですね!私が行ったのは小学3年生の時なのであまり覚えてないんです^^; 確か多度津工場でDF50に乗って、そのあと多度津から琴平までSLどっきん号に乗ったと記憶しています。まさに気動車解体ショーですね(笑)参加したかったです。
おー、DF50の運転台は初めて見ました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
伊予西条でも展示して 現在も触れる事できますが
構内運転で エンジン掛かって動く映像も楽しい記録です(笑)
人気機関車型?営業には審査にて黒字列車創作は四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両連結を製造に専門型?似た機関車型。
この子は米子機関区にいたんだ!
機関車の汽笛聞くと何となくうれしい。事務所の窓開けているとたまに聞こえる。
コメントありがとうございます。そうなんですよ! 米子機関区に配置されていたようですね~ 1965年 区名差しに「米」が入ってたんですねぇ~
@@railroad-mellowFilm さん
確か、元国鉄大阪車掌区所属車掌「坂本衛(さかもと・まもる)」さんの著書の中に、山陰線三保三隅付近を走るDF50牽引の旧客列車の写真がありましたからね。
おー動いてるDF50 1号機!これ今は西条駅横の鉄道文化館においてあるやつですね。
コメントありがとうございます。
伊予西条駅ヨコで保存されている 1号機 動いてる姿 いいでしょ!! ( ´∀` )
@@railroad-mellowFilm 鉄道文化館に展示してあるやつは行って見たことあるけど、動いているところを見た事ありませんでした。ありがとうございます!
四国鉄道文化館に保存せれているDF50はきちんと整備されていてエンジンもかかり走行することができるんですよ。
@@kajihiro164 それは知りませんでした!
自走しているのは初めて見ました。自分が多度津に行ったときはすでに展示のみになっていました。終了後に入り口で粘っていたら、動画(2:36)にも写っているスイッチャーで構内を移動するところが見られました。それが動くDF50を見た唯一の光景です。
コメントありがとうございます。 スイッチャーで構内移動 レア!!
確かに
主さんのハンドルネーム
「良く、こんなの、残してたね🤯」
コメントありがとうございます。 そう言って頂くのが本望でございます(笑) m(__)m
貴重な動画ありがとうございます。自分も子供の頃紀勢本線で0番台を見ているのですが音は記憶に残っていません。室内だとエンジン音もですが、動き出してからは駆動系から吊りかけの唸りもかすかに聞こえてきて、確かに電気式だと感じます。
コメントありがとうございます。
もう一度 生音 聞きたいものですが
1号機も自走はもうないんでしょうね……
又運転台からのエンジン音も最高ですね。今は貴重な運転台レトロ感あります。かなり簡単の作りのマスコン
コメントありがとうございます。レトロで味ある運転席ですよね、この汚れ方も現役時代に通じる気が……(笑) 伊予西条では運転席 ピカピカに磨かれて 常時公開されてます!
貴重な映像ありがとうございます。
昭和40年代後半 DF50は山陰線京都口でよく見ましたね。
人気はDD54が上でしたがスピードや加速はDF50が上回ってように記憶してます。
数年後、山陰線からDF50,DD54は姿を消し、ブルートレイン(東京発を除く)のヘッドマークも廃止されました。
コメントありがとうございます。DD54は引き出す時や変速の衝撃凄かったですね(笑)
当時をしらない20代のものですが、その頃から登場して長く製造されて未だに現役が居るDD51って凄いんですね
いい音ですね😀客車や貨物牽引で活躍したカマでしたが、C57の置き換え用としては無理があったかもしれませんね。
コメントありがとうございます
そう考えると 非力でしたがスタイル抜群 カッコいい機関車でしたよね!500番台が残らなかったのは
残念です…
冒頭の動き出した頃の展望 左端にわたしの好きな「ヒ」控え車がチラッと見えて嬉しかったです
コメントありがとうございます。流石!よく探されました、!! たしかに います(笑)
懐かしいなあ。
阪和線新快速乗って和歌山駅近づく所で、和歌山線のDF50併走を想い出します。
コメントありがとうございます。阪和色新快速、めちゃくちゃ懐かしい、また快速とDFが並走なんて滅茶苦茶凄いっす~!!!
DF50も現在、保存されてるのはこの1号機と津山の18号機と大阪の神社の4号機ですね。
4号機は建物が雨漏りしてるのでブルーシートが被せられてるようなので心配になりますね。
コメントありがとうございます。4号機は 見たことないので、一度見に行きたいなぁ、保管状態悪いの 気になります…… 情報ありがとうございます!!
