中島みゆき 作詞・作曲『異国』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)使用

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  • Опубликовано: 21 фев 2024
  • 中島みゆきの『異国』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
    本日2月23日は中島みゆきの生誕祭、特別な意味のありそうな曲ということで『異国』かなぁとヒラめいてしまったのが運の尽き、いやはや大〜変でございました。
    『異国』は1980年にリリースされたアルバム《生きていてもいいですか》の最後の曲で、この暗く暗すぎる真っ黒なアルバムを締めくくるにふさわしく(?)救いもナニも枯れ果てた絶望の縁を見下ろすがごとき存在です。LPレコードの片面はおおむね23分程度なのですが、そのうち9分もの長さをこの曲が占めるというところからしてナカナカ一筋縄では行かぬ曲。しかも基本的に伴奏がギターソロのみ、かつ、歌はボソボソつぶやくがごとき枯れ具合ですからおよそピアノで弾くにはふさわしくない曲だったりします。それが130年昔のベーゼンドルファーでどのように語らせられるか、いやまぁ、そりゃ原理的に無理筋なんですが、中島みゆき信者なみなさまの歌詞を補う能力に寄りかからせていただきましょうぞ💦 #生きていてもいいですか #異国 #中島みゆき
     <とめられながらも去る町ならば
      ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
      ふりきることを尊びながら
      旅を誘うまつりが聞こえる
      二度と来るなと唾を吐く町
      私がそこで生きてたことさえ
      覚えもないねと町が云うなら
      臨終の際にもそこは異国だ>
    <ふるさと>の対語として<異国>を用いるこの切れ味鋭いセンス、たまらんですね。自分が居場所そして帰る場所を求めるからこそ旅に出るという姿(さすらい人ですね)が人生、というのはまぁ言い古されたネタでしょうが、同時に旅人とは本質的に他所ものであるというのもまた真実なのでしょう。
     <遠いふるさとは 落ちぶれた男の名を
      呼んでなどいないのが ここからは見える>(『あぶな坂』1976年)
    中島みゆきのファーストアルバム《私の声が聞こえますか》(1976年)の口開けの曲の歌詞がコレですから、なかなかに<ふるさと>に対する問題意識は根が深そうですね〜。
     <百年してもあたしは死ねない
      あたしを埋める場所などないから
      百億粒の灰になってもあたし
      帰り仕度をしつづける>
    これぞ魂の彷徨、自分の居場所そして帰る場所を求め続けるがゆえに安住の地が永遠に手に入らない、という内容を<あたしを埋める場所などない>と表現するのは絶っっっ品に暗黒であります。何かわからないものを求め続けて彷徨い続けるのが現代人、とは人生をテツガクし始めれば必ずぶち当たる意識で、コレまさに常に探し、常に切望し、常に渇いてしまう人々の苦悩。死が救いとならぬのであれば、いったいナニが救いとなるのでしょうか。
     <悪口ひとつも自慢のように
      ふるさとの話はあたたかい
      忘れたふりを装いながらも
      靴をぬぐ場所があけてある ふるさと>
    どん底に暗い『異国』の歌詞でひときわ温かい救いの光を放っているのがこの一連で、個々人それぞれにとって「居場所」というナニやらよくわからないナニかがどれほどまでに大切かが痛切に感じさせられます。自分が社会の一員となっている、という実感が個々人にとって大きな精神的な支えとなるんですよね〜。
     <しがみつくにも足さえみせない
      うらみつくにも袖さえみせない
      泣かれるいわれもないと云うなら
      あの世も地獄もあたしには 異国だ
      町はあたしを死んでも呼ばない
      あたしはふるさとの話に入れない
      くにはどこかときかれるたびに
      まだありませんと うつむく>
    人間は社会的動物であると述べたのはかのアリストテレス、いかに孤独を好む人物であっても社会から隔絶して生きることはおよそ不可能なワケで、それなのに社会に自分の居場所がないという精神的な孤独を強く感じてしまうと無力感はハンパなし。この限りない無力感を研ぎ澄ますとこんな表現になるんだなぁと思い、同時にこの一連で<異国>と<地獄>が語感上対を成していることに気づいて慄然とします。そして、以下の魂の彷徨を5回繰り返して曲が閉じられます。3回繰り返しは普通にありますが、4回ならず5回の繰り返しはにわかにはナニが起こったのかわからないくらいな異常な繰り返し回数で、常ならぬこの曲の締めくくりに相応しいのでは。
     <百年してもあたしは死ねない
      あたしを埋める場所などないから
      百億粒の灰になってもあたし
      帰り仕度をしつづける>
    この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
    古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:bergheil.air-nifty.com/blog/
    "BEING FOREIGNER(1980)" poem & music by Miyuki NAKAJIMA on an antique Bösendorfer piano with Viennese action (1894, 85keys)
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Комментарии • 15

  • @user-hv7no6uc2n
    @user-hv7no6uc2n 5 месяцев назад +5

    中島みゆきの楽曲の魅力は、曲の旋律と歌声の表情、そして詩の磨かれた表現にあると思います。先生の動画は、ピアノの画像と音響のみでその全てを表現し尽くしています。これまでも詩を深く読み込んだ怪説?として示してくださいました。演奏するということは、楽曲の理解があってはじめて成り立つということを今回もしみじみと感じました。

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +2

      あ、ありがとうございます!
      ピアノという楽器は原理的に「歌声の表情」も「詩の磨かれた表現」も語り得ないですから、そのような楽器になんとかして語らせるためにはかなり掘り下げて悪知恵に満ちた理怪wが必要不可欠なのでした。
      鍵盤楽器はさまざまな楽器の合奏を一人で模倣できますが、トレードオフとして楽器として致命的なほどの制約があると思っています(どちらが先かはタマゴとニワトリw)。
      だからこそ、鍵盤楽器を演奏レベルで表現するためには、鍵盤楽器以外のさまざまな芸風の音楽をできる限り深く体験し理怪せねばならぬと信じています✨
      この130年前のベーゼンドルファーで中島みゆきを弾くシリーズ、自分にとっての意味が非常に大きいというのはココだけのハナシ🫢

  • @FumecriHimecri
    @FumecriHimecri 5 месяцев назад +4

    ついにこれを弾いてしまわれたのですね。。^_^;すごい・・!
    私が彼女を聴き始めたのは「予感」の頃ですが、私にとっての「ふるさと」はやはりこのアルバムまでの7枚です。
    沁みる音色ですね。。。ありがとうこございます。

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +1

      『エレーン』も弾きましたが、この『異国』も一種行き止まりですから、ピアノで弾くには生誕祭というきっかけがなければなかなか(ナニか違うw)😅
      コアな中島みゆきファンな皆さまが初期に格別な思い入れがある、というのがなるほどなぁ、でありま〜す☝️

  • @pxu13174
    @pxu13174 5 месяцев назад +1

    ベーゼン、きちんと倍音を捉えてくれる名器であること、実感しました。素敵ですよ(^^♪

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +1

      130年前の品物の魔力に助けてもらってます。ありがとうございます〜。

  • @user-iu2ho1tv2q
    @user-iu2ho1tv2q 5 месяцев назад +3

    いつも素晴らしい 演奏ありがとうございます。
    今回の曲解説には、唸りました。そういうことだったのですね…。

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +3

      ありがとうございます〜。
      まぁあくまでもワタクシの怪釈ですからあまり捉われずに、ですがなるほどと思ってくださって嬉しいです〜😊

  • @sarachan0804
    @sarachan0804 5 месяцев назад +3

    配信ありがとうございます♪
    私の大好きなアルバムの中のひとつです。自分の原点と勝手に思っております。
    当時中学生だった私は、どれだけ繰り返し聞いた事か、、とても懐かしいです。
    みゆきさんが歌ってるような演奏、素晴らしいです。

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +2

      いつもありがとうございます〜。
      なななんと、中学生でこのアルバムを聴き倒してらしたとは、筋金の入り方がハンパないですね〜😳
      そのような方に「みゆきさんが歌っているような」と感じていただけたとは、めっっっちゃ嬉しいです😂

  • @jun__-lg2yb
    @jun__-lg2yb 5 месяцев назад +1

    鍵盤のみで演奏するという挑戦によって、むしろこの曲の音楽的迫力の本質を認識させられた気がします。みゆきさんのヴォーカルの譜割りを正確に再現されているので、「異国」を初めて聴いた時の衝撃が蘇りますし、解説でコメントされている通り、「百年しても…」のフレーズが5回も反復されるという異常な構成をも、その異常さのままに再現されていることに感銘を受けました。
    ちなみに、この曲は初めて聴いた時から、シューベルトの歌曲集『冬の旅』の終曲「辻音楽師」と、死さえも安息ではないという徹底した諦観において、共通するものがあるような気がしています。

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +2

      あ、ありがとうございます!
      古くからの中島みゆきファンの友人が、ときどき歌詞が強過ぎてしまうときがあって、そんなときに聴けるピアノソロでイイぞ、とのことで。
      鍵盤楽器ってば楽器としての制約がかなり大きいものですから、それで表現をするためには抽象化して聴き手に判断を委ねることこそが大切だと思っています。コレ、歌詞の解釈と性格が同じなんですね〜👌
      ヴォーカルの「語り口」的な譜割りとその意味を正確に再現しようと工夫するのは聴き手の想像力を阻害しないために極めて大切で、そこに触れていただけたことがなによりも嬉しいです✨
      あ、そうそうそうです、「辻音楽師」でしたでした。どこかにあったなぁと思って全く思い出せなくて心残りだったのでした😂
      (ブログは直しておかなきゃ😅)

  • @user-lh8mc9bi1m
    @user-lh8mc9bi1m 5 месяцев назад +1

    この曲をピアノで😮もう凄すぎて言葉が出てきませんでした💦いつものように鬼リピの後、出てきた言葉は脱帽の二文字でした。…と書きつつまた聴いてます😌

    • @bergheil69
      @bergheil69  5 месяцев назад +2

      いやはや、音取るのにこの曲を繰り返し聴かにゃならなくて大変でしたよ〜。ピアノソロとは言え鬼リピはヤバいのでは😅💦

    • @user-lh8mc9bi1m
      @user-lh8mc9bi1m 5 месяцев назад +1

      @@bergheil69 仙人先生の動画は毎回鬼リピで~す🤭