DD50はもう無いけどDF50は初期型が3機…!スルザー社のエンジン音、すごく好きです。またこのような機会があれば運転してもらいたいですね。
コメントありがとうございます。DD51もイイんですが、Sulzer 直列8気筒直噴式 8LDA25A ポンポンサウンド (・∀・)イイ!! 伊予西条 エンジン掛けて機関回転数上げて欲しいなぁ
昔四国にいた時は珍しくなかったDF50消え始めたらホント早かった。
コメントありがとうございます。当たり前の景色が、無くなる時って( ノД`)シクシク…ですよね……
鉄道mellow.こんなのよく残してたねTV 様 昭和56年に福岡移ったら、伊予鉄は全車、国鉄も急行のグリーン車以外クーラー無しが普通の四国から開通したばかりの地下鉄は固定窓にクーラー付きで自動改札と隔世の感がありました。当時四国じゃ旧客はハズレ列車と言う認識。無くなると寂しいモノ。今タイに行けば、敢えて快速長距離の手動ドア非冷房寝台車に好んで乗ってます。非冷房三等車も日本ぽくて好き。もっとも日本製だから当然ですが
@@sunami808 さん
当時DF50牽引の旧客列車の編成には、
スハフ44(「つばめ」「はと」「かもめ」に使われていた旧3等緩急車)
スハ41(スロ→改造のオールロングシート車)という
マニア受けしそうな珍車❓
が組み込まれていましたね。
DF50懐かしい電気式ディーゼル機関車ですね、確か今のJR貨物のDF200の大先輩にあたるそうであります、場内運転が見られて嬉しくなります。
コメントありがとうございます。昭和の時代に Power少ないですが こういう機関車 大量配備なんて 当時の設計陣 凄いなぁ (笑)
@@railroad-mellowFilm さん
DF50は、国鉄が「動力近代化」の先駆けとして、1953年(昭和28年)に製造された、「DD50」の改良型として、量産されたそうですよ。
液体式が主役となり、オワコンだと思われていた電気式が平成の時代に同じF級で蘇るだなんて、誰しも思いつかなかったことでしょうね。
@@いいでしょなんでも-o3x さん
最初に配備されたのが、急勾配の多い、土讃線でしたからね。
なんで、自弁が重なり位置なのだろう?
コメントありがとうございます
来月伊予西条行くので
運転士さんに聞いて来ますね!
動輪がスポークなのが時代ですね~ブレーキ使い過ぎるとタイヤ外れるっていう…
今はエンジンこそ掛かるものの、発電機や電動機の部品問題で自走不可らしいですが、ここはワンオフでも部品製作して復活させて本線運転すれば収支の悪いJR四国の助け舟にならないですかね。引っ張る物も無いのか…やっぱり時代ですね~
コメントありがとうございます。本線復帰 賛成!!
JR西日本の12系を借りることが出来れば、ワンチャンあるかも。
おお~!
これはテンション上がる~!
これは本当に、超貴重映像ですね!
この運転室に、西条に行けば入れるのですね?
運転室のみならず、機関室も、ぜひ見せて頂きたいです。👀
子供の頃、どうしてもDF50にお世話になりたくて、12系の「急行きのくに」の臨時列車に天王寺から白浜まで乗りました。
和歌山でゴハチからのリレー。
快適で懐かしい思い出です。😌
コメントありがとうございます。 ごはちからのDFとは、凄いですねぇ~、 ごはちの運転席は窮屈で、環境悪いですが DFは広々と、 ただ轟音が(笑)
@@railroad-mellowFilm 様、
返信ありがとうございます。
DFの轟音、ぜひ運転室で聞いてみたかったです。😲
良いサウンドですね。
コメントありがとうございます。DLのエンジンサウンド ほんと いいですよねぇ
大変貴重な映像ありがとうございます!
子どもの頃、多喜浜駅近くの祖父母宅から客車を引いてるのを見た気がします。
当時は鈍行が来たとがっかりしてました。すみません😢
また動く日が来るといいですね。
コメントありがとうございます。私も祖父母宅が駅の近くだったので、列車の音がすると、即、走って庭に出て 客車列車や気動車見るのが楽しみでした。(播但と山陽本線)、DF50 本線復帰に期待!!
YS11のエンジン音に似ている?
コメントありがとうございます
YS11もこんな感じだだたんですね~
お教え頂きありがとうございますm(_ _)m
私は高松在職ですがこの機関車、主に土讃線で活躍していました。
コメントありがとうございます。
非力ながら 土讃線をゆーっくり走る DF50
画になりますね!
宮崎にて、最後の頃の500番台を電化開業の時まで追っかけやってました!
(* ^ー゜)ノ
DF50って、起動後エンジンの音が少し高まったあとは一定の回転で回っているから、足回りのモーター音といい、独特な走行音で好きな機関車でした。
エンジン始動の時も独特でした。懐かしい映像をありがとうございます。
コメントありがとうございます。
日豊本線500番代ですね!! いいですね!! いいですね!!
MANは現存しないのが悲しいです
山陰線でも走っていましたが 当時の局報になぜか
DF50「MAN」と記載されており0番代となぜか区分表記していました
警笛音は、昭和の、機関車らしいですね。❤
俺的には、加速時の唸るエンジンサウンドが、好きです!
静態保存でしたが、大阪環状線弁天町駅下車の交通科学博物館の展示が、懐かしいです!(^_^)/
コメントありがとうございます。
交通科学館 展示されていましたね! たしか少し寂しい第二展示エリアで ( ´∀` )
弁天町時代 機関車内部に入れたんですが 津山は内部公開しないので 是非見たいなぁ~
DF50我最喜歡。
✉ m(__)m
DF50 ♡ ( ´∀` )
ありきたりの感想なのですが、機関室と運転台が繋がっているとこんなにもうるさいんですね!
無線も聞かなきゃいけないだろうから耳栓もつけられなさそうだし大変(゜Д゜)
コメントありがとうございます。 ほぼアイドリング走行なので、多分 当時は、凄いポンポンサウンドだったと思います。Σ(・□・;)
準鉄道記念物と聞くと小樽のキハ03(確かそうだよね?)を思い起こしますけどこの車両も準鉄道記念物だったんですね〜
なかなかディーゼル機関車では見ないような電気機関車のような見た目だな〜としか思ったことがないもので…
コメントありがとうございます。 懐かしい、古いエンドウのHOゲージで 家に配属されてます(笑) 準鉄道記念物とは知りませんでした~
すごいな除籍後に復活させたのか
コメントありがとうございます。伊予西条、引き込み線で繋がってるようなので、多度津へ戻して、手加えて エンジン腐る前に、本線復帰して欲しいなぁ~
ここだけの話ですが、実は北海道大仏現地調査RUclipsr INTERURBAN6304さんは幼い頃、DF50がお好きだったとのことです。この貴重なDF50動画はまさに、INTERURBAN6304さんにおすすめしたい。野付半島車載動画編でそう語っていました。
コメントありがとうございます。DF50 エンジン音いいですね! 伊予西条のDF50 たまにはエンジン始動させないのかなぁ~、 ここだけの話 ありがとうございます(笑)
2ストのエンジンですかね⁉️
その様にも聞こえます。エンジン音が…
コメントありがとうございます。
DF50 4スト
直列8気筒直噴式 8LDA25A(0番台)
V型12気筒予燃焼室式 V6V 22/30mA(500番台) (・∀・)イイ!!
動画見て頂きありがとうございます。
懐かしいです、紀勢本線でよく見ました、キハ81、82が今でも好きです
コメントありがとうございます。紀勢線で客車引っ張る姿見たかったです…… キハ81+82 くろしお いいですね心惹かれます(笑)
@@railroad-mellowFilm 小学生の時,赤黒いDFの音が凄くて怖かったです、でも最後尾の後ろのドアが開いていて、そこから線路を見るのが好きでした。
寝台特急紀伊を牽引してましたよね。
@@digitalzanmai 懐かしいですね14系客車後期はDD51が引いてましたね
まるで、DF200「レッドペア」のご先祖様です。かつて、国鉄型の電気式ディーゼル機関車としては、最新だったと思いました。
コメントありがとうございます。この時代に 非力ながらも、電気式DLなんて、良く考えたなぁと感心しました。当時の方 発想が素晴らしい!
何故にブレーキ管が0キロと思ったら自弁が重なり位置のままじゃないですか!
いざというとき非常ブレーキかけられないから危ないですよ、多度津工場さん(汗)
コメントありがとうございます。惰行走行でしたが、もし車庫側で止まらんかったらヤバ~と思いながら乗っていました、、、反対側は連絡線路なんで門突破して敷地外出ちゃぃますが……
単機なので単弁だけ使用して運転しているのでは?
@@exp.m.k.2300 単機であっても自弁は運転位置が基本です。重なりではBPにエアが込められない(実際動画でもBPのゲージは0を指しています)ので、いざというとき非常ブレーキがかからず大変危険です。
いざというときでも単弁でいいではないか?という意見かと思いますが、あくまで直通ブレーキなのでノーブレーキになる可能性があります。
@@あかつき-q7i さん 考えてみればおっしゃる通りですね。過去に体験運転で機関車は運転したことがあるのですが、自弁は触らせてくれませんでした...
流石に電動モーター駆動は起動が早い。
良きところでモーターからエンジン駆動に切り替えて走れば効率良いかも。
それプリ○スか。
コメントありがとうございます。ずばり、プリ○スです(笑